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 紛争介入だの商会設立だのと、方々に忙しく立ち回ってはいても、カオリの王国での本来の活動目的は、王立魔法学園で魔法や教育環境の調査や修学である。

 紛争騒動から帰還して、月終わりまでの休暇をとった後、カオリとロゼッタは学園に戻ることになった。


 一ヶ月の遅れを取り戻す必要から、学園側がレイア女史を通して講義資料を届けてくれていたために、最低限にだが予習することが出来たのは僥倖である。

 だがここへ来て、カオリはあることに気付き、思ったことをそのまま言葉にしてしまう。


「正直さ、学園で学ぶことって、ほとんど実用と歴史だよね」


 その言葉に、ロゼッタは窓に向けていた視線をカオリに向ける。


「そうね。王国のこれまでの歴史で、政務、魔法、軍事、それぞれがどのような歴史を辿って来たのか、その事実と経緯を学ぶことが主軸になるわ」


 ロゼッタが学園への入学を拒否し、独学で知識を修め、就学の是非を盾に、冒険者への道を熱望した理由がそこにあった。


「どの分野においても、新たな技法や戦略は、現在進行形で実施されている政策や産業に生かされているわ、そのせいもあって、自領の技術漏洩を嫌い、貴族達は他家の子息子女達へ、詳細を学ばせることを避ける傾向が強いの」


 顔になんの表情も浮かべずに、淡々と語るロゼッタへ、カオリも視線を向ける。


「結果、悪く言えば、使い古された技法しか公開されないお粗末な講義内容になってしまうの、より詳細を知りたければ、自ら研究し、また自家や個人の伝手を使って、先駆者に教えを仰ぐ必要があるわ」

「……」


 ロゼッタの語る表情から、大方の内情を理解したカオリは、大きく吸った息を鼻から吐き出す。


「先生によっては王領以外の領地でも活用されてる産業について、詳しく教えてくれる人もいるけど、それでもやっぱり学術的なことになると、どうにも浅い感じになってるじゃん、それにもやっぱり理由があったりするのかな?」


 カオリから続けられた質問にも、ロゼッタは表情を変えずに答える。


「そこはやっぱり、学会や各種組合との利権が絡んでいると考えられるわね。新技術の独占と云う観点から、貴族の囲い込みもあるでしょうし、おいそれと他家の子息子女に教えるわけにはいかないのでしょう」


 つまり、厳格な階級制度と封建社会を敷いている国家形態である以上、現代日本のような先進知識を、貧富の差を問わず広く学ばせる社会など、ありえないと云うことだ。

 しかし逆に、醸成された文化や歴史を学ばせることで、国家を揺るがす誤った思想を正すのに、現行の学園は大いに機能しているともとれる。


 日本の学校で、なぜ社会活動に役立つ実践的な知識や礼儀作法を学ばせないのかについてにも、同様の観点から語ることが出来る。

 学問が若者の自由な発想を育む基礎的教養を目指すという側面はたしかにあるだろう、そのため実戦技術に傾倒した教育によって、より高度な研究や追及の意欲を、子供達から奪うという主張には、一定の理解があるはずだ。

 なぜなら実践技術とはすなわち即戦力であり、それらを身につけさえすれば、明日にも仕事に従事し、金銭を得ることが出来る。よってさらなる専門的探究心や、独創性が養われなくなってしまうことを、学者や有識者は理解しているためだ。


 加えて礼儀作法に関しては、元を正せば身分階級間での円滑な交渉や交流を目的として、上位階級者側が定めたもの、つまり宗教的文化的規範と見ることが出来る。

 結論、人権の保護と、人類の平等を謳った民主主義、また政教分離などと云った国家形態を敷く日本で、前述の二つを国立の学校で学ばせることは、ありえないと云えるだろう。

 そこまでカオリが理解しているわけでは当然ないが、かねてから感じていた違和感を、おぼろげながら認識したカオリは、今日ここに至ってようやく言葉にして発した結果となったのだ。


「ほんと、私が学園に通う必要って、あんまりなかったね~」


 既存の知識を体系的に学ぶ場所、それが現在の王立魔法学園の担う役割である以上、本から得られる知識である限り、カオリが学園に通う必要は、必ずしも必須ではない。

 そんな身も蓋もない言い方になってしまったが、幸いにも同席者はロゼッタである。元より学園に通うつもりのなかった彼女は、苦笑を浮かべて同意を示した。


「意味がない、とは、言わないのね」

「意味はあったよ? ベアトリス様はいい人だし、結果的に王都での活動で、クレイドさん達【泥鼠】を組織出来て、王国の最高権力の殿下達とも知り合えたもん、アンリのポーションを村の発展に役立てられるる算段もついたし……、自分で言うのもなんだけど、万々歳って感じ?」


 これらに関しては、心底笑顔を作るカオリだ。


「そうねぇ……、やっぱりどうせなら、学園生活をもっと将来の糧に出来るように、また楽しめる日々にしたいところね」


 ロゼッタも、別に学園を嫌って入学を拒否していたわけではないのだ。若くして実戦経験を積む有用性を主張して、あくまでも限られた時間を大切にしたかったに過ぎない。

 しかしそれも、両親であるアルトバイエ侯爵夫妻が、ロゼッタが冒険者となることを認めざるをえないこれまでの実績を証明した現在、目標は達成されているに等しい。


 ただロゼッタ本人は、カオリと共に戦場を駆け、村の開拓事業に協力している内に、果てのない夢に焦がれたかつてから、実現可能な目標へと意識を切り替えたため、夢が叶ったということに、本人ですらが実感がなかったのは余談であろう。

 目まぐるしく過ぎる日々で、着々と一歩づつ進む未来予想図に、学園での思い出がやや薄くなるという懸念を、今ようやく認識したというのが、二人の正直な感想なのだ。


(やっぱ学園と云えばクラブ活動かな~、帰宅部は灰色の学園生活の始り、てお兄ちゃんも言ってたし……)


 中学時代にこれと云ってクラブに所属していなかったカオリも、その言葉の意味は十分に理解していた。

 入学当初こそ、友達の進めでテニス部に仮入部したことはあったカオリだが、プロを目指すわけでもないのに、真剣に打ち込む意味を見出せず。早々に辞めてしまったことを思い出す。

 人によっては、先輩後輩を通じて上下関係を学んだり、真剣に挑む過程で、健全な心を養えると主張するものはいるだろうが、カオリの家族は、カオリにその過程を踏むことを強要しなかった。

 と云うよりも、共働きで両親不在が多かった関係から、家事手伝いや、それこそ家族との時間を大切にしていたカオリは、きっと比較的かなり健全な少女であったことだろう。

 また勉強を疎かにしたこともなく、ともすれば年のやや離れた兄の影響で、普通は知らない雑学や知識を得ていたカオリである。同年代の少女達と比べて、耳年増だったのは間違いない。ご両親もさぞ予想外だったはずだ。


 お父さんもびっくりである。


 さてそんな久々の学園生活であるが、だからと云って現状でまったく楽しくないのかと云うと、決してそうではない。

 元々真理めいた観点から物事を捉えるカオリ的には、王国の実践主義的講義内容は、なかなか面白い内容である。

 あくまでも、過去にあった歴史的事実に基づいた知識と技術、それらの社会への活用を学ぶことで、極めて現実主義的欲求を満たしている。

 例えばようやく落ち着いて望むことが叶った魔法科の講義では、現在魔法理論にもとづいた。魔物の発生からその区分に関することを、教壇に立つ講師が熱心に語っているのを、カオリは興味深く聞いていた。


「魔物が魔力を媒体にして、自然発生する事実から、生殖機能をもつ個体は、厳密には魔物ではないと云う考え方が出来るだろう、しかし人間社会を脅かす存在は、全て魔物であると云う主張を、無視することもまた出来ない、この論争に関して、諸君らの忌憚のない意見を教えて欲しい――」


 講師が自身の主張を語らず。あくまで学生の感性を引き出す目的から、そう締め括った講義を終え、カオリは存外、面白い話が聞けたと笑みを浮かべる。


「冒険者的には、なかなか興味深い内容ね」


 背筋を綺麗に伸ばした姿勢のまま、教科書や資料を並べ、真面目に板書をするロゼッタがそう呟けば、カオリも身体を彼女の方にかたむける。


「たしかゴブリンとかって、人間の女性を捕まえて犯したりするくらい最悪な存在だけど、つまりあれも本当は魔物じゃないってことじゃん」


 女性が口にするには、やや敷居の高い話題ではあるが、職業柄無視出来ない事柄ゆえに、カオリははしたなくもはっきりと口にして言及する。


「私達はゴブリンの群れの塒を、殲滅する依頼は受けたことはないけど、聞いた話では、……なかなか壮絶な光景らしいわよ」


 一応カオリの話題に反応するロゼッタだが、内容が内容なだけに流石に言い淀んでしまう。


「毎年捕まった女性を保護して、教会に預けるって聞いたよ、醜聞になって村に戻れなかったり、冒険者でも心に傷を負って引退するらしいし、正直、食べられるより質悪いよねぇ~」


 この世界に来て初めて討伐したのがゴブリンであり、村が滅んだ元凶であったことから、カオリにとってゴブリンは、紛うことなき魔物である。

 しかし今聞いた知見によると、まったくの別種であるはずのゴブリンが、人間の女性を孕ませることが出来るという事実に、カオリは嫌悪と同時に、知的好奇心が湧いてしまった。


「食べてよし、孕ませてよし、ゴブリンにとって人間は、さぞ手頃な獲物に見えるんだろうね~」

「カオリ、流石にもう止めましょう、女性が話題にする話しじゃないわ、気持ちはわかるけども……」


 困った顔のロゼッタに窘められ、これにはカオリも素直に謝罪する。


「あ、あの……」


 しかしそんな二人へ、突然に声がかかる。


「あらなにかしら?」


 ロゼッタがいち早く令嬢の仮面をつけて反応すれば、目の前の人物は意を決したように発言する。


「お二方は冒険者なのですよね? 本日の講義内容をどうお考えか、ご意見をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 とても畏まった口調で問われ、カオリもロゼッタもお互いに視線を合わせる。


「いいですよ、私は冒険者のカオリ・ミヤモトです」

「同じく冒険者のロゼッタ・アルトバイエと申します。お名前を伺っても?」


 さっさと自己紹介をしてから、相手にも名前を聞くカオリ達の前に、一人の少女は居住まいを正して名乗る。


「クリス・ヴァンガードです。よろしくお願いします」


 勇ましい名のわりに、小柄でおどおどした様子が、カオリは少し可笑しく思う。


「ヴァンガードと云えば、先の帝国王国間戦争で、武勲を上げられ、男爵位を賜れたお家ですね」


 貴族名鑑を改めて見直していたロゼッタが、記憶からその氏を思い出すが、クリスと名乗った少女は、少し目を伏せる。


「そうです。でも一代限りの名誉男爵なので、私は平民に過ぎません、お二人のようなご立派な出自の方々とは、本来お話出来る身分では……、でも……」


 なにかを言い淀む様子に、只ならぬものを感じたカオリとロゼッタは、これは訳ありだと判断した。


「ヴァンガード様、よろしければ昼食をご一緒しませんか? 私共は軽食喫茶の個室で、いつもゆっくり食事をしますので、そこでなら誰に聞かれることもないですし、人の目も気にならないでしょう?」


 ロゼッタが優しく誘えば、クリスは目を大きくする。

 恐縮するクリスをやや強引に連れて、いつもの個室に入れば、二人はクリスに席を勧めた。


「ここなら身分を気にするものはいませんので、ヴァンガード様も楽にしてくださいね。あ、ついでと云うのもなんですが、私のことはロゼッタとお呼びください、その代わり貴女のことはクリス様とお呼びしてもよろしいかしら?」

「あ、はっ、はい、クリスでいいです。……ロゼッタ様」


 流石に初対面で呼び捨てはないと、様をつけるクリスに、ロゼッタはどこまでも優しい眼差しを向ける。


「私のこともカオリでいいですよ~、なにせ平民で異国人ですから」


 間延びした口調で言うカオリに、クリスも少し緊張を解いて返事をする。


「カオリ様はでも、神鋼級冒険者のササキ様の後見を受けた。立派なご身分がありますし……、平民とは云えないのでは……」


 一応王国の身分制度的には、最高位冒険者が伯爵位に相当すること、またその後見を受ける人物も、相応の身分と見なされることを知る彼女には、カオリがただの平民とは見れない様子である。


「少なくとも私は、人から言われる分には気にしてませんから、普通に接してくれていいですよ~」

「……はい」


 それでもどこまでも呑気な物言いに、クリスはわからない程度に深呼吸をする。


「先に謝罪させていただきます。さきほどお二人の会話を聞いて、どうしても気になってしまって……、盗み聞きするつもりはなかったんですが、申し訳ありません」


 どこまでも真面目に、クリスはロランド人特有の茶色の瞳を伏せる。


「私達の会話で、どの点が気になったのでしょうか?」


 ロゼッタから話を向けられて、ようやくクリスは事情を説明する。


「たしかに父は功績を認められて、一代限りですが男爵位を賜りました。……でも当然ですが、そんな低位の爵位だけでは、貴族の生活を維持し続けことは出来ません、慎ましく節制に努めれば、軍の年金もありますし、生涯生活に困ることはないと思いますが……」


 ここで問題なのが、他でもない自分の存在なのだと、クリスは続けた。


「うちは四人兄弟で姉と兄、そして妹もいます。叙爵される前までは、幼年学校を卒業して、私もどこかの商家か貴族家に、行儀見習いにいくものと思ってたんです」


 そこまではこの国ではよくある話であると、まだまだこの世界について勉強中のカオリでも理解出来る話であった。


「つまり叙爵に伴って、事情が変わったんですね?」

「はい」


 ロゼッタの相槌に、クリスは説明を続ける。


「私に魔術適性があったことで、父が急に私をこの学園に入れると云って、借金までして強行してしまって……、あの、えっと」


 そこで言い淀むクリスであったが、ここまで来れば十分にヴァンガード家の事情が理解出来るのだった。


「帝国王国間戦争の事実上停戦に伴った軍縮、臨時報酬の見込みもなく、借金を返し切るあてもなく、家計は火の車ですか?」


 カオリが真顔で予想を口にすれば、クリスからの無言の肯定が反って来た。


「兄も父の後を追って軍に所属していたのですが、元々給金が少なかった上に……、この前の隣国の紛争での作戦に父が参加して、その、怪我を負ってしまって、長期療養をしなければならなくなって……」


 また姉も商家に嫁ぐことが決まっており、その結納金の是非など、頭の痛い話が続いているのだとクリスは語った。

 今は臨時で母も働きに出て、なんとかなってはいるのだが、次は家族の誰かが倒れてしまうのではないかと、気が気ではないらしい。


「せめて私が文官試験に合格して、王城とまではいかなくても、どこかの役場に就職出来れば、まだ希望があるのですが……」

「ふむふむ」


 これはなかなかに厳しい状況のようだと、カオリはこの国の中流階級の家計事情に興味を示しつつも、表面上はそうとは悟られないように振る舞った。

 そしてついに、クリスは話しの核心を吐露する。


「……兄が、軍を辞めて、私の学費とか家族の生活費のために、冒険者になるって言い始めたんですっ」

「まあ……、それはなんとも……」

「なるほど~、それはやばいなぁ」


 カオリとロゼッタが同時に反応したのを受けて、クリスは勢いよく顔を上げる。


「私っ、兄が心配なんですっ! 父が大怪我をしたのも、紛争地帯に魔物の襲撃があったからだって聞いてますし、人を相手にする軍と、魔物を相手にする冒険者じゃあ勝手が違うって流石にわかります!」


 クリスが案じるのは、あくまで兄の身の安全であることが理解出来る様子に、カオリは同情を禁じ得なかった。


(お兄ちゃんが自分と家族のために、安定した仕事を辞めて、命の危険がある仕事を始めるなんて言い出したら、そりゃあ全力で反対するよねぇ~)


 カオリ自身にも兄がいるために、クリスの心境は痛いほど理解出来るものだった。


「軍ってそんなに薄給なの?」

「……流石に知らないわ、平均して年金貨五~六枚だとは聞いたことはあるけれど……、ヴァンガード男爵様は功績を認められて叙爵されるくらいですし、最低百人長だと考えれば、少なくとも大金貨は貰っているはずよ、叙爵された時に褒賞をもらっているはずだし……、でもたしかに学園に入るには相当な入学金と、学費を払い続けなければならないと考えると、大怪我をされて、その間の給与が減ってしまうのは、相当に苦しいのは理解出来るわ」


 知らないと言いつつも、それなりに数字を挙げてみせれば、どうやらロゼッタの予想がずばりあたっていた様子であった。


「ロゼッタ様の仰る通りです。兄に関しては新米なので、それよりさらに少なく、とても一家六人と私の学費を払えるほどではありません……、でもだからと云って、冒険者になっていきなり大金を稼ぐなんて無謀過ぎますっ!」


 今にも泣き出しそうな剣幕で声を大きくするクリスに、カオリ達は若干気圧されてしまう。


「一番低級って云われているゴブリンだって、軍では十分な準備と隊を組んで討伐するって云ってたのに、冒険者の場合少人数で森に入って討伐するらしいじゃないですかっ、お兄ちゃんは大丈夫だって口では言いますけど、私、心配でっ、もうどうしたらいいかっ!」


 ついには泣き出してしまったクリスに、ロゼッタは慌てて手巾を目元に差し出す。


「ああ、泣かないで下さいませ、擦らずにそっとあてて、そう、擦ったら目が腫れてしまいますわ」


 はらはらと涙を流すクリスに、ロゼッタは甲斐甲斐しく世話をする間、カオリは今回の場合、なにが最適解なのかを考えていた。


(王都の貧民街、もとい低所得者の救済にばっかり気をとられてたけど、中流階級でも根本的な悩みは変わんないだなぁ……、それにもしかしたら、こう云う人達が、色々と困窮して、貧民街に追いやられることもあるのかぁ~)


 仮にクリスの父がこのまま復帰が出来ず。借金の期日に間に合わない状況になる。さらには家計を支える兄が魔物に殺されるなんてことになれば、ヴァンガード家はたちまち貧困に陥ってしまうことも、十分にありえるだろうと、カオリは思わずにはいられなかった。


(隣国のあの紛争で負った怪我ってことは、大火傷か裂傷、最悪は四肢の欠損かな? 低級の治療魔法じゃあ現役復帰は無理臭いね~、アキの治療魔法か、アンリのポーションなら治せそうだけど、今回はただの施しになっちゃうし、対価を貰わないなんて厄介の種にしかならないよね~)


 クリスの父の大怪我と云うものがどれほどのものかは知らないが、長期療養が必要なほどの怪我で、かつ先の紛争介入での負傷となれば、原因は間違いなくあの【人工合成獣】達に負わされた怪我に間違いないだろうとカオリは考えた。

 あの強靭な爪や牙によるものか、はたまた火炎の息や爆裂魔道具による大火傷か、どれにしてもただでは済まない負傷であることは容易に想像出来る。

 であれば、根本原因であるクリスの父の怪我を、カオリ達が無償で治療してしまえば、ヴァンガード家の家計はとりあえずもち直すだろうと、どうしても考えてしまうが、もしそれで噂が広まり、カオリ達のもとに困窮者が大挙する可能性を考え、カオリは身震いした。


(無理無理、慈善事業じゃないんだから、そんなほいほいと怪我人の治療なんて出来っこないじゃん、教会との利権にも干渉しそうだし、この方法は絶対にないな……)


 カオリ達が戦闘でほとんど負傷しないがため、カオリに至ってはこの世界に召喚されてより、負傷したこと自体がないゆえに、アキが高位の治療魔法を使えることは、限られた人間しか知らない事実である。

 唯一、鎮魂騒動のおりや、冒険者組合の登録情報で、聖属性魔法を使えることを知った一部の関係者の口から、アキに関する情報が知られている程度である。

 あの鎮魂祭前夜の夜会で、アキに接触した教会関係者も、恐らく冒険者組合経由で、アキが聖属性魔法行使者であることを調べたのだろうと今は考えられるが、今回に関しては論外であるとカオリは考える。


 この世界では、治療や回復の類の魔法を使えるものは希少である。六大元素やら七大元素やらと呼ばれる。カオリにとってはいまいち理解し難い魔法理論の上では、聖属性魔法の、ましてや高位の魔法を行使出来ることは非常に稀な存在だからだ。

 しかも獣人種や亜人種はただでさえ魔術適性のないものが多いとされ、聖属性魔法適性者など存在しないとまで云われている。

 ここでアキの類稀な能力を、大々的に喧伝するような行為は得策ではないと、この世界の人間社会を知ったカオリは理解している。


 では次案でアンリのポーションを使用することも考えるが、これも欠損なども治してしまう高位のポーションとなれば、相当な金額で取引される非常に高価なものである。

 それこそ高位貴族が一家に数個、非常事態に備えて厳重に保管する程度と云えば、その希少さが理解出来るだろうか。

 そんな高価なポーションを気軽に、ましてや無償で提供するなど、カオリのすることに寛容なササキであっても、流石に反対するだろうと想像される。


(うん、ないね。私に出来る根本原因の解決は、どうあっても問題しか起きなそう)


 そこまで考えてそう結論付けるカオリは、溜息を吐いて目を瞑る。

 ようやく落ち着いた様子のクリスの肩を抱き、ロゼッタもカオリと同様のことを考えていたのか、二人して目を合わせて苦笑してしまったのも無理はないだろう、それほどクリスの吐露した問題は、いわゆる無情な現実と云えるものだったのだ。


「申し訳ありませんでした。ロゼッタ様、カオリ様、みっともないお姿を晒してしまいました」


 我に返って、自らが晒した醜態を謝罪するクリスに、二人は笑みを向けて気にしないように言葉を贈る。


「ただでさえ一代限りの男爵で、あまつさえ兄が軍を辞めて冒険者になど、お貴族様方には嘲笑ものなお話だったので、相談出来る方がいなくて、ずっと一人で悩んでいたんです」

「なるほど~、そりゃあたしかに普通の貴族にとっては、落ち目の家の話しに聞こえますもんね」

「ちょっとカオリ、その云い方は……」


 カオリの明け透けな物言いに、ロゼッタが非難の目を向けるが、クリスは首を振ってカオリの言葉を受け入れる。


「いいんですロゼッタ様、私もそれが事実だと思います……。話を真剣に聞いてくださるなんて有難く、普通なら関わりを避けられてもおかしくないですから……」


 涙こそ出し切った様子だが、その表情は未だに晴れないクリスに、ロゼッタは肩を抱く手を強くする。


「一応私の方でも考えましたが、クリス様のお父様を治療すると云った方法で、現状を打開する方法はかなり難しいですね。主に金銭的な理由ですが、クリス様はどうしたいとお考えですか?」


 女性の悩みは聞くに徹するとはよく云うが、今回の場合は金銭の絡む非常に現実的な問題である。

 相談された身としては、例え恰好だけでも解決案の提示ぐらいはするべきと、カオリは親身な姿勢を見せた。


「……兄に冒険者になることを諦めてほしいのが本音ですが、それくらいしないと、もう私が学園に通い続けるのが厳しいのは理解していますし、私が学園を卒業することで、よりよい職や縁談を望めるようにという、家族の想いも理解しています……」


 家族それぞれの想いも思いも理解した上で、それでも兄の身を案じずにはいられないとクリスは語る。

 この問題における画期的な打開策など、そう易々と思い付くものではないだろう。

 ゆえにクリスは涙を堪えられなかったのだと、ここまで話を聞いたカオリは十分に理解出来た。

 そして、下手に介入することの危険も、カオリは十分に理解したのであった。




 学園から帰宅したカオリの下へ、ゴーシュ達が訪ねている報が届けられた。

 一ヶ月前ほどに、商会設立に伴った販路の設定のため、道中の荷馬車の護衛やその見積もりを、冒険者組合に依頼した件であるとカオリは思い出す。

 ちなみにオンドールやイゼルとカーラは、すでに転移陣を利用して村に帰還している。

 およそ五日間の滞在だったが、オンドールはもといイゼル達にとっても、非常に有意義な期間であった。

 それと入れ違いに、ゴーシュ達が依頼の半分を終え、一応途中報告を兼ねての訪問であったようだ。


「お疲れ様ですゴーシュさん、やっぱりベルナルド支部長はゴーシュさんを指名したんですね~」

「やっぱりってなんだよやっぱりってっ、カオリちゃんそれを知っててあの依頼を出したんだろ! 嫌がらせか!」


 エイマン城砦都市の支部長であるベルナルド宛てに出した見積もり調査の依頼だが、その調査員がゴーシュやイソルダになることを予想していたカオリである。ゴーシュから非難されることも十分に予想の範囲内であると、悪びれもせずに笑顔を浮かべる。


「イソルダさんはどうしました?」


 各都市の冒険者組合へ直接交渉出来る人員として、ゴーシュ達と共に随行したであろうイソルダの姿を探して視線を巡らせるカオリに、ゴーシュは溜息を吐く。


「ササキの旦那の厚意で、王都滞在中はこの屋敷に泊らせてもらえるってんで、イソルダちゃんも大喜びでよぉ、さっさと仕事を終わらせて、今は入浴させてもらってるぜ、なにせ経費削減で、道中の宿じゃあろくに湯浴みも出来なかったからなぁ」


 ササキの執務室とは別の応接室で、旅塵を簡単に落としただけの様子のゴーシュは、長椅子に行儀悪く足を開いて座し、膝に肘をついてさらに頬杖までして不貞腐れた姿で言う。


「女性にはきつい旅ですねぇ~」

「カオリちゃんは相当報酬を弾んでくれてたんだろうけどよぉ、あんのクソ支部長め、ぎりぎりまで経費を落としやがったんだぜっ! おかげで道中ずっっと! イソルダちゃんの愚痴を延々聞かされて、おまけについでだとかで寄り道で討伐までさせられてよっ、俺らは斥候専門だっつてんだろうが!」


 カオリが今回の調査を依頼するにあたっては、冒険者組合と護衛者に対して、相応の報酬に上乗せする形で色をつけたはずなのだ。しかしどうやらベルナルド支部長は身内を指名することで、組合の利益を最大化させるよう画策した様子である。

 本来なら依頼達成率の低下や顧客満足度の観点から、請け負い人へ渡す経費を削るのは褒められた行為ではないだろう。

 しかしゴーシュ達はカオリ達と関わって、一般的な冒険者に比べて相当に恵まれた状況にある。またイソルダに関しても、カオリ達専属担当となれる可能性を示唆すれば、多少待遇が悪くても、今回の依頼で手を抜くことはないとも予想される。


 ベルナルドはそれら個々人の事情を加味して、やや思い切った経費削減を試みたようであるとカオリは予想した。

 しかしこうしてゴーシュから愚痴を聞かされる状況であれば、流石のカオリもベルナルドに少々釘を刺しておくべきかと、頭の片隅においておくことにした。


「現状での調査報告書は後でササキさんと確認しておきますね~、ゴーシュさんは出発まではゆっくりなさってください」

「ああ、ササキの旦那にも後でお礼をさせてもらうぜ、なにせ貴族屋敷に泊まれるなって一生の内にあるかないかだ。折角だから堪能させてもらうぜ」

「ああだったら、これ、お小遣いにしてください、一応事前にササキさんと相談して、正式にお渡しする予定でしたので」


 そう云ってカオリが差し出したのは、革袋に数枚入れた大銀貨である。


「っマジかよ! カオリちゃん太っ腹だぜっ、こんだけありゃああいつらも十分に王都を楽しめらあ!」


 依頼を請けてもらった冒険者へ、特別報酬として銀貨を包むのは、貴族間ではよくある風習であるとササキから教わり、相場から相応の金額を算出したのだが、どうやらゴーシュや彼ら【蟲報】を喜ばせるのには十分な金額だったようで、カオリは胸を撫で下ろす。

 やはりこう云った目に見える形での謝礼が、冒険者が貴族と付き合うことの利益を示すわかりやすい形なのだろうと、カオリは酷く納得した。

 さっそく街へと繰り出すゴーシュ達と替わるように、イソルダが湯浴みから上がれば、肌を煌めかせて綺麗な衣装に着替えたイソルダが応接室に挨拶に訪れる。

 湯浴みの手伝いと称して、ロゼッタも同道していたので、今はカオリとロゼッタとイソルダの三人でお茶の席へと相成った。


「最初はステラさんが湯浴みの介添えをって仰ってくださったんですけど、そんなお貴族様みたいな対応はちょっとと思って」

「冒険者として組合員を招くなら、冒険者がお世話をしなくちゃって、私がステラと代わってもらったの」


 二人揃って風呂にいった経緯を説明されて、カオリはなるほどと相槌を打つ。

 どうやらゴーシュ達と同様に、ベルナルドの経費削減の被害を、ロゼッタへ愚痴っていたようで、この場で愚痴大会になる様子はないと、カオリは内心でロゼッタにお礼を贈る。


「でも結果的にはいい仕事です。難しい値段交渉とか慣れない旅でしたけど、カオリちゃん達と一緒に仕事をすれば、たまにこう云ったいい思いも出来るかもしれないんでしょう? 王都について俄然やる気が出て来たわ!」


 風呂でロゼッタから教わった湯浴みの作法に加え、肌の手入れのための製品を惜しみなく使用し、さらに来客用の衣装に袖を通したイソルダは、それはもう輝かんばかりの喜びを、前身で表現していた。

 冒険者組合員の仕事は、仕事を斡旋する他に、新人教育にも神経を遣う分、普通の商会従業員よりもやや給料が高いと云う、なにせ冒険者の命を左右するのだから、その待遇も理解出来た。

 担当した新人冒険者が依頼で命を落とすなどあった場合、落ち込んで退職するものもいるのだから、組合側も相当に配慮する必要があるのだろうとカオリは考える。


「そうですね~、私が学園に通うためにササキさんが利用させてくれてますけど、この屋敷は元々まったく使ってなかったそうですし、今後も利用価値があるなら、遠慮せずに使ってほしいって云われてます。商会の貴族向けの窓口としても使えるので、学園卒業後も人を入れて維持するそうですよ~」


 本来はカオリ達が学園を卒業と同時に、また無人になる予定ではあったが、商会の設立に伴って、迎賓館としても利用出来るだろうと、ササキはカオリにこの屋敷の使用権を提示していたことを、イソルダに伝えた。これもカオリの関係者に対するわかりやすい報酬の一つである思えば、カオリは苦笑して納得する。


「流石は神鋼級冒険者様だわ……、後見人とは云え、これほどの待遇を約束されたら、誰だってカオリちゃんの専属担当になりたがるわよ……」


 今回の調査依頼の前に、カオリの専属になることの大変さを、ゴーシュからさんざん脅されていたが、こうも見える形で利点を提示されれば、その困難さも苦にならないとイソルダは感想を漏らす。


「あ、ついでですが、ベルナルドさんに、イソルダさんが私達の専属になるよう推薦状をお渡ししたいんですけど、いいですか? それと今回の依頼の謝礼金も、今の内に渡しておきますね~」

「も、もちろんっ、是非カオリちゃんの専属にならせてほしいわ、……でも謝礼金なんて、まだ依頼は終わってないし、そもそも特別な仕事ってほどでもないから、そんな、ってなにこの銀貨の山!」


 カオリが机の上に提示した革袋の中身を確認し、イソルダは目を剥いた。


「だって折角王都に来たんですし、色々お買いものしたいですよね? 地方都市にはない衣装とか、お化粧品とか、装飾品にお菓子にっ、イソルダさんにはこれから頑張ってもらいたいですから~」

「カオリちゃ~んっ! 一生ついていくわ!」


 ばたばたとはしたなく退室していくイソルダを見送って、カオリはにこにこと笑顔を張り付けて手を振った。


「ちょろいわね。いいカオリ、あれが普通の女性の反応なのよ」

「いやいやしたり顔でなに言ってんの? ロゼも私のこと全然言えないじゃん、さも自分は普通の女性です感出してさ」

「心外ねっ、私はカオリに合わせてるんじゃない、カオリもイソルダ様を見習って、少しは女性らしいものに興味をもったらどうなのかしら?」

「もってるし! ただ冒険者としては譲れない一線があるだけで、お菓子とか衣装とか装飾品にも興味あるしーっ!」


 ロゼッタが優雅に茶を啜りながらカオリの日頃の言動をあげつらえば、カオリは大いに反論ありと抗議する。


「お菓子を見れば携帯食に出来ないか考えて、衣装を見れば戦闘に不向きだと文句を言って、装飾品を見れば魔法付与が出来ないか相談することの、どこが普通の女性らいしい振る舞いなのかしら?」

「それだって、ロゼも懇切丁寧に一緒に考えてくれるじゃん! 同罪です同罪!」


 そこへステラが紅茶の淹れ直しに入室する。


「同じ穴の狢とはよく云ったものですよ、お嬢様方、話す方も聞く方も、傍から見れば大差ありませんので、不毛な言い合いでお声を荒げないで下さいませ、淑女としてみっともありません、廊下まで聞こえております」

「……気をつけるわ」

「ごめんなさい……」


 ステラの叱責に素直に反省して、二人は居住まいを正す。


「あ、そうだステラさん、ゴーシュさん達が長期滞在出来るように、色々と手配してもらっていいですか?」


 そこで思い出したようにカオリがお願いするのに、ステラは表情を変えずに首をかしげる。


「お話では、王都に二~三日滞在の後、エイマンへの折り返しに出発されるとのことでしたが、予定を変更されたので?」


 今回の調査依頼では、王都からの帰りの道中でも、見積もりの見直しを兼ねて別経路を辿って帰還する必要があるため、そう間をおかずに再出発する予定だと聞かされていたステラである。


「はい、そうだったんですけど、ほら貧民街の一斉摘発の件があるじゃないですか? あれにゴーシュさん達も参加してほしくて、あとついでに冒険者組合王都本部での手続きとか、イソルダさんも早速専属担当の仕事をしてもらおっかなって」

「……承知しました」


 あっさりと言うカオリの顔を伺いつつも、侍女兼従者として恭しく了承するステラだが、その表情にもの言いたげな雰囲気を出すステラの隣で、ロゼッタは盛大に溜息を吐く。


「それ、あとでちゃんと、本人達の了承をとりなさいよね」




 屋敷の勝手口側でゴーシュは、手持無沙汰に待ち惚けを喰らっていた。

 カオリから謝礼金を受け取り、早速仲間達と酒舗巡りをと意気込んでいたところを、イソルダに捕まってしまい、市場までの護衛をお願いされたために、泣く泣く仲間達を見送った次第である。

 一応は王都滞在中も仕事の範疇であるため、断れなかったのは事実だが、王都とは云え不慣れな街へ、女性一人を放り出す気になれず、仕方なくと云った体で了承したのだ。


 そんなゴーシュの前を、使用人風の男が会釈をして通り過ぎる。

 流石は貴族屋敷であると、屋敷の裏手で働く男へ敬意をもって返礼するゴーシュだが、不意に殺気を感じて振り返る。


「うおっ!」


 ほとんど癖のように取り出した短刀で、飛来して来た石礫を、ゴーシュは寸でのところで弾く。


「ほう……、盟主様と懇意にしている冒険者と聞いていましたが、最低限の腕はあるようですな」

「なんだてめぇは、あぁん?」


 突然の無作法に苛立ちを露わにするゴーシュと対峙したのは、【泥鼠】のクレイドである。


「なるほど、てめぇがカオリちゃんに拾ってもらった元暗部の【泥鼠】とか云う新参もんかよ……」

「古参だからと云って、盟主様を呼び捨てとは、今後の上下関係に混乱を来すとは考えられないようですな」


 実に挑発的な態度に、ゴーシュは間合いを詰める。


「堅気じゃねぇ匂いをぷんぷんさせやがって、なぁにが泥鼠だ。自嘲のつもりなのか知らねぇが、臭せぇんだよおっさん」

「ごろつき上がりの斥候が、栄えある盟主様のお作りになる組織の関係者として、少しは礼儀作法を習うことをお勧めするが?」


 同じ隠密型の戦闘形態ではあるが、ゴーシュ達は魔物専門の斥候冒険者であり、クレイド達は足を洗ったがそれでも人間専門の暗部工作員である。

 互いに出自が似通っていても、経歴には天と地ほどの開きがあることを互いに察して、どこまで妥協出来る相手であるか、対峙することで距離感を図る腹積もりで、クレイドはあえて挑発をしたのである。


「すいませ~んゴーシュさん!」


 そこへイソルダの元気な声が届き、二人は臨戦態勢を解く。


「……てめぇらとはどっかで白黒つけてやるからな、覚えてやがれ」

「……」


 互いに警戒心だけは残し、背を向けたところに、ようやくイソルダが勝手口から身を出す。


「お屋敷って広いですよね~、少し迷っちゃいました」

「組合員仲間に土産を買うんだろ? さっさといこうぜイソルダちゃん」


 一瞬視線だけでクレイドを探すが、クレイドはさっさと屋敷の中に入ってしまうのを、ゴーシュは内心で舌打ちする。


「やれやれ、カオリちゃんに心酔する奴が多くて参っちまうぜ」

「どうかしましたか?」


 小さな呟きが聞こえなかったイソルダに、ゴーシュは手を振ってなんでもないと誤魔化す。

 一方クレイドは、表の顔である使用人としての仕事を終え、地下室、今では立派な詰所となっている仕事場へ移動した。


「盟主様から例の作戦における。該当施設の一覧を渡された。目を通したら燃やせ」

「……」


 クレイドから受け取った資料へ、無言で視線を走らせる面々に、クレイドは作戦当日の騎士団の配置を説明する。


「盟主様は今回、表だって前線に出ることはないそうだ。その代わり、王都市外に逃亡を企てる連中を懸念されている。俺達はその情報を外の協力者に渡す手筈になっている」

「協力者の選定には我らに裁量が与えられているが、本当によかったのか? 一応背後関係を調査して、ササキ様にも盟主様にもご報告はしているが」

「問題ない、あのお方の手勢が、独自で調査をされるとのことだ。我らよりもきっちり調べ上げるだろう、問題がある連中に関しては、さあ、どうなるか分かんらんがな……」

「……」


 クレイドの物言いに、ヴルテンは嘆息する。


「あのお方の手勢か……、どこかにいるとはわかるのに、一度も姿を補足出来たことがない、恐るべき手練だ……、本当に人間なのかも怪しいな……」

「止めておけ、無用な詮索は寿命を縮めるぞ……、人外の穏者、あのシン殿も相当の手練だが、あれ以上など、想像を絶する」


 どこか遠い目をして語る言葉に、一同は同様の心境を抱く。


「そう云えば、盟主様の懇意にしている斥候冒険者を試してみた」

「どうだった?」


 もののついでにゴーシュを話題に挙げたクレイドに、ヴルテンは反応を示す。


「腕はたしかだが、人間相手なら我らに一日の長があるだろう、盟主様への態度には、やや思うところはあるがな」


 ゴーシュの戦闘能力は素直に認めるが、雇い主であるカオリに対して、やや距離が近過ぎるように感じると、クレイドは少し不満を呈する。


「盟主カオリ様は、我ら貧民街出身者の希望だ。あれほどに腕が立ち、表向きに立派な立場を有していながら、我等と真摯に向き合ってくれる稀有な存在、しかも今回の一斉摘発で、我らの仲間の多くが救われることになるだろう、このご恩を、俺達は身命を賭して報いねばならん」


 真剣に語るクレイドに、一同も同意の言葉を連ねる。


「普通の服を着てよ、三食飯を喰って、日中はのんびり噂集めと覗き見、それで給料までもらえるんだ」

「夜中にちょいと商会に忍び込んで、帳簿を書き写すだけの簡単な仕事だぜ、久しく殺しをしてないなぁ……」

「おまけに貴族屋敷で使用人としての顔も貰ってるから、堂々と街を歩けるんだ。まるで普通の市民みたいによ……」


 しばしの無言、男達の前には自分達の足で集めた数々の情報が資料として纏められている。その中には同じ境遇の仲間や、その子供達の現状が細かく記されたものもある。

 違法な薬物や窃盗品を取り扱う密売組織、または違法なやり口で貴族の資産運用の片棒を担ぐ商会、そこで強制的に働かせれている従業員のほとんどが、貧民街の元孤児達だ。

 さらに夫を亡くし困窮した未亡人や、これも同様に孤児の少女達を働かせる娼館なども、正規の商売とは云えない、劣悪な環境で彼女達を酷使している。

 とても許されることではない、しかし貴族から支援を受けたそれら違法な商会達を、ミカルド王家はついに一斉摘発するのだ。


 もちろん名目上保護することになるそれら境遇の貧民達を、王家は荒野に放り出すつもりはない、それぞれの窮状を加味して、それぞれが出来る範囲で仕事を斡旋、または新たに作る開拓村や既存の宿場町の拡張に、彼らを送り込む手筈になっている。

 王都市民として生活することは出来ないだろうが、少なくとも人としての生活は当面保証されるのだ。

 また今後同じような状況に堕とされる貧民にも、ある一定で対策を講じられるとも伝えられている。

 クレイド達のような子供が新たに生まれないよう、彼らが人間としての尊厳と未来を送れるよう、彼らが抱き続けた悲願がついに成就されるのだ。

 これらも全て、ササキによる大粛清、またカオリによる王家への働きかけのおかげなのだ。


「今回の動きで、王都市中に隠れてた奴や、市外に散った連中が、噂を聞きつけて情報屋に接触しているらしい」

「目的は?」


 主語を隠しながらの情報に、クレイドは問う。


「一斉摘発の情報は流石に漏れてはいないはずだ。王国側は王家と騎士団長くらいしか知らない作戦だからな、ただ軍を差し置いて騎士団が訓練内容を変えたことで、勘のいい奴が探りを入れ始めたようだ」

「王国騎士団が動くのは、貴族を対象にした案件と相場が決まっているからな、流石にそこまで隠し通すことは出来ないだろう」

「表向きは彼の【騎士聖剣】オンドール殿を臨時指導者に招いたためだとしたらしいが、訓練内容が市街戦を想定したものだったので、軍の内通者が疑問に思ったようだ」


 騎士団長直々の招待だったとは云え、騎士を辞めたオンドールが、どうして今頃になって騎士団と関係をもったのかの理由がここにある。

 王都守護騎士団だけでは手が足りず。王家近衛騎士団も駆り出される今回の作戦だが、近衛騎士団は市街戦に慣れておらず。逆に守護騎士団は騎乗戦に不慣れであるがために、どうしても作戦決行日前に、双方を交えた合同訓練が必要だったのだ。

 そこで頃よく王都に訪れていたオンドールが、バルトロメイを通して騎士団長の要望を請け負った形が、数日前におこなわれた合同訓練だったのだ。


「勘の良過ぎる連中が王都を脱出したのを、外に隠れていた同郷が見つけたのは運がよかった。これで奴らが再び王都に舞い戻る前に、秘密裏に処理出来る。王都でさんざん俺達や女達を使い捨てにしてきた連中に、これでようやく報復出来るんだ……」


 握り締めた拳を震えさせ、ヴルテンは常にない気炎を吐く。


「逸るなよ、俺達はあくまで情報提供のみだ。それも情報屋を通した間接的な協力に過ぎん、直接この手にかけるのは盟主様のお立場を悪くする」

「……そうだな、だが実際どうするんだ? 同郷の奴らの中には、俺達に同調したがっている奴もいるぞ、それはつまり盟主様の傘下に入り、かの方の手駒として働く仲間と云うことだ」

「俺達は盟主様のご慈悲で、身分と仕事を与えられたに過ぎない、俺達の一存で接触するのはあまりに危険だ」


 クレイド達と同郷とはつまり、同じ王都貧民街の孤児であり、同じ暗部工作員だったもの達である。

 場合によっては接触するだけでも、カオリの立場を悪くする要因になりかねないため、現状は放置している状況である。


「……盟主様の治める村や商会の影響力が増せば、じきに俺達だけでは手が足りなくなるだろう、この件に関しては俺から盟主様に、人員の増強を打診してみるつもりだ」

「それは……、つまり」


 クレイドの言葉に、面々は唾を飲む。


「もしかしたら、王都の暗部を、盟主様が牛耳る未来もあるやもしれんな……」




 その日の夕餉の席で、イソルダは体重を気にしつつも、豪勢な食事を堪能し、食後の茶を嗜みつつ、カオリに思い出したように報告をする。


「そう云えばカオリちゃん、朝に冒険者組合王都本部にいった時にね。本部からカオリちゃん宛てに手紙を預かったの」


 イソルダが差し出した手紙は、一旦ステラが受け取ってカオリに渡る。


「んん? 金級昇級試験の許可証?」

「なんだか以前にもそんな話がなかったかしら?」


 冒険者としての昇級試験許可と云えば、銅級から銀級に飛び級したのが最後のカオリは、そう云えばそんなこともあったかと思い出す。


「もう本当に、誰もが認めざるをえない数々の功績を、こんな短期間で成し遂げちゃうカオリちゃんだもの、組合だって相応の対応をするわよ、もしかしたら以前にもベルナルド支部長から話しがあったかもしれないけど、それは王都本部で発行された許可証よ」


 イソルダが呆れと称賛を滲ませた表情で説明したが、カオリはそれでも首をかしげた。


「支部と本部で、なにか違いがあるんですか?」


 そんなカオリの疑問に、ササキが口を開く。


「冒険者組合の地方支部と云うのは、立地上どうしても魔物への最前線になりがちだ。ゆえに戦力の確保の観点から、冒険者の昇級に関しては甘くなってしまいがちだ。しかし王都本部が欲するのは権力者に提供出来るような戦力、または威信の増強に傾倒する」


 一度言葉を切り、葡萄酒で口を湿らせてからさらに続ける。


「つまり冒険者側に求められる資質は、実力もさることながら、礼儀作法や見目も査定範囲に含まれるのだ。強く美しいたしかな戦力を、組合は権力者に紹介出来ることが重要なのだからね」


 地方と中央では冒険者への要求までもに差があるのかと、カオリは呆れた表情を浮かべる。


「……ササキ様が仰ったことが真実ではありますが、それでもなんの功績もない冒険者へは通常降りることのない許可ですので、私としてはカオリちゃんのさらなる活躍を、期待していることは信じてください……」


 一応組合側の立場として、ササキに内情を暴露されたことでやや臆してしまったイソルダだが、彼女としてはこれからカオリ専属として活動する上で、カオリの名に箔がつくのは歓迎すべき事柄である。


「イソルダ君はあくまでエイマン支部の組合員だろう? 冒険者の本懐を蔑にする本部の業突く張り共の肩をもつことはない、私もあ奴らには散々迷惑をかけられたのでね」

「そ、そうですか? ははは……」


 王国での冒険者業で、ササキほどの武勇を示していれば、たしかにそれなりに苦労があったことは容易に想像出来るだろう、イソルダは自分が本部とは無関係でいろと、遠回しに釘を刺されたように感じて、乾いた笑いを漏らす。


「そうですか~、まあ、当面は放置でいいでしょう」

「え? ど、どうして?」


 そこでカオリから信じられない言葉が飛び出たことで、イソルダは驚いて身を乗り出す。


「折角、紛争騒動からやっと学園に帰ってこれましたのに、また昇級試験だと云って長期遠征だなんて、正直勘弁願いたいわね」


 これまで澄ました顔で紅茶を愉しんでいたロゼッタが苦言を呈すれば、カオリはそれに同意を示す。


「村の開拓資金をもっと稼ぐために、より高難度の依頼を請けられるようになるのはたしかに必要ですけど、学園に在籍している間はササキさんからお給料をもらえますし、ぶっちゃけすぐに昇級する必要ってないんですよね~」


 カオリの言葉に絶句するイソルダへ、ササキは柔らかい笑みを向ける。


「イソルダ君、カオリ君達と仕事をしていくことになるのだとすれば、これだけは覚えておいた方がいい」


 ササキはどこまでも優しげに語る。


「カオリ君はね。――普通ではない」


 ついに息も忘れたイソルダは、盛大に机に頭から突っ伏した。


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