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( 事後処理 )

 娘をもつ父親を怒らせてはならない。


 そんな格言が生まれた翌日、事後処理を終えたササキを、カオリは極めて微妙な表情で迎えることとなった。

 カオリの心境としては自分の代わりに激怒したササキに、感謝を捧げたい気持ちはあるものの、その結果が高位冒険者集団の壊滅と貴族屋敷の消滅とあっては、流石にやり過ぎではないかとの理性の板挟みである。


 一応公としては、冒険者同士の争乱により、一方が甚大な被害を被った事件として処理するために、あくまで公平に賠償などの裁きを下す必要に迫られた。

 しかし怒りから一転して冷静に振舞うササキは、それら賠償にも速やかに応じ、ダンテ達が失った屋敷や家財の他、備蓄していた装備なども弁償をすませた。

 ただし謝罪には一切応じず。これを強要する場合は王都から引き払うとまで豪語し、役人達を諦めさせることに時間を要したのだった。


 あの凶行に及んだ理由が、地位に応じた体面に固執するのではなく、どこまでも娘を害されたことへの父親としての感情からだったと断言されれば、どのような権限をもってしても絶句せざるをえなかったからだ。

 それらからようやく解放され、疲れも見せぬ様子で帰宅したササキを、カオリ達屋敷の一同は全員で迎えた。


「ササキさん、いや、えーと、お帰りなさい」

「うむっ、カオリ君、皆も、ただいま」


 非常によい笑顔を浮かべたササキは、常にない晴れやかな様子でカオリの頭に手をおいた。

 屋敷の主人に立ち話をさせるわけにもいかず、ひとまずは部屋へ送り、着替えなどをステラに任せ、カオリ達は談話室にて歓待の準備をした。

 ササキ用に設えられた安楽椅子は大人が二人並んで座れるほどに大きく、脚も座枠も通常の倍の太さな上、要所には金属の補強も施され、革も何重にも重ねられた重厚なものだ。

 それを運べるのがアイリーンだけなので、カオリ達は主に茶や酒の他、暖炉や外光の調整に勤しむ。

 待つことしばし、下履きと肌着に簡素な胴着だけの姿で現れたササキは、娘達にかいがいしく世話をされながら、安楽椅子に寛いだ。


「私が不在の間、大変な苦労をかけたようだ。すまなかったカオリ君、皆も心労のほど申し訳なく思っている」

「いぃえ~そんな、結果的に誰も怪我しませんでしたし、なんだか解決した気がしなかったのを、ササキさんが怒ってくれたことですっきりしました。ありがとうございます」


 ササキの謝罪に素直な感謝を贈るカオリに、ササキは微笑みを向ける。


「いや~たまげたよ、巷じゃあそらもう面白可笑しく、旦那の噂でもちきりさね」


 豪快に笑うアイリーンに一同は生暖かい視線を向ける。

 彼女の言う通り、城下の酒場では先日の轟音がササキの拳骨の一撃が生み出したものであることをいち早く突き止め、その力に畏れを抱くと同時に、体制を打ち砕く鉄槌でもあるのだと畏敬を詠った。


 とくに噂が顕著なのが冒険者組合である。

 なにせダンテ達の屋敷が木っ端微塵に吹き飛んだ矢先に、【ホワイトマーチ】に在籍していた全ての高位冒険者達が、こぞって脱退を申請し、逃げるように姿を眩ませたのだ。

 当然のこととして、カオリ達を害そうとしたダンテと同類とみなされ、ササキに制裁されることを恐れての行動であることは明白だ。

 これが大魔法による破壊か、あるいは多人数による乱闘の結果であれば、まだ踏み止まるものもいたかもしれないが、屋敷を吹き飛ばしたのはササキただ一人の手によるもので、さらには拳でただ殴りつけるという想像を絶する力が引き起こした惨事である。

 普通の神経の持ち主であれば、そんな規格外の肉体能力をもつ個人を前に、遁走してもなんら不思議ではないはずだ。

 また騒動の発端が教会司祭の奸計に、自ららの代表が手を貸したことであったことも、彼らの忠誠を覆す要因であったことだろう。


「ササキ様、その、私の父から感謝状が届いております」

「ふむ、感謝状とな?」


 ロゼッタがおずおずと差し出す書状を受け取りながら、ササキは封蝋を丁寧に剥がして内容に目を通した。


「公に出来ない内容もありましたので、書状には詳細は記載していないものの、ステラ伝手に理由もうかがっております」


 ササキの手に己の手を重ねて、見上げるロゼッタ。


「どうやら教会が、火属性の回復魔法を開発した私をも取り込もうと画策していた事実を、お父様も知ったらしく、大層お怒りになったそうで、ササキ様のお怒りを恐れる教会が、今後私共にちょっかいをかけて来ることが無くなるだろうとわかり、ササキ様に感謝しているとのことです。私からも父に代わり、そして、ササキ様の娘としても、感謝申し上げます」


 例えササキが妻帯者であり、生涯で愛する女性が妻ただ一人であることを知ったとしても、例えササキから向けられる愛が、親愛のそれであったとしても、ロゼッタはササキに変わらぬ尊敬と信愛を抱いている。

今回の騒動でササキを激怒させた要因が、他でもない自分達名義上の娘達であったことは、ロゼッタを殊更喜ばせたのだった。


「私からも感謝申し上げます。私の聖属性適正がよもやカオリ様を煩わせる要因となったことは、従者にあるまじき失態であると、謝罪の仕様もありませんでした。教会が手を引くとなれば、私も当事者から本来の役目に戻ることが叶います」


 ロゼッタに続きアキからも感謝を告げられ、ササキはその大きな両手を広げて、二人の頭を壊れ物に触れるかのようにやさしく撫でた。


「言っただろう、君達は今や、等しく私の娘も同然だ。君達の自主性は尊重するが、いざとなれば私が全霊をかけて守ることを誓おう、ただすまないが、君達を傷つけるものは神をも許さぬと啖呵を切った手前、誓える相手がなかなかおらんのでね。身内の誓いになってしまうのは許してほしい」

「ははっ、それはたしかに神様も困りますね」


 ササキの巨大な掌にすっぽり収まったロゼッタとアキの姿も相まって、カオリは声を上げて笑った。


「あ、すいません、実は今日はササキさんに紹介しなきゃならない人がいるんです。あの入ってもらって下さい」


 そこで重要なことを思い出したカオリが、談話室にある人物を呼べば、ステラに連れられて小奇麗な衣装に袖を通したアストリッドが入室する。


「あ、あの、わわ、私はっ」


 切断された右腕の再生に伴う後遺症もなく、元気を取り戻したはずのアストリッドであるはずだが。

 カオリから伝えられた一連の騒動と、ダンテ達【ホワイトマーチ】の顛末を知った彼女は、もはや以前のような苛烈な振る舞いなどをすっかり失ってしまった様子で、ササキを前に完全に委縮する。

 もとより噂でしかササキを知らず。決闘となれば手傷ぐらいは負わせられると自負もあった彼女も、自身が尊敬していたダンテがササキに手も足も出ずに拳一つで打倒された事実に、恐怖を抱いたのだった。

 またこうして対峙することにより肌で感じる。ササキの圧倒的かつ絶対的な強さに触れ、自分など蝿を払うように殺せる本物の強者だと理解し、震える身体を抑えられなかった。

 いっそ気を失ってしまえれば、どれほど楽であったろうと、アストリッドは言うことを聞かない四肢に泣きそうになった。


「ごべんなさいっ、もうじわげありませんでしたっ、私が馬鹿だったばっかりに、皆様にたいべんなご迷惑をおかげしましたっ!」


 そしてついには膝を屈して両手を組み、懇願せんばかりに謝罪の言葉を捲し立てる。

 結構な勢いで膝をついたものの、高価な絨毯では痛みを感じることも出来なかったことが、なぜか彼女の罪悪感を一層に深くした。


「そうだな、教会の思惑も承知しつつ、君があの男の口車に乗せられて、騒動を引き起こしたのは事実であり、それは冒険者としても人としても、許しがたいおこないであった」

「……はい」


 ササキの端的な指摘に、アストリッドは反論のしようもない。


「君はいつから冒険者ではなく、ただの刺客に成り下がったのかね。いつから人間社会での優劣に惑わされるようになったのかね? 答えてほしい」

「あ、えっ、ううぅ……」


 ササキから見た彼女の今の姿が、冒険者ですらない、ただ自身の娘を害する狼藉者でしかないという評価に、思いの他衝撃を受けつつ、アストリッドはなんとか言葉を絞り出す。


「最初は……、感謝されるのが嬉しかったから、冒険者業を懸命に励みました。魔物を倒せば、村の人達から、ありがとうって、いってもらえて――」


 そんなアストリッドの告白を一緒に聞いていたカオリは、ササキがただ彼女を叱るためだけにこうして時間を割いているのではないことに気づく。

 ありふれた冒険者への憧れ、仕事を通じて得られる多くの喜び、それがいつしか自信を増長し、喜びは優越感に、自信は万能感に、与えられることが当たり前に感じるころには、一人の傲慢な暴力が作り上げられていた。

 しかし人間には誰しも得手不得手があり、限界というものも存在する。

 与えられ続ける日々が緩慢になり、惰性に感じられるようになった瞬間から、人は身の丈に合わない称賛と立場を欲するようになる。それらに生じるであろう責任の重さを考えることもせずに。

 承認欲求を少しでも慰めようと、目に見える称号や言葉に執着し始めたころにはすでに遅く、自身を定義づける数多の言葉を嫌悪するようになるのだ。

 平民の分際で、女の癖に生意気な、そんなとるに足らない罵詈雑言ですらも、まるでそれが自身の栄達を阻害する汚点であるかのように感じ、いつしか自らの出自や親でさえも憎むようになったのは、聞くだけでいっそ哀れな姿であったことだろう。


 アストリッドの辿った道は、明日の自分達の未来である。カオリはササキがなぜ今この時に、彼女に告白の機会を設けたのかの真意に気づき、口をきつく引き結んだ。

 見ればロゼッタもカオリと同様に神妙な表情でアストリッドの言葉に耳を傾けていた。

 恐らくカオリ達の中で、事前にササキの真意に気づいていたのは、アイリーンだけであっただろう、現に彼女は終始面白そうな表情で不敵に笑っていた。

 やはり数多の戦場を渡り歩き、本物の闘争に身を投じた彼女は、人間的な心情心理に誰よりも造詣が深いことが伺い知れた。


「しかし君が真に反省していることは、カオリ君が君に名前を許している時点で、すでに終わったことなのだろうと私は考えている。少なくとも君は十分にカオリ君からの制裁をその身に受けたはずだ。私が今回君の元上司を糾弾したのは、奴らがなんら制裁を受けず、のうのうと責任を放棄しようとしたからに他ならない、ゆえに私から君になんらかの裁きを下すつもりはない」


 一度言葉を区切り、自らの言葉がアストリッドに中で整理が出来るように間をおく。


「君の身の上には同情の余地があるのかもしれんが、それを慰める言葉は持ち合わせていないことを恨まないでくれたまえ、私はカオリ君達の親代わりではあるが、彼女達の全てに干渉する資格を有さないのでね。君の心根に反省を促すことも、哀れみを向け、手を差し伸べることも、私の役目ではないと知ってほしい、気持ちの整理がつくまでは、この屋敷での滞在は許そう、それまでは誰と、なにに向き合うべきか、きちんと考えなさい」

「ふぐぅ、ふわああぁぁん!」


 年甲斐もなく泣き声を上げるアストリッドを、カオリ達はそれぞれの想いから見送った。




 夜、夕餉も入浴も終えたカオリは、その足でササキの執務室を訪ねた。


「それで、どうしてあんなに怒ったんです?」

「……私の日頃のおこないか、君が擦れてしまったのか、少しは私の君達への親愛も信じてくれていると願いたいものだ」

「そりゃあ~、信じてますよぉ~」


 愛想をわかりやすく顔面に張り付け、カオリはササキの勧めのままに対面する位置に座る。


「さて、今回カオリ君に降りかかった騒動を簡潔に述べると、『極めてとるに足らない面倒事』だ」

「おお~、すごい簡潔」


 ササキの吐き捨てるような言葉に、カオリはこれまでの一連の出来事を振り返る。


「冒険者にとって信仰は、心の支えにはなっても、一銭の足しにもならんし、命を守る盾にもなりはしない、それはこの世界の神へなんら信仰心を抱かないアキ君が、聖属性魔法適正をもっている事実から見ても明らかだ」

「たしかに」


 ササキの言わんとするところを理解して同意を示すカオリに、ササキは濃い茶を勧める。


「つまり優れた聖属性魔法適正と、神への信仰はなんの関連性もない上に、アキ君、さらには火属性の回復魔法を開発したロゼッタ君を仲間に迎えるカオリ君にとって、教会という組織は今後、まったく関わりをもつ必要性のない勢力といえる。通常の冒険者であれば、重症のたびに高い布施を納め、高位の治療術を請わねばならんところを、君達は独力で治療出来てしまえるのだから、当然のことだろう」


 人差し指を立てて解説するササキの様子を、カオリは茶を冷ましながら聞き入る。


「加えて王家と教会の確執や、社交界での地位など、君にとっては利益よりも不利益の方が、比重が重い現状、そもそも王国のしがらみに関わるのは極力避ける必要がある君のこと、今後も多少手荒になろうとも、干渉を跳ね除けることに、関係者各位も理解を示してくれることだろうから、悩む必要もない、つまり人道に反しない限りは、カオリ君の好きなように振舞ってもなんら問題はない」


 次に中指を立てて見せるササキの言葉を、カオリは安堵の気持ちを、茶と共に飲み込む。


「そして今回の件については、結果的に多方面に恩を売る切っ掛けになったという点がある。私が先日、あれほど怒れる姿を衆目に晒した理由は、ここにある」

「やっぱり理由があったんですね~」


 それこそがカオリの知りたかった事情であると、茶器を静かにおいて身を乗り出した。


「一つは第三王子を擁する保守論派に対する。王家の立場、そして第三王子の役割を、維持することに寄与した点だ」

「え、そうなんですか?」


 首をかしげるカオリに、ササキは説明を続ける。


「国王王妃両陛下は、ずいぶんと上手く子供達を育てたと感心する。武威の第一王子に、折衝の第二王子、そして芸能の第三王子だ。まことに役割がはっきりしている兄弟だと、一人の親として見習いたいほどだ」


 真実感心しているといった様子で、ササキも茶で口を湿らせる。


「戦時や変時もさることながら、平時における芸能の類は、国や人心を豊かにする極めて重要な要素であると私は考えている。また経済を活発化させる点でも、重要な役割を担うのは、カオリ君も想像出来るだろう?」


 大雑把に触れるのであれば、絵師や工芸師は、その土地土地の気候や景色を知るための重要な研究素材であり、制作当時の風習や世俗を知る歴史的価値がある。また彫刻家や建築家なども、後世に歴史的学術的価値の高い制作物を残す重要な役割を担う、立派な職業だ。


「ああ~、なるほど、観劇とか歌劇とかでお金が動くし、演目は時事ネタをもとにした物語とか、教訓とかですもんね。たんなる娯楽って考えるのは、ちょっと違うのはわかります」


 カオリでも理解出来る切り口で、芸能の重要性を語るササキは、そこで話を戻す。


「これはすでに知っているかもしれんが、件の第三王子は日々、文化関連の保護事業に精力的に従事されている。これは本来王の代理として歴代の王妃が担って来たのだが、現王家は第三王子もこれに深く関わっておいでだ。つまり現王権は政だけでなく、国の文化についても、手厚い保護と発展を保証する立場を、内外に示す意味があるということだ」


 話が一息で政治的域に及び、カオリはむむむと眉間に皺を寄せる。


「さて、国の優劣はなにも武力や経済力だけで決まるものではない、それは日本に生まれ育ったカオリ君なら、十分に理解出来ることのはずだ。礼儀作法から始まり、衣食住にまつわる文化、公序良俗に至る全ては、長い歴史をもつ国の権威そのものであり、また政権の善良性を保証するものでもある」

「なぁるほど」


 深く理解を示すカオリの様子に、ササキは口の端を上げる。


「だが広い知見と歴史に裏打ちされた知識無くして、これら文化の健全な発展は望めん、人肉食や人身御供など、誤った知識から土着の信仰に組み込まれた風習が存在するのがよい例だろう、ではどうすればそれら悪習を改めることが出来るかわかるかね? いや、それ以前に、どうすればそれを『悪』であると当事者に理解させることが出来るか――。結論から言えば、それこそが権政の本来の役割の一つなのだ」


 難しくなった話を、カオリがなんとか理解しようと頭を捻る姿に、ササキは思わず笑みを浮かべる。

 こういった言い回しはどうしても難解な表現になってしまうものだと理解してはいるものの、正しく知るためには誤った表現は出来ないと、やや厳しく挑んだ次第である。


「つまりだ。国の文化が『正しい』ものであるか、民の習慣が『善良』であるかを保証するのは、その国の頂点に座する君主の責務であり、代々継承しより洗礼することを期待される役割を担うからこそ、君主はその権威を保証されている。ということになる。――単純な例を挙げるならば、この国でもっとも『礼儀正しい』のはいったい誰か? あるいはその作法が『正しい』と決めたのは誰なのか? わかるかね?」


 この問いに、カオリは表情を輝かせて手を挙げる。


「はい、王様です!」

「うむ」


 カオリの元気な回答に、ササキは鷹揚にうなずいて見せる。


「さて、そんな面倒極まる肩肘の張った立場に生まれた王家には同情するものの、さりとて放棄されるのも困りものな王家に対し、此度の騒動にまた話を戻すと、カオリ君は図らずも、王家のとくに文化保護に積極的に従事する第三王子に対し、『関与させない』という利益を与えた結果をもたらした。これは文化を象徴とする教会と、その当事者が画策した政争に、文化保護者たる王族を巻き込まずにすんだととることが出来るのだ。王家にして見れば、自派閥の輩がカオリ君に迷惑をかけた罪滅ぼしの意識があったのかもしれんが、今後の王家の発展を鑑みれば、後々に禍根を残す可能性が極めて高い事案であったはずだ。例え後援者に釘を刺す程度であってもだ」


 関与させないこと、が利益となる理由がいまいち判然としないものの、カオリは権力者が下手に政争に関与することの不利益を想像し、なんとなく理解した。

 つまるところ、君主というものは、善悪の区分を明確に分ける権限を有した象徴であるがために、その言動は常に『正しく』なければならないのだ。

 例え自らに利益をもたらしてくれる重要な存在であっても、国にとって誤った言動をする対象には、私心を捨てて裁かねばならない、逆に言えば裁かれた対象は、国にとって『正しくない』と烙印を捺されたも同然とみなされることとなる。


 今回の騒動に照らし合わせるならば、国教である繁栄派教会が、カオリ達いち冒険者の能力を、政治的に利用しようと画策し、手段はどうであれ、あまつさえ【ホワイトマーチ】という武力を差し向けたことに端を発した騒動であること。

 それによりカオリ達が武力によって反発し撃退せしめた事実を、どちらが正当であるか判じる必要があった。


 結果的にいえば、カオリ達は誰も負傷することがなかったとはいえ、それは教会がカオリ達の力を過小評価していたからに過ぎず。

一歩間違えれば高位の治療魔法を施さなければならないほどの怪我を負う可能性は十分にあり、また教会もそれが目的であったことが、カオリ達の手によってつまびらかになってしまった。

 そして黒幕たるルミアヌス司祭はカオリの手によって昏倒するほどに打ちのめされ、実行犯である【ホワイトマーチ】はササキによって壊滅にまで追いやられた。


 しかし公には件のルミアヌス司祭が今回の騒動を画策していた事実は公表されておらず。また【ホワイトマーチ】への幇助も、カオリは訴え出てはいないため、国としては、ある日突然、カオリ達が教会と教会帰属の高位冒険者集団を襲撃したことになっている。

 国として裁きを下すのであれば、当然事実が公表されてない以上、一方的に被害に遭った教会と【ホワイトマーチ】を擁護し、カオリ達にはなんらかの罰を与えなければならないとされる。

 だが問題のカオリ達は王国の法を尊守する義務のない異邦人であること、またササキという独自の交戦権が保証される神鋼級冒険者という立場が、状況を複雑にしていた。


 こうなれば国としてはカオリ達と教会の主張を公平に聞き入れた上で、あくまで関与せずという立場をとらざるをえない状況になったのだ。

 というよりも、王家としては政争になんら干渉すまいとするカオリ達を是非とも擁護したいのが本音であり、なにかと政に干渉を強めて来た教会の力を削ぐことは悲願でもあったため、今回の騒動は内心諸手を挙げて不干渉の立場をとりたいところであったことだろう。

 カオリの制裁だけではここまでの成果を出すことは、現実的武力の点で不可能だったところを、カオリ達への親心を理由にササキが決定打を与えたというのが、今回の騒動における顛末と、ササキの最終的な思惑であったのだ。

 そんなササキの解説は次項に移る。


「それともう一つの点だが、これは単純に【ホワイトマーチ】に所属していた高位冒険者達の開放だ」

「え、開放って、あれってたんにササキさんを怖がって逃げただけですよね? ずいぶん語弊があるような……」


 カオリの引き攣った笑みに、ササキは首を振る。


「よく考えてもみたまえ、カオリ君がこの王都に拠点を移してから、人為的に引き起こされた鎮魂騒動以外で、この王都が魔物の脅威に晒されたためしがあったかね」

「ないですね~、昨日も今日も平和そのものです」


 カオリの朗らかな笑みにつられて笑ってしまったササキは、茶を飲んで笑みを誤魔化す。


「魔物とは魔力溜まりに生じる――。いや御託は止そう、いつだって魔物の脅威に脅かされるのは、力なき民であり、辺境の地で懸命に生きる人々だ。であれば冒険者の力を必要とするのも、辺境の地だとは思わんかね」

「そうか~、ササキさんは転移魔法がありますからね。それ以外の冒険者は、仮に王都から地方に依頼に出向くなら……、片道で半月はかかる? いや駅馬車を利用するなら一月くらいかかるかも」


 そこまで言えばもう答えは明白だ。


「つまり黒金級にまで登り詰めた高位冒険者だが、誰もが貴族のもっとも集う王都に集中してしまいがちになり、地方での活動が疎かになる。加えて地方に拠点をおく黒金級冒険者も、ほとんどが地方領主の子飼いのため、民草は領主貴族の意向に、日々の安全が容易に左右されてしまう、金級を超える魔物が突如出現した場合でも、最悪は田舎の村落は切り捨てられることもままあるのだ。主要都市の防衛にかこつけてな」

「そんな馬鹿な、冒険者が魔物の討伐を、領主の意向とはいえ放棄して、市壁に守られた都市の防衛にだなんて、そんなの兵隊さん達のお仕事じゃないんですか?」


 以前にも解説したことではあるが、私兵も含め常設の軍隊というものは、とにかく経費がかさむものだ。

 その点冒険者は自身で効率よく稼ぐことが出来、また緊急時には即座に招集出来る極めて都合のいい武力といえる。

 とくにこの世界では神出鬼没な魔物の脅威は切実な問題である。臨時雇用が可能な武力として、傭兵よりも冒険者が重宝される大きな理由である。

 そのため地方領主にとって、とくに冒険者組合を擁するほどの都市を抱える領主は、可能な限り高位の冒険者を自領に留まらせたいと考える。


 しかし高位の冒険者というものは、黒金級ならば一握り、金級でも全体として見れば限られた人間にしか到達出来ない希少な存在だ。

 カオリの関係者の中でも、金級はオンドールとカムの二人だけであり、アデルやゴーシュ達も、最近になってようやく金級昇級試験に挑む許可が下りたのだから、黒金級への道が如何に困難かわかるというもの。

 であれば領主やその影響下にある冒険者組合としては、可能な限り経済の要所たる都市部に、確実な戦力を配置したいと考えるのは必然であり、ましてや無謀な依頼でそれら貴重な戦力を失うなど以ての外である。

 結果的に如何に魔物の脅威に晒される村落であっても、それが左程重要な土地でない限りは、冒険者が頻繁に要所から離れる許可は出さなくなり、遠からず放棄されることも珍しくない事実であった。


「教会帰属の冒険者というものは、主に教会関係者の護衛、または歴史的価値の高い遺跡の発掘や保護が主な依頼となる。つまり民の安寧を守るという点に関しては、ほとんど力が及んでいないということだ。黒金級や金級の冒険者を多数抱えていた【ホワイトマーチ】ほどの冒険者集団がだ」


 やや声を低くして語るササキの言わんとするところを理解し、カオリも深く同意を示した。


「だが今回の騒動によって、【ホワイトマーチ】に所属していた高位冒険者の多くは、恐らく王都を離れ、教会からも距離をおいて、地方で仕事を求めることになるだろう、王都や大きな都市では、肩身の狭い思いをするだろうからな」


 その結果をもたらした張本人の言としては、いささか悪意のある物言いではあるが、その結果、地方の困窮した人々が魔物の脅威から救われると考えれば、まさに救いのある話だろうと、カオリは曖昧にうなずく。


「そしてこれら二つの要因によって、王家は、特にステルヴィオ第三王子は、その立場をより強くするという利益もある」

「ほえ~、まだあるんですか?」


 一つの騒動が廻り回って様々なところへ影響を及ぼすものだと、カオリは感心する。


「虎の子の【ホワイトマーチ】を失った教会は今後、魔物の脅威にせよ資産の保護にせよ、まとまった武力を用意することが難しくなったことだろう、それにより、これからは教会に帰属しない冒険者を広く公募するか、あるいは騎士団または軍に協力を求める必要がある」

「騎士団といえば、最近は王家の迷宮で、各騎士団同士での連帯訓練が進んでいますし、軍も魔物専門部隊の設立で、今後が期待されていますもんね。だったら第三王子を通じて王家に要請することになるのかな? つまりもう王家に強く出られないってことですか」


 カオリの理解に、ササキは鷹揚にうなずく。

 ササキの大粛清から始まり、カオリが関与した様々な騒動を経て、王家は歴史上恐らく、今代がもっとも、権威をもつに至ったと目されている。

 であれば王家とのみ懇意にしているササキとカオリ達は、その恩恵を一番に享受できる立場を有する結果となったはずだ。

 ただしそこは一国の王家と、外部の冒険者という立場に即した関係であることは留意しなければならない。

 ここで過度な干渉や要求を求めれば、その信頼関係は瞬く間にしがらみへと変じ、悪意の発生の火種になりかねないと、カオリは自身に言い聞かせる。




 翌週末、カオリは王家から私的な昼餐の招待を受け、とくに断る理由がないために、快く登城と相成った。

 久々の王宮をロゼッタとアイリーンとアキの四人で並んで歩き、行き来する役人や侍女とすれ違う。

 招かれた場所は王族の私的な場所にもっとも近い露台(テラスの意)で、警備を担当するのは王妃私設の百合騎士団の女性騎士達である。

 今日だけはビアンカも先んじて登城し、本日の警備に配置されている。様々な派閥を危惧せずにすむようにという王家の配慮が感じられ、カオリはわずかに警戒を緩めた。

 かくしてカオリ達を歓迎するのは、国王王妃とその王子達という錚々たる面子だ。

 ササキがここに招かれていないのは、すでにアンドレアスと私的な歓談を経ていたからに過ぎないが、それ以上にカオリ達に対する殊更な慰撫の念があったからである。


「本日はようこそ来てくれた。ここは私的な場ゆえ、無礼講といたす。楽にしてくれてかまわん」


 と言いながらも、実は内定調査の体と化すのが日本の悪しき風習ではあるものの、この場では正しく無礼講であると理解出来る程度には、カオリもこの世界の常識を学んでいる。

 それぞれに立場に即した礼を交えつつ、一同は銘々に力を抜いて着座すれば、贅を尽くした歓待に甘んじる。

 季節はすでに初冬に差しかかってはいるが、暖房の魔道具による温かい風により、肌寒さは一切感じられないことに、カオリは密かに感動した。

 流石に王家ともなれば、私的な場であっても目移りするほどのご馳走の数々に、カオリは圧倒される。

 当たり障りのない歓談のままに腹がこなれた頃合いで、口を切ったのはアンドレス国王だった。


「此度の騒動も含め、これまでのミヤモト嬢達の王家への貢献は、筆舌に尽くしがたいほどの利益を、我々王族にもたらしてくれた。心より礼を言う」


 ただただ素直な謝意を述べるアンドレスに、カオリ達は静かに返礼する。


「はっはっはっ! あれから教会の連中から、内々に魔物専門部隊の貸し出しの打診があった。連中もどうやらついに膝を屈したと見える。これでステルヴィオも少しは派閥の長として、最低限の発言権をえたことだろう、私も兄としてカオリ嬢には感謝している」


 アルフレッド第一王子が尊大に笑うのに、コルレオーネ第二王子もステルヴィオ第三王子も苦笑する。


「一番の恩恵を受けているのは兄上だろう? ベアトリス姉上の身の安全確保、軍や騎士団の意識改善、領主武家の領地開拓推進、どれも兄上の地盤を盤石にするに十分な要素だ。これら全てがカオリ嬢がもたらしてくれた結果だというのだから、本当に頭が下がるよ」


 カオリとしてはそこまで大仰に感じてはいないものの、言葉にされればたしかに大した貢献度であると客観的に理解出来るのだから、面映ゆい気持ちを抱く。


「どれも成り行き上仕方なく行動した結果ですので、自身ではそこまで誇る気持ちはありません、ひとえに自身らの平穏のためです」


 過度な謙遜が返って相手を不快させることもあると理解してはいるものの、真実そうであるのだからそう言わざるをえないと、カオリはあえて謙遜して見せた。

 というよりも、カオリにとっては自身らの活動が滞りなく満了することのみが願いであるのだから、むしろ釘を刺す意味もあってあえて述べたまでである。


「しかしながら、カオリ様達が就学を終えれば、ミカルド王国を去ってしまうのは、素直に残念ですわ、学園生活も残すところ後半年ほどでしょう? やはり卒園後は緩衝地帯の村に帰ってしまわれるのですか?」


 女性の社会的地位の向上という目的から、私的な相談役として頻繁に文のやりとりをしている王妃としては、今後も末永くカオリ達との関係を深めたいのが本音であろう。

 ゆえに就学終了をもって拠点を村へ戻すと明言するカオリ達へ、少しでも自身を印象付けたいと、王妃は扇で口元を隠すこともせずに豊かな表情をカオリへ向ける。


「それに関しては、王都に商会支部を設置させていただく関係から、時折王都を訪れる予定ではありますので、なにも完全に疎遠とはならないと思われます。また我々はあくまで冒険者ですので、魔物の脅威とあれば、どこへなりとも参上する覚悟です。お困りのさいには冒険者組合なり商会支部へなり、いつでもご連絡いただければ、即座に対応いたします」


 自身の立場を明確にしつつも、心情的には王妃へ私情を抱いている体を表すカオリへ、王妃も現状はこれが最大限の譲歩なのだと理解を示す。


「ああそうそう、そういえば父上からカオリ嬢達の村の特産品である。各種ポーションの王都での取り扱いに関する裁量を、僕が預かることになったんだ。王都への関税は王家の権限でどうとでもなるけど、すまないが入国時に税を徴収しなければならないのは、国の法で定められているから、そこは理解してほしい、なにせカオリ君達の村は国外に位置するから、誤魔化しようがないんだよね~」


 経済分野における発言権の大きな開明論派、その旗印たるコルレオーネが、申し訳なさそうに断りをいれるが、そんなことは重々承知と、カオリは笑顔で了承を示す。

 軍事的外交姿勢においては、カオリ達の村を含む緩衝地帯は、帝国王国両国が領有を主張する土地ではあるので、最悪カオリ達の村を王国国内と強弁することも可能ではあるが、それでは帝国を刺激することにもなる上に、なによりも王国貴族がカオリ達へ干渉する口実にもなりかねない。

 であるならば入国税をかけることで、カオリ達の村が国外であると口外に示すのが、現状もっとも平穏なやり方である。


「うむ、あの時にカオリ嬢から献上されたポーションも、王立魔導研究所が調べたところ、素材は一般で入手が容易なものであるはずなのに、非常に効能が高いことが証明されておる。研究員の連中も、あの辺境の村でどうやってあれを制作したのか、ずいぶんと関心が高い様子であった」


 いつかの折にカオリ達が献上したポーションも、安全性を調べるために、時間をかけて調査がなされ、ようやく良品であることが証明されたのだと、アンドレアスは研究所の内情まで明かしてカオリに告げる。


「それはようございました。あれは私の家族である。アンリという少女が手ずから制作したもので、私も鼻が高いです。また素材は開拓団所属の冒険者達が集めたもので、保有魔力が高い辺境ならではの高品質が売りでございますが、設備に関してはササキの協力あってのものですので、まさに我が村の集大成といっても過言ではありません、ミカルド王国の誇る王立魔導研究所並びに王家にその品質を保証いただけるのは、大変名誉なことと心より感謝申し上げます」


 慇懃に感謝を示すカオリへ、王族達は一様に笑顔を浮かべる。

 この時点で、王家がアンリのポーションの品質を保証したことで、カオリ達はポーションを王家並びに王国国内へ、ポーションを輸出する許しを得たことになる。

 もちろん実際の流通を開始するさいには、正式な許可証の発行や、商取引時における王国の法に則った手順を踏む必要があるが、それは時期が来た時にでも、コルレオーネと協議の場を設ける約束でとりつけるだけで、今は十分である。


「してミヤモト嬢、実は本日そなたを呼んだのは、我ら王家への貢献に対する慰撫の他に、もう一つ目的がある」


 ここでアンドレアスは本題に入った。


「かねてから進めておる。難民の受け入れに関することでの、移住先の振り分け調査をしたところ、やはり一定数で、国外を希望するもの達がおることの他に、実は一件だけ、どうにも判断に困るものがおるのだが、一度話を聞いてはもらえんかの?」

「えっと、はい、是非お聞かせください」


 やや前置きをして、カオリの反応を伺うような低姿勢に、カオリは一瞬だけ警戒を見せるが、そこまでの危険性は現状で考えられないと、まずは話を聞くことにした。


「いつかの件で、爵位ならびに資産の没収および、王都追放の刑に処した元男爵を覚えておるかの?」

「はい、覚えております。ただ氏までは当初より記憶が薄く、申し訳ありません」


 クレイド達への粛清により余罪までもが発覚し、公的に罰せられた元男爵だが、カオリにとっては元男爵よりも、実刑後市中に放り出され、娼婦に堕とされた元男爵令嬢であるアリアの方が印象深い。


「よい、爵位の没収に伴って家名も失い、今や氏の無い平民なのだから、覚えていたところで意味もない、しかし、難民の振り分けにさいし、王都近隣の町村を調べた結果、件の元男爵が候補地の農村で、雇われ農夫として働いていることがわかったのだ」

「……それは、なるほど」


 一つの転落人生としては、極めて普遍的な末路であろう、窮状ともいえない元男爵の現状に、カオリはどう反応を示せばよいのかわからずに、答えに窮する。

 カオリからすれば自分達を害そうとした犯人ではあるものの、真の黒幕はより上位の貴族であったことは明白であり、後の調査で引くに引けない立場であったことも判明している。

 娘のアリアの顛末も含め、実に憐れとしか言いようのない元男爵には、一抹の同情は感じるものの、正直に言えば、どうでもいい存在であるのも事実だ。


「例え刑に処された牢人者でしかなかろうとも、新たな土地で新たな人間関係を築かねばならない難民達にとって、明らかに脛に傷のある元男爵は、やはりどうあっても諍いの種になるやもしれん、またその元男爵の娘も、先の一斉摘発で違法な娼館から保護され、今は行き場のない身上、王家としてはこの親子をこれ以上追い詰めるのはいささか良心が痛むでな……」


 しかし王家はこの親子の現状の居所が、なにかしらの懸念材料になりかねないと、正直な気持ちをカオリに吐露した上で、お願いの体を表する。


「醜聞の付き纏うこの親子は、移住して来るであろう難民や、他の貧民達よりも、よほど厳しい状況におかれることになろう、とくに娘は親の犯した罪により立場を失った憐れな身の上に、さらには元娼婦などという偏見に悩まされることになろう、我らとしては件の親子を、どうにか人並みの暮らしくらいは許してやりたいのだ。無理を申しておるのは重々承知の上、どうかミヤモト嬢に、彼らの救済に手を貸してはもらえんだろうか?」


 ずいぶんと思い切った相談であると、カオリは驚きと共に呆れてしまった。

 どう考えても都合のいい言としか受け止めることの出来ない相談だが、相手は王国の君主その人からの相談である。

 流石のカオリも即決で拒否するには勇気と覚悟が問われるだけに、しばし沈黙を余儀なくされた。


「え~……、そのー……」


 たしかに不条理を嫌うカオリの性分としては、娘のアリアには大いに同情するところではあるが、その父親がカオリ達を害そうと、暗殺者まで差し向けた犯人であることは間違いがないのだ。

 たしかにカオリは実行犯であるクレイド達をも許し、手駒として利用してはいるが、それは当時カオリ達に不足していた情報収集能力の拡充を図るうえで、もっとも手っ取り早い人選であったからに過ぎない。

 だが同時に、実行犯すらも許してしまったのだから、上の圧力から手配しただけの元男爵程度なら、別段警戒する必要もないように感じはする。

 少なくとも元男爵本人は、なんの戦う力ももたない平民に成り下がった無力な人間である。今更カオリ達を害するのは不可能に近いといえる。

 そんな悩むカオリの様子を、ロゼッタは心配そうに見つめるが、隣のアイリーンは例の如くニヤニヤと笑みを浮かべて眺めていた。


「そりゃあカオリやい、こう考えてやどうだい? その元男爵は公的に罪を犯して、どこか知らない場所で勝手に裁かれた敵だろ? いつものカオリなら直接報復出来なかったのはちょいと残念だったとさ、後その娘に関しては、やっぱりどうにかしてやりたいだろ?」

「ほっほう、そう言われてみればそうですね」


 アイリーンの独特な言い回しには、カオリのことをよく知るがゆえの方便が含まれている。であるならばと、カオリは続きを興味深く聞き入る。


「そんでもってなんと今回、王家はお節介にも、元男爵への報復の機会をわざわざ設けてくれた上に、憎らしいが可哀そうな娘の救済の機会までくれようってんだ。こりゃあ乗ってみるのも一興じゃないか、引き受けた後、元男爵を煮るのも焼くのもカオリの自由さね」

「な~るほど、それはいい案ですね~」


 凄惨に笑ってみせるアイリーンに、カオリも口の端を上げて何度も同意を示す。


「いや、たしかにそうとも受け取れるが……」


 一転してカオリ達の悪い笑顔に圧倒され、本来の意図が湾曲して受け止められたことに、焦りを浮かべるアンドレアスだが、カオリは捲し立てるように結論を述べる。


「そして私は言ってやるんですよね? 『お前の娘は預かった。返して欲しくば、相応の働きをして、我々に利益を示せ、そうすれば手紙くらいは許してやる』って―― 引き受けます!」

「あ~……、そう、だのう……」

「言い方一つで、ここまで意味が違って聞こえるのに、称賛すら贈りたい気持ちだわ」


 結果的には王家の希望は叶えられたものの、意図した形ではないような結果に、流石のアンドレアスも言葉を失い、ロゼッタはいつもの二人の悪癖だと呆れる。


「カオリ様、ようございますっ」


 今日初めて声を発したアキは、称賛の眼差しをカオリに向ける。




 かくして翌日、カオリはビアンカ伝手に渡された。カオリ達の村へ受け入れ可能な難民の名簿に目を通し、了承の返事を認めた。

 また商会設立に関する各種手続きも本格的に進めるため、関連書類を揃える必要から、近々村へ一時帰還する旨をアキに持たせ、アイリーンの二人を転移陣へ見送った。

 そこでふとした思いつきから、カオリは客間に居候しているアストリッドの下を訪ねる。


「アストリッドさん、ちょっと相談があるので、入ってもいいですか?」


 今や立場が明確な関係ながらも、一応の礼儀を弁えるカオリに、アストリッドは返って恐縮してカオリを迎える。

 近頃のアストリッドはなにぶん元敵対者であった関係から、かなり自粛した生活を送っていた。

 食事は部屋に運ばれて来たものを静かに摂り、それ以外は軽い運動や、読書に耽ることで時間を潰していた。

 アキがいたころは時折他愛もない相談に乗ってもらう他、アイリーンに連れられて酒場に足を延ばすなどもしていたようで、今ではすっかり大人しい姿になっている。

 互いに向かい合った姿勢で腰を下ろし、カオリから切り出す。


「実はこれから、私達は村に商会を立ち上げて、その支部を王都の元貧民街に設置することにしました。つきましてその支部の警備要員として、また王国領内での行商関連で、魔物の被害に備える冒険者を募りたいと考えています。その責任者を、アストリッドさんにお願い出来ないかって思ってるんですが、どうでしょう?」

「どうでしょうって……、いったいどういう」


 カオリからの思わぬ提案に、ただただ困惑するしかない様子のアストリッドに、カオリは紅茶を勧めて一旦は落ち着かせる。


「正直、村の開拓団に所属している冒険者さん達は、今後の村の防衛とか突発的な戦闘要員として、これからもっと忙しくなる可能性が高いんです。だから行商隊の護衛とか、支部の警備とか、遅かれ早かれ人手が必要で、なら黒金級冒険者で実力もたしかなアストリッドさんは、現状一番頼りになる人材だと思ったんです。押しつけがましいとは思うかもしれませんが、アストリッドさんは今後、王都周辺で冒険者業を続けるのは、【ホワイトマーチ】解散の関係から、難しいといわざるをえませんよね? だとすれば、いっそ被害者とみなされている私達の下で、もう一度一から下積みをやり直せば、そう遠くない先に、更生したって証明出来ると思います」

「……たしかに、そう、ですね」


 カオリの方便は十分に納得出来るものの、どうしてカオリが自分をここまで評価し、重宝しようとするのかがわからず。アストリッドは困惑を深める。


「私達の村には何人もの冒険者さんが居ますけど、皆さんは自分の意志で村に拠点をおく人ばかりです。それに比べてアストリッドさんはれっきとした王国民ですし、無理に国外の辺境に縛り付けるのは、やっぱり違うと思って、ちゃんと王国内で正当に評価される仕事をってのが、私達の建前です」

「いや、なんというのか、どうしてあたしなんですか? いや、その、あんなことを仕出かしたあたしに、どうしてそこまで機会を与えてくれるのかって思って……」


 腹芸などついぞ経験のないアストリッドは、カオリの真意など到底予測出来ずに、ただただ素直な言葉で質問する。

 だがカオリのこれまでを知るものならば、またかと思う程度の対応であろう、現状カオリの関係者の中には、元野盗のセルゲイ達に始まり、元暗殺者のクレイド達と、脛に傷のある人員が多数所属している。

 ならばたかが奸計の実行犯程度のアストリッドなど、ちょっとしたいたずら小僧程度の認識でしかないのが現状である。

 もちろんそんなこととはつゆ知らないアストリッドには、カオリの姿がよほどの大器の持ち主か、あるいは馬鹿に映ったことだろう。

 カオリからして見れば、明らかな過失を盾に、相手の罪悪感すらも利用したこずるいやり口を弄した。極めて打算的な判断である。この双方の認識を埋めるには、しばしの時間が必要なこともあり、カオリ的にはまずは明確な目的と役割を決めることの方が、よほど重要なのだ。


「もちろんアストリッドさんが、この屋敷を出て、自らの力でやり直すって考えるのでしたら、私達にお止めする権利はありません、いずれにしろ応援したいと思います。ただもし、先行きに結論が見出せないのであれば、我々は受け入れる準備があることを知ってほしいんです」


 選択肢を与えるカオリへ、なにかを言わねばと口を開けるものの、どうにも声となって言葉が出せなかったアストリッドは、視線を落として閉口する。


「……少し、考えさせてください」


 ややあって、ようやく言葉にしたアストリッドの気持ちを、カオリは笑顔で受け止める。




 次にカオリが足を運ぶのは、屋敷の地下に詰めるクレイド達の部屋だ。

 目的は同様である。


「以前にもお話しておりました。商会の設立と支部の設置に関して、皆さんには新たにお仕事を依頼したいと思います」

「はい、なんなりとお申しを」


 綺麗な所作で傾聴するクレイド達の姿に苦笑しつつ、カオリは大仰にならないように言葉を繰る。


「ご想像出来ることですけど、商材物資の運送や保管とか、王都における商談とか、これからはとにかく人手が必要になります。ついてはその担当を、皆さんの中からも選びたいと考えています。ただし問題があります」

「……盟主様の活動の補佐と商会の警備関係となりますと、我々四人では人数不足となるでしょう、しかし外部から人を募るとなれば、信用の点で問題が生じましょう」


 クレイドの指摘に、カオリは肯定を示す。


「以前、クレイドさん達の同業者で、王都を離れた人達が、クレイドさん達を頼っているって言ってましたよね?」

「はい、誤解の無きよう申し上げますと、あくまでも王都に巣くう不法な勢力を一掃されたカオリ様方のご活躍に、心改め力を預けたいと考えた一部のもの達が、情報屋を通じて我々を探しているというものです」


 クレイドの説明に、カオリは首を捻る。

 迂遠な表現の説明を要約すれば、クレイド達の元同業者達の中に、カオリの働きを評価あるいは感謝している層がいて、暗殺騒動以降行方の分からなくなったクレイド達の噂を、具体的にはカオリに命じられて、不法な商会や組織を調べ、証拠を掴んだのがクレイド達であることを知った彼らが、自らも仲間に加わりたいと伝手を探しているということだった。

 とくにクレイド達と同じ孤児院、あるいは同様の境遇で裏家業に従事していたもの達は、一斉摘発を恐れて一時こそ王都を逃げ出したものの、彼らの悲願はあくまで同郷の仲間達と子供達の救済である。

 今は王都近辺に身を伏せてはいるが、機会さえあれば、王都に帰還し、別の方法で悲願の成就に向けた活動を再開すると予想された。

 そんな彼らが掴んだ情報の中に、元貧民街の再開発の計画に、カオリ達が関与しているという噂が流れたのだ。


「彼らは一様に盟主様に感謝しております。盟主様の働きかけがあったればこそ、王家は一斉摘発に着手が可能であったうえに、難民の受け入れに伴った再開発の必要に迫られたと、我々は考えております。ゆえに彼らは自らも盟主様の今後の活動に、自らの力を発揮したいと考えているのだと思われます」

「あ~そうだったんですね。随分大袈裟ですけど、まあそれなら好都合って感じですか?」


 ことの次第にやや気後れしつつも、目的が叶うならばよしと、カオリは深く考えることを止めて、クレイドに同意を求める。


「承知しました。我らの目で厳しく選定した後、正式な書面にて人選をご報告いたします。しかる後に盟主様のご許可のあったもののみを、いずれかの場所を指定して呼び寄せます」

「お願いしますね~、仕事の内容と雇用形態は書面でお渡ししますので、それをもとに人選を進めてください、あ、あと王家から渡された移住希望者の一覧がありますので、彼らの素行調査もお願いします。移住希望者の中に元貧民街出身者も居ますので、彼らを重点的に、難民の方々は適当でいいので」

「かしこまりました」


 カオリから手渡された一覧表を受け取りつつ、深々と頭を下げるクレイドを流し見て、カオリは詰め所を後にする。

 これでカオリは具体的な手配のために、数日後に屋敷を後にすることになる。その間の仕事が、主に先に指示された内容であると心得たクレイド達は、自然と頭を寄せ合って情報共有を始める。

 だが目を通した一覧表の中に、思わぬ名前を見つけて、クレイドは言葉を失った。


「っこれ、は!」

「どうしたっ?」


 クレイドの凝視する先に記されていた名は『ミリア』、先の一斉摘発のさいにカオリ達が保護した。元娼婦の女性は、クレイド達の育った孤児院の幼馴染である。

 今回カオリ達は、商会の設立と王都支店の立ち上げに伴い、村への移住者の他に、支店で雇用する従業員の募集も、共に進めてしまう算段であった。

 通常であれば即戦力を欲して、経験者を雇用するのだろうが、カオリはむしろ自らの立場を鑑みて、未経験者を一から教育することにしたのだ。

 王家に恩を売るつもりではなかったが、カオリにとっては都合のいい人選であるとし、結果的に安くかつ人道に則った判断であると、ササキも歓迎している。

 つまり今回の商会設立は、全面的に難民および貧困者の救済活動でもあるのだと、クレイドはカオリの思惑に深く感謝の念を抱いた。


「他の従業員候補も、どれも知っている名だ」

「いやむしろほぼ全員、孤児院出身者だぞっ」


 クレイド同様に見知った名を見つけて、驚きを露わにするヴルテンや他の二人も、しばし呆然とし、静かに誰へともなく頭を垂れた。

 これがカオリからの全面的な厚意ではないことは重々承知しながらも、それでもカオリの決断は彼ら元孤児院出身の同郷達の心を、どれほど救うものであるか理解し、誰もが胸に熱い想いを抱いたのだ。


「お前達、我らは盟主様に返しきれぬほどの恩を受けた。この言葉の意味がわかるな?」


 クレイドの問いかけに、三人は何度もうなずいた。


「王国に俺達の存在を認めさ、大手を振って王国民としての暮らしを手に入れるという悲願が、今まさに叶おうとしている」


 語る言葉とともに頬を濡らす涙が、クレイド達の想いの深さを物語る。


「徴税官や兵の影に怯え、傲慢な商人や貴族達にゴミのような扱いを受け、血と泥に塗れた仕事に手を染める日々から、俺達はようやく解放されるんだ」


 クレイドが震える手で抜き放ち掲げた短刀の意味を理解し、三人も彼を倣って短刀を掲げ持つ。


「血と刃に誓う、これより我らは、盟主様の眼前に立ちはだかる。如何なる敵にも恐れず。身命を賭して彼の方に仕える一振りの剣となることを」

「「――血と刃にっ――」」


 今日この時、名も無き影達の誓いが、たしかに結ばれた。


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