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( 一時帰還 )

 幾日かの余韻を残しつつ、鎮魂祭が終われば、王都はいつもの日常に戻っていった。


 慰霊のために神殿で行われた祭事は、最終的に場所を移して執り行われ、体面上は無事に終了することが出来た。

 しかし歴史ある祭りのもっとも重要な儀式の真っただ中で、王族を狙った襲撃を許した事態は、王宮をひっくり返すほどの混乱を呼んだ。


 ここ数日で転がったりひっくり返ったりと、実に気の毒である。


 ただ不幸中の幸いか、死者はおらず。重傷者もアキによる治療魔法で即座に回復し、いっそ軽傷のものの方が治療痕が目立つほどだった。

 だが壊された神殿の損害は酷く、由緒ある建築物であり、国の重要文化財であったため、修繕には相当の費用が予想された。

 標的となったのが王族であったため、費用は国から出るとは云え、教会側も民衆に寄付を募る必要があるのはやむをえないだろう、幸い鎮魂祭で外貨が多く市中に流れたため、民衆の財布の紐も緩いだろうことは救いであったはずだ。


 そして今回の功労者であるカオリ達へも、相応の褒美が約束され、当初支払われる報酬に上乗せする形で、相当の金額が冒険者組合を通じて振り込まれた。

 合計で大金貨十枚を超える高額な報酬に、カオリ達は流石に目が眩む思いであったのは云うまでもない。


 開拓資金として考えるのであれば、カオリ達の村の、第二回開拓団と同規模を、もう一度依頼出来る金額と考えれば、それがどれほどの金額か想像出来るだろうか。

 これで村の発展は約束されたも同然である。カオリ達は実に単純に喜びを露わにした。

 だがしかし、王家並びに王国の貴族達は、新たな知らせによって、さらなる混乱に陥ることとなる。


「西方諸王国群がひとつ、森国エリスが、国名を【エルスウェア評議国】と名を改め、新たな国家を宣言した」


 重々しく語るササキに、カオリ達はどんな顔をすればいいのか分からず。互いに顔を見合わせた。

 とくにカオリは、そもそも森国エリスという国に地理上でしか覚えがなく、またこの世界の文明において、評議会や共和制の意味をいまいち理解していないため、それがどれほどの事態なのかちっとも分からなかった。


「エリスの民にいったいなにがあったのでしょうか? とくに賢王と名高いエリス王はご無事なのですか?」


 王国の貴族令嬢として、遠い地とは云え隣国に位置するかの国で、何故今、政変が起こったのか理解出来ず。ロゼッタはササキに質問攻めをする。


「王族の安否は不明だが、かつての王制からかけ離れた体制への移行により、周辺国は混乱状態にあるらしい、とくに国力で劣る隣国は、一部貴族の離反なども相次ぎ、とてもではないがまともな統治が出来ないでいる」


 まるで見て来たかのように語るササキに、それよりも混乱が先行したロゼッタは、ただただ絶句するばかりである。

 しかしここでアイリーンが常にない深刻な表情を浮かべ呟く。


「よもやエルスウェアを名乗るとはね。まずいよカオリ、帝国が動く……」


 その呟きに室内は静寂に包まれる。


「どう云う意味ですか?」


 どこかで聞いた覚えのあるカオリは、しかしアイリーンの言葉を量り兼ねて、問いかける。


「この東西大陸において、始めにその言葉を唱えたのが、エルフ達だからさ」


 神々が隠れ、竜を畏れ、人類の新たな時代の幕開けとされる魔の時代、力なきもの達は失われた文明を創り直そうと立ち上がり、人類を虐げた竜族とは違う方法で、圧政ではなく共栄による繁栄を目指した。

 しかしそれでも力の差が厳然と存在するのが現実であり、事実その時代を率いていたのは、長命で魔術に秀でた精霊種のエルフ達だった。

 彼等は優れた魔法文明により、事実上人種を支配し、半ば奴隷として扱い、栄華を欲しいままにしたのだ。


 エルフの言葉で『至高なる精霊達』という意味をもつ言葉が、エルスウェア、そして魔の時代において、エルフ達が創り上げた治世が、【エルスウェア社会】と後世に語られることとなったのだ。


「あたし達アラルド人の興りの発端となったのが、エルフ達に虐げられた人種の解放、そしてそれを実現するためにおこなわれたのが【聖魔戦争】なのさ」


 軽口などなく、瞳をあやしく光らせ、アイリーンは尚も続ける。


「氷の大地から、竜達を滅ぼして大陸に凱旋した旧ハイド人、後に語られる英雄達は、虐げられる同胞達を目の当たりにして、怒りを爆発させたのさ」


 しかし、竜を滅ぼすために船出した三百人の英雄達と違って、大陸に残ったハイド人達は、およそ五百年もの年月の中で混血が進み、肌や髪や瞳の色彩はおろか、かつての屈強な肉体や優れた魔法適性すらをも失い、もはや別の人種となっていた。


 そこで英雄達は自らを『光の民』の意味をもつアラルド人を名乗り、英雄の指導者を英雄王を仰ぎ、エルフ達への戦いに身を投じたのだ。

 人種の台頭を危惧したエルフ達は、大軍をもって制圧に乗り出したが、竜達と厳しい氷の大地で、五百年もの永きに渡って戦い続けたアラルド人に敵わず。大陸における支配権を失った。これを【英雄王伝説】と呼称する。


 大陸での主導権を失ったエルフ達は、逃げるように西大陸の極西に広がる。広大な森林地帯に隠れた。

 その後に、人類の時代が始って、今日までおよそ六百年もの間、エルフ達は現在も森の奥地で沈黙を守っていると考えられていた。

 そう、今日までは……。


「ようやく分かったさね。帝国が何故、勝つでも負けるでもなく、王国を相手に百年も戦争をし続けたのか、帝国の本当の狙いは、エルフ達さね」


 己でいきついた推論に、確信をもって言い切るアイリーンを、カオリ達は真剣に見守っていた。


「ナバンアルド帝国の前身である。第二紀エリシャール朝の失策から学び、現帝国は民族融和政策を執って来た。急速な侵略は種族間の軋轢を生む、ゆえに王国へ表向き侵略戦争を仕掛け、西大陸へ圧力をかけ続けたのか……、帝国へ抗うために結んだ。【太陽協定】から成る王国連合が機能する限り、エルフ達が再び覇を唱えることはないだろう、と」


 ササキが神妙な雰囲気で捕捉を入れれば、カオリもようやく全容を理解した。


(ササキさんの国、【北の塔の国】が出現して、帝国と王国の戦争が事実上停戦したのが原因で、エルフ達が森から出て来ちゃった?)


 であれば、森国エリスはエルフ達に滅ぼされてしまったのかと、カオリは考えたが、改められた国名は評議国を名乗っているのだから、全てが武力侵略とは考えづらく、そこが腑に落ちない娘達であった。


「森国エリスの領土がある地方では、古来から人種とエルフとの間で密かに交流があり、民の多くが人種とエルフの混血であるという言伝えがあるが、ロゼッタ君は聞いたことはないかね?」


 問われたロゼッタは目を見開いて驚く。


「そのような話しは初めて聞きました。たしかにエルスの民は魔術に優れ、民のほぼ全てが、大なり小なり魔術が使えると云うのは存じ上げておりますが、その理由がエルフとの混血であったなら、たしかに納得出来ます」


 エルフの特徴として挙げられるのは、鮮やかな髪色や肌、そしてとくに長い耳が特徴的ではあるが、エルスの民達は一見すれば艶やかな人種にしか見えないと、かつて社交界で見かけたエルスの貴族を思い出し、ロゼッタ首をかしげた。


「恐らく混血が生まれてから、かなりの年月の中で、エルフの血はかなり薄まっていると考えられるだろう、事実私が森国エリスに赴いた当時は、魔術が使えると云っても、私の知るエルフには到底及ばない魔力量と適性しかもっていないかったはずだ」


 実地検証をすでにおこなっていたササキが、たしかな根拠で語れば、ロゼッタに異論などなかった。


「つまりエリスの民、ないし王侯貴族は、密かにエルフを信奉して、最近になって急速に共同体制を整え、満を持して新体制に移行したってことかい?」


「【北の脅威】による帝国と王国間の停戦状況が、切っ掛けになったのは間違いないだろうな、もしくは、【北の脅威】そのものが、彼等を必要に駆り立てたとも考えられるか……」


 どこか自重気味に述べるササキへ、カオリは少し憐れみの視線を向ける。


(もうササキさん、完全に時代に干渉しちゃってるね。どうするんだろう……)




 ササキからの報告は以上として、他愛いもない雑談を交わすが、内容は相変わらず年頃の乙女には似つかわしくないものだった。

 なにせ王族の護衛任務中は、常に緊張を余儀なくされ、襲撃以降は事後処理にてんやわんやと翻弄されたからだ。


 とくに召喚された【人工合成獣】を多数仕留めたアイリーンやササキ、召喚者であり主犯である暗殺者を撃退したカオリは、その功労を讃えて、多くの王宮関係者や貴族の見守る中、大々的に王からの称賛を賜ることとなり、ササキに並んで注目を集めるに至った。

 カオリ自身が大袈裟な待遇を拒否したため、理解あるアンドレアス国王は、登城出来る最低限の身分の保証を示す。短剣の授与に留めた。


 これは国内外を問わず。特別な実績に対して国が褒美を与えると共に、国の賓客としての待遇を約束するものである。

 これまでカオリは国外における冒険者業および開拓業にて、実績を積んできた関係から、特定の国家に関わる如何なる身分保証も招聘も断って来たが、今回は冒険者として、あくまで王家の護衛任務を受けた報酬の形を、王家が内外に示してくれたことで、素直に受け取ることが出来たのだ。

 もしかりに、帝国と王国の関係か今よりも悪化した場合、カオリ達の村がどちらに与するのか選択を迫られた時に、体面上は無関係を装うことが出来るだろう。


 「戦争とか外交問題とか関わりたくなかったけど、一国の王様に指名依頼されたら、断れるわけないじゃん?」と言い訳出来るということだ。あくまで体面上はだが……。


「西大陸の諸王国群が混乱の最中に、カオリは呑気に学園でお勉強とは、これはこれでおもしろい状況さね」


 皮肉気に笑うアイリーンだが、からかいの気が多く言っていることも理解出来るので、カオリもつられて苦笑する。

 護衛依頼が終われば、アイリーンもアキも村に帰り、村の開拓業に戻ることになる。

 カオリも近々一旦村の様子を見るために一時帰る予定である。


 この夏で家屋も多く建ち、村人全員分の一軒家が揃うのも遠くない、しかし西大陸以外から来た。イゼルやカーラ、セルゲイ達と云った元外部の面々は、とくに持家に住むことに拘っていないため、村での役職や立場を鑑みて、最終的にどうするのか調整する必要がある。

 独身で村に寄与する重要な人材である以上、やはりそれなりの待遇を約束するべし、というのがカオリの考えである。


 また村人ではないが、長期間村で生活をする大工のクラウディア、石工のエレオノーラ達も、ゆっくりと休める家が必須である。

 村人達の仮住まいとなっている集合住宅とは別に、寄宿舎として新たに集合住宅を建設することも検討中である。

 どれを優先的に着手するのか、その最終決済や個別の意見調整をするためには、やはりカオリが直接彼等彼女等と交渉する必要があるだろう。

 一日の休息日の翌日、カオリ達はロゼッタ以外は村に帰還した。


 ロゼッタを残したのは、王都でなにかあった場合に、現場で指示を出せる人物を残す必要があったからだ。

 とくに現在複数の案件を調査中の【泥鼠】の面々の監視と調整には、誰かが近くにいるのがもっとも安全であるからだ。

 そのためカオリは、ステラの護衛についているシンに、ロゼッタの指示に従うよう命令し、転移陣で屋敷を後にした。


 カオリが村へ出発した昼前、自室で机に向かっていたロゼッタの下に、ステラが近寄り声をかけた。


「なにをされておいでなのでしょう?」


 紅茶をロゼッタの前に出し、ステラが彼女に尋ねれば、開いている【創造の魔導書(クレアシオングリモア)】や大量の紙束から顔を上げたロゼッタと目が合った。


「カオリと従者であるアキやシンの能力に依存しない、強い組織作りや村の独自収入について、なにかよい手段がないか考えているの」


 村の発展はカオリの発案によって進められる計画を元に運営されている。そしてこの王都での活動も、シンや【泥鼠】という彼女の手によってもたらされた人員で構成されている。

 それ自体はカオリの権限を強めるために必要な事項ではあるが、ロゼッタもさることながら村に関わる皆が、それに依存する状況は、あまり好ましい状況ではないとロゼッタは考えた。

 少なくとも目に見える形で、カオリ以外の人間が、カオリの活動を積極的かつ有効的に支える手段をもつべきであるとし、ここ最近ロゼッタは細々とした発想を検討していた。


「お聞きしてもよろしですか?」

「ええいいわよ」


 この屋敷においてのステラは、ササキの屋敷での家宰に近い業務をこなしつつ、侍女としての家事雑事をもこなしていた。

 だがやはり本心はロゼッタに仕える従者であるとし、特別に気にかけているのは当然であっただろう。

 一見すれば主の仕事を補佐しようと献身する従者の姿ではあるが、内心ではロゼッタが突飛な発想から暴走し、カオリと意見を違える事態をも予測し、場合によっては主を諌める覚悟であった。

 手渡された書類へ視線を流しつつ、ロゼッタの言葉に意識を向ける。


「まずはやっぱり、村の開拓資金を、私達の冒険者の報酬に依存している状況の改善ね。これには村で独自の輸出品を生産する以外で、有効な手が思い付かなかったから、じゃあなにを作るべきかを考えたの」


 手渡した資料に、その候補となる品が書かれている。


「各種薬草類と木材を筆頭とした。森林資源が主ですか、これは村では以前から取り組んでいたと聞き及んでおりますが、それを継承する形になるのでしょうか?」


 カオリ達の村では、カオリが訪れるはるか以前から、細々と近隣都市と交易し、貨幣を得ていたと、ステラは村の女達から聞いていた。


「ええ、でも本当に小規模で、とても開拓に充てられるほどの規模ではなかったそうよ、だからそれをより拡大し、主要産業とするべきだと考えたの、具体的には森林の間伐作業と並行して、薬草の群生地の整備や保全をし、自然に生る以上の収穫を確保、また森林の外周には材木に適した樹木の植林と、溜め池の整地が必要だわ」


 ロゼッタの生家であるアルトバイエ侯爵家は、代々領主貴族として広大な領地の開拓をおこなって来た歴史をもっていた。

 そのため彼女も貴族令嬢として、家の領地経営に関する資料を学ぶ機会があり、今回はまずその知識から引用したのだ。


「薬草や材木の加工はどのように」

「幸い森林内部に森小屋の建設がすでに計画されているから、水門の建設と並行して製材所を建設さえ出来れば、薬草と材木への加工も出来るわ」


 間伐と採取員の休息と安全、また採取物の一時保管場所として、森小屋建設はカオリの発案によりすでに計画されている。

 であれば切り出した木を、角材などに加工する。水車を動力源にした大掛かりな設備さえあれば、安定した材木の確保も可能であるとロゼッタは述べる。


「これが現在の人員によって得られる採集量と、それを近隣に輸出したさいの売上および粗利の予想額よ、これだけでも三年以内に投資金を回収して、以降は安定した村の運営費に回せるはずよ」


 さらに収支計画書の草稿を追加し、ステラに手渡した。


「この予想金額は、シン様が集められた物価資料を元にされたものですね。私の知る限りでも物価の変動を十分に加味されているとお見受けしますが、設備投資額の予想金額はどのようにして?」


 ステラの質問に、だがここでロゼッタはやや目を逸らして云い淀む。


「それは……、この前の夜会でお会いしたさいに、お父様に、直接教えていただいたのよ……」


 この答えに、ステラはわざとらしく嘆息した。


「久々の父娘の再開で、どうしてそのようなお話になるのですか……、ご当主様が哀れでなりません」

「だって他に話題が思い付かなかったんですもの、お父様も一連のことで、私にかける言葉を失しておられたようですし、折角の機会と思って、領主としてのお知恵をいただければと……」


 これにステラは困った表情で詰める。


「ご実家から喜んで送り出してもらったという安心が、突き詰めればカオリ様達と大手を振って冒険者業に邁進する後押しになるのですから、ご当主様並びに奥様と、心からお言葉を交わされるのは重要なことだと愚考致しますが?」

「分かってるわよ……」


 拗ねるように唇を尖らせるロゼッタの可愛い顔を、ステラは微笑ましく見詰めた。

 幼少から出会ってはや十数年、苦楽を共にした姉妹にも近しい主従は、互いに云いたいことを言い合える関係を築いていた。

 日頃は一歩控えた態度で接してはいるが、二人きりの時は、時には厳しく言い添えるのも珍しいことではなかった。


「ご承知とは思いますが、学園に入園されれば、カオリ様の学園における補佐が、お嬢様の重要な役割になるのは必至、茶会の席で一般的な御令嬢様方との円滑な交流を望むのであれば、開拓業等のお堅い話題や、血生臭い冒険者業の話題は避けるべきです。それが出来るのはお嬢様しかおりません、であれば、流行の話題等、ご令嬢様方が好まれる話題の仕入れも、疎かにするべきではないはずです」

「みなまで言わなくて分かってるわよ……、今度カオリと一緒に実家にいくから、その席でお母様に話しを聞くつもりよ、出来ればお姉さまにもお会い出来ればと思ってるけど……」


 一応この王都での本来の目的である。学園生活の円滑な修学のため、彼女なりに心構えをしてはいるが、彼女にとっても貴族の令嬢達との腹の探り合いや見栄の張り合いは億劫に感じる。


「であれば、今すぐにでもご実家へお手紙を書き、ご要望をしたためてくださいませ、私が定期報告と共にお届けしますので、それまでには」

「は~い」


 この展開を予想していたステラは、すでに懐に綺麗な便箋を忍ばせていた。それを取り出した時のロゼッタの表情は、実にやるせないものであった。




「うぅ~ん、久々の村だぁー」


 本日より三日ほどかけて、各種決済と調整をするが、ひとまずは村人全員への挨拶が大切と、カオリは転移後村に出て、久しい村の空気を命一杯吸い込んだ。

 先触れが出来る人員が全て出払っていたため、村の面々にとっては突然の帰還である。出迎えのないままカオリはアイリーンとアキを伴って、一直線に自宅に向かった。

 扉打ちもなく入室すれば、朝の用事を終わらせたアンリが、昼食準備のために台所に立っているのが目に入る。


「アンリ~、お姉ちゃんが帰ったよ~」

「カオリお姉ちゃん! お帰りなさい」


 気安く帰宅を告げれば、振り返ったアンリが分かりやすく顔を綻ばせて、カオリを出迎えた。

 ひっしと抱き合う二人は、額を打つほどの至近距離で再会を喜び合った。


「風邪引かなかった? 困ったこととかなかった?」

「もうお姉ちゃん、それはこっちの台詞だよ、王都で大変だったでしょう?」


 お互いを気遣う二人の様子を、アイリーンとアキは玄関口でそれを見守っていた。

 ひとしきり触れあった後、一通りの予定を告げれば、アンリは昼食を共にすべく、追加の食材を取りにいくと言ったので、カオリはならばそれまで、外回りをすると告げて家を出た。

 向かうのは集合住宅だが、その道中でも見える範囲で村の開拓状況を観察する。


「各家の水路も掘り終え、主要水路と繋げれば、村内の主な上下水路の掘削は完了します」

「建設予定地も全部?」


 道すがらアキが説明するのを、カオリはさらに質問する。


「明らかに建物が建つと思われる区画はもちろん、将来的な候補地にも縄張りをしております。稼働には水門の建設と、試験運転を残すのみとなります」


 村の上域から広く深く掘られた溝は、左右で人一人分の段差を設けて一本の主要水路としてあった。

 浅い方が上水路で深い方が下水路なので、最終は石組みと混擬土で堅固にし、それぞれを隔てて蓋をすれば完成である。


 この世界でポンプ技術を再現するには、高度かつ高価な魔導技術が必要なため、各家に伸びる水路は基本的に下水路のみである。

 上水は区画毎に井戸を設けて溜め井戸とし、各家庭が必要な分だけ自分達で汲み出してもらう形だ。

 蟻の巣状に張り巡らされた下水路は、村中央の主要下水路に接続され、終点の浄水施設にいきつく。


 浄水施設で清められた汚水は、村の外にて後に水掘りとなる堀の水と合流させ、河に流せば、下流の村や国が水不足や水源の汚染問題に繋がることはない予定になっている。

 浄水施設の仕組みには、数段階の浄化槽を設ける予定だ。目に見える屑や塵を沈殿させる層、沈まない汚れを回収する層、そして汚染水を濾過する層だ。


 大きさとしては集合住宅と同規模を予想しており、これは今後の村の発展を見込んだ大規模なものだ。

 また同様の施設を上域にも設けることで、村人が安心して上水を利用出来るよう配慮する計画でもある。

 これはカオリが王都に引っ越したさいに、詳しい資料を調達し、取り入れた仕様が多分に見受けられ、石工のエレオノーラ達は最先端の施設の建設に携われることを喜んだ。


 集合住宅に到着すれば、中では女達が忙しく動きまわり、中と外を行き来している。

 現在大人数の食事を用意しようと思えば、この集合住宅の厨房を使うしかないので、この光景は見慣れた日常風景である。

 複数設けられた丸机の一角に、書類仕事をこなすダリアの姿があった。


「お疲れさんさねダリア」

「お嬢様、お帰りなさいませ」


 立ち上がって綺麗な所作で挨拶を反すダリアに、カオリも労いの言葉を贈る。


「私が決済しないといけない書類とかってあります?」

「主に開拓計画の仕様変更に関する嘆願と、それに伴う追加費用への決済、また消耗品等の物資調達時に予想される。物価変動に伴った仕入れ額への決済になります。他幾つかカオリ様に相談したいと申される方々から、要望内容を纏めた資料をご用意しておりますので、目を通していただければと思います」


 自分で聞いておきながら、なかなかな物量に顔が引き攣る思いのカオリだが、これは村の盟主としての重要な役目である以上、蔑にはけっして出来ない案件だ。甘んじて受け取り、アイリーンとアキも交えて処理していく。

 出発当初は初日を挨拶廻りに充てるつもりだったが、こちらを先に処理した方が、実際に顔を合わせたさいに、円滑に面談出来るだろうと、粛々と向き合ったため、時刻はすでに夕刻、途中昼食をアンリとテムリと共にとり、近況を伝えあったので、家族の時間を得られたのは幸いであった。

 夕刻になれば皆が村に帰り、大多数の開拓団員は集合住宅で夕食をとるので、そこで帰還の挨拶と面談の調整を済ませる。

 その日中に各種決済を済ませ、各要望書を把握してようやく就寝となる。


 ちなみにアイリーンは王都で仕入れ、覚えたての【―次元の宝物庫(アイテムボックス)―】に放り込んだ大量の酒を見せびらかし、セルゲイや冒険者達を誘って宴会と洒落込んだのは余談である。


 帰還二日目、アイリーンは森林開拓組の応援に、アキはダリアと共に書類仕事に戻ったので、カオリは一人で各作業現場に訪問することになった。

 一番近いのは大工達の家屋建設現場である。


「やあ盟主さん、私等の嘆願書はもう目を通したんだろ? やっぱり将来的に窓に硝子を使うことを考慮して、開口を大きくしたいと思ってね。ちゃんと開き戸は開閉出来るようにするから、許しておくれよ」


 これまで家屋の窓は、下から上に押し開ける跳ね上げ式の蓋を予定していたが、都市部で主流である観音式、さらには硝子をはめた近代的な窓を、クラウディアは切望した。

 これまでは予算の問題から、渋っていたカオリであったが、今なら余裕があると、カオリは笑顔で許可を出す。


「先日の依頼で結構資金が手に入ったので、前向きに検討します。なのでまずは開口部と硝子の嵌め込み機構だけ作ってください、当面は板をはめて代用します」

「へえ、大口の依頼でもあったのかい、 いくら稼いだのか聞いても?」


 笑顔のカオリにクラウディアはその理由を問う。


「王都の鎮魂祭で、国王王妃両陛下の護衛任務中に、暗殺者の襲撃を撃退したので、依頼報酬に加えて追加報酬も出ました。およそ大金貨十枚ですので、開拓資金としては十分ですね」

「へ、陛下の護衛っ、襲撃? 大丈夫だったのっ? それに大金貨十枚って……」


 生粋の王国民としては無視出来ない内容に、また一度の依頼では破格の報酬額に、クラウディアはどこから質問すればいいのか分からなくなる。


 次に浄水施設の施工を進める。石工のエレオノーラ達のところだ。

 ここの要望としては外部の水掘りと接続するさいの、防衛機能の強化の観点から、塀と接続して、上部を防衛時の物見兼、対空兵器の設置場とする提案であった。

 また水路の接続部も、鉄柵を二重にし、仮に侵入されても村の中に入れないよう、出入り口を鉄扉にすべきとの要望であった。

 これはカオリの懸念する村の防衛機能の強化の観点から、喜んで許可を出した。ただし一枚の総鉄製の扉は入手が困難なため、将来的にはという条件をつけた。


 次は村の子供達の教育施設、イスタルが教師を務める学校に訪問した。

 昼前なので現在は座学の授業中であったが、イスタルは村の盟主たるカオリへの接待も、将来的に子供達へのよい教育になるといって歓迎してくれた。

 ステラとダリアによる礼儀作法の実践も兼ねて、子供達が一人づつ挨拶するのを、カオリは満面の笑みで応える。


 その後カオリによる本の読み聞かせと書き取りを実施し、昼食まで学校に留まった後、ようやくイスタルとの面談をする。

 最近になってカオリが仕入れて贈った本が、少し教室内を圧迫し始めたのを受け、子供達だけでなく、村人全員が利用出来る図書室を併設するのはどうかと、イスタルは提案して来た。

 カオリはそれに感嘆し、ならばと、今後教育現場で働く人間が、教材の準備をするための教員室を設けるのはどうかと勧め、イスタルを破顔させた。


 昼からは村の外周に出て、水道掘削に従事する村人達を慰問する。ただしここでは上域浄水施設の建設に伴って、層石組みにする関係から、範囲を広げて塀の強化にも着手していた。

 既存の丸太塀を基準に、外側を石造りの強固な石塀にするべく、空掘りを利用して土台を造り始めたのだ。

 人の胸ほどの深さから、石の基礎を設ければ、地面を掘って中に侵入、または塀を倒壊させることを防ぐことが出来る。


 これは村の開拓計画の最初期から、すでに計画に盛り込まれており、そのために空掘りは広く幅をとっていたのだ。

 これが完成すれば、地方都市にも並ぶ強固な街を造ることが出来ると、カオリは胸が躍る思いで作業を眺めた。

 ここを監督するのはオンドールである。

 彼はカオリを見付けてすぐに近寄り、要望について進言する。


「ここでは森林開拓組に関係する案件を含めるのだが、石塀の建設に、森に点在する岩石を利用してはどうかと思っている。なにも綺麗に切り出した石材を使用する必要はないとな、また森小屋までの直線上で、邪魔な大岩が多くある。出来るだけ直線の道を拓くなら、それを撤去出来るに越したことはないのでな」


 実に実のある提案に、カオリは手を打つ。


「許可します。是非やってください」


 その返答にオンドールは満足げに頷く。


「ならばアイリーン殿に陣頭指揮と実作業を、いっそ森に点在する。全ての大岩の切り出しと運搬をお願いしよう、岩がなくなれば樹下の植物の成長も促せるしな」


 間伐によって地面まで日の光があたり、下草が成長すれば、山菜や薬草も多く採取出来るようになる。同じ理由で川の氾濫で運ばれた岩や、地盤の隆起によって露出した岩石層など、植物が根を張り辛い箇所も開拓出来れば、より一層の収穫も見込めるだろうとオンドールは語る。


 農地で育てる野菜と違い、森の山菜は豊富な栄養を蓄える貴重な栄養源だ。

 癖が強く、臭みも強いため、料理には相応の知識と腕が要求されるが、それでも村では日常的に食される糧である。

 薬草ともども採取には今後も力を入れて、村の特産品とするべく、整備するのは重要な計画のひとつだ。

 また村の家屋や水道設備に使用される石材は、資材として各都市から仕入れれば、それなりに高額となるため、近場で採掘出来るのであれば是が非でも手をつけたいところである。

 これでもっとも懸念していた村の防衛面で、必須となる強固な市壁を造ることが出来る。

 森でどれほどの量がとれるかは未知数だが、ほぼ手付かずな森であれば、それなりに期待してもいいのではないかと、カオリは胸を躍らせる。


 最後にアキが主導する地下採石現場に行けば、そこでは二体の大小異なるゴーレムが、規律正しく採石作業をおこなっていた。

 一応アキに声をかけ、作業の概要とこれまでの作業報告を受ける。


「ここまでで分かっていることとして、どうやらこの辺りは、広い範囲で、比較的浅い層で岩盤が広がっており、そのために下流の湿地帯が形成される要因になっているようです」


 地層の概要に触れるアキに、カオリは興味深く聞き入る。


「火山は確認されておりませんが、不思議なことに堆積岩が多く、石灰岩も見受けられます。オンドール殿に意見を求めたところ、神々の時代に、六魔将の一柱【炎帝トモン】の怒りが、この地を火で焼いたという神話があるそうで、この地層を調査すれば、神話が事実であることを証明出来るかもしれないとのことでした」


 一見荒唐無稽な話に聞こえるが、魔法の存在するこの世界では、ありえる可能性が高いので困ったものだとカオリは思う。


「じゃあなに? すっごい怒った神様が、極大殲滅炎魔法でも放って、火山噴火にも匹敵する規模で大地を吹き飛ばしたから、この辺りは盆地になっちゃったの?」


 カオリ達の村を含めて、ここハイゼル平原は非常に広大な盆地型をしている。

 今でこそ北のブレイド山脈から、大森林を伝って流れる川は、東に向かって海まで流れているが、南のシールド山脈から流れる川は一部が氾濫し、雨季になれば平原の六割が湿地帯になるのを、カオリも先の湿原騒動で嫌でも目にしている。

 もし仮に、神の放った火の魔法が、山を削って岩を溶かしたなら、浅い層に岩盤が広がっているのも納得出来る。

 古代と云っても、神々の時代は今からおよそ二千年と、惑星の起源としては非常に短い年月である。

 経た月年で土砂や腐葉土が堆積し、地層を形成したとしても、たかが二千年程度なら、人の手で掘り起こせないことはないだろう。


「まあどっちにしろ、ギルドホームの中なら、深くなるほど地表と別次元になるみたいだから、あてには出来ないし、地表に影響する心配もないしね」


 迷宮と同じ法則で構成されるギルドホームは、深部になるほどに次元の異層にずれ込み、地表とは互いに干渉出来なくなる。

 もし仮に神話の時代の、なんらかの片鱗が発見出来たとしても、それが神話を証明する遺物であるか、迷宮が生み出した模造品であるかなど、分かるわけではないと、カオリはこの可能性を保留とする。


「作業に関しましては、大ゴーレムが切り出し作業を、小ゴーレムが表面加工と積み込み、シキオオカミが運搬をすることで、人的労力をほぼ排しております。唯一外に運んだ石材の荷降ろしだけ、数名の村人の手を借りております」


 神聖な祠であるとして、ギルドホームにはカオリ達とアンリとテムリ姉弟、またササキやオンドールといった限られた人間にしか、入る許可を出していない現状だ。

 そのためか、そこから運び出される石材を、村人達は大層不思議そうに取り扱っているという。

 また採石される石材は石灰岩がほとんどであるため、白色がかった石はどこか神秘的に映るらしく、純白のシキオオカミ達が運んで来るのも相まって、縁起のよい石という認識をもたれているとアキは語る。

 彼女にとっても自身が創造された由縁があり、また崇拝する神域という認識であるため、村人が石に向かって祈る姿は、彼女を大層喜ばせた。


 一日で切り出せる石材の量は、およそ十トンで、これだけでこの村の一軒家の基礎を築くことが出来る石採量である。

 しかし石灰岩は工業分野でも広く利用され、建築資材、製鉄資材、科学主剤、着色顔料と、文明の発展には必要不可欠な資源である。

 この世界でもその利用は早くから存在し、神話の遺物や文献にも度々登場したことで、神々の叡智として広く普及している。

 カオリが触れたことがあるものだけでも、歯磨き粉や石鹸などの洗浄剤、混擬土や漆喰といった建築資材があげられる。


 であるならば、この村で採れたこれら石灰岩も、ゆくゆくは村の工業製品として一部取り扱い、独自生産に乗り出すのは当然の発想である。

 ただし現在は村の基盤が整っておらず。とてもそこまでは手が出ないので、生産技術も含め、学園で関連書籍や産業従事者を探し、しっかり学ぶ所存である。

 滞りなく進む村の開拓を一通り確認したカオリは、満足げに二日目の予定を終え、久々に集合住宅で騒がしい夕食を皆と共にし、ご機嫌のまま帰宅する。


「村もやっぱり暑いね~、ここは湿気が残ってるから蒸し暑いし、でもなんだか懐かしいや」


 この世界に召喚されてまだ半年も経っていないが、すでに日本での暮らしが遠い過去のように感じるのは、物理的どころか次元的に誇張ではないのは間違いないなかった。

 隣の見える距離にテムリがいることも気にせず。カオリは全裸になって湯浴みをしながら、台所に立つアンリにそう呟く。


「カオリお姉ちゃんの故郷も、夏は蒸し暑いの?」


「そうだよ~、まあ一年中湿気が多い地域だから、冬も骨身に染みる寒さで、この土地の冬が少し楽しみではあるんだけどね」


 まだ知らないこの世界の冬が、どれほどのものかを想像し、カオリは笑って語る。


「出来た!」

「ようございますテムリ様!」


 そこへテムリとアキの歓声が聞こえ、カオリもアンリもそちらへ振り向く。


「カオリ姉え、見て見て!」

「なあにそれ?」


 嬉々として両手で掲げるものを見るために、布切れで前だけ隠してカオリは立ち上がり、顔を近づけて観察する。


「もしかしてクロスボウ?」


 確認しておもむろに両手で受け取るカオリだが、当然布切れを放せば、裸体が露わになる。

 そこへずり落ちた布切れをすかさず掴んで隠し直すアキと、その隙に身体や髪を拭っていくアンリの連携が素晴らしく、テムリは目を回す。

 二人に甲斐甲斐しく世話をされながら、しかしカオリはテムリ謹製の弩に目を奪われる。


「大工のお姉ちゃんに、色んな木を教えてもらったから、色々使って造ってみたんだよっ!」


 構造としては単純であるため、発想としてはたしかに考えていたものであるが、それを独学で理解し、実際に作ってみせたテムリにカオリは感動した。

 ただし小さな彼が作ったもののため、全長も小さく、引き金の構造も不安定なため、実際の運用にはまだまだ改良の余地がのこっているのはたしかだ。

 しかしそれでも十歳の子供が独力で作り上げたものとしては素晴らしい出来に、カオリは自分が全裸なのも忘れてテムリを抱締めた。


「すごいよテムリっ! すごいすごい!」


 後ろでカオリの髪を丁寧に拭き取るアンリは優しい笑みを浮かべ、足元でカオリの身体を拭くアキは羨ましそうな表情を浮かべる。

 カオリの胸に圧されて、わたわたするテムリだが、なんとか顔を上げて呼吸する。どうやら危うく窒息するところだったらしい。

 男としては非常に羨ましい限りではあるが、真に遺憾ながら、テムリは女の裸よりも、褒められたことの方が嬉しいらしく、自慢げな笑顔をカオリに向ける。

 それもそのはず。生まれた時からアンリという姉に世話をされ、最近はカオリを筆頭に若い女性に囲まれて生活しているのだ。


 現代日本の文明的な住環境ならともかく、この村での生活は非常に質素かつ原始的なため、寝るも湯浴みも着替えるも、全てが丸見えの環境である。

 かろうじて排泄だけは外の衝立に隠れてするので、あられもない姿は隠すことが出来るが、それ以外は男女の隔たりなく開放的である。

 またテムリもまだまだ子供心を宿す年齢なれば、この環境で節操を問うべきは日本の常識を知っているはずのカオリである。 

 恥じらいはどこに置き忘れたのかと、少しばかり問い詰めねばならないだろう、そんな娘に育てた覚えはない。


 三日後、王都に帰還したカオリは、大量の資料の束を抱えて、すぐさまロゼッタの部屋へ駆け込んだ。

 資料の内容は主に村の開拓に関する。仕様変更とそれにかかる費用の報告書と、現在までの財務諸表、また各種新規開拓計画書である。

 村の資金運用を管理していたロゼッタには、目を通す必要があったために、ついでとカオリは持ち帰ったのだ。

 もちろんこれらはダリアが急いで拵えた写しであり、原本は村にあるので、持ち出しても支障はない。


「お帰りなさいカオリ、皆変わりはなかったかしら?」


 ロゼッタがそう問いかけると、カオリは満面の笑みでロゼッタに顔を近付ける。


「テムリがすごいんだよ! クロスボウを自作しちゃったんだよっ、あれならもう少し改良すれば、実戦でも使える武器になるし、量産出来れば村の戦力拡充も出来るよ」


 興奮して捲し立てるカオリに、ロゼッタは身を引いて落ち着かせる。


「それはすごいわね。でもちょっと落ち着いて報告してちょうだい、他にも聞きたいことがあるし、お茶でも淹れるわね」


 身を引いたそのまま立ち上がり、部屋の隅に設置された魔道具に魔力を注いで点火すれば、湯が沸くのを待つ間、カオリの話を聞く。


「そうそう他にもね。アンリが新しいポーションを作ったから、それも効能と原材料を記した資料に纏めてあるよ、試供品も幾つか預かって来たから見てよっ!」


 テムリの功績を挙げれば、次はアンリとばかりに提示する数種類のポーションと、付随された資料にロゼッタは目を通す。

 乾燥させれば効能が上るもの、蒸留して取り出した精油に薬効成分が含まれるもの、使用される魔液に関しても、相性をたしかめるために様々な材料と手法を試し、実際の効果や保存性を精査した結果を、記した資料は、それだけで膨大な量に登った。

 アンリが日ごろから仕事の合間に、どれほどの労力をかけて研究していたのか、ロゼッタはその努力を素直に称賛した。


 祠と云う神域に設けられた魔導施設を利用しているとは云え、その研究成果は国の研究機関にも劣らない精度を、この資料は証明していた。

 これら資料自体が、それなりの金額で取引される価値があると云えば、アンリが辺境の村でどれほど高度なことを成しているのか理解してもらえるだろうか。

 ここ数日間、村独自の主産業について考えを巡らせていたロゼッタは、当初アンリの治療のポーションを、身内だけで消費するべきだと考えていた。


 それは市井に出回るポーションよりも高い効能があるために、薬師組合や教会勢力、または貴族連中に目をつけれることを懸念していたからだ。

 しかしこうして研究過程やその結果を、こと細かく纏めた資料があれば、実際の手法や作業時間はさておいて、決して不可能ではない、あくまで実現可能な方法であることが理解出来る。

 であるならば、相手さえ見誤らなければ、騒動に発展することはないだろうと考えられる。

 つまり過ぎた技術力で作成された画期的な物品は、独占や妨害の対象になっても、ひたすら時間と労力をかけさえすれば作れる程度なら、相手も固執することはないだろうと予想出来るからだ。


「これら資料を、もう少し簡略化して公開するなら、アンリのポーションも街で売り出しても問題ないかもしれないわね」

「そうなの? 治療効果が高過ぎて、目をつけられるかもしれないって話じゃなかった?」


 ロゼッタの呟きにカオリは首をかしげる。


「表向きは現地調達で原価がかからず。村独自の手法で作っているから、人件費もかからないと説明しつつ、膨大な研究期間をかけた成果だと主張すれば、誰も独占しようなんて考えないはずよ」


 都市部で薬師を営もうとすれば、薬草も容器も魔液も魔力も、全てに仕入れに相応の原価がかかる。

 そのためただ研究するためだけにそれら材料を購入していれば、金がいくらあっても足りなくなるのは自明の理である。

 その点カオリ達の村であれば、全てが現地調達出来るため、実質研究し放題なのだ。魔石に関してもカオリ達による。魔物の大量虐殺の甲斐あってか、今では【―次元の宝物庫(アイテムボックス)―】に唸るほど貯蔵している。


 魔石を魔液に変換するには、専属の魔導士や設備が必要であるのも大きい、ましてや魔液はそのほとんどが、陣術における魔法陣に利用され、人が摂取出来るものという認識自体が薄いのだ。

 ただでさえ高価な魔液を、人体に害があるかどうかも分からずに、実際に作って摂取するものなど、よほどの変わり者だろう。

 カオリ達であれば祠の錬金釜が全ての工程を簡略化出来、鑑定魔法で効能や危険性も確認出来るのだから、研究のための作成も鼻歌交じりにおこなえるというものだ。


「スライム系の魔物をもっと討伐してもらって、魔石を大量に供給出来るようにすれば、村のどの産業よりも、上回る利益が見込めるわ、これは是非とも再考すべきね」


 アンリが今回提示したポーションは、大きく分けて四種類、材料比率を変え、より治療の効能を高めた新治療のポーション、各種毒を直す解毒のポーション、病に効く疾病のポーション、そして各種耐性のポーションだ。

 森で活動する村人や冒険者のことを考え、彼女なりに考えた努力の賜物は、この世界では非常に貴重な薬であることは間違いないだろう。

 カオリを助けたいという想いと、村に貢献したいと云う一心から、己がどれほどのことを成し遂げたかも知らずに、アンリは今尚努力を続けていることに、カオリもロゼッタも頭が下がる思いである。

 ならばそれをより村の発展に繋げられるように手配し、アンリの努力が目に見える成果に昇華するのが、自分達の彼女に対する最大限の恩返しであり、義務であると二人は決意する。


「まずはササキ様を通じて王家に献上し、各勢力にもそれとなく接触、最初は小規模の取引から始めて、価格と価値を確立するのが先決ね。邪な考えをもった輩の横槍がないように、慎重にことを運びましょう」


 真剣な面持ちで総括するロゼッタに、カオリも意気込んで同意する。


「武力をチラつかせるなら、こっちも遠慮しないで反撃するつもり、アンリを悲しませる奴なんてぶった斬ってやるっ!」


 過激な発言をするカオリに、ロゼッタは苦笑する。こと姉弟のこととなれば、遠慮容赦の一切ない様子は、いっそ清々しい。

 ロゼッタの方も幾つかの新規計画書の草稿をカオリに提示した。

 どれも実現可能な範囲で、実に細かく練られた案であったため、カオリは一応全てに目を通した後、即座に採用を決め、具体的な計画案として計画書の作成をお願いする。

 最終的に作成された計画書にカオリが署名すれば、アキの手に渡った後、オンドールの指揮の下、開拓業に組み込まれる手筈になっている。

 この夏の季節を境に、カオリ達の村は大きく躍進するだろうと、誰もが胸を躍らせるのだった。




一方その頃、王城の軍部棟、主に騎士団が詰める連棟の内、王城にもっとも近い区画に建てられた一際大きな砦にて、隊長格が事務作業をするために設けられた一室で、部下と共に小休止をする騎士達がいた。

 その部屋の一員であるバルトロメイは、溜息交じりに話題を切る。


「此度の襲撃だが、上層部によると、かの【エルスウェア評議国】による妨害工作の可能性が高いとのことだ」


 襲撃のあった日の翌日に届けられた知らせによってもたらされた。森国エリスの政変の一報は、王家襲撃の事後処理に追われる王城をさらに混乱させた。

 とりわけ問題として議題に上ったのは、帝国の西大陸侵攻を押し留めるために、百年前に交わされた【太陽協定】にまつわるものであった。


 第二紀エリシャール朝が末期のころに発生した西大陸の内紛は、朝廷が崩壊後、さらに熾烈を極め、西大陸各地で領土戦争へと激化した。

 それにより、各人種ごとに寄り集まった形で、多くの国家が新たに生まれたのだが、東大陸で未だに大きな力を残していた。ナバンアルド家が再起を図った末に誕生した。ナバンアルド王朝は、瞬く間に東大陸を平定し、ナバンアルド帝国を樹立するに至った。


 そして誕生した新たな帝国は、樹立後即座に西大陸に軍事行動を開始し、それに危機感をもった西大陸諸王国は、帝国と云う強大な脅威に対抗すべく、領土戦争を一時停戦し、軍事同盟を結ぶこととした。

 大陸中央に広大な領土をもつ王国を旗印に、その周囲を囲む地理的特徴から、太陽の名を冠して【太陽協定】したのだ。

 協定の内訳は子細を省けば大別して二つ、帝国の侵攻に対する軍事および経済的支援と共闘を含む同盟関係の約定、そして同盟国同士による戦争の停止および協定違反国に対する。経済または軍事制裁である。


 これにより国としての戦争行為は禁じられ、表向きは、永きに渡る安寧を約束されたのだった。

 しかし毎年恒例の如く更新されて来たこの協定も、締結国が世襲制の王権国家であったがために保たれていた側面が多く、此度の政変により、無効となる可能性が強く、関係各処はまた西大陸が戦国の世に突入するのではと、懸念を示したのだ。

 その噂を聞き付けたバルトロメイであったが、先の襲撃事件によって王家はもちろん、ミカルド王国自体が、事態に対応出来ない状況から、十中八九彼の国の陽動作戦によるものだろうとの、上層部の予想に納得した。


「もしあの場で陛下を失っていれば、我が国は彼の国の暴走を止めるどころか、派閥間の対立から、内紛にまで及んだ恐れがあった。ササキ殿達がおられなければと思うと、今でも震えが収まらん……」


 あの場で、カオリ達と共に護衛任務に就いていた王家近衛騎士団であるが、暗殺者の少女の実力と、召喚獣の恐ろしさを知っていたバルトロメイは、自分達だけでは絶対に王を守れなかっただろうと確信していた。


「バンデルの戦姫は分かるが、あの異国の少女も、それほどに強いのか? 俺はにわかに信じられんぞ」


 カオリの戦闘を見ていない一人の隊長仲間がそう云うと、バルトロメイは頭を振って否定する。


「あのバンデル嬢ですらも、カオリ嬢には勝てぬと豪語したのだ。それに俺は彼女の業をこの目で見ている。あれは……、人斬りの化け物だ」


 国の女性の騎士や冒険者を、戦えぬお飾りだと誹り、傲慢な態度を改めることをしなかった彼の変わりように、他の面々は目を丸くしてバルトロメイを見詰めた。


「お前がそれほどまでに心変わりするなど、よっぽどのことなのだろう、そう云えばアイリーン・バンデルを騎士団の訓練に参加させるように提案したのも、お前だったな、最初は頭をどうにかしたのかと思ったぞ」


 同僚がそう言うと、バルトロメイは苦笑を浮かべた。

 本当は当初、彼女達を剣術講師に招こうと考えていたなどと云えば、また笑われるのだろうなと思ったからだ。


「崇高な魂と、それに裏打ちされた強さを目の当たりにすれば、俺でなくとも考えを改めるだろうさ」


 自重気味語る彼の言葉に、周囲は怪訝な表情をうかべて押し黙るの見て、バルトロメイはやや語気を強めて続ける。

 王国の貴族社会には女性蔑視が蔓延していると云っても、本質は王国貴族の誇りと矜持を守るための意地の大きさが原因である。

 西大陸諸王国の中でも抜きん出て高度な教育制度を敷く以上、流石に目に見える事実をも否定するほどの無能ではいられないのは当然である。


 バルトロメイにしてみても、噂程度であっても帝国の女性戦士の猛威を聞くことのある立場であるので、噂の元凶たるアイリーンの強さを目の当たりにすれば、如何に己の了見が狭かったのかを、痛感せざるをえなかったのだ。

 だいいち今回の襲撃でも、襲撃者は一人の女の子なのだから、男だ女だと騒ぎ立てる人間は、余程の馬鹿しかありえないだろう。

 レベルシステムが存在し、魔法が存在する世界なのだ。

 男だからとか、女のくせになど、どうして思い上がることが出来るのか、到底理解出来ないはずなのだ。


「此度の騒動と、彼の国の動向如何によっては、我等の立場もこれまでのようにはいかないかもしれんぞ、今の内に身の振り方を考えた方がいい」

「それは、どう云う意味だ?」


 不思議に思って同僚が問えば、バルトロメイは一層真剣な声音で忠告する。


「この世界には本物の強者がいて、小賢しい政略や陰謀など、一刀で斬り払う人間が存在するということだ。実家の思惑はあるだろうが、お前達も真の脅威がなにか、真実守るべきはなにか、真剣に考えて選ぶべきだと言っているんだ」


 バルトロメイの脳裏に浮かぶのは、暗殺者を退けた後、和気あいあいと参戦して、召喚獣の首を切り落とす黒髪の少女と、それと競うように魔物を殲滅してゆく、彼女の仲間達の姿が映し出されていた。


 自分達では決して届かない頂きへ向ける視線は遠く、どこか羨望の色をも宿す瞳に、他の騎士達は益々不気味なものを見た心もちを抱いた。


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