( 閑話休題 )
おおよそミカルド王国における。危険因子の憂いを取り払った今回の作戦終了後、カオリはアイリーンと共に村へ一時帰還を果たす。
カオリがササキの屋敷から転移陣を通って前触れもなく帰還することは、村中の人間が知っているため、カオリが帰還しても互いに軽い挨拶をする程度である。
毎度のことではあるが、カオリが帰還して真っ先にすることは、アンリとテムリの顔を見ることだ。
カオリがこの世界に召喚された当初から、ずっと寝食を共にした家族なのだから、カオリの中では当然の行動である。
「ただいまっ、アンリっ、テムリ!」
「おかえりなさい、カオリお姉ちゃん!」
「おかえりっ、カオリ姉ぇ!」
満面の笑みを浮かべて挨拶を交わし、抱き合うカオリ達を、アイリーンは扉に寄りかかり微笑ましく見守る。
「アイリーンお姉ちゃんも、お帰りなさいっ、お疲れ様です。今お茶を淹れるね。二人とも座って待ってて」
「アイ姉ぇおかえりっ!」
「おうさね。ただいまさ、二人とも」
アンリが手早く茶の準備に勤しむ間、カオリはぐるりと室内の様子を見回す。
元からあった焼け残った家屋を修繕して住んでいるこの家も、今や新築が並ぶ村の中では一番古い建物となるだろう、あちらこちらに生活の痕跡が残る雰囲気に、カオリはどこまでも安らぎを感じる。
「あんなに豪勢な屋敷に住んでいても、やっぱり実家はいいものかい?」
アイリーンの不意の質問に、カオリはきょとんとした顔を向ける。
「……そうですね~、この世界に召喚されてから、二三日を森で野営でしたから、ちゃんとした家で眠れるのが、どれほど安心出来るか実感しましたね~」
と言いながらも、それも僅かな間にゴブリンの襲撃を受け、焼け出されたのだから、思い出と云うには些か浅い記憶であることは、あえて言及しない。
「アイリーンさんだってご実家では寛いで……、いつもと変わりませんね。当時から」
「戦場生活が長いとね。どこでだって変わりゃしないのさ、カオリだってそうだろ? 堅牢な城だろうが、あばら屋だろうが、冒険者である以上警戒は怠らない、安心出来ることと安全であることは別なのさ」
アイリーンの言葉に、ごもっともとカオリはうなずく。
相手が人であれ魔物であれ、寝込みを襲われて身に危険が迫るなど、いつどこであろうとも変わらないのだから。
ともすればカオリは、不意打ちに対する警戒と対策に、最大の対応能力を養って来たと云っても過言ではないかもしれない。
数多の創作作品において、主人公が窮地に陥るもっとも多い状況が、不意打ちからの劫掠であろう。
ならばもし、危険に対して事前に対応し切る能力を、主人公が兼ね備えているならばどうなるのか?
物語としての面白みなど求めてはいない、当事者のカオリにとって自身や家族が、危機的状況に陥るなど、あってはならないのだから、そのために備えるのは当然の発想だった。
「はいどうぞ、ステラさんがアキお姉ちゃん伝手に贈ってくれた茶葉だけど、まだダリアさんに教わってる途中なの」
「うん、美味しいよアンリ」
「上手いさねアンリ、こりゃあ宮廷侍女にもなれるんじゃないかい?」
アイリーンの大袈裟な世辞に、アンリは頬を赤くする。
「ダリアさんにもお礼を言わないとね~、村のこともアンリのことも、随分お世話になってるし」
「まあそうさね。実家の期待に応えたいのは間違いないけど、あれは職人意識の高い奴だから、なにごとにも妥協をしないさね」
ずずっと音を立ててはしたなく茶を啜るアイリーンが、片腕を椅子の背もたれに回す。
「ダリアさんってアイリーンさんのことを小さいころから知ってるんですよね? アイリーンさんが戦場に向かうのを、止めたりしなかったんですか?」
カオリがアイリーンの実家での様子をほとんど知らないことから、なんとはなしに質問する。
「まあ高位貴族は子息令嬢にも、幼いころから侍女がつくからね。あいつとは姉妹のように育ったさね。もちろんあたしが初陣の時には、随分反対したさね」
一旦言葉を切り、茶を飲み干す。
「なにせあたしが十四のころさ、一般的には速過ぎる初陣だろうよ、ただ本格的に身体を鍛え始めてから三年の内に、結構身体も出来ていたし、自分を守るくらいは出来たからね。侍女の立場じゃあ当主の決定を覆すのは無理さね」
不敵に笑うアイリーンに、カオリは苦笑する。この場合は十四で初陣を果たす彼女に驚くべきか、十四の愛娘に初陣させる親に驚くべきか迷ったためだ。
「それからもあたしについて回ろうとしたのを、実家が押し留めたらしいさね。どこに戦場に侍女を連れて来る戦士がいるのさ、まあ度胸は買うけどね。それに帝国王国間戦争のない冬季は、傭兵業で各地をふらふらしてたから、まともな生活なんて出来やしなかったしね」
アイリーンはそう云うが、どこぞに冒険者になる娘について来た侍女がいたことを思い出し、カオリは益々苦笑いを浮かべる。
「ロゼの従者のステラさんも、アイリーンさんのダリアさんも、高位貴族の侍女さんってみんなそれくらいの忠誠心があるものなんですか?」
思わず気になって確認するのに、アイリーンは首をかしげて腕を組む。
「そ~さねぇ……、やっぱり高位貴族家の令嬢専属になるくらいさね。優秀で忠義心の厚い人間が選ばれるのが普通だろ? あとそう云った人間は実家が代々一家に仕えて来た場合も多いからね。子供のころからそう云った教育を受けるのが大きいんだろう」
帝国王国に関わらず。歴史ある高位貴族家であれば、歴代の当主に子々孫々と仕えるのが理想とされる。
教育水準もさることながら、なによりも信頼出来ることが大きい、また歴史ある従者の家系を召抱え続けることも、貴族にとっての威光に繋がると考えれば、決して無視出来ない要素となろう。
「そういやぁアキのやつも、カオリの故郷からついて来た従者だろう? 異世界だろうとなんだろうと、そこまでの気概があるなら十分に立派な従者さね」
「ああ~、まあ、そうですね……」
いつだったかに告白した。カオリが異世界人であると云う事実ではあるが、まだアキがカオリの生み出した新たな生命であることは伏せている現状で、カオリはとっさに言い訳が思い付かずに言い淀む。
カオリが異世界人である事実に関しては、アイリーンが余りに自然に受け入れたため、とくに特筆すべきことではなかったが、これなら全てを正直に話しても、彼女ならまったく問題にならなかったのでは? と最近は思うようになった。
それはさておき、カオリは話題を変える。
「なんにせよ、私は生活様式にはあんまり頓着ありませんし、従者に傅かれるなんてがらじゃないですから、どこかで気を抜ける場所がないと疲れちゃいますよ」
「共感は出来るけどね。追々慣れるだろうし、気にしたら負けさね。やりたいようにやらせておけばいいさね」
アイリーン自身は東大陸最大国家である帝国の公爵家出身である。押しも押されもせぬ大貴族家のバンデル家は、小国の王家をも凌ぐとなれば、生まれた時から傅かれるのが当たり前であろう。
本人の気質から尊ばれようと侮られようとまったく意に介さない性分ではあるが、世間体と云うものも理解しているため、カオリの弁に全面的に賛成はしない。
「そう云えばアンリ、ポーションの量産体制ってどんな感じかな? まだ一ヶ月くらいは余裕があるけど」
カオリとアイリーンの会話には加わって来なかったアンリも、ちゃんと聞いてはいたので、即座に応える。
「カシミールさん達が定期的にスライムの魔石と素材を採取してくれるから、数自体は作れるよ、祠の錬金釜なら素材を入れれば自動で出来ちゃうし」
「まあ~便利なことで」
アンリの言葉に感嘆するアイリーン。
「他のポーションに関しても、結構研究が進んでるくらいだから、容器さえ用意出来ればすぐにでも出荷出来るよ!」
「さっすがアンリっ、天才だよ!」
はにかむアンリをぎゅっと抱締めるカオリに、下から声がかかる。
「カオリ姉! 僕もこれを作ったよ、見て見て!」
喜びを露わに声を上げるテムリを見て、カオリはその小さな両手いっぱいに抱える荷物に視線を移す。
「もしかしてクロスボウの改良版? すっごく大きいじゃん! よくこんなの作れたねっ」
今や高位のレベルに達そうかと云うカオリの筋力でも、ずしりと感じる重量と大きさに、カオリは彼がどれほど苦労してこれを制作したのかを想像する。
「ほうこりゃでかい石弓さね。ちょいと貸してみな」
カオリから受け取ったクロスボウを、アイリーンは片手で軽々持ち上げる。一般的な男性よりも大きな手の彼女であれば、丁度いい大きさである。
「アイ姉がとって来た木と、アデル兄からもらった鉄板を組んで作ったんだ! でも僕じゃ固くて引けないの……」
最大威力を求めたテムリの技術の粋を集めた作品らしいのだが、実際に試射出来なかったことをやや落ち込んで告白するテムリに、カオリは笑顔で目線を合わせる。
「すごいよテムリ! 前に作ったやつよりもうんと強そうじゃんっ」
「試射がしたいならあたしがやってやろうさね」
そう云って早速外へ出たカオリ達は、手近な薪を的に見立て、アイリーンに合図を送る。
彼女の剛腕で弦を引き、弓矢よりも太くて短い弩用の矢を装填し、水平に構える。
引き金を引けば、バンッ、と云う緊張音と共に、目にも止まらぬ速度で矢が薪を粉砕した。
「おうおうこれゃあ結構な威力さねっ!」
「すごいすごいテムリ! これなら【ワイルドボア】とかの皮膚も頭蓋骨も貫通するよ、鉄の甲冑なんかも余裕じゃん!」
作った本人であるテムリよりも、大はしゃぎのカオリの様子に、テムリは万歳で喜ぶ、自分の作ったものを手放しで褒められれば、誰でも喜ぶであろう。
「だけどこんだけ大きいと、あたしかレオルドの旦那くらいじゃないと使えないだろうね~、いっそあたしがもらってもいいかいテムリ? 遠距離攻撃手段がないのが悩みだったさね」
「うんいいよ!」
快諾するテムリの頭を乱暴に撫で、アイリーンは大弩と専用の矢を【―次元の宝物庫―】に放り込む。
「でもそっか~、ポーションの容器も、自作出来れば単価を下げられるし、作れるようにした方がいいよね~」
先ほどはテムリを褒めることばかりが頭にあったが、ちゃんとポーション量産に対する問題点も聞いていたカオリは、ここでようやく意識を向ける。
「それなら祠の魔導設備? あれでなんとかならないのかい? 例えば鍛冶場的なやつとか……、炉って言った方がいいかね」
「おおっ、そう云えば随分魔物の素材も魔石も溜まってますし、そろそろ新たな設備を導入するのも必要ですね」
思い立ったが吉日と、カオリ達はさっそく祠もといギルドホームに向かう。
祠に降り立ったカオリ達一行は、まずはアンリの父の剣もとい、ギルド武器の前に跪き、手を合わせる。
この大陸の宗教作法に則るならば、手を組んで祈りを捧げるのが正しいのかもしれないが、ここはカオリの管理するギルドホームであり、剣立つこの広間も別に玄室と云う訳でもないので、カオリとしてはアンリとテムリ姉弟の気持ちを慮って、二人の父へ冥福を祈る恰好をとっているに過ぎない。
もちろん二人をここまで育て、夢半ばで散った彼に対し、同情と感謝の念は抱いている。
ただし死霊騒動の発端となり、【デスロード】へと変じたかの父を、自らの手で葬り去ったことへ、いまだ拭えぬ罪悪感を、一抹の怒りを抱いているのも事実である。
どうして幼い二人を残し、単身危険な森の中へ分け入ったのか、父の無事の帰りに勝る愛情などあるものかと、どうしても考えてしまうのだ。
ただし今はそのことに対して今更心患う必要はない、去来した幾多の想いを心の片隅におき、カオリはギルドメニューを展開する。
錬金釜と付呪台に続き、今日は鍛冶にまつわる設備の導入が目的である。
中空のウィンドウに羅列されたいくつもの項目から、鍛冶に関する設備の項目に注目する。
もっとも低位の炉であれば十分に導入は可能なのだが、火力設備と云っても様々な種類が存在するのだ。
当然製造業の知識など皆無のカオリにとっては、どれを選べば適切か量り兼ねた。
ここでとる手段は一つ、困った時のササキ頼りである。
『と云うことで、硝子容器の製造のための設備を検討してるんですけど、いっぱい種類があってわかりません!』
『……状況は理解した。私も出向くとしよう』
事前説明なしの突然の要請ではあったが、ササキは即座に理解し、早速王都屋敷から転移して来る。
祠に転移魔法陣が出現し、ササキが姿を表せば、アンリとテムリは慌ててお辞儀をする。
ササキも鷹揚にやさしく声をかける。
「さて、ようやく炉の設置にまで漕ぎつけたと云ったところか」
ササキ用に用意された大きな切り株に腰かけ、ササキは重々しく語り出す。
「祠の力場を利用した炉の導入は、言わずとも分かるように、文明の躍進に必要不可欠の要素だ。金属の鍛造や磁器などの焼成が可能になれば、それだけ独自製造出来る物資の幅が飛躍的に発展するのだからね」
それを黙って聞き入るカオリ達へそれぞれ視線を送り、ササキはさらに続ける。
「しかしながらこの祠の魔導設備は、通常の設備とは当然のことながら隔絶した機能がある。なぜなら耐火性や燃料の質と云うものが、大きく異なるがためだ」
「魔力を利用するからですか?」
カオリが予想から質問すれば、ササキはしかりと大きくうなずく。
「もっとも低位の炉であっても、祠の炉は魔力を燃料に、様々な金属、とくに魔鉱石などの精錬が可能だ。通常の炉ではまず不可能なその機能一つでも、見るものが見れば喉から手が出るほど欲しがる性能なのは想像出来るだろう」
「つまりまた権力者に狙われる可能性が増すって話しかい? いいねいいねぇ、それだけ価値のある設備ともなれば、あずかれる恩恵には大いに期待出来るさね」
ササキの忠告まがいの言葉に、真っ先に反応するアイリーンは、いつもの調子で拳を打ち鳴らす。
「話を戻すが、カオリ君が求めるのはあくまで硝子容器を製造するための炉、つまり溶融炉なのだろうが、あいにくと祠の炉設備には、製造品に合わせた専用の炉などない、種類があるように見えてその実、量産性や燃料効率の違いがあるに過ぎない、結論を言えば、どれを選んだところで、溶かして成形する行為自体は、炉自身が自動でおこなってくれるからだ」
ササキの説明に、一同は驚きの表情を浮かべる。
「それってつまり、熟練の鍛冶技術に頼らなくても、好きな素材で好きな形の製品を、労力をかけずに創り出せるってことかい? こいつはたまげたねぇ、破格の性能にもほどがあるじゃないか」
祠の炉設備が持つ特異性を聞き、もっとも大きな反応を示したのは、戦時需要をよく知るアイリーンだ。
「素材さえあれば、武器や防具はもちろん、蹄鉄や車軸、調理器具や建築資材を、たった一基で製造が可能なのだ。もちろん設備規模により、量産出来る数には限りがあるが、もっとも低位の炉であっても、通常の工房では不可能な品質と数を製造出来るのは間違いない、ここまで聞けばこれがどれほど優れ、どれほど危険なものかを理解出来るだろう」
ただし、ササキはあえて語らなかった内容に、鍛冶スキルを利用したさらなる品質の向上がある。
ジョブシステムは存在しなかった某オンラインゲームに酷似したこの世界にも、しかし鍛冶スキルと云うものが存在する。
内訳としては、鉱物の種類や鉱石内の成分の識別、その加工法などの判別を主とし、炉で熔錬成形をした製品をさらに治具(金床や金槌)にて加圧することで、性能を飛躍的に向上させることが出来る。
また研磨加工や砥ぎをおこない、劣化した品質の再生や価値の向上も、需要の高いスキルと云えるだろう。
某オンラインゲーム内でも、鍛冶に特化して、プレイヤー向けに武器や装飾品を製造販売する生産職の発生が、よりゲームを盛り上げた要素だったのは云うまでもない。
ただし資源の独占や大量生産競争の激化により、戦闘を生業としないプレイヤー達であっても、ギルド間戦争に駆り出される事態に陥ったのも、必然と云えただろう。
それはさておき、幸いこの世界ではほぼ失伝した技術と設備であるがゆえに、カオリにとっては自身等の優位性を高める。十分な要素である。たとえこれが後に争いの種になろうとも、劣化技術に固執する理由はない。
と云うよりも、好奇心が危惧を上回ったと云った方がわかりやすかった。
「じゃあとりあえず一番安価な【魔力炉】ってやつを導入すればいいんですか?」
「そうだ。量産のことを考えれば、【連続炉】を選ぶべきだろうが、あれを稼働させるには潤沢な燃料が必要だからな、燃料はもちろん魔石や魔鉱石だ。消費量は目安として百キロの鉄鉱石につき魔石が十キロだ。魔石の含有魔力属性が火属性であれば、効率はよくなるが、そう都合よく集まるものでもなし、今は最低限の製造が出来れば御の字だろう、ゆくゆくは【魔高炉】も導入し、より希少な金属の加工も視野に入れるといい」
いくつもある種類からその三つだけを挙げて提案するササキに、カオリは感謝の言葉を返しつつ、展開したギルドメニューから【魔力炉】を選択し、設置場所を指定する。
錬金釜や付呪台と対角の位置に、魔法陣が展開し、これまでと同じように幻想的な演出でもって炉が形成されていく。
高さはカオリの背と変わらないが、半球形のそれは非常に大きく、もっとも安価のわりに大きな規模であることにカオリは驚く。
「ひょえ~おっきいね~」
「なんだか可愛い形だね」
「すっげぇ! でかいっ」
「見たこともない形さね」
三者三様の感想を見届けて、ササキは四人に向き直る。
「ではそうだな……、テムリ君、君にこれの使い方を教えよう、恐らく今後は君がこれの管理者になるだろうからな」
「僕ですか?」
ここへ来て最年少のテムリを指名したササキは、膝を折りテムリと視線を合わせる。それでもテムリはササキを大きく見上げなければならないので、まさに巨人と小人の様相である。
「そうですね。今のところ戦闘スキル以外の取得は考えてませんし、生産スキルはアンリとテムリに任せるのが一番かな~」
「実際に火を扱う訳じゃなさそうだし、テムリ坊にはもってこいの仕事場さね」
すでに人任せなカオリとアイリーンに苦笑するササキだが、それだけ役割分担を弁えているカオリ達を、微笑ましく思う。
「ならこれまでのカオリ君の献身に対して、私からの特別報酬を贈ろう、テムリ君、これを炉の天辺に投入して、この魔鉱石を炉の底部に設置してごらん」
ササキが手渡したのは、銀色の鋳塊(インゴットの意)と、赤熱する魔鉱石だ。
「はいっ!」
それを両手に抱え、テムリはまずは魔鉱石を魔力炉の底部に設置し、しかし炉の天辺に手が届かずに、困ってササキを再度見上げる。
ササキはそれを受けてうなずくと、テムリの腰を優しく掴み、ゆっくりと立ち上がる。
「ほらこれで届くかな?」
「やった届いた!」
身長が二メートルを優に超えるササキにかかれば、腰の高さであっても十分にタカイタカイの域である。
言われたことを無事達成出来たことへの喜びと、父親に抱きかかえられた以来の高さに、テムリは興奮して笑う。
「次に炉のこの鏡板を手で触れれば、いくつか文字が表示されるだろう? そこから成形と云う文字を指で触れてごらん」
「これだっ!」
テムリをちょうど炉の正面に降ろし、炉の正面中央に設えられている鏡板を指示せば、テムリは言われた通りの手順をとる。
「また色々出て来ただろうが、今日は装飾品と云う文字を選ぶんだ。これは鋳型選択と云って、ある程度決まった形から好きなものを選ぶことが出来るんだ」
「ふわ~、いっぱいある~」
「ほえ~、本当だ。首飾りに耳飾りに指輪、これだけでも数え切れないや」
「これをどうするんだい旦那?」
テムリの頭越しに鏡板を除き込むカオリとアイリーンも、鋳型の種類の多さに目を丸くするが、アイリーンは目的をササキに問う。
「なに、以前からカオリ君には【ギルド章】を作るべきだと提案していただろう? これを機に試作も兼ねて作ってしまえばいいと思ったのだ」
「ああ【ギルド章】ですかっ、たしかどこにいても祠に自由に転移出来たり、祠への侵入防止が出来たりする。祠には必須の魔道具でしたよね」
「お? てことはそれをもっていれば、あたしでも祠に自由に転移出来るのかい、そりゃ戦闘時の緊急避難方法としても役立ちそうさね」
祠の設定からずっと、出入り自由な無防備状態を懸念していたアキも、早急な個人認証と緊急転移が可能な【ギルド章】の作成を提言していたのを、カオリは思い出す。
「その通りだ。これさえあれば、命の危機に瀕した場合など、即座にこの祠に転移が可能な上、【ギルド章】を持たぬものの祠への侵入を防ぐことが出来る。また【略式ギルド章】など、祠への出入りは出来ても、転移や設備の無断使用に制限をかける。言わば通行手形の設定も、まずは【ギルド章】の設定が前提となる」
カオリを含め現在、ギルドホームにメンバー登録をしているのは、アンリとテムリ姉弟、アキやシンと云った守護者、アイリーンとロゼッタ達パーティーメンバーの計七人だ。
この正式メンバー以外で、現在祠に出入りするのは、アキの式神を除けばササキとオンドールだけではあるが、基本的には誰でも出入り自由なのだから、決して無視出来ない現状である。
元々村内でも隆起した小丘である祠の場所は、建物を建てられない地形であったこともあり、村人もとくに立ち寄る場所ではなかった。
そこにカオリ達が地下に祠を設け、表向きは地鎮の社と説明していたことで、村人も安易に立ち入ることはなかった。
異国の巫女装束を纏ったアキや、アンリやテムリが頻繁に出入りし、ゴーレムやシキオオカミが働く場所である。なにか特別な場所なのだろうと云うのが、村人達の共通認識である。
「カオリ姉えはどれがいい?」
羅列する鋳型に困惑するテムリが、カオリに意見を求めるのに、カオリもやや悩ましく腕を組む。
「ギルドの証ってことは【孤高の剣】の証ってことだよね。だったら――」
少しだけ悩み、しかし意を決して選択したのは、直剣を象った簡素な首飾りだった。
ササキの指導により鋳造を開始すれば、炉に設けられた小窓から淡い光が発し、瞬く間に素材である聖銀が成形されていく。
「光が収まれば完成だ。下部の蓋から取り出せるが、一応気をつけて触れるようにしなさい、魔力によって生み出された熱は、供給を終えれば即座に冷め、直後に触れても火傷することはないが、素材によっては魔力を吸収し、接触したものの魔力に反応することがある。最悪の場合魔法剣の如く炎が立ち昇ったりと、魔法が誤作動するかもしれないと心得なさい」
テムリに向かって真剣に忠告をしつつ、懐から取り出した革手袋を、テムリの両手にはめてやる。
「それは私が作った耐魔布と、耐火性能に優れた魔物の革を重ね織した特別製だ。万が一のことを考え、今後は製品の取り出しのさいは必ず装着しなさい」
「わかりましたっ!」
聞くだにすさまじい性能の品を、当たり前のように与えたササキに、カオリもアイリーンも肩を竦めて苦笑する。
地球にはない破格の性能の設備の利用なのだ。科学では解明出来ない利便性と比例するように、伴う危険性もまた格段に高まることを考えれば、注意しなければならない事柄が減ると云う訳ではない。
この辺りは魔力と云うこの世界独自の要素や、それによって引き起こされる現象に、より理解を深める必要があろう、カオリはそれこそが自分の役割だと意識する。
恐る恐る蓋を開け、慎重に取り出した製品を手袋越しに掲げ、テムリは満面の笑みでそれをカオリ達に見えるようにする。
「おお綺麗に出来てるじゃん、すごいっ」
「ほ~こいつはすごいさね」
「やったねテムリ」
首飾りを覗き込むカオリ達と、テムリの頭を撫でるアンリを見降ろし、ササキは微笑ましげに口を開く。
「ではここからはカオリ君の仕事だ。本当は付呪台を利用してこの首飾りに各種補助魔法を付与するのが理想なのだが、今はギルド章として登録することを優先しよう」
「は~い」
ギルドメニューから【ギルド章】の設定を選択し、アンリの父の剣の前に首飾りを供えれば、首飾りがギルドメニューに認識される。
ウィンドウに現れた首飾りを選択し、ギルド章の設定を選択すれば、無事首飾りがカオリ達のギルドホームのギルド章に設定完了した。
「ではこれを人数分、作っていくとしよう、今は正式メンバーが計七人だったか? 原料と燃料はこれだけあれば足りるだろう」
ササキはざっと取り出した麻袋を、切り株の上におく、テムリが中身を確認し笑顔でお礼をする。
「なら素材の投入はあたしがやるから、テムリ坊は燃料の設置と、成形操作をお願いするさね」
「ありがとうアイ姉ぇ!」
「じゃあ出来次第、私がギルド章設定をするね~」
「私はなにか軽く摘まめるものを作って来るよ、お昼の準備もあるし、ササキ様もご一緒しませんか?」
そう云ってそれぞれが役割分担を開始する中、アンリからの昼食の誘いを、ササキはやんわりと辞退する。
「有難いのだがまだ仕事が残っているのでね。またの機会にしよう、では失礼するよ」
手短に伝え、ササキはすぐに転移で屋敷に帰ってしまう。
【ギルド章】が人数分完成し、カオリ達は後片付けも終え、アンリの作った軽食と茶を愉しむ。
「こちらにおられましたかカオリ様、お帰りなさいませ」
「ただいまアキ、ごめんね挨拶もしないで」
カオリの王都での活動補佐をロゼへ、生活の支えをステラに任せたアキは、紛争騒動後すぐに村へ帰還していたので、貧民街の一斉摘発作戦には参加していなかった。
その代わりに、難民の受け入れにさいする住居や物資と云った受け入れ体制の調整など、各種手続きに従事していた。
小脇に各種書類を抱えつつ、人伝にカオリが一時帰還したことを聞いた彼女は、カオリが昼食を家ですませるだろうことを予想して、こうして帰って来た次第である。
「仕事の話をする前にいいかな?」
「なんでございましょう?」
無表情のまま可愛く首をかしげるアキに、カオリは椅子から立ち上がり、アキの首に両手を回す。
「カ、カオリ様?」
カオリの行動に戸惑うアキに、カオリは笑みを向ける。
うなじの位置で精緻な鎖の止め具をはめれば、アキの胸元に銀色の反射が煌めく。
「カオリ様っ、これはもしや【ギルド章】!」
「そうだよ、テムリが作ってくれた聖銀製の首飾りを、【ギルド章】として設定したの、やっぱり最初に渡すのはアキかなってさ、今までありがとうね。これからもよろしく」
カオリが満面の笑みでそう言えば、アキは途端に両目を覆って嗚咽を漏らす。
「あ……、あ、有難き、幸せで、ございますっ」
万感の想いを込めて、それだけをようやく言葉にするアキに、カオリ達は目を細めて拍手を送る。
「じゃあ次はアンリとテムリだよ! アイリーンさんは……、ロゼの後でもいいかな?」
「構わないさね。あたしが先に貰っちまうと、ロゼが拗ねちまうからね」
ギルドへの加入順に授与するならば、姉弟の次はロゼッタ、その次にアイリーンとなるので、例え面倒とは云えカオリは当然の配慮とする。
「じゃあアンリ、いつもありがとうね」
「うん、カオリお姉ちゃん」
日頃から頻繁に感謝を送り合う家族の間に、大袈裟な称賛は必要ない、言葉の代わりに贈るのは、どこまでも無邪気で、どこまでも無垢な笑顔であった。
「テムリもありがとうっ」
「うんっ!」
姉弟の首に【ギルド章】を飾り、カオリは満足そうにうなずくのに、今度はアンリ達が手を差し出す。
「次はカオリお姉ちゃんだよ! アキお姉ちゃんもほらっ、三人でカオリお姉ちゃんに首飾りをつけてあげよう!」
「はい、はいっ、アンリ様っ!」
「やった! 僕が渡す!」
驚きから笑みを浮かべて、カオリは【ギルド章】をテムリに手渡す。
「さあテムリ様、カオリ様へ【ギルド章】を、止め具はアンリ様がお止になってくださいませ」
【ギルド章】の鎖の両端を小さな手で握るテムリを、アキは抱きかかえてカオリの首元まで手が届くようにする。
まるで大任を預かったが如く緊張した様子で、そっとカオリの首元へ手を回すテムリから、カオリの後ろに回ったアンリが鎖を受け取り、髪を優しくかきあげ止め具を止める。
恥ずかしげにはにかむカオリ、笑みを浮かべてカオリに抱きつく姉弟、滂沱の涙を流すアキと云う、大変微笑ましい四人の様子を、アイリーンは満面の笑みで眺めた。
「いいぃ~家族だね~、ササキの旦那じゃないが、これを見せられたら、なにがあっても守ってやりたいと思うさね」
アンリ手製のパンと、いつの間にか取り出した蜂蜜酒を煽り、アイリーンは上機嫌な様子である。
そのまま雑談を挟み、カオリ達は昼食をすませた後、集合住宅に移動してダリアも交えて簡易の報告会をする。
「お帰りなさいませカオリ様、お嬢様、こちらがご要望の移民受け入れ可能数と、受け入れ後の従事作業の一覧にございます。また各村人からの嘆願書の中から、優先度の高いものを纏めたものになります」
「いつもありがとうございます」
ダリアから手渡された書類を、お礼を言って受け取ったカオリは、書類にざっと目を通す。
「水門の土台及び管理小屋は出来ております。後は水門そのものを設置して完成となります。浄水施設も稼働可能であります」
「加えて、スライム濾過槽も試験的に運用しております。実際の濾過能力は水道を実際に稼働して見なければわかりませんが、通常の自然濾過槽でも現状の村の汚水であれば、十分に浄化可能なので、ほどなくして並列稼働をご検討ください」
カオリが書類に目を通す間、村発展にとくに重要な水道施設に関する報告を、ダリアとアキが説明する。
「ほうほう……、ん? 鍛冶場の建設?」
書類の中に気になる項目を見付け、カオリは思わず声を出す。
「はい、現在村の鉄器類は、釘の一本ですら外部から買い付けているのが現状です。しかし森小屋建設に伴った木々を伐採、また進路上の邪魔な岩石を撤去する過程で、鉄を含む鉱石が採取されていることから、細々とした金属資材に関しては、早期に自給可能な施設の設置が有用ではないかと、要望が挙がっております」
アキの説明にカオリはしばし黙考する。
ギルドホームに炉の魔導施設である【魔力炉】を導入したばかりである。時期の一致した鉱物資源の利用に、カオリは意識をかたむける。
「水道が稼働すれば、汚水の問題も解決出来るし、農具とか工具とか、鉄とか銅の自給は速めに手をつけた方がいいよね~」
そう言いながら、心中では魔力炉との併用も視野に入れた新規事業へ思考する。
(ただの鉄とか銅とかを鍛造するのに、一々貴重な魔石を消費するぐらいなら、村で消費する金属資材は村で自作するべきだよね? 祠の魔力炉はその分、アンリの制作物とか私達の装備に特化して稼働した方が安全かな?)
また村の開拓に伴う各種資材は、王国領のエイマン城砦都市と帝国領のモーリン交易都市の双方で調達している関係上、突然注文を辞めれば不審に思われるだろうとカオリは考えた。
もちろん自給可能なのだから買い付けを止めるのは自然の摂理なのだが、各都市間との良好な関係構築を考えれば、継続的な交易は最善の手段である。
幸いにして両都市から連れて来た職人集団である。石工のエレオノーラと、大工のクラウディア達は、組合とはほぼ無関係な集団である。
最悪各都市との関係が悪化した場合でも、彼女達が即刻仕事を放棄して村を去るような事態にはならないだろう。
しかしだからと云って、未だ食料や衣服の調達を交易に頼っている現状で、なにも進んで危険な手段をとる必要はない。
であれば村の主力交易品であるアンリのポーション類、およびカオリ達の装備関連の自作を祠の魔力炉で、村のさらなる開拓規模の拡大および、修繕や補填には村の鍛冶場で賄うと云う方針が妥当なように、カオリは思い至る。
「鍛冶場の建設、いいですねぇ、浄水施設の周辺ってまだなにも建物が建ってませんよね? あの辺りを工業関連施設と考えていましたけど、まずは鍛冶場建設を優先的に進めましょう」
カオリの案に一同も同意を示す。
「そう仰られると思い、すでに構想を纏めております。建設に必要な資材の他、当面の稼働人員の選定など、カオリ様のご裁可があれば即座に着手可能です」
「お、さっすが」
アキが目を伏せて豪語するのに、カオリは称賛を贈る。
「そもそもこの提案事態が、【赤熱の鉄剣】のアデル様発案であり、従事者も彼の御仁自身が担うと進言されたものです。兼ねてから職人様達の道具の修繕など、積極的に腕を振われておりましたので、彼の方のために本格的な設備をご用意するのは、必要なことであると考えられます」
「そっか、アデルさんって鍛冶屋さんの息子さんだもんね。老後は鍛冶仕事で余生をって言ってたし、それこそご両親をこの村に呼ぶなら、親子で腕を振ってもらえたら最高だね~」
ダリアが発案者であるアデルの名を挙げれば、カオリは納得の表情を浮かべる。
「森小屋建設予定地への伐採作業も完了し、現在は森小屋建設に向けた敷地整備をおこなっております。抜根後の埋め戻しや地均しと排水溝の整備など、建設着手には今少し時間を要しますが、移民受け入れまでには完工可能です。ただし道の整備は長期的に見る必要があるかと、森林内の地面隆起が激しく、中には盛り土をせねば水没する箇所が多数ありますので」
「それは仕方がないね~、どの道雨の日は森での採取も出来ないし、当面は一直線に森の中に入れるだけでよしとするかなぁ」
カオリ発案の森小屋建設も順調な様子だと、カオリは不足点には目を瞑る。
「てことは森からとれる間伐材もそろそろ打ち止めか~、移民さん達の住居に使う木材は、大量に仕入れないとね~」
ダリアから提出された移民受け入れ上限では、現住民の倍の人数までは受け入れが可能であると記載されている。
それはつまりこれまで建てた家屋と、およそ同数の家屋の追加建設が必要であると云うことだ。
「冬の間の薪の確保も無視出来ません、元村人の方々から話を聞き、年間の消費量の目安を調べましたが、やはり現在の村の備蓄木材だけではやや不安です。幸い我らの村では魔法による木材の乾燥を短縮出来ますので、追加で伐採をおこなえば最悪の事態は避けられます。しかし建築にまでは回す余裕はないかと……」
また冬の暖をとるために必要な燃料となる薪も、交易から自給自足に移行しつつある現状、無理な建築による備蓄木材の消費には注意を払わなければならない。
「冬の間には二つ目の集合住宅を完成させたいし、ここらで一挙に木材の買い付けをしておくべきだね。お願い出来るアキ?」
「かしこまりました。両都市にて建築に必要な量に追加する形で、大量に購入します」
カオリの裁可に承知を示す。
「あと鍛冶場の建設は冬を越えたら着手してほしいな、冬の間は仕事も進まないだろうし、急ぐ必要はないからね。その代わり森小屋と集合住宅の建設は優先的にお願いね。難民の移民も冬から本格的に始まるから、それに間に合わせてほしいの」
「承知いたしました」
さらさらとカオリからの指示を優先度別に書類に記録するアキと、それに伴った人員配置の見直しを進めるダリアを見守り、カオリは軽やかに立ち上がる。
「ちょっと村全体を見回して来るよ、実際にどこまで進んでるか、自分の目で見ないとね~」
「あたしもお供するよ、セルゲイ達が真面目に仕事してるかも確かめないといけないからね」
カオリと共に立ち上がったアイリーンが装備の位置を確認しつつ、不敵な笑みを浮かべる。
集合住宅を出て、向かうのは塀の石積み作業場である。
祠から採掘される潤沢な石材を、市壁として利用する現在は、需要と供給の均衡がとれ、順調に進んでいる。
丸太を突き立て並べただけの最低限の防衛機構である現状だが、石積みが完成すれば強固な石壁が村を囲うことになる。
高さこそ今まで見た都市規模には敵わないが、大人の背丈二人分よりも高く積まれる石壁は、例え【オーガ】の棍棒の一撃にも耐えうる頑丈なものになるだろう。
流石に【ソウルイーター】のような災害規模の魔物が相手では、障害にもならないだろうが、少なくとも【ゴブリン】程度なら手も足も出ないことは確実である。
彼らに村を滅ぼされた元村人にとっては、それは非常に重要な要素だと、カオリはこの新たな石塀の完成を心待ちにしている。
しかし冬の間に森小屋と集合住宅の完成を急ぐ関係から、この現場も人員を減らし、最悪一時延期する必要もあるだろう。
防衛に関しては、現在村に詰める冒険者達に任せる他ないのは仕方がないと諦める。
「お疲れ様で~す」
「おおっ盟主様、帰ってたのか、……お嬢も」
カオリの気の抜けた労いの挨拶に、セルゲイは腕まくりした袖で額の汗を拭う。
「順調かい?セルゲイ、真面目に働いているようでなによりだ」
「あたりめぇよ、オンドールの旦那もレオナルドの旦那もいるんだ。サボってるところなんて見られたら、どんな目に遭わされるか……」
遠い目をして空を仰ぐセルゲイの様子に首をかしげる一方で、アイリーンは苦笑を漏らす。
「両旦那共張り切ってたからね。若いもんに口も手も出すのは、楽しくてしょうがないんだろうよ」
ミカルド王国騎士の臨時訓練官で同行した時のオンドールの様子や、同じアラルド人のレオナルドの人柄を知るアイリーンは、彼らが村でどのように監督業に従事していたかを想像した。
「まあ俺らも随分と体力がついたし、手順も慣れたもんよ、村人を休ませる必要もあるしよ、そうそうばてるこたぁねぇな」
だが以前には見られなかった余裕のある態度に、アイリーンは大笑いする。
「あっはっはっ! そうかいそうかい、そいつは重畳っ、なあカオリ、そろそろこいつらを冒険者登録をさせようさね」
「ほ~、いいですね。セルゲイさん達も仕事のない時は魔物狩りとか、村周辺の巡回とか、戦う機会はあるでしょうし」
ところがアイリーンの唐突な提案にカオリが同意したことで、セルゲイはさっと顔を青くする。
「ま、待てよっ、そりゃあ村以外での身分証明が出来るのはありがてぇけど……、冒険者って一定期間仕事を受けねぇと、登録が失効するって話しじゃねぇか」
「そうですね~」
慌てるセルゲイが、聞きかじった情報を口にして、それが間違いないことを確認してさらに顔色を失わせる。
冒険者とは魔物から人類の生存圏を守り、また拡大するための重要な戦力である。そのため常に魔物と戦うことが求められる。
だが危険な仕事であるからこそ、人によっては大きな仕事を終えた後、街で自堕落な生活に身をやつす者達が一定数出てしまうのだ。
生活に困らないから働かずに遊んで暮らす。その心情には大いに同意出来るところではあるが、冒険者組合にとっては貴重な戦力を遊ばせておくなどもっての他。
そのため一定期間、厳密には半年間どこの組合でも依頼を受けなかった場合は、冒険者証を失効する規則を設けたのだ。
もちろん怪我などにより現場復帰が難しい場合は控除する措置も講じられるが、それほどの重症の場合は、そもそも冒険者を引退する必要に迫られることが多く、長期間の休養はえてして失効対象と見なされる。
つまりセルゲイ達が冒険者登録をした場合、一定間隔で依頼を受ける必要が、魔物を討伐する必要があると云うことだ。
もちろん鉄級以下の階級であれば、必ずしも魔物との戦闘が必須な依頼だけでなく、比較的安全な依頼もあるのだが、それらは往々にして長期依頼の場合が多い。
例えば辺境の森の希少素材の採取や、低級の魔物の駆除、あるいは遠方への護衛依頼などである。
しかしセルゲイ達は村の開拓に従事する関係上、あまり村を留守にすることが出来ないと心得ている。
そうなれば必然的に、村の周辺における魔物の討伐などが対象となるだろう、討伐依頼を受けられる鉄級昇級までの期間を省き、少なくとも早期に完遂出来る駆除依頼が主軸となることは、容易に想像出来たのだ。
「そ、そりゃあ森を塒にしてた時はよぉ、ちょいと魔物を狩ることだってあったし、軍にいたころは進軍経路の安全確保だっつって駆り出された経験もあらぁ……、けどいつだって小隊規模で安全に戦ったことしかねぇんだっ、少数精鋭で魔物と戦うなんざしたことねぇよっ!」
セルゲイのもっともな告白に、肩を竦めて呆れるアイリーンと、カオリは眉をひそめて目を合わせる。
「そりゃあ冒険者ですから、最悪単独でも魔物を討伐したり、数人で群れを討伐することもありますから、怖いのはわかりますけど、そんなの冒険者じゃなくても戦う術を身につけている以上、向き合わなきゃならない心構えじゃないですか? 少なくとも辺境のこの村は、いつ魔物に襲われるかわからない立地なんですから、多かれ少なかれ、魔物との戦闘に備えて鍛える必要がありますよ?」
領軍に所属していた脱走兵で、数十人の野盗を率いていたセルゲイが、まさかここまで魔物専門の冒険者を恐れるとは思わず。カオリは不思議に思う。
「わかってねぇよ盟主様よぉ、魔物ってぇのは人間と違って智恵がある癖に恐怖を知らねぇ、人間と見りゃあ猛然と襲って来るイカレた生物だ。見た目以上に怪力で、毒や魔法すら使って来る。ちょっと剣が振れる程度じゃあ少しの油断でやられちまう、毎日どこかで殺される冒険者がいるんだ。俺らが明日そうならねぇ保証はねぇだろう?」
「う~ん……」
そう云われてしまえばたしかに事実であるとカオリも理解する。もちろんカオリ自身が冒険者なので魔物の脅威は十分に理解しているのは言うまでもない。
しかしこの場合は、一般人の魔物に対する認識である。野盗に身をやつした脱走兵を一般人と呼んでよいかはさておいて、少なくともカオリの想像する以上に、魔物への恐怖心は大きいはずだ。
「まあそれはそうさねぇ、村に迷い込んだ単独の魔物を退治したことがあるって程度で、冒険者になってあっさり死んじまう新人冒険者の話しなんてごまんとあらぁね」
アイリーン自身も冒険者歴は短いながらも、世間で噂されている冒険者の危険程度は知っている様子で相槌を打つ。
「私としてはせっかく戦えるセルゲイさん達が、仮に偶然魔物と遭遇して、討伐出来た時に、討伐報酬や素材の換金をご自分達で出来れば、公平かなって思っただけなんですけど」
「そ、そうなのか? 冒険者なんだからって森の討伐に駆り出されたり、出稼ぎに行かされたりしねぇのか?」
恐る恐ると伺うセルゲイに、カオリは肩を落とす。
「私をなんだと思ってるんですか、セルゲイさん達は私達の村の住民で、守るべき民の一人なんですから、外から来て協力してくれている冒険者のみなさんと、同じ扱いはしませんよ……」
カオリの言質がとれたことに安堵した様子で、セルゲイは盛大に溜息を吐く。
「まあこの話は追々するさね。その時はあたしも旦那達も本腰を入れてあんたらを扱くさね。安心おし」
「……全然安心出来ねぇんだが」
暇さえあれば朝夕と軍事教練を強いられている彼らに、より高度な訓練を施すと宣言されれば、安心どころか辟易するセルゲイに、カオリは同情する。
「でも移民を受け入れたら村の人口も百人を超えそうですし、戦力の拡充は必須ですよね~」
村がおかれた現状から、潜在的な危険因子は数え切れない、王国や帝国と云った近隣国からの武力介入、南北に広がる大森林や山脈に潜む魔物達と、守るものが増した分だけ、戦力を整える必要があるとカオリは強調した。
「冒険者はあくまでパーティー単位での潜入や討伐が基本だからね。傭兵とか軍人とか、集団行動に慣れた防衛戦力の配備は絶対に必要さね。あたしは石塀の完成と並行して、軍備を整えるべきだと思うね」
「それは何故ですか?」
アイリーンの見立てを不思議に思ったカオリが質問するのに、アイリーンは次の視察場所に向けて歩きながら答える。
「これまでの村は防衛機能がほとんどなかったろ? それはつまり攻め落としても継続して防衛しづらいってことさね。立地的にはハイゼル平原を見下ろせる物見としてはいいだろうが、それだけここは目立つ場所にあるさね。防衛陣地としては微妙な場所さね」
一拍おいてさらに続ける。
「しかも特段奪える物資も食料もないときた。王国からも帝国からも近い上に、東西を川で分断されてて、軍を進行出来る大きな橋もない陸の孤島さね。さらに北は魔物が跋扈する大森林と来た……、あたしが指揮官なら無理して攻め落とすより、戦後の中継地点として残すために、無視して平原に兵を進めるね」
帝国王国間戦争で、一度もこの村が略奪や収奪に遭わなかった理由を、アイリーンはそう予想する。
「なるほど~、だから何十年も村が国に目をつけられなかったんですね~」
「ああそれと、帝国も王国も、ここでの戦線には高位貴族の私兵とか、皇家や王家直属の騎士団を派遣してたからね。略奪は禁じられていたのも理由だろうよ」
しかしアイリーンの見解にカオリは首をかしげる。
「どうしてですか? 戦争に略奪はつきものですよね?」
ブラムドシェイド公国とエルスウェア評議国との事実上紛争地帯における。凄惨な略奪と難民の境遇を垣間見たカオリからすれば、戦地での略奪行為はもはや常識になりつつある。
しかしアイリーンはこれには真剣な表情で首を振る。
「『ミカルド王家は共に神々に選ばれし至尊の民である。ゆえに卑劣なる勝利は神々への翻意である』ってのが帝国の総意、ひいては皇家のご意思さね。だから帝国からは精鋭の騎士団や戦士団、統制のとれた軍でのみ参戦が許されるのさ」
「おお、なんか恰好いいですね……」
国家間戦争と云っても、その形態はそれぞれであるとカオリは素直に感心を抱く。
共に大陸最大国家としての敬意をもって、人道的ではない手段での侵略をよしとしない姿勢には、単純な領土欲や民族間の確執以上のなにかを感じさせる。
「そもそも現帝国は第二紀エリシャール朝の失策から学んで、民族融和を国是として東大陸を平定したさね。むしろ謀反を起こした自国の貴族とか、反旗を翻した属国に対する制裁の方が、よっぽど苛烈さね」
「それはそれで怖いですねぇ……」
裏切り者には容赦のない制裁を加えるのは、強大な帝国の維持に必要な措置なのだろうと理解するカオリに、アイリーンはぽんぽんとカオリの頭を撫でる。
「アラルド人は選ばれし民、それは間違いないさね。なんせ聖都の正史にアラルド人の始祖である旧ハイド人と三百の戦士団への祝福の逸話が残されているからね。だけど【竜の時代】と【魔の時代】を生き抜いた大陸の民族国家の奮闘と名誉も、同じように敬意を払うべき対象さ、みなが一丸となって竜やエルフ達と戦ったから、今の人類の繁栄があるなら、例え国境を違えても、いつかは杯を交わす同胞となりえるはずさ、敵だからって無体な真似は出来ないさね」
確信をもって断言するように、平和な未来を示唆するアイリーンの迷いのない瞳を、カオリは笑みを浮かべながら見詰めた。
「戦うことが好きなアイリーンさん的には、戦争のない平和な世界は退屈じゃないですか?」
からかう様子でカオリが揶揄するのに、しかしアイリーンは声を上げて笑う。
「なあに、平和までの道程ってのは、いつだって血で血を洗う熾烈な戦いが、いつ終わるとも知れない壮絶な戦いが、あるものさね。そこを死に場所に出来ればあたしゃ満足だよ、……まあそんな時が来ればね」
「戦士の死に場所ですか……」
民族間の確執、経済の混迷、信仰の対立、文明の乖離、これらが列強国家群を依り代に、世界を巻き込んだ大戦を生むと示唆されて、カオリはとても他人ごとに思えずに黙考する。
「なんにせよ仮に帝国王国間戦争が再開された場合、防衛機能が向上して物資が豊になっていた場合、この村も目をつけられる可能性が高いってことですか?」
「少なくともそれを主張する貴族は当時からいただろうから、強行手段に出る輩は間違いなく出て来るさね」
どれほど統制のとれた軍であれ、全体の作戦遂行に支障が出ない範囲であれば、功名心や実利から、指揮官の意に反した行動に出る輩は一定数は存在するだろう。
その自分本位な軍事行動に、カオリ達の村が巻き込まれる可能性が、カオリ達が村の価値を高めれば高めるほど増すだろうと、アイリーンはカオリに教えたのだ。
「だからと云って村を貧しいままに、弱いままにすることなんて出来ませんしね~」
「そうさね。だからこそ備える必要があるんだよ、簡単に滅ぼされない力を、手を出すことを躊躇する力を、戦わないために戦える力を、あたし達は備えないといけないのさ」
胸を張って断言するアイリーンの横顔を、カオリは見上げる。
「戦わなくてすむように、戦う力を身につけるなんて、面白い矛盾ですよね~、なんて云うか、……人間らしいって感じです」
「戦うために、戦う連中もいるけどね」
「アイリーンさんもですか?」
「心配しなさんなよ、あたしは小賢しい悪知恵を働かせて、争いを招き寄せるようなことはしないよ」
無表情で問いかけるカオリの様子に、言い知れぬ畏怖を感じたアイリーンは、やや強がって不敵に笑って見せるが、カオリは首を振って否定をする。
「別にいいですよ、自分の意思を曲げてまで、我慢する必要なんて……、結局どちらを選んでも、本質は変わらないと思うんで」
「ほう、そりゃあどういう弁さね」
戦いを求める自分の性分を肯定されて、アイリーンは興味深くカオリに問いかける。
「平和を望む気持ちも、戦争を求める人の性も、結局は自分の意思を突き通す行動なら、過程は違っても掴む未来は同じなはずです。大切なのはそれを叶えるための力があるかどうかなんだと思いますから」
カオリの言葉に、アイリーンは深く息を吐く。
「本当に面白い子さね。カオリは」
音もなく草地を歩くカオリと、重々しい金属の擦過音を鳴らして進むアイリーン、二人の影が重なる。
真上に登る太陽が、どこまでも平等に大地を照らしていた。




