( 学園生活 )
屋敷の食堂にて夕食を終えて、食後の甘味とお茶を片手に、ロゼッタが説明する。
「まず簡単に説明するけど、現王家には三人の王子がいらっしゃるわ、そして、それぞれが王子を擁立し、派閥間で権力争いが存在していることが大前提なの」
第一王子アルフレッドを次代の王とし、強い王国を目指す開戦論派は、過激な発言が多いことで非常に目立つ存在である。
その第一王子陣営に対するは開明論派が後ろ盾の第二王子コルレオーネの陣営である。両派閥はとくに仲が悪く、度々意見を違える姿がそれを象徴する。
しかし先の二派閥に比べ、第三王子ステルヴィオの陣営は表だった行動が少ないと見られているが、保守論派に協力しているのは教会勢力であるため、決して侮っていい相手ではないと考えられる。
現国王アンドレアスを大いに煩わせる三大派閥の競争を、王本人から愚痴られるササキは、ロゼッタの説明に苦笑を洩らす。
「件の令嬢は第一王子の婚約者だそうだが、政略的には当初の目論見も、やはり開戦論派による。最大支援国のオーエン公国への歩み寄りか……、であればご令嬢の依頼も、納得出来る内容だろう」
そう語るササキに、ロゼッタも同意する。
「学園生活における。身の安全に手を貸してほしいというベアトリス様の依頼、現在の情勢を考えれば、たしかに在り得るお話しかと思います」
今この場では、カオリだけが話についていけずに首をかしげる。
「ベアトリス様がおっしゃるには、どうやら開戦論派は現在内部分裂を引き起こしているそうです。従来通り帝国との開戦路線を固持する東部貴族と、西の混乱に乗じて領土侵攻を企む西部貴族だそうです」
ベアトリスにもたらされた情報を整理するロゼッタに、カオリが疑問を呈する。
「でもベアトリス様はオーエン公国と縁が深いから、海運の盛んな経済大国と縁を結びたい開明論派的には、第二王子様の婚約者でも不思議じゃないはずだよね? どうして第一王子様の婚約者に納まったの?」
カオリの疑問にササキが応えた。
「そもそも私の調べでは、ルーフレイン侯爵家は穏健派、つまり保守論派寄りの路線のはずだ。それが回り回って第一王子陣営に取り込まれる状況になったのには、なかなか複雑な事情なことだろう」
戦争需要に依存する開戦論派と、経済発展を望む開明論派、文化の保全と安寧を願う保守論派、それぞれの目論見が複雑に絡まったゆえの事情を、一言で説明するのは骨が折れると、ササキは机を軽く指で叩く。
「公国と縁を深くすれば義援金で融通が利くから、東の開戦論派は是が非でも今回の縁談を推し進めたいはずよ、開明論派的には第二王子を擁立しつつも、第一王子をベアトリス様を通じて御することも画策していると見えるわ、ルーフレイン侯爵様はきっと板挟みになられたはずよ」
ロゼッタの予想に、カオリも頷く。
経済的にも家格的にも有利な立場でありながら、穏健路線を執るルーフレイン侯爵は、保守論派内でも二派閥の抑え役を押し付けられたのだろうと、カオリは理解した。
「しかし東の停滞と西の政変で、状況が変わり始めたため、ルーフレイン嬢の立場に揺らぎが生じたか……、西部貴族は別の有益な縁談を画策するために、ルーフレイン嬢の退場を目論むだろう、逆に東部貴族はなんとしても婚姻まで推し進めたがる。水面下でなかなかな牽制がおこなわれているのだろうな」
ササキが顔を撫でつけながら言えば、ベアトリスがおかれた現状が如何に面倒極まりないか分かろうと云うもの、カオリはすでに辟易して溜息を吐いた。
カオリ的には是非とも関わりたくない案件であることは云うまでもないだろう、これがまったく関わりのない令嬢であったなら、即効で断っていたことは間違いない。
しかしベアトリスはロゼッタの友人であると云い、ロゼッタ自身も彼女を案じる様子であるために、一度持ち帰って再考することにした。
一応は状況を詳しく精査した上で、結論を出すべきだと考えたのだ。
「じゃあベアトリス様の代わりになり得る縁談は、どんなものがありますか?」
カオリはより自分が理解しやすいように質問する言葉を選ぶ。
「これまで友好的だった国家へ侵略する場合、もっとも効果的な大義名分は救援だと考えれば、他国間の戦争で、片方の国の姫と縁談を結び、その婚約者の保護を謳った派兵となるだろう」
カオリに視線を向けるササキ。
「ちなみに第一王子様は、どんな人なんでしょう? そんなころころ婚約者を変えられて、普通は納得出来ないと思いますけど」
カオリのそんな疑問だが、二人は一瞬沈黙した後、とても言い辛そうのしながら答えた。
「一言で云えば、……好戦的な方だ」
「……そうですね。直情的と云うか」
二人の様子に、カオリは益々溜息を吐く。
「戦争でもなんでも来いの、脳筋さんなんですねわかります」
今回の件で第一王子本人の協力は得られないのだろうと、カオリは諦観を滲ませる。
「とりあえずベアトリス様に、どうしたいのか、どうしてほしいのか、詳しく聞いてからじゃないと分からないですね~、答えは明日考えることにします」
カオリはそう結論付けて、最後に地図だけ確認して就寝を告げた。
翌日、昨日と同じように屋敷を出発し、学園の門を潜った二人は、そのまま講義に出席する前に、昼食でベアトリスと話し合いが出来ないか約束を取り付け、昼まで真面目に講義に出席した。
昼休憩となれば、食堂で料理を注文し、昨日と同じ談話室にて、ベアトリスと会した。
少し不安げな表情のベアトリスに対し、カオリはなんの感情も感じさせない表情で対峙する。
「単刀直入に聞きます。ベアトリス様は第一王子様のことをどう思っていらっしゃるのですか?」
「どう、とは?」
カオリの無表情にややたじろぎながら、ベアトリスが聞き返せば、カオリは説明を加える。
「もちろん婚約者として、異性としてです。これが分からなければ、私達はどうしてさしあげればいいのか分かり兼ねますので」
カオリの冷たい物言いに、ベアトリスは少し間をおいてから答えた。
「アルフレッド殿下は……、私のことを賢い令嬢であると、此度の縁談をご自分の至らぬところ補える。よい縁談であるとおっしゃられました――」
それほど前ではないのだろう、記憶に思い馳せながら、ベアトリスはやや頬を染めながら言葉繰る。
「『未来の妻が、そなたでよかった』と言ってくださいました……、私は、その、それを嬉しく感じました」
「ん~、弱いっ、もう一声!」
やんごとない令嬢にかけるにはいささか適さない言葉遣いに、ロゼッタが困ればいいのかニヤければいいのか分からない、微妙な表情ながら、ここはカオリに任せるべきと黙って見守る。
「えっと、屈託なく御笑いになる殿下が、その、可愛いなって……、家や派閥を抜きにして、私を見てくださるそのお姿に、あの、好意を、抱いており……ます」
しおらしく語るベアトリスを、生温かい目で見るロゼッタは、この時ほどカオリの物怖じしない姿勢に感嘆を抱いた。
「はっきりと申し上げます。今回の依頼はお断りします」
無慈悲に告げた言葉に、ベアトリスは悲壮な表情を浮かべる。
「な、何故か、お聞かせ下さいませんか?」
ベアトリスの問いに、カオリはなおも表情を変えずに応じる。
「我々は基本的に、如何なる国家、そして貴族間の問題にも、加担するつもりはありません、理由としては帝国と王国間の緩衝地帯で、開拓をおこなっているからです。今回の依頼は、間違いなく権力争いに干渉することになるので、正直、金輪際貴女と関わりたくもないほどです」
カオリの出した結論に、ベアトリスは俯き、口をきつく結ぶ。
「……元はと云えば我が家が強く出られないがゆえに、こう云った事態に対処し切れないのがいけないことなのですから、本来部外者のカオリ様やロゼッタ様を巻き込むのは間違っているとは自覚しております。ただ私は……、――どうかお力を……」
その言葉共に、ベアトリスは頭を下げた。
平民のカオリに対しても、頭を下げるその姿に、根が真面目で優しい性格が滲み出ているとカオリは苦笑する。
絆されてはいけない、同情してはいけないと、アンリとテムリの幸せを、なにをおいても優先すべき自身の目的を思い返す。
「私達は異文化交流のためだけに、この学園に来たわけではありません、可能な限りこの国の学問を学び、その知識を開拓やこの大陸での活動に活かす義務を負っています。王国の侯爵令嬢と縁を結ぶことは有益であるとは思いますが、それ以上に派閥争いに巻き込まれる危険性は無視出来ない上に、学業に支障をきたす可能性は許容出来ません」
単純に侯爵家と縁を結ぶのであれば、すでにロゼッタと云う侯爵令嬢を仲間に迎えているので、必ずしも必要とは云えないのだ。
「……」
無言のまま、薄らと涙を滲ませるベアトリスが、ロゼッタに視線を向けるが、ロゼッタは静かに首を振って彼女の無言の訴えを拒絶する。
異世界冒険ものの作品の多くでは、危機に晒された少女に、無償で力を貸す主人公が定番であるだろう。
カオリだって鬼ではないので、困っている人が目の前にいれば、助けるのも心情的にはやぶさかではないのだ。
しかしカオリの本懐である。この世界での独力をつけること、アンリとテムリの幸せな未来を創ることに比べれば、無用な諍いを背負うなど、愚かな行為である。
まだカオリが問題の本質を理解し、臨機応変に貴族社会を泳ぐ能力があれば、逆境を追い風に変えることも出来るかもしれないが、若いカオリにそれを要求するのは酷と云うものだ。
だが。
「ただし、お友達として、相談に乗ったり、傍にいる間は身を守ることくらいは出来ます」
カオリの言葉に、ベアトリスはぱっと顔を上げて、カオリを見詰める。
「例えば学園内で派閥の子息令嬢から攻撃されたり、催し物などで工作員が送り込まれるなどを、私達が撃退するのであれば、派閥に加担するのではなく、あくまでベアトリス様個人を守ろうとしたと言い訳が出来ます。友情を深めるために頻繁に会うことも、それならば不自然には見えないでしょうから」
そこまで言えば、カオリの意図を察したベアトリスは表情を明るくし、ロゼッタにも笑みを浮かべた顔を向ける。
ロゼッタも頬笑みを浮かべてベアトリスを見返す。
「ここならどんな敵が来ても、貴女を守ってみせます。安心してくださいませベアトリス様」
「あ、ありがとうございます。ロゼッタ様、そしてカオリ様っ」
学べる機会や伝手は多い方がいいと云うのは事実なので、カオリ的には一定の距離をおけるのであれば、友人としてお付き合いするのは結構である。
そうと決まれば、とりあえず情報収集である。
「現在予想出来る脅威としては、やはり開戦論派の西部貴族達が最有力ですが、ベアトリス様が婚約者から外される工作として、考えられる手段はなにが思い付くでしょう?」
カオリが今後の展開を可能な限り予想すべきと提案すれば、二人は少し渋い表情で考え込む。
「もっとも有効的なのが、ベアトリス様自身の醜聞により、王子妃に相応しくないと周知させ、最終的に王を黙らせることね」
「学業や立ち振舞いには細心の注意を払っておりますが、それ以外となると、やはり異性関係で不貞を捏造するくらいでしょうか?」
真っ先に思い付くことを口にすれば、まずはそこから対策を練るかと、カオリも考える。
「派閥の若い男性を接触させて、後から逢引していたとか、実は恋人関係だとか言い出すってことですか」
思考に入ると言葉遣いが崩れる癖を自覚しつつも、カオリはそこを起点と見る。
「不用意に男性と二人きりにならないのは当然ですけれど、この場合は連れ込まれる危険性を考慮しなければならないわ、学園内はもちろん、帰宅途中も警備を強化すべきですわ」
女性貴族にとって、異性関係での醜聞は致命的である。ゆえにもっとも講じられる工作であるので、警戒はもっともだ。
処女性が求められると云うよりも、この場合は血の継承の観点から、定められた伴侶以外の子を設けた場合の継承問題が危惧されるための忌避感である。
民間ではそうでもないが、やはり王族や貴族にとって、継承問題は血の流れる死活問題だ。僅かな気の迷いさえ許されない高潔な在り方を、男女共に求められるのだ。
だが今回のような場合、ベアトリス本人の性格もあって、醜聞と成り得る要素はほぼ見受けられない、そのため彼女を貶めたければ、本人の努力以外での工作が考えられる。
「最悪暴漢に襲わせて、処女を奪うとか、なりふり構わなければ、どんなこと仕出かすかわかんないよね~」
カオリの軽口に、ベアトリスは顔を青くする。その未来を想像して、恐怖したのだ。
「これはもう気をつける以外に手がないわね。接触や襲撃が成功した時点で、仮に犯人が捕まっても、醜聞から逃れられないもの、とにかく一人にならない、常に護衛と行動するべきね」
考え込むベアトリスに、カオリは質問する。
「ベアトリス様が信用出来る武力は、具体的にどれほどの規模でしょうか?」
「えっ、武力? き、規模?」
「んん?」
ベアトリスにとってなにが不明だったのか、首をかしげた彼女の反応に、カオリまでつられて首をかしげる。
「カオリ、普通の貴族令嬢は、自家の保有する軍事力や私兵の数や質を、知らないものよ……」
「ああ……、そう云う」
ここへ来て世間の常識の壁にぶつかったカオリは、納得して腕を組む。
「貴族が悪事のさいに利用する戦力で、もっとも多いのは恐らく街の暗部組織やチンピラだと思います。自家の私兵や使用人を動員せば、足がつきやすいですから」
カオリの推測に黙って聞き入るベアトリスに対し、さらに説明を重ねる。
「であれば馬車を襲撃する場合、都市内ならば十人前後が最大規模、都市外ならば二十から三十を警戒すべきです。結論それらを退けるならば最低でも同規模の人数、あるいは倍のレベルを保有する実力者を、半数は揃えるべきです」
呆気にとられたようにカオリを見詰めるベアトリスに、ロゼッタも助け舟を出すように補足を伝える。
「つまり、学園外でベアトリス様を確実に御守りするには、それほどの戦力を常に護衛につけるべきだと云うことです。それが可能なのかを確認したいのです」
「えっと……」
内心の焦りを読まれないように外面を装うことに長けた貴族令嬢であっても、あまりに無知の分野での質問には対応し切れないのか、ベアトリスは少し目を泳がせる。
「今お父様はオーエン公国方面の混乱に備えて、私兵の多くを領地に連れ帰っているはずですから、屋敷には古参の護衛が最低限おかれているだけだと思います……。学園からの行き帰りにも、御者を含めて三人で、一人は私専属の侍女に、護衛が一人だけ、です……」
ベアトリスの言葉に、カオリ達は言葉をなくす。
「……それは、無防備ですね」
「本当に、最低限と云わざるをえないかと」
「うう……」
二人の感想に、ベアトリスもようやく自分の置かれた状況が危険であることを理解し、顔を青ざめる。
「ちなみに北の領地で兵を必要とする理由がなにか、聞いてもいいですか?」
「えっと……、たしか難民の受け入れや魔物の暴走に備えなければと、お父様はおっしゃっておいででしたわ」
この大陸で現在もっとも脅威と位置付けられているのが、ササキこと【北の塔の王】が統べる【北の塔の国】が率いる魔物の軍勢であるとされている。
そのあたりの状況を詳しく聞き及んでいないカオリは、確認の意味を込めて質問するが、かえって来た答えは世情に疎い令嬢の域を超えなかった。
「状況的にご領地から兵や騎士を融通してもらうのは難しいかと、それでも念のために事情を説明して、ご当主様に協力を仰ぐべきかと」
「はい、それが出来れば一番よいですもの、お父様も渋ることはないはずですから」
政争で後手に回る侯爵であっても、娘のために兵を惜しむことはないと、娘の立場から見ても最低限の措置は期待出来ることに、カオリもロゼッタも安堵する。
「確実をとるにはもうひと押し、決定力をおく必要があるかな~、理想なら、隠密型を最低でも二名、常時護衛に盾役に二名、女性の護衛を一名の、合計五人体制かな?」
「魅了や幻覚魔法対策に魔導士もおくべきよ、この場合は毒物の知識もあればなおよしなのだけれど」
ロゼッタが魔導士としての意見を出せば、カオリもそれに同意を示す。
「それなら常時護衛の女性は魔導士でもいいのか、まるで冒険者パーティーだね。いっそ冒険者組合で長期契約の依頼でも出せば、それなりの人が集まるんじゃないかな」
「冒険者ですか……」
王都の貴族街暮らしの長いベアトリスでは、日頃冒険者と接する機会などなく、世間話から野蛮と云った印象が強いため、なかなかすぐに受け入れるのは難しかった。
しかし目の前に、希少ながら実力のある女性冒険者が二人もいるため、カオリ達が云うならと、彼女なりに覚悟する。
「分かりました。お父様にお手紙を送って、兵の融通と、冒険者を雇う資金の都合を打診してみますわ」
「冒険者組合への依頼の際は、私も同伴して色々お教えしますわ、いっそササキ様に組合長などへの紹介状も出せないか、お願いしてみます」
ロゼッタが直接護衛につけない罪悪感から、能動的にそう提案すれば、ベアトリスは笑顔の花を咲かせ、カオリ達に深々と頭を下げた。
「なにからなにまで、ありがとうございます」
その同時刻、屋敷の執務室にて、なにかの書類に目を通していたササキの下に、昼食を運んで来たステラが入室した。
身体の巨大なササキだが、驚くほど小食であることを毎度不思議に思いながら、ステラは物音一つ立てずに配膳していく。
極力執務机の書類が目に入らないように配慮しながらも、しかし今日は珍しく口を開く。
「ササキ様、恐れながら質問をよろしいでしょうか?」
ステラの珍しい行動に、だがササキは驚きもせずに顔ごとステラに向き合った。
「なにかな? 答えられる範囲ならなんでも言ってくれて構わない」
許しを得たステラはやや緊張しながら姿勢を正す。
いくら実力のある冒険者と云えど、所詮は冒険者だ。なのにササキの纏う雰囲気は大貴族にも、いやともすれば王族に匹敵するほどの威厳があることに、ステラは舌を巻いた。
それこそ幼少の頃よりアルトバイエ家と云う高位貴族に仕える身で、時には王城に登る主について行ったことも何度もあるが、これほどの慣れない緊張感はついぞ感じたことはないと断言出来る。
ステラは慎重に質問の言葉を選んだ。
「カオリ様のご性格を考えれば、件の令嬢の人柄次第では、依頼は断りつつも別の形で協力を申し出る可能性が高いかと思われます。ササキ様はどうしてお嬢様達をお止にならなかったのでしょうか?」
従者にとっての懸念は、主が煩わされる事態に巻き込まれ、心身ともに傷つくような事態であるからして、カオリ達を唯一思い留めさせることが出来るササキへ、少なからず不満の気持ちがあっての質問である。
この屋敷の主はたしかにササキではあるが、ステラ本来の主はロゼッタただ一人だ。これくらいの苦言は許されるだろうとの打算もあった。
「私の調査したところによれば、かのルーフレイン侯爵はある意味で中立的な人物だ。開戦論派や開明論派にとっては、娘と云う有効な札を持ち、本人は保守論派にもある程度顔が利く、もちろん本人の血筋から、オーエン公国への折衝も可能な立場なのも忘れてはならない」
前置きを述べてからササキは結論を述べる。
「中立的と云うのは、決して友好的であることと同義ではない、誰の敵にもならないのはつまり、誰の味方にもならないということなのだからね」
不敵に笑むササキに対し、ステラは黙って聞く姿勢で起立する。
「件の令嬢は、我等と同じなのだよ、誰が味方で、誰が敵となるか分からず。手探り状態という意味でね。ならば形だけでも協力体制は敷けるはずだ。少なくとも侯爵家は我等の脅威足りえない、何事も経験であれば、あえて火の粉のかかる場所で、剣を研ぐことも学びとなろう」
最後まで目を逸らさずステラを見詰めるササキを受け、彼女は詰めた息をゆっくりと吐き出した。
ササキには冒険者活動で得た莫大な資金と社会的立場がある。ならばもっと大胆にカオリへの援助をおこなってもよいはずなのは、ステラのかねてからの疑問であった。
しかしこれまでササキは、なにかしらの口実がない限りは援助をせず。もちろん直接的に守るよう行動もしなかった。
あえてそうしているのだとは分かれど、その理由の根本までは見通せないことに、云い知れない不気味さを抱いたのだ。
「あくまでも、カオリ様とお嬢様の後学のために、という理解でよろしいのですか?」
ステラが念のためにと確認する。
「少なくとも彼女達にとっては、それ以上の意味はなく、また得る利益もない以上、私の思惑などこの場合はあってないようなものだ」
どうにも腑に落ちない物言いに、やや表情を険しくするステラに、ササキは苦笑を返す。
ササキの本当の正体が、大陸の最大脅威である【北の塔の王】であることを知るのは、今のところカオリとアキの二人だけである。
そのためササキの思惑の全てを話すのは、何人であれ不可能である。
現に今も手にする書類の多くは、【北の塔の国】から送られて来る各種報告書や決済書で、魔術により隠蔽魔法がかけられた機密情報なのだから、そもそもステラをこの執務室に入室させること自体が危険である。
ササキとカオリの二人が進めている計画は、長期的に見て双方にとって多大な利益を期待してのものである。
当面はカオリの村の発展が、後の展開に必要不可欠であるとササキは考えており、カオリもそれを了承している。
その過程でカオリ自身が成長することも計画の内だとし、ササキなりに教育の機会を設けたに過ぎないと、今回の令嬢の問題をあえて放任したのだ。
主を想う理想の従者のステラが、ロゼッタの関わることで、敏感に反応を示すことは当初から予想されていた。
ササキ的には別段親密である必要はないと考えているが、それは強者であり、立場も上のものゆえの傲慢であるとは、ササキ自身も自覚しているところである。
やはりある程度は不安を取り除く努力をすべきかと、しばし黙考する。ついでに配膳されたパンに野菜と肉を挟んだ軽食に手を伸ばす。
それをほぼ二口で完食し、続けて紅茶も一息で飲み干せば、それだけでササキの昼食は終了である。ステラもそれを無言で見守っていた。
この屋敷に越して来てから、ほぼ日常になりつつあるこの風景は、あまりに速い完食に、ササキが食べ終わるのを見届けてから、膳をすぐに下げるようになったのも、わりかし速い段階からであった。
「以前にも言ったとは思うが、君も含めて、私は皆を自分の娘だと思っている。父親と云うのものはね。娘に恰好よい姿だけを見せたがるものなのだよ」
おどけて見せるササキに、ステラは少し呆れた表情を向ける。
「娘の立場から云わせていただけるのであれば、そう見せていると思っているのは、父親だけだと申し上げておきます」
言外に詮索や邪推に意味はないと、最終的にはカオリ達全員にとってよい結果になると宥めたつもりであったが、思わぬ反論にササキは眉を上げる。
「む……、妻にも、以前同じことを言われたことがあったな、むう……」
何事も影から見守っているつもりでも、男の行動と云うものは、女性から見れば筒抜けなのは世の常である。
――男の嘘は、女性には絶対にバレる。男性諸君はこれを肝に銘じるよう切に願っている。
ステラは雑に積まれた書類の束を手で整えつつ、静かに告げる。
「ササキ様は意外にも整頓が苦手なご様子です。もし宜しければ、書類別の分類や、重要書類等の仕分け作業をお手伝いします。また夜に外出されるさいは、なるべく機密性の高いものは、金庫等に保管されることを提案します」
「むむっ!」
別段警戒していたわけではないが、ステラがササキの不在時を察し、またその間に執務室を見ていたとは思わず。ササキは少しばかり慌てた。
「ご安心ください、書類の中身は見ておりません、私には隠蔽魔法を解除する術がありませんので、いつもササキ様の不在を確認するに留めておりました」
それもそうかと思い直し、ササキは深く椅子に座り直す。
ササキが使用する隠蔽魔法はかなり高位の魔法であるので、余程の使い手でない限り、解除は不可能であるのは間違いないのだ。それはササキも自負するところである。
ここのところカオリ達があまりにもササキの行動に不審を抱かない様子だったために、すっかり警戒心が薄れていたのをササキは思い返した。
カオリはお節介な兄や父、そしてそれを微笑ましく見守る母の教育により、男性の行動はあえて詮索しないようにしていたが、貞淑な淑女教育が厳しいロランド系国家の国民であるロゼッタ達も同様であった。
しかし普通に考えてもササキの近頃の行動は、傍目にも不思議に映ったはずだ。
日中のほとんどを執務室で過し、夜も必ずカオリ達と夕餉を共にしているにも関わらず、最近の貴族社会や他国の情報をも仕入れられるなど、どう考えても外に複数の協力者がいると考えられるだろう。
ステラはそこから、ササキの秘密はその隠された組織力にあるとし、カオリへの援助もその組織の計画が関係していると推測していた。
それが決してカオリ、ないしロゼッタを害するものではないとは理解していたが、あからさまに不審な点を、上手く隠しているつもりになっているササキを前にして、ただ無視することも出来ず。従者の義務感から今この時に告白したのである。
「……では、中身がわからないように提出するよう指示を出しておくので、それを元に整理をお願い出来るかね? その分圧迫される業務を教えてくれれば、新たに人を雇おう」
こうしてササキの執務室の書類整理が新たに、ステラの業務に組み込まれ、もっとも時間を必要とする。食事の用意のため、新たに料理人を雇用する運びとなった。
しかしササキの屋敷で人を雇用すると云うのは、なかなか条件が厳しく、現状で部外者と云えば、ビアンカやクレイド達のみとなる。
ビアンカは国王のアンドレアスが王妃に口利きして派遣してもらった特殊な立場であり、クレイド達はカオリが引き入れた工作員である。
これらと同等な信用出来る伝手などそうそうにあるものではなく、カオリが学園で人間関係に煩わされている一方で、ササキも新規雇用で悩むこととなった。
この世界での雇用と云うのは、現代日本と比べて非常にずさんである。
カオリと【泥鼠】のように正式に雇用契約を書面にて結ぶのは非常に稀で、貴族家であっても口約束に留めるのが普通である。
そもそも契約者両者が正式な身分を有することが稀なため、契約書自体に効力がない場合があるほどなのだから。
そして雇用する人材を探す場合、各職業に就く従事者は、自分が所属する組合に募集をかけるか、知り合いにかけ合うのなどが多いだろう。
そのためその人物が本当に有用で、かつ信用出来る人物かを見極めることは、非常に難しくなってしまう。
知り合いであればそもそも信用出来ない人物を紹介することはなく、組合経由でもそれは同様ではあるが、人には相性というものがある上に、二心あるものは外面を取り繕うことに長けていることを考慮すれば、信用にこそ重きをおくササキ達には、かなり条件が厳しくなってしまう。
結論としてササキの屋敷で人を雇用しようと思えば、なかなか頭を悩ませる必要があるのだ。
もっとも簡単な方法としては、カオリ達の村から料理人見習として誰かを連れてくることだろうが、今度は信用出来ても料理の腕に不安が残るため、本当に見習いとして当面は手伝い程度しか期待出来ない。
次案にササキの【北の塔の国】から優秀な料理スキルを有する優秀なNPCを派遣する方法だが、【北の塔の国】の情報をなるべく秘匿したいササキ的には、安易にとれる手段ではないと苦慮した。
「そもそも人型のNPCがいたか? 変化魔法で姿を偽ることは出来るだろうが、万が一誘拐された場合、生産系のNPCは戦闘能力に不安がある……、いや待て待て、なら買い出しなどの外出は誰かに任せ、厨房から一歩も出なくすればいけるか? では誰に買い付けを頼むのだ? ……それこそカオリ君達の村から、後学のために誰かを借り受けるべきか、村の食事事情の改善にも寄与出来ると考えれば、これが最善の方法か――」
ひとしきり考えた結果、もっとも最善の方法を思い付いたササキは、早速カオリにことの次第を相談しようと期する。
夕餉の後のひとときにて、双方共に相談があると切り出せば、お互いが事情を察して了承し合い、それぞれすぐに手配を進める運びとなった。
ササキは自国の宰相役に連絡をとり、抜けても問題のないNPCの派遣を命じ、また冒険者組合の王都本部長への紹介状をしたためた。
カオリはアキに連絡をとり、王都で料理を学びたい人間がいないか募集をかけるようにお願いした。
人選には左程時をかけることなく、料理人の件はすぐに纏まった。転移魔法を利用すれば移動時間はほぼないため、一両日中にこの件は進展することとなった。
ベアトリスの護衛強化案に関しては、翌日に早速カオリ達同伴の下、冒険者組合へササキの紹介状と共に依頼をかけ、金級から黒金級冒険者の紹介を約束してもらえたので、皆して肩の荷を降ろすことが出来た。
何故か冒険者組合本部長から感謝されたカオリは首をかしげたが、なかなか組合を頼らないササキから、紹介状という形で正式に頼られたことで、後の貸しに繋がると言われれば、カオリにも組合側の喜びを理解出来た。
さらに翌日、命じていた料理人が現着するのと同時に、カオリ達の村からも募集に応じた村人が到着した。
応接室にて双方合わせて紹介を済ませることとなったため、学園に行っている二人を除く屋敷の人間にて、顔合わせがおこなわれる。
「東大陸北方の辺境より参りました。グロラテスと申します。この度は高名なササキ様のお屋敷にて、料理の腕を振いつつ、自らの技術を後進に伝授出来ると聞き及んでおります。なにとぞよろしくお願いいたします」
慇懃に述べるグロラテスは、そう言って巨体を折り曲げ、毛髪の寂しい頭を水平に下げた。
その姿に安堵の鼻息を吹くササキは、内心でよく人間に化けたものだなと思った。
実はこの料理人、その正体は【北の塔の国】というササキがギルドマスターを務めるギルドホームの生産系NPCであり、種族は亜人種の【オーク】である。
本来の姿は灰褐色の肌をもつ巨躯で、顔立ちは醜悪で犬歯が発達した化物なのだ。
性格は温厚で職人気質であるため、見た目と違って比較的接し易い人物ではあるが、この世界でオークと云えば魔物認定を受けている人類の敵である。
現在はハイド人のような混血人種の見た目のため、これならばとくに怪しまれることはないだろうと思われる。
それでも生来の容姿の影響か、やや強面なのは否めないが、こんな料理人もいるだろうと思える範囲に留まっているは幸いだった。
このことをカオリに話したさい、カオリは『あ、おデブな豚さんオークじゃなくて、ガチの方なんですね~』と呑気な感想を述べ、ササキを呆れさせた。
そして料理人見習いである村人からは、二名の女性が立候補した。
「フ、フォルです」
「リヴァ、ですっ」
二人は、緊張もあってか自分の名前を簡潔に告げ、深々と頭を垂れた。
二人は姉妹で、共に先の亡村騒動にて夫を亡くした未亡人である。
年は姉のフォルが二十で、妹のリヴァが十九と若く、村では男達に代わって家事をこなしていた。
結婚をし、子を授かろうかと云う時に、あの騒動で夫を亡くした姉妹の悲しみは深く、しばらく塞ぎ込んでいた二人は、一時的に移り住んだ集落でも、新たな出会いを見出すことが出来ず、また村への帰還のさいも、亡き夫の眠る地を望んだ。
毎日夫の墓標に祈りを捧げ、少しでも村の発展に寄与しようと懸命に働く姿は、他の村人達の同情を抱かせるものだった。
本来は一人だけのつもりだったのだが、今回の話しは、村の防衛に従事する冒険者の男達や、開拓に精を出すもの達が、毎日元気に働けるように、より美味しい料理を作れるようになりたいと云う、姉妹の切望を汲んだ形で、村人総出で見送られた結果である。
同じ境遇を分かち合う姉妹の気持ちを、ササキもカオリも大いに歓迎した。
「私めが作る料理は、正餐から軽食、または菓子作りにまで及びますれば、一人に全てを教え込むよりも、二人に分けてより専門性を追求した方が効率的かつ、広く教授できましょう」
二人に教えなければならないことを負担に感じることなく、グロラテスも姉妹を歓迎する意を示す。
顔合わせが済めば、ステラの案内によって各自の部屋と仕事場である厨房や、冷蔵庫などを教える。
先に説明した通り、ササキはグロラテスの正体や素姓が世間に露見する危険を避けるため、食材の買い出しなどは姉妹に任せるつもりであった。
なので厨房の準備を進めるために残ったグロラテス以外のステラと姉妹は、ビアンカを護衛につけて、四人で商店街へ向かい、ステラがこの一ヶ月で見極めた。よい材料をよい値段で売る料品店を教えた。
日々の食料や消耗品の買い付けは、ササキの資金から賄われている。
一般的に伯爵位に相当する身分の家では、数十人の使用人および、私兵を抱えるのに十分な税収や個人資産を有するものだが、ササキはそれらを上回る資金を、冒険者稼業で稼いでいるため、中流の屋敷に数人の使用人とカオリ達だけのこの環境で、支出が収入を超えることなどある訳がないのは当然だ。
それでも預かった予算を無駄に使い切らないように、ステラは非常に賢く買い物をしていた。
家事や炊事に従事する上で、ステラが重視する点の一つに、食材や消耗品の仕入れは、可能な限り品質のよいものを、安く仕入れることがある。
彼女自身が貴族出身であり、アルトバイエ侯爵家の血縁かつ寄子であるため、比較的裕福ではあったが、それでも商家に毛が生えた程度であり、小さな荘園から日々の糧を得る必要があったことから、必要以上の出費に関しては、幼少より厳しく育てられていた。
そのため商品の目利きから市場での相場の把握まで、広く学んでおり、それが今日でも役だっている。
姉妹に教えるのはまず村社会しか知らない二人の、社会常識の改善から着手する必要がある。
基本的に国家に属さない辺境の村落や集落では、自給自足が基本である。村で入手しづらい布や塩など以外は、その村で生産されるものだけで賄うのだ。
つまり辺境で生活している限り、貨幣そのものに触れる機会さえないのだ。
それがいきなり都市、しかも西大陸最大国家の首都に来て、買い物をしろと云うのだから、色々と驚きの連続であろうと考えたのだ。
ここでこの世界の文明における。村や町や都市について、簡単に説明させてもらうが、まずそれぞれの名称の区分について触れておく。
現代日本においては、市区町村の区分は、法律や条例で厳格に定められており、人口や公共施設の有無などで明確に分かれていた。
この世界が独自の歴史を有していても、そう云った基本的な概念は共通していることから、その認識を基準に説明することとする。
そもそも都市の成立には長い年月を経て、人が流入した結果、人口が肥大化したことは当然のこととし、その上で各種公共施設、具体的には、行政機関や教育機関または医療機関などの設置が、条件として挙げられ。そこからさらに各業種別の就業比率や組合の設置が加わる。
これらは法律が制定されてから成立したのではなく、歴史が進み、市町村を管理運営する都合上、差別化を図るために、後で定められたものである。
これによって都市国家の乱立や独立を防ぎ、厳格に管理することが可能になった。
全ては国家の安寧、つまり確実な防衛や効率的な発展を目指した結果である。
ここまで説明した後、今回重要な点として注目すべきことは、都市や地方村落の担う、役割についてである。
と云うのも、都市に住む市民のほとんどは、村社会と違い、そのほとんどが第二から第三次産業従事者であることにあった。
村社会では、農業、林業、漁業など、第一次産業が主軸となり、自給自足を可能とした生産業が基本である。
しかし都市部では人口密集率や立地の事情から、そう云った生産業に不向きなことが多く、また外部から多くの生産物が集中する関係から、それらを加工し卸す製造業、そして取り扱う商業が多くなる。
結論、なにが言いたかったかと云えば、村では安値で、ともすれば無料で手に入るようなものでも、都市部ではいくつもの中間業者や輸送経路を経て、その価格や価値が跳ね上がっていると云うことだ。
本日の商店街の案内で、姉妹をもっとも驚かせたのは、まず食料品の物価であることは間違いないだろう。
たしかに牛や豚や鶏と云った家畜の肉は、専門の畜産業であるため、彼女達にとっても貴重な食材であることは共通であろう。
しかし野菜や穀物、ましてや鹿や猪の肉など、村周辺で容易に獲れる食材でも、この王都ではそこそこの値段で取引されているのだから、驚いたのは無理もないことだった。
また第二次産業から先の従事者は、工業でもない限りは、衣服が汚れることがなく、街行く人々が村に比べて清潔な衣服で出歩いていることも、小さな驚きだった。
とくにこの世界は地球と比べて、魔法という独自の技術の進歩があるため、衛生観念も早くから進歩した結果、上下水道や洗浄製品や入浴の利用も進んでおり、文明に比してかなり清潔であることは、ササキもカオリも驚かせた一面である。
そう云った文化や公共施設の充実は、都市部ならではの発展であり、もはや比べるまでもなく、生活する上では便利なのが、都市と村との大きな違いであろう。
そのため、ササキの屋敷に到着直後、姉妹はステラによって簡単にだが、入浴や衣服の交換をおこなわれており、さらにこれから簡単な美容方法までも教わる予定であった。
最初は田舎者な平民に過ぎない自分達が、村人達を差し置いて、こんな清潔な待遇を受けてもよいのか逡巡したのだが、それも街行く都会人の様子を見れば、それが必要であることを即座に理解した。
ササキの屋敷に務める以上、貴族街での活動は必然であることから、あまりにみすぼらしい見姿では、ササキやカオリに恥をかかせることになるとなれば、姉妹は必死にステラからの教えに耳を傾けた。
また屋敷の使用人として、必要最低限の礼儀作法の習得も加わり、本格的に料理人見習いとして就業するには、いましばらくの時を要するだろうと、呑気に考えるササキを余所に、ステラはかなり意気込んでいたのは、立場の違いゆえの認識の差であろう。
ステラからすれば、屋敷での活動における。ササキやカオリ達の外聞もさることながら、今後の村の在り方が、今回の教育で大きく左右されるだろうと考えていた。
今後村は大きく発展するだろうことが予想される中、少しでもロゼッタが心安らかに暮らせる環境作りは、彼女の命題である。
それには村人、とくに女性達の認識の改善は必要不可欠であるとした。
村の社会的価値は、ただひたむきな開拓と経済の改善によって発展を目指すことは出来るだろう、しかし多くの人種にその価値を理解、また受け入れさせるには、村全体の品格と常識にかかっていると彼女は考えたのだ。
どれほど物資の集中する商業都市でも、どれほど重要な城砦都市でも、住民の品格が下劣であれば、ただそれだけで忌避される要因となるだろう。
とくに貴族達にとっては、品格は非常に重要な要素である。
交渉を有利に進めるにも、友好的な関係を築くにも、価値観の共有は重要であるのは云うまでもなく、また下劣であることをよしとする理由など、ステラにとっては微塵もないのだから、こうした小さなことから少しづつでも、村の環境改善に努めるのは、これまでもこれからも、決して妥協するべきではないと心得ていた。
こうして姉妹が、村で引く手数多の器量よしへと育つ未来が約束されたのだった。
その日の晩、学園より帰宅したカオリとロゼッタも姉妹と顔合わせした席で、見違えた二人の姿に、カオリは素直な感想を贈った。
「おお、見違えましたねフォルさん、それにリヴァさん、とてもよく似合ってますよ」
侍女服に身を包んだ姉妹は、ステラの手によって肌や髪を手入れされ、また仕草まで簡単な教育を施されたことで、見姿だけならどこに出しても恥ずかしくない姿に改善されていた。
「初日からステラ様に大変よくしていただき、自分でも驚いております」
「これも全てはササキ様、ならびにカオリ様方のおかげです。これから懸命に働きますので、よろしくお願いしますっ」
綺麗にお辞儀した二人の姿に満足気にうなづくカオリと、笑顔を浮かべるロゼッタに、一仕事を終えた充足感を感じるステラは、いつも以上に穏やかな表情でその光景を見守った。
「驚いたな、たった一日でここまで見違えるとは思いもしなかった。ステラ殿には無理を言ったかもしれないな、ありがとう」
ササキもその変化に驚きながら、ステラを労う。
「これも必要な業務ですので、なにほどのこともございません、これより数日を頂戴し、より洗礼された使用人仲間として、今後の皆様の生活を、皆でお支えさせていただきます」
まさに侍女の鏡の如く礼をするステラの姿に、ササキもカオリ達も満足して笑い合う。
これより数日の教育期間に忙殺されるだろうが、それより先はステラが時間を作ることが出来るようになり、より広く屋敷の仕事を手掛けることが出来るようになるだろう。
貴族位の生活と云うものは、ひとえに多くの使用人や部下達の支えによって成り立っている。
一つ仕事をこなすにしても、どれほどの大貴族であろうが、いや高位にあればあるほど、一人では成しえないことがほとんどだ。
カオリはこの王都での学園生活で、知識を学ぶとともに、人を使うという上位者としての素養も身につけねばならない。
個人の武勇だけでは救えない生命もあれば、その心を守ることもままならい場面と云うものは必ず存在する。
そんな時に助けてくれる仲間を、如何にして守り、従えるのか、それが大きく問われることがあるだろうと、無邪気に笑うカオリを、ササキは静かに見詰めた。
子供は学校に行くべきだ。そういった日本の常識を振りかざし、盲目的に従わせることも不可能ではないだろう、今のササキであれば、そうした強権でもって、協力者を抑えつけることが出来る十分な力がある。
しかしそれでは本当の学びにも、真の理解者にも成り得ないのだ。
親と子、教育者と教え子、双方が十分に互いの役目をまっとうするには、お互いの信頼が必要不可欠である。
相手にとってなにが有益で、なにが有害かを指示しつつ、本音で向き合って望みを知る努力を積み、そのために必要な事柄を理解出来る言葉と態度でもって接するのは、口にするほど簡単ではない。
かつて人の親であったササキは、子をもち、その成長を守ることで、自分は大人に、一人の親になれたのだと考えていた。
個人として腹立たしく思い、家庭を煩わしく思わなかったのかと云われれば、必ずしも理想的な親とは云えなかった自覚がある中、それでも我が子が、己を父と呼び、笑顔を向けてくれることが、どれほど誇らしく、また愛おしくあったかを、今目の前の少女達に少しでも伝えることが出来ればと、その巨体の内に小さな願いを抱いた。
それから数日が経ち、学園にてベアトリスからの報告を受けることとなったカオリ達は、いつもの談話室にて、今日も甘い菓子を摘まみながら、上品な紅茶を愉しんでいた。
「あれから二日後に、冒険者組合より紹介がありましたパーティーを一組、私の名義で雇うことになりました。また父より十名ほど私兵をお借り出来ることになりまして、それぞれ交代で私の身辺警護に充てる手筈が整いました」
告げるベアトリスは、安心し切ったように穏やかな表情で紅茶を口にする。
「それはよかったです。学園内でも私達と行動を共にすれば、直接的な脅威からは守れるはずなので、しばらくは安心ですね」
自信ありげに言うカオリに、ベアトリスも笑顔を返す。
『って言ってるけど、冒険者と私兵の練度ってどのくらいか分かる?』
そうしながらも、念話の魔法でシンと交信するカオリは、潜ませたシンに簡潔に聞く。
『レベルは高めの冒険者だけど、隠密に習熟しているのは一人だけ、後は魔物専門って感じ、私兵の方はカオリ様なら一人で制圧出来ると思う……』
鑑定魔法でステータスをざっと読みとったシンが、所見を報告すれば、カオリは表情を変えずに内心で落胆する。
『箱入り娘の彼女にしてはよくやった方だわ、これ以上は無理強いしても理解されないだろうし、まあ、最悪の事態だけは避けられるんじゃないかしら?』
念話に割り込むように、カオリを窘めるロゼッタだが、表面上は取り繕いながらも、なかなか厳しい評価を下す。
「今更ですけれども、カオリ様は学園生活の方はどうかしら? もう慣れましたか?」
思い話は忘れたいとばかりに、世間話に話題を飛ばしたベアトリスに、カオリは事実だけを告げる。
「今はまだ聞いたことを覚えて記録するだけですね。ベアトリス様以外に話す人もいませんし、実技研修もありませんから、遠目に見られるくらいで、ちょかいをかけて来る人もいませんし」
特筆するところのない単調な学園生活だが、今は未知の知識に興味が尽きない段階なので、問題が起きないことは大歓迎である。
「そろそろ専攻学科を決める時期だから、カオリも真剣に選ぶ必要があるくらいね。恐らく人間関係が定まるのはそれ以降よ、今はどの子も派閥の動向に注意して、講義の被る人物の見極め段階ですもの」
ロゼッタが現状の理由を予想すれば、カオリもやや考える。
この学園でなにを学ぶべきか、それが選ぶ学科次第で大きく左右されるとなれば、無視出来ないのは、ササキからの依頼のことも含めて、非常に重要であるのだから、一人で悩むより、出来るだけ多くの意見を聞いておきたいとは、カオリの考えである。
カオリは二学年目からの編入となるため、いきなり専攻学科を選ぶ必要があるため、各学科についての知識に乏しかった。
「よければ私が知る限りの、各学科の特徴や噂話をお教え出来ますわ」
「それは有難いお話ですわ、私もそこまでは知りようがありませんでしたので」
流石のロゼッタも全ての学科の内情までは知らないため、早くにベアトリスと再会出来たのを心強く思った。
それから帰宅時間まで談話室で時間を潰した三人は、それぞれの帰路につく。




