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( 森林氾濫 )

 人知れず宣誓された【泥鼠】達の誓いなどつゆ知らず。カオリは久々に村の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


 初冬の空気は冷えて澄み渡り、村の変わりゆく熱気に火照ったカオリの気持ちを、優しく落ち着かせる。

 今日も今日とてロゼッタを王都に残しての帰還ではあるが、つい数日前までアイリーンとアキとは共に過ごしていたために、別段久しぶりという感慨は湧かない。

 むしろ頻繁に村の状況の報告を受けていたために、どちらかというと再確認程度の心境である。

 しかしながら書面や口頭での報告内容が、今眼前に広がる光景には、どこか達成感にも似た喜びを抱く。

 村の開拓も今や、元村人達全員の住居が完成し、さらに移住予定の難民のための住居の建設が進んでいる。


 ただし最初に建つのは、新たに建設する二件目の集合住宅だ。

 流石に冬の間に五十名にのぼる移住者全員分の住居となると、相当に時間がかかると予想されたためだ。

 難民達の移住は春に予定している。なにせ冬が明ければ本格的に農業に着手しなければならないために、まずは村の防衛にこそ力を注ぎたかったからだ。

 といっても最大の防衛施設たる砦壁も、残すところ見張り櫓の建造と、新たな砦門の設置だけとなる。

 真新しい石材による頑強な塀の姿に、カオリは零れる笑みを抑えられなかった。

 今では村をぐるりと囲む水堀も機能し、村の防備は相当に高まったことだろう、少なくともそこいらの野盗集団や、魔物の群れに無闇に怯える必要はないだろう。


 ただし防備は万全でも、壁上で防衛に就く戦力という観点では、依然として人手不足が否めないと、カオリは少しばかり頭を悩ませる。

 現状で戦える人員は非常に限られているのだから当然であろう。

 カオリ達【孤高の剣】とアデル達【赤熱の鉄剣】またゴーシュ達【蟲報】の他に、セルゲイ達も今では十分に戦える人員とみなされてはいるが、流石にこの程度で村全体を守り切るのは厳しいとカオリも理解している。

 もちろん元狩人冒険者のカムや、レオナルド夫妻も十分に過ぎる戦闘能力を有してはいるものの、年齢的その他より無理をさせられないとカオリは考えている。

 少なくとも今後は常備兵力の確保に力を注ぐ必要があるだろうと、カオリは砦壁を眺めながら溜息を吐いた。

 以前の帰還時もアイリーンに提案されていた案件ではあるものの、信用出来る即戦力にあてはなく、先延ばしにしていたのは事実だ。


「カオリ姉っ、おかえり!」

「カオリ様、おかえりなさいませ」


 そこへテムリとアキから声がかかり、カオリは思考を一旦止めて、笑顔で二人に向き直る。


「ただいまテムリ、アキ」


 日々の体調や開拓に関する案件は密に報告を受けているため、あえてここで聞き直す必要はないと、ただただ笑顔でテムリを抱きしめるカオリへ、テムリは満面の笑みを向け、アキは蕩けるような微笑みを二人に向けた。


「アンリはどこかな?」

「はい、アンリ様でしたらば今はご自宅にて、カオリ様のお帰りをお待ちしております」


 カオリの問いに即座に答え、アキはカオリを自宅へと誘う。

 道行にすれ違う村人や開拓団達と軽い挨拶を交わしながら、カオリは自宅の扉をくぐる。

 屋敷から直接ギルドホームに転移し、その足で自宅を目指したために、衣服に汚れはないものの、村の通りは未だに地肌を晒し舗装されていないがため、長靴はやや土で汚れている。

日々清潔を心掛ける自宅に、少しでも汚れを持ち込むことを嫌い、カオリは簡単に長靴の土を外で払い落しつつ、視線を巡らせる。


「カオリお姉ちゃん、おかえりなさいっ」

「ただいま、アンリっ」


 短い、しかし溢れんばかりの愛情を湛えた笑みを浮かべて、カオリとアンリは抱擁する。

 元は赤の他人であるはずの三人だが、カオリもアンリもテムリも、今では深い絆で結ばれた家族であろう、もちろんアキもその中に含まれている。

 最初はカオリと姉弟の三人から、エイマン城塞都市で生活を始め、途中からアキが加わり、気づけば村を復活させるまでに至った苦労の連続が、こうしてカオリ達を繋ぐたしかな絆となっていた。

 なにか一つでも失っていれば、今の暮らしは破綻していた可能性があった中、それでも立ち止まらずに今日を築き上げてこられたのには、いくつもの奇跡と愛情の賜物であると、カオリは再確認する。

 だがそんな暖かな家族の団欒に興じるにも、カオリの盟主という立場はそう暇ではない、カオリの帰還を知った関係者達は、ここぞとばかりにカオリへ直談判すべく、自宅に訪問して来るのを、カオリは苦笑と共に迎え入れる。

 最初の訪問者はアイリーンである。


「おうさねカオリ、家族団欒のところ悪いけど、ちょいと相談したいことがあるさね」

「わかりました~、お話伺います~」


 しかし緩んだ頬を取り繕うことには失敗し、なんともだらしないカオリの姿に苦笑しつつ、アイリーンはテムリの頭に手をおいて要件を切り出す。


「実は前からテム防が、いくつか弩を作ってくれてね。十分に使える物をこしらえてくれたから、近々村の防衛装備として整備しないかって話があるさね。村にも何人かは壮健な男衆もいるから、あいつらに持たせて壁上に配置すれば、それなりに戦力として数えられるだろ?」

「おお流石はテムリっ! 頑張ってくれたんだ~」

「うん!」


 アイリーンの提案を聞き、真っ先にテムリを褒めるカオリだが、もちろん提案内容も真剣に耳を傾けている。


「具体的にどのように進めるつもりですか?」


 戦力の拡充とはいうものの、カオリでは具体策は思いつかず確認をおこなう。


「なにそう難しいことじゃないさね。元より主力はあたしらと他の冒険者達が前線に立つんだから、村人には簡単な兵装の使い方と、戦時の配置や立ち回りを覚えてもらう程度でいいさね。下手に前に出られて怪我されるより、威嚇の意味が大きいからね」

「てことは、指揮を誰にお任せするんです?」


 戦闘時の指揮系統などを重視出来るほどに兵数を期待出来ない現状では、戦えるものはもれなく前線配置であるため、後方で指揮する人員など贅沢を言ってはいられないだろうとカオリは思ったが、アイリーンは胸を張る。


「セルゲイ達が使えるさね。なにせあたしはもといオンドールとレオナルドの両旦那が直々に鍛えたんだから、そこいらの木っ端兵士よりよっぽど練度が整ってるのさ、レベルこそ低いが、素人達を指揮するには十分さね」


 元々都市外で放浪しながら野盗活動をしていたセルゲイ達である。数に任せて弱い魔物を駆除したり、追手の兵を撒く程度の指揮能力はあったのだ。

そこに歴戦の勇士三人からの英才教育を施されたのだから、冗談もなく練度は高い水準にまでたたき上げられているのは間違いない。


「なんでもあいつらと他の男衆を一緒に訓練すれば、冬の間には立派な戦力に出来るって、両旦那のお墨付きさ、ただ訓練用の矢が足りないし、出来れば簡単にでも防具と、出来れば短槍がほしいさね。そのためにテム防をしばらく借りたいって話さ、テム防にはちゃんと返事をもらってるから、後はカオリの許可さえもらえればってことさね」

「な~るほど、許可しますっ!」


 アイリーンの手回しの良さに感心しつつ、カオリは悩むことなく許可をする。出来ればテムリには商会の主力となるアンリのポーション用に容器の作成をさせたいところではあるが、村の防衛はなによりも優先すべき案件である。

 開拓も商売も、まずは村の生命と財産を、外からの脅威から守れて初めて成立するのだから、当然の判断であろう。

 このあたりが他の開拓村とは違う、冒険者が代表を務める、この村らしい方針基準といえる。


「よっしゃあ、それならテム防、さっそく装備の作成を依頼したいさね。旦那らに図面を頼んでるから、あたしと一緒に来ておくれ、詳しく話を聞いておくれよ」

「わかったアイ姉えっ」


 大股で外へ繰り出すアイリーンを追いかけて、テムリが元気よく駆け出すのを、カオリは目を細めて見送れば、替わりにイゼルが入室する。


「おかえりなさいカオリちゃん、テムリ君は今日も元気いっぱいね」

「ああイゼルさんただいまです。テムリにはいつも元気を貰ってますよ~」


 幼い男の子の無邪気な姿に、女子二人は頬を緩めてしまうが、要件はあくまで仕事であると互いに気を引き締める。


「商会の設立とはいっても、やっぱり最初は仕入れに神経を使うべきだと思うのよ」


 短い前置きをしつつ、声高に説明するイゼルに、カオリも真剣な眼差しを送る。


「だからしばらくは私が直接王都までの販路を行商して、中継地での販売から王都での仕入れまで担当したいと考えているわ」

「な~るほど、そうなると村での店番はカーラさんに一任すると?」


 イゼルの主張を理解したカオリではあるが、イゼルは少し違うのだと首を振る。


「いいえそうではないの、そもそも今はまだ村で販売する商品そのものが充実していないでしょう? だから村人向けに商品を売るにしても、売るものがないのが問題なの、王都向けにはアンリちゃんのポーションっていう主力があるけど、じゃあ村にはどんな物資が適切か、もしくは王国でどんな商品が手に入るかが重要なの、それを正しく目利き出来るのは、村で生活する人間でないと難しいはずよ、もちろん仕入れの値段交渉も、人任せには出来ないわ、だからまずは私とカーラも含めて、冬の間に販路の様子を一度この目で確かめたいの」

「おお~、たしかに失敗出来ない重要事項です。う~ん、でもそうなると様子見のためだけに予算を削ることになりかねませんよねぇ~……」


 イゼルの提案の重要さは理解出来るものの、冬の間は物資の高騰が予想されるため、実際の仕入れは春を予定していただけに、二の足を踏むカオリへ、イゼルは補足を加える。


「いいえだからこそ、物流が滞る冬の間に、中継地や王都で主要な注文や商取引の交渉を進めるべきなのよ、この辺境に商会を立ち上げるということは、どうしても田舎出で軽んじられる可能性があって、売り買いで足元を見られるわ、でも私達には冬でも使える狼車という強みがあるでしょう? 安定した物資の供給はどこの都市でも歓迎してくれるのだから、これを宣伝する絶好の機会でもあるわ」

「な~るほど、許可しますっ!」


 雪中でも快速で物資を運べる狼車もとい、【シキオオカミ】の牽く荷車の輸送利用は早くから検討されていた事柄で、それは荷車の安全確保の他に、魔物を使役することの安全性も喧伝する目的があるためだ。

 おそらく今後他の魔物も使役して、村の開拓に従事させる機会が増えることが予想されるために、なるべく早く村の周辺都市に認められるよう働きかける試みである。

 であるならば魔物や公国軍の略奪により住処を奪われた難民達にとっても、【シキオオカミ】達の安全を喧伝することは極めて重要な事柄であるともカオリは理解した。

 ただしこの提案を実現するためには、冬の間に狼車の利用許可を、王国に認めさせる必要があるため、まずは王家と王国の冒険者組合に問い合わせなければならないとし、カオリは持ち帰り案件として心に刻む。


「ならついでですし、王都で一度、王都支店で働く従業員の皆さんと顔合わせもしましょう、春になればイゼルさんの部下として働く皆さんですから、早いにこしたことはないですし」

「う、承ったわ、どうしましょう、王都民と顔合わせなんて、田舎者と思われるでしょうけど、頑張るわ……」


 カオリからの提案にすでに緊張を見せるイゼルだが、貧民街出身の元娼婦がほとんどの従業員候補達にとって、今のイゼルが侮られることはないだろうとカオリは考えた。

 イゼルにしても帝国の元奴隷で、カオリに解放されなければ性奴隷として売られる運命にあったのだから、どちらが過酷な身上かと問答しても意味はない、重要なのはこれからの努力であり、開示は信頼関係が出来てからと、あえて前情報を提示することをカオリは避けた。

 アイリーンとイゼルに次いで訪れたのはゴーシュである。彼ら【蟲報】も商会設立に伴う販路の確定または荷車の護衛確保の費用算出にて、村と王都を往復し終えたばかりである。


「う~い盟主様よぉ、仕事が終わったぞ~」

「なんですか、それ」


 名前呼びが常であったゴーシュが、改まって盟主呼びするのがらしくなく、思わず笑ってしまったカオリに、ゴーシュは不貞腐れて無遠慮に着席する。


「おいおいそりゃないぜ、王都でカオリちゃんの鼠共に喧嘩を売られたから、しょうがなく立場の違いってやつに配慮したんじゃねぇか、褒めてほしいぜ」

「ありゃ、そんなことがあったんですね。なんだか【泥鼠】の皆さんの忠誠心が、日に日に強くなって、どうしたものかと思ってたんですけど、喧嘩は駄目ですね~」


 カオリの知らぬところで仲間同士の諍いがあったなど思いもせず。カオリは困った表情を浮かべるが、そこへアキが口を挟む。


「これもひとえにカオリ様の人徳の成すところ、己の立場を弁えた姿勢というものは、内外に威光を示す必須事項です」


 そう言ってギロリとゴーシュに鋭い視線を送るアキに、ゴーシュはやや冷や汗を感じつつ、諸手を上げて顔を引き攣らせる。


「ま、まあその内な、な? アキちゃんも怒んないでくれよ、こうやって距離を縮めるからこそ頼みやすい案件ってのもあるだろ? なんでもかんでも上から下と格式張ってちゃあ、カオリちゃんも疲れると思わねぇか?」


 慌てて詭弁を弄するゴーシュにカオリは笑う。上位下達と言いたかったゴーシュの下町風にも、彼らしい気安さが垣間見える。


「そうですね~、中にはゴーシュさんみたいな人がいた方が、なにかと融通が利くこともあるでしょうし、私的には気にしなくていいですよ~」

「ほ、ほらぁ~な? カオリちゃんもこう言ってくれてるしよ、ここは大目に見てくれよ~」


 完全に腰の引けたゴーシュだが、カオリにとっては、前線向きではない斥候専門の冒険者の【蟲報】でも、各方面でなにかと重宝出来る実力者である。

 冒険者組合の思惑はあれど、通常賃金で冒険者を雇うよりも格段に安く使え、かつ信用のおける彼らは、今や立派な村の仲間であるとカオリは心を許している。

 ゴーシュにしても栄達の道を拓いてくれたカオリとの関係を歓迎し、多少無理でも手を抜かずにカオリからの依頼には真剣に挑む所存である。

 カオリはそんなゴーシュからしれっと提出された報告書に目を通し、先ほどのイゼルとの会話を思い出しつつ思案する。

 問題は商会が王都までの中継都市で、どれほど商材の売り上げが見込め、かつ王国の情報を効率よく収集出来る販路を選ぶか、またその行程での安全を安くかつ万全に運べるかである。


「都市間での現地雇用はやっぱり安く出来ますけど、信用問題は無視出来ませんよね~」


 カオリの呟きにゴーシュも同意を示すが、王国の広い治安状況と冒険者としての経験から、一応と補足を加える。


「都市ごとによっちゃあ街道の安全が保証されている区間もあるからな、そんなところは低級の冒険者をその都度雇用出来るのは、結構な経費の削減になるだろうよ、それに流石に王領に拠点をおく冒険者で、盗みを働いたり逃げ出すような輩はいないと思うぜ?」


 カオリの懸念を払拭出来るようにと私見を述べるゴーシュだが、その内心では王都と村の往復の日々を避けたい下心もカオリは理解している。

 冒険者の中には都市間の移動にさいし、荷馬車の護衛依頼を請けて移動費を節約する知恵があることを、カオリはもちろん知っている。

 だが全ての冒険者が護衛依頼を歓迎しているわけではない場合もある。

 護衛依頼とはつまり、請負中は私的な時間は常になく、時には依頼主からいいように酷使される場合もある上に、安全な街道では魔物の討伐数を稼ぐことが出来ないこともある。

 冒険者としては、信用実績をとるか討伐実績をとるべきか悩ましい選択肢なのだ。

 また時期が悪ければ見合った実力を備える冒険者を、雇用出来ない可能性も考慮すべきだとカオリは考える。

 そうなれば最低限でも実力者を常用出来る体制を整えるべきだと、そんな思惑から、黒金級でも行き場のないアストリッドに布石をおいた次第なのだ。


「実は王都ですごく都合のいい冒険者さんを見つけたんです。もしあの人が常用出来るなら、その人を主軸においた上で、穴埋め要員の雇用でこと足りる可能性があるので、いい感じの折衷案で纏められないかと」

「ほ~、そんな都合のいいのがいるのか、どんな奴か聞いてもいいか? これでも王国の実力者には詳しいんだぜ」


 カオリの考えにゴーシュは感心する。伊達に王都で活動していないカオリである。着々と人脈を広げつつあると、己も無関係ではない事柄と受け止める。


「【ホワイトマーチ】ていう黒金級冒険者集団に所属していた。【閃光のアストリッド】て人です」

「……マジかよ」


 なにしろ王国でも指折りの高位冒険者集団の、しかも切り込みを務めた冒険者である。王国最東端のエイマン城塞都市でも、彼女の武勇は十分に届いていたのだと、カオリはゴーシュの反応に気をよくする。


「でもよ、ちょっとばかし問題児って有名だったはずだ。なにがどうしてそんな奴を囲うことになったんだよ」


 未だ王都での決闘騒動の顛末が知れ渡っていない辺境の地である。ゴーシュがことの次第を知らないのも無理はない、「その内わかりますよ~」とカオリは適当に流すのも、あの騒動がカオリの中ではそれほど瑣末事と片付けられている証拠であろう。


「ま、まあなんにせよ、黒金級の冒険者だ。そこいらのちんけな野盗や魔物なんて屁でもねぇだろ、後は適当に低級の冒険者で後方支援さえさせれば、道中の安全は問題にならねぇだろうな」


 カオリの軽い反応に苦笑しつつ、自分達が荷車の護衛に付きっ切りにならずにすむことがわかり、ゴーシュは胸を撫で下ろす。

 どこよりも栄え風靡な王都へ頻繁に足を運ぶこと自体は魅力ではあるものの、それが王都での冒険者としての実績に数えられることもなく、あくまでただただ往復するだけの依頼とあっては、やはり気苦労が先んじる。

 どちらかと言えばカオリ達の村を拠点に、魔物を狩りつつのんびり出来ることの方が魅力的だ。

 なにせ装備の補充や新調の他、消耗品の類まで過不足なくカオリの手配が行き届いているのは、通常辺境の開拓村ではありえない充実振りである。


 また冒険者としては斥候依頼を通じて安定した収入を得られ、ついでに手頃な魔物を適当に狩れる上に、アイリーンが大量に持ち込む酒類は場末の酒場も舌を巻く贅沢品である。美味い酒と安心出来る寝床をタダで約束されているのだから、ある意味夢のような環境であるとは、ゴーシュ達【蟲報】の総意である。

とくに最近はササキに同行して大森林の主である黒獅子の発見に伴った。金級昇級試験認可もあって、これまでのように焦燥に駆られることもなくなったのだ。

 もちろん最終的には黒金級にも手を伸ばし、金と名声を望む野心を失ってはいないが、道が拓けた今だからこそ、焦って実績を積む必要は感じられないと、ゴーシュは余裕の構えである。


「まあ、なんにせよ、最終決定は春まで持ち越しなんで、再検討が必要でしょうし、この報告書はそれまで大事に保管させてもらいます。お勤めお疲れさまでした。報酬は後日エイマン支部で受け取ってください」

「あぁ、あんがとよ、またご贔屓に~てな、いやぁ大変だったけど、これで冬の間はのんびり出来らぁ、はははっ!」


 カオリの労いの言葉に、軽く手を振って退出するのを、カオリ達は黙礼して見送るが、顔を上げると共に、アキから忠言が入る。


「そう言えばカオリ様、先のイゼル様の冬季中の販路下見にさいする。護衛人員に関しては、よろしかったのでしょうか?」

「うん……、今はそっとしてあげようか」


 当然、雪の降る王都までの長い道中を、誰が護衛するのかは、カオリの胸の中にそっと秘めておくこととする。




 一方そのころ、王都に残されたロゼッタは、久しぶりに豪奢な衣装に袖を通し、貴族令嬢としていくつかの茶会に参加していた。

 なにぶんカオリは客として出席することを厭い、基本的に魔物を想定した警備依頼以外では、貴族の集まる場には出ない方針であるため、代わりにロゼッタ単独で招待に応じる運びとなった。

 やはり王家と懇意にするカオリ達と縁を結びたい貴族家は一定数あり、それなりの数の招待状が屋敷に届けられるのだ。

 最初はアルトバイエ家に招待状が贈られていたのを、侯爵夫人が如才なく断りの旨で捌いてくれていたのだが、流石に熱心な誘いを何度も断り続けるのは体裁が悪く、渋々ササキを通してロゼッタに届けられるようになったのだ。

 ササキにしても侯爵夫人の相談を無下にすることは出来ず。あくまで当人の意思次第と念を推した上で、中継したのはいうに及ばない。

 ロゼッタもカオリの名代のていでいくつかの招待状にも頑として応じなかったものの、どう調べても埃の出ない比較的善良な貴族家の誘いを断るのは気が引け、立場を明確にした上での顔見せ程度で、あくまでも私的な小規模の茶会には出席を決めた次第である。


 本日招待されたのは開明論派の宮廷貴族で、家格は子爵位であるものの、王都郊外に薬草園を所有する学者の家系である。

 カオリ達の村が良質なポーションを王都に卸すことを、王家が認可した噂を聞きつけ、関心を寄せていることが推測されると、ロゼッタが【泥鼠】達を利用して調べた結果だ。

 招待主たる子爵婦人もその令嬢も、流石に露骨な探りは避けたものの、口外にカオリ達のもつ薬草あるいはポーションの製造および品質管理の手法に興味があるのが見え透いていたため、ロゼッタは公に公開されている基本情報の開示までは胸襟を開いてみせた。

 だがやはりギルドホームの破格な魔導設備の存在は、なにがあっても情報を漏らすまいと肝に銘じ、久しぶりに本気の令嬢の仮面を厚くした。

 ただし学者というものはえてして関心事には鋭い洞察力を発揮する人種である。真実核心を隠しおおせることが出来たかは、流石のロゼッタもやや不安を滲ませる。


「幸い商売気のない学者の家系だから、後ろ暗い介入の心配だけはないけれど、かの家と懇意にしている商会や組合の鼻は誤魔化せないわよね」


 すでに王都における裏家業人の脅威こそ、取り除きおおよその安全は確保したものの、権力者に直接抱えられている工作員は、未だ王都内に隠れているとロゼッタは警戒している。

 大袈裟なほどに踵の高い婦人靴をやや乱暴に脱ぎ、ステラに補正下着(コルセット類)の脱衣を任せながら、ロゼッタは呟くのに、ステラは表情を変えずに応答する。


「恐らく件の家に、カオリ様への探りを依頼したのも、本来は商会や薬士組合の依頼なのではないでしょうか? かの家はあまり腹芸の得意な家ではないとの情報がありますので、そもそも二心の心得など持たぬかと」


 ステラも独自の情報網から所見を述べれば、ロゼッタも納得して顎に指を添える。


「まったく、たしかにアンリちゃんのポーションは同素材の普遍的な薬と比べて、頭一つ抜きん出た効能の逸品よ、きっと王立魔法研究所で話が漏れたのでしょうね。これは当初から予想された事態だから、特別警戒をする必要はないとはいえ、どこでなにが蠢動するかわかったものではないわ」


 高い効能があるといってもこれまで、なにぶんカオリ達は一般的なポーション類のお世話になった経験が少なかっため、あくまで主観的な意見ではあったところへ、王立魔法研究所の調べにより、低位でも一つ上の効能があるとの見解を受け、さもありなんとロゼッタも納得の結果である。

 アンリからの研究資料を直接確認したロゼッタは、その具体的な製法を知る数少ない人間の一人である。

 今ならば普遍的なポーションの製造工程と比較して、アンリの製法が極めて高度かつ複雑なことに何度も感心している。

 学もない辺境の村娘でしかなかったアンリが、並々ならぬ努力と、優れた魔導設備によって生み出したポーションを、その成果を、ロゼッタも誇らしく思っているのだ。


 だからこそアンリの努力に泥を塗るような悪意を、ロゼッタとしても断固許さぬ想いから、王国の権力者の介入には神経を尖らせている。

 ただ具体的にどのような介入を、どのように警戒すべきかは判然としないのも事実である。現状雲を掴むような心持で、広く浅く警戒を心掛ける程度に留めるのも、致し方ないとやや諦念を滲ませる。


「おそらく今は流通量が限られる小規模取引と誰もが考えるでしょう、あれほどの高品質薬を大量生産など不可能だとね。でも材料さえそろえば、それこそ都市規模の需要にも応えられるのは確実、今後流通量が増えれば、他のポーションが淘汰される可能性もあると、即座に行動を起こす愚者が出るに決まっているわ」


 なにせギルドホームの錬金釜は素材を投入するだけで、一挙にポーションを製作出来てしまうのだ。一番大変な作業といえば瓶詰だろうと、いっそ笑いが零れるほどである。

 もちろん工程こそ大幅に省略出来ることで甘えていては、今ほどの品質を達成することは不可能だった。素材の選定から加工、さらには配合量の調節など、全てを調べ上げ最適解へと昇華してみせたのはアンリの情熱の成せる業である。


 カオリ達のもっとも警戒するのは、ギルドホームの魔導施設の存在が露見し、収奪を企む勢力が大挙して侵略して来るような事態である。

 それはつまり、まごうことなき戦争状態を指すのだ。

 今では村の防備も整いつつあり、おいそれと侵略を許すことはないだろうが、流石に数百を超える軍隊に攻められれば、村の資産を放棄せざるをえないだろう。

 ただし最悪の場合はササキが前線に立つことも期待出来るため、過度な警戒は不要ではあるが、無防備のままに情報を拡散するのは愚の骨頂である。


「恐れながら、組合各所の圧力にも、多少は警戒をするべきかと」


 ステラが付け加えた事柄も、当然ロゼッタは承知している。


「そうね。本来は地道な販売実績を積んで、後に頭角を現すはずのところを、一足飛びに王家から流通許可を取り付けて、半ば王家御用達の立場をえたのだもの、まったく恩恵を受けられなかった特権商人や組合は、さぞ面白くないでしょう」


 すました顔で言ってのけるロゼッタが、内心で既得権益に胡坐をかく商人達へ、出し抜いた愉悦を感じていることを見抜いたステラは、わざとらしく嘆息する。

 いつだったかに商業系の組合について記述をしたかもしれないが、とくに商業組合の権利というものに触れておく。


 本来商人、とくに店舗をもたない行商の類は、都市あるいは村落間を絶え間なく移動する関係から、厳密には税の対象外、つまり国の庇護下にない文字通りの根無し草とみなされている。

 ゆえに国民でも領民でもない彼らを、国は自国の民として扱わない、いや扱えない部外者として接する。

 ただし移動途上で立ち寄るあるいは通行する過程で支払う通行税または入市税は、領民に等しく科される人頭税とは比べるべくもない、立派な税収入でもある。

 そのため交易の要所となる都市において、彼らが行き来することによって発生する税は、都市を支える上で必要不可欠なのだ。

 また彼らがもたらす商品も、都市住民の生活には欠かせない物資であり、都市機能を支える柱となることも忘れてはならない。

 つまり国の経済をより活性化し、潤沢な物資を辺境の隅々まで輸送する彼ら行商人を、貴族は基本的には歓迎している。

 しかし商人側も馬鹿ではない、自分達が担う役割が経済の発展にどれほど寄与しているかを自覚しているがために、自らが持ち込む物資なくして、都市機能を維持することが困難である事実を盾に、利益の最大化を画策するのは極めて自然な発想であった。

 そうして生まれたのが商人の寄り集いたる。組合という組織なのだ。


 彼らが求めるのは許可、いわゆる権利である。

 とくに重要なのが通行手形だ。これは組合が一定の金額を領主に納めることで、組合に所属する商人は関所や都市門をくぐるたびに徴収されていた税を免除されるだけでなく、品目によっては関税もかからない、これにより細かな税の計算から解放される他、なにより危険な荒野を金の詰まった袋を抱えて移動する危険からも免れることになる。

 ついで販路の安寧だ。

 組合は領主の意向を真っ先に汲み取ることで、必要な場所に必要な量の物資を手配することが可能である。つまり組合所属の商人は、確実に売れる商品を、売り切れる適切な量などのもろもろの情報を、いち早く手に入れることが可能なのだ。

 もちろん組合の意向に沿った堅実さこそが重要であるため、商人個々人の大儲けは期待出来ないものの、商人単独で得られる情報量に比べ、情報の鮮度も質も極めて安定している。つまり確実な利益が確保出来るのだ。


 また多数の商人からの仲介料や会費に支えられている組合も、その豊富な資金源を元手に資産運用や、大口の取引が可能であるため、戦時の装備や兵糧の確保、または領地開拓時の人材あるいは資材の確保などを、一つの窓口で独占することも可能となる。

 逆に言えば組合の設置されていない町村では、なにをするにも物資調達で遅延が発生し、場合によっては多額の金を積んでも求めた商品が手に入らないといった問題を抱えることになる。

 いつかに市区町村の制定でも触れたことではあるが、都市と町あるいは村と集落を分ける明確な要素にも、各種組合の存在は重要事項である。


 とくに大都市では組合と一言にいっても、人口に比してその種類はより細分化される。

 商業関連でいえば、行商人を主力とした行商組合、人材派遣を生業とする労働者組合、衣服や装飾品店が寄り集まった服飾組合、工業関連従事者の職人組合などなど、枚挙にいとまがない。

逆に辺境では、剣と魔法のファンタジ―では定番の冒険者組合も、辺境にいくほどに単純労働者の受け口を兼業する色合いが濃くなるばかりか、変わり者の魔導士などの仮所属にも利用されるなど、都市町村ごとに特色があるものの、本質的な役割は一貫して各業種従事者の権利の保護である。

 冒険者にとっての身元保証がもっともわかりやすい例かもしれない、なにせ冒険者というものは脛に傷のあるものがどうしても多く、放浪する武装者という点では野盗と区別がつかないからだ。

 ゆえに所属の明文化をおこない、誰がどこに立ち寄り、どんな仕事に従事しているかを、冒険者組合は権力者に開示する義務が課せられている。

 これにより犯罪に手を染めた場合の人物照会などが容易になり、誰がどのような依頼または経緯で当該地所に訪れたのかを即座に突き止めることすら可能であり、冒険者が犯罪に手を染めないための抑止力が働いている。

 だからこそ魔物の脅威という人類共通の懸案事項に優先的にあたる戦力として、各都市ならびに各領地への自由な出入りが保証されている。

 一部の人種には嫌煙されるかもしれないが、組合所属の従事者は、常に動向を組合に監視されているものであり、だからこそ権利を行使出来る資格をえるのだ。


 ここまで話が長くなりながら、大変心苦しく思うが――。


カオリ達の商会は、その過程を、まったく無視した挙句に、あまつさえ西大陸最大国家の君主と懇意関係を結んでしまったのだ。

 その王家のお膝元で長年競争に明け暮れていた各種組合にとっては、このような横紙破りは到底容認出来ないだろう。

 ましてカオリ達は自らを冒険者と公言して憚らず。権力争いを嫌って社交会からも疎遠にも関わらずにだ。

 なんだこいつら、無茶苦茶だろ、そう思われて当然のことである。

 しかしロゼッタとしてはそれを望んで然るべきほどに王家へ貢献し、王国の安寧を心から願う真心からの活動の一環である。

 ただただ暴利を貪り、権利ばかりを叫ぶ金の亡者共に、外野からどれほど野次を飛ばされようと、毛ほども痒くないと胸を張った。

 そんなロゼッタの心境も理解出来るステラではあるが、それこそササキやカオリに言わせれば『極めてとるに足らない瑣末事』であろう、そんなことで自らの主が胸を張る様子に、やや小器を疑ってしまう。

 だがそれと同時に、こうした小さな競争意識をもつものが一人はいることで、組織というものは微に入り細を穿つ堅実な運営が可能なのであろうとも思い、小言は控えたのだった。

 ササキもそうだがカオリはとくに、余人からの感情の機微に疎い傾向がある。カオリの従者であるアキもそうではあるが、アイリーンに至ってはわかっていてわざと煽っているので質が悪い、であればロゼッタのようなある意味で小市民的な自己顕示欲にも、まるで意味があるように感じるのだから不思議である。


 結果的にではあるが、カオリ不在の機会に、こうして各所の茶会に顔を出すロゼッタの地道な活動も、突発的な問題に直面する事態への回避策として機能しているだろう。

 いや本来の貴族令嬢としては、それこそが社交界で求められる素養であると、ステラも冒険者業に染まった主の思考に引きずられつつあったのだと思い直す。

 誰もが気にするのは、王国の民でもない余所者たるササキやカオリ達が、王国でどのような影響力を持つに至るのか、または既得権益にどれほど介入しうるのかである。

 カオリ自身は国外の開拓村の代表ゆえに、王国のしがらみを遠ざける方針であると公言してはいるものの、欲に濡れたものほど、言葉を額面通りには受け取らないものである。

 直接的に被害がなかろうとも、介入が可能な力を示した時点で、脅威と判じて排除を目論む可能性がある。

 そんなおりにシンからもたらされた報告は、ロゼッタとステラの両名に、それを確信させるにたる情報であった。


「ロゼ様、ここ数日、屋敷を見張られてるよ」

「きゃあ! びっくりしたわ、え、なに?」

「……見張りですか」


 文字通り突然に声をかけられたことで、仰天したロゼッタの手から、ちょうど手巾が舞飛び、シンがそれを空中で掴み取る。


「え~と、所属がどこかわかるかしら?」


 ロゼッタが胸の動悸を抑えつつ、ひとまず確認をとれば、シンは指折り名を挙げる。


「イストフォート行商組合から一組が三日目、ナイレン薬士商会から一人で二日目、ロロイヤード総合商業組合から二組の四日連勤、どれも平の従業員か小間使い、貴族家からは見張りとまでは言えないから特定はしてないけど、執拗な視線は感じる」

「……、ええっ、完璧な調べねっ」


 問いに対して明確な答えが返って来るであろうことは予想していたが、ここまで詳細に特定しているとまでは思わず。ロゼッタはなかばやけくそでシンを称賛する。

 もちろんステラもシンの調査能力に内心で舌を巻いたが、主の手前表情を繕うことには成功する。


「どうする?」

「どうするって……、言われても……」


 カオリであればどうするだろうと思考を巡らせるが、ロゼッタは混乱するばかりで明確な決定が下せず。無意味に掌を合わせたり離したりを繰り返す。

 結果。


「ご苦労さまって、お伝えくださる?」

「お嬢様……」


 たしかにカオリならそんなことを言いそうではあるが、だからといって思考を放棄するのは如何なものかと、流石のステラも呆れてしまう。


「シン様、僭越ながら申し上げますが、可能であればそれぞれの商会と、その後頻繁に接触、ないし人目を避けて密会をする人物がいないかを、大雑把でもよろしいのでご確認いただけますでしょうか? 恐らく都合の良い手駒に困り、各商会や組合に依頼した黒幕がいる可能性があるので、所属か名前が判明すれば、後はこちらでも調査が可能です」


 肝心なところで混乱する主に代わり、ステラがシンへお願いするのに、ロゼッタはさも我が意を得たりとばかりに同調する。


「そ、そうよ、お願い出来るかしら?」

「ん~、わかった―」


 なんとも気の抜けた返事ではあるが、これで隠密としては一級の能力をもつシンである。二人のお願いは余すことなく叶えられるだろうと、シンを見送った二人は同様の確信を抱く。


「きっとこれのせいで、いまいち危機感を抱けないのよ、私達は……」

「シン様ほどの一流の諜報員を抱える貴族など、恐らく王国には存在しないでしょう」


 しばし呆然とする二人だが、そういえばどうやってこの衣装部屋に侵入し、今どうやって退室したのかも確認出来ず。心胆を寒からしめる。




 しかしいつだって騒動は、忘れたころにやって来る。


 その日のカムは一味違っていた。なんと身振り手振りを交えていたのだ!

 それだけで大森林でなにか問題が生じたのだと理解した一同は、対面に座って真剣に聞いている? カオリに視線を集中させた。

 やはり身振り手振りだけではまるで意味が分からなかったからである。残念だ。

 一方唯一カムの意図を理解出来るカオリは、百面相の如く表情を変え、最後には机に突っ伏してしまう。


「どうしたんだいカオリ、カムの旦那はなんて言ってるんだい?」


 一同を代表してことの次第を問うアイリーンに、カオリは沈痛な面持ちで宣言する。


「大森林の北部で、魔物の氾濫が観測されました。これよりほどなくして、魔物が大挙して森から溢れ出ることが予想されます」

「なんだってっ、そりゃあ一大事じゃないか」


 と同時に、ササキからの緊急連絡が、カオリ達へ届く。


『カオリ君達、すまない、私が監視を怠ったばかりに、まずい状況になった』


 珍しく慌てた様子で語るササキの次の言葉を、カオリやアイリーンとアキも黙って傾聴する。


『私がルーフレイン領を離れた後、魔物専門部隊が事後調査と称して現地に残ったのだが、どうやら功を焦って独断で大規模掃討を展開したらしく、いたずらに森の生態系を混乱させたようだ。それにより北部の魔物が住処を失い南下、逆に南部の魔物がより南、つまりカオリ君達の村方面に逃げ出した。最南端の最奥部は黒獅子の縄張りのため、奴らはそこを避け、森から溢れ出る可能性が高い、私の予想だが普通ではない数になるだろう』

『……了解しました』


 ササキの報告に顔を青くして呆然とするカオリではあったが、そこは腐っても冒険者、すでに村の防衛に思考を切り替える。


「押し寄せる魔物の数は無数、現状考えられる限りの防衛陣を整え、直ちに避難の準備を始めてください」


 カオリの端的な指示に、アイリーンを筆頭とした指揮が怒号となって木霊する。


「聞いたかい野郎ども、魔物達との大規模戦闘だよっ! 男共は装備をもって広場に集合っ、女子供は家財や食料をまとめて祠に集合しなっ、アキは避難組を頼んだよっ」

「皆様は食料を集め終えたら、簡易の炊き出しをおこなってください、魔物がいつ来るやも知れぬなか、夜通しの監視も必要となれば、食事をとる機会を失してしまいます。食べられる時食べて、接敵に備えたく思いますっ」


 アイリーンとアキからの指示に従い、銘々が駆け出す中、カオリはその場にオンドールとレオナルドを呼び止める。


「カムさんの報告では、【ゴブリン】や【オーガ】の他、【トロール】や【グレイウルフ】の存在も観測されています。数はまだ不明ですが、私はこれを人間の軍にも匹敵する脅威と見定めます。私達は大規模な戦闘に不慣れです。どうかお二方のご指導を頂戴したく、伏してお願い申し上げます」


 カオリの純真なまでの懇願に対し、二人の歴戦の勇士は互いに顔を見合わせて神妙にうなずく。


「グレイウルフがいるとなれば、騎乗兵が予想される。機動力を持たれれば、村の外への避難は返って村人を危険に晒す可能性がある。今では砦壁もある上に、門扉も頑丈に補強されている。ここは籠城戦が定石だろう、奇しくも食料は潤沢にあるのだから、落ち着いて対処すれば恐れる必要はない」

「俺も基本的には旦那に同意だが、オーガやトロールが束になれば、いくら補強した門でもそう長くはもたねぇ、間伐木材とか土砂石材を並べてより強固にした方がいいが、後万が一侵入された場合に、入り口に迎撃陣を備えな、撤去した丸太を馬防柵に組んで、男衆に槍を持たせるんだ。あと遊撃部隊を編制して、強力な個体の各個撃破も視野に入れろ、人選は嬢ちゃんが決めるんだ」


 二人からの素早い支持に、カオリは大きくうなずいてアイリーンと協議する。


「祠の入り口は絶対不可侵領域です。最悪は村人全員を王都の屋敷に避難させます。流石に今回はササキさんの力もあてにしますが、それは最後の切り札とします」

「強気なんだか弱気なんだかわからんね。だがことは戦争だ。それくらいの慎重さと豪胆さが戦局を左右するさね。でだ。決めなきゃならないのは初手の人員配置さね。どうすればいいかわからないのが兵の不安を増長させる最低の指揮だ。動きながらでいいから指示をおくれよ」


 こんな時でも軽口を忘れないアイリーンの余裕に、カオリは少なからず救われながら、極めて冷静に努める。

 集合住宅を出て広場に向かいながら、二人は作戦を練る。


「即席ですがセルゲイさん達に村人達の指揮を任せたいんですが可能ですか?」

「出来るよ」

「では北と南の二方、とくに北の門扉の補強と、入り口での迎撃態勢を整えるよう指示をお願いします。南には家財や食料を運び終えた狼車を配置します」

「いざという時の遊撃要員用ってか、面白いさね」

「私は今すぐロゼッタを呼び戻しますが、シンには王都に残ってもらいます。これが屋敷を無防備にして襲撃するなんて計画の可能性もありますから……。アイリーンさんは戦闘要員の皆さんの、細かい班分けや交代体制の指揮をお願いします」

「了解だよ」


 実に簡潔に指示するカオリをおいて、アイリーンはすでに集合しつつある男衆と冒険者達への指示に走り出す。

 その間カオリは急いでギルドホームの転移陣に移動する。

 ロゼッタを転移陣で迎えたカオリは、ロゼッタに掻い摘んで状況説明をし、しばらくしてアイリーンとアキも呼び寄せる。


「今回、私は討って出ようと思います」


 カオリの発言に、アイリーンは笑い、ロゼッタは驚きを露わにする。


「村の防備は整いつつあるけど、防衛人員が圧倒的に足りない、このまま攻められれば、せっかく築いた壁も門も壊されて、今後修繕に人手も時間もかなりとられちゃう、それに開拓団に怪我人が出る事態は絶対に避けたい」


 カオリの言わんとするところを理解しつつも、大森林は魔物達の巣窟だ。そこへ踏み込むのは相当な危険が伴う上、とくに今回は数えきれないほどの群れが待ち構えていることは必至である。

 いくらなんでもとロゼッタは表情を強張らせる。


「人員はどうするつもり?」

「私達とカムさんの五人だけ、他の冒険者さん達は万が一の保険として、後詰と村の防衛のために残ってもらう」


 カオリの凛とした決定に、ロゼッタは手をきつく握りしめ、アイリーンは終始笑みを浮かべ、アキは無表情のまま起立している。

 少数精鋭の一転攻勢に、ロゼッタだけは恐怖を隠し切れずない様子だが、それも無理はない、カオリ達の中でロゼッタだけはどうしても戦闘能力で劣る上に、火魔法の運用が難しい森の中での戦闘なのだ。どうしても彼女だけは不安を感じてしまう。


「決定には従うけれど、そうまでして危険を冒す。カオリの真意を聞かせてちょうだい」


 ロゼッタとて冒険者として、魔物の脅威に臆さず立ち向かう覚悟は出来ている。しかし勇猛と蛮勇の違いは理解している。

 カオリがオンドールとレオナルドに頭を下げてまで村の防衛体制を整えさせた口で、どうして一転攻勢を決断したのか、その真意を理解したいと考えた。


「防衛体制の強化は、村の生命と財産を守るために最低限必須な事業ではあるけど、私達は腐っても冒険者でしょ? 脅威には立ち向かうだけじゃなく、率先して叩く姿勢でなきゃ示しがつかないじゃん、壁の内側で隠れてなんていられないよ」

「いいねいいねっ、盾である前に剣であれ、あたしら【孤高の剣】の名に恥じない姿勢さね」

「そうね……、はあ、仕方ないわ、カオリが決めたならどこまでもついていくつもりよ」


 カオリの意思表示にロゼッタも観念したように従う。

 アキやアイリーンの離脱に伴った指揮系統の混乱はない、なにせ村にはオンドールを筆頭にした歴戦の勇士が詰めているのだ。彼らに任せていれば万事うまくことを運んでくれるだろうとカオリは信頼を寄せている。

 しかしながらそんな彼らだからこそ、カオリ達が魔物の跋扈する森に単独で挑もうとするのに、懸念を示さぬはずもなく、流石のオンドールも眉根を寄せた。


「それはどうしても必要なことなのかね? 絶対ではなくとも、今や村の防備はかなり高い水準に達している。わざわざ危険を冒してまで、君達が打って出る必要があるのか、流石に疑問だ」


 そんなもっともな意見に対して、カオリは先に述べた理由を挙げつつも、それだけではこの老練の騎士を納得させることは出来ないだろうと曖昧な笑みを浮かべる。


「……村の防備を整えることは、最悪を想定した最低限の備えだって、これまで皆さんには頑張っていただきました。でもですね。それは本当に、最低限の備えなんですよ、理想を言うのならば、襲撃を受けないこと、そもそも被害に遭わないことが一番最善だと私は考えています」


 アイリーンの指揮により、簡易の胴鎧に短槍を持たされ、緊張した面持ちの村人達を見回して、カオリはゆっくりと語り聞かせる。


「村の防備をどれほど高めて、どれほど万全を期したところで、いざ戦いとなれば物的にも人的にも村に被害が出るのは確実です。それでは皆さんはいつまで経っても安心して暮らすことが出来ません、それはこれから村に迎える移民の方達にとっても同じです」


 人類の生存圏の内側で、日々安心して暮らせることがどれほど未来に希望を抱ける環境であるかを、カオリはミカルド王国の王都での生活で知っている。

 翻って辺境に位置し、庇護勢力のいない村が、どれほど不安定な状況の中、日々を懸命に生きているかも理解した。

 安全が確約された環境であることと、そもそも危険を感じない環境との間には、越えられない意識の壁があることを、カオリはこの半年に及ぶ王都生活で痛感したのだった。


「私は開拓指揮者として、この村と住民の皆さん、とくにアンリとテムリの未来に、一片の不安も悲しみもあってはならない、そのつもりで開拓に挑んで来ました。今回の魔物の氾濫はこれが最初じゃなければ、これが最後でもありません、しかも今回は人為的に引き起こされた人災ともいえる事態です。私はこれを座して耐えるつもりは、ましてや笑って見過ごすつもりもありません」


 カオリの決意表明に感嘆を抱きつつも、しかしそれがどうしてカオリ達の単独攻勢に繋がるかの真意が読めず。村人達はともかく、オンドールは訝し気に腕を組んだ。

 だがカオリは一転して満面の笑みを浮かべて見せるのに、オンドールは目を見開いた。

これまでのカオリと深く接して来たことが、なにより歴戦の勇士としての勘から、カオリの浮かべる笑みの裏側に、明確な怒りを感じ取ったからだ。

 そう、カオリは今、これまでにないほどに怒っているのだと、オンドールは目の前の少女から尋常ではない怒気を察知し、それが自身に向けられたものではないと理解しつつも、思わず肝を冷やしたのだった。


「だから打って出て、見せしめてやろうと思います。私達の実力を、手を出したらただじゃすまないってことを、完膚なきまでに敵を叩きのめして、目の前の敵だけじゃなく、これから先に敵に成り得る全ての人々に、思い知らせてやろうと思います」


 カオリのあまりに物騒な宣言を受け、一同は背中に冷たいものが走るのを感じ、思わず背筋を正した。

 そんな静寂を意にも介さず、カオリは朗々と宣言する。


「決めました。今回の戦いを乗り切った暁に、私はこの村の独立と、周辺地域の領有を、王国と帝国に宣言しますっ」

「おおっ!」


 静かに傾注していた一同から、誰からともなく感嘆の声が上がる。


「聞いたかい野郎ども、この土地に根を張って、人が住める環境にしたのは、他でもない私達だと、この戦いで証明するんだっ。誰にも文句は言わせないよ、沼地の死霊共を蹴散らして、森の獣共をぶっ潰して、ここに未来への希望を見出したのが私達だと宣言してやるのさっ、ここはっ、私達の故郷だっ!」


 カオリの言葉に続き、アイリーンが大袈裟な手振りで村人達へ、ひいては冒険者達開拓団全員へ、カオリの言葉を代弁して聞かせる。


「そしてその未来を切り開いたのが誰かっ、今この場で目に焼き付けるんだ。武器を手に取り前を向きな、だがそれ以上によく目を凝らして心に刻め、この村の最強の守護者が誰であるかを、あんた達を守る剣を携えるのが誰かを、忘れるんじゃないよっ」

「よっ、流石は大将! 俺達の盟主様はやっぱり一味違うぜっ」

「そうだぜっ、魔物共にも人間共にも見せつけてくれっ、この村に手を出すってことがどうゆうことかをよっ!」


 アイリーンに追従するように声を上げるセルゲイやゴーシュに倣い、他の面々も緊張から一転して、歓喜と称賛をカオリ達へ惜しみなく送る。

 その一連の様子に、オンドールはカオリの真意をこれでもかと理解させられた。

 集団の規律や統制を狂わせる最大の要因は、なにをおいても『不安』であることを知るオンドールは、それを払拭する最善の状況がなんであるかを知っていた。


(これが王の器というやつか、まさかこんな若い少女に、まざまざと見せつけられるとは思いもよらなんだな……)


 隣に視線を移せば、レオナルドもオンドールと同様の理解に至ったのか、喜色を浮かべながら流暢な口笛を吹いて見せる。


「大した嬢ちゃんだぜ、伊達に盟主を名乗っちゃいないってか、それに仲間にも恵まれて地位は盤石と来た。見てみろよ旦那、ヴィルの娘もさることながら、ロゼッタ嬢もアキちゃんもなんとも頼もしい振る舞いじゃねぇか、若けぇ連中に活きがあるってのはいいもんだぜ」


 帝国の栄えある軍を指揮した男が語る。実感の籠った言葉に、オンドールは大いに同意する。

 兵を鼓舞する言葉が勇気と栄光であるならば、民を慰めるのは未来と希望であろう、カオリはその心理を理解していたのかと、二人の古強者は心底感心したのだ。


「では我々の役目は、若者達を笑顔で見送り、後顧の憂いを断つことでしょうな」

「ああぁ年をとるのは嫌だねぇ、俺も後十年若けりゃあ見送られる方になれたってのに、旦那も俺もちいとのんびり年をとり過ぎたぜ」

「なぁにまだまだ。枯れ枝ほど、最後は盛大に燃え尽きましょうぞ」

「へっ、しっかり芯まで燃えりゃあ、いい炭になるだろうよ、若い連中を滾らせるにゃあもってこいの燃料ってな」


 かつての宿敵同士でも、今では共に若者達を見守る年寄りに過ぎないと、皮肉も隠さず不敵に笑い合えるのも、全てはカオリ達の果て無き未来への渇望に、年甲斐もなくあてられたがゆえだと、どちらともなく拳を突き合わせる。


「では火付けに、酒でも追加しますかな?」

「お、そうだな、とっておきの火酒で煽るのも悪かねぇだろう」


 しめしめと手を擦り合わせるレオナルドに、オンドールは大きく息を吸い込む。


「盟主の勝利を信じてっ、我らは我らの出来る最善を尽くして待つことがっ、今我々に課された義務であるっ」

「魔物にビビッて下を見てちゃあ、明日の夜明けを見逃すぞ野郎どもっ、希望に影は似合わねぇっ、どうせ待つなら盛大に笑って剣を掲げろっ」


 長年鍛え上げた肺活量を限界まで振り絞り、オンドールとレオナルドはカオリ達へ満面の笑顔を向けて起立する。

 その手に握られた剣を掲げもち、カオリ達へ最大の敬意を表して送辞を送る。

 そんな老兵達の姿に感化され、一同も銘々の武器を抜き放ち、カオリ達へ掲げるのを、カオリは目を丸くして見つめる。


「勝利と未来にっ」

「勝利に!」

「未来に!」


 今辺境の地に、人知れず開戦の狼煙が上がる。


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