( 話題沸騰 )
「ゴーシュさん、お久ぶりです~」
「おうイソルダちゃん、お疲れさん」
王都から東へ数百里に位置する最東端の王領の都市。エイマン城砦都市の冒険者組合エイマン支部にて、月に数回おこなっている物資の買い付けおよび魔物素材の換金の仕事で立ち寄ったゴーシュは、組合に併設された食堂で、食べ慣れた冒険者向けの肉料理に舌鼓を打ちつつ、市場で手に入れた機関誌を片手に、受付嬢のイソルダに挨拶を返した。
「それにしてもカオリちゃんすごいですねぇ、あっという間に有名人になっちゃいましたね」
「流石はカオリちゃんってか、まさか王家ご用達の冒険者になって、隣国の紛争地帯で大活躍とは恐れ入ったぜ」
噛み潰した固い肉を麦酒で胃に流し込みながら、ゴーシュは素直な称賛を述べる。
「でも俺がこっちに来る前に村にも顔を出してくれたけどよ、開拓関係の話し以外はなにも言ってなかったから、これ見るまで王都での活躍なんて知らなかったぜ」
歯に挟まった肉片を下品にも指の爪で取り除こうと躍起になる姿に、イソルダはやや蔑みの視線を送りながら両手を組む。
「そう云う気取ったところのないのが、カオリちゃんのいいところですよね~、素直で頑張り屋さんで、なにより可愛い!」
なんとか歯に挟まった曲者の排除に成功したゴーシュは、怪訝な表情で手を拭き、口直しとばかりに麦酒を煽る。
「でもここの支部に繋ぎ止めようとして振られたんだろう? もうあっちで実績を残しちまったなら、ここの支部にゃあ用なしかもな~」
ケラケラと笑うゴーシュをイソルダは睨みつける。
「ゴーシュさんは結局、カオリちゃんの関係者の立場をもらっていいですねっ! 私なんて【ソウルイーター】討伐以降会ってすらいないんですよ!」
まあまあとイソルダを宥めるゴーシュだが、どうして彼女がカオリにここまで執心するのかわからず苦笑を浮かべる。
「目をかけてた新人が有名人になる気持ちはわかるがよ、ササキの旦那と一緒にいる以上、もう雲の上の存在になりつつあるだろ? 前みたいな気安さでこれからも話せるかは微妙だぜ? なんてったってカオリちゃんは村の盟主だ。そのうち貴族様とか王族とも対等に話せる立場になろうよ」
片眉を上げて意地悪く笑うゴーシュに、イソルダは溜息を吐く。
「そうなんですよねぇ……、カオリちゃんが初めてここの支部に来た時は、実力をつけてもらって、将来的にはカオリちゃんの専属担当になれればって思っていたんです」
「ほっほう、そいつは豪儀なことで」
イソルダの想いを初めて聞くゴーシュは、その気持ちを理解する。
専属担当とは、しがらみを嫌う多くの冒険者などが、仕事の斡旋時に特定の職員だけを指名して各種手続きや、大型案件などで交渉役として重宝する冒険者側の窓口である。
とくに金級以上の高位冒険者ともなれば、常に現場に駆り出される機会が多く、また指名依頼も当然多くなる。
そうなれば依頼料や仕事の進め方について、依頼主と直接交渉も必要な場合が出て来るのだ。
そこで自分達をよく知る職員がいれば、依頼遂行に必要な準備期間や経費を含めた神経を遣う面倒な交渉を、その職員に一任することが出来る。
不特定多数の冒険者へ向けた依頼の多くは、冒険者組合の手数料を考慮しつつ、より成功率を高めるために、比較的多めの値段設定を設けているものだ。
しかし指名依頼は冒険者本人の特性を考慮して依頼される場合が多く、場合によっては依頼料を大幅に安く設定することが出来る。
例を挙げるのであれば、元狩人冒険者カムなどと云った。常に狩場を森林地帯に限定している冒険者に、希少な薬草の採取を依頼した場合、他の依頼のついでにお願い出来るために、移動費や食費や運搬費と云ったかなりの部分を削減出来てしまう、なにせ依頼があろうがなかろうが、カムはいつも森で活動しているのだから、依頼そのものが彼にとってついでの用事感覚に過ぎないのだから。
そう云った事情で依頼料の交渉をも専属担当に一存した場合、多くの高位冒険者は、お礼も兼ねて担当職員に依頼料の数割を支払うことが通例となっている。
また冒険者組合内で重要な存在である高位冒険者を、遇する組合側の配慮から、専属担当は可能な限り時間を空けられるように取り計らわれる。
つまり担当する冒険者が休暇で街にいる場合や、遠方へ長期逗留する場合など、その専属担当も彼らに合わせて、繁忙期でも通常業務から離れることが許されるのだ。
結論、実力のある高位冒険者の専属担当になった場合、基本給の他に礼金として多額の臨時収入が見込める上に、組合内でなくてはならない人員として安定した地位を約束されるのだ。
「今のカオリちゃんなら、たしかに専属担当がいても不思議じゃあないだろうな……」
あくまでも実力を考慮した上での評価ではあるが、カオリとカオリのパーティーである【孤高の剣】のメンバー全員の能力を知るものとして、ただ面倒だからと、専属担当を欲するかは微妙なところだと思うゴーシュである。
政治と貴族社会に精通するロゼッタはもちろん、軍事に明るいアイリーン、カオリ自身も柔軟な発想の持ち主ではあるし、そもそもカオリ達にはアキを筆頭にそれぞれに従者がついているのだ。
つまり社会的知識も十分に備えている上に、人手も足りている状態なのだ。わざわざ組合職員から人員を出させるような、悪く云えば無関係な立場である信用出来ない赤の他人を、重要な交渉事に重宝するとは考えづらかったのだ。
「私も今年でもう二十二歳ですし、結婚の支度金とか、色々考えてるんです。カオリちゃん達なら同性ですし、出産とか育児とかに理解をもってもらえるでしょう? なにより気難しいおじさん達より、やっぱり可愛い女の子達と仕事がしたいじゃないですか~、だから色々目をかけてたんです!」
両拳を握る勢いで捲し立てるイソルダに、引き気味の様子でゴーシュは頬を引き攣らせる。
「そうは言ってもよ、そもそも村の盟主のカオリちゃんだ。エイマン支部に限らず。一つところの冒険者組合にずっといるわけじゃねぇだろ? 俺なんか村の仕事で帝国領のモーリン交易都市の組合にもいかされるんだ。一都市で収まる器じゃあねえんだよカオリちゃんは、専属になったところで、楽が出来るなんて安易過ぎるぜイソルダちゃん」
ゴーシュ自身カオリからの指示で、これまであちらこちらと出張をさせられており、カオリ関連の仕事が決して楽ではないことを理解している。
日々の斥候依頼を通常業務とし、こうして定期的に物資の運搬や買い付けもゴーシュ達【蟲報】が担うことが多い。
また元村人だった現村人達の村への護送など、気の抜けない重要な仕事もこなして来た経験から、もはや普通の冒険者としての常識で、カオリからの仕事を楽観視出来ない立場でもある。
「もし仮にイソルダちゃんが専属担当になるような場面を考えるならよ、王都とかここだけじゃない、帝国の冒険者組合へも出張らなきゃならねぇかもしんねぇぞ?」
「え?」
ゴーシュの言葉に固まるイソルダだが、ゴーシュは構わずに続ける。
「しかも交渉相手はお高くとまってる貴族連中じゃねえ、金に細けぇ商業組合とか職人連中だ。仕事の内容的にはでかいだろうが、その分専門知識がなきゃあ交渉にすらならねぇ……、加えて云うなら逆に依頼することだってあるんだ。だって村の盟主様だぜ? 最悪大型顧客として組合が頭を下げて仲介をお願いする未来だってあるんだ。イソルダちゃんそんな重要案件の担当として、ずっと拘束される覚悟あんのか?」
ゴーシュの予想は、しかしかなりの高確率でいつか訪れる未来予想図である。なにもかもが普通の冒険者とは違うカオリ達と付き合って来た彼にとって、これはもはや現実味のある話しなのだ。
「カ、カオリちゃんって、そんな大変なことまで自分達でやってるの?」
敬語すら忘れて身を固くするイソルダに、ゴーシュは溜息をついて返答する。
「云っとくがカオリちゃん達は異常だ。お嬢達と云う貴族令嬢の入れ知恵もあるだろうが、商会顔負けの細けえ帳簿管理から、地方領主なんて目じゃねぇほどの開拓指揮と予算管理で村を運営してるんだ。村関係者は俺等も含めて全員が、なんらかの形でカオリちゃんを心酔してる奴ばかり」
杯に残った数滴の酒も残さず舐めとり、ゴーシュは頬杖をついて流し目でイソルダを見やる。
「ぶっちゃけカオリちゃんと仕事するならよ、支部長級の責任者じゃないと務まらねぇって俺は思うけどな、なにせ元騎士のオンドールの旦那とか、神鋼級冒険者のササキの旦那とか、ただもんじゃねぇ知識者から教えられてるんだ。もうやってることは領主貴族並みの高度さだろうぜ」
絶句するイソルダを横目に、すでに空になった杯を指先で視界から押し出して笑うゴーシュ、そんな二人の会話に、突然割って入る人影があった。
「ゴーシュの言う通りだが、一つだけ訂正すべき点があるぞ」
「し、支部長! いつから聞いてたんですか?」
「おうおう支部長さんよ、人が悪いぜ」
驚くイソルダと気安いゴーシュだが、エイマン支部支部長であるベルナルドは、不敵な笑みと共に、机に一枚の書類を出す。
「カオリ君と一緒に仕事をするなら、支部長である私でも手に余る。と云うことさ」
差し出された書類に一緒に目を通すイソルダとゴーシュは、みるみる内に顔を青くしてゆく。
「はあ! 王都からエイマンを経由した村までの輸送路の安全と、運搬費用諸々の経費算出と調査あぁ?!」
「これを継続する場合の護衛依頼における。依頼形式の検討って、どう云う意味です?」
書かれた文章の内容に驚く二人に、ベルナルドは二人の肩に手をおきながら詳細を説明する。
「なんでも、カオリ君は王都で商会を設立するべく、村の特産品を王都とここエイマンに卸すための販路を作りたいそうなんだ。それにあたってその経路にかかる経費の算出に加え、各都市で冒険者を雇った場合と、村から専属の護衛をつけた場合の相見積もりを見たいそうでね。場合によっては安い冒険者を雇える経路選びなど、各都市の組合とも交渉出来る人員を派遣してほしいそうなんだ」
ベルナルドの言葉の意味を徐々に理解し、二人はさらにうろたえる。
「で、でもよ、別に俺でなくてもいい話だろ? それこそ王都の優秀な冒険者とか、もっと数字に明るい連中が担当すべきじゃあ……」
「まってくださいよっ、私を見捨てる気ですかゴーシュさん! それに支部長っ、各都市の組合で交渉って云うことは、王都までに立ち寄る組合全部に、見積書を提出させて値下げ交渉をしなきゃならないんですよね? 私そんなことをしたらどこの組合にも顔を出しづらくなるじゃないですか!」
どこの世界でもお金に関するやり取りは、一番神経を遣う交渉である。相手の弱みにつけ込んだ強気な姿勢で挑まなければ、大きな仕事をする場合、予算はどこまでも膨れ上がっていくのだから、誰もが必死になって激論を交わすのだ。
それによって仕事を通じて険悪になることで、仕事外で会う時などに、気まずい関係になるなどよくある話しだ。
どれほど過激に交渉した後でも、笑顔で握手を交わすなど、生粋の商人以外は誰もやりたがらない仕事と云えよう。
「そ、それによ、ここから王都までどんだけ時間がかかると思ってんだよ、効率よく進んでも往復で二月はかかるんだぜ?」
ゴーシュの言葉にイソルダも激しく同意を示す。
だがベルナルドは柔和な笑みを浮かべる。
「専属、いい言葉じゃないかぁ、ゴーシュは冒険者として、イソルダ君は組合職員として、カオリ君専属担当になれるんだ。我々は大いに期待しているよ、はっはっはっ!」
カオリが王都に活動拠点を移してからこっち、上からのカオリを紹介しろなどと云った催促から解放され、ここ最近は穏やかに通常業務に励んでいたところでの、カオリから王都本部を通じて舞い込んで来た依頼である。
ちなみ余談だが、貴族を通してカオリを紹介するように強く要請していた王都本部の上層部であったが、現在はカオリがことあるごとに王家という最高顧客をつけたことで、逆に木端貴族からの紹介を断らなければならない状況となり、ベルナルド的には間接的に意趣返しが出来たとほくそ笑んでいる。
そんな彼だからこそ、今はカオリともっとも縁のある責任者として認知され、またそのために策を巡らせているところだ。
エイマン支部がササキに近付きたいと云う思惑から、ゴーシュを村の開拓業に送り込む判断を下したベルナルドなのだ。今回もゴーシュを名指しで指名するのは当然であり、交渉役として経験豊富ながらもまだ年若く、カオリと同性のイソルダを選ぶのは必然と云えた。
また恐らく王都本部の入れ知恵なのだろう、専属担当と云う制度を、エイマン支部宛ての依頼書の文面に盛り込んだあたりに、カオリのベルナルドに対する配慮と悪知恵が感じられた。
これで村にもっとも近いここエイマン支部を、カオリ達が懇意にすると云う姿勢が、王都本部の上層部に伝わったことだろう、これによりベルナルドもエイマン支部支部長としての地位を後押しする効果が期待出来る。
組織内の上下関係の機微を理解するカオリらしい声援に、ベルナルドは思わず苦笑する。
ただし誰が実務の苦労を背負うかは、あくまでベルナルドの匙加減ひとつである。ここは若者に大いに働いてもらおうと、久々に自分の手ずから書類を二人の名前で処理までした。
この依頼が完遂した暁には、カオリ達からの長期かつ継続的な護送依頼が約束され、大口の案件として、また神鋼級冒険者ササキとの重要な繋がりとして機能することが期待出来る。
「道中の旅費は組合から出す予定だ。これも大口案件獲得のための必要経費として、我々からも配慮する必要があるからな!」
胸を張るベルナルドを前に、二人は同時に頭を抱える。
「それってっ、値下げ交渉した後で、宿代までせびるって意味じゃないですか! 職員仲間に絶対白い目で見られるやつじゃないですかー!」
言葉の意味を理解して身悶えするイソルダと――。
「また出張かよぉっ、仲間になんて説明すりゃあいいだっ、ちくしょおぉー!」
絶叫するゴーシュの声が反響する。
ところ変わって村での開拓業にて、オンドールは自らも資材の運搬を手伝いつつ、カオリの元奴隷仲間であるイゼルから、ある相談を受けていた。
「ふむ、商会設立に伴った特産品の目録作成と、将来の職員育成における人選か、もっと先の話しだと思っていたが、件の紛争地帯での作戦で、難民の受け入れなどの目処が立ったのだろうか」
「そうみたいです。先月くらいに商会長として指名してもらいはしましたが、私もそんなに早く話しが進むと思ってなかったので、まだ色々整理しきれてなくて……」
王都でも並行して仕事をこなすアキがまとめた指示書の中にあった書類を受け取ったイゼルが、現在村の監督業を総括するオンドールを頼ったのだ。
「たしか貧民街での違法な商会などを一斉摘発すると云う話も、別の報告書に記載があった。そこにも書いてあるだろうが、カオリ君のことだ。新たな雇用の創出も視野にいれた。村の地盤固めを考えているのだろう、となれば職員には一定の基準を設けて、慎重に人を選ぶ必要があろう、実際に面接を設けるなどで、最初の選定にはカオリ君達自らも参加するはずだ」
カオリの性格上、初めての試みはカオリ自身も参加するのは、この村の開拓以来ずっと続けられている恒例行事である。
「であれば、イゼル君はとりあえずはこの村での商館で働く部下を考えるだけでよいだろう、村人達とはずっと交流しているのだから、それなりに人となりは理解していると思うが?」
カオリの設立する商会は、あくまでも村が本拠地であり、商会長にイゼルを据えるのは当初から決まっていたことである。
であるならば、このまだ小規模な取引しか望めない当面は、商品の目利きや荷運びなど、単純な作業を任せられる人員がいれば十分とも云える。
しかしイゼルの懸念はそれ以外のところにあった。
「確かに村の皆さんとはずいぶん距離を縮められましたけど、やっぱり元は他所者の私が長となるのは気が引けて……」
いつになく弱腰な姿勢を見せるのは、いつでも冷静な判断と確かな知識から余裕の態度を崩さないオンドールが相談相手だからである。
人を見る目のたしかなオンドールである。冒険者でありながらも、開拓責任者代行という業務も確実にこなす壮年の元騎士を、誰もが尊敬しているのは事実、イゼルとしてはオンドールに口添えしてもらえれば、村人達もイゼルの下に就くことに、嫌な顔をしないだろうと云う打算あっての相談だった。
「はっはっは、それを云うならばカオリ君だって元は部外者だ。だが今では村の盟主として仰がれる立場、真に村を想い、発展に尽力する姿勢さえあれば、上だの下だのと子細を口にするものなど、この村にはおらんよ」
オンドール自身も外部の冒険者であるが、今ではその経歴から来る豊富な経験と知識を認められ、開拓業における監督業務を代行する立場にある。
オンドール的には元村人の面々にも、重要な役職をつけた方が、後々に均衡を保てるのだがと懸念はしている。
しかしよく云えば適材適所、悪く云っても実力主義でもって村が運営されている現状、肩書だけの役職などは反って反発を招くことになると、オンドールも言及しないつもりである。
「商会で取り扱う商品の価格設定はだいたい終わってますが、それでもやっぱりその道の本職の方々から見れば、まだまだ目利きが未熟なのも不安ですし、治療薬以外、目立った主力となる商品がないのも……」
次から次へと沸き上がる不安を口にするイゼルへと、オンドールは優しげな視線を送る。
「急遽立ち上げの商会だからなぁ、最終的には上手く回るとは思うが、やはり最初は皆の協力なくしては立ちゆかんだろうなぁ」
商売自体には経験がないのは流石のオンドールも同じ立場だ。ここは無理に励ますよりも同じ目線で不安を共有した方が、イゼルの気持ちに寄り添えると判断し、困った風を装うのは、年の功であろう。
「なんならいっそカオリ君達に会いにいくのはどうだろう? 彼女達なら君の不安を些事だと無下にすることはないはずだ。むしろ一緒になって悩んでくれることだろう」
「ええっ、そんな……、王都で頑張ってるカオリちゃんの負担になるようなことは出来ませんよ!」
オンドールの提案に驚くイゼルだが、正直な気持ちで云えば、ここ最近は直接言葉を交わせていないカオリと、出来れば具体的な展望などについて、詳細な打ち合わせがしたかったイゼルは、言葉ではそう云いながら、期待の眼差しをオンドールへ向ける。
「私も難民受け入れなど、開拓にまつわる質問があったところだ。渡りに船だと思ってくれていい、早速遠話で予定を確認してみよう」
あくまでも自分の都合に便乗すればいいと云って、イゼルの不安を肩代わりする姿勢を見せる余裕が、彼が頼られる大人の余裕なのだろう。
イゼルと別れて集合住宅へ一旦戻るオンドールは、現在この集合住宅へ居を移しているので、着替えや食事など、生活や仕事の拠点が集合住宅になっている。
カオリ達が学園生活を初めてから数カ月で、住民の住む家屋もほぼ完成したために、今この集合住宅に住むのは、大工集団のクラウディア達と、石工集団のエレオノーラ達、そして家族を持たないイゼルやカーラ達が中心である。
しかし部屋数は十分にあるとして、仕事で書類などを各自で保管する必要のあるオンドールやイスタルなども、部屋を借りる必要に迫られ、今は【赤熱の鉄剣】も共同生活をしている。
男は一階で女性陣は二階と綺麗に分けた形で、空き部屋はまだまだあるのが現状だ。
「あ、オンドールさん、お疲れ様です」
男達の代わりに家事をこなす奥様集団を手伝うカーラが、給仕よろしく出迎えるのに、オンドールは笑顔を向ける。
「ダリア殿はご不在かな?」
「はい、今は学校へいかれているはずです」
アイリーンの従者にして村の事務仕事を一手に引き受けるダリアへも、一言伝えておこうと考えたのだったが、入れ違いになったかとオンドールは肩を竦める。
「それにしてもカーラ君も、最近仕草が上品になったかね? おっと、以前が下品と云うわけでは当然ないから、気を悪くしないでほしい」
僅かな違いを目敏く指摘するオンドールに、カーラはやや照れ臭そうにはにかむ。
「イゼルさんと一緒に、礼儀作法を身につけなきゃって、ダリアさんを真似て勉強中なんです。私も商会を設立したら従業員として働かせてもらう予定なので」
元田舎の農民の娘で、奴隷として売られた経歴からかけ離れ、今ではやや垢抜けた所作を身につけつつある彼女も、カオリの計画する商会の関係者である。
こう云ったところから人を育てる意識改革を始めるところが、彼女達からの相談に親身になって応える由縁であると、オンドールは思う。
「実はイゼル君と共に、カオリ君達へ商会設立に関する諸々の相談がしたくてね。我々の方から王都に出向こうかと思っているのだよ、よかったら君も同行するかね?」
今後の予定をカーラに伝えるのは、彼女も商会関係者であるからだ。
「ええっ、王国の王都にですか? それに向かうのってササキ様のお屋敷ですよね? そんな、私みたいな帝国の田舎の娘が、恐れ多い……」
元は帝国の民であるカーラからしてみれば、王国の王都など一生縁のないはずの場所である。
現在は事実上の停戦状態であるとは云え、元が敵国の民であるのと同時に、単純に都会への気後れもあってただただ驚く彼女に、オンドールは柔和な笑みのまま続ける。
「なに、今は帝国だろうが王国だろうが関係のない身柄だ。そう気負うこともない、ササキ殿も別に王国貴族と云うわけではないし、今では料理人見習いとして村からも人を派遣しているくらいだ。未来の商会関係者である君は十分に資格を備えている」
例え元敵国の民であったとは云え、今は国の庇護下にない開拓村の住民に過ぎないカーラとイゼルである。元々入市税の支払いと、紹介状や身元保証さえあれば、出入りはそこまで制限されない王都にあって、別段後ろ暗いところのない二人なら、縁故を頼って王都にあるササキの屋敷に出向くのに、不都合などありはしない。
「では少々……」
オンドールは小さく断りを入れてから、懐に仕舞っていた魔道具、【遠話の首飾り】を取り出して、魔力を込める。
開拓着手初期に、カオリ達がもつものと同様の魔道具をササキから預かって以来、恐らく初めて使用するそれを、少々の緊張感を伴って利用する。
『え~こちらオンドール、聞こえますかな?』
『む? もしもしこちらササキです。オンドール殿からの連絡とは珍しいですな、緊急事態ですかな?』
やや間抜けなやり取りを経て、オンドールは簡潔に用件を告げる。
『ほうほう、なるほど、であれば私からカオリ君に伝えることは出来ます。ですが手元の円盤を回せば、任意の相手に直接連絡がとれるようになっております。どうせなら直接伝えますかな?』
『おおそうでしたか、たしかに緊急事態を想定して、私に預けてくださったゆえ、ササキ殿だけに繋がるものと勘違いしておりました。そう云うことでしたらご利用させていただきます』
初めて知る画期的な機能に驚きながら、改めてカオリに連絡を試みる。
『え~、モシモシ、カオリ君かな?』
『はいもしもし? オンドールさん?』
先程のササキへの通話で、出だしにもしもしと付け加えるのが作法なのかと思い、真似てみたところ、カオリが自然と返してくれたことで、なにか可笑しくなってしまったオンドールは苦笑を漏らす。
『オンドールさんが遠話をくれるの初めてですよね? どうかしましたか?』
明るい口調で応答するカオリへ、ササキはことの次第を伝えれば、カオリは喜んで歓迎の意を返す。
『なら代わりにアキを送りますので、彼女に転移陣の使い方を教わってください、今後オンドールさんも利用出来れば、なにかと便利なので』
気軽に古代の魔法装置を使えと言うカオリに、オンドールは内心で驚きつつも、了承する。てっきりササキに転移魔法を頼るものと考えていた手前、如何にカオリが自分を信用してくれているのかを感じとり、年甲斐もなく嬉しく感じる。
『それにあたって、もしよければ監督業をレオナルド殿に委任したいとも考えているのだが、どうだろうか?』
『おおそれはいいですね。レオルドさんのお父さんなら信用出来ます。なら時間は問いませんので、都合がつき次第いらしてくださいね~』
ついでとばかりにレオナルドの名を出すことで、自身の役目を分担出来る人物を推挙する。これでオンドール自身がより動きやすくなる。
この間黙ってことの成行きを見守っていたカーラへ、オンドールは向き直る。
「と云うことなので、早速準備をしてほしい、それとこのことをイゼル君にも伝えてくれるかな? 出発は速くとも昼過ぎになるとも」
「分かりましたっ」
いよいよ自分が都会を見ることが出来るのかと、緊張から声が上ずってしまい、顔を赤らめる。
「私は今から急いでレオナルド殿を探して、引き継ぎ作業を終えてから、ここに戻るつもりだ。それまで二人で待っていてほしい」
オンドールはそう伝えて集合住宅を後にする。
レオナルドの現在の仕事は、森小屋建設予定地の伐採であるので、歩いて向かっては結構な時間がかかる。
そのため今日は木材運搬のために往復輸送する狼車に、便乗するつもりだ。
予定では第一陣がそろそろ戻って来るはずだと予想しているので、やや急ぎ足で資材集積場へ向かう。
現状二方に設けられた内、村の北方にある門、今では石組みでの強化施工を進めているため、今後は砦門とも呼べるほどに堅牢になりつつあるその門は、森林開拓組や水道敷設組の資材搬出入のために今は解放されていた。
北から南へと緩やかな勾配を有するこの村からならば、やや見上げた遠方に件の森林地帯を認めることが出来る。
開拓当初は危険な自然動物の他、時折強力な魔物も出現したそこも、アデルとレオルドが主力となり、またアイリーンがいれば彼女も率先して狩りをおこない、とくに元狩人冒険者のカムの執拗なまでの働きにより、かなり風通しのよい森になりつつある。
それに加え、元は森の守り神、今ではササキやゴーシュ達の尽力もあって、存在を周知された強大な魔物、黒獅子が縄張りとして守っている一帯は、戦闘能力が低いものが出入りしても問題がない程度に、状況が改善されている。
正式名称をクロノス大森林と呼ぶこの森は、村にとって貴重な森林資源の採取地帯である。
山菜や木材から始り、とくに薬草類は魔力の含有量も多く、都市部の一流薬師店や薬師組合でも高額で取引されるものと同等、あるいはそれ以上の品質のものさえある。
また開拓範囲から数里は離れ、森の奥地に足を踏み入れれば、普通に魔物も出現する危険地帯でもあるため、冒険者であるオンドールから見ても、稼ぎ場としてなかなか価値のある森である。
現在では将来的な森林の保護の観点から、植生を調べ、苗木を育て、植林するための下準備すらも、カムの協力の下進めている。
また土砂崩れや川の氾濫によって運ばれた岩石や、地盤の隆起で露出した岩盤層など、採石や鉱石類も期待出来る。
いったいこの大森林から得られる資源が、どれほど村の発展を後押しするのか、その価値を想像するだけで思わず笑みがこぼれのだった。
そんなことを考えながらぼんやりと立ち尽くすオンドールの視界に、ようやく第一陣の狼車が帰還するのが見えた。
しかも今回は余程運がいいらしい、狼車に踏ん反り返るように乗車するレオナルド夫妻を確認し、オンドールは軽く会釈を送る。
「おうおう!【騎士聖剣】様のお出迎えとは豪儀じゃねぇかっ」
「……止めてくだされ、昔の話しです」
レオナルド夫妻がこの村への移住を希望したその日の内に、カオリによって村の一同と顔合わせをした席で、驚くべきことに、オンドールとレオナルドの二人が、顔見知りであることが明かされた。
「そうは言うが、腕は衰えてやしないんだろう? 流石にこの年で真剣とはいかねぇが、ちょいとくらい手合わせしてくれてもいいじゃねぇか、あの時はろくに剣を交えなかったからなぁ」
ガハハッ、とレオルドに瓜二つの豪快な笑い声を上げる彼に、オンドールはやれやれと云わんばかりに肩を竦める。
百年と云う永きに渡り繰り返された。帝国王国間戦争で、かたや王国貴族の従騎士として、かたや帝国軍の軍人として、互いに同時期に従軍していた経歴を考えれば、どこかで相対していても不思議ではなかったのだ。
「若造に尻をまくられて、心底肝を冷やすのは、あの時で最後にしてほしいものですよ」
「ぶぅわははっ、それはこっちの台詞よっ、追いかけてるのに部隊が半壊するなんざぁ、あの時が最後よっ」
もう数十年も昔の戦歴を笑って話すことが出来るのも、こうして村の開拓団の一員として共に仕事に従事しているからに他ならない、オンドールはこの数奇な出会いに心から感謝の念を送る。
「はいはいそこまでにしときなよアンタ、オンドールさんを困らせるんじゃないよ、だいいちアンタさっきせがれに張り合って、ちょいと腰を痛めたばかりじゃないか、今やりあって王国の英雄様に勝てるわけないだろう」
狼車から身軽に飛び降り、シキオオカミを優しく撫でながら、レオナルドの妻にして、レオルドの母親であるリシャールは、そう云って自らの亭主を叱る。
「腰を痛められたので?」
自身も寄せる年波には勝てない自覚もあり、同世代のレオナルドの容態に同情を送る。
「なぁにまだまだ……、家を出たあいつに、父親として恰好悪ぃ姿は見せられねぇ、まあ結局今日は酒でも飲んで寝てろって荷台に放り込まれたんだがよ、がはははっ!」
強がりながらも、息子の成長が素直に嬉しいのか、どこまでも明るく笑うレオナルドを、オンドールは羨ましく思う。
オンドールは没落した主と共に職を失い、ある目的のために冒険者を続けて来たことで、残念にも伴侶を得る余裕はなかった。
そのため幾人もの若者を指導し、その成長を見送って来た反面、自身の子を育てる幸せを逃してしまった。
最愛の女性と結ばれ、その間に子を授かり、その成長を喜ぶことが、どれほど幸福で恵まれたものなのか、オンドールはただただ夢想する。
しかし、そんな老騎士の胸中を知ってか、レオナルドはがらにもなくドカリと座り込み、突然頭を下げたのだった。
「感謝する。オンドール殿」
「突然どうされたのです?」
レオナルドの唐突な奇行に、オンドールは瞑目する。
「十年ぶりに再会した息子が、あれほどいっぱしの口を聞いて、いっぱしの仕事に励んで、でも、昔のように笑って憎まれ口を叩けるのは他でもない、貴方様という稀代の英雄に育ててもらったからです」
「……私は、私はなにほどのことも」
冷静に口を挟もうとしたオンドールを、レオナルドは素早く手で制する。
「謙遜はいらねぇ、国の重要な仕事とは云え、片田舎の樵のせがれなんて狭い社会に押し込めて、外の世界に憧れたあいつを見送ることしか出来なかった父親の代わりを、そんなつもりはなかっただろうが、叱って、論して、導いてくれたのは、紛れもなく貴方様なんだ」
どこまでも真摯に、心からの感謝を口にするレオナルドの隣で、リシャールも膝をついて深々と頭を下げる。
「ろくに仕事も手伝わないで、悪戯ばかりしていたあの子が、村の未来の姿を、俺達が作るんだって息巻いて語ってくれました。母親として、これほど息子の成長に驚かされるのが、嬉しいことだと知ることが出来て、私共は感謝の念が絶えません、本当にありがとうございます」
感謝の言葉と共に顔を上げた彼女の頬を、涙が静かに流れ落ちる。
それを呆然と見降ろしていたオンドールは、ゆっくりと額を手で覆い、そのままくたびれた髪を撫でつける。
「……」
無言のままゆっくりと膝を曲げ、片膝をついて夫妻と目を合わせるように、オンドールは刻まれた皺を深くして、微笑みを向ける。
「彼は誰よりも勇敢です。しかし退くべき時は潔く退くことの大事さを知る若者でした。それはきっと、軍歴を重ね。危険な森で仕事をなされていたレオナルド殿の背中を、幼少よりずっと見ていたからだと私は思いました。彼になぜ両手斧を使うのかと誰かが聞くと、いつもお父上が愛用していた武器だからだと、笑顔で語ってくれるのです」
オンドールとアデル達が出会ったのは、彼等が冒険者となって三年目の年だったとオンドールは思い出す。
「宿での食事の時、街で買い物をしている時、彼は道行く人や給仕への親切や、感謝の言葉を欠かさない好青年です。あれも恐らく、ずっと旦那様を支え、無償の愛情でもって、自分をどこまでも優しく育ててくれた。奥方様の愛を理解していたからです」
成長に悩み、諦観を滲ませた若者達が、それでもなお飽くなき闘志を漲らせ、自分を頼って来たのが、昨日のことのように思い出される。
「謙遜とおっしゃいましたが、本当に、私はなにほどのこともしておりません……、なぜなら彼等は、貴方方のご子息は、初めて出会ったその時からすでに、素晴らしい人間だったからです。私は彼らの若さに元気づけてもらったお礼に、少しばかり智恵を貸したに過ぎません」
深呼吸と共に、胸の熱を外へと逃がしながら、アデル達と過ごした冒険の日々を、オンドールは改めて誇らしく思う。
「彼等は私にとっての誇りです。しかしそれは私が彼等を導いたからではありません、あれほど素晴らしい若者達が、私を仲間だと認め、幾多もの困難を共に乗り越える機会を、私に与えてくれたからです」
真剣な表情が崩れ、泣き笑いのような表情で顔を上げる夫妻と、オンドールは真っ直ぐに視線を交わす。
「レオルドを育てたのは、彼を強くしたのは、他でもない貴方方ご両親なのだと、私は心から確信しております。全てに挫折し、枯れ果てた私を救ってくれた彼らを、彼らと出会う奇跡を与えてくださったことを、心より感謝申し上げます」
今度は自分の方だと云って、オンドールは騎士の最敬礼を送る。
ちょうど昼の時刻となったころ、第二陣と共に昼食をとりに帰って来たレオルド達は、そこで先に昼食を終え、食後の一服をしていた夫妻を見付ける。
「親父さん腰はどうだい? 派手にいわせたからもう仕事はいいから、今日は本当に休んでくれていいんだけど」
アデルがレオナルドを気遣って、休業を提案する。
「なあに、アンリの嬢ちゃんが治療のポーションをくれたから、もう痛くも痒くもねぇよ、昼からは邪魔な小石を砕くんだ。でけぇ音を立てりゃあ、獣も魔物も近寄ってこねぇだろうよ」
笑いながらも酒瓶を放さない姿に、アデルは苦笑する。アデルにしてもレオナルドは幼少のころに森でお世話になった親戚の伯父のような人物だ。
気遣いこそ口にはするが、それを豪快に笑い飛ばして負けん気から無茶をするのは、十年の歳月が経っても変わらぬレオナルドらしさだと、諦めが先に立つ。
「アデル坊も親父さんに手紙の一つでも書いたらどうだ。あっちも長男に工房を譲って今は隠居するって話だったから、いっそこっちに呼べばいいだろ?」
突然の両親の話題に、しまったと云った顔をするアデル。
「なんだよ兄さん、新しく工房を建てるんだって言ってたくせに、結局家を継いだのかよ」
「街ででけぇ仕事について、せこせこ金を貯めてたみたいだがよ、嫁にいい衣装を着せてやりたいって言って、ほとんど使っちまって家どころじゃなかったからな、今頃古くなった家の改修費用のために、嫁に尻を叩かれてるだろうよ、がはははっ!」
彼らの幼少を知る人物だからこそ語れる故郷の話題に、アデルは思わず笑いがこぼれる。
「女の子みたいだからって、女性名をつけられたアデル君も、今じゃ一流の冒険者で、お兄さん達よりよっぽど稼いでいるなんて知ったら、上の兄弟に老後の蓄えを毟りとられたアーレスさんも、すぐに荷物を纏めるんじゃないかい?」
笑いを堪え切れずに口元に手をあてるリシャールを、今度は困った表情で見やる。
「レオルドどころか俺の両親まで来たら、もう俺達ここに永住が決定するなぁ、親父さんは樵だからいいけど、俺、絶対に鍛冶の手伝いさせられるだろ?」
「だろうな、けどこっちでも、たまに農具や工具の修理してるって聞いたぜ? やっぱり血は争えねぇってか」
レオナルドの茶化すような視線を、アデルは肩を竦めてやり過ごす。
「おう親父っ! 腰は大丈夫かっ?」
そこにようやく荷降ろしを終えたレオルドが、大きな声を上げて入室する。
「大丈夫でぇ馬鹿息子! でけぇ声出すなっ、治った腰がぶり返したらどうすんだ!」
「そいつはすまねぇ! がはははっ!」
もはやなにが可笑しいのかすらも分からないほどに、豪快に笑い声を上げるレオルドにつられ、レオナルドも大きな声を上げて笑う。
そんな集合住宅の食堂の片隅で、セルゲイ達が小さくなって昼食をとる姿があった。
「これ以上、アラルド人が増えるのは勘弁してくれよ、しかもあの親父さん元軍人だろ? 絶対無茶苦茶な仕事の進め方するんだぜ、正直ついていけねぇよ」
「まあ……、気持ちは分かるぜ、俺達が帝国の元兵士だって知られた日にゃあ、絶対しごかれるに決まってるからなぁ……」
アイリーンに散々しごかれている現状で、これ以上軍属の帝国人、とくに生粋のアラルド人の登場は、彼らの日々をより過酷にする未来が予想され、身震いする。
しかし運命はどこまでも彼等に厳しい現実を見せ付ける。
「つーわけで手前ぇら、元帝国兵の元野盗らしいじゃねぇか、おん?」
「げえ! なんでそれを、この前はみんな黙っててくれたのに……」
セルゲイが絶望の表情で、杯の中身を盛大に拭き出す。
「なにせ腰を痛めたからよぉ、作業を控えるついでに、オンドールの旦那の代わりに監督業総括を引き継いだから、手前ぇらの仕事場にもちょくちょく顔を出すからなぁ、色々聞いといたんだ」
にやにやといやらしく笑うレオナルドと目が合ったセルゲイは、思わず軍隊式の礼に沿って起立する。
「ハイド人で帝国訛りがある上に、読み書きが出来るくせに、こんな干渉地帯で開拓団にいるなんて、脱走兵から野盗堕ちなんて誰でも予想出来るだろ? 貴方達本当に隠す気があったの? ばればれよ?」
リシャールが呆れた様子でセルゲイ達のうかつさを指摘すれば、彼らは鼻水が垂れるのも拭わず絶句する。
「まさか情報部のっ! 帝国軍内でも精鋭しか入隊出来ない上級士官かっ、そんな部隊の退役軍人と云やぁ、国の英雄じゃねぇか!」
「ひいぃーっ、処刑だけは勘弁してくださいぃ! 今では心を入れ替えたんです!」
「母さん……、親孝行出来なくて、ごめんな……」
完全に委縮した様子で怯えるセルゲイ達に、レオルドが大股で近付いて、肩を強く叩く。
「つーわけらしいから、親父のこと頼んだぜ? ちょいと口うるせぇとは思うが、斧をもたせりゃあピカイチだ。年はとったが強えんだぜ親父はよ、がはははっ!」
腰に両手をあてて胸を張るレオルドに、セルゲイは呆気にとられて、しかし重要なことに気付いて絶叫する。
「なんの慰めにもなってねぇじゃねーかあぁぁっ!」
村でセルゲイの絶叫が響いていたころ、オンドール達は転移陣を通って、アキと入れ替わるようにササキの屋敷に足を踏み入れていた。
「ようこそオンドール殿、私の屋敷へ、歓迎いたします」
「お疲れ様ですオンドールさん、それにイゼルさんにカーラさんも、話しは伺ってますから、まずは荷物を預かります」
オンドール達三人を歓迎するササキとカオリの姿が、まるで親子のようだと思い、オンドールはさきほどあった暖かな一幕を思い出す。
「歓迎に感謝いたしますササキ殿、それにカオリ君もありがとう、まさか今になって王都に立ち寄ることになるとは、数十年ぶりで少し緊張してしまいますな」
「本日はよろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします!」
柔和な笑みで余裕の様子のオンドールと違い、イゼルとカーラは初めての貴族屋敷、厳密には貴族ではないのだが、それでも格調高い王都の屋敷の中にあって、緊張を隠せずにいる様子だ。
「打ち合わせは多岐に渡るでしょうから、しばらく滞在するものとして、お部屋を用意しております。ステラ殿に案内を頼んでおりますので、身支度を整えられたら談話室をご案内します。昼食はとられましたかな?」
ササキの好意に、オンドールは再度頭を下げる。
「昼はすでに、それにもし晩餐にあずかる栄誉を賜れるのであれば、お二方のご成長ぶりを見ることが出来るかと、夜を楽しみにさせていただければ幸いです」
「はは、流石はオンドール殿、フォル君とリヴァ君であれば、早速本日の仕込みを手伝っておりますよ、二人とも出来ることが増えて、一層技術向上に意欲を燃やしております」
料理人見習いとして村から派遣された姉妹の二人も、日々着実に成長しているようだと、オンドールは喜ぶ。
「そう云えばアイリーン君はどちらに?」
レオルド親子の件もあり、同じ帝国民である人物を思い出すオンドールに、カオリが応える。
「それが~、ついさっき王家近衛騎士団所属の隊長さんが、是非騎士団の訓練にまた参加してほしいって、今度こそ指導員として教える側になってほしいってしつこいらしくて」
やや困った様子で告白するカオリに、オンドールはふむと顎に手を添える。
とりあえず移動といって地下の転移陣室から、一階に移動した一同は、玄関広間で押し問答をする二人を見付ける。
「さあ参りましょうバンデル様! 馬車もご用意しておりますので、訓練場で改めて皆にお声を――」
「しつこいさね! 一人で勝手に歩いていくから、先にいって飯でも食ってればいいだろう、こっちはこれから開拓仲間を迎えるんだから、それが済んだら向かうよ!」
アイリーンの手をとらんばかりの勢いで、なんとか彼女を連れていこうとするバルトロメイとの一悶着を、カオリ達は呆れて見詰める。
「馬鹿ものっ! 騎士たるものが女性を強引に連れていこうなど、礼を失する行為をするものではない!」
オンドールが比較的大きな声で呼びかければ、バルトロメイは驚き、日頃の癖なのか起立して直立不動になる。
だが声の主を視界に収め、怪訝な表情で咳払いをした後、カオリ達に向き直って黙礼する。
「申し訳ございません、ササキ様、それにミヤモト様、少々熱くなってしまいました。バンデル様も申し訳ありません……」
続けて謝罪の言葉を口にすれば、アイリーンも溜息をついて彼を許す。
「別にいいさね。必死になる気持ちは理解出来るからね。ただ見ての通り、あちらの御仁と後ろの娘達が、今日迎える予定だった村の開拓仲間さね。あたしも開拓関係者として、挨拶もせずに外出は控えたいさね」
方眉を上げて事情を改めて説明すれば、バルトロメイもようやく諦めたのか、少し肩を落としつつも、気を取り直して再度礼をする。
「重ねて謝罪をします。先の紛争における並ぶものなきご活躍により、ミヤモト様ならびにお仲間方の武勇を称し、その強さの一端をご教授願えればと、希望者が私のところに殺到しまして、かねてからお世話になっております私は、それで少しでも皆様方のお力を正しき評価へ繋げ、ご恩に報いることが出来ればと……」
極めて申し訳なさそうに言葉と態度でもって事情を説明すれば、彼がどういった立場の人間かを理解したオンドールは、静かにうなずいて歩み寄る。
「王国騎士からの称賛はまこと名誉なことであるだろうが、知っておる通り、カオリ君達は過度な賛辞を必要としない謙虚な人物だ。まずはことの次第を知ってもらい、どのような形が望ましいか、彼女達の意思を確認してからでも遅くはなかろう? 日を改めろとは申さぬゆえ、まずは会談の席を設けなさい」
凛とした態度で背筋を伸ばす見事な立ち姿のオンドールにそう言われ、やや情けなく引け腰なバルトロメイは、おずおずと質問をする。
「わ、わかりました。しかし……、貴方様はどなたであらせられるのでしょう……」
オンドールの見事な騎士然とした立ち振舞いに、直感的に上位者と認識したバルトロメイは、その正体を大いに気にかけた。
「この御仁はね。かつて王国貴族に仕えた従騎士であり、先の帝国王国間戦争で、父上の率いる追撃部隊から、見事な用兵で殿を務め、王国に被害を出さずに撤退させた功績を讃え、【騎士聖剣】の二つ名を先代国王から賜った真の騎士様さね。オンドールと云えば武家なら聞いたことくらいあるだろう?」
アイリーンがやけに詳しく説明すれば、バルトロメイは目をこぼれんばかりに見開き、後ずさりする。
「その名はっ、父がしきりに語って聞かせてくれた。王国の英雄の名前! 騎士ならば誰もが憧れ、規範とすべしと寝物語になった人物の、まさか!」
「そうやって余人から語られるのは、身に余る光栄に面映ゆくあるが、まあ昔の話だ。私も君くらいの年のころは、血気盛んな一若者に過ぎなかったのだからね」
凛とした雰囲気から一転、優しげな壮年の男性としての顔を見せるオンドールに、バルトロメイは生唾を飲んだ。
「言っておくが、旦那はあたしなんかよりもずっと強い上に、魔物退治でもよっぽど手慣れた凄腕の冒険者でもあるさね。言葉遣いはさておいて、失礼な態度はあたしが許さないよ」
この場で誰よりも無礼が目立つ自身を棚に上げ、ここまでオンドールを持ち上げる理由が、ここでオンドールをだしにしてバルトロメイを追い払って、昼から酒を煽るつもりなのが、カオリには十全に想像出来た。
しかしカオリが予想外なのは、オンドールがこれほどもまでに王国で名を馳せた騎士であった事実である。
すごい元騎士様だったのだろうとは漠然と感じていたが、バルトロメイの反応を見る限り、それがカオリの想像以上の勇名であると理解し、改めて尊敬の念を強くする。
「ぜ、是非お話を! いや、正式に招待状を持参し、改めて王城にお招き出来るよう手配いたします! その暁にはどうか、どうかっ、我ら王家近衛騎士団にも足をお運びいただき、我らの訓練の成果を、その目でお確かめいただければ、これに勝る名誉はございません!」
アイリーンの次にオンドールを標的として、バルトロメイはここぞとばかりに言葉を尽くす。
紛争騒動でもっとも活躍したカオリ達と懇意であるバルトロメイは、現在騎士団内でもなにかと益ある人物と見なされている。
もしここでオンドールと云う王国史に名を残す元従騎士とさらなる縁を結べば、彼を頼って様々な恩恵が舞い込むのは必至だ。
「私は本日、村の盟主カオリ・ミヤモト嬢と開拓に関する相談に参ったゆえ、王国に永く留まるつもりはない、場合によっては入れ違いになる可能性があるので、招待をと考えてくれるならば、そこは理解してほしい」
「はいっ、重々承知しております。お時間もお手間も可能な限りおかけしないと心得ます。で、では今日は急ぎ手配をし、また改めて参ります。ササキ様、ミヤモト様、そしてバンデル様も本日はご迷惑をおかけしました。これで失礼させていただきます」
綺麗な直角で礼をして、急ぎ足で馬車に乗車する姿を見送って、カオリ達は一様に呆れた表情を浮かべる。
「アイリーン君、私をだしにしたね?」
「悪いね旦那、ああ言えばあいつも今日は大人しく帰ると思ってね」
まるで悪びれる様子もなく、アイリーンは笑って見せるのに、オンドールはやれやれと溜息を吐く。
「それにしてもアイリーンさんは、オンドールさんのことを知っていたんです?」
オンドールの経歴にやけに詳しかったアイリーンに、知っていて気軽に接して来たのかと、疑問を抱く。
「いんや、お父上からそう云う立派な騎士がいたってことは聞いていたけど、それがオンドールの旦那のことだとは知らなかったさね。なにせウチにとっては英雄とは云え宿敵だ。娘に相手の名前まで詳しく教える理由はないだろう」
それもそうだとカオリはうなずく。
「詳しく知ったのはレオルドの旦那の親父殿から聞いたからさ、なんでもお父上の部下として隊を率いていた当時に、殿を務めるオンドールの旦那を追いかけ回したのが、親父殿らしいんだよ」
「ほえ~そうだったんですか、世間はせまいですね~」
なんの因果か、かつての敵同士が共に開拓業に従事する仲間となったのは、まことに数奇な運命である。
「もう三十年近く昔の話だ。若い世代が知らないのも当然だろう、現国王であるアンドレアス陛下でも、当時は十代の王太子だったのだからなぁ」
三十年前ともなれば、カオリどころかアデルやレオルド達もが生まれる以前の話である。まあそもそも違う世界出身のカオリからすれば、過去も現在も知らないことばかりではあるが。
「まあカオリ君、積もる話もあるだろうが、まずは皆を部屋へ案内し、後にゆっくり話をするといい」
「あ、ごめんなさい、どうぞオンドールさん、イゼルさんもカーラさんも、私が案内しますので」
手で二階を指し示しながら、カオリは三人を先導する。
監督業を委任出来る人材も揃いつつあり、商会設立に伴って、今後はより多くの人材を抱えることになるだろう、カオリの開拓業も、そろそろ世にその名を公にする過渡期にある。
さらなる安全と安心のために、さらなる発展と繁栄のために、カオリ達は立ち止まることなく着実に前進し続けるだろう。
誰あろうカオリの大切なもの達のために、そして自分自身のために、自らの意思で。