( 政略騒動 )
「あんの馬鹿お父様あぁぁっ! ついに仕出かしたわねぇっ! ここへ来てっ、どういうつもりでえぇぇっ!」
「お嬢様、落ち着いてください」
怒り狂うロゼッタを宥めるステラを横目に、カオリはササキの説明を冷静に待つ。
「相手は……、やはり第二王子殿下か」
「つまり、ロゼと婚約関係になって、芋蔓式に私達【孤高の剣】を私兵冒険者として抱えて、あわよくばあんなことやこんなことを? エロ同人みたいに!」
「……やめような? 女の子がそんなことを言うのは」
カオリの歯に衣着せぬ言葉に、思わず素で注意をするササキ。
「お父様殴る……、おとうさまなぐる……、オトウサマナグル……」
「お嬢様どうどうです。どうどう」
徐々に人としての理性を失いつつあるロゼッタだが、カオリはそれでもまるっと無視してササキに問いかける。
「開明論派的にはロゼを婚約者に迎えることはどうなんでしょうか?」
「ふむ、アルトバイエ家は開明論派よりの穏健派であるはずだが、今の情勢を受てどう考えが変わったかはまだ読み切れないところだ。無論レイド人を妃に迎える利益は大きかろう、しかし電撃的な展開なのは間違いない、まだ派閥内で意見が出尽くしてはいないはずだから、今後この話が白紙に戻る可能性は十分ありえると思われる」
顎をさすりながら推測を述べるササキの言葉に希望を見出したカオリは、大きく息を吐いた。
第一に婚約者と云う位置付けが、結婚を約束したものでしかないのだから、なにも絶対の拘束力はない、どちらか一方の心変わりや醜聞一つで解消するなど、貴族社会では往々にしてある。
「開戦論派の教師を撃退したカオリを引き入れて、牽制すると同時に、派閥の強化を固めると云うことですね?」
「おおっ、急に戻った」
火が消えたように冷静さを取り戻したロゼッタに驚くカオリ。
「まあつまり、第二王子のカオリ君への攻勢はまだまだ続くと見ていいだろう、なにせ接触する切っ掛けを得たのだからね」
「うへ~、面倒だなぁ~」
心底嫌そうな顔を浮かべるカオリに、ササキは改まって質問する。
「そう云えば聞いたことがないが、カオリ君はこの国で、将来恋愛や結婚を考えてはいるのかね? 一応適齢期には入っているはずだが」
親役ではあるが実父ではないササキは、基本的にカオリの考えを否定することはない、そのため一応確認のための質問である。
「んん? あぁ~、どうでしょう? 誰かを好きになったことがないですし、立場的には将来的に政略結婚もありえるんですかね?」
村の盟主として、どこかの有力者と婚姻を結ぶ可能性を考慮して発言するカオリだが、ササキはそれを否定する。
「いや、彼の村の立場は独自性にこそ強みがある。下手な政略結婚は逆に弱みにしかなりえん、いっそ恋愛結婚こそが村の在り方として理想的な形だ」
であるならばと、カオリがしばし黙考するのをササキは見守る。
「じゃあ基本的にはないですね。この大陸の男の人って大体美形ですけど、なんかもう見慣れちゃって……、とくになにも感じないですし、やっぱり同じ価値観を共有出来ないって、寂しいですもん」
この世界、という表現を避けつつも、正直に想いを述べるカオリには、将来的にこの世界に骨を埋めることを、誰かと生涯を共にする未来を、どうしても想像出来なかった。
日本で生まれ育ち育まれた価値観や知識の数々は、たしかにカオリの大切な思い出なのだから、それを共有出来ないこの世界の住民と伴侶になるのは、きっと多くの秘密や妥協を強いられるだろう。
極めて現実主義なカオリにとって、結婚は愛だけでは継続出来ないものであると理解している。
「とりあえずロゼの婚約は断固反対です! あんな開明的スケコマシ王子様にロゼは渡せませんし、私はもっとロゼと冒険がしたいんですっ!」
「……カオリ、ぐすっ」
カオリの断固たる想いに目頭を熱くするロゼッタは、その言葉に大いに勇気付けられた。そもそもロゼッタ自身を求めた婚約でない時点で、かなり失礼な話である。彼女にとっては不愉快極まりない。
ただ男尊女卑の根強いミカルド王国の貴族社会に育ったロゼッタにとって、一度決まりかけている婚約を白紙にするのは勇気のいることだろう。
状況が不透明な現段階では、動きようがないとして、ササキから状況の詳しい説明を求める返信をしたためる以外に思い付かず、案件は明日に持ち越しとなった。
翌日、学園に登園したカオリ達であったが、早くも動きを見せた王子側の手回しによって、講義を休んで別室に呼び出される運びとなった。
職員棟の豪華な一室に通されたカオリ達は、そこで再びコルレオーネ第二王子と対峙することとなる。
同席者には見知らぬ男性がおり、恐らく王宮の文官であることが伺えた。
手にもつ書類に不穏な気配を感じつつ、カオリ達は礼をした後、促されるまま対面の席に着席する。
どうやらカオリをロゼッタより下に見ることなく、仲間として尊重し、対等な立場と見据えているようである。そこにも王子の思惑が透けて見えることに、カオリは辟易とする。
「久しぶりだねアルトバイエ侯爵令嬢、昔のようにロゼと呼んでもいいかい?」
「……ご随意に」
気安く話し始めるコルレオーネにロゼッタは努めて冷静に対応する。
王家に近い高位貴族家では、幼少時の遊び相手として、王子に対して同年代の子息令嬢をあてがう風習があるため、コルレオーネとロゼッタは幼少期に面識があった。
長らく顔を会わせていなかった二人だが、コルレオーネはここぞとばかりに馴れ馴れしく接して来るのに、ロゼッタは内心で辟易とする。
「長らく一人の令嬢を選ばなかったが、これで家臣達も安心するだろう、君のようにたしかな実績をもつ令嬢を迎えられるのは、王家にとっても、僕にとっても喜ばしい限りだよ」
すでに既定路線の如く語るコルレオーネだが、ロゼッタは意を決して反論する。
「お言葉ですが殿下、私にとっては寝耳に水なお話ゆえ、色よいお返事が出来ないことをお許しください」
ロゼッタの言葉に目を丸くするコルレオーネだが、予想範囲内であったのか、柔和な笑みで受け止めた。
「そうは云うがロゼ嬢、今回の件は君のお父上であるアルトバイエ侯爵も合意の上での婚約だ。君にとってもよい縁談であることを保証しよう、君を不幸にしないと神に誓う」
親の合意を盾にしつつ、自身の気持ちも語る王子の姿は、通常であれば喜び勇む令嬢がほとんどであるかもしれないだろう。
例え王子に女癖の悪さと云う醜聞があれど、美しい容姿に国の最高権力という立場があれば、それだけで寄って来る令嬢は枚挙を厭わないのだから。
しかしそう云ったもろもろを含めて、断固拒否の姿勢を崩すつもりのないロゼッタは、努めて冷静に対応する。
「私は現在、冒険者ササキ様の後見を受ける身、つまり便宜上はササキ様の娘であり、ただ一人の自由な冒険者です。本人の知らぬところで結ばれた婚約に、素直に応じる義務はございません」
「ふむ、それは困ったなぁ……」
言葉巧み令嬢を掌で転がす話術をもっていても、確固たる立場と意思をもって行動するものを誘導するのは容易ではないと理解したコルレオーネは、次にカオリに矛先を向ける。
「君はどうだいカオリ嬢、彼女が王族になればこの国での君の活動はかなり自由になる。このまま王子妃つきの私兵になれば、それこそ騎士団隊長並みの権限を行使出来る上に、活動資金は実質国庫からいくらでも支給出来るんだ。冒険者としてはこれ以上の出世はないと思うけど?」
実に世俗的な謳い文句に、カオリも真顔で返答する。
「私はこの国の民ではありませんので、分不相応な待遇は身に余ります。この国の婚姻に対する風習を量り兼ねる我が身なれど、それ以上に我が村の発展を願う盟主として、一国家に与するは戦の機運を高める恐れがあれば、将来的にこの地に骨を埋めるのは避けるべきだと判断しております」
カオリは村のおかれた情勢の危うさを引き合いに出し、極めて政治的理由からコルレオーネの誘いを拒絶した。
正直、今回のコルレオーネの企みは、前提からしてすでに破綻していると云わざるを得ない。
本人達の感情を抜きにしても、カオリ達を手中に収めることには、国としても危うさを孕んでいるのだ。
冷静に考えればこのような手段が悪手であることなど明白である。そのためササキは今回の話は、そう難しい問題ではないと明言した。
つまりコルレオーネ側は、カオリ達を直接説得する以外、外堀を埋めることが出来ないに等しいということだ。
「うむ……」
常であれば自分が笑顔を向ければ言うことを聞く令嬢の中で、この二人ほど懐柔するのが難しい女性はいないだろうことを実感し始めたコルレオーネ。
しかし彼も破れかぶれな手段に出るだけで、なにも策がないわけではない。
後ろに控える文官に目線で合図を送ると、文官は無言のまま一枚の書類を差し出した。
「これは彼のエルスウェア評議国なる勢力の動きを受けて、我が国が対応すべき政策に関する書類だよ」
唐突に切り出された話題の転換に内心驚く二人だが、差し出された書類に目を通してさらに驚きを大きくした。
「太陽協定の執行と人民の救済? まさか、軍を彼の国に差し向けるおつもりですかっ!」
「ちょっと待ってロゼ、この軍の指揮者って、ロゼのお父さんの名前じゃないの?」
「えっ?」
カオリの指摘に目を下に滑らせるロゼッタは、そこにたしかに自身の父、カルヴィン・ド・アルトバイエ侯爵の名前を認め、顔から血の気を失わせる。
「彼の評議国の建国に伴って、現在内乱が勃発している隣国は、君達レイド人と祖を同じくする同胞達の国、【ブラムドシェイド公国】、かつての同胞を救うために、レイド人の侯爵に軍を任せるのがもっとも適していると云うのが、議会での総意なんだ」
沈黙が降りる中で、カオリは言葉にならない感情に支配された。
(つまり、ロゼとの婚約は、軍を指揮することになる侯爵への楔? それと同時にお父さんを助けたければ、第二王子が後ろ盾になれるように娘のロゼを利用して関係を強化するしかないって脅し? ――ここまでするの?権力者はっ!)
半ば戦慄するほどの驚愕に、カオリはロゼッタの様子を伺う。
だがもはやこの時点で彼女も事態の意味を理解したのか、完全に表情をなくして震えていた。
(いくら情報伝達の未発達なこの世界でも、隣国側に与すれば、エルフの強力な魔導技術の標的になることぐらいは予想出来るはず、つまり例え目的が難民の保護であったとしても、ロゼのお父さんが危険な目に遭うかもしれないのは織り込み済みってことでしょ?)
なんとか状況を整理しようと思考する傍ら、カオリは震えるロゼッタの手に自らの手を重ねる。
「……なら今回の婚約話しは、お父様の独断が発端ではなく、王家が、国が、父を死地に向かわせようとしたことによる。お父様からの、私への嘆願、なの?」
書類を握り潰さんばかりに力を込めるロゼッタに、コルレオーネはあたかも優しげに囁きを向ける。
「まだ国の政に関われない僕に出来る。侯爵への唯一の援助、それが君を妃に迎えて、王家から兵力を貸し出す。または後顧の憂いをなくすことだと思ったんだ」
あくまでも善意からの行動であると主張するコルレオーネに、カオリは云い知れない薄気味悪さを感じて眉をひそめた。
決して彼が今回の元凶ではないのは間違いない、たかが王子の身で、国の政策の決定権などあるわけはないのだから、しかしそれを自分の都合よく利用し、あたかも善人ぶる様子は、浅いと思わせた彼の器に、深淵の穴を覗かせた。
これが貴族、これが権力者である。とカオリの中の誰か嘲笑う。
今は混乱して正常な判断が出来ないだろうと言って、コルレオーネは部屋を辞していった。
後に残されたのはカオリとロゼッタの二人だけ、窓からの日差しが暖かい部屋の中にあって、二人の周囲だけが、沈み込んだ水底の冷たさを感じさせる。
そこへ扉を叩く音が響いたことで、カオリは反応して入室を許可した。
「暖かい飲み物を淹れました」
すでに配置されていた紅茶とは別に、淹れたての茶をもって来たのは、なんと学園案内時に一悶着あった。人間に変装したエルフのレイア・フィアードだった。
無言のまま警戒するカオリを受け、しかしレイアはどこか優しげに声をかけた。
「同胞と人種による諍いの情報は、仲間伝手に私のところにも届いております。また軍の動きも、学園にいれば自然に聞こえて来るものです。心中お察しいたしますアルトバイエさん」
(心配……とは違う、同情でも憐みでもない……、これは悲しみ?)
静かに声をかけるレイアの表情から、鋭敏に感情を読み取るカオリが見たのは、ただただ純粋なまでの悲哀の感情であった。
「教えてくださいませフィアード先生、今エルフ達を敵に回して、軍はどれほどの被害を被るのでしょう……」
戦場に立つ父の生存の確立がどれほどか、それを知りたいがための質問に、レイアは隠すことなく告げる。
「たった一領を取り戻すために、ブラムドシェイド公国はほぼ総力を上げています。つまり評議国の支援を受けたその領地は現在、小国家に匹敵するほどの戦力を保有しているのです。仮に侯爵閣下が領軍を率い、騎士団を借り受けたとしても、勝敗は五分がいいところ、そこにエルフの魔導戦士団が加勢することになれば、――全滅すらありえるでしょう」
レイアの予想に顔から血の気を失わせながらも、静かに受けとめるロゼッタは、貴族の令嬢として立派な姿を示した。
この日の講義を、二人は体調不良を理由に早退し、すぐに事情をササキに報告すると共に、ロゼッタを一時的に家族と面会させるために手配した。
夕方には双方支度が整ったとし、カオリも同伴の上、アルトバイエ邸に出発する。
その間ササキは可能な限り情報収集をすると云って、王城に向かっていた。
アルトバイエ邸に到着して執事や侍女達の歓待を受けつつ、客室に通されれば、そこにはすでに夫人、そして当主アルトバイエ侯爵が二人を待っていた。
なんだかんだと云いつつ初めての顔合わせであるカオリは、ロゼッタとともに騎士の礼をして入室する。
「座りなさいロゼ、そしてミヤモト嬢も隣に……」
真剣な面持ちで着席を促すカルヴィン・ド・アルトバイエ侯爵に従い、カオリはロゼッタの隣に着席する。
沈黙が降りる一同、話し始めるのは当主の役目のため、カオリもロゼッタも静かに待つ、しばらくして紅茶も出そろえば、口を湿らせつつ、カルヴィンはゆっくりと語り始める。
「この度の縁談についてだが、これは王家も、もちろん私も合意のもと、正式なものとして話を進めるつもりである」
「そんなことよりもお父様、西の内乱鎮圧に出陣されるというのは本当ですの?」
お互い論点が違うがために始めから食い違う双方は、そこでまた言葉を切る。
「……まだ決定ではない、開戦論派が指揮権を主張しておるし、私とて軍を率いた経験などないのだから、どうなるかは分からん、現状ではブラムドシェイド公国の民族感情に沿って、私が候補に挙がったに過ぎん」
「それで私が王子と婚約などしてしまえば、そのお話が確実となるではありませんか、それを知りつつ婚約をお受けになられたのであれば、愚かにございます!」
「ロゼ! 親に向かってなんて言い草だっ、冒険者に身をやつして、心まで野蛮になってしまったかっ!」
ロゼッタの主張は真実である。アルトバイエ家を筆頭に、ミカルド王国には多数の異民族が併合されている。それはつまり潜在的に国内に民族紛争の可能性を抱えていると云うこと、一時的にとは云え、他民族の貴族に兵力を貸し与えた場合、そのまま独立や謀反を企てる危険を招くのだ。
そのため王家としては隣国の民族感情に沿いつつも、アルトバイエ家の離反を防ぐために楔を打ち込みたいところ。
そこで白羽の矢が立ったのが、未だ婚約者のいないロゼッタだったのだ。
王家と縁続きになることで、アルトバイエ家がミカルド王家に忠誠を誓っていることを示すことが出来れば、王家が後ろ盾になり、より兵力の融通が利く上に、隣国に王家が恩を売れるのだから、当人達の感情を抜きにして考えれば、国として最善の手であることは間違いない。
しかし戦での指揮経験の浅い侯爵の身の安全、結婚を望まぬロゼッタの感情を思えば、このまま周囲の意のままになることは容認出来ない。
とくにロゼッタにしてみれば、望まぬ相手と結婚させられた挙句に、父親が戦場に追い立てられるのだから、堪ったものではないはずだ。
ここまで感情が拗れれば、最早親子間での衝突は必至、カオリは居た堪れなさに居心地悪く身動ぎする。
そこにササキからの遠話が届く。
『そちらではすでに面談が始っているだろうから、こちらからの情報を送ろう』
カオリ達の状況を察して、なるべく早く正確な情報を共有しようと、ササキから一方的な情報をカオリは受け取る。
『現在の帝国王国間戦争の事実上停戦によって、相互不可侵を含む【太陽協定】のたがが緩みつつあるな中、此度の評議国発足と公国の内乱は、長らく続いた西大陸の諸王国戦争を再び引き起こす引き金になり兼ねん、よって王国が率先して内乱の鎮圧に乗り出すことは確実だ』
国際情勢を鑑みて、【太陽協定】の旗印である大国ミカルド王国が、この件で座して傍観する道はありえないと前置きをして、ササキはさらに王家の思惑にも触れる。
『また王家としてはこの度の出征が、開戦論派と開明論派の主張双方を収める一手であるため、余程のことがなければ、アルトバイエ侯爵の出征は確実であるそうだ。ただしそこにロゼッタ君の婚約はそれを後押しこそすれ、絶対条件と云うほどではない、両派閥を抑える上でもアルトバイエ家は派閥に染まり切らないよい立場であることも後押しし、これを絶好の機会と考えている側面もある。しかしあくまで統治者として当然の判断を下した以上に、他意がないのは理解してほしい』
アンドレアス国王と個人的な付き合いがあるササキにとっては、カオリ達に悪感情をもってもらいたくないと云う気持ちを込めて、やや王家を擁護する言葉を添える。
国のかじ取りというものは、個人の感情など容易に黙殺しうる度し難いものであると、カオリは改めて理解する。
『だが王子が今回の話を利用しようと、国王に提案して認めさせたのは事実、すでに王子の手のものによって有力者の間で根回しが進んでいる現状、ロゼッタ君の婚約話しを白紙に戻すには、相応に骨が折れるだろう、私の方でも王を説得……、いや断固抗議するつもりだ。カオリ君は今の情報を踏まえて動いて欲しい』
国王の思惑を汲みつつも、最後はカオリ達の味方をするつもりであると強調したササキは、最後にそう云い添えて遠話を切った。
カオリは表には出さないように、呼吸を整える。
未だ醜い親子の罵り合いを続ける二人に、カオリははっきりと割って入る。
「発言をお許しいただけますか?」
「う、うむ、いいだろう」
そこで初めてカオリの存在を思い出したカルヴィンは、親子のみっともない姿を恥じつつ、カオリの発言を許す。
「内乱の鎮圧のため、ミカルド王国が協定を尊守するのは仕方がないとは理解しています。そのためにはアルトバイエ侯爵閣下の出征が不可欠であることも間違いないでしょう」
カオリは言葉を一旦切ってさらに続ける。
「しかし私、もちろんロゼ本人も、今回の婚約を断固拒否するつもりです。冒険者ササキも陛下に直談判してくださることを約束してくださいました。ご両親様にとってはよい縁談かもしれませんが、……ロゼから怨まれるお覚悟を」
「な、なんと云う不遜……、なんと……」
これが通常の貴族であれば、親の決めた縁談を子の意思で破談にすることなど不可能かもしれない。ましてや平民に過ぎないカオリの意思の介在など、許されるものではないだろう。
しかし今のカオリ達はササキの後見を受けることを、国が許可しているのだ。つまりササキが認めない限り、ロゼッタの縁談は絶対に成立しないのだ。
それを理解しているカルヴィンは、忌々しげにカオリを睨みつける。
娘をたぶらかして冒険者なんかに引き込んだ元凶にして、ロゼッタの絶対の味方である凄腕の冒険者、無理を通そうにも立場をもち、実力行為は自力で跳ね除ける目の上のたんこぶ。
これまで冷静に対応してはいたが、彼にとってはカオリは間違いなく目障りな存在であるのは明白だ。
また高位貴族がたかが平民にここまではっきりとものを云われて、面白く思わないのは当然とも云える。
「カオリをお怨みになるのはお門違いですよお父様、カオリは私の意思を尊重して、もてる力の全てを使って味方してくれているに過ぎません、翻ってお父様はと云えば、娘の意思を無視した挙句、これまでさんざんに裏で邪魔立てし、ご自身は国に振り回されて戦場送りに、いい加減目を覚まされていは如何ですか? 私は冒険者です。お父様の政略の駒ではございません」
断固たる意思を示すロゼッタの姿に、完全に呆けるカルヴィンに、カオリ達は即刻辞去を申し出て、アルトバイエ邸を後にした。
育ててもらった恩を仇で返す行為、と云えば、ロゼッタの突き付けた宣言は、父親であるカルヴィンにとって親不幸な自分勝手に映るかもしれない。
「だがな、私も娘をもつ父として云わせてもらうならば、娘を送り出すこと、子をもつ幸せを知ってもらうこと、それはどれだけ我が子と向き合って、心に寄り添って、分かち合える信頼を築けるかにかかっている。我が子の価値観を育てたのは他でもない父親自身であって、子の選んだ未来を意のままに歪めるなど言語道断、己の所業を棚に上げて一方的に叱りつけるなど、恥ずべき行為だと考えている」
まるで巌のように不動の姿勢で、ササキは強い口調でそう断言する。
ササキ自身、よき夫として、よき父として、家族の幸福のために仕事と家庭に心血を注いで来たのだ。
娘の大学卒業を見届けて、結婚式こそ叶わなかったが、自分の娘であるならば、よき男性と縁を結ぶと信じている。
世界が変わり、立場も変わってしまったが、父親の義務とはいかなるものか、その信念だけは決して曲がることはなかった。
この世界の貴族制度のなんたるかは理解しているが、それでもそこだけは揺るぎない意思を貫いているのだ。
ゆえに今回、ササキはロゼッタ自身とカオリの意思を聞き、即座に動いたのだ。
結論を云えば、アンドレアス国王はササキの剣幕に恐れ慄き、即座にコルレオーネ第二王子とアルトバイエ侯爵令嬢との婚約を白紙に戻す約束をした。
幼少より目をかけていたロゼッタが、娘になる未来を期待していた王妃は非常に残念がっていたが、息子の不貞行為を知る母親としては、あまり諸手を上げて歓迎出来る立場ではないことは理解していたのか、また政略の駒とする縁談である経緯もあって、一言も反対することなく、ササキの抗議を受け入れた。
後見人が反対し、王家が撤回し、婚約者本人が拒絶したのだから、今回の婚約話しが実現することはありえない状況となり、ロゼッタもカオリも心から安堵した。
僅か二日間の一悶着ではあったが、相応に緊張を強いられたためか、気の抜けた二人はすぐに就寝と相成った。
ただし、アルトバイエ侯爵が戦場に赴く危険そのものが解決したわけではないので、ロゼッタの不安が払拭されたわけではない。
いくら迷惑をかけられた父とは云え、死んで欲しいわけでは当然ない、過剰に干渉するのも、娘を愛するがゆえの行動であるのは間違いなく、娘に優しい父との思い出が、ロゼッタの心に走馬灯のように去来する。
可能であれば戦地になど行って欲しくはないが、それが難しいのは、貴族の生き方を重視する父を知る以上、もう覆すのが難しのは受け入れる他はない。
ならば最悪の事態を避けるためにはどうすればいいか、一日遅れで学園に戻ったカオリ達は、講義中にあれこれと可能性を模索する。
昼食時間となり、喫茶店に向かう道中に、予想していた王子からの接触があり、二人は廊下にて王子と対峙した。
「……随分とわがままを通したようだねロゼ、今朝になって父から此度の婚約が白紙になった旨を伝えられたよ、そこまで僕を拒絶するのだね」
「あら、元より王子の狙いはこちらのミヤモト嬢ではありませんでしたでしょうか? まるで私が殿下を嫌っているかのような物言いをされては心外でございます」
一応目上を尊ぶ態度をしつつも、眼中にない心情を隠すことなく接するロゼッタに、コルレオーネは盛大な溜息を吐く。
「幸いまだ貴族に通達する前に話しが決まったので、噂が広まることはないだろうが、それでも一部では女性に逃げられた男と、後ろ指さされることになるだろう……、僕の婚期が遅れることがあれば、それは君のせいと云わざるをえないね」
「それは異なこと、ちゃんと意中の女性の心を掴んでおかないのが悪いのです。責任転嫁をされるのも大概になされませ、女性は男性の都合のいい道具ではございません」
自分の望みを叶えるために、政治をも利用したことを棚に上げ、コルレオーネは静かに怨みがましい視線をカオリ達に向ける。
まさかカオリ達がこれほど早く事態に対処してしまうとは予想だにせず、おいおい外堀を埋めるつもりで段取りしていたのが、たった数日で覆されたのだ。
男としてはこれほど矜持を傷付けられたことはなかったのだろう、コルレオーネの眼差しには不穏な情念が見て取れる。
流石に今回の騒動でコルレオーネがカオリ達を害することはないだろうが、後々に禍根を残すことは間違いなく、カオリはコルレオーネの一挙手一投足を注意深く観察する。
「約束がありますので、これで失礼いたします」
ロゼッタの言葉にカオリも礼をしてその場を離れれば、未だ立ち尽くすコルレオーネが視界の端に映る。
「うーん、そんなに怨むことかな~」
珍しい異国の美少女を逃がしたこと、手を回した婚約が思い通りにいかなかったことが、コルレオーネの、男の矜持をどれほど傷付けたのか量り兼ねるカオリは、今後この確執がどう作用するのか気になり、やや頭を悩ませる。
「王子自身にはなにも出来ないはずよ、良くも悪くもね……、王族と云うのは派閥や人を使って始めて影響力を発揮するもの、たしかにその力は計り知れないけれど、逆に云えば派閥の象徴として以外の要求は、黙殺されるのが常ですもの、今回は情勢と立場が上手く噛み合ったから、要求が通っただけ、今後私達に接触しようにも、そう上手く周りが協力してはくれないはずだわ」
一度逃げられた相手に執着するなど、それこそ派閥の貴族達が反対するだろうと予想して、ロゼッタは確信をもって語る。
しかし、事態は思わぬ展開へと推移する。
翌日、昼食後にササキから突然遠話が届いた。
『カオリ君、まずい状況になった』
『うぇ、どうしましたササキさん』
ササキにしては珍しく云い淀む声音に、カオリは嫌な予感に襲われる。
『公国領内の内紛を偵察していた斥候の知らせによって、彼の地で未確認の魔物の存在が観測された。予想では、あの【人工合成獣】と似た姿であるらしい』
『んあっ、マジですか? それってつまり』
驚愕するカオリに、ササキは結論だけを先に告げる。
『あの第二王子は、どうやら本気のようだ』
とりあえず機密情報も含まれるために、日中はなにごともないかのように学園では振る舞い、夕刻即帰宅したカオリ達はササキの待つ執務室に急いだ。
扉の前で息を整え、カオリとロゼッタは入室して促されるままに長椅子に着席した。
「ロゼッタ君もカオリ君から話しは聞いているかい?」
「はい、あの王族を襲った鎮魂騒動のおり、暗殺者の少女が召喚した【人工合成獣】が、彼の内乱の地で確認されたと聞かされました。しかしそれと第二王子がどう関係しているのでしょうか?」
不思議そうに質問するロゼッタに、ササキはどかりと長椅子に腰かけて語り出す。
「王族を不届きにも襲撃した彼の暗殺者、それが召喚した魔物に酷似した存在が確認された以上、ミカルド王家は真相解明のために動かざるを得ない、つまり【太陽協定】如何に関わらず。王家は彼の地へと騎士団を送り、下手人の捕縛が急務となる」
ステラが紅茶をもってその配膳を待ち、ササキはさらに続ける。
「その騎士団の総指揮を買って出たのがあの王子、コルレオーネ第二王子殿下だ。大義名分としては王族を狙うような勢力なら、戦場に王子が現れれば無視をせず積極的に狙ってくるだろうこと、そして今回の騎士団派遣により王子が陣頭指揮を執れば、より公国への友好を強固に出来るだろうと云う理由だ」
黙って聞き入るカオリ達へ、ササキは茶を勧めつつ、だが非常に云い辛そうに最後の情報を口にする。
「そして……、その王子の護衛を、国が、我々に指名依頼を出すそうなのだ」
「マジかあぁぁ~」
「なんてこと……」
だがそこでササキは不意になにかに反応を示し、即座に遠見の鏡を取り出すと、どこかの映像を映し出した。
そこはどうやら簡易の謁見の間らしく、玉座にはアンドレアス国王と、数人の騎士、そして誰あろうアルトバイエ侯爵、ロゼッタの父であるカルヴィンがいたのだ。
『は、話しが違いますぞ陛下! 私が貴族としての義務を果たすべく、王家に忠誠を示すべく兵を率いることは当然ですっ! しかし誰が、娘を戦地に送ることを了承する親がおりましょうかっ!』
『……分かっておるカルヴィンよ、余も胸を痛めておるのだ。しかし息子がその勇気を示そうと云う中、可能な限り無事を願って、実績のあるものを護衛にと望むのは必然、これは余の考えのみならず、多くの貴族が望んだことなのだ』
『ご安心めされよ侯爵、僕が担うのはあくまで下手人の捕縛により、評議国と暗殺者との関係を明らかにすることのみ、決して戦場で蛮勇を示すつもりはありません』
『ええいなにをおっしゃるかっ! それでも紛争地帯に殿下の護衛と称して娘達を連れ回すのは避けられませんぞっ、戦場ではなにが起きるか分かったものではないっ!』
言い合う王家と侯爵とのやり取りを遠見の鏡で確認しつつ、カオリ達は深刻な表情を浮かべる。
あれほど一方的に拒絶した親子ではあったが、本心から互いを家族として愛しているのは否定しない、ロゼッタはこれほどまで自分のために怒り狂う父の姿を見て、何やら云いようのない感情に支配された。
「どうやら陛下も相当に板挟みにあったようだな……、私に侯爵を宥めるように遠話までして来るとは、すまないが少々場をとりなして来なければならなくなった」
ササキはそう云うと立ち上がり、急ぎ身支度を整え始めた。
退室したカオリ達はそのまま談話室に移動して、無言のまま席に座る。
「国のいざこざには無関係でいたかったけど、あの暗殺者、リジェネちゃんが関わっているなら、無視出来ないかもねぇ~」
「……そう、ね。だって私達は冒険者、魔物の脅威から無辜の民を守る人類の希望ですものね……」
父親の姿に衝撃こそ感じたものの、今回自分達が求められるのは冒険者としての役割である。
ともすれば戦地で父の無事を手助け出来るかもしれないとなれば、婚約話による間接的支援よりも余程彼女の心情的には名誉なことである。
戦場に巻き込まれると云うこと自体はカオリ達にとっては忌避するものだが、そこに魔物の影があるのならば話は別だ。
敵は卑劣にも魔物を使役して人類を害そうと云う悪である。決して見過ごしていい相手ではないのだ。
懸念があるとすればやはり、コルレオーネ第二王子のカオリ達への執着であろう、まさか戦場に赴いてまでカオリ達をそばにおこうとするなど、誰が予想出来ただろうか。
戦場という特殊な状況も、王子をどのように暴走させるか分かったものではない、最悪を想定するのであれば、騎士団を利用してカオリ達を手篭めにすることすら危惧された。
それでも相手が王家の脅威であること、国として犯罪者を野放しに出来ない以上、最善の手段として実績のあるカオリ達に協力を仰がない訳にはいかないのだ。
幸い今回も鎮魂騒動同様にササキも矢面に立つことになるので、最悪の事態は絶対に回避出来る確信はあれど、そもそもそんな事態になること自体が面倒極まりない、どさくさに紛れて女性を襲おうとした王族など、どうやって裁けばよいやら、一介の冒険者に過ぎないカオリには皆目見当もつかなった。
「とりあえずアイリーンさんとアキの招集は確定かな~、パーティー全員で取り掛からないと、不確定要素が多過ぎるもんね」
「あの二人なら喜んで来るでしょう、とくにアイリーンなんて涎を垂らして戦場まで突撃するでしょうし」
戦場で嬉々として突撃を敢行するアイリーンを思い浮かべて、二人は苦笑する。
果たして夜を跨いで翌日の休息日、カオリはササキからの結論を聞くことになる。
「前例もあることゆえ、私が今回の依頼を請けることは確定事項だ。ただ君達まで巻き込む必要の是非は再三抗議した。しかし今回ばかりは全派閥で意見が一致したことにより、依頼することそのものは止めようがないため、近日に冒険者組合から王家の依頼として召集がかかるだろう」
諦念を浮かべて申し訳なさそうに告げるササキに、カオリは同情を送る。
「依頼内容は現段階では第二王子の護衛依頼だが、恐らく当地では私とカオリ君達では内容が分けられることになろう」
「どう云った内容でしょう?」
ロゼッタの質問にササキは憶測も含めて語る。
「恐らくだが第二王子の要望を開明論派が推し進める結果、私は先陣にて当該の魔物の捕獲、あるいは下手人の捕縛が言い渡される。一方カオリ君達は常に王子の傍で身の安全を確保するように取り計らわれるはずだ。つまり現地では私と君達は離される可能性が高い」
「どこまで下種なのかしら……」
誰がとは云わずに呆れ返るロゼッタ、そしてカオリも流石にこれには笑うしかなかった。
「いざと云う時は斬りますね~、ナニをとは云いませんけど~」
「……」
お約束とばかりにふざけるカオリに、しかしササキは無言で推奨するようにうなずく。人の娘を穢す下種男など死ねばいいと云わんばかりだ。
「最近の調査で分かったことだが、現在彼の内乱地帯は相当に混乱状態にあるようだ。評議国側は自国の戦力を量るためか、新兵器や兵装を遂次投入している。公国側もどうやら民族浄化のようなことを企んでいるようで、レイド系民族以外の住む集落や村が、公国側の襲撃でいくつも滅んでいる」
戦場の残酷さを隠さず開示するササキ、二人はその事実に目を丸くする。
「公国の代表的な民族であるレイド系は、【虐殺者ミリアン】がそうであったように、アラルド人に次ぐ好戦的な民族だ。系譜を違えたアルトバイエ家と違い、彼の公国の上級王たる公王は大変な野心家でもある。今回の内紛を機に、完全なるレイド人の支配体制を目指している可能性が高い、我々には関係ないが、速くこの内紛を終わらせなければ、相当な血が流されることになるだろう……」
久々に聞いた歴史上の人物に、カオリは彼の王が没した寺院跡の迷宮を思い出す。
一代という短い期間ながら、ミカルド王国の前身となった広大な国を創り上げ、現在のミカルド王家の始王に討たれた暴君、【虐殺者ミリアン】の名は歴史書には必ず記される名だ。
であれば暴君と同じ系譜を守るブラムドシェイド公国的には、ミカルド王家およびアルトバイエ家は祖先の敵にあたる。
今回の内紛鎮圧にかこつけた事実上の援軍は、そう云った民族間の確執を払拭する狙いもあるのだろうと理解した。
「それと今回は君達の安全のため、私も全力を挙げて情報収集するつもりだ。その気になれば私だけで目的は完遂出来るのだが……、色々と事情がある以上、それに追従する形でしか関与出来ないのが歯がゆいところではある。君達にはなにかと迷惑をかけることになるだろうが、許してほしい」
深々と頭を下げるササキへ、カオリは彼の置かれた立場に理解を示す。
たしかに【北の塔の国】を動かせば、たかが人類の紛争を納め、ついでに暗殺者組織を一網打尽にすることも可能であろう、しかしそうなればあまりに目立つために、結局は支援と云う形になるのは致し方ない。
名目上ミカルド王国側に華をもたせつつ、冒険者として依頼を完遂するのであれば、影から支援をする以外に手はないのだ。
それから数日、ササキは王家と各騎士団長、そして高位貴族を交えた会議に出席し、現地での具体的な作戦立案のため、連日王城に登城した。
カオリはその間は通常の学園生活を送りつつ、アイリーンとアキを王都へ招集する手配をする。
こう云った事態を想定して、前回の鎮魂騒動以来、引き継ぎが容易に出来るようにしていたため、要請から僅か一日で二人は王都へ転移して来る。
カオリ達が学園に行っている間、二人には好きなように過ごしてもらっているが、アイリーンは騎士団の訓練場で臨時の戦場訓練を指導し、夕刻ごろに酒舗巡りを、アキはそんなアイリーンに昼食を届けたり、ステラを手伝って家事をこなすなど、二人とも比較的忙しく過ごしている。
週末ごろになってようやく王家より冒険者組合を通して依頼が届けば、平身低頭の組合員の説明を受けつつ、カオリ達は依頼の請け負いを受諾し、出発日までに準備を整えることとなる。
しかし翌日に学園に一時休学の申請をしようとしたさい、なぜか面談室に案内された二人は、そこでまたもや彼女と相対した。
面談室で先に席に座るのは、レイア女史である。
礼をして勧められた席に座るまでは、学生と教師の正しい関係と作法を守る両者ではあるが、レイアの様子から普通の用事ではないと予想したカオリは、やや身構えて対峙する。
「この度お二方は王家の要請により、学園を離れてお仕事をされます。学園としましてはこれを実地研修と定め、お二人には期間中の履修が修められるよう手配しました。また大事な生徒を戦地に送ることから、私が現地での貴女方を守るように、王家から依頼を受け、また我々もそれを提案するものとします」
一瞬の沈黙の後、ロゼッタが驚いて声を上げる。
「せ、先生が戦場に、私達を守るために同行するとおっしゃるのですか?」
驚きの内容に二人は言葉を失するが、そもそも現役の学生を戦地に送ること自体が異常事態なのだから、そういうこともあるのかと二人は無理やり納得する。
だがその人選がなぜ彼女になったのか、そこの謎が残るため、二人は説明を求める視線を送る。
「……ご存じの通り、私は王家の許可を得て身分を偽ったエルフです。実はそう云ったものはこの国にそれなりの数存在します。それらは故郷を離れてはいるものの、完全に離縁したわけではないので、正直なところ、今回の暗殺者と評議国の関係が疑われた結果、我々に間者の疑いがかけられているのです」
エルスウェア評議国を現在支配しているのは、間違いなくエルフ達であるため、王家を襲撃した暗殺者組織と評議国が仮に手を結んでいた場合、ミカルド王国国内にいるエルフ達が、彼等の活動を手引きしているのではないかと、国は彼等を疑い始めたのだ。
当然の対応であると理解したカオリに、レイアはさらに説明を続ける。
「私に限ったことでなく、現在我等の同胞は方々で王家のために動き始めています。今回の私の同行もその一環だと認識してください」
「そうですか~、だから色々と情報を知っていたんですね。王家から依頼を受けるような立場なら、情報をいち早く仕入れられる伝手がありますもんね」
未だ貴族にすら通達されていなかったロゼッタとコルレオーネの婚約話しなど、どうやって知ったのか少し疑問に感じていたカオリは、ここでようやく合点がいく。
身分を偽って平穏な日常を保証する代わりに、こう云った事態のさいには、王家へ力を貸すのが条件となっていると予想したカオリに、レイアは感情を感じさせない表情で淡々と語る。
「エルフ族は、人種との間にあまりに確執を作り過ぎたのです。とくに【魔の時代】を生きた長老達の中には、かつての栄華を忘れることが出来ず、それを後世に伝え続けるなど、争いを助長するものもいます……、我々は次に進まなければならないのです。真に平和な世界のために」
静かに、しかしたしかな意思をもって語るレイアに、カオリは自身と同種の感情、強い信念に生きる意思を感じた。
彼女もまた、誰かの幸せな未来のために、決意を胸に生きる戦士なのだと知った。
「先生が私達を守ってくださるなら安心です。現地ではよろしくお願いします」
「こちらこそ、初対面こそよき出会いではありませんでしたが、教師として、貴方達の安全は身命を賭して守ると誓います」
丁度昼食時と云うこともあり、二人はそのまま喫茶店に向かう、その道中でロゼッタはカオリに問う。
「その、信用出来るのかしら、レイア先生は初対面でカオリに殺気を向けたような、なんと云えばいいのか……、好戦的な方でしょう?」
ロゼッタの不安を受けて、カオリはなんとはなしに答える。
「実力は相当高いから、襲われたらどうなるか分かんないけど、本当に怖いのは危険かどうか分からない相手であって、信用出来ないのはある意味で信用出来る要素だよ、危ないって知っているなら、警戒すればいいだけだもん」
「はあ……、私にはまだ理解出来ない境地ね」
カオリの謎の理論がいまいち理解出来ないロゼッタは、そこで思考を放棄することにした。
こと戦闘に関しては、度量の広いと云うべきか、むしろカオリこそ好戦的な人間ではないのかと感じたロゼッタである。
屋敷へ帰宅し、アキの歓待を受けつつ、談話室で寛ぐアイリーンを認めて、カオリは世間話を投げかける。
「騎士団の方ではなにか様子の違いはありますか?」
もし第二王子が現地でカオリ達に手を出そうと考えるなら、すでに手回しをしているかもしれないと考え、騎士達に不審な動きがないかを気にしての質問である。
「そうさねぇ~、久々の戦場に浮足立ってる感じではあるけど、馬鹿がいるようには見えないね。団長とか隊長格がかなりしっかりした連中だから、怪しい奴はそもそも今回の任務から外されているんじゃないかい? やる気のある奴は先にあたしに声をかけて来たし、騎士団に二心のあるのはいないと思うさね」
「そんなとこを見る意味も兼ねて、騎士団に顔を出していたの? 貴女も色々考えているのね……、てっきり鬱憤晴らしと飲み歩きをしているだけかと思っていたわ」
完全にだらけ切った令嬢失格の様子のアイリーンへ、嫌味のように茶々を入れるロゼッタに、アイリーンは屈託なく笑う。
「ついでさついで、戦場で肩を並べる味方が、必ずしも味方でありつづけるとは限らないのが戦場の常さね。部下が上官を後ろから刺すなんてざらだし、部下を囮にする上官なんて掃いて捨てるほどいるもんさ」
従軍の経験から、轡を並べる仲間と信頼を構築するのは手堅い手段である。また傭兵としての知識でも、指揮者を見極める目は必須である。
それらを見極めるには、とにもかくにも実際に接してみるのが一番の近道であると云うのが、アイリーンの持論である。
「でもまさか冒険者になってまで、戦場に足を運ぶ機会があるなんて嬉しい限りだよ、立場は王子様の護衛だろ? 戦局には関係ないけど、戦場の情報が一番集めやすい場所にいられるのは、なにかと都合がいいさね」
戦闘狂を地でいく彼女ではあるが、なにも死にたがりと云うわけではない、過去の経験から、戦場で孤立して包囲される恐怖、また情報不足から危機的状況に追い詰められることには、苦渋を舐めさせられた。
ゆえに安全な立場ながらも、戦場の空気を感じられる今回の依頼を、アイリーンは大いに歓迎していたのだ。
「アイリーンさん的には、あんまり面白くない依頼に感じますけど、実際のところはどうなんです?」
ふと疑問に思ってカオリが質問すれば、アイリーンは果実酒を煽りながら、鷹揚に答える。
「昔ほどの焦がれはないね。正直最近は雑兵を相手にしてもつまんなくなっちまって、どうせなら猛者を相手に死力を尽くして戦ってみたいって思ってるさね」
「ああなるほどです。気紛れに暴れたくはなるけど、本心は強敵を求めるって感じですか、わかります~」
「そうそう、分かってるじゃないかカオリ」
二人のやりとりに呆れた顔をするロゼッタであるが、二人の意気投合はいつものことなので気にしないことにする。
「それはそうとカオリ、あの【人工合成獣】がいるってんなら、あの暗殺娘もいるんじゃないのかい? 名前は~なんだっけ?」
「リジェネちゃんのことですか? たぶんいますね。むしろこの状況も、私を引っ張り出すための策なんじゃないかと思ってます」
「前にも思ったけれど、なんでちゃんづけ? と云うか、それってつまりどういことかしら?」
アイリーンとカオリのやり取りに、聞き捨てならない言葉を受けて、ロゼッタは思わず割って入る。
「だってもし仮に、リジェネちゃんとエルフが手を組んでいるなら、エルフ達にとってミカルド王家の襲撃事件って絶対に隠したいことのはずでしょ? なのに斥候に見付かるってかなり迂闊な気がするもん、今のところ【人工合成獣】を確実に仕留められるのが私達だけなんだとしたら、リジェネちゃんの独断で、わざと見付かって、私を戦場に引っ張り出すのが目的なのかなぁ~ってさ」
「ほほう、なるほどね。あの娘もあんまり組織の云うことを聞く感じじゃなかったし、今回の件はあの娘の独断の可能性があるのか、こりゃあしてやられたね」
カオリの予想に信憑性を感じ、ロゼッタは極めて険しい表情を浮かべる。
「だとすれば、あの暗殺者が戦場に現れるって云うの? カオリはよくそれで呑気にいられるわね……」
云うほどに危機感を感じられないカオリの様子に、ロゼッタは混乱する。
「だってあのこ、殺意はとんでもなく向けて来るけど、全然悪意なく仕掛けて来るじゃん? なんて云うか、ただ私と戦えるのが嬉しいって感じで、なんだか憎めないんだよね~」
「羨ましいさねぇ~、あたしもあんな感じの強者と、本気の殴り合いをしたいね~」
笑うカオリと羨むアイリーンに、ロゼッタは盛大に溜息を吐いた。
「もう、ね。カオリ貴女は、正真正銘の戦闘狂よ……」
色々と悩んでいるのが心底馬鹿らしくなったロゼッタは、もう全てを諦める境地に達したのであった。
深夜、とある一室の窓に、小柄な少女の姿が、月明かりに照らされて写し出される。
少女は影を纏いながら、音もなくするりと室内に入り込むと、遠慮なく寝具に身を投げ出した。
そこへ別の場所から声がかかる。
「勝手に人の布団に土足で上がらないでちょうだい」
「野宿ばっかりで疲れた」
しばしの沈黙の後、折れた方が少女に近付く。
「長老達は貴女の独断専行にお怒りよ、貴女の組織も随分と身勝手な輩を寄こしたものだわ……」
「云われたことはした。後は知らない」
話にならないとばかりに肩を竦めるもう一人は、どこからか取り出した長剣を、少女の首筋に突き付ける。
「あまり勝手が過ぎるようなら……、灰にしないといけなくなるわよ? いくら死に損ないの貴女でも、燃やし尽くされれば復活出来ないでしょう、リジェネレータ」
明らかな脅しに、しかしリジェネレータは動じた様子もなく、胡乱気な眼差しで相手を見据える。
「不死身の化物同士で戦ってもつまんない、それにこんなところで暴れたら、貴女の正体がバレちゃうから出来っこない、……そうでしょう、レイア先~生っ」
不気味な笑みを浮かべるリジェネレータに、レイアは不機嫌を隠そうともせずに舌打ちする。
「それでも、貴女の行動は私達の計画を破綻させかねない危険なもの、いつまでも我儘が許されるなんて思わないことね。戦場に行くならば二十日後には現地に着くようになさい、工作はこちらでやるから、貴女が彼女達に接触するかは感知しないであげる。ただ正体が割れるようなことだけは避けるよう厳守しなさい」
「は~い、先生~」
「ちっ」
今度はあからさまに舌打ちの音を響かせ、部屋を後にするレイアを見送り、リジェネレータは恍惚とした表情で仰向けに天井を見上げる。
思い出すのはカオリと交えた生死のやり取り、カオリの剣が不死身のはずの自身を殺しうると理解した瞬間の喜びである。
「戦って戦って戦い抜いて、斬って斬って斬り結んで、その果てにある絶望と狂喜を、一緒に楽しもうねぇ、カオリ……」
深い闇の底から、蒼く光る瞳を覗かせ、少女は小さな笑みを零した。




