( 王都迷宮 )
いったい王城でどのようなやり取りがあったのか、アイリーンとアキが到着した後の昼には、ササキは小教会に続く隠し通路から、さらにその奥の領域への調査主導の許可を、王家から、いや国王自身の印章つきの許可証をもぎとって帰宅した。
こういったところでは、ササキの影響力は計り知れないとカオリは感じている。
王都での活動がそもそも、ササキの後見があって初めて実現しているのだから、今更ではあるのだが、いずれはカオリの独力で、権力者や関係各処への根回しが可能とするのも、将来的には必要かもしれないと、頭の隅に留めおく。
それはそれとして、許可証は早速冒険者組合に提示し、カオリ達【孤高の剣】を代表に据えて、他四組の冒険者パーティーと、王家から派遣された騎士を監視につけた調査隊を編成する手筈になった。
騎士団からの出向はビアンカと彼女の同僚である百合騎士団所属の女性騎士が二名、また王家近衛騎士団からも男性騎士が二人派遣されることになった。
王国貴族令嬢のロゼッタを筆頭に、カオリ達が翌月には学園に通うことになる学生であること、またカオリ達のパーティーが女性だけという理由から、王家側が配慮から女性騎士をつけてくれたとビアンカは語ったが、同じ出向組でも王家近衛騎士団の騎士二人については、少し言及を避ける様子を見せた。
「振る舞いこそ慇懃ですが、彼等が私達をお飾りの騎士だと見なしているのは明白なので、多少気に障る言動があるかと思いますが、どうか気を悪くしないでください」
事前にビアンカからの事前説明を受けて、カオリはミカルド王国の女性蔑視が、顕著であることを理解したが、まだ直接的な接触がないのでなんとも言えないと懸念を留意するに留めた。
それよりも問題は四組もの冒険者パーティーへの支持権限の扱いに頭を悩ませた。
先日の救助騒動により、彼等王都の男性冒険者が、どこかカオリ達をお姫様扱いしていることは薄々感じていたので、素直に指示に従ってくれるのか、少し不安であったのだ。
未知の危険から自分達を守ってくれるというのは素直に有難かったが、だからといって先陣を奪い合うような事態は避けたかった。
カオリ達はアイリーンと云う重戦士もいれば、カオリも卓越した剣士であり、アキの破格の鑑定魔法まで揃えば、魔物の不意打ちや罠にも、十分対抗出来る実力があるのだから、攻略も調査も、【孤高の剣】だけで率先して進めるつもりである。
なので下手な功名心や野心を、ましてや男だからという無根拠な理由から、カオリ達を後方へ追いやるような態度をとられると、非常に面倒だったのだ。
というよりも、アイリーンが先陣を邪魔されて黙っているとは思えない、彼女が帝国貴族令嬢であることも、場合によっては口撃材料になり兼ねないとなれば、厭に不安を掻き立てる理由には十分だ。
カオリ達はササキが用意した。一見高価な魔道具に見える。【―次元の宝物庫―】を誤魔化すための偽装鞄をそれぞれ携え、冒険者組合に集合した。
本日は調査隊に参加する人員との顔合わせである。
ここで上手く主導権を握ることが、今後の調査を円滑に進めるために重要な場面である。
一抹の不安と緊張を抱えながら、通された会議室に入れば、そこには組合関係者と、騎士団の面々がカオリ達を待っていた。
「ようこそおいでくださいました。私が今回の調査を、組合側として管理することになりました。調査主任のローエルです」
相対したカオリに真っ先に自己紹介をする調査主任と名乗る男に、カオリも会釈で応える。
次いで直立する騎士とも向き合う、が一瞬の間があったことでカオリは先に声を出す。
「初めまして、冒険者のミヤモト・カオリです。この度は私達の調査を監督してくださるということで、また陛下よりのご厚情賜りますこと、お礼申し上げます」
調査主任と騎士達へ向けて自己紹介すれば、調査主任は再びお辞儀をするが、騎士は何故か勝ち誇ったように笑い、軽く会釈をして名乗る。
「陛下のご命令により、この度の調査を監督することになりました。王家近衛騎士団隊長のバルトロメイ・ワイルウッドです」
隊長に続きもう一人の騎士が名乗り、ようやく、ビアンカを除く百合騎士団の残りの二人も自己紹介をする。
調査に関する役割と段取りの確認を済ませ、現段階で分かっている情報の交換をすれば、この日の用事は終了である。
本格的な調査は翌日の朝からである。
まずはカオリが発言する。
「今回の調査では、私達が常に先陣を切りますので、冒険者達は物資の運搬と、道中の安全確保に努めてください、騎士の皆様は基本的に私達の後方で、監督に集中していただければと考えています」
カオリがそう言えば、会議室の面々はそれぞれの表情を浮かべる。
「流石は神鋼級冒険者に認められた方々ですな、度胸がある」
感心する調査主任とは違って、男性騎士は小馬鹿にしたように腕を組んだまま、カオリに視線を送る。
「現在分かっている調査報告書を見たが、常識的に考えれば、件の階層より先はより深部のはずだ。出現する魔物は銀級から金級の可能性がある。聞けば君達は銀級が一人だけで、他の三人はまだ鉄級の筈、正直荷が重いと考えるが?」
男性騎士がもっともらしいことを言うが、カオリ達の実力をよく知るビアンカは、苦笑を浮かべていた。
「一人ならそうかもしれません、でも私の仲間はとても頼りになります。それに冒険者組合が定めた級規定は、あくまで強さの目安を定め、確実に討伐出来るよう保険をかけたものだと考えています」
「それは……」
「ふん、根拠がないではないか、それが事実なら、新米冒険者が蛮勇で命を落とすこともないはずだ」
その言葉がカオリ達への不信なのか、それとも冒険者組合の定めた級規定への発言に関してなのかは言及しなかったが、ここまでくれば、この男性騎士がカオリ達を嫌っているのは、間違いないだろうとカオリは実感する。
「どうであれ、今回の調査主導の許可は、私達が許されたものです。なので責任をもって調査にあたることが求められています。他の人に押し付ける気はありません」
カオリは自分の意思を強く主張する。
組合からの帰り道、カオリ達は他愛のない話しをしながら、しかしロゼッタが堪え切れずに愚痴をこぼした。
「それにしても感じの悪い騎士だったわ、こちらを女だけの冒険者だって侮っているのが透けて見えるわ」
「そうなの? たしかにちょっと自信があるような様子だったけど、そこまで気に障るわけじゃなさそうだったけど」
ロゼッタの愚痴に、カオリは受け流すが、ロゼッタの留飲は下がらなかった。
「自己紹介では目下のものから紹介するのが常識よ、騎士とは云え、今回の調査では一応カオリが代表者で、騎士団はたんなるお目付け役なのよ? 便宜上彼等は調査における外様なんだから、向こうから先に名乗るのが筋じゃないかしら?」
「そうかなぁ、私は平民だし、向こうは騎士爵の貴族様でしょ? 別にそこまで目くじらを立てるほどじゃあ」
今回の顔合わせでは、アイリーンもアキも屋敷で待機するように言っていたので、民族意識や国民感情を煽るような事態は避けたのだが、それでも初対面は穏便には少々いかなかったようだ。
少なくともロゼッタの言い分は、ビアンカにとっても同感であったらしく、彼女も後ろから二人の会話に参戦した。
「ロゼッタ様のおっしゃる通りかと、カオリ様は、神鋼級冒険者様の、爵位に照らせば伯爵に相当する地位にある方の後援を受けているのです。またロゼッタ様は押しも押されぬ侯爵家の御令嬢です。間違ってもたかが一騎士が猛々しく振る舞ってよいものではありません」
ピシャリと言い切るビアンカも、不機嫌な様子でカオリに言う。
二人がそこまで言うなら、そういう考え方もあるのかと思うカオリだが、それを深刻に捉えることはなかった。
客観的に見れば、カオリが得体の知れない異国の民であり、冒険者の成り上がりでしかないのは事実であり、王家の庭先で好き勝手に振る舞っているはたしかなのだ。
愛国心があり、由緒正しい生まれの国民から見れば、あまり面白くない存在であることは、カオリ自身も自覚しているところである。
女であることでの侮りに関しても、実力を知らないのであれば、侮られても仕方がないとも思った。
自分で言うのもなんだが、この世界の人間から見れば、華奢な少女にしか見えないカオリが、まさかと誰もが抱くだろうと。
邪魔するなら排除すればいい、害になるのであれば追い出せばいい、剣を抜くなら斬り捨てればいいのだ。
笑うカオリの笑顔の裏の残虐性を知るロゼッタは、カオリの表情を見やって、背筋に寒いものを感じつつ、愚痴で満足する自分を恥じるとともに、可能であればカオリが剣を抜く機会がないことを祈った。
流石に王国の関係者を斬り捨てれば、確実に罪に問われるうえに、どんな制裁を加えられるか分かったものではない、黒でも白になるのが貴族という生き物である。
この王都での活動には慎重を期さねばならないと、ロゼッタは王国民として責任を感じて拳を握る。
夕食は屋敷で皆揃ってとることになった。
日頃カオリがどんな食事をしているのか、どのように過ごしているのか、十分な待遇を受けているのか、アキが執拗に気にかけた結果でもあるが、久々の皆との食事は、純粋にカオリを愉しませた。
「いやぁ王国の料理はやっぱり美味いねっ、それともステラの腕のお陰かい? うちのダリアも決して料理下手じゃないけど、ステラには一歩劣るからねぇ」
「お褒めに預かり光栄です」
アイリーンの手放しの賛辞に、ステラは綺麗な所作で礼をする。
「か、カオリ様、私も手伝ったのです!」
「そうなの? この肉料理かな?それとも野菜? 盛り付けがちょっと違うかな? 美味しいよ、ありがとう」
料理にそこまで拘らないカオリには、些細な味や盛り付けの趣は分からなかったが、素直に礼を送る。
それだけで大喜びするアキに、ステラも笑顔を向ける。
立場としてはアキもカオリと同等の扱いを受けるべきなのだが、本人が頑としてカオリの従者としての働きを熱望したために、ステラと共に厨房にもお邪魔させたのだが、本人が嬉しそうなので、皆それを不思議には思わなかった。
完全に女の園と化した食堂の上座で、男がたった一人不動の姿勢で座るササキは、微笑を浮かべて全員を眺める。
「カオリ君が発見者であり、調査団の代表ではあるが、王家の顔を立てる建前上、なにか発見があった場合は、真っ先に私に通信魔法を送ってほしい」
「随行する騎士さんではなくですか?」
ササキの言葉にカオリは質問する。
「こう言ってはなんだが、近衛騎士団の連中はもっとも王家に近いという自負からか、情報を抱え込みたがるのだよ、団員に上位の貴族子息が多いのが理由にあるが、万が一秘宝や王家の秘密に近付いた場合、邪魔をしてでも独占しようと動く可能性がある」
やや声を落としてそう述べるササキに、皆も反応する。
「カオリ様の邪魔立てをするのであれば、私が斬り捨てましょうっ!」
「帝国民のあたしなんて、さぞ邪魔に見えるだろうね。いっそ刃傷沙汰になれば面白いことになるだろうに」
険しい表情のアキと、不敵に笑うアイリーンの二人から、物騒な発言が出るのはいつものことである。
だがそうとは知らないビアンカは、二人のもの言いに焦りを浮かべた。
「まあ直接的にどうこうしないだろうけど、あんまり横槍を入れて来るようなら、反論ぐらいはしようか~、それで相手がどんな反応するのかは分かんないけど」
もちろんカオリも明確な悪意を容赦するつもりはない、どのような態度で来ようとも無視するに留めるが、邪魔をしたなら厳格に対処するつもりである。
そうして翌日、完全武装のカオリ達は、ビアンカも伴って採石場の迷宮入口に集合した。
そこにはカオリ達を補佐するために集められた四組の冒険者達と、組合職員が複数名、設営された救護所をそのまま流用して詰めていた。
道中の安全確保と物資の搬出入を担う彼等に、屈託ない笑顔で対応し、自己紹介を済ませれば、そのまま迷宮へと踏み入った。
小教会までの道程は遠く、魔物に注意しながら進むならおよそ一日はかかる。
そろそろカオリが殲滅した魔物も再出現するころなため、注意が必要である。
と云ってもアイリーンもアキもいる今の戦力なら、この迷宮程度の魔物など歯牙にもかけないのは明白だ。
そして実際に何度か魔物と遭遇したのだが、アイリーンが一人で、無造作に素手で殴り潰して終わりであった。
【マッドスライム】だけはカオリやアキが魔石を破壊して倒す以外は、ほとんど遠足気分で小教会まで到着した。
幸い【マイナーリッチ】はまだ再出現するには時間がかかるようで、周囲の安全を確保して、一行は小教会に拠点を設営し、調査は翌日から開始することになった。
小教会に設置した釜戸を囲んで休息するカオリ達から少し離れた位置で、近衛騎士の二人がカオリ達へ厳しい視線を寄こして来るのを感じつつ、カオリ達は用意した軽食と紅茶を愉しんでいた。
「申し訳ありません、やはり女性の皆さんが指揮をとることが、彼等にとって気に喰わないようです」
頭を下げるほどではないが、声音に謝罪の色を濃くし、ビアンカはカオリ達に謝罪した。
「それだけじゃないですね、アキを見る目もキツイから、差別意識も強そうですね~」
「下賤な輩になんと思われようとも、私は歯牙にもかけません、お気になさらずに」
「……」
カオリの鋭い指摘に、ビアンカはさらに目を伏せる。
「ロゼ、あんたさっきからなに読んでるんだい? ていうかどんだけ本を持ち込んだんだい」
「【王都の繁栄=フォール・グレイ著】という王都ミッドガルド発展の推移を書き残した著書と、こっちは【石の街=アドリアーネ・プレシャボート著】プレシャボート伯爵夫人が綴った自叙伝ね。当時の王都の様子が詳細に描かれているわ、一人は学者として、一人は当時を生きた人物の等身大の目線が貴重な本よ、とくにプレシャボート伯爵は都市開発の責任者でもあり、屋敷に出入りしていた職人や人夫の日常も詳しく描かれているから、歴史書としても貴重な記録が多いのよ」
ロゼッタの饒舌な答えに、アイリーンも珍しく本の内容に興味が惹かれたようで、無造作に本を手に取り、流し読みする。
二人にとって二人の騎士は眼中にない様子だ。カオリは苦笑する。
いくら騎士達がカオリ達を快く思わなかったとしても、国王の許可の下、正式に調査を指揮する立場である以上、ここではカオリ達に逆らうことは出来ないし、調査の邪魔をすることも当然出来ない。
闇討ちするのも証人が多過ぎる上に、実力的にも難しいだろう。
騎士の強さは、アキの鑑定魔法によると、二人とも十後半といったところだった。
どうやらビアンカは貴族籍ではない平民出ではあるが、騎士団でも上位の実力があるようだ。それが理由でカオリ達つきとして抜擢されたのだろう。
決して油断はしないが、同レベル帯ならば、十分対抗出来るので、警戒し過ぎるのも疲れてしまうと、カオリは調査に意識を切り替える。
休息を終えて、本格的な調査を開始する。
女神像をロゼッタが起動すれば、裏手に隠された隠し通路が露わになる。
罠がないのは以前に確認しているが、万全を期すために慎重に進む、やや狭い通路を進めば、広い通路に出る。
ロゼッタが【―灯―】という魔法を使えば、松明よりも明るく周囲を照らし出す。
今更だが、迷宮内にはご丁寧に照明など設置されていはいないので、明かりが欲しければ松明や提灯を自分で持ち込まなければならない。
カオリ達は、ロゼッタが火属性の【―灯―】を、アキは聖属性の【―光―】を使って、光源を維持しているので、暗闇に困ることはなかった。
例外的に王都の迷宮は、過去に整備された提灯が等間隔に設置されていたのだが、この先の隠し通路は当然未踏の地であり、提灯がなかったので、二人はすぐに魔法で明かりを生み出したのだ。
煌々と照らし出された壁面や床を、丁寧に検分しつつ、アキが【―神前への選定―】で詳細に鑑定していく、これで土中に埋まっている魔鉱石の見落としもないはずだ。
「魔鉱石はあるかい? 掘るならまかせな」
「今のところは見当たりませんね。もっと奥に反応はありますが、まだ遠いです」
「ちょっと止めてよ、まだ調査中なんだから、記録が終わるまで採掘は駄目よ」
カオリ達が先頭で進行しながら調査をする中、後方では騎士達がその様子を静かに見守っていたが、二人の騎士はその様子を嘲笑うように見やっていた。
「フン、所詮素人の女か、魔物の跋扈する迷宮で、呑気にお喋りとはな、罠を警戒しているようにも見えないし、自分達で魔物を呼び寄せる危険を考えないとはな」
「我々が評価せずとも、勝手に自滅するのでは? これなら今回の調査の主導権を、我々に移すことも出来るのでは?」
二人も一応声を落として会話をしているが、すぐ近くを歩くビアンカ達百合騎士団の面々には声が聞こえているので、女性陣は眉を顰める。
カオリが強いのはたしかであるが、迷宮は一般的には非常に危険な場所である。
声はおろか匂いですらが、魔物を引き寄せる要因になると考えれば、カオリ達のように呑気にお喋りに興じるのは、いささか不用心に見える。
それでもカオリ達が、短期間で数百匹の魔物を殲滅出来ることは知っている。ましてや今は聖属性魔法を使える亜人種の少女と、あの【鉄血のバンデル】に連なる帝国の戦士を引き連れているのだ。
騎士として見ても、冒険者として見ても、カオリ達がたんなる無知から、今の態度をしているとは思えなかったビアンカは、それよりも二人の騎士の、明らかに女性を侮蔑したような物言いに腹を立てた。
ここまで一本道だった道をさらに進めば、一行は広い広場に出た。
そこに一体の影を見付ける。
「【忘れられた守護者】難易度銀級の守護者です。アンデッドの魔導士ですね」
「おお、久々の守護者かいっ、最近暴れ足りてなかったからね。ぶちのめしてやるさね!」
アキが鑑定結果を伝えれば、アイリーンが喜び勇んで進み出る。
油断しているかのように見えるその不用意さに、後方では男性騎士達の失笑と、女性騎士達の狼狽が聞こえるが、それでもアイリーンは歩を止めない。
そんな彼女に向かって、【忘れられた守護者】という名の、見た目【マイナーリッチ】の上位互換の魔物は、人間の頭大の土塊を放って来た。
土塊とは云え魔法的に凝固した硬い土の塊である。それが高速で射出されるので、直撃すればかなりの衝撃だろう。
当たり所が悪ければ、骨折してもおかしくない魔法だ。
だが重戦士のアイリーンには、なんら脅威にはならなかった。
歩くアイリーンに直撃した土塊は、彼女を僅かに微動させただけで、ただの土砂になって四散する。
「あん? 土くれを飛ばして来るなんて、失礼な奴だね」
それだけ言って、アイリーンは不機嫌そうに歩を速める。
そんな彼女に連続して土塊が放たれるが、それらも意に介さず、アイリーンはさらに駆け出して接近する。
「か、カオリ様、助けなくていいのですかっ」
そんな様子にビアンカは慌てて、カオリに助力の是非を問うが、カオリ達は呑気な反応を反す。
「え? まあ、村の開拓で強敵と戦えてませんからね。アイリーンさんも久々に暴れたいんじゃないかと」
「私の魔法を尽く受けて、それでも笑って突進して来るあの化け物に、助太刀なんて必要ありませんわ」
そう言った矢先に、【マイナーリッチ】が使用した土柱よりも一回り大きな土柱が出現し、アイリーンの突進を妨げる。
「邪魔さね!」
だがアイリーンはそれを殴り壊して、一直線に急接近し、その勢いのまま、【忘れられた守護者】の横面を力一杯殴りつけた。
頭を強打された守護者は、あまりの衝撃にもんどり打って後方に吹き飛び、壁に衝突する。
「ふんっ!」
そして追撃と、肩から体当たりすれば、轟音と共に守護者は壁に挟まれてぐちゃぐちゃに潰れて沈黙した。
「なんだいなんだい、魔法を使うだけで、肉体強度はそこらのアンデッドと変わらないじゃないか、この程度ならロゼでも無傷で仕留められるんじゃないかい?」
客観的に見れば、直進して殴って体当たりしただけのアイリーンだが、その粗暴な戦闘方法は、彼女の類稀な筋力と頑強、また新調した強固な甲冑から生み出される防御力にものを云わせた。まさに豪快無比な有り様を体現していた。
後方から一連の光景を目の当たりにした騎士達は、唖然として口を空けていた。
アイリーンの甲冑は関節も余すところなく板金で何重にも覆い、とくに胸部や関節には分厚い暗鉄製の鋼板で強化されている。
傍目には金属の塊にしか見えない彼女の出で立ちは、文字通り無類の防御力を誇るのみならず、全身が大重量の鈍器になるのだ。
彼女もそれを十全に発揮出来る戦闘方法を身につけており、これにさらに武器を持てば、ただただ暴れ回る重機でしかないのは間違いないだろう。
彼女自身の巨体に加え、その重い甲冑を合わせれば、全重量は二百キロを超えるのだから、並みの人間にアイリーンを止めることは不可能だ。
村でも、アイリーンの突進を止められるのは、同じ重戦士のレオルドぐらいだろうか。
守護者を倒して魔石を回収すれば、広間の安全確保をして調査を続行する。
正面に見える大扉以外に見るべきものもないが、一応隅々まで検分して、ロゼッタがそれを逐一書類に書き込む、後に冒険者組合や王家へ提出することになる報告書の元になるので、可能な限り詳細に、かつ丁寧に書き記していく。
検分が終われば、アキの鑑定魔法とカオリの接触検査にて、扉の罠が仕掛けられていないかを確認し、アイリーンが重い大扉を押し開く。
「おおぉ……」
大扉の先はさらに広い空間になっており、天井も奥行きも暗く見通せないほどに広かった。
「これまでは迷路みたいな採掘法だったのに、ここだけずいぶんと広く掘り広げたのね……、どれだけ広いのかしら」
ロゼッタが感想を述べ、全員が同意する。
「アキ、最大光量で、なるべく全体を照らせないかな」
「少々お待ちを、すぐに」
アキが魔力を高めて、再度【―光―】を発動し、強い光が坑道内を照らし出す。
「ひっろいねー」
「すいませんカオリ様、これが限界です」
カオリがアキを労っている間、アイリーンもロゼッタも辺りを警戒する。
とくにロゼッタは結界魔法を展開し、奇襲にまで備え、魔物の気配に神経を研ぎ澄ます。
「これはちょっと広過ぎますね~、安全のために慎重に進みましょうか、騎士の皆さんも気をつけて下さいね~」
「ちっ」
カオリが注意を促せば、男性騎士が小さく舌打ちをする。
その反応にカオリは眉をひそめる。
だが今は人間同士で反目し合っている場合ではないので、気持ちを切り替えて調査を続行する。
「これまた立派な柱さね。落盤防止の為だろうけど、ここはどれだけ深い地下なんだろうねぇ」
見上げるほどの高さがあり、目を凝らすほどに広い空間には、等間隔に柱として、天然の石柱が残されていた。
よくよく見れば柱の表面は、石材を四角く切り出した跡が、段々に見える。
「迷宮は空間がずれて、異層化するから、深さや重量の物理法則の縛りを受けないと聞いたことがあるわ、だから無限に地下深くまで拡張されると、学会での定説だったはず」
「へ~、つまり地上からどれだけ掘り進んでも、この迷宮にはぶつからないんだ。不思議~」
【迷宮の謎】の一つとされるものの中には、迷宮が異次元空間に生成されるというものがあり、カオリが言ったように、いくら外部から侵入をこころみようと、発見した入口以外からは入ることが出来ないとされている。
科学的魔法的解釈で説明すれば、なるほど不思議の一言であるが、たしかにゲームでダンジョンと云えば、入口以外から中に侵入出来ない仕様になっているのは納得出来る。
最深部へ直下掘り出来てしまえば、つまらないなんてものではないだろう、カオリはつい、最奥に待ち構えるラスボスの背後から直接侵入する光景を想像し、忍び笑いを洩らす。
まずは壁に沿って、罠、鉱物などを調べていく、アイリーンが先頭で警戒すれば、後方の三人は心置きなく調査が出来る。
「主な石質は石灰岩で、魔鉱石では【霰晶石】が見えます。買い取り価格のよい素材です」
「極度の魔力溜まりではないから、強力な魔物も発生しないはずだけど、採掘はここの安全を確認してからね」
「掘る時は言っておくれ、ここを崩落させる勢いで掘り尽くしてやるさね」
カオリ達の後を、騎士達も警戒しながら、少し離れてついて来る。
「……」
カオリはふと足元に視線を落とし、そこからさらに視線を四方に送る。
「足跡を消した跡がある……」
「え?」
これまで何度も違和感や危険に敏感に反応したカオリの言葉は、今や事実を示していると定評になりつつある。
「あん? 未発見の領域じゃなかったのかい? どうしてそんなものあるんだい」
アイリーンが疑問を呈すれば、カオリは黙ったまま、さらに感覚を研ぎ澄ませて周囲に視線を送る。
空気の流れを感じる。その後を追うように探索していく、壁に手をつけながら、注意深く見る。
「この辺りから風を感じるよ、アキ、鑑定でなにか分かんない?」
「……幻惑系魔法と隠蔽魔法の複合魔法です。どちらも上位魔法で巧妙になにかを隠しております」
アキが鑑定魔法で詳細に調べたことで、カオリの指し示す辺り一帯に、高度な隠蔽が施されていることが分かった。
「アキ、術式を見ることは出来る?」
「少々お待ちを、今写しますが、出来ればロゼ嬢の魔導書をお借りしてもよろしいですか?」
「ええいいわよ」
ロゼッタが【創造の魔導書】をアキに渡し、アキがやや四苦八苦しながらも、鑑定魔法で解析した術式を模写する。
「どうするの? ロゼ」
「最近随分と術式の研究をしたから、解析出来れば解除も出来るかもしれないから」
カオリの見ていないところで、ロゼッタも随分と魔導書の操作に習熟したようで、素早い操作でアキが写した術式を分解していく。
ものの数分で術式の起点となる陣を見付け、そこに付随された認証術式までも解析したロゼッタは、そこから反転と分解の術式を構築し、魔導書内で動作確認を済ませて、おもむろに立ち上がって、隠蔽魔法に手をかざした。
魔導書を片手に真剣な表情で静かに詠唱する。
しばらくして魔力が強く反応すれば、緩やかに隠蔽と幻惑が晴れていった。
「おおー」
「ロゼ嬢の術式制御はかなり高度な域に達しておられるのですね。魔導士としてはすでに熟練と呼んでも過言ではないでしょう」
久々に会うロゼッタの様子に感嘆しつつ、素直に評価するアキは、初対面の時に比べれば随分と彼女のことを認めていた。
生まれや偏見に左右されずに、純粋に実力と内面を勘案した結果ではあるが、アキにとって他者とは、如何にカオリの役に立つか、カオリを尊ぶ姿勢を怠らないかだけが重要である。
その点ロゼッタは、レベルは決して高くはないが、自分には出来ない分野で、カオリを助けようとする姿勢が評価に値したのだった。
それはさておき、隠蔽の解かれた先にあるのは、ちょうど反対側となる。カオリ達が入って来た入口と同じ様式の扉であった。
「ほぉん……、これってつまり、ここが別の入口から侵入した場合の、合流地点になるのかな?」
なんとはなしに周囲を見回し、皆の反応を無視してカオリはさらに探索を始める。
地面に目を凝らし、五感を使ってさらに隈なく痕跡を探す。
「やっぱり……、アキ、ロゼも、ここも調べてほしいの」
カオリが指し示す方向を、アキとロゼッタの二人も確認して、怪訝な表情を浮かべる。
「ここにも隠蔽魔法が施されております」
「またなの? いったいどれほど隠し通路があるっていうのよ」
一度解除した隠蔽ならば、造作もなく解析も解除も可能であった。
そうすれば、またまったく同じ扉が姿を表す。
「これはいったいどういうことだ?」
「何者かの手による扉への複数隠蔽、この扉の先にはなにが……」
ビアンカ達騎士の面々も困惑を隠せずに、声を漏らす。
「そんなもん確認すればわかることさね」
全員の困惑をよそに、アイリーンは意気揚々と扉を開けて中に突入してしまう。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
ロゼッタが慌てて後を追うも、間もなく轟音が響き、アイリーンはのっそりと扉から戻って来た。
片手に襤褸を引き摺って。
「さっきの魔導士の魔物がいたけど、作りも様式も入口とそっくりさね。もしかしたらもう一つの方も同じなんじゃないかい?」
「なにもする間もなく、アイリーンが叩き潰してしまったわ……」
原型を留めていない死体を放り捨てて、アキが静かに魔石を回収する。
そこからは同じ作業が繰り返され、この広間における安全は確保出来たとして、休息を挟んで調査を再開する。
結論から言うと、この広間は、王都に存在する三つの迷宮である。【王家の迷宮】【採石場の迷宮】【下水道の迷宮】、それら全てと繋がる合流地点であった。
これは前代未聞の発見であった。
「むむぅ……」
男性騎士の、名をなんと云ったか、一人が苦悩の表情で唸り声を洩らす。
「つまり、王都の迷宮は、三つあるんじゃなくて、元々一つの迷宮で、入口が三ヶ所あったということですね」
「……問題は一重目の城壁どころか、王城地下にある王家迷宮入口まで、他二つの迷宮が内部で繋がっているという事実、そしてそこまでの道程を、誰かが密かに利用し、高度な隠蔽魔法まで使用して秘匿している可能性があるということね」
カオリとロゼッタの考察に、一同は神妙な様子で各々同意する。
場所は採石場迷宮、今では統合して王都迷宮の小教会にて、カオリとロゼッタ、王国騎士達、また冒険者組合の調査主任とその部下も数名が詰めていた。
「それぞれの迷宮からの隠し通路の位置も特定しました。どれも中腹の小教会へと通じており、銀級冒険者並みであれば容易に辿りつける区画です」
調査主任が隠し通路の先の様子を確認し、冒険者組合が持つ迷宮内の資料と照らし合わせた結果として、結論を述べる。
「なんたることか……、このような事実に、我等騎士団は数百年もの間、気付きもしなかったのか、王城に賊が侵入していても、それを察知出来なかったなど、どう釈明すればよいのだ……」
つい先刻まで、カオリ達を侮った態度で対応していたのが嘘のように、男性騎士は困り果てた様子で頭を抱えていた。
見付けてしまった以上放置することの出来ない問題への、具体的な対処法はもちろんのこと、発見に至れなかった原因の追及と、責任の所在如何によっては、誰かが責任をとらされる可能性は十分にあった。
「……我等冒険者組合も、十分な調査をおこなって来なかったことを追及されれば、言い訳のしようも御座いません、騎士様方だけが責められることはないのでは?」
冒険者組合調査主任という立場の彼にとっても、今回の発見は立場を危うくする可能性が考えられたが、今回で発見したという事実を加味すれば、相殺となる可能性の方が高かった。
一方、騎士団にとっては、隠し通路の発見については仮にお咎めがなかったにせよ、隠し通路を隠蔽して利用していた何者かがいた事実の方が重大であり、ミカルド王国の永い歴史上、この隠し通路が、王家への反逆に利用されていた可能性が大いに考えられた。
歴史書を紐解けば、王族の暗殺や情報の漏洩による反乱分子の蠢動など、未だ真相が解明されていない事変は数知れず。
今回の隠し通路の調査が進めば、それこそ数百年も遡って真相究明が求められるのは目に見えていた。
そうなれば、隠し通路を発見出来なかったこれまでの騎士団の調査能力や、それこそ当時の責任者の至らなさが露呈する事態に陥り、その責任者の子孫などが不名誉を被ることまで考えられた。
男性騎士、名はたしかバルトロメイ・ワイルウッド、嫡男ではないものの、家は子爵を賜り、長くミカルド王家に仕えた由緒ある武家の次男坊である。
父も祖父も代々近衛騎士団に所属し、それなりの地位に就いていた。
であれば向こう五十年以内に起きた。王家の事件の調査に関わった可能性も高く、不名誉の対象に含まれるかもしれないと、バルトロメイは溜息を吐いた。
「でも今回で発見出来ましたし、もっと詳しく調査して、今後の管理体制についても含めて報告すれば、騎士様にとっては名誉になるんじゃないですか?」
「なんだと?」
カオリがとぼけた表情で言えば、バルトロメイは険しい顔で反応する。
「誰かが利用していた痕跡をより調べれば、それが個人なのか、組織なのかも分かりますし、騎士様なら今後、ここを厳重に警備するための必要な人員も予想が立てられるんじゃないですか? 王国の優秀な魔導士様なら新たな封印魔法も施して、ここが二度と誰かに利用されないようにすることも出来ると思うんですけど」
「そうですわね。王家を脅かす因子は、絶対に見過ごせませんもの、私も可能な限りご協力いたしますわ」
その調査自体はカオリ達が協力すると約束し、バルトロメイを慰める。
「……アルトバイエ嬢は王国貴族の令嬢だから分かるが、おま、君達が協力するのは何故だ? いや理由はあるのだろう、しかし私は君達を見下した態度をとっていた。どうしてそこまで……」
カオリ達は互いに顔を見合わせて、首をかしげるが、だが意外にも答えたのはアイリーンだった。
「女だからって威張り散らす若い騎士が、状況が変わって弱ってたら、そりゃあ放っておけないさね。可愛い顔して頭抱える姿ったら、女心を擽るね~」
「な!」
豪快に笑うアイリーンに、バルトロメイは目を剥いて驚き、悔しげに唇を噛む、敵国である帝国の貴族令嬢の彼女に笑われ、内心穏やかではないが、今回の調査の件もさることながら、彼女の強さを目の当たりして、正直怒らせるのが怖いというのが本音である。
年は二十前半と若いが、アイリーンはまだ十八と年下なのだが、一見すると体躯の差もあって、アイリーンの方が年上に見える。
(なにはともあれ、これ以上、騎士さんとも仲悪くならないで、結果オーライかな?)
今回の調査継続と協力の申し出は、カオリにとって一種の賭けであった。
もしここで騎士達が、隠し通路の存在の秘匿を図った場合、調査協力はおろか、即刻退場もありえた。
バルトロメイがことの大きさに混乱し、王国としては部外者のカオリ達が、このまま調査へ協力することを受け入れてしまったのは、運が良かったと云わざるをえない。
アイリーンが丁度いい頃合いで、茶々を入れたのが計算からであるとは、騎士達は気付いていない様子に、カオリは安堵する。
今後の具体的な段取りとしては、カオリとアキによる徹底的な現地調査による。不審点、とくに隠し通路を密かに利用していた人物像や組織規模の特定。
またロゼッタによる隠蔽魔術の解析から、年代や術式の傾向の特定が急務であった。
アイリーンはその間周辺の哨戒にあたり、調査隊の安全を確保する。
騎士達もアイリーンと同行し、騎士団による隠し通路の今後の警備態勢の予測を話し合う、女性騎士達はカオリ達の補佐のために残る。
「足跡はほとんど残ってないけど、魔物が発生していないことを考えたら、わりと最近も使われた可能性があるかな?」
「こう云った迷宮では、守護者の再配置に一週間はかかるという話しでは? なれば少なくとも一週間以内で利用はされてないということですか?」
「守護者の再配置は迷宮内の魔力濃度に依存するらしいから、はっきりしたことはまだ分かんないかな、それよりもこの広間に魔物が発生しない理由を知りたいから、魔力感知でなにか分かんないか見てみて」
迷宮の中だというのに、魔物が発生しない理由とはなにか、まずはその根本的な理由を解明し、この広間がなんの目的で、どういった経緯で設けられた場所なのか、そこをはっきりとさせたかった。
「ロゼ、そっちはどう?」
カオリとアキではこの迷宮の発生以前の情報があまりに不足しているため、どうしても煮詰まってしまう、そのためロゼッタに助言してもらえないかと声をかける。
「こっちは問題ないわ、術式自体はアキが正確に模写してくれたし、解除も出来たのだから、詳しい解析はどのみち戻ってから資料と照らし合わせる必要があるもの、ここでの調査はこれが限界よ」
「ならこの迷宮の発生以前の歴史とか、当時の資料から、分かることがあれば意見がほしいんだけど」
「ええわかったわ」
カオリの要請にロゼッタは承諾し、片手に本を流し見しながら、カオリについてゆく。
そこでアキがカオリ達に視線を戻して発言する。
「最近村の採石場の開発のため、ササキ様が提供してくださった資料を読み込んでおりましたが、ここは恐らく集積場として使われていた場所なのではないかと」
「集積場? 採掘した資材とかを一時的に留めおく場所ね。広さ的にはたしかにそうだけど、なにか根拠があるの?」
ロゼッタが補足しつつ、アキの言葉の根拠を求める。
「魔鉱石に限らず、地下資源には少なからず魔力が含まれております。そのため掘り出した資源は聖属性魔法などで、浄化するなどして、含有魔力を散らす工程が必要なのです」
アキはそう言いながら、広間に等間隔に残された石柱を調べ始めた。
「ここに聖属性魔力の反応があります。またこれは、紋様ですか?」
アキが指し示した箇所を、カオリとロゼッタも注視する。
そこには風化してはいるが、明らかに人の手で掘られたであろう、模様が見てとれた。
「これは……、繁栄神ゼニフィエルの略式紋かしら? 随分劣化しているから確証はないけれど、もしそうなら、聖印である可能性は高いわね」
「どういうこと?」
ロゼッタの言葉の意味が分からなかったカオリは、素直に質問する。
「民が神の祝福を得るために、それぞれの神を表した紋章を、物に刻んで用いる風習があるの、略式紋はその紋章を子供でも描けるように簡略化したもので、聖属性魔力を込めたものを、聖印と呼ぶの」
「その聖印はこういう場所でも利用されるの? 効果はどれくらい期待出来るの?」
この世界の宗教的な文化と、それにまつわる魔法の利用は、流石にカオリでは知りようがないことだ。
「鉱物の含有魔力を散らすくらいなら可能よ、込める魔力量によるけど、魔物を寄せつけない効果もあるわ」
「ならここが集積場として利用された可能性は高いね。魔物が発生しないのも、たぶんこれが理由かな~」
アキが聖印を正確に模写する間、ロゼッタが調査資料に書き込みをする。
「ん? でもいくら聖印でも、いつかは魔力が切れるよね?」
カオリが素朴な疑問を呈すれば、ロゼッタは一瞬考えてから肯定した。
「ええそうね。この集積場も設けられてもう何百年も経っているから、流石に今も魔力が残っているのはおかしいわ……」
やや言い淀むロゼッタを不審に思いつつも、カオリは質問を重ねる。
「つまり、誰かが聖印に聖属性魔力を補充していたってこと? 聖属性魔法って誰でも扱えるものなの?」
「……無理よ、聖属性適合者は、そのほとんどが幼少期に教会に保護され、魔法の訓練を受けるのが普通で、成人すれば聖職者か、治療院で働くか、……ごく一部に冒険者になる人がいるけれど、それくらい聖属性適合者は希少な人材よ」
「つまり?」
ロゼッタは息を吸って、静かに吐き出す。
「この隠し通路を利用していた誰か、あるいはその仲間に、教会の関係者がいる可能性がある……」
二人の間に沈黙が落ちる。
憶測で決めつけた内容を報告書に記載するわけにもいかず、ロゼッタは羽ペンを持つ手を止めていた。
「冒険の旅に憧れて、未知への挑戦に憧れて、こうして冒険者になったけど、嫌なものね。見えなかった。いえ、見ようとしなかった世界には、見たくないものが多いのだもの……」
敬虔な大六神教徒であり、ミカルド王国の正義を信じて、王国貴族の令嬢として育だった彼女にとって、この数カ月の冒険者活動は、憧れへの体現であるとともに、無知を突きつけられる日々であった。
善行であると協力した村の復興開拓は、貴族達の戦争への熱望に利用されかけ、冒険者活動では過ぎた解明が、王国の歴史に干渉してしまい、その結果として、命まで狙われたのだ。
今もこうして平然と振る舞っているように見える彼女ではあるが、ここ数日はとくに、己の無知と無力を痛感していた。
冒険者稼業においては、ロゼッタの歴史的文化的知識と魔法の知識は、カオリに大いに役立っている。
しかし彼女自身は、それらを経てもたらされた結果や事実を、飲み込みかねて、受け止めかねて、持て余していた。
事態の収拾は全て、カオリやササキが処理し、今後の方向性も彼や彼女が決めて、進められてゆく。
しかしロゼッタは常に受け身で、心の準備なく、いつも事態に翻弄されてばかりだ。
ついていくとは覚悟したが、したつもりではあったが、それでも心がついていけない、カオリのように目的のために邁進することも、アキのように真っ直ぐに忠義を尽くすことも、アイリーンのように闘争の中に刹那の輝きを見出すことも出来ない。
今更ではあるが、ロゼッタはカオリ達と共にあって、ただ一人、極々普通の少女でしかなかったのだ。
「ふぅ……、でも負けないわ、自分に出来ることをするだけよ、その先に波乱があったとしても、カオリ達となら乗り越えていけるって思えるもの」
彼女なりの意地でもって、己を叱咤する。
「? どうしたの急に、そんなの当たり前じゃん、仲間なんだから」
「……ありがとう、カオリ」
カオリの笑顔に、ロゼッタもつられて笑みを浮かべる。
だが世界には、彼女達が未だ知らぬ。悪意に満ちていた。
異様な気配を感じ、カオリは唐突に剣の柄に手を添えた。
「カオリ?」
「敵かい?」
「……」
カオリの変調にいち早く気付いた仲間達は、即座に戦闘態勢に入る。
こうしてカオリがなにかを察知することは、事態が急変することの予兆であると、皆正しく理解している。
騎士達もカオリ達の臨戦態勢を見て、慌てて周囲を警戒し始めた。
ビアンカは元より、カオリ達を女であると侮るバルトロメイも、流石にカオリ達が、腕のある冒険者であるとは十分に理解しているので、こと戦闘に関しては、いい加減認め始めていた。
またこれまで飄々と振る舞っていたカオリが、無表情のまま、隙なく武器を構える姿に、ただならぬ不安を感じた。
いったいどれほど経っただろうか、一瞬であったように思うが、かなりの時間が経過したようにも感じる緊張の中、それは静かに姿を現した。
足音一つ立てずに、しかしたしかな存在感を表しながら、それはカオリ達の前に堂々と接近する。
「人?」
誰が漏らした声なのか、だが皆も同じことを去来する。
広場の光源は発見当初と比べれば、提灯も随所に配置し、またロゼッタのアキの光源魔法により明るさを増してはいるが、それでも薄暗い状況だ。
その暗さの中で、対峙するにやや離れた距離まで接近した対象を、カオリ達はようやく視認する。
「貴様何者だ! ここは関係者以外は立ち入り禁止であるぞっ!」
バルトロメイが大声で詰問するが、目の前の人物はなにも答えようとしなかった。
だが対象は、ゆっくりとした動作で、両手を広げる。
その瞬間、四本の短刀が、四方に投擲される。
一刀がカオリを狙って飛来するが、カオリはそれを素早く手で払い落す。
無拍子で放たれた一刀であったが、カオリの脅威的な反応速度であれば、苦もなく対応出来る。
「カオリっ、不味いわ!」
ロゼッタが叫ぶ先は、残りの短刀が放たれた方向だった。
「結界魔法ですっ、閉じ込められました!」
アキが鑑定魔法で判明した事実を告げれば、今おかれた状況が、どういった事態なのか、一同は嫌でも理解した。
「この隠し通路を秘匿していた人物、あるいは組織の関係者、そして、私達を殺しに来た殺し屋って訳ですか……」
カオリにこそ気配を察知されたものの、その立ち姿や、気配の消し方は、どう見ても暗部の人間特有のものである。
ここ最近、襲撃者であるクレイド達の動きを見ていたので、一目了然だった。
だが対象はまだ止まらなかった。
天に向かって振り上げた手から放られたなにかが、眩い光を発しながら、巨大な魔法陣を展開させた。
「っ召喚術式! 全員後退っ!」
アキが絶叫し、皆即座に後退する。カオリも対象を警戒しつつ、後ろ飛びで後退する。
魔法陣が二重三重に明滅し、別次元より魔物をこの世に顕現させる。
構成物質が組み合わさり、その姿が実体化すれば、そこには巨大な威容を現した。
「【キメラ】の近類種で名付きです! 【人工合成獣】レベル四十、推定難易度、黒金級ですっ!」
人の背丈よりも大きな体高、ギリシャ神話に登場するキマイラに似ているが、頭部から上半身は体毛も目も耳もない狼で、下半身も筋繊維が露出した山羊型、尾は骨の蛇、翼は蝙蝠羽と、おぞましいその姿に、一同は息を飲んだ。
(うわぁお、バ○オ○ザードの○ッカ―みたいで、相当キモイなぁ……)
カオリは不快感を露わにし、やや身を引いた。それほど異様な姿の魔物である。この異様さはこの世界の住人であっても同様に感じるようで、カオリ以外も一瞬だけ目を逸らすほどであった。
ただ一人だけ、目を爛々と輝かせ、闘志を漲らせるものがいた。当然のことの如く、アイリーンその人である。
「出るものが出たじゃないか! 黒金級だって? 相手に取って不足なし、ぶち殺してやるさねえぇっ!」
雄叫びを上げて、手斧と戦鎚を抜き放つ彼女に、カオリはのんびりとした口調で指示を出す。
「じゃあアレの相手は皆でお願いしますね。私はこの人を抑えますので」
対象から目を逸らさぬまま、指示を出せば、カオリはゆるりと構えたまま、闘志を練り上げる。
対象がカオリ達へ指先を向ければ、【人工合成獣】が耳障りな悲鳴とも咆哮ともつかない奇声を上げて、突進して来たことで、戦端が開かれた。
「火を吹くのかいっ やるじゃないか!」
「そんなことで興奮してないで、盾ぐらいにはなりなさいよっ、私の結界も長くもたないんだからっ!」
「こんな化け物に勝てる訳ない!」
「王国騎士が、これしきで怯むなっ!」
意外にも勇猛なバルトロメイ達、王国の騎士も加わり、奮闘する様を横目に、カオリと対象は無言で対峙する。
先程の無拍子の投擲、正確無比な命中精度、未知の魔法を駆使する力、そのどれをとっても侮れない相手であることは想像に難くない。
だが殺し屋の業を駆使する以上、余人に任せるわけにはいかなかった。
無拍子と簡単に表現したが、それは達人が長い修練の末に身につけられる。究極の業の極意である。
予備動作を察知出来ず。見えていても反応出来ないのが普通だ。これに反応出来るのは、カオリだからとしか言いようがない。
「私を殺せる?」
突然の言葉に、カオリは首をかしげる。
「斬れば死ぬよ? 貴女は死なないの?」
質問を質問で反すが、言葉はまだ続く。
「斬るだけ?」
「うん、斬るだけ、死ねるかは知らない」
これから殺し合うとは思えない、二人の独特な空間が形成される。
「女の子?」
「そう、見た目は」
曖昧な返答に、カオリは困った顔を浮かべる。
「本当は違うの?」
「……秘密?」
そう言いながら、どこからともなく、短刀を両手に出現させて、緩やかに構える不詳女の子に対し、カオリも珍しく抜刀して横に提げるように持つ。
(油断させるためって云うより、普通に会話してる感じだね~、殺気を感じなかったから分かり辛かったけど、人殺しが日常になってる感じかな?)
雰囲気から対象の情報を細かく精査する。
油断なく注意しながら、互いに牽制し合う二人だが、傍から見れば脱力して歓談しているように見えるが、一瞬でも気を抜けば、即座に急所を狙われることだろう。
(うーん……、そうだ。ワザと隙を作って、打ち合いすればいいんだっけ?)
思い出すのはビアンカとの訓練との反省点、膠着状態から相手の手管を量る手法だ。
カオリはそう考え、ほんの少しだけ、重心を正中線からずらしてみる。
それは一瞬だった。
カオリから見えたのは、相手が動いたということと、短刀の閃き、そして、残光だった。
半ば本能で身を引いた。その頬のすぐ横、紙一重の距離に、相手の突き出した短刀の切っ先があったのだ。
だがそれに対して、カオリが合わせた刀が、相手の左腕のかいなを、浅く斬り裂いていた。
弾かれるように距離をとった両者は、己の身体に刻まれた僅かな傷に触れて、また対峙する。
「目を狙った。でも躱された」
「脇から腕を切断するはずだったのに、剣に阻まれちゃったな~」
互いに事実確認をする。
ほんの一瞬だった。
一瞬だけ重心を傾けた。云わば死に体未満の僅かな隙だった。
それを相手は正確について来たのだ。それは驚異的な業だ。
言わずもがな無拍子で放たれた一突きは、普通の人間であれば間違いなく必殺の一撃だったことだろう、だがカオリはそれを紙一重で躱し、あまつさえ反撃までしてのけた。
異常なほどに高度な一合ではあったが、それで二人はお互いの力量を理解する。
「貴女は私を斬れる。今の私じゃ殺せない」
「そっか~、あっちも片がつきそうだしね」
見れば【人工合成獣】が地に伏して、悲痛な呻き声を上げて、血を流しているのが確認出来る。
魔物が倒れれば、皆も加勢に駆け付けられる。彼女ほどの達人を相手取るにはやや不安ではあるが、アイリーンやアキであれば、なんとか牽制するぐらいは可能だろう。
であればカオリならば確実に相手の隙をついて、致命傷を与えることが出来るはずだ。
「でも貴女じゃ私は殺せない」
「ん~、なぞなぞかな?」
不意に相手が頭巾を落とし、顔を露わにした。
(金髪に、蒼い瞳、アラルド人……)
人種的特徴を知ったカオリから見て、明らかにアラルド人な色彩である。
「――でも、貴女ならいずれ、私を殺せる」
傷に触れ、血のついた手へ、妖艶に舌を這わせて血を舐めとった彼女は、またどこらともなく魔石を取り出し、そこへ魔力を込めた。
展開した魔法陣に飲まれるように、姿を消失させれば、彼女の気配はどこにも感じられなくなる。
転移魔法を使って逃亡したようだった。
「またなんとも……、すごいのが来たな~」
ササキやカムなど、明らかに自身を上回る強者との出会いはあれど、敵として達人と対峙したのはこれが初めてである。
「カオリ、あいつはどうしたんだい?」
「一合だけして、逃げちゃった」
【人工合成獣】を倒したアイリーン達は、カオリに加勢すべく駆け付けたが、一人で立ち尽くすカオリを見て、拍子抜けする。
「なんだい逃げたのかい、残念だね。あたしもやり合いたかったのに」
「カオリと斬り合って、生きて逃げたの? それって相当の使い手よね……」
残念がるアイリーンと、妙なところに感心するロゼッタに、カオリは苦笑を反す。
(すんごい嫌な予感がする。あの人とは、絶対どこかでまた戦うことになるんだろうな~)
視線を遠くへ流し、これから先への不安を想う。
闘争が近付いている。
殺し合いの意思が、殺意が、悪意が、嵐の前夜の如く、カオリ達を飲み込まんと、空気を震わせる。
(きっと、逃げることも、隠れることも出来ない、守るものがある限り――)
カオリは静かに、瞼の裏の闇を見詰めた。




