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( 水門解放 )

 村の北方に掘削された手掘りの水路の先に設けられた水門は、石工集団のエレオノーラ達と、彼女達の指導を受けた村民達の手によって、総石造りで建造されている。

 当然途中の水路も側面と底部は石材で覆われ、水と土砂が混ざらないように配慮されている。

 村内に水を引き込むこの一大事業は、村を大きく発展させる最初の一手であろう。


 朝の水汲み作業が短縮されれば、それだけ他の作業に従事することが可能な上に、水を必要とする各種業種、例えば調理や洗濯、鍛冶や染色など、村を豊かにする多くの仕事をより発展させることになる。

 さらには水洗式の衛生施設である風呂や便所など、不衛生な環境による疾病の発症を抑え、村の労働力の低下を限りなく少なく出来るはずだ。


 また将来的には田畑へも水路を張り巡らせれば、豊富な水を必要とする作物の栽培にも着手出来る他、水撒き作業そのものを大幅に軽減出来ることは、農業に従事する農民を大いに喜ばせる試みだ。

 天然の傾斜をもつ村の地理を見て、カオリが初期から水路の敷設を計画していたのは、必然であったことだろう。


 ただし、極めて原始的な構造をとるこの水路には、当然多岐に渡る問題点を孕んでいる。

 まず始めに懸念されるのが、汚染された水による源流の水質汚染、それにより引き起こされる川下に位置する都市部への公害だ。

 現状もっとも上流に位置する村によって、主流が汚染されれば、当然下流の町村では病の蔓延、作物への汚染が懸念される。

 そうなればそれら町村を有する領主貴族は、元凶となる村の存在を決して許しはしないだろう、最悪は武力介入によって村を破壊することも厭わないとなれば、絶対に無視出来ない要素である。

 もう一つに、雨季や嵐による川の氾濫で、村に深刻な冠水が引き起こされること、つまり災害である。


 常であれば同位の水位を保つ清流ではあるが、当然雨季などの時期には連日の雨と、それによる増水が予想される。

 一度に流れる水が増せば、水路の許容量を超えた水が流れ込み、村が冠水するような事態となれば、田畑はおろか住居への影響も無視出来なくなる。

 また上水と下水の境が崩壊し、汚水が溢れることで、重大な病が蔓延する危険性すらもあるのだから、ただ溝を掘って水路を作ればいいなどと、単純に考えることは出来ないだろう。

 これら懸念を払拭するために設けられたのが、水門であり、村の最下流に設けられた浄水施設なのだ。


 頑丈な水門、綿密に張り巡らせた上水路と下水路、十分に設計された浄水機構、これら三つの要素を満たすことで初めて、人類は自由かつ安全に、水資源の恩恵を享受出来るのだ。

 その出発点たる水門の堂々たる佇まいを眺め、カオリは感嘆の溜息を吐く。


「思った以上に規模が大きくなりましたね~」


 大きさもさることながら、石組の厚みや構造そのものも複雑に設計されたそれを見たカオリであったが、口から零れ出た感想は実に朴訥なものであった。


「増水時のことを考えれば、どうしても何重にも安全策を講じなければならんのでね。私も従士時代に何度も水害に悩まされた手前、手を抜けなったのだよ」


 昔を懐かしむ様子で語るオンドールの横顔に、カオリは尊敬の眼差しを向ける。

 長さ十メートルに及ぶ護岸に加え、注水口付近は十分な厚みと丁寧な混擬土で目地詰めをおこない、水の浸食により崩壊する可能性を限りなく排している。

 注水口の手前には格子状に組まれた木組みの柵が設けられ、流木で入口が塞がることを防止する他、水棲の魔物が入り込まないようにする働きが期待されている。


 水門扉も現在は木製の分厚い板で作られているが、将来的には鉄製に変えることも考えている。

 この水門はただ水を遮断するだけでなく、増水時でも流水を調整出来るよう、高さを段階的に分けた数枚の板で構成され、どれも太い縄で上下に昇降出来るように設計されている。

 土台となる石組みは石工であるエレオノーラが、門の開閉機構は大工のクラウディアが担当し、二人の職人による合作であった。

 決して安くはない彼女達職人集団の雇用ではあったが、こうして成果物を目の当たりにすれば、もはや感謝の念しかカオリは感じなかった。


「試験稼働はすんでいるって、報告書では確認していますけど、本格稼働をまっているのはなんでですか?」


 ここまで完成しているのにも関わらず、オンドールは未だに稼働を見送りにしているのを、カオリは疑問に思って質問すれば、オンドールは苦笑してカオリに顔を向ける。


「それはそうだ。盟主の許可もなく、勝手に稼働などさせないだろう……、カオリ君は自分をなんだと思っているのかね?」

「……なるほど、すいません」


 オンドールが当然とばかりに諭せば、カオリは申し訳なさそうに頭を下げる。


「まあ王都で色々と忙しかったのだから、いちいちカオリ君が許可を出すのも、失念する気持ちは理解出来る。だがいい機会だ、村人全員に声をかけて、経過観察も兼ねて開門式でもするかね? 各要所に一人づつ配置して、水路に不備がないか見張りながら、みなで完成を祝おうではないか」


 その提案にカオリは破顔する。

 とくに祝祭など設けていない村では、なにかにつけて宴会などを催してはいるようだが、やはり大義名分のない宴席を、開拓従事者は遠慮する傾向があると、ちらりと耳にしたことがある。今回のような分かりやすい名分を利用しない手はないと、オンドールはカオリに気を利かせたのだ。


「そうですね。今から森林伐採組にも声をかけて、夕方に開門式をしましょうか、夜にはみんなで宴会をしましょう」

「いいねぇ~、ならあたしは早速森の連中に、声をかけにいくさね」


 これまで黙って二人のやりとりを聞いていたアイリーンが、宴会と聞いて喜び勇む様子を、カオリとオンドールは微笑ましげに眺める。

 結論を云うと、水門および水路の稼働にはまったく問題がなく、また浄水機構も十分に機能していることが証明された。

 なぜなら宴会後に消費した調理油や吐瀉物の洗浄、さらには排泄物の浄水も、翌日の水質調査で安全が証明されたからだ。

 結果的に宴会と云ういわば特需によって生じた汚水問題の全てを、文字通り綺麗に片付けることに成功したのは、思わぬ副産物と云えるだろう。


 もしかすれば最初から、これもオンドールの計画の内だったのかもしれない、とカオリは思った。

「都市にも劣らない水道設備に、正直驚きを隠せないわ、報告書で数字しか見ていなったけど、みなが努力した結果をこの目で見ることが出来たのは僥倖よ、呼んでくれてありがとうカオリ」


 翌日の朝になり、自宅として使っている家屋からカオリ達の家に顔を出したロゼッタが、朝の挨拶と共にそう礼を述べる。

 集合住宅の完成以降、二番目となる事業の完了をみなで祝いたいと、ロゼッタとササキを招いた宴会であったが、彼女を仲間外れにせずにすんだことに、カオリは改めて安堵を抱く。

 カオリは元来、祝い事に対する執着が薄い性格だった。自分の誕生日すらも前日まで忘れてしまうほどなのだから、よっぽどであると理解してもらえるだろう。

 もちろん家族仲は極めて良好であり、ともすれば両親も兄も、カオリに関する行事は欠かさず祝ってくれていた。

 にも関わらずカオリ自身は、何故か特別な日と云うものを、ことさら大事に考えられなかったのだった。


 結論を述べる。

 どうやらカオリは、ある種いき過ぎた教育、とくに兄からの雑学や哲学を素直に受け取る内に、いつしか日常の積み重ねや努力、そして変わらぬ日常の尊さを学ぶと同時に、期待や望みが叶えられなかった場合に、傷つかないための自己防衛をも身につけてしまったのだった。

 つまり、自分にとっての大切なものが、相手にとっても大切であるとは限らないと云う現実、そして裏切られたと思い込んでしまう愚かさの露呈を未然に防ぐため、最初から、なにごとにも期待を寄せない、過度な望みを抱かない、と云う選択に至ったのだ。


 結果、良くも悪くもカオリは、ついつい祝い事を失念してしまう性格になってしまった。

 人間としては強くもあり、また弱さの証明ともとれる厄介な性格、で片付けられる程度の個性かもしれないが、社会人としてはいささか問題のある点であろう。

 とくにこの世界では様式美や儀礼を重んじる。未だ未発達な文明の世界である。

 貴族は各種時節での祝祭や冠婚葬祭を社交行事として重んじ、平民でもなにかにつけて祝い事を大事にする。


 カオリ達の村に関して云えば、とくに娯楽の少ない辺境の田舎である。

 開拓事業と云う大変な労働に疲れた心身を労うための大義名分は、開拓団の代表であり、村の盟主たるカオリにとっては無視出来ない案件である。

 自分だけのことならば別段気にもしないカオリでも、自分の意思に付き合ってくれている村の関係者達を労う、あるいは労う気持ちがあることを伝える努力は必要だと考えた。

 だがそれでも、ふと日常の延長のまま過ごしてしまいそうになった時に、ササキやオンドールと云った大人達が、優しく提案してくれるのだ。

 カオリはこれを非常に有難く感じている。


 自分は今も昔も、大人達に守られ、仲間達に支えられて生きているのだと、改めて自覚出来る瞬間であった。

 あくまでも自分の意思で始めた村の開拓事業、だがその達成には周囲の協力なくしては乗り越えられない障害や問題が多くあるはずだ。

 しかし幸いなことにカオリは心強い仲間と、頼りになる大人達が協力してくれている。

 これで失敗など決して許されない、破滅など断じて受け入れられない、悲劇など絶対にあってはならないのだ。


 しかしよもや自分の無頓着が、信用を損ねるような事態を招く可能性までは、そこまで憂慮していなかった事実にある時気付き、カオリは考えを改めたのだ。

 自分にとって大切なものを、相手が共有してくれない可能性があるのと同時に、相手にとって大切なものを、知らず知らずに蔑にしてしまっている可能性があると、心底実感したからだ。

 切っ掛けは多くあったが、決定打となったのは、数日前のカオリの自傷行為を目の当たりにした。ロゼッタの涙だ。

 立場が違えば気持ちも違い、視点が変われば想いも変わるものだと云う事実を、カオリは強く、強く意識するように心掛けた。




 そんなことを考えていたからだろうか、休みが開けて学園に登園した朝、唐突にカオリを詰問して来たとある人物の主張を、カオリは務めて冷静に受け止めることが出来たのだった。


「聞いておりますの貴女!」

「ああはい、お久しぶりです?」


 以前にも相対したとある貴族令嬢ではあるが、なにせ名乗りもせずに言いたいことだけを言って去っていった人物である以上、初対面として接するべきところだが、如何せん印象に残り過ぎる人物であったがために、カオリは仕方なく曖昧な返事になってしまった。


「貴女、以前たしかに、殿下から距離をおくとおっしゃったにも関わらず。未だ殿下と交流をもつだけに留まらず。あまつさえご兄弟であらせられる第一王子殿下と第三王子殿下とも接触なさったそうじゃありませんかっ、淑女に相応しくない破廉恥なおこないですわよっ!」

「おっしゃる通りかもしれません」


 捲し立てる件の令嬢、名をたしかアンジェリーナ・インフィールドで、家格は公爵家であったはずだとカオリは思い出す。

 ミカルド王国の興りから、王家に仕えた由緒ある一族であり、代々武門の家柄からか、やや短気な性格であると云う話を、ロゼッタから聞かされたことがある。

 ロゼッタのアルトバイエ侯爵家や、ベアトリスのルーフレイン侯爵家のような、異民族地方の纏め役のような位置付けとは違い、生粋のロランド系高位貴族家のインフィールド公爵家は、国政に深く関わる重鎮中の重鎮であろう。

 とくに武門を預かる当家は開戦論派の筆頭でもあると、ロゼッタが調べた情報でカオリも確認している。

 なにかとカオリを煩わせる開戦論派の筆頭貴族のご令嬢となれば、カオリもそろそろ無視出来ないかもしれないと気持ちを引き締める。


「しかしながらご存じの通り、私はあくまで冒険者として、王家の要請にお応えする関係上、はからずも交流をもった次第でございますので、決して二心あっての行動ではないと釈明いたします」

「言い訳は聞きたくありませんわ、事実として貴女はご自身でおっしゃった言葉を反故にして、恐れ多くも殿下方に卑しくも近付いたのだわ、これがどれほど身の程知らずなおこないか、反省し改めては如何かしら?」


 アンジェリーナの威勢を後押しするように、後ろに控える取り巻きの令嬢も、カオリを強く見詰める。


(ああもう……、これなにを言っても認めないパターンのやつじゃん、めんどくさいな~)


 彼女の聞く耳をもたない態度を前に、カオリは心の底からうんざりする。


「そうですね。では貴女様の口から、王家に直接進言してはいただけませんか? まだ名乗り合ってもおりませんので、ご家名は存じませんが、王家を気にかけられるのですから高位のお家柄と予想して、陛下に拝謁出来る機会もおありなのでは?」


 率直に、文句は自分で言えと伝えれば、アンジェリーナは分かりやすく顔を怒りで紅潮させた。


「何故私がそのような些事で、王家を煩わせねばならぬのですかっ、貴女が王家の要請を突っぱねればすむ話しでしょうっ」


 言っていることが無茶苦茶な自覚があるのか疑わしい主張に、カオリもいい加減苛立ちが募る。

 たしかにカオリ本人も王家の、ともすれば国家の関わる問題に、首を突っ込むこと自体を避けたいと考えていた。

 しかしここのところはリジェネレータの使役した魔物の脅威や、村のさらなる開拓に必須な新たな移民の誘致など、無視出来ない諸案件の解決に、どうしても王家と関わらざるをえない状況が続いたのだ。

 むしろ王家と直接交渉が出来る立場を得たことで、王国貴族とは距離をおける今の状況は、及第点とも云えるだろう。

 これがどこかの貴族家を介した関係であったならば、面倒なしがらみに囚われていた可能性もあったはずだ。

 ただしそもそも全てを無視したのならば、王家とも一切の交流もなかったとは、いまさらな話しである。

 少なくともササキの後見を受けている以上、多少は協力、あるいは親を立てる意味での融通は利かせるべきだろうと云うのが、先の諸案件を受け入れたカオリの、素直な心情である。


「お話になりませんね~、これでは話が進みませんが、公爵家のご威光で、どうにか出来ませんかでしょうか?」

「……どう云う意味かしら?」


 話しの流れを切り捨てるように、カオリはぞんざいな口調で一見意味の分からない質問を投げかける。

 それに対してアンジェリーナは当然のように困惑する。


「未知の召喚獣を使役する暗殺者の出現が、そもそもの発端ですよね? だから現状大陸最強と名高い冒険者ササキを、王家は身辺警護に求めました。私達はそのついでにお呼ばれしたに過ぎません――」


 カオリは腰に佩いた刀の柄を指で調子よく叩きながら、現状の説明を続ける。


「私はご覧の通りの異邦人の異民族、さらには本来の所在は帝国王国間の緩衝地帯、云わば異国民です。元よりミカルド王国に馴染むつもりも、骨を埋めるつもりも一切ございません、当然この国の男性と結婚、それどころかこの大陸の民族と子を成すつもりもありません、この学園に通うのも見聞を広めるための留学ですので、来年には卒業となります」

「……」


 カオリの淡々とした息も切らせぬ説明に、アンジェリーナは戸惑いからか無言で聞き入る。


「つまり、放っておいても私はじきにこの国を出ることになります。まあ冒険者として、仕事上出入りすることはあるでしょうが、基本的には王都に近付くこともないでしょう……、いったいなにがご不満なのでしょうか?」

「えっと……」


 自分はミカルド王国内での地位確立はおろか、貴族社会の相関関係にすら関与するつもりがないとはっきり主張したカオリに、アンジェリーナはついに困惑の表情を浮かべる。


「貴族の地位がほしくないと云うの?」

「いりませんね~、分不相応です」

「豊かな暮らしや、特権も望まない?」

「豊さの定義が知りたいですね~、魔物を狩って野営するのも、仲間と一緒なら楽しいですよ?」

「……す、素敵な殿方と、幸せな、夫婦生活を……」

「素敵だと思いますよ~、と云うか随分と夢見がちなことをおっしゃいますね。実は結構乙女思考なんですか?」


 いくつかの質問に対して、カオリが余りにもあっけらかんと否定したことへ、アンジェリーナはついには困った様子で肩を落とした。


「私はただ、貴女が殿下に近付く悪い虫の類だと思って……、平民の分際で分不相応にも、高貴な身分に擦り寄る悪女だと……」


 ここまででようやく自分の早とちりだと云う事実に気付かされたアンジェリーナは、尻すぼみに言葉を漏らす。


「ち、近頃、騎士の方々と、必要以上に懇意にされているとのお噂もありますわっ、いくらミヤモト様が冒険者だと云え、男女がそう易々と関係をもたれるなど、はしたないと思いませんのっ」

「そうですっ、武家のご子息方の中に、ミヤモト様を過剰にお褒めになられる男性もおりますのよ、いったいどうやって取り入ったのか、その手管をお教え願いたいですわっ」


 アンジェリーナが劣勢と見て、なんとかカオリの粗を突こうと試みる取り巻きの令嬢に対しても、カオリは冷静に反論を述べる。


「騎士様方と懇意に? まあたしかに、作戦遂行にあたって、共に轡を並べた方々もいらっしゃいますから、よくしていただいた方もいらっしゃいますね。戦場ではなにが起きるか分かりませんし、多少の信頼構築のために、愛想の一つくらいは常識だと考えていますけど、でも流石は王国騎士ですよね。今まで女所帯の私共に、無体を働こうとされた方はおりません、みな様大変な紳士でいらっしゃると感心しております」


 極めて冷静に正論を述べつつ、これまでに特別な関係をもった男性騎士などいないと強調する弁を受け、取り巻きの令嬢二人は即座に追及の言葉が思い付かなかった。


「それはそうでしょう、カオリや私達は、未知なる魔物の脅威から、王家をお守りすると云う大命を預かった冒険者なのですから、それに手を出したなどとなれば、王家への翻意に他なりません、騎士として絶対にあってはならない行為ですわ」


 そこへロゼッタが登場し、カオリを援護するように筋の通った補足を加えれば、カオリ達と騎士団が、如何に健全な関係を構築しているかが明白となる。


「アルトバイエ様……」


 カオリを迎えに来たであろうロゼッタの登場に、アンジェリーナ達はややたじろいで身を固くする。


「カオリを褒めてくれたご子息方は、きっと親やご兄弟から、カオリの獅子奮迅の活躍をお聞きになったのでしょう、大人の頭を一飲みするような異形の魔物を、一刀の下に屠る華麗な剣捌きは、見慣れた私でも見蕩れるほどの絶技よ」

「褒めすぎだってば~ロゼ」


 すまし顔で本音を口にするロゼッタに対し、カオリは分かりやすく顔を赤くする。


「ま、魔物を……」

「一刀の下に……」


 それまで忘れていた事実たる、カオリが類稀な剣士であること、また騎士団ですらが命の危険を伴う魔物を討伐しうる。カオリの異常な強さを想像し、三人は急に身を震わせた。


「わ、私だって武門の娘、剣には多少の覚えがありますわっ、けれどだからこそっ、女性の身で騎士を上回る腕があるなど、にわかに信じられません、あ、貴女の武勇など、きっと誇張されたものに違いありませんわ!」


 ここへ来て根拠のない憶測で、カオリを非難するアンジェリーナではあるが、もはや当初の目的から逸脱した話しではないかと、カオリは可笑しさから首をすくめる。


「そうですね~、流石に騎士団長とか歴戦の百人長様とか、強い人はいっぱいいらっしゃいますのに、どうして私達だけがそこまで持て囃されるのか皆目見当もつきません」


 だがこれこそが、カオリが先の紛争に介入せざるをえなくなった原因の一つであると、自身につけられた評判に疑問を呈する。

 ササキと云う、大陸最強と名高い戦力、そして国政を司る高位貴族をも唸らせる教養や智謀を、王家は国内に留めようと躍起になっている。

 その足がかりとして、目下ササキの後見を受けるカオリを引き込もうと画策しているなど、知ったことではないカオリは、本当は疑問どころか不満を抱いてすらあった。

 その王家の事情に便乗したのがコルレオーネ第二王子であり、その状況を利用せよと関与を仄めかされたのが、それぞれの王子達なのだ。


 カオリが王国に留まらざるをえなくなれば、必然的にササキも活動拠点を王国におくことになるだろうと考えられる。

 誰しも生活を脅かされれば、その原因に対処するだろうことを前提にするならば、王国の治世が危機に瀕した場合、ササキが解決に手を貸してくれるはずだと、王家は期待しているのだ。

 今更な話しではあるが、ササキは如何なる貴族家からも支援を受けずに、独自の人脈と財力でもって、王家と懇意となる今の立場を確立した。

 それと同時にカオリ自身も、帝国王国間の緩衝地帯と云う、絶妙な政治軍事均衡の地に、繁栄を齎そうと活動しているのだ。

 二人の個人の武勇もさることながら、国際情勢に一石を投じ得る活動を、王家は無視出来るわけがなかったのだ。

 そんな極めて政治的な事情までは知りえない、ただのお嬢様のアンジェリーナ達では、どうあがいてもカオリを取り巻く状況を変えるなど不可能なのだ。


「不敬を承知で申し上げますが、皆様方のご不満は、現状私共では解消のしようもございません、どうしても看過出来ないとおっしゃられるのであれば、お家の力を利用し、存分に王家へ直談判なさってください、私共は冒険者です。魔物の脅威あるところには即座に駆け付けるのが責務と心得ております。助けを請うのが王家であれ、平民であれ、異教徒であれ、異種族であれ、悲しむものあれば、そこに貴賎はございませんので」


 そこまで言い切り目を伏せるカオリに、アンジェリーナ達は二の句を告げることが出来なくなった。




 この一件によって、長らく放置していたカオリへの無意味な誹謗中傷の類が、すっかり鳴り止んだことを、カオリは後から聞かされることになる。

 そもそも自分に向けられた悪意でも、直接的な害意や殺意でない限りは、意識すらしないカオリにとって、噂が広まっている事実事態が初耳である。

 日中は真面目に講義に挑み、休息時間はロゼッタとほとんどの時間を過ごし、退園時刻になればさっさと帰宅してしまうカオリである。

 学園内での情報の多くは、ベアトリスから齎されるものが大半でありながら、彼女自身も、アルフレッド第一王子の婚約者として、王妃教育や公務補佐に忙しく、ここのところは学園に通う余裕もなくなっていた。


 結果としてカオリは、学園と云う小さな社交界からやや切り離された環境にあり、子供同士の噂話と云う毒にも薬にもならない粗末事に、注意を向けてすらいなかったのである。

 通常の貴族家であれば、例え子供のすることとは云え、将来に影響を及ぼすであろう学園での立場、または子供を通じて交わされる各貴族家の情報収集に、強い関心を抱くのであろうが。

 最悪は、王国から出てしまえば、あるいは敵対者を武力で黙らせさえすれば、如何様にも状況を打開出来る立場と、十分な力を有しているカオリ達である。

 国家を相手取っても圧倒出来る武力を有し、かつ独自の財源をもつササキ、その後見を受ける。これまた独自の力と立場を有するカオリ達である。


 いったいどこの誰が、竜の尾を自ら進んで踏みにいこうなどと考えるのだろうか。

 ましてやササキの先の活躍、そして後のカオリ達の奮闘によって、今や王家を脅かす脅威はほぼ消滅したと云っても過言ではない状況だ。

 直接命を狙う不届き者はササキの手によって組織ごと壊滅し、残った勢力も先の一斉摘発にてそのほとんどが王都から追放された。

 不正に手を染めていた貴族や商会も、王都と云う最大拠点を失ったことで、密輸や人身売買と云った資金源を失い、今後影響力を大きく失することになるだろう。


 加えて隣国から連れ帰った難民の受け入れに伴った。新たな集落や宿場町の立ち上げ、さらには王都貧民街の再開発による特需が、王領における税収をさらに引き上げる効果が期待されている。

 盤石な治世を予想させる現王権に、恭順を示す貴族も今後増えることとなれば、これまで各派閥で纏まっていた貴族社会も、王家の掲げる国政に向けて、一枚岩とはいかないまでも、これまでにない歩寄りの風潮が高まるだろう。

 今日まで王家を悩ませていた、多くの諸問題の解決に貢献したササキとカオリ達を、正当に評価する声も日に日に大きくなっている。




 であれば、カオリ達のとる行動は一つ。

 村の、創立宣言である。


「なんのことか分からないかもしれないが、これには大きな意味がある」


 夕食の席にて、カオリから学園の様子を聞いたササキが、唐突にそう切り出した。


「村興しならとうの昔から始めていますし、村の存在も随分と周知してますけど、それらとは違うんですか?」


 当然の疑問としてカオリが質問すれば、ササキは大きくうなずいて、食堂の全員を見回す。


「通常、国内で新たな町村を興す場合、数年の開拓期間を設定し、後に行政、貴族領であれば検地を得て届け出を出すことで、そこに人々の営みがあることを、正式に認知、および保護または支配体制を制定する」


 談話室へと講義の場を移し、すでに用意された黒板を背に、ササキは器用に見ないまま図解を描き出していく。


「しかしカオリ君達の村は、生憎とどの国にも属さない開拓村だ。残念ながら現状、あの村はどこの国にとっても、『存在しない』ことになっている」

「それは、どんな問題があるんですか?」


 ロゼッタから発せられたこの質問に対して、ササキはやや思案して例を挙げる。


「例えば今後、冒険者ではない村の住民が、ミカルド王国になんらかの理由で入国したさいに、不幸な事件に巻き込まれ、最悪命を落としたと仮定しよう――、 残念ながら我々はその事件を引き起こした犯人に、賠償を含む如何なる法的措置も課すことが出来ないのだ」

「お? おおぉ~、そおぉか~……」


 一瞬驚愕の声を上げかけたカオリだったが、即座に理由を理解して納得する。

 国際法など存在しないこの未発達な世界では、当然のことながら国際指名手配はもちろん、犯罪歴などの情報共有といった試みも設定されていない。

 つまり、国内で起きた事件や事故、それを引き起こした犯人への捕縛および裁きなどの法的措置は、同国内でのみ有効なのだ。

 であるならば、そもそも村があると正式に認められていないカオリ達の村、ないし住民達は、現状村も人も、存在しないことになっているのだった。


「存在しない村の、存在しないはずの住民が、命を落としたとて、国はそれを事件として認識をしないだろう、当然存在しないはずの住民の、家族を自称する何者かの訴えなど、真剣に取り合ってなど期待出来るわけがない」


 極めて冷酷な言葉の羅列だが、それが現実であることを理解したカオリ達は、ただただ沈黙する。


「それに関連して、今後村の住民の身元保証に関しても、出身および所在地など、公的に身分を証明する必要がある場合も、そもそも村の存在を、広く認知させる必要があるのだ」

「あ、そうか、難民の受け入れってもしかして、それが正式に手続きされた町や村にしか、国が認可出来ないってことも?」


 カオリの言葉に、ササキは鷹揚にうなずく。

 しばしの沈黙後、最初に言葉を発したのはロゼッタである。


「本日わざわざこれを私達にお教えくださったのは、もしかして時期を見てのことなのでしょうか?」


 これに対しても、ササキはうなずきながら口を開く。


「前回の水門解放を経て、村はその発達と文明度を増すことが証明出来るだろう、これによって国としても、今後のさらなる発展など、国交を拓くに値する地所として、十分な大義名分を得ることが期待出来る。であれば商会設立に伴う所在地登録、従業員の身元保証など、各種手続きが容易になるのと同時に、万が一の場合に備えたあらゆる法的措置、その行使の権利を主張出来る」


 大仰に述べたササキへ、感嘆の声が集まる。


「自治権の認められた都市と同様の権利を、カオリ様方の村が有すると云うことですね。云われて見ればたしかに、交易を考えておられる今後の活動には、必要なことなのですね」


 ビアンカの理解の声に、みなも同意の表情を浮かべる様子を認め、ササキは結論を述べる。


「しかし案ずることはない、例え異郷の地と云えども、村の認知などたいした問題ではないからな、互いに領有を主張する帝国王国間の緩衝地帯だが、そこに人の営みがあるのはよくある話だ。自己責任の範囲でだが、交流をもつのも戦時協定に反するものではない、重要なのは、忖度があるか否かだ」


 そう言い切ったササキの弁に首をかしげるカオリではあるが、あることを思い出し、【―次元の宝物庫(アイテムボックス)―】から一枚の書類を引っ張り出す。


「もしかして、このバンデル公爵家の誓約書と関係する話しですか?」


 カオリの言葉に笑みを浮かべたササキは、断りを入れてから誓約書を受け取る。


「どんな方法や形式であれ、あそこに村が存在すると認めさえすれば、先の諸問題は解決するのだ。であれば、ミカルド王国でも同様の方式でもって、認知してもらえばすむ話しなのだ」

「モーリン交易都市での奴隷騒動が、まさかここで効力をもつなんて……、皮肉のようですわね」


 これを見越して、アイリーンの父親であるヴラディミール卿が、カオリと誓約書を結んでいたのかと、ロゼッタは感心した。


「悔しいですが、帝国の公爵家は、実質一国の王に匹敵する権力を有しております。とくに彼の高名なバンデル家ともなれば、一家で動かせる軍事力も相当なもの……、そのような家と誓約書を結ぶなど、通常はありえない破格の待遇と云えるでしょう」


 王国の騎士としての素直な所見を口にするビアンカを見て、カオリはあの時に交わした誓約書が、このような意味をもつことになるなどと想像だにせず、驚きを露わにする。


「村の認知に関する問題は、以前から陛下からも懸念を示されていた。時期を見てこちらから提案すると断っていたが、近隣領地に関わる水質問題に対する具体策を実現出来たのだ。今こそ円滑な交渉を望めるはずだろう、近い内にカオリ君も同席し、王家へ村を認知するよう要請の席を設けよう」

「はーい」


 ササキの提案に、カオリはよい返事を返す。




 翌日、昼食へ向かうカオリ達を呼び止める声に、カオリとロゼッタは揃って振り返る。


「やあカオリ嬢とロゼ嬢、話しは聞いているよ、少し話しが出来ないかい?」


 砕けた口調で歩み寄るコルレオーネに対し、カオリもロゼッタも綺麗に礼をする。

 誰が見ているかも分からない学園の廊下なので、王族への当然の礼儀ではあるが、コルレオーネはやや不満なのか、肩を竦めて見せる。

 内々の話しであろうと予想し、いつもの喫茶店の個室へ移動した三人だが、本日は余裕があったのか、先に入室していたベアトリスはカオリ達の後に入って来たコルレオーネの姿に驚いてしまう。


「これは殿下、ご機嫌よう――」


 それでも即座に起立し、淑女の礼をとる彼女の姿に、教養の高さを伺いつつも、コルレオーネは破顔して着席を促す。


「未来の義姉上に、そこまでかしこまられては参ってしまうよ、どうか気負わないでほしいな」

「まあ殿下、ではそのように」


 どこまでも調子よく接するコルレオーネの態度に、ベアトリスも苦笑を漏らす。


「して殿下、お話とは?」


 給仕から受け取った軽食と茶一式を配膳しつつ、ロゼッタは一応とコルレオーネに用件を尋ねる。


「今朝方、城から遣いが来てね。ササキ殿がカオリ嬢達の村を、是非王家に認知してもらえないかと云う要請を受け入れ、早速父上が正式な招待を出したんだ。ほら、これが招待状だよ」


 気軽な口調で差し出された書状をロゼッタが受け取り、中身を確認したものをそのままカオリも確認する。


「どうして招待状など? こちらからの要請なのですから、そもそも招待をする必要などないように思いますが……」


 貴族の社交と云うよりも、国政における立場上の形式を鑑みて、やや下手に出た対応に見えたロゼッタが疑問を呈する。


「それだけ父上が、君達の村に寄せる期待が高いと云うことさ、なにせ帝国領との緩衝地帯と云う立地さ、両国の関係になにかしらの一石を投じる可能性を考慮すれば、所謂特別対応も当然だと思わないかい?」


 さも当たり前のような口振りのコルレオーネに、カオリもロゼッタも互いに視線を交わす。


「ササキ卿やカオリ嬢が政治的意図を嫌って、叙爵や叙勲を一切受け取ってくれないのは理解しているからね。せめて賓客として招待して、ついでに交渉の席を設けるのが、王家のとれる最善の手なのさ」


 普通であれば一介の冒険者には過分の対応にとれるであろうが、王家への貢献著しいササキやカオリ達が目に見える形での褒賞を受け取らない以上、こう云う形に収めざるをえないと、むしろ譲歩としての対応だとコルレオーネは主張する。


「王国法に縛られない、あるいは他国に敵であると認識されないためには、現状の立場を固持するのは最善の姿勢です。ご配慮痛み入ります」


 極めて慇懃に礼を述べるカオリへ、コルレオーネは困った表情で対する。


「流石の僕も、カオリ嬢がそこまで広い視野をもって冒険者活動に勤しんでいるとは、最近まで理解出来なかったからね。最悪の状況になる前に対応を改められてよかったよ」


 ロゼッタの婚約騒動や紛争騒動を振り返り、カオリの本性とそれを支える強さを知ったことで、コルレオーネは後悔を滲ませた。

 もし、ミカルド王家がカオリ達を無理矢理自国に引き込む工作に走っていれば、今の関係はありえなかったのだろうと、反省の色を示せば、ベアトリスもやや顔色を悪くして身震いする。

 彼女からしてみれば、嫁ぎ先が友人と険悪な関係に、ともすれば戦争状態に突入していたかもしれないのだ。

 しかも相手は大陸最強の冒険者ササキと、その後見を受けるカオリ達である。最悪は人死にが出ても不思議ではなかっただろう。


「国を相手取ってとまでは想像出来ませんが、ササキ様とカオリ様であれば、武力衝突も在りえた……のでしょうか」


 堪らずに口にしたベアトリスに対し、カオリ達もコルレオーネも、曖昧な笑みを浮かべるばかりである。

 次期王子妃としてはやや迂闊な発言ではあろうが、ごく普通の令嬢としては、目の前の友人達と自国の王家とが、よもや一触即発の可能性があったことが信じられずに、恐怖を持て余したがゆえの失言である。自分も無関係ではいられなかった可能性への、懇願も含まれていただろうことを、三人ともが理解を示す。


「ササキ卿の強さを、当時貴族達は侮っていたんだ。そしてカオリ嬢へも、愚かだが同様の評価をしているのだろう、本物の強者とは如何なるものか、その片鱗を知れば絶対に敵対するべきではないと、嫌でも思い知ることになるのにね」


 先の紛争騒動で、カオリ達の強さを目の当たりにしたコルレオーネの素直な畏敬の念に、とうのカオリは肩を竦めるだけで呑気な様子だ。

 いくら凄腕の剣士と評されても、人間の域を出ていないと思っているカオリ自身にとっては、どこか他人事な評価である。


「流石に何百もの兵に包囲されれば、いつかは負けますよ、ササキさんは……、知りませんが、それでも国を相手に勝てるとまで驕るつもりはありませんし、過分な評価だと思います」

「何百もの兵を動員しなければならない事態が、そもそも常軌を逸しているのさ、ただの冒険者がだよ? 大陸に数えるほどしかいない神鋼級冒険者と、その陶酔を受ける未来の『神鋼級冒険者候補』だ。絶対に敵に回してはいけない、いい加減な僕でも、それくらいは理解しているつもりさ、いや……、思い知ったと云うべきかな」


 ここまで言えば、カオリ達の重要性が十分に理解出来るだろうと、コルレオーネはどこか冴え冴えとした様子を見せる。


「国の権威などと云っても、所詮は数に裏打ちされた武力、それに依存した生産力でしかない、もし、ただの個人が、千の軍勢を単独で撃破出来る力をもっているとしたら? 情勢を正しく理解出来る情報網をもつとしたら? ……それら絶大な力は極めて効率的に、国家と云う組織を最小限の被害で、完膚なきまでに破壊出来るのだろうね」


 これまでの彼の瓢軽から一変した様子で、冷静に事実を語るコルレオーネの姿に、カオリは感嘆を抱く。

 貴族にありがちな皮肉もからかいもなく、真剣に語るさまがまさしく、為政者の、王族の風格を感じさせるものだったからだ。


「でも貴族の大半は君達の恐ろしさを正しく理解していない、なにせササキ卿がおこなった王都の大粛清や、カオリ嬢の活躍の数々も、おおよそが秘匿事項になっている上に、直接その目で見たもの以外には信じがたい内容だからね」


 それら荒唐無稽とも云えるササキやカオリ達の活躍も、今では戦場でカオリ達の獅子奮迅の奮闘を目の当たりにした。騎士や兵士達、そして彼らの子供達へと語られ、少しずつ認知されるようになって来たとも付け加える。


「となれば、警戒すべきは王都に拠点をおかない地方領主やその陪審貴族、あるいは有力地主や商会達でしょうか?」

「その人達に、私達を直接害する力はあるのかな?」


 カオリ達の活動範囲は現段階で、東は帝国領のモーリン交易都市から、西はハイゼル平原と隣接する長いミカルド王国王都ミッドガルドまでの王領だ。

 東西に横長く横断する王領を経由する限りは、王国のどの貴族領にも、カオリ達が自発的に立ち寄る以外で、訪れる理由がないのだ。


「王都に別邸をもつことが許される貴族は、王国全体の貴族から見れば限られたもの達だけさ、王城勤務の武家や騎士達、国政を司る宮廷貴族など、ようは国を直接守護運営する役職をもつもの達だ。例外に伯爵以上のいわゆる高位貴族は、とくに役付きでなくとも王都に屋敷をもつことが出来るけど、彼らは地方の広大な領地の安寧と云う大役ゆえの特別措置なんだ。彼らにとっては王都に集まる情報を収集することで、他の多くの貴族や家臣達を導く必要があるのだからね」


「ああ、それは習いましたね。と云うことはかなりの数の貴族は、王都で起こる出来事も、ほぼ他人事なんですね~」


 現行の貴族制度を学習する中で、同様の内容があったことを、カオリは思い出しながら、紅茶にちびちびと口をつける。


「ああ、その関連で一応報告するけど、あの一斉摘発で処罰された貴族は結構な数に上ったんだけどね。そのせいで一度爵位を没収して、直系親族や家臣から、後継を選び直す運びになったんだ」

「え~、つまり?」


 一斉摘発の関連事項としての報告だと云うが、なにか先の話題と関係する部分があったのかとカオリは首をかしげる。


「新たに選ばれた後継者達のほとんどは、王都でのササキ様や私達の活動を、知らないもの達がいる。あるいは軽視している人達がいるかもしれないってことよ」

「……なるほどぉ~」


 ロゼッタの解説に嫌な気持ちを隠さず表情に表すカオリへ、ロゼッタは苦笑を向ける。


「でも王家が君達の村を認知すれば、やや遠回しだけど、王家が君達を有益かつ対等な取引相手と認めるも同然だ。如何なる貴族であっても容易に手出しは出来なくなる。もちろんカオリ嬢達自身へも含めてね」

「逆にカオリ様達と関係を持とうとされる方々も、現れるのではないでしょうか? 私だって可能であれば、一部の事業が魔物の出没で難航していると、お父様からのお手紙にありましたので……」


 ササキやカオリ達を邪魔に思う一方で、切実な問題へ、一縷の希望へ縋りたい者達もいるのだと、ベアトリスは自家の不安を吐露した。


「ベアトリス様、……一応聞かせてもらえるかしら?」


 ちらちらとカオリを気にしながら、ロゼッタがベアトリスに説明を求めた。

 促されたベアトリスも、カオリの顔色を窺いながらおずおずと語る。


「……私どもの侯爵領は【北の塔の国】の主張する領地と、陽沈む大河を挟んで隣接しています。彼の国の軍勢と対峙するオーエン公国は兵を徴兵するだけでなく、傭兵や冒険者までも広く募兵し、戦線が拡大しているそうです。……それが関係しているのかは分かりませんが、侯爵領でも魔物の大量発生に加え、野盗化した兵も出没し、水運業に多大な影響が出ているらしく」


 最後には伏し目がちになりつつ語ったベアトリスの不安を察し、コルレオーネも補足を加える。


「現在ルーフレイン卿は、公国から流れて来る人々への警戒のために、兵のほとんどを割いている状況だ。最近まで愛娘の窮状に気付けなかったくらいだからね。相当に切迫しているのだろう……、冒険者の多くも公国側に流れた影響で、領内の魔物問題に対処出来る頭数も足りないだろう」

「水運業と云えば、ベアトリス様が監修をされた事業も一部被害が出ているはずですわね……、カオリ、どうにか手を貸すことは出来ないかしら? その……、ベアトリス様とは私達も無関係ではないのだし」


 無表情のまま沈黙するカオリを中心に、一同に緊張が張り詰める。


「お断り、……したいところですけどね~、ことがことだけに、冒険者としては無視出来ない事態なのは理解出来ます。ただ……」

「ただ?」


 即拒否の言葉ではなかったが、それでもカオリには考えがあるのかと、ロゼッタはなおも緊張して続きを促す。


「それってたぶん、ササキさん案件だと思うんですよ、もし仮に【北の塔の国】の魔物の軍勢と遭遇することになれば、きっと私達でも手に負えない可能性がありますから」

「そ、その通りだわ、両国の三年もの膠着状態を、オーエン公国は打開出来ずにいるのですもの、戦線には高位の冒険者もいると考えれば、例え相手が軍勢であれ、相手側に相当強大な魔物が対峙していると考えるのが妥当よね……」


 近頃の自身達の活躍から、やや自信をつけたのが原因か、魔物なら対処出来ると考えてしまったロゼッタを、カオリは期せずして窘める結果となった。


「ごめんなさいカオリ、私も少し驕っていたのかもしれないわ……」

「このことはササキさんに相談しようか~、ベアトリス様も、ご当主様へ出すお手紙に、王都本部の冒険者組合宛ての依頼を出されればどうかと打診して見てください、正式な依頼であれば、ササキさんもすぐに対応出来るはずなので」

「! ありがとうございますっ」


 適当な判断を下すカオリに、二人は喜色を浮かべて顔を見合わせる。

 そうしながらも、カオリは心中でことの次第について考える。


(ササキさんの、北の塔の軍勢に、人類が勝つなんて不可能だもんね~、下手に接触したらお互い不味い状況になりそうだし、当面は同じ言い訳でササキさんに丸投げするしかないよね~)


 ササキの正体を【北の塔の王】であると知るカオリからすれば、とんだ八百長となるであろう案件に、ただただ嘆息してしまう。

 ササキならば意図的に軍勢を自身から遠ざけ、その内に侯爵領の問題を解決出来るだろう、野生の魔物であれ、野盗化した人間であれ、ササキの強さの前ではちりあくたに過ぎないのだからと。

 学園から屋敷に帰り、その件をササキに報告したカオリは、すぐにベアトリス宛てで、ササキの了承を得たことを手紙で出すようにお願いをし、ササキと二人きりの状況を作る。

 夕食前と云うことで、とくに飲み物も用意せずに、二人は長安楽椅子で相対する。


「いつも事後報告になってしまってごめんなさい」

「大丈夫だ。そうなってしまうだけの理由があることは十分に理解しているからね。私も事前に情報の全てを伝えていないのがそもそもの原因だ。謝るのはこちらの方だ」


 カオリがこれまでの諸問題において、しばしば先に行動を起こし、事後報告ですませてしまって来たことを謝罪すれば、ササキはそう言って痛み分けとした。


「我らが【北の塔の国】にまつわる諸問題は、なにぶん世界情勢に影響を及ぼすほどに大規模な案件だ。どこでどう問題が表面化するのか、その全てを予測し切ることは難しいのだからね……」


 いつも屋敷と王城を往復しているだけのように見えて、その実、転移魔法などを駆使して忙しく立ち回っているササキである。許容範囲内に納まる問題に対しては、後回しになってしまうのはもはやしょうがないと考えている。

 これはカオリには知る由もないことだが、ササキは特殊な理由によって、ほぼ不眠不休で仕事をこなしている。

 目立つ日中は屋敷で本国の各種決済などの執務をし、暇があればミカルド王国国王であるアンドレアスに、知り得た情報の数々を提供、または国政にまつわる提案をおこなっている。

 そしてカオリ達が就寝する時刻となれば、転移魔法で冒険者稼業を手早く終わらせ、もはや潤沢な資産をさらに増やしているのだ。


「むしろ私が特別提案をせずとも、カオリ君は方々上手く立ち回り、十分に足場を固めて来ている。【泥鼠】のような独自組織や、王家や貴族達との交流がまさにそうだ。私はこれまででそうしろなどと、一度も助言をしたことがないのだからね。事後報告になったところで、なんの問題もない」


 注意はおろか、全面的に称賛する勢いで、ササキはカオリのこれまでの活動を大いに褒める。


「しかし、これはカオリ君には言ったことがないのだが、私の冒険者業のほとんどが、ブレイド山脈周辺での活動が主なのは、知っていたかい?」

「そうだったんですか?」


 突然の告白に首をかしげるカオリに、ササキはやや困った表情で頬をかく。


「と云うのもだね……。昨今多発している魔物の異常発生の原因は、実は我らの出現によって、魔物達の住処が大きく変動したのが原因だと予想されているのだよ」


 その説明にまだ理解が及ばないカオリは、ただ黙ってササキの言葉を待つ。


「【フロストドラゴン】の討伐に始り、【オーク】の群れの討伐など、それらは最初、私の国が遠因となったことに責任を感じて、私自ら対処したのが発端なのだ。東の帝国や西の王国と、私の名が広く認知されるようになったのも、山脈を中心とした活動が理由からだ」

「なるほど~、これまで人と接触することのなかった強力な魔物を、ササキさんは率先して狩っていたんですね」


 とここで、ササキは真剣な表情でカオリを見詰め、やや声を落として重々しく語る。


「つまり、……カオリ君達の村、元はアンリ君達の故郷が滅びる元凶となった先のゴブリン達の襲撃も、元を正せば我々の出現によって彼の魔物達が外へ追い出されたのが、そもそもの原因だと考えられるのだ」

「……」


 ササキの言葉を受けてカオリに去来したのは、あの日、村へ押し寄せるゴブリンの群れが、村の男達を次々と手にかける光景であった。

 門が壊され、家屋に火が燃え移り、血に沈む彼らの姿を、カオリは今でも忘れることが出来ない。


「村が滅んだのは、私が原因なのだ。――すまない」


 再度言い聞かせるように、ササキは悲しみも嘆きも浮かべぬまま、カオリをじっと見つめた。

 その様子があまりに真剣で、だからこそあまりに哀れに感じ、カオリはふっと口の端を上げ、ぎこちない笑みを作った。


「……しょうがないんじゃないですか、ササキさんだってなにも知らずに、突然この世界に召喚されたんでしょう? そんなの、誰も責められないじゃないですか……」


 もしあの時、アンリやテムリが、魔物の手にかかって命を落としていたら、二人を守ると誓った直後に、約束を果たせなかったのならば――。

 その想像に駆られながらも、カオリは心からの笑みを浮かべて、ササキの謝罪を受け入れた。


「救えなかった村々は少なくなかった。せめてもの罪滅ぼしだと、生活を奪われた人々を自国に保護、または近隣の都市へと送り届けるなど、私に出来る手段を講じて来た。その度に称賛を浴び、気付けば神鋼級などと云う地位に納まった。こんなものはただの茶番だと理解していたが、それしか私に出来ることはなかったのだ」


 これが告白などではなく、懺悔なのだとカオリは理解し、静かにササキの言葉を受け止めていた。


「全ては我が国の繁栄のためであるとうそぶき、自国の統制に利用したのも事実だ。冒険者と云う仮初の姿を、この大陸に広く喧伝する意図もあったことも認めよう、だがカオリ君だけはどうか聞いてほしい。――私は決して、人類を脅かす魔王などではない」


 決然と言い放ったササキの言葉を、カオリは目を閉じて胸に刻む。


「はい、私はササキさんを、信じています」


 この時が、二人にたしかな信頼関係が結ばれた瞬間であった。

 過去の全てを水に流し、未来を見据えて進むのだと、言葉なく誓ったのだ。


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