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( 試行錯誤 )

 いつものように早朝に目覚めたカオリは、起き上がろうとして左手が動かせないことに一瞬戸惑い、しかし昨晩はロゼッタと共に就寝したことを思い出した。

 静かに寝息を立てるロゼッタを見降ろし、その綺麗な寝顔をしばし見詰めてから、そっと額にかかる前髪を除けて頭を優しく撫でた。

 カオリの左手をかき抱き眠る様子は、日頃大人びて見える彼女の雰囲気と違い、どこか幼げに視えてしまう。


(可愛い……)


 だがいつまでもロゼッタの寝顔を凝視しているわけにはいかない、登園時刻までに日課の鍛練を済ませて、朝風呂に入ってしまわないといけないのだ。

 カオリは心を鬼にして、ロゼッタの手をゆっくりほどき、身支度を整える。

 庭に出ればすでにビアンカが朝稽古に励んでいるのを視界に収め、無言のまま近寄る。

 気配を消して接近する歩行訓練も兼ねているので、日々技術が洗礼されていると実感出来る。


「おはようございます。ビアンカさん」

「わっ、おはようございますカオリ様、相変わらず気配がありませんね。私ももっと精進せねば」


 こうして彼女を驚かせるのも、それでビアンカが己の未熟さを自覚するのも毎日の光景だ。今のところ気を張って稽古に励む彼女の意表をつけるのは、五分五分と云ったところ、ただし身を隠す気もなく、悠然と歩いて接近するだけなので、気付かれないことがある方が異常ではある。

 ビアンカと少し距離を空けて隣に並んだカオリは、無手のまま構えをとる。


 脳内で仮想敵を想像し、攻撃を躱すように身を捩る。足が地から離れぬように捌き、負荷のかかる極限まで身体を翻す。

 手は攻撃を逸らす動作を反芻し、時折牽制の打拳や手刀を織り交ぜる。

 相手を挑発するような動きを繰り返し、身体が適度に熱を持ち始めた頃合いで、自然な動作で踏み込めば――。


 無拍子からの雷鳴の如き抜刀斬りで、仮想敵を脳天から空竹割りにしてカオリの抜き打ち稽古は一段落だ。

 そこからはどこまで融通無碍に刀を振るえるか、時には二刀流も試しつつ、回避と攻撃を同時に繰り出す動きを反復する。

 自分の身体、四肢から伝わる筋肉の伸縮や、骨が擦れ軋む感覚を、優れた情報感知能力で記憶し、そこからさらに優れた情報処理能力を駆使しすることで、カオリの業はさらに磨かれていく。


 普通の人間が訓練を経て一定の型を身体に覚え込ませることに比べ、カオリの訓練は云わば最適化である。

 一度放った技や動作は、そく身体と脳が記憶してしまうので、そもそも反復訓練が必要ないのが理由である。繰り返すのはあくまで修正箇所を改めるための調整作業に過ぎない、レベルにこそ反映されないが、こうしてカオリは異常な速度で熟練度を取得出来てしまうので、まったくもって規格外と云う他ない。


「そう云えばカオリ様は、身体強化の類は使用されないのですか?」


 カオリの稽古が一段落と見たのか、ビアンカが不意にそう質問した。


「そうですね。どんなものかも知りません」

「……それであれほどの強さとは、恐れ入りました」


 カオリの返答に感嘆して称賛を贈るビアンカに、カオリは苦笑する。


「騎士様なら誰でも使えるものなんですか?」


 これまで騎士達と過ごした時間がそれなりにあったカオリだが、騎士がそれらしい魔法やスキルを発動していた様子は見たことがないと思い至り、カオリは不思議に思った。


「よほどの緊急事態か、後に連戦が想定されない場合でもなければ、おいそれと使用が出来ないものですので、カオリ様がご覧になられたことがないのも仕方ありません」

「ええ? それってよっぽど身体に負荷がかかるとか、消費魔力が多いからですか?」


 身体強化と聞いて想像するのは、血流を増強させたり筋肉を活性させたりだと思ったカオリは、翌日に猛烈な筋肉痛に悩まされる光景を想像した。


「戦士系はどうしても導士と違い保有魔力が少ないですから、魔力の温存は当然ながら、それ以上に懸念すべきが、やはり身体にかかる負荷が無視出来ないことですね」


 やはりそうなのかと、カオリはさらに顔を顰める。


「一応騎士団で覚えさせられる身体強化魔法は、防止機能のある安全な術式ですので、最悪の事態は避けられるのですが、それでも筋肉痛はつきものです。もし度を越して身体強化を図った場合、肥大した筋肉で自身の骨にヒビをいれたり、靭帯を断裂させる恐れがありますから……」


 カオリの場合は武器そのものを強化するスキルの他、技術を補うものがほとんどなので、身体そのものを強化する類は取得していないので安心である。


「しかし魔物を相手にする場合は、我々ではどうしても身体強化無しではきつい戦闘になってしまいます。毎年魔物の異常発生が起きた時など、帰還した騎士達が病室でのたうち回る光景が見られるほどです」

「へぇ~」


 気のない返事をしつつ、カオリは騎士も魔物を相手にすることがあるのだなと、関係ないところに感心する。


「ちなみに毎年異常発生する魔物はどんなものがいますか?」


 冒険者としてはそちらの方が気になるとして、カオリは質問する。


「【ゴブリン】や【オーク】が比較的人種に似ており、戦争を想定した訓練にはもってこいだと云われています。ただあれが時折使役する【オーガ】や【トロール】などはその巨躯から、尋常ではない膂力がありますし、群れの規模次第では【ヘルハウンド】に騎乗する個体もいるため、馬が怯えて逃げ出すこともあり、人の手で対処するのは相当な覚悟がいると聞きました」


 人間の生存圏に近く、積極的に人の村落を襲撃する魔物であるこれらの群れは、その数もあってか、増えた場合は騎士団が対処することが多いのだビアンカ語った。


「【ヘルハウンド】は初めて聞く魔物ですね。どんな魔物なのでしょう?」


 【オーク】や【トロール】は創作作品でよく目にする魔物であったため、カオリは姿を想像出来なかった魔物の名を挙げる。


「元は西の諸島に発生する黒い犬型の魔物なのですが、【虐殺者ミリアン】が諸島を征服したおりに大陸に持ち込み、小型化して使役したことで、後に野生化し【ウォーウルフ】に変じたと伝えられています」

「おうふ、またミリアンさんですか、しかもあの増殖過多の黒犬の原産とは……」


 歴史の講義で嫌と云うほど登場する【虐殺者ミリアン】の名に、カオリはまた驚かされる。


「かの王は他にも魔物を家畜化したことでも有名ですね。それが原因で教会から異端指定され、後の反逆に繋がったと云うのが、王国史でもあまり語られない裏話です」


 ミリアンがおこなった数々の悪政の中でも、魔物を家畜化出来る事実だけは歴史から消し去りたかった教会勢力により、教科書から抹消された裏話だとカオリ理解した。


「話しがそれましたが、やはり騎士団は基本的に人間との戦争を想定しておりますので、魔物相手は専門外となります。しかし魔物専門のはずのカオリ様は、身体強化を使用されないと聞いて、一概には云えないのだと認識を改めました」


 腕を組んで感服した様子のビアンカに、カオリは逆に何故自分が身体強化に意識が向かなかったのかを考えた。


「そうですね~、やっぱり日頃と身体を使う感覚が変わるのが困るといいますか、不意打ちに対応出来ないのも理由の一つですかね~、強化状態に慣れてしまうと、強化していない時に後れをとりそうですから」

「……なるほど、それもそうですね」


 暗殺者の奇襲にも対応出来てしまうカオリが言えば、説得力のある理由であるだろうと、ビアンカは納得した。

 魔物が相手でも森や迷宮に入れば、奇襲は警戒しなければないらないとなれば、身体強化無しで戦うことを常態とするのはなるほど理に叶っていると思われた。


「あ、でも走るのが速くなるのは魅力かもしれませんね」

「それはどうしてでしょう?」


 ここへ来て何故走ることに着目するのかわからず。ビアンカは問う。


「だって、逃げる敵を追い詰めるのに便利そうじゃないですか」

「……そう、ですか」


 どこまでもカオリらしい理由に、ビアンカはそうとしか相槌を打てなかった。




「おはようカオリ、……手は大丈夫?」


 朝風呂も済ませて食堂に会したところで、ロゼッタは心底カオリを心配そうに見詰めてそう挨拶をした。


「ばっちりだよロゼ、まったく問題なく動かせるし、痛みも違和感もないよ、ありがとう!」


 それに対してカオリは満面の笑みを浮かべて無事を主張する。

 ロゼッタはカオリの様子に安堵して胸を撫で下ろす。

【創造の魔導書(クレアシオングリモア)】で編纂した完璧な術式で、仮想実験も繰り返した自信作の回復魔法ではあるが、ぶっつけ本番で人体に使用することへの不安がまったくないとは云えず。ロゼッタはカオリの不調をずっと気にかけていたのだ。

 昨日にそれを聞けなかったのは、取り乱し過ぎて頭が回らなかった以上に、泣き疲れ、また魔力が枯渇してしまい倒れてしまったのが理由である。


 一晩ぐっすりと眠り落ち着いた今になり、ようやく本調子に戻ったロゼッタだった。

 朝食も終えてササキに笑顔で見送られた二人は、いつものようにビアンカが御者をする馬車に乗り込んで、学園に登園する。

 家紋こそあしらわれていないただの箱馬車だが、作りや材質は一級品の立派な馬車である。懸架装置も最新式のものな上に、密かにササキの魔改造が加えられ、王族の馬車にも匹敵する乗り心地に、カオリは毎度感心する。


 石畳を小気味よく前進し、到着した学園の停留所で、カオリ達はビアンカと別れた。

 彼女は屋敷に戻れば、ステラの他、料理人見習いとして屋敷に住まうリヴァとフォル姉妹の護衛にも就く、屋敷での食材や消耗品の買い出しで、どうしても外出しなければならないため、彼女とて決して暇ではないのだ。

 またササキやカオリ達のために先触れの遣いや、王城と直接手紙のやり取りをする場合も、ビアンカが直接出向く場合がほとんどだ。これはササキやカオリ達と王家のやり取りが、多分に秘匿性の高い案件であることが理由である。

 下手に外部の人間に手紙の内容が漏れた場合、国を乱す危険が考えられるためだ。

 かくして朝一番の仕事を終えたビアンカは、先の理由からまずは王城へ馬車を向ける。

 王立魔法学園が王城と近い立地にあるため、カオリ達の送迎を済ませてから、報告のために王城に立ち寄るのが理に叶っているためだ。


 正面から堂々と馬車で乗り付け、ビアンカは門衛の検閲を素通りし、真っ直ぐ王宮へ向かう。

 王城はあくまで王都中心に位置する城全体を指すものであり、王宮は王城内にある王族の住まう宮殿のことをそう呼んだ。

 かつては王城と王宮も同じ区画にあり、呼び方も王宮で統一されていたのだが、ミカルド王国が成立後、行政と軍部、また王族の暮らしを分ける理由から、増改築が進み、今の形になったのは数百年も以前の話である。

 ビアンカはその中でも、騎士団でありながら王妃が設立した私設騎士団であるため、主な職場が王宮内に設けられていた。

 女性の王族の身辺警護だけでなく、式典の場での儀仗兵は、見目麗しい女性だけの騎士団は重宝されている。

 設立当初は過去に解散された経緯から、無用の長物と謗られた百合騎士団だが、実力主義が高じてか、嘲りの声は随分となりを潜めた。


 ビアンカの颯爽と歩く姿は堂に入ったもので、白く染められた革鎧が目に眩しい様子は、婦女子の憧れの体現であろう。

 訪れた場所は国王王妃両陛下が詰める執務室だ。文部棟にある王の執務室と違い、ここは王家の領有する王領や、式典の採決が主な仕事場である。

 王族とて領地をもつ領主と云う側面もあるため、国家運営だけが政務ではないのだ。貴族に収めさせた税以外に、自領から上がって来る税の運用も、王家の威信を示すための財源であり、その運用権は王家だけが持つ権利である。


「失礼します。朝の報告に参りました」


 衛兵に来訪を告げて取次ぎをし、目的を告げながら入室すれば、王と共に王妃が執務机で書類の整理を手伝っていた。


「おはようビアンカ」


 いつものやり取りに、ビアンカは黙礼して一歩進みでる。


「ササキ様はいつものように執務の後登城するご予定です。しかし昨日、カオリ様とロゼッタ様とで、少々騒動がございました」


 前置きの後、ビアンカは昨日にあった、カオリの自傷騒動の顛末を報告する。


「ロゼ嬢が回復魔法を? 彼女には聖属性適性はなかったはずだが?」


 王はビアンカの報告から、気になった点を質問する。


「詳しいことは私にはわかりかねますが、なんでも聖属性魔力に因らない回復魔法の開発に成功したそうです。ただし使用には相応に代価があり、ひとえにロゼッタ様の高い魔力と魔術制御の賜物とのこと」

「……なるほど」


 ササキとカオリにまつわることで、非常識な事態は想定内だったアンドレアスは、冷静に受け止める。


「聖属性魔法ではない第二の治癒系魔法の開発とは、教会勢力が黙っていないだろうな、これが普及した場合の世情への影響を、早晩考えねばならんか……」


 ふむと顎髭を撫でるアンドレアスに、ビアンカは予想以上に冷静な姿へ感嘆する。


「流石は陛下です。ロゼッタ様の成したことは歴史を動かすほどの偉業のはず。にも関わらずこれほど冷静に受け止められるとは……」


 ビアンカからの手放しの称賛に、アンドレアスは愉快そうに笑う。


「国家運営など想定外の連続だ。歴史的偉業など、それこそ歴史上何度も起きうるもの、それに対処してこその王だ。せめて上辺を取り繕うくらいは造作もない」

「出過ぎたことを申しました」


 ビアンカが頭を下げれば、アンドレアスはよいよいと手で制する。


「ロゼ嬢がこれからより名声を集めれば、我が国にどれほどの恩恵がもたらされるか、あの子はどれほど自覚しているのでしょうね」


 王妃が上品に笑い、口元を手で隠す様子に、ビアンカも笑みが零れる。

 齎された事実こそ驚きの内容ではあるが、聖属性魔力に因らない治療系魔法、その開発者が王国貴族令嬢のロゼッタなのだから、たとえササキの後見を受ける立場であっても、王国の功績とこじつけることが可能なのだ。

 いざと云う時は王家とササキの双方で悪意から保護が可能である。

 そもそもロゼッタの生家は侯爵家と云う高位貴族家である。たとえ教会勢力であっても、おいそれと手出し出来ない人物であるため、そこまで懸念するのは杞憂と云うものだ。


「ササキ様やカオリ様と関わるものは、一様に己の才を開花させていると感じます。私も近頃は、カオリ様の剣術を真似て、微々たるものですが腕が上っていると感じております」

「ほう、具体的にはどのような違いかね」


 ビアンカの自負に興味を示したアンドレアスに、ビアンカは腰に下げた直剣が見えるように立つ。


「剣をより身体に固定することで、素早く正確に抜刀出来る動きを反復しております。これにより奇襲への対応力の向上が望めます。また女性特有の身体つきで、無理なく剣を振い、それでいて最大限威力を発揮出来る感覚も掴みつつあります」


 ビアンカの剣士としての喜びが理解出来るのか、王も王妃も感嘆の声を漏らす。


「なるほどの、強さとはレベルや身体能力に目がいきがちだが、剣をより上手く扱う技能こそ、戦士の基礎と云うことか、彼女に匹敵する手練が、護衛についてくれれば、どれほど安心して暮らせるか……」


 カオリへの称賛がそのまま、カオリの陶酔を受けたビアンカに伝播されれば、王家はより頼もしい武力を抱えることになる。


「彼女達はただそこにあるだけで、王家に多大な貢献を成しているのね。ササキ様には感謝してもし切れませんね」


 王妃もアンドラスと同様の感慨を抱いた。


「獲物の違いはありますが、基本技能は転用出来るものも多く、やはり可能であれば、カオリ様にはいつか騎士団への指導を仰ぎたく思います」


 ビアンカの所属する百合騎士団は総数五十名にも満たない小規模騎士団である。

 設立者である王妃を名誉団長と仰ぎ、その下に数名の隊長をおいている。ビアンカはその中の隊長の一人である。

 元冒険者の平民である彼女が、王族直属の騎士団の隊長と云う大役に抜擢されたのも、冒険者として培った経験と、なにより彼女の剣の腕が起因する。


「息子達が伴侶を得れば、王家も女性王族を多く迎えることになる。それぞれに女性騎士を近衛として宛がえば、数も質も今より求められるだろう、それまでにお主達にはより一層の精進と、なにより国内の口さがない連中を黙らせる実績が必要となろう」


 もっとも最近の話しでは、アルフレッド第一王子の婚約者である。ルーフレイン侯爵令嬢に、数名の百合騎士団員が護衛につくようになったことであろう、今後下の王子達にも婚約者が出来れば、それぞれにも百合騎士団から人員を配置する予定である。

 そこまで話し、アンドレアスは通常通り文部棟に仕事場を移す。

 王族執務室に残ったのは王妃とビアンカの二人だけである。ここからは王妃と少々の雑談の時間である。


 もともと王妃は日頃からこの王族執務室を仕事場としている。

 と云うのも、ミカルド王国では王妃とて暇ではなく、各種執務で書類の決裁をする場合が多いためだ。

 王妃と聞けば、優雅な茶会で夫人達と情報交換をおこなったり、各種国立施設(国立孤児院等)などへの慰問が仕事と思われがちだろう、もちろんそれらも無視出来ない公務の一環ではあるだろうが、この場合もっとも重要視されるのは、なにより王に代わって国の体裁を保証する業務、つまり文化保護が最重要公務と見なされている。


 例を挙げれば、建国にまつわる資料や遺物と云った、国の重要文化財の保全体制の管理、また無形文化財、云わば旧技術などの継承を管理する組織の運営である。

 さらに年間を通しておこなわれる祭事や式典の式事にまつわる各種手配や、従事者の選定なども王妃が裁可を下す。

 王の仕事が経済と軍事や法整備に集中している分、王妃は文化や外交を主軸とするのが、ミカルド王国の国家運営の実態だ。

 そうした必須業務の傍らで、王妃はさらに新たな文化の形成、今代では女性の社会進出の推進を唱えているのだから、並々ならぬ激務であることは想像に難くない。

 そう云った理由から、王妃とカオリ達は、私的な相談役として、歓談の席を設けるのではなく、代わりに手紙のやり取りをしていた。

 中には愚痴めいた内容も散見されるが、多くは王妃の考える政策、女性の社会進出に関する提案に、カオリ達が私見を返答する形をとっている。


「私も時折意見を求められることがございますが、……やはり一朝一夕にはいかないようですね」

「そうねぇ……」


 自身が在位中に多くを推し進めたい王妃の気持ちに反し、カオリ達が突き付ける現実の壁は大きく、否定的な意見が多いことが、最近の王妃の悩みである。


「現在の社会は男性が主導で作り上げたもの、そこに女性が権利を主張しても、与えられた権利に実行力は伴わない、その意見は痛いほど理解出来るわ、王妃である私でさえも、王権の一部を王から借りているのが現実だもの、自分が如何に盲目的であったか、思い知らされた想いよ」


 悲痛と云えるほどに目を伏せた王妃の様子に、ビアンカは自身までも気落ちする。


「カオリ様は良くも悪くも言葉を選ばないご令嬢ですから、率直な意見には浅学な自身を見透かされた心持にされます」


 広げられた意見書には、カオリからのやや飾らない言葉が並んでいる。それらの多くから、女性の社会進出が如何に難行であるかを、こと細やかに、時に辛辣とまで云えるほどに記載されていた。


「肉体労働や危険を伴う仕事とは、云わば人類の生存に不可欠な生命線、それを男性が担っている現状では、どこまで云っても女性が優位に立てる社会は実現出来ない、まさにその通りだと思うわ」


 戦争で命をかけて戦い、領土の平安を維持すること、土木事業で災害から住環境を守ること、運送業で物資を国の隅々まで行き渡らせ、国を豊かにすること、これら肉体労働の最前線を、男性の社会が専従している現状では、どれほど女性が活躍の場を求めたところで、隙間産業がせいぜいであろう。


「それよりも着目すべきは、農業や衣服産業を発展させ、需要そのものを伸ばす方向に着手すると云うのには、慧眼だわ」

「木綿や麻の栽培で女性を多く起用し、糸繰りから織物まで、大規模な工業化を図るとあります。これなら危険な作業はほとんどありませんし、男性の手を借りずとも、女性だけの産業開拓が望めましょう」


 日本にもかつて、軍需産業により軍服の多くが、女性だけの織物工場で製作されていたことを思い出したカオリが、一案として記載した内容である。


「ただし農場を含む荘園の警護や、利用される機械の製造や整備には、男性の兵や職人に頼むしかないことも書かれているわ、思い返せば、どれほど男性に守られているのか、嫌でも考えさせられるわね」


 溜息一つ、王妃は唇に指をあてる。その可愛らしい仕草に苦笑しつつも、ビアンカも同様の感想を抱く。


「やはり、軍事や職人業に従事する女性が少ないのが、根本的な問題になりますね」

「こればかりは、力や体力面で、どうすることも出来ない分野ですわね。靴職人や装飾職人でも、木材や鉱石の削り出しや研磨と云った加工は、相当な力仕事になりますもの、自分達の身につけるものですら、自分達だけで作れないと云うのは、正直忸怩たる思いだわ」


 女性は男性に守られるもの、そう云った常識が醸成される社会には、それ相応の原因が存在するのだと、二人は再認識した。


「さらに云えば、出産に伴った離職こそ、女性が恒久的な専業の妨げになる現実も忘れてはならないでしょう」


 こればかりは神でも覆すことの出来ない現実であると、ビアンカは言い添える。

 産業や軍事とは、人類が生存する上で不可欠な義務業務である。一時たりとて休むことが許されないそれらを、妊娠と出産、さらには育児で離職すると云うことが、どれほど業務に穴を空けるのか、女性だからこそ理解出来ると云うものだ。


「それに関してはロゼッタ様のご意見で触れておりますね。妊娠と出産の期間は仕方がないとして、育児に関してはそれを支える社会整備が可能であると書かれております」

「現状の家族や地域扶助だけでなく、国家主導での保育施設と補償制度の整備……、都市部でなら実現可能な案ではあるけれど、そこまでして女性が働く期間を長くしたいと云う意見には、彼女の執念すら感じるわね……」


 女性の社会進出を願う王妃ですら慄くロゼッタの意見書に、ビアンカも苦笑を漏らす。

 ビアンカ自身も、結婚して子を設ける未来を夢想する身である。騎士としての仕事と女性の幸福を天秤にかけたことは数知れない。

 ロゼッタの意見書には、そのどちらをも両立しようという執着が垣間見えた。これは彼女自身が貴族女性として育ち、冒険者を夢見た来歴から、そのどちらへも矜持を抱いた末の結論なのだろうと理解出来る。


「これら全てに着手して、定着し発展するのを、カオリ嬢は五十年の期間で見ていると以前の意見書には書かれていたわね」

「どうして五十年なのでしょうか?」


 ビアンカも手紙の配達人として関わってはいるが、自分の意見を積極的に差し挟もうとまでは考えておらず。そう何度もカオリ達に質問するのを控えていたためだ。


「人が思い立ち、唱え、仲間を増やし、実績を積み、晩年に評価されるまでの期間、ゆえに五十年なのだと私は思っているわ、それほどに懸命に取り組まなければ、社会を変えるなんて不可能だと、カオリ嬢は言いたかったのではないかしら……」


 今の男性社会は、それこそ血で血を洗う激闘と、幾多の命の奪い合いで築かれた骸の山が礎となっている。

 それに女性として挑もうと云うのだから、困難も反発も決して容易いものではないと、カオリは暗に語っていると、王妃には感じられた。


「それでも私は諦めないわ、いつか女性の身で男性に並び立つ未来を、……陛下の隣で胸を張って歩む未来を、掴みとってみせるのだから」


 膝の上で小さく拳を握る王妃の姿へ、ビアンカは深く深く、頭を垂れた。




「カオリ様、どうか父と兄と会ってはいただけませんか?」


 唐突に切り出したクリス・ヴァンガード男爵令嬢の言葉に、カオリは首をかしげた。


「お兄様の転職関係の話しですか?」

「はい」


 以前に彼女から聞いた。経済状況の改善のための転職の話題かとカオリが問えば、クリスは即座に肯定した。


「是非、高名なカオリ様の口から、冒険者業が危険な仕事かを説いていただき、兄を諦めさせたいんです」


 そこまで一気に捲し立てたクリスに、しかしカオリは難しい顔をする。


「どう高名なのかは知りませんが、そんな私の話を聞いても、逆効果になりませんか?」

「それは……」


 身近にいるもっとも信用出来る冒険者として、カオリを指名したのだろうクリスであるが、そこはカオリ自身が語った通り、カオリだからこそ諦めさせると云うには、逆効果だと思われた。

 カオリは冒険者を初めてはや半年強であるが。しかしたったその短い期間で、カオリは銀級冒険者として認められ、今では金級への昇級まで許可されているのだ。

 またササキと云う生ける伝説の影響から、王家に懇意にされているとなれば、若者であれば後に続こうと夢を見ることが容易に想像出来てしまう。


「あ、あと気になってたんですけど、軍ってそう簡単に辞められるんですか?」


 加えてカオリが気にするのは、軍などと云う紛うことなき国家公務員を、そう易々と退職することが出来るのかと云う疑問である。

 これにはロゼッタが答える。


「退職そのものは簡単に手続きが可能よ、ただし配置人員や編成の関係から、引き継ぎに最低二週間はかかるはずだから、速くも短くもないわね。ちなみに一度辞めたら戦時徴用でもない限り復職は難しいはずよ」


 どうして彼女がここまで詳しいのかは謎が残るものの、ふむとカオリは思案する。


「ようは安定した軍を辞めて、危険な冒険者になることを止めてほしいって話しですよね? でも今の軍の給料じゃあ、クリスさんの学費はおろか、家計も支えられないって感じですよね?」

「は、はい」


 カオリは話を要約してさらに黙考した。ロゼッタはこうなった時にカオリから突拍子もない提案があることを予想して、黙ってカオリを見守った。


「だったら、軍主導で安全かつ積極的に魔物を退治出来る仕組みを作って、討伐者には臨時報酬と云う形で恩恵があれば、少なくとも今すぐ冒険者になろうなんて無謀なことは、一旦は保留にしてくれるんじゃないですか?」

「ええ! 軍に新体制を提案するのですか?」


 よもや軍の体制そのものを変えようなどと言い出すとは思わず。クリスは目を見開いた。


「たしかにそれなら国土安全の観点から、有用な提案だと思うわ、でもそれこそすでに試行されているのじゃないかしら?」


 カオリの提案したものは、決して斬新な発想と云うわけではない、それこそ街道の巡回や大規模討伐任務では、軍が駆り出されるのは以前から導入されている試みである。

 しかしカオリが提案したいのは、それをより一歩進めた政策である。


「平時で暇な軍人さんを、数合わせのために派遣するようなこれまでのやり方じゃあ、結果的に被害が大きくなりそうじゃん? それならしっかり訓練を施した魔物専門の部隊を作って、有事に備える方が、国の政策としては理想だと思うじゃん」

「なるほどね。一理あるわ」


 カオリが思い出すのは、先の紛争騒動で阿鼻叫喚に陥った軍の醜態である。日頃から魔物との戦闘を想定していれば、混乱が招くより危険な状況を打開出来たかもしれないのだ。


「それにこの政策って帝国ですでに導入されている方法だったはずだけど、それで帝国では下級冒険者の仕事がほとんどないって話しだし」

「ああぁ、そう云えばそうだったわね」


 勝手に話を進めるカオリ達の会話を、クリスは終始おろおろして見守ることしか出来なかった。


「なら早速クリスさんのお父さんに会いにいこうっ、ヴァンガード男爵様はたしか爵位を賜るほどの功労者で、役職も上の方でしょう? 今は魔物から受けた傷で動けないけど、だからこそ魔物専門部隊の新設には賛成してくれそうじゃん」

「ええ! 父に提案するんですかっ?」


 ヴァンガード男爵は軍で百人長を務める隊長だと紹介された。なにかと隊長と縁のあるカオリだが、今回は騎士団ではなく軍人となる。


「もともとお父様にも話を聞いてほしかったんですよね? ならついでに今の話もお父様伝手に軍に提案してもらえるようにお願いすればいいかなって」

「それは、そうですが……」


 全てはもののついでであると簡単に考えるカオリだが、クリスには大胆な言動に映ってしまう。


「友人のお父様へお見舞いをするだけですわ、日頃お世話になっているお礼を申し上げるついでに、ちょっとした雑談に興じても、不思議ではないでしょう?」

「は、はあ……」


 ロゼッタが方便を口にすれば、クリスも無理やり納得するしかなかった。

 学園を辞し、向かう先は王城内の軍務棟にある医療棟である。

 軍と騎士団のそれぞれの棟と近く、訓練中に怪我を負った場合も利用出来るが、主目的は負傷者を長期療養させるための看護室も完備された病院だった。

 本来は関係者以外の立ち入りは制限されるものの、家族が見舞えるように、患者の身内であれば解放されている。

 その医療棟までへの道中で、カオリはクリスや御者のビアンカも交えて、軍についての雑談に興じる。


 この世界では、騎士団が神々に安寧を許された王家と民に仕えるものなのに比べ、軍は王権と国家に仕えるとされている。

 もちろん国家存亡のさいには、一丸となって国難に対処する武装組織と云う意味では同じだが、その構成はまったく異なる命令系統を辿る。

 とくに違いを挙げれば、騎士は叙勲を受けて神と王家に忠誠を誓い、騎士と云う身分を叙される貴族位であるのに比べ、軍人は平民から広く徴兵し、期間限定の職業として就業する点が大きいだろう。


 彼らは国土を他国の侵略から守り、時に敵国へ侵攻することを職務とするため、質よりも数を揃える必要がある。

 就業期間中は税を免除され、任期に応じて退職金も与えられるこれは、賦役の中の兵役と呼称する。

 そして騎士団は王家を頂点としその命令に従う義務が生じるのに対し、軍では最高指揮官として将軍が軍全体の指揮を担うところも重要な違いである。

 軍の編成と出陣には王と貴族院の認可が必要であり、如何に高位の貴族であっても、軍を私設することは許されておらず。当然私的に動かすことは罪にすら問われる。


 貴族が持つ武力はあくまで従士や家臣で編成される私兵であり、決して軍と呼称されることはない、唯一戦時において徴兵された軍と呼称するしかない武装勢力も、常設の国軍と、仮説の領軍と分けて呼ばれる。

 つまりいくら多くの兵を率いる隊長職に就いていても、騎士団の隊長と、軍の隊長では、その権威も、年収も格段の差があろう、軍でどれほど功績を上げ、高位の指揮官に任じられたところで、任期を終えて軍を辞めてしまえば、残るのは名誉と退職金だけであり、一般の平民となるだろう。


 もちろん万にも及ぶ大軍を指揮する以上、並みの人物では勤まらないのは当然のため、将軍職や高位の指揮官には、貴族が就くことは往々にしてある。とくに家督を継げない次男以下の貴族子息の受け皿としても、軍が機能していることは世の理だった。

 しかし過去には平民が将軍に就き、後に貴族位を賜った例もあるので、大変名誉であり将来が約束されることには違いはないだろう。


 翻ってクリスの父であるヴァンガード男爵は、百人長を務めながら、功績著しく叙勲され、王家から一代限りの男爵を叙爵された人物であるため、恐らく大変出来た一角の人物なのは想像に難くない。

 そのような人物と面会出来ることを、実はカオリは内心で幸運だと思っていた。

 なにかと王家の問題に駆り出され、面倒な立場で騎士団や開戦論派の関係者と相対することの多かったカオリだが、今日は友人の父親へ挨拶をするだけのだから、肩の力を抜いて接することが出来ると、胸を撫で下ろしていたのだ。

 かくして医療棟の一室へ、カオリ達は入室する。


「お父さん入るね?」

「おおクリスか」

「痛むところはない?」

「身体が丈夫なのが取り柄だからな」


 父と娘の遠慮のない会話に、カオリは若干懐しさを覚えた。いくらササキが後見人として父親代わりの立場であっても、カオリ的にはあまり失礼な態度が出来ない関係上、どうしても他人行儀になってしまうので、こうして普通の親子の会話は、少し羨ましくもあったのだ。


「今日はお友達も連れしたの」


 クリスの後に続いて入室したカオリ達を、ヴァンガード男爵は驚いて見る。


「学園で友人が出来たのかっ、それはよかった。……てっきりお父さんのせいで、貴族とも平民とも仲良くなれないかと心配していたんだっ」

「もうお父さんっ、今はいいからっ!」


 娘を心配する父親に、カオリは素直に笑顔を浮かべる。


「神鋼級冒険者ササキの後見を受ける。冒険者のカオリ・ミヤモトです」

「同じく、冒険者のロゼッタ・アルトバイエです」


 しかしカオリ達が名乗れば、ヴァンガード男爵は驚愕の表情を浮かべ、大慌てで寝具の上で平伏の姿勢をとる。


「まさかっ! ああっ、やはりそうだ!」


 ガバリと音がなるほどに頭を下げ、ヴァンガード男爵はそう云った。


「先の紛争地帯で、お二方のお仲間であられるバンデル様に、命を救っていただきました。いずれお礼を申し上げる機会をと思っておりましたが、よもやこのような形でお会い出来るなどと思わず。恐縮でございます!」

「ああえっと、アイリーンさんってたしかあの時、混乱する軍を掌握して、魔物達にとって返して大暴れしてたんだっけ?」

「どうだったかしら、私達は本営の結界内にいたから、陣内の様子は人伝にしか知らないわ」


 あの騒動ではカオリ達はリジェネレータと彼女の召喚した魔物にかかりきりになっていたために、アイリーンが具体的になにをしていたかまでは詳しく知らなかったため、どうにも曖昧な態度になってしまった。

 それを受けて、ヴァンガード男爵は当時の様子をこと細かく説明する。


「百人長などと名誉な役に就いてはおりますが、私も所詮は一介の軍人に過ぎません、魔物への適切な対処法など考えたこともなく、当時はただただ混乱して逃げ惑う部下達を叱責するのに躍起になり、とてもではありませんが、統率をとるどころではありませんでした」


 不甲斐ない自身を恥じて、声を落とす様子に、カオリ達は同情の視線を向ける。


「しかし部下を庇って足をもっていかれた私は、もはや命運も尽きたかと覚悟した矢先に、バンデル様が颯爽と現れ、数合で魔物を鎮め、私を担いで兵達を纏め、一転魔物への攻勢へ打って出たのです」


 その時にアイリーンはカオリから持たされたアンリのポーションで、ヴァンガードに応急処置をし、彼に代わって部下を纏め、一大勢力として魔物達を次々と攻略していったのだと云う。


「ああ、あの人らしいですね」

「そうね。兵を率いるのはお手のものね」


 カオリ達の想像するに、部下を庇うほどのヴァンガード男爵のことである。部下達からの人望も厚く、彼を助けることで、そのまま彼の部下を借り受ける発想を思いついたのだろうと考えられる。

 人望はあれど魔物を倒せる力がない彼に、自分と云う魔物に抗しえる武器を与え、一時的に彼の部下を指揮下におくと云う、アイリーンらしい小細工だ。

 そこには自分が利用されたとヴァンガード男爵に気付かせない、豪快な彼女の姿からは巧妙に隠された狡猾さが垣間見える。


「しかし全身に火傷を負い、片足を切り飛ばされた私も、あのポーションのおかげで一命を取り留め、少なくとも事務方として働けるのですから、なんと感謝申し上げればよいか……」


 見れば全身に負ったであろう火傷はないものの、ヴァンガード男爵の膝から下はなく、いくら治療効果の高いアンリのポーションであれど、火傷と欠損を同時に治すにまではいたらなかった様子である。

 それを受けて、カオリはロゼッタに目配せをする。何故なら、今な以前にはとれなかった手段を講じられると思ったからだ。


「ちょっと失礼しますね」


 そう声をかけて、カオリは縛っていた裾を解き、今や結着した足の切断面を外気に晒す。


「カオリ様、いったいなにを――」


 突然父親の足を弄り出したカオリに戸惑い、クリスが声をかけた時に、ロゼッタの詠唱が唱えられた。


「【―癒しの鉄火(リカバリーレッド)―】」


 突如切断面に現出した魔法陣は、赤い明滅を放ち、そこから形成された元あった足が、赤熱する鉄火の如く、赤い燐光を纏う。


「こ、れはっ」

「うそ……、でも、そんな」


 光が収まったそこには、魔物に切り飛ばされたはずの足が出現していた。


「いや~上手くいきましたね~、ロゼが開発した火属性魔力の回復魔法、ちゃんと効果が合って安心しました」

「急遽開発した魔法だから、まだ数回した実験出来ていなかったから、私も少し不安でしたが、見た目は大丈夫そうですわね」


 ヴァンガード男爵は呆けたように口を開けたまま、無言で寝具から降り、のろのろと歩いて見たり、勇気を出して飛び跳ねて見たりを繰り返す。


「……治っている」

「お父さんっ、お父さぁんっっ!」


 未だ現状が理解出来ず呆ける父親へ、いち早く事態を理解したクリスが涙を流して抱きついた。


「なんと、なんとっ、っお礼を!」

「カオリ様っ、ロゼッタ様ぁっ! ありがとうございます! ありがとうございます!」


 親子で床に平伏し、滂沱してカオリ達へ感謝を繰り返す二人へ、カオリは苦笑して宥めた。


「私の仲間のアキが治療し切れなかった方が気掛かりだったので、渡りに船だったんです。今回は色々理由をつけて訪問させていただきまして、まだ開発間もない魔法を試せたので、お礼を言うのはこちらの方ですよ」

「しかしっ、こんな……」

「もちろん実験ですから、代金など請求するつもりはありません、男爵様のお力を、より国にお貸しいただけることを、ミカルド王国貴族令嬢として、お願い申し上げます」


 カオリの方便に便乗したロゼッタの言葉に、親子は完全に言葉を失った。




 そこからひたすら恐縮する親子を宥めるために、かなりの時間を要したものの、ようやくカオリは本題に移ることが出来た。


「つまりなにが言いたいかと云うと、軍のみなさんはあまりに魔物への対応力がないように思うんです」

「我々としましては、なにも軍全体とまでは云わず。せめて魔物専門に兵を指揮出来る精鋭部隊の設立が必要なのではないかと思い至り、それを是非ヴァンガード様の名で建言いただければと思いまして」


 こともなげに告げたカオリ達へ、ヴァンガード男爵は恐縮しつつも、怪訝な表情を浮かべる。


「どうして私なのでしょうか?」


 それは当然の疑問だとして、ヴァンガード男爵は疑問を呈する。


「正直に申しますと、帝国王国間戦争の事実上停戦による軍縮の煽りで、下手な工作に躍起になる開戦論派の貴族に、私達の指揮する村が巻き込まれるのを防ぎたいんです」


 問題の根本的な原因は、【太陽協定】による西大陸の危機に対する。対帝国へ向けた各国から義援金と、その恩恵を受けた武家の悪足掻きであるとカオリは考えている。

 義援金が停止すれば、当然として軍縮が始り、これまで潤沢な準備金を得ていた武家は、突然経済的に困窮するのが目に見えているのだ。

 もちろん馬鹿正直に軍費だけにあてていた真面目な武家は、戦争がなくなれば兵を養う必要がなくなるため、たいした影響はないのだが、流石に百年も続いた戦争中に、準備金を軍費以外の出費にあてるなどの、云わば横領に近いことに一度は手を染めてしまうのは致し方なかったであろう。


 中には新規事業開拓の資本金として流用したものや、社交界での賄賂、贅沢に消費したものもいた。

 最悪なものでは、準備金を担保に、多額の借金まで作り、子子孫孫と利息を払い続ける度し難いものまでいる始末である。

 そうした中で、突然に訪れた帝国王国間戦争の事実上停戦である。資金源を失いつつある東方武家は、当然として慌てるに至ったのだ。


 以前にも記述した内情ではあるが、開戦論派には二つの勢力がある。

 対帝国を想定した東方武家と、西方諸国の領土侵略を謳う西方武家である。西方武家は長年に渡り義援金の恩恵を受けて来られなかったので、同じ派閥内でも東方武家とは折り合いが合わず。また正反対の地理的に同派閥間での連帯は望むべくもない状況であった。

 今回の紛争騒動では近年稀に見る西方への出兵となり、彼ら西方武家の喜びはひとしおであったことだろう。


 しかしそれに冷や水を浴びせたのが、先の紛争地帯襲撃騒動である。

 これにより王国は安易に出兵を出来ない、慎重さを要求される事態に陥ったのだ。

 これからは同協定加盟国への援軍であれど、対象国をすらも警戒しなければならず。外交には相当な労力を負う覚悟が必要である。

 当然先の紛争により、ブラムドシェイド公国は義援金の停止を宣言し、今やエルスウェア評議国への攻勢へ躍起になっている。

 このような混乱が他の国々にも波及すれば、王国は対帝国への旗印としての立場を失い、次第に西大陸最大国家としての発言力も低下することが予想される。


「そんな事態になれば、私達の村の立地上、開戦論派の東方武家が、私達の村の領有を根拠に、帝国を挑発し、また帝国と戦争を始めようと画策するかもしれません」

「そうならないようにするためには、最低限、開戦論派が多数を占める軍に、予算が降りるように配慮する必要があります」


 カオリの説明にロゼッタが補足を入れ、カオリ達の立場と内情をつまびらかにする。


「その一環として、これまでにはない軍の運用がもっとも効果的だと思います。とくに事実上停戦に伴った戦死者の減少による。軍従事者の肥大化は、軍縮の最たる対象でしょう」


 もちろん王家とてなにも手を打っていないわけではない、来季からは公共事業の街道の敷設や、新たな宿場町の造営など、余った人材の運用を模索している。

 先の紛争によって生じた難民の受け入れも、その事業に利用されることが内々に決まっているのだ。

 しかし開戦論派の要求はあくまで、軍費として準備金が自家に支払われることである。

 国として人材や税の使い道をどれだけ工夫したところで、彼らの自分勝手な欲求を黙らせるのは難しいのだ。


「なら簡単です。軍人さんの新たな活躍の場を与えること、ついでにその提案を軍が積極的に推し進めることに、開戦論派が躍起になれば、一時的でも私達への関心が逸れるんじゃないかってことです」

「流石に我々の都合を王家に押し付けるわけにはまいりません、なので軍に献身を捧げる信用出来る軍人様を、我々は必要としていたのです」


 ここまで流暢に語り終えたカオリ達へ、ヴァンガード男爵は完全に目を回してしまう。


「もうなにがなにやら……、貴族と云うのは、ここまで裏の思惑であれこれ考えねばならんのか」

「お父さん、頭から煙が出てるよ……」


 クリスの言葉はもちろん比喩だが、ヴァンガード男爵が頭を使う裏工作を苦手とするのは十分に理解出来る。

 しかしそんな彼だからこそ、顔芸が出来ない信用出来る人物であると、カオリ達は今日直接に会って直感的に閃いたのだ。


「そうですね。例えば、高位の冒険者を指導者として招き、若い新兵を起用して魔物専門部隊を設立すれば、優秀な彼らが解雇されたり、減給される心配が減りますよね? それこそ息子を軍属に入れたい武家の貴族は、ご子息の職が安寧されますし、魔物を討伐した部隊などには、臨時収入が入るようにすれば、手柄も立てさせやすいじゃないですか」


 カオリの説明に、ヴァンガード男爵は真剣に耳をかたむける。


「他にも、ミカルド王国国内であれば、魔物の討伐遠征にかこつけて、各地に兵を派遣し易くなりますし、東方西方問わず。活躍の場を設けられます。これまで冒険者組合に一任していた対応を、今後は国家主導で運用出来るのは、国としても利益が大きいかと思います」

「しかし、それでは冒険者から仕事を奪うことになりませんか?」


 ロゼッタが続けた言葉に、懸念を示したクリスへ、カオリ達は肩を竦めて見せる。


「元々冒険者は少数精鋭で魔物へ対処させられるような危険な仕事です。今後は群れの討伐を軍が代わってくれるなら、むしろ喜ぶんじゃないですか? それに人類の生存圏が広がれば、それだけ魔物の脅威も広がるので、魔物の脅威が減ることは、相対的にないと思いますけどね」

「我々冒険者としましては、魔物の脅威から民を守ること、未知の領域へ挑戦し、人類の生存圏を広げることこそが願いですから、生きるためだけに冒険者になるような方は、それこそ軍にでも入ればよろしいのですわ」


 二人の言い分に、ヴァンガード親子は得心いった様子でうなずいた。


「承知いたしました。そこまでおっしゃられるのであれば、不肖ながら私、ヴァンガードが、その提案を上部に建言させていただきます。……ただ」


 カオリ達の提案は受けると了承したヴァンガード男爵であったが、そこまで言って言い淀む様子に、カオリ達は顔を見合わせる。


「私はお恥ずかしながら、書類仕事が少し苦手で、提案資料など作ったことがなく」


 非常に申し訳なさそうに語るヴァンガード男爵へ、カオリはそんなことかと笑顔を向ける。


「ならちょうどいいのがいらっしゃるじゃないですか、男爵様が手塩にかけて育て、借金までして学園に入学された。将来有望な文官候補が」

「へ?」


 カオリにやや強めに肩を叩かれたクリスが、素っ頓狂な声を上げる。


「大丈夫です。書類仕事なら村の開拓で慣れていますし、私達もお手伝いするので、クリス様、いっしょに頑張りましょうね?」

「え? えええっ!」


 病室に一人の少女の悲鳴が木霊する。




 後日、職場復帰を果たしたヴァンガード男爵は、自らの上司となる上級百人長へ資料と共に発言する。


「復帰おめでとうヴァンガード、まったくお前は悪運の強い男よ、聞けば学園に通う娘のご友人が、たまたま治療魔法を使えたので、格安で失った足を治してもらえたそうじゃないか」

「はっ、その通りでございます」


 魔法の知識のない軍人からすれば、治療魔法と回復魔法の違いなど、わかる訳もないとして、詳しい説明を求められてもはぐらかすようにとカオリ達から忠告されたので、勘違いを訂正しないヴァンガード男爵へ、上司はとくに疑問を抱くことはなかった。


「しかしお前にしては珍しいな、資料まで持参して軍の運用について提案があるなど……」

「はい、なにせ病室で暇だったもので、眠れぬ夜にふと閃いた次第でございます」


 これもカオリ達が考えた言い訳である。

 ヴァンガード男爵から手渡された資料に目を通しつつ、気になった点を質問すれば、ヴァンガード男爵はその都度細かく解説を付け加える。

 徹夜して暗記した内容に不備がないか緊張していたヴァンガード男爵だが、とくに不審に思う点がなかったのか、上司は感心した様子で驚いた。


「よく纏められている。これならそのまま将軍閣下へも提案出来そうだ。それにしてもここまでの資料をよく作れたな、お前の書類嫌いは隊内でも有名だったはずだ」


 そこで初めて動揺するヴァンガード男爵に、上司は少し目を細めて視線を向ける。

 十中八九、ヴァンガード男爵が何者かの思惑に乗せられたのだろうと予想しての質問だが、ここまで顔に出る男を選んだあたり、人選を誤ったとしか思えず。上司は思わず苦笑してしまう。


「じ、実は、娘に手伝ってもらったんです」

「はあ? 娘ってお前、たしかお前のご息女はまだ十五の少女ではないか、この資料は国の提案資料と同じ書式のものだぞ、こんな難しい書類の作成など、政務科の学生でもまだ実践は済ませていないはずだが?」


 この上司とてかつては学園に在籍していた貴族家の出身である。

 学科こそ騎士科を選んだものの、一応全学科の修学順序ぐらいは覚えがある。目の前の部下がどれほど親馬鹿でも、こんな嘘をつける性格ではないことは重々承知しつつ、にわかに信じられないと眉をひそめる。


「それも、その友人から教わったそうで……、なんでも侯爵位のご令嬢だとか」

「家名はなんと云うのだ」


 ここまで突っ込まれれば、流石に隠し立て出来ないと観念するヴァンガード男爵だが、これもカオリ達にとっては想定の範囲内であった。


「……アルトバイエ侯爵家の、ロゼッタ・アルトバイエ嬢様です」

「なんとっ、先の協定軍最高指揮官であらせられた。アルトバイエ侯爵閣下のご息女か! なるほど、なればこれほどまでに微に入り細を穿つ内容も納得出来る」

「なんでも、お父君が率いた兵達に甚大な被害をもたらしたあの襲撃に、アルトバイエ嬢は大変心を痛めたご様子で、今後同じような事態に見舞われぬよう、是非とも協力させてほしいと申し出ていただけたようで」

「ふむふむ」


 当然、これがヴァンガード男爵が考えた提案などとはまったく信じていない上司は、しかしカオリ達の思惑そのものにまでは考え至らず。長期療養を余儀なくされた父親の娘を案じ、治療を施し、手柄まで建てさせようとお節介を焼いた程度と認識した。


「なんせよこれは是非とも我が軍で採用したい内容だ。栄えある我らが冒険者紛いの身にやつすと云うのに反発はあろうが、前線は新兵が担うのだから、我らが気にすることではなかろう」

「はっ、恐れながらもし可決された暁には、我が息子も入隊を希望いたします。危険な任務とはなりましょうが、我がヴァンガード家は武で鳴らす家柄ゆえ、国家安寧のために、この身を捧げたく」


 すでに正していた姿勢をより緊張させ、胸の前で拳を握る敬礼をするヴァンガード男爵に、上司は落ち着くように窘める。


「とは言いつつも、鳶が鷹を生むが如し、お前には優秀な文官候補もおるのだ。いずれは世襲貴族に叙される未来もあろう、私も部下の出世は素直に嬉しいものだ。復帰も叶った以上、長平な街道巡回で腕を鈍らせることのないよう、それなりに取り計らうとする」

「有難き幸せ!」


 かくして、ミカルド王国軍で、新たな試みが施策されることになる。

 もちろん、カオリ達が軍部に知己を得ると云う目的も、叶った瞬間であった。


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