( 紅蓮少女 )
「見つけたよぉ! カオリっ」
戦場に似つかわしくない歓喜の声が、カオリを呼ぶ。
「リジェネ! やっぱり来たか~……」
軍所属の魔導隊や王立魔導騎士が協同で展開した魔法結界の向こう側で、額を打つほどに接触して目を輝かせるリジェネレータを、カオリはうんざりする気持ちを隠さずに見返す。
「今日の標的はねっ! 王子様と将軍さんだよ!」
「なんで?」
「それは秘密!」
「秘密か~」
自身の目標を隠さず告げる彼女に、カオリは一応理由も聞いてみるが、そこまでは明かす気はないようで、溜息を吐く。
「リジェネってばもう暗殺する気ないよね! 堂々とし過ぎじゃない?」
今更になってこれまでの開墾にて、リジェネレータが暗殺とは到底思えない大胆な襲撃を仕掛けて来ていたことを、いまさらになって指摘すれば、彼女は小首をかしげる。
「暗殺者だって名乗ったことなんてないよ?」
「そりゃあそうか」
いまだ結界の外にありながら、彼女から溢れ出る殺気をひしひしと感じるカオリは、だらりと下げた刀の握りを確かめつつ、爪先の位置をやや調整する。
その油断の一切感じられないカオリの様子に、リジェネレータは益々笑みを深めてするりと二振りの短刀を取り出す。
「今日のためにいっぱい準備したんだ~、武器とか魔道具とか魔物もたくさんたくさん、今日はあの強そうなおじさんもいなさそうだしぃ~」
緩やかに突き立てられた短刀が、まるで薄布を裂くように結界に差し込まれ、そこから徐々に傷口を大きくしていく。
「そんな馬鹿な! 複合結界をそんな短刀ごときで容易く破れるわけがっ!」
カオリの後方で結界の維持に徹していた魔導兵が驚愕の声を上げる中、それでもリジェネレータはなおも結界の穴を広げていく。
「やっぱりか~」
なかば予想していた結果ゆえにカオリに驚きはない、王都の迷宮の隠し通路の隠蔽と封印を施した張本人であろうリジェネレータならば、その高度な魔導技術から結界破りも出来るだろうと考えていたのだ。
「これくらいの結界わけないよ~、お邪魔しまーすぅ~」
人一人が通り抜けられる穴に身体を捻じ込んで結界内に侵入を試みるリジェネレータを、しかしカオリは明らかな隙を見逃さずに急接近する。
「いやいやそんなん、普通に斬るから」
上段から顔面を断ち割らんと振り被るカオリ。
しかし直後に異様な気配を感じ、カオリは直感で後方に飛び退く。
ボンッ、という爆音とともに広がる爆炎を、カオリは魔力を宿した刀で切り払い、なんとか熱から逃れた。
「――びっくりした~」
土煙が立ち込める中、その爆心地にいるはずのリジェネレータの気配に注意しつつ、カオリは今起きた爆発の理由に思考を巡らせる。
「あアあぁぁ……、アづい熱いなぁ~」
「うっわ……、なんでそれで生きてるの?」
咄嗟に躱したカオリはいざ知らず。爆発の中心にいたリジェネレータが無事なはずはないだろうと思ったカオリであるが、まさに無事とは到底言えない彼女の姿に、カオリは顔を引き攣らせる。
顔面の皮膚や肉はほぼ吹き飛び、頭蓋が露わになった眼窩には、焦点どころか沸騰して機能を失った眼球が落ち窪み、かなりひどい有様になっている。
衣服だけは高い火耐性付与でもされているのか、あられもない恰好は避けることが出来てはいるが、普通なら死んでいるのが当たり前の状態だ。
しかしリジェネレータはそん状態だろうとお構いなく、熱い熱いと笑いながら結界を超えて直立していた。
そしてあっという間にそれら怪我も、なにごともなかったかのように修復されていく、カオリはリジェネレータの不死性、再生能力の高さを、ここへ来て初めて実感した。
「マジで不死身の化物って感じだね~、今のでも死ねないんじゃあ、なんていうか……、色々面白くなさそうだね。チートじゃんチート」
呆れたように感想を述べるカオリに、リジェネレータは驚いたような表情を向ける。
「え? わかってくれるの? カオリは私の気持ちをわかってくれるの?」
確認するように質問するリジェネレータに、カオリは苦笑を浮かべながら返答する。
「理解は出来ないけど、想像は出来るよ、死なないのと、死ねないのとじゃあ、意味も違うだろうし、なにより張り合いがないじゃん? 緊張もなにもあったもんじゃないし、大概の敵は普通油断するか、怖がって逃げるでしょう、そんな治癒能力があったらさ」
カオリのそんな言葉を聞いて、リジェネレータは静かに俯く。
ぶつぶつとなにごとかを呟きながら身を震わせるリジェネレータは、弾けるような笑顔で顔を上げる。
「カオリに会えてよかったっ……、カオリみたいな子をどれだけ探したか――」
言い終える刹那に、カオリに向かって小さな影が飛びかかる。
「わ、犬?」
それを類稀な動体視力で捉えたカオリは、見たままの感想を口にし、即座に迎撃する。
小型の犬の形はしているが、全身の皮を剥いだような異形のそれは、恐らくこれまで見た大型の【人工合成獣】とは別の個体ではあるが、同じ系統の魔物であり、そしてその口には口枷が嵌められ、そこに魔石が取り付けられているのを、カオリは瞬時に見抜く。
「シィッ!」
稲妻を思わせる神速の刀にて、魔物ではなくその魔石を狙って正確に斬撃を放てば、魔石ごと上顎を斬り飛ばされた犬型の魔物は、飛びかかった勢いのまま後方に転がり落ち、無様にのたうち回る。
「流石はカオリっ、すぐにそれが爆裂の魔道具って気付いたんだね!」
念のためにと魔力を込めての斬撃が功を奏し、魔石に込められた爆裂魔法を無効化した。
発動中の魔法をも斬り裂いて霧散させるカオリの剣ならではの解除方法に、リジェネレータは大満足の反応である。
「この結界の中って隠蔽魔法が無効化されちゃうんだね~、見えなかったら今ので殺れちゃうかと思ったけどな~」
「それはラッキーだったよ~、流石に見えないと正確に魔石を斬るのは難しかったかも」
互いにニコニコと笑い合う少女二人の、殺伐としたやり取りに、周囲の人間は身を震わせる。
今まさに殺し合いの最中であるにも関わらず、いったいなにがそんなに面白いのか、この年端もいかぬ少女二人は、まるで旧知の仲のように語らいながら剣を交えるのか、余人には到底理解出来ない光景であった。
「ならやっぱり、カオリは私が殺さないとね!」
「喜んで相手になるよ、リジェネ」
構えもなく、駆け出す両者は、互いに神速の剣を振う。
リジェネレータの短刀がカオリの心臓目がけて突き出されるのを、カオリはわずかに身を捻って羽織にだけ掠らせる。
手首を返して頸動脈を斬りつけるも、カオリはさらにそれを上体を逸らして躱し、反れた体制からも巧みに腰を切って刀を胴へと振り抜く。
リジェネレータがそれを片方の短刀で軌道を逸らし、身体を反転させて二刀を頭上から振り下ろす。
僅かに軌道を変えた二本の短刀であるが、カオリはそれを身体を回転させることで大胆に捌き、回転の勢いをつけて上段蹴りを加える。
咄嗟に交差させた手首でカオリの蹴りを受け止めるも、強烈な蹴りはリジェネレータの両足へも衝撃を与え、強引に体制を崩される。
その瞬間を見逃さなかったカオリは、駄目押しとばかりに鋭い切り上げでもって、逆袈裟を加えんとするが、硬質な接触感にて弾かれる。
「おおっと、なになに、なににあたった?」
やや距離をおいて刀の状態を確かめる。幸い刃毀れなどはおこしていないようだが、看過出来ない感触からカオリは眉をひそめる。
「純粋な剣技だけじゃカオリには勝てなでしょ? だから腕に斬撃とか刺突に対する物理結界を付与したんだよ~、まさか蹴られるとは思わなかったから、思わず受けちゃったけどね~」
それは厄介なと、カオリは口をへの字にする。
「ほんと来るたんびに手を変えて来るよね。すごいよリジェネは」
「カオリが悪いんだからね? 普通魔法に頼るのが冒険者なのに、カオリってば剣技と、あとそのなんで躱せるのかわかんない体捌きだけで、私を圧倒して来るんだものん」
カオリから素直な称賛を贈られたリジェネレータだったが、その顔にはカオリへの不満と喜びがない交ぜになった感情が浮かんでいた。
彼女の過去には、標的の中に幾人もの冒険者も含まれていたのだが、カオリほど自身の実力だけで自分を追い詰めた人物は数えるほどしかいなかった。
その数少ない実力者達であっても、筋力や俊敏に突出した戦闘方法が主であるのに対し、カオリの強さが技術に偏重したこの世界では見ることがない異常なものであるとリジェネレータは語る。
「だから今日はね。私自身の強化と、周りをもっと巻き込むつもりなの!」
勢いよく広げられた両袖から、無数の魔石がばら撒かれ、明滅するそれら魔石から小さな魔法陣が展開する。
「みーんな燃えて、喰われちゃえ!」
「やばっ、召喚獣!」
魔法陣の正体を理解したカオリは慌てて無効化を図るが、同時に撒かれた爆裂魔道具の炎に行く手を阻まれ咄嗟に身を退く。
その一瞬の躊躇いにより、無数の犬型の魔物が出現し、さらに大型の召喚獣まで雄叫びを上げれば、結界の内側は瞬く間に阿鼻叫喚の渦に巻き込まれる。
「おのれ小娘が! 好き勝手に我が軍を弄びよってっ、魔導隊は結界をなにがなんでも維持せよ! 騎士や従士は彼等を守りつつ決死の覚悟でこの場を死守せよ!」
後方で黙って推移を見守っていたカルヴィンが、協定軍総司令官としての立場から、命令を飛ばす。
「爆裂魔道具が発動する前に、なんとしても破壊して! 従騎士以外は魔物を足止めして! 今は小型の召喚獣の方が脅威です!」
慣れない指揮官としてのカルヴィンの不足を、娘であるロゼッタが補足するように指示を送る。
「重傷者はこちらに! 動ける程度には治療魔法を使って差し上げますので、殿下の盾として意地でも役に立ってくださいませ」
さらにアキが容赦のない言葉をかければ、恐慌状態に陥っていたもの達も、流石は軍人らしく対応し始める。
だがそれでも爆裂魔道具へは対応しきれないのか、負傷者は数を増していく。
その光景を背に、カオリは憎々しげにリジェネレータを睨みつける。
「今日はほんとうにやり過ぎだよリジェネ、これだけのことをしておいて、いつもみたいに逃げられるなんて思わないでね。転移魔法を使った瞬間に、その首を刎ね飛ばすんだから」
殺意を明確にするカオリ、だがそれに対してリジェネレータはもはや凄惨なまでに口角を上げて笑う。
「でも戦争は止まらない、人はずっとずっと殺し合いを止めないの、だから私も止まらない、殺して殺して、斬って斬って、いつまでも血濡れた道を進むしかないんだから……」
左手を前方に突き出し、右手を頭上で緩く構えるその姿に、ありったけの殺意を込めて笑うリジェネレータ。
対するカオリも脇差を抜き放ち、同じ構えで相対する。怒りは戦いへの意思を示すのみ、刃に乗せるのはただただ純粋なまでの殺意だけだ。
業火に照らされた戦場の只中にあって、二人の空間にだけ束の間の静寂が落ちる。
「殺す」
「斬る」
発した言葉は誰がためへの意思表示か。
土煙が風に運ばれて両者を隔てたその時、同時に間合いを詰めた互いの剣がそれぞれ急所を求めて閃く。
結界内に散った犬型召喚獣と大型召喚獣は縦横無尽に猛威を振ってゆく。
爆炎に巻き込まれた兵士は全身を火達磨にして絶命し、かろうじて息のあるものも、酷い火傷を負って動くこともままならずに倒れ伏す。
それでも軍属の中には、対帝国戦争にて武勇を誇った古兵達もいる。彼らは一様にレベルも高く、数人であれば大型の召喚獣も討伐出来る実力があるため、相応に魔物達とも対抗している。
ここに実戦を経験する軍人と、お飾りと揶揄される王家近衛騎士達との差が如実に表れる。
その中にあってロゼッタとアキは現状かなりの大任を預かっている状況だ。
混乱する本陣結界内にあって、少女の身ながらも王子の護衛にあたりつつ、ロゼッタは父である協定軍総司令官であるカルヴィンを補佐し、アキは次々と運ばれて来る負傷兵や騎士達を治療していった。
指揮経験の乏しいカルヴィンは、大まかな指示こそ侯爵として学んだ知識や、従士団を率いた経験から混乱なく出してはいるのだが、細やかで具体的な個別への指示までは流石に頭が回らない様子であった。
それを察して父親の面子を潰さない程度に身を引きながらも、孤立した部隊や、混乱する騎士や兵士に指示を出すべく、アルトバイエ家の従士団を指揮していた。
こうでもしなければ殺到する召喚獣達から、コルレオーネを守り切ることが出来ないという必要に迫られた結果である。
またアキの類稀な治療魔法の効果を目の当たりに、己が身の可愛さからなるべく近くにあろうと、指揮官達がコルレオーネを中心としたロゼッタ達のいる場所に集中したのも、自然と指揮系統の混乱を回避することに一役買っている。
「防御魔法を駆使すれば爆炎での負傷を最低限は防ぐことが出来るはずですっ。近衛騎士の皆様は魔物達が通り抜けないように陣形を密にしてくださいませ!」
ロゼッタの正確な観測から、爆裂魔法の火力と騎士達の防御力を計算し、確実に守り抜くための指示を出す。
「兵はとにかくあの犬の召喚獣を爆発する前に仕留めよ! 狙うのは顎に取り付けられた魔道具だっ、死に物狂いで攻撃せよ!」
娘の補佐に負けじとカルヴィンもなるべく冷静に、しかしやや娘に引き摺られるように慌てて檄を飛ばす。
「大型召喚獣は動きを止めさえすればよしとし、攻撃は後方からの弓で応戦なさいませ! カオリが主犯を撃退し次第、結界が解ければ援軍にて多数で倒すことは可能です。今は結界内の戦力を消耗させないことが重要です!」
アルトバイエ家親子からの指示を聞き、従士達がそれぞれの交戦地に伝播させれば、それが確実に効果を発揮し始める。
そこに鍔迫り合いなど存在しない、互いの剣が描くは全て致命傷となる必殺の軌道。
呼吸音もなく、刃が風を切る音だけが竜巻の如く吹き荒れる。
カオリのすさまじいまでの斬撃をかろうじて腕の結界魔法で斜めに受け流し、お返しに短刀を振り抜けば、そこに絶妙に合わせた脇差がリジェネレータの皮膚を浅く斬り裂く。
大きくしゃがみ込んだ姿勢から足払いをかけるも、カオリはそれを足を引いて躱し、止まることなく続けて袈裟斬りを仕掛ける。
片腕にも関わらず骨を断たん威力のそれを、リジェネレータは逆回転と結界にて威力を減じさせる。
小細工を差し挟む隙などなく、互いの剣はただただその持ち主の命をつけ狙う。
圧倒するのではなく、打倒するためでもない。ただ殺すためだけに、ただ斬るためだけに、剣はその本懐へと鋭さを増してゆく。
だが、決着は呆気なく、ほんの一瞬の判断の誤り、僅かな技術の差によってもたらされる。
カオリの振り下ろした太刀の一閃が、リジェネレータの腕の結界を正面から捉え、そこから瓦解したことでカオリの斬撃が彼女の腕を切り落とした。
そこから生じる僅かな重心の傾きを逃さず。カオリ返す刃で深々と胴を斬り裂いた。
カオリの不可逆の斬撃により、治癒されることのない欠損と深手は、リジェネレータから戦闘能力を奪いとった。
袖口から零した爆裂魔道具を囮に、瞬時に後ろに飛び退くリジェネレータだが、カオリは囮の魔道具を全て斬り落としながらも追いすがり、リジェネレータに肉薄する。
防戦一方となったリジェネレータは、痛みを感じさせない表情でカオリを見詰める。
「あ~あ、負けちゃったか~」
カオリはそれに応えることなく無表情のまま、連撃を繰り出してリジェネレータの命を狙う。
トスッ。
「……届いた」
乾いた音とともに骨の隙間に差し込まれた脇差が、リジェネレータの心臓に間違いなく突き立った。
「ごふっ、くふ、届いたね……」
カオリの脇差に残った片手を添える彼女を、カオリは静かに見詰める。
「いつもこうやって死ぬんだ。……そして何度でも生き返る。ずっとそれの繰り返し、ねえカオリ……、私のお願い、聞いてくれる?」
まるで親友との別れを惜しむかのように、友を見送る離別の時が如く、リジェネレータは穏やかな表情を浮かべて、カオリに語りかける。
「……なに? リジェネ」
口から溢れる血を拭うこともせず、リジェネレータは微笑みを浮かべる。
「また私を殺してね。だから――」
どこまでも慈愛を浮かべて。
「死なないでね」
「ッ!」
その瞬間、リジェネレータの身体から、膨大な魔力の奔流が溢れ出す。
ズガンッ!
猛烈な炎の衝撃、犬型召喚獣に搭載された爆裂魔道具の比ではない火力をもった爆炎が、二人を中心に迸る。
「カオリっ!」
これまでにない爆発を受けて、熱波から思わず身を屈めたロゼッタだが、カオリの名を絶叫する。
いくら強いカオリであっても、魔法防御力どころか物理防御力も乏しい装備で、これほどの爆発に巻き込まれて無事とは到底思えず絶望を浮かべる。
結界の影響によってか、風すらも遮断された本陣周辺は無風状態のため、煙が晴れることもなく、姿を見せないカオリの安否を、誰しもが絶望視した。
「けむっ」
だが土煙の中から聞き慣れた声が聞こえたことで、ロゼッタは安堵からその場にへたり込む。
「びっくりしたなぁ~、油断してた。ああいう仕込みも当然してるって予想出来たのにな~」
土埃にまみれながらもどこも負傷した様子もなく歩く姿は、先までの殺気に満ちた様子から一変し、いたっていつも通りの呑気な表情であった。
「もう!、もうっ、驚かさないでよね!」
「カオリ様、相も変わらずお見事です!」
内心かなり心配した照れ隠しからカオリを非難するロゼッタと、カオリの無事を確信していたアキの称賛とに迎えられ、カオリは笑顔で二人に歩み寄る。
「ごめんごめん、ちょっと手こずったけど、とりあえず元凶はいなくなったから――」
笑顔で身体の土埃を払いつつ、カオリは二人へ視線を向ける。
「アイリーンさんを手伝って残党狩りにいこっか」
ここからは冒険者として、狩りの時間である。
混乱を極めた協定軍であったが、深夜に差し掛かるころには、陣から逃げ出した下級兵達も本来の指揮官の下に再編され、持ち場の立て直しに駆り出されていた。
ことここに至っては敵前逃亡を咎めるよりも、陣の立て直しこそが急務であったために、表向きは罪として咎めないよう、カルヴィンが全体に指令を出した結果である。
これには当然の如く、娘であるロゼッタの口添えがあっての寛大な処置であろうことは想像に難くない。
元より歴史あるアルトバイエ侯爵家に仕える従士団の中には、冒険者として立派な功績を残した主君の娘であるロゼッタを、尊敬する考えがいき渡っていたことも、反発が出ない要因となっていたのが、火急の事態を無事乗り切った決定打とも云えるだろう。
一方でカルヴィンをお飾りの総司令官と揶揄していた一派にとっては、今回の襲撃は自身等軍の、とくに指揮権を狙っていた開戦論派の上級軍人達にとって、主張の正当性を失わせるのに十分な失態をきたした。
誰よりも速く危機を察知して迅速に指示を出したのが、冒険者であるカオリ達である時点で、軍指揮官としての矜持を損なわせた上に、王子の傍につきつつも、後の指揮もカルヴィンに主導権を握られたのでは、今更文句の言いようもないというものだ。
さらに云えば、協定軍が今回の襲撃で受けた被害は、軍全体のおよそ三割にも及び、とくに被害の大きかったのは陣外側に布陣していた王領軍兵士達であったのも、彼等からの不満の声を抑える理由にもなっている。
ただし仮にこの後の指揮権云々と、今から恥じも捨てて声高に主張したところで、すでに軍としての機能を損なっている現状、通常で考えれば本国への撤退が妥当な選択であったし、現に作戦会議室では満場一致で紛争地帯からの離脱が可決された次第である。
襲撃者の正体は本人の自爆によって手がかりもろとも塵となり、残されたのは散々調べ尽くした召喚獣の死骸くらいのものである。
かくして、軍事作戦としては大失敗であり、調査作戦としてはかろうじて成果ありという結果を残し、ミカルド王国は公国紛争地帯からの撤退を余儀なくされた。
「まあカオリ君達だけを見れば、これ以上ないほどの功績を残したと云えるのだがね
……。どうして襲撃を察知した時点で、私を呼ばなかったのかね?」
帰路の馬車の中、ササキは極めて不満そうにカオリを詰問する。
「うう……、ごめんなさい、ササキさんがいるとリジェネちゃんすぐ逃げちゃうし、正直それどころじゃなかったので」
カオリの答えに、ササキは盛大に溜息を吐いた。
「確かに広まり過ぎた私の武勇が、敵勢力を潜ませる原因になっているのは自覚している。私が現地にいるとわかれば、襲撃そのものがなかった可能性すらあったのだ。この襲撃の背後関係を洗うにしても、前提として事態が動かなければ、世論も動きようがないのが現実だっただろうな」
過ぎたことを責めてもしょうがないと飲み込み、ササキは冷静に状況分析に頭を切り替える。
「世論と云うのはどういったものでしょうか? ササキ様」
ロゼッタがそう質問するのに対し、ササキは答える。
「領土の拡大を狙った戦争や、義援金目的の戦場への介入が、現状どれほど危険かつ無謀であり、また貴族にとって今後、国際情勢における情報収集が如何に重要であるか、だな」
難しい言葉ながらも、端的に事実のみを告げたササキの言葉を受け、ロゼッタ以外の面々もしばし黙考する。
「これまでの戦争が、単純な武力衝突だったのに対して、今後の戦地では第三国や他勢力の介入を警戒しなきゃならないってことですか?」
カオリが自分が理解した範囲でそう言えば、ササキは小さくうなずいた。
「これまで裏社会でしか活動していなかった勢力が、戦場と云う触媒を得て、なんらかの目的、この場合は戦争の勝敗を度外視して、それら活動理由をもって積極的に動いている機運が見受けられる」
「エルフ達の台頭はその切っ掛けに過ぎないと……」
ロゼッタもササキの言わんとするところを理解し、難しい表情で口元に手を添える。
「極端な話だが、戦争なぞ所詮は富の奪い合いでしかない、しかし戦争そのものが手段ではなく目的になった場合、また国家がそれら思惑に踊らされ、武力を行使せざるを得なくなった場合、そこには途方もない消費社会が生まれてしまう、血で血を洗う命の浪費と云うな……」
ササキの重みをもった言葉に、カオリ達は呆然と固まる。
「もしかして、各国の中枢に、いろんな勢力の息がかかった人とか、間者が入りこんで、国政を操っているなんてことも?」
「警戒して当然の予測だろう」
馬車に沈黙が落ちる。
「だが、ここまで脅すようなことを言っておきながらなんだが、カオリ君はあくまで国家とは無関係な立場だ。仮に村が今後大きく発展し、帝国や王国と交流をもつことになっても、対外的には無関係でしかありえない、なぜなら、君達は世界の敵にはなりえない、からだ」
ササキの抽象的な表現に、流石のカオリも首をかしげた。
「世界の敵? ですか?」
顔を見合わせるカオリ達へ、ササキは先の言葉を前置きとし、噛み砕いて説明する。
「君達の活動はどこまでいっても、村の開拓とそのための資金集め以上の目的がないだろう? 国家権益に巻き込まれることを嫌って、貴族を筆頭にした如何なる勢力とも交流を断っている現状、仮にどこかしらの怨みを買う、または利用するために干渉を強めようとする輩がいたとする」
手振りを使ってわかりやすく説明をしようとササキはゆっくりと言葉を繰る。
「果たして君達はそれらを撃退するために、躊躇う理由が一つでもあるのかね?」
「まったくありませんね」
ササキの問いかけに、カオリは即答で返す。
「そう、つまりカオリ君の戦う理由は即ち、自己防衛、または正当防衛以外のなにものでもないと云うことだ。君達がどれほど力をつけて勢力を拡大したところで、君達と君達の村は、国際情勢にとっての脅威にはならない、ゆえに君達を攻撃する理由は利己的な悪意以外存在しないゆえに、抗うことを躊躇する必要はまったくもって皆無、なんの遠慮容赦も必要ないと云うことだ」
「なるほど!」
元よりそうあるべしと方針の下に活動して来たが、こうやって言葉にすることで改めて迷いを抱く必要がないことを再確認し、カオリは難しい表情から一変、やる気に満ちた様子で拳を握る。
「もちろん危機的状況に備える必要はあるだろうが、だからと云って日頃の立ち振舞いを改める必要はなく、事前に根回しをしておく必要性も薄い、つまりことが起きてから対処しても十分に取り返しはつく上に、その方が反って世論を味方につけやすい」
存亡を脅かされたから対処した。攻撃を受けたから報復した。そう云った大義名分を掲げて過激な行動に出ても、世論がカオリ達を批判する可能性は極めて低く、むしろ味方を作りやすい立場を、これまでの活動でカオリ達は十分に示して来たのだ。
圧倒的に正しい立場から、邪な思惑を正面から叩き伏せることが出来たなら、これほど後世に禍根を残さない対処法はないとササキは語ったのだ。
「つまり私達は、世界がどうとか、戦争がどうとかまったく気にせず、これまで通りの生活をしていればいいってことですね」
笑顔でそう結論づけたカオリに、ササキも兜の下で笑みを作る。
「王都に帰ったら、また学園で存分に学ぶといい、今回の功績で王家も君達に一目おかざるをえず。また君達の行動に十分に配慮する必要があるだろう、君達はそれほどのことを成し遂げたのだ。胸を張りなさい」
「はい!」
協定軍の瓦解から撤退を余儀なくされた今回の作戦の結果は、王国を大きく動揺させた。
評議国との交戦でなく、また公国との内輪揉めでもなく、謎の勢力の単独襲撃による軍の敗走なのだから、詳細を知るもの達にとってこれほど受け入れ難い結果は近年稀に見る失策となるだろう。
とくに後日、ブラムドシェイド公国から贈られた抗議文、内容は主に紛争からの途中離脱により、国内へ混乱を招いたことへの責任追及である。
また軍を瓦解させるほどの力をもった勢力を、自国内に招いたのではないかという邪推も、迂遠な表現で仄めかしたことには、王国貴族ならびに王家の頭を悩ませるものであった。
もちろん西大陸最大国家であるミカルド王国としては弱腰な姿勢は見せられない、とくに今回の作戦は西大陸の戦乱への抑止力として、【太陽協定】維持するためにも、王国がその先鋒である規範とならなければならない。
失敗の許されない中での敗走によって、王国は是が非でも名誉を挽回する必要に駆られる状況に追い詰められたのだ。
幸いないことに襲撃によって要人が殺害されると云う最悪の事態は、カオリ達の活躍により阻止することが出来たのが唯一の救いである。
人命に優劣があるのが当たり前なこの世界で、失った兵力が平民で構成される軍の下級兵が主だった今回の被害状況は、敗走と云う結果で見るほど、致命的な失敗とは云えない。
また兵站や物資に関しても、近年のミカルド王国では十分な蓄えを備えていたために、大局に大きな影響を与えるほどではなかったのも、国内の批判を増長させない理由の一つとして挙げられている。
「また今回の襲撃では、公国が一切の被害に合っていないために、裏で公国が糸を引いていたのではないか、と云う陰謀論も民草の間で噂が広まっている」
ササキはそう語りながら、杯をかたむけた。
「ゆえにアルトバイエ侯爵閣下は、敗走の将と云う汚名を着せられながらも、同胞に裏切られた悲劇の人物として、多くの同情を寄せられている状況だ」
「【泥鼠】の皆さんも、市井でそう云った噂が流れているって報告でしたので、これでロゼのお父さんが不利な状況に貶められることはないって、少し安心しました」
襲撃の直後と云うことで、コルレオーネ第二王子を確実に王都まで護衛するため、結局帰りは馬車で数日間も、コルレオーネや騎士団達と寝食を共にしたカオリ達も、現在はササキの屋敷にようやく帰還した。
銘々に身繕いや休息をおき、カオリは直属の情報部隊となる【泥鼠】から、各種の報告を受けるなどをしてからの、夕食の席である。
襲撃が敢行され、多くの被害を出したことで、もはや調査どころではない状況となったことで、紛争地帯に残って調査を続けていた騎士団やササキも、お役御免となったために、カオリ達と共に帰還した次第である。
「それ以上に注目を集めているのが、カオリ君達の活躍だったのは云うまでもないだろう」
そう云ってササキは優しい笑みを浮かべる。
「父君と共に類稀な采配を振るったロゼッタ君、大混乱の陣中にあって、十数頭の召喚獣を討伐しながら、多くの兵を協合させ事態の鎮静化に貢献したアイリーン君、命まで危ぶまれた重傷者を何人も治療したアキ君、そして襲撃者を見事撃退し、自爆からも無傷で生還したカオリ君、君達の活躍だ」
我がことのように誇らしげに語るササキに、カオリ達は気恥ずかしく思う。
「侯爵閣下が敗走によりその地位を危ぶまれるようなことがないのも、その娘と娘の仲間達が大活躍したことが影響しているのは間違いない、言わずもがなだが、君達の本来の役目は第二王子の護衛でしかなかった。にも関わらず軍全体の存亡すらも守り抜いて見せたのだ。これで君達は自他共に認める実力者だ」
ことん、と杯を机においたササキはいつになく上機嫌な様子でそう締め括る。
夕食を終えてカオリ達は談話室に移動して談笑に耽る。
今回の遠征で一月と云う期間が流れたことで、季節は秋から冬に移ろうとしている。
気温も夜になれば暖炉を使わなければ足元が冷え込むこともあり、就寝までの時間はなるべく薪を節約する観点から、同じ部屋で過すことにしていたのだ。
「レイア先生が、学園は月替わりまで休暇にして構わないってさ、紛争に参加して帰ってすぐに勉強しろとは流石に云えないからって」
「学業の遅れは気になるけども、この一月はずっと気を張っていたものね。休暇をいただけるのは正直ありがたいわ」
帰還後即学園の業務に戻ったレイアは、それだけを伝えてカオリ達と別れた。
目立った活躍こそなかったものの、彼女がいたからこそ、評議国領内での移動や交渉も円滑に進み、コルレオーネの護衛も任せられたのだと、カオリは彼女をある程度信用することにした。
「どうせ時間があるなら、一回村の様子でも見にいこうか~」
カオリは長安楽椅子にだらしなく寄りかかりながらそう言う。
「それもいいけど、軍と一緒に移動して来た難民をどうするか、ササキ様に考えるように言われてなかったかしら?」
「難民の中にゃあ、あの時魔物共を撃退したカオリに保護してもらいたいって連中もいたさね。なにもなければ王領の開拓村に送られるから、王家に打診するなら早めに言っておいたほうがいいね」
カオリに対して難民の受け入れに関する注意を促すロゼッタとアイリーンの二人へ、カオリはそう云えばと思い出す。
紛争に巻き込まれ、または召喚獣の襲撃や、民族浄化をおこなった公国から逃げる形で、協定軍は多くの難民を受け入れるに至った。
先の襲撃でも少なくない被害が出たことで、国そのものを信用出来なくなったもの達も一定数いるのだとアイリーンは語る。
「そっか~、襲撃のせいですっかり忘れてたよ、来てくれるなら喜んで受け入れたいけど、王国にとって貴重な労働力なら、あんまり手放したがらないんじゃないの?」
この世界において、難民は当座の生活を保証出来るのであれば、将来の貴重な国力となりえる。
民族間の軋轢なども考慮されるが、ミカルド王国は地理的に多くの民族が共生する国家であるため、住み分けさえきちんとすれば十分に国民として扱う準備がある。
そのため人口を増やしたいから難民を受け入れさせてほしいと、カオリが要望を伝えたところで、それが簡単に受理されるとは考えづらかった。
とくにカオリの村はミカルド王国とは関係のない、領外の開拓村である。将来的な仮想敵とまでは云わないまでも、貴重な労働力を譲ってまで、協力する大義はないと、流石のカオリも理解はしているのだ。
「それは言ってみなけりゃわからないさね。王家が寛大な心を持ち合わせているなら、難民本人の意思を蔑にすることもないだろう? なにせ難民全部で数千人にも上るさね。その中の一部でも村の人口は倍になるんだよ? 言わなきゃ損だと思うけどね」
アイリーンの弁を受けて、カオリも真剣に考えを巡らせる。
「なら王家には打診だけしておいて、実際に何人を受け入れられるのか、受け入れた後の仕事はどうするのか、色々検討して具体的な数字を出してみようか、ロゼお願い出来る?」
「了解よ、明日中には書類に纏めて提出するわ」
カオリの指示にロゼッタはうなずく。
「難民の中にゃあ家族を守れなかったことを悔やむ男連中もいるさね。受け入れた暁にはセルゲイ達の下につけて、村の警備要員として訓練を施すことも考えた方がいいさね」
「ほっほう~、それはたしかに必要なことですねぇ」
アイリーンらしい提案に、カオリも同意を示す。
「なにはともあれ明日は王宮にササキさんと一緒に呼ばれてるから、色々事前に打診を送っておこうか~」
明日の謁見の後を、円滑な話し合いの場にするために、カオリすぐにササキへお願いをし、今日は早めに就寝することにした。
翌日、カオリ達は冒険者なりの正装に着替え、謁見に望んでいた。
作戦事態は敗走に終わった今回の作戦でも、著しい功績を上げたカオリを労い表することで、失敗に落ち込んだ雰囲気を少しでも払拭しようと云う思惑がある。
また王自身からの言葉を送ることで、開戦論派を宥め、派閥同士の無駄な対立を緩和する望みも見える。
紛争の介入を強弁した開戦論派の貴族を標的に、他派閥が発言力を強める事態は、王家にとっては頭の痛い話だと云うことだ。
問題の本質はあくまで、王家をも狙う謎の勢力の脅威に、国としてどう対策するのか、また混乱の兆しが強まる西方諸国への外交を今後、どのように対応していくのか、それに向けてミカルド王国が一致団結出来るかなのだから。
今回の作戦の唯一の救いにして切り札たるは、大陸最強と名高い神鋼級冒険者のササキと、その陶酔を受け実績を残したカオリ達さえ味方につけていれば、武力行使に対抗することが出来るという事実である。
事前に現在の情勢に関するあらゆる情報を集めてさえいれば、もっと有効的な対策を講じることが出来たはずだと、アンドレアス国王は居並ぶ貴族達に意向を示した。
またコルレオーネ第二王子の持ち帰った。評議国に関する情報も一部公開しながら、【太陽協定】の存続に触れ、今後西大陸の混乱への備え、具体的には放棄された街道や砦の復旧および、軍事力の再編が急務とした。
さらにまだ協定を結ぶ近隣諸国との連帯を深めるために、外交も今まで以上の努力が必要不可欠と強調すれば、日頃声の大きな開戦論派と開明論派の二派閥から大きな歓声が上がるほどであった。
結論として結果的に今回の作戦が王家の力を強める起爆剤として効果を示し、派閥間の無益な対立を緩和する運びになったのは、まったくもって偶然の産物であったことだろう、転んでもただでは起きない不屈の精神を、王家は国内外に示した結果である。
それらの結果を踏まえ、カオリ達へ感謝を送る理由から、王家は謁見後のカオリ達からの打診に、喜んで応じる運びとなったのは極めて僥倖である。
国王王妃両陛下並びに第二王子殿下の三人が席につく中、異例ながらカオリ達も同席を許され、現在は和やかな雰囲気でのお茶会が設けられた。
「先の謁見にて、そなた達への注目は嫌がおうにも高まった。ゆえに我ら王家がそたなたを遇することへの批判も抑えられよう、こうして茶の席を設けることに、異論を唱えるものはおらぬ」
「政治の道具ではなく、救国の切り札としての立場を明確に出来れば、貴女達を敵に回すことがどれほど愚かな行為か、そろそろお馬鹿な貴族達でも理解出来ますでしょう? 貴女達は利用材料なのではなく、我らの友なのです。格式ばった作法は不要ですわ」
両陛下の前置きに、カオリ達は座した姿勢のまま深く頭を下げた。
「恐れながら……、いえ、早速で申し訳ありませんが、今回保護した難民について、我が村で一部を受け入れることが出来ないか、陛下方の御意志をお伺いしたく思います」
カオリが代表として先触れに伝えた内容について、まずは具申する。
「王領軍主導による今回の作戦で保護した難民は、基本的に軍ならびに王家預かりとなって、後に王領の開拓に従事させ、納税をもって正式な王国民として扱う手筈になっておる。ただし希望者がおれば、移住先や受け入れ先を紹介することも当然の配慮と心得ておる。ゆえにミヤモト嬢の要望に対する我らの答えは、難民の意思を確認した上で前向きに検討させてもらおう」
アンドレアスがそう明言したことで、カオリは受け入れ自体が認められることに安堵した。
「また今回の作戦従事ならびに功績に対する褒美が、十分に難民受け入れの資金として十分なことも把握しておるゆえな、我らとしてはなにも心配をしておらんことは伝えておこう、むしろ国家に対して不信感を抱く難民達の受け皿として、そなたらが手を上げてくれたことに安堵してさえおる。感謝するぞミヤモト嬢、そしてその仲間達である諸君」
頭を下げることは王族として許されはしないが、言葉で感謝を告げることに躊躇いはないと、アンドレアスは満面の笑みでカオリ達へ言葉を送る。
「ではお時間があれば、これに一度お目をお通しください」
そう言ってカオリが差し出すには、数枚の資料であった。
「これは?」
いったいどんな内容なのか、アンドレアスが不思議そうに書類を侍女から受け取り、目を通す。
「私の部下に調べさせた。王都における違法な人身売買の実態と、それらに手を染める娼館や商会などを纏めた資料でございます。孤児院に偽装した仲介業者などもあり、貧民層ならびに貧民街の悪循環も表にして記しております」
カオリの言葉を受け、両陛下は驚きを露わにする。
「へぇ~、よく調べられているね。王家の影も基本的には貴族を対象にした調査にかかり切りで、王都市民に対する実態調査にまでは手が行き届かないし、あそこは王都守護騎士団でも容易に近付けない場所だから、全てを調べ上げるのはかなり難しいはずなのに」
もう一枚の資料に目を通しながら、コルレオーネは感心しきりの様子だ。
「私共としましては、王家に庇護される立場ゆえに、王家の力が増すことは大いなる感心ごと、そのため王家のお膝元たるこの王都において、悲惨な境遇に喘ぐ民への同情はもちろんのこと、税への貢献に至れない貴重な人材がある事実を、知りながら看過することが出来ず。独自に調査を進めておりました」
背筋を伸ばして発言するカオリへ、三人の王族は真剣な眼差しを送る。
「つきましては、これらに対して国から正式な許可をちょうだいした上で、摘発のためにお手をお貸ししていただけないか、また不遇な境遇にある貧民達へ救済のために一計を講じていただけないか、お願い申し上げます」
カオリはそう言い切って頭を垂れる。
「もちろん我らも、微力ながら協力させていただければ幸いです。とくにそれら商会などは暗殺者やごろつきといった武装集団への危惧もございますれば、我らは先鋒にて危険を引き受ける覚悟があります」
カオリの言葉を継いで、ササキも堂々とした態度で協力を約束し、アンドレアスはことの次第を十分に理解した。
「なるほどの、二年前のササキが王都でおこなった大粛清は、あくまで大きな組織や直接的手段を講じる危険因子の排除が目的であって、それらが生じる根本的原因の解決ではなかったのだったか……」
貴族どころか王族すらも狙うような暗部組織は、ササキの暗躍によってほぼ壊滅させられたのは記憶に新しいアンドレアスだが、それら大粛清とまで云われる働きをもってしても、社会のはみ出しものが生まれる原因となっている貧困を解決出来ない以上、また新たな芽を摘み切るまでには至っていないのだと思い出す。
「これはあくまで予想に過ぎませんが、今回の難民の中には、国に馴染めずに騙されて借金を負うものや、税を払えずに貧民へと堕ちるものも出る可能性が危惧されます。また既存の貧民達も、自国の民ではなく、異国の難民を優先する王家へ不満を抱くもの達が出るでしょう」
さらにロゼッタが毅然とした態度で、王家の方針が生む不和への指摘をする。
「それらの理由から、私共はこの機にて、難民達の不安の芽を、ミカルド王国の抱える根本的な諸問題の、一挙の解決を図り、一層の権威の強化を図るべきだと愚考いたしました」
カオリが顔を上げてそう告げれば、王族から感嘆の息が漏れた。
「よもやそこまで考えを巡らせておったとは……、難民の行く末をより案じておったのは、我らではなくそなたらの方であったことに、統治者として恥じ入るばかりぞ」
アンドレアスが再度資料に目を落とし、実際の数字として、自国の民達がどれほど不遇な環境下での生活を強いられているのか理解する。
夫をなくして生活苦から借金を背負い、違法な人身売買に身売りせねばならなくなった母子、孤児院で性の奉仕を覚えさせられ、なかば監禁状態で娼婦として働かされる少女達、過激な組織に犯罪行為を強要される少年達など、資料に記載された多くの実態は全て、実際にそう云った出自からもがき苦しんだクレイド達【泥鼠】自身らで調べ上げた生の情報である。
彼等の悲願は同じ境遇である仲間や子供達に、人としての幸せな生活と将来への希望を与えることであり。
これら情報は、そのために自らの手を血で染めようとも、汚れた金を集めんとした彼等の葛藤と憤怒の声なのだ。
「これを放置すれば、保護こそすれども、救済も、導くこともしなかった暗愚として、王家は民から見放される未来がまっていただろうね。これはカオリ嬢からの提案でもなんでもなく、他でもない王家の義務だ。早急に対処しなければならない案件だと思いますよ父上」
軽妙な調子ながら、言葉には重みを感じさせるコルレオーネに、アンドレアスは大きくうなずいてみせた。
「わかった。これについては早急に手を打つと約束しよう、コルレオーネ、この資料をもって王都守護騎士団と作戦立案について今すぐ協議せよ、ミヤモト嬢、この資料を預かってもよろしいかな?」
「もちろんでございます」
アンドレアスが資料を預かることを、カオリは了承する。
王家としては提示された資料に偽りや誇張がないかを独自で再調査する義務があるためだ。
「兄上やステルヴィオを巻き込んでも?」
「そうだのう、実動部隊の指揮をアルフレッドに、荒れた街地の整備などはステルヴィオに任せればよかろう、そなたは各行政への手続きを進め書類を揃えよ、出来次第私が決済し、これを王命として公布する」
誰がどのように進めるのかを、あえてカオリ達の前で説明することで、此度の案件を王家がどれほど真剣に取り組むつもりなのか示す。
「あとこれは無事摘発が成功してからのお話ですが、摘発されたことによって空いた商会の建物を一件、我々が買い上げることは可能でしょうか?」
ここまでの話とは直接的には関係がなさそうな提案に、流石のアンドレアスも理解が及ばず首をかしげる。
「してなにゆえかのう? 仮にそれが叶ったとして、場所は貧民街の只中、商売をするにも立地が悪かろう?」
摘発後に再整備を進めると云っても、人々の生活水準が向上するには相当な時間を要する。つまり気軽に買い物に訪れる客も見込めない立地条件では、誰かを招くための迎賓館としての使用も難しく、当然商売の拠点として利用するには難しい立地が容易に予想出来る提案だった。
「実は我が村で生産された治療薬など、村の特産品を売るための拠点が必要でして、いっそこの王都に商会を設立出来ればと考えております。アキ、あれを出して」
説明しながらアキに用意させたものを、カオリは机に直接おかず。やや離れた給仕用の荷台の上に飾らせた。
「私の家族であるアンリが作った各種ポーションです。村で産出される材料が主のため費用対効果が高く、もちろん品質も一級品を自負しております」
品質についての説明は簡潔にすませ、カオリは王族へと向き直る。
「つきましてはこれら村の特産品を王都で扱うご許可ならびに、商館の開業許可の下、受け入れた難民や仕事を求めた貧民達の雇用および、その子供達への保育または初等教育施設の設立を、お許しいただけますでしょうか?」
真顔でそこまで言い切れば、その場に沈黙が落ちる。
ややあってアンドレアスが盛大な溜息を吐くと、背もたれに脱力する。
「まいった! ミヤモト嬢はまっこと為政者としての才をもっておる。平民の冒険者にしておくのがこれほど惜しい人材、我が国の貴族に取り立てることが出来なんだを、これほど悔しく思ったのは久しい限りじゃっ!」
悔しげにしかしどこか晴れがましく言葉を漏らすアンドレアスに、ササキはクツクツと忍び笑いを向ける。
「だから言ったではありませんか、我が娘達はただの少女ではありませんとね」
一転して親しげに話すササキに、アンドレアスは恨めしげな視線を送る。
「すばらしいわっ、女性の活躍の機会にばかり躍起になっていた自分が恥ずかしくてよ、まずは民全体の暮らしを豊かにすること、これこそがもっとも重要だと思い知らされます」
これまで黙って会話を聞いていた王妃であるが、カオリの提案に感化された様子で手を合わせる。
「これも私の部下である貧民街出身者が、娼館に売られる幼馴染を救いたいと嘆いていたから、思い付いたんです」
カオリが経緯を説明すれば、王妃は眉根を下げて声を落とす。
「幼少からの淡い想いが、貧困が原因で引き裂かれる悲劇はいつの時代もおこりえるものだと云っても、当人にとっては人生を左右するほどの大事ですもの、一人の女として想い人と結ばれずに、身を売らなければならないなんて、きっと耐え難いものだったでしょうね……」
王族という至尊の身で、もっとも底辺とも云える境遇の民へ同情を向けるのは、ある種傲慢にも映るだろう、しかしカオリは王妃の声音にまことの情を感じて、静かに目を伏せた。
「もちろん我々もただ民を救いたいがために自己を犠牲に出来るほど出来た人間ではありません、当然利益は求めますし、そのために策を講じます」
暗に王家をも利用すると公言するようにカオリは無表情で語る。
「それこそが為政者に求められる素養さ、清濁合わせもつ器量こそが、現実の問題に対処するために必要な能力だからね」
カオリの言葉に笑顔で応じるコルレオーネも、私欲のために権力や情勢を利用出来る王族らしいあり方の体現であろう、それによって今回の紛争に巻き込まれたカオリにとって、彼からの言葉は十分理解出来るものである。
かくして王族との会談も終え、カオリ達は屋敷に帰宅後、服を脱ぎ捨てて談話室にだらしなく身を投げ出した。
「最後の商会設立に関して、カオリが言及したのにはひやひやさせられたわ」
紅茶を優雅に啜りながらも、やはりどこか弛緩した様子でロゼッタは声を出す。
「だってああでも言っておかないと、まるで私が聖人君子みたいでこそばゆかったんだもん、折角お金ももらえて選択の幅が広がるなら、もういっそ前から考えていた計画を一気に進めたいじゃん」
カオリは長安楽椅子に全体重を投げ出して、天井を仰ぎながらそう言い訳をする。
「いやぁわくわくするね~、難民を受け入れりゃ村の人口も増えて、また産業収入とその販路の維持のために、人も力ももっとつけなきゃならないんだ。こりゃあ忙しくなるさね」
からからと笑うアイリーンの手には、すでに酒瓶が握られ、中身を半分以上一気飲みした後である。ちなみに今日は葡萄酒のようだが、瓶ごと煽るような酒ではないと、横目で見るロゼッタは内心で呆れる。
「アンリ様のお作りになられた作品が、日の目を見る機会をえるなど、これほど喜ばしいことはございません! ああアンリ様っ、このアキめが必ずや貴女様のポーションの素晴らしさを、この下賤な都の民達に認めさせてごらんに入れます!」
「下賤な都とは酷い言い草ね……、一応私の故郷なんだけど?」
久しくアキが暴走したように悦にはいるが、聞き捨てならない言葉にロゼッタはすかさずツッコミを入れる。
「さーて、これから忙しくなるぞー、えいえいおーだ!」
「おーです!」
「おーさね!」
カオリがだらしない恰好のままに拳を突き上げれば、ロゼッタを除く二人も唱和する。
「その前にカオリは遅れた勉強の方を進めなきゃいけないでしょう? レイア先生伝手にステラからここ一ヶ月の講義の進捗記録を預かってるから、今晩からでも私と一緒に自習だからね」
「ええっ! マジぃ!」
「それとアキも難民受け入れのために書類の精査を手伝ってちょうだい、私一人じゃ清書するのに時間ばかりかかるんだから」
「承知しました」
気だるげにそれぞれの役目を伝えるロゼッタに、アイリーンが不敵な笑みを送る。
「ほほう仕事熱心なこって、それであたしゃあなにをすればいいんだい?」
この流れならば彼女にも、なにかしらの仕事をと考えるのが自然だろう。
「酔っ払いはいりません、お風呂にでも入ってさっさと寝れば?」
「……それはそれでさびしいさね~」
暖炉の薪の爆ぜる音が、妙に耳に残る。