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( 日々勉強 )

(ファンタジーだな~)


 魔法を題材にした多くの作品に見られる。魔法の実践授業を思わせる眼前の光景を、カオリは感慨深く眺めていた。


 議題は実践魔法と銘打った。実質の自習時間である。

 魔法が引き起こす危険への備えや、魔術を行使する最低限の知識は、この世界では少年期に学ぶのが一般的なため、高等教育機関とされる王立魔法学園ではそれから一歩進んだ。応用や探究に焦点があてられている。


 だがそれでも貴族の子息令嬢を預かる立場から、一応安全対策のために、専用の装備や、もしもの時に備えた救護員を配置している。

 その一つとして、今回の講義を受ける前に支給された専用の外套は、魔法への耐性が付与されており、下位の魔法程度であれば怪我の心配のないものである。

 しかしそれを着用するとはつまり、自前で魔法耐性付与の装備を揃えられない、云わば中級階級を意味することもあり、着用者のほとんどは平民か男爵家や騎士爵家ばかりである。


 某魔法学校を舞台にした作品でお馴染みの、足首まで隠れる長い外套を思わせる野暮ったい装いは、どうやらこの世界ではやや好まれていない様子だ。

 ちなみにロゼッタは普段から着用している冒険者の装備が、まさに魔法耐性付与の装備一式であったため、支給された羽織を着用していなかった。

 果たしてそれが理由なのか、周囲の中にはカオリへあからさまな侮蔑の視線を寄こすものもおり、カオリはやや不機嫌になる。


「なんでかな~、結構可愛いと思うんだけどなぁ~」

「そうね。まるで幼年学生みたいで、とても可愛らしいわよカオリ」


 実にいい笑顔でカオリを褒めるロゼッタだが、カオリにはどう見ても馬鹿にした笑みに見えて仕方がなかった。


「ちなみにロゼの装備っていくらしたの?」


 だがとりあえずはロゼッタからの視線は無視し、純粋な好奇心からカオリは質問する。


「どうかしら、この革の胸当てだけでも金貨五枚はしたと思うわ、全身を入れればいったいいくらかは覚えていないわ」


 ロゼッタのその言葉が聞こえたのか、周囲から感嘆の溜息が聞こえ、カオリは若干身を引いた。


「ないわ~、引くわ~、家どころか屋敷が建てられそう、お金持ちのお嬢様は違うねぇ~」

「今、馬鹿にしたの? ねえカオリ、馬鹿にした?」


 ロゼッタが詰め寄るのを、カオリは明後日の方を見て無視する。

 そこへ本日の講師が現れ、学生達は暗黙の了解からか、身分の高いものから順に並んでいく。


「諸君、今日は初めての受講者もいるので改めて説明させてもらうが、魔法はなんと云っても実践を経ることで、より自らの魔法を探究出来ることから、幼年学校と比べてより高度な実践形式をとる。くれぐれも怪我のないようにだけ注意するように」


 簡単な説明の後、カオリとロゼッタだけが呼ばれる。


「自己紹介は省略させてもらう、さて二人はこの科の実践講義は初めてだろう、まずはどこまで魔法を行使出来るか見せてほしい」


 その要望に、カオリとロゼッタは顔を見合わせる。


「魔術じゃなくて魔法をですか?」

「……どう云う意味かね?」


 カオリの質問の意図がわからず。講師は聞き返す。


「魔法はあくまで現象ですよね? その現象を術式を経て自在に行使するのが魔術ですよね? ただの魔法でいいならスキルによる強化魔法も含まれますが、それならすでに発動してますけど……」


 カオリが説明すれば、講師は言葉が上手く出て来ないのか、ロゼッタへ視線を向ける。

 しかしロゼッタは目を伏せ、講師からの視線を完全に無視した。


「固有スキル保持者なのか?」

「固有スキルもありますけど、ただのスキルももってますし、今も発動してます。常時発動型なので」


 気付けば各々で魔法談義に興じていた周囲の学生達も、カオリと講師の会話が気になったのか、会話を止めて聞き耳を立てていた。


「スキルは魔法とは違うだろう?」

「そんな馬鹿な、術式を介さないから魔術とは違いますけど、スキルだってれっきとした魔法現象ですよ?」


 ササキから受けた講義で教わった内容のままに語るカオリに、講師は眉間に深い皺を刻む。


「カオリ、仮にスキルが魔法現象だったとして、証明出来なければただの詭弁よ、魔法談義はまたの機会にして、今は目に見える形で、教授様にカオリの使える魔法を披露することが出来ればいいのよ」

「なるほど~」


 納得したカオリはしばし思案する。


「魔力剣は魔術になるかな?」

「あれは剣に魔力を込めただけでしょう? 騎士であれば必須技能だけど、魔導士としては使い所のない技よ、魔力操作は魔導士の基礎能力であり、術式ではなく技術と考えられているのだから」


 ロゼッタに否定され、そう云えばとくに術式を必要としないものであったとカオリは思い出す。

 剣に魔力を流す行為は、あくまで魔力を移動させ、接触対象に魔力を纏わせる。云わば魔力操作技術の一つに過ぎない、魔術ではないと云われればたしかにそうであるとカオリも納得した。


「あ、ならこれはどうかな?【―次元の宝物庫(アイテムボックス)―】」

「あ! 馬鹿カオリっ」


 そう云えばと思い出したカオリが発動した魔法は、日頃から重宝している魔法の【―次元の宝物庫(アイテムボックス)―】であったが、ロゼッタは慌てて制止した時には遅く、すでにカオリの掌の先に、黒い異次元への入口が開いていた。


「なっ! それは、まさか!」


 その異次元への入り口を認識した瞬間、講師は驚愕の声を上げ、ロゼッタは両目を手で覆った。


「失われた空間魔法だと! 君はいったいどこでこの魔法を教わったのかね! いったいどうやって発動したのだ!」


 矢継ぎ早の質問に、カオリはここでようやく自分のしたことの重大さに気付き、慌てて魔法を止めた。


「ああ~、これはですねぇ……」


 どうにも上手い言い訳が思い付かず。カオリは言葉に窮してしまった。それでも講師はカオリへの詰問を止めるつもりがないようで、さらに一歩近付いて来るのを、カオリは思わず身を引く。


「……【―次元の宝物庫(アイテムボックス)―】」


 しかしそこへロゼッタも同様の詠唱をし、掌にカオリが出したものと同じ異次元への入口を開いて見せたことで、講師は唖然とした。


「私共は後見人である。神鋼級冒険者ササキ様が発見された古代遺跡の遺物から、この魔法を再興されたのをご教授させていただいたのです。その有用性から軍事転用を恐れ、普段は秘匿するように厳命されておりました。……カオリ・ミヤモトはそのことをうっかり忘れていたようなので、出来れば今見たことは忘れていただきたく存じます」

「……」


 言葉ではっきりとこれ以上の詮索は、神鋼級冒険者ササキを敵に回すと脅せば、講師は二の句が告げられなくなってしまう。


「ご、ごほんっ、わかったこのことは他言無用とする……、しかしどうやら、ミヤモト嬢とアルトバイエ嬢は、魔法への造詣が深いようだな、本当に……」


 講師のその言葉に、カオリはほっと胸を撫で下ろす。いつでもササキの名前は本当に便利だと痛感した瞬間である。


『ごめんねロゼ、うっかりしてた』

『……この遠話魔法も絶対に秘密よ? ねえカオリ、貴女正直この講義を面倒に思ってるでしょう?』

『う、ばれたか……、だって熟練度を無駄に消費したくないんだもん』


 ロゼッタの内心を見透かされ、カオリは正直に理由をこぼす。


「え~と、魔法についてもっと勉強したいから魔法科を選んだだけで、私自身はあんまり魔法を使えないんです。すいません」


 カオリは講師に向かってそう謝罪するれば、講師は納得したのか腕を組んで何度もうなずいて見せる。


「たしかに、魔法への探求心さえあれば、その、なんだ。たとえ魔導士でなくとも魔法科を選ぶ十分な理由足りえる。ミヤモト嬢が自分なりに魔法を学び、今後の未来の糧に出来るよう、私も一指導者として可能な限り協力させてもらおう……」


 講師はそう云って一旦この場を流した。

 少なくとも魔法を学びたいと云う純粋な知的好奇心で、魔法科を選ぶ学生は皆無ではない、ただ実践で力を発揮出来ない分、そんな学生への風当たりは強い、そのため非常に稀であるのが実情である。

 講師の中には、魔法、この場合は魔術を使えない学生を、あからさまに冷遇するものも存在するくらいだ。

 しかし幸か不幸か、カオリが【―次元の宝物庫(アイテムボックス)―】を披露してしまったがために、恐らくこの講師がカオリを蔑にすることはないことにだけは、ロゼッタは結果的によかっただろうと無理やり自分を納得させる。

 幸い周囲にいた学生はカオリ達の会話を断片的にしか聞こえていなかった様子で、またカオリとロゼッタの出して見せた異次元への入口も、掌上の小さなものであったため、直視したのは講師だけだったことから、事実が広まる可能性はないと思われた。


「ならカオリ、その剣で、どこまで魔術と対抗出来るか模索してみる? いつも魔法は躱すか斬るかしかしないでしょう? 結界魔法くらい使えないと、大規模魔法相手じゃ面倒よ、……まああの爆裂魔道具でも無傷で生還したカオリに、必要かと聞かれたらなんとも言えないけれど」


 先の紛争騒動で、リジェネレータが自爆に使用した爆裂魔法を間近で受けてなお、カオリは無傷で生還を果たしたのを、ロゼッタは未だに信じられずにいる様子である。

 彼女的には出来れば、確実に生還出来る術を、カオリに身につけて欲しい一心である。


「それもそうだね~、あれかなり神経使って斬らないとヤバいし、そろそろ防御方法も考えなきゃね~」

「斬ってたのね……、そうだとは思ってたけど……」


 とりあえずと、カオリ達は講師から離れて対峙する。


「まずは私の魔法に対処してみましょう」

「ほ~い」


 およそ十歩の距離を空けて二人は構える。


「【―火線(ファイヤーライン)―】」


 ロゼッタお得意の火魔法がカオリに一直線に飛来する。


「ちょ、ちょっと!」


 しかしカオリはそれを慌てて回避する。


「どうしたのよカオリ、ただの下位魔法よ? これくらいならいつもみたいに斬れるでしょう?」


 カオリの常にない慌てぶりに、ロゼッタの方が面食らって驚く。


「無理無理っ、ロゼの火線って持続式の魔法じゃんっ、【―火球(ファイヤーボール)―】とかの単発式と違って斬っても魔力を霧散し切れないの!」


 カオリの説明に、ロゼッタははっとする。


「そ、そうだったのね。てっきりカオリの剣は反則級の魔法殺しかと思ってたわ……」


 カオリの剣へ絶大な信頼を寄せていたロゼッタも、よもやこんなところで弱点があったとは思わず。彼女はカオリよりも動揺した。


「……本来形のない現象に固有の形を与えて、対象へ飛ばして攻撃するのが攻撃魔法の基本だけど、私は普通の人より魔力が多いから、持続式の魔法が得意なのよ、まさかそれがカオリに有効だなんて思わなかったわ」


 弱点などないかのような戦い振りを見せるカオリにも、苦手な魔法があった事実に驚き、ロゼッタはしばし黙考する。


「……まあそもそも斬ったり躱したり出来ることが、普通じゃないのだから、これを弱点と見るのはいささか酷よね。でも高位の魔導士なら使おうと思えば使える魔術だから、持続式へも対策を講じるべきよね」

「そうだね~、あと、広域殲滅魔法とかもやばいかも、斬るには大き過ぎるもん」

「……」


 云われて見ればそうであろうと思い、ロゼッタはさらに考える。


「じゃあとりあえず単発式の魔法に対処してみせて【―火球(ファイヤーボール)―】」

「はいはい」


 そう云ってロゼッタは滅多に使わない魔術にて、燃え盛る火の玉を放ち、カオリはそれを軽く払うように、抜刀していとも容易く消失させる。


「【―空弾(エアーバレット)―】」

「ほいさ」


 下位魔法のいわゆる空気砲だが、あたれば人を吹き飛ばすことも出来るそれを、カオリは叩き斬る。


「【―氷礫(アイスモース)―】」

「あらよっと」


 これも下位の氷の礫で、ようは冷たい礫でしかないが、当然これもあたりどころが悪ければ骨折もする危険な魔法だ。足元に手頃な石がない時に便利である。

 当然これもカオリは容易く斬り落とす。


「見えない空弾も固形物の氷にも対応出来るなら、あとは雷くらいかしら?【―雷撃(ライトニング)―】」

「眩しっ」


 無軌道の雷撃は回避が困難であると同時に、命中速度はずば抜けて速く、命中後麻痺を引き起こす追加効果も期待出来る優れた魔法である。

 ただし発動時に強い光や空気を裂く音が生じることから、隠密時には向かない魔法である。

 また対象物の近くに金属があれば対象物から逸れてしまうと云う弱点もあり、どうしても使用者を選んでしまう魔法でもある。

 それでもカオリは斬ってしまう、雷を斬るとはこれいかに。


「ちょ、ちょっとまってくれっ」


 色んな属性の魔法を迎撃してみせる二人だったが、そこへ慌てた様子で講師の制止が入る。


「何故斬れるんだ!」

「……何故、とは?」


 講師の疑問に疑問で返すカオリに、講師はまだ言葉の通じるであろうロゼッタに視線を向ける。


「ええっと……、なんと云えばいいのかしら? 彼女の剣はなぜか魔法に込められた魔力を霧散させる力がありまして、ああして魔法を斬り消すことが出来るのです」


 カオリの固有能力である。概念攻撃をどう説明すべきか悩み、仕方なく事実だけを告げるロゼッタに、講師はまだ納得出来ない表情だ。


「彼女のもつ剣に、そう云った魔法が付与されているのか?」


 講師の重ねた質問に、普通に考えればそう思うだろうと思い至り、ロゼッタはカオリに再度向き直る。


「【―土塊(ソイルマス)―】」

「はぁーい」


 土塊とはそのままに土の塊を飛ばせば、カオリはそれを手刀で斬って見せた。

 よく見ればカオリの右手に薄らと魔力の膜が確認出来るのだが、遠目から見れば素手で粉々にしたように見えたことだろう。 

 普通であれば、よしんば素手で砕くことが出来たとしても、破片で怪我をするだろうが、カオリの場合は魔力によって生み出された物体は、飛来するその運動量すら霧散させることが出来る。

 気分はさながら最低レベルの幻想殺しであるが、あいにくとカオリは斬るという動作が必要なため、単純に触れて消失させることは出来ない、しかしそれでも講師には異質に映ったようで、あんぐりと口を開けて呆然とした。


「彼女の場合、魔力そのものが異質なためか、破魔に近い効果を発揮出来ます。ご存じかはわかりませんが、以前にエイマン城砦都市の魔導士組合元組合長の、イグマンド・ルーフェンの魔法をも斬り消した力がありました」

「っ、あの【炎鞭のイグマンド】の魔法をか! あれは上位魔法のはずだぞ、そんな馬鹿な……」


 かつて、カオリ達の村を野盗集団を雇って襲撃したイグマンド・ルーフェンの炎の鞭も、カオリは斬り飛ばしたことを思い出し、ロゼッタは当時を懐かしむ。


「なるほど、あれは杖に炎の制御を術式化して付与し、適宜魔力を込めて発動した魔法だから、斬り消すことが出来たのね。ならこれはどうかしら? 【―華焔の(フレイムウィップ)―】」


 ロゼッタの発動した魔法は、まだ学園が始る以前に、王都にある採石場の迷宮でレベル上げをおこなった際に開発した。ロゼッタの自作魔法である。

 イグマンドの使った炎鞭と違い、制御も魔力注入も自身で術式を構成しているため、長さや熱量も自由自在である。

 もちろんそのぶん消費魔力は多く、長期戦ではまだ使えない魔法である。


「おお? 久しぶりぃ」


 ロゼッタの手の動きから、軌道を予測したカオリは、振われた燃え盛る鞭を、余裕をもって躱しつつ、刹那に半ばを斬り飛ばす。


「いいえまだよ!」


 しかしイグマンドの時と違って、ロゼッタの手元に繋がる部位は消失せず。失った先を再び伸長させて再度振う。


「やるじゃんロゼ!」


 やや驚きの表情を作るカオリだが、それ以上にロゼッタの成長が嬉しく、すぐに嬉しそうに口を緩める。

 斬る。再炎、斬る。再炎を数合ほど繰り返し、二人は実に楽しそうに立ち回る。

 その姿を眺め、講師は固まって動けずにいたが、それは周囲の学生達も同様だったようで、皆して二人の遊びを観戦していた。


「アルトバイエ嬢のあの魔法……、上位魔法じゃないのか?」

「鞭状の炎を維持して、何度も再生させるなんて、どんな術式制御能力なんだ……」

「それよりもミヤモト嬢の剣だろう? なぜ本来形のない炎を切り離すことが出来るんだ? 破魔の魔法を使っているようには見えないぞ」

「あの身のこなし……、王国騎士であっても、あそこまで華麗に回避出来るものかっ、凄腕の剣士とは聞いていたが、想像以上の使い手だ」


 学生の中でも、王立魔法騎士団などの戦闘職を目指す学生ならば、カオリやロゼッタの戦闘が並みの戦闘能力ではないことがわかるのか、各々に感嘆の声を零す。


「アルトバイエ様もミヤモト様も、とても優美なお姿だわ……、まるで舞踏のようよ」

「アルトバイエ様のお姿、さながら炎の華纏う女王様ねっ」

「ミヤモト様はたしか【不死狩り姫】とあざ名われているのでしょう? ならアルトバイエ様は【華炎の女王】なんてどうかしら?」

「素敵だわ!」


 一方の貴族令嬢達は、二人の姿を英雄視したのか、勝手に通り名を考えるなどをして、観戦を愉しんでいる様子である。

 彼女達は一様に魔法への興味から魔法科を選択こそしたものの、別段将来的に戦闘職に就く考えは薄いため、単純に美しく舞うように戦うカオリ達の姿へ、称賛を抱いたのだ。


「もうっ、全然あたる気がしないわ」


 しかしロゼッタも流石に魔力が枯渇して来たのか、炎鞭を消して項垂れる。


「いや~、なにせ燃えてるからね。よく見えるじゃん? 普通の鞭よりは遅いし」


 そんなロゼッタにカオリは慰めるつもりのない言葉を贈る。

 固有スキル【―達人の技巧(ハイレベル)―】を有するカオリにして見れば、鞭だろうが鎖鎌だろうが視えていれば躱すのは造作もなく、仮に視界に映らなくても、手元さえ確認出来れば軌道を予測することも容易であるのだ。

 視える上に速度も緩い炎の鞭など、あたる方が難しいとは流石に言わぬが吉か。

 今ならば、拳銃の弾丸すらも躱せるかもしれないと、内心で思うカオリである。




 実践講義を終えた昼下がり、いつもの軽食喫茶の個室で昼食をとるカオリ達は、久しぶりにベアトリスも交えて歓談をする。


「ようは斬りまくればいいじゃん?」

「防ぐつもりはないのね。カオリなら出来そうな気がするからなんとも言えないわ」


 あくまでも下位魔法に限って云えば、持続式の魔法でも、斬撃による一定の効果を実感した上での感想に、ロゼッタは根拠はないが理解を示す。


「お二人のご様子が、早速噂になっておりますわ、【華炎の女王】なんて云い得て妙ね」


 食後の紅茶をおいて、ベアトリスは笑みを浮かべて笑う。


「勝手に通り名をつけられるなんて、考えておりませんでした。カオリが恥ずかしがっていた気持ちが少しわかるわ」


 冒険者として活躍する内に、いつかは通り名を呼ばれることもあるだろうと、やや期待していたロゼッタは、面映ゆくも誇らしげに言って見せる。


「なんでそんな恰好いいの? 私の不死なんとかって、なんか不気味じゃん、いいなぁ~」


 自分の通り名に不満を感じるカオリは、ロゼッタの【華炎の女王】と云う通り名を羨ましく思った。


「カオリ様の【不死狩り姫】、ロゼッタ様の【華炎の女王】、バンデル様の【灰鉄の戦姫】、もう一方にも通り名はありませんの?」


 久し振りに聞いたアイリーンの通り名に、カオリは笑ってしまう、彼女も冒険者業を通じて、通り名が王国に届き始めたのだと感心したためだ。


「アキはそもそも前に出る性分じゃありませんから、彼女の能力を見た人は、戦場で治療してもらった負傷者くらいじゃないですかね?」

「そうね。弓の遠距離に、斧槍の中距離と臨機応変に対応出来る上に、聖属性魔法まで使えるアキは、十分に高い能力を評価されてしかるべきだけれど、やっぱりカオリの従者と吹聴しているから、注目されづらいのかもしれないわね」


 貴族社会では従者は左程評価対象とは見られないものだ。これが一般人や冒険者であれば勝手も違ったのだろうが、アキのここ最近の活躍の場は、カオリの活動に伴って貴族の絡む案件がほとんどである。彼女が注目を集めるには別の機会を設ける必要があるだろう。


「聞けば獣人種でありながら、聖属性魔法行使者だと伺いましたが、本当なのですか?」

「はい、そうですね」


 ベアトリスの質問に、カオリは即答する。


「獣人種の方で、聖属性魔法を使える方が存在するなんて初めて聞きました。であれば獣人種もまた。神々の御子の末裔なのでしょうか……」

「……」


 しかし続けられた疑問に、カオリは答えることが出来なかったが、それもそのはず、アキは正真正銘カオリが生み出した。この世界の種族とはまったくの別種である。


「……カオリの従者であるアキは、カオリと同郷の幼馴染なのです。つまりこの大陸の神々の御子とは別の系譜の種族となります。それはカオリも同様なので、二人はこの大陸の人々と異なる性質をもっているのだと考えられます」


 カオリがこの世界とは別の世界から来た転移者、あるいは召喚者である事実を知るロゼッタは、カオリに代わってそう説明した。


「まあ! 異国の方だとは存じ上げておりましたが、よもや神々をも異する種族であるなんて、世界とは本当に広いんですのね」


(サンキュウ、ロゼ!)


 心底驚き目を見開くベアトリスに、カオリはロゼッタへ視線で感謝を贈る。


「ですがそうなると、やはり両大陸に住まう獣人種のみなさんは、聖属性魔法を行使出来ないと云うことになるのでしょうか? ……それは少し残念に思います。もし獣人種への差別がなくなれば、よりよい国となれるかもしれませんのに」

「聖属性魔法を行使出来ることが、大六神教を信仰出来る同族だと考える風潮は根強いですものね。我が国において亜人種・獣人種差別が未だ絶えない根拠とされておりますもの、アキの存在はその価値観を根底から覆す可能性そのもの、私もベアトリス様のお気持ちには同感でございます」


(なるほど~、教会がアキに興味を示した理由は、ベアトリスさんみたいな考えの人がいるのも理由の一つなんだね~)


 同じ宗教を信仰すること、文化を共有出来ることは、国家運営の上では非常に有益であることは明白だ。

 信仰とは文化であり、文化とは価値観の根幹をなす要素である。姿形が異なっても、同じ価値観を共有出来ることは、安心や信用に繋がり、争いなき共存を可能とするのだ。アルフレッド第一王子の婚約者として、彼女なりに国の未来を憂いた様子が垣間見える。


「あ、そう云えば気になってたんですけど、聖属性魔法ってそもそもなんなんですか?」


 カオリの唐突な疑問に、ロゼッタとベアトリスは顔を見合わせる。


「聖属性、別名、光属性とは、魔を払い邪を清める神々の権能の一つとされているわ、教会はその使い手を集め、信仰を集める組織だけれど、根本には治療魔法の使い手を保護する役目が発端となっているの」

「他にも魔物、とくにアンデッド系を撃退するのに非常に有効的なことから、人類の守護者でもあると、ロゼッタ様は以前私に教えて下さいましたね」


 ここまでは一般的な聖属性魔法への認識であり、カオリが聞きたいのはそれだけではないだろうことを知るロゼッタは、さらに言葉を続ける。


「ここで重要なのが、治療系の魔法が聖属性魔法でしか行使出来ないことよ、火属性でも、氷属性でもなく、聖属性だけが、怪我や病を癒す唯一の属性とされているの……」


 これまで生きて来た常識から、ロゼッタはカオリへあくまで事実として説明をする。

 だがカオリの表情に変化はなく、ロゼッタは嫌な予感に襲われる。

 カオリがなにかを口にしようとした瞬間に、ロゼッタは急いで遠話を送る。


「でも――」

『まってカオリ』


 ロゼッタからの急な遠話に、カオリは言いかけた言葉を止める。


『私すごく嫌な予感がするから、この話は一旦屋敷に帰ってから、二人だけかササキ様を交えてからにしましょう』

『あれ、なんかヤバい感じ?』


「どうかなさいましたか? カオリ様」


 急に黙り込み、中空を見詰め始めたカオリへ、ベアトリスは首をかしげる。


「いえいえなんでもありません」


 カオリは慌ててその場を誤魔化した。




 帰宅後、カオリとロゼッタはすぐさまササキの下へ突撃する。


「ササキさん、聖属性以外で、治療魔法って存在するんですか?」

「ん? あるぞ」

「や、やっぱり……」


 カオリが唐突に投げかけた質問に、ササキが即座に肯定の言葉を発したことで、ロゼッタは予感が的中したことで絶句する。


「どの属性であっても、元は同じ魔力を媒介とすることは変わらん、ともすれば属性に因る必要性すらなく、正しく働き掛けることが出来れば、純粋な魔力でも治癒現象を起こすことは可能だ。――しかし」


 目を通していた書類から視線を上げ、座り直したササキは二人に視線を送る。


「聖属性とされる光を伴った魔法は、物質を透過しやすく、また他者への魔力干渉も容易におこなえることから、同じ治癒現象を望んだ場合の魔力消費量や変換効率が群を抜いて高い、ゆえに他属性魔法による治療は自然と淘汰されたと、私は考えている」


 柔和な表情で語るササキとは対照的に、ロゼッタはどうしても不安や猜疑心を抱いてしまったのか、やや表情を硬くして質問する。


「恐れながら、そ、その根拠はおありなのでしょうか? 私はこの国であたり前の常識として、治療系魔法は聖属性でしか行使出来ないと教わってまいりました。にわかに信じがたいのです……」


 日頃からササキの言葉には盲目的に信じる傾向にあるロゼッタも、自身どころか国家規模の常識を否定されれば、こうなるだろうと予想していたササキは、さらに笑みを深めてロゼッタに向き直る。


「私が対峙した竜種や、一部強力な魔物の中には、自身を治癒出来るものがいる。聖属性魔法が魔物に効果的な属性である以上、彼ら自身が聖属性魔法により自己治癒をしているとは考えられないだろう、またヴァンパイアやウェアウルフのような魔族の類も、吸血行動や捕食により、自身を修復出来るのは有名だ。――つまり属性に因らない治療魔法は存在すると云うことだ」


 ササキの挙げた実例の数々に、ロゼッタは祈るように組んだ手を、力なく下げた。


「では、教会が掲げる聖属性魔法による治癒が、神々が人類に与えた慈悲であると云う聖典は、人間の勝手な思い込みであり、なんら正当性を有するものではないと云うことでしょうか……」


 同じ大六神教でも、派閥によっては聖典の内容に差異は生じるものの、聖属性魔法に関する記述に大きな違いはなく、一様に神々のもたらした人類への祝福であると云う教えが普遍的であるのだ。

 しかしササキの語った言葉は、その教えを真っ向から否定しうる可能性を示していると、敬虔な大六神教徒のロゼッタ、久しぶりに信仰心が試される心境に陥った。


「ははは、そこまで思いつめることはないロゼッタ君、聖属性魔法が人類にもたらす恩恵は、紛れもなく神々から人類への祝福であると云う教えには、私も大いに同意するものだ」

「そ、そうなのですか?」


 ササキが教会の教えを肯定したことで、ロゼッタはやや安堵して聞き返す。


「聖属性による治療魔法の効力や、破魔の魔力は真に人類の存続を保証しうる力がある。魔物や魔族がそれを行使出来ないと云うことで、どれほど人類が救われているか、そんなものは考えるまでもない事実なのだからな」


 少なくとも、治療に限らず。聖属性には破魔の力もあることを挙げれば、教会が唱える聖属性が人類にのみ許された奇跡の一端であると云う教えを否定しないことを証明され、ロゼッタは留飲を下げた。

 そこからカオリがことの発端となった。聖属性そのものへの疑問を提起し直すことから、話題はより深い講義へと移った。


「聖属性と云う呼称は、大六神教が興ったことで定着したものだ。なので私は聖属性のもつ力の根源が、光と云う特性にこそあると考えている。先にも言ったが、光は物質を透過しやすいが、他にも他属性魔力や魔力そのものへの干渉力が高いことに着目すべきだ」


 いつか使った黒板を用意して、ササキの講義は本格的なものとなる。


「魔力への干渉力とはつまり、固有の魔力を同種の魔力、この場合は光属性に変換する能力を示している。ゆえに他属性の魔力によって発現した魔法は、保有、あるいは消費する魔力を、光属性に変換されることにより、その発現そのものを打ち消すことが出来てしまう、これが破魔の力の正体だと私は考えている」

「なるほど……、火属性魔力によって生じた火魔法も、光属性の魔力におきかえられてしまえば、現象そのものが失われてしまうのですね」


 長安楽椅子にカオリと並んで座るロゼッタが、手にした紙にササキの講義を記録しつつ、自分なりの理解に努めた。


「ここで重要なのが、光属性の魔力には、元より他属性魔力を変換する力が備わっていることを、理解しなければいけない点だ」

「どう云う意味ですか?」


 カオリが手を挙げつつ質問する。


「何故なら、『他属性魔力に干渉出来る特性』だけを挙げるならば、なにも光属性である必要がないからだ。あくまで光属性がもっとも効率よく魔力変換が出来ると云うだけで、特性そのものを魔力で再現することが可能なのだからね」


 ササキの説明に、ロゼッタは勢いよく顔を上げる。


「そうですのね! だからカオリの魔力には、破魔の力の如き能力が備わっているのですね。ようやく理解出来ましたわっ」

「ええ、自分のことなのにわかんないよ」


 長く不明だったカオリの力の一端、ササキが【概念攻撃】と一括りにしたカオリ固有の能力の意味を理解して、ロゼッタは合点がいったと手を鳴らす隣で、とうの本人であるカオリは首をかしげた。


「つまり、『こうしたい』と云うカオリの意思そのものが、魔力へ特性として現れた結果が、あの反則級の能力を生み出しているのよ、それがたまたま破魔の魔力に似ているからややこしくなっただけで、本当は至極簡単な話しだったのだわ」


 刀、と云う武器への絶大な信頼、いやこの場合は信仰とも云うべき思考が、『斬る』と云う行為へのカオリの並々ならぬ想いを形にしたものが、カオリの斬撃に宿ることで、如何なる魔法をも斬り消してしまえる。異常な剣術を生み出したのだとロゼッタは語ったのだ。


「なるほど~?」


 もちろんカオリがそこまで考えてこの概念攻撃を生み出したわけではない、これはどこまでも奇跡に近い偶然が生んだ産物であることは、カオリの態度を見ればわかるだろう。


(魔法って不思議だな~)


 それがカオリの抱いた正直な感想である。普通の女子であればさもありなん。


「そこでロゼッタ君への啓示となるかもしれん話しだ。人間は魔物と違い、個別の肉体によって魔力に因らずに生存と繁殖が可能な生物だ。たとえ内在魔力を聖属性魔力に変換されたところで、生命維持に支障を来すことはないし、ともすれば体内を循環する魔力が活性化することで、治癒能力が向上するほどに、聖属性魔力との親和性が高い種族である一方、固有の魔力が集積することで生じる魔物が、内在魔力が異なる魔力に変換されてしまえば、肉体構成が崩壊しうる魔力生命体であることを踏まえたとする――」


 今や真剣に聞き入る二人に向けて、ササキは間をおいて最後に質問を提起する。


「ではいったい誰が、光を一つの属性として魔力の特性を見出し、そこから治癒魔法を生み出したのか? またそれを後世の現在に至るまで、受け継がせんと働き掛け広めたのか? 考えたことはあるかね?」


 ササキのその問いに、ロゼッタははってして両手を胸の前に組み、目を瞑った。


「ああ神よっ! その慈悲深き御心に、深く、心より感謝いたしますっ」

「そっか~、人類を生み出したのが神々なら、聖属性魔力との親和性を人類に与えたのもまた神様で、そこから聖属性魔法を教えたのも、神様の意思が関係してるんだ」


 ここで大六神教の教えが、決して魔法の深淵と相反するものではないと示唆することで、ササキはロゼッタに自身の考えを彼女に受け入れられやすくための一計を講じた。

 こうして少しずつ、この世界の常識と、この世界の根幹たるゲームシステムとの乖離を埋める試みを、ササキは講じることが出来たとほくそ笑む。

 これも全てはカオリと並び立つ仲間として、ロゼッタがカオリを信頼出来る人間である印象付けるための印象操作だ。

 少々小賢しく映るお節介だろうとも、同じ日本人の、ましてや実娘とそう年の離れぬ少女への、父性から来る一計である。

 この程度で、カオリがこの世界でより自由に活動しやすくなると思えば安いものだと、ササキは満足げに腕を組んだ。


(いや~、最近異常だ異常だってみんなに云われるから、ちょっと自分でも不安になってたけど、ちゃんと理屈を説明出来るなら、ちょっとは言い訳出来るよね~)


 カオリ自身も、この世界の常識とかけ離れた力を、公に示すような行動を控えようと気をつけていた今日この頃である。今後は説明するさいに、ロゼッタも加勢してくれれば気が楽になると、胸を撫で下ろした。

 ただし、そんな能力が実在すること、またそれを若干一五歳で身につけている異常性は、棚に上げていることは、この場で指摘するものはいなかった。

 かくして夕食も終え、勉強部屋で課題をさっさと終わらせた二人は、就寝前に暖かい香草茶を飲みながら、雑談に興じていた。


「夕方の件で思ったんだけど、それならロゼも治療魔法が使えちゃうってことだよね?」


 聖属性に因らない治療魔法の存在を挙げて、カオリはロゼッタに質問と云う名の提案を投げかける。


「そのようね。ササキ様のご教授によれば、少なくとも自身に対しては、魔力との親和性を気にする必要はなさそうだし、私達レイド人であれば、火属性魔力でも、治療効果を引き出すことは可能かもしれないわね」


 レイド人種族固有のスキル【―赤髪の情熱(パッションオブレイド)―】には、火属性に対する適性向上の効果がある。それは火属性魔力であれば消費魔力量が減り、威力も向上するものではあるが、同時に火属性魔法への耐性も強化する優れたスキルだ。

 ロゼッタはそこから、火属性魔力であれば、聖属性までとはいかずとも、治療魔法を再現して一定の効果が見込めるのではないかと考えた。


「そうとわかれば、火属性魔力でどこまで、あらゆる魔法を再現出来るか試してみたいわね」


 机の下で拳を握るロゼッタに、カオリは満面の笑みを向ける。


「そうだね! 治療だけじゃなくて、索敵とか飛行とか、色々火で真似出来る魔法を開発すれば、【華炎の女王】の名前も伊達じゃなくなるもんねっ」

「……それ、気に入ったの?」


 今日聞いたばかりのロゼッタのあざなをとり上げて語るカオリに、ロゼッタはなんとも言えない表情を浮かべる。




 週末、カオリとロゼッタは平日の勉学の合間にて、既存の魔術から着想をえるため、治癒、治療、回復、再生など、関連するあらゆる術式を調べ上げ、その中から流用出来そうないくつかの方法を試してみることにした。


「つまり、人のもつ治癒能力を、魔力を媒介に爆発的に向上させるのが、基本的な治療魔法の概念となるわ」

「上位なら回復魔法とか、再生魔法なんかに派生するけど、治療と回復と再生ってなにが違うのかな?」


 調べた内容のおさらいをする中で、カオリは気になったことに疑問を呈する。


「治療とは怪我や疾病を治癒させること、また症状を軽減させることを指すわ、つまり四肢を欠損した場合などは、欠損による出血や感染症を食い止めることが目的であり、欠損を元に戻すことが目的ではないとも云える」

「てことは、失った身体とか身体機能を取り戻すには、回復か再生魔法でないと無理って感じか~」


 人が魔力に込める願いから生じた治療系魔法だが、医学が発達していないこの世界においては、治療効果の高さに比例して、魔法の制御と消費魔力が増大する。

 過去の魔導士達はそうした実情から、例え同様の効果であっても、各位階に区分する形で術式を開発し、後世に残したのだろうと、二人はササキから教わった。

 もし万が一、誤った理解から人体の構成に干渉しようものなら、重大な後遺症や人体の崩壊を招く恐れがあるためだ。

 腕も元通りにしようとして、腕が二本に増えたり、逆に急激な老化現象を引き起こしたりと、資料を漁る過程でカオリ達は身の毛もよだつ事例に戦慄したのは余談だ。

 結局、既存の術式をロゼッタの火属性魔力で発動出来るように工夫することが無難であろうと結論付け、いくつか術式を編纂し試してみることにしたのだった。


 ちなみにこれも余談だが、同じ疑問をササキに聞いたところ――。

『ゲームでよく、ダメージを受けたら、緑色のHPバーが減少し、さらに赤いゲージが出ることがあるだろう? 時間が経過すればあれは自然と治っていくが、この世界での治療魔法は、あの赤い部分だけを治療する効果しか期待出来ない、また回復魔法の場合は逆に、失った緑ゲージだけを回復させるものだ。両方を同時に治したければ、再生魔法に頼るしかないのだ』


 と非常にわかりやすい説明をしたことで、それぞれの言葉の違いをカオリは正確に理解したのだった。

 つまり人間のもつ自然治癒能力を向上させて、最低限の生命活動を維持し、より悪化することを防ぐための処置が治療魔法であり、失われた機能を魔力によって元に戻す処方が回復魔法とされる。

 そして再生魔法はそれら両方を同時におこなうことで、より完全なる復活を可能とし、最高位ともなれば死者すらも蘇らせるとまで云われいるのだ。


 なにが言いたいかと云うと、治療と回復ではそもそも目的が違うため、位階の違いこそあれど、術式の制御や構成そのものは、治療と回復でそれほど難易度に違いはなく、あくまで消費魔力量の違いがあるだけだと云うことだ。


 そのため二人は、ひとまずは回復魔法を目指すことにした。

 なぜなら治療魔法はとりあえずはアキが行使出来るため、近々に必要なのは失われた機能の回復、つまり欠損などを治す力であったからだ。

 また人体の自然治癒能力に干渉する治療魔法と違い、回復魔法は人体に刻まれた遺伝子情報や記憶を読み解き、欠損した身体を魔力で模倣、後に肉体へと再構成する構成であったため、後遺症を懸念する心配が少ないと考えられた。

 もし自然治癒能力に異常をきたした場合、本来の機能が失われるだけでなく、暴走する危険性すらもあったため、素人が一から新たな治療魔法を開発するのは、危険が多きいと思われたのも理由の一つである。


 まずは【創造の魔導書(クレアシオングリモア)】で既存の回復魔法術式を引用し、それを火属性魔力を媒介するよう編纂する。

 さらに他者に使用することも想定して、対象者への魔力変換術式も加え、魔導書内で仮想実験を試みる。


「う~ん、やっぱり消費魔力量がとんでもないことになるわね。魔力透過率が悪いから、発動時間に伴ってすごく効率が悪いわ」

「ロゼの魔力量でも難しい感じ?」


 カオリに問われ、ロゼッタは魔導書に表記された消費魔力量の項目を再度確認する。


「ざっと既存の魔術の三倍ね。しかも回復速度も三倍遅い……、とてもではないけど現実的ではないわね」

「そっか~」


 少なくとも現状でも回復事態は成功しているので、後は効率性を追求するだけだと、二人は気をとりなおす。


「なら、私の結界魔法にも利用している。魔素変換も付け加えましょう、これで二割ほど効率がよくなるはずよ」

「それでも微々たるものだね~」


 そういってロゼッタが引用するのは、膨大な魔力を消費する彼女自作の結界魔法でも利用している。魔素変換である。

 魔素変換とは、空気中に漂う魔素を魔力に変換する魔法である。

 本来は消費した魔力を素早く回復する場合などに利用される魔法だが、ロゼッタはこれを他の魔法の術式に組み込むことで、発動中の魔法そのものに、魔力回復機能を持たせることに成功していた。


「ならさ、いっそ回復魔法を相手に移して、勝手に回復するように出来ない? そうすればロゼが魔法をかけ続ける必要がなくなって、戦闘に集中出来るじゃん」

「移すとはどういうことかしら?」


 その提案に疑問を抱くロゼッタに、カオリは火から連想した発想をそのまま口にする。


「ほら、火ってさ、燃え移るじゃん?」

「……カオリ、天才っ」


 カオリの発想に感銘を受けたロゼッタは、すぐさま術式の編纂作業に移る。

 しばらく四苦八苦しつつ、なんとか形を整えたロゼッタは、それで早速仮想実験を始める。

 魔導書の硝子表紙に投影されるのは、人体を模した欠損部位が、赤熱して修復されていく様子であった。


「さながら鍛冶の成形ね」

「熔けた魔力を鋳型に流したって感じ」


 二人はその光景を肩を寄せ合って眺める。


「回復魔法の発動に通常の魔力を消費するけど、回復が完了するまでは周囲の魔素や、対象者の魔力が消費されるわ、怪我人にはやや酷だけど、手足が治るのだから大目に見て欲しいところね」

「大人しくしてればいつかは治るし、どうせ欠損までいけば嫌でも動けないもんね。それにそんな大怪我を負うのは、前線の近接戦闘員だし、魔法主体で戦うわけじゃないから、魔力が減っても文句は言わないでしょ」


 余程の緊急性のある重大な損壊であれば、ロゼッタが回復し続ければよいと云う視点も出来るため、結果としては上々の魔法が完成したと云えるだろう。

 しかし喜び会うのもつかの間、ここでカオリはとんでもない行動に出た。


「じゃあ早速人体実験だ!」

「は?」


 急に立ち上がったカオリは、左手を前に突き出し、腕まくりをしつつ静かに構えた。

 ザンッ。

 一閃、カオリの左肘から先が、呆気なく地面に落下する。


「あっ、ああぁぁっ!、カ、カオ……リっ」


 思わず腰が浮き、眼前の光景が信じられずに慄くロゼッタへ、カオリは少し困ったような表情を向ける。


「いいい痛いよぉ~ロゼぇ~」

「っきゃああああ! カオリなにやってるのよぉおお!」


 一転ロゼッタの絶叫が響き、カオリは額に脂汗を浮かべた。


「やだやだやだカオリぃ! だめだめぇええっ!」


 これまでカオリが負傷した姿など見たことがなく、これからも負傷する姿を想像すらしていなかったロゼッタは、カオリの切り離された腕を凝視して、信じられないと戦慄する。

 綺麗に切断された断面からは、脈拍に合わせて、ドクンドクン、と止めどなく血が流れ出ている。

 このままでは出血多量で意識を保っていられないかもしれない。カオリはやや焦りつつも、冷静に脇の動脈を右手で圧迫し止血を試みる。

 視界の端に、切り落とされた左腕が、血溜まりの上に血の気を失い横たわっているのが見える。


「は、速く回復魔法をかけて~」


 カオリに言われて初めて彼女の行動の意味を理解し、ロゼッタはなりふり構わずに魔法を発動させる。


「【―癒しの鉄火(リカバリーレッド)―】【―癒しの鉄火(リカバリーレッド)―】【―癒しの鉄火(リカバリーレッド)―】【―癒しの鉄火(リカバリーレッド)―】!」


 なんども詠唱を連呼し、カオリの腕へと魔力を全開に注げば、カオリの失われた腕がみるみる内に再現されていく。


「ああああ、熱っ!」

「【―癒しの鉄火(リカバリーレッド)―】【―癒しの鉄火(リカバリーレッド)―】!」


 それでも詠唱を止めないロゼッタに、カオリは申し訳ない表情を向ける。

 しばらくして、完全に腕が再生したカオリだったが、魔力を多く失ったことも重なって座り込んでしまったロゼッタへ、ひたすら反省の言葉を贈った。


「ご、ごめんねロゼ、まさかあんなに取り乱すなんて思わなくって……」

「ううううぅ……、カオリっ、カオリぃ~」


 しまいには涙まで流してカオリにしがみつくロゼッタへ、カオリは自分のした軽はずみな行動を心底後悔した。

 平和な日本社会で育ち、だからこそ痛みへの耐性がなく、なさ過ぎるがゆえに軽く考えたゆえの行動が、先の自傷行為であったのだ。

 また自身のもつ刀とその剣術に絶対の自信があったことが、さらに自傷を躊躇う余地をなくした要因でもあった。

 人間の腕くらいなら、綺麗に、かつ一瞬で切断出来るだろう、多少は痛いだろうが、ロゼッタが即座に治してくれる。

 カオリはそんな風に楽観視していたのだ。


(いや~痛かったな~、骨折とどっちが痛いんだろう)


 ただし、この世界で負傷したことがなかったがゆえに、負傷した場合の想定も兼ねていたなどと、口が裂けても言えない雰囲気となり、カオリは非常にばつの悪い気持ちで、自分に抱きつき泣きじゃくるロゼッタの背を、治ったばかりの左手で宥めた。

 そんな二人の下へ、屋敷から異変を聞きつけた面々が駆け付けた。


「カオリ様どうなさいましたか!」


 先頭でカオリに声をかけるビアンカの後を、ステラやササキが静かに駆け足で追従する。

 そして座り込むカオリとロゼッタの向こう側に、血溜まりと、切断された腕を認め、ビアンカは即座に抜剣する。


「なっ、敵襲っ?」

「……」


 たしかに一見すれば、庭にいた二人を誰かが襲撃し、カオリに返り討ちにあった誰かの腕に視えるだろうと、カオリは冷静な頭で考えた。


「落ち着きなさいビアンカ殿、カオリ君、事情を聞かせてもらおう……」


 しかし落ちている腕を即座に鑑定したササキは、二人がここでやっていたことを踏まえ、やや事情を察した様子でビアンカを制する。




 そこからカオリは自身がおこなった凶行ともとれる一連のあらましを説明し、一同を呆れさせる。


「カ、カオリの腕が、腕が~」


 今はカオリに代わってステラがロゼッタを慰める中、カオリは肩を落として項垂れていた。


「人斬りを躊躇わぬ豪胆な女性と思っておりましたが、まさか自分を斬ることも躊躇わないなど、正直常軌を逸しております」


 ビアンカに改めて言われ、カオリは溜息を吐いた。


「カオリ君も十分に大人だ。私から過度に叱責されずとも、なにが悪かったのかは理解しているだろう」

「はい、ごめんなさい……」


 心底反省を示すカオリに、ササキは言葉少なにじっと視線を向ける。


「今日は罰として部屋で謹慎するといい、何故こんなことになったのか、よくよく考えるように、ただし夕食には顔を出しなさい、その頃にはロゼッタ君も落ち着いているだろうから、改めて謝罪をするように」

「はい、反省します……」


 今日ばかりはカオリが全面的に悪いとして、日頃は寛容なササキも、流石に家長としての態度で通達すれば、カオリは再度頭を下げてとぼとぼと自室へ向かった。

 それを見送った面々は、深く溜息を吐いた。


「……カオリ様は、本当に異常な精神をもつ生粋の戦士なのですね。我ら騎士団でも、万が一負傷して戦闘不能に陥った場合の想定訓練はしますが、あのお年で自主的に自ら腕を切り落とすなど、聞いたこともございません」


 ビアンカが当惑と感心をない交ぜにした表情で感想を口にすれば、ササキは溜息と共に腕を組んだ。


(ぞろゲームのダメージ判定と、現実の負傷との差異を実体験しておこうと考えたんだろうが、ただの思い付きで即実行するなど、いったいどう云う思考回路をしているのだ。私でも下位の魔法を受けてみる程度に済ませたと云うのに、彼女の強心には心底驚かされる)


 ゲームと現実の差異は、カオリ達転移者にとって重要な要素であろう、たしかにどこかで一度は体験しておかなければ、それこそ命に関わるのも理解出来る。

 しかしいきなり自身の腕を斬り落とすなど、誰が想像できようか、今回ばかりはササキであっても同情するのが難しかった。




 自室に戻ったカオリは、だらしなく寝具に身を投げ出した。

 いつもなら装備を解き、二本の刀を寝具横に立てかけ、長靴も脱いで室内履きに履き替えるのだが、今はそんな気力もなかった。


(怖がらせちゃった。悲しませちゃった)


 日本にいたころなら、友人が突然自傷行為に及べば、カオリもロゼッタのように取り乱していただろうに、どうして今日はあんな行動をしたのかと、カオリは自身に疑問を呈する。


(やっぱりゲームと現実の区別がついてないのかな~、回復魔法なんて破格の存在もあるし、欠損くらいどうってことないって考えちゃったのかなぁ~)


 思いあたるのはやはり魔法の存在である。

 それこそゲームのように便利で強力な異能の力が存在するこの世界で、日本にいたころの常識のまま生活するのは難しいだろう。


(ううん、そうじゃない、大事なのは大切な友達が、大怪我をしちゃったことに、すごく傷ついちゃったってことだよね)


 しかしカオリは重要なことが常識の是非にあるのではないと思い直した。

 日本と比べて死の近いこの世界に生きる人間にとって、近しい人が大怪我を負うことは多いだろうと考えていたカオリだが、しかし思い至らなかったのは、高位貴族の令嬢として育ったロゼッタが、身内の怪我を目の当たりにする機会がなかった事実である。

 また両親に愛されて育った彼女のこと、身内に向ける愛情の深さは人一倍強いのも、カオリは知っていたはずなのだ。

 アンリとテムリの境遇に同情して涙を流したこと、カオリの孤独を知り心を痛めてくれたこと、思い出すのはそんなロゼッタから向けられる親愛の情である。

 いつもは強がって凛とした態度を示す彼女だが、誰かが傷ついた時には真っ先に駆け寄り、強く抱きしめる。

 そんな無償の愛とも云える優しさをもつ彼女の前で、カオリは如何に自分が酷いことをおこなったのか、何度も反芻した。


(自分を大切に出来ない奴は、誰かを大切にすることも出来ない、てお兄ちゃんも言ってたっけ……)


 昔に兄から贈られた大事な言葉を、しかしただの言葉としてしか受け取っていなかった自分を知り、カオリは盛大な溜息を枕に吐きつける。


(村の開拓とか、組織の強化とか、そんなことの前に、もっと勉強しなきゃいけないことがあるなぁ~)


 冒険者として学ばねばならぬ経験と、盟主として学ばねばならぬ義務、そこに人として学ばねばならない教訓がある。

 人はいつまでも、どこにあろうとも、日々勉強であるのだと、カオリは強く心に刻んだのだった。


 その日の夜に、目元を赤くしたロゼッタに請われ、カオリの左腕をかき抱く彼女と二人で、静かに就寝した。

 ロゼッタの体温を感じる左腕の温もりが、いつまでもカオリの心に残り火を灯す。


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