( 鉄拳制裁 )
ビアンカからの一連の報告を受け、アンドレアスは王妃と共に溜息を吐いた。
「つまり此度の騒動の発端は、我々王家の曖昧な信仰への姿勢が原因ということか?」
「いえっ、その、なんと言いますか……」
アンドレアスの呟きに、慌てて否定をするも、上手く言語化出来ずにビアンカは狼狽えた。
「ミカルド王家がミッドガルド王朝の末裔なれば、我らロランド人の創造者たる繁栄神ゼニフィエルの恩寵をなによりも重んじるべし、とは歴代の王も再三に渡って繁栄派から説法をされて来た。その主張は理解出来るものの、今や我が国も多様な民族を要する多民族国家だ。いまさら特定の教派に宗旨替えするのは、返って反発を招くだろう、そんなことは繁栄派の連中も理解していると思っていたのだがな……」
重々しく語る王に対し、ビアンカも全面的な同意から黙して起立する。
「でも困ったわね。ここで王家が過剰にカオリ様達に肩入れすれば、繁栄派どころか、ステルヴィオの保守論派の統制も難しくなってしまうわ、あの子にその重荷を背負わせるのは、私も本意ではなくってよ」
悩まし気に口元を扇で隠す王妃へ、アンドレアスは何度もうなずきを返す。
「しかしこの騒動を放置した場合、一体どのような事態が予想されるか、そなたの私見を聞かせてくれないか?」
心底参ったとばかりに、ビアンカにまで意見を募る様子に、ビアンカもたまらず眉を八の字にしてしまう。
「恐れながら……、教会の行動は未知数ですが、カオリ様は例え教会が相手でも、害意ある限り徹底抗戦も辞さない覚悟であると存じます。――最悪教会関係者の中から、死者すら出る可能性も考慮すべきかと」
そんなビアンカの最悪な想定も、これまでのカオリの在り方を知る王家は理解出来るとし、盛大に溜息を吐いた。
「教会はなにがあっても関与を認めんだろうな、あの傲慢な司祭どもは、ことが一つの戦争であるのだと到底理解しておらなんだからなのう……、剣を握らねば斬られはせぬと信じて疑わないその妄信は、いっそあっぱれと評してやりたいわ」
先のササキによる大粛清の他、カオリ達の協力で発令した貧民街一斉摘発にさいしても、教会は徹底して関与を認めず、一部の教会関係者を速やかに破門し、追及を逃れて来たのを、アンドレアスは辟易した心持で追憶する。
「今回もいつもの手口で無関係を装う腹積もりなのだろうが、司祭の関与をミヤモト嬢はすでに突き止めておるのだろう? 彼女らに国の法などあって無いようなものだ。流石に明らかな証拠を明示されれば、我ら王家も教会の暗躍を見て見ぬ振りは出来ぬ、ここはいっそのことステルヴィオを介して、教会に揺さぶりをかける他あるまいの」
「これで王家はもれなく、カオリ様にご迷惑をおかけする一族になってしまいましたね」
開戦論派の過激思想や、コルレオーネ第二王子の暴走と、なにかとカオリ達を困らせて来たこれまでの失態に続き、ついに第三王子のステルヴィオを擁する保守論派までもがカオリを害したとなれば、つくづく王家の統制を疑わざるをえないとして、アンドレアスは自らの不甲斐なさを嘆くばかりであった。
ただ幸いなことに自浄作用のほどはこれまでの懸命な姿勢から、カオリからの一定の信用はえていると思われるので、今回も冷静な対応を心掛けんと、一同は悩ましくも悲壮までには堕ちなかった。
「すまないがビアンカよ、息子達をここへ呼んではくれんか、早急に対策を講じねばんらんのでな、その後はことの次第をミヤモト嬢に報告してかまわん、呼び出し次第そなたはミヤモト嬢の下に戻るのだ」
「かしこまりました」
命じられたビアンカは即座に退室の礼をして踵を返した。
早朝からおこなわれた協議の結果、王家がまず取り掛かったのは、カオリに対する釈明と、今後の協力の表明であった。
しかもステルヴィオ第三王子自らの言葉で、カオリに時間を設けてもらうという低姿勢振りであったのに、カオリは苦笑を禁じえなかった。
学園の講義も一段落した昼休憩、いつもの軽食喫茶店個室にて対面した面々は、簡易礼の後に席についた。
「改めて、僕の派閥の人間がご迷惑をおかけしたこと、心より謝罪申し上げます」
座した姿勢のままとはいえ、深々と頭を下げるステルヴィオへ、カオリはなんと声をかければよいのか迷い、ロゼッタに視線を向けた。
「顔をお上げください殿下、未だ教会の関与はおおやけには判明しておりませんし、此度の責が王家にないことは明白です。そう易々と王族が謝罪をしてはなりません」
王国貴族としての矜持から、開口一番謝罪を表明した第三王子を諫めるロゼッタに、ステルヴィオは困ったようにはにかむ。
「そう、ですね。先の一斉摘発のおりに発揮された調査能力を知ってしまったばかりに、早計な対応をしました」
「いえいえ、私共も我々の存在が王国に騒動を引き寄せているのではと、いい加減危惧し始めた次第と、むしろ我々の方こそ申し訳なく思っております」
ともすれば傲慢ともとれる物言いだが、そう思わざるをえない数々の騒動を経て、カオリ達と王家は認識を共有したところで仕切り直す。
「そもそも根本的に、私はこの大陸の信仰を詳しく知りません、恐れながら、まずはそこからご教授いただけないかと願います」
カオリは最初にそう前置きをする。
「なるほど、そうですね。カオリ様も学園に通われているので、創世紀については一通り学ばれていることかとは思いますが、でしたら僕からは大六神教とミカルド王国の成り立ちについてお話させていただきます」
教科書では深く語られることのない、国と信仰の来歴を、ステルヴィオは偏見のないように慎重に語り出す。
「人類と精霊との熾烈を極めた【聖魔戦争】を勝利で収めた人類は、初めてこの大陸に人間による王朝を拓きました。俗にいう【女神の夜明け】と第一紀ミッドガルド朝の興りです。――しかし残念ながら時代が下り、【魔人王の動乱】を発端にして、かつての王朝は力を失い、王族もちりぢりになりました」
現代から遡ること数百年も過去の出来事に、カオリは面食らうことなく静かに傾聴する。
「しかし王朝の系譜は途絶えることなく、我らミカルド王家に受け継がれ、今日に至るまでただただ民に寄り添ってまいりました。これも全て我らロランド人の造物主たる。繁栄神ゼニフィエルの祝福があったればこそだと我らは心に刻んでまいりました」
胸に手をあてて祈るように言葉を繰るステルヴィオの姿に、カオリは彼に真の信仰心を感じる。
「ですが【虐殺者ミリアン】の襲来と治世により、この王都ミッドガルドを含めた多くの土地で信仰は極めて多様化するに至り、その傷を癒すために、ミカルド王家は謀反からの国家再建に伴って、第六神教最高神の聖女神エリュフィールを主神とする信仰を国教と定めることを余儀なくされたのです。今やミカルド王国はロランド人による単一民族ではなく、他の様々な民族を擁する多民族国家です」
もはや建国から百年以上も受け継がれて来た歴史を語るステルヴィオに、現状を覆す意思も、歴史を疎ましく思う感情もないのが伺える。
「我ら王家を含むロランド系民族が真に信仰を捧げるのは繁栄神であるべきだという、繁栄派教会の主張はもっともだと理解出来ます。ですが我らミカルド王家は、ミカルド王国の君主として、忠誠を誓ってくれている他民族の臣下や民達の願いと安寧を守る義務がございます。決して、統治政策や信仰に至るまで、過度な忖度があってはなりません、それはたとえ些細なことであれ、国を乱すきっかけになってしまうからです。それを、かつての王朝の時代より我らは学んでまいりました」
ここを一区切りとし、ステルヴィオが紅茶に小さく口をつける間に、ロゼッタはステルヴィオに深く礼をした後、カオリと向き合う。
「大陸各地に建立された各教派の大神殿の中でも、繁栄派総本山は聖都を除けば最大の信者と神殿を擁しているわ、事実ミカルド王国民のロランド系民族の大半は、繁栄派信徒と言っても過言ではない、にも関わらず。純血のミカルド王家は聖女神に信仰を捧げている。アストリッド様の言葉を信じるのであれば、繁栄派の司祭達はそれが許せないのでしょう」
「はぁ~、根が深い話ですね~」
表面上は同情を装うものの、内心では面倒な状況に巻き込まれたことに心底辟易するカオリ、そんなカオリの心情を理解出来るのか、ロゼッタもステルヴィオも肩を竦める。
「これまでも信心深い貴族や民からの膨大な布施による潤沢な資金をもって、なにかと政情に干渉を強めて来た教会ですが、どうやら帝国王国間戦争の停戦状況によって、少し事情が変わって来たようなのです」
「お伺いしても?」
しかし帝国王国間戦争という話題に触れたことで、カオリもやや姿勢を正す。なにかとカオリの周囲に影響を及ぼす先の戦争が絡む話である以上、両国の緩衝地帯の開拓村の代表たるカオリは、決して傍観するわけにはいかないからだ。
「極めて不謹慎な話ですが、戦時というものは信仰を集めるのに非常に効率のよい状況なのです。まず兵役に就いた家族や友人の無事の帰りを祈る方が増えることによって、布施も多く集まるのはご想像出来ますね。またとくに殉職された兵や騎士の方々の親族などは、葬儀代金を国が一部補填する関係から、やや壮大に執り行う傾向があり、またその後も、死者の安らかな眠りを願うため、これまでよりも熱心に信仰を捧げられるようになります。つまり戦況が激化するのと比例するように、教会はますますの信仰を獲得しえるのです」
聖職者のような出で立ちで、だが口にする言葉は聖職者達の世俗的な一面を臆面もなく語って見せたステルヴィオに、カオリは感嘆にも似た息を漏らす。
「それはずいぶん、本当に不謹慎な話ですね」
上手い言葉が見つからず。朴訥な感想しか言えずに、カオリはロゼッタにも視線を向ける。
「……極めて現実的な事実よ、それによって繁栄派の教会は西大陸最大の教派の立場を確立したといっても過言ではないわけだもの、ただし――」
そこで言葉を切ったロゼッタは、続きをステルヴィオへ譲るように促すのを受け、ステルヴィオは目を細める。
「近頃、巷では自国の民のみならず。敵国である帝国の殉職者をも悼む声が囁かれるようになったのです。『戦争とは国家の利害の不一致によって引き起こされた。不幸な衝突に過ぎない、真の愛国心を胸に抱き勇敢に戦った兵士達は、それが例え敵国であっても、死後に安らぎを、残された家族には心からの哀悼と平穏を願うべきだ』――私が聞いた話を要約すると、そういった機運が高まっているようなのです」
「……すごく、共感出来ます」
ステルヴィオの語った民の声に、カオリは現代日本人として非常に共感出来る心持から、何度もうなずいて肯定を示した。
「私の故郷も、過去に数百万人以上もの犠牲者を出した大戦がありました。ですが今では、かつての敵も味方も関係なく、純粋に亡くなられた方々を悼むために、各国に慰霊碑などが建立されています。でもそれも数十年経ってようやく、世間の常識として認識されるようになったと聞いています。停戦後わずか三年で国民がここまで戦争を過去の出来事として受け入れられるようになるなんて、王国民の方々の倫理観は素直にすごいと思います」
「す、数百万っ、ありえないわ……」
カオリの語った戦争の歴史に、二人は驚きの表情を浮かべる。
文明度で換算するに、この世界で数百万人もの死者を出す大規模な戦争など、まずもってありえない、世界規模や人口の全体比がそもそも違うのだから当然である。
しかしササキやカオリの持つ類まれな戦闘能力が、そんな壮絶な大戦によって国民に培われた素養なのだろうと、あさっての理解をした二人は、同時に納得した様子を見せる。
「しかし、カオリ様にそう言っていただけるのは光栄です」
感謝を示すように目を伏せるステルヴィオであったが、静かに顔を上げ、次に声を落として問題の核心に言及した。
「ただしそこで問題が生じました。なにせ帝国は東大陸全土で、聖女神エリュフィールを最高神に頂く女神派を布く教園で、ミカルド王家とも信仰を同じくする大国なのです。つまり全ての死者を悼む祈りの句を唱えるのであれば、女神派の経典が極めて都合がよく、もし仮に、このまま帝国王国間戦争が停戦条約などを結び、国交を開始しようものなら、帝国の擁する女神派の信徒が、繁栄派教園になだれ込んで来ることが予想されるのです」
ことの次第を理解したカオリは、全てに納得して大きく息を吐いた。
「なるほど……、このままなにもせずに両国が平和になれば、繁栄派は両国共に圧倒的少数派になって、ますます権力を失うことになるんですね。アストリッドさんが言っていた教会の焦りって、私が思っていたのよりもかなり深刻な状況みたいですね」
「私も確信はなかったけど、殿下のお話を聞いて逼迫した状況をようやく理解出来たわ、彼ら繁栄派教会がやや強硬手段に出たのもうなずける。またどうして獣人種のアキをとり込もうと画策したのかも、これで説明がついたみたいね」
カオリに続きロゼッタも力強く肯定し、カオリと視線を交わす。
「帝国は獣人種の奴隷を多く抱えてるもんね。もし今の内に聖属性適正のある獣人種のアキを身内に引き込めれば、少なからず帝国に恨みを持った獣人達を、繁栄派の教派にとり込むための旗印に出来る」
「帝国の奴隷達はいずれ自由民として開放されるわ、彼らを協合すればある一定の政治的優位性を主張出来るもの、追い詰められつつある現状で、座して待つなんて選択肢はないわよね」
二人の考察を隣で聞きつつ、ステルヴィオはこのうら若き乙女達の聡明さに舌を巻きつつ、同時に申し訳なく思った。
「ことは王国に留まる話ではありません、来る日に向けて、各所でさまざまな動きが予想されます。しかし申し訳ありません、僕は兄達と違って、派閥の旗印としての発言力が高くありません、内情は理解しているつもりですが、僕だけでは上手く御することが出来ないんです。平時はもっぱら母と共に文化保全事業に携わっている程度で、教会の方針にそこまで口出し出来る権限がないので……」
一見して自信過剰にも見える兄王子二人とは対照的に、ステルヴィオの態度はややもすれば自虐的にも受け取れる。
なにせ開戦論派も開明論派も方向性は違えど、共に諸外国へ積極的に干渉し、次派閥の利益の最大化に余念のない過激思想が主流である。
一方で保守論派は別名穏健派などともいわれ、戦争にも国交にも慎重な派閥だ。
そして彼ら保守論派が擁立するのが、この控えめな性格のステルヴィオ第三王子なのだ。性格的に強く強制するというのが難しい立場と性分なのだろうとカオリは理解する。
「いえいえ、事情は理解出来ましたし、責が殿下にないことがますます証明出来たので、これ以上のものは望みませんし、今回のことで王家を責めるなどもってのほかです。どうぞお気になさらずに」
カオリも流石にことここに至って、ステルヴィオの有責を追及する気などなく、努めて穏やかに謝罪を受け流す。
帰宅後、揃って談話室に集合した四人は、それぞれで意見を交換し、状況への理解を深めると共に、打開策についての模索と相成った。
「そりゃあ王国の最大教派なんていっても、帝国民全体と比較すりゃあ、少数派に転落するのは目に見えてるさね。ましや共通の価値観があるなら、帝国民と王国民の融和も時間の問題だろうさ、信仰も含めてね」
そう語ったアイリーンに、ロゼッタも同意を示す。
ロゼッタにしてみれば、そもそも彼女自身が、かねてからの敬虔な女神信仰信者である。むしろロゼッタには繁栄派の暗躍がますます教会勢力への不信感を助長する一連の出来事に、憤慨やるかたなしな心境であろう。
「繁栄派教会は間違いなく、アキを聖女にでも祭り上げてとり込む心算よ、きっとあの手この手で干渉して来るでしょうから、これまで以上に警戒を密にするべきね。最悪誘拐なんて手段に出る可能性だってあるわ」
それこそ最悪な状況を示唆するロゼッタに、しかしカオリはどこか楽観的な態度を見せる。
「冒険者の私達に実力行使とか、もう報復してくださいって言ってるも同然じゃん、そんな無謀なことして来るかな? ましてやササキさんの後見を受ける私達の仲間だよ? なに? 教会は私達と戦争でもするの?」
「いえ、まあそうだけど……、はぁ嫌ね。私もすっかり教会を信じられなくなってしまったわ」
カオリの指摘に過剰な反応をしてしまった自身に気づき、ロゼッタは溜息を吐いて頬に手をあてる。
「さて、戦ならまずは相手の戦力を知ることから始めるのが定石さね。あたしは生粋の帝国人で、王国の世情には疎いさね。誰に聞けば情報が得られるか心当たりはあるかい? それとも例の三男王子ならそこまで把握しているのかい?」
他国の王子を捕まえて不遜な呼称ではあるが、もはやいまさら彼女につっこむものはいない、ロゼッタもやや頬を引き攣らせながらも、今は打開策の提案が重要だと眉間に皺を寄せる。
「殿下でも流石に教会の暗部までは把握されてはいらっしゃらないはずよ、なにせ第三王子殿下はこれまで他派閥への干渉も控えていたそうですし、ましてや裏工作などにお手を汚す必要すらなかったはずですもの」
「どうしてわかるの?」
ロゼッタの見解にカオリが疑問を抱く。
「最近個人的に調べたのと、【泥鼠】様達の調査結果を見てわかったことなのだけれど、保守論派は極めて多様な派閥よ、つまり開戦論派と開明論派のどちらにも属さない貴族が、結果的に寄り集まったのが保守論派の実態のようなの、だから税の実態や物品流通からは、各貴族家や教会との強い結びつきはほとんど見られない、教会建設に関しても、いっそ他派閥との癒着が推測されるほどだから、保守論派貴族が教会に武力や人材の融通をしている規模は、どこも大したものではないってこと」
この数か月でそこまで調べ上げたロゼッタの手腕に素直に感心しつつも、しかし【ホワイトマーチ】という黒金級冒険者パーティーをお抱えとして雇っていた事実もあり、教会の擁する戦力が必ずしも過小評価出来るものではないともカオリは思う。
「つまり貯め込んだお布施っていう資金源以外で、とくに目立った戦力はほとんどいないって考えでいい感じ? 教会なら異端審問会みたいな人達も抱えてるんじゃないの?」
あまたの創作作品に見られる神罰の執行集団を思い浮かべるカオリではあるが、ロゼッタはその存在には否定的な様子を見せる。
「第六神教は邪神崇拝でもない限り、強行な弾圧をおこなった歴史はないわ、そもそもが多神教で様々な教えを共有する信仰ですもの、教会の敵はすなわち人類の敵、歴史的に見れば聖戦宣言が成されたのも数えるほどで、とくに有名なのが第一紀ミッドガルド朝時代の末期に起こった。【魔人王の動乱】ね。それ以外だとほとんどが知られていないものばかり、異端審問そのものはあるけれども、そのための武装集団なんて、聖都以外では聞いたこともないわ」
「聖都にはいるんだぁ~」
ロゼッタのやけに詳しい解説に対し、カオリは間の抜けた感想しか言えなかった。
「ほ~ん、てことは西大陸の各教派が異端者の捕縛なんかをする時は、国に兵を出させるか、聖都に神殿騎士団を要請するのが普通なんだね? そんでもって平時はもっぱらお抱えの冒険者を便利使いしてるってかい、ずいぶんと節約上手なことさね」
常に戦時が当たり前の帝国では、如何に辺境の教会であれ、ある一定の戦力を保有するのが当たり前だ。そんなアイリーンから見れば、王国のあるいは西大陸諸王国に帰属する教会勢力は、なんとも清貧な様子に映る。
「もちろん平民や貴族一家から見れば、十分に怖い勢力なのは間違いないわ、ただ私達が戦争状態を想定しているから、過小評価になっているだけで、普通は教会の意向や接触を拒むことなんてありえないのだから」
これにはロゼッタも自分を含め、如何にカオリ達が戦力という観点で異常かを説く。
カオリ達はそもそもとして教会との全面闘争も辞さない覚悟であるからして、まとまった戦力をぶつけて来ない限りは、少なくとも暗殺者や誘拐犯をちまちま送り込んで来る程度ならば、如何様にも対処出来る自信があるのだ。
ましてや今はササキの大粛清後に加え、貧民街一斉摘発によって、王都に巣くう裏家業人がほぼ摘発、ないし王都から出払っている状況である。
唯一の頼みである貴族や冒険者も、【ホワイトマーチ】が事実上機能不全を起こしている状況で、カオリ達が脅威ととれる戦力が、教会に留まっているとは考えづらかったのだ。
「これでいけしゃあしゃあと胡散臭い笑みを張り付けて、アキに聖女になってくれなんて言いに来たら、あたしが両頬を引っ叩いてやるさね。こっちはすでに確証を掴んでるんだろ? やっこさんもそこまで馬鹿じゃないだろうから、やるにしてももっと小賢しい手段で外堀を埋めて来るはずさね」
「それがわかんないんですよね~」
直接的手段に及ぶ可能性は限りなく低く、またカオリ達の調査能力も恐らく察しているだろう教会勢力が、これ以上どうやって接触して来るのか、まるで見当もつかない状況に、ついにカオリもだらしなく長安楽椅子に手足を投げ出した。
とそこで、ここまで黙って会話を傾聴していたアキが、無表情のままにすっと手を挙げる。
「恐れながら、まずもって教会は、我々についての情報を、どこまで知っているのでしょうか? それによっては私をとり込むことが、必ずしも有効な手段ではない可能性もあるのでは?」
「うんにゃ? どういう意味?」
アキの発言にカオリは首を捻ってしまう。
「私が聖属性魔法適正者であるたしかな情報も入手出来ない朴訥な組織力、またカオリ様の戦力を過小評価していたであろう側面も見受けられます。幸いにしてカオリ様は王都におけるさまざま情報を手に入れられるお立場と力を手中にお納めになられましたが、果たして一国に留まる程度の一宗派が、そこまで諜報や工作などに力を有するものでしょうか? つまり、僭越ながら申しますと、我々が件の教会を、過大評価している可能性もなきにしもあらずかと愚考いたします」
アキの言葉に顔を見合わせた三人は、しばし黙考の時間を過ごし、ようやっとアイリーンが発言する。
「ならいっちょ、本人達に聞きにいくかい?」
アイリーンがあっけらかんと提案するのに、カオリは笑い、ロゼッタは溜息を吐く。
一方貴族街某所の屋敷にて、【ホワイトマーチ】のリーダーのダンテは、落ち着かない様子で葡萄酒を煽った。
カオリとの示談交渉の決裂後、半ば切り捨てる状態でアストリッドの治療嘆願もうやむやのまま帰宅し、急いで仲間達に屋敷の警備強化を指示、また方々に情報収集を命じた。
ことの顛末を知らぬままに指示に従う仲間達ではあったが、しかし中には黙って従うことに疑問を抱くものもいる。
「なあダンテよぉ、いつまでこんな状況を続けるつもりだ? 俺達は押しも押されもせぬ黒金級冒険者パーティーだろ? なにをそんなに焦ってるんだ」
「……」
高位冒険者パーティーとしての矜持を胸に、魔物達との熾烈な戦いを積み重ねて来た自負があろう自分達が、なぜ何者かを恐れて引き籠らねばならないのか、そんな当然の疑問を口にするも、ダンテの反応は芳しくなかった。
「いいかアガフォン、先日も通達した通り、件の女冒険者達との示談交渉は決裂した。つまり今の状況は事実上戦争状態と言っても過言ではない緊急事態だ。この状況が解決するまで、我々はいつ来るかわからない襲撃に備える必要がある。いいかもう一度言うぞ、解決するまでだ」
内心の不安や苛立ちを表情に乗せ、強い口調で言い放つダンテに、アガフォンと呼ばれたハイド系民族と思しき色彩の偉丈夫は、溜息を吐きながら首を振る。
「それがわからんのだ。相手はたかが銀級冒険者達だろう? いくら黒金級のアストリッドの片腕を奪う驚くべき技量をもつとしても、総合的には我々に勝るはずはない、ましてや我々は総員四十人からなる大所帯で、内十名は黒金級、新人を除けばほとんどが金級かそれに匹敵する実力者の集団だ。ゆえに黒金級の階級に叙されたのだ。個だけでなく集団としても力がある我らが、どうしてたったの四人しかいない新米達に怯えねばならんのだ」
至極まっとうな意見だと追及するも、そんなことは重々承知のはずなので、あくまで再確認程度の文言である。
だがそれでもダンテは険しい表情をより深くする。
「お前はなにもわかっていない、たしかに真正面から全面衝突でもすれば、最終的に勝つのは我々だろう、だがお前は重要な情報を見落としている。いや普通であれば知りようもないのだから、お前がそう思うのも無理はない、その点については俺の説明不足だった。すまないと思っている」
「いやぁ、別にかまわねぇがよ」
自身の非を素直に認めて謝罪するダンテに、彼がまだ冷静さを失っていないのだと知れて、アガファンはやや安堵しつつ、黙ってダンテに続きを促した。
「いいか、普通冒険者といえば、ただただ魔物を相手取った依頼をまじめにこなし、実力と信用を積み重ね。強く信用出来る仲間を増やして昇級を望むものだ。そうだろう?」
「ああ違いねぇ、俺達だって最初は、お前と俺のたった二人から、ここまでに成長したんだ」
元は貴族の子息と平民の友人に過ぎなかった二人が、冒険者活動を始めて、血反吐に塗れながらここまでの地位を築いて来たのだと、遠い記憶に浸る。
「だがあのミヤモト嬢はどうだ? 彼女は現在の銀級に昇級するのに、たった半年しか経っていない、それどころか冒険者組合ではすでに彼女に金級昇格試験の許可まで与えている。つまり彼女はあの年齢で、すでに金級に匹敵する実力を秘めているということだ。並みの才能ではないことは明白だろう」
「むぅ、たしかに驚異的な成長速度だと認める。だがさっきも言ったが相手は所詮一人だ。その娘っ子がどれだけ強かろうと、俺達全員を相手に出来るとは思えん」
ダンテの説明にそれでも納得が出来ない点があると異議を示すアガフォンに、ダンテは重ねて否定をする。
「そうだな冒険者として見るならば、たしかに才能をもった一個人に過ぎないだろう、だがこれが武力をもった指導者と考えればどうだ? まだ彼女がただの一介の冒険者に見えるか? もしそう見えるのであれば、お前も随分と耄碌したといわざるをえんな」
「があっ! わからんっ、俺は馬鹿だからな、はっきりと言ってもらわんと理解出来ん!」
ダンテの皮肉に開き直って渋面を浮かべるアガフォンへ、ダンテは盛大な溜息を吐く。
「我々は所詮教会の後ろ盾をもって王国各地で活動し、ここまで成長が出来た純粋な冒険者集団だ。しかし彼女はほぼ独力で実力を証明し、多国籍の仲間を集め、王国の外で開拓を指揮するまったく独立した集団なのだ。つまり王国の法や仕来りに縛られない、真に自由な冒険者なのだ。仮に総合的な実力で我々と差があるとて、我々と彼女らとは根本的に立場が違うのだ」
杯に残った葡萄酒で乾いた口を湿らせつつ、ダンテは捲し立てるように続ける。
「しかも今回の留学では、あの圧倒的な実力者、大陸最強と名高い神鋼級冒険者のササキ卿の後見を受けての対外的な立場をも有し、今では数々の功績を納め王家からも信をおかれる類まれな地位をも獲得して見せた。これがどれほどの快挙かつ、運だけでは成しえない偉業か、流石のお前でも理解出来るだろう」
これまで再三に渡って解説して来たカオリ達の経歴を、第三者であるダンテは簡潔に説明すれば、これらがどれほど驚異的かわかりやすく示される。
「国家に帰属せず。といえばまるで自由を謳う無法者のように聞こえるだろうが、ササキ卿も含め、彼女達の立場は本当に王国のしがらみに囚われない治外法権だ。それはつまり、明確な害意を向けられれば、自衛のための武力の行使を、王国は止める権利をもたないということで、ついでに言えば神鋼級冒険者のササキ卿は対外的に他国との交戦権すら許される伯爵位に相当する地位もある。つまり法に則ったとしても、彼女達の攻撃を我々や王国が非難することは出来んのだっ」
語尾を強めて語るダンテの剣幕に、流石のアガフォンも徐々に表情が硬くなるのを自覚する。
「いいかこれは冒険者同士の他愛もない諍いなどではないっ、他国に拠点をおく武力集団と、我々との、戦争なのだっ、これまでのような冒険者達の腕比べや、魔物達との生存競争とはわけが違う、人間同士の生死を賭けた戦争なんだっ、血で血を洗う闘争なんだっ」
もし、カオリ達の本質を事前に知っていたならば、もしカオリの実力を正確に把握していたならば、ダンテは教会からの今回の依頼を、断固拒否していただろうと心底後悔を滲ませた。
もし、世間や貴族社会で噂されるように、カオリがササキという伝手を利用し、王国でたしかな地位を確立するために訪れた平凡な平民だったなら、事態はこれほどまで逼迫することはなかったはずだ。
「蓋を開けてみればどうだ。仮にも黒金級のアストリッドをただの一合で腕を切り落とし、示談交渉も笑いながら一蹴し、笑顔で全面闘争も辞さないと宣言したのだぞ、どう考えても狂っている。あれは、冒険者の皮を被った人殺しだっ! 人間同士の殺し合いになんら忌避感を抱かない異常者だっ、俺は、とんでもない連中に手を出してしまったんだ!」
ついには頭を抱えて項垂れるダンテに、アガフォンもいよいよ事態の深刻さを察し、無言で立ち尽くす他なかった。
「……伝えるのが遅くなったが、今王都には暗部に関わる多くの裏組織が、ほぼ壊滅状態にあることは知っているな?」
「あ、ああ、なんでもそのササキ卿が、王家と結託して摘発に協力したとか、先の大粛清もかの御仁がおこなったってのは、公然の秘密だろう?」
「たしかな筋の情報では、先の王都の一斉摘発で捕まった商会や貴族の悪事の証拠を集めたのは、あのミヤモト嬢達なのだそうだ」
「う、嘘だろ、王都全域の、あまたある裏組織だぞ? 警備や隠蔽工作には多数の貴族や大店が関与しているんだぞ? 王家の影でもないたかが冒険者が、いったいどうやってそんな諜報能力を……」
カオリ達視点ではまるで大したことではないこれまでの一連の活動も、こうして第三者から見れば想像も出来ない規模の出来事に見える。
「それだけ、彼女達は冒険者としてだけじゃない、国家規模の案件に関与出来る力を有しているということだ」
結論を述べるように語るダンテだが、ではなぜそこまで把握していながら、カオリという危険人物に手を出したのか、と疑問が口から出かかったのを、アガフォンはすんでのところで止まった。
己は現場第一と貴族社会での折衝をダンテに丸投げしていたアガフォンでも、貴族として、ましてや後ろ盾たる教会の意向を、ダンテが拒否出来る立場にないことを流石に理解している。
ダンテは貴族家の次男以下として生まれ、剣の才能を見出してから、平民のアガフォンと共に【ホワイトマーチ】を結成し、信仰という独自の権力を有する教会に取り入り、これまで多くの恩恵を受けて来たのだ。
いまさら教会から独立して、これまで同様の立場を維持するのは容易ではない。
教会が帰属冒険者に依頼する仕事は大別して、要職に就く教会関係者や支援貴族家の護衛や、その所領に出没する魔物の討伐が主だ。独自武力をもたない教会や貴族にとって、これは生命線にもなりうる極めて重要な案件である。
また信仰の依り代たる聖遺物の捜索や保護なども、教会帰属の冒険者にとっては、遺跡の発掘などを通した重要な依頼である。教会の威光を盾にすれば、未調査の遺跡や迷宮の優先調査権を獲得するのも容易であるためだ。
ゆえに教会の後ろ盾を失うとはつまり、これら高額依頼の安定した請負が、ほぼ不可能ということになる。
そうなれば【ホワイトマーチ】に所属する部下たる腕利きの冒険者達を抱え続けるのが不可能になるだけでなく、中には敬虔な繁栄派教徒でもある仲間達から、ダンテは厳しい糾弾を覚悟する必要すら出て来るのだ。
しかしながら今回は、そうしたしがらみゆえに無謀な依頼を断れず。しかしそれが原因で教会からの信を失いつつあるのだから、ダンテの苦悩がいかほどのものか、アガフォンもようやく理解が追いついた。
つまるところ今回の騒動の問題点を要約すると、カオリ達をどうにかしてとり込みたいと手段を選ばなかった教会の蛮行が発端であり、日頃から素行に問題のあったアストリッドを厄介払いしようと、誤った人選をしたダンテに原因があったのだ。
そしてなにより、これほどまでに問題が深刻化した要因は、カオリの予想を上回る剣の腕と、その異常ともいえる闘争意識である。
これが通常の冒険者達であったなら、アストリッドが不覚をとることもなく、ダンテの教会との癒着が暴かれることもなく、計画の是非はともかく、少なくともここまでの大事になることなど無かったのである。
頭を抱えるダンテに、アガフォンはなにも言えず、気まずい沈黙のまま、ただただ立ち尽くすしかなかった。
「だ、団長!」
そこに仲間の一人が息を切らせて入室する。
「おい落ち着け、いったいどうした?」
よほど慌てているのだろう仲間を窘めつつ、アガファンが肩を抑えるのを、ダンテは黙って見守るが、仲間の口から予想外の知らせが飛び出す。
「あの、女冒険者達がっ、神殿に押しかけてっ」
「なんだとっ!」
「ほらほら怪我したくなけりゃあ、道を開けなっ」
「なんなのだ君達はっ、ここは神聖なっ――」
大六神教繁栄派総本山たる大神殿に、突如として押し入ったカオリ達一行は、止めようとする修道士達を威圧しながら強引に歩を進める。
「鎮魂騒動の傷跡がまだ残ってるね~」
ぐるりと視線を巡らせて、崩壊した屋根や天井を認めたカオリが呟けば、ロゼッタも流石にこれには同情を寄せる。
「歴史的価値の高い大神殿ですもの、修繕技術を持つ職人も限られれば、使用される資材も認可を受けた特定保護区から取り寄せる必要もあるわ、いくら多額の寄付があったとしても、完成までは少なくとも来年の夏まではかかるのではないかしら」
カオリ達の村の開拓に携わることで、建築関係の資金相場や工期にも、一定の知識が備わって来たロゼッタは、おおよその見積もりを述べる。
「ほぉらどきなってっ、こちとら用があって来てるんだ。邪魔するなら尻をひっぱたくよ」
そんな雑談のさなかでも歩みを止めないカオリ達は、完全武装して修道士を押し退けて進むアイリーンについていく形でさらに奥に進んでいく。
そうして礼拝堂を抜けて中庭に出たところで、ようやく目的の人物が現れる。
「これはなにごとですかな?」
声のした方へ視線を向ければ、いつかの鎮魂祭の夜会で、カオリ達に声をかけて来た司祭を確認した。
名はとんと覚えてはいないが、張り付けたような柔和な笑みが印象的なのでカオリも思い出す。
「シン、あの人で間違いない?」
「うん、間違いない、ホワイトマーチからの手紙を最後に受け取った人、読んだ後は手紙を燃やしてた」
カオリの確認に肯定を示すシンの様子を、言葉なく見つめつつ、司祭は一瞬だけ目尻を引き攣らせたのを、カオリは見逃さなかった。
「……いったいどのようなご用件で、本来立ち入りが許されぬここまで、押しかけて来られたのでしょうか? 本来こういった――」
後ろ暗い感情を柔和な笑みに隠して、努めて平静に詰問する司祭であったが、カオリはおもむろに接近し、ゆっくりと右手を上げる。
バシンッ!
その次の瞬間には、目にも止まらぬ速度で、司祭に強烈な平手打ちがお見舞いされた。
「ごあ、がっ、げあ!」
鉄格子をもひん曲げるカオリの剛腕から繰り出された平手打ちは、常人でしかない司祭の頬と下顎を見事にとらえ、何本かの歯を巻き添えにしながら顎の関節を脱臼させた。
顎が外れれば当然話すことは出来ない、またあまりの激痛から言葉にならない声で苦悶し、加えて脳が盛大に揺さぶられたためか、平衡感覚も失って膝から頽れた司祭を、カオリは無表情のままに見下ろした。
「貴方が我々にどのような思惑で干渉しようと考えられたのかは知りませんが、我々は貴方が先の騒動をホワイトマーチに唆した証拠は掴んでいます。しかしながら互いの立場的に公の問題にするのはいささか面倒なので、本日は直接報復にまいりました」
一方的に告げられたカオリからの言葉に、しかし司祭は激痛と脳震盪により、それどころではない様子である。
そんなあんまりな暴挙も、周囲はなすすべなく見守るしかなく、あたりは騒然とした様相をていする。
「これは警告です。今後も如何なる事情であれ、我々を煩わせるおつもりならば、相応の覚悟をなさってください」
反論を物理的に封じた上で、一方的に要求を突きつける姿は、聖職者を相手取るにはあまりにも野蛮な手段であろう。
「私の手による欠損を癒すことは出来なくても、その程度の骨折くらいは治せるでしょう? まあ再生魔法が使えないと、抜けた歯を生やすことが出来ないでしょうが、もし我々に治療してほしくば、我々の後見人たるササキにお話を通してくださいね」
どこまでも堂々した態度で、最後に「では」とだけ言い添えて踵を返すカオリは、その一連の暴挙をにやにやと見つめていたアイリーンの脇を抜けて、元来た道を帰っていった。
この一連の暴挙は当然、即座に王宮に伝えられ、王族ならびに関係者を仰天させた。
ただ同時に、聡い人間には一部関心を寄せられる。
とくに件の司祭が裏で手を引いていた事実を書面にて事前に報告を受けていたアンドレアス国王は、カオリのとった行動が最速かつ唯一の有効手段であったことに感心した。
「件の司祭、ルミアヌス神父の謀だったか、いまさらミヤモト嬢の証拠の真偽を疑う余地はなかろう……、しかしことが決闘を幇助した程度では、王国の法で罪に問うことは出来ん、また肝心の証拠に関しても、冒険者に過ぎないミヤモト嬢の提示したものでは、公的になんら法的効力を有さぬ」
「そうでございますわね」
カオリに関する諸問題には、王族が責任をもつとササキに約束した手前、こうして公務中の合間を見ては、身内で話し合いの席を設けることが恒例となった近頃、アンドレアスは久々に憂鬱ではない溜息を吐いた。
「しかし、ミヤモト嬢は此度の騒動を、公の事件としてではなく、個人間の諍いとして処理する心算であるのだと行動で示した。これはある意味でうまい手だと思わぬか?」
「お戯れが過ぎますわ、たしかにカオリ様を欲するあまりに奸計を用いた神父様が、とうの本人に平手打ちで制裁を受けたなど、物笑いの種にはなるでしょうが、淑女のおこないとしてはいささか乱暴な振る舞いです。これではカオリ様が乱暴な女性だと噂されましょう……、いち女としてはカオリ様が心配です」
カオリの素行としては今更な噂を、当人以上に心配する王妃に対し、アンドレアスは苦笑する。
一見して暴挙にもとれるカオリの行動は、しかしダンテ達【ホワイトマーチ】がおこなった一連の奸計への関与を一切認めないであろうルミアヌス司祭に、実にわかりやすい報復行動であるといえる。
なにせ司祭の目論見の最終目標は、カオリとその仲間達を繁栄派教会に縛り付けることが目的であるのだ。
ならばことは実に単純で、カオリ自身が教会への協力を強く拒む姿勢を示すと同時に、周囲に教会帰属とするには問題のある人物と思わせることが、司祭の目論見を根本から破綻させるのにもっともわかりやすい対処法であるからだ。
計略を好む人種にとって、カオリがおこなったような短慮は、実にやりづらい手合いであったことだろう。
許可もなく施設へ強引に押し入り、当該対象に暴力を振るって一方的に要求を突きつけるなど、まるでヤクザなおこないである。
だがだからこそ両者の間には対立しか道がなく、今後両者がどのような歩み寄りの姿勢を見せたとて、禍根は必ず残ってしまうと予想される。もはや修復は困難を極めることは必至であると通常であれば頭を抱える事態のはずだ。
しかしそれこそがカオリの思惑であり、覚悟の現れであると、アンドレアスは複雑な心境となった。
「おそらくだがミヤモト嬢は、ステルヴィオの派閥での立場をも慮ってくれたのだろう、ことがミヤモト嬢と司祭当人同士の諍いであり、一人の女性が聖職者を平手打ちで制裁した程度なら、貴族連中も声高にミヤモト嬢を糾弾することはせんだろう、こんなことでいちいち騒ぎ立てれば、かえって笑いものになるだろうしのぉ」
そして事態が笑い話ですむなら、派閥の旗印であるステルヴィオ第三王子も、傍観の立場を維持出来るというものだ。これにはアンドレアスも内心で安堵するのを自覚した。
なにかとカオリ達に迷惑をかけて来たこれまでの王家にとって、もうこれ以上の火の粉をカオリ達に振りかけるのは流石に看過できないと、頭を悩ませていただけに、問題が大事にならずにすませてみせたカオリの配慮に、素直な感謝念を抱かざるをえなかった。
「いずれにしろ、ミヤモト嬢が理性的でよかったのう」
「……理性的って何かしら」
それから数日、噂話には耳を広くしつつも、とくに変わりなく学園での生活を送ったカオリ達は、夕刻をいつもの面子にて談話室で顔を合わせた。
「結局のところ、第六神教が各教派で別れて一枚岩じゃないなら、わざわざ私達を利用しようと画策するような教派に、歩み寄る必要ないよね~」
談話室にて寛いだ姿勢のままにカオリが言えば、一同も同意を示す。
「信者の取り合いに躍起になるような小物を、カオリが気にする必要がないさね。冒険者なんてほとんどがその日暮らしの根無し草、教会に目をつけられたって、別の町や国に逃げれば終いさ、破門されようがそもそもの話、カオリは信者ですらないからね」
さんざん考察を交わした結果、決定的な手段に訴えて来ない限りは、まともに相手せず、あくまで冒険者として対処するということで結論づけた一同は、此度の騒動をそう総括した。
「学園では、カオリがまた誰かと揉め事を起こして、相手を力で屈服させたらしいという噂が流れているけども、とくにこれといって悪評とは捉えられてはいないみたいだわ」
カオリに代わって令嬢主催の茶会に出席しているロゼッタが、見聞きした範囲での見解を話せば、アイリーンも補足をする。
「冒険者組合の方じゃあ、むしろ【ホワイトマーチ】がやらかしたって方が噂になっているさね。なにせ王都屈指の実力者集団だからね。これで奴らの評判にケチがついて、他の冒険者達が自分達を売り込む絶好の機会ってんで、いきり立ってるくらいさね」
カオリと教会との確執が関係者や関連組織以外で表立っていないのは、主に教会側の情報規制が主な理由ではあるものの、冒険者側から見れば、日頃から高い治療費を要求し、信仰を迫る教会の在り方に不満をもたれていたことが顕在化した結果でもある。
そして国教という強い立場から、歯に衣を何重にも重ね。一部には慇懃無礼な聖職者も一定数存在することも事実なのだから、これもひとえに日頃のおこないということだ。
ゆえに、教会では一連の騒動を引き起こした咎を問われ、ルミアヌス司祭某は、謹慎を言い渡され、出世街道から脱落したという噂も聞こえて来るが、カオリとっては至極どうでもいい事柄である。
カオリから見れば司祭という要職に就くほどの人物が、件の計画を指示した人物とはいえ、それを黙認あるいは共謀した可能性の高い教会そのものが信用できない組織であるのだから、たかが数人が足切り要因となったところで油断など出来ないのは明白だ。
今後仮に再び干渉して来る可能性があるとすれば、より巧妙かつ狡猾な手段を弄してくるだろうと、一層の警戒を仲間達に注意勧告を送り、表向きは日常生活に戻ることと相成った。
だがその翌日、事態は思いもよらない形で、カオリを驚愕させることとなる。
「カオリ様っ、一大事でございますっ!」
王宮への定期報告のために登城していたビアンカが、血相を変え慌てて帰宅した勢いのまま、優雅に茶を嗜んでいたカオリ達の勉強部屋へ闖入し、息を切らせて捲し立てる。
「つい先ほど、ササキ様からの帰還の知らせを王家が受け取りましたところっ、先の決闘騒動をお知りになったササキ様が、激怒していらっしゃる旨が認められており、関係者一同が大慌てしておりますっ!」
「ぇえっええ~……」
茶器を傾けた姿勢のままに困惑したカオリは、思わずロゼッタと顔を見合わせる。
「その、ササキ様はなににどのように、お怒りになさっていらっしゃるのでしょう……」
およそ激情とは程遠い寛大な心根の持ち主であるという印象が強いササキなだけに、ロゼッタも事態が把握出来ずに困惑を示す。
「それが……」
これまでカオリにまつわる諸問題において、今回よりもよほど危険な事態は往々にしてあり、そのどれもカオリ自身の手で多くは解決に至った。
しかしながらそのどれであっても、ササキから怒りを露わに叱責されたことはなく、いちように容認されて来たのだから、いまさらなにに怒っているのか、二人には皆目見当もつかなかったからだ。
「いや、その、激怒されているのは、どうも高位の冒険者集団である【ホワイトマーチ】が、明らかに不条理な理由からカオリ様達を傷つけようとした事実に関してらしく、決してカオリ様方を叱責なさることはないかと」
「な、なぁんだ~、そうか~、びっくりした~」
明らかに胸を撫で下ろしたカオリに横で、ロゼッタも顔色の失せた表情ながら大きく安堵の様子を見せる。
「ただ――」
しかし明らかに言い淀むビアンカを不審に思い、カオリは黙って続きを促す。
「殴りに行く、そうです……」
「は?」
その数刻後、貴族街の一角で、すさまじい破砕音が鳴り響く。
「この、不届きものがぁっ!」
雷鳴の如き大音声で、半壊した屋敷の瓦礫に埋もれる人間達へ、ササキは怒りを露わに叫ぶ。
「ぐぅっ、うがぁ……」
圧し掛かる木材や土壁の重量にうめき声を上げつつ、視界に捉えた怒りの権化と化したササキへ、ダンテは怯えた表情を向ける。
「立てっ!」
ササキの怒声に応えるわけではないが、腐っても黒金級の冒険者として矜持から、なんとか瓦礫から這い出たダンテではあるが、胸中は嵐の様相を呈していた。
ダンテにとってはイカレた戦闘狂の少女の尾を踏んだと警戒していたところに、まさかのササキの襲撃である。驚天動地とはこのことかと、打ち壊された自身の屋敷のあんまりな有様を振り仰ぐ。
ここ数日間酒浸りに利用していた屋敷中央の三階に位置した執務室は、今は落石に遭ったかのように粉々になり、玄関も全てが瓦礫の下敷きになっている。
普通の人間だったならば圧死していたに違いない惨状に、ダンテは言葉を失った。
「ダンテ・ストムマンテスだな?」
「そ、そうだ」
「俺は冒険者ササキだ。知っているな?」
「も、もちろん知っている」
これほどの惨状を生み出したであろうササキからの誰何と名乗りに、理解が及ばずながらなんとか平静を装って返答するも、ダンテはササキが次にどんな行動を起こすのか予想出来ず身構える。
カオリ達にさんざんやり込められた印象のダンテだが、そこは腐っても黒金級の高位冒険者だ。こと戦いに関しては王国でも屈指の戦闘能力を誇る彼である。
いくらササキが大陸最強と名高い冒険者であるとはいえ、多少は抵抗出来るはずだと自らを叱咤する。
だが次の瞬間、ダンテの顔面にササキの巨大な拳がこれでもかと衝突し、ダンテはなんの受け身もとれぬままに、瓦礫に激突する。
「では、カオリ・ミヤモトが、俺の後見を受ける少女で、俺の娘といっても過言ではない存在であることもっ、知っているなっ!」
「えごぉあ、がへっ」
歯が吹き飛び、顎の骨が割れ、頬骨も陥没したダンテの顔は、もはや元の美男子の面影もないほどに変形している。
なまじ常人ではない肉体強度のためか、気を失うことも出来ず。ダンテは激痛と恐怖でのたうち回ることしか出来なかった。
そんなダンテに、ササキは再度問いかけようと大股で近づくのを、ダンテの腹心であるアガファンはなんとか追い縋る。
「ま、まってくれっ、話を聞いてくれっ」
ダンテの通告により完全武装でいたのが幸いし、甲冑のおかげで屋敷の倒壊から怪我もなかったが彼だが、ササキを前にして今ほど自身の鎧が頼りないと感じたことはなかった。
なにせササキの出で立ちは遠征帰りのために完全武装であり、大柄なアガファンを遥かに見下ろす巨体、今も必死に腰にしがみついてはいるものの、まるでササキの歩みを留めることも出来ず。無様に引きずられている。
「ダンテは教会の意向に逆らえない立場なんだっ、俺達の生活を守るには、教会からの信用なくしては立ち行かなくなるっ、あんたの娘達を傷つける意図があったのは認めるがっ、決して悪意があってのことではないんだっ、信じてくれっ!」
それでもなんとかダンテを守ろうと必死の抵抗を見せるアガファンに、ササキはすさまじい形相をぐるりと向けて、彼を睨みつける。
「悪意がなければ、幼気な少女を傷つける行為が正当化出来るとでも? 娘を傷つけられそうになった親を、納得させることが出来るとでも? 恥を知れっ! この大馬鹿者共がああぁっ!」
「ひいぃっ!」
至近距離でササキの怒声をぶつけられたアガファンは、まるで声に質量があったかの如く、もんどり打ってひっくり返る。
「カオリ君は強い女の子だ。どんな困難にも立ち向かい、独力で事態を解決に導く力と賢さを備えた少女だ」
怒りを滲ませたササキの独白に、周囲はただただ黙って聞くしか許されなかった。
「これまではどんな悪意であれ、カオリ君自身の手によって、報復であれ制裁であれ、彼女の気のすむようにと、事態を静観するにとどめていた。少なくとも自らの命を天秤にかけて、己が目的のために手段を選べぬ輩が相手でもあったのだからな」
カオリにクレイド達暗殺者をけしかけた某男爵にも、引くに引けない事情があったと、後の調査では明らかになっている。
下級貴族にとっては派閥の寄親の意向に逆らうことは死活問題に直結するのだから、カオリを殺害せよと指令を受ければ、従わねば社交界から追放されるだけでなく、最悪は家族の命まで危険に晒すことになっただろう。
「だが貴様らはどうだっ、例え教会の後ろ盾を失くしたとて、冒険者である以上は命を脅かされることも、仕事や生活を完全に失うこともないはずだっ、貴様らには十分に選択の余地があった!」
クレイド達に関しても同様である。学もなく幼少期を籠の鳥で過ごし、大人になってからも同業者の監視下におかれ、裏家業失くして生活もままならず。捨て駒として利用され続けていた。
それが救われたのは、ひとえにカオリの慈悲と日々の懸命な努力に、彼らの心根が動かされた結果である。
血に濡れた邪道からいつか抜け出し、報われなかった仲間達や友達を救いたいと、心の奥底で希望を抱き続けたがゆえに、カオリに敗北し会心の機会を与えられたのだ。
「魔物から人類の安寧を守ることが冒険者の義務であり、なによりもの誉であるはずの貴様らには、教会の小賢しい計画に毅然と反対する機会が、何度もあったはずだっ! にも関わらず。村の発展と家族の未来を守るために、王国へ学びに訪れただけの直向きな少女を、貴様らはくだらぬ政争に巻き込み、その身を傷つけようとしたのだ。これがどれほど愚かで卑劣な行為であるか、まだわからんかっ!」
これまでことの詳細を知らぬままに、ただカオリ達からの襲撃を警戒せよとだけ通達されていた他の【ホワイトマーチ】の面々は、崩壊した屋敷の部屋や周囲で、今初めてことの次第を理解し、眉をひそめた。
教会帰属の冒険者集団として、数々の功績を立てた【ホワイトマーチ】ではあるが、それは貴族の教養とたしかな実力を備えるダンテと、その幼馴染であるアガファンの補佐があっての名声である。
しかし王国には無数の権力者達による政争があり、そのいずれかに敵対した場合、やはり望まぬ仕事に手を染めざるをえない状況というものは往々にして存在する。
それでも冒険者であれば誰しも、人類の守り手としての姿に、救世の担い手である有様に憧れるものであろう。
だが今眼前に倒れ伏すダンテは、そんな誰もが憧れる冒険者としての在り方に、殉じることの出来なかった人物だったのだと、誰あろう最高位冒険者のササキの糾弾によって明らかにされたのだ。
「だがそんなことは、もはやどうでもよい」
地の底から轟くが如し呟き、一同は震えて唾を飲み込んだ。
「娘を傷つける奴は!」
踏み込んだ足が石畳を砕き、地面に大きくめり込むさまに、強大な竜の姿を幻視する。
「例え神であろうと!」
全身をいきり立たせ拳を握る姿から、魔力の陽炎が立ち昇り、周囲の景色を歪ませる。
「俺がぶちのめすっ!」
振り下ろされた拳が、地を叩いた瞬間、王都から一軒の屋敷が、跡形もなく消えた。