( 暗部稼業 )
その日は珍しくも、アイリーンからカオリに直接【―仲間達の談話―】が届いた。
『カオリかい? ちょいと相談があるんだけどね。今いいかい?』
『はい、なんでしょう』
アイリーンにしては珍しく、少し困った様子で語り出すのを、カオリは不思議に思って耳を傾けた。
『カムって狩人の旦那を知ってるだろ? あたしゃ数えるほどしか会ったことがないんだけどね。昨日始めて話した……、話したのか? まあ会ったんだけどね』
歯切れ悪く語るのを聞き、カオリは大方の予想がつく。
『なにか言いたそうではあったんだけど、なにを言いたいのかまったく分からないんだよ、仕方ないから筆談してもらったら、とりあえずカオリと話させてほしいってんで、一度こっちに来てくれないかい?』
予想通りの内容に、カオリは苦笑する。
何故か狩人冒険者であるカムは、森という限定した場所では無双の能力を有しているものの、人と上手く会話が出来ないという欠点を抱えていた。
唯一カオリとは何故か会話が出来ることで、これまではなんとかなっていたが、カオリが王都で活動で不在の現状、カムとやり取り出来る人物がいなかったのである。
カオリと出会うまではどうしていたのかというと、基本は一人で活動しており、冒険者組合では筆談で済ませていたようで、変わり者が多い冒険者としては、実力があるので、まあ認められていたのだった。
だがカオリと出会ってからは、受付時にカオリが通訳する場面もあってか、カムは頻繁にカオリを頼るようになったのである。
そして今回も、カムはカオリを頼って来ているらしく、村の面々では話しにならないので、カオリに応援要請が届いたのであった。
朝にササキの許可を得て、久しぶりに村へ帰還したカオリは、村の女衆と挨拶を交わして、まっすぐカムの待つ集合住宅へ向かった。
集合住宅に入れば、そこには椅子に座って身動ぎ一つしないカムが、カオリに会釈する。
「お久しぶりです。今日はどうしました?」
簡単に挨拶を済ませ、さっそく本題に入るのはいつものやり取りであるが、カムはの様子から、今日は少し違った要件であることを察した。
「……」
「ほうほう、森で気になることがあると?」
「なんで分かるの?」
遠くでカーラが慄くのが見える。
一見して無言でしかないが、何故かカオリはカムの言いたいことが理解出来た。カオリいわくお喋りであるが、それはカオリにしか理解出来なかった。
【―達人の技巧―】の影響で、観察力が異常に発達したカオリは、カムの僅かな表情の変化や、身体の動き、また今になってようやく理解出来るが、魔力に乗ってカムの意思がカオリに届いていたことで、カオリはカムの意思を理解していたのである。
昨晩にカムの件をササキに相談したおりに、ササキはこの世界で失われた遠話魔法の原型を、知らずに発動している可能性があると語った。
これはカムから直接、カオリが聞いたことではあるが、カムは幼少のころに、森で狩りの最中に両親とはぐれ、数カ月を森で彷徨ったことがあったらしく、恐怖のあまり声も出せずに、魔物から身を顰めて生き延びた過去があったのだった。
それからと云うもの、大人になっても声を出すことが苦手になり、また人との会話が上手く出来ずに益々孤独になっていったという、生業が狩人だったこともそれに拍車をかけ、今に至る。
だがそれによって森でなら単独で数カ月も補給なしで活動出来、冒険者としても金級の実力にまで上り詰めたのだった。
彼の戦闘力をオンドールは自身をも凌ぐと評価しており、森の中でなら、黒金級にも匹敵すると評しているのだが、人と上手く会話出来ないことが理由で、貴族からの依頼も多くこなす黒金級になることは出来なかったのだろうと、彼は語った。
だがそれほどの実力を有していたからこそ、今回の問題に直面したことで、カオリは少し困った事態に陥ってしまうのだった。
「……」
「え! 森の奥に、異様な魔物の気配ですか? それってぇ……」
アイリーン達が開拓する森小屋予定地よりもさらに奥、やや山脈よりの深いところまで狩りと測量に出向いていたカムは、そこで森の奥から異様な気配を察知し、急いでカオリに知らせに来たのだと云う。
直線距離でおよそ十里も進めば、そこは人類が足を踏み入れたことがないほどの森林である。
かつての村の人間でも、ある一定の距離からは間伐もされず。手付かずな古い森が広がるそこを、【古い森】と云って近付くこともなかったと云う。
カムが今回気配を感じたのは、その古い森の奥からだと云う、森小屋予定地からは結構な距離があるため、今後も意図的に進まない限りは近付くことはないはずだが、なにかの間違いで迷い込み、気配の主に遭遇すれば、並みの人間ではどうなるか予想も出来ないと、カムは懸念を示したのだ。
だがカオリはこの気配の正体に心辺りがあった。
(黒獅子さんだよねそれって……、たしかに今になって思えば、あの黒獅子さんって滅茶苦茶強そうだったし、今でも勝てる気がしないから、この世界ではかなりの力をもった。伝説級の魔物なのかも……)
思い出すのは、カオリがこの世界で最初に遭遇し、カオリを村まで導いた恩人、いや恩獅子である。
後にササキの関係者であることを知り、今では森の守り神的な存在であると認識しているが、そう云えばかの黒獅子が、なんのために森に潜んでいるのかを、ササキから聞かされたことがないことを思い出す。
そしてその事実をどこまで説明すればいいのか、カオリは悩んだ。
黒獅子と二度目の開墾を果たした時に、始めてササキと接触したのだが、あの時ササキは【北の塔の王】の装いで相対していた。
それはつまり、かの黒獅子が、神鋼級冒険者のササキではなく、【北の塔の王】の関係者であることを意味している。
この世界でカオリより三年も速く活動していたササキが、恐らく世界各地で配下や協力者を配置しているであろうことは容易に想像出来る。
現在居を構えている屋敷においても、シンを遥かに上回る隠密型の魔物が潜んでいるのを、カオリはもちろん把握している。
実力もカオリなど一捻りだろうほどの強さであることも察しており、ササキであればさもありなんとカオリは理解していた。
ササキはそれをあまり明確に開示することはないのだが、その理由も察しがつく。
恐らく、日本人としての良心の呵責と、親心的な心情の機微から、一般的な女子でしかないカオリに、余計な不安を与えまいとしているのであろうと予想していた。
自分の父親や兄も、裏でカオリのために手を回し、対人関係や行事の手配に心を砕いていたのを、カオリは知っていた。
乙女心的にはあまり隠し事をされるのは嫌ではあるが、格好悪い姿を見せたくない男心も理解出来るので、あまり野暮なことをしないようにと母親から言い含められていたのを思い出す。
だが熟考するカオリの気持ちを余所に、集合住宅で男衆のための昼食作りに勤しんでいた妻の一人が、カオリ達の会話?に入って来た。
「カオリさん、それってもしかして、カオリさんが連れて来た。森の主様じゃないのかい? 出会ったら生きて帰れないと云われて畏れられていたけど、案外人間に優しい魔物なんじゃないかって、当時皆で話していたから」
そういったのはハリスの妻のレジアであった。
狩人夫妻ということで、森の伝承には詳しい夫妻は、先祖代々、黒獅子の存在を語り継いで来たのだが、それを始めて聞かされたカオリはここで疑問を抱く。
(ん? でもササキさんがこの世界に来たのは三年前だよね。つまり黒獅子さん自体はもっと昔からあの森にいて、ササキさんの関係者になったのは最近なのかな?)
これは悩むよりササキに直接聞くしかないとカオリは結論付けた。
カムに少し時間をおいて、また相談したい旨を伝え、カオリは聞き込み調査をするという云い訳をして離席し、ギルドホームに籠り、ササキに遠話を飛ばした。
『ササキさ~ん、黒獅子さんの存在が、カムさんにバレたっぽいんですけど、今後も含めてどうやって言い訳しましょう?』
『……いきなりだな、むうん、たしかにもう隠し切るのは不可能か、村人向けによい言い訳を考えねば、今後の村の運営にも支障をきたす可能性が高いだろう、それよりまずはカオリ君に教えるべきだったな』
ササキは観念したように、黒獅子についての情報をカオリに伝える。
『元々はあれも野生の魔物で、中でも【名付き】と呼ばれる特殊な個体なのだよ、迷宮の守護者と同様で、高濃度魔力溜まりの土地に、一定の確率でポップするボスモンスターと認識すれば間違いない』
ゲームシステムが生み出した。レアモンスターであると説明しながら、さらに現在の関係に至るまでの経緯も説明する。
『この世界の情報を集める上で、前人未到の秘境で調査中に、時折ああいった個体と遭遇したのだが、中には意志疎通が出来る知性をもった個体もいたので、我々は魔力供給と保護を約束し、周辺の生態系の安定と報告義務を課したのだ』
我々はと表現したことで、今回の一連の経緯には【北の塔の国】が関わっていることを示唆させつつ、ササキは続ける。
『ただあの黒獅子は、その中でも特別でな、ブレイド山脈を横断する地上での唯一の道である。【血溝峠】の東西南の入り口の一つ、南の守護を命じているのだ』
『【血溝峠】ですか、前人未到なのになんで名前がついているんでしょう?』
よくある伝承上の話しで、誰も見たことがないのに名前が付いているという矛盾に、カオリは目敏く気付く。
『そこは山脈を囲む大森林が原因で、およそ人が生還出来る道ではないが、一部の亜人種や精霊種だけが口伝で伝えており、踏みこんで死にかけるので、保護するために守護させているのだよ、今では【血溝峠】を渡ろうとした者達は、我が国で国民として迎えている』
始めて触れた【北の塔の国】にまつわる情報に、カオリは感慨深い気持ちを抱く。
『ということは……、【北の塔の国】としては貴重な移民の窓口でもあり、森の生態系を司る魔物だから、間違っても討伐対象にするわけにはいかなくて、冒険者ササキさん的にも、表向きには友好関係でありたい存在なんですね。私達にとっても森の魔物の暴走を抑える最後の砦なんですね』
カオリは黒獅子について、村の伝承で伝えられる黒獅子の情報を、ササキに教えつつ、今後黒獅子をどのように村に認知してもらうべきかを考えた。
『結論として、冒険者ササキが安全であることを保証しつつ、森の守り神として従来通り尊重し、あわよくば貢物などで村と友好関係を結び、等価交換として魔物の大量発生時には協力させることでいいか』
『そうですね。それが一番混乱がなくて、村にとってもいい関係だと思います。そのための演出はどうしますか?』
黒獅子の立場を明確にしつつ、カオリとササキはさらに一歩進んだ。村との関係強化について話し合う。
『一応村の依頼ということにして、カム殿と合同で調査をし、頃合いを見て遭遇した風を装い、私の威圧で屈服させ、村まで連れて来て安全性をアピール、冒険者組合に従魔登録し、森と村の守護を命じて解放する。が順当な手順となるだろう』
『それなら、【北の塔の魔王】が指揮して魔物を暴走させている状況から、冒険者ササキが村を拠点にして歯止めをかけているって宣伝にもなりますね。村の重要性を喧伝するいい材料にもなって一石二鳥です』
完全に八百長の相談ではあるが、二人は嬉々として計画する。
一通り計画が整えば、カオリは早速計画の初期段階として、カムに森の調査依頼を冒険者組合に提出すること、そしてその依頼にはササキとカムを名指しで指名し、さらに調査依頼に長けた【蟲報】も同行することを説明する。
表情筋が仕事をしないカムが、珍しく目を見開いて、神鋼級冒険者と一緒に仕事が出来ることを光栄に思うことをカオリに伝え、具体的な日時を伝える。
遠話や転移魔法の存在を公では秘匿している関係上、時期には慎重を期さなければならない、なのである程度余裕をもって決行日を決めた。
カオリが帰還後、数日して冒険者組合から依頼書をもって現れたササキの説明を、驚愕の表情で聞き入るゴーシュ達【蟲報】一行は、全ての説明を聞いた後、歓声を上げて指名を受託した。
目標は伝承に伝わる魔物の調査であり、道中では森の深部に入り込むことから、強力な魔物とも遭遇する可能性が高いとし、これで冒険者として、かなりの実績を積むことが出来ると彼等は喜んだ。
カムは単純に森の狩人として、伝承の魔物に拝する栄誉を喜び、その大役に労を惜しまず準備に勤しんだ。
これにより、黒獅子は正確に村人と、冒険者組合に認知され、それに関わった二人の冒険者と、一組の冒険者も称賛を受けることとなる。
一応の説明として、冒険者は一定の条件を満たすことで、魔物を従魔として登録し、使役することが許されていた。
第一に人を無闇に襲わないこと、飼い主の命令に絶対に従うこと、食料として人間を捕食しないことをである。
教会の教えとして、魔物は人類を脅かす悪であり、魔物と交流、あるいは使役することは禁忌とされているが、それは一部の宗派のみのことであり、聖都を筆頭にした女神エリュフィールを主神とする宗派は、その点寛容であることで、冒険者であれば黙認されているという背景がある。
とくに今回の件は、伝承に語られる森の守り神であったこと、敵対することで人類の生存圏が著しく脅かされると考えられ、かなりの割合で歓迎された。
神鋼級冒険者ササキが支援し、銀級冒険者カオリと彼女が率いる【孤高の剣】には王国と帝国それぞれの令嬢が所属するパーティーが主導する村の開拓事業では、熟練の冒険者達もかなりの実績を積む機会が得られ、村事態もかなりの発展が見込まれる。
そして今回の一連の出来事で、前人未到の大森林の奥地で、伝承の魔物を発見し、それを従魔として使役し、村の安全がかなり保証された。
これで噂にならないわけもなく、瞬く間に村の存在は各地に伝播されることになった。
元より、カオリ達という話題性に加え、【デスロード】と【ソウルイーター】の討伐で沸いた村の噂が、これで確固たるものとして知られ、その噂はほどなく王都にも届くことになった。
しかし、ササキ達がそれら一連の偉業を収める以前に、カオリはあることに関わっていた。
入園試験の日に、カオリ達を襲った襲撃者集団の塒で、動きがあったとシンから連絡を受け、カオリは即座に対応に追われたのだ。
『今どんな感じ?』
遠話魔法の中でも、ギルドの登録者間でのみ使用出来る【―仲間達の談話―】を使って、シンに状況報告を催促するカオリに、シンからの淡泊な返事が届く。
『今までも数人が出入りはしてた。でも今は多分ほとんどの構成員がどこかを目指して移動中、なにか目的があるかも』
その気になれば一週間は睡眠なしの連続行動が可能なシンは、これまでも詳細にカオリに報告を上げていたのだが、今までは一人ないしは二人が、市中に出ていくに留まっていたのだが、今日は何故か大人数で塒を発ったと報告を受け、カオリはすぐさまシンのいる方角に駆け出した。
本来は単独行動は褒められた行動ではなかったし、ササキに報告もせずに飛び出したのは叱責されても文句が言えないが、それでもカオリは今回の件を、なるべく独断で解消したいと動いたのだ。
これまでササキが王国の貴族や暗部の組織とどうやって渡り合って来たのか、その詳細は知らされてはいないが、恐らく【北の塔の王】として、配下を使って対抗していたのだろうと、最近になってカオリは推測した。
組織力には組織力で対抗する。たしかに現実的な対処方法であろう、しかしその力はササキの力であって、カオリが自由に使える力ではない。
ササキには大いに世話になってはいるが、利用することと依存することは違うと考えるカオリにとって、自身を狙う敵対者への対処ぐらいは、単独で解決出来るくらいの実力をつけねば、恐らく今後、国家内で活動する上では必須であると結論づけたのだ。
とくに今回はカオリ達を直接狙った襲撃者集団の存在が明確になったのだ。
撃退する武力はもちろんのこと、彼らへ指示か依頼をした黒幕までの情報を洗うくらいは、出来るようにならなければと、カオリは義務感を抱いた。
時刻は破炎の刻、夜が明ける間際の時間は人間がもっとも油断する時刻である。
であればこんな時間に人数を動員するからには、誰かを襲撃する可能性が高いとカオリは予想した。
もしかしたら今回の標的はカオリとは関係がない可能性もあるが、それでも襲撃者集団の自由な活動を、知っていて放置するのは座りが悪い、せめて目的を確認するまでは見届けねばと思った。
貴族街を音もなく走り抜け、取得したばかりの隠密系のスキルを駆使し、カオリは一重目の城門を難なく潜り抜ける。
完全に治安が維持されていないとは云え、それでも代わり映えのしない日常の、ましてやもっとも気の緩む時間帯である。
門衛はカオリがすぐ傍を通り抜けたことにまったく気がつかず、何事もなかったという様子でのんびりと業務を続けている。
スキルを発動していると云っても、流石に視界に入れば認識されてしまうが、そこはカオリの観察眼を駆使し、視線の動きや注意の方向に気を配り、隙を見付けて潜り抜けるのだ。
たとえスキルの恩恵がなくても、訓練した隠密の精鋭であれば、地球の人間でも可能な業である。もはや人外に近付きつつあり、また専用のスキルを駆使したカオリを、この世界の人間であっても、並みの人間では補足することは困難である。
城下街に入れば後は人目につかない路地を真っ直ぐ駆け抜けるだけである。距離はそこそこあるが、並みの体力と健脚ではない今のカオリであれば、百メートルを十秒台の速度を維持したまま、一キロは走破出来るのだ。
ほどなくしてシンのいる建物の下に到着し、目標の襲撃者達のいる場所を確認しつつ、見付からないように回り込む。
「おっとっと、ここか~、登れるかな?」
おもむろに建物の壁に手と爪先をひっかけ、身体を持ち上げれば、思ったよりも軽くしがみつけた。
「レベルさまさまだねぇ~」
そして軽々とそのまま五階建の石造建築を屋根まで登り切り、張り出した軒に少々手こずりながらも、屋根まで登頂する。
「目標はどうしてる?」
一見するとなにも居ない空間に話しかけたように見えるが、そこにはスキルで身を隠したシンがたしかに隠れていた。
「あの建物を取り囲んで、今のところは動きなし、どうするの?」
「シンだけで、まず中に誰がいるかを確認して来て、必要があれば私も突入する」
シンが指し示すのは朽ちた建物で、ここがまだ貧民街に含まれる地区であることが分かる。
であれば中のいるであろう人物も、堅気の類ではないことが伺える。
一瞬組織同士の抗争の類かと考えたが、それにしても容易に建物へ接近を許したこと、同規模組織を襲撃するには、逆に人数が足りないのではと思い、情報不足が先に立ってしまう。
ならば標的を先に補足し、場合によっては襲撃者と標的を双方とも拘束し、情報を聞き出すのが確実と判断する。
シンは無音のまま屋根伝いに目標の建物へ侵入していく、鍵開けのスキルなど有していないカオリでは、窓を割って侵入するしかないので、侵入経路を作ってくれるのは素直に助かった。
『人間は一人、前回カオリ様が逃がした襲撃者の一人』
「うえっ! マジ?」
シンからの報告を聞いて、カオリは思わず声を出して面食らう。
(ああ~もしかして、戻らない仲間の存在に気付いて、逃げたことで制裁を加えるために……、生きているかどうかをどうやって確認したんだろ? もしかしてこの組織って警備兵とかとも癒着してたりするのかな? だったら確実に貴族と繋がってるよね~、それにあの人が襲われるのって、間接的に私のせいだよね? ……助けた方が得かなぁ)
瞬時にそこまで考えたところで、襲撃者達が静かに建物へ侵入を試みるのを見て、カオリは即座に駆け出し、屋根から窓に直接飛び込む、着地の衝撃を前転で逃がし、スキルによって音さえも消す。
気配を探り男の位置を記憶しつつ、カオリは襲撃者と鉢合う進路のまま進み、角で衝突する刹那に襲撃者の首に脇差を刺し込み、同時に鼻と口を塞いで抱き込む、音を立てずに寝かせ、後続の襲撃者が気付く前に急襲し、脇腹から心臓に目掛けて、肋骨の隙間に脇差を滑り込ませる。
流石に二人を仕留めた時点でさらに後ろの襲撃者には異常事態が伝わるが、カオリはそれよりも速く動き、最小限の動きで首の動脈を斬り裂き、そのまたさらに後ろの襲撃者には脇差を首目掛けて投擲する。
首を貫通した脇差に驚愕の表情で崩れ落ちる襲撃者を超えてカオリは進む、脇差を引き抜いて回収すると同時に、襲撃者が懐に忍ばせた短刀も拝借する。
『シン、外の襲撃者を殺して、長がいれば拘束お願い、東から時計周りで』
『分かった』
カオリを守護するということを教わっていないためか、シンは単独で行動するカオリを咎めることはしなかった。
ここにアキがいれば、カオリを止め、また自分も同行することを強弁しただろうが、今はいないことが反って都合がよかった。
襲撃者は総勢十二人だったはずだと考え、外の四方を二人組で固めたのであれば、建物内は今の四人で全員だと考え、カオリは階段を登る。
「失礼します」
「なっ!」
扉の前に気配がないのを確認しつつ、カオリは男のいる部屋へ押し入る。
「今この建物は貴方のお仲間に包囲されています。中に侵入した四人を殺しました。間違いなく貴方を狙っています。死にたくなければ私に従ってください」
単刀直入に言うカオリに、男は驚きながらもやや間を空けて、承諾を頷きで反す。
カオリの言葉を信用出来るか否かを考える男であったが、万全の態勢で襲撃に失敗したカオリの実力を知る男にとって、負傷した足と、武器の備えが乏しい今は、カオリに従うしかないと考える十分な状況であったからだ。
「では仲間が包囲する人達をある程度制圧しているので、加勢に向かいます。私について来てください、抵抗も反抗も、察知したら即斬ります」
「分かった……」
男に背を向けて歩き出すカオリを見詰める男は、日頃の癖から、カオリの隙を探すが、無防備に見える後ろ姿とは裏腹に、驚くほど隙がないことに舌を巻いた。
足は地から離れず。音もなく進む脚捌きに、腕は弛緩し、腰の刀を即座に抜けるように構えてもいる。如何に不意を突こうとも反応出来るように備えているのだろうことが伺える。
階段を降りれば、そこにはカオリが斬殺した死体が四人横たわっている。
男が知る仲間の死体であることを確認して、カオリの実力を改めて確認し、背筋に冷たいものが走る。
どの死体も一撃で急所を狙われ殺されている。また四人もの人間を殺したにも関わらず、物音一つも拾うことが出来なったことも、男にとっては恐ろしい事実であった。
目の前にいる少女は、間違いなく凄腕の暗殺者だと男は確信した。
いったいどれほどの修練と日常を経れば、この年齢でこれほどの技術を会得することが出来るのか、想像もつかない。
一階まで降りれば、カオリは男をその場に留めて、一人で外へと進み出る。
正面の扉から堂々と姿を現したカオリに、襲撃者達は一瞬何事かと驚いたが、混乱からすぐに立ち直り、カオリに躍りかかる。
カオリはそれを無視するように右手を肘に添えて振り降ろしを逸らし、左手で拝借した短刀を、もう一人の背中に投げ付ける。
カオリが現れた段階で、一人を囮にもう一人は報告のためだろう、逃走を図ったので、カオリはそちらを優先したのだった。
無視された襲撃者は驚愕のまま、たたらを踏み、振り返るが、視界に映ったのは、倒れ伏す仲間の姿と、油断なく、しかし無手のまま構えるカオリの姿だった。
「貴様は何者なんだ。本職を相手にここまで戦える女冒険者なんて聞いたこともない」
感情を伺えない声音だが、気配からカオリを恐れていることが分かる質問に、カオリは笑顔で応える。
「偉い人っぽいですね。拘束しますね~」
「クソったれが!」
仲間を報告のために逃がす判断と、なるべく多くの情報を持ち帰るための行動を即座に見破られ、襲撃者の長であろう男は悪態を吐く。
短剣と短刀の二刀流に切り替え、間合いを掴めないようにカオリの視線に水平に刃を合わせる。
それでもカオリは無手のままだ。
長はそれをあからさまな挑発と感じ、舌打ちをしながら鋭い突きと、左手の短刀の横薙ぎの連撃を見舞う。
カオリはその時点で、重心の置き方から短剣の突きを予測し、半身になり一歩踏み込んだだけで、短剣の突きと短刀の横薙ぎを封じて見せた。
先の襲撃が失敗に終わった時点で、カオリという冒険者が、ただの剣を振りまわすだけの女ではないことを予想はしていたが、ここまで融通無碍に立ち回る。達人級の剣士であるなどと思わず、長は焦りと恐怖に駆られた。
カオリは知る由もなかったが、カオリが逃がした襲撃者の男は、組織の中でも右に出るものがいないほどの手練れだった。
それが数人の部下をつけて送り込んだにも関わらず。作戦は失敗、四人を殺され、一人は逃げ帰ったが、任せた男は死亡が確認されていないにも関わらず姿を眩ませたのだ。
ササキによって王都の一大勢力が壊滅させられ、生き残りや横の繋がりがあった本職達は、支援者を求め、新たに組織されたのが今回の襲撃者集団だった。
急造だがなんとか腕に覚えのある人間だけで形を整えたが、忠誠心や結束力にはやや不安があったのも事実。
カオリの殺害命令はそんな矢先に舞い込んだ依頼ではあったが、金のためには背に腹は代えられないと、長はカオリがササキの関係者であることを知りつつも、今回の依頼を受けたのだった。
ササキ本人を相手にしないのであれば、上手く運べば小娘一人なんとでもなると考えたのが運の尽き、よもや部下達が容易く殺され、虎の子が行方を眩ます結果となった。
組織の信頼を損なう前に、逃げた虎の子には制裁を加え、逃げることの恐怖を知らせると共に、対象に情報を吐いたかの確認の必要があったため、ここ数日血眼になって逃げた男を探して、ようやく隠れ家を見付け、今夜で決着するだろうと考えていたのに。
建物から呑気に姿を現したのは、なんと殺害対象のはずの女冒険者本人である。一体何が起きたのか理解出来なかったのは無理もないだろう。
それでも冷静に最善の行動をとってはみたものの、カオリはまるでこちらの手の内を読んでいるが如く、ことごとくを防いでしまった。
単純に恐怖から、目の前の得体の知れない少女から、長は目が離せなかった。
だがそれも一瞬のこと、長の懐に踏み込んだ時点で、カオリは鋭い肘打ちを長の顎にお見舞いし、長の意識を刈り取った。
長が目を覚ました時には、身体を縛りあげられ、自分を見下ろすカオリと、隠密であろう亜人の少女の後ろに、今回の標的だった逃げた男が、足を引き摺った状態で囲んでいるのを視認し、状況を理解した。
「信じられない……、長までも倒すなんて、しかもほとんど無傷で拘束してしまうなんて、俺達はとんでもない化け物の尾を踏んだのか?」
カオリを恐怖を浮かべた表情で見やる男を余所に、カオリは笑顔で長を見降ろしていた。
「殺せって言うのはなしでお願いしますね。死ぬ自由もないことを理解して下さい」
この笑顔だ。少女のこの笑顔が怖いんだ。
長はようやく覚めてきた思考で、そんなことを考える。
カオリが見せた業は、明らかに人間を効率よく殺すための技術だ。
冒険者ササキの強さは業界では有名であり、曰く剣の刃が全く刺さらない、斬っても切れない、振われる剣は豪傑無比で、岩も鉄も容易く斬り裂き、防ぐことが出来ないなど、およそ人類が敵う相手ではないといものだった。
今回のカオリ殺害の失敗も、もしかしたらササキという英雄に手解きを受けた。人外級の力に起因するのではと長は考えていた。
しかし蓋を開けて見ればどうだ。
気付けば仲間は皆殺しにされ、その物音一つにも気付けなかった。
これはどう考えても、堅気の、冒険者の、女の操る技術ではない、どう考えても、殺人に特化した技術のなせる業だ。
「イカレてる。お前は完全にこっち側の人間だろ? なんで冒険者なんてしている」
純粋な好奇心から長は質問するが、カオリは不思議そうな表情で素直に質問に応じる。
「そりゃあ人間を殺せば、罪に問われるじゃないですか、そんなの面倒なだけです」
「罪に問われなけれ人間でも殺すか?」
なにを当たり前のことをとカオリはさらに表情を迷わせる。
「魔物を殺すのも、人間を殺すのも、どっちも同じじゃありません? 斬れば、どっちも血の詰まった肉で、同じものだと思うんですけど……、違うのは自分から見て、友好的かそうじゃないかだけで、法の裁きがないなら、敵なら斬らなきゃって、それに魔物は殺しても非難されないし、ちゃんとお金も貰えますよ?」
「それは……、流石におかしくないか?」
じゃあなんのための質問だとカオリは不機嫌になる。
「私は逆に、貴方達がどうして後ろ指さされてまで、わざわざ人間相手の暗殺集団なんてやってるの不思議ですけどね~、そんなにお金になるんですか?」
カオリの質問に、長は顔を歪ませる。
「お前は、壊れている。なにかが決定的に壊れている。きっと将来、それが原因で掛け替えのないものを失うだろう」
追い詰められた人間の態度ではないが、カオリは別に態度云々で相手を判断しない、極論、自分にとって損か得か、有益か有害かの二者択一のみである。
「貴方の雇い主は、結局答えてもらえるんですか?」
「答えると思っているのか?」
カオリの質問に、長は間髪入れずに応える。
カオリは表情を変えぬまま、太刀の切っ先を胸の肉に食い込ませる。
「ぐっ」
「もう一押しすれば心臓に届きます。ついでに肺にも傷をつけるので、即死は出来ませんが、かなり苦しんで死にます」
長が苦悶の声を上げるが、カオリは躊躇う様子を見せない、どこの世界に拷問で急所に問答無用に刃を突き立てる少女がいるのだと、長は痛みの中で悪態を吐く。
「話せばっ、解放するのか、そいつのように」
目線で逃げた男を示す。
「そうですね。雇い主を捕まえるまでは、足を切り落とすなりで、動けないようにしますが、黒幕さえいなくなれば、私を殺す理由もなくなりますよね? なんなら私に雇われます? それなら屋敷に匿ってもいいですよ」
とんでもない申し出に、長と男は思わず目を合わせる。どこの世界に自分を殺そうとした男を雇う女がいるものかと、何度目かの悪態を吐く。
「俺の残りの部下はどうするつもりだ。雇い主を裏切るなど、この業界で仕事が出来なくなるも同然だ。部下達を説得出来る訳がないだろ」
至極もっともな意見にカオリは始めて困った表情を浮かべる。
「一応私から声をかけます? 続けて襲って来るなら殺しますが、どっちにしろ貴方が素直に話してくれれば、いずれ鉢合いますよね?」
「……」
あんまりな言いように、長は言葉を失う。せっかく集めた部下をみすみす見殺しにするも同然なカオリの言葉には、まったくこちらを配慮する誠意が見られない。
「俺が説得をしてみる。つってももう二人しか残ってないだろう? ほとんど連絡要員みたいなもんだから、俺がいけばあいつらも信じるはずだ」
この場で殺された仲間の顔を確認し、男が進言する。思ったよりも小規模の組織だったことにカオリは嘆息する。
「組織を失った俺には、長としても暗部としても、もう立場も資格もない、仲間達の下にいかせろ、これ以上生き恥を晒させないでくれ」
諦念を滲ませて項垂れる長を、カオリは無表情で見降ろす。
「それになんの意味があるんですか?」
生きていさえすれば、人生を活かせる機会は必ず訪れる。だが死ねば終わりだ。カオリには暗部に生きる人間の矜持というものが、分からなかった。
敵対すれば殺すし、敵対する可能性があるだけでも場合によっては殺すことを躊躇わないカオリだが、生きる意義が示される状況で、従わないまでも、死を選択する長の気持ちは到底理解出来ないものだ。
「情報はくれてやる。だが短い期間だったが、これでも長を務めた意地がある。このまま標的の手に堕ちて、犬になるつもりなどない、死んだ方がましだ。だが残りの部下は見逃してくれ、このままなにも知らずにお前にゴミのように斬り捨てられるのは、流石に見過ごせない……」
確固たる意思を示す長の言葉に、カオリはゆっくりと刃を引き、鞘に収める。
「雇い主は、ロンワード男爵家の当主だが、開戦論派の末端に過ぎんから、さらに上の上役がいるはずだ。俺達はただ件の男爵を通して指令を受け取るだけの使い捨てに過ぎん、立件しようとしても証拠がない」
素直に告白したのは、カオリの業と、その欠落した思考回路から、放置すればどれだけの人間を殺すのか分かったものではなかったからだ。
黒幕さえ告げれば、仲間も見逃され、件の男爵が尻尾切りの目に会うだけで済む可能性がある。
それならば、部下達の今後も、顔が割れていない上に、急造の組織が壊滅したと認識されるだけで、業界内で恨みを買うこともないはずだと長は考えたのだ。
「それを信じる根拠は?」
「俺達も黙って捨て駒にされる訳じゃない、正式な依頼書を交わして、相手が貴族なら印章を押させることもある。そうだろ長」
長は男の擁護に黙って頷く。
「今回はそれほど大きな仕事ではなく、殺したところで都市に左程影響もない案件だったから、指令書でしかやり取りはしていないが、そもそも雇用契約時の契約書がある」
「それを証拠として提示すれば、とりあえず立件は出来そうですね。なら今日はそれだけ盗み出して、後日ササキさんに提出しますか~」
カオリはそれだけ言った後、スキル【―愛の手心(調整攻撃)―】を発動させて、長のこめかみを拳で強打する。
下手をすれば意識が戻らない可能性もあるが、スキルの補助を受けているので、恐らく大丈夫だろうと呑気に考える。
「殺したのか?」
「気絶させただけです。別に生かすも殺すも後で考えればいいですし、第一私がこの人の言うことを聞く義理もありませんよね? ということで屋敷までこの人を運んで下さいね。シンは今の情報を下に、塒に行って書類を片っ端から回収して、残っている部下の人達に事情を説明して来て、抵抗するようなら、拘束して屋敷まで連れてきてね」
「分かった」
カオリが指示を出せば、シンは煙のように姿を消し、男を驚かせる。
そして足を負傷した男に長を無理やり背負わせ、カオリは悠々と屋敷への帰路につく、途中の城門で忍び込むのにやや手こずったものの、なんとか帰りついたころには、すっかり夜が明け、朝日が薄らと街を照らし出していた。
早朝の朝稽古に勤しむべく起き出したビアンカと鉢合わせ、少々説明に窮したものの、カオリの規格外さに薄々気付き始めた彼女は、慌てて武装して、男達の見張りを買って出た。
しばらくすればシンが帰還し、後ろには混乱した様子の男二人を従えていたことで、ビアンカはさらに頭を抱えることになる。
武装を解かせ、書類の整理を命じられた男達は、言われるがままに武器をカオリに預け、黙々と男爵を立件するのに必要な書類の整理を始めた。
ほどなくして目を覚ました長は、拘束を解かれたものの、抵抗の意思はなく、生かされたことを呆然と受け止め、淡々と書類の整理を手伝った。
彼らが軟禁されたのは地下室で、唯一の扉にはビアンカが見張りに立ち、中の様子は潜んだシンに探らせた。
怪しい動きがあれば即座に殺す命を受けたシンは、寝ずの番で彼等を見張る。
ことが済んで始めてあらましを聞かされたロゼッタは、自分が呑気に眠っている間に事態が動いた事実を受け、溜息を吐く。
「……随分と血の気が多いわね。彼等をどうするつもりなの?」
カオリが一晩で十人も人を殺した事実に戦々恐々としつつも、ロゼッタは表面上は平静を装いつつも、やや震えた手で紅茶に口をつけた。
正直なところ、ロゼッタはあの襲撃のあった日に、一人を殺害したことを、偶然の産物と思っていた。
カオリが説明不足のまま襲撃者を誘い出し、訳も分からぬまま戦闘になったかと思えば、カオリに背中を斬り付けられて隙だらけになったので、剣を力一杯振り下ろしたところ、思いの外深く斬り付けてしまい、絶命させてしまったのだった。
そしてカオリが背負い投げて悶絶していた男も、反撃を恐れて足を刺したが、これもカオリを真似ただけに過ぎない。
しかし、それでも時間が経つにつれ、人殺しの事実が重く彼女の心にのしかかった。
「シンはたしかに優秀だけど、やっぱり人手が足りないかと思って、シンには私達の直近の問題とか護衛につけて、王都の広い情報集めはあの人達に任せようかって」
ササキにもまだ相談していない、カオリの勝手な行動ではあるが、生かすも殺すもいつでも出来る状態であるので、カオリは今回のことを左程問題だと感じていなかった。
数日すればササキも、黒獅子の問題から帰還するので、それを待つつもりである。
しかしながらロゼッタの目には、カオリの些か乱暴に過ぎる行動を、訝しく感じていた。
もともと敵対者に容赦をしない少女ではあったが、今回のことで、カオリには人としての良心の在り方が、普通の人間と決定的に違うことを理解した。
魔物を殺すことと、人間を殺すことには、大きな隔たりがあるのが普通であると、この世界では比較的治安のいい王都で暮らしたロゼッタには常識ではあったが、どうやらカオリには魔物も人も、殺すことに特別なにか感じ入るものがないらしい。
とくに昨夜の、ロゼッタが熟睡していた時に、カオリがおこなった襲撃者集団の斬殺騒動は、ロゼッタには異常な事態に聞こえて仕方がない。
なのにカオリは平然とした態度で、ロゼッタの目の前で紅茶を啜っている。
罪悪感もなければ、喜悦もなく、不安もなければ、動揺もない、本当になにも感動がないように、少なくともロゼッタには見えた。
「……人を殺して、カオリは平気なの?」
ロゼッタは恐る恐る質問し、カオリはきょとんとした表情で固まるが、ややあって言葉を発する。
「う~ん、最初はちょっと怖かったけど、殺し屋さんを斬るのに、躊躇いはないかな~、これが冒険者とか兵士さんとかなら、またちょっと感じ方は違うかと思うけど」
悩んでいる様子に、ロゼッタは焦らずにカオリの目をじっと見る。
「人間って一括りに言っても、色々いるじゃん? ていうか、なにも悪いことしてないのに、殺しに来るっておかしくない? 頭おかしいんじゃない? そんなにの怖がったり同情したりとか、本当に時間と労力の無駄っ、なんで狙われなきゃならないの? あの時はロゼも一緒だったんだよ? 男の人がよってたかって女の子二人を襲うとか、どうかしてるでしょ!」
「あ、そ、そうね……」
突然豹変したように怒り出すカオリに、ロゼッタは面食らって仰け反る。
「ねえ分かってるロゼ、私怒ってるんだよ? 権力争いだか貴族の都合だか知らないけど、そんなもののために、平民でも女の子でも、お金を出して簡単に殺そうとするんだよ? 頭湧いてるんじゃない?」
「ご、ごめんなさい……」
一貴族の令嬢として、政争に巻き込まれて命を落とす人間や捨て駒にされる人員がいることは仕方がないと教えられて育ったロゼッタにとって、カオリの持つ怒りはとても純真に映った。
つまるところ、、カオリは単純に人の尊厳と生命を脅かす。権力者という傲慢な人種の考え方そのものに、人を殺したこと云々を忘れるほどの強い怒りを感じていたのだった。
「人を殺すなら、殺される覚悟をしなきゃならいとか、奪った命の責任を背負わなければならないとか、たしかに人として忘れちゃいけないことはあると思うけど、自分の手を汚さずに、相手の顔も知らずに命令だけで人を殺せるような人達に、私達が心患う必要ってなくない?」
「たしかに……」
カオリは人の在り方を、世界の仕組みを、もっと単純に考えていた。
生きるために働き、死なないために学び、殺されないように備え、殺すために剣を振う。
人間が社会を形成し、法を整備し、武力を構築し、経済をどれだけ発展させようと、その本質は常に変わらない。
武器を持たなければ、たしかに戦闘から距離をおくことは出来るかもしれない、しかし形成された社会の一員である以上、戦争や闘争から、本当の意味で無関係でいることは不可能である。
人は誰しも人より優位に立ちたいと考えるし、自分がより安全であろうと備えもする。
それをより確実なものにするために、相手を貶めようと画策するし、場合によっては殺すことも厭わないだろう。
戦争はそうした人間の本能とも云うべき行動が、国家という寄り代を得て、拡大したものに過ぎない、と云うのが、カオリが兄から知識を与えられた上で出した結論だった。
日本に住んでいた頃に、テレビのニュースで見た近隣諸国との国際情勢で、明らかに敵対行為を繰り返す国家の報道をいくどとなく見聞きはしていたが、ご近所や同級生に、その相手国出身の知り合いがいたし、なんだったら友人として親しくもしていた。
なのでカオリには、直接面識をもって関係を築くことが出来るなら、暴力に訴える方法で相手を傷付ける行為は、単なる逃避だと考えていた。
自分の主張に正当性があるなら、たとえ相手にその主張を否定されても、怒る必要も、憎む必要も、相手を屈服させる必要もないと信じていた。
嫌なら関わらなければいい、そう思っていたのだ。
ところがこの世界に来てから、自分はなにもしていないと思っていても、どこかの誰かはにとっては、カオリの存在は不愉快かつ目障りに映ることもあり、場合によっては直接的な排除も辞さないことがあると知った。
ただそれだけならば、カオリもこれまでは頑張って対処する必要を頭では理解していたが、今回の一連の騒動で、カオリは自身と仲間であるロゼッタの命を狙われ、心底腹が立ったのだ。
しかも相手のとった行動は、金を払って刺客を送り込み、問答無用で命を狙うといった過激な方法であった。
脅して要求を突き付けるでもなく、活動の邪魔をして困らせるでもなく、最終手段を最初に切って来たのだ。
これではあまりに理不尽ではないかと、堪忍袋の緒が切れるのも無理はなかった。
「別に我慢してた訳じゃないけど、もう怒った。あっちがその気なら、こっちからも色々手を打つもんっ!」
そう主張するカオリに、ロゼッタは言葉を失った。
カオリは権力渦巻く貴族社会に、どうやら打って出るつもりであることに、猛烈な不安と恐怖を感じたのだ。
「だからまずは情報を集めて、貴族の弱みとか、戦力の規模とかを知る。それで、そもそも襲われないように抑止力を揃えて、真っ向から勝負出来るようにする」
「ぐ、具体的には?」
意気込みは理解出来るが、相手は西大陸最大国家の貴族である。どれだけ意気込んだところでそうそう抗し得るとは思えない。
「それはこれから考えるけど、軍事力よりも、商業とか諜報とか、もっと私達が国にとって有益な存在になれるようにするのが目標かな? あと私達自身が強くなって、簡単に殺されないようにするのが先決だと思うの」
「……つまり?」
カオリの意図を薄々理解しつつも、ロゼッタは確認のために相槌を打つ。
「迷宮に潜ってレベル上げをしようっ!」
カオリはそう高らかに宣言した。
カオリ自身は日常に戻りつつも、地下室では襲撃者達の証拠固めは進められ、書類としては十分に揃ったころに、ササキはようやく件の依頼から帰還した。
そして見知らぬ気配を認識しつつも、体面上はなにも知らぬ風を装い、それとなくカオリに事実確認をする。
そしてササキを待っていたカオリはすぐにことのあらましを報告し、事態への対処をササキに願い出ることにした。
「ふむ、事情は理解したし、カオリ君の判断には私も賛成しよう、だが、彼等を上手く御することが出来るかね? 元は君を狙った襲撃者なうえ、仲間を君に殺された怨みもあるのではないか?」
この世界の人間を根本的に信用していないササキから、当然の反応を返され、カオリは素直に答える。
「それを判断するためにも、まずは彼等の雇い主を立件して退場させれば、十分交渉の余地はあるかと、そして彼等の本当の目的を把握してから、仲間にするかどうかを判断したいと思います」
カオリの凛とした態度に、ササキは一人の大人として感嘆する。
日本で生きていたころに、ここまで事態を重く見て、万全の備えと考えを巡らせる女子高生がいただろうかと思い出し、少し苦笑が漏れた。
「君が証拠を片手に警備兵に駆け込んでも、相手が悪ければ揉み消される可能性があるだろう、この証拠は私が預かって、信用出来る伝手に提出するとしよう、襲撃者達への交渉はカオリ君に全て任せよう、君の手駒として、上手く懐柔してみなさい」
今回の件が解決すれば、ササキが自前の手勢を駆使せずとも、カオリの独断で情報工作が可能になる。
ササキとしても貴重な、いや過剰な戦力を雑事に充てる必要がなくなるのだ。反対する理由などどこにもない。
果たして数日後、件の男爵はカオリ達襲撃のみならず、他にも貴族子息の誘拐や、私物や屋敷の窃盗を指示したとして立件され、正式に咎人として裁判にかけられ、牢の人となったことが貴族間に発表された。
呆気ない顛末ではあったが、男爵などミカルド王国では掃いて捨てるほどいる中の一人に過ぎない、派閥の尻尾切りもあるだろうが、誰も擁護する人間がいないこともあり、決着はすぐに済んだ。
そしてその夜、カオリはロゼッタとシン、また一応護衛のビアンカも見守る中、男達と対峙することになった。
「貴方達の雇い主は捕まりました。また貴方達は公的には死亡したことになっていて、ある意味で自由な身となりました。今後貴方達の生殺与奪は私の預かりとなります」
「そうか……」
カオリの発表に、長は精彩を欠いた返答だけをし、カオリの発言を待つ。
「ただ改めて雇用の話しをする前に、聞きたいことがあります。貴方達の本来の目的はなんですか? それ如何によっては方針を改める必要があるかも知れないので、真実を教えてください」
虚偽を許さない姿勢を瞳に込め、カオリは男達の動きを表情一つも見逃さないように注視する。
カオリの後ろでは、シンが無表情で佇み、ロゼッタは開発した結界魔法を展開して警戒し、ビアンカも剣をいつでも抜けるように備えている。
カオリ一人でも敵わないこの状況で、武器もなく、流石に反抗することはないだろうと考えられたが、備えることが一つの礼儀とばかりに万全の態勢で挑むカオリに、長は何故か光栄な気分になって口を開いた。
「幸か不幸か、今生き残っているのは、同じ集落の同輩だ。これも女神の思し召しかか……」
小さく呟くと長はたどたどしく語り出す。
「俺の目的は貧民街の一部を掌握して、俺が育った孤児院を貴族の手から自由にすることだ」
語り出す内容に興味が惹かれつつ、カオリは黙って続きを促す。
曰く、王都の貧民街は、その発生に多分に貴族の思惑が絡んでいると云う。
第一に、私有の兵力を潜ませる隠れ蓑であったり、愛人や私生児を秘匿したりと、表沙汰に出来ない人間を隠すのに都合がいいのだと云う。
第二に、貴族間の情報工作や暗殺を担う人材の育成や確保が容易に出来ることだ。貧民街では徴税が困難なため、住民の把握が出来ないので、証拠を掴ませない恰好の環境なのだと云う。
第三に、王都に非合法な物資を運び込み取引する。または財産を隠し、それらを運用して、脱税と共に資産を増やす企みに最適であると云う。
そして男達は四人共、貧民街に建てられた同じ孤児院の出身で、表向きはただの孤児院なのだが、その実、貴族に雇われる暗部を育てる養成所であり、無作為に集められた子供達は、幼少のころから、盗みや殺しを教わる。
孤児院の運営は一部の貴族達が出資し、また孤児院の経営者も、子供達を組織に斡旋した紹介料や、娼館に売るなどして金銭を得ていた。
そうして育てられた子供達は、当然身分などなく、公的には存在しないものとされ、公共の施設の利用はおろか、税を収めていない非市民として、王都から追放されるか、戦争の最前線で肉壁として使い潰される運命を辿る。
「この国では奴隷制度はないのでは?」
「……殺しはするのに、裏社会には疎いのか? ずいぶんチグハグな娘だな」
カオリの質問に長は不思議なものを見る目をカオリに向ける。
「王国に奴隷はいない、法的にはな……、だが裏では借金の形に売られ、娼婦や性奴隷に堕とされる女はいるし、鉱山で一生働かされる男はごまんといる」
筆の代わりに短刀を持たされ、文字の代わりに気配を読む術を植え付けられた子供達は、それ以外に生きる方法を知らず、市中に出れば衛兵に捕まって、城外で魔物の餌になるか、実質的な奴隷にされると脅され、皆仕事として罪を重ねていくのだった。
一度でも穢い仕事に手を染めれば、情報の漏洩を恐れて、相互監視下におかれ、裏切り者や逃亡者は制裁を受けることになる。
そのため裏の稼業人達は余程の幸運が起きない限りは、死ぬまで裏社会で生きるものがほとんどだと云う。
「やっぱりそうなんだ。奴隷制度が敷かれていない分、王国の方が貧民にとっては辛い社会なんだね~、警察機構がないから、国が把握出来ない犯罪の温床なんだね」
「……一王国貴族の娘として、恥ずかしい限りだわ、自分の盲目を恥じるばかりよ」
ロゼッタは目を伏せ、悲しそうに呟いた。
長も他の男達も、カオリやロゼッタの反応を見て、少し複雑な心境だった。
つい先日までは殺しの対象だったにも関わらず。今は自分達の境遇を理解し、同情や反省を見せているのだ。
仲間や部下を殺された関係ではあるが、殺しに失敗し、返り討ちで命を落とすなど日常茶飯事な彼等にとって、仲間を殺されたことを怨む感情は乏しい、そもそも先に命を狙ったのは自分達なのだから、カオリを怨むなど御門違いも甚だしいと、流石の彼等も理解している。
「貴族の手から、後輩とか仲間を自由にするのに、最善の方法はなんですか?」
「……金を集めて、税を収め、正式な市民としての特権を得て、表の商売で生活する基盤を作ることが出来れば、俺達はともかく、子供達は真っ当な人生を送れるはずだ。俺達自身も業界から足を洗って、犯罪歴を抹消出来れば、機会さえあれば生計を立てることも不可能じゃないと思う……」
漠然とした答えにカオリは、彼等自身が語る内容に根拠や自信がないことを察した。
確実な方法が分かっているのなら、とうの昔に実行に移しているのだろうから、その内容が容易くないのであろうとカオリは理解する。
毎年の税を収め、市民権を得て、日々の生活の糧を恵まれるには、なにしろ金が必要になるだろう、それも並大抵の金額ではない、数十人、ともすれば数百人の初期資金である。
男達が貴族に取り入り、ひたすらに金のために汚い仕事に手を染めて来たのは、偏に仲間達のためである。
カオリの頭に、男達の云う仲間を全員、カオリ達の村に迎え入れる方法が浮かんだが、流石に数百人もの食料や物資を賄う資金はない、まだ既存の村人全員の住居も完成していないのだから、少なくとも今すぐにどうこう出来る段階ではなかった。
それに村に迎え入れるとは即ち、王国民ではなくなるということでもある。
貧民であり、正式な市民ではないとは云え、王国民としての愛国心や執着もあるかもしれないのを、金をチラつかせて誘導するのは気が引けるとカオリは考えた。
「私には目の前の人間を助けるのが精一杯で、貴方の云う不特定多数の人達全員を救う力はありません、それでも貴方達が私に手を貸してくださるなら、私達の村は受け入れを進める準備はあります。この国の貴族とのいざこざも、場合によっては解消するのに力になりましょう、確約は出来ませんけど」
「……」
長は沈黙する。
彼にとっては組織を壊滅させ、貴重な貴族との繋がりを断った人物の言葉である。
「長よ、これも転機ではないのか? 相手は神鋼級冒険者の後援を受けた。国外の開拓団の責任者で、彼女自身も有能な冒険者だ。有能な刺客でもあるようだが……」
男の言葉に長は意を決したように顔を上げる。
「分かった。あんたの提案に乗ろう」
長の返答にカオリは笑顔を向ける。
「分かりました。仲間を救うためにの策はこれから一緒に考えましょう、ただその前に、貴方達自身を救うことから始めましょう」
カオリの言葉に、男達は不思議そうな表情をする。
「俺達を救う?」
カオリは不敵に笑う。
「はい、仕事ですよ?」




