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( 決闘騒動 )

 その後、カオリはとにかく屋敷の安全を最優先として、人の出入りの必要がある場合は、必ずシンや【泥鼠】達を護衛につけるように指示を出した。

 警戒するのは理不尽な報復行為である。仲間を傷つけられたことで、正気を失った人間が、どのような行動に出るかなど予想出来なかったゆえの警戒である。

 ただしアイリーンに関しては、囮役として単独行動を許可し、さらには市井の動向調査と称した酒舗巡りへと送り出した。

 件のアストリッドとの衝突から三日後、ついに相手からの手紙を受け取ったカオリは、渋面を浮かべて内容に目を通した。

 冒頭に正式な謝罪の言葉が並ぶ他、交渉の場を設けたいという内容を認めながら、カオリは予想した一文を読み上げる。


「『治療魔法を無効化する未知なる損傷から、負傷した仲間を救いたく、恥を忍んでご助力お頼み申します』だってさ、やっぱり自力じゃ治せなかったみたい」

「でしょうね。私達がこの解呪治療魔法を開発するのに、どれほど苦労したか……、既存の魔法にはない新たな術式の編纂に、まる二日かかった大作なのだから、そう易々と治されたら困るわ」


 そう言って胸を張るロゼッタだが、新たな術式の開発をたったの二日で完成させることがどれほど異常なことなのかを、本人達がすっかり忘れているのは、よい意味で感覚が麻痺している証左であろう。

 ここで決闘制度に関しての考察をする。

 決闘とはつまり、法整備が不十分な時代において、また武力や軍事力が絶大な力を有していた時代における。裁判制度の前進ともとれる行為である。

 とくに支配階級の騎士や武士などは、独自の武装組織を有している観点から、騒動が起きた場合、最悪戦争によって敵対者の一族路頭を皆殺しに出来てしまうことが、秩序ある社会形成で大きく問題になった。


 それにより、より上位の地位あるいは統治を司る機関は、これを当人同士のみの決闘によって白黒つける方法を模索した。

 通常は第三者の立ち合いのもと、また場合によってはそれぞれで介添人も設け、一定の規定を定めたうえで、勝者が敗者に条件を遵守させることを互いに合意し、雌雄を決するという方式が一般化された。

 しかし当然のことながら、生死の是非あるいは社会的地位での優劣など、必ずしも同条件下での戦闘、あるいは公的な手続きによる挑戦など、社会制度ごとに方法や規定が異なることは大前提とする。


 少なくとも本来の決闘の意義は、無意味な生命の損失や、騒動が引き起こされる事態そのものに、一定の抑止効果を期待した制度であることは普遍的であるはずだ。

 翻ってミカルド王国における決闘の規定にも触れるならば、まず決闘は原則として、同階級同士でしか認められないという点と、原則として生殺与奪を主張しないことが定められている。

 これは大六神教の、とくに慈愛と受容を司る女神派や、繁栄と共栄を司る繁栄派の教会教理により、無意味な生命の損失を禁ずる教えが反映されている。

 つまり貴族と平民や、罪人と聖職者など、明らかに力関係に差異のある場合は、決闘は認められないのだ。


 今回カオリ達に起きた問題の争点は、まずもって大前提に、カオリ達がアストリッドからの挑戦を、そもそも受託していなことである。

 つまり公的には、アストリッドはある日突然カオリを襲撃したとし、殺人未遂の罪が問われているという状況なのだ。まったくもって論外である。

 それをカオリ達はビアンカという証人を立て、王家に直訴したことで、問題は王国法の観点から見ても、極めて深刻な事態となったのだ。まったくもって論外である。

 果たして翌日の夕刻、カオリ達は万全の警戒態勢でもって、先方が出向いて来るのを待ち構える運びとなった。


 これが正式な決闘の上での示談交渉であれば、第三機関、例えば王城あるいは教会の一室を借りて交渉の場をもつのが通常ではあるが、今回の場合はアストリッドの一方的な襲撃ともとれる蛮行であったため、あくまで私的な闘争という扱いである。

 またカオリの個人的な要望により、屋敷での万全の厳戒態勢の中で、相手を迎え撃つ覚悟を示した次第である。

 もし重ねて無体を働くようなら、斬って捨てるぞ。という明確な交戦宣言に等しい姿勢は、ある意味で冒険者らしい対応であることだろう。

 屋敷の門前に停車した貴人用の馬車を認め、四人揃って並んだカオリ達の眼前に現れたのは、片腕を失くし支えられながら弱々しく歩くアストリッドと、そのやや前方を堂々と進む貴族風の男だった。


「名乗る前にまず。我が【ホワイトマーチ】の仲間である彼女の働いた無体を、謝罪いたします。申し訳ありませんでした。私はリーダーを務めております。ダンテ・ストムマンテスと申します」

「冒険者ササキの後見を受ける。冒険者カオリ・ミヤモトです。この度は不幸な衝突により、はからずもそちらの仲間を負傷させてしまいましたこと、申し訳なく思っ――」

「心にもないことをっ! 本心じゃ返り討ちに遭った私を馬鹿にしている癖に!」

「やめないかアストリッド! 申し訳ありませんミヤモト嬢、この通りリーダーの私でも手に余る不調法者ゆえ、日頃から手を焼いていたのですが、よもやこんなことを仕出かすとは思わず。私の監督不行き届きと言わざるをえません、重ね重ね申し訳ありませんでした」


 カオリの口上を遮ったアストリッドを激しく叱責するダンテから目を離さず。カオリは無表情のまま身動ぎ一つ見せない。


「しかしこんなものでも、これまで共に戦って来た仲間です。腕を失くしてしまえば、戦うことでしか生きる術のない彼女はたちまち行き場を失くしてしまう、もし貴殿から受けた未知の攻撃を、治療する術があるのなら、どうか慈悲を与えてはもらえないだろうか」


 顔を伏せたまま、必死な声音で懇願するダンテに、カオリはおもむろに息を吐いて返答する。


「私の仲間の魔法であれば、治療は可能です。しかし私どもはご存じの通り、現在学園で学びの途上にある身です。この王都での生活を脅かす存在がある以上、なんの保証もなく手を差し伸べる余裕などありません、どうか誠意あるご対応を願いたく思います」

「まったくもっておっしゃる通りかと、もちろん当方も可能な限り対応させていただきます」


 カオリの言葉を要約すれば、「なんの見返りも保証もなく、逆恨みして襲って来るかもしれない奴を、治してやるわけがないだろう」という意味である。

 これに対して、ダンテは顔を伏せたまま、後方で控えていた従者らしき男に合図をし、一抱えある木箱をカオリ達の前に運ばせた。

 中身はおそらく金銭であろうと予想されるため、流石に外で開示するのは憚れると、ダンテは一瞬カオリからの対応を待つ様子を見せたが、カオリは努めて冷淡に支持を出す。


「中身がなんであれ、開示はここでお願いします。本来の主不在の今、貴方方を屋敷内に招くのは憚れます」

「理解出来ます。では」


 ダンテが木箱を開けるように視線で示せば、従者はやや逡巡しつつも、箱を開示して見せる。


「ほう、ずいぶんな額じゃないか」

「ロゼ、アキ、お願い」

「……材質含有量共に全て、現在王国で流通している金貨で間違いございません」

「紋様を見るに、交易共通金貨で間違いないわ」


 カオリの指示により、ロゼッタとアキが一目見ただけで金貨が本物であることを把握した様子を受け、ダンテも従者の男も驚いた様子を見せた。偽造硬貨をも警戒するカオリの徹底した警戒心に、自分達がどこまでカオリ達を怒らせたのかを実感すると共に。

 目視だけで金の含有量すら読み解くアキの鑑定魔法の精度に、いち冒険者として驚嘆に値したからだ。


「……此度の騒動に対する示談金および彼女の治療代含め、総額で金貨三百枚を用意しました。どうぞお納めください」


 聞くだに目を剥くような金額だが、それでもカオリは表情を崩すことはなかった。


「お金で全てが解決すると?」

「な! お前はどこまでっ」

「アストリッド! お前は黙っていろっ」


 カオリの言に怒りを露わにするアストリッドを一喝して黙らせるダンテは、努めて冷静な態度で言葉を続ける。


「今後如何なる理由であれ、当方のものが貴女方の関係者に無礼を働かぬように徹底することを約束します。これは正式に文書にて作成し、後日教会の保証人を立てて誓約書をお送りします。……また此度の発端となったこのアストリッドは、我らが【ホワイトマーチ】より除名としたうえで、王都より追放とします」

「なっ、そんな! ダンテ様っ」


 除名追放の宣告を受けたアストリッドは、目に見えた驚愕を露わにし、残った腕をダンテに向けて伸ばすが、ダンテは苦渋を滲ませてアストリッドを見やる。


「伯爵位に相当する神鋼級冒険者を侮辱し、あまつさえその後見を受ける令嬢で、王家から懇意にされる留学生のミヤモト嬢に、刃を向けたことが、どれほどの罪かっ、まだ理解出来ないのか!」


 ついには激高して声を荒げるダンテに、アストリッドは動揺と恐怖からか、後退りする。


「ことは私の顔に泥塗ったなどという瑣末事に留まる話ではないんだぞっ! 今の情勢でかのミヤモト嬢を害するということがどういう意味かわからんのかっ、帝国と王国の緩衝地帯にて開拓団を指揮し、王家から絶大な信頼を、実力で勝ち取った功労者だっ。もし今回のことが切っ掛けで、ミヤモト嬢が王国を見限るような事態になって見ろ、ミヤモト嬢だけではない、私達を遥かに凌ぐとされる神鋼級冒険者ササキ卿までもが、他国に流れる可能性すらあるのだ。それがどれほどミカルド王国にとって損失なのか、まともな頭があれば誰でも予測出来る事実なんだぞ!」


 怒りのままに繰られる。しかしどこまでも的を射た最悪の事態を列挙し、ダンテは顔を真っ赤にしてアストリッドを責め立てた。


「改めて言われると、カオリって相当な重要人物に聞こえるねぇ~、普通なら絶対に手を出さないさね」

「茶化すのはやめなさいアイリーン、貴女はどうしてこうも空気を読めないのかしら」


 こんな場面でも軽口を叩くアイリーンを、流石にロゼッタも見かねて注意するのを、カオリは無表情のまま横目で流し見する。


(ま、たしかに茶番だよねぇ~、わざわざ叱りつける様子を見せて、反省してますよ~って見せつけるみたいにさっ)


 しかし実のところ、当事者のカオリでも、眼前で繰り広げられる一連の光景に、辟易とした感想を抱かざるをえなかった。


(会社とかで部下の失態を謝罪する場面で、よくやる常套手段ってやつでしょ? 普通ならこれで許しちゃうんだろうけど、わかって見せつけられると、ただただ面倒くさいな~)


 なぜカオリがこの一連のやりとりを茶番と断言するのかは、当然ながら確信をもつにたる理由があるからだ。

 理由は極めて単純明快、この流れが事前に打ち合わせされた演技であることを、シンと彼女の使役する【シキグモ】の監視や盗聴によって全て見透かしていたからだ。

 当然だが、アストリッドの除名追放も、王都追放後にダンテから相当の報酬金および仕事の斡旋など、彼女が今後も冒険者として活動可能な条件を提示したうえでの規定路線であることも確認済みである。

 なのでカオリは、あえて逆の条件を提示する。


「彼女をここから追放して、王都の外で私達が襲撃されても、責任を負いませんって意味ですか? ずいぶんと無責任な責任のとり方をされるのですね」

「な、……で、ではどうしろと」


 皮肉をたっぷりと塗り込めたカオリの言葉に、ここで初めてダンテは動揺の表情を浮かべる。


「馬鹿だねあんた。その猪娘を一生監視して面倒を見ろってことさね。これ以上悪さをしないようにしっかり躾けてね。それが責任をとるってことさね。追い出してはいさよならは、ただの逃げ口上なんだよ」


 ダンテとてササキほどではないせよ、高位の黒金級冒険者でありつつ、実際に子爵位に叙爵されたれっきとした貴族である。

 しかしこの場に立ち会っているのはカオリだけではなく、王国の侯爵令嬢のロゼッタと、帝国の公爵令嬢のアイリーンである。そもそもの爵位で見ても、ダンテ達がカオリに手を出すのが、どれほど危うい行為であったかなど、よく調べていれば明白な事実であろうはずなのだ。

 アストリッドはともかくとして、少なくとも王国で爵位をもち、高位冒険者でもあるダンテは、カオリ以外の顔触れに関しても、十分に手を出す危険を理解している。

 横柄な口調で小馬鹿にされつつも、なんの反論も出来ない理由から、ダンテは俯いて手を震わせる。


「だがそうだね。今のままじゃ流石にあんたがとばっちりだろう? 代わりといっちゃあなんだが、あんたちょいとあたしと決闘でもしようじゃないか、いいだろうカオリ」

「ん? んん~? ああ、そういう……、いいんじゃないですか?」

「なに? それはどういう意味だ」


 困惑するダンテに向き直り、カオリはアイリーンに意図の説明を促した。


「こういっちゃあなんだが、カオリはそこの猪娘から攻撃を受けたこと自体には、実は怒っちゃいないのさね。むしろ決闘だなんだと煩わされるくらいなら、襲撃して来た方が面倒がないと思っているくらいだ。だろカオリ?」

「攻撃して来たなら、斬ればいいですからね」

「……」


 二人のあんまりな物言いに、ダンテは絶句する。


「だからこっちとしてはむしろ、もっと死に物狂いで襲いかかってくれば、遠慮なく殺せるのにってのが本音さね。でも流石にそれは対面が悪過ぎるだろう? あたしらにとってもあんたらにとっても」

「だってアストリッドさんは冒険者でしょう? 夜盗とか暗殺者なら世のため人のために、斬るのもやぶさかじゃないんですけどね。私はたしかに人斬りですけど、殺人鬼じゃないですから」


 もはや言葉どころか理解も追いつかないカオリとアイリーンの主張に、ダンテは背筋が凍る思いを抱く。

 ここで純粋な冒険者として歩んで来たものと、カオリやアイリーンのような、闘争の本質を理解したうえで、あえて冒険者の在り方に甘んじている立場とで、明確な価値観の違いが現れる。


「つまり、此度のアストリッド様の引き起こした事態および、ストムマンテス伯からの謝罪も含め、我々はそちらの主張全てが、極めてとるにたりない瑣末事に過ぎないと思っているのが、本音なのです」


 そう言ってカオリは、無言のまま金貨の詰まった木箱をダンテ達の方へ押しやり、受け取り拒否の姿勢を見せた。

 カオリのこの言動に、流石のダンテも眉間に深い皺を寄せた。

 金貨三百枚といえば、カオリ達の村におけるこれまでの開拓事業を、三度もおこなえるほどの資金である。それほどの資金をも足蹴に出来るカオリの神経が信じられず。またどこまでも不遜な態度をカオリはダンテに向けた。

 つまり、カオリ達は謝罪も誠意も本来は必要なく、後の諍いへの発展も懸念しておらず。むしろ殺す大義名分があるならとことんまで対処するぞと、挑発してみせたのだ。

 そのあまりな暴力的思考に、王国の貴族として歩んで来た生涯で培った常識が、大いに試される事態となり、ダンテはついには俯いて怒りとも恐怖ともいえぬ感情に翻弄された。


「狂っているっ」


 喉から絞り出すように漏れた自身の言葉に驚きつつ、しかしそういわざるをえないほどの異常に、ダンテは目を見開いてカオリを凝視した。


「君達はことあるごとに、害意をもった相手と一人残らず敵対し、秩序ある社会から逸脱した暴力で、全ての問題を解決しようというのかっ、それはあまりにも過激な発想だ。悪いことは言わない、ここは妥協して示談に応じ、世間に公正な人物であることを示すべきだ。国家というのは、貴族というのは、君達が考えているよりももっと恐ろしい存在なのだからね」


 いわば大人の立場から、事実子供であるカオリに、その危険思想を改めるように論するダンテに、しかしカオリは冷めた視線を送る。


「いえいえ、どなたに依頼されてなんの目的でこんな茶番を演じているのか知りませんが、仕掛けられた以上、もはや剣を納めることなんて出来ませんよ、戦争はすでに始まっているんですから」

「我々の諜報能力を甘く見ないでくださいまし、卿が秘密裏に教会と連絡をとっていることは知っています」


 カオリから告げられたダンテと教会との関係に、誰よりも憤りを感じていたロゼッタが、ここで初めてダンテに向けて明確な怒気を露わにする。


「っ! ……そうか、たしかに、君達を侮っていたようだ。そこまで把握しているなら、私が彼女を追放後、陰で支援をすることも知っているのだろうね……」


 自らの筋書きを露見され、なんとか焦燥を抑え込み、状況の打開に必死で頭を働かせるダンテに、アイリーンは失笑を向ける。


「将来のために方々上手く立ち回って、協力者を増やすことが、宮廷貴族の常套手段なのはどこの国でも一緒さね」


 「でもね」とアイリーンは腰に手を当てて不遜に笑ってダンテを見下ろす。


「あんた達は必死さが足りないのさ、本当の戦場を知らないおままごとに、ササキの旦那やカオリが付き合うって考えが甘いんだよ、口先で誤魔化せる問題には限りがあるさね。腐っても黒金級冒険者のあんたに、闘争の本質が理解出来ないわけがないだろう、男なら拳を握りな、それが剣をもつものの誠意の示し方さね」


 凄惨に笑うアイリーンの言葉に、ダンテはいよいよ進退窮まった様子で後退る。


「いい機会ですし、私達は黒金級の強さを体感してみたいんです。そちらはアストリッドさんが仕出かしたことで、私の力は把握なさったことでしょうから、次はこちらのアイリーンさんを代理に立てて、ストムマンテス伯の実力のほどをお伺い出来れば最良です」

「……条件を聞かせてもらおう」


 苦虫を噛み潰すかのように据わった視線で決闘の条件を聞くダンテに、カオリは笑顔を作る。


「勝敗に関わらず。アストリッドさんの腕の治療は約束します。なんなら示談金も治療費もいりません、私はこんなことで得たお金に、なんら興味がありませんので、そのうえで、もし我々が勝てば、貴方がどのような理由で誰となにを画策していたのかを包み隠さず教えてください」

「……なら私が勝てば、情報の秘匿はおろか、示談金も治療費も支払わず、今回のことをなかったことにしてもよいというのか?」


 ダンテの言に、カオリは肩を竦めて見せる。


「構いませんよ、ただし勝敗に関わらず私達は貴方方ならびに貴方と交流のある全ての人物や組織を、全力で調べ上げます。王都に蔓延っていた裏組織や不法な商会を摘発するにいたった調査能力を、全て投入してです」

「なっ、ぐ、しかし、無茶苦茶だ。これではまるで決闘の意味がないではないかっ!」

「決闘の意味? そんなの、初めからないですよ、決闘の意味ってなんですか? 馬鹿馬鹿しいですね~、闘争の果てにあるのは、勝者と敗者、強者と弱者、生と死、ただその事実だけです」

「同意なんていらないね。これは戦争さね。どちらかが死に絶えるまで繰り返される。途方もない血河に身を投じるまで、やい猪女、あんたが始めた一槍は、つまりこういうことさね。戦争さね。戦争さねっ。戦争さねっ! あっはっはっは」


 腐っても黒金級にまで登り詰めた戦士としての矜持を抱くダンテであっても、流石に怖気を感じざるをえなかった。

 今対峙する少女達が、強さへの憧れや、権力へ手を伸ばすような類の人種ではないことを、嫌というほど理解したのだ。

 カオリがササキに伴われて、ミカルド王国に足を踏み入れた理由を、おそらく多くの人々は勘違いしていたのだと、内心で心底悪態を吐く。

国から伯爵位に相当する地位を約束された人物、とはつまり、言い換えれば慎重に交渉を経て協力関係を取り付けなければならない、国外勢力という意味である。

本来であれば市中に住居を構え、税を納め、市民権を得た時点で、国民としての権利と保護を与えられると同時に、法を尊守することを強制される。


ところがササキは冒険者としての実績から今の地位を認められている一方で、叙爵や叙勲に関してはその全てを拒絶し、あまつさえ市民権すらも受けないという、かなり横紙破りな立場を確立していた。

それは厳密にいえば、同国内における法の制限を無視出来る存在であったのだ。

ゆえにそんなササキから後見を受けるカオリも、ササキと同様にミカルド王国の法に縛られない、特殊な立場をもっており、仮に騒動の末に殺人に及んだとて、それを罪として罰することが出来ないのだ。


 もちろん外国人だからといって、なにをしても許されるというわけでは当然ない、罪のない民を傷つける行為または殺めた場合のほか、王国の民の財産や権利を明らかに略取あるいは損害を与えた場合などは、王国はその国外の人物または勢力に対して、相応の罰または報復をおこなう義務がある。

 また法に縛られないとはつまり、法の庇護を受けられないという意味でもある。

 いつぞやの開戦論派の男爵に、暗殺者であったクレイド達を差し向けられた件に関しても、ミカルド王国貴族令嬢でありれっきとした王国民としての権利をもつロゼッタが、襲撃に巻き込まれたことを理由に、件の男爵を法に則って裁くことが出来たのであって、仮にカオリだけが襲撃に遭っていた場合、男爵はなんら罪を犯したことを立件出来なかったのだ。


 今回の騒動に関しては、カオリは攻撃を仕掛けられた側、つまり被害者であることに加え、下手人たるアストリッドの所属と所業が明らかであり、王国としてはアストリッドならびに彼女の所属する【ホワイトマーチ】を擁護するのが極めて難しい上に、王家が直々に懇意にする冒険者が、自国の子爵位の仲間に襲われた事実から、むしろなんらかの対処をせねば、威信に関わる問題であると、事態を重く受け止める必要に迫られたのだ。

 結論として、カオリが法的手続きなど無視して、報復したとて、誰からも非難しようもない立場なのだ。

 だがだからといって、明らかに実力も地位もある黒金級冒険者集団の【ホワイトマーチ】かつそのリーダーである子爵位のダンテを相手取って、徹底抗戦を示唆するなど、常識的にありえないのは、ごくごく自然な考えであるはずだった。


 ところがカオリ達は明言したのだ。これは戦争であると、譲歩はおろか妥協もないどころか、一方的な要求すらもない、どちらかが死に絶えるまで終わらない闘争であると。

 事態が予想以上に深刻であると理解出来たものの、明らかに常識はずれなカオリ達の強硬姿勢に、ダンテは折れんばかりに歯を食いしばった。


「君達は、人間の社会に紛れて暮らすことなど、許されない異常者だ。いつかきっと後悔することになるぞ」


 せめてもの負け惜しみとばかりに、言葉を繰るが、それが早計な発言であることを重々承知の上で、しかしダンテは自制することが出来なかった。

 カオリ達からの決闘の申し出を受ける理由などまるでない。たとえ決闘を受けたとて、カオリ達が矛を収める気などないのだと宣言したのだから当然である。

 そして示談にもまったく応じる気がないのもまた明白である。アイリーンとの決闘に応じれば、少なくとも今回ダンテにカオリ達へ騒動をけしかけるよう依頼した黒幕の情報を開示することは避けられるだろう、しかし仮にここで勝利を収めたところで、それも時間稼ぎにしかならないのだ。

 カオリ達は自分達を害そうとした人物あるいは組織を、絶対に許しはしないし、逃がすこともない。


 アストリッドの起こした騒動が意図されたものであるということが露見した時点で、ダンテ達は極めて危うい立場に追い詰められたのだ。

 教会勢力がなにゆえにダンテ達をこんな無謀な計画の矢面に立たせたのか、その全容を把握はしてはいないが、この失態によって、教会がダンテ達を見限るのは確実だろう。

 どころかこれまで築き上げて来た人脈も、全てが白紙に帰す可能性も濃厚となり、ダンテは益々後悔を募らせた。

 後ろ盾を失い、より高見への道も閉ざされたうえに、カオリ達という異常者に敵対認定されたのだ。

 ダンテは目の前が暗くなるのに、必死で両足に力を込めた。


「申し訳ないが、そんな条件の決闘など受けることは出来ない、示談に応じてもらえないというのであれば、我々は我々のやり方で誠意を示し、今回の騒動からは手を引かせてもらう、今後一切教会からの接触も拒絶し、無関係を貫かせてもらう」

「そうですか、ではお引き取りください、そのお金も、持ち帰ってくださいね。邪魔なので」

「……」


 カオリの一転して剽軽な物言いに、頬を引き攣らせて、ダンテは従者を伴って踵を返した。

 しばしの沈黙の中、置き去りにされたアストリッドだけは項垂れてその場に座り込み、意気消沈しているのを、カオリは静かに見下ろす。

 ことここに至って、アストリッドが騒動の火種であることが明白な状況である。彼女を身内として扱うことで、カオリ達の敵意が飛び火するくらいなら、ここで切り捨てるのが最善であると誰もが考えるだろう。

 教会という後ろ盾を自ら拒絶し、醜聞を抱えた状況で、今後【ホワイトマーチ】が冒険者業でこれまでと同じように重用されることはないだろう、ならばせめて全ての火種を遠ざけ、一から信用を獲得するしか、ダンテには道が残されていなかったのだ。

 そして消え入るような声で嗚咽を漏らしたアストリッドは、残った腕で地面に手をつくと、額をこすらんばかりに頭を下げた。


「ごべんなざい、私は、悪いことをしました。今回のことが済めば、ダンテ様が私を貴族にしてやるって、言ってくださって、……その口車に乗せられたんです。もう平民上がりの野蛮女って馬鹿にされるのが、耐えられなかったんです」


 勝手に告白を始めたアストリッドに、一同は黙って視線と耳を傾けた。


「でも、こんな腕になって、私の唯一の生き方も、もう望めません、もうダンテ様も私を助けてはくれません、どうか、どうかせめて、この腕を治療してください、治療してくだされば、なんとか治療費を稼いで、必ずお返しします。だから、どうかっ」


 ダンテがカオリからの決闘の申し出を断った時点で、アストリッドの腕を治療する要項も、今ではなかったものとして扱われる。

 教会の高位聖職者にも治療が不可能なカオリの斬撃を治すには、現状アキとロゼッタの開発した解呪治療魔法が唯一の手段である。

 仮に別の手段で治す手立てがあったところで、今のアストリッドにその治療費を支払う能力がないのだから。


「アキ、アストリッドさんを客室に案内してあげて、すぐに治療の準備をして」

「かしこまりました」


 そしてカオリは、アストリッドの懇願を即座に受け入れた。


「……い、いいの、ですか?」


 自分で願ったことではあるが、カオリが治療を即決したことに驚いて、アストリッドは今までの威勢など霧散したかのように、弱々しく尋ねるのに、カオリは溜息を吐いた。


「これは知らなくて当たり前なんですけど、このアキは相手の悪意や翻意とか、本心に隠した感情も正確に見抜く能力を有しています。だからあのストムマンテス伯が、お腹に一物抱えて表面上は反省しているかのように見せかけていたことも、実は初めから見抜いていたんです」


 当然その理由を調べ上げたうえでの結論であるとも付け加える。


「申し訳ありませんが、アストリッドさんの抱える悩みや問題も、ある程度ですが把握しています。孤児院で育って、平民から黒金級まで登り詰めたのも、実は教会の後ろ盾があったればこそという経緯も把握しています」


 これは騒動初日に【泥鼠】達を使って調べた情報である。シンという切り札を敵陣の只中へ送り込んだ傍ら、彼らを惜しみなく広い情報収集に利用する今の体制が、ここでその有用性を発揮した結果である。

 目を見開いて困惑するアストリッドに、カオリは目線を合わせるように膝を折る。


「ダンテさんも、後ろ暗い思惑なんかに惑わされずに、誠心誠意謝ってくれれば、あそこまで脅すつもりなんてなかったんですけどね。やっぱりお貴族様って素直になれない立場なんだなぁって思います。アストリッドさんみたいにちゃんと反省出来るなら、あんな面倒な立場にならなかったのにって、逆に同情しちゃいますよ」


 不貞腐れたような表情でダンテについて語るカオリへ、アストリッドも自分の感情を観察されていたのだと理解し、恐る恐るアキの冷たい視線を認識する。


「そら、アストリッドっていったね。運んでやるから肩を貸しな」


 先の凄惨さなど微塵も感じさせない優しい声音で手を差し出すアイリーンにも、アストリッドは困惑した表情を向ける。


「ほら、カオリもこいつに謝ってやんなよ、本当はわかってんだろ、こいつが実は本気で刃を向けたわけじゃないってことを、それでもあえて腕を切り落としたのは、こいつの裏で糸を引いているだろう本当の敵を、誘い出す目的があったことさね」

「えっ」


 大人の女性を軽々と抱き上げたアイリーンが、呆れた顔でカオリに言及すれば、カオリは非常に気まずそうに頬をかき、ついで勢いよく頭を直角に下げた。


「私の方こそすいませんでした。女の人の腕を切り落とすなんて、流石にやり過ぎたと反省していますっ、ごめんなさいっ!」

「あ、うぐ……」


 カオリの謝罪が本心からのものであることは、流石のアストリッドにも理解出来た。しかしそもそも仕掛けた自分の間違いを自覚した彼女にとっては、なんとも返答し難い謝罪であることで、言葉に窮してしまったのだ。


「まあさっきも言ったが、一度抜いた剣を、そう簡単に鞘に収めるのは難しいもんさね。でももしあんたが少しでもこれからの人生に、もうちっと希望をもちたいってんなら、カオリのことを許してやっておくれよ、この娘はただ家族や仲間の幸せをつかもうと、必死なだけなのさ、事情はどうあれ、行き場を失くしたあんたの世話なら、カオリとあたしらが責任をもって面倒みるさね。こう見えてあたしもそこのロゼも、れっきとした貴族の娘だからね」


 快活に笑うアイリーンはそう言って、ずんずんと屋敷へ入っていくのを、カオリは頭を下げたまま見送った。


「えっと、これって結局どうなったんです?」


 これまで黙ってことの成り行きを見守っていたビアンカの問いに、答える声はなかった。




「繁栄派の教会は今、とても焦っているの」


 アキとロゼッタに腕を治療され、一応経過観察という名目で寝台に押し込まれたアストリッドは、上質な寝間着に戸惑いつつも、はっきりとした声でそう切り出した。


「第一期ミッドガルド朝の最盛期から比べて、今のミカルド王国では女神派に主神の座を譲って以降、王家も民も大六神教の中でもとくに女神を信奉する文化が形成されたんだ。私は教会で洗礼を受けて、専属の冒険者として仕事を受けて、それから【ホワイトマーチ】のダンテ様に拾われたんだ」


 ぽつぽつと語るアストリッドを取り囲むように椅子を並べたカオリ達は、黙って彼女の話に聞き入る。


「今でも繁栄派の権威は高いけど、やっぱり帝国にも膨大な信者をもってる聖都の女神派には敵わない、それが繁栄派の司祭達にはがまんならないんだ」

「そこで目をつけたのが、獣人種の教化と、王家への影響力の強化だったわけね。となると――」


 アストリッドの言葉を引き継ぐように予想を述べたロゼッタは、アキに視線を移す。


「アキ、さん、だけじゃないよ、あのえっと、アルトバイエお嬢様? も対象に、教会はとり込みを考えているみたいで」

「ロゼッタで結構ですよ、私はアストリッド様とお呼びさせていただきます。冒険者の階級で言えば、貴女の方が格上なのですもの」


 先ほどまで敵対していた関係から、また上位者への呼称に関し、これまで十分な教育を受けて来れなかった様子から、ロゼッタはあくまで冒険者としての視点から、立場を明示する。


「やっぱりロゼが火属性の回復魔法が使えることが噂されてる感じなんだ~、でもなんでこんな敵対するような手段に出たんだろ? とり込みたいならもっと友好的な方法をとるんじゃないの? 普通」


 カオリがもっともな意見を述べれば、アストリッドも首を振って真意まではわからない意思表示をする。


「おおかた王家との懇意関係を揺さぶって、そこに【ホワイトマーチ】を代わりにねじ込むつもりだったんだろうよ、明確に実力を示せば、如何にカオリが貢献著しくても、国が私情で特定の冒険者を重宝することに、横槍を入れることが出来るからね」

「つまり繁栄派の教会は、自分達の支援する【ホワイトマーチ】を王家と繋いで、自分達へ便宜を図るように画策したわけね。まったくもって度し難い俗物よ」


 アイリーンの推測に、ロゼッタは敬虔な大六神教の信徒として憤りを露わにする。


「ササキ様の唯一の弱みは、単独主義であることです。しかし最近になって、カオリ様達という仲間をえた。これで王家はササキ様へより一層の多方面に渡る依頼がしやすくなりました。一部の貴族達の中で、ササキ様の益々のご活躍を懸念する声があるのを、耳にしたことがございます」


 ビアンカがアイリーンの予測を補強するような情報を示せば、カオリ達も納得する。


「だけど、蒸し返すようで悪いが、予想に反してあんたがカオリに返り討ちに遭って帰って来たことで、あの伊達男も教会も、計画を変更せざるをえなかったわけだ」

「当初の計画はなんだと思うの?」


 アイリーンの言葉に、ロゼッタはさらに視点を変えた質問を向ける。


「そうさねぇ、起きる事実だけを考えるなら、まずはカオリの名声に泥がついちまうこと、それによって今の王家との関係が、ちょいと変化しちまうことは確実だったろうね。おっとその前にアスタ、あんたが伊達男から受けた指示を聞かせてもらえるかい?」

「……、えっと、ササキ卿不在の内に、ただ決闘を申し込んで、貴女達の内の誰かに、治療が必要なほどの怪我をさせろって、だけよ」


 言いづらいことではあるがそれ以上に、急に略称で呼ばれたことの方に驚いて、アストリッドは戸惑いを見せる。


「ほ~、つまりロゼであれアキであれ、私達に治療魔法を使わせたかったってことか~、正式な決闘であれば、経緯のぜんぶが公式な記録に残るから、問い合わせするにせよ、接触するにせよ、話題に挙げやすいから」

「しかし私は、鎮魂騒動でも紛争騒動でも、騎士や兵を相手にいくども治療魔法を行使して来ました。なぜわざわざそんな二度手間を踏むのでしょうか?」


 これも当然の疑問としてアキが声を挙げるが、それにはロゼッタが答えた。


「いえ、先の騒動におけるアキの貢献は、実のところ公式には記録されていないもののはずよ、王家も正式な謁見のおりに、アキの治療魔法に関しては言及しなかったわ、……たぶん獣人種が聖属性魔法を行使した事実を、よく思わない勢力に対して配慮した結果でしょうね。なにせ獣人種で聖属性魔法適正者なんて前代未聞だもの、実際に治療を受けた騎士や兵にしても、恩人であるアキをわざわざ矢面に立たせるような不義理はしないから、結果的にアキの聖属性魔法適正は、公的に知られていないことになっているのだわ」

「なるほどさね。そこでもし、冒険者として決闘に挑んで、それが受理されれば、ことは冒険者組合の管轄として記録されて、世の知るところになるって寸法なんだね。依頼人が冒険者を指名する場合、パーティーの基本的な能力の情報開示は、冒険者組合の裁量で開示出来るからね。とくに治療魔法を使えることは、戦力の維持やアンデッド系の魔物への対策に不可欠だからね」


 実のところ、ここでもカオリ達の異常性が際立つ理由があったのだ。

 それはカオリ達が戦闘において、これまで大きな負傷をしなかったことに加え、一足飛びで王家と懇意になったことで、実力を広く知らしめるという段階を踏んで来なかったがゆえに、アキの聖属性適正および治療魔法を行使出来る事実を、とくに申告する必要がなかったからだ。

 結論、アキが聖属性魔法行使者である事実は、近しい関係者あるいは実際にアキに助けられたもの達以外には、知られることがなかったのだった。


「ん~、それで、決闘を受理していたら、私達は王家直属のビアンカさんを、向こうは教会関係者を介添人に、冒険者組合を立会人にして、アキかロゼの治療魔法を公式に記録したうえで、私達の王家からの信用を失墜させつつ、これ幸いって感じに私達に接近して、失った名誉挽回を餌に、あわよくば専属の冒険者に引き込む腹積もりだったって感じ?」

「『先の決闘の結果を問わず。【孤高の剣】の類稀な能力は刮目に値するものであり、神の思し召しに違いない、ゆえに我ら神の信徒は、主のご意志に従い、かの娘達のより一層の奉仕を支援することこそ神命である』ってところね」

「流石はロゼさね。奴らの建前を的確に表現しているさね。そんで私達はなにも知らずに繁栄派の布教活動を手伝わされるって寸法かい、本当におめでたい連中さね」


 一連の考察に結論が出たことで、一同の間に達成感にも似た脱力が広がる。


「あの、さ、もしかして、王家からの信頼の失墜って、貴女達にとって、さして問題じゃないってこと?」


 ここまで来れば、いや先ほどのカオリ達のダンテに向けた文句を聞くに、その可能性に思い至ったアストリッドは、信じられないものを見るかのような視線を向ける。


「どっうでもいいですねぇ~、私達の信頼が落ちたところで、ササキさんの絶対的な強さが揺らぐわけじゃありませんし、そもそも私達はササキさんのついででお手伝いしてるだけですもん、これまでの依頼で、報酬金を沢山もらえたのは素直にありがたいですけど、同じ期間でそれなりにお金を稼ぐ手段はありますし、なんなら国の抱える問題に関わらなくてもよかったなら、それはそれでまったく問題なかったくらいですよ~」

「あの伊達男も、普通ならありえないカオリのその思考を理解したから、尻尾巻いて逃げたんだろうよ、カオリは自分の邪魔をするなら、例え王家が相手でも戦う覚悟さね。まともな考えが出来るなら、絶対に関わり合いにならないさね」


 実に楽しそうに語るアイリーンへ、カオリはやや不満そうな表情を向ける。


「別にそこまで可笑しくないと思いますけど、国籍も戸籍もないただの冒険者が、ただ家族と仲間のために働いているだけですもん、どうして誰もかれもが邪魔をしてくるのか不思議でしょうがないですよ」

「もうなにも言えないわ、カオリの想いはもう十分に理解出来るのですもの」


 国の保護も受けず、独力で立場を確立しえたカオリの本心を、ロゼッタはただただ肯定する。

 王政の是非や貴族がどうのと、社会形態がどこまで影響を及ぼすのかに心患うのは、あくまでその国に属する国民だけの問題である。

 国際法もなく、暴力がまかり通る社会文明において、法や建前など、圧倒的な力の前ではなんら意味のない詭弁に過ぎない。

 そういったしがらみの本質を、闘争という媒体を通じて嫌というほど理解した今のカオリにとって、詭弁を弄して邪魔をする勢力など、滅ぼすべき敵にしか映らないのだ。

 だがだからこそ、自らの過ちを認め、真心から反省出来るならば、例え敵であっても救い上げる度量も、今のカオリは持ち合わせている。


「アストリッドさん、今回は不幸な衝突で誤解を招く騒動に発展してしまいましたけど、もし違った出会い方をしていれば、私は貴女のことを敵であると断定することはなかったはずです」


 真面目な顔でアストリッドと向き合うカオリを、一同は黙って見つめる。


「私が思うに、貴女はただこの国の今の在り方に、ただ馴染めなかった。だからたくさん悩んで、苦しんで、魔が差してしまった。今回の騒動なんて、所詮はその程度のことなんです。――だからこれから、私達といっしょに、一からやり直しませんか?」


 カオリの問いかけに、アストリッドはただただ驚いて、言葉なく俯いた。


「さっきも言ったが、行くところがないなら面倒を見てやるさね。村の開拓でも王都での戦力拡充でも、これからきっともっと人手が必要になるはずさ、お前さんの実力が黒金級に値するのは事実なんだから、ちゃんと自分の仕出かしたことを反省出来る内は、若い身空でなにも孤独になる必要はないさね」


 およそ若い令嬢が口にする台詞ではないものの、アイリーンの補足はアストリッドの心を軽くするのに十分な言葉であった。


「レイド系の女性って、つい強がってしまうのが玉に瑕なのよね。貴女の気持ちは十分に理解出来ます。……今日はゆっくりと休んで、答えはご自分でじっくりお考えください、カオリもアイリーンも、今日はアストリッド様に考える時間をあげなさい、治療後の経過観察も必要なのだから」


 ロゼッタも二人に倣ってアストリッドを励ましつつ、皆に退室を促す。




 アキだけをアストリッドの看護兼監視に残し、移動した三人は談話室に部屋を移して、改めて顔を突き合わせる。


「【泥鼠】さん達の情報によると、紛争騒動以降、レイド系民族への風当たりがちょっと強くなったらしいんだって、私達はなまじロゼがいるから、そんなことまったく気付かなかったけど」


 そう切り出したカオリに、二人は静かに嘆息する。


「酒場の噂じゃあ、公国の動向はいよいよきな臭くなってる様子さね。食料の輸入量とか目に見える情報もそうだけど、どう考えて大規模な戦争の機運が高まってるね」

「……レイド系民族の筆頭でも、アルトバイエ家は先の紛争で王国側の立場を明確にした一族だもの、先日お父様とお会いした時も、保護を求める声が増えているそうよ、みなも不穏な情勢に不安を募らせているのだわ」


 ここへ来て先の紛争が影響を見せ始めたと認識したカオリ達は、やや頭を抱えるように目を伏せる。


「教会帰属の冒険者で、レイド系の女性戦士のアストリッドさんが、とばっちりで悪評を理由に中傷されるのも、仕方なかったって感じか~、そこを利用されたなら、今回の発端もちょっとは同情出来るよね~」

「それにしても意外……、でもないのかしら? まあ暗殺に来たかつての【泥鼠】様達も懐に入れたカオリだものね。あの方を受け入れるのも、カオリなら不思議じゃないのでしょうね」


 これまでの活動で、カオリが必ずしも慈悲のない冷血漢ではないことを知るロゼッタは、別段驚きもなくカオリのアストリッドへの対応に理解を示す。


「元野盗のセルゲイに、暗殺者の【泥鼠】達、そんでもって今回は敵対した黒金級女冒険者と来た。着実に手勢を厚くしてるさね。ま、まだ身内になるって決まったわけじゃないけどさ」


 口の端を上げて頬杖をつくアイリーンに、カオリは曖昧な笑みを返す。


「だって仲間を傷つけられたわけじゃないですし、心底反省してるみたいですから、これ以上責めてもなんにもならないじゃないですか~、それに聞けば聞くほど色々と追い詰められていたのは理解出来ますし、なんだったらアストリッドさんこそ利用された被害者って感じですし」


 軽妙にアストリッドへ同情を示すカオリを、ロゼッタは肩を竦め、アイリーンは愉快そうにそれぞれで同意を示す。


「一応斬るなら、生かすか殺すか、どっちかに決めてるんで、今回は前者って感じです」

「お、いい表現さね」




 一方アキと二人きりで残されたアストリッドは、茶を淹れるアキの背を見つめながら、憂い顔で声をかける。


「ちょっと、いいかい?」

「はい、なんでしょう」


 くるりと振り返ったアキの無表情にやや気圧されながら、しかしアストリッドは拳を握って続ける。


「あんた達はミカルド王国の民じゃないんだろ? でもアルトバイエ家のご令嬢もいるし、帝国人の戦士もいる。いったいどういった立場で、えっと、今の活動に励んでいるんだい?」

「……」


 いまいち要領をえない問いかけに、カオリの従者でしかないと自称するアキは、どう答えたものかと黙考する。


「質問の意図がわかりませんが、国家に帰属することが必ずしも、自己を確立する唯一の手段ではないことは、誰しも理解出来るものではないかと存じます」

「いやでも、それにしたって、ミヤモト様?はいくらなんでも過激っていうか、普通じゃないだろ? あの若さで国家権力と堂々と渡り合うなんて、誰が見ても異常だよ」


 自分がいったいなにを知りたいのか判然としないまま、ただただ理解の範疇を超える存在への畏怖から、思いつくままに言葉を発するのを、アストリッドは自覚する。


「しかしながらお言葉ですが、国など所詮一定の価値観を基盤にした経済と秩序を規範とする共同体に過ぎません、世代を重ね歴史を重ね。その規範を継承することで、長期的な安全と安寧を保証する。それが国家の役割であると私は理解しております」

「う、あ、えっと」


 アキの迂遠な表現に困惑するアストリッドへ、アキは構わず続ける。


「民族特性や宗教など、人類は様々な規範を下に自己形成をし、共同体を維持することで他の脅威、例えば凶暴な危険生物や疫病または災害などから、自身と共同体の生命を守る術を見出しました。ゆえに共同体を維持する上で不可欠な規範を遵守すること、または無法を排除することを本能的に自他に科すのです」


 淹れたての紅茶をそっと差し出しながら、静かに腰を下ろすアキへ、アストリッドは黙って視線を向ける。


「しかしながら人間というのは所詮本能を御せぬ愚かな生物、大局を見るのではなく目の前の優劣から他者を攻撃し、自らの優位性を小さな社会で証明せねば、自己の確立もままならない不完全な習性をもっています。被差別主義も所詮はそれら社会における承認欲求の現れでしかありません」

「差別……、承認……欲求」


 アキの言葉の中に、自分が求める答えがあるのではと感じ、懸命に理解に努める様子を、アキは無表情のままに観察する。


「実力があるから、実績があるからと、他者に認めてもらいたいと願うのもまた。小さな社会に囚われた承認欲求の証左です。アストリッド様がいったいなにに思い煩っていらっしゃるのか存じあげませんが、もしカオリ様の独歩の気風を疑問に感じられるのであれば、それは貴女様がミカルド王国という規範を、絶対の価値基準と妄信しているからだと、及ばずながら申し上げざるをえないかと」


 淡々と語るアキの言葉を全て理解することは難しかったものの、しかしアストリッドは手渡された紅茶に視線を落とし、自分なりに理解出来た意味を反芻する。


「てことはつまり、私はもっと、自由になれるってこと? 女だからとか、拾ってもらった恩があるからとか、そういうのじゃなくて、自分の、なんていうのか、自分らしく生きても……」


 言葉にならない気持ちを整理しきれず、それでも冷静に、今おかれた状況がなにを意味するのか理解しようと、アストリッドは懸命に考えた。


「私はカオリ様の忠実な臣下です。それはなにも生まれ持った使命によって課された義務などではありません、ただただ私がそう在りたいと願った。私自身の意思によるものです。もし自らの来し方行く末に迷いがお生じならば、一度素直なお気持ちで、何度でも自らに問い直すことも、必要なのではと愚考いたします」

「自らに問い直す、か、難しいね」


 紅茶の表面に移り込む自身の瞳に、アストリッドは自嘲の眼差し返し、顔を上げてアキへ向き直る。


「あんたの主に刃を向けた私の相手は業腹からしれないけどさ、もう少しだけ私の話に付き合ってくれる?」


 アストリッドのその言葉に、アキは目を伏せて姿勢を正し首肯する。


「貴女様がカオリ様へ牙を剥かぬ限りは」

「いやいやっ、あんな凄腕の剣士に歯向かうなんて、もう二度とごめんだよ、もし次になにかあったら、今度は首だけになっちまう」

「ご理解いただけてなによりでございます」


 慌てて否定をするアストリッドへ、アキは初めて微笑を浮かべる。

 そこへ慌ただしくカオリが現れる。


「アキごめ~ん、【ホワイトマーチ】がまた教会と接触したみたいだからさ、ちょっといっしょに観察してよ~」

「承知いたしました。ではアストリッド様、なにかございましたら、遠慮せずこちらの鈴を鳴らしてください、お時間が空き次第、私も再度お伺いいたしますので」

「あ、ああ、お願い、します……」


 慌ただしく退室していく二人を、アストリッドは戸惑いのままに見送って、しばしの後に小さく嘆息する。


「小さいなぁ……、私」


 少し温くなった紅茶に、アストリッドはようやく口をつけた。


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