( 虎視眈々 )
カオリ達がこれまで、多くの問題に直面しつつも、即座に対応し解決出来たのには、事前に入念な対応策を、またはそれらを想定した備えをして来たからに他ならない。
その最たるは、カオリの持つ戦闘能力であることは云うまでもないだろう。
(普通は単純な身体能力とか、膨大な魔力量とか、そう云うチート性能を求めることだよね~)
カオリはそう内心で呟きつつ、自身のステータスやスキル群を改めて確認する。
レベルはすでに三十にも届く勢いであり、レベルに応じて相応に筋力や魔力と云った項目が飛躍しているものの、とくに目につくのは技量や知覚と云った、一見して恩恵を感じづらい項目であることに着目した。
(このゲームシステムのステータス項目って、どうも他のゲームより補正が分かりづらいんだよね~)
巷で人気を博した多くのRPGなどに見るステータス補正と比べて、やや内部処理が複雑な印象を受けるだけに、自身のステータス上の数字が、どのように作用しているのか、いまいち判然としないことに、渋面を浮かべるカオリだった。
(アキいわく、基礎ステかける補正だったかな? つまり基礎の数字にレベルとスキル補正が乗算された数字なんだっけ?)
言葉にしてみても、だからなんだと云う感想しか思い浮かばず。カオリはついには頬杖をついて姿勢を崩す。
技量という言葉一つとってみても、その項目がなにに、どれほど作用しているのかがわからないのだから、こんなものをどれほど眺めたところで、一向に結論を見出せなかったのだ。
そんなカオリの様子を、ロゼッタは見咎める。
「はしたないわよカオリ、さっきからどうしたのよ?」
優雅に紅茶を飲みつつ、【創造の魔導書】
を広げて編纂作業に勤しむロゼッタだが、傍から見れば午後のひとときを読書に興じるお嬢様にしか見えないところが、彼女の育ちのよさを表していた。
これはカオリがまだササキから教わっていない事柄だが、【―自己の認識―】という魔法は、数ある自己ステータスの閲覧方法の中でも、極めて秘匿性の高い魔法に分類される。
これらに分類される魔法で、とくに代表的なのが【―自己の明文―】というものがあるが、これは下位よりもさらに下の低位魔法に分類され、魔力視に長けたものならば、閲覧中に横から覗き見ることも可能な脆弱な代物である。
ゆえにササキはカオリに対し、たとえやや上位の魔法であっても、あえて【―自己の認識―】を最初に教えたのである。
そのため、そうとは知らないカオリが【―自己の認識―】を利用した時、はたから見ればなにもない中空を見つめる。少々奇異な姿に見えてしまうのだ。
「いんやね。レベルはたしかに上がってるけど、実際どれくらい強くなったのか、いまいち分かんないな~ってさ」
指摘されたから仕方なく姿勢を正すカオリだが、表情は先と変わらずに渋いままだ。
流石に二人きりの勉強部屋である。表情まで取り繕えとまでは言わず。ロゼッタは視線だけをカオリに向ける。
「レベルが上がれば相応に強くなるものでしょう? 特殊なスキルの習得もそうだけれど、やっぱりレベルは重要な目安になるはずよ、いったいなにが不満なの?」
カオリの悩みが理解出来ずに、一般論から語るロゼッタに、カオリもどう表現すれば伝わるのかと苦慮した。
レベルシステムが存在することが当たり前のこの世界で、カオリのようにレベルと実際の強さの相関関係を、わざわざ注目するものは極めて稀である。
またカオリ達のように【―自己の認識―】が失伝したこの世界では、レベルに応じたステータスの上昇や、各種項目の数値化が存在することすら知られていないのが実情であり、レベルが上がればとにかく強くなれる。という極めて漠然とした認識が一般常識である。
もちろんそんな中でも、ロゼッタは一部の学者の中に、レベルシステムそのものを解明しようと試みるものがいる事実を知りつつ、しかしこれまでとくに注意を払ってこなかったことを思い出す。
加えて解説するが、【―自己の認識―】と他の魔法では、各種ステータスの可視化明文化に大きな差異がある。
わかりやすい例を挙げるならば、冒険者組合で利用される鑑定晶で、あれは主に客観的にも観測出来る。レベルや特異体質を数値化、あるいは明文化出来る魔道具である。
ただし当然の如く単純な魔道術式から製造されたもののため、使用者が隠したいと感じた項目の多くは、跳ね返すことも可能な上に、高レベル保持者であれば偽装すら可能なほどに稚拙な代物である。
それでも鑑定晶が広く普及しているのは、高価な魔道具の中でも比較的安価であることと、冒険者業においては、おおよそのレベルさえ把握出来れば十分であるという事情がゆえである。
「ほらササキさんってさ、噂じゃあ剣の刃が立たないとか、魔法でもびくともしないとか、逆に攻撃は回避も防御も不可能とか、そりゃあもう絶対強者って感じの印象が広まってるじゃん?」
ササキに関する。まるで荒唐無稽な噂話を例にあげるカオリに、ロゼッタも今度は顔も動かして耳をかたむける。
「でも一桁レベルのころの私と、今の私で、そこまで劇的に人間を辞めるほどに強くなった実感がないからさ、三十レベルも目前なのにさ、……じゃあササキさんの領域とまでは言わないけど、圧倒的強さってどんなだろうって思って」
「……想像を絶するわね」
今度は二人ともに虚空を見詰める。
実のところこれまで、ササキの実力を目の当たりにする機会は、ほとんどなかったことに思い至り、カオリもロゼッタも言葉を失ってしまったのだ。
「なら一旦冷静になって、身近な人達と自分との力量差を想像してみればどうかしら?」
「例えば?」
ロゼッタがカオリの悩みに真面目に付き合う姿勢を見せ、適当な提案を試みる。
「実際に戦った経緯から見てクレイド様達【泥鼠】よりは、カオリの方が圧倒的に強いわよね? なら同じ斥候型のゴーシュ様達【蟲報】はどうかしら、対人と対魔物の違いはあれども、大体は想像がつくのではなくって?」
そう言われて見ればたしかに、身内で数少ない実戦経験のある【泥鼠】を引き合いに出されれば、カオリはそこからある程度の想像を働かせられる。
ちなみに【泥鼠】達を冒険者として登録するさいに、当然冒険者組合にて鑑定晶に触れており、全員のレベルはすでに調べてある。
一番高かったのがリーダーのクレイドの二十レベルだったので、レベルから見てもカオリに敵うはずもなかったのは余談であろう。
「決闘方式じゃなくて、私にとって不利な状況で奇襲、かつ四人がかりなら……、う~ん、斬れるかもしれない、かな?」
「……本当に最悪な想定ね」
わざわざ自身を劣勢において、しかも四対一も辞さない覚悟であることに、ロゼッタは戦慄しつつも、それでも抗しうる可能性があるとのたまうカオリに、しかしそれが誇張ではないのだろうと嘆息する。
「私達もカオリの相手にはならないから、今度は王国の騎士達ならどうかしら?」
これもなかば答えが予想出来つつも、一応と提示すれば、それにもカオリは大して迷うことなく答える。
「野戦でかつ騎馬隊なら、結構厄介かな~、でも逆にやられる可能性は低いかも、馬上からの攻撃って大ぶりだし、馬を斬れば落馬して相手は動けなくなるし、でも市街戦なら私に有利だから、団長格の人が出てこないなら、時間はかかるけど斬れるかな」
「いやに具体的ね。出来れば馬は斬らないであげてほしいわ……」
想像の中で脚を斬り落とされ、七転八倒する馬に念仏を唱えながら、ロゼッタは次の提示をする。
「やっぱり【赤熱の鉄剣】様方かしら、指導員としてもご活躍されて、オンドール様と云う歴戦の元騎士様がおられるのですもの、並みの銀級パーティーとは一線を画す実力がありそうよ」
「おおそっか、無理だね。勝てないや」
これには即答で降参を示すカオリに、ロゼッタは意外そうな表情を浮かべる。
「どうして? カオリならもしかしてと思ったけれど、そこまで断言する根拠があるのかしら?」
「うーんとね~」
質問するロゼッタへカオリは指を立て、順を追って説明する。
「イスタルさんとレオルドさんは、運がよければ手傷を負わせることは出来ると思う、相性的に私に有利なのは事実だから、でもアデルさんとオンドールさんの二人はかなり難しい、とくにオンドールさんは一対一でも勝てる気がしない」
「まあ……、それほどなのね」
実力のある熟練冒険者として、素直に尊敬する【赤熱の鉄剣】の面々であっても、カオリならば容易く斬れるのではとなかば想像していただけに、その評価の根拠が気になったロゼッタはさらに傾注する。
「まずイスタルさんだけど、たしかに私は魔法を斬る技をもってるけど、あの人の魔法は遠中距離共に自在で属性も多様だし、魔法の切り替えが素人の私から見てもすんごく巧みじゃん、まず近付かせてくれないと思うんだよね」
「たしかに、火、氷、風、土、雷と、かなり多様な魔術を巧みに行使される姿は、私も勉強させていただいているわ、カオリから見てもそうなのだから、その評価は間違いないのね」
たとえカオリの剣が魔法をかき消す能力があっても、多彩な魔法で距離感を狂わされ、火の熱や、氷の冷気など、副次効果を上手く利用され足止めを食えば、それだけで疲弊してしまうとカオリは語った。
とくにイスタルの行使する魔術の多くは、低位から下位が基本であるため、消費魔力量の観点から継戦能力に優れている。
どちらかと云えば多量な魔力による火力に頼るロゼッタとは、戦いへの向き合い方が異なるのだ。
「次にレオルドさんだけど、ぶっちゃけ頑丈な甲冑でも装備されたら、たぶん手も足も出ないと思う、アイリーンさんよりも膂力が強いんだから、防御を無視して両手斧の破壊力を存分に発揮されたら、私ずっと紙一重の綱渡りじゃん? 集中力がもたないって」
「そうね……、アイリーンに比べて軽装ではあるけど、それはたんに必要性を感じないと云うだけで、その気になれば事前に準備出来るだけの稼ぎは十分におありでしょう、あの重さの両手斧を巧みに振われるのだもの、アラルド人の本領を体現したようなお方だわ」
これにもロゼッタは納得の表情だ。
たしかに奴隷騒動のおりに、カオリは両者素手の状況でアイリーンを下しはしたものの、彼女の本領は全身を分厚い鉄板をいくえにも重ねた甲冑で包み、防御を無視して怒涛の如き攻勢に出る戦闘形態をとる。
そんなアイリーンよりも膂力に優れ、一撃の重い両手斧を軽々扱うレオルドが、甲冑まで着こんでしまえば、まさに歩く重兵器であろうと、ロゼッタは想像して身震いする。
「で、アデルさんだけど、正直めっちゃしんどい戦いになると思う」
一瞬だけ言葉を切り、確認するように言葉を選ぶカオリの様子に、ロゼッタはつられて息を飲む。
「本人は鍛冶屋の息子でただの器用貧乏だって言ってたけど、あの人たぶん、全部の武器をけっこう自在に扱えるはずだよ、なんかの時に触ってるのを見たことあるけど、そもそも武器防具の扱いに関しては、四人の中で一番習熟してる」
「そ、それは知らなかったわ……、カオリの観察眼でそう感じたなら、そうなのでしょうね」
カオリの強さという一点に対しては、ある種の尊拝とも云うべき感情を抱くロゼッタは、カオリの素直な評価にアデルへの印象を大きく修正した。
「とくに中盾と直剣をあそこまで上手く使って、本当に前線を封殺しちゃうアデルさんの立ち回りって、敵の数とか大きさとかほとんどないも同然だもんね。冷静に見て見ればあれがどれだけすごいか分かると思うよ、少なくとも同格の相手ならまず負けないと思う」
「負けない、とはどういう意味かしら?」
カオリの表現が少し気になったロゼッタが質問すれば、カオリは一度考えてから、何度もうなずいて補足をする。
「たしかに決定力に関しては、私やレオルドさんには劣ると思う、けど防御力は、つまり『負けないための立ち回り』に関しては、達人級だと思う、それこそ盾ごと真っ二つにしたり、吹き飛ばすような攻撃力がないと、じり貧になるんじゃないかな?」
「すごいのね。防御力も特化すればそこまでの境地に達せられるなんて、考えたこともなかったわ」
剣士であれ戦士であれ騎士であれ、象徴とするものはやはり剣であると、偏見をもっていたロゼッタにとって、盾を併用した戦闘技術の粋と云うものは、いまいち想像が出来ないものではある。
しかし黒金級の魔物、大人の背丈に匹敵する巨躯をもつ【人工合成獣】をも一刀両断するカオリの剣技をもってしても、そこまで言わしめるアデルの防御技術に、ロゼッタは軽く衝撃を受けたのだった。
ここまでくれば最後の一人が、いったいどれほどの人物であるのか、ロゼッタは固唾を飲んで姿勢を正す。
「最後にオンドールさんだけどね。無理、普通に無理、純粋に強いって感じ」
「流石にわからないわ……、出来れば詳しく説明してくれないかしら」
カオリのあんまりな説明に、ロゼッタは困惑して詳細を強請る。
「たぶん、になっちゃうけど、オンドールさんはね。騎士を、極めちゃったんだと思う」
「騎士を、極めた?」
やや抽象的なもの云いに首をかしげるロゼッタに、カオリは向き直って続ける。
「戦争で部下を率いて何度も戦って、領地の魔物退治とか野盗退治とかに率先してあたってたんでしょう? 冒険者になってからも新人教育をする傍ら、ほぼ毎日魔物との戦いに身を投じたんだと思う、じゃないと金級冒険者になんてなれないじゃん」
加えてカオリの解説が続く。
「それにこの前まで死亡説まで流れていたならさ、貴族とは距離をおいてたんだろうから、たぶん黒金級の実力があっても不思議じゃないはずだよ」
「た、たしかに、黒金級の昇級要項は、貴族との折衝が必須ですものね。貴族を避けていたから、金級で止まっていたと考えれば、あの方の実力がいかほどか、容易に想像出来るはずだわ」
思い出したように察した二人は、納得とともにオンドールへの尊敬の念を深くする。
「人間が相手の戦争も、魔物が相手の冒険にも、オンドールさんは常に騎士として来る日も来る日も戦い続けたんだよ、そして極めちゃったんだよ、騎士道ってのを、戦いが日常にあって、それでも騎士として、理性を失わずに技術を磨き続けた。もう戦闘経験と熟練度において、私じゃ到底足元にも及ばないって肌で感じるもん」
「王国の誇る【騎士聖剣】、その名は伊達ではないのね……。本当に、この出会いを神々に感謝しなくてはいけないわね」
生き残るために技と経験を積むだけであれば、それに費やした歳月に比例して実力を伸ばすことは可能であろう、だがオンドールの場合はそれら必然の中であっても、騎士としての矜持、または理性を失わずに己を磨き、また他者を導き教えて来たのだ。
また聞きにはなるが、聞けば幼少より剣を学び、騎士になるべく生きて来た半世紀にも及ぶ人生は、常に闘争の中に身を置き続ける壮絶な人生であったことだろう。
よってオンドールの剣には技だけでなく、それら費やされた人生と魂が宿っているのだとカオリは感じたのだ。
「あ、そういえばカムさんにも絶対に勝てないな~、あの人、森の中でなら無敵だもんなぁ~」
「ああ……、もう、森ごと焼き払うしかなさそうね……」
最後になって思い出したもう一人の金級冒険者を考え、二人ともに激しく納得する。
「そんなわけで、人間である以上、どうしても限界ってあるじゃん? でも冒険者ならやっぱり人外の強さを求めないと、いつか途方もない魔物と遭遇して、全滅なんてありえるだろうし、求める強さはもっと高くないとってさ」
対人間への考察に区切りをつけ、話題はやはり魔物の脅威へと移る。
「【ソウルイーター】のような災害級の魔物が実在する以上、カオリの考えはもっともだと私も感じるわ、でもそれこそ途方もない話に思えるわよね。件のオンドール様でも、黒金級の災害認定の魔物を、単独で撃破するのは無理なのだから、ササキ様の強さはもはや人外の、真の英雄の領域なのでしょう」
具体的な目標のない話題に着地点などなく、結局この話題は宙を彷徨よったすえに霧散していくことになる。
しかし翌日、思いもよらない形で、カオリ達は目に見える形で、人外の域と云う具体的な存在を目の当たりにすることになった。
「たのもぉうっ!」
屋敷の門前から聞こえる大音声に、やや首を竦めて顔を見合わせたカオリとロゼッタだったが、ほどなくしてステラから来客の知らせがあり、概要を理解したカオリは仕方なく敷地内に入れるように指示を出した。
屋敷の正面玄関から外に出て、敷地内に招き入れた珍客を前にしたカオリとロゼッタは、その人物を認めて再度顔を見合わせる。
性別は女性であり、赤茶色の編み込みを無造作に後ろで縛っただけの髪型に加え、大きな目を獰猛にぎらつかせる容貌は実に派手な印象を受ける。
またあわや胸が覗けるほどの布面積で胸部を覆い、体の各部位に申し訳程度の装甲板を縛りつけた出で立ちは、間違いなく悪目立ちする類の姿だった。
「私は王都本部所属の冒険者【ホワイトマーチ】のメンバーだ。今日は新たに神鋼級に叙されたササキ某殿に、決闘を申し込みに来たっ!」
声高らかに宣言する人物へ、カオリは自分でも自覚出来るほどに怪訝な表情を浮かべる。
「え~と、要件が要件なので一応敷地内に招きましたが、侍女が申しました通り、現在ササキは不在ですので、また日を改めてお越しください」
極めて事実だけを告げるカオリに、しかし目前の人物はなぜか勝ち誇った態度を示す。
「ふん、そう言って再三にわたるこちらの要請を躱す手管はお見通しだっ! 神鋼級に昇級したばかりの新参者が、化けの皮がはがされるのを恐れるのも無理はない、もし今日も決闘を蹴ると言うならば、王国中に卑怯者だという事実が知れ渡ることになるだろうっ」
明らかな挑発的言動に、さすがのカオリも驚きを露わにする。
「はあ……、では要件はすみましたでしょうか? なんのお構いも出来ず申し訳ありませんが、今日はお引き取りください」
「なんだと?」
しかしカオリは驚き過ぎてかえって冷静になったため、挑発には一切触れずに退去を勧める。
そんなカオリの無関心さが癇に障ったのか、歯を剥き出して怒り心頭で地面を踏む。
すると綺麗に整えられた石畳が大きな音を立てて割れ、土煙が立ち昇る。
(おおっ、足踏みで石畳を踏み抜くなんて、人間業じゃない感じっ)
その一連の狼藉にカオリは素直な感想を思い浮かべつつ、一瞬だけ修繕費用が過ぎったところへ、再び目前から荒々しい声がかかる。
「私達が北方への遠征中に、ずいぶんと名を挙げたそうじゃないか、お前の名前も聞き及んでいるぞ【不死狩り姫】、なんならアンタが代理でも構わないだよ、小娘っ!」
どこまでも挑戦的な物言いに、ロゼッタやステラも聞き捨てならないと一歩前に出る。
「僭越ながらまずは貴女ご自身のお名前をお聞かせ願えませんか? 先ほどからパーティー名の陰に隠れたまま名乗りもせず、あまりにも不作法な言動の数々、いくら冒険者と云えども失礼では?」
貴族令嬢としての矜持から、怒りを抑えつつ相手に否を唱えたロゼッタだが、それでも態度を改める気のない様子で、しかし一応は名乗りを挙げる。
「私は【閃光のアストリッド】、【ホワイトマーチ】で切り込みを担当している。そう言うアンタはアルトバイエ家のお嬢様だろ? アンタの噂も聞いてるよ、家出して冒険者ごっこをしているお転婆娘ってね」
「な、なんですってっ」
カオリだけでなくロゼッタに関する情報も口にしつつ、ついでのようにロゼッタを揶揄すれば、ロゼッタも嫌悪感を隠せずに動揺した。
しかしカオリに、この手の安い挑発など通用するはずもない。
「あ、はい、お断りします」
「……」
毎度のことながらも、カオリの素っ気ない否定の言葉に呆気にとられる一同に、気まずい沈黙が続く。
「でもカオリ、私達の後見人たるササキ様を侮辱されたのよ? 私達が黙って受け入れれば、王都でのササキ様の名誉に関わると思うのだけれど……」
流石に醜聞を恐れる貴族家出身とあって、ロゼッタは不名誉がもたらす後々の不都合を忠告するが、カオリにとってはさしたる問題ではない。
「なんで見ず知らずの礼儀知らずな人のために、ササキさんがわざわざ動かなきゃならないの? どうしても雌雄を決したいなら、勝手に攻撃を仕掛けてくればいいと思うけど? 決闘なんて、命を懸ける度胸のない格下の方便かなんかでしょう?」
だが大真面目に発したカオリの言葉に、ロゼッタはおろかアストリッドも衝撃を受ける。
「私が格下だってっ!」
「カオリ、それもう、侮辱以外のなにものでもない気がするのだけれど……」
激高するアストリッドを当然の結果と受け止めつつ、ロゼッタはカオリも静かな怒りを滾らせていると理解し、このままではまずいとなにかを言いかけるが、状況はさらに悪化してゆく。
「魔物の討伐数とか、討伐難度とか、そういうので競うなら、冒険者の名に恥じない決闘方式なのに、ただの腕試しのためにササキさんをダシに使うなんて、この人は自分のことしか考えてない証拠でしょ? 今も人類の平安のために戦ってるササキさんが馬鹿みたいじゃん、何様なのか知らないけど、こういう自分勝手な人を相手にする時間なんて、ササキさんにも私達にもないから」
「……」
納得は出来る上にかねがね同意するところではあるが、極めて辛辣なカオリの言葉に、相手がどのような反応を示すのか予想したロゼッタは、ゆっくりとカオリから距離をとった。
その刹那、一陣の風がロゼッタの頬をかすめたと感じたその時に、屋敷の正面玄関に耳をつんざく絶叫と、鮮血が舞い上がった。
「ぎゃあっああぁっぁ!」
「っびっくりした~、速いですね~」
状況をようやく視界に収めたロゼッタの眼前には、刀をぶらりと下げ、弛緩した様子でたたずむカオリと、切断された右手を抑えてうずくまるアストリッドの姿だった。
「ビアンカさん、この人を家まで送ってもらうことって出来ますか? 流石に腕を切り落とされた女の人を、道に放り出すわけにもいきませんし」
「ば、馬車を出しますが、その前に、応急手当をっ」
これまで成り行きを見守っていたビアンカだったが、カオリからの要請を受けて、慌てて思考を再開する。
だが駆け寄ったビアンカの手を乱暴に払い、自力で立ち上がったアストリッドは、額に球の汗を浮かべながら、必死に強がって見せる。
「い、いらないっ、自分でっ」
そう言ってアストリッドは切断面近くを縄できつく縛り、自分の右手を拾いながら、弱々しくも自らの足で立ち去っていくのを、カオリ達は静かに見送った。
「先ほどの方ですが、王都でも名高い黒金級冒険者パーティーに所属する方で間違いありません、彼女個人の階級も黒金級です。ただ腕はたしかではありますが、やや評判の悪い冒険者とのことで」
「ん~? 黒金級? あれで?」
談話室に場所を移し、ひとまず腰を下ろしたカオリとロゼッタへ、ステラは自前の資料からの情報を提示する。
だがササキやオンドールといった本物の強者を知るカオリにとっては、もたらされた情報には一部納得の出来ない内容が含まれていたために、やや行儀の悪い口調になってしまった。
「【閃光のアストリッド】と云えば、五年前ほどに女性では最年少で黒金級に昇級し、一時期話題になった人物だったはずです。噂では英雄にも手が届く才能ある新人、のはずなのですが……」
カオリ達と同じ席につき、紅茶を両手に抱えるビアンカが、昔の話題を思い出しつつ、言葉尻を小さくする。
「はい間違いありません、鳴り物入りで黒金級に昇級したものの、貴族との間で度々問題を起こすようになってからは、話題も下火になりました。ですが強さは本物で、神速から繰り出される槍の一突きは、常人には決して見切れないと評されております」
しかしつい先ほど、カオリによって容易く見切られ、腕を切り落とされた事実を目の当たりにした一同は、どこか白々しい沈黙のまま、カオリに注目した。
「へぇ~、馬鹿正直にまっすぐ突っ込んで来たから、反射的に剣を抜きましたけど、実はそんなにすごい人だったんですね」
「……カオリの反射神経と観察眼をもってすれば、神速も、ちょっとびっくりする程度なのね。たしかに相性的にはレベル差を覆す理由たりえるのかもしれないわ」
感心するように呟くロゼッタの言葉に、ビアンカもステラも内心で同意する。
カオリの剣はとにかく技の集大成ともいえる領域である。もちろんスキルの補助や聖銀製の太刀による斬撃力も目を見張るものがあるが、それでもカオリの強さの根本は、【達人の技巧】によって会得した観察眼や技術なのだから。
一方で件の【閃光のアストリッド】はと言えば、俊足からの短槍の一突きという芸のないものであった。
貫通力と云う点で見れば、たしかに鎧をも穿ち、魔物の鱗や皮膚も貫く優れた技なのかもしれないが、相手はカオリである。
対人に特化した殺人剣とも言うべきカオリの技を前にすれば、今回の顛末は当然の結果だと一同は感じたのだった。
「それにしても大丈夫かな、あの人」
「容赦なく腕を斬り捨てておいて、いまさら心配をするの? 黒金級冒険者パーティーなら、高位の治療術士くらいいらっしゃるでしょうし、腕の切断くらいなら安静にしていれば仕事に復帰も出来るでしょうから、カオリが心配する必要なんてないわ、あれは間違いなく相手が悪いのですもの」
「決闘を申し出た身でありながら、カオリ様の言葉に我を忘れて、唐突に斬りかかるなど言語道断です。本来であれば貴族位にも値するササキ様と、その後見を受けるカオリ様を侮辱し、あまつさえ害する行為など、罪に問われて当然の悪行です。本案件は私も責任をもって王家にご報告いたします」
懸念を示すカオリに対し、ロゼッタとビアンカのそれぞれがカオリを弁護する。
しかしカオリは首を捻る。
「いや~、本当に『治る』のかなって思って」
「え?」
カオリの発した言葉の意味を反芻し、ロゼッタは即座に顔を青くする。
「ま、まさかカオリ、『斬った』の?」
ロゼッタの問いに、カオリはうなずいて肯定を示す。
「斬ったとは……、まさか、不死身の暗殺者の少女を退けた。不死狩りの剣技を使われたと云う意味でしょうか? そんなっ、それではたとえ高位の治療魔法でも?」
ビアンカが人伝に聞いたカオリの特殊技能の効果を想像し、ロゼッタと同様に顔を青くした。
「全身を炎で焼かれても即座に再生したあの不死身の彼女を、殺せる唯一の剣術です。最高位の神官様でもおそらく治療出来ないカオリの概念攻撃を受けて、無事に腕を元に戻せるとは到底思えません……」
たとえ仕掛けられた攻撃への反撃であれ、王都でも高名な冒険者パーティーの一員を、再起不能にしてしまったとあれば、人の口に戸は立てられないのは必至、代表者同士の交渉が必要となる事態になるだろうことが予想される。
その事態を想像してロゼッタは気まずげにカオリへ視線を送るが、カオリは仏頂面を浮かべたまま視線を宙に固定して動かなかった。
「アイリーンさんも大概迷惑な戦闘狂だけど、世の中ああ云う人って結構いるもんだね。そんなに戦いたいなら、それこそアイリーンさんみたいに、戦場に入り浸ればいいのに」
「自己顕示欲の強い方だったのでしょう……、若くして黒金級に叙され、一時期持て囃されたことで助長し、その後に伸び悩んだ様子のようですから、功を焦っての行動に見受けられます」
「冒険者は功名心の強い人種でもありますから……、今回の件では噂がどのように作用するのか、慎重に観察する必要があるかと思います。カオリ様方は外出時には十分に注意してください、私も可能な限りお供させていただきます」
「わかりました。ご迷惑をおかけします」
ステラとビアンカからそれぞれ忠告を受け、カオリは仕方なしに受け止める。
「それなら今のうちに、アイリーンとアキを呼び寄せた方がいいわ」
「ん? どうして? いや、そうか」
ロゼッタの提案の意図に気づいたカオリは、納得して何度もうなずく。
「屋敷全体の安全を考慮すれば、防衛面で頼れるアイリーンと、治療の出来るアキは必要になるわ、とくにアキは治療だけでなく、解呪の魔法も使えたわよね? 彼女ならカオリの概念攻撃で受けた傷も、治療出来るんじゃないかしら」
「そうだね。奴隷騒動の時の【服従の呪印】も、アキのおかげで綺麗に治療出来たし、もしかしたら相手との交渉にも利用出来そうだし」
アイリーンとの出会いのきっかけとなった奴隷騒動にて、カオリが施された【服従の呪印】も、思えば立派な呪いの類であり、それを跡形もなく治療出来たアキの聖属性魔法は、高い解呪と治療の効果が確認出来ている。
であれば仮に、【閃光のアストリッド】の切断された腕の治療に、彼女が困窮していれば、カオリ達から治療を条件に有利な交渉を進められると予想したのだ。
翌日、再び屋敷に呼び出されたアイリーンとアキの二人は、非常によい笑顔を浮かべて転移陣から現れた。
「カオリが挑戦者を問答無用で斬り捨てたって聞いてるさね。どうやら最高に面白そうな状況になってるみたいだね」
「カオリ様がついにご自身の価値に目覚められ、その威光に泥を塗らんとする不届きものを無礼討ちされたと伺いました。流石は我らが盟主様だと、一同感服しておりますっ」
「全っ然違うからっ、私の話本当に聞いてたの?」
「受け取り方一つでここまで意味が曲解されるさまを、今目の当たりにしたわ……」
会って早々にどこまでが冗談なのか判別のつかないやり取りを経て、四人は場所を談話室に移した。
「今ビアンカさんにお願いして、王家の証明書を添付した書状と一緒に、先方に抗議文を届けてもらってるところです」
ステラの配膳する紅茶を振る舞いながら、カオリは状況説明をするのに、アイリーンからいくつかの確認が入る。
「証明書ってのはなんだい?」
「ササキ様が現在、ルーフレイン侯爵領における。魔物の問題に対処していらっしゃることを、王家が証明してくださることで、件の【閃光のアストリッド】某が、不当な要求と脅迫をおこなったと主張出来るのよ」
「不在を言い訳に決闘から逃げたなんて言いふらされる前に、向こうが確認もせずに乗り込んで来たから、事実を伝えたのに脅迫までして来たって言わないと、無意味にササキさんの名誉を傷つけることになりそうだったからね~」
アストリッドが乗り込んで来たさいに、カオリ達に発した言葉を正確に記録した文脈を精査し、必要な措置を講じたとカオリ達は説明する。
「王家の書状そのものはどういった意図のものかも、聞いておいた方がよさそうさね」
「そうだね~、王国法に則って、決闘に必要な条件を満たした正式な挑戦であったのかの確認をとるのと、先に武器を向けた側が本来科される罪状なんかも記載したものらしいよ」
「ことの次第によっては、貴族位に準ずるササキ様の名誉を傷つけたこと、またその後見を受けるカオリを害そうとした事実をもって、罪に問うことも可能だと認識させたうえで、釈明があるかの返答を強制する公式文章よ、これで問題が王国にも影響する大事だと、王家が認めたことになるわ」
「ほっほ~う、至れり尽くせりさね」
カオリ達の迅速な行動に感心しつつも、通常の思考の持ち主ならば、これだけで自分達が誰に喧嘩を売ったのかを理解し、尻込みするだろうと予想したアイリーンは、少しだけつまらなさそうに眉を下げる。
「まともな頭の持ち主なら、これで謝罪といくらかの金を払ってお終いだろうね。ちょいとつまんないけど、妥当な対応さね」
「では我々を招集した理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
腕を組んで安楽椅子に浅く座るアイリーンの横で、やや傾いだ座面の上でも器用に姿勢を正すアキ。
だが全身が体毛で覆われているアキは、どうやら革張りの椅子では滑るようで、真面目な顔のままスルスルとアイリーンの太腿で止まる様子に、カオリは必死に笑いを堪える。
「万が一に備えた護衛が主だけど、アキには先方がもし、治療方法を知りたがっている場合に、交渉材料になってもらうつもり、私の概念攻撃を正確に治療出来る可能性があるとすれば、現状はアキの聖属性魔法以外考えつかなかったからね~」
そう説明するカオリに、しかしアキにしては珍しく、難しい表情を浮かべて押し黙った。
「……わたくしごときに、カオリ様の絶技を打ち破る力があるとは思えませぬ。なにぶん敵を治療するなどといった奇特な試みを、考えたこともございませんので、本案件につきましては、恐れながら確約出来ないことをご了承いただきたく思います。申し訳ありませんカオリ様っ」
「そっか~、そうだよねぇ~」
深く頭を垂れるアキに対し、カオリは特に追及することもなく、彼女の主張を素直に認めたうえで、しかしと続ける。
「でもさ、もし今後、みんなのうちの誰かが、精神支配とか呪術攻撃を受けた時にさ、仕方なく私が斬る場合とかあるかもじゃん? そうなった時に、アキが治療出来れば安心だし、どうにか習得することって出来ないかな?」
「なるほどね。カオリの剣は魔法そのものを打ち消す力があるとすれば、そういった類の魔法自体も、無力化出来るのかい、そいつは心強いさね。ただたしかに、解呪ついでに命まで消されたんじゃあ、死んでも死にきれないだろうね」
「……カオリの剣の恐ろしさはさておいて、精神支配や呪術、闇属性魔法などへの対処法を強化するのは必須技能だわ、今回のこととは別と考えても、渡りに船と受け止めて、アキの魔法面の強化に取り組むのはよい機会だと私も思うのだけれど」
あくまでも冒険者として、あらゆる状況に対処できる能力の強化であると説くロゼッタに、アキも真剣な様子で受け止める。
「しかし、……仮にカオリ様の技が呪術に該当するとして、それを解呪と一言に申しましても、恐れながら聖属性魔法による解呪が可能かどうかは、いささか疑問を抱きます」
「どういうこと?」
あくまでも善処する姿勢を見せつつも、しかしアキが難しい表情で語る言葉に、カオリ達は首をかしげた。
「呪いとはつまり、悪意や憎悪を起因として発動する魔法というのが一般的です。相手を殺したい、または不幸になってしまえと、特定の人物、あるいは起動条件下で効力を発揮します。翻ってカオリ様の行使される概念攻撃は、果たして一体なにを起因とされる呪いなのか、私では到底理解の範疇を超えるものと感じます」
「……へぇ、呪いにも色々あるんだねぇ」
アキの説明に呆気にとられるカオリとロゼッタを他所に、アイリーンはこともなげに感想を述べる。
呪いを技として体系化したものを呪術と呼称し、魔法的理論で固定したものを呪術魔法と定義するこの世界において、呪術は未知のまじないなどではなく、れっきとした魔法技術の一体系に過ぎない。
しかしササキが独自に定義した【概念攻撃】に相当するであろうカオリの斬撃は、それら体系化された呪術魔法と比べると、あまりに原始的、悪く言えば、極めていい加減な発動条件のもとに行使されている。
なにせ行使するカオリ本人が、意識下であれ無意識下であれ、とにかく『斬った』と感じることでのみ、その効果が結果的に観測できているのが現状だ。
第三者であるアキにしてみれば、普通に剣で斬りつけることと、カオリいわくの『斬った』状態は、客観的になんら差異を感じないからだ。
そうなれば当然、アキにはいったいなにをどのように、『治せ』ばいいのか、判然としなかったためだ。
アキとて守護者特典として、某オンラインゲームのシステム的魔法理論の知識はあるものの、システムの存在が忘却されて久しく独自の発展を遂げた現在の世界で、魔法がどのように理論化されているのかを全て把握できているわけではない。
そのためゲームシステム的魔法と、この世界独自の魔法体系が、どこまで根幹を同じくするのか、その差異が魔法現象にどのように作用するのかを、常々疑問視していたのだ。
ただ流石に己の浅学をわざわざカオリに見せる無様を厭い、これまで自分から告白する機会もないままに今日まで来てしまったことが、本日の提案で露呈した結果となってしまった。
魔法の発現には術者の想像力が不可欠とされる現在の魔法理論を、乱暴な表現で説明するのであれば。
魔法とはつまり、妄想を現実にする謎の力、という極めて大雑把な表現になってしまうものであり。
例えば氷のように冷たい炎、と具体的に想像できるのであれば、それがそのまま現象として成立できてしまうのである。
さすがにそんなこけおどしにしかならない魔法など、なんの役にも立ちはしないので、誰も考えもしないのはたしかではあるが、しかしそんなひどく曖昧な妄想でさえ、現象として成立させてしまえる魔法という存在を、単純な理論だけで定義できるほど簡単なものではないのは、想像に難くない。
それを踏まえたうえでの、カオリの【概念攻撃】である。アキの表情では推し量れない内心の困惑も、多少は理解できるだろうか。
「そっかぁ……、悪意とか憎悪なら、『拒絶』とか『無効』とかの反作用? で解呪ができるけど、私の『斬った』ってよくよく考えたらちょっと意味わかんないよね~」
術者本人であるカオリ自身が、あっけらかんと述べるのだから、余人である三人もさすがに呆れた表情にならざるをえなかった。
「斬られれば、たとえ実際に剣で斬られなくても斬れちまううえに、魔法で治すこともできないなんて、たちが悪いにもほどがあるさね」
しかしアイリーンの言葉にふとひっかかるものを感じたロゼッタが、しばし黙考したのちに質問をする。
「ちょっと待って、魔法で治すことが出来ないのはたしかとして、なら縫合して自然治癒させること自体は出来るのかしら?」
「むむ?」
ロゼッタのそんな質問を受けて、カオリもアキも表情を改めた。
「あ~、治るんじゃないかな? べつに治療魔法を弾く効果があるなんて考えてるわけじゃないし、斬れば相手は死ぬ。なんて物騒なこと想像してるわけでもないから」
これにカオリがあくまでも自身の感性からの素直な感想を述べれば、アキは納得顔を浮かべて小さくうなずいた。
「人体の自然治癒力とはすなわち、失われた器官の修復であり、人体に備わった自然治癒能力は人の意識の介在するものではございません、一方で治療魔法は外的手法によって、もとの状態に再現することを目的とするものがほとんどです」
「……なるほどね。慣習的に鍛錬後の筋肉痛を魔法で治療する行為は、鍛錬の効果を打ち消してしまうといわれているのは、そういう意味があるのね。なにせ元に戻してしまうものね」
「ほっほう、それはあたしも覚えがあるさね。父上が鍛錬後の痛みは強くなっている証だと豪語していたのは、そいつが理由だったんだねぇ~」
はからずも人体の神秘に話が及んだところで、カオリの概念攻撃の片鱗を掴んだ四人は、そこからさらに議論を深めていく。
「『斬った』事実を『なかった』ことにする魔法に作用しちゃうんだから、例えば自然治癒能力を高める魔法とかなら、治すことはできるのかな?」
カオリの考えに、しかしロゼッタは反論する。
「仮にそれが可能だとしても、過去に過度な治癒能力の増強で、急激に体力を消耗し死亡した文献を見たことがあるわ、あれはたしか魔道具の増幅器による。低位魔法の運用実験に載っていたはずよ」
「ああ、軍事転用目的で、帝都の【暗銀の塔】の連中が発表したやつだろ? 一時期は一定の効果が期待されたけど、死者が出たことで時期尚早と見送られたって、父上がぼやいていたさね」
「なればやはり根本である。カオリ様の付与された概念を解くことが先決であるかと……、しかしながらやはり、カオリ様が一体なにを『斬った』のかがわからなければ、対処のしようがございません」
アキの分析に、カオリへ視線が集中するも、とうのカオリも困った顔を浮かべる。
「え~と、ほら、斬ったよ~、って感じ?」
「はあぁ……」
しかしあまりに要領をえないカオリの態度に、さしものロゼッタも溜息を吐く。
だが意外にもそこで、アイリーンが手を叩いて合点する。
「そうさね!わかったよっ、これはあれさね。痴情のもつれと同じ感じのやつさね」
「んん?」
これに対して、しかしすぐに理解はできず。カオリ達は首を捻ってしまうが、アイリーンは構わずに続けた。
「浮気した旦那とさ、無理に復縁しろっつったってそうは問屋が卸さないだろ? やっぱりどこかで裏切られた過去は拭えないし、元に戻ってくれって請われても、無理なもんは無理さね」
「……一度切れた縁を、修復するなんて到底無理なのはたしかね。せいぜい一からやり直すのが関の山、それでも完全には信用できないし、心の傷をなかったことにするなんて不可能だわ、……少し理解できた気がするけれども、アキはどう?」
こと恋愛に絡めればなるほど理解の一助になろう視点ではあるものの、いまだに理解できずに可愛らしく首をかしげるアキに、ロゼッタは確認をする。
「……申し訳ありません、人間の男女間の機微は、私では理解を超えるものです。可能であれば別の範例を引き合いに、再度ご説明願えれば幸いです」
アキの対面に座るカオリが、誰にともなく念仏を唱える姿を、可能な限り無視し、ロゼッタは頬を引きつらせて姿勢を正す。
「そうね。例えば私達の内の誰かが、カオリを裏切って深く傷つけてしまったとして、その後、その裏切り者が再度カオリとの関係を修復したいと懇願してきたら、アキはその人を許せるかしら? 元のまま、カオリの仲間あるいは臣下として、いままで通りに接することができるかしら?」
「っ、そんなこと、到底許されるわけがございませんっ! 至高なるカオリ様を裏切り、あまつさえその御心に傷を負わせたなどと、万死に値する大罪っ、そのような輩は私の手でもって、死よりも耐えがたき苦痛を与えっ、万の侮蔑でもって死後も呪いたりてっ――」
「た、例えばの話よっ、ごめんなさいっ、アキには想像するのも紛糾ものだったわね。落ち着いてお願いっ」
「あっはっはっは!」
ことカオリにまつわる事柄には過剰な反応を示すアキを理解しつつも、これ以外に的確な表現が思いつかなったロゼッタを、誰も責めることはできなかったであろう。
しばし時間をおき、冷静になったアキを向き合う形でカオリ達は対策を練る。
「結論、斬られた事実を認めつつ、精神の安定を図ったうえで、失われた身体の欠損部位を、一から再構築するように働きかければ、一般的な治療魔法と同等の効果が期待出来る。という認識で間違いございませんか?」
「私もそれでいいと思うわ、カオリはどうかしら?」
「うん、たぶんいけると思う」
「回りくどいさね。具体的にはどうするつもりなのさ?」
アキの小難しい表現を理解しつつも、具体的な手法にこそ興味のあるアイリーンは三人を急かすように質問する。
「既存の解呪魔法と違い、本案件で要求されるのは受容の概念、『許容』あるいは『認容』を促すことが目的となります。まずは欠損部位の状態や痛みを、治療対象に認識させるために、目視や痛覚を通した自覚症状とは別に、損傷を情報として受容させながら、精神の安定作用のある脳内物質の分泌を促し、治癒再生を対象者本人が願うこと、それを聖属性魔法で増幅することで、おそらく解呪と同じ効果が期待できると思われます」
アキの解説にロゼッタも加勢する。
「この時に、同時に治療あるいは再生魔法を施すことで、はじめて魔法が効果を発揮出来るはずよ、ただし、対象者本人が強く治療を願わなければ、治療が失敗してしまう可能性が高いと思われるわ、つまり自覚症状のない状態、例えば意識を失っている場合などは、この方法での治療は不可能といえるわ」
「普通の治療魔法をかけるのとは、そこが決定的に違うんだね」
「カオリの意思によって負わされた損傷は、それを自覚しつつ、克服するより強い意思が必要ってかい? こいつはとんでもない呪いさね」
聞けば聞くほどに恐ろしいカオリの概念攻撃の威力に、一同は改めて戦慄する。
「当然だけれども、一人で解呪魔法と治療魔法を同時に発動することは難しいわ、今の私達では、アキと私が協力して複合魔法として挑む必要がある。ちなみに、治療のポーションで、これと同じ効果を期待することはできないことも予想出来る」
「それはなんで?」
当然の疑問をカオリが発する。
「ポーションによる治療は、原則として対象者の自然治癒力の増強のほか、それによって失われる体力や魔力を、ポーションに含まれる魔素や魔力で補うのが一般的よ、そこには対象者の自覚症状の有無が含まれないわ、つまり今回の場合、自覚症状以上に、損傷の状態を正しく認識し、かつその損傷を正しく治療する意識を強めるという前提ゆえに、どうしても対象者本人の認識と、実際の損傷の状態とに誤差が生まれる。いくらアキの聖属性魔法で認識を増幅させても、主観的認識の範疇を超えることは出来ないわ、つまり外部からの客観的治療行為でなければ、正しく治療または再生させる行為は非常に危険だということよ」
「おおん?」
「ほーん?」
難しい言葉の羅列にカオリとアイリーンが目を回すのも構わず。ロゼッタは結論を述べる。
「つまり、治療のために注ぐ魔力量や、治療状況を逐次観測し続けないと、それこそ手が二本になったり、肉が盛り上がって本来の身体の機能を損ねる危険があるってことよ」
「わーお」
「なるほど、これまで魔法が勝手に治してくれてた損傷を、カオリの概念攻撃の場合は、対象者本人や治療術士が正しく正確に治療しようと心掛けないと、最悪魔法が暴走するかもってことかい、厄介極まりないさねっ!」
カオリがどこまで意識したかは本人のみぞ知るところではあるが、少なくとも、斬った事実をなかったことにするような便利な魔法の存在を、カオリが強く否定したことは想像に難くない。
そこには刀への絶大な信頼や、斬るという行為に、カオリが執念とも表現出来るほどに強い意思を宿していることに他ならない。
斬ったのだから、それをなかったことになど出来るわけがない、誰がなんと言おうとも斬った事実は変わらない。
カオリが自らの剣に乗せた想いが、こうして概念攻撃というスキルとして発現したのだった。
「さてと、シン、いるでしょう?」
「いる」
カオリの呼びかけに即座に応じたのは、漆黒の出で立ちに深紅の瞳が怪しく光る隠密の守護者のシンである。
「おお、いつからそこにいたんだい!」
「相変わらず気配がまったくないわね」
驚くアイリーンとロゼッタだが、アキは険しい表情でシンを睨みつける。
「『いる』じゃありませんっ、貴女はまだカオリ様にそのような言葉遣いをしているのですか! そこはせめて『はい』くらい言えないのですかっ」
「まあまあ」
怒れるアキをなだめるカオリの様子を受け、驚きも忘れて呆気にとられるアイリーンとロゼッタである。
「それで、相手さん達は、どんな様子だった?」
「腕が落とされた姿に驚いて、魔法で治せなくて大騒ぎ、国璽の捺された手紙に大混乱、事実確認と釈明のために王宮に問い合わせて登城したから、引き揚げて来た」
「ほほう、一部始終を偵察して来たのかい、仕事が早いねぇ」
「でしょうね。昨日の今日ですもの、いくら黒金級パーティーでも、混乱して当然よ」
件の【閃光のアストリッド】を追い返した直後に、彼女の後をつけて拠点の場所や、所属パーティーの動向を調べるように指示を出したのは、もちろんカオリである。
「いくら血の気の多い問題児でも、狙い澄ましたみたいに、ササキさんが不在の時に挑んで来たりさ、なんか怪しい感じだったから、あのアストリッドって人の独断とは思えなかったの」
「つまり、その猪女は実は捨て駒で、裏でそいつをけしかけた奴がいるってかい? そいつはまたなんでそんなことをするんだい?」
「さあ?」
アイリーンの疑問に、だがカオリはあっさりと首をかしげる。
「ま、まあ警戒するに越したことはないわ、それは追々調べていけばいいのだから、とにかく今は私とアキの二人で、カオリの斬撃で受けた負傷を、治療する術式の開発に専念するわね。アキ、場所を移しましょう」
「わかりました」
そう言って優先順位の高い新たな解呪と治療魔法の開発のために、集中して作業出来る場所へと揃って移動するロゼッタとアキを見送り、カオリは無言で茶に口をつける。
「それで? 相手さんはまず最初に、どこに接触したの?」
「教会の司祭宛てに手紙を出してた。宛先の人物も特定済み」
簡潔に告げた内容に、カオリは渋い表情で安楽椅子に浅く座り、背もたれに身を預ける。
「お優しいこって、ロゼに気を遣ったね?」
教会という呼称が飛び出したことで、カオリがなぜ先の疑問にとぼけた返答をしたのかを察し、アイリーンは不敵に笑って頬杖をする。
「さっきはたしか、治療魔法を一度は試みたって言ってたね。なのにやっこさんはわざわざ教会に接触をしたのかい、こりゃずいぶんと怪しいさね」
「もしたんに治療が目的なら、手紙で問い合わせるよりも直接アストリッドさんを連れて駆け込めばいいはずです。つまり手紙を出したのは教会に治療をお願いしたいからじゃなくて、なんらかの報告?て線が濃厚ですね。内容は確認した?」
「これ」
カオリの問いに、シンは羊皮紙に書き写した手紙の内容を開示する。
「なになに、『当初の計画は失敗、次案あり、報告を待て』かい……、これだけじゃあ証拠にはならないが、やっこさん達が小賢しいことを計画していたことは確実さね。カオリはどう思うんだい?」
「うーん、流石に情報が少ないですね~」
またも難しい表情を浮かべるカオリに対し、アイリーンは実に楽しそうな表情でカオリを見つめる。
「まあなんとも、あちこちから恨みを買うようになったさね。貴族共の次は教会とは、いい感じに煮詰まってきたね。あたしゃ楽しみで仕方がないよ」
「もぉ~、面倒くさいなぁ!」
ついには手足を投げ出して悪態を吐くカオリだが、アイリーンは笑い声をあげる。
いったいいつになれば、平和な学園生活が送れるのかと、カオリは染み一つない天井を見上げるのだった。