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( 国際情勢 )

もう屋根が飛ばされて困っている施主様はいらっしゃいませんか?

 人間によって踏み荒らされたその田畑には、酸化した黒い染みが固着し、作物が育たない不毛の地へと変じさせていた。

 風には死臭が混じり、頭上には腐肉を狙った鳥類が飛び回る。心なしか太陽にも、陰りが生じているようにも感じる。

 そこにただ一人、影のように立つものが、耳に手をあてて静かに佇んでいた。


『内乱が激化しつつあります。本日でも国境沿いの村落が二つ滅亡し、死肉の匂いに釣られて、多くの魔物が集まっております』

『生存者は?』


 遠話の魔法によって、その人物が誰かと交信し、現地で得た情報を報告すれば、即座に返答があった。


『生体反応はほぼありませんが、幾つか確認出来ます。いかがされますか?』

『全てを救う必要はないが、対象が幼子であれば保護しろ』

『……承知しました』


 返答に続く指示を受け、やや間をおいた了解に、指示者は懸念を覚える。


『不服か?』

『滅相もございません、陛下……』


 即座に臣下の態度で否定するも、指示者は深く息を吐き、親が子にするように、自身の意図を説明する。


『まだ幼い子供であれば、親や故郷の記憶が薄く、我が国での教育に馴染みやすかろう、これが大人であれば、噂や常識に凝り固まり、いらぬ軋轢を生み兼ねん、今後は我が国も多くの民を受け入れ、この世界と足並みを揃えねばならん、これも力ある我らの義務と心得よ』

『はっ、陛下!』


 通信を終え、歩き出せば、白銀に輝く甲冑の足甲が、光を反射して閃光を散らす。

 頭巾をとれば、この世のものとは思えない美麗な女性の横顔が現れる。

 彼女の名はシルヴィアーネ、【北の塔の国】に仕える守護者NPCの一人であり、北の塔の国最高戦力の一角、【白銀の騎士団】を率いる天使である。

 そんな彼女が創造主である北塔王、つまり先程の通信相手であるササキに命じられたのは、現在混乱の続く西大陸西方諸王国の国境付近での調査であった。


 ここでは今、エルスウェア評議国に恭順を示した領地と隣国とで、内紛が勃発していた。

 かねてから水面下で内応が進み、政変に応じて評議国に鞍替えした領地を、当然のことながら隣国は許さなかった。

 裏切り者の領地を取り戻さんと、兵を上げたまではよかったのだが、戦線は膠着状態が続き、民の暮らしが被害を受けることとなる。


 また小領主が雇った傭兵や、農奴から徴用した民兵が、滞る給金に不満を持ち、無断で略奪をし始めたのも荒廃に拍車をかける。

 ここ数日だけでも幾つもの村々が被害に遭い、とくにシルヴィアーネの調査した村は、死屍累々の有様である。


 視界に映る死体の中に、小さな生体反応を見付けて歩み寄れば、そこには赤子を抱きこと切れる若い母親の遺体があった。

 座した姿勢のまま、いくつもの槍や矢で背を貫かれ、それでもなお我が子を守ろうと、死しても子をかき抱くさまは、子をもつ母の深い愛情を感じさせる。

 その母親の前に膝をつき、ゆっくりと腕をほどけば、泣き疲れて眠る赤子が、赤く腫れた目を開け、無垢の瞳でシルヴィアーネを見詰めた。


「ひっぁやあぁぁ!」


 掠れた声で泣き始める赤子を、シルヴィアーネは慈母の如き微笑みで優しく抱き、額に小さく唇を落とす。


「今は眠りなさい……」


 回復魔法と睡眠魔法を同時にかけ、赤子を眠らせれば、彼女は母親に視線を向ける。


「安心して逝きなさい、貴女の子は、我らが楽園に迎え入れます。そこは神の如き至高の御方が治める地なれば、この子の未来には無限の光がもたらされることでしょう……」


 シルヴィアーネが寿ぎと共に母親に浄化の光を注ぐ、これで遺体がアンデットに変じることなく、自然に還るだろう。

 彼女の見立てによると、評議国の一領と、隣国の軍の力は拮抗していた。

 これが国家間の総力戦になれば、評議国と隣国との武力差は歴然であることだろう。


 エルスウェア評議国の前身である森国エリスは元より魔導技術が盛んであり、現在では本格的にエルフの魔導技術の導入によってより軍事力を増している。

 魔導戦士を多数抱え、また精霊魔法の使い手も多く、並みの国では勝ち目はないだろうとシルヴィアーネは考えている。

 もちろん【北の塔の国】と比べれば、まだまだ足元にも及ばぬ域に過ぎないが、普通の人類国家にとっては、脅威であることは間違いないはずだ。


 未だ目的の判然としない評議国だが、国力を増すために動いていることは間違いないとし、エルフと云う長命種が国政を司っていることを鑑みて、長期的かつ壮大な目的があることは想像に難くない。

 シルヴィアーネはそれら憶測も含めて、ササキへの報告書をしたためる。




 一方カオリ達の村でも、予想だにしない客人を迎えていた。

 カオリの下にアキからの遠話が届く。


『カオリ様、村にレオルド殿のご両親と名乗るご夫婦をお迎えしております。村の責任者へご挨拶とご相談があるとのことなので、恐れながらご足労願えませぬか?』

『ええぇ! レオルドさんのお父さんとお母さん! なにそれ会いたいっ!』


 王国の辺境の村の出身だと云っていたアデル達も、今では冒険者として長く故郷を離れているため、将来的には故郷へ帰るのではと懸念があった。

 しかしまさか両親の方から村に来るとは想像だにせず、淡い期待を胸に、カオリはすぐさまアキの要請に応え、村へ一時帰還した。

 村に帰還後すぐに自宅に待機し、夫婦を迎える。

 現れたのは見上げるような巨漢のアラルド人で、傍に寄る夫人も同じ金髪碧眼の長身美女だ。

 レオルドをそのまま年をとらせたような巨漢は、なるほどレオルドの父親だと即座に理解出来た。

 強いて云うなら立派な髭を蓄えた面構えが、より迫力を演出しているとカオリは感じた。

 夫婦の後ろから続いて入室したレオルドが、やや困った様子でカオリへ挨拶をする。


「すまねぇなカオリちゃんよ、まさか親父とお袋がここまで来るとは思ってなかったぜ、……だがちょいと難しい話があるみてぇで、話を聞いてやってくれねぇか?」

「こらレオルドっ! 盟主様になんて口の利き方をするんだい、まったく誰に似たのか……」

「まあいいじゃねぇかリーシャ、それだけこいつがここに馴染めてる証拠だろ、はっはっはっ!」


 豪快に笑う姿がレオルドにそっくりなため、カオリは思わず笑ってしまった。


「俺の名はレオナルドってんだが、元は帝国の軍人でな、軍を離れてからは王国の西方の片隅で、森のエルフ達を見張る仕事をしてたのよ」

「あん? 初めて聞いたぞそんなこと」


 レオナルドの説明に、真っ先に訝しみの声を上げるレオルドに、カオリはわけが分からないという表情を浮かべた。

 「そうだったか?」と云いつつも、レオルドを無視するレオナルドは、そのまま説明を続ける。


「そんで先月に、エルスウェア評議国っていう奴が発足して、とりあえず俺の仕事も一段落ついたから、本国への報告をすませてさっさと隠居しようかと思ってな、どうせなら息子の近くに暮らせればと思ってここまで来たんだ」

「なるほどー、ササキさん案件ですねこれ」


 話の内容的に即座に本質を見極めたカオリは、話しの全容を整理出来る知識人を連想する。


「邪魔するよ、あたしも同席していいかい?」

「あ、アイリーンさん、丁度呼びにいくところでした」


 自宅にアイリーンが現れ、カオリは彼女にも同席を求める。帝国に関係する話しは、是非ともアイリーンにも聞いてもらいたかったところだ。


「おおっ、こんなところにえらい別嬪さんがいるじゃねぇか、生粋のアラルド女とは、嫁以外で久々……、アイリーン? どっかで聞いた名だなぁ」

「あんた。ランディところの娘さんが同じ名前だよ、帝国じゃ珍しい発音だから、あたしも覚えているよ」

「おうおうそうだった!」


 夫婦だけに分かる会話に、カオリは首をかしげるが、アイリーンは驚いた表情で会話に入る。


「ランディってのは父上の愛称さね。おたくらウチを知ってるのかい?」


 アイリーンの父親であるヴラディミール公爵が、親しいものにしか呼ばせない愛称が飛び出したことで、アイリーンは驚いた様子だった。


「なんだそうなのかっ、こいつは驚きだ。ランディとは幼馴染で戦場でも轡を並べた仲だ。家格こそ雲泥の差だが、あいつはそう云うのを気にしねぇ奴だったからな、親父さんは今も元気にしてるのか?」


 上機嫌で語るレオナルドに、夫人のリシャールも続く。


「まあ大きくなって、小さい貴女を抱き上げたのが懐かしいわ、イリーナも元気にしているかしら? もう十八年も前になるかしら?」


 旦那と夫人に同じことを聞かれたアイリーンは、笑顔で対応する。


「ああ父上も母上も元気だよ、でもそうすると……、レオルドの旦那も家のことを知ってたりするのかい?」


 彼女が気になったことをレオルドに問うが、レオルドは首をかしげて腕を組む。


「いんやぁ? 十八年前と云やあ俺がまだ五~六歳の時だろ? まったく覚えてねぇな」


 意外な繋がりがあったことで、カオリ達と夫妻はすぐに打ち解けられた。


「本国へ報告をとありましたが、ここにはアイリーンさんとその従者がおりますので、いっそ彼女伝手に公爵様にご報告をお願いしますか? お知り合いなら信用も出来ますでしょうし、そうすれば今日からでも移住に取り掛かれますし」


 カオリがそう云えば、レオナルドは破顔してカオリの提案を受け入れる。


「そいつはありがてぇ、俺等はもう帝国民じゃねぇし、入国の手続きが面倒だと思ってたんだ」


 これにより夫婦は正式に村の住民として受け入れることとなり、夫婦の諜報員としての仕事に関しては、ダリアに報告書の作成を依頼した。

 一応カオリも報告書の内容に目を通すこととなり、図らずも現在の西方諸国の情勢を知ることとなった。


 現在、エルスウェア評議国は森国エリスを吸収したことによって、エリス国軍をそのまま引き継ぐ形となった。

 またレオナルドの独自の調査によれば、貴族の私設騎士団は一度解体され、エルフの軍に編入されたと云う。

 森国エリスは元々魔導技術に力を入れていたため、騎士団でも上位者はほぼ魔導士であるらしく、そのため魔導でより優れたエルフの魔導戦士が彼らの指導者に就くことになったのだ。


 ことの次第を受け取ったササキも同席し、情報のすり合わせをおこなった結果、評議国と周辺諸国の状況もつまびらかとなる。

 帝国軍を抜けて諜報員として王国辺境に身分を偽って長く調査を続けたレオナルドの情報と、【北の塔の国】の暗部組織を動員して調べたササキの情報網があれば、それはもう強力な情報となるだろうと双方が同意したためである。


 ササキの調査によって分かったことに、エルフの魔導戦士達の実力が、一人で並みの兵士の小隊規模にあたり、それらが指揮する魔導騎士団は一個中隊で砦を落としうる戦力であるということが分かっている。 

 そして現在確認されているだけでも、エルフの魔導戦士はおよそ二千が予想されていた。

 装備は隊員全てに重装鎧が支給され、それだけで戦力規模が並みの国家とは比べるべくもなく高いのが明白であった。

 しかしそれほどの戦力を保有していながら、早期に戦争が勃発することはないだろうというのが、レオナルドとササキの両名が出した結論であった。


「【魔の時代】の終焉で、奴等も学んだはずだ。強力な個を多少組織したところで、広大な領地と雑多な種族を支配するためには、もっと数が必要だってことをよ」


 たったの二千人の武装組織一つで、大陸全てを支配するなど不可能であると語るレオナルドに、一同は納得する。

 二千の精鋭を保有していることと、二千の兵士を用意出来ることとは、その意味に雲泥の差があるのだと彼は語った。

 街の治安維持に必要な武力を確保しながらも、国境に兵力を常駐し、かつ各領の叛意を監視、また鎮圧するのに十分な常備軍は、国土に比例して大きくなる。

 それを支配階層だけで用意するなど実質的に不可能なのだ。


「エルスウェア評議国は体制こそ過去の栄光を踏襲していはいるが、実効支配に関しては、より計画を練っていると予想される。吸収されたエリスの民がその証拠だろう」


 巨漢のレオナルドをしてさらに巨漢のササキが、威風堂々たる様子でそう断言する。

 二人の予想の根拠を説明するならば。

 かつて世界を掌握していたエルフ達は【魔の時代】末期において、北の大地で竜を滅ぼし凱旋した旧ハイド人によって反乱を起こされ、それに同調した多くの人種に圧される形で時代の終焉を迎えた。

 後に語られる【英雄王伝説】と【聖魔戦争】である。


 エルフ達の敗因が、支配者側に数的不利があったこと、人種側には数的有利があったことは、当時を記した多くの記録でも明らかであり。

 帝国史ではエルフを含む精霊種の中でも、とくに強大な力を有していたのが【魔人族】であること、それを退けたのが凱旋した旧ハイド人、後のアラルド人の祖先であることは、正確な歴史として語り継がれているため、強力な個のみでは完全なる支配は不可能であると証明していた。

 そして今回の件で、エルフ達は己達の力のみで覇権に乗り出すことを辞め、別の手段を画策していることが分かった。


 それは至極単純な方法、同族を増やすことにあると二人は予想したのだ。

 人種と精霊種との間に、子を成すことが可能であることは、エリスの民の歴史を見れば明らかである。

 魔法適性自体は純血のエルフには劣るものの、同種の血を分けた同胞として結託するには十分な血縁関係があるため、エルフ達は今後、混血種族を増やし、実効支配に足る数的力を蓄えるために動くだろう。

 そのために国際情勢に関与し、種族的立場の確立にこそ重きをおき、今後発言力を高める方針であるはずだと、二人は意見を一致させたのだ。


「エリスの民は謙虚な民族だとは有名だ。だがエルフ達は、とくに純血のハイエルフ達は、人種を下等種族と見下す胸糞悪りぃ連中なのは知ってるか? 奴等が大人しく一国で平和に暮らすなんてありえねぇ、例え今日でなくとも、遠い未来には世界に覇を唱えるのは確実だ。奴等が目指すのは間違いなく【エルスウェア社会】の復活、エルフを頂点として、人種を奴隷として支配する世界の実現に違いねぇ」


 忌々しげに語るレオナルドの言葉に、一同は真剣に聞き入った。


「当面の心配は、評議国の蠢動と、……やはり帝国の反発であろうな」


 ササキが重々しく語る言葉に思い当たる節があるカオリは、アイリーンの顔を見やる。


「帝国が王国と戦争をし続けていた理由が、仮にエルフ達への遠回しな牽制だったなら、帝国は評議国の存在を決して認めやしないだろうね。一気呵成に王国領土を横断して、エルフ達へ直接軍を差し向けるような決定が下れば、――もうこれは世界大戦が起きても不思議じゃないさね」


 目をギラつかせて語るアイリーンは、まるでそうなる未来を歓迎しているようにも見える。つまりそれがアラルド人が真に望む闘争の未来であることを、彼女は雄弁に語っているのだ。


「そんなに昔のエルフ達は酷かったんですか?」


 この世界の歴史を知らないカオリには、いまいち彼等の語るエルフへの感情を理解し兼ねた。

 エルフと云えば、多くの創作作品では森に住む神聖な種族と云う印象が強いのだから、この世界のエルフの歴史とはどうも一致しなかったのだ。

 しかしカオリの質問に、アラルド人であるアイリーンやレオナルドは、やや不機嫌になりつつも、相手が異邦人のカオリであると認めて溜息を吐いた。


「優れた種族が劣った種族を導くのは、神の御意志である。てのが奴らの言分さね。云いたいことは分かるが、それにはいそうですねって従えるほど、あたしらは大人しくないさね」


 アイリーンの言葉にうんうんと激しく同意を示すレオナルドを見て、カオリはササキにも視線を向ける。


「知識や技術を独占し、異種族を力で従える。そんな時代が数百年も続けば、憎悪が増すのは必然だ。神話を紐解けば我ら人種も精霊種も、等しく神々に生み出された子であるのは事実なのだから、そこに勝手に優劣をつけて、抑え込むなど愚かな行為であろう? それが暴力によって成されれば尚更だ」


 ササキが語るのは一般論である。言葉の裏に隠された陰惨な歴史を読み取り、カオリは納得の表情を浮かべる。


「それに人種の解放が女神の御意志なのは、あたしらアラルド人の興りが証明しているさね。つまり奴らの言い分は神々の御意志にも反したただの傲慢だってのは間違いないのさ」


 虐げられる人種の境遇を嘆き、旧ハイド人に祝福を与え、魔人族とエルスウェア社会崩壊の切っ掛けを与えたのは、紛れもなく聖女神エリュフィールだと明言するアイリーンに、カオリは感心した声を漏らす。

 彼の英雄、旧ハイド人の指導者が成し遂げた【英雄王伝説】は、非常に分かりやすい勧善懲悪の物語として、この世界の絵物語でも描かれている。

 そう云えばカオリが子供達のために購入した書籍の中に、かの伝説を子供向けに描いた書籍があったことを思い出す。

 まるで勇者と魔王の物語であると云うのが、カオリが書籍を読んで抱いた感想である。


 歴史書では、旧ハイド人、現アラルド人の祖である【英雄王】が女神エリュフィールより祝福を授かり、当時もっとも圧政を敷いていた魔人族と戦った闘争を【英雄王伝説】と呼び。魔人族の打倒によって各地で人種の反乱が引き起こされたのことを【聖魔戦争】であると記述している。


「なら私達に出来ることは帝国と王国の橋渡しですかね? その事情なら、人同士で戦争している場合じゃないでしょうし、協力し合えるならそれが一番でしょう?」


 あっけらかんと云い放つカオリに、一同は呆気にとられながらも、難しい表情を浮かべる。


「えらく簡単に言うけど、ずいぶんな大言壮語さね。それが出来りゃあ誰も苦労しないよ、……だがそれしか人種の繁栄の道がないなら、あたしはカオリの方針に従うよ、なんだか面白そうだしね!」


 現実を見据えながらも笑うアイリーンは、実に爽快にそう言った。


「始めは地道な努力となるだろうが、決して不可能な未来ではないだろう、元よりこの村は戦争の回避にこそ重きをおいている。選択肢はそう多くないだろうな」


 カオリの言葉に同意するササキも、意欲的な姿勢を示した。


「ほっほう、面白そうじゃねぇか、おいレオルド、お前いいところに腰を据えたじゃねぇか、こりゃあ退屈しなさそうだ」

「だろ? 親父もお袋も、仕事は山ほどあるからな、隠居なんてしおらしいこと言ってねぇで、一緒に働いてもらうぜ?」


 この日、カオリ達の村が目指す未来に、一つの目標が、笑いと共に定まったのだった。




 だが屋敷に戻ってより数日を経て、一つ失念していたことがあることを思い出したカオリは、一人でササキの執務室に突撃を敢行した。


「ササキさん」

「なんだねカオリ君」


 入室のやり取りをして扉を閉めたカオリは、すでにステラから茶一式を持参して二人きりの状況を作った。


「【北の塔の国】は今後どう動くんですか?」

「……ふむ」


 核心をついたカオリの質問に、ササキはどう答えるべきかを思案する。


「現状は専守防衛にて、世界情勢に一切関与しない方針ではあるが、我が国の脅威がある以上、どの国家も下手な動きが出来んのも事実、戦争の終結を目指すにしても、平和を維持するにしても、我が国のもつ力はあまりに強大に過ぎるのでね。動かないと云うよりは、動けないと云った方が正しいだろうな」


 ササキの方便に首をかしげるカオリに、ササキは遣る瀬無い気持ちを押し殺して、平静を装って続ける。


「ナバンアルド帝国の興り、ミカルド王国の軋轢、オーエン公国の思惑、エルスウェア評議国の蠢動、これらはこの世界の歴史的背景を起因とした必然だ。それに比べて我等が【北の塔の国】には歴史が存在しない、ゆえに干渉のしようがないのだよ」


 この世界にとっての部外者たる【北の塔の国】は、現状国外に如何なる脅威も存在せず。また国内にもまったく問題を抱えていなかった。

 帝国と公国と国境を接して睨み合うのも、かの両国が勝手にササキ達を脅威と見なし、過剰に軍を差し向けているに過ぎないのだ。

 守るべき領土も未開の山脈周辺に留まり、別段広い領土を必要としない現状で、外へ打って出る必要がないのだから当然である。

 それにしても積極的に攻めて来るのは公国だけであり、帝国は軍を駐留してはいるものの、これまで威力偵察以外で交戦したことはないと云うのだから、世界は思ったよりも理性的に動いているんだなとカオリは感じた。


「例えば帝国や王国と同盟を結ぶとか、そう云った方向で情勢に介入することはないのかなって思います」

「そうしたいのは山々だが、その場合我が国の保有する多くの情報を開示する必要があろう? 恐らくだが、より恐怖を助長することにしかならんだろう」


 そう云って指し示すのは、以前から継続的におこなわれる。公国と北塔国との交戦の結果を記した報告書であった。

 それを手渡され、カオリはざっと目を通した。


「え~と、国境の砦を守る北塔国側および、公国側の被害状況?ですか……、ササキさんの国が圧倒的ですね」


 ササキが山脈の坑道を囲うように築いた砦に差し向けた軍は、【オーク】や【ゴブリン】を筆頭としたNPCの軍勢である。

 平均レベルはどれも四十と高く、数も千を超えるとなれば、この世界の如何なる国家も歯が立たないだろう。

 元より人が踏み入るには難しい地理でありながら、堅牢な砦に強力な軍勢、しかもそれが代えの利くNPCであれば、この時点で人類には詰みでろうことはカオリにも十分に理解出来た。


「我が国には、天使族からなる【白銀の騎士団】が五百、傀儡鎧を編成した【黒金の騎士団】が千、亜人種を武装させた【灰鉄の軍勢】二千が、常備軍として設置されている。レベルは最低でも三十で、騎士団はどれも五十から六十レベルで揃えている。いったいどうやってこの世界の軍に手こずればいいのか逆に聞きたいものだ」


 もちろんこの場ではまだ伏せている各守護者の存在や、特殊なNPCなどもおり、さらに先に述べた戦力も、増やそうと思えばいくらでも増やせるのだから、【北の塔の国】が世界征服に乗り出せば、人類の敗北は必至であることだろう。


 ギルドホームのNPCにはいくつかの種類があるのは察していただけるだろうが、大まかに分類すれば、【守護者】【使用人】【戦闘員】の三種であり、それぞれには特性が存在する。

 守護者NPCはレベル上限が存在せず。プレイヤーと同等の強さまで育てることが可能だが、死亡から復活させたい場合は強さに応じて大量の魔金貨が必要とされる。

 その点、使用人NPCや戦闘員NPCは、時間経過で勝手に補充されるため、非常に安価である。ただし即時復活には魔金貨が必要なうえ、レベルも六十が上限と定められている。

 この仕様により自身のギルドホームを迷宮のようにするもの、要塞のようにするものと、プレイヤーごとに個性が出るようになっていた。


 しかしこの世界の基準で見れば、強力な戦闘力を誇る兵力を、無尽蔵に常備出来るという恐ろしいものであるのは云うまでもないだろう。

 ゆえにどこかと国交を開始し、ましてや同盟関係を結ぼうと思えば、それら武力の一端を開示することになり、反って脅威度を増してしまうと考えられた。

 今はまだ。知らぬが仏であろうと。

 脅威は脅威のまま、好きなだけ備えさせれば、それだけでも人類の平和は保たれるのだから、ササキが国を動かしてまで、なにかをしようとは思えないのだ。


「は~、だから私達の村を発展させて、魔王に対抗出来る勇者の拠点って周知する必要があるんですね~」


 賢しい少女の理解に、ササキは鷹揚にうなずく。


「まずは脅威に対抗出来る個の存在を、ゆくゆくは組織を作り上げ、表向きには人類にとっての保険とせねば、まともに国交を開くことも難しいのだ」


 溜息を吐くように語るササキに、カオリは世のままならなさを実感する。


「村の安全のためにも、正当性と有用性を強化する必要があるのは、仮に【北の脅威】がなくても同じことですもんね。結局今は村の発展を目指す以外に出来ることはないんですねぇ~」


 膝の上で頬杖をするカオリに、ササキも苦笑を浮かべた。

 カオリを盟主とした独自の勢力の樹立がササキの思惑だが、本質はカオリの願いとそう変わることはない、結論として両名とも、国の傀儡となることを嫌い、独力での自立が目的なのだから。

 カオリが王立魔法学園に修学したのも、箔付けや顔繋ぎにおいて非常に有用な手であることは云うまでもなく、学園の運営方法の調査もその一環である。


 世界に影響を及ぼすほどの武力をもっている。その上で同じ価値観を共有出来得る理性的な勢力であると周知することが、戦争を回避あるいは抑止するために必要な要素なのだ。

 人は誰しも未知の存在に恐怖する生物である。ゆえに知ってもらわねばならないのだ。危険ではないのだと、脅威ではないのだと。


 カオリの村はすでに、冒険者達の間でその有用性が噂となりつつある。未開の大森林を望む立地、冒険者が主導する村としての体制、雇用と経済でもじきに頭角を現すだろうことは想像に難くない。

 となれば各地から有力者や実力者が訪れ、ともすれば移民が増えることが予想出来る。

 国家権益に与せず。ただただ純粋に己の力を欲するもの達が、民の安寧を願うもの達が、村を拠点とするべく集まるのだ。

 いつだったかカオリが零した構想、冒険者達の街の実現を目指すために。


 カオリは通常の講義を終えて、放課後に学園の誇る図書館を利用していた。

 教科書に記された歴史は主に概要を簡単にさらったものがほとんどのため、より詳しく書かれた書籍を求めたためだ。


 今回に求めるのは竜種による圧政から解放されたのちに栄華を誇った【魔の時代】についてである。

 司書の案内を受けて数冊の書籍を集めれば、読書机を一部占領してさっそく調べ始める。

 始めに手に取った書籍の冒頭を見れば、そこには筆者の独自の見解より始っていた。


 いわく、【魔の時代】は人種や獣人種にとっては、耐え難い屈辱の時代であると云う、優れた魔導技術に支えられながらも、長命である精霊種のエルフ達の治世は、非常に倦怠と惰性に過ぎていた。

 彼等に比べて短命な人種や獣人種達から見れば、変わらぬ体制や緩やかな時代の移り変わりは、たしかに鬱屈するものであろうとカオリも理解を示す。

 精霊種には大まかに、エルフ、ドワーフと云った創作作品を代表する種族があり、彼等の優れた技術は、現代でも再現が不可能なものもあると云う、長命であるがゆえの長い研究と研鑽は、技術の洗礼化に必要不可欠だったのだろう。

 しかしながら次世代の新たな発想が入り込めない聖域と化した文明は、次第に次代との軋轢を助長させた。


 およそ四百年も続いた【魔の時代】も、末期には血みどろの戦いにより、その多くの文明が失われてしまったが、その文明こそが当時の下層階級の民達にとって、憎悪の対象であっがために、その結果も必然だったのかもしれない。

 近年ではその技術の一部を復興させようと云う活動もあるようだが、未だ完全な再現には至っていないことが語られている。


 とくに彼等の創り出した遺跡などは、建設方法からすでに膨大な魔力を利用していたこともあり、その多くは迷宮化してしまっていることが、研究の妨げになっているのは云うまでもなく。

 ロゼッタの愛読する【冒険者ヴィルの手記】の中でも、発掘と踏破が如何に困難であるかが記されていた。

 余程の実力のある冒険者であっても、学者ではない彼らでは、精々が用途の分からないガラクタを持ち帰るのが関の山だったからだ。

 そもそも冒険者という職業が確立されたのも、彼のヴィル氏が自らを冒険者と自称したことから始り、彼の主な活動が、【魔の時代】の遺跡探索であったことは有名であった。

 それほど未知の危険に溢れているのが、魔の時代の遺跡であり、彼等精霊種達の残した文明の残滓なのである。


 そしてアラルド人の祖【英雄王伝説】により拓かれた人種の隆盛と、その後に勃発した【聖魔戦争】で、精霊種の多くは辺境の森や山に姿を隠した。

 大雑把な地図にその逃亡先が記されていたのを、カオリは最近の情勢と照らし合わせて、なるほどと納得する。

 だが突然、カオリに声をかけるものがいた。


「随分と難しい本を読むんだね」


 カオリが声のした方に顔を向ければ、そこにはまるで絵本から抜け出したかのような美青年が笑顔を向けていた。

 人が近くにいることはすでに気付いていたが、まさか自分に声をかけてくるとは思わず、カオリはやや怪訝な表情を浮かべる。


(超イケメンさんです。誰?)


 カオリの気持ちがそのまま表情に出ていたことで、相手は苦笑する。


「異国人であり、この大陸の歴史に興味があるようだけど、難しい言葉が多いだろう? もし読めない言葉があるなら、力になれると思うんだけど」


 新手の軟派かと訝しむカオリではあるが、私語厳禁である図書館で、強く拒んで押し問答になるのを懸念して、無言のまま頭を下げた。

 それを色よい返事と受け取った美青年は、カオリの対面に座ると、足を組んで優雅に読書を始めた。

 本人は恰好いい姿と思っているのかもしれないが、日本人気質の抜けないカオリから見れば、ただただ気障に見えてしまうのは仕方がないことだろう。


 日本の男子高校生が同じようにすれば、演技臭い仕草この上ないのも事実、いくら似合っているからと云って、全ての女子がトキメクと考えているなら大間違いである。

 恰好つけている時ほど恰好悪いのが世の常、男の立ち振舞いなんて、普通でいいのだ普通で、いやほんと。


 しばしの無言の中、聞こえるのは項をめくる紙の音と、たまに記録をとるカオリの筆の音だけだ。

 しかしカオリは鋭敏な感覚から、美青年が時おりカオリに視線を送ってくるのを感じて、なんとも居心地悪く覚えた。

 いったいこいつはなにがしたいんだと心中で愚痴るカオリを余所に、美青年は未だカオリの対面で読書を続けている。本当に本を読んでいるのかとカオリは疑問に思い始めたころ、美青年はようやく行動に移した。


「君のことは噂になっているよ、【不死狩り姫】とは君の二つ名だろ? 冒険者の中にも、君のような勉強熱心な人がいるんだと、ここで君を見かけて驚いたよ」

「……はあ」


 カオリのことを知っていると語る美青年に、カオリは気の抜けた返事をする。


「剣の才能がありながら、魔法科に進むと云うのも本当みたいだね。だとすれば僕の後輩になる訳だけれど、もしよかったらいつでも質問に応えられるよ、君のような美人からの質問なら大歓迎だ」

「……」


 あからさまな世辞に、カオリは最早真顔である。

 基本的に男子とも垣根なく会話をするカオリではあるが、軟派野郎はお断りの姿勢であったカオリには、こう云ったやり取りはただただ面倒でしかなかった。

 まだ羞恥からたどたどしく気持ちを伝えて来るなら可愛いものだが、自分の容姿に自信のある輩に限って、人の話を聞かない連中が多いと云うのが、カオリのもつイケメンへの偏見である。


「機会があればその時は……」


 しかし波風立たたせないのが処世術の基本と、カオリは愛想笑いを浮かべて無難な返答をし、すぐさま顔を本に戻した。

 今はお前の相手をする気はないと言外に云えば、相手も引き下がるだろうと考えたのだ。余程の馬鹿でなければこれで通じるだろう。

 幸いなことに美青年は馬鹿ではなかったのか、肩を竦めて見せると、静かに席を立った。


「皆にはレオと呼ばれている。もし僕の力が役に立てるなら、いつでも声をかけてほしい、……今日のところは失礼するよ」


 小さく手を振るレオ青年に、カオリも小さく会釈をする。出来るなら今後は関わらないでほしいとは言わない。


(えーと、どこまで読んだかな……)


 レオが完全にいなくなるまで見届けてから、カオリは本に改めて集中するが、ほどなくしてロゼッタが迎えに現れたことで、今日のところはここまでと切り上げ、まだ目を通していない書籍は、借りることにした。

 この時にはすでに、カオリの記憶にはレオのことは綺麗さっぱり消えていた。


 ところが翌日にも、カオリの前にレオが姿を現したことで、カオリは嫌でも顔を思い出させられる。


「やあ、また会ったね。今日も勉強かい?」

「……そんなところです」


 いったいなにが目的なのか、この時点ではどうにも判断がつかないため、カオリはどう接するべきか決め兼ねた。

 その日もとくに何事も起こらずに時間が経過したため、カオリはこの日もロゼッタの迎えとともに学園を辞した。

 しかし結局同じ状況が数日続き、連日のレオの訪問を、ついにロゼッタに相談しようと決心したカオリは、登園の道すがらありのままに状況を説明した。


「どう云うことだと思う?」

「うぅ~ん……」


 一つ年上のお姉さんらしく、ここはビシッと助言を送りたいところではあるが、レオなる青年の素姓が分からない以上、なにをどう言えばいいのか悩むロゼッタは、仕方なくいくつかの候補を並べる。


「一つはカオリの専攻学科を受けて、派閥に勧誘したい子息が接触を試みて来たこと、もう一つがこれまでの騒動でカオリを憎く思っている人間かもしれないこと、最後は……、ただの軟派男かしらね?」


 分かり切った考察ではあるが、そうとしか云えないのだからと、ロゼッタもお手上げ状態である。

 それはカオリも重々承知のため、答えが出る問題ではないと始めから分かった上で質問した手前、これ以上ロゼッタを困らせるつもりはないと肩を竦める。

 ところが昼食時間となり、いつもの喫茶店へと向かおうとしたところで、カオリは突然令嬢達に包囲されてしまった。


「貴女、少しいいかしら?」

「なんでしょう?」


 明らかに険のある表情の令嬢に詰め寄られるが、カオリは臆することなく対応する。


「ここでは人目もあります。私について来なさい」

「あ、はい、お断りします」

「え?」


 しばしの沈黙、お断り系女子のカオリにとって、この流れは必然であろう、何故見知らぬ集団に、ほいほいとついて行かねばならんのかと、カオリは真顔のまま微動だにしなかった。


「平民風情がわたくしの言葉に従えないと云うの?」

「貴女のことが信用出来ません、御用件があるのならお一人でいらっしゃるか、手紙でお伝えください」

「なんですってっ! なんたる言い草!」


 わなわなと手を震わせる令嬢に、カオリは淡々と理由を述べれば、令嬢は明らかに気分を害した様子で表情をより険しくする。


「では言わせていただきますわっ、これ以上、コルレオーネ殿下に近付かないでちょうだい!」

「……なんのことです?」


 痺れを切らした様子で言い募る令嬢だが、カオリは心底分からないと首をかしげた。


「まあ! まさかしらばっくれるおつもり? 貴女が殿下と図書館で逢瀬を繰り返しているのを、私のお友達が目撃しておりますのよ!」

「ほっほう、なるほど~」


 全てを理解したカオリは、あの軟派男の正体を察して腕を組んだ。

 これはいわゆる痴情のもつれと云うやつであると理解したカオリは、実に、実に面倒臭そうな表情を浮かべる。


 なにを隠そうカオリは、こういった手合いには何度か経験があるのだ。

 家族が男兄妹であるせいか、男性相手でも気負いなく接することが出来るカオリは、昔からよく男子とも仲良く遊ぶことが多かった。

 そして男子にとっては、比較的可愛い部類に入るカオリを憎からず思っており、男女でも垣根のないカオリは付き合いがしやすかったのだ。

 可愛い女の子と仲良くなれれば、その機会を逃すまいと躍起になるのが男の性、男なんてそんなもんである。


 しかしそう云った振る舞いは得てして女子達には不評であるのは想像に難くないだろう、時折嫉妬の対象となることがしばしばあった。

 そうしてなにかと面倒な騒動に巻き込まれたカオリは、そのたびに女子との友邦を大事に思い、次第に男子との接触を控えるようになっていったのだが、どうやら今回は回避し切れなかったようだと溜息を吐く。


「なにか言ってはどうですのっ、弁明があるなら受け付けなくもないですわよ?」


 黙考するカオリの様子に我が意を得たりと高飛車に鼻を鳴らす令嬢に、カオリは静かに視線を向ける。


「まさか毎日押しかけて来るあの軟派さんが、第二王子のコルレオーネ殿下だとはつゆ知らず。大変な誤解を与えましたこと、深く反省します。今後は強く拒絶いたしますので、貴女様のお名前をお教え願えませんか?」


 カオリの言に令嬢はやや慌てた様子だ。


「ど、どうしてわたくしの名前が必要ですのっ」


 だがカオリはそんなことはお構いなしと、理由を述べる。


「どこそこのどなた様が、殿下と私が会うのを快く思っていらっしゃらないと、正直に申し上げなければ、殿下であると知りながら、接触を拒む言葉を、私のような平民から言い出すなんて大変な不敬にあたりますので――」

「そ、そんなことわたくしには関係ないことよ、貴女がどれほど礼を失すれど、もとより平民である貴女ならば大したことではないでしょう」


 カオリの説明を受けても、名前すら名乗らない令嬢に、少し苛立ちが募るカオリだが、ここはぐっと堪えて続ける。


「私も冒険者ササキの後見を受ける身として、この国や国王王妃両陛下にはとてもよくしていただいております。にも関わらずその御子息様に対し、無礼な態度で接するのはあまりに非常識です。せめて事実を説明し、ご納得いただけるよう誠意を示さねば、親と仲間に対し面目が立ちません」


 はっきりと言い切るカオリに対し、令嬢は隠し切れない焦りを浮かべて後ずさる。

 つい今しがた王子のことを軟派さんと呼んでおきながらの台詞ではあるが、筋は通っているため納得せざるをえない、ここまでくればこの令嬢がなにを危惧しているのかが分かると云うもの。

 つまり、カオリとコルレオーネ王子が会うことを嫌がり、カオリに圧力をかけたのが自分であると王子に知られた場合、王子からの不興を買うかもしれないと畏れているのだ。


 しかもここには多数の目撃者がいるのだ。例え名を伏せたところで、圧力をかけた事実までは隠し切れない、ましてやカオリは令嬢の要求を飲んだ上で、誠実に対応するべしと情報の開示を求めているのだ。

 これでは誰が悪者であるかなど一目瞭然、感情のまま動いた結果が、自身を追い詰めつつあると理解した令嬢は、いまさら周囲の様子を伺うように視線を彷徨わせる。

 と、そこへとどめとばかりにロゼッタの声が響き渡る。


「これはどう云うことですの? インフィールド公爵令嬢様、どうして貴女様が我が友を複数人で囲み詰め寄るなど、そのような野蛮なことをなされておいでで?」

「アルトバイエ侯爵令嬢!」


 ひた隠しにしていた正体を宣言され、慌てて振り向いた先にいたロゼッタを認めて、彼女は眼を剥いた。


「い、行きますわよ皆さんっ、貴女っ、くれぐれも殿下との接触は控えてくださいまし、よいですわね!」


 言葉切れ悪く退散する彼女に、カオリは騎士の礼をして見送った。

 平穏に戻った講堂に残った生徒達からの証言もあり、事実を理解したロゼッタは、大きく溜息を漏らす。

 喫茶店で注文した食事を談話室に運び込めば、同席しているベアトリスにも事情を説明する。


「アンジェリーナ・インフィールド公爵令嬢様は第二王子殿下の婚約者候補筆頭ですので、いきなり現れたカオリ様に、殿下の興味が向いたことが許せなかったのでしょう、ずいぶんと迂闊な手法に出ましたのね」


 ベアトリスの簡潔な推測に、カオリもロゼッタもやっぱりかと顔を見合わせる。


「別に殿下との接触を辞めるのはこっちも賛成なんだから、普通にそう言ってくれればいいのに、貴族様はどうしてこう融通が利かないんだろうね~」

「……止めてよカオリ、なんだか胸に来るわ」


 素直になれないお嬢様である自覚があるのか、カオリの言葉にやや恨めしそうな表情をするロゼッタである。


「それにしても殿下はどうして愛称だけ告げて、正体を隠すようなことをしてまで、私に接触して来たんだろう?」


 純粋な疑問からカオリがそう云うと、二人は少しだけ躊躇した後、溜息を吐いて語り出す。


「殿下はその……、大変女性に対して大らかな性分をお持ちですので、見目のよいご令嬢にお声掛けされることが多くいらっしゃって……」

「ああ……、スケコマシさんなんですね分かります」

「……」


 カオリの直球なもの云いに、項垂れるロゼッタとベアトリスではあるが、否定出来ない事実のため、言葉なく無言の肯定を示す。


「カオリ様も色彩が珍しいうえにとても容姿端麗でいらっしゃるので、噂を聞きつけて参られたのでしょう、大変申し上げ難いのですが、恐らく当分はカオリ様にご執心されるかもしれません」


 ベアトリスの予想にカオリは眉を潜ませる。


「具体的にはどこまでが目的で?」

「……」


 どうすればコルレオーネ王子が満足するのかを聞けば、二人はしばらく沈黙し、ようやくと云った感じで告げる。


「その……、睦言の、関係になるまで、かと」

「……」


 言葉の意味するところ察して絶句するカオリに、同情の眼差しを向けるロゼッタとベアトリスではあるが、相手があのカオリであれば、きっと回避出来ると励ましの言葉を送る。


「カ、カオリならズバッと拒絶出来るでしょうから、そう云った状況にはならないでしょう? なにも乱暴を働こうと云うほどではないのだから、殿下も拒絶されれば大人しく引き下がるはずだわ、たぶん……」

「そうですわねっ、騎士科の先生を圧倒されたカオリ様ですもの、殿下もそう無体な真似はなさらないはず、どこかで恐れて身を引かれるはずですわ、た、たぶん……」

「二人ともワザと言ってる?」


 語尾を揃えて弱々しく慰める二人に半眼を向ければ、二人は揃ってふるふると首を急いで振った。


 その日の夕方、とりあえず事実の確認をと二人に促され、カオリは今日も来るかもしれない噂の王子様を、勉強を進めながら待てば、さも当たり前のように姿を現した。

 貴公子然とした笑顔を浮かべて対面に座るのを見届けてから、カオリは立ち上がって机を迂回し、王子の目前に起立する。


「レオ様、私は冒険者ササキの後見を受けたミヤモト・カオリと申します」

「ん? そうだね。どうしたんだい急に」


 カオリの名乗りに不思議そうな表情を浮かべる王子だが、その表情も愛嬌のある人好きする表情なのだから、とんだ人たらしである。


「本日とあるご令嬢様から、貴方様がこの国の王子殿下であらせられるとお伺いしました。事実なのでしょうか? 事実であればこれまでの態度を反省し、謝罪をさせていただきたく――」


 カオリの言葉にやや困った顔をする王子は、カオリを遮るように立ち上がる。


「よしてくれよカオリ嬢、たしかに僕はこの国の第二王子コルレオーネ・ロト・ミカルドだが、君にそんな堅苦しい接し方をしてほしくないんだ」


 慌てる様子が本心からなのか、それも女泣かせの手管なのかとカオリは思う。

 第一名前で呼ぶことを許した覚えがないのに、カオリの名前をさらりと口にするあたり、相手との距離を詰めるのはお手のものといった様子である。


「まったく、僕の正体をバラしたのはきっとアンジェリーナ嬢だね? 彼女には困ったものだよ、僕はただ君のような遍歴の人とお近付きになって、後学のために色々お話が出来ればと思っているだけなのに、嫉妬に駆られて脅しをかけるんだから……」


 そう言って心底困った風を装う王子だが、カオリは当初の予定通りの受け答えをする。


「いえ、ごもっともなお言葉と受け止め、今後みだりに王子と接触せぬよう控える所存ですので、恐れながら、以降殿下には私を見かけてもお見過ごしいただきたく」

「ちょっと待ってくれよ、そう性急に結論を急ぐことはないだろう? 誰はばかる関係ではないのだから、ちょっとした友人としてお付き合いするのは、君にとっても必要な異文化交流のはずだ」


 もっともらしい大義名分を持ち出す王子ではあるが、それが軟派の手口だと思うと肩から力の抜けるカオリであった。


「私に必要ではあっても、王族である殿下にとって有益であるかは、陛下や国のお歴々のご判断を仰がぬ以上、私のような一平民では分不相応な願いであると誹りを受けます。これは例え殿下であっても、私は拒否する以外にお応えする術をもちません」

「えっと……、国? 父がか?」


 これはカオリの個人的な判断ではないと言い含めれば、即座に反論を思い付かない様子の王子に、カオリはもう一押しだと手応えを感じる。

 ここで言質を引き出しさえすれば、今後王子が個人的感情でカオリと接触することが難しくなるのだから、カオリにとっても勝負どころである。


「私は恐れ多くも、陛下よりよく学ぶようにと寿ぎを授かっております身、学業以外で身の丈に合わぬ方々と友邦を求めれば、野心ありと無用の疑いを持たれます。それは後見人である冒険者ササキのこれまでの武勇に泥を塗るに等しい所業、例え殿下からの善意であったとしても、望まれた関係でないことは事実、どうかご理解くださいますよう、伏してお願い申し上げます」


 最後の一押しとばかりに跪いて騎士の礼を見せれば、流石の王子も面食らってしまった。


「そ、そうか、それは……、残念だ。そう云う理由であれば、そうだね。君の言う通り、かもしれない……」


(よし勝った!)


 言質を引き出したとカオリは心中で拳を握る。

 非常に、非常に残念そうな表情で眉を下げる王子に、カオリは至って平然とした顔のまま再度礼をして席に戻った。


「では私は今日よりここでの勉強を控えます。殿下の貴重な読書の時間を共に出来たこと、光栄に思います。――失礼します」


 カオリはそこまで言い切ると、電光石火の如き速さで身支度をし、ついでに今日まで借りた書籍を返却まで済ませて図書館を辞した。

 後に残された王子がどんな表情であったかは、確認していない。


「流石カオリね。拒否する速さは折り紙つきだわ」

「なにそのよく分かんない信頼……」


 カオリの簡単な説明を受けて、開口一番そう言ったロゼッタは、馬車の背もたれに身を預けてくすくすと上品に笑った。

 屋敷に到着して着替えを済ませれば、しばしの談笑の後夕食となる。

 新たに雇用した料理人のグロラテスが腕を振う料理の数々は、今日もカオリを楽しませる。

 同時に雇用した見習いの姉妹、フォルとリヴァも手伝ってはいるが、まだまだ仕込みの基礎の段階のようで、彼女達の料理を楽しめるのは、もう少し後になるだろう。

 ただし配膳に関してはステラの徹底した指導があったため、すでに忙しなく、しかし品を損なわないよう優雅に働く二人が加わり、食堂は以前より賑やかになった。


 相変わらず男一人のササキではあるが、一分の動揺も見受けられないのは流石は年の功である。

 そして話題は当然のことながら、今回の王子を巡る痴情のもつれ、果たしてただ一人の男性の意見はどうかと問えば、ササキはさも愉快そうに答えた。


「なるほど、流石の王子もカオリ君を落とすことは叶わなかったか、これには陛下も残念に思うことだろう」


 笑いながら、しかし知っていたかのようなもの云いに、女性達は怪訝な表情を浮かべる。


「事情をご存じなのでしょうか?」


 ロゼッタが問えば、ササキは鷹揚に頷く。


「私が半ば陛下の子飼のようになっているのを見て、三人の王子達も冒険者の私兵を欲しがっているとは聞いていた。――第一王子は自身で動かせる兵力を、第三王子は異国の文化や冒険譚を独自に仕入れるために、……そして第二王子は、見目麗しい女性で近衛を揃えたいのだそうだ」

「……」


 第一第三王子の理由がなまともなだけに、第二王子の極めて不純な理由に、女性陣の表情は極端に歪む。


「コ、コルレオーネ殿下は、非常に女性に優しく、女性の活躍出来る社会にも、ご理解を示される開明的な――」

「スケコマシ」

「……」


 肝心なところでカオリの横槍を受け固まるビアンカだが、誰からも擁護の言葉がなかったため、そのまま黙りこんだ。


「つまり第二王子は私を私兵にしたくて接触して来たんですか? それって国的にはどうなんです?」


 私兵の設立や雇用の仕組みを知らないカオリは、そんな王子の独断がどこまで許されるのか質問する。


「通常貴族が私兵を迎える場合、国に装備や人数を申請する必要がある。それは王族も同様ではあるが、最終決済を王が担う関係上、内部処理で事後報告などざらだ。最初は政務補佐などと云う名目で傍におき、新兵警護の名目で武装を緩和していく、最終的には叙任式をおこなって正式に私兵、あるいは騎士に任じることのになる」


 ササキの詳しい解説にカオリはふむふむと感慨を覚える。

 とそこへステラが一声発した後、ササキに一通の手紙を渡した。


「今、アルトバイエ家より遣いがあり、そちらをご当主様、ならびにロゼッタお嬢様にお渡しするようにと……」




 いつだって、問題は忘れたころにやって来るのだ。




「む、む? ロゼッタ君に婚約者だと?」

「「はっ?」」


 食堂に、カオリ達の間抜けな声が木霊する。


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