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( 森林騒動 )

 カオリは背筋を伸ばし、両腕を真っすぐに体に添わした状態から、上半身を前方斜め四十五度の角度に折り、朗々と声を上げる。


「ということで、森林内における魔物討伐のご指導を、どうかよろしくお願いしますっ」

「……」


 見事な最敬礼を向けられたカムは、それを無言のまま見つめる。


「化けの皮の剥がれることの、なんと早いことさね。まあカムの旦那を頭数に入れていた時点で、カオリがそのつもりなのは初めからわかってたけどね。なんだったらオンドールの旦那達も、それがわかってたから強いてカオリを諫めなかったんだろうけどねぇ」

「あらっ、そうよ私達、深い森の中を、ましてや魔物の群れを討伐する目的で、分け入った経験なんてないじゃない! ど、どうしましょう……」


 村であれほど啖呵を切った手前、ここまで格好をつけたままに、いざ森の淵を目前にしてようやく、カオリは未熟な己を顧みて切り出したことで、一同は冷静さを取り戻したのだ。


「……」

「初めからそのつもりでしたと? 流石カムさんっ、いつもお世話になってます!」

「本当なのねカオリ? 本当にそうおっしゃってくださっているのね? 信じていいのよね?」


 終始無言のまま直立するカムが、果たして真実カオリの言ったように考えているのか判然としないために、ロゼッタはなんども確認するのを、アイリーンはにやにやと見守る。


「聞けば最初にカオリへ冒険者の基礎を、とくに森林地帯での心得を教えてくれたのは、カムの旦那だっていうじゃないか、だとすればこれほど心強い指導者はいやしないさね。あたしも傭兵業としては何度か経験があるけど、冒険者としては初めてさね。今回はどうかあたし達のこともよろしく頼むよ」

「私もどうか、ご指導をよろしくお願い申し上げます」

「皆様と同じく、よろしくお願いします」


 アイリーンが大きな体を綺麗に曲げて見せるのに、ロゼッタもアキも追従する。

 ここで初めてカムから小さな会釈が返って来たことで、カオリ以外の三人にもカムの厚意がわかりやすく伝わる。


 冒険者の活動場所は実に多様だ。

平原や森、険しい山中や入り組んだ人工遺物の他、ともすれば灼熱の溶岩地帯や砂漠、または極寒の氷原や果ては大海原など、魔物の脅威以前に、それら大自然を相手に生存する知恵を要求される。

 もちろん物資や知識不足から、冒険者は特定の環境条件を避けて活動するのが普通であり、全環境で幅広く活動するのは極々稀である。

 今回の場合はそれがとくに顕著であろう、なにせカオリ達はあらゆる状況下でも、魔物の脅威とあらば、どこへだろうとも立ち向かう覚悟をしてはいるものの、やはり経験不足は否めず。だが都合のいいことに、目の前に森での活動を専業としている冒険者の大先輩を迎えているのだ。

 であれば即座に頭を垂れ、その知識の教授を伏して願い出ることに、なんら躊躇する理由など、砂の一粒ほどもありはしない。

 しかしながら相手はカムである。出会って今日まで一度も声を発した姿を見たことのない相手から、どうやって指導を受ければよいのか、カオリ以外の面々は首を捻らざるをえなかった。


「そこで取り出したるはこれ、【遠話の首飾り】です。――すいませんカムさん、ちょっと煩わしいかもしれませんが、私以外はカムさんと意思の疎通が難しいので、今回だけはこれで念話を試していただけませんか? 離れた位置での連帯にも有用ですので、今後はこれを常用していただきたく思います」

「……」


 カオリが捧げ持った【遠話の首飾り】を、カムは無言で見つめた後、おもむろに受け取り自身の首にかけた。

 これはカオリ達のように【―仲間達の談話(ギルドチャット)―】を利用出来ない人物とも、遠話が可能なようにと、ササキがいくつかくれた魔道具の一つで、信頼出来る相手にのみ持たせるようにと言い含められていたものだ。

 現在はオンドール以外には渡していなかった貴重品だが、これを転機として、今後森林と村の間に密な情報網を構築したいというカオリの思惑もあっての譲渡である。


『……聞こえ?』

「おおっ、直接脳内にっ!」


 この魔道具を介していれば、カムの声を受け取ることも可能であろうと考えたのも、以前にササキからカムが独特な魔法法則に基づいた意思疎通をおこなっている可能性に触れていたのがきっかけだ。

 かくしてカオリの思惑通りに試みが成功したことを、カオリは喜び、他の面々は驚きを露わにする。


「ではまずは確認したいことがあります。カムさんはどうやって森の異変を、正確に把握なさったのでしょう? いくら森の活動に特化なさっているとはいえ、魔物の群れを観測して村に帰還するには、あまりに早過ぎると思うんです」


 カオリのもっともな指摘に、一同も同様の感想を抱く、ササキからの警告によれば、魔物の群れが村に到達するまで、およそ数日は要するとのことだった。つまりそれだけ距離が離れているということだ。

にも関わらずカムはササキの遠話による警告とほぼ同時に、村に帰還を果たし、確度の高い情報を持ち帰っている。

 人間の移動速度から見ればおよそ不可能なはずの芸当である。

しかしカムはこともなげに告げる。


『……森の、妖精達の報せ』


 まるで戯言のような言葉も、カムが言えば説得力を感じ、カオリ達は首をかしげつつも真剣に受け止める。


「妖精ってなに?」


 まずはそこから疑問を呈するカオリに、珍しくアイリーンが説明する。


「妖精ってのは精霊の近縁種さね。王国で馴染みがあるかは知らないが、帝国の一部の地域ではありふれた種族さね」


 次いでロゼッタも補足を入れる。


「正確には精霊と亜人の中間種という位置づけね。肉の実態を持ち、交尾による繁殖も魔法による増殖も観測される不思議な生態をもつ魔法生物よ」

「ほえ~、なるほど」


 冒険者組合に保管される閲覧可能図書には基本として、討伐対象となる魔物やそれに準ずる危険生物しか記載されていない、一応と熱心に読み込んだそれら文献の中になかった種族区分に、カオリは世界の広さを実感する。


「てことはカムさんはそんな妖精さん達のさわめきを聞いて、今回の危険を察知されたんですね」

「……」


 カオリの要約にカムは無言でうなずいて肯定を示す。


「カムさんはその妖精達の住処? の場所をご存じですか? もしご存じならまずはそこまで案内していただきたいと思います」

「カオリ様は妖精達と接触し、どうなさるおつもりでしょうか?」


 これにはアキが反応する。

森の妖精といえば基本的に人間には無害な、ただ森で生きる弱い種族という認識が一般的だ。

であればアキにとってみれば隷属して酷使するもよし、使役して便利使いするもよし、それら目的如何によっては対応も変わってくるだろうとの確認である。

 もちろんアキがそんな物騒なことを想定しているだろうと予測したカオリは、アキを首を振って機先を制するとともに、カムに視線を戻す。


「森の妖精達との理想的な関係はカムさんが一番ご存じのはずです。なので基本的には無干渉といきたいところですが、意思の疎通が可能で知能もあるならば、私としては森と村との間に友好的な関係を築きたいと考えています。それこそ今回のような騒動が起こった時に、互いに協力体制を敷けたらなぁ~、というのが本音です」


 そんなカオリの思惑に、カムはやや考える素振りで黙考した後、またカオリに向き直る。


『……妖精、賢い、でも臆病、今頃群れごと隠れてる。……探さないと』


 言葉少なにそれだけ告げたカムは、そのまま無言で森へ向けて歩み始めるのに、カオリ達は一礼して後を追った。


 日本において人を迷わせるほどの深い森といえば、富士の樹海を思い浮かべるだろうか、とくに件の森は火山の麓に広がり、かつて噴火して流れ出た鉱石を含む溶岩が冷えて固まった土壌の影響で、方位磁石や電子機器類が誤作動を引き起こすこともあり、方角や時間感覚を狂わせることから、実在する迷いの森を体現した存在である。

 翻ってこの世界の両大陸を隔てるブレイド山脈、その麓に広がるこのクロノス大森林もまた。神話を紐解けば、神々の戦いの終局にて、【憤怒の炎帝トモン】が放った大火によって形成された盆地に位置し、もしそれが事実であれば、高熱で溶けた鉱物を含む土壌と予想される。


(まあ、方位磁石がないから、そもそも方角を知る方法が、夜空の星しかないんだけどね~)


 しかしながら、そんな身も蓋もないことを思い浮かべるカオリの呑気な姿勢を見れば、彼女が変わり映えしない森の光景に飽き始めたがゆえであることも無理からぬこと。

 狩りや採取目的での探索と違い、今回は日頃立ち入らない深部へ、魔物の群れの討伐が目的である。

 文字通り道草を食う暇もなければ、不用意に音を立てたり、警戒を怠る余裕などないため、一同は終始無言で歩を進める必要があるためだ。

 もちろん緊急時であれば、咄嗟の警告や指示も必要ではあるが、カオリ達はそれも念話ですませるよう取り決めたため、そもそも声を出す必要がないのだから徹底している。

 適度な休息を挟みつつ、しかしカムの的確な先導によって、一同はすでにかなりの距離を進んでいた。

 もちろん直線距離で示せば、当然平原を移動した場合とは比べるべくもないが、それでも通常の冒険者達とは進行速度は遥かに優れているはずだ。


『カオリ、ロゼがそろそろ限界さね』

『あら、そっか、ごめんねロゼ、無理させちゃった?』


 傭兵として山狩りなども経験のあるアリーンは、そんな現状も加味した上で、冷静に切り上げ時を見極めてカオリに提言する。


『ご、ごめんなさい、流石に足が限界に近いわ……、戦闘の前には回復魔法でなんとかなるけど、出来れば魔力も温存しておきたいし、単純に体力の消耗も無視出来ない、悪いけどどこかでしっかり休ませてほしいわ』

『ロゼ様、どうぞ私の手をおとりください、上下の激しい箇所で、足をとられぬようにご注意を』


 戦士系に特化して鍛えているカオリやアイリーンと違い、ロゼッタは道士系に偏っているため、単純な持久力や筋力では二人に遠く及ばない、それどころかレベルも四人の中では一番低いのだから、体力で二人に敵うはずもなし。

 もちろんアキもレベルは高くはないものの、そこはやはり獣人種であるため、健脚なのは言うに及ばない。


『カムさんすいません、今日はここまでにしたいと思います。私達は寝床と食事の用意をしますので、その間の周囲の警戒をお任せしたいと思います』

『……分かった』


 カオリの要請にカムは言葉短く了承し、音もなく森の中に消えていくのを、カオリは見送った。


『火を焚けないから温かい食事は無理かな~、もう季節的に夜は冷え込むし、体温の低下は咄嗟の戦闘に影響ありそうだし、今日は引っ付いて寝るしかないか~』

『女だけの所帯の特権だね。これが男ならむさ苦しいのなんのって』


 冗談めかしてアイリーンが首を振るのに、カオリは声を抑えて笑う、たしかに寒いからと大の男達が抱き合って寝ていたら、可笑しな光景であっただろうと思う。

 もちろん生死のかかった局面で、そんな体面をとやかく言うのは愚かであろうが、それとこれとは話が違うだろう。


『いいえ、皆の足を引っ張っているのだから、食事くらいは私に役に立たせてちょうだい、金属鍋なら火を出さずに湯を沸かすくらいは出来るわ、……あまり匂いの出る料理は出来ないでしょうけれど』

『おお、いつの間にそんな魔法を覚えたの?』


 ロゼッタの進言にカオリは感嘆を浮かべるものの、当のロゼッタはやや嘆息して首を振る。


『髪を乾かすのに温風の複合魔法を覚えたでしょう? あれの応用で、発火せずとも周囲の空間や対象物の温度を上げる魔術を練習していたのよ、人間のような魔力が循環する生物は無理でも、きている鎧や武器を、内側から融解させられたら、立派な攻撃手段になるんじゃないかと思って、いずれ術式化するつもり』

『えげつない魔法さね! 重装兵の天敵じゃないか、こりゃああたしもうかうかしてたら、ロゼに丸焼きにされるさね』


 ロゼッタの思惑が実現すれば、ぞろ恐ろしい魔法の誕生ではあるものの、とうのロゼッタは手を振って否定を示す。


『まだまだよ、今は触れていないと上手く熱を操作出来ないし、金属が融解するほどの高温にするのに相当時間がかかるもの、実用までには遠く及ばないわ』

『それでも森の中で明かりを気にせずに調理が出来るのは、相当に便利でしょ、冒険者的にも軍事的にもかなり利用出来そうじゃん、そんな付与を施した魔道具が開発出来たら、めちゃくちゃ売れそう』


 村の商会が軌道にのれば、村や冒険者業で役立つ、さまざまな製品の開発も視野に入れているカオリとしては、地球にはない魔法を駆使した道具の開発は胸躍る事柄である。

 その点に関して、ロゼッタはカオリ達との活動を通じて、戦闘以外での魔法の開発にも意欲的な姿勢なため、彼女の研究にはいつも注目を寄せている。

 通常冒険者業においては、魔法は困難な状況を打破する切り札として期待するものだが、カオリ達の場合は実戦において、余程の状況に追い込まれない限り、命の危機に瀕する心配がほとんどないと言っても過言ではなかった。

 アイリーンという鉄壁の前衛が加入してからというもの、それがとくに顕著であることは言うに及ばない。

 今も人跡未踏の森でも、視界を遮る尖った枝葉や、毒性をもつ植物や虫の類を気にも留めず。ただただ真っすぐに、文字通り道を切り開いていくアイリーンの後を追うだけで、カオリ達は安全に森を進めているのが証拠である。


『アイリーン様、休息に入る前に、簡単に鎧の洗浄をおこないます。お脱ぎになる必要はございません、毒性のある植物の汁だけでも除去したく思います』

『おおそいつは助かるさね。なにせあたしは植物には知識がないからね。さっきから気にもしていなかったもんだから、自分の甲冑が臭くてまいっていたさね』


 そう言ってどかりと木の根に腰をおろしたアイリーンの全身を、アキはくまなく検分し、付着した汚れを濡らした端切れで拭ってゆく、道を切り開く過程で付着した様々な汚れも、アキの鑑定魔法にかかれば、詳細に特性を見極めることが可能なので、彼女にしか出来ない気配りであろう。

 もちろんカオリもカム直伝の知識を生かし、とくに危険性の高い植物や虫の識別は可能ではあるが、その場合色や匂いでの手法に頼らざるをえないため、アキほどに確度の高い選別が出来るわけではないので、ここは素直に彼女に頼るのが賢明と判断する。

 その間カオリは岩や木の根で窪んだ一角を休息場と定め、細い倒木や枝を集めて組み、葉や蔓で周囲から隠す工夫を進める。

 最後に襤褸の幌を全体に被せ、その上を落葉などで覆えば、休息場は完全に森に溶け込んだ茂みに化す。


『……なかなかすごい匂いね』

『そうだね~、人の匂いを誤魔化すためとはいえ、これは食欲が失せちゃうね』


 ロゼッタが調理器具を準備しながらも、幌を見上げて感想を口にするのに、カオリも苦笑いで同意を示す。

 なにしろカムの細やかな指導の影響から、カオリはかなり以前から森へ分け入るさいに使える。さまざまな道具を準備していた。この幌もその内の一つである。

 麻や亜麻で丈夫に織った大きな幌を、緑や茶の斑柄に染め、植物油で防水機能を持たせた上に、雑多な植物の汁を染み込ませて匂い付けした物である。

 嗅覚の優れた魔物や動物の鼻を紛らわせる効果を期待しての逸品ではあるが、人間にとってはやや不快な独特の匂いには眉をしかめてしまうのも無理はない。

 しかしながらこうでもしなければ、凶暴な魔物や動物に、寝込みを襲われる可能性が無視出来ないのだから、文句も言えないと二人は肩を竦める。

 そう言いながらも、同様の目的で制作し、今まさに着用している外套も、平時であれば鼻を覆いたくなる匂いを放っているのだから、人間は馴れる生物であるとカオリは再認識した。


『……よく出来てる』


 そこへ音もなく首だけを突っ込んで視線を巡らせたカムが、念話で簡素な賛辞をよこすのに、カオリは笑顔で応じる。


『カムさんのご助言を参考にして作りましたから、大抵の魔物の鼻や目を誤魔化せると思います。平野と違って森は奇襲の危険が大きいですから、やり過ぎぐらいがちょうどいいかと思って、もちろん警戒は怠りませんし、いつでも戦闘が出来るよう心掛けておきます』


 カムの短い言葉に、彼の言わんとすることを微細に汲み取って応答したカオリへ、カムは無言のまま首肯を返す。

 森の中で身を隠すことにかけては、カムの右に出るものはいないとカオリは認めている。

 ともすれば森という限定された状況であれば、この大陸中でカムほど森での行動に優れた人物はいないのではないかというのが、カオリのカムへの総評だった。

 なにせ音を立てない、匂いを辿らせない、視界に入らないことに関して、カムはカオリにすら、気配を気取らせない凄腕の狩人である。

 カオリはカムとの出会いに、かねてから感謝を深くしている。

 しばらくして、ロゼッタが完成した食事をそれぞれに配るのに、銘々で感謝の言葉を贈り、静かに食事を開始する。

 鉄鍋を魔法で加熱し、調味料を聞かせた少量の出汁を染み込ませた穀物生地と新鮮な肉の汁物は、出来立ての熱でもって身体を芯から温めてくれる。

 匂いが広がらないようにと蓋をしたまま調理したことで、食材に一層味が染み込み、行動食としてはなかなかな出来であると、ロゼッタは自画自賛するのに、カオリ達も同意する。


『調理後に【―次元の宝物庫(アイテムボックス)―】の中で開封すれば、湯気が立ち込める心配がないから、この調理方法は今後も重宝しそうね』

『【―次元の宝物庫(アイテムボックス)―】に格納された湯気はどうなっちゃうんだろ?』


 ロゼッタの奇抜な発想により実施された調理方法だが、カオリ的には気化した水分の行方が気になってしまう。


『……【―次元の宝物庫(アイテムボックス)―】内に格納されたものは変形も腐食もしないのだから、そのまま保持されるのではないかしら?』

『だとすれば、煙を集めて、いざという時の煙幕にも使えるんじゃないかい? 今度試してみようさね。まあ目眩ましが必要なほど、身の危険が迫ることはそうそうないだろうけどね』


 ロゼッタの推測が正しければ、たしかにアイリーンの言ったような利用方法も可能だろうとカオリも納得する。

 こういった能力の利用方法も、やはり仲間同士で創意工夫があってこそ生まれる発想だと感慨にふけながら、カオリは再度ロゼッタの手料理に舌鼓を打つ。


 そんな一時の休息が一変したのは、夜も深まった散華の刻の頃、光の一切届かない暗い森の中では、ざわめきが一層感じ取れる。

 はっきりと覚醒したカオリは即座に刀を構え、休息場から外の様子を伺った。

 そこへカムからの念話が届く。


『……夜行性の動物と違う』

『原因は魔物ですね。これだけはっきりと気配があるのは、対象が複数だからですか?』


 ただの動物の行動ではないと即座に見極めたカムへ、カオリも予想した危険性をあげて警戒態勢へ入る。


『……なにかが追われている』

『カムさんは対象を補足だけして見送ってください、私達で対応します』


 簡潔に方針を決めてお願いしたカオリへ、カムは無言の同意を示す。

 ざわめきが大きくなるに連れて、アイリーンとロゼッタも目を覚まして状況の確認を求める。


『カオリ様、なにやら小型の生物が中型の魔物に追われてこちらに接近して来るようです。接敵次第迎撃出来ますが如何致しましょう?』


 距離はまだ余裕があるのか、アキがカオリへわざわざ対応の確認をするのに、カオリは落ち着いて指示を出す。


『正体はカムさんに確認してもらえるから、その時に指示を出すよ、ただし追手の方はどう考えても危険だろうから、迎撃の準備は進めておいて、アイリーンさんと私で前衛を固めるから、ロゼは結界を、中衛をアキが担当して、念のためアンリのポーションの準備しておいて』


 カオリの指示を受けた一同は、休息場を背後に隠し展開する。

 物資こそ無闇に広げてはいないものの、幌も寝具も手をかけた貴重な物資なのだ。魔物にむざむざ切り裂かれて駄目にされるのは業腹である。

 この時点ではすでにざわめきもはっきりと耳に届き始めたため、平地であればそろそろ目視出来る距離だろうと、カオリ達は気を引き締める。

 やや長い緊張のまま、ざわめきのする方角を凝視していたカオリのもとへ、カムからの報告がようやく届く。


『妖精っ、追手を足止めする』

『っなるべく引き付けてください! こちらで保護してから、一気に迎撃しますっ!』


 ざわめきの正体が確定し即カオリ達は行動を開始する。


「ミギャアアァ!」

「ギャウッ!」


 かくして慌ただしく茂みをかき分けて来た小さな生物を、カオリとアイリーンは道を譲ってアキとロゼッタの方へ誘導しつつ、間近まで迫り来た魔物と相対した。


『【コボルト】ですっ、保護します!』

『こっちは【ゴブリン】だよっ、戦闘開始!』


 聖属性魔力を身に纏わせ、常にない柔和な笑みを浮かべて両腕を広げたアキへ、コボルト達は驚きを露わにするも、その神々しく優し気な雰囲気に警戒よりも安堵を覚えたのか、まるで母親と再会した子供のように、彼女の胸に飛び込んだ。


「悪い子はいねぇかいっ!」


 大袈裟に覇気を放って手斧を掲げたアイリーンの姿に、数匹のゴブリンも驚愕した様子を見せたものの、獲物を追う興奮のままに、即座に躍りかかる。

 そこへどこからともなく飛来した鋭い矢が、後続のゴブリンに降り注ぎ、その脳天を串刺しにしていくのを視界に収めながら、カオリはアイリーンの周囲を駆けるように次々とゴブリンを撫で斬りにしていく。

 もちろんアイリーンもその剛腕から放たれた手斧と幅広剣で、躍りかかって来たゴブリンをまるで小枝のように叩き斬って落とす。

 決着は呆気なくつき、森に再びの静寂がもどったのを認め、カオリ達は警戒を怠らないままに、アキへ視線を集める。


『あたしだとこいつらを怖がらせちまうから、カムの旦那と周囲の警戒をするさね。カオリはちびっこどもの面倒をたのむよ』

『あ、お願いしま~す』


 自身の姿が怯えるコボルト達からどう見えるかに配慮したアイリーンが、即座に周囲の警戒に名乗り出るのを、カオリは素直に見送り、再度コボルト達と向き合った。


「もう大丈夫だよ~、怖かったね~」

「ギ、ギャア?」


 優しく声をかけたカオリへ、コボルト達はやや首を竦めつつ、不思議そうに見上げて来る。


(犬みたいな、そうでもないような?)


【コボルト】といえば日本の数多の創作作品では痩せた犬人間の姿で描かれることが多いが、その実発祥地域では【ゴブリン】の発音違いであり、同一種を指す空想生物である。

しかしどうやらこの世界では【ゴブリン】と【コボルト】は別種の生物であるようだとカオリは理解した。

なにせ今目の前にいる【コボルト】の姿といえば、人間の膝丈ほどの大きさしかなく、全身を体毛で覆われ、犬のような顔つきではあるものの、犬耳ではなく尖った長い灰色の耳が頭の横から伸び、簡素な貫頭衣を纏った毛小人である。

人間の子供の背丈ほどの体躯に、禿げあがった醜悪な顔に、歪んだ眼光をぎらつかせる【ゴブリン】とは似ても似つかないその姿は、明らかに別種の存在であることが明確であった。


「ニギャー……、ギギギィ……」

「ニャギャウ、ニニギャア……」

「おお、そりゃ大変だね。でも大丈夫、私達が見つけたからには、ちゃんと最後まで助けてあげるから、怖がらなくてもいいよ~」


 まったく意味不明な独特な鳴き声に対し、カオリは終始笑顔のままに応じれば、コボルト達は目に涙を浮かべて、アキの胸に縋りついた。


「大丈夫ですよ、カオリ様が助けると申されたのであれば、我々も全力をもって貴方達を保護してさしあげます」


 そんなアキの頼もしい言葉と柔らかい抱擁に、コボルト達はついに張りつめていた緊張を解き、その場に可愛らしく座り込んで、声を押し殺して泣き始めるのを、カオリ達は静かに見守った。


「いえいえちょっとまってっ、なんでこの子達の言葉が理解出来るのよっ!」


 和やかなになりつつあった場に、声を抑えたロゼッタの鋭い問いがかかる。


「ん? カムさんが妖精と意思疎通が出来るなら、カムさんと意思疎通が出来る私も、妖精と意思疎通が出来ると思うじゃん?」

「私はカオリ様のご対応から、おおよその意味を推測しているだけです」

「思わ、ない……わよっ、私も冒険者として魔物や精霊の特異性については色々学んで来たけれど、カオリの特殊性が一番謎だわっ! これからはカオリを研究対象にしようか、今真面目に脳裏を過ぎったくらいよ!」


 アキは別として、カオリがよもや森の妖精の言葉すら理解出来るとは思わず。ロゼッタはどうにも納得出来ない様子だったが、状況は切迫しているのも事実なため、まずは移動を開始すべきだと、カオリ達は出発の準備を始める。


『カムさん、【コボルト】てどんな妖精なんですか?』


 カオリからの問いかけに、カムはしばし黙考して答える。


『……賢い、人間には、基本無害』

『へえ~』


 そんなことは本人と相対すればすぐに理解出来る事柄であるので、カオリは次いでロゼッタに視線を向ける。


『冒険者組合では、特定保護生物として、地方によっては領主の庇護下におかれることもあるわ、基本的には群れで集落を作って、小さな動物や魔物を集団で狩ったり、採取で生活しているようね。昔の人々はコボルトが住み着く森は豊かな証拠だと考えていたそうよ』

『ただ知恵をつけた奴の中には。人里に降りては魔法で惑わせて、家畜を盗るのもいるし、旅人を迷わせて、身包み剥いじまう奴もいるのさ、だから時折こらしめることもあるさね』

『あらら、つまりちゃんと知恵を身につける素養がある。集団生活が出来る知的生物で、住み分けが出来れば共存出来る存在ってことか~』


 翻ってロゼッタとアイリーンから、明瞭な解説をもらったことで、おおよその正体が判明したカオリは、アイリーンの背中や、アキの両腕にしがみついたコボルト達へ顔を向け、声をかけた。


「とりあえず君達以外の仲間は、なんとか逃げ出せたみたいだけど、ゴブリン達はまだ君達の集落にいると思う?」

「グゥイギィ~」

「……なんと言っているのかしら?」


 未だにカオリがなぜコボルトの言葉を理解出来るのか謎なまま、一行は当初の目的通り、妖精達、つまりコボルト達の集落を目指して歩を進めた。

 聞けばカオリ達に保護された三匹のコボルトは、仲間達を逃がすために囮として最後まで集落に残った若い雄らしく、コボルトの中では血気盛んな戦士の位置づけだという。

 しかしカオリから見れば怖くて泣いて逃げ回る小動物にしか見えないため、彼らの言うことが本当ならば、コボルトが全体的に臆病な存在と感じられた。

 事実今もアキの腕に小さな両手を絡ませて、つぶらな瞳を向けて来る彼らのどこが、勇敢な戦士に見えるのか甚だ疑問である。

 ただだからといってちゃんと意思の疎通が出来る存在を、あからさまに見下す態度をとる気にもならず。まあ可愛いからいいかと、カオリはとくに言及する気も起きなかった。


『たくさんのゴブリン達が、コボルトちゃん達の集落の物資を狙って、大挙して襲って来たんだって、慌てて逃げ出したけど、みんなばらばらになったから、困ってるみたい』


 季節はこれから冬に移行するころである。【ゴブリン】達も北の住処を追われたのであれば、越冬のための物資や食料を求めて、他の生物の群れを襲うのが効率的と判断したのだろうとカオリは予想する。


『……妖精の集落は、魔法で隠されてる。普通は見つけられない』

『てことは【ゴブリンシャーマン】が出るかもしれないさね。妖精の幻惑魔法を破れるのは、中々いないだろうよ』


 カムの懸念にアイリーンが予測を立てれば、カオリもなるほどと同意を示す。

 魔物や妖精の類は、弱い個体ほど隠蔽や幻惑の魔法に長けた生態のものが多い、であれば集団行動をとれども、一個体では脆弱に見えるコボルトの集落が、魔法で隠蔽されているのも納得のことである。

 ただし魔法は魔法によって容易く対処が可能でもあるため、今回なぜコボルト達の集落がゴブリンに見つかったのか、その理由も容易に想像がつく。


『賢い長に統率された魔物の群れか~、流石に正面から乗り込むのは危険かな? 今頃はコボルトちゃん達のご飯をお腹いっぱいに食べて、元気いっぱいだろうし~』


 ミカルド王国のルーフレイン侯爵領と隣接する地域から流れて来た群れであれば、この森までにかなりの距離を移動したと思われる。しかし移動による疲弊をつくには、やや時を失した可能性をカオリは感じる。


『さっきのゴブリン達も、元気いっぱいだったさね。こりゃあ面白くなって来たさね』


 変わらず好戦的な笑みを浮かべるアイリーンとは違い、ロゼッタはやや不安気な表情を浮かべる。


『いくらなんでも無策で挑むのは……、塒がこの子達の元の住処なら、まとめて火で焼くわけにもいかないでしょう?』


 これには流石のカオリも同意する。

 ゴブリンの塒を群れごと叩くのであれば、普通は複数で囲み、纏めて火で薙ぎ払うのが定石であると、【赤熱の鉄剣】から教わっているカオリだが、今ゴブリン達が居座っているのは元はコボルト達の集落である。

 これを残らず火で燃やしてしまっては、彼らから顰蹙を買ってしまうのは自明の理だ。

 しかしだからといって正面から白兵戦を仕掛ければ、すぐに取り囲まれ、誰かが大怪我を負ってしまうのもたしかである。

 これが平野に出る小規模のゴブリンを狩る場合と、森で群れを討伐する場合との、明確な状況の違い、ひいては現在の状況の複雑さを物語っている。


『……キツツキ』


 そんな悩めるカオリに、カムからの一言が届く。


『ほっほう、たしかに、私達にしか出来ない方法が、まだ残されていましたね~』


 そしてまるで意味不明なカムの言葉を、正確に理解したカオリが、困惑するロゼッタや不敵な笑みを浮かべるアイリーンを他所に、一つの手法を導き出した。




 時は翌日の夕刻、コボルト達から奪取した集落を中心に、ゴブリンは新たな生活圏を構築せしめんと、頻繁に斥候を放ち、周囲の警戒や狩りを進めていた。

 人間の軍のような規律や連帯にこそ及ばないものの、知恵をつけた群長に率いられたゴブリン達は、明確な上下関係のもとに纏まった行動をするようになり、単独が突出して圏外に彷徨出るということもなく、油断すれば場馴れした冒険者であっても危険な相手になる。

 この群れも、群長が頭角を現した時点で、元の住処周辺ではもっとも強大な群れではあったが、数日前に突如として現れた白銀の巨人が、森の強力な魔物のことごとくを殺し、それに呼応するように、人間の群れが森を荒らし始めたことで、止む無く元の住処を放棄せざるをえなくなった。


 ここまでの移動で数匹のゴブリンが命を落とし、群れ全体も疲労や飢餓によって危険な状態に陥ったものの、そんな時に見つけたのが、弱いコボルト達の住処であった。

 冬を前にしてたんまりと貯め込んだ食料を前に、ゴブリン達は歓喜して群長の命令も聞かずに駆け出したことを、ゴブリンの群長は苦々しく思った。

 なにせ極めて悪食なゴブリンは、魔物だろうが精霊だろうが人間だろうが、なんでも食料にしてしまう生物だ。

 であればコボルト達も立派な食料に、ともすれば奴隷に利用することも出来たはずなのに、群長の命令を無視した飢えた配下達が騒いだせいで、臆病なコボルト達が残らず逃げ出してしまったのだ。

 仕方なく罰として騒いだ若いゴブリンを、追手として放ったはいいものの、一日経っても戻らないことから、現地の魔物にでも喰われたかと、群長は鼻を鳴らした。


 思い出すのは、あの白銀の巨人の姿だ。

 人間のように長い手足をもつが、その巨大過ぎる背丈に、目も眩む金属の身体、なにより、森の主に匹敵する巨蜘蛛や大蛇の魔物も、ただの一撃で屠ったその強さに、群長は妄執に囚われていた。

 あれほど美しく、あれほど強い存在など、この閉ざされた大森林という世界において、見たことも聞いたこともないのは言うまでもない。

 ならばあの白銀の巨人も、間違いなく外の世界からやって来た存在であると、群長は外の世界への憧れを募らせた。

 外へ出れば、あの強さと美しさを、この手にすることが出来るのではないか? そんな荒唐無稽な妄想に囚われるほどに、群長は生まれて初めての執着を自覚した。

 だがそんなありもしない未来へ思い馳せていた群長の下に、配下のゴブリンから騒々しい声がかかる。


「ゴォアッ、グゲゲッ」


 どうやら先に放った追手以外にも、帰って来ないゴブリンが出ているようだった。


「グゲゲ? バルバルゥ……」


 しかし未知の土地には未知の危険がつきものであると理解する群長は、取り立てて配下の報告を重要視しなかった。

 なにせこの周辺は南奧の山脈の麓にいる。強大な主の気配の影響により、強力な個体がほとんど生息していない地域のはずである。

 その分野生の動物や、他の魔物の群れの生存競争が激しい土地でもあるが、自分達の群れは今やこの地域ではもっとも数が多く、他にも【オーガ】や【グレイウルフ】を従える最大規模の群れである。

 仮にはぐれた配下が数体殺されようと、この新たに手に入れた集落は、コボルト達の張った幻惑結界魔法を流用することで、並みの魔物や動物からの安全が保証されている。

ここの体制が盤石である限り、群れ全体が危険な状況になるなど、よほどのことがない限りありえないと、群長は確信している。

 それこそあの白銀の巨人が、自分達には目もくれず。まるで地を這う小蟻のように無視した。あの憎くも憧れた。絶対強者でも現れない限り、自分達は安全であると信じて疑わなかったのだ。


 まさかそんな自分達に、闇夜の魔手が、這いよっていようとは露知らず――。


 カオリのやっていることを端的に表現するのであれば、ただ息を殺して接近し、音もなく一匹ずつ仕留める。ただそれだけであった。

 なにせカオリは王都での数々の騒動を経て、隠密系のスキルを充実させ、本職の暗殺者達すらも圧倒する。殺しの業の粋を身につけているのだ。

 物理的に身を隠す装備もさることながら、スキルによって極まった身のこなしと、魔法的補助、そこにかねてからの剣技が加わり、まさに森の死神の様相を呈していた。

 これに関してはカオリ以外の面子では、どうにも上手く連携がとれなかったため、今は逃げ出す個体の包囲や、保護したコボルト達の面倒に徹している。

 ただしカムに関しては、なるほどカオリと極めて相性がよいのか、カオリを援護する形で狩りに協力している。

 そもそも森での狩りの基礎を、カオリに教えたのがカムなのだから、二人が行動を共にするのは、あたかも師弟の如く噛み合って当然である。

 遠距離攻撃に乏しいカオリを、時に物影から、時に樹上から、巧に援護する姿は、様子を観察していた三人に、感嘆を抱かせた。


『いや~、流石に出番がないさね。群れの本体を強襲するまで、体力を温存なんて言っちゃあくれたが、このままカオリとカムの旦那の二人だけで、相当数を殲滅しちまうんじゃないかい?』

『……もう半日も緊張しっぱなしで、あの二人はよく集中力も体力ももつものね。まるで野生の狼の如き執念深さだわ』


 ここまでの移動の途上で、コボルト達から教わった。身を隠すのに適した洞穴に身を隠し、【遠見の鏡】に映し出されたカオリの様子を観察しながら、アイリーンとロゼッタは呑気に茶や酒で喉を潤していた。

 その横で、アキは主についていけなかったことを嘆き、いじけてコボルトの毛繕いに集中している。

 なにせアキに懐いた三匹のコボルトは、アキの美しい毛並みに大層感動したらしく、執拗にくっついて来るので、仕方なく、自分用にあつらえた【ウォーウルフ】の毛を利用した櫛で、彼らを梳ってやっていた。

 手で雑把に汚れを払い、指で丁寧に絡まった毛先を解し、上質な櫛で撫でられる内に、先日まで恐怖で縮こまっていたコボルトは、瞬く間に眠りの世界の住人と化す。


『……私だって、静かに移動することは得意ですのに、見た目が白くて目立つからと、留守番を言い渡されるなんて、カオリ様はひどいです。グスッ、私の見た目がこうなのは、カオリ様のご意志でありますのに……』


 アキの外見を創造したのが、当のカオリ本人の意向であるのは間違いないが、カオリの好みがそのままアキの姿形を創ったとまでは思わず。アイリーンとロゼッタはいじけるアキのご機嫌取りに腐心した。


『まあまあ、ちびどもの警戒心を解くのにも役立ったし、いざという時の治癒や解毒の魔法は必須なんだから、そもそも後衛職が隠密の前線に立つなんて滅多にないさね。後で活躍の場はきっとあるだろうよ』

『そうよアキ、カオリの暗殺能力が異様に高いから、今回のような作戦が成立するのであって、普通は森の魔物に奇襲されることはあっても、逆に奇襲するなんてありえないわ、状況もさることながらカオリの能力が常軌を逸しているだけで、アキの力が劣っているなんて話でもないのだし、いつものことと気を楽にした方が賢明よ』


 状況はまるで受け入れ難いが、自分よりも心を乱しているアキの様子のおかげで、かえって冷静でいられるロゼッタは、心中でアキに謝罪しながら温かい紅茶を堪能する。


 一方カオリはというと、ただただ無心で補足したゴブリンや、時折連れている【グレイウルフ】を斬り殺すという作業に集中していた。

 まとめて一気に殲滅を、などと考えないあたりが、カオリらしい戦い方であるだろう。

 とくに仲間が負傷する危険を、極力排したいカオリにとって、矢面に立つのが自分だけという状況は、むしろ心穏やかな状況である。

 もちろん仲間と協力して戦えることは、筆舌に尽くしがたい高揚感を覚えるだろう、冒険の醍醐味といえるものではある。

だがそれも命の保証があって初めて楽しめるものであって、危険を回避出来る手段があるのであれば、無理を推してまで仲間達を巻き込む理由など皆無である。


 とくに今回の場合は、極めて攻勢に特化した作戦である。

 相手が大勢の群れで形成され、生存圏を広げんと活動を始めた直後とあり、一挙に殲滅を図ろうにも、そもそも群れが一ヶ所に纏まっていないのだから、最初から一網打尽とは無理な話だったのだ。

 ならばと状況と己の能力を鑑みて、もっとも効果的な手法が、この隠密からの各個撃破による。間引き作戦だったのだ。

 これであれば確実に敵の数を減らしつつ、敵が遁走してしまう状況を抑え、また仲間を危険に晒す可能性を排することが出来る。

 カムだけはカオリの能力に合わせた効果的な援護が可能だったので、協力してもらった次第である。


 しかしながら人間用に身につけた隠密系のスキルが、よもやここまで魔物にも有効だとは流石のカオリも思わなかったのは事実だ。

 そこは【ゴブリン】が、やはり魔物ではなく、れっきとした亜人種に分類される生物であることの証左ではないかとカオリは思う。

 動物並みに聴覚かあるいは嗅覚に優れ、人間の気配があるやいなや問答無用で殺しに来る危険な存在、と考えられている魔物認定生物ではあるものの、厳密には人間とそう大差のない身体的特徴なのだろうとカオリは理解したのだ。

 であるならば【グレイウルフ】の鼻にだけ気をつけて、もう少し大胆に攻めてもよいだろうと、刀に付着した血を、丁寧に拭いとる。


 ゴブリン達の塒は、騒然となっていた。

 たったの数日で仲間の大半が戻らなくなり、ようやく有用な報告を持ち帰ったかと思えば、見つけたのは仲間の斬殺死体だけだったと知り、恐慌状態に陥ったのだ。

 これを受け、群長は厳戒態勢を命じ、残った配下全員を塒の警戒にあたらせた。

 幸いこの塒には食料が豊富に備蓄されているため、しばらくは狩りも採取も必要ではないと考えたためだ。

 それ以上に看過出来ないのが、この群れの最大の強みである数の減少である。

数が多いからこそ周囲に睨みが利くのであって、数の理が失われれば、瞬く間に他の魔物の群れに襲われて再び住処を追われる羽目になる。

 それでは来るべき冬を超えられず。多くの同族を失って滅びを迎えてしまうのが必至であろう。

 ならばこの謎の襲撃の正体が判明するまで、せめて残った配下が無闇に消耗する事態だけは回避せねばならないと、存外にまともな判断を下した。

 およそ数を数えるという知恵こそないものの、体感的に約半数が殺されたと、群長は残った配下を見渡して渋面を浮かべた。

 唯一利点があるとすれば、数が減った分だけ、一人当たりの食料の配分が増えることだと、なんとか苛立ちを抑える。


 そしてこの犯人が人間ではないというのが、群長の下した判断であった。

 なにせ人間は碌に気配の消し方も知らず。のこのこと森を呑気に歩いている間抜けな生物である。

 群長の経験上そんな人間が森に暮らす自分達を、正体を気取られずにここまで同胞を殺して回るなど想像出来なかった。

 よしんばそんな能力をもった特殊な個体が存在したとしても、人間は長期間に渡って森で活動はしないというのも、ゴブリンにしては長い経験をして来た群長は知っていた。

 遠からずこの未知の脅威が、森を去るか、痺れを切らして群れに突入して来るだろうと予想して、群長はその時まで入念な罠や、配下の強化にあてる心算である。

 また最悪今よりも数が減ってしまっても、ここまでの移動の途上で、森を抜けた川向うの領域から攫って来た。『孕み袋』を酷使すれば、ゴブリンはあっという間に繁殖が可能であり、数の補填も利くだろうと予想する。

 とくに塒に縛り付けられ、鬱憤の溜まった配下達は、喜んでアレを玩具にして愉しむだろうと、己も下半身を熱くして下卑た笑みを浮かべる。


 ――しかしまさか、自分の下した判断が、死神の逆鱗と、己達の滅びを決定づけるとは、群長は最後まで考え至らなかった。


 カオリが孤立したゴブリン達の各個撃破を進めている間、残されたアイリーン達とてなにも遊んでいたわけではない。

 カオリがゴブリンの斥候を殲滅していたおかげで、周囲の森を安全に探索出来たことで、三人はほどなくしてバラバラに逃げ出したコボルトの生き残りを、ほぼ全員保護することが出来たのだ。

 生憎とカオリもカムもいない状況で、どうにも意思の疎通が出来なかったのには難儀したものの、最初の三匹が仲間達とアイリーン達との間をとりなしてくれたことで、彼らも大人しく従ってくれた。


『モフモフパラダイスだね~』


 森の洞穴にぎゅうぎゅう詰めに集まった光景を眺めて、カオリは呑気にそんな感想を述べる。


『おうカオリ、お疲れさんのところ悪いけど、こいつらとの通訳を頼むさね。こっちの意図はなんとなくわかっちゃいるみたいだけど、あたしらはまったく理解出来ないからね』

『幸い夜でも寒くはなかったから、ずいぶんと快適だったわ、この子達ってば人間の食事がよっぽど気に入ったみたいよ』

『カオリ様あぁ、ご無事のお戻りでぇっ』


 すっかりコボルト達に懐かれた三人は、それぞれでカオリの帰還を労ってはいるものの、大量の毛物に埋もれて、身体の一部しか確認出来ないような姿である。

 一人殺伐とした哀愁を滲ませたカオリは、ここへ来て一人で作戦を進める判断を下したことを後悔した。

 たしかに散り散りになったコボルト達を保護出来ないか指示を出したものの、ここまで数が多く、また人間に友好的な生物であるとまでは思わず。アイリーン達の状況を羨むと同時に、憐れに感じたためだ。

 動物好きには堪らない状況ではあるものの、しかしこれから彼らにお願いする次なる作戦は、そんな彼らを死地に追いやる非情な決断であるからだった。


 カオリは常に、自らの力で苦難に挑戦し、自らの力で目的を果たすことを是としている。

それはササキの全面的な支援に頼り切らず。これまで可能な限り独力で事態にあたっていた姿勢を見れば理解出来るだろう。

 しかし同時に、他者に対しても同様の努力を求めもした。

 つまり今回の討伐は、図らずも住処を奪われたコボルト達に、故郷を取り戻させることになる。

 であれば本来矢面に立つべきはカオリ達ではなく、コボルト達こそを主と見なすべきなのだ。

もちろん今後の村への脅威を排除するべく、ここでゴブリンの群れを叩くのがカオリ達の本来の目的ではあるが、それとこれとは別の問題であると切り分けて考えた。

 そして下した決断が、散り散りになったコボルト達と協同で、ゴブリン達を殲滅するという作戦である。

 一匹では脆弱な彼らでも、武器をもち仲間と協力しさえすれば、ゴブリンに一方的に弄り殺されるということはないはずだ。

 今回彼らが真っ先に集落を放棄したのは、単純にゴブリン達の数が、圧倒的に多かったのが最大の要因である。

 それも今や敵もカオリの手によって半数近くまで数を減らし、もっとも厄介な【グレイウルフ】もほとんど殲滅せしめた。

 後は塒に引き籠った生き残りと、【オーガ】のような強力な個体へ、アイリーンをぶつければ安全に殲滅することが可能である。

 当初から懸念していた討ち漏らしも、今や数が拮抗しているコボルト達の協力があれば、残らず包囲することも可能である。

 であればもはや躊躇する理由などない、カオリは静かに、しかしはっきりと作戦の開始を告げる。


 夜明けと共に轟いた咆哮に、驚愕して飛び起きた群長は、草葉で編んだ寝床から外へ飛び出し、目に飛び込んで来た光景に絶句した。

 つい先日に情けなく逃げ出したコボルト達が、盆地型の集落をぐるりと取り囲み、驚くゴブリン達を見下ろしていたからだ。


「グゥアギィッ! グゥアギィッ!」


 慌てて配下を叱咤し、防御陣を築こうと命令を叫ぶが、配下達はまさかの事態に恐慌状態に陥り、まともな判断が出来ない状況である。


「よ~し、撃ち方始めっ!」


 そこへカオリによる矢の一斉掃射の号令がかかり、コボルト達から不揃いで小さな矢が放たれる。

 元々は小型の動物用に拵えた矢である上に、手足が短いコボルト達ではどうにも威力に欠けるものの、恐慌状態に陥ったゴブリン達をさらに混乱させ、かつ足止めをするには十分な効果を発揮する。

 同時に数十匹のゴブリンに矢が刺さり、またコボルト謹製の植物毒が塗布されていることも相まり、戦闘不能に陥るものが続出した。

 そんな惨状を憎々し気に睨みつけ、群長は躍起になって命令を叫び続ける。


「ほおら雑魚どもっ! 死にたい奴から前へ出なっ、死にたくない奴も首を差し出せっ、強い奴は覚悟しなっ、みんな纏めて襤褸切れさねっ!」


 今度はなんだと首を巡らせれば、見上げるほどの巨躯に、鈍い灰色の全身金属人間が、声を荒げて配下達を、それこそ襤褸布の如く薙ぎ払ってゆく。

 なまじ白銀の巨人の記憶が新しい群長は、この大柄の金属人間に恐怖を呼び起こされ、身体を硬直させた。


「鬼さんこちらっ、死出なる方へっ」


 さらに意味のわからぬ歌を口ずさみながら、雑草を刈るが如く配下を次々と斬り捨てる人間の雌まで現れ、ついに群長は半狂乱に陥る。

 そうして追い詰められたことで、最後の足掻きとばかりに、群長が悪知恵を働かせたのは、ひとえに生物の本能的な行動原理が所以であった。

 ちょうどカオリとアイリーンが、それぞれで【オーガ】を仕留めた時、ゴブリンの群長が寝床から引き摺り出して来たものが、カオリ達の視界に映る。


「ん? はあ?」


 最初は逃げ出すための武器か、あるいは私物の類かと思ったが、カオリは冷静にソレを観察し、言葉を失った。


「ギィッ! ゴガガッ! ギィガッ」

「うう……」


 服を破かれ、散々に弄られ、露出した手足は力なく投げ出し、得体の知れない体液と泥に汚れた姿こそ、初めはなにか襤褸切れかと見間違えたが、ソレから弱々しく声が漏れたことで、カオリはついに理解する。


「へえ、こいつら『味を占めた』群れだったのかい、通りで数が多かったわけさね。こんだけ数が増えたのも、良質な『孕み袋』を飼っていたのが理由だったんだね」


 アイリーンはその正体にいち早く気づき、こともなげに理解を示した。ただし足元に転がったオーガの死体の首を、足裏で踏み折って、内心の怒りを示す。


「ギィッ! ゴガガッ! ギィガッ」


 だが呆然と立ち尽くすカオリをどう思ったのか、群長は再度同じ鳴き声で、カオリに向けて威嚇する。


「なに? 人質のつもり? 悪いけど交渉する相手を間違ってるよ」


 力なく引き摺られた人間の女性を、乱暴に引き上げて、群長は手にもつ粗悪な錆びた短剣を、女性の首にあてがうのを、カオリは無表情で見つめた。

 それをどう解釈したのか、群長は明らかな動揺を浮かべて、必死に何かを喚き散らす。


「ああそう、自分だけでも助かりたいと?」


 カオリがそう発言すると、群長は僅かな希望を見出したのか、身を乗り出してさらに声を上げるが、次の瞬間には声が出なくなった。

 その自身の異変に驚き、後ずさりしようと後ろへ足を引いた瞬間、群長の胴からポトリと頭が地面に落ちる。


「いや、死ねよ」


 この日、カオリ達はほぼ単独による。魔物の群れの討伐という偉業を成し遂げた。

 しかし、それを喜ぶ声を、カオリ達はついぞ上げることが出来なかった。


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