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( 英雄不在 )

 翌朝、ササキは屋敷の一同を前に、朗々と今後の予定を告げる。


「本日より、カオリ君達の要請に応えるため、件のルーフレイン侯爵領に向かう、目的は【北の塔の国】の出現に伴った。魔物被害の解決だ」


 見上げるほどの巨躯に白銀の甲冑を纏い、威風堂々に声を発する姿を、カオリ達は整列して仰ぎ見る。

 貴族社会のならわしに則り、家長の遠征時の礼儀としての見送りだが、これがなかなか様になっている風景である。

 日頃は省略しているのだが、こんな時ぐらいはとやや畏まった様子が、ササキの微笑を誘う。


「私の不在時における代理は、カオリ君とロゼッタ君を同列とし、各裁可を仰ぐようにお願いする。また緊急時には王家にも対応してもらえるように手配もしているので、よくよく相談するようにしてほしい」

「はいっ」

「かしこまりました」


 後見を受ける学生身分であることから、十分な責任能力の懸念へも、王家と云う強力な後ろ盾をもって対処する。

 通常ではありえない待遇であるはずだが、ササキがミカルド王国の高位貴族の領地問題に対応することへ、王家がどれほど恩義に感じ、ササキを頼りにしているのかの証左である。

 広大な領地をもつ高位貴族領が困窮すれば、それだけ王国の税や経済に影響を及ぼすのだから、当然の反応と云えるだろう。


 とくに今回向かうルーフレイン侯爵領は、建国から続く地方民族を取り纏める旗印であるとともに、国境に接する交易路を有する要地でもある。

 南の隣国に位置するオーエン公国は、ブラム系民族が大半の単一民族国家であり、公国と国境を接する侯爵領もまた。同人種が多く住まう地であることから、両者は常に協力関係を維持して来た。

 さらに当国は海運業により非常に栄えており、対帝国戦争における最大義援金出資国でもあるため、王国にとっては非常に重要な同盟国と認識されている。


 その重要な同盟国への外交を一手に担うのが、ルーフレイン侯爵家であり、ブラム系民族の血統を受け継ぐベアトリス達の困窮を、ミカルド王家は予てから懸念していたところへの、ササキの遠征の知らせが届いたのだ。

 ササキ不在時の娘達に降りかかる火の粉の排除に、王家が後ろ盾になるのを躊躇う理由などなく、むしろこの一件で、ササキに恩が売れるのであれば、是が非でもと名乗りを上げたのは必然だった。

 かくして後顧の憂いなく出発したササキを見送り、カオリ達はしばし無言のまま、玄関から続く晩秋の空を見上げた。


「ただ魔物を討伐して帰って来る。だけじゃあ駄目だもんね~、今後の安全が保証されるようにしないとだから、ササキさんでも時間がかかっちゃうかぁ~」


 学園に向かう準備を進めつつ、やや不安を滲ませた声音で、カオリはロゼッタに今回のササキの不在への懸念を示唆する。


「本当はもっと早くに対応出来たところを、私達の後見として、先延ばしにして来られたのだから、ササキ様にある程度認められるようになったのだと、胸を張らないといけないわ」

「それもそうだけどね~、一時的にいないからって、面倒を持ち込まれないか、ちょっと不安……」


 今ならばカオリ達だけでも、相応の悪意には十分に対処が可能ではあるものの、面倒なものは面倒だと素直に零すカオリに、ロゼッタは苦笑する。

 たしかにササキの名前を前面に押し出せば、大概の人物は簡単に引き下がってくれるのだから、その便利さに慣れた今では、突然矢面に立たされることを億劫に感じるのは仕方がないだろうと、ロゼッタも理解を示す。


「カオリ様、お嬢様、馬車の用意が出来ております」


 ステラが出発の知らせを告げ、二人はビアンカの牽く馬車に乗り、学園へ出発した。

 なにごともなく過ぎた午前の講習後、昼食のために席を立ったカオリ達を、クリス男爵令嬢が引き留める。


「少しよろしいですか? カオリ様、ロゼッタ様」

「はい、どうされましたか?」

「クリス様、お話があるなら、昼食をご一緒しませんか?」


 クリスの様子を認め、カオリが昼食に誘えば、クリスは恐縮しつつも、カオリ達の後に続いた。

 いつもの喫茶店個室に入れば、ベアトリスも先に席についていたが、カオリ達は気にせずクリスに席を勧める。

 二人の侯爵令嬢と、カオリに囲まれ、やや気後れしてしまうクリスだが、にこやかに迎えるカオリ達に窘められ、ようやく気持ちを落ち着かせる。


「今朝よりお噂で……、ササキ様がルーフレイン様のご実家の領地の、魔物の被害へ遠征に出られたとお聞きしました。あの、本当なのでしょうか?」

「ああ、もう噂になってるんですね~」


 とくに公表も秘匿もしていないが、噂の広まる速度に驚きつつも、カオリは平然と受け答えをする。

 カオリの反応を受け、クリスは見るからに安堵した様子で息を吐く。


「実は、軍で新しく設立された魔物討伐部隊の実地訓練のために、同地への派遣が決まったらしく、部隊長の父と、入隊志願した兄も向かうことになりました」

「おお、お父様が隊長さんで、お兄さんが隊員ですか、親子揃っての抜擢なんて、期待されてるんですね~」


 カオリ達の提案を元に新設された魔物専門の部隊初の任地が、ササキの向かったルーフレイン侯爵領と同じと云うのは、決して偶然ではないだろうと理解しつつも、カオリはそこにはあえて触れなかった。


「一応設立当初から臨時顧問をされている。黒金級冒険者も同行することになっているそうなのですが、それでも私は不安で……、でも神鋼級冒険者のササキ様が向かわれたのなら、万が一【北の塔の魔王】の配下と遭遇しても安心ですよね」

「……そうですね~、ササキさんならどうにかしちゃうと思いますぅ~」


 クリスの抱く不安が、まったくの杞憂であることを知りながら、しかし真実を口に出来ないことへ若干の罪悪感を抱くカオリは、なんとか笑って誤魔化すしかなかった。


(つまり、ササキさんが某地に向かうことを知った軍が、これ幸いと実績作りで決定を下したってことかな?)


 カオリの予想はロゼッタも同様に感じたのか、やや溜息をついて話す。


「先の騒動で、騎士団も軍も魔物に後れをとったものね。これ以上ササキ様にだけ名声が集まるのをよしとしなかったのでしょう、先んじて手柄を挙げることは出来なくても、せめて共闘して活躍出来れば、少しは信頼を取り戻せるとでも考えたのでしょう、実際ササキ様の近くにあれば、学ぶことも多いでしょうし、ただ傍観するのが悪手なのは間違いないでしょうし」

「我が領地にとっては、どんな思惑であれ、最高位冒険者様と軍が事態にあたってくださるのは、大変助かりますし、これでお父様も肩の荷を降ろせます……。カオリ様、ロゼッタ様、この度はまことに感謝申し上げます」


 座したままでも、深く頭を下げるベアトリスを、カオリもロゼッタも笑顔で受け止める。


「そこは冒険者ですから、当然のことです」


 ササキの強さは未だ未知数なれども、ササキの配下NPC達の強大さは、平均レベルを見れば一目瞭然である。

 自分を含め人類国家にとって、絶対に敵対してはならない軍事格差を知る一人としては、例え敵対しえない相手であっても、下手な接触は極力避けるべきだとカオリは判断していた。

 それでも冒険者稼業を生業としている以上、いつかは話しが来ることを覚悟していたところへ、今回の案件が浮上したのだ。

カオリが即座にササキへ対応を丸投げしたのも致し方なかっただろう。


「それにしても、軍の対応も随分速かったですね~、魔物専門部隊の新設なんて、そう簡単に取り組めるもんなのかな?」


 話題を逸らす意味を込めて、軍の対応の迅速さを指摘するカオリへ、ベアトリスが反応を示す。


「先日、アルフレッド殿下が軍の提案書類を陛下に提出し、ご自身も案に賛成であると熱弁されておりました。人間との戦争ばかりに執着し、国内の魔物問題を冒険者に依存しているのは、国家として憂慮すべき問題であるとのことです」


 開戦論派の旗印であるアルフレッド第一王子、その婚約者独自の情報により、この案件が軍の独断ではなく、王家も認める国政であることが伺え、クリスは驚きを露わにする。


「第一王子殿下からの推奨をいただけるなんて……、大変光栄なことです」

「あら、そう云えば提案書類の草案を纏めたのは、クリス様でしたわね? よく纏められた書類で、軍閥にしては珍しいと、殿下も褒めていらしてよ」


 カオリ達に唆されて、わけも分からず書類の作成に励んだ成果を聞かされ、クリスは顔を赤くして恐縮するばかりである。


「軍部にも兵站部隊とか、事務方の部署があるなら、クリスさんみたいな身内の縁故採用もあるんじゃないですか? 軍人さんって書類仕事苦手そうだし」

「十分にありえますわ、すでに実績を認められたのですから、後は無事に学園を卒業し、軍であれば書類と面接でどうとでもなるのではなくて?」


 カオリとロゼッタが暗に裏口採用を仄めかしてからかうが、クリスは苦笑しつつもはっきりと首を振る。


「いいえ、ちゃんと国務試験に合格し、堂々と正面から挑みます。でないと、借金まで負って私を学園に送り出してくれた家族に、顔向け出来ませんから」


 百年と云う永きに渡る戦争の歴史により、軍のもつ権威は相当に国政へ食い込んでいいるご時世で、安全な事務方に就こうと思えば、通常であれば相当な難門を潜らねば難しいであろう。

 軍に割り当てられる税からの予算、その恩恵を受ける軍閥、さらには軍需産業従事者達からの賄賂も含めれば、たしかに軍に所属することは一種の地位と見られる。

 帝国王国間戦争の事実上停戦により、各国からの義援金停止が叫ばれてはいても、軍の持つ権威そのものが失墜したわけでは未だない現状でさえ、縁故による地位の囲い込みは依然存在する。

 その点、クリスのように身内に軍属がいる場合は、採用にさいして非常に有利なのはいわずもがなであろう、だがクリスは正攻法での挑戦に意欲的な姿勢を見せた。

 権威に傅かず。ただ己の力で国に忠を尽くす姿は、まこと得難き存在なのだろうと、常の自信なさげな態度とは違い、しっかりと意思を宿した瞳で述べるクリスに、カオリ達は微笑ましい気持ちを抱く。


「ただ問題は、軍閥の領主貴族達に、今回の魔物専門部隊設立が、そこまで恩恵とは云えないことでしょうか?」

「どう云うことでしょう?」


 ロゼッタの見解に、疑問を呈するベアトリスを受け、カオリもクリスも同感の眼差しをロゼッタへ送る。


「王国の武家は大まかに三つに大別できます。東方武家、西方武家、そして王都に住まう専業軍人達です。今回の部隊新設の恩恵は主に王都在住の武家が中心に編成されたと聞きます。であれば西方東方含め、地方領主達にとっては自分達が関与出来ない予算編成に、少なからず不満を抱いているものは少なくないはず……」


 未だカオリ達を排除すべきか誘致すべきか、意思統一がなされていない優柔不断な開戦論派だが、その原因たるは活動拠点である所在地の散在がかねてからの起因であることを前提にして、ロゼッタはさらに言及する。


「つまり、各国の義援金からの予算をあてにして恩恵を受けていた貴族の中で、現状一番困窮しているのは、地方で軍拡を進めて来た武家であり、ある意味で独自の権勢を振るえるのも、それら地方武家だと云うことですわ、カオリなら分かるでしょう? あの迷宮騒動で私達を貶めようとしたイェーガー男爵家が、まさにその一角だったのだから」

「あぁ~、そう云えばそうだったね~」


 いつだったかカオリ達を、【ケイブクイーン】の生贄にしようと画策して失敗し、帝国に引き渡された哀れな青年を思い出し、カオリは嘲笑する。


「王国全土の魔物被害への対応が、王家のご慈悲により可決されたとなれば、必然的に部隊編成時には王都在住、つまり王家のお膝元からの採用がもっとも効率的と考えられるわ、領地をもたない名誉男爵であるヴァンガード様を、隊長に任命したのがその証拠です。そのご子息であるクリス様のお兄様が入隊したのも、領地経営と云う後顧の憂いがない人材を求めたためと私は思います。……最悪後継者を亡くされても、新たに貴族を後継に選ぶ必要がないからだと、ごめんさないクリス様、決して御家を軽視しているわけではないのよ」


 ロゼッタの率直な予想が真実であると理解出来るため、クリスは滅相もないと慌ててロゼッタを手で制する。


「てことは今後、魔物専門部隊の有用性や実績が認められて、部隊の拡充が進められても、開戦論派の地方領主貴族には、ほとんど恩恵がなくて、私達の村周辺と隣接する貴族は、変わらずちょっかいをかけて来る可能性があるってことか~」


 自分達との相関性を紐付けて考えれば、ロゼッタの云わんとするところを正しく理解し、カオリはげんなりする。


「他に入隊された方々や、その方達への報酬はどれほどに差があるのでしょう?」


 第一王子妃として内定が決定しているベアトリスも、感心を寄せてクリスに質問をする。


「ええっと……、いずれ平民からなる職業軍人の採用と拡充を視野に、今は指導者の育成が目標と云うことで、主に爵位をもつ武家を中心に採用が進められたらしいです。だからなのか、危険を伴う任務はもちろん、当面は冒険者に指導を仰ぐことへの配慮から、ほぼ倍の給金が約束されたと、父も兄も喜んでおりました」

「それはすごいですね」


 カオリが素直な感想を口にする。親子揃って倍の給金が貰えるならば、クリスの学費を捻出するための借金の返済など、すぐに返し切ることが出来るだろうとの喜びも含まれている。


「それほどの恩恵があれば、恩恵にあずかれない他家にとっては、忸怩たる思いでしょうね……」


 当然任務中に殉職しないことが前提ではあるが、この場ではあえて言及しない。

 ここで生死の綱渡りを憂慮したところで、詮なきことである。まずは素直にクリス達が経済的困窮から脱する見通しがついたことを喜ぶべきであろう。

 しかし自分達とは直接的に関係のない諸問題、とくに火の粉を持ち込む原因たる家々の現状改善に、どうして自分達がここまで頭を悩ませねばならないのかと、カオリは今更になって馬鹿馬鹿しく感じた。

 しばしの沈黙の後、カオリはもはや苦肉の策とばかりに、思ったことを素直に言葉にするのも、無理からぬことだっただろう。


「そんなにこれまでの贅沢を止められないなら、もう素直に領地開拓に真面目に取り組めばいいのにね~。戦争ばっかりに躍起にならないで、今こそ土地を豊かにするいい機会なんだからさ」


 しかしだからこそ、問題の核心に迫る次善策にいきついたのかもしれない、ふと呟いたカオリのそんな言葉に、ロゼッタはベアトリスと顔を見合わせ、目を見開く。


「それよカオリっ!」

「そうですわカオリ様っ」

「へ? なにが?」


 淑女らしからぬカオリの反応だが、二人は気にも留めず身を乗り出した。




 翌日の昼、いつもの喫茶店の個室に、始めての招待客を招き、小さな茶会を開いていた。


「本日はお招きいただき、感謝いたします」


 そういって優雅に淑女の礼をとるアンジェリーナ・インフィールド公爵令嬢に対し、ベアトリスを含むカオリ達も、淑女の礼をとって迎える。


「こちらこそ、起こしいただきまして、まことにありがとうございます」


 侯爵位の上位たる公爵家の令嬢である以上、決して礼を失することがあってはならないと、三人は優雅にしかし真面目に歓待の意を見せるのに、アンジェリーナは訝しげな表情を向ける。

 着席を促すベアトリスの言葉を受け、素直に従うアンジェリーナの前に、クリスが緊張の面持ちで紅茶を配膳するのも気にせず。彼女は表情を戻して質問を向ける。


「しかし驚きましたわ、次期王子妃であらせられるルーフレイン様から、私的な茶会のお誘いがあったのでお受けしましたが、まさかこちらのお二人もいらっしゃるとは思いませんでしたもの」


 現状カオリ達の中で、もっとも地位の高いのが、侯爵令嬢であり、次期第一王子妃のベアトリスであったことが功を奏した。

 通常であれば王国貴族の最高位たる公爵家の令嬢である。余程の理由がなければ簡単に断られても不思議ではない誘いも、こうして思惑通りに誘い出すことが叶った結果に、カオリはまずは第一関門が問題なく進んだと安堵した。

 南方のブラム系民族を取り纏めるルーフレイン侯爵令嬢に、西方のレイド系民族直系のアルトバイエ侯爵令嬢、そして生粋のロランド系民族で中部に広大な領地をもつインフィールド公爵令嬢と云う、そうそうたる面子を前に、しがない名誉男爵の娘でしかないクリスはただただ恐縮している一方で、いつもと変わらぬ飄々とした笑みを浮かべるカオリに、クリスは尊敬の眼差しを向ける。


「恐れながら、本日はどうしてもインフィールド様に、会っていただきたい殿方をお招きしておりまして、こうしてベアトリス様のお手をお借りしました」

「会ってほしい殿方? どういう――」


 カオリへの疑問を言い切る前に、個室の扉が開く。


「やあ遅れてすまないね。兄がなかなか捕まらなくてね」

「失礼する」


 入室した二人に、アンジェリーナは驚愕の表情を向ける。それでも間抜けな表情を晒さない姿に、カオリは彼女が立派な淑女なのだったとやや感心する。


「コルレオーネ第二王子殿下! それにアルフレッド第一王子殿下! どうしてっ」


 コルレオーネの名を先に挙げたのが、恋する乙女の心情からかと邪推しつつ、カオリはこれで状況が整ったと内心でほくそ笑む。


「固いよ固いよ~、幼馴染で今は同じ学生の身分なんだから、ぜひ昔のように名前で呼んでほしいね。駄目かいアンジェ嬢? 兄上もいいだろう?」

「うむ、構わん、しかし学園に来るのも久しぶりだ。様子が変わってなくて何故か安心したぞ」

「えっと……、はい」


 弛緩した様子で鷹揚に席に着く二人に挟まれたことで、真っ赤に頬を染めながら、アンジェリーナは完全に固まってしまう。


「さて、本日はこのような席を設けてくれてありがとうベアトリス嬢、アンジェ嬢も来てくれてありがとう、二人もいつもすまないね。付き合わせてしまって」


 一応と社交辞令を述べながら、カオリのこれまでの王族への接近が、王家が望んだ待遇であると暗に示しつつ、本日の席の主導者が己であると表明するコルレオーネに、みなの視線が集まる。


「実はだね。かねてから王家の懸念である。軍縮と武家の困窮に関して、みんなに忌憚のない意見を仰ぎたいと思ってね。手っ取り早く学生でありながらたしかな見識をもつ君達に集まってもらったんだよ、アンジェ嬢に関しては、少し驚かせることになってすまないが、これでも切実な問題でね。是非話しに加わってもらいたくて、未来の姉上に協力を頼んだんだ」


 そう口上を述べたコルレオーネを一見した後、カオリ達の顔を確かめて、遅ればせながら理解をしたアンジェリーナは、表情を引き締めて姿勢を正した。

 侯爵令嬢でありながら、水運業の監修を務めるなど、経済に造詣が深いベアトリス、先の紛争騒動で西方武家を纏め軍の指揮官を務めた侯爵家の令嬢であり、自身も戦場に立つことを躊躇わないロゼッタ、加えて若くして村の開拓指揮を執る代表者でありながら、凄腕の冒険者として今や注目を集めるカオリ。

 これらの立場ある令嬢を集めるに至った王家の懸念を知り、自分が何故ここに呼ばれたのかを理解したアンジェリーナは、大きく深呼吸をし、紅茶に視線を落とした。


「あら? 貴女はたしか、ヴァンガード男爵のご息女のクリス様では? 貴女も招かれていらしたの?」

「は、はいっ、恐れ多くも先の魔物討伐部隊の新設に伴った。軍内の状況の変化など、殿下のご質問に応えられる人間として、お声掛けいただきました!」


 クリスの返答を受け、自派閥内の下位貴族家の娘であっても、やや状況が異なる貴族家の令嬢であると気付き、これら多様な面子を的確に集めたコルレオーネの慧眼に、尊敬を抱くアンジェリーナだった。


「ことは開戦論派、とくに対帝国に向けた軍拡を代々おこなって来た東方武家の困窮を、抜本的に救済するための、意見を募るのが目的さ、もちろん兄上に関係することだからね。今日ばかりは稽古に逃げるのはなしで頼むよ」

「みなまで言うな、分かっている」

「殿下ったら、いつもそうおっしゃって、会議を逃げ出しておられるのですから、たまには弟君に協力していただかなくては」


 実の弟と婚約者に指摘され、少し憮然となるアルフレッドの様子が可笑しく、カオリはクスクスと笑う。


「やれ予算がどうかや、活躍の場がどうのと、我が派閥の貴族達は文句ばかりで、現状を打開する具体的な提案をなにも打ち出さぬ怠け者ばかり、私もそうだが派閥の長たるインフィールド公爵も早々に匙を投げて自派閥を窘める程度だ。いい加減なにか手を打たねばと思った次第だ」


 そこで弟であるコルレオーネに相談すれば、それぞれ立場の違う高位貴族家の令嬢を招き、私的な意見会を開けばよいとの助言を受けたと云い添え、尊大ながらも期待の眼差しをカオリ達に向ける。

 兄に相談をされ、集めたのが見目麗しき令嬢達であるところが、コルレオーネらしいとアルフレッドは云い添える。


「まず確認したいのですが、インフィールド様から見て、ご実家も含め、東方武家の現状について、お聞きになっていることがあれば、是非お教え願えませんでしょうか?」


 ロゼッタが真面目な表情で進行役を務めるのに、アンジェリーナは少したじろぎながらも、必死に知りえる情報を頭で纏める。


「どこまで申し上げればよいのか躊躇われますが、殿下達の御前にて、嘘偽りのないことを先にお誓いいたします。その上で私が開示出来る情報が決して多くはないことを、ご容赦ください」


 そう前置きしつつ、アンジェリーナは毅然とした態度で語る。


「ご存じのこととは思いますが、我が派閥において、百年に及ぶ対帝国のための各国の義援金および軍費予算のほとんどが、これまで東方武家へと割り当てられて来たことで、我が公爵家も含め、かなりの家が恩恵を受けてまいりました」

「とくにインフィールド公爵家は、軍内部の部隊編成、兵站や武器の新調、兵器開発の予算確保など、軍事予算に関する多くの権限を担って来た関係から、相当な恩恵があったかと思われるが、その点が反って、下からの突き上げを助長しているのではないか?」


 アルフレッドの指摘に、アンジェリーナは緊張した面持ちで相対する。


「ことは百年と云う歴史に埋没したものではありますが、たしかに善きにつけ悪しきにつけ、忖度が存在した事実は認めざるをえません……、我が父も、立場上致し方なく、権限の私的な流用があった可能性も否定出来ません」

「やった証拠も、やってない証拠もなければ、今更罪に問うなんて馬鹿らしいですよ~」


 予算の横領はもとい、新たな部隊や兵器の開発など、金の使い道の誘導出来る立場であったことを素直に認めつつも、実際にそれら悪事に加担した事実はないと主張するアンジェリーナだが、カオリはそれを些末事と一笑に伏す。


「その通りだよ、問題はそんなことじゃないからね。仮に罪があった事実が発覚にしたところで、何世代も前に遡って断罪するなんて不可能だし、無用な混乱を招くだけだ」


 カオリの言に同意するコルレオーネに安堵しつつ、アンジェリーナはならばと続ける。


「これまで潤沢な資金を元手に、領内の事業などで結託していた商会も、今や落ち目と他領に流れる動きがあります。幸い我が領は中部に位置しており、交通の便も整備され、関税だけでも領地運営は十分に可能だと、家のものからは聞かされております。ですが地方の、とくに人の往来のない辺境の貴族から、お金の無心などが多く、私も何度か同派閥家のご子息達から、お願いをされたことがございます」

「公爵はやり手の貴族だともっぱら噂さ、自家は内勤に集中して、あまり私兵の増員や無理な事業開拓はしないらしいね。王都との流通も強化して、豊富な人材の確保にも余念がないから、軍縮の煽りも、それほど影響がないってことかな?」


 経済と外交に力を入れる開明論派らしく、独自の情報網からコルレオーネが私見を述べれば、アンジェリーナは素直に肯定を示す。


「はい、父いわく、『戦争とはいつかは終わらせねばならぬもの、戦争の継続を望むのは真の戦人にあるまじき愚考である』とのことです。帝国王国間戦争もいつかは終結するのだと、それまでに揺るがぬ強い領地にせよと、子供のころより教わりました」

「まっこと正しき教えですわ、公爵閣下は大変な人格者であらせられるのですね」


 ベアトリスが無邪気な笑顔を向けるのに、アンジェリーナは面映ゆいのか頬を染めて目を背ける。


「その通りだ。戦争に勝利するための犠牲はあっても、消耗するだけの戦争などあってはならない、人的物的財産の浪費こそ、戦争の本質に他ならないのだ」


(へ~、開戦論派の旗印だからてっきり戦争推奨する人かと思ってたけど、流石は王族って感じだね~)


 アイリーンのような戦争屋の如く在り様とは違う側面を感じとり、カオリはアルフレッドへの認識を改める。


「しかし肥大した武家の矜持が、これまでの生き方を変えられぬ要因になっていると聞かされております。私自身もやはり、栄えある武家貴族として、国防の要という矜持を捨て切るのは難しく感じておりますもの、親世代の方達が、そう簡単にこれまでのやり方を捨てて、内地領主と同じ振る舞いを身につけるのは、些か酷かと……」


 率直な感想を滑らせるアンジェリーナを、コルレオーネは優しげに見詰める。


「たしかに東方武家は、百年もの永きに渡って、王国を守護して来た実績をもつ栄えある貴族だ。今更贅沢を止め、内地でぬくぬくと守られて来た平和呆けした連中と、同じ生活に甘んじろとは、たとえ王家と云えども頭ごなしには云えないね。君はなにも間違っていないよ」

「殿下……」


 頬を染めてコルレオーネに熱い眼差しを向けるアンジェリーナに、カオリはここまで素直に恋慕の感情を露わに出来ることへの、若干の尊敬を抱く。


「しかしだからこそ、栄光に泥を塗らぬように、東方武家にはしっかりと領地を、ひいては自家の歴史を、後世に繋いで貰わなければならないのさ、君達の献身があったればこそ、王国は平和の中で繁栄を享受出来たのだとね」


 ここからが本題だと仄めかすコルレオーネに、一同は居住まいを正す。


「これは内々に決まっていることなのだけどね。王家は東方武家の領地立て直しに関して、随分と前から様々な試みをしているのは知っているかい? そしてそれら政策を試験的に導入している家こそ、君の実家であるインフィールド公爵領であることを」

「い、いいえ、存じ上げませんでした……、お父様からはなにも伺っておりませんもの」


 カオリ達が懸念する以上に、王家はこれを大きく問題視し、着々と準備を進めていたのだと語るコルレオーネに、アンジェリーナは寝耳に水だと驚く。


「その情報提供者として、かの神鋼級冒険者ササキ卿を陛下は大層重宝しておられる。我々がカオリ嬢達と懇意にしているのも、実のところ陛下のご指示があってのことなのだよ」

「そう、だったのですね。それなのに私は……」


 ここで初めて明言された事実に、アンジェリーナは少し顔を青ざめさせて、カオリに視線を送る。


(そうだったんだ~、へ~)


 しかしとうのカオリは大した感慨もなく、まあそんなことだろうと安直にコルレオーネの言葉を受けとめる。

 最初から無意味に王族が自身等を取り込もうなどと考えられないと云う前提を心得るカオリにとって、王家の内心は今更な事実確認でしかないのだから、当然の反応である。


「【北の塔の魔王】の出現はまったくの想定外ではあったが、戦争を終結させ、内政に着手する千載一遇の機会だと、計画を前倒し出来たのはまさに僥倖だったね。王都における裏社会の一掃もさることながら、ササキ卿が王家に齎した貢献は計り知れない、もちろん先のカオリ嬢達の活躍も、当然王家は無視出来ない恩義を感じている。今後とも是非我が国と懇意にしてもらいたいとも考えている。まあ、無理に繋ぎ止めることが出来ないのも理解しているから、明確な利益の提示と、一定の距離感を保つ必要があるから、当面ササキ卿やカオリ嬢達へ、我々が具体的にどう優遇するかは、時勢を見てから判断せざるをえないだろうがね」


 アンジェリーナに身体を向けつつも、カオリに片目を瞑って見せるコルレオーネに、カオリは苦笑で返答する。

 これでアンジェリーナを筆頭とした。開戦論派の子息令嬢が、カオリに対して無意味な横槍を入れて来ることはないだろうという意味なのだろうが、どうしても軟派なやり方に見えてしまうために、素直に感謝の気持ちを抱けないカオリだった。


「そこでだ。学園に通う子息令嬢にも、意識改革のため、領地経営だけでなく、領地開拓の実地研修や、現行の開拓業に関する。講義を充実させるべきだと、僕達は学園にかけ合いたいと考えているのだよ」

「学園に通う皆様にですか? 実際に後継となる嫡子であればまだしも、次男以下の男子はおろか令嬢にもとは、いささか過度な試みではありませんか?」


 未だ嫡子文化の根強い王国において、次男以下の子息はもちろん、将来は他家に嫁ぐ場合がほとんどの令嬢に対しても、本格的な領地経営や領地開拓を学ばせる家は滅多にない、ごく一般的な感性をもつアンジェリーナにとっては、いささか型破りな試みに映るのも無理はなかった。


「そんなことはないさ、分家を立ちあげるにせよ、嫁ぎ先で夫の補佐をするにせよ、領地を取り仕切る知識は絶対に無駄にならない、各貴族家が一族一丸となって土地を豊かにすることはすなわち、国を富ますことと同義だかね」

「帝国王国間戦争の事実上停戦により、兵役を免れた民の人口は年々増加している。今こそ新たな生産基盤と市場の開拓が望まれる。強き国造りのためにも、まずは内需を強化することこそが、統治者に望まれる義務であろう」


 後継問題や男尊女卑などと、些末なことと断じる二人の王子の弁論に、アンジェリーナはただ呆然と聞き入る。


「近々、こちらのカオリ嬢が開拓指揮を執る村を、我々王家は正式に認知することになったんだ。アンジェ嬢も噂ぐらいは聞いているだろう」


 そういってコルレオーネが指し示す先で、畏まって黙礼するカオリを見るアンジェリーナ。


「国外辺境の村を、王家が、ですか?」


 カオリ達のおかれた状況を端的に表しつつ、その重大さに遅れて気付き、アンジェリーナは目を見張った。


「そうさ、未だ学生の歳でしかない彼女が、独自の資金源を下に着手した。国外に位置するしがない村を、王家が認知するんだ。ここで重要なのは、その価値を示すことが出来るほどに、彼女が村を見事に開拓していると云う事実さ、もちろん現地視察は今後進める必要はあるだろうが、それでもここ近代では始めてに近い快挙だろう」


 民を纏め、開拓業と云う極めて多岐に渡る各種業務の管理を必要とする一大事業を、たかが十五歳の少女が生業としている事実、その功績が、王家が認めるほどの偉業であるという事実だけをとり上げれば、さぞ大層な偉業に映るだろうと、カオリは内心で苦笑する。

 帝国王国間の緩衝地帯であること、ササキと云う個人で兵器に匹敵する武力と云う、国家にとって無視出来ない要素をあえて省いた内容ではあるものの、それ以外でもたしかに評価に値する事実なのだから、ものは言い様である。


「言い方は悪いだろうが、彼女のような一介の冒険者でも成し遂げられるのだ。王国の由緒正しい貴族達が、不可能とは云わせないさ」

「もちろん、国からの補助金など、王家も平等に手を貸す準備はある。なにせ過去の義援金はまだまだ蓄えている上、王家も難民や貧民の救済で、新たな雇用や税の創出が見込めるのだ。決して不可能な予算編成ではない」


 立ちはだかる最大の問題として資金問題にも切り込み、実現不可能ではないのだと強調しつつ、アンジェリーナの心を動かさんと言葉を繰る二人の王子達の声が強まる。


「お話は分かりました。しかし何故このお話を、一令嬢に過ぎない私に、お教えいただけたのでしょうか?」


 目を伏せ、ことの重要性を理解し、しかし理解出来たからこそ腑に落ちない点として、正直な胸の内を明かすアンジェリーナに、次いでカオリが視線を伏せたまま告げる。


「恐れながら、私共は王妃陛下の私的な相談役として、定期的に文のやり取りをしています。内容はもっぱら女性の社会進出に関するもので、陛下は後の世に、より女性が活躍する国を目指しておられます。もしここでアンジェリーナ様が年頃の貴族令嬢方を取り纏め、これまで唾棄されて来た女性達の知識や能力の向上の旗印になられれば、きっと陛下はその行動を大層評価なされることでしょう」


 カオリの言葉にはっとして顔を上げたアンジェリーナへ、一同は優しげに眼差しを向ける。

 アンジェリーナがコルレオーネと云う一国の王子に、恋心を寄せているのは周知の事実である。またそれとは別に、公爵令嬢と云う確かな家格を誇る彼女であれば、当然として王子の婚約者候補筆頭と数えられるのだから、彼女の恋が実る可能性が決して叶わぬ夢ではない事実も認める。

 もしここで、王子の母親たる王妃に、実績と人柄を認められれば、恋の成就の可能性が高まるのは必至、カオリはその可能性を隠すことなく提示してみせたのだ。


 私は貴女の恋を応援しています。そう明言したも同然の言葉に、アンジェリーナは分かりやすく顔を真っ赤に染める。

 コルレオーネもまた。当事者でありながら、自らを餌とするのも厭わずに、令嬢の真心を利用してみせた。

 自らと結ばれたければ、行動で示せと云わんばかりの挑発だ。普通の令嬢であれば心を弄ばれたと憤っても不思議ではないが、アンジェリーナは腐っても王国きっての高位貴族である。

 この程度の駆け引きで感情のままに行動することは愚の骨頂と、どこまでも尊大に振る舞う様子は、まさに国を背負う王族に相応しい振る舞いに見えたことだろう。


「公爵令嬢たるインフィールド様にしか出来ない役目です。我々はただ人類の安寧を、民の安寧を目指す義務を、神々と王家に誓った輩として、その果てなき夢を追うまでのこと、どうぞお力をお貸しいただきたく、お願い申し上げます」


 金策に悩む姿を悟られるのは貴族にとっての恥じである。ゆえに表だって領地開拓に勤しむことをよしとせず。減っていく資産に指を加えて放置しているのが、東方武家の困窮に拍車をかける原因となっている。

 百年もの永きに渡って貫いて来た武家の矜持が、ここへ来て自らの首を絞めているなど、皮肉にもなりはしない現状だ。

 しかし王家が、また派閥の長が、現状を打破しようと本格的に行動に移せば、付き従う下位貴族達も時流に乗ると云う大義名分を得ることになる。

 加えて王立の学園に通う子息令嬢に対し、領地開拓の先進知識を学ぶ機会と、さらには派閥の長の娘が、率先して協力するのであれば、親世代子世代双方から、意識改革を働き掛けることが可能だと示唆したのだ。

 目を伏せたまま、深々と頭を下げるカオリに、アンジェリーナは視線を彷徨わせつつ、諦めたようにぽつりと声を落とす。


「……アンジェリーナと、お呼びください、皆様もお名前で呼び合っておられるのでしょう? 私だけ仲間外れのようで、その、……嫌でございますわ」


 その言葉に、一同は破顔した。




 そのころ、屋敷で通常業務に励むステラは、ササキ不在の執務室に静かに入室し、ざっと部屋全体を見回した。


「失礼します」


 遅ればせながら入室を告げる挨拶をしつつ、歩み寄った執務机の天板を手で触れる。

 ササキの巨体に合わせて設えられた巨大な執務机は、高さがステラの鳩尾よりも高いため、まるで自分が子供になってしまったかのような錯覚を起こす。

 見れば執務椅子も、彼女が座れば床まで足が着かないほどに高いことが分かる。

 それでいて日々清掃を欠かさないこれら家具に、埃の一つも付着していないことを確認するのも、侍女として働き続けて来た彼女の癖である。


「あら?」


 ふと視界に入った一冊の冊子を認め、ステラは遠慮なく手にとって見る。

 以前に秘匿性の高い書類等は、選りわけて厳重に保管することを彼女から提案し、整理が意外にも苦手なササキも、苦心しつつ真面目に取り組んでいるため、机上に乱雑におかれた冊子が、ササキにとってとるに足らないものであると判断したからだ。


「まあ、これは、見合い表? カオリ様を対象にされたものでしょうか?」


 見れば、年頃の男性貴族の姿絵が押され、簡単な紹介文が書かれた見合い表と推察された。

 さらに、男性貴族の家格は決して高くなく、また次男以下と云うものが多く散見されることから、対象がカオリ、つまりは将来有望でありつつも、平民でしかないカオリに釣り合う男性と云うことだ。

 ロゼッタであればそもそも縁談はアルトバイエ侯爵家にいくはずなうえ、相手となればもっぱら侯爵家や伯爵家であろう。


 男尊女卑の根強いミカルド王国貴族であれば、婚姻はすなわち女性側が男性側に嫁ぐのが常である。つまりこの場合、カオリの指揮する村の領有を必ずしも欲しての縁談ではないと思われる。

 しかしながら最近のカオリ達の活躍により、カオリ自身にも価値を見出した貴族が、そのまま縁談の数に反映されているのだと、ステラは大いに納得のいくところであった。

 しかし一度目を通しただけなのか、未だ綺麗に保全されつつも、雑におかれていたことから、ササキが見合い話をまったく歯牙にもかけていない様子が伺えた。


 くすりと小さく笑い、そっと元の位置に冊子を戻しつつも、少し考えて、わざと見える位置に丁寧におき直す。

 その武勇と智謀から、一見して思考の読めないと云うササキの印象だが、カオリやロゼッタに向ける眼差しには、揺るぎない父性が感じられることを、ステラは非常に好ましく感じている。

 ともすればステラを含む屋敷の人間全てに、ササキは最大限の配慮を欠かさない男だった。

 人の上に立つ振る舞いに長けているようでいて、どこか遠慮したような小さな心遣いが、幼少より主に仕えるべく教育を受けたステラには、いささかくすぐったく感じるのだ。


 ステラの本来の主はロゼッタではあるが、王都に活動を移してから早半年ほど、実のところ彼女の一日の仕事の半分は、ササキの身の回りの補佐が主であった。

 なにぶんカオリやロゼッタが、日中ほとんどを学園に身をおいているだから、唯一屋敷に留まるササキが対象になるのは、必然であったのだ。

 また食事の用意をササキが連れて来た料理人のグロラテスが担当するようになって、ステラの仕事は格段に楽になった。それと同時に、持て余した時間を、屋敷の主の補佐に充てるようになったのだから、彼女も大概な仕事中毒と云えるのかもしれない。


「しかし相変わらず。なにもない部屋ですね……」


 執務机を含む一式と、応接用の長机と安楽椅子以外、これと云って目につくもののない部屋で、唯一色があるのは、ステラが生けた一輪の花だけだ。

 あまりに殺風景なこの部屋に、一日詰めるササキへ、少しでも慰めになればと気を利かせたものだが、ササキがどう思っているのかを聞く機会は少ない、ただ一言、「ありがとう」とだけお礼を述べる以外で、ステラは十分でもあったのだが。

 しかしながら、まるで生活を感じさせない内装は、実のところ執務室以外でも同様であることをステラは知っている。


 ササキの寝室も、備え付けの便所や簡易の流し台など、普通に生活を送っていれば多少は汚れるであろう全ての箇所で、使用された形跡がまったくないのだった。

 これでも長い侍女歴を誇るステラである。綺麗に保全された常態と、そもそも使用されずに放置されたものの区別はつくのだ。 

 つまりササキは、それら人間がごく自然に利用するであろう設備を、ともすれば人間としての自然の営みを、まったく過ごしていないことになるのだ。

 便器は常に乾燥して水で流した形跡はなく、同様に流し台には汚れ一つも見受けられない、極めつけに寝具に至っては、腰かけた形跡すら感じられないなのだ。

 排泄も、食事も、睡眠も、人の目につく場所ではしているのに、逆に人の目につかない場所では、一切必要としていないのだ。


 病や怪我で、それらを自室でのみおこなう人間はいるだろうが、その逆など聞いたこともないステラは、いよいよササキが、本当に人間なのかすら疑うようになっていたのだ。

 しかし侍女として仕事をしていれば当然気付かれるそれらも、とくに隠している様子のない姿から、ステラは自分がササキから信頼されているのだろうとも感じる。

 たしかに仕えるべき主の情報を、みだりに口外しないのは、侍女として当然の教養ではあるが、一見すれば無防備なその姿勢に、ステラはまた小さく笑う。


「不思議な方ですね」


 遥か玉座に頂く王の風格を見せることもあれば、書類の整理が苦手で、娘の縁談を内々に隠す親馬鹿のように押し黙るさまなど、超然的でありながら人間的な性格を感じとり、ステラはどう言葉で言い表せればよいのか苦慮した。

 ササキが不在とは云え、こうして毎日部屋の保全のため、とくに時間を決めずに定期的に部屋を見回っているステラにとって、こうも仕事の必要性を感じない部屋では、どうしても余計なことを考えてしまうと、頭を振って思考を追いやる。


「失礼いたしました」


 来た時同様、ササキの執務室を静かに退室し、ステラは厨房に向かう、昼も過ぎてそろそろ洗濯物も乾いたころかと考えつつ、時間的にはビアンカが市場へ買い出しに向かったリヴァを連れて帰って来ることかと思えば、ちょうど玄関から馬車の停車する音が聞こえる。

 屋敷の玄関前の停留広場で停まりつつも、正面からは入らず裏口に回る様子を受け、ステラも勝手口に回る。


「おかえりなさいませ、リヴァさん、ビアンカ様もいつも御苦労様です」

「はい、ただいま戻りました」


 二人で声を揃えて礼をするビアンカとリヴァを、ステラはにこやかに迎える。


「今日は少し速かったようですが、市場への買い出しも慣れましたか?」

「はいっ、最初はあれこれと目移りしたり、どれがよいか迷いましたが、近頃は最初ほどの緊張もありません」


 端的に調子を聞いたステラへ、リヴァは快活に返事をする。

 ステラと同質のお仕着せに袖を通すリヴァも、今では随分と垢抜けた様子であるとステラは評価した。

 言葉は悪くなってしまうが、やはり事実として、国外の辺境の村娘でしかなかった彼女の当初の姿は、満足に湯浴みも出来ずに汚れ、日焼けからどうしても都会に似つかわしくない容貌であった。

 しかし数カ月間この屋敷に住み、食事と衛生環境が劇的に改善されたことに加え、ステラ直伝の美容管理から、今ではどこへ出しても恥ずかしくない侍女へと変貌を遂げていたのだ。

 彼女達の本来の役割を思えば、実のところ料理人見習いとしての仕事にのみ集中すべきなのだろうが、そこはステラの強い要望に加え、グロラテスの寛容から、淑女教育にも力を注いだ結果と云える。

 グロラテスいわく、雅な食事は、雅な感性の影響を受けるのだと云われれば、なるほどその通りであると、ステラも理解出来る弁であった。


「グロラテス様も、私どもに熱心に料理をご教授くださって、昨日などは前菜の盛り付けなど、下拵え以外にも作業を任せてくださいまして、とてもよくしていただいております」

「それは凄いですね。普通料理人見習いなど、数年も修行を積まねば、主家ご家族に直接出す食事には手を出させないと聞きます。飲み込みが速いと評価されたのでしょうね」

「そんな、そこまででは……」


 ステラの惜しみない称賛に、謙遜して否定しつつも、事実として彼女の盛り付けた食事が、カオリ達の口に運ばれたことを、素直に喜ぶ様子を、ステラは微笑ましく思った。

 ササキもカオリも、貴族らしい印象を感じさせない振る舞いではあるが、世間一般から見れば十分に上位者に位置付けられる立場を得ている人間である。

 平民の、しかも国を持たない辺境の民でしかなかったリヴァとフォル姉妹から見れば、雲の上の存在にも等しいのだ。

 村の開拓時は、同じ仲間、あるいは恩人として身近に感じたカオリ達だが、こうして立派な貴族屋敷に住み、それぞれ務めに励む様子を見れば、いやがおうにも立場の違いを感じざるをえないのだ。

 彼女達姉妹も決して無礼な人種ではなかったが、ここへ来てより一層、立場の違いを意識した礼儀作法は元より、奉仕の精神を身につけつつあるのだと、ステラは自身の教育が身を結んでいる実感を得る。


(カオリ様は必ず大成されるお方です。その仲間として信頼を寄せられるロゼッタお嬢様も、いつかカオリ様と共に偉業を成し遂げられるでしょう、その時、私やアキ様だけでなく、村の関係者一同が、カオリ様達を指導者として仰ぎ見る未来が来るでしょう、今からカオリ様達に仕えることを常態とする体制を築くことは、必ず必要なことです)


 人に仕える一族の娘として、仕えるべき主君を頂くことの幸福を、人を従えることの意味を、それぞれに伝え導くこと、双方の橋渡しこそ、自身が求められる役割であると心得る。

 ササキは、だからこそ、ステラを信頼してくれているのだと、彼女は感じた。

 本来であればまったくの赤の他人、まったくの無関係な人間でしかないはずの自分を重宝する理由が、他に思い付かなかった。

 大陸最強と名高い孤高の戦士、神鋼級冒険者と云う名声を得、一国の王家から絶大な信頼を寄せられる人格者。


 しかし身近に接していて察することが出来る。得体の知れない正体の秘密、人間ですらないかもしれないと云う未知の存在こそが、ステラの中で、ササキを途方もない存在にまで昇華している。

 そんな人物がことさら目をかける存在こそが、カオリと云う異邦の少女なのだ。

 同郷のよしみとは云うが、どう見ても人間の少女にしか見えないカオリと、ササキとが同等の存在だとはどうしても思えなかった。よもやカオリまでもが、姿を偽っているとまでは考えづらいとし、しかしながらと思考を深める。


(だとすれば、そんな途轍もない人物が望む未来に、欠かせない存在と共に在ることで、私がどのような役割を求められるのか)


 付き従うことが当然であると云う前提をおき、その上で自分に求められる役割がなんであるかを模索する作業は、従者足らんと生きて来た彼女の口元に、小さな笑みの形を作る。


「なんにせよ、これからどこまでゆくのか、楽しみですね」

「? はい、きっともっとお役に立てるようになってみせます!」


 なにも知らないまま、素直に意気込みを語るリヴァに、ステラは屈託ない笑顔を向ける。


「その意気です。リヴァ様であれば、きっとご自分のお力で、幸せをお掴みになられるでしょう、主共々そのお手伝いをさせていただきます」


 オンドールに続き、また一人、真実に近付く人間が、密かに決意を新たにした。


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