( 作戦開始 )
黄昏の月、とある未明の刻、王城の軍務棟の演習場に各騎士団から選ばれた騎士達が集合していた。
「これより、作戦を開始する」
アルフレッド第一王子より発せられる力強くも、落ち着いた姿に、騎士達の注目が集まり、ざっ、と云う起立の足並みの揃った音と共に、騎士達の無言の敬礼が送られる。
誰もがこれまでにない大規模な摘発作戦を前に、一様に緊張を抱いてはいるが、臆するものなど一人もいない、そこには入念に準備をし、常よりも過酷な訓練に励んで来た自負がうかがえる。
「事前に指示した通り、各員油断せず当作戦に臨め、出陣!」
作戦における具体的な配置や全体への指示は、すでに秘密裏におこなわれている。
この場で具体的な固有名詞を口にしないのは、あくまでも情報が外部に漏れないように、最後まで警戒しているためだ。
もしここで、目標に逃げられでもすれば、後々に禍根を残す要因となりえ、また時をおいて、不正の芽が王都に蔓延ることになるのだ。それだけは避けなければならないと、今回の作戦は、直前まで誰の耳にも入らぬよう手を回していた次第である。
しかしそれでも賢しいものには勘付かれ、逃走を許してしまうのを完全に防ぐことは出来ないだろう。
(おお~、いよいよか~)
そんな中、カオリは王都壁外の林に身を潜め、シンの式神である【シキグモ】から送られて来た音声を、【遠見の鏡】と併用して、状況をつぶさに観察していた。
「こいつは便利だね~、これだけ離れた王城の音声を、ここまで正確に拾えるなんて、作戦内容もダダ漏れさね」
木にもたれかかりながら、手斧を弄び、アイリーンは笑みを浮かべて耳に取りつけられた魔道具に触れる。
カオリ達が装着しているのは、ササキにお願いして作ってもらった。遠話の魔道具の一種で、一見すれば黒い補聴器のような形をしている。
残念ながら通話は出来ないが、一方的に音声を受信することは可能のため、盗聴にはもってこいの魔道具である。
「シンの使役する【シキグモ】が、特殊な糸で音の振動を拾い、それを音声として変換、特定の魔力波長で音声情報として送信し、この魔道具で受信、再生する仕組みになってます」
「理論を聞いてもさっぱりさね。ようはシンの蜘蛛が盗み聞きした音を、こいつで聞けるってことさえわかりゃあ十分さね」
不敵な笑みを浮かべて気分よく笑い飛ばすアイリーンに、カオリは思わず苦笑する。
カオリ達の目的は一つ、王城に潜り込んだ間諜により、騎士団の目的が外部に漏れた場合に、違法行為に手を染めた商会や組織が、王都から逃げ出すのを捕えることであった。
そして今いる林に身を隠す場所に選んだのも、クレイド達【泥鼠】達の精力的な調査によって判明した。いくつかの抜け穴から、恐らくここがもっとも近いと予想されたためだ。
もちろん騎士団もなんの対策も打たなかったわけではない、いくつかの小隊を街道沿いに潜ませ、広範囲の警戒網は敷いているため、カオリ達はその穴を埋める程度の配置である。
「【泥鼠】さんと【蟲報】さん達の配置はどうですか?」
「準備万端さね。いや~カオリはいい拾いものをしたね。あいつら結構優秀な上に、よく言うことも聞くさね。ゴーシュ達も同じ斥候型だからか、対抗意思をもってるね。いい傾向さね」
アイリーンから大いに評価された【泥鼠】も、今は王都市壁に潜ませ、何者かが脱出したさいは、いち早くカオリ達に連絡をする手筈になっている。
逆にゴーシュ達【蟲報】の面々は、警戒網に漏れがないよう、林に広く展開していた。
ちなみに連絡方法は、各自に持たせた【シキグモ】に、一方通行で音声を送ることで把握出来る。この画期的な魔物の利用方法には、彼らも驚きを隠せなかったのは当然である。
しばらく時が経ち、いよいよ日が登ろうかと云う時刻になって、カオリの下へ物々しい声や騒音が届くようになった。
『王国騎士団だっ、これより強制捜査をおこなうっ、従業員は壁に手をつき、その場を動くなっ!』
『これは王命であるっ、如何なる反抗であっても王家への反逆とみなし、捕縛対象となること、肝に銘じよっ!』
『貴様、動くなと言ったはずだっ!』
『逃げたぞ! 追えぇっ!』
騎士達の怒号を聞きつつ、カオリ達も準備をする。
「始った始った」
「おうおう威勢のいいこって」
通常であれば、従業員がもっとも詰めているであろう昼ごろを狙うのが効率的であるのだろうが、今回の作戦では確実に証拠を押収するために、人が油断しやすい早朝の時間帯を狙ったため、抵抗は思ったほどではない様子である。
まだ出勤していない多くの従業員に関しては、【泥鼠】達が調べ上げた。寮や集合住宅に、騎士達の見張りをおき、どこにも逃げられないように監視体制を敷いていることで、この時間帯での強制捜査が可能だったのだ。
全てはクレイド達【泥鼠】の、数カ月に及ぶ執念の調査がなせる成果なのだ。
「この調子なら、私達の出番はないかな?」
「ちょいとつまんないけど、これもオンドールの旦那の指導の賜物だろうさね。騎士達も随分連帯が上手くなったからね」
以前に実施されたオンドールによる市街地における展開訓練により、王都守護騎士団と王家近衛騎士団の連帯が深まったことで、広範囲の包囲にも対応出来ている様子だと、カオリとアイリーンは感心する。
だがそう思ったのも束の間、クレイドからの通信が入る。
『盟主様、第四地点より逃走者です。男が二人、数人の女を連れて馬車で移動をするようです。女は鎖で繋がれています』
「あらら、仕事みたいですよ~」
「娼館の連中かい? わざわざ商品と共に逃走とは、よっぽど価値のある女達なんだね」
騎士団の包囲網から、女連れで逃げ出すなどと悠長な様子に、カオリ達は呆れた声を出す。
しばらくし、馬車に乗り換えたようで、舗装されていない道なき道を、粗末な箱馬車が全速力で疾走しているのが、カオリ達の視界にも捉えることが出来た。
「予想通り、この林に向かって来ますね」
「ここが違法な商会の息のかかった植林地ってのは、本当の話しみたいだね。証拠がないから監視の対象外になったけど、後で報告してやった方がいいんじゃないかい?」
どこまでも呑気に、二人は逃げる馬車が接近するのを、静かに待ち受ける。
茂みに身を潜めるカオリと、大きな木の幹に隠れるアイリーンは、馬車が通り過ぎる瞬間を見計らい、即座に行動を開始する。
駆け出した勢いのままに御者台に飛び乗ったカオリは、驚く御者が声を上げる間も与えず。拳でこめかみを強打した。スキルの補助がなければ死んでもおかしくない衝撃に、御者は昏倒する。
その間アイリーンは馬車の後方にしがみつき、足を地につけ馬車を急停止せんと自慢の怪力を発揮した。
突然の急制動に馬車の木枠が悲鳴を上げ、同時に後ろに引っ張られた馬が、もんどり打って転倒すれば、ようやく馬車は止まる。
「きゃあぁっ!」
「クソっ、なんだいきなりっ!」
馬車の荷台から女達の悲鳴と、男の悪態が聞こえたのを確認し、アイリーンは荷台の扉の取手を掴むと、力任せに扉を外す。
「なっ、なんだ――、ぐあ!」
驚いて腰を抜かした男の首を鷲掴みにし、アイリーンはそのまま地面に叩きつける。
「ま、まて、ぎゃあ!」
落葉によって衝撃が吸収されたのか、一度で無力化出来ないと判断したアイリーンは、容赦なく何度も男を地面に叩きつける。
何度目かの叩きつけで、気を失った男であったが、すでに手足が折れ、頭からは血を流した悲惨な姿となり、アイリーンは満足げに笑みを浮かべる。
「自分が止めるからって言ったから任せましたけど、強引過ぎません?」
「止まったからいいだろ? 下手すれば木にぶつかって大惨事になるんだ。多少強引でもこれが一番安全さね」
少々の苦言を呈するカオリへ、アイリーンは自慢げに胸を張った。カオリが懸念したのは、帰りの足である。馬車がそのまま使えるのであれば、それに越したことはないからだ。
「もう一人の男の人は……、縛る必要もなさそうですね」
御者を無力化後、縄で縛り上げたカオリは、もう一人の男も確認したが、男のあんまりな状態に、やや同情を贈る。
「……すでに終わっておりましたか」
「ああ、みなさんも追いついたんですね」
そこにクレイドとピケットの二人も合流する。ヴルテン達は市壁の監視を続けている。
「これから女の人達を改めますから、男の人達を運ぶ準備をしてください、アイリーンさんは可愛そうなお馬さんを宥めてあげてくださいね~」
「おおすまないねぇ、馬、びっくりさせて悪かったさね~」
カオリの指示に無言でうなずくクレイド達と対象的に、アイリーンは似合わない猫撫で声で、倒れた馬を助け起こした。荷馬車を牽く馬を抱え起こすアイリーンの怪力に、馬はすっかり怯えた様子である。
そしてカオリは開け放たれた荷台を覗き込み、怯える女性達を認めると、満面の笑みを浮かべて声をかけた。
「驚かせちゃってすいませ~ん」
カオリのそんな様子に、委縮していた女性達は、少しだけ緊張を解いて、お互いの顔を見合わせる。
「だ、誰?」
女性の一人が勇気を出してカオリへ問いかければ、カオリはそれもそうだと思う。
「今回の貧民街一斉摘発作戦で、王国騎士団に協力している冒険者です」
「……私達をどうするつもり?」
(ありゃりゃ、なんだか警戒されているな~)
そうしながらも、カオリは冷静に女性達を観察していく、もしかしたら、この中に娼館側の従業員が紛れている可能性もあるため、武器を隠し持っていないかを警戒しているためだ。
一見すればやや汚れた衣装を着せられた姿から、恐らく無理やり春を売らされていた娼婦達なのだと思うが、カオリに油断の文字はない、服の僅かな膨らみや、重心の位置から、武器の有無を見極める。
「とりあえず一旦外に出てもらえますか? その拘束を解きたいですし、馬車の中も改めたいので」
「……」
女性の質問には応えず。笑顔で指示だけをするカオリに、女性達は益々身を固くするが、逆らえないと判断したのか、ややあってから動き出す。
全員が外へ出たのを見届けて、【泥鼠】のピケットが馬車の中に乗り込み、なにかしらの証拠などがないかを改める間、カオリは女性達から少し距離をおいて対峙する。
「改めて自己紹介をします。神鋼級冒険者ササキの後見を受けて、現在王都で活動する冒険者のカオリ・ミヤモトです。彼らも冒険者で、私の仲間です」
自分の自己紹介が全員に聞こえたかを確認し、カオリはさらに続けた。
「さっきも言った通り、現在王都では王家の命を受けた騎士団による。不法な商会などを対象とした一斉摘発がおこなわれています。つきましては彼らの被害に遭っている方々の保護もしており、みなさんの立場を調査するため、一旦騎士団へ身柄を預けることになります」
「私達を、調査?」
先程からカオリへ質問をする女性へ、カオリは視線を向ける。
「はい、現時点ではみなさんが、本当に被害に遭われたかどうかを証明することが出来ません、もしかしたら被害者に紛れて、悪い人が隠れている可能性もあるので」
「そんな……、ここにいるのはみんな同じ境遇の子達だけよ!」
少し怒った様子で声を上げる女性を、カオリは改めて観察する。
(うーん、みんなの纏め役的な人かな? なんだか慕われている感じだし、ならこの人が認めれば、悪い人が紛れててもわかるかな?)
カオリよりも一回り以上は年上のようだが、それでも娼婦であろう彼女の容姿は非常に整っていた。
少なくとも彼女達が商品である以上、食事や美容にはそれなりに気を遣って来たのだろうことが伺える。
やや明るい茶髪に、黄銅色の瞳から、生粋のロランド人ではないのだろうが、カオリにとっては些細な問題ですらない。
「大丈夫ですよ、疑ってはいますけど、そこまで警戒もしてませんから、大人しく従ってくれる内は、私達もなにもしません」
そう云ってカオリは荷台から出て来たピケットへ視線を向ける。
「証拠らしいものは発見出来ません、とるものもとらずに女達だけでも運び出そうとしたようです」
「なるほど、彼女達の枷の鍵はありますか?」
「……こちらです」
カオリの問いに、男を縄で縛っていたクレイドが、鍵を片手に差し出すのを、カオリは礼を言って受け取った。
「っ貴方、もしかして、アー君?」
とそこで、先までカオリにつっかかって来た女性が、突然クレイドの顔を凝視して彼を呼んだ。
「お前は……、ミリア、なのか?」
互いに名を呼んだ二人を、カオリは交互に見やる。
「お二人はお知り合いで?」
カオリの問いにクレイドはうなずく。
「はい、同じ孤児院で育った幼馴染です……。と云っても十歳ごろには私は暗部に買われ、彼女も、娼館に売られましたが」
(ほっほう? これは事情が変わったかな?)
なにやら普通の友人とは云えない雰囲気の二人の関係を邪推して、カオリはやや口の端を上げる。
「そう云うことでしたら、みなさんの身元も証明出来そうですね。こんな林ではなんですから、その枷を解いたら王都に移動しましょうね~」
笑顔を浮かべてそう促すカオリ、だがそこへ別の声が響く。
「わ、私は騙されないわよっ、この人殺し!」
「なんですか? 藪から棒に」
声を上げたのは一人だけ身形のよさそうな、カオリと同世代の女性だった。見覚えのない彼女からの不穏な言葉に、その場にいた全員が身を固める。
「私を……、殺しに来たんでしょう」
「え~と、どちら様ですか?」
「とぼけないでっ、殺人鬼っ」
あんまりな言い草に、流石のカオリも若干苛立ちを覚える。
「人殺しとは穏やかじゃないねぇ、いったい嬢ちゃんはどこの家の子だい?」
それまで馬車の点検をおこなっていたアイリーンが会話に合流し、件の女性に問いかければ、彼女は憎々しげにカオリを睨みつけるものの、アイリーンの巨躯と、男を襤褸雑巾にした怪力を思い出し、大いに怯む。
「貴女に家を潰された。男爵家の娘よ」
(ん~? 私ってばいつの間に貴族様を潰すようなことをしたっけ?)
心底わからないと云った様子のカオリに、女性は益々形相を歪める。
「申し訳ありません盟主様、もしやこちらのご令嬢、……盟主様を暗殺者に襲わせた開戦論派の貴族の娘ではないでしょうか」
「ん? ああっ、そう云えばそんな貴族様がいましたね。たしか爵位剥奪の上私財の没収の後に王都から追放された。娘さんがいたんですか? 私は顔も知らないんですけど」
となれば、クレイド達の元雇い主の娘と云うことになるのだが、クレイド達は現在死んだことになり、新たな身分を得てカオリに雇われているので、この場で件の令嬢の生家と関係があったことは秘密事項である。
しかし一応は表沙汰になった一件ではあるため、クレイドは世間一般的な情報は開示する。
「件の男爵家に一人娘がいたのはたしかです。しかし当主がおこなわされていた不正や暗部との関与には、一切関わっておらず。接触も一切なかったため、令嬢に関しては平民として市井へ放ったはず……」
暗に自分達も顔は知らないと告げるクレイドに、カオリは納得する。知っていればすぐに報告していたはずなので、彼女がクレイド達と接触していなかったのは事実なのだろう。
「まってちょうだい! この子は市井で騙されて、娼館に売られて来た子なのよ、お父君が隠れて借金をしてて、その肩代わりになれって……、決して娼館の関係者などではないのよ!」
カオリ達が彼女の正体に行き着いた様子を認め、ミリアと呼ばれた女性は、慌てて彼女の潔白を訴えた。
(ああ、私が未だに元男爵を怨んでて、その報復を娘にもしようと、待ち伏せしていたって思われちゃった感じ? そんなに危険人物だと思われてるの? 私って)
なんだかやるせなさを感じたカオリは、肩を落として溜息を吐く。
「あの一件はすでに解決してますし、命を狙われたからって、なんの力もない娘さんを手にかけるほど、私は心狭くないですよ」
至って普通の女の子を自負するカオリには、どうしてここまで他人に怯えられるのか見当もつかなかった。
もちろん警戒中のため、いつでも抜刀出来るよう鍔にかけた左手を降ろすことはしない。
「そうだぞミリア、盟主様は虐げられる貧民達をお救いすべく、俺達を使って情報収集をし、王家に貧民街の窮状を訴えてくださったお方だ。決してそこの元男爵令嬢に報復するために、馬車を襲撃したわけじゃない、安心してほしい」
クレイドはそう云いつつ、殺気なくもまったく隙もないカオリに、戦々恐々とミリアを宥める。
「すいませんがここで押し問答をするつもりはありませんので、異論は後で受け付けます。さっさと馬車に乗って下さい、ここから歩いて壁門まで向かうのは手間ですから」
「私は、貴女なんか信用しないわっ」
信用しようがしまいが、カオリ達に命を握られている状況では、逃げようもないと云う現実を棚に上げ、必死に強がる元男爵令嬢に、カオリは心底げんなりする。
「だったら逃げればどうです? 別に止めはしませんよ? ただしその場合は娼館関係者とみなされて、追手がかかるでしょうけど」
「くっ、嫌な女!」
うんざりした表情を隠しもせずに言い放つカオリに、元男爵令嬢はわかりやすく罵倒する。
「私をお怨みになる気持ちは分からなくはないですけど、しのごの言っても仕方ないんです。折角掴んだ機会をふいにして、後悔するのは貴女自身、前に進むのか、過去に縛られ続けるのか、決めるのは今この瞬間なんです。乗るか逃げるかさっさと決めてください」
互いに因縁のある間柄で、言いたいことは山ほどあるだろうが、カオリにとって重要なのは、大事な局面での素早い決断である。
こうしている間にも、彼女達と同様に商品として連れ出される貧困者がいるかもしれない、すぐ手の届くところで、誰かが助けをまっているかもしれないのだと、カオリは逸る気持ちを無表情の下に隠す。
「く、……わかったわ」
結局は受け入れざるをえない事実に変わりはないと、苦虫を噛み潰したような表情を滲ませ、元男爵令嬢は馬車の荷台に乗り込んだ。
「あんた達もさっさと乗りな、走り出したら揺れるからね。みんなで仲良くお手々繋いでなよ」
アイリーンの空気を読まない軽口に、女性達は眉をひそめるが、言われた通りに身を寄せ合って座る。
「【泥鼠】のみなさんは引き続き市壁の監視を続けて下さい、なんならご自分の裁量で逃走者を捕縛してもらってかまいませんので、ただ安全を期すために、【蟲報】とも連帯してくださいね」
「かしこまりました」
カオリの指示に最敬礼を見せるクレイドをその場に残し、カオリは走り出した馬車に軽やかに飛び乗る。
『こちらカオリ。壁外で逃走中の娼館関係者を捕縛、同時に被害に遭われていたと思しき女性達数名を保護したよ、今から移送に使用された荷馬車をそのまま利用し、王都市内まで護送しま~す』
『了解よカオリ、騎士団には私から報告しておくから、搬送地点を後ほど連絡するわね』
市内の作戦指揮を担う本営に、アルフレッド第一王子と共に行動していたロゼッタが、カオリ達との間を取り持つ形で連絡を取り合う。
無線機器と云った文明の利器の存在しないこの世界では、前線と指揮官との連絡手段は人の足に限定される。
その場合はどうしても事態の進展に、指揮が遅れることがあたり前であろう、とくに今回の作戦においては、保護した被害者達を一時的に保護する場所を十分に確保するため、複数箇所に保護所を設けたため、一ヶ所に集中してしまえばたちまち混乱が生じてしまう。
その点カオリ達は遠話の魔法【―仲間達の談話―】を使用し、如何なる距離でも即座に意思疎通が可能である。
ちなみに今更だが、ササキとの遠話魔法である【―言伝―】と、カオリ達の利用する【―仲間達の談話―】とでは、その性能に大きな開きが存在する。
とくに重要なのが、自身の魔力を消費し、一方的に音声情報を送信する【―言伝―】は、距離や時間に応じて魔力が消費される。また外部からの干渉を受けやすく、高位の魔導士であれば傍受をすることも可能な点に注意しなければならないことだ。
一方【―仲間達の談話―】は、一度ギルドホームへと回路を繋ぎ、その魔力場を経由することで、最初の発動時以外はどれほどの時間通話をしても、使用者の魔力に負担がかからない上に、強力な防魔性能の恩恵により、如何なる傍受も不可能な仕様になっている。
そのためササキは高性能な遠話の魔道具を介し、先述した欠点を魔道具で補っているのだが、それでもカオリ達が自分達だけで遠話をおこなう場合は、【―仲間達の談話―】を利用するように推奨していた。
それはさておき、カオリ達は現在ロゼッタの指定した保護所へ向けて、馬車を走らせているのだが、如何せん、馬車内の空気は張り詰めたものであった。
流石に壁門で騎士の検閲を受けて何事もなく通過した時点で、カオリが公的な身分を有した人物であることは証明されたので、護送されている女性達も、カオリをあからさまに警戒することはなくなったが、どうしても一人だけ、未だにカオリへ険呑な視線を向ける元男爵令嬢には、辟易してしまった。
「いい加減、その視線止めてもらえます? 親の敵なのは間違いないですけど」
やや軽口を混ぜる程度には、気にしていないカオリではあるが、周りの女性達が警戒を解いた中、一人だけ頑なな態度でいられると、周りも安心出来ないと思い、カオリは注意をしたのだった。
「貴女が巷で【不死狩り姫】なんて呼ばれる凄腕の剣士で、あの一件では差し向けられた暗殺者達を、容赦なく皆殺ししたのは知っているのよ、今もこうしている間、ずっと剣から手を離さないじゃない、こっちが逆らえば人を斬るのに躊躇わないんでしょう……、人斬り女よ、貴女は」
元男爵令嬢がそう言うと、周りの女性達もぎょっとしてカオリに視線を向ける。
たしかにカオリは未だに刀に手を添えたままの状態で、ここまで移動して来たが、なにも女性達だけを警戒しての行動ではないとわかるはずだろうに、ワザとそう言う辺りに、元男爵令嬢の嫌悪が伝わって来る。
「人斬りで結構です。自分の意思で剣を手にした以上、それを躊躇っていれば、大切なものを守ることなんて出来ませんから、どこかの誰かさんみたいに、周りに流され、不幸を嘆くだけの弱者にはなりたくありませんから」
「なんですってっ、私が弱者だと言いたいのっ!」
そうだろうと、カオリは無言のまま肩を竦めてみせれば、元男爵令嬢はワナワナと肩を怒らせる。
「そりゃあお貴族様ですから、長いものに巻かれる世知辛さは理解してますよ、それでも上に言われるがままに違法な行為に手を染めて、なんにも代償を払わずにすむなんて、甘い考えでいた訳じゃないでしょう? 貴族だって平民だって、所詮は人間です。力がなければ貶められるし、力があっても正当性がなければ糾弾される。あたり前のことです」
「そんなこと、貴女に言われなくてもわかっているわよっ、それでも貴女のせいでお父様が全てを失ったのは事実でしょう!」
カオリの正論に癇癪を起した元男爵令嬢に、しかしカオリは眉間に皺を寄せて顔を顰める。
「……百歩譲って貴女方男爵家が、私のせいで全てを失ったとして、じゃあ私はどうすればよかったんですか?」
「そ、それはっ……」
もしあの時に、カオリが決断しなければ、最悪の場合はロゼッタが傷付けられていたかもしれないと、カオリは嫌な想像をする。
またクレイド達を撃退後、男爵家を見逃せば、また新たな暗殺者が差し向けられた可能性も高いだろう。
またまた男爵を摘発した場合でも、カオリが法廷に直訴すれば、男爵は重い罰が下されなかった可能性もあったかもしれない。
しかしそうやっていくつもの可能性を想起したところで、すでに過去は覆らないのだ。今更あの件の是非を問うたところで、事実が変わることはないのだと、カオリは心底呆れ果てて彼女に顔を向けた。
「貴女が真に憎むべき相手は、お父君を足切り要員として使い捨てた黒幕でしょう? どうして自分と仲間を守るために戦った私が、そこまで貴女に罵倒されなきゃならないんです? まあそれで貴女の気が済むなら、甘んじて受ける覚悟はありますけど、せめてもうちょっと素直な言葉で本気でぶつかってもらえますか? 今の貴女は癇癪を起した子供にしか見えませんよ?」
「なあっ! こ、子供っ」
両目に涙を溜めて必死に耐える様子に、カオリは嫌な役を引き受けてしまったと、盛大な溜息を吐く。
「弱いことは罪だなんていいません、強くなるのは、それこそ強い意思が必要ですし、そう思える環境に身をおく必要もあるでしょう、……私は家族と離れ離れでたった一人、この大陸に連れて来られたんです。今でこそ心強い仲間に恵まれて、沢山の人達に助けられて今がありますが、そう在ろうと志したのは私自身の意思によるものです。誰がなんと言おうと、その矜持と責任を、人任せにするつもりはありません」
カオリの唐突な自分語りに、周囲の女性達から息を飲む音が聞こえる。
そう云われて見ればと、カオリの持つ黒髪黒目と云うこの世界で見たこともない色彩が、自分達の知る如何なる国家、如何なる民族にも属さない、異邦人であることを物語っていた。
事実は伏せた内容ではあったが、カオリが初め、たった一人でこの世界に放り出された事実は間違いなく、一歩間違えれば、カオリとて彼女達同様に、娼婦になるしか生きる術がなかった可能性も十分にあったのだ。
それこそなにも知らずに帝国領内に足を踏み入れ、低レベルのまま野党にでも捕まれば、悲惨な末路を辿っていたのは容易に想像出来る未来であったはずだ。
「これ以上貴女を責めるつもりはありませんが、他人に怨みごとを言う前に、自分を心配してくれる身近な人に、素直に甘えて相談するとか、今しか出来ないことはもっとあるんじゃないですか?」
「あ……」
カオリにそう言われ、ようやく元男爵令嬢は自分の右手の温もりに気がつき、視線をそちらへ向けた。
彼女を心配そうに見詰めるミリアの、手の温もりを自覚し、元男爵令嬢はみるみる内に涙が溢れ出した。
元男爵が法廷で裁かれ、騎士達に連れられ身一つで王都壁外に放り出されたあの時、彼女は若い女性と云うことで、流石に父親の後を追わせることは避けられた。
しかしその結果、逃げるように迷い込んだ貧民街で、屈強な男達に捕まり、気付けば娼婦として働くように強要されたのだ。
そんな時に彼女を優しく慰めたのが、ミリアだった。
ミリアは下手な慰めではなく、如何に娼館で賢く立ち回るかの智恵を、元男爵令嬢に根気よく教えた。
乱暴な客から暴力を振るわれないための態度や言葉遣い、なるべく早くそう云った行為が終わるような技術、比較的優しいお客の繋ぎ止め方など、娼婦として生きていく智恵を惜しみなく、無償で授けてくれたのは、全ては元男爵令嬢が少しでも、生きる希望をもてるようにとの、紛れもない優しさからであった。
「ふぐ、うううぅあぁああ!」
「アリア、我慢しないで泣けばいいのよ」
ミリアに優しく声をかけられ、ついに耐え切れずに声を上げて泣き出した彼女から、カオリはやるせない気持ちで視線を逸らした。
(アリアさんね。いい名前じゃん)
とうとう気まずくなり、カオリは器用に走行中の馬車の側面を伝い、御者台のアイリーンの隣に腰かけた。
今にも笑い声を上げそうなアイリーンをを横目に、カオリはまた一つ盛大な溜息を吐く。
「くくっ、ふぐっ、……あ~あ、呼吸困難になるかと思ったさね」
「……そんなに面白いですか?」
なんとか声を抑えたアイリーンに、カオリは半眼を向ける。
「いや~相変わらず女の子にはお優しいこって、でも珍しいさね。カオリがああまで優しく対応するなんてさ、普段なら殺気で脅してさっさと黙らせていただろう?」
アイリーンの言葉に、カオリは目を閉じて座り直す。
「そりゃあ……、全てを失ったのは、あくまでお父さんだった。なんて言い方されたら、絶対根は悪い子じゃないって誰でも気付きますよ」
「だろうね。そうでなきゃあそこまでカオリを逆恨みしないし、癇癪を起こすなんて下手を打ちゃしないだろうね」
これが親の悪事に加担、あるいは黙認していたずる賢い子息令嬢だったならば、カオリの正体に気付いた時点で、息を殺して媚びへつらい、あわよくば利用出来ないかと画策していたことだろう。
しかしアリアはそう云った貴族らしい思惑など微塵も見せず。ただ感情のままにカオリへぶつかって来たのだ。
巧手か悪手かはさておいて、少なくともカオリには、本物の戦場の舞台には上がり切れない、幼い少女にしか映らなかった。
と云うよりも、まだカオリが日本の女子中学生だったころの、同級生達と同様の幼稚さを感じてしまったのだ。
当時も些細な誤解や擦れ違いなど、女子でも衝突は少なからずあったため、そのたびに理路整然と筋を説き、何故か一方的に悪者にされた記憶が生々しく残るカオリにとって。ああした感情だけで言葉を繰る手合いは、苦手な部類であった。
学校と云う狭い社会で生きる彼ら彼女らにとって、そこで自分が否定されることは、自分の全てが否定されるに等しい事態だ。
男同士で腕っ節で誰が一番強いかなどと競い合うのも、異性にもっとも注目されるのが誰かなどと、たかだか数百人、クラス単位で言えばたった数十人の狭い交友関係で、誰が一番かなどと比べるなど、大人からすれば実に滑稽な諍いである。
またたったの十数年しか生きていない少ない人生経験で、方々上手く交流しようなどと浅はかな抵抗である。
他人は自分を映す鏡であると、カオリは兄から教わり、そう云った視点で他人と、なにより己と向き合う術を学んだ。
その結果、他人を知ることと、己を知ることは同議であり、例え互いの優劣を自覚したとて、怨む必要も嘆く必要もないのだと理解した。
しかし、みなが違ってみないい、などと云う言葉はあくまで大人が考えた言葉でしかなく、実感の伴わない知識など、まるで意味がないことも理解した。
結局のところ、自分だけの理解は孤独しか生まず。最後には本気でぶつかって初めて、喜びも悲しみも怒りも、共有出来るかけがえのない人生の財産に出来るのだと、カオリは漠然と実感したのだ。
「はあ嫌だな~、しんどいな~、これからこんな風になんども、知らない人から怨みごとを言われるんだろうなぁ~」
カオリはそう吐き出し、柄にもなく手足を投げ出して、アイリーンの膝に頭を乗せて横になった。
「……アイリーンさん硬~い」
「お~よしよし、カオリちゃんは優しくていい子でちゅねぇ~、ママのお膝でおねんねしましょうね~」
「ママぁ、みんなが私をいじめるの!」
「まあっ、そんな酷いことをする悪い子は、ママがお尻ペンペンの刑よっ!」
ひとしきり無意味なやり取りの後、二人は揃って吹き出した。
「まあなんにせよ、カオリなら上手くやるだろう、最悪の場合はみんな連れて逃げればいいさね」
「……そうですね」
時刻はすでに昼に差しかかっている。王都の活気に、カオリは耳を澄ませながら、晴天の空を見上げた。
「それで? 私が殿下に振り回されている間、貴女達はずっとふざけて仕事をしていたわけね?」
背後に陽炎を幻視させながら、ロゼッタはカオリ達に詰め寄った。
昼も過ぎ、カオリ達はミリアやアリア達女性被害者達を、保護所へ連れていき、その足で本営に集合した。
作戦も佳境に至り、現在では王都を逃げ回る袋の鼠を、騎士団が追いたてている状況である。
押し入った全ての関連施設から、裏帳簿や契約書の類を押収し、各不正組織の罪を裏付ける証拠も揃った様子だ。
また被害者と見られる多くの貧困者、とくに女性や子供達の保護も無事完了している。
ただし残念ながら、男性達の多くは、実行犯などとして利用されていた状況から、単純な被害者とは云えず。犯した罪の程度によっては、厳しい裁きを下さなければならないものも少なくなかった。
また子供の中には、暗部の訓練に染まった哀れな少年達もおり、騎士団が不用意に接近した結果、隠し持っていた短刀で重傷を負うものまでいたために、保護には相当な神経を遣うこととなったのは、今回の作戦で想定されていなかった誤算であろう。
しかしそれでも根本的な問題の一掃は達した現在は、どこか弛緩した雰囲気で事後処理にあたっている騎士達だった。
「実に大義であったぞ諸君、とくロゼ嬢の指揮には感服した。そなたがおらなんだら、怯える女性や子供達の扱いに、相当な手を煩わされておったところだっ」
床机に腰掛け踏ん反り返るアルフレッド第一王子に、ロゼッタは胡乱気な視線を送る。
「どう云うこと?」
カオリが状況を理解出来ずに、ロゼッタへ質問したところへ、よく見知った人物からの声がかかった。
「カオリ様、ロゼッタ様、こちらにいらしたのですねっ」
「おおビアンカじゃないかい、あんたも今回の作戦に参加していたのかい?」
カオリ達の下へ駆け付けたビアンカが、やや息を切らせて頭を下げる。
「ロゼッタ様の要請で、保護した女性や子供達を案内するよう仰せつかりまして、殿下のご許可の下、百合騎士団の動けるものを総動員した次第であります」
「おおそっか~、一応危険を伴う作戦ですから、安全に保護するためと、みんなの精神衛生上、女性騎士が有効だったんですね」
たしかに悪事を摘発することばかりに気をとられていたのは事実であり、そのことにいち早く気がついたロゼッタが、やや強引にもアルフレッドに進言したのだった。
「現在は王城に務める治療部隊だけでなく、民間の治療院や、教会にも人を出してもらい、被害者の方々の世話や看護を進めております。やはり中には劣悪な環境下で、体調を崩され、病を発症している方もおりましたので、早急に対応出来たのは僥倖だったと云えましょう」
帝国の奴隷が国に保証された労働力として管理されているのに対し、表向き奴隷の存在を許していない王国では、どうしても落差が生じてしまうのだろう。
違法な人身売買紛いで身柄を隠された被害者達が、まともな生活環境を与えられることなど期待出来ない以上、こう云った事態は予想してしかるべきだったと、今回の作戦における大いな反省点であった。
また近年、帝国王国間戦争の事実上停戦により、孤児の確保が難しくなった背景から、子供を攫う事件も頻発していた事態で、攫われたと思しき子供達を保護出来たのも、嬉しい誤算であった。
さらには王都入りしたブラムドシェイド公国の難民までも、すでに被害に遭っていた事実は、騎士団を驚かせる事実である。
もしこれらを放置していた場合、王国の信用は地に堕ちていたことだろうと、アルフレッドは豪胆に笑って見せたが、カオリからすれば決して笑えない事実である。
かくして作戦に貢献したカオリ達も、その労を労われると共に、後の処理は騎士団と王家に一任してほしいと請われ、本日は早めの帰路につくこととなった。
と云っても詳しい報告書の作成など、後日また改めて王城に上がる必要はあるため、カオリ達とてまだ無関係と云うわけではない。
また今後進められる王都の再開発に伴った難民の受け入れや、今回の被害者達への救済など、カオリが関わる案件は少なからずあるため、ただ漫然と休むわけにもいかず、カオリ達は休息を挟んで早々に談話室にて顔を突き合わせた。
「ひとまずお疲れ様、みんな」
「おうさね」
「ええ、お疲れ様よ」
互いを労うカオリ達だが、【泥鼠】や【蟲報】の面々は未だに王都壁外を警戒中である。
騎士団が総出で巡回中の日中を避け、今まで隠れていたものが、油断して出て来る可能性を考慮しての対策である。徹夜を余儀なくされたゴーシュの嘆きがここまで聞こえて来る気がする。
そこにササキが扉打ちの後に入室する。
「今日も大変だったな」
言葉少なにカオリ達を労うササキへ、カオリ達は小さく会釈する。
「王城も大層な賑わいだ。違法な商会との関与が疑われている貴族達が、保身のために走り回っていたのでな」
「開き直って、王族を狙う人なんかはいなかったんですか?」
カオリがそう質問するのに、ササキは小さく笑う。
「私が陛下の傍にいるのにか? それも面白かったかもしれんが、残念ながらそこまで自棄になる愚か者は出ていない、今夜もこれからすぐに戻って、夜通し警護をすることになる。君達は気兼ねなく休むといい」
「は~い」
「どうか両陛下をよろしくお願いします」
気の抜けた返事をするカオリと、王国貴族令嬢として頭を下げるロゼッタに、ササキはうなずいてから静かに退室していった。
「これで全部解決かな?」
「どうかねぇ、貧民街の連中は一層出来たが、それ以外はまだいそうだけどね」
カオリの確認に、しかしアイリーンは疑念を浮かべる。
「……私達がそうであるように、高位貴族にもなれば、王都屋敷の敷地内に、工作員を潜ませていることもありえるわ、それが単純に情報収集のための要員か、暗殺も請け負う連中かはわからないけれども」
ロゼッタもカオリと関わるようになり、王国貴族に幻想を抱けなくなったことから、冷静にそう推測する。
「流石にそこまで私達が面倒を見てあげる義理はないかな~、貴族への直接的な監視と対策は、王家に頑張って欲しいよね~」
至極当たり前のことを口にするカオリに、アイリーンもロゼッタも同意を示す。
「今回のことで、ミカルド王家の権威は相当に強まったはずさね。流石の貴族連中も、使い捨て出来ない駒を失となれば、慎重にならざるをえないだろうからね」
「自家の手駒を使えば、どうしても足がつく可能性が跳ね上がるものね」
完全な安心は出来ないが、殊更に警戒する必要もないと思えば、今回の作戦が一つの区切りと考えられるとし、カオリ達はようやっと肩の力を抜いた。
「あたしももう十分王都を堪能したさね。そろそろ村に帰って、開拓の手伝いを再開といこうかね~」
大きく伸びをして、アイリーンが今後の予定を口にすれば、カオリは笑顔を浮かべる。
「そうですね。私も商会設立に向けて、イゼルさん達と打ち合わせしたいですし、なによりアンリとポーションの製造に関する最終確認をしなきゃですし、明日は一緒に村へ帰りましょうか~」
「私は今回の事後処理に関する対応をするわ、きっと王家からなにかしらの知らせが来るでしょうし、誰かが応対する必要があるから」
それぞれに役割分担を決めれば、ひとまずは今日の予定は終了である。後は夕食をとって風呂に入り、今夜はぐっすりと就寝である。
翌日に、カオリはアイリーンと共に転移陣で村へ帰還した。
それを見送ったロゼッタは、王家からの知らせが届くであろうことから、本日は一日屋敷でのんびりと待つ予定である。
「お嬢様、本日はササキ様も王城に詰めるとのことですので、お一人でお食事となりますが、如何なさいますか?」
「【蟲報】の皆様はお昼には起きられるのかしら? もしそうなら昼食をご一緒しますわ、遅くなるようなら、簡単なものでいいから、部屋に持って来てちょうだい」
「かしこまりました」
どうせ時間があるならばと、ロゼッタは【創造の魔導書】を開いてこれまで開発した魔法術式の見直しを始めた。
これまでの実戦を経て一定の効果は証明出来たが、やはりどうしても即席感が否めない完成度に、さらに改良を加えるべきだと考えていたのだ。
「やっぱり陣の構成をより簡略にして、魔力消費量の削減は必須よね。……どうせなら全ての魔法に、魔素変換術式を組み込んで、長期戦に耐えうる魔導士を目指すべきだわ」
思い立ったが吉日だと、ロゼッタは現在多用している【―火線―】を筆頭とした。既存の魔術にも手を加える。
「あら? そう云えば今の私のレベルっていくつだったかしら? 【―自己の認識―】」
長らく冒険者組合にも顔を出していないため、自身のステータスを確認していなかったのを思い出し、久々の魔法を発動する。
「あら、もう少しで二十台にも手が届きそうね……。なんだかんだで怒涛の戦闘続きだったから、上っているのだろうとは思っていたけれども」
【人工合成獣】を筆頭に、度重なる戦闘を征して来たカオリ達であれば、おのずとレベルの上昇も速いだろうと思われるが、この世界の常識で云えば、異常な速度の上昇と云えるはずだ。
あの召喚獣もカオリやアイリーンが容易く屠ってしまうため勘違いしがちだが、本来は黒金級に匹敵する凶悪な魔物だ。
仮に冒険者組合に討伐依頼を出すとするなら、金級以下の冒険者では受注することも許されない難易度であろう、それを何頭も討伐したのだから、未だ低レベルだったロゼッタのレベル上昇が速いのもうなずける。
とくに異常なレベル上昇のカオリや、元々高レベルのアイリーンならば、恐らく今頃は三十レベルにも到達しているだろうと、ロゼッタは苦笑する。
一般的に三十レベルともなれば、達人の領域に達した上位者とみなされる。冒険者であれば間違いなく金級に相当する。
若干十台の年でその領域に足を踏み入れたであろう彼女達を想い、ロゼッタは誇らしく思うと同時に、若干の悔しさをどうしても抱いてしまう。
カオリに至っては元よりレベルを感じないほどの戦闘技術を身につけているので、それにレベルが伴いつつあるのは、もはや想像を絶する域であると感じる。
しかしロゼッタ自身も、カオリの戦い振りをずっと近くで見て来たことで、レベルによる身体能力や潜在能力の補正以上に、技術のなせる可能性を十分に実感している。
とくに最近は【創造の魔導書】の存在により、既存の魔術では不可能な高効率かつ高威力の魔法を独自開発し、一般的な魔導士が行使するレベル依存の上位魔法に、匹敵する魔法を自在に操ることが可能となった。
恐らくだが今のロゼッタは、一般的な魔導士と比べて、レベルでは測れない魔導の真髄に迫りつつあると自負している。
このままカオリと共にあることで、きっと誰もが成しえなかった領域にも、手が届くのではないかと、予感めいた未来を想像出来た。
「……よし、頑張るんだから」
ロゼッタは意気込み高く拳を握る。
片や王城の執務室にて、ササキの見守る中、王子達兄弟は今回の作戦の成功を、国王王妃両陛下に報告していた。
「大義であったぞ、お前達」
己の息子達を誇らしげに眺めるアンドレアスに対し、王子達も胸を張って応じる。
「取り調べはこれからですし、押収した書類の精査のため、文官や騎士もこれからが本番となりましょう」
「僕もお手伝いしますよ兄様」
残る仕事の多さに苦笑するコルレオーネへ、第三王子のステルヴィオは慰めの言葉をかける。
「俺も貴族連中が証拠隠滅を図らぬよう、捜査本部や父上と母上の周囲を警護せねばならん、合間に仮眠はとるが、今日は夜通しで仕事となろう」
王族専用の騎士服のまま、帯剣して堂々と立つアルフレッドも、残務への意気込みを感じさせる口振りで弟達を見やる。
「兄さんはいいじゃないか、これを理由に婚約者を王宮に一時保護するのだから、いつでも癒されにいけるだろう?」
「馬鹿を言うな、仮にベアトリスが人質になって、逃走を許す結果にでもなってみろ、現在南の国境を任せているルーフレイン侯爵に顔向け出来ん、なにより婚約者一人守れなかったなどと、王家が侮られることになる」
コルレオーネの囃し立てに反論するアルフレッドは、王家に反発する貴族の力を削ぐ側面もあった今回の作戦が、王家の失態で帳消しになる可能性を強調する。
「でも義姉上が今日まで無事であったのも、カオリ嬢のお力添えがあってこそでしょう? ついこの前まで、義姉上には碌な護衛もつけていなかったじゃないですか」
「それについては俺の不徳の致すところだ。彼女には随分と不安な想いをさせたと思っている」
弟の言葉に素直に反省の色を示すアルフレッドに、弟達は苦笑する。言葉尻こそ上から目線の印象が強い長子だが、己の間違いを素直に受け入れる純真さも持つ姿は、どうしても憎めない。
「それも含め、ミヤモト嬢ならびに彼女の仲間達の王家への貢献は、今や筆舌に尽くし難い、王家としては内々で収めるには些かことが大き過ぎるゆえな、どうじゃササキよ、どうにか彼女達に目に見える形で、褒美をとらせることは出来んかの?」
公式の場ではない身内だけの場で、アンドレアスも王の仮面を外し、至って困った表情を浮かべてササキに問えば、ササキは盛大に肩を竦める。
「報酬は先に提示した。摘発後の物件の優先購入権と、商会の設立許可で十分にございます。商売の実績もない新規参入を王家が許可するなど、前代未聞でしょうから、貴族達にもわかりやすい報酬だと考えますが?」
ササキが以前に取り決めた交換条件を提示するが、アンドレアスはより困惑を深める。
「しかしのぉ……、『王国に取り込むような意図を示さぬこと』『権力争いに無為に巻き込まぬこと』これがなかなか難しい注文だとお主にも理解出来よう? そなたほどの武名があればなるほど合点もいくが、彼女達は少女の身で、そなたほどではないにしても、余りに手柄を立て過ぎておる。これで王家が彼女らを遇さねば、王家の威信に関わるゆえ」
アンドレアス個人としては、ササキやカオリの在り方には理解を示すところであはあるが、王としてはなかなか難しい問題だと主張せざるをえない。
とくに魔物の脅威が存在するこの世界で、王家が自由に動かせる対魔物用の切り札たる高位冒険者は極めて貴重である。
今回も含めて一連の貢献に対し、たとえカオリが大仰な褒美を本人が拒否したとしても、それでは後世に、『王家にどれほど尽くしても、なんの見返りもよこさない』などと噂が出回れば、王家に協力する冒険者が現れなくなってしまうのだ。
それで困ることになるはアンドレアス自身だけではない、息子である王子達次代の子供達なのだ。
「恐れながらササキ殿、物件の優先購入権は物件下賜に、商会設立許可を王家御用商いにすることは出来ないのですか?」
駄目元で問うコルレオーネだが、ササキは苦笑して首を振る。
「先にも申し上げた通り、我らは大陸に住まう全ての人類の安寧のために、剣をとりし冒険者です。一国に肩入れすること、ましてや臣下に下るような立場は、無用な軋轢しか生みませぬ。我らは必要とあらば他国の民も守る義務がありますゆえ、国に依る地位や立場は許容出来ぬのです」
重ね重ね告げる意思表示に、王家の面々は難しい表情を作る。
「まさに理想の体現でありましょう、それが児戯と断ずることの出来ぬ断固たる信念であると、私にも十二分に理解出来ます」
貴族の思惑に疎いアルフレッドであればこそ、名誉を重んじるササキやカオリの在り方には憧れすら抱くものだ。
もちろん王族としての立場から、それでは国を導くことは出来ないと頭では理解しているので、あくまでも個人的な評価に留めている。
度々引用される【冒険者ヴィルの手記】にも、古代遺跡から発見された遺物や、神代の知識の数々を狙った各国の横槍へ、著者が悩まされた苦悩が読み取れる。
その結果設立されたのが冒険者組合であり、現在では確固たる地位を築き上げた冒険者なのだから。
「しかしながらロゼッタ君は、別段勘当された身ではなく、私が後見でなければ未だ王国貴族令嬢と云う身分のはず。彼女に関しては私もカオリ君も、彼女の意思を尊重する立場でありますれば、形を変えてなんらかの報酬を提示することは可能ではないでしょうか?」
せめてもの妥協案としてササキが提示した内容に、王家の面々は何度もうなずいて納得を示す。
「そうじゃのう、……例えばロゼッタ嬢に、名誉爵位などを与え、彼女個人の栄誉を讃えると云う形ならば、元々王国貴族令嬢であるゆえ、反発も軋轢も少なかろうか」
「元々は身分をもたぬ他国民にも与えられる爵位ですので、最悪の場合は王国とは直接的に関係はないとも言い張れますしね」
ササキもそうなった場合のあらゆる事態を予想すると同時に、カオリがこのことへどう云った反応を示すかも予想した。
いくらロゼッタが絶縁を主張したところで、愛情深いアルトバイエ侯爵夫妻のこと、なにがあっても勘当することはないだろうことから、むしろかの一家を安心させる材料にはなるだろうかと考える。
そもそも現在のロゼッタが、そこまで実家との縁を忌避する理由もないに等しいのだから、むしろ諸手に粟と云えるかもしれない。
カオリに関してはあくまで自身と村への悪意ある介入さえなければ、その保証さえあれば、特段拒絶するほど嫌悪しているわけではないので、ロゼッタ自身が望むのであれば、反対はしないだろうとササキは思った。
やいのやいのと意見を出し合い、なんとかカオリ達の王家への貢献に報いようと、計画を練る王族達を眺め、ササキは苦笑を禁じ得なかった。
(立派な娘達をもって誇らしくはあるが、まだまだ苦労が絶えんだろうな……)
ササキの表情に宿る想いは、紛れもない父性の表れであったのだった。