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( 学園始業 )

 晴れ渡る秋の朝、夏の終わりと修学の始りを告げる始業式となる本日、王立魔法学園には、大勢の学生が講堂に座して、大人達の挨拶を聞きいていた。

 西大陸でもっとも広大な国土を誇るミカルド王国は、それだけ貴族が多く、また豪商も多く拠点を構えているので、それだけ学園に通う若者が多い。


 その末席にて学生達に紛れて、カオリも彼等の仲間となるべく、静かに耳を傾けていた。

 隣にはあえて冒険者の衣装をやや華美にした装いをしたロゼッタが、堂々とした態度で胸を張り、強い眼差しで壇上の教授陣を見詰めている。

 平民出のカオリの補佐としての学園入学である彼女からすれば、自身が不甲斐ない姿を晒せば、カオリやササキの顔に泥を塗るかもしれないという気負いがあるのだろうと、カオリは真面目な彼女の姿に内心苦笑する。


 貴族の令息令嬢が多く通うこの学園で醜聞が広まれば、すなわち貴族社会での醜聞となるため、誰も彼もが言動に注意するだけでなく、立ち居振る舞い全てに至るまで気を張り、隙を作らぬように注意するのが普通である。

 そうでなくとも、数百人もの学生を収容するこの講堂は、贅の限りを尽くして建造された国家の威信を示す象徴の場の一つ、見上げる天蓋は力学と意匠の粋を凝らした見事な造りであり、下げた視線はそこから続く豪奢な列柱と連窓が荘厳な雰囲気を醸し出している。


 ただの平民では目にすることも出来ない最上級の建造物の中に、今自身は一関係者とてこの場にいるのだと思えば、自然と背筋が伸びるというものだ。

 ただし死線の只中を経験しているためか、カオリに過度な緊張はなく、自然体でいられることは幸いだっただろう、そうでなければ、一人だけ特異な衣装が目立つことも含め、下手に注目の的であったかもしれなかった。


 学園長と名乗る老人貴族の含蓄のある言葉を聞くとはなしに聞きながら、不自然にならない程度に視線を周囲に向けて、カオリはひたすらに情報収集に勤しんだ。

 新たに習得した鑑定系スキルにて、警戒するべき人物がいないかを確認していたのだが、今のところ直接的に脅威となる人物は見受けられなかった。

 学生にしては高いレベルを保持するものもいれば、特殊な固有スキルを有しているだろうと思われる人物はいても、戦闘に特化した人間は、ここにはほぼいないと見ていいだろうとカオリは結論づける。

 講堂での挨拶が終われば、寮生や王都在住などで組み分けされ、高低学年入り混じっての個別挨拶へと移行した。


 王立魔法学園は日本の義務教育や高等学校と違い、学年や組ごとの区別をおこなわず。もちろん組専用の教室も担任教師も存在しないため、全学年に向けての説明などがおこなわれる場合は、基本的には講堂で行われ、より詳細な説明の場合は、通学事情などを加味した仮の区分けをし、担当教師が説明をおこなった。

 カオリもロゼッタも、ササキの屋敷からの通学なので、王都在住組として参加した。

 長くも短くもない説明が終わり、教師が部屋を辞せば、残った学生達は思い思いに雑談に興じ始める。


「いくわよカオリ」

「みんなと挨拶とかしなくていいの?」


 退去を促すロゼッタに、カオリは不思議そうに尋ねれば、ロゼッタはやや考えてから理由を説明する。


「カオリのせ……故郷はどうか知らないけど、この学園では学生を学年以外で区別することはないわ、だから特定の誰かと常に行動することはないし、示し合わせない限り講義が被ることはないのよ」


 元中学生で春から高校生だったはずのカオリからすれば、驚きの教育環境に映るだろう、せめて大学生だったならば、まだ理解が早かったはずだ。


「必修科目はともかく、選択科目は今のカオリには選びようがないし、今日はひとまず、誰かに案内をお願いしましょう」


 ロゼッタはそう言って先日訪れた事務局へと向かった。

 配られた学生証を提示し、受付にて事情を説明すれば、出て来たのは妙齢の女性職員だった。

 どうやら今日はあの馴れ馴れしいマルコ教授は、初日から講義があるようで、不在だったのだろう。

 出来る女上司の如き風貌で背も高く、緩く波打つ短い茶髪と、それに反して怜悧な目鼻立ちが印象的な美人に、カオリは視線を向けた。


「マルコ教授からお話は伺っております。この度はご入園おめでとうございます」


 非常に綺麗な所作でお辞儀をする彼女に、しかしカオリは、唐突に恐ろしい言動に出た。

 刀の鯉口を切り、半身に構えたカオリは、単刀直入に質問をする。


「貴女は何者ですか?」


 突然のことに、隣のロゼッタは呆気にとられ立ち尽くす。

 学園敷地内での帯刀は騎士科の生徒のみ許されているが、カオリのような留学生も、自衛のために例外として認められている。

 一見学生に武器の携帯を許すことは危険に映るが、そうした場合、魔導士の暴走を抑止出来なくなるため、必要な措置なのだ。

 なのでカオリが剣を構えて威圧を放つことは、学園の規則に反することにはならない、カオリの抜刀術を知らぬものが見れば、あくまで口頭で脅しているだけに見えるだろう。


「なんのことでしょう?」


 それが理由か、威圧を向けられた彼女はまるで動じた様子もなく、当然の反応とばかりに聞き返した。

 カオリの放つ抜刀の神速を知るロゼッタは、突然のことに身を竦ませる。


「今一瞬、常人とは思えない気を感じました。私は誤魔化しや嘘も見抜きます。正直に答えてもらえないのであれば、貴女をこの場で斬ります」


 あまりに異常なカオリの行動であるが、カオリが常人よりも異変に鋭敏であることを知るロゼッタは、固唾を飲んで状況を見守った。


「学園で刃傷沙汰を犯せば、退学はおろか捕縛も在り得ますが、それでもなお剣を向けますか?」


 発言事態は正論なのだが、落ち着き払ったその態度が、ロゼッタの目から見ても異常に映ったのは当然かもしれない。


「暗殺者と対峙したことがある私にはわかります。貴女のそれは人間の放てる気ではありません、ずいぶんと上手く人に化けていますが、中身は別物ですよね?」


 カオリがそう云えば、彼女の表情は一変して真顔になり、その変わりようにカオリもロゼッタも眉をひそめる。


「……分かりました。ここでは人目がありますので、別室に移動しましょう、貴女も殺人を目撃されるのは面倒かと」


 静かに告げられた誘いに、カオリはしばし考えてから、刀を収めて同意した。もちろん警戒を解くわけではなく、即座に抜刀出来るように鯉口を切ったままである。

 躊躇いなく背を向ける彼女の豪胆さにロゼッタは驚きつつも、先導にカオリが従うのを見て、自身も二人についていく。


 案内されたのは上階の奥まった個室で、小さな窓があるだけの殺風景な部屋だった。

 席を促されて対面に座ったカオリの後ろに、ロゼッタが控えれば、彼女は二人の力関係が見た目や表向きの通りではないことを理解して苦笑する。


「神鋼級冒険者の後見を受けた凄腕の女冒険者で、【不死狩り】の異名をもつ剣士というのは、伊達ではないということですか」


 感心するように言葉を漏らす彼女に、カオリは警戒を解くことなく黙って見詰める。


「分かりました。正直に話しましょう」


 彼女はそう言って左手の薬指から、指輪を外した。

 魔力の明滅と共に幻術魔法が解ければ、彼女の本当の姿が現れる。


「……エルフ?」


 白金の髪に翠の瞳、とくに特徴的なのが左右に伸びる尖った耳とくれば、この世界の人種に疎いカオリでも、彼女がなんと呼ばれる種族なのか大方予想がついたが、後ろから聞こえたロゼッタの声で、その予想が正しかったことを理解した。


「まさか一瞬で身抜かれるとは思いませんでした。しかも相手がこれほど幼い人間の少女だなんてね」


 笑うように首を振る彼女を見て、ロゼッタも警戒心と困惑を露わにする。


「どうしてエルフ族が、王立魔法学園の職員に紛れているの?」


 当然の疑問をロゼッタが問えば、彼女はロゼッタに視線を向けて答える。


「まず誤解しないでほしいのが、私は王国を害する気はないということ、そして姿を偽るのは、人種差別が原因にあり、これは学園から正式に許可をもらっていることなの」


 前提として己に害意がないこと、そして許可を得た上のことであることを主張する彼女に、ロゼッタは少し考えてから質問を重ねる。


「王国ではたしかに人種による差別はあります。学園に通う高位貴族ではとくに顕著でしょう、学園の許可に関しても、後で問い合わせればよいので、嘘ではないと考えられます。しかし――」

「私が聞きたいのは、私達に圧気を向けた理由です。種族差なんて異邦人の私にはどうでもいいことですから」


 ロゼッタが言い終える前に、食い気味でカオリが割って入れば、彼女もロゼッタも押し黙る。


「そこらの人間に、あれほどの殺気は放てません、認識阻害の魔法でもかけているのか、レベル帯は読み切れないですが、足運びや体幹を見れば、並みの使い手ではないことは分かります。貴女が私達の脅威にならないと証明出来ないのならば、私はこの国における全ての権利を放棄する覚悟があります」


 どこまでも冷徹に、厳しく問い詰めるカオリの姿勢を前に、彼女はカオリが決して、脅しで誇張しているわけではないと理解した。

 カオリはこの国で、自身や仲間に向けられる如何なる悪意も許すつもりはなかった。

 相手がただの雑魚であるならば無視もするが、力あるものからの敵意ならば見逃せないと、刀に添える手に神経を研ぎ澄ます。


「……ごめんなさい、悪気はなかったの、精霊種は魔力に意思が宿りやすく、気を向けた相手を過剰に刺激することがままあるのよ、それに、冒険者にはいい思い出がないから、どうしても過敏になってしまったの、……決して貴女達に迷惑をかけないと、誓います」


 座った姿勢のまま、頭を下げる彼女に、だがカオリは警戒心を解くことなく見詰める。


「カオリ、悪意あるものが学園に潜入するのは難しいはずよ、学園の許可がある以上、彼女の身元はたしかなのだから、それに彼女の言葉は一応納得出来るものだわ、……いくらなんでも入園初日に刃傷沙汰は不味過ぎるわ、この件は一度持ち帰って、ササキ様の指示を仰ぎましょう、彼の方ならば如何なる懸念にも対策を講じてくださるはずよ」


 依然警戒を緩めないカオリを見て、ロゼッタが必死の説得を試みる。

 やや間をおいた後、カオリはようやく口を開く。


「では先に退室してください、貴女の件は後日対応を決め、接触はそれまで保留とします」


 一拍おいて通告し、カオリは最後に確認をする。


「最後にお名前を教えてください」


 ここまで名乗り合ってすらいなかった三名であるが、相手が一方的にカオリ達を把握しているので、カオリは相手にだけ名乗らせる。


「非常勤講師のレイア・フィアードです」


 音もなく起立し、静かに退室するレイアを、カオリは視線で追いかけて、気配が遠のくまで警戒をし続けた後、ようやく戦闘態勢を解いた。

 部屋にロゼッタの盛大な溜息が響く。


「……カオリの覚悟がこれほどとは思わなかったわ、相手からの気配に鋭いのもさることながら、あそこまで断固たる姿勢を貫くなんて」


 ロゼッタが正直に気持ちを吐露すれば、カオリは苦笑してロゼッタに視線を送る。


「今まで見たこともない気配の強さだったから、過剰に反応したのは自覚しているよ、それにあの人、間違いなく黒金級以上の実力があるはずだから」


 カオリの予測に、ロゼッタは怪訝な表情を作る。


「……それほどの人が学園の非常勤講師なのは、たしかに怪しいけれど、長命種のエルフならば珍しくもないと思うわ、敵対すれば私達では手も足も出ない可能性を感じれば、カオリなら警戒して当然ね……」


 これまでカオリは王都での活動は、主に情報収集能力に重きをおいて下準備をして来た。

 それは王都内に、カオリ達を凌駕する存在がほぼいなかったからだ。

 いても一部の貴族や軍職か、あるいは冒険者の中に一握りと云ったところだ。


 しかしまさか学園内で、明らかな強者と相対したことで、カオリの警戒心が最大にまで引き上げられたのだ。その強者から明確な圧気を向けられたことも、それに拍車をかけた。

 もしこれがカオリ達を害する意思をもつものであったなら、その場で殺されていた可能性もまったくないわけではないと、カオリは危惧したのだ。


 エルフ族に対する知識不足もあっただろう、とくに最近では西の諸王国群にて、政変にエルフが関与していると、ササキやアイリーンから聞いたばかりであるのだ。

 カオリからすれば警戒しない方がおかしいのだった。


 忘れてはならないのは、カオリはこの国の民ではない異邦人であること、そして国家における身分的には、平民よりも底辺に位置していることだ。

 ミカルド王国内で活動している以上、権力の傘の影響が、まったくないわけではなく、権力者によっては強権と横暴を振りかざす輩もおそらく存在すると考えられる。

 とくに軍事や経済と云った国力、つまり数の暴力に訴えられた場合、対抗する術は絶望的なのは間違いないだろう。


 ササキほどの絶対強者であれば、それらを跳ね除けることも不可能ではないかもしれないが、そうなった場合は彼がこれまで築いて来た英雄譚は、たちまちに血塗られた恐怖に塗り替えられてしまうだろう、つまり彼のこれまでの努力と実績を穢してしまうことになるのだ。

 流石にそこまで迷惑はかけたくないカオリではあるが、だからと云って虐げられることを容認することなど出来ないと、カオリは自身の我儘と葛藤している。


 悪口も陰口も気にならないし、多少の差別的排他的行為も見逃そう、だが明確な敵対行為には断固たる対応を、悪質な妨害行為には容赦ない報復をと、カオリは覚悟している。


 何人たりとも邪魔をするなら斬る。


 この手に剣を帯びたその時から、あらゆる闘争の渦を覚悟したのだ。


「……あまりにも想定外過ぎて混乱しているわ、一旦落ち着かせて頂戴ね。ああ、結局学園の案内はどうしましょう……」


 カオリが引き起こす騒動にも耐性が出来つつあるロゼッタは、深呼吸をして今後の対応に思考を巡らせるが、ひとまずは穏便な学園生活のためにも、当初の予定はこなさなければならないと義務感に駆られて悩む。

 ほどなくしてマルコ教授が慌てた様子で部屋に表れた。

 ひとしきりの事情説明をしつつ、最終的には内々で収めるという形で話を終え、カオリ達は学園内の案内をそのままマルコ教授にお願いする運びとなった。


「それにしてもフィアード教授がねぇ……、美人だけどあんまり目立たない人だから、そんなことをする人とは思わなかったよ」


 一応カオリ達は彼女がエルフ族であることは伏せて、あくまでも冒険者のカオリを試す意味で圧気を向けたことのみを指摘し、結果的に揉めるに至ったと云うことにした。

 彼女がどこまで自身の正体を周知しているのか分からなかったためであるが、どうやらマルコ教授は知らないようだと察する。


「だけど流石は凄腕の冒険者だね~。この学園の入園日初日に教授に向かって剣を向けるなんて前代未聞じゃないかな?」


 すこしおどけて見せながらも、掌に冷や汗を滲ませてマルコが言えば、カオリはどこ吹く風と云った様子で首をかしげる。


「私は自分の意思でこの学園に来ましたが、私や仲間達を害する人や組織に頭を下げてまで従属するつもりはありません、だからその人を斬った結果、退学させられることに躊躇なんてしませんから」


 そう言い切ったカオリの潔さ、いや客観的に見れば無謀さと言うべき発言に、マルコは内心で恐れ慄いた。


「は、はは……、まあそうかな? それは、しょうがないかもねぇ~……」


 カオリは権力もない異邦人であると同時に、法に縛られない無法者でもあるので、報復や弾圧を跳ね除ける武力さえあれば、カオリを罪に問い捌くことなど出来ないと理解したマルコの胸中は、想像だに難くないだろう。

 これはこの世界に限ったことではない、地球における社会でも、所詮人間など武力の有無や優劣が根底にあるのだから、文明社会に依存した思考は危険であると云える。

 カオリはこの世界で魔物との戦いを通じて、そういった物事の本質を学び、これまで研鑽を積んできたのだ。


 終始微妙な雰囲気のまま淡々と学園を案内しきったころには、太陽も城壁の向こう側へと沈みつつあった。

 それほどの時間をかけても園内の一部しか見て回れなかったのは、如何にこの学園が広大であるかを証明していた。

 指定してあった時刻に迎えに来たビアンカの馬車に乗り、学園を辞したカオリ達はそのまま屋敷に帰り、夕餉の時間までを静かに過ごした。


 食堂で一同に会した席で、ササキが家長よろしく食前の挨拶をすれば、本日はいつもより豪華な食事が眼前に並ぶ。

 王都に越してきてはや一ヶ月弱で、カオリもこの都市での食事にずいぶんと慣れて来た。

 王都近辺で採れる新鮮な野菜や、畜産による脂の乗った肉、市場に集まる香辛料の数々は、確実にカオリの舌を肥えさせた。

 もちろんステラの料理の腕あってのものだろうことは間違いないが、食材の品質の向上は非常に顕著に表れる。


「さて、初登園の感想を聞こうか」


 食事を終えて紅茶を啜りながら、ササキは優しい面差しでカオリ達に問う。


「人間に化けたエルフを斬りそうになった以外は、とくに問題ありませんでした」

「……ほう、すごく問題があったように聞こえるが、ひとまず事情を聞こうか」


 学園での出来事を掻い摘んでカオリが説明し、ロゼッタも証言すれば、ササキは深くうなずき理解を示した。


「普通は他者から向けられる。圧気を感知するのは難しい、それを証明出来るのであれば問題を収められようが、当面は『剣で教授陣すらも脅す無作法者』と思われるだろうな、私としてはカオリ君の在り方には肯定的なので、最終的には、責任は私がもつので安心しなさい」


 ササキがカオリを擁護する発言をすれば、ロゼッタは安心するべきか不安に思うべきか悩みながら曖昧な表情を浮かべる。

 貴族社会の縮図とも云うべき学園生活において、醜聞は後の一生を左右するほどの問題である。

 あの場でのやりとりを知るのはカオリ達とフィアード女教授とマルコ教授だけであるが、なにを拍子に外部に漏れるか分かったものではないと、ロゼッタは不安を募らせたのだ。

 王国の貴族社会に執着のないカオリからすれば、自身の問題行動に頓着がないのも理解出来るが、ササキから学園内でのカオリの補佐を頼まれた以上、その義務を負う覚悟で挑んだ矢先の出来事である。

 これでカオリが学園にいられなくなるような事態は、単純に彼女の矜持や覚悟を揺るがした。


「……私もカオリが意に沿わぬ理不尽に苛まれるのであれば、最終的にはカオリの味方でいる覚悟ではあるわ、ただ行動を起こす前に、出来れば一言相談してほしいのも本音よ」


 だが、目を瞑り、吐き出すようにロゼッタが呟けば、流石のカオリもやや反省した様子で謝罪する。


「ごめんねロゼ、初日から迷惑かけたのは謝る。今日も急だったから熱くなっちゃったけど、今にして思えば、その場は警戒だけして、後から情報収集する手段だってあったんだから、短気だったって自分でも反省する」


 カオリが頭を下げれば、ロゼッタは首を振ってカオリの手を握る。


「私も勘違いしていたのよ、私は学園に入ってドレスに身を包んで、すっかり昔の貴族社会を思い出してしまっていたけど、私達は冒険者、明日死ぬともしれない世界で生きることを選んだ戦士なんだもの、カオリが常に身の危険に神経を研ぎ澄ましていることを、私も理解するべきなのよ」


 だからとロゼッタは続ける。


「敵だと思ったら、遠慮なく剣を抜きなさい、私に気を遣わずに、……貴女の背中は私が守ってみせるから」


 ロゼッタなりの覚悟の示し方に、カオリは笑って、握る手に力を込めた。

 翌日になり、本格的に講義が開始する本日。

 カオリ達は早速指定された講義室に入室すれば、自由席の中で入口に近い前列に並んで座り、講師の到着を待つ。

 カオリとロゼッタは本来、年齢的に学年が違うはずなのだが、始めての講義ということで最初はロゼッタはカオリに付き合うことにしていた。


 単位制を敷く学園ならば必修を除き、基本的にはどの講義を履修しても問題がないので、歳の違う学生が入り混じることは珍しいことではないのだった。

 本日最初の講義は、魔法の利用と社会における関係性に焦点をあてた魔法社会学である。

 教壇に立つのは元王都魔導士組合所属の壮年の男性教諭である。

 人の好さそうな表情を浮かべ、ゆっくり話す内容に、カオリは真剣な顔で講義に挑む姿を、ロゼッタは横目に見守りつつ、自身もすでによく知る内容に耳を傾けた。


「魔法がどんな風に社会に利用されてるのか、分かりやすく解説してて、面白かった」


 講義が終わり、感想を簡潔に口にするカオリに、ロゼッタは微笑ましく思う。


「村の生活ではあまり恩恵のないものだものね。王都でも中流層ぐらいでないと魔道具を購入するのは難しいもの、ましてや公共事業や施設が、どうやって運用されているのか、詳しく知る機会なんてないから、改めて知ると感心するのは無理もないわ」


 次の講義室への移動中での雑談ではあるが、カオリには全てが新鮮に映るため、その表情は昨日の出来事を綺麗さっぱり忘れているように見受けられる。

 しかしそこはカオリである。そうやって歩きながらも、周囲を警戒するのは抜かりなくこなしている。


「それにしても注目されてるのかな? そこまで悪い感じじゃないから気にならないけど、中にはいい感情じゃないのも混ざってるね」


 カオリの言葉に昨日の一幕を思い出し、ロゼッタは顔を引き攣らせる。


「まあ……、髪や目の色が珍しいのもあるし、平民出であることは周知の事実なのだから、そう云った類の視線があるのは仕方ないと思うわ」


 カオリに向けられる視線を大別すれば、一つが純粋な好奇心、異邦人でありながら王国の最高教育機関に入園を果たした優秀者であることへの興味である。


 もう一つが打算、カオリの今後の活躍の恩恵、あるいは神鋼級冒険者ササキやそれにまつわる有力者への繋がりを考慮し、どうにかして関係を結びたいと考える輩だ。


 最後は、どうしようもない嫉妬ややっかみだ。

 平民であり、かつ異邦人にも関わらず、活躍していることへ、本人ではどうしようもない出自を馬鹿にする。または見下した視線を送るもの達である。


 とくに最後の層には警戒が必要だとカオリは考えている。

 カオリに嫉妬する。または蔑む感情には、カオリへの害意が含まれており、さらに云えば帝国との開戦論派のように、明確にカオリとカオリ達の村を利用しようという思惑が予想されている。

 【ソウルイーター】を討伐した直後では、カオリを個人的に招待し、恐らく派閥に取り込もうとした伯爵がいたのは記憶に新しい。

 そう云った権力者はカオリをただの駒としてしか見ておらず。己の思惑から外れた場合は排除することを躊躇わない傾向にあると、先の襲撃騒動でカオリ実感している。


 ここで大前提として、この国における法および貴族制度における格差の実態に軽く触れることとする。

 とくに重要なことは、殺人に関してである。

 基本的に人が人を殺すことは、当然この世界でも忌避される行為であることは述べつつも、しかし身分差によってはそれが厳格に法規制されていない事実も認めなければならない。

 では何故この世界での殺人という罪が、必ずしも加害者を裁けないのか、その理由は気になるところであろう。


 簡単な話をするのであれば、第一に、罪の証明が難しいのが、非常に重要であると云わざるをえないのだ。

 日本の社会には高度かつ膨大な戸籍情報から、被害者がどの社会で、どう云った労働に貢献しているかがすぐに分かる社会を形成している。

 そのためそもそも、死亡した。と云うことを確実に証明することが可能なのだ。

 翻ってこの世界では、そもそも出生届けと云った個人の存在を、社会が認知する仕組みが、地方まで十分に整備されていない場合がほとんどなのだ。

 つまり仮に誰かが誰かを殺した場合でも、被害者が存在を認知された個人であることが証明出来なければ、その殺人はそもそも起こっていない、あるいは被害者など存在しないと処理することが出来てしまうのだ。


 これをカオリに当て嵌めた場合、カオリがミカルド王国という国家で、個人を証明出来なければ、殺したとて、「カオリなどと云う人間など始めからいなかった」という暴論がまかり通ってしまうのだ。

 であれば存在しない人間を殺しても、罪になど問える訳もなく、加害者は当然無罪放免となってしまうのだ。


 幸いなことにカオリは、エイマン城砦都市の冒険者組合にて、組合所属の冒険者であると云う身元保証があるので、殺人とまでは云わずとも、少なくとも死亡したという事実は証明することが出来るのだ。

 次いで、ここからは想像出来るだろう、証拠の立証である。

 日本では警察と云う法の代行組織が、情報的または化学的見地から、事実の立証をもって、加害者の罪を証明することで、厳正に裁く社会が成り立っているが。


 この世界では科学捜査などなく、一部魔法分野でのみ、科学を超える捜査が可能ではあるが、散々云ったように、魔法は使えること自体が珍しく、それが事件の捜査に利用される機会は非常に稀である。

 つまり高度な事件捜査を受けられる人種は、上流階級に限られるのだ。

 そこにさらに魔物の存在が拍車をかける。


 魔法は力のない人間、刀槍や弓を使えない人間にとって非常に有効な攻撃防衛手段である。

 自然繁殖を必要とせず、神出鬼没な魔物から生命と社会を守るためには、戦わなければならないのがこの世界である。

 であるならば、魔法と云う戦う力を手に入れた大多数の人間は、そのほとんどが戦闘職に就くのが実情なのだ。


 そうでない場合でも、魔導士は研究職に就くことが多く、自身の研究開発を優先しがちであるので、被害にあった遺族や事件の真相究明に、魔法を習熟するものは一握りなのだ。

 例外として王家や高位貴族のような特権階級だけが、専属の魔導士を雇用している関係から、自家に関係する事件解決のために魔導士を利用するに留めている。


 こう云った理由で、殺人を筆頭とした事件において、その犯人が検挙されることは極々限られた案件のみに限られるため、民間および下流階級では、そもそも事件の真相究明がなされることはほぼないのである。


 ここからは加えて、貴族制度による弊害を、簡潔に述べる。

 平民と貴族との間には、どうしようもない身分の差、と云うものが存在するのは、現代日本に生きる人間でも、ある程度は理解出来るはずだ。


 軍事力、経済力、それらによって支えられている権力というものが、それを与えられた一部の人間に、度し難いほどの万能感を与えるのは、想像に難くないだろう。

 領地あるいは身分を有することで、その権限下における特権を得ることが出来る貴族と云うものは、自らを特別な存在であると認識するのが当たり前なのだ。


 国を運営すること、領地を富ますこと、それはたしかに重責であり、また特別な力や知識なくしては不可能であろうことは間違いないのは事実だが、それによって助長された特権意識が、生命の価値においても影響を与えるのだ。

 特別な存在に守られた大多数の生命は、己達に比べて下等な存在であり、命の価値にも雲泥の差があると認識した瞬間、彼等にとって下層階級の命は塵芥に等しくなってしまうのだ。

 そのため自身にとって目障りな存在は、最悪殺してしまっても許されるという価値観を生み出してしまった。


 とくにその事件の証拠を立証出来なければ、どれほど被害者を貶め、残酷な最後を与えようと、そうすることが正しいとまで思い込んでしまう場合があると云えば、これがどれほど恐ろしいことか云うまでもないはずだ。


 カオリがこの世でもっとも嫌うことは、力によって理不尽に意思を貶められることである。

 以前のクレイド達による。カオリ達への襲撃で、犯人の立件にまで及んだのは、あくまで件の男爵が指示した。事件を立証出来るだけの十分な証拠を入手出来たことと、ササキが王家に顔が利いいたことで、行政を動かすことが出来たからであった。


 つまり、自らの力で証拠を集めることが困難で、かつササキの協力を得られない状況であった場合、カオリ達は敵を罪に問えないことも、十分に在り得るのだ。


 その事実に気付いた時、カオリは決意したのだ。


「今後、私達へ明確な敵意を向ける相手は、容赦なくぶった斬る」


 王都での今後の活動や、ササキの立場を考慮して、多少は躊躇する場合もあるかもしれないが、明らかに自分や仲間が害される状況に陥った場合は、例え相手が貴族だろうと王族だろうと、斬る。そう覚悟したのだ。

 先日の一件の後、不安がるロゼッタを宥めるために話し合いの席を設けたカオリは、彼女にはっきりとそう宣言した。

 もちろんそう結論に至った理由を、先に述べた事実を踏まえて説明したので、最終的にロゼッタの理解も得た上でである。


 カオリほどの剣の達人になれば、殺意を隠したまま日常生活を送ることは不可能ではないので、多少気疲れするものの、表面的には人畜無害を装えるのだから、ロゼッタは苦笑いするしかなかった。

 今のカオリであれば、無邪気に笑いながら、一瞬で相手の息の根を止めることがかのうであろうから、隣にいるロゼッタは常に緊張を強いられるだろう、少し気の毒である。

 そんなこんなで迎えた学園生活二日目だが、今のところカオリに積極的に関わろうと接触を試みるものは現れていない。


 そのことに安堵すべきか憂慮すべきか、ロゼッタには判断出来なかったが、いつまでも緊張し続けるのも疲れるのは事実なので、溜息とともに気持ちを切り替える彼女には同情を送る。

 二限目の魔法学を終えれば、長い昼休憩時間が設けられる。


 この学園では貴族の令息令嬢が通う関係から、学生同士の交流の時間を確保していた。

 一つは昼休憩と、放課後である。

 昼食は各箇所に設けられた食堂や喫茶店で摂ることが可能であり、とくに食堂では学生は無料で利用することが出来た。

 またお金を払うことで指定の場所に料理を配達することも可能で、事前に予約は必要だが、そのための個室や談話室を利用することも出来るのだ。


 こうして学生達は積極的に昼食会やお茶会を開き、後の貴族社会における協力者との交流が盛んにおこなわれているのである。

 とくに公爵家から伯爵家と云った高位貴族においては、それら交流の場を主催することが、一種の義務とする傾向にあり、それが出来ないものは醜聞にすら成り得るともなれば、皆必死になって客を集めるために奔走するだろう。

 カオリ達が食堂で呑気に昼食を摂っていた時に、カオリ達に声をかけたのは、おそらくそれが理由であったと思われた。


「つきましては、是非我等のお茶会に、アルトバイエ様と、お付きの方をご招待したいのです!」


 一人の令嬢から告げられた言葉に、だがカオリは首をかしげた。


「あ、はい、お断りします」

「え?」


 断られると思わなかったのか、令嬢は理解出来ないといった表情で立ち尽くした。

 それに溜息を吐くロゼッタは、これは自分の役目かと、一応事情を説明する。


「勘違いされているので訂正させていただきますが、私達の関係は、こちらのカオリ・ミヤモトが学業を納めるための入園であり、私はその補佐をするために派遣されたに過ぎません、なのでこの学園における活動においては、基本的に彼女の意思を尊重しておりますので、お返事は私ではなく、彼女に一存されます」


 さらに続けて言葉を紡ぐ。


「お声をかけてくださることは大変光栄なことですが、自己紹介もなく、また『後学のために交流を持ちたい』と云う曖昧な理由のみで、招待状も持参せずに参られるのは、些か失礼かと思います。まずはご自身の名を告げられて後、正式な文章にてお誘いいただければ、一考する余地がございますので、後日改めてお誘いくだされば幸いですわ」


 まずもって名乗り合ってすらいないうえに、特別親しいもの同士でも滅多にしない、突然の口頭での約束の取り付けに、紛いなりにも高位貴族の教育を受けたロゼッタは難色を示した。

 言外に「失礼な奴は帰れっ」と滲ませて、ロゼッタが扇で口元を隠して告げれば、令嬢は表情を険しくした。


「し、しかし、アルトバイエ様はともかく、平民が伯爵家のご令嬢が主催する茶会に呼ばれるなど、本来在り得ないことです。断るなど、聞いたことがありません」


 侯爵令嬢のロゼッタの手前、丁寧な言葉遣いを心掛けているものの、ロゼッタの頭越しにカオリへ命令したともとれる発言に、彼女は呆れて溜息を吐く。


「百歩譲って私の手前、私に対して礼儀を見せるお心掛けは評価しますが、だからと云って正規の手順を省略し、彼女に身分を笠にきた対応をするのは、このアルトバイエ侯爵家の私が許しません」

「う……」


 ロゼッタの威圧にたじろぐ令嬢に、ロゼッタはさらに続ける。


「なにも絶対に断るとは言っておりません、正規の手順を踏めば、一考はすると申し上げましたので、侯爵令嬢様にはそうお伝えくださいませ」


 二の句が告げられなくなった令嬢は、他の取り巻きを引き連れて、すごすごと退散していったが、離れ際にカオリ達に向けられた視線に悔しさを滲ませたのを認めたロゼッタは、無表情でそれを見送った。


「自分も名乗らずに、招待状も持って来ない理由はなんだろう?」


 カオリが素朴な疑問を口にすれば、ロゼッタは眉根を寄せる。


「恐らくカオリと私の力関係を知らないことで、勝手にカオリを従者かなんかだと勘違いしているからなのと、私が社交嫌いなことを聞きつけて、カオリだけを誘えば、上手く連れ出すことが出来ると踏んだからでしょうね。貴族が平民を呼び出すのに、わざわざ招待状なんて書かないし、茶会で仮にカオリを貶めても、招待したという証拠が残らないもの」


 ロゼッタの予想にカオリは疑問が増える。


「ん? ロゼって社交界が苦手なの?」

「そうね……、社交界よりも魔法と武術の鍛錬に重きをおいていたし、将来は冒険者になるからって言って、精力的に参加しなかったから、貴族社会ではアルトバイエ家の三女は、社交嫌いと思われているのは否定出来ないわ、……学園に通う必要がないように勉強をたくさんしていたのもあるけど、結局通うことになっちゃったけど……」


 過去を振り返り、やや言い辛そうにするロゼッタに、カオリは笑う。


「そう云えばそうか~、ロゼならお嬢様達と話が合わなさそうだし、面倒臭がってもしょうがないか~」


 カオリの言葉に、ロゼッタは無言の肯定を示す。


「私を茶会に誘う理由はなにが考えられる?」


 次にカオリを誘い出すことによる。相手方の思惑の考察に入る。


「そうねぇ……、善良な理由としては、自家の領地における魔物討伐に、素早く対応出来るように繋ぎを作っておくことかしら? 領主貴族であれば、王都で信用出来る冒険者に知り合いがいることは重要よ、地方に行けば冒険者組合がない領地もあるし、寄親を頼れない状況も少なくないから、個人的な友邦を望む層は一定数いると思うわ」

「ふむふむ」


 ロゼッタは自分の考えうる予想を述べる。


「他にも領地経営を学ぶ一環で、現役冒険者の知識は非常に有益よ、魔物の特性やそこから予想される利益や損害を予想出来る知識は、家を継ぐ嫡男や、そこに嫁ぐ令嬢の強みになるもの、学生でありながら評判の冒険者であるカオリを望む声は、今後さらに増えると思った方がいいはずよ」


 ここまでは真っ当な理由が続くが、後に予想されるのは、真っ当ではない場合である。


「悪く考えるのであれば……、やっぱり干渉地帯の村の開拓責任者であることによる、取り込み工作かしら、村から得られる資源を独占すれば、後に領有を主張する強みになるし、交易をチラつかせて、市場を制限するのは誰もが考えつく方法じゃないかしら? 田舎者なら簡単に騙せると思われても不思議じゃないもの」


 悪い予想ほど止めどなく出るものなのか、ロゼッタの表情は益々険しくなる。


「他にも人材派遣と云う名の文化侵略とかも在り得そうね。村人の大半が王国貴族の息のかかった人員になれば、内側から乗っ取りも可能だもの、排除したくても、民族保護を理由に武力干渉なんて目もあてられないわね」


 堅固な塀で守られようと、内側で反乱でも起きれば、都市でさえ簡単に陥落することも十分に考えられる。

 貴族と繋がりを得たがために、移民の受け入れや有識者の派遣を際限なくおこなえば、そう云った未来も在り得るとロゼッタは警告したいのだった。


「そうでなくても市場を制限されれば、不当な相場での取引を余儀なくされるわ、私達の村でも規模が大きくなれば、貴族にとっても無視出来ない利益が望めるもの、ふっかけられても文句の言えない状況になれば、従う他ないと思うわ」


 現状は帝国と王国の両国から、物資の買い付けが可能なため、相見積もりから価格の有利な方を選べるが、これが不自由な状況、例えば街道封鎖や、入市規制などで制限がかかった場合、どちらか一方、最悪は一家による独占状況にまで陥る可能性もなくはないのだ。

 そうなれば相場の倍以上の価格でしか物資の入手が出来ず、村が困窮する未来が待ち受けているだろうと、カオリもロゼッタも背筋を寒くする。


「そうやって叙々に権利を横取りされて、最終的には帝国との開戦の口実にされる。領土防衛とか民の救助とか、なんでも理由にして村周辺を戦場にされれば、あっという間に村は占拠されてしまうもの、その時にはカオリや私達は排除された後でしょうね。発言権を持つものは邪魔だもの、ただで済むはずはないわ……」


 そこまで予想して、二人はしばし沈黙する。本当に最悪な予想であろうが、現実に起こりうる未来となれば、笑って済ますことなど到底出来なかった。


「え~と、他にはなんかないかな?」


 気持ちを切り替えるためにと、カオリが他の予想がないかと問えば、ロゼッタもその流れに便乗する。


「んんっ、他はぁ~……、たんに嫉妬?とかやっかみで嫌味を言って来たり、自分の方が優れていると見せ付けたい自己顕示欲の強い、お馬鹿さんくらいかしら?」


 一気に程度が落ちたのは、これ以上恐ろしい未来を考えたくなかった二人の現実逃避であったのは仕方ないだろう。


「最後のはどうしたらいいんだろう? 幼稚過ぎて反撃する気も起きなそうだけど、かと言って無視もよくない気がする」


 カオリの考えにロゼッタも同意を示す。


「私達はササキ様の後見を受けているのだもの、なにも非がないのに下等に見られるのは、即ちササキ様を侮辱することになるわ、場合によっては断固たる態度で挑まなければ、今後に差し支えるのだもの、その時は鼻っ柱をへし折っちゃいなさい」


 ここで己の実家を持ち出さないロゼッタは、いい意味で成長したと云えるだろう、少なくとも冒険者としてカオリ達と仲間であるという己の在り方と、侯爵令嬢としての今までを区別して考えているのだから、いい意味でとは非常に便利な言葉である。


「さっきの人はどっちの人?」


 ここまで話し、ようやく先の令嬢に話題が及び、ロゼッタは思い出そうと唇に人指し指をあてる。


「え~とたしか、カスール伯爵家の寄子だったかしら? 家名は~……ティブライド子爵令嬢だったはずよ、寄親の伯爵家はカオリも覚えていると思うけど」

「ん~ああぁ? 褒美をあげるから宴に来いって言って来た東の伯爵様だっけ? 開戦論派の筆頭ってアイリーンさんが言ってた」


 カオリの答えにロゼッタは首肯する。

 【ソウルイーター】討伐後に、どこからか噂を聞きつけてやって来た。遣いの男が名乗った家名である。

 その関係者であることを匂わせたロゼッタの言を信じるならば、今度はその娘がカオリにちょっかいをかけて来たと考えるのが妥当であろうと、二人して眉根を寄せる。

 先の予想と照らし合わせれば、今回の茶会も碌な誘いではないと、二人は揃って否定的な思考になったのだ。


「もしかしてこれから、こんな感じのやり取りが増える?」

「……しばらくは煩いかもしれないわね。それに、断り続ければ、今度は嫌がらせも在り得るって考えた方が無難かしら」


 嫌な方向の予想ほどあたるとはよく云ったもので、その後立て続けに似たり寄ったりの誘い文句で、数人の令嬢を捌いた二人は、ようやく解放された放課後に、喫茶店で一息入れることとした。


「なんなの~、講義中まで詰め寄らなくてもよくない? 初日から先生に怒られたじゃんか~」


 机に突っ伏して文句を言うカオリに、ロゼッタは淑女らしからぬ態度を叱ることもせずに同情した。


「中にはちゃんと名乗って、後日招待状を送る約束をして来たんだから、全部が全部礼儀知らずで、お腹に一物を抱えた人と云う訳じゃないのだから、悲観的になるのは速いわよ」


 今二人がいるところは、比較的平民向けの喫茶店である。

 食堂は無料で提供されてはいるが、こう云った贅沢には金銭が伴うので、利用するものは裕福な子弟に限られるが、それでも貴族での利用者は少なく、平民出の教授なども利用する場所である。

 カオリ的にはまだ親しみ易い場所ではあるが、ロゼッタは実家が侯爵家であることと、本人の滲み出る気品、あるいは纏う衣装も相まって、やや浮いている。


 本人がまったく気にしていないのは云うまでもない、つい最近まで村の開拓業で村人に囲まれ、荒くれ者の多い冒険者組合にも顔を出しているのだから、学生程度で嫌煙するわけがないからである。

 しかしながら周囲の学生はそうはいかないのか、ロゼッタとカオリの二人を見て、少し居心地の悪そうな顔をするものがいるのを、カオリは気配で察していた。


「もしかして平民出の人から見ても、私達って遠目に見られる対象なの? 冒険者で異邦人なのに? ロゼだって実家は高位貴族だけど、一応冒険者じゃん」


 カオリが周囲の反応に関して言及すれば、ロゼッタもそれは感じていたようで、なるべく視線を向けないように注意しながら、周りの反応を確かめた。


「……距離感を量り兼ねているのではないかしら? 世情に疎い人からすれば、貴族なのか平民なのか、善良なのかそうでないのか、判断がつきにくいと思うもの」


 カオリを客観的に見れば、平凡そうではあるが王国の常識が通じない異邦人かもしれず、また乱暴な冒険者かもしれないと警戒されるだろう。

 ロゼッタにして見ても、紛れもなく高位貴族でありながら、武力をもった短絡思考と捉えられる可能性が考えられれば、おいそれと近付くものはいないかもしれない。


「ちゃんと手順を踏んで来た。マシな人達ってどんな人だったか分かる?」


 カオリも思い出そうとすれば思い出せるが、流石に家名を名乗られて即思い当たるほど、貴族の情報を暗記している訳ではないので、素直にロゼッタの記憶に頼った。


「ロスサントス侯爵の寄子で、プレシャボート伯爵令嬢ね。彼女達の実家はたしか保守論派だったはずよ、派閥的には保守的で穏健的だけど、教会との結び付きが強いから、そこは注意しなければね」


 今のところは教会と問題を抱えていないカオリではあるが、鎮魂祭の夜会における。唐突なアキへの接触の件があるため、やや不気味な勢力である教会に、カオリは少なくない警戒を抱いている。

 ちゃんと筋を通したからと云って、ほいほいと誘いに乗れば、どんな手練手管を駆使されるか分かったものではないと、カオリは辟易とする。


「流石に全部を断るのも拙いよね~、こうなって来ると断る理由が逆にないもん、どっかで妥協しないと、全部を敵に回しちゃうかもだし」


 懸念を示せば、途端に面倒に思えて来たカオリは、頬杖をついて姿勢をさらに崩す。


「いい加減姿勢を正しなさい、学生と云えどもはしたないのは、ステラから学んだことを蔑にするも同義よ、こう云ったところでも勉強だと思ってしゃんとしなきゃ」

「はい、ごめんなさい」


 叱責に素直に応じるカオリに、ロゼッタは苦笑する。


「カオリの云うことももっともだわ、礼儀を軽んじる輩は論外だけれど、きちんと手順を踏んだ誘いには、こちらもきちんと対応すべきだわ、招待状が来たらお返事を書くから、先に目ぼしい参加候補を教えてちょうだい」


 ロゼッタがカオリにそう伝えた時に、喫茶店の入口から、とある人物が現れた。


「ああここにいらしたのね。ロゼッタ様」


 声の聞こえた方に二人揃って視線を向ければ、そこにはこの国では珍しい容姿の令嬢が立っていた。


「ルーフレイン様っ! どうしてここにっ」


 ロゼッタが大仰に驚けば、令嬢は少し寂しそうに眦を下げる。


「家名呼びなんて寂しいわ、昔のようにベアトリスと呼んでくださいな」

「あ、その……、しかし昔と違ってルーフレイン様は今では第一王子の婚約者様であらせあれます。気安く名を呼ぶわけには」


 ロゼッタの言葉にカオリはやや驚いて、姿勢を正す。


「所詮は婚約者よ、いつ婚約が白紙になるとも知れぬ身で、親しい友人にまで距離をおかれたら、もう友と呼べる方がいなくなってしまうもの、ロゼッタ様のお友達にも是非、名前で呼んで欲しいわ」


 令嬢はそう言ってカオリにも優しく微笑みを向ければ、意地を張り続けることの出来なくなったロゼッタは、やや気後れしつつも、令嬢へ先にカオリのことをアルトバイエ侯爵夫人にしたものと同じ紹介した後、目の前の令嬢をカオリに紹介する。


「カオリ、こちらの方は、現在ミカルド王国第一王子殿下の婚約者になられた。ルーフレイン・ベアトリス侯爵令嬢様よ」

「ベアトリスと呼んでくださいな」


 ロゼッタの紹介に淑女の礼をするベアトリスは、にこやかにそう云い添えた。


「ご紹介にありました通り、平民ですので、私のことも、カオリとお呼びください」


 カオリが意味ありげにロゼッタへ視線を向ければ、彼女も観念して息を吐く。


「……ベアトリス様、どうして貴女ほどの方がここへ一人で参られたのでしょうか」


 カオリと云う平民の異邦人にすら名前呼びを許した以上、昔からの友人である自身が家名呼びを固持するわけにもいかず、仕方なく名前呼びをすれば、ベアトリスは分かりやすく表情を綻ばせた。


「あら、昔からのお友達に会うのに、取り巻きを引き連れるなんて不粋じゃない、折角気兼ねなくお話が出来る機会なのですもの」

「取り巻きなどと云えば、彼等彼女達も心穏やかではいられませんでしょうに……、ここではなんですから、どこか別の場所に移りましょう」


 ロゼッタが呆れた様子で提案すれば、丁度よい場所があるからと、先導して二人を案内するベアトリスに、二人は黙ってついてゆく。

 喫茶店からほど近い談話室に、喫茶店で注文した茶菓子と紅茶を運ばせれば、ようやく相好を崩してベアトリスは二人に向き合った。


「ごめんなさいねカオリ様」

「なんのことでしょうか?」


 ベアトリスの謝罪の意味が分からず、カオリは首をかしげた。


「あんな人目のある場所で、一人でお尋ねになったばかりか、カオリにまで名前呼びを許したこと、また周囲に侍る令息令嬢達を堂々と取り巻き扱いするなんて、私達とは気を許した親密な関係であると、周囲に喧伝したようなものなのよ」


 そこで一旦区切って紅茶に手をつけて、ロゼッタは続ける。


「つまり派閥や身分を超えた関係を装って、各派閥を牽制したととられるような振る舞いをしてくださったと云うことよ、きっと私達が各派閥の令嬢達から、茶会の招待を受けて困っていることを、どこかでお耳にされて手助けをなさってくださったのよ」


 ロゼッタの説明にカオリは感心した。あの短いやり取りに、そこまでの意味があったのかと、驚いたからだ。


「でもカオリ様ともお友達になりたいのは本当ですわ、私達の一族は、ロゼッタ様のご実家と境遇が似ているので、きっと仲良くなれると思うもの」


 楽しげに笑うベアトリスと、呆れ顔のロゼッタを、カオリは交互に見やる。


「ベアトリス様は見ての通り、ロランド系人種ではないわ、歴史を紐解けば、私達レイド系民族同様に、王国に恭順を示した異民族の一族だもの」


 そう、カオリが彼女を認めてまず驚いたのが、その髪色と目の色だった。

 これぞ異世界、まさか本当に青い髪をお目にかかる日が来ようとは、流石にカオリは驚いたのだ。

 蛍光色とまではいかないが、鮮やかな空色とも云うべきか、艶やかで真っ直ぐな長髪は、一部を編み込みで纏めつつ、その艶を強調するかのように背に流され、清流を思わせる気品に溢れていた。


「私の先祖は、元はオーエン公国が樹立する以前にミカルド王国に恭順を示した。ブルド人貴族なのです。この髪と瞳の色がその証拠ですわ」


 知天神エルリナスを信仰するブルド人は、空と海の民であり、智恵と航海に秀でた民族である。

 西大陸の北方の海に面した地方にある。オーエン公国では大多数がブルド人であり、公国の主である大公も、生粋のブルド人である。


 ルーフレイン侯爵家はもともと、西大陸の北部と中部の中間に領地をもち、かつてミカルド王家と共に【虐殺者ミリアン】の征伐に加担し、後に王国から侯爵位を賜った一族である。

 また運河と陸路による。王国と公国間の交易と外交という重要な役割を担い、王国に代々貢献して来た大貴族である。


「ロゼッタ様とは幼少からのお友達で、最近まで王子様達の婚約者候補として競った仲でもありますのよ」


 ベアトリスの言葉に、カオリは驚く。


「婚約者候補? ロゼが、王子様の?」

「ベアトリス様っ、大袈裟ですわっ!」


 顔を赤くするロゼッタとは対照的に、ベアトリスは楽しそうな様子である。


「家格と年齢、容姿に礼儀作法、どれをとっても次代の王家に相応しい素養をもちながら、それでも私が選ばれたのは、ロゼッタ様が王家との縁談に興味がなかったからだと、私は思っております。そうでなければなんの取り柄もない私が、わざわざ選ばれる理由なんて――」


 ロゼッタに尊敬の眼差しを送るベアトリスに、ロゼッタは益々顔を熱くする。


「ご謙遜が過ぎますわ、ベアトリス様こそ知天神の加護を授かりし神童とまで評され、河運にて画期的な運輸方法を、ご当主様に提案なされたのは、周知の事実ではありませんか」


 忙しなく扇をあおぐロゼッタと、微笑むベアトリの双方を、カオリは興味深く見詰める。

 ロランド人の女性と違って、他民族の女性は気概溢れる女傑が多いのかと、カオリは感心する。


「でもオーエン公国って云えば、対帝国戦争における。王国連合最大の支援国ですよね? 帝国との戦争が事実上停戦して、逆に西のエルスウェア評議国樹立に伴う混乱がある中、政略的には微妙な時期じゃないですか?」


 カオリの歯に衣着せぬ発言に、二人はしばし固まる。


「流石は学園にご入園されるだけあって、政治にも精通されていらっしゃるのね……」


 呟くように言葉を漏らすベアトリスに、カオリ達は表情を変えずに耳を傾ける。


「お二人にお声掛けしたのは他でもありません……、信用出来る友であり、優秀な冒険者であるお二人を見込んで、依頼したいことがあるのです――」


 ベアトリスの真剣な様子を受けて、カオリ達は互いを見やる。


「聞きましょう」


 学園での修学の傍ら、どうやら退屈しない学園生活になるかもしれないと、カオリは気持ちを新たにした。


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