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( 作戦会議 )

 翌日、まだ日も昇らぬ早朝、、王家近衛騎士団所属の騎士達が詰める騎士団棟に、大音声が響き渡った。


「総員ただちに起床せよ! これより早朝訓練を開始する! 軽装にて第三訓練場に集合せよ!」

「いつまで寝てるんだいうすノロ共っ! 戦場で敵は起きるまで待っちゃくれないよ!」


 突然の起床の声に驚いて、中には寝具から転がり落ちるものもいる中、若い団員の一人は向かいの同僚と目を合わせる。


「な、なにごとだ?」

「わ、わからん、だがこの声はバンデル嬢のお声では? だがもう片方は、団長じゃないぞ、いったい誰が……」


 自分達を遠慮容赦なく罵る女性の声には聞き覚えがあったが、もう一人の男性の声の正体が分からず。二人して首をかしげた。


「繰り返す。軽装にて訓練場に集合せよ!」

「慌てて靴を履き忘れるんじゃないよっ、ここにあんた達の母親はいないんだからね!」


 続けて発せられた言葉に、ようやく事態を理解したものから、大急ぎで支度を始める。

 廊下に出れば続々と駆け出す同僚達を認めて、とにかく急がねばと自分達も後に続けば、玄関広間で並ぶ各隊長の姿を発見する。


「お前達さっさとしろ! 遅れた班は連帯責任で腕立てだ!」


 各隊を率いる隊長達が怒鳴り声を上げている光景に驚く団員だが、一人が違和感に気付く。


「おいおい、隊長、靴を片方履き忘れてるぞ?」

「ここには母親がいないらしいからな、うっかり忘れちまったのかもよ」

「だけどよ、隊長まで寝ぼけてるって、この呼集は、じゃあ誰が指揮してるんだ?」

「さあ?」


 駆け足のまま、自らも装備に不備がないか思わず確認しつつ、だが疑問を抱いたまま、指定された第三訓練場を目指す。


「到着したものから整列っ、点呼をとれ!」


 先頭のものから順に声を出し、団員に抜けがないかを確認すれば、各隊長はようやく安堵の表情を浮かべる。

 集まったのは夜勤のなかった約半数の近衛騎士団員達。


「はっ、お坊ちゃん騎士様は呑気なご到着で、ママのおっぱいでも吸ってたのか?」

「さては侍女に鎧を着せてもらってたんじゃないだろうなぁ、女みたいに支度に時間がかかるなんて、流石はお貴族出身のお坊ちゃんだぜっ」


 だがそんな近衛騎士団員達に向かって、すでになにかの資材を運搬していた他の騎士団員が野次を飛ばす。


「な! あいつら守護騎士団のっ」

「好き勝手言いやがって!」


 元々出自や仕事の内容的に相容れない騎士団同士ではあるが、ここまで真っ向から馬鹿にされるなどそうそうなかったために、数人の近衛騎士団員は顔を真っ赤にして怒りを露わにする。


「無駄口を叩くな! いいかお前達、これより当騎士団はさる人物の指揮の下、これまでにない訓練を実施する。もしこの中に、その人物を批判するものがいたならば、即刻騎士団より除籍するものと覚悟しろっ」


 常であれば格下に見る守護騎士団からの罵声にもっとも反応を示すはずの隊長達が、それよりも自身の団員が粗相を仕出かすことを杞憂する様子が、彼ら平団員には信じられなかった。


「おいおい、いよいよどうなってんだ?」

「考えても分からん、もうなにがなにやら」


 誰もが混乱の最中で、訓練場入口から馬の駆ける音が聞こえた。

 みなが一斉に振り返ったところを、一騎の騎馬が風のように走り過ぎる。

 そして急停止から後ろ足で立ち上がり、器用に反転すれば、そこでようやく騎手の姿を認めることが出来た。


「これより諸君には市街地における機動展開および包囲戦の訓練をおこなってもらう、馬の機動力を生かせる平原に慣れた諸君だが、王都市民を即座に守るためには、市街地での騎乗走行は必須能力だ。訓練とは云え危険が伴うだろう、油断が死を招くことがあると肝に銘じるように、はっ!」


 見るからに老練の騎士が発する気迫に、若い団員達は一様に息を飲んだ。

 いったい彼の騎士は誰なのか、みながみな疑問を抱いて、走り去る騎士の姿を目で追った。


「あ、危ない!」


 そして守護騎士団がなにかを設営するごった返した訓練場の中央を、あろうことか最高速度で疾走していくのに、誰かが思わず声を上げる。

 だが老練の騎士は速度もそのまま抜剣し、誰にもぶつかることなく巧みに馬を走らせながら、さらには運搬中の資材を、右手に持つ直剣で次々と切断していった。

 二人がかりで運ぶ角材の上を飛び越えながら器用に空中で上半身を翻し、真中を両断した瞬間など、目にも止まらない早業である。

 突然真中を斬られたことで、均衡を崩して倒れ込む団員など、一瞬なにが起こったのか理解出来ずに悲鳴を上げてしまう。


「す、すごい、馬ってあんなに機敏に動けるのか?」

「おい見たかあの反転、あんな角度で曲がってどうして落馬しないんだ……」

「それよりもあの剣の冴えはなんだ! 腕で抱える太さの角材を、あの姿勢からどうやって両断出来るんだ」


 これまで見たこともないほどの手綱捌き、加えて恐るべき剣技を目の当たりに、若い団員達から感嘆の声が上がる。


「いやぁ~流石は旦那さね。流石にあそこまで馬と息を合わせられたら、そこいらの歩兵じゃあ手も足も出ないだろうねぇ」

「バンデル嬢っ! ということは……」


 近衛騎士団が整列する斜向かいに、アイリーンが資材に腰かけて笑っているのに初めて気がつく。

 ひとしきり騎乗技術を披露し終え、オンドールはようやく馬から降りて団員達と相対した。


「初めまして諸君、私は本日、王家近衛騎士団団長殿の要請によりまかり越した。オンドールと云う、氏のない一介の冒険者に過ぎん老兵だが、そんな私でも若い諸君に伝えられる技術があれば光栄だ」


 凛とした騎士姿から一変して、どこまでも柔和な眼差しと口調に、若い団員達は不思議と安堵の気持ちを抱く。

 突然叩き起こされた不満などとうに忘れ、まざまざと見せつけられた騎乗技術を思い出せば、彼がどれほど優れた騎士であるかなど明白だ。


「流石はオンドール殿だ。すっかり若い団員の心を掴んだご様子、これも前線指揮には必須の能力でしょう」

「団長!」


 遅れて登場した己達の騎士団長を認め、団員達は一層表情を引き締める。


「いいかお前達、こちらにおわすのはかの生ける伝説、【騎士聖剣】オンドール殿だ。いくら若いお前らとて、騎士を目指した以上そのおん名を耳にしたことぐらいはあるだろう、先の帝国王国間戦争にて、先王を敵の追撃から守り抜き、主と自身の部下をも逃がし切った真の英傑よ」


 今より三十年以上も昔の功績を持ち出され、やや面映ゆく苦笑するオンドールに、団員達の驚愕の眼差しが集中する。


「【騎士聖剣】って、あの?」

「【真騎士オンドール】か?」

「父上から聞いたことがあるぞ」

「亡くなったって話じゃなかったのか?」


 それぞれに記憶を確かめ合う団員達を見渡して、騎士団長は満足げに腕を組む。


「この度はかの神鋼級冒険者ササキ様の伝手によって、ついに英雄を我が騎士団の指導者としてお迎えする栄誉を賜った。しかし残念ながらこの機会も一時のこと、そのため限られた僅かな時間でも、可能な限り英雄からその技術を学び、現王陛下のお役に立てられるよう、諸君には日頃よりもさらに気を引き締め、訓練に励んでもらいたい」

「評議国の樹立や、公国の内乱、北の脅威に、王家への襲撃、どうやら今世界は混乱の渦に飲まれようとしている」


 静かに語り始めたオンドールの言葉を、一言一句聞き逃すまいと、団員達は衣擦れ一つ音を立てずに聞き入る。


「しかし私は知っている。栄えあるミカルド王国に仕える騎士には、それら国難を打ち払う力があることを、君達若き騎士達の忠誠が、この大陸を救う最後の希望であると、心より信じている」


 穏やかな水面を想起させる声音で語られる言葉には、なによりも騎士達への敬意が込められていた。


「そして感謝する。私が騎士の栄誉を捨ててしまったあの時、だがかつて若者だった騎士達が、揺るぎない忠誠を、今も現代に紡いでくれていたことを、今を輝く若き騎士達の心根に、絶対不破の正義を育ててくれていたことを、ありがとう諸君、今日より僅かな間だが、君達がより正義を示すことが出来るよう、及ばずながら手助けさせてほしい、よろしくお願いする」

「「よろしくお願いしますっ!」」


 オンドールが頭を下げれば、総勢数百人の騎士達全員が、一斉に最敬礼をする。


「というわけで、あんた達、今すぐ馬を連れてきなっ!」


 ここでアイリーンが満面の笑みを浮かべて、指示を出す。


「今日は日頃の鬱憤晴らしに、王都守護騎士団も手を貸してくれるそうだよ、市街地を模した衝立を建てて、影からあんた達を袋叩きにしようって魂胆だそうだ。平原じゃあ騎乗に慣れた近衛騎士団にゃあ敵わないかもしれないって、苦肉の策のようだ」


 アイリーンが発破をかければ、近衛騎士団内から罵声が飛ぶ。


「臆病者の守護騎士団が! 正々堂々とかかってこいっ」

「お坊ちゃん騎士などと馬鹿にした。その下賤な口を黙らせてやる!」


 対して守護騎士団も負けてはいない、今日は無礼講だと双方騎士団長の同意により、垣根なく訓練に挑む方針である。


「王都の地理は俺達の方が詳しいんだ! お坊ちゃんは精々迷子にならねぇように、馬の上で震えてやがれぇ!」

「従者がいなけりゃ背中が寂しいお子ちゃまは、俺らお兄さんが優しく案内してあげまちゅからねぇ~」


 いい歳をした騎士とは云えども、十五歳が成人と見なされるこの世界のこと、現代日本の尺度で云えばまだまだ二十代前後の若者である。

 理性の利かない年頃の彼らの軋轢も、こうして見れば子供同士の喧嘩に映る。


「なにをぼさっとしてる! さっさと馬を準備せんか、馬鹿もの共!」

「「はっ!」」


 痺れを切らした団長が喝を入れれば、ようやく近衛騎士団も準備に取り掛かる。


「懐かしいですなぁ、昔も度々こうして王国騎士団の訓練を指導したものです」


 昔を懐かしみ、オンドールは目を細める。


「この度はまことに感謝申し上げます。まさかバルトロメイの口から、あの伝説のお名前が飛び出すなど想像だにせず。半信半疑で招待状を認めたのですが……、このような機会に恵まれるなど思ってもおらず」


 騎士団長からの感謝を、オンドールは笑って制する。


「騎士の称号を捨て、冒険者に身をやつした老兵を、団長殿は快く招いて下さり、あまつさえ若年騎士達の指導までをも任せてくださった。感謝申しあげるのはこちらの方です」

「なにをおっしゃいますか、忘れもしませんぞ、まだ半人前だった私を、立派な騎士へと導いてくださったのは他でもない、オンドール様の指導があったればこそ、あの時の教えが、私を今日の地位と名誉を賜る礎となったのです」


 まだオンドールが王国貴族家の従騎士として仕えていた時代に、類稀なる功績を讃えて非常勤指導者の要請に応えていた当時、全盛期の彼から直接指導を受けていたのが、他でもない、現王家近衛騎士団団長の彼である。

 結果的に仕えるべき主を失って騎士を辞めてしまったオンドールを惜しむ声が、こうして三十年近くも経った今、偶然にも当時を思い出すかのような運命に至ったのだ。


「殿下と二人がかりでも私に一太刀も入れられず、半べそをかいていたあの若者が、今や騎士団を率いる団長なのだから、私も年をとるはずだ……」

「あの時の殿下も、今や立派な国王陛下となり、私の忠義を受けてくださっているのです。私はこの国の誰よりも、師と主に恵まれた果報者です」


 昔を懐かしみ、かつての光景を思い出す二人を、隊長達は驚きを表情に出さずに横目で視線を送る。


「旦那、それと団長さんよ、あたしゃあ守護騎士団側で迎撃につくけど、遠慮しなくてもいいのかい?」


 そんな二人の下に、アイリーンが確認を求める。本日の彼女の役割は、市街地に潜む不確定要素の想定訓練である。

 万が一騎馬が接触しても壊れないように組んだ衝立だが、アイリーンの剛腕にかかれば容易に破壊出来るのだ。

 これによって、奇襲や包囲網に穴が生じる事態にも、臨機応変に対応出来る能力を鍛える構想である。


「うむ、馬に怪我さえさせなければ、後は存分に暴れてもらってかまわない、腕力や頑強、突破力に俊敏性、先の紛争でどうやら近衛騎士団は、強靭な魔物への想定が甘い節が見受けられたのでね。うら若き乙女を捕まえて大変心苦しいが……、今日はアイリーン殿には魔物役になってもらいたい」


 オンドールの要請に、アイリーンは凄惨に笑って見せる。


「りょぉうかいさねぇ~、地稽古じゃない本物の戦場が、どれほどのものか、軟弱な坊主共に叩き込んでやるさね」


 そう云って彼女には珍しく、兜を被る。

 側頭部から獣の角をあしらった帝国騎士団に見られる兜は、まるで異形の悪魔を想起させる恐ろしさを演出している。


「よっしゃあっ野郎共、行儀のいいお坊ちゃん達に、散々吠え面をかかせる絶好の機会さねっ! 落馬させた数が一番多かった奴には、あたしが城下でとびっきり上等な酒と女を奢ってやるよぉっ!」

「いぃやっほぉー! 日頃俺らを馬鹿にするあいつらに、一矢報いるんだっ!」

「どっちが真に王国の守護者か、今日こそ白黒つけてやる!」


 貴族出身者が占める王家近衛騎士団に対して、王都守護騎士団には平民出身者が大半を占める。また仕事場が王城の警護や式典の儀仗兵などが多い近衛騎士団とは違い、守護騎士団の主な仕事は王都市中の治安維持や内定調査だった。

 そうした出自や職務の違いから、双方にはどうしても格差や軋轢が生じてしまうのだ。

 高圧的な近衛騎士団員からの蔑みの言葉や態度に、身分の差からどうしても強く出られない守護騎士団側であったが、本日だけは団長の名の下に、無礼講が確約されている。

 また訓練にかこつけて、実際に武力に任せて鬱憤を返せるとあり、守護騎士団員達のやる気は留まるところを知らない。


「しかし……、アイリーン嬢の影響もあるでしょうが、どう見ても無法集団にしか見えませんな」


 しかしこうして傍から見ていると、彼らが下賤な騎士などと揶揄される理由もわかると云うものだ。


「それについては先に謝罪させていただきこう、彼女も指揮官の才に恵まれた逸材のため、あえて去勢などしませんでしたが、いささか騎士としては品のない様相になるのは、今回だけだと信じていただきたい」


 しばしの無言。


「オンドール様でも、全てを正しく導くことは出来ぬと云うことですか……、世界は広いと納得することにいたしましょう」


 諦観を滲ませて遠い目をするオンドールに、微妙な表情を贈る騎士団長だった。




「おお~、やってるやってる……」


 騎士団棟や訓練場を見下ろせる高台に建てられた軍部棟の一室から、カオリは絶賛訓練中の騎士団とアイリーン達の様子を認めて興味深く見守る。


「オンドール様もアイリーンもよくおやりになるわ、報酬の出ない慈善事業でしょう? まあこれも今後カオリに面倒をかけないように、騎士団が独力をつける一環だと思えば納得出来るけど……」


 一方ロゼッタは溜息を吐かんばかりの表情である。

 開拓資金はあればあるほどいい村の状況を思えば、貴重な労働力である二人を、例え数日であっても王国騎士団に貸し出すのは、財政面を管理する彼女にとって忸怩たる思いがあるようだ。


「心配しなくとも、此度の作戦が成功し次第、君達には王家から相応の褒賞を与える予定になっているさ、かの英雄様にも後ほど陛下から感謝の言葉があるだろう」


 そう云ってロゼッタを窘めるのはコルレオーネ第二王子だ。

 本日は貧民街一斉摘発作戦の最終確認と説明をするために、カオリ達を呼び出したのだ。


「……無礼な言、まことに失礼しました。決して王家や騎士団を侮辱する意図があったのではありません、ただオンドール様のお人好し、またアイリーンの戯れを諌めなかったゆえの反省からですので、申し訳ありません」


 第二王子の見ている前で、王家や騎士団がカオリを煩わせる原因だともとれる発言だったことに気付き、ロゼッタは真剣な態度で謝罪をする。

 彼女にしてはらしくない失言に、カオリは珍しいものを見たと笑う、どうやらロゼッタもカオリ達と行動を共にする内に、良くも悪くも影響を受けた様子だと思ったからだ。

 そこに扉打ちがあり、コルレオーネが入室の許可を返す。


「遅くなってすいません兄上、お客人も失礼しました。久しく軍部棟に足を運んでいなかったので、少々迷ってしまいました」


 入室した人物を受け、カオリとロゼッタは起立して深々と頭を下げる。


「第三王子のステルヴィオだ。ヴィオ、こちらが最近貢献著しい冒険者の、カオリ・ミヤモト嬢だ」

「ステルヴィオ・ロト・ミカルドです。お噂はかねがね伺っております。そして父上や兄上を度々守ってくださったこと、心より感謝申し上げます」


 コルレオーネの簡単な紹介に、ステルヴィオは丁寧に自己紹介と感謝を述べる。


「冒険者ササキの後見を受け、陛下や殿下に懇意にしていただいております。カオリ・ミヤモトです。ステルヴィオ第三王子殿下からの感謝のお言葉、身に余る栄誉に恐悦至極に存じます」


 カオリが初対面の王族へ当然の敬意をもって挨拶を述べれば、ロゼッタも続いて挨拶をする。


「お久しぶりです殿下、本日は私共のために貴重なお時間を割いていただきますこと、感謝申し上げます」

「アルトバイエ侯爵令嬢もお久しぶりです。久しくお会いしておりませんでしたが、侯爵閣下共々、先の作戦では立派に務めを果たされたこと、王家を代表してお礼申し上げます」


 王家の王子達とかねてから面識のあるロゼッタではあるが、例え公式の場ではないといってもそこは王族と貴族として、十分に礼儀を尽くして言葉を交わす。


「ああかたいかたい、知らない仲じゃないんだから、普段通りの口調でいいよ二人とも、もちろんミヤモト嬢も普通に話してくれていいからね? 僕達はそこまで頭が固い人間じゃないから」


 しかし堅苦しいやりとりがお気に召さないコルレオーネは、すぐに無礼講を宣言してしまう、流石のカオリもこれには曖昧に微笑むしかない、なにせコルレオーネ以外の王子と会うのは今日が初めてであるのだから、いくらカオリであっても初手から礼を失する態度はとれないのだ。


「そうですね。僕もそうしていただけると気が楽です。アルトバイエ嬢も昔のように、ロゼ姉さまって呼んでもいいですか? ミヤモト様も僕のことは名前で呼んでください、第何王子とかややこしいので」

「構いませんよ、なら私も、昔のようにヴィオ殿下とお呼びしますわ」

「私のことはカオリと気軽にお呼びいただければ、ええっと、ステルヴィオ殿下」


 それぞれが名前呼びを許すことで、ようやく普通に話しが出来るようになる。一々こう云ったやり取りをせねば、ろくに緊張を解くことが出来ないのが貴族社会と云うものだと、カオリは強く認識する。


「待たせたな、失礼するぞ」


 そこへ唐突に入室して来た人物があり、カオリは驚いた表情を浮かべる。

 誰かが接近して来ることは察知していたが、まさか扉打ちもなく入室して来るとは思わなかったのだ。


「む、そちらのご令嬢が件の女冒険者、カオリ・ミヤモト嬢か? 父上や弟、また我が婚約者であるルーフレイン侯爵令嬢までもが、大変世話になった。感謝する」


 堂々たる態度ながら、真っ直ぐにカオリを見詰めて腰を折る姿に、カオリは深々と頭を下げる。まだ名を聞いていない内から、下の身分のものから発言するのが躊躇われたからだ。


「兄上、まずは名乗られたらどうです。カオリ嬢が返事も出来ずに困っているじゃないですか」

「そうかすまん、ミカルド王国第一王子のアルフレッド・ロト・ミカルドだ。氏が同じな上に第何とややこしかろう、俺のことは名で呼んでくれミヤモト嬢」


 一息に極めて簡潔にそこまで言ったアルフレッドに、カオリはいよいよ困惑して返答する。


「……カオリ・ミヤモトです。私のことはカオリとお呼びください、学園ではルーフレイン侯爵令嬢様には、とてもよくしていただいております。お役に立てたのであれば、大変恐縮にございます」


 派閥争いの煽りを受けて、危険な身の上にあったベアトリスに、護衛を増やすべきだと進言したことを、アルフレッドが感謝している様子であるが、それにしても王子全員から名前呼びを許可されるということが、通常のことなのかカオリは推し量る。


「僕もカオリ嬢って呼んでいいよね? ずるいよ二人とも、カオリ嬢とは僕が一番付き合いが長いんだから、抜け駆けは許さないよ」

「それを云うならば、ベアトリス伝手に学園の様子を聞いていた俺が、一番縁があるはずだが? お前はぞろ女好きをこじらせて無理やり近付いた口だろう、お前もさっさと婚約者を見繕えばよいのだ。未婚の男女がそう易々と会うものではない」


 二人の兄弟がそれぞれ、自分を差し置いて名前呼びを許す様子に、コルレオーネは不満を露わに抗議するのに、アルフレッドは極めて正論と、日頃の弟の態度を咎める。


「兄さんは駄目だよ、ロゼ姉様にも振られたばっかりで、派閥の人達が慎重になっているからね」

「言うじゃないかヴィオ」


 片肘を机について眉を上げるコルレオーネに、ステルヴィオは肩を竦めてみせる。


「あの、殿下達は、仲がよいのですか?」


 カオリの不意の質問に、三人の王子はそれぞれ目を合わせる。

 こうして初めて相対し、見比べれば、なるほどよく似た三兄弟だとカオリは感じた。

 顔立ちや背格好こそ個性があるが、全体的な雰囲気というか、その身に纏う風格はなるほど王子の身分に相応しい三人である。


 カオリより一回り背が高く、柔和な印象のコルレオーネと比べて、第三王子のステルヴィオは背も高くなく、しかし知性を感じさせる眼差しは、コルレオーネのような軽薄さは見受けられない、また神官のような衣装とうなじまで伸びる髪が、ともすれば女性のような印象を見る人に与えるだろう。

 一方第一王子のアルフレッドは、まさに絵に描いたような精悍な青年である。己の自信を隠さず。堂々とした立ち振舞いには、これぞ長男であると納得出来るだけの風格が漂っている。背がコルレオーネよりも高いのがその印象に拍車をかけているだろう。


 しかしそれだけそれぞれに個性がありながらも、王族としての余裕が三人には共通して感じられ、不思議と兄弟であることが十分に理解出来てしまうのだ。


「……まあ派閥があるくらいだから、普通は仲が悪いものだと思うわよね。王位争いの絶えない王家が多いのだから、カオリの疑問はもっともだわ」


 カオリの疑問に理解を示すロゼッタだが、答えになっていない感想に、カオリは益々わけがわからないと表情で訴える。


「む、そうか、カオリ嬢には、我が派閥のものが暗殺者まで送り込んだ罪があったのだったな、あの時は本当に、迷惑をかけた。女性を殺そうと考えるなど、言語道断っ、件の男爵はすでに爵位剥奪の上、資産の没収および王領追放の形に処したのでな、今頃どこぞで魔物の餌になっているだろう、またそれを指示した上位者も見当がついておるゆえ、我が命で一部権利の没収が内々で済んでおる。しばらくは貴族間で影響力を失うだろう、また学園でのことも内偵調査から経緯を割り出しておる。もう我が派閥のものが、そなたに迷惑をかけることはないはずだ」


 一切の淀みなく、これまでのカオリへの貴族からの横槍を説明、また謝罪と今後の保証を述べるアルフレッドに、カオリは面食らって唖然とする。


「あ、はい、ありがとうございます?」


 それがカオリの精一杯の反応であった。


「兄さん……、自分の派閥の舵取りぐらいちゃんとしてよ、カオリ嬢が強かったからこれまで最悪の事態になっていないけど、普通なら今頃どうなっていたか……」


 アルフレッドを呆れた様子で非難するコルレオーネに、しかしアルフレッドは努めて平静に返す。


「普通の令嬢がこれほどまで派閥に目をつけられるわけがなかろう、普通でなかったがゆえに敵となり、普通でなかったがゆえに容易く返り討ちに出来たのだ。凡庸なのは我が派閥の名ばかり貴族連中の方よ」


 腕を組んでドカリと椅子に座るアルフレッドへ、みながそれもそうだと納得の表情を浮かべる。


「カオリ嬢の疑問に答えるなら、そうですね。僕達は派閥とは関係なく仲のいい兄弟だと思います。時折こうして互いに情報交換をしつつ、思ったことを気軽に言い合えるくらいには、です」

「なるほどです……」


 ステルヴィオの言うことが間違いない様子に、カオリは現在の王家の様子を理解する。


(つまり、派閥はあくまでそれぞれの貴族同士の勝手な対立で、王子達はたまたま旗印にされた。云わば被害者なんだ)


 どこの世界でも下の人間が勝手に自分の都合を押し付けて、仲間割れを起こすことがあるのだとカオリは納得した。

 家族経営の会社などで、兄弟でやり方が違えば、経営について部下同士で仕事の取り組み片がぶつかることがあるのと同じである。

 本人達は至って仲がいいのだが、都合よく頂点が複数いれば、同じ意見のもの同士で徒党を組むのは、至って自然の摂理なのだから。


「まあ、それについては私共も理解をしております。貴族達の勝手な行動を、しかし例え殿下達であれ御し切れぬのは無理もございません、伝統を重んじる傾向の強い我が国の貴族社会で、派閥の暴走をなくすのは歴史的にも至難の業、少なくとも事態の収拾には力の及ぶ内は、我々が王家を見限るつもりはありませんので、……カオリもここは私の顔に免じて、殿下達を責めないでちょうだい」


 このままでは話しが進まないことを懸念して、ロゼッタが一旦の区切りをつける意図をカオリへ暗に伝えれば、カオリもそれを察する。


「実害のあったものに関しては、きっちり報復しておりますので、むしろ王国の貴族を減らしてしまったことが、逆に申し訳ないくらいです」


 カオリが皮肉を言えば、アルフレッドはニヤリと口の端を上げる。


「ほう……、流石は新進気鋭の凄腕冒険者だ。貴族との戦を心得ている。我々も頭の足りない下らん貴族が減って感謝している。今後もそなたらに手を出す輩がいたならば、遠慮容赦なく斬り捨ててくれて構わない、俺が許可をしよう」

「僕の方も再三に渡って言い含めています。夜会でカオリ嬢のお仲間の獣人様に、教会関係者がなにやら話しかけたらしいので」


 アルフレッドが豪胆な許可を出すと同時に、ステルヴィオも鎮魂祭初日の夜会での一幕を挙げて発言をする。

 保守論派の筆頭に教会勢力を有するステルヴィオの派閥でも、カオリ達へ向ける関心が高い旨を伝えられ、カオリはこれにも努めて笑顔を向ける。


「さあこれで、互いの事情も思惑も理解出来たかな? いい加減謝罪合戦を切り上げて、今回の作戦の最終確認に移るとしようじゃないか」


 とにもかくにも、国家の次代を担う王子達が、一介の冒険者と面会するなど、過去に例を見ない機会であろう。

 それほどまでに、カオリ達の王家への貢献が並ぶものなき偉業だと云える。


「ひとまずは、今回の作戦に至るまでに、なぜこれほどに王都の格差や闇が広がったのか、その経緯を正式に説明させてほしい、なぜならこれら諸問題を、僕達王家が闇雲に放置していたからだと思われたくないからね」


 やや困った表情を作って見せるコルレオーネに、カオリは無言でうなずく。


「歴史を遡れば、王国の前身であるミリアンの治世で、この王都ミッドガルドは壊滅的なほどの被害をこうむったのは、知っているかい?」


 これに対してはカオリは首を振る。歴史を取り扱う参考書の類では、ミッドガルドがミリアンの軍門に下って併呑された事実しか記載されていなかったので、カオリの認識としてはそれほどの被害があったとは知らなかったからだ。


「彼の王が虐殺者と呼ばれる由縁になった【ミッドガルド戦線】で、かつて小国の古い都市に過ぎなかった王都では、城壁のことごとくが破壊され、住民もかなり犠牲になったんだ。王都がミリアンの軍勢に併呑された後は、王都として制定されて、復興も進められたそうなのだが、国の統治に感心が薄かったことから、かなり雑な区画整理がなされたのさ」


 西大陸の平定にこそ力を入れていた【虐殺者ミリアン】が、戦乱の只中で都市の区画整理にまで気を回す余裕があるわけがないと、コルレオーネは語った。


「そして現王家の始祖たるロートル家を旗印に、バイエ家、今ではアルトバイエ家の始祖達と云った、今の公爵家や侯爵家の協力の下、ミリアンを討伐して現王国の基礎を築いたのが四百年前になる」

「私のご先祖様はバイエ地方を治める領主だったの、今ではアルトバイエやオーババイエと、それぞれ本家と分家に別れて個別に統治してて、主家と分家で立場が変われど、変わらずバイエ家筋の家があの地を治めているのよ」


 ロゼッタが自家の由縁を語る言葉に、隠し切れない誇りを感じる。


「あ~、アルトとかオーバって方角とか立地に由来してたんだ。ほんとうはバイエ家って云う一家から興った血筋なんだね」


 地球にも似た名前の地方があったような気がするが、世界地理にそこまで詳しくないカオリでは、どこの国の話しだったかまでは思い出せそうになかった。

 次いでステルヴィオが続きを語る。


「彼の王と真っ向から対峙したロートル家が王家として、名をミカルドに改名し王に立った後、まず始めに着手したのが、王都の再開発と城壁の建造なんです。以前までの一重の低い城壁ではなく、二重三重に壁を設けて、外敵の侵攻からなんとしてでも王都を守るために……、ただやや性急に開発を推し進めたために、内部の区画整理が遅れてしまった。その最たる場所こそ、今回の作戦で対象となっている。今では【下水地区】と呼ばれている場所なんです」


 ふむふむとカオリはこれまでの経緯を頭の中で整理する。


「実はあの辺りには当時をそのままに残す貴重な建物や、採石場、墓地、工業施設なども残されていて、下手に開発の手が出せない事情もあるんです」


 ステルヴィオの言葉には、伝統を重んじる気持ちが滲み出ていたが、それを次はアルフレッドが厳しく言及する。


「綺麗な言葉で誤魔化すのはよせステルヴィオ、素直に言えばいい、古いとはつまり、その所有権が王家ではなく、当時からこの都市に住んでいた貴族や教会の手にあるがために、我ら王家であっても勝手に手を下せなかったとな」

「なるほどですっ」


 ようやく合点がいったとカオリは手を打つ、ミリアンの治世に表向き恭順しつつ、自らの所有不動産を保有し続けていた家々が、ミカルド王国成立後もその所有権を放棄せず。権利を主張し続けているのだと理解した。


「一見放置されて荒れ果てた様子の貧民街も、実はあちこちに由緒ある貴族達の固有資産である遺物や土地が、今も残っているんですね。だから王都内とは云え、王家が勝手に再開発出来なくて、手が出せずにいたら、この数百年ですっかり貧民の集まる区画になっちゃったんですね~」


 カオリの理解に、王子達は力強く肯定を示した。


「流石に建国以前からの歴史的遺物には、王家も口出しが出来ん、そこに各貴族家が裏稼業の隠れ家のために、あえて行政を遠ざけるべく工作しているともなれば、なおさら騎士団如きでは手が出せなかったのだ」


 しかしその悪しき伝統も、変わりつつあることが、今回の作戦の発令の大きな要因となっている。


「でも今回の作戦は、そのお話からずいぶんと踏み込んだ内容になりますよね。なにか決定的なことがあったんですか?」


 カオリがその要因を伺えば、王子達だけでなく、隣のロゼッタまでもが笑顔を浮かべた。


「それをカオリ嬢が知らないのが不思議でならないね。なんてことはない、ササキ殿と君のおかげなんだよ?」

「え、……ササキさんだけじゃなくて、私もですか?」


 困惑するカオリに、ロゼッタは自らいきついた答えを披露する。


「ササキ様がおこなった大粛清で、貧民街を拠点とする暗部組織や、それを影で支援する貴族家を、ことごとく撃退、摘発されたことで、今ではそのほとんどが力を失っているはずよ、しかもカオリは【泥鼠】さん達、貧民街出身の暗部を部下にして、現地の生の情報を入手したのだから、もはやあそこの闇も白日の下に出されたも同然、全ての摘発が可能かは分からないけど、街の大部分に手が出せる状況ならば、この機を逃すわけにいかないわ」


 ロゼッタの推測に、王子達は揃ってうなずいてみせた。


「王都に執着のない組織は、あの大粛清で早々に王都を脱出している。逆に現在王都に残っている暗部達はあそこを離れられない理由があるはずだ。カオリ嬢が抱える暗部も、そう云った事情を抱えるもの達だったのだろう、彼らと接触をもったのは偶然ではなく必然、またカオリ嬢の才覚あってのものだ。我ら王家が成せなかった内憂を、カオリ嬢は見事晴らす切っ掛けを作ったのだ。これを快挙と云わずなんと云う」


 アルフレッドはそういって視線に力を宿す。

 王子が勢揃いした本日の異例な席が設けられた理由を、カオリはようやく理解した。

 建国から続く王国の王都における闇を払う一大作戦、その功労者であるカオリを遇する王家の意図があったからだと。


「今回の作戦は歴史には記されることはないと思います。しかし紛れもなくミカルド王国きっての歴史的転換期となる重要な事変として、王家は決して忘れることはないでしょう、作戦の成否に関わらず。この作戦から我ら王家は、前を向いて次代を迎えられます」


 その言葉に乗せて向けられる視線には、紛れもない感謝と称賛が込められていた。


(いや~、私はただ身の回りの安全を守りたかっただけなんだけどな~、まさかこんなに大事になるなんて……)


 内心で素直な感想を浮かべながらも、表向きは慇懃に受け取ってみせるカオリ、きっとロゼッタだけはカオリの内心を理解してるだろう。




 かくして作戦当日の具体的な配置など、も踏まえつつ、大筋での協力の取り付け、参加人員などを確認してカオリ達は王城を後にした。


 カオリ達が協力を申し出たと云っても、作戦の主導は王家と王国騎士団が担う予定である。

 王国の法を犯した罪は、王国の正式な令状と、公的立場を有する騎士団でなければ、発令することが出来ないのだから当然である。

 むしろカオリ達の力を借りずにすむのであれば、それがもっとも理想的な展開であることは、王家の事情を知れば納得出来るものである。


 よってカオリ達の協力は、違法行為に手を染めた商会や組織の情報を、王家に提供した時点で、ある意味すでに終わっているとも云える。

 これ以上の協力はむしろ、王家の力不足を露呈する醜聞になりかねないと、王子達は暗にカオリからの協力には消極的な姿勢だった。

 屋敷までの道すがら、カオリはロゼッタになんと云うこともない風に質問する。


「王様とか王家とかって、もっと絶対的な権力を使って国を支配してるもんだと思ってたけど、案外そうでもないんだね~」


 これに対してロゼッタはやや考えて返答する。


「まあ、王家と云っても、元は一地方領主と云う側面もあるし、学者に言わせれば、王位も爵位の一つと云う捉え方をするのが正確な定義ね。ただ王国という同一名称の傘下を纏める君主、と云えば分かるかしら? 王国法の制定から軍への発令権とか、たしかに一部絶対的な権力は有しているけども、各領地の税制への介入はおろか、条例にまでは手を出せない以上、必ずしも完全なる支配者とは云い難いわ」


 やや小難しい説明をするロゼッタに、カオリは曖昧な返事を返す。


「へぇ……、じゃあ王家の役割って分かりやすくいうとなんになるのかな?」

「う~ん、臣民の安寧とかの話しじゃあないのよね? そうね……」


 カオリが聞きたいことがもっと現実に即した事柄であることを理解したロゼッタは、しばし黙考する。


「やっぱり武力を纏めること、そして各領地との経済的循環を円滑にするための橋渡し、かしらね? 同国内にある以上は、その富の配分を平準化して、かつ国内全体の生産性を底上げする。確かな統治も付け加えるべきかしら……、あら? もうすでに分かりやすく一言で言えなくなっているわ、ごめんねカオリ、私では手に余るかもしれないわ、帰ったらササキ様にお伺いしましょう」


 いやいや、とカオリは手で断りを入れる。


「もう十分だよ、本当に理解しようとするなら、それこそ貴族になって、国政に関わらないと無理っぽそうだし、知ったところでどうにもなんないしね~」

「あらそう? カオリならしっかり理解して今後の人生に役立ててしまいそうだし、どこかでちゃんと学んでも損はないとおもうけど……」


 やや残念そうにロゼッタは惜しんだ様子で肩を竦める。


「だって時代が変われば役割も変わるじゃん? 形とか名前とかにこだわっても、あんまり意味なさそうだし、それなら今王家が担ってる仕事の具体的な様子を聞いたほうが、よっぽど理解しやすそうじゃん?」

「言えてるわ、結局、国の運営に正解なんてないのだもの、現在の在り方がそのまま歴史と慣例になっていくもの、形だけの知識を学んでも、私達の生活に役立てられないのなら価値はないものね」


 まるで他愛のない様子で苦笑する二人を、しかし御者台でそっと耳を澄ませていたビアンカは、盛大に溜息を吐く。


「……それを分かっている時点で、すでに十分に理解していると思うんですけどね」


 昼も過ぎたころ、カオリ達が王子達と会談をしていた一方、国王と会談をしていたササキも帰宅し、カオリ達は早速報告と雑談をかねて、ササキの執務室を訪れた。


「ビアンカ殿から、随分と政治について話しが盛り上がったようだと聞いている」


 ササキの問いかけに、カオリとロゼッタはやや照れ臭そうにする。


「だが政治の前に、君達はまず商業や経済、とくに商会設立に関する知識を学ぶべきだ。まあ何事にも興味を示すことは大変喜ばしいことなので、追々機会があれば、学ぶ機会を設けるつもりだ」

「ありがとうございます」


 ササキの言にカオリ達は居住まいを正す。


「こんなことを言えば身も蓋もないと思うかもしれんが……、所詮政治なぞ、経済の後追いでしかないのだからな」

「それはなぜなのでしょう?」


 ササキの言葉に、ロゼッタは疑問を呈する。

 王国の貴族社会で育った彼女からすれば、貴族が政治を司る一方で、商人が経済を担うという認識が強かったためだ。

 もちろん税の制定により経済へ介入する力をもつ貴族も、ある意味で経済活動を担っているというのは理解出来る。

 しかしササキの言では、経済ありきで政治が成り立っているように聞こえるからだ。


「経済とは、人が形成する生産活動、あるいはその体制を指す言葉だ。つまり技術の発展や規模の増大により、肥大かつ複雑化したそれら経済の流れを、調整するのが、政治の本質とも云える」


 一呼吸をおいてササキは続ける。


「新たな製品新たな技術と云うものは、へてして旧体制を破壊するもの、そうやって形作られる時代に、人が取り残されぬよう、格差の偏重が起きぬよう、規制し緩やかにするために仕組みを考えることで、国政に混乱をきたさぬよう工夫する必要があるのだよ」


 座した姿勢から小揺るぎもせずに、ササキは首だけがカオリ達へ向き直る。


「貴族令嬢のロゼッタ君であれば、十分に理解していることと思うが、人の欲とは水か低きに流るるが如く、常により安く、より便利なものへと移ろいゆくものだ。どうしても古いものは淘汰されるのが世の常、果たして政治なき経済に、真の平等なる平和と安寧があると思えるかね?」


 逆に問うてみせるササキに、カオリとロゼッタは互いに視線を交わす。


「つまり、政治とはあくまで、移ろいゆく時代を、後から調整するための仕組みでしかないという意味でしょうか?」

「政治があるから経済が発展するんじゃなくて、経済が発展したから、政治が機能する? いや、政治が求められるって意味かなぁ?」


 二人が自分なりの言葉に置き換えて理解に努める様子を、ササキは微笑ましげに見守る。


「いつの時代でも、歴史を変える転換期には、旧時代を揺るがす要因があるものだ。そしてその時代を切り開くのは、英雄でもなければ王でもない、第一歩を踏み出した第一人者が必ず存在する。さあ、果たして彼らは何者なのだろうか?」

「……」


 答えを求めているようで、正解などないようにもとれるササキの笑みに、二人はどうにも言葉が浮かばなかった。

 そこにコンコンと、扉打ちが鳴る。


「ササキ様、ただ今イゼル様とカーラ様のお二人の市場調査から戻りました」


 ステラからの帰宅の報が入る。


「さあ途方もない禅問答はここまでして、我々は目の前の一歩を踏み出すために、着実な準備を進めようじゃないか、ステラ殿もどうぞ入ってくれ」


 手を鳴らすように両手を組んだササキが、長安楽椅子指し示し、二人に着席するように勧める。


「……失礼します。ササキ様」

「し、失礼しまぁす……」


 ステラが開けた扉からイゼルとカーラの二人が恐る恐る入室すれば、そこにカオリ達の姿を認めて、二人はやや驚いた表情を浮かべる。


「そうか、お二人は昨日夕市に、今日は朝市に調査にいってたんですね」


 カオリが昨日から今日までの二人の予定を思い出し、自分達が絶妙な間でササキの執務室に集合したのだと知る。

 ステラが人数分の茶の用意に下がれば、執務机に座るササキの前に、女性四人が互いに対面に集合した。


「さて、茶を待つ間に、イゼル殿から調査報告を聞かせてもらえないだろうか?」


 ササキが促して、イゼルが手元に数枚の資料を広げる。


「え~と……、昨日と今日で主要な市場の他にも、各店舗や商会にも足を運び、取り扱う商品の品目や価格を、おおまかにですが調査して来ました。多少の物価変動はありましたが、私が知る範囲でもとくに突出した高騰も下落もなく、安定している様子です。ただやはり、全体的に地方と比べて高く感じるのは否めません」


 イゼルが商人の娘としての知識から所感を述べる。


「食料品の品質が高くて驚きました。やっぱり王国は肥沃な土地が多いんだって、改めて実感します」


 カーラも自分なりに感想を口にする。


「村から輸出する商材の価格の設定、問題なさそうですか?」


「森や平原の魔物や動物の毛皮、薬草類が主で、主力はアンリちゃんのポーションと云うことだから、販路途上の各街にも少量卸しつつ、大半は王都で販売するのよね?」


 うなずくカオリにイゼルはしばし考える。


「どうしてもっとも売上が期待出来る王都だけじゃなく、途上の街にも卸すのかしら?」


 イゼルのもっともな疑問には、ロゼッタが答える。


「私達の村と、王都までの道程には他の領地が一つもなく、一直線に続いています。それはつまり王国領の南北の物資輸送には、必ず王領を経由しなければならないと云うこと、ならば各商会と取引することで、途上の物価変動や市場動向を探る意味があるからです」


 ロゼッタの説明から、カオリ達が交易で村を豊かにする以外に、イゼル達に情報収集を期待していることを察する。


「あと出来れば運輸業も兼業出来ればいいな~って思ってます。折角大きな荷馬車に護衛までつけて移動するんですから、人であれ物資であれ、便乗させて利益を出せればって感じです」


 ふむふむとイゼルは理解を示す。


「なら商材や価格に関しては、恐らく問題はないでしょう、品質は別としても、村から運ぶ商材は、ごく有触れた。けど生活に必要なものばかりの手堅い商売だもの、よほどのことがなければ、赤字になることはないはずよ」


 大自然から採取出来る都市部では手に入りづらい品を王国に売り、代わりに食料や衣類といった生活必需品村へ持ち帰る。至って健全な商いであるとイゼルは保証した。


「なら従業員の確保や育成に関してはどうかね?」


 ここでササキがイゼルが本来懸念する事項に切り込む。


「……そうですね。王都の品質管理や接客態度も注意して見ましたけど、やっぱり大店ともなれば貴族相手や中流層向けの商いだからか、私の知る水準より高く感じます。とくに食料品は腐敗を防ぐ観点から、間違いなく保冷の魔道具が活用されていますし、それらの維持管理のための人材確保は容易ではないはず。制服の着用から衛生管理も、地方とは従業員教育にそれなりに期間と費用をかけているでしょう」


 やや身を固くして視線を宙空で彷徨わせるように、イゼルは自信のなさを言外に滲ませて語る。


「正直に申しますと、私一人の知識では手に余ります。商会立ち上げからしばらくは、試運転も兼ねて教育者をつけていただかないいと、満足出来る水準を維持するのは……、難しいです」


 ここははっきりと告げておかなければいけないと、イゼルは恥を忍んで告白した。

 たしかにここで躓けば、間違いなく商会運営で後々に問題が生じるのは必至である。

 お客様をだいいちに考えた接客態度と、品質の維持管理と云うのは、口で言うほど簡単なものではないことを知るイゼルからすれば、扱う商品の品目以上に、そのための教育がどれほど重要かを、カオリに理解してもらわなければと必死なのだ。


「それはもちろん承知してます。教育係にはステラさんやダリアさんにも協力をしてもらって、品質管理に必要な設備には可能な限り資金を投入します」


 もちろんカオリも現代日本の常識から、接客業や物品販売が簡単な商売ではないことは知識として知っている。

 街中のコンビニ店員に至っても、大変だな~ということは、見ていてわかるのだから当然であろう。


「ああそれと、これは立ちあげる前に確認しておきたかったのだけれど、今回設立することになる商会は、村の御用商人、つまり政商って認識でいいのかしら?」


 しかし続けて向けられた質問の意味がわからず。カオリは首をかしげてしまった。


「御用商人っていうのはなんとなくわかりますけど、政商ってなんでしょう?」


 これに対してはロゼッタが補足する。


「国や領主と協力して、事業に取り組む商人や商会のことよ、例えば公共事業にかかる物資手配や人員斡旋なんかも、これら政商の役割だわ、他にも商品開発や土地活用も範疇に含まれるから、えてして癒着や談合の温床になりがちだけど……、都市部でない限りは、円滑な事業運営には欠かせない関係ね」


 国際的な商業法もなければ、独占禁止法なども存在しない未発達なこの世界で、権力者と商人の癒着は決して悪いものではないと云うのがこの世界の常識である。

 もちろん王都ほどの大都市ともなれば、悪意ある物価の操作や、不平等な商取引は、ある程度監視規制されてはいるが、それでも他者を著しく貶めない限りは、罪であるという認識すらされないのが普通だ。

 カオリからすれば言葉だけ聞けばやや嫌悪感を覚えはすれど、だからと云って頭ごなしに否定する気にはならず。やや曖昧な表情になってしまった。


(ああ~、財閥とかのことかぁ……、まあ時代的に普通のことだもんね。政治と経済、こんなの国の仕事だし、私達には関係ないかなぁ……)


 日本の明治維新を題材にした大河ドラマに、それに関連した人物の話しがあったかと思い、カオリはそれも仕方がないことかと納得する。


「将来的には誰にでも商売の機会を与えて、村がもっと発展できる仕組みにはしたいですけど、あんまり甘いこと言ってると、権力者に隙を見せてしまうでしょうし、当面は地盤強化に集中するべきだと私も思います」


 カオリがそう告げれば、イゼルは目を瞑って一瞬黙考し、すぐにカオリの意図するところに理解を示す。


「カオリちゃんの資本で設立する商会だもの、設立資金の返済のためにも、安定した利益と商機の拡大は必須だわ、カオリちゃんがそう云うところにも理解があって、正直安心した……」


 どうしても重要なことだったようで、イゼルは目に見えて安堵した様子である。ただ隣のカーラはなんのことだか理解が及ばず。曖昧な表情で居心地悪く感じている。


「ついでだからこれも確認させてほしいのだけれど、返済期限と金利についてはどう考えているの?」

「う~ん、そもそも返済する必要ってあります? 貨幣の流通の件もあって、村にとっては必要な事業ですし、別に私はどっちでも――」


 しかしことここに至って、カオリの返答に目を丸くする一同は、怪訝な表情でカオリを見詰めた。


「それは駄目よカオリちゃん、それこそ不平等な癒着だわ、村に貢献したいと考えている以上、私達は自分達の才覚と努力で、村に利益を還元して、初めて村に認められる商会になれるのよ、ここで一方的な援助なんかに甘んじたら、村人のみんなとの間に格差が出来てしまうもの」


 一見すれば村のためにと無償の援助を考えていたカオリを、イゼルは冷静に否定する。


「その通りよカオリ、村の開拓業だって、将来的には初期投資を回収出来るようにするための開発なのよ? 商会だって営利組織なのだから、商会関係者の生活基盤を売上で維持する以上、初期投資をカオリに返すのは当然の責務なのよ?」


 カオリは二人の剣幕に思わず身動ぎする。


「ひぇ~、わかったよ、借りたものは必ず返す。でしょう? 大金貨数百枚のお金がいつか反って来るのが想像出来なかったんだってばぁ、そんなに責めないでよ~」


 会話の内容の高度さに比べて、そこはやはり気心の知れた若い女性同士の会談である。

 どこか姦しくある和やかな雰囲気で進められる話を、一人空気と化したササキは、ステラの淹れた紅茶を静かに啜りながら、大変穏やかな心情で眺めていたのだった。


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