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( 開拓状況 )

『以上が、今週の報告内容となります』

『りょうか~い、そっちもお願いね~』


 村の祠にて週間業務である、遠話と書類の受送信を終え、アキは日常業務に戻る。

 カオリが王都ミッドガルドで学園生活を始めた中、村の運営開拓の総指揮を代行するアキであるが、遠話と転移の魔法が充実しているこの村では、彼女の責任の負担はかなり軽減されている。

 その代わりに細やかな状況把握と報告業務は密にする必要があり、こうして週ごとに報告と決裁書類の受け渡しが業務に組み込まれたのだ。


 報告の主な内容としては、村人や開拓団全員の活動状況の確認、各人の求める要望や物資の調査や、村の開拓状況の詳しい進捗である。

 決済に関しては、消耗した物資の仕入れ、完工した家屋などの受け渡しおよび管理者の最終決定、着手する開拓の順番の決定となる。


 なにごとも予想通りとはいかないのが人の営みというもの、気候や世情によって変動する物価や市場から始り、物資の消耗によって無理が生じるのを懸念しての、人材の細やかな割り振りなど、村の関係者一人一人に気を配った采配には神経をすり減らすものだ。


 ただし、カオリによって創造された守護者NPCであるアキには、人としての常識や良識がやや欠落している節がある。

 主至上主義の彼女にとって、人間の機微と云うものは至極どうでもいいことであり、それは村の関係者全てに対して云えることであったのだ。


 その点に関しては実のところアイリーンがアキに助言を与えることで補助していた。

 集団行動、主に傭兵業や従軍によって養われたアイリーンの人心掌握術は、こう云ったところで非常に役立っている。

 しかしアイリーンはアイリーンで奔放な性格のため、開拓業と云う計画性の問われる仕事の上ではどうしても穴を生じさせることがしばしば予想されたため、基本的には指揮役に就くことはせず、こうしてアキの顔を立てるように振る舞っていた。

 村の恩人であり開拓の責任者であるカオリの代行者として、アキ達は非常に上手く機能していた。

 外見が純白の獣人巫女で、厳しい性格のアキと、豪傑を絵に描いたような女戦士のアイリーンと云う組み合わせは、思った以上にこの村の顔になっていると、初期から開拓を手伝っている【赤熱の鉄剣】の面々等は評価している。


 そして最近になって、少しづつ村にも変化が起きるようになって来ていた。

 なんと先の湿原騒動にて、カオリ達の依頼を受けてアンデット掃討作戦に参加した冒険者、カシミール達【風切】のパーティーが村に訪れるようになったのだ。


 どうやらエイマン城砦都市の冒険者組合に依頼していた。斥候依頼の枠がまだ残っていたのを知った彼等が、自ら進んで請け負い、表向きは依頼としてやって来たのだ。

 依頼料はもちろんカオリの資金から賄われることになるので、必要でなければ依頼を取り下げることも出来るのだが、カオリは現在斥候役を務めるゴーシュ達【蟲報】に、万が一のことがあった時を想定して、依頼張り出しを継続していたのだ。


 アキからの報告だけを聞いたカオリは、カシミール達の来訪を歓迎した。

 どうやらカシミールのアキを見る視線の意味を邪推して、彼の恋の応援をするつもりであった。

 しかしそれだけで余計な経費を消費するのは難しいため、カオリなりに彼等がより冒険者として成長を望め、かつ村に貢献出来る仕事がないかを考えた末、カシミール達には開拓団の護衛兼斥候任務に就いてもらうように取り計らった。


 具体的な内容としては、森小屋までの道敷設のための伐採組の護衛や、村までの水路敷設に従事する村人達の護衛、そしてゴーシュ達の指導の下おこなわれる村周辺の斥候業務であった。

 これにより【赤熱の鉄剣】と【蟲報】の面々が効率よく休めるようになり、かつ他の業務に関わることが出来るようになった。

 具体的にはアデルが、鍛冶屋の息子としての知識を生かして始めた鉄器の修理、ゴーシュ達が気紛れで始めた村の青年への軍事訓練である。

 これが思いのほか村にとって重要な事柄になりつつあると、カオリはアキからの報告を聞いて絶賛した。

 そしてカオリの喜びの声を聞いたアキは、ただそれが嬉しくて、彼等の働きを過剰に称賛する様子を、アイリーンもオンドールも微笑ましく見ていた。


「それじゃあアキさん、俺達は今日も斥候に行って来るからっ」

「はい、お願いします。カオリ様も非常に皆さんを評価しております。本日もお気をつけて行ってらっしゃいませ」


 毎日律儀にアキに出発と帰還の報告に訪れるカシミールを、アキは微笑を浮かべて見送った。

 アキからしてみれば、自ら進んで真面目に仕事に勤しみ、かつ詳細な報告を上げて来るカシミール達を評価しての行動であるが、彼等からすれば絶世の獣人美人に毎朝見送られればやる気も漲ると云うもの、周囲の視線はともかく、最近ではこの光景が日常と化しつつある。


「あの姉妹も新しい環境で気持ちがよい方に紛れるだろうし、若い彼等の様子は村をさらに活気づけるだろうな」

「そうさねぇ~、いや~男って馬鹿だなと改めて感じるさね。あたしにゃあれは無理だからアキさまさまだね~」


 朝の準備を進めつつ、アキ達の光景を眺めるオンドールとアイリーンだが、まるで同じ目線で語る二人の年齢差に、違和感を訴えるものはいなかった。


 ただただ村を開拓するだけならば、今の資金力があれば人夫を大量に雇って作業させれば、より早くより効率良く開拓を進めることは不可能ではないだろう。

 しかしカオリがもっとも大事にしているのは、村人達の、アンリとテムリの帰る場所を取り戻し、よりよい環境に発展させること、皆の安全と幸福な未来を、皆の力で作り上げ、そこを自分達の故郷と誇れるように手助けすることである。


 資金を工面し、外敵を排除し、智恵を絞ろう、しかしそれらはそこに住まう人間達の、望郷の想いがあってこそ意味がある。

 自らと自らの故郷を誇りに思い、どんな時であっても幸福を願うこと、カオリが皆に求めるものはただ一つ、ただ、幸福への願いであった。


 村人達と、冒険者達と、移住者達、今やカオリを中心として集まった全ての関係者達が、一丸となって取り組む開拓事業は、今日も平和に邁進していたのだ。


 それはそうと、最近村では、とくにカオリ達が王都に拠点を移してからというもの、村では仕入れられる布類の種類が豊富に、かつ非常に品のよいものが手に入るようになっていた。


 村で着られる衣服のほとんどは、素材を街で仕入れて、村人自身の手で作られていた。

 言わずもがなだが、現在この村では生地の元となる素材、綿や麻や毛などが手に入らないのだ。

 これらは鉄資源と同様に村で生産出来ないものであり、ある程度自給自足出来る食料や木材や燃料と違い、村でもっとも価値の高い物資となる。


 その中でも布類はそう云った事情ゆえに、これまでは少ない村の収入から、出来るだけ多く街で仕入れる関係から、非常に質素なものがほとんどだった。

 しかしカオリと云う常識外れな資金源と、貴族出身のロゼッタやステラの参加から、品の目利きだけでなく、充実性にはとくに力を注ぐようになった。


 カオリ達自身が女性であることはもちろんだが、現状村の人口比率は女性が圧倒的に多く、開拓業以外の要望として声が上がりやすいのが衣服に関してなのが理由である。

 男性の村人達にとっては労働に適した丈夫な衣服があれば文句がないので、村の女性陣が小奇麗になっていくことに異論などある訳もなく、今のところ不満の声は上っていない。


 また石鹸類の積極的な仕入れなど、身体と衣服を洗浄する機会も増やすようにとの試みから、以前の村の様子と比べて、衛生面および美容関係は大きく向上した。

 これはカオリが王都で活動するようになって、街の市民の様子から、この世界の水準を正しく理解したことによる影響である。


 以前から文明度のわりに衛生面が発達しているという認識ではあったが、都市によっては一般市民でも、貴族に寄るほどの清潔な環境で暮らしていることに、カオリは驚きと共に安堵した。

 王都の市場調査のおり、資金と物価とを見比べて、迷うことなく仕入れを決断したカオリに、今では村の女性陣全員が感謝と称賛を口にしていた。


 今のところ絹と云った高価な生地こそ控えているものの、夜着と昼着を完全に分け、かつ作業着にも柄物が増えたのは、紛れもなく女性陣の要望が形となった証であろう。

 ただしお洒落に気を遣うようになった女性達と違って、男性達の褒め言葉はまだまだ上達していないのは、仕方がないと言わざるをえない、頑張れ男達。


 しかしながら仕入れは、ミカルド王国の王都でおこなっている一方で、村での仕立てでは帝国貴族出身のダリアが監修しているので、流行りや傾向に関しては、ステラとダリアの水面下での戦いがおこなわれていることを知るものは少ない。

 ステラは布を村に送るさい、流行の形や柄の組み合わせなどを、紙面におこして一緒に送っているのだが、ダリアによる細かい改変に邪魔されて、やや帝国式の着こなしが流行りつつあった。


 帝国は国土の大半が降雪地帯であることと、女性でも労働と社会進出の機会が多い国是により、女性でも動きやすい着こなしが多かった。

 逆に王国では女性は前に出ず。労働中でも気品を損なわないことを重視しており、帝国と比較して嵩張る衣服が普通である。

 村の開拓業や労働環境から見れば、どちらの方が現状の村に適しているかは一目瞭然であるため、反論の余地がないことを、ステラは影で悔しく思っている。


 別に反目し合っている訳ではないが、ステラとダリアは、どちらも祖国の高位貴族に仕える侍女であるからして、対抗意識が育つのは自然の摂理だったのかもしれない。

 村の女性達にとっては、元より国をもたない一辺境の村人だったため、とくに拘りはなかった。少なくとも今は、純粋に新しいものに心躍っている時期であるため、どこからも不穏な空気は感じられていないのが幸いか。

 これで装飾品や化粧品が充実した暁には、どうなるか見物であるとは誰が言ったのか。


 そしてかねてから懸念であった村の施設の中に、カオリが一番に気にしていたものがあった。

 それは衛生設備の充実である。

 風呂や便所の充実は、住環境の改善をする上では必須の事柄である。

 異臭や見目だけではない、疫病や疾病を抑制するには、まずは衛生面の改善が必須であると考えるのは、なにも日本を知るカオリだけの考えではなかった。

 この世界でも衛生と疾病への因果関係は古くから文化が進んでいることを、ササキは過去に地球の文明人の残した知識が関係していると分析していた。


 以前に紹介したこともあるが、歯磨きの文化があることは、カオリも実感したことである。

 しかしそれを実現するためには、水道施設の充実が必要不可欠であり、そのための水道敷設も、そろそろ佳境に差し掛かっていた。

 村内の上下水道の掘削と整備、吸水と排水路の整備も、後残すところ給排水の施設建設を残すのみである。


 今はまだ石組みが剥き出しの上下水道も、稼働試験が終われば土と石畳で蓋をして完成だ。

 そのためには吸水の水門施設、排水の浄水施設を完成させなければならない。

 設計に関してはかなり初期のころから着手しており、大工のクラウディアと石工のエレオノーラ両名の監修によってすでに完成していた。


 後は手の空いた村人を人夫に回して、一気に完成させる手筈である。

 これには村人総出であたることになっている。とくに人間重機のアイリーンとレオルドの二人は、重要な労働力として期待されていた。


 しかしここでアキは、カオリの意を汲んで、独自で調査していた事項があった。

 不敵に微笑むアキにアイリーンは声をかける。女性が機嫌よさそうにしていれば、何事かと聞くのが礼儀である。


「ふふ、カム殿が見つけて来た魔物、その中でもスライム系の魔物の中には、水質を改善する働きをするものがいます。主に動物の死骸や汚物を吸収し、分解してしまうのです」

「ああ、カオリが調べて来た資料の中の、魔導施設関連にあった。スライム濾過装置のことかい」


 心辺りのあったアイリーンはアキのご機嫌の理由が分かり、納得の表情で頷く。

 地球の先進国にある浄水施設の中には、微生物による生物処理方法がとられる施設があり、それら施設は幾数もの微生物を意図的に繁殖させ、汚泥を無害な水に戻している。

 そしてこの世界では同様の方法として、水棲の魔物、とくにスライム系の魔物が重宝されていた。

 もちろんそれらは魔物であるため、取り扱いには国と冒険者組合や魔導士組合、ともすれば教会の認可のもとに管理する必要があるが、幸いこの村は国をもたない開拓村である。

 どの組織勢力にも属さないと云うことは、如何なる法も許可も必要としないと云うことである。

 ならばこの世界の先進技術の流用を試みたところで、誰にも見咎められないのだ。


「水門施設と浄水施設には、すでにそのための余地を残した設計に作り直しておりますので、施設完成までに捕え、実験をおこなえば、稼働までに十分間に合います」


 頭の中の計画に破綻がないことを確信してか、アキはさらに笑みを深めた。


「そいつはいいねぇ、奴らの中には鉄とかの金属も分解する奴がいるからね。鍛冶場の汚水処理にも重宝されているさね。実験結果次第じゃあ、この村で鉄器だけじゃなく、武器や兵器の独自開発も夢じゃないさね」


 アイリーンが軍事知識から関連の知識を引き出して語れば、アキは即座にそれに喰いつく。


「なんと! アイリーン様、今のをもっと詳しくお教え下さいませっ、村の独自性が進み、カオリ様がよりお喜びくださいますれば、このアキが事前に調査を進めなければっ」


 掴みかからんばかりにアキが求めれば、アイリーンは笑いながら答える。


「鉄鋼業って云うのはとにかく水を使うさね。鉄を冷やして固めるにも、洗って綺麗にするにもね。ただそれで出た汚水って云うのは、普通の生活用水とは汚染度がだん違いでね。だから大きな都市じゃあ鍛冶場内に別で浄化槽を作って、ある程度綺麗にしてから下水に合流させるんだよ」


 簡単な概要だけに触れて説明するアイリーンの言葉に、アキはさらに聞き入る。


「でも中には鉄なんかも喰っちまうスライムがいて、そいつを浄化槽で飼っちまえば、金属を含んだ汚水も綺麗に出来ちまうんだ。水銀中毒なんかも、これで解決した歴史があるくらいさね」


 日本の高度成長期に起こった。大規模公害の中には、大勢の水銀中毒者を発生させた悲惨な過去がある。

 この世界では科学が存在しない代わりに、魔導工学や錬金術と云った独自の発展がある。

 そのため先進国の中には大型の魔導設備による工業開発も進んでおり、それらは中小規模の工房とは一線を画す国家事業であった。

 しかし科学や医療が進んでいないこと、また大規模工業にほぼ国が関わっていることから、公害に対する対策がおろそかになりがちであった。

 結果的に汚染された空気からの吸収や、水や食料からの摂取によって、大量の民が同時に病を発症し、治療が追いつかずに亡くなってしまったのだ。


 この世界には『魔法は万能ではあっても、それを使う人間は、決して全能の神とはなりえない』と云う言葉が存在する。

 それはかつて、先の公害によって病を発症した大量の民の治療にあたっていた。ある聖人の残した言葉であった。

 治療や回復の魔法は、たしかに地球の医療技術を超えた能力をもつが、それを行使出来るのがたった個人である以上、公害のような大量の患者を全て救うことは不可能なのだ。


 しかしそう云った歴史の教訓から、多くの学者達が解決に向けて懸命に研究した結果、今日では原因の特定と発生を抑制する術を確立し、その技術と知識を後世に残したのだ。

 カオリが独自に調べたのは、あくまでその結果によって確立された技術であり、それまに辿った経緯にまでは触れていなかったが、少なくとも現状の村規模では、最低限の効果が見込めるとして、導入の計画は即座に議論された。


 オンドールやササキと云った知識人の意見はもちろんのこと、村人全員の理解を得るための説明までもおこない、安全性の立証が出来れば、すぐに導入する決済をおこなった。

 水道施設そのものがまだ着工出来ていない段階のため、現在では後回しとなっている計画ではあるが、アキはそれを前倒しで独自に進めるつもりであった。

 村人の安全の確保はもちろん命題ではあるが、アキ個人としてはカオリやアンリとテムリの、住環境の改善が悲願である。


 風呂にもろくに入れいない村では、主とその家族に惨めな想いをさせてしまうと、守護者の矜持に関わるのだ。

 さりとて一人でどれほどのことが出来るのかと、流石のアキも理解しているため、彼女はまず手駒を作ることを考えた。

 そんな時に村に訪れたカシミール達【風切】のパーティーは、アキにとって鴨が葱を背負ってやって来たも同然である。


 何故かは知らないが自分を慕ってくれる。同じ獣人族の青年達である。利用しない手はないと、アキは普段は見せない愛想まで駆使して、彼等を村に繋ぎ止めたのだ。

 その成果として、探し求めたスライムの発見に漕ぎつけたアキが、興奮しないわけがないと、アイリーンは闊達に笑いながらも、純粋無垢な青少年達に若干の憐みを感じる。

 自分に向けられる想いを利用することは知っていても、向けられた感情の意味までは理解出来ないとは、なんとも不憫な話である。


 それはさておき、アキは早速アデルの下を訪れ、計画の説明とある依頼を話す。

 集合住宅の裏手で、鍬や円匙、または武具の調整や修理を始めていたアデルに声をかけ、作業を進める手を邪魔しないようにしながら、アキは提案をする。


「作業中に申し訳ありませんが、折入ってお願いしたいことがありますアデル殿」

「ん? アキ君が僕にお願いなんて珍しいね」


 堅苦しい物言いだが、これがアキの普段の通りの姿勢のため、アデルも普段通りに応対する。


「実は捕獲していただきたい魔物がおりまして、一覧をこちらに纏めております」

 アキが手渡した書類には、浄水能力を期待出来るスライム系の魔物が数種類記載されていた。

「あ~、懐かしいな、昔にも何度か捕獲依頼のあった奴らだね。もう実験を始めるつもりなのかい?」


 浄水施設における魔物の利用に関してはすでに関係者全員の理解を得ているため、アデルもすぐに目的を察する。


「その上で、現在村に滞在中のカシミール殿達【風切】のパーティーに、魔物の捕獲を指導されてはと思ったのです。今回は私も同行して、魔物の選別や魔法支援をさせていただきますので、是非ご指導を」


 カオリはもとい【孤高の剣】のメンバーは全員、【赤熱の鉄剣】に冒険者としての基礎を指導してもらったので、彼等の指導能力は折り紙付きである。

 今後冒険者として広く活動しようと思えば、やはり熟練冒険者に教えを仰ぐのが一番確実で、カシミール達が有能であれば、それだけアキも彼等に仕事を依頼しやすくなると考えたのだ。


「なら今回は俺だけ同行して、ついでに森の奥の歩き方も教えながらになるのかな? 捕獲道具って在庫あったっけ?」


 頭の中で段取りを考えるアデルに、アキはすでに仕事を引き受けてもらえると理解し安堵する。

 【赤熱の鉄剣】のメンバーは、云わば善意だけで村に協力してくれているような状況である。

 そのためアキはどうすれば彼等を上手く使えるようになるか、分からずにこれまでやって来たのだ。

 今にしても、アキのお願いを、アデルは当然の如く引き受けて、かつ責任を負うことも厭わず事前準備や当日の作戦を考えている。


 至高なる創造主たるカオリに忠誠を誓うのは、守護者として当然の感情ではあるが、それが余人には理解出来ないと云うのも、生まれてから数カ月もすれば察することの出来る世間の常識である。

 それを理解せぬまま、カオリを慕う関係者を顎で使うような真似をすれば、カオリの信用を失うことになり兼ねないと、流石のアキも遠慮を覚えたのだ。

 しかしだからと云って、彼等に上手く利益を示しつつ、交渉する術が身につく訳もなく、結局言葉遣いや態度を改める程度しか、改善出来ていないことを、最近強く実感していたのだ。

 一度思いきって彼等に直接理由を聞いてみたことがあったが、その時は揃って大笑いされた挙句に、『君の口からそんなことを聞かれるとは思わなかったな』などと意味の分からない返しをされた。

 それ以来確信を得られぬまま、それまで通り、お願い、と云う形で村の仕事を任せる状況が続いているのだ。


 結局本日も快く仕事引き受けたアデルよる指導の下、アキとカシミール達は物資を準備し、翌日に魔物捕獲のために出発した。


 村の北に広がる大森林、正式名称は【クロノス大森林】だが、この地域の人間は総じて大森林で通じるこの深い森は、言わずもがなだが非常に広大な森林である。

 日本で例えるならば一県が丸々入るほどの広大さであり、その生態系は未だ全容が掴めていないほどである。

 唯一村から一番近い浅い範囲のみ、動物や魔物の種類、また山菜などの分布が判明しているに留めている。

 便宜上人間が出入りする層を浅層、魔物が出没し始める層を中層、強力な個体や生態が不明な魔物がいるだろう層を奥層と呼び、黒獅子が縄張りにしているらしい層を最奥層と区分していた。


 大森林の向こう側にそびえる【ブレイド山脈】に至っては、人が踏み入ったことがないと云われるほどの危険地帯とされ、村の古い人間でも、伝承に語られる程度の知識しか残っていないほどである。

 現在はその山脈の最北端に、ササキの治める【北の塔の国】があると、本人は口にしているが、そんな場所に本当に国があるのかどうか、はなはだ疑問である。


 今回魔物捕獲に挑むのは、大森林の奥層で、強力な個体が出没するであろう層である。

 金級冒険者はアデルのみで、他はアキも含めて全員が鉄級冒険者であるため、通常であれば請けることが難しい依頼であるが、今回は幸か不幸か組合を通さない依頼である。

 ただし討伐した魔物の買い取りの関係もあるため、事後処理にて冒険者組合には申請するつもりである。


 これでアデルはもちろん、カシミール達も冒険者としての依頼達成の実績を積むことが出来る。

 危険な仕事ではあるが、今回決断に至った理由に、狩人冒険者カムの存在が関係していた。

 彼は現在も、単独で森の中層から奥層までを活動拠点としており、強力な個体や魔物の群れを監視、たまに帰って来ては報告ないし討伐までしてくれているのだ。

 そのため熟練のアデルが指揮を執り、アキが治療を担当出来るのであれば、万が一の危険にも対処出来ると考えた。

 最悪の場合でも、浅層で伐採作業中のレオルドやアイリーンがおり、遠話の魔法で助けを呼べるため、一応は安心である。


 奥層まで安全を考慮しつつ進むなら、通常は三日の行程である。

 ただし黒獅子の強者の気配があるためか、魔物は他の区域に比べて極端に少なく、また熟練冒険者と獣人で構成される一行であれば、早ければ往復で五日の昼には帰還出来る予定である。

 カシミールが仲間の槍使いアドネと共に斥候を買って出て、魔物や動物の気配を探りつつ、順調に進んでいく一行。

 彼等もここ数日のアデルやゴーシュ達の指導で、一端の実力を身に付けつつあると、アキも素直に彼等を評価した。


「それにしても魔素の濃い森っすねぇ、精霊とかもいそうだし、すごい豊で驚きました」


 カシミールが純粋な驚きから感想を口にする。


「そうだね。山脈から流れる冷気に混じって、多くの魔素が溜まる地域でもあるし、昔聞いた話じゃあ、丁度この地脈に魔素が通る龍脈があるって話だよ」


 魔素とは魔力の素となる力のことであるのは、守護者としての知識で知るアキは、静かに大地の気配を探る。

 血流を感じるように、肌で冷気に触れるように、精神を研ぎ澄ませれば感じることの出来る魔の気配を、アキは固有のスキルで即座に感知する。


「はい、たしかに膨大な魔の気配を、周囲からも大地からも感じます。村でも同様の気配を感じることは出来ますが、ここの方が鋭敏に感じとることが出来ます」


 カオリが無意識に設定した巫女としての能力、狛犬という幻獣を元にした種族特性により、アキは生まれながらに魔素や魔力の気配に非常に敏感であった。

 保有スキルの中にも、感知系や鑑定系が充実し、とく固有スキル【神前への選定(ライトオブパッセージ)】を駆使すれば、魔素や魔力の濃度や種類別の特性、さらには地中の岩盤層に含まれる魔鉱石までも感知出来る。


「す、すごいっすね。流石は純血種の獣人様っす……」

「お、おいカシミール」


 カシミールの呟きに、アドネがすかさず肘打ちをする。


「その純血種と云うのは、どう云う意味なのですか?」


 だがなにが問題なのか理解出来ないアキは、自分のことながら不思議に思い質問をした。

 これにはアデルも興味があるのか、黙って聞き耳を立てる。


「いや、その……、俺等と違ってアキさんは獣人同士での血統を守っている種族で、人種とか他の種族の混血じゃないから、獣人種の特性が強く残るらしいんすよ、俺も純血種は始めて会うんで知らないんですけど」


 この世界には多様な種族が生息していることは云うまでもないことだが、人種以外を亜人種と呼んで差別する風潮があることも、これまでの生活で理解してはいる。

 しかしかつて彼等に云われた純血種という呼称が、彼等の言う通りであれば、この辺りでは珍しい部類であるのだと、カシミールの言い方で察することが出来る。


「王国では亜……、獣人種と結婚して子を成す人はそれなりにいるよな~、でも獣人種的には血統にそれほどの価値があるなんて、始めて聞いたかもしれないなぁ」


 頭から動物の耳を生やした人間を、それなりに見かけることが出来る王国では、亜人ないし獣人はそこまで珍しい存在ではない、しかし彼等的にはそれら多くの同族の中でも、純血を守る系図は滅多にお目にかかれない存在のようだ。


「王国に住む多くの同族は、国に馴染むためにほとんどが人種と結婚したり、人種の血が流れる同族と結ばれるんす。今では純血種は帝国領の南方山脈に残るのみって、爺さん達から聞いたっす」


 カシミールがまた聞きの知識を披露して、熱のこもった視線をアキに向ける。


「ではその見分け方はなんでしょう? 正直私には大きな違いが分かりません」


 かつてカシミールと相対した時、彼はアキを即座に純血種と見極めたのだ。なにか外見的特徴に決定的な違いがあるのかと、アキは後学のために質問すれば、カシミールどころか他の仲間まで不思議そうな表情を浮かべた。


「なに言ってんすか? どう見ても違うじゃないですか」


 突然熱くなるカシミールに驚き、アキは思わず怪訝な表情でアデルに助けを求めて視線を向けた。


「あ~、そう云われてみれば、体毛とか、顔付きもかな? 獣人と云われて見れば、アキ君の方がそれっぽいよなぁ」

「それだけじゃないっす! その柔らかそうな手とか、脚付きもしなやかですし、なにより尻尾の大きさが段違いですっ、そして一番はその毛並みっす。もう後光が差してるように見えるくらい綺麗で――」


 カシミールが熱く語る勢いに気圧されて、やや仰け反るアキだが、この時不穏な気配を感じて、表情を険しくする。


「お待ちを、魔物の気配がします」

「え?」


 同じ獣人種の自分達が感知未だ感知出来ない中、アキはその存在を即座に感知し、急いで遠見の鏡を取り出し、周囲を探索し始める。

 気配の先を辿ってみれば、そこには十頭以上の群れをなす。狼のような魔物の姿が確認出来た。


「【グレイウルフ】です。数は十頭以上、まっすぐこちらに向かっております」


 森を代表する魔物の中でも、とくに厄介な部類に入る【グレイウルフ】は、平原の【ウォーウルフ】と比べれば弱い部類に入るが、嗅覚や聴覚に優れ、森の地形を利用した連携が侮れない魔物であった。

 これでも野生の狼に比べれば知能が低く、討伐は難しくないのだが、なにせ凶暴であり、生物であれば見境なく襲撃するため、注意が必要である。


「全員俺の後方にっ、訓練通りに左右に逸れた個体を各個撃破、アキ君は治療と、さらにあぶれた個体頼むっ!」

「了解ですっ!」


 日頃は平原や村で訓練しており、同じ狼系の魔物であれば問題は起きないはずだが、なにせ地形が森の中だけあって、死角から狙われれば大怪我もありえる状況である。

 一行は最大限に警戒を高め、魔物の群れを待ち受ける。


 結果的に一行は無事に【グレイウルフ】を殲滅し、アキが軽傷を治療すれば、その後も予定通り森を進み、件のスライムの生息地まで到着した。

 途中に【ゴブリン】やグレイウルフに騎乗した【ゴブリンライダー】などとも遭遇したが、カシミール達が思った以上に活躍したため、問題にはならなかった。

 彼等も湿原騒動から向上心に燃え、上位の冒険者に同行するなどして訓練し、実力は当時より上っていた。

 とくに連携に関しては力を入れ、パーティーとしての能力は格段に向上している。

 そこに熟練冒険者のアデルや、カオリには劣るものの戦闘能力に優れ、また治療魔法をも使えるアキが加わることで、かなり安定した戦闘に収めることが出来たのだ。


 到着したのはカムが単独で調査したスライムの群棲地帯である。森林の湖だ。

 深いところで四メートルはあり、広さは直径百メートルほどである。大森林にはこうした湖が多数あり、それぞれで生態系が少しづつ違っている。

 ここはとくにスライムが多く、流れがないために水が淀みやすいことから、汚泥を好むスライムが多いと予想された。

 そのためか水質は非常によい状態で保たれており、アキは目的完遂に確信をもつ。


「今日のところはここを拠点として、防衛陣地を構築する。捕獲の前にある程度生態を調査して、個体数なんかを把握しておけば、今後の森での活動や、魔物の補充なんかも容易になるから、これも大事な仕事と認識してほしい、冒険者はなにも魔物を討伐するだけが仕事じゃないからね。しっかり覚えて帰ってほしい」

「はいっ!」


 アデルが簡単に説明すれば、アキも含めて元気よく返事をする。

 倒木や折れた枝を片方だけ削いで戦端を尖らせ、蔓で縛って十字に組めば簡易の馬防柵が出来る。

 それに枝葉を被せて隠蔽し、敵が接近しても遠目には茂みにしか見えなくすれば、簡易の陣地の完成である。

 他にも紐と板を組み合わせた鳴子を設置し、外敵の接近にも気付けるように工夫するが、アキの感知能力の方が優れているため、今回は訓練としての意味合いの方が大きいだろう。


「魔物の捕獲依頼というのは、あまりない部類ではあるが、稀にある上に結構高額なものが多いから、覚えておいて損はない、だから今日は基本から応用まで、一通り教えるからよろしくね」


 陣地を構築後、休憩を入れながら口頭での説明を開始するアデル。


「基本的にだけど、捕獲対象になる魔物は危険が少ない個体が多い、今回のスライム系もその代表だね。あいつらは知能がない分、食料を十分に与えていれば、わざわざ人間を襲わないから、群れの中に突入しない限りは、比較的安全な対象だ」


 冒険者としての長年の経験から、非常に分かりやすく説明する。


「スライム系の捕獲方法と使用する道具は単純だ。攻撃して体積を減らして、頑丈な入れ物に密閉する。それだけだ。身体を削れば動きも鈍くなるし、ほとんど危険もない、初心者にはもっとも練習になる相手と考えていい、ただそれでも危険を伴う魔物であることは間違いないから、油断はしないように」

「はいっ!」


  よい返事の五人を引き連れて、アデルは早速捕獲の準備に取り掛かる。それぞれが一抱えほどの木箱を用意し、二つづつもつ、ここまではアキの【―時空の宝物庫(アイテムボックス)―】を偽装するための魔導鞄をに収納してもって来ていた。

 これは王都で活動するカオリ達から送られて来たもので、余所から来た人物にカオリ達の特異性を隠す理由からである。

 それでもこの世界では破格の性能であり、それだけで欲するものが多い一品ではあるが、そこはササキの関係者と云うことで納得させることにしている。


 ちなみに【―時空の宝物庫(アイテムボックス)―】も魔導鞄も、生物を入れることは出来ず。途中でつっかえてしまうのは実験済みであるため、帰りは抱えて運ばねばならない。

 それより半日ほどを捕獲作業に充てる一行は、日の傾く時刻までに計十頭のスライムの捕獲に成功した。

 作業としては非常に簡単で、近付いて動物の肉で陸地に誘い出し、一斉に攻撃して体積を減らした後に、箱を被せて即座に蓋をするだけだ。

 紐できつく縛り、釘で頑丈に密閉しなければ、僅かな隙間から逃げ出してしまうため、注意が必要である。


「今回は弱らせて箱詰めするだけの簡単な作業だったけど、これが他の魔物だった場合、睡眠薬や麻痺毒なんかで動けなくして、より頑丈な鉄の檻なんかを用意しないといけなくなる。森なんかのような道のない場所だと、紐や鎖で縛って、抱えて運ぶなんて大変な作業もあるから、請ける場合は実力もさることながら、運搬方法も考慮しなければならないことを忘れちゃだめだ」


 過去の苦労を後輩に語るアデルの口調には、苦いものが滲んでいるのが伺える。

 今日はこのまま陣地で夜を明かし、出発は翌朝となる。

 アキが持参した豊富な食料から、夕食はアキが担当し、全員に振る舞った。

 この世界に生まれてからはや数カ月、最初は限られた食材に戸惑ったアキも、村での生活と冒険者活動で、すっかり質素だが美味しい料理の作り方に慣れ、今ではカオリの健康管理で身に付けた知識も相まって、非常に好評である。


 少ない穀物類を芋類で糖質を補い、ビタミンは山菜で、脂質は動物の肉をふんだんに利用する。

 嵩張る物資も魔導鞄や【―時空の宝物庫(アイテムボックス)―】があれば一切の心配がないので、こんな時は非常に破格の性能である。


 夜、アキは遠くにいる主を想い、湖に映る夜空と月を眺めていた。

 思い出すのは生み出された直後に、名を、存在意義をくれたカオリの笑顔である。

 守護者として埋めれながらに魂に刻まれた意思は、ただ主に仕えること、役に立ち、主を喜ばせることである。


 本当はすぐ傍に侍り、いつでも主の笑顔を見守っていたい衝動を抑え、与えられた役割に甘んじるのも、ひとえにカオリへの揺るぎない忠誠ゆえである。

 カオリはアキに村での大役を務めることを期待している。なれば例え遠く離れていても、留守を預かる大役を務めるのも、守護者の役割であると理解している。


「……私は、カオリ様の役に、立てておりますか?」


 誰にともなく呟くのは、自信のなさゆえか、それとも寂しさからか、本人にも自覚のない感情の揺らめきが、静かな湖面を波立たせる。


「ア、アキさん、眠れないんすか?」

「……カシミール殿」


 黄昏には深い夜空の下に、淡い想いを胸に抱く青年が、アキに声をかけた。

 主に想い馳せてはいるが、別段一人になりたいなどと郷愁に浸りたいわけではないので、思考を邪魔されたことを不快には感じないアキは、無意識のままカシミールに隣に座るように促した。


「……失礼するっす」

「どうぞ」

「……」


 重い沈黙が続く中、アキはとくに気にした様子もなく、無言で視線を湖面に移した。


「……アキさんは、将来どうするか、決めてたりするんすか?」


 おもむろに質問するカシミールに、アキは言葉の意味が分からず、やや答えに時間を要した。


「質問の意図が分かり兼ねますが、私個人は、末永くカオリ様に仕え、そのお役に立ちたいと考えております」


 そういうことが聞きたいんじゃないと思うカシミールだが、自分の聞き方が悪かったと考え直し、質問を変える。


「ほら、け、結婚とかさ、アキさんは純血種だし、やっぱり結婚するなら同じ純血の獣人種ととか、将来についてなにか決まったことがあるのかなって……」


 アキに恋する男としては、是が非でも聞いておきたい事柄に、思い切って切り込んでみるカシミール、彼にとっては一世一代の質問であることは間違いない。


「とくに私の意思はありませんね。カオリ様が私に子を成すことを望まれれば、カオリ様が選んだ相手の伴侶となることも、私の役目と心得ております」

「そっか……、偉い人に仕えるってのも、色々大変なんっすね……」


 カシミールの両親は恋愛結婚の末に、カシミールを生むに至った。

 彼の同族の知り合いの多くも、ほとんどが自分の意思で伴侶を迎え、家庭を築いている。

 しかしそれが出来るのも平民であるからして、貴族社会を知らない彼は、カオリ達の正体をどこか異国の貴族と従者と理解しているため、総じて自分の知らない世界のことと納得した。


「ただ貴方のおっしゃるような、自らの意思で伴侶を決める未来があるのなら、私は強い殿方がよいと考えております」

「!」


 アキが不意にカシミールに視線を移し、発した言葉は、彼を大きく動揺させた。

 非常に熱っぽく、まるでカシミールを誘惑するかのように見詰めるアキに(カシミールにはそう見えている)、カシミールはわなわなと手を震わせて力を込めた。


「そ、それならっ、俺がもっともっと強くなれば、アキさんは俺のことも、その、好きになってくれますかっ」

「? 変な人ですね。ただ強いだけで好きになるなら、皆がササキ殿のような強者に恋をすることになってしまいます。私はただ夫婦ともども、母子ともども、カオリ様にお仕え出来れば本望と思っているだけで、結局はカオリ様を尊んでいるだけですので、元より愛だの恋だのは、範疇にありませんよ?」


 一大決心で告白したカシミールだが、その思いはいまいちアキには届かなかった。

 可愛く小首をかしげるアキに、毒気を抜かれて脱力するカシミールだが、アキは未だに理解出来ないと不思議そうな表情を浮かべながら、今日はもう遅いと、就寝を促した。

 翌朝問題なく起床し、出発の準備を進める一行だが、アデルがやおらカシミールに近付き、ささやかな助言をする。


「アキ君をものにしたければ、まずはカオリ君に認められるくらいの男にならんとな」

「っ! 昨日の、聞いてたんすかっ」


 笑うアデルにカシミールは顔を真っ赤にして詰め寄る。


「そうでなくても君の態度はバレバレだよ、まあ彼女はなにかと気難しいから、相当苦労すると思うけどね」

「そんなの承知の上っすっ! 冒険者としても、男としても強くなってっ、その、絶対にいつかアキさんに相応しい男になるっすっ!」


 カシミールの若気にあてられて、笑いが止まらないアデルは、なんとか腹を抑えて準備を進める。

 帰り道、カシミールは一人張り切ってアキの分の荷物ももつと言い出し、遠慮するアキを押し切って、最終的に捕獲木箱を四つ受け持つことに納まった。

 これによりアキは斥候役を任されたと勘違いし、道中の会話の機会を自ら逸してしまったと、深く後悔することとなる。

 予定通り、一行は五日目の昼に村に帰還し、用意しておいた木枠の水槽に、スライムを解放し、早速濾過実験を開始する手筈となった。


「なあアキ、あの坊やがなんだか元気がないけど、理由を知ってるかい?」


 アイリーンが落ち込んだ様子のカシミールを見付けて、なんとなく理由を察しながらも、あえて元凶であろうアキに質問する。


「? 私には分かり兼ねます。帰還の途につく直前は非常に元気で、私の荷物までもつとおっしゃられておりましたが、代わりに斥候のため離れて行動していたため、道中でなにがあったかまでは存じ上げません」

「ああ、なるほどそれでかい……」


 全てを察したアイリーンは、哀れやら面白いやらで、なんとも言えない表情になった。


「それよりもアイリーン様、捕獲した魔物の濾過実験を早速執りおこないたいのですが、カシミール殿達の依頼達成に関する。冒険者組合への申請書類を作らねばなりませんので、私の代わりに現場指揮をしていただけませんか?」

「それよりも、か、前途多難だね。まあいいさね。そっちは任せておきな」


 無自覚系女子の鈍感さに呆れ果てるアイリーンだが、アキの事情の難しさを知る一人として、藪蛇を避ける理由から、アイリーンはこれ以上の話題追及を止めて、与えられた仕事に向かった。

 もちろん、『そっち』の意味になにが含まれているかは、アイリーンの気分次第であることは云うまでもない。


 果たして捕獲したスライムの濾過実験を開始する。

 用意した木枠の大きさは、深さこそないものの、大きさは浄水施設と同等の大きさに設定し、スライムの濾過能力を正確に把握することを目指した。


 今回捕獲したスライムは二種類を計十頭、一種は【マッドスライム】で、泥中に潜み昆虫や動物の老廃物などを泥ごと吸収し、水とその他成分を分解してしまう魔物である。

 巨大になれば大きな水溜りに偽装し、動物や人間でも丸呑みにしてしまう恐ろしい魔物でもある。

 現在は手桶に入る程度の大きさのため、触ってもとくに害のない安全な個体だ。


 もう一種は、【アシッドスライム】で、体液が強力な酸で構成されている。通常のスライム系の上異種である。体積は基本的に小さく、マッドスライムに比べると脅威的には見えないが、こちらは触れるだけでも肌がやや爛れることもあり、取り扱いに注意が必要な個体である。

 その変わり【マッドスライム】でも処理し切れない、金属物質でも問答無用で酸化させ、結果的に水質の改善に一役買う個体だ。


 この二種のスライムはお互いが接触、ないし混ざり合うと、何故か分解能力を失ってただの【ウォータースライム】に成り下がってしまうため、本能的に互いを避ける習性があるので、同じ水槽に入れても共存出来るところが注目すべき点である。

 これら特性は魔術というよりも、科学的視点での原因が考えられるが、科学の存在しないこの世界では、慣習的な知見から利用されている。

 つまり根拠が開明されていないが、結果は明らかなので、そう云うものとして受け入れられているのだ。


「基本的には【マッドスライム】だけでも濾過能力を期待出来ますが、一応【アシッドスライム】の能力も調査します。なので今後追加で捕獲、ないし増やす場合は、基本的に【マッドスライム】のみが対象になるかと」

「【アシッドスライム】は飼育に注意が必要だ。定期的に生物の肉を食わせないと、外へ逃げ出す可能性も考慮して、食用に向かない魔物の死体などは、これらに与えて処理すべきだな」


 書類仕事を終えて実験場にやって来たアキが、居並ぶ関係者に今後の計画について説明すれば、オンドールが経験から注意点と補足する。


「それなら俺等にとっても便利なやつだな、【ゴブリン】とか平原の魔物とかは、食えない奴が多いからな、かと云って死体をそのままにすれば、他の魔物を呼び寄せちまうから、処理場が出来るのは助かるぜ」


 ゴーシュは自分の仕事の手間が減ることに、純粋な喜びの声を上げる。

 これまでは討伐した後、穴を掘って埋めるなり、燃やすなりで処理していたが、今後は利用できない部位は、スライム達に与えてしまえばいい分かれば、彼の気持ちも理解出来た。

 ただそのためには死体を全て運んでしまわなければならないので、それはそれで手間であるとは、この場では誰も言及しない。

 決して昼から酒を煽ってご機嫌なゴーシュに、意趣返ししたいからではないだろう。


「すいませんが、各現場担当者の皆さんにはこれから、今後の開拓状況の報告および、水道設備施工への最終調整を詰めたいと思いますので、集合住宅に集合してはいただけませんか?」


 アキの提案に皆は了解し、それぞれの現場に散って行こうとするが、アイリーンがそれを一旦制止して発言する。


「それならいっそ今日はもう切り上げて、酒盛りしながらにしようじゃないか、アキが出払っている間も、皆サボらずに働いたんだから、あたしは皆を労ってやりたいさね」


 非常にいい笑顔でのたまうアイリーンに、アキは半眼を向けるが、溜息とともに諦念から許可を出す。


「……いいでしょう、ただし会話が出来る程度にしていただきましょうか、折角の会議が酔っぱらって進まなかったなど、カオリ様に呆れられてしまいますので」


 アキの許可に歓声が上がる。


「やったぜ大将っ!」

「馬鹿もんが、お前は警備が手薄になる間の斥候があるだろう、酒なら昼から自分達だけ楽しんだから十分だっ!」

「ええっ! そりゃないぜおやっさん!」

「ざまぁねぇぜ旦那」

「うるせ―ぞセルゲイっ!」


 散々悪態を吐いて渋々退散するゴーシュを見送って、それぞれも各現場作業終了の知らせに走った。


 集合住宅の広間に集まった面々は、女衆が用意した食事を囲みながら、それぞれの現場の進捗状況を報告していく。


「大工組は今週中には予定していた全ての住居建築を終えるよ、あるとすれば内装の微調整くらいだね」


 大工のクラウディアがいの一番に報告を上げれば、後に続々と報告が続く。


「石工組も水路の敷設完了よ、各家屋の水場と水路の接続も、大工組と同時に終えられるわ」


「水路の敷設に併せて進めていた。街壁外側の基礎工事も順調だ。村北端と南端の水道施設の建設に着手出来れば、それと同時に石塀の建造にも移れよう」


 石工のエレオノーラとオンドールも順調な様子を報告する。


「水道施設予定地の基礎掘削も順調だぜ、地固めに多少ずれ込むだろうが、そんなに時間のかかるもんでもねぇし、週明けには終われるはずさ」


 現在各処の作業員兼現場監督を務めるセルゲイ達も、今の進捗速度から問題なしの予想を立てる。


「森小屋予定地への道造りは、道幅の拡張とか、予定地の切り開きとか、まだまだかかるさね。逆に言えば急いでもしょうがないから、後回しでも問題ないとも云えるね」


 アイリーンの見解に、隣のレオルドも酒を煽りながらうんうんと同意する。

 各処からの報告を、ダリアが書記として記録していく、これを清書して纏めたのち、カオリへの報告書として提出するので、これも重要な仕事である。


「では週末を安息日として、私はカオリ様に水道施設の建設許可と、視察のために一度戻られないか打診してみます。着工日は来週の水の日とし、それまでに皆さんには現場の片付けと作業員への指示や、各作業への人員振り分けのため、後に計画書に目を通しておいてください、これよりはこの村が新たな設備を要する。発展した街への第一歩となる分水量となります。カオリ様の悲願のために、この村のさらなる未来のために、より一層の働きを期待しております」


 アキが高らかに宣言すれば、アイリーンが立ち上がり、麦酒がなみなみと注がれた杯を片手に音頭をとる。


「未来のためにっ!」

「未来のためにっ!」


 その夜、村は大いに賑わいを見せた。


 週末になり、定期報告をするアキは、一連の内容を報告また視察の打診をし、ついでに村の様子を、宴の夜のことも含めてカオリに報告した。


「え? なにそれ私も参加したかった」

「も、申し訳ありませんっ、流れで気付いたら……、カオリ様が王都で勉学に勤しむ中、我らだけで宴などっ、気が緩んでいると云われれば弁明のしようもございませんっ! 今後は我々も自重し……」

「いやいやそれはいいから、そんなことしたら、私がみんなに怨まれちゃうじゃん、ただうらやましいなぁって思っただけだから」


 村の様子に少しだけ郷愁に駆られたカオリではあるが、なにもやっかみがある訳ではなく、ただ楽しい場に自分がいなかったことに、少しだけ羨みが勝っただけである。

 それもこれもカオリとロゼッタが、なんだかんだと王都で大きな稼ぎを得たことで、村に余裕が出て来た証拠でもあるため、むしろ誇らしく感じるほどである。


 カオリの方も学園生活に目処が立ち始めたころである。

 ルーフレイン侯爵令嬢との友邦により、貴族間の派閥争いをある程度牽制出来、勉学に集中出来る環境が整いつつある中、やはり一番に気になるのは村の様子である。

 アキの報告では開拓の進捗状況を把握出来ても、村で皆がどんな様子で過しているのかまでは分かりづらいのが、かねてからのカオリの懸念であった。


 しかし今回の報告では、アキが自ら宴の様子を報告したので、それほど賑わった一夜だったのだと、思うと同時に、アキがそう云ったことにも目を向けられるようになったのかと、その小さな変化に喜びを感じたのだ。

 本音を言えば、件の魔物の捕獲にて、カシミールとなにか進展があったのかを聞きたいところではあるが、アキがそれについてまったく触れないため、思うような展開にはならなかったと、やや残念に思う程度である。


 ここでカオリが愛だの恋だの言い出して、アキを煽てれば、彼女なら盛大な勘違いをし、なにを仕出かすかわかったものではないので、口を噤むしか出来ないのが口惜しい限りである。

 村はこれからどんどん発展していくだろう、しかしそれと同時にカオリ達も、村と共に成長する必要があると、ササキには助言を受けている。


 成長とはなにを指すのか、そこまでは教えてくれないイケズな父親なれど、それも含めて成長なのだと割り切って、カオリは自分らしくあれと、目の前の課題に集中する。


 とりあえず今は、村の視察に向けて、予定を組むことに取り掛かろうと、ロゼッタが待つ談話室に向かうのだった。


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