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( 各所状況 )

 王都ミッドガルドには、王国の政治と国家の象徴を担う、王城が存在する。

 一重目の城壁は幾度も改修を繰り返しつつも、それでも数百数千年の歴史があり、もっとも古い箇所では紀元前から残ると云われている古い層もあると云われている。

 高さと強度こそ外の二重目三重目に劣るものの、刻まれた歴史は如何にこの都市が歴史を積み重ねて来たかが伺える。


 現在の政治体制によってその構造や役割こそ変われど、城そのものが大陸の文化遺産として価値があるのだ。

 その城壁の城門に当たる跳ね橋を渡り、一騎の騎馬が門前にて検閲を受けている。現在王都で活動をすることになった。神鋼級冒険者のササキである。


「ではいつも通り、遣いをおねがいしよう」

「はっ、承りました。ササキ様」


 城門前詰所に勤務する兵が起立して、ササキの国王への訪問を知らせる役を受け、走り出すのを横目に、馬を厩へ運ぶのも兵に頼み、ササキは身嗜みを整えて歩き出す。

 本日は珍しくも甲冑姿ではなく、正装をしているササキである。門衛も一瞬誰か分からずに誰何したことを謝罪したのだが、登城するのにいつも甲冑姿だったササキに非があるので、問題には当然ならない。


 そう云いつつこの正装も、高位の魔物の素材から生地を作り、各種魔術付与がされた装備品である。

 この世界の一般的な高品質の装備などとは比べるまでもなく、破格の性能の装備品である。見た目は普通の乗馬服に過ぎないが、これも一応正装なので問題にはならない。

 城門から城内の目的地まではかなりの距離があるが、国王の面会の準備が整うまでには時間がかかるので、歩いて向かえば丁度い頃合いになるだろう。


 通常は貴族でなければ登城は許されていないが、この世界で神鋼級の冒険者と云えば、およそ伯爵か低くても子爵に並ぶ地位が保証される。

 貴族の地位とは極論、政治的発言力と軍事的権限を有するか否かである。

 騎士爵から準男爵と男爵位では、私的な戦争行為は許されておらず。私的な騎士団の所有も許されていない、子爵になって初めて私設騎士団の設立が出来、また他国に対する交戦権が与えられる。


 伯爵になればようやく軍の編成が許可され、王の許しがあれば能動的な侵略戦争も可能なのだ。

 ちなみに、従士と騎士は別物であることを説明する場合、オンドールを例に挙げるならば、男爵に仕える従士として登用され、戦争時は騎乗して隊を率いて戦ったオンドールは、世間一般では騎士と認識されているが、正式な騎士団に所属していない彼は、厳密には騎乗した従士兵というのが正しい表現である。


 ただ職業としての騎士と、在り方としての騎士は度々混同されることが多いので、オンドールとしては指摘されない限りは騎士であると云われて否定しなかっただけに過ぎない。

 翻ってササキはと云うと、例え伯爵に相当する地位があると云っても、正確には貴族位、つまり正式な叙爵を受けた貴族ではないので、位としては平民となんら変わらないが、個人の持つ武力を考慮して、国に益をもたらす重要人物として遇するがゆえに、体面を保つための配慮として、その地位が保証されているのが実情なのだ。


 一匹で都市をも破壊する可能性がある黒金級の魔物であったり、一個で国すら亡ぼす神話の魔物であったりと、この世界特有の脅威に、唯一対抗出来得る存在、それが冒険者であり、大陸に数えるほどしかいない神鋼級冒険者という存在なのだ。


 もちろん騎士が魔物に手も足も出ないという訳ではない、彼等も訓練の中で魔物の掃討や、迷宮で魔物と相対する機会は多いので、鉄級や銀級の冒険者に引けをとらない実力は当然あるとして、古兵になれば金級や黒金級に匹敵する実力者も当然存在する。


 ただ冒険者は専業として常に魔物に備えて戦いの準備をし、また魔法や技術と云った点では騎士とは比べ物にならないほどの経験と知識を有するのであれば、やはり対魔物という状況では、冒険者は騎士よりも優れた能力を発揮出来るのだ。

 適材適所という観点でも、費用対効果という視点で見ても、やはり魔物の討伐は冒険者に依頼するのが最も効果的で効率的であるのは、この世界では常識とされる。


 ましてやササキは神鋼級冒険者だ。

 たった一人で竜種を無傷で討伐し、それこそ騎士団を投入するほどの魔物の大進攻も、彼が一人いれば一切被害を出さずに解決出来るのだから、彼を国が優遇しない訳がないのである。

 防衛拠点としての役割から大きく遠ざかった現在、城門から城までの道は、櫓や塀が極力排され、その代わりに植栽で鮮やかにかつ豊かに彩られ、荘厳さと華麗さを醸し出す非常に優美なものである。


「いつ見ても見事な景観だな」


 歴史的建造物や古代建設技術に興味のあるササキは、一見古い技術で整えられた建築様式を、知識欲から観察しながら歩みを進めていた。

 現代日本のコンクリート技術もなく、人工石材や鉄鋼技術も乏しいこの世界は、環境整備という点ではどうしても一歩どころか二歩も三歩も劣る。


 だがその不足分を人の技術と情熱で補った完成度は、馬鹿に出来ない粋を感じるのだ。

 城に入ればそこも見事と云う他ないとササキは感じる。

 壁紙などという便利な建築資材がないこの世界では、壁一つとってもかなりの労力がかかるものだ。

 丁寧に組まれた石組みに、その上を漆喰で仕上げ、顔料で任意の色彩で彩れば、それがこの世界の上等建築の内装とされる。


 元となるセメントが高い水硬性をもつ接着資材として注目され、砂と混ぜてモルタルと云う仕上げ材として広く利用され、粗骨材となる砂利や砕石を混ぜればコンクリートと呼ばれ、強度と耐食性をもたせて建築基礎や大規模工事に利用されるようになってようやく、人類は堅牢かつ美麗な建築が可能になった。

 これらは従来の土壁や煉瓦とは一線を画す建築資材であり、国家主導で生産が進められた重要な国家資源である。


 またこの技術を身につけ、公共事業に従事する技術者は、古代日本では左官職人と呼ばれ、登城の権利を有する貴重な人材と見なされる。

 もちいる資源と技術が同じであれば、時代や世界が変わっても、その価値は変わらず社会を形成しているのは当然であり、それらはこの世界でも、地球と同様に扱われていた。

 ただそれら資源の管理と人材との癒着は貴族の権力に深く関わりがあり、武力とは違う手段として、社会の根幹を担う要素でもある。


 元となる資材が採掘出来る鉱山を有する貴族は、その採掘権と鍛冶職人達の組合に大きな発言権を有し、森林資源を抱える貴族は、木工職人や大工達の組合に顔が効き、石材も、農産も、畜産も、海産もと、とにかく産業の重要な権利を独占し、物流と経済を掌握するのが貴族という階級である。

 逆らえば物資や資材が手に入らず。技術者も協力を渋るとなれば、誰も貴族に逆らおうなどとは考えないだろうし、そこに武力まで有しているとなれば、いったい誰が貴族を敵に回すというのだろうか。


 ここまで説明すれば分かってもらえるだろうか、たった一人の冒険者、魔物を倒すことしかしない孤高の戦士であるササキが、それら権力という化け物が巣食う王城の回廊を、我が物顔で闊歩することが、どれほど異常な光景であるかを。


 通り過ぎる文官や侍女に僅かに会釈と笑顔を向ければ、身分に関わらず彼等はササキという人物に羨望と好意の眼差しを向ける。

 最も最古に建てられた本城に併設された。政治を司る区画には、裁判所や各部署の本部が設けられ、多くの文官が忙しそうに行き交っている。通称文部棟と呼ばれる区画だ。

 本城を挟んで反対側には主に軍部の本部がおかれ、こちらとは反して軍人が活動しているが、意外にもササキは、数えるほどしか足を運んだことがない。


 本日もいつも通り、文部棟の最上階に位置する。王の執務室に向かうササキの姿は、この棟では月に一度の見慣れた光景として、文官達には快く受け入れられている。

 武力で国を守ることを誇る軍人と、政治で国を守ることを誇る文官、双方の相性が悪いのは、国や人種が違っても、時代や世界が変わっても、どうやら変わらないらしいと、ササキは内心苦笑する。

 武功で名を馳せた神鋼級冒険者ササキは、どうやら剣を振りまわすだけの粗忽者ではなく、真に国を支えているのは誰かを知っているらしい、という噂が、文部棟で囁かれていることを、ササキは知っていた。

 それを思い出し、ササキはまた苦笑する。


 執務室の扉の左右に立つ見張りの兵に声をかけ、誰何の後に許可を受けて部屋へ踏み入れば、今日は早々に職務を放棄した国王が侍女が淹れた紅茶を愉しんでいた。


「おおササキよ、よく来た。さあ座ってほしい、そなたのお陰で休息のよい口実になるでな、是非ゆっくりしていってくれ」

「先々週以来です。では失礼します」


 促されて長椅子に腰かけるササキ、と見せ掛けて、実は僅かに体重を乗せたところで重力魔法と類稀な筋力を駆使して、全体重で椅子を破壊しないように配慮するササキに気付きもしない国王は、笑顔を向ける。

 ミカルド王国の現国王、アンドレアス・ガルガンラル・ロト・ミカルドはササキの訪問を歓迎する。


「そなたが短期とは云え王都に腰を据えると聞いて、ワシは大歓迎だ。そなたを畏れる貴族にとっては肩身の狭い思いをするだろが、王都の安全と安寧が保たれるのは、なによりも安心出来るのでな」


 自慢の髭を撫でながら言うアンドレアスに、ササキは苦笑を反す。


「彼女達を学園に送り込んでおいて、私だけが外で遊び呆ける訳にもいかず、丁度良い機会なので、私も後学のために滞在を決めた以上、責任をもって務めると共に、ご配慮下さった陛下に、微力ながら協力をと考えた次第です」


 以前にも同じ文句を言ったササキではあったが、ここは立場を明確にするために繰り返す。王はさらに機嫌をよくする。


「そなたがくれた各種調査報告書には目を通した。まったく王家の影達でも集められなかった情報の数々に、彼等も肩を落としておるよ、とくに東西の派閥に関する情報は重要ゆえな、感謝する」

「双方の開戦論派には未だに軍費の備蓄がある以上、油断すればいらぬ戦火の火種になりかねませんからな、慎重にもなるでしょう」


 現状、王国には二つの開戦論派が存在する。

 一つは帝国との停戦状況を打破し、帝国の国力を削ぐことを狙う派閥と、西の諸王国に圧力を加えて、あわよくば領土侵略を狙う派閥である。


「王国成立から数百年続いた周辺国との領土戦争、そして開戦から百年も続いた帝国との戦争に、我がミカルド王国はあまりに永く戦いに身を投じ過ぎたのだ。この肥沃な領土を失わずに来れたのは、一重に民の献身的な労働による。豊かな国力があってこそ、本来であれば戦いなどせず。より豊かな発展を目指すことが出来るのだから、この停戦状況を可能な限り引き延ばし、国力の増強に努めるべきなのだ。……次の戦いに備えるためにも、な」


 陰る表情を隠すこともせず、重々しく語るアンドレアスに、ササキは微笑で応える。


「そのための情報収集も大事とは思いますが、以前陛下が発案された。司法高官の発足は進展が御座いますか?」

「そなたであれば具体的な進捗状況も掴んでおるだろう? 第一その司法高官も、元はそなたの発案を元に、わしが纏めたものに過ぎん、謙遜もほどほどにせよ、まあ国政に口出しせぬというそなたの姿勢も、理解はしておるのだがな……」

「はは、失礼、仕事を増やした私を、お怨みになるのであれば、その分の協力には労力を厭いませんよ」


 表情豊かに困った体を表するアンドレアスと、笑うササキ。


「主な高官には王国騎士団と文官から選出するとのことでしたが、未だ十分な人材の候補が見繕えていないとのことですな」

「……やはり知っておったか、はあ、どうして貴族というものはこうも欲の突っ張ったものが多いのだ。縁故、縁故、縁故、実力があって清廉潔白な高潔人など、夢のまた夢なのかのうぉ」


 王国騎士団というのは、貴族の私設騎士団とは違い、王国ないしは王家を頂点として設立された騎士団であり、現在は三つの主要騎士団と少数の騎士団で構成されている。


 一つは正式名【王国近衛騎士団】近衛騎士団または王国騎士団と呼ばれ、ミカルド王国成立時に、最初に発足された由緒ある騎士団である。主な任務は王族の護衛と王城の守護と、王家の抱える問題への対処である。


 二つ目は【王立魔導騎士団】、近い組織に王立魔導研究所が存在するが、こちらはより戦闘に特化した武装組織として、あらゆる魔法的事態に対して、備えるために設立された騎士団である。


 三つ目に、【王都守護騎士団】王都の発展共に噴出した治安維持や、貴族間の問題への対処のために設立された騎士団で、情報収集や囮調査をも視野に入れた極秘任務もこなす集団である。


 規模としては王都守護騎士団がもっとも多く、常に千人ほどを確保しているが、ここには平民出のものも多く、また市井に紛れて調査する業務上、あまり高位の貴族子息からは嫌煙されている騎士団である。

 次いで王国近衛騎士団が続き、王立魔導騎士団はさらに少ないが、彼等は高位の貴族子息や才女で固められ、能力は保証されているものの、時折傲慢な態度が対立や軋轢を生む難儀な面も孕んだ組織だ。


 これら三つの主要騎士団の他にも、王族個人が設立した私設騎士団があり、どれも多くて百人程度ではあるが、目的のはっきりしたこれらは、規模こそ侮りの対象にはなれど、忠誠心や専従意識は主要騎士団には負けず劣らず高く、それなりに認められた組織であり、この中には現王妃が発足した百合騎士団、ビアンカが所属する女性騎士だけの騎士団も存在する。


 執務室に新たに、別の人物が入室する。


「失礼します。おお、ササキ様、いらしていたのですね」


 入室して来たのは、度々同席を許される。王国近衛騎士団の騎士団長である。年はアンドレアスと近く、幼少からの幼馴染でもある二人は、今も個人的な付き合いがあり、私的な場面では名で呼び合う仲である。

 王家の紋章の左右に剣と盾をあしらった騎士団の紋章が描かれた外套を脱ぎ、侍女に預けた彼は、目線だけで王の意を組んで、王の隣に腰掛ける。


 彼が紋章が施された外套を脱ぐ時は、この場が私的な場であることの表れであり、砕けた口調も許されるのだが、それで口調を改めるのはアンドレアスだけで、彼もササキも堅苦しい口調を崩すことはない、それだけ王が尊敬されていることの証左ではあるが、アンドレアスとしてはやや不満であるのは、二人とも承知である。


「先の司法高官設立の件ですが、試験的に各隊から選出させたものを、湖国リ・ルートレイクに駐在させることで、その運用方法を試すことで話しが纏まりましたので、宰相より決済書を預かってまいりました」


 差し出された書類を一瞥し、アンドレアスはそれをササキにも見えるように、机に広げる。

 国の重要な決済書を本来部外者に見せることは憚られるのだが、この件にはササキも関わっていると、いやむしろ積極的に関わってほしいという願いも込めて、ササキに提示する。


「各騎士団員から一名ずつと、同数の文官で、計十二名ですか、少々少なく感じますが、他国を刺激しないように配慮するには、この程度が限界ですか」

「所属を問わず優秀者からなる司法高官を他国に送り込み、国家間の外交や通商に関わる法的管理を主任務とし、相手国の情報をいち早く入手する仕組みを、王家主導で行う組織、たしかに他国に目を光らせるには、もっとも理想的な組織形態ですが、外交特権に溺れた外交貴族が黙っていない新制度となりますので、発足にはかなりの根回しが必要でしょうね」

「最初は王家から人員を貸し出すかのように見せて、外交貴族を大使に任じ、動向を監視させる狙いもあるが、相手国の膿の絞り出しにも協力して、有用性を認めてもらわねばならん、並みの精神と能力では勤まらん以上、選出には慎重を期さねばならんだろう……、帝国のように大学の設立も視野に入れた方がよいかのう」


 この世界では大半の国家は、外交を外交貴族という貴族家に一任している場合がほとんどだ。

 積み重ねた交渉術と、外交を担う特権として蓄積した財を元に、国家間の折衝を一手に担う彼等は、秀でた能力と外貨を稼ぐ重要な役割をもっている。


 しかしその分、彼等の一存で進められる交渉により、不利な通商を結ばされる場合もあるし、法の抜け穴を利用して、不正に富を得る輩も少なくない。


 なにより国家間の折衝にも関わらず。王家がその実態を把握し切れないのは致命的な問題である。

 貴族に権力や特権が集中し過ぎれば、王家が国を管理し切れず。最悪派閥争いが激化し、内紛にも発展し兼ねないのだから、国王と王家派閥としては切実な問題でもある。


「各騎士団や多様な文官達から、無統制に人員を選出するのも、王の権力が集中し過ぎないための配慮でしょうが、より法を整備して、保険をかけておかなければ、貴族達を納得させるのは難しそうですね」


 そう語るのは、近衛騎士団長である。真に王国を想い、王家を敬愛する愛国心溢れる彼としても、騎士団の抱える問題と同様に、貴族間の対立も我が事として問題意識をもってことにあたっているのだ。


「私としてはしばらく腰を据える国が、内輪揉めや他国との戦争で疲弊し、荒れるのは極力回避したいので、この件に関しては協力を約束します。具体的には諜報活動における兵の訓練や、外交上の規則の草案の作成ですね。滞りなく国外で活動するにも、国内の不穏分子を炙り出すにも、情報を確実に収集する力は、国を統治する上では必要不可欠ですので」


 自信満々に語るササキに、アンドレアスも隊長も感嘆の溜息を吐く。


「そなたが貴族となって、この組織を直接率いてくれれば、それが一番助かるのだがなぁ、かねてからそなたは情報の重要性は元より、そのための専門組織の設立を進言してくれていたのを思えば、もっとも適任であろうに」


 地球の某大国における中央情報局のような、情報収集や他国への工作を専門とする組織を、この未発達な文明の国に作ろうと、ササキが建言したのがこの話題の発端である。

 アンドレアスが私的に利用する。【王の影】と呼ばれるもの達は、正式な組織ではなく、あくまで王と友邦を結ぶ一族との契約で成り立っている。


 ササキには一瞬で見破られてしまったが、隠密を得意とする彼等は、元は【遠見の守人】と呼ばれた一族の末裔である。かつてカオリが昇級試験で【遠見の監視塔】を攻略したおりに出現した。【亡者】達の子孫である。


 あの時に噴出したカオリの異端騒動は、ササキの【白の夢】の調査依頼の衝撃でうやむやになった後も調査が進められ、各研究機関と学者が論文の発表と議論をする。学会で正式に発表され、現在は、『監視塔を死守せんとする一族が、死して尚も守護の任を遂行するために、苦渋の決断として不滅の魔術を行使した結果』として結論づけられた。


 一族の精鋭が魔物に変じたとして、魔女の一族などと嫌悪の対象にもなった彼の一族は、同族の贖罪のためといって、代々ミカルド王家に影の従者として従って来たのだが、百年もの永きの後に、カオリが切っ掛けとなってその名誉を回復したのだ。

 もちろん一連の問題は国王の命で白日の下に発表され、民衆の知るところになり、以降遠見の守人の末裔は、より一層の王家への忠誠を約束したのは余談である。


「正式にはいないものとされる彼の一族をより鍛え、彼等に新兵訓練をさせれば、諜報専門の精鋭部隊の設立も不可能ではないでしょう、存在しない組織と、部外者の私が蠢動する分には、この国の貴族を刺激することもないでしょう」


 国の関係者としては、新参者ですらない部外者のササキが、王国で活躍することに渋面する貴族はまだまだいる。

 直接的に手を出すものに関しては、ここ数年でほとんどササキの返り討ちになったが、それでも多くの貴族にとって、ササキは目の敵として憎々しく思う対象であることは間違いないのだ。


 【北の塔の魔王】と呼ばれ恐れられ、神鋼級冒険者のササキとして身分を隠す彼が、一国家の貴族になることはまずないのだが、その真実を知らない二人からみれば、なによりも魔物の脅威に怯える民の味方として、高潔であることを信条とするその在り方に、敬意を払っている。

 と同時にササキが貴族となって民を、国を導くことを期待するのは当然のものと考えられるだろう、ササキも二人の本音に理解を示しつつも、受け入れられないことを申し訳なく思う。


「まあ今回の司法高官がある程度実績を示せば、将来的には帝国にも大使館をおいて、通商条約を、さらには休戦協定を、可能ならば平和条約を結べたら、どれほどよいだろうか……」


 戦争のない社会の実現という、途方もない未来に思い馳せるアンドレアスを、隊長もササキも目を細めて見詰める。


「その偉大な第一歩として、これは最優先で取り組む意義がある。頼んだぞダニエル、そしてササキよ」

「はっ、全力を尽くします」

「よろこんで」


 二人は王の懇願に頭を垂れた。

 しかしここでササキは声を潜めて呟く。


「西の諸国家が動き出しました。複数の傭兵団の出入りと、食料の買い付けが盛んになっています。……戦争が始る」


 執務室に、重い沈黙が落ちた。




 同刻、村では変わらずに開拓の活気に沸いていた。

 水道の敷設に家屋の建築、森小屋建設予定地への道の敷設と、同時進行する各種開拓業で、住民達が忙しなく行き来する様子は、明るい未来を目指す熱を帯びている。


「アキ君、今少しいいかい?」

「なんでしょうオンドール殿」


 集合住宅の大広間で、アイリーンの従者であるダリアと共に書類仕事をするアキは、オンドールに呼ばれて顔を上げる。


「いやなに、村での採石計画は、今どんな状況かを確認しておきたくてね」


 オンドールに気を遣って、ダリアが席を勧めると共に、立ち上がって茶の準備を始めるのを、礼を言って席に座る彼に、アキは姿勢を正して答える。


「ササキ様にいただいた資料を元に、いくつかの切り出し方を試して、品質と量の観点から、もっとも適した方法を模索中です。道の敷設で砂利が利用出来るので、それも加味して、現在資料を作成しております。最終的にはカオリ様に決済いただければ、即着手出来る準備が御座います。早ければ三日後というところでしょか」

「ふむ……、であれば実際の採石量次第では、二便での石材購入を減らせるか、むしろ混擬土の方が必要か」

「足りませんか?」

「いや、なんとか間に合わせよう、村の外の水道なら、多少骨材の比率が多くても問題ないはずだ。仮に問題が生じても、外なら改修も簡単だからな」

「そうして下さい、カオリ様が用立てた貴重な開拓資金を、ただの油断で浪費するなどあってはなりません」


 アキの冷徹なもの言いでも、オンドールが気を悪くすることはない、元々規律にうるさい彼にとって、責任者が厳しく監督する状況は当然のこととして認識しているのだから、むしろ推奨してすらいる。


「カオリ君達の様子を聞いても?」

「入園試験に合格されたので、正式に王都で活動されることが決定いたしました。その間の開拓業では、私とアイリーン様が協同で代理責任者として、子細の決済と、カオリ様の判断を仰ぐために、定期的な報告業務が言い渡されております」


 村の開拓業の細々とした決済をアキとアイリーンが指示し、大まかな最終決定はカオリの指示を仰ぐ体制で、今後しばらくは村を運営していくことが決まった。

 少し忙しくなったアキだが、そこはカオリに忠誠を誓う彼女である。かなりの意気込みで責任感を胸に仕事に従事する彼女に、村の面々も彼女を認めて協力している。


「それと一つ提案があるのだが」

「伺いましょう」


 改まって言うオンドールに、ダリアが淹れた茶が差しだされ、それで口を湿らせながら彼は続ける。


「彼女達が村に帰って来る前に、役場の建設をしたいと、関係各処から声が挙がっている。立派な村の象徴として、村の運営に意欲的な君達が、快適に仕事に打ち込める職場として、村一番の立派な建物を建てるのはどうかと、皆が求めているのだ」

「なんですと! それはつまり、カオリ様が居住する屋敷としても機能すると認識しても?」

「もちろんだ。現在村の中央に面した四つ角だが、一角だけ敷地を確保しているが、なにを建てるか決まっていない場所があっただろう? 祠と君達の自宅に近く、それなりに広い敷地だ。繋げて総石造りの建築物は、今後村に立ち寄る人間や、移住を希望する人間の窓口として、そして盟主が住む屋敷として、村の発展の象徴として、永く村に威光を示すことだろう」


 にこやかに言い切ったオンドールの言葉を受け、アキは立ち上がって震え出す。


「す、素晴らしい! 村のもの達がそこまでカオリ様を仰いでいるとは、カオリ様の素晴らしさを分かっているのは評価に値します。学園より戻られたカオリ様も、屋敷の生活で身分に相応しい生活水準の必要性を理解して下さるはずです。早速その計画を進めましょうっ!」

「カオリ君は贅沢な暮しに頓着がないからな、まずは外堀を埋めるために、ササキ殿やロゼッタ君に計画を話して、アンリ君とテムリ君にも協力を仰ごう、きっとあの姉弟がよしとすれば、自宅が豪華になることも、カオリ君であれば許すだろうからね」

「素晴らしいっ、実に素晴らしいっ! 分かっているではないですかっ、そうですそうです。村一番の屋敷に住まうは、盟主であるカオリ様には相応しい待遇です。――カオリ様待っていて下さい、このアキめが、カオリ様に相応しいお住まいを、ご用意させていただきますっ!」


 興奮して天に祈りを、いや、遠い地で活動するカオリの姿に祈りを捧げるアキを、オンドールは微笑ましい気持ちで見守った。


「採石場の開発が本格始動すれば、石材の確保が容易になるし、王都で活動することが決まれば、カオリ君を驚かせる十分な建設期間が設けられるからね。では後ほど具体的な計画を練るために、時間を作ってほしい、大工と石工の二人には、私から声をかけておくので、各種資料の用意は、アキ君に任せていいかい?」

「お任せ下さい、会議場所はアンリ様の家を提供します。余人の邪魔が入らぬよう手配します。早速アンリ様に許可をいただいてまいりますっ!」


 急いで駆け出したアキを見送り、オンドールは息を吐いて茶を飲む。


「交渉がお上手ですね」


 ダリアが席に座り、書類の続きを始めながら、オンドールに言う。


「それほど彼女がカオリ君に忠誠を誓っている証拠だ。思うにカオリ君が学園に通うようになれば、村の存在が噂になって、移住者が増える可能性が高い、今はカオリ君を慕って村人が結託しているが、外部の人間が増えれば、それだけ問題が出ることも予想される。役場の威容はそういう点でも有用だ。馬鹿正直に外から問題を抱えた人間を受け入れると云えば、アキ君は渋ると考えたのだ。ものは言いようということだ」


 穏やかに述べるオンドールに、ダリアは澄ました表情で、自分用にも茶を淹れていたので、それを優雅に飲む。


「カオリ様が貴方様と知り合えたのは、非常に有益だったと認めますが、よもや――」


 ダリアが言い切る前に、オンドールは手で制する。


「私はササキ殿の考えも汲んで協力しているだけで、カオリ君達をいいように操るなど考えてもいない、この村はきっと世界情勢で重要な起点となるはずだ。最終的な判断はカオリ君の意思を優先するが、来る苦難を想定するのは、あくまで大人である我々の役目だ。そのために嫌な役は率先して引き受けるつもりだ」

「私はアイリーン様の従者です。その仲間であり、リーダーであるカオリ様にも、等しく敬意を払う義務があります。ゆめゆめお忘れのなきよう」


 毅然とした態度のダリアに、主に従う忠節な従者であったかつての自分を思い出し、オンドールは苦笑する。


「さて、私も仕事に戻るとしよう、茶をありがとう、人心地がついたよ」


 礼を言うオンドールに、ダリアは軽く会釈をする。




 そして倉庫前では、イゼルが一枚の書類を睨みながら、難しい表情で仁王立ちしていた。そこにカーラが籠を片手に近付く。


「イゼルさんどうしたんですか?」

「ああカーラ、うーんアキちゃんから、この提案書を渡されたんだけど、私にはちょっと規模が大き過ぎて、どうしたものかと思っちゃって……」


 イゼルが手にするのは、カオリが王都生活で始めのころに考えた。貨幣経済と税制の導入に関する政策を考えたおりに提案された。商会設立の草案をまとめたものだ。

 貨幣と税の簡単な構想に触れつつ、商会設立に関して掘り下げた内容には、商会の責任者としてイゼルの名が記されていたために、本人の意思を確認するために、資料を渡すように受けたアキが、重要書類としてイゼルに渡したのだ。


 しかし渡された当の本人は、アキの大仰なものいいとは裏腹に、イゼル本人の意思を尊重するように書かれているので、どう扱うべきか検討していたのだ。

 そして煮詰った彼女は、自分が将来商うであろう物量と品目を想像するために、実際に村で消費される倉庫の品を眺めていたのだ。


「む、難しい……、イゼルさんこれが理解出来るんですか?」

「貴女ねぇ、そんなこと言ってたら、その時になって困るわよ? そこに貴女の名前も書いてあるんだから、無関係でいられないわよ」

「ええーっ! 本当ですか! なんで」


 そして商会設立に当たって、部下としてカーラの名前も記されているのを確認していたイゼルは、将来の部下の戸惑いを眺めて、溜息を吐いた。

「農業の知識をもっていて、文字を読むのも最低限出来るのだから、農産物の目利きとか、季節毎の収穫量の予測とか、その構想にある商会は、将来的に村の経済を管理する役目もあるようだから、私達が適任だったんでしょ? 村の既存の仕事は、元村人の皆がいれば間に合うんだから、外様の私達にも重要な仕事を与えたいっていう、カオリちゃんなりの優しさでしょう、本当ありがたいけど、大役よねぇ」


 ただの行商人の娘に過ぎなかったイゼルも、こと商いにはそれなりの経験を自負してはいるが、村という小さな規模の商会とは云え、云わば政商または、御用商人とも云える大役に指名されるとは思わず。少々気負ってしまうのだった。


「ど、どうしよう……、カオリさんの役には立ちたいけど、村の商会の従業員なんて、私に務まるとは思えない……」

「ああもう、泣き言云わないの、もう引き受けるのは決定として、今すぐにでもカーラの教育と、臨時雇いの人員の見定めと、具体的な運営方法の草案を纏めるために、アキちゃんに相談するのよ、ついて来なさい!」

「ああ待って下さいよぉ! 今夜の夕食で足りない食材をもって来るように、奥さん達にお使いをお願いされているんです~」


 慌てるカーラのお尻を物理的に叩いて、イゼルは難しい表情で歩を速める。




 ところ変わって本日の授業の様子である。

 家屋を建築する上で、すでに建てた建物の中には、一棟だけ平屋で大きめの建物が、広い庭つきで建設された。

 彼等はそれを学校として利用することを、開拓の初期計画から盛り込み、先週にようやく完成したので、早速青空教室から室内教室に移動したのである。


 テムリを含めて、村の十歳未満の子供は、現在十名に登る。

 主な教師役は【赤熱の鉄剣】の魔導士、イスタルが務め、非常勤でステラやダリアが勤めていた。ステラがカオリ達の王都入りについていったので、現在の非常勤講師はダリアが勤めている。

 そして今日は、イスタルが教師として教鞭をとる日である。


「では今日も、書き取り勉強を終えれば、校庭で運動と魔法の授業をしますので、皆さんよく学びましょう」


 にこやかに授業の開始を宣言すれば、子供達は賑やかに、薄く削り出して磨いた石板を机におき、布で包んだ蝋石を片手に、イスタルが教卓に立てかけた大きな石板に書いた詩の一節を模写を始める。

 紙が貴重で、鉛筆もないこの世界では、勉強に用いる筆記用具と云えば、この石板と蝋石が普通である。

 カオリとしては質のよい紙の量産と、鉛筆の量産を、将来的には村の産業と考えてはいるが、現状ではまだまだ技術が確立されていないのが現実である。

 それはさておき、他の冒険者達が外で活動している反面、もはやイスタルの主な活動はこの学校が主体となりつつある。


 子供の教育こそ国の根幹を担う重要な事業であると信じて疑わない彼にしても、この教師役は諸手を上げて引き受ける所存であったので、今となっては毎日が楽しく、また着実に成長していく子供達の様子は、我が子の成長を喜ぶ親のように嬉しく感じていたのだ。

 しかも教育方針は、一応カオリの要望を取り入れてはいるが、基本はイスタルの独断で進める許可が出されているのである。

 やる気に満ち満ちたイスタルは、自身が収集した貴重な書籍を元に、教育課程を作成して挑んでいるのだ。


 ただし子供の飲み込みの速さや、逆に意識誘導の観点から、全てが計画的に進むとは限らず。度々予定を変更して臨機応変に対応している状況である。

 あまりに意欲的なイスタルの様子に、流石に冒険者としての報酬だけでは申し訳ないと、カオリはイスタルの要望を聞いて、月に一度、数冊の書籍の購入を提案し、またササキに幾つかの魔術を教授することを約束させたのだ。


 そしてササキが最初に教授した魔術は、遠隔展開する陣術の概念と技法であった。

 イスタルが大いに興味を示した転移魔法を習得するには、この世界では通常、四次元的空間把握が必要不可欠であった。

 つまり始点から終点へと、物質が移動する。空間把握能力が求められるのだ。

 そのためササキは、まずは自ら離れた箇所に、魔法陣を展開し、そこで遠隔操作で魔法を行使させることで、手元で魔法を発動するというこの世界の常識を打ち破る方法を思い付いたのだ。


 最初は一歩の距離から、そして二歩三歩と進め、目標では、視認出来ない距離でも安定して魔法を発動させることが出来るようになれればと、宿題を提示したのだ。

 子供達への授業の前、早朝から自身の魔法の研究を始めたイスタルは、最初その概念の理解に苦しんだ。


 十分に視認出来る距離までは、そこまで労せずに魔法を発動出来たのだが、十歩の距離に挑戦した辺りから、遠隔で魔力を流すことが困難になったのだ。

 そこで彼は予め魔力を注いだ術式で、起動だけ僅かな魔力を注ぐ方法で、なんとか発動を安定させることに成功した。


 しかし今度は空中で魔法陣が霧散する問題に直面した。魔法陣の強度は、本来術者が慎重に制御することで安定させるものなのだが、距離が延びた分、綻びを感知することが難しくなり、気付いた時には陣が崩壊し、込められた魔力が流れ出してしまったのだ。


(至近距離の転移魔法でも、失敗すれば身体を欠損させるなのどの危険が伴うのです。安定した異空間転移を実現するには、相当の魔力量と、精密な魔力感知能力が不可欠です。転移魔法が高位魔法と位置付けられる理由がやっと理解出来ました。また王国が二点間で陣を構築し、複数人で複合魔法として安定させるのも、やはり同様の理由だったのですね。これを個人で行使し、またその概念を他者に教えられるなど、ササキ様はどれほど優れた魔導士だというのか、すごい、すごいです。これを身につけられれば、一体どれ程魔導の深淵に近付けると云うのでしょう……)


 己の未熟さを痛感しつつも、いずれ手が届きうる高みに、身を震わせるイスタルは、眼前で嬉々として勉学に励む子供達の中から、いつか高位の魔導士が生まれるかもしれないと、胸を高鳴らせた。


 魔法の利用が一般的になり、誰もが豊かな教養と魔導利用が普及した社会を想像し、イスタルは自身がその社会の礎となれることを誇らしく感じていた。


(子供達に、生きることに追われるだけじゃなく、豊かな未来の選択肢を提示出来る社会、ああいいですね。なんて素晴らしいのか)


 もはや変態的なまでの理想に酔う彼を、仲間達は笑って応援してくれていた。

 若者に智恵を、子供達に未来を、そう願ってつけた名が、【赤熱の鉄剣】、彼等のパーティーの名前だった。

 送り出してくれた両親や家族、助けてくれた多くの冒険者や、依頼で訪れた困窮する貧しい村々と、深く関わって来た彼等が、自らの在り方として、そうあれかしと願ったのだ。


「なあ先生、書き取りはもう飽きたよぉ、速く外で運動しようぜっ」


 一人の子供が石板をうんざりした様子で投げ出し、イスタルに不満を露わにする。

 それを怒るでもなく、イスタルは困ったように応じる。


「ロルフ君? 君は昨日もそう言って、書き取りをサボろうとしたじゃないか、君も冒険者に憧れているなら、文字の読み書きは必要なんだよ?」

「でもよ~、戦えなきゃ、そもそも冒険者になれねぇだろー、俺はもっと剣と魔法の練習がしたいっ!」


 子供特有の我儘に、それでもイスタルはにこやかに目線を合わせて優しく論する。


「でも、僕の仲間のレオルドも、ああ見えて文字を読むのも書くのも最低限は出来るし、彼はああ見えて、実は詩を謡うのがすごい上手いんだよ? 文字が読めないと詩を読むことが出来ないし、彼もその特技で、実は街では女の人にモテるんだ~」

「ほ、ほんとっ! まじか……」


 どうやらレオルドが、女性にモテるという事実に反応したのだろうロルフ少年は、隣で真剣に書き取りを進める女の子に視線を移し、表情を改めて石板に向き合った。

 この村に関わっている冒険者達を、毎日目にする彼にとっては、やはり冒険者は憧れの対象に映るのだろう、またその中でもレオルドは見るからに屈強な戦士に映る。


 巨躯であり輝く金髪に、背負う大きな両手斧は、帝国の童話に登場する英雄の姿によく似ている。

 子供に読み聞かせるためにカオリから贈ってもらった童話集の中にも、彼の英雄の話しは掲載されていた。

 それを聞いていたロルフ少年が、明らかに目を輝かせていたのを、イスタルはちゃんと記憶していたのだ。


「後二節、ちゃんと書けるようになれば、ちゃんと次の授業の時間になるから、頑張ろうね。今日は休憩時間に、ダリア先生がお菓子も用意してくれたから、皆ももう一踏ん張りだ」

「「やったー!」」


 ご褒美まで提示すれば、子供達は分かり易くはしゃぎ始める。

 成長期の子供にとって、一度に沢山の食事を摂れない分を補うためにも、間食は重要な栄養補給である。

 それを勉強の合間の、とくにあまり楽しくない座学の後に設けることで、『座学を頑張ればご褒美がもらえる』と認識させ、意欲的に勉強に励むよう誘導したのだ。

 その甲斐あってか、これまで殊更に勉強を嫌う子供は出て来ていない、イスタルが偏執的に勤勉だったのを懸念して、カオリが提案した取り組みである。


(勉強の必要性は勉強しないと分からないか、たしかにそう云われてみればそうだ。危うく自分の理想を子供達に押し付けて、最悪勉強嫌いな子供を生みだしてしまうところだった。どうしてそれが必要なのか、それを相手に理解させることが出来て、はじめて真に理解しているということなのでしょう、ササキ様の叡智も、こういったことを理解しているからこその賜物なのでしょう、私ももっと学ばねば)


 恐らくこの村の未来に、ある意味カオリ以上に意欲的に従事しているのは、他でもないイスタルなのではないかと、最近冒険者達の間では通説になりつつある。

 ちなみにアンリもテムリも、基礎教養は修了したので、授業に参加するのは、魔法の授業だけである。

 ただしアンリもテムリも、カオリの役に立ちたいといって、個人的にイスタルに質問してくるので、それはそれでイスタルの愉しみであった。


 果たして村の先生役として、十全に役目を全うする彼も、村にとってなくてはならない存在として認知され、尊敬を集める一人であると云えよう、移住者が増えれば、彼の重要性はより高まるどころか、それが目当てで、子供を連れて移住する家族が増えるかも知れないと、オンドールは予想している。

 開拓はまだ始ったばかりだが、ここに繁栄を象徴する施設が完成し、村はより一層の活気を迎えるのだった。




 そんな村の開拓で、今もっとも警戒しているのは、突発的な外敵脅威への排除と防衛である。

 その大役を担っているのは、【蟲報】の冒険者パーティーのゴーシュ達である。

 朝から東西の二手に分かれて、哨戒任務に当たる彼等は、昼に一旦村で昼食を摂り、また方角を交代して、夕方には帰って来る日々を送っていた。

 今日は少し遠出して、魔物を狩って来た彼等は、死体から素材と魔石を採取し、満足顔で帰還した。


「おーい、ゴーシュの旦那、今日は収穫があるんだね。なにを狩って来たんだい?」

「おう、【レッサードラゴン】が【ホーンラビット】を追って、近くまで出て来てやがったからよぉ、両方仕留めて来たぜ、久々にご馳走だなぁ」


 笑顔で応えるゴーシュに、村人は笑う。


「それにしても畑もずいぶん広がったなぁ、収穫はいつごろになんだ?」

「豆と茄子と瓜がもう時期だなぁ、今はまだ広げるのが主だから、土の入れ替えは終わってない畑は、まだ手付かずだぁ、来年になりゃあ全部の収穫が出来るだろうが、自給自足は当分先になるなぁ」


 まだまだ村は建築を主な事業として進めている状況だ。食料を開拓資金で賄っているので荘園の開拓は後回しになっているからだ。

 荘園からの安定した収穫が見込めれば、村の経済状況は一気に躍進するだろう、とくに穀物類の自給自足は必須である。


 肉と野菜の栄養は森で採取出来るが、穀物だけはどうしようもない、たまに芋類が採れはするが、村人全員分を賄えるほどの量は望めない上に、収穫も不安定である。

 塩や砂糖もたしかに必須ではあるが、それはどの土地でも似たようなものだ。結局は単独での自給自足は不可能である。


 しかし主食を交易に頼った村の運営は、生命線を他国に握られているも同然である。これは自立した村の存続を考えるカオリ達にとって、一刻も早く脱したい状況なのだ。

 今は生活の基盤となる住居や公共設備に人員と資金を注いでいるが、一区切りがつけば可能な限り速く、荘園の本格的な開拓に着手したいと考えている。

 今は荒れた既存の荘園と、区画整理を兼ねて、少しずつ手を付けている状況である。もともと農家として働いていた世帯には悪いが、今は耐えてほしいと願うばかりだ。


「だけども、こんだけ畑仕事してても、魔物の襲撃の心配がないのはありがてぇな、旦那達が毎日外を見回りしてくれているおかげだぁね」

「よせやい、こっちも仕事でやってるだけだし、こうして臨時収入もあるからよぉ、そう煽てられっと背中が痒くなっちまう」


 これまでは塀の外で作業するのも、危険と隣り合わせだったことを思えば、今の状況は元村人達にとっては非常に恵まれた環境に思えた。

 【赤熱の鉄剣】が開拓業に従事する代わりに、【蟲報】には冒険者らしい仕事が割り振られているのは、たんにゴーシュ達の斥候としての能力が理由ではあったが、そのお陰で、彼らが村人達から直接感謝を贈られる機会は多かった。


 貧困に喘ぎ、窃盗に手を染め、差別に苦しみ、成長に悩んだ若かりし頃、ゴーシュは徐々に腐っていく自身の性根を、諦観した気持ちで日々を送って来た。

 ひょんなことでカオリと出会い、巻き込まれ、それでも今では村専属の冒険者としての立場を確立し、充実した毎日を謳歌している。


 救われていたし、報われていた。


 荘園から離れ、塀の中で魔物の解体と加工をする。共同の水瓶から水を確保し、仲間と協力して捌いてしまえば、内臓は肥溜に投げ捨て、肉や皮や骨は倉庫に収めるために、一纏めにしてしまう。


「アキちゃんに報告をしてくるらぁ」

「じゃあ倉庫に運んじまうかぁ」


 ゴーシュがアキのいるであろう集合住宅に足を向ければ、スピネルがエイロウとホッドを連れて倉庫へと獲物を運んだ。

 冒険者が村の仕事上で魔物を討伐した場合、食料となる素材は村で買い取っていた。

 ただし街で需要があるであろう素材、とくに魔石に関しては、一時保管し、誰の取得物かしっかり記録した上で、街で換金後にそれぞれの預金口座に振り込むことになっている。


 冒険者業から離れ、収入が減るかもしれないという懸念も、この体制のお陰で不満が出ることを防いでいる。それどころか、街よりも魔物と遭遇する機会が多いため、実際は街を拠点にするよりも、村の方が稼ぎとしては多いほどだ。

 だが依頼報酬がないので、単純な討伐数にしては稼ぎは劇的に増える訳でもなく、少し稼げる程度ではある。


 また依頼達成数も増えないので、冒険者としての実績は積むことが出来ないのが、少々問題ではある。

 【ソウルイーター】討伐に寄与した【赤熱の鉄剣】が早晩、金級昇級試験の認可を受けるのは間違いなく、ゴーシュとしては自分達も速く、金級の仲間入りがしたいと、気が逸る想いだ。


 一般で金級冒険者と云えば、誰からも尊敬される一流冒険者と見なされる。

 黒金級などは極一部の天才の部類であるので、金級が一般に限界とされるからだ。

 だがそれでも、年数を重ねれば、四十歳から五十歳で金級に昇級するものは割と多い、ただその年になればほとんどの冒険者が引退を考え、蓄えを元手に故郷で家と畑を購入し、村で簡単な衛士として晩年を過ごす者がほとんどである。


 ゴーシュ達は今年で二十台も終盤である。

 十五で冒険者になってから十年以上の経験と実績を積み、熟練冒険者と呼ばれるようになってからも、第一線で活躍し続けて来た。

 そろそろ、まだ若い内に金級に昇級し、一流と呼ばれたいという功名心が燻っているのだ。


 もう壮年で実力者のオンドールを除き、【赤熱の鉄剣】の残りのメンバーはゴーシュ達とほとんど年も変わらない上に、歴も同じの云わば同期という存在だ。

 彼らが討伐組として活躍していた傍ら、ゴーシュ達は斥候組として実績を積んだ。

 銀級に昇級し、数年経験を積んだ後は、何故か突然新人教育など始めた彼等に触発され、自分達も昇級試験官として従事するようにもなり、さらに自信をつけた。


 最初は興味本位だった。

 結果的に背中を追う形で、対抗意識を向けていた【赤熱の鉄剣】が、一人の少女に懸り切りとなったことで、カオリに興味を抱いただけだった。

 それが気付けば皆仲良く、村の開拓団の一員として、日々を充実させる結果になったのだ。

 不満がある訳ではないが、かと云って満足している訳でもない現状で、やはり同期に突き放されるのは我慢ならなかった。


「俺等もここいらで、ちょいと一当てして、実績をつけねぇと、気付いたら爺になっていたなんて、笑い話にもなりゃしねぇ」


 腕組みしながら難しい顔で、ゴーシュは悩んだ。


 皆それぞれに、村の一員として従事しながらも、胸に想いを抱いて日々を送っている。

 村の繁栄に胸躍らせるもの、立身出世に目を輝かせるもの、カオリと関わることで、未だ見ぬ未来に思い馳せるという共通点があれど、一人一人が自らの意思をもって行動している。

 果たして、カオリの学園入園が、村にどのような益をもたらすのだろうかと、誰もが期待を抱いていたのだった。




 最後に、森で森小屋開拓に従事する面々の様子を伺う。

 アイリーンが先頭に立ち、自らも重労働をこなしながら、それでも彼女達の表情には笑顔が絶えなかった。


 カムが測量し、最も最適な土地を見繕い、現在はそれまでの道を開拓中である。

 従事者はアイリーンを監督とし、アデルとレオルド、元野盗の仲間のシモンに加え、最近は村人も数人動員している。中には最初期に村に帰還したハリスの姿もある。


 木々の伐採と抜根作業は主にアイリーンとレオルドとシモンが主導し、村人の男達はその手元作業を手伝っている。

 アデルはハリスと共に周囲の哨戒を担い、開拓団の安全を守っている。

 なにが影響しているのか、この村からの直線上では魔物が著しく減り、比較的安全ではある。


 とくに【ゴブリン】といった知性のある魔物はほとんど見かけることがなかった。

 それでも中には単独で潜む魔物がちらほら生息し、アデルとハリスはそれを二人で狩りながら、たまにアイリーンやレオルドにも加勢してもらって、小遣い稼ぎをしている。


 出現するのは、額に角の生えた【ホーンラビット】、大きな蜥蜴の【レッサードラゴン】、泥のような体色の【マッドスライム】が主だが、これらは魔物としては低位で弱く、むしろ野生の猪や熊の方が、よっぽど危険な生物である。

 とくにこの森の熊は獰猛で、恐らくゴブリンなどの魔物との生存競争で、凶暴化していると思われる。

 なのでそれら危険な動物が出て来た場合は、アデルが盾となって引き付け、その間にハリスがアイリーン達を呼びにいく手筈となっている。


 アイリーンに至っては、嬉々として駆け付けた挙句、熊と取っ組み合いを始める始末である。レオルドも彼女に触発され、素手で熊を殴り殺す挑戦を始めた時は、流石のアデルも唖然としてしまった。

 その甲斐あって、現状森の安全はかなり保証出来る状態となり、今では森の浅い箇所では、手の空いた女衆が、山菜の採取を積極的におこなっている。

 薪の節約と森の整備という観点でも、採取活動は必須事業である。


「あともうちょいだね。夏が終わる頃には森の開拓も一段落かい? あたしもこれで立派な樵になれるんじゃないかね」

「馬鹿云うな、樵はそんなに甘かねぇよ、木の特徴を覚えて、間伐整備をして、植林までして初めて、一人前の樵になれらぁ」

「なんだい、あんただって樵の両親をおいて、冒険者になったんだから、樵としては半端者だろ? 一端に樵を語るのかい」

「半端者だったから、なにが足りねぇのか分かんだろうが、斧の使い方を見りゃ一発で分かるってもんだ」

「言うじゃないか、だったら次は木を切る速さで賭けるかい、勝った方は次の獲物を狩る権利でどうだい」

「乗った。樵の息子の意地を見せてやらぁ」


 二人の脳筋アラルド人のやり取りを、シモンは呆れた表情で見守る。

 村で手に入るものは基本的に配給物なので賭けの対象にならないとして、賭けごとの時は主に獲物の討伐権を対象としていた。


 「これだからアラルド人は……」


 なるべく安全であることを願うシモンにとって、戦闘そのものに愉しみを見出す二人の思考回路は到底理解に苦しむ。

 だがお陰で森での活動中は、まったく戦闘に参加しないで済んでいるので、苦言を呈するつもりはない、放っておいた方が、平和でなによりである。


 そこから森の開拓組はまた伐採と抜根作業を開始し、猪と遭遇してこれを狩り、その日の作業を終えて、村への帰途についた。


 だが夜になり、ある人物がアイリーンに会うために訪れる。

 長らく放置していた問題が、ここで始めて噴出したのであった。


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