( 入園試験 )
何度も読み返すが、誤字はけっしてなくならない、そうけっして。
青く晴れた日柄の朝、最近日課の稽古を終えて、汗を拭って着替えも済ませば、ステラの作った料理をいただく。
「調子はどうだね。二人とも」
杯を煽りつつ、ササキは二人になんとはなしに気遣いの言葉をかける。
「昨日はいつもより早く寝ましたし、体調は万全です」
「お気遣い痛み入ります。試験対策も抜かりなく、試験会場の下見もしておりますし、定刻にも余裕をもって向かえます」
笑みを深くするササキに、二人も自信ある表情で応える。
今持っている中で一番綺麗な衣装である。学生服に袖を通し、もちろん帯剣もするが、革の籠手はつけずに身支度を整える。
同様に準備をするロゼッタを待ち、二人で試験会場となる役場に向かう。
大通りに面した役場には、迷うことなく辿りつくことが出来た。市民が利用する公共施設なのだから当然である。
開け放されている大きな観音扉をくぐれば、広い部屋が一望出来る。受付には制服を着た男性が数名おり、長平な雰囲気で仕事をしているようだった。
「すいません、王立魔法学園の入園試験を受けに来たんですけど」
「ああ、君が、案内状と身分証をお願いします」
カオリとロゼッタは、それぞれ受験者用に渡された案内状と、冒険者組合で発行される身分証である冒険者証を提示する。
「たしかに」と呟き受け取ったものを、手元の資料と共に検分し、間違いはないか、偽造されたものではないかを確認する。
この手の試験では時折、替え玉受験が起きることがある。身分を証明することと、顔認証の技術が乏しいこの世界では珍しいことでもないだろう。
ロゼッタもこの国の貴族令嬢ではあるが、今すぐそれを証明する方法がないため、冒険者証は重宝していた。
「確認しました。定刻までしばし時間がありますが、お部屋まで案内しますか? 一度入られれば、筆記試験が終わるまで、部屋を出ることは出来ませんが」
「大丈夫です。案内してください」
ここでも不正対策が敷かれているが、カオリは大人しく案内を受ける。
案内されたのは殺風景な部屋だ。長机と椅子が二脚だけおかれているのは、今日の日のために職員が整えたからだろう。
しばしの時間をロゼッタと最後の復習に充てる。
「失礼します。試験開始時刻になりましたので、机の上を片付けて、荷物をこちらに預けてください」
教科書はもちろん、筆記用具までも片付けることに、疑問を抱くカオリだったが、魔法が存在するこの世界なら、どんな不正の手段があるかも分からないのだから、慎重を期すのは理解出来る。
「お配りするのは、問題集と答案用紙となります。開始の合図まで裏にして伏せておいてください」
準備は万端だ。これまで覚えた沢山の知識を、カオリは何度も頭で反芻する。
「では始めてください」
職員が開始の合図を告げる。
まずは言語学である。
識字率の低いこの世界では、字を読み書き出来るだけでも、それなりに仕事にありつく機会がある。
カオリもこの世界に召喚されて数カ月、今では書類仕事が出来る程度には読むことも書くことも不自由しないが、学問としての言葉や文字の知識はそれほど多くはない。
言語学では、時間を超えた情報の伝達を表す転位性や、未知の象形や光景を共有出来る創造性を学ぶ、一つの学問として存在する。物語や詩を通じてその理解を深める過程は、カオリにとっても面白く感じる。
次に歴史学に手をつける。
世界史としては、紀元前となる神話から、精霊種であるエルフが台頭した魔の時代までを古代とし、第一紀~第二紀を中世、第三紀数百年を近代として学ぶ。
王国史では、ミカルド王国の成立から、主に戦争と、国家間の協定、または通商に関わる産業についてを覚える。
今回もっとも力を入れた分野でもあるので、カオリは自信をもって解答欄を埋める。
三科目は算術学だ。
これについては特筆することはない、日本の数学と比べると、お粗末な域でしかないこの分野においては、カオリは復習以外では、この世界独特の応用や文章問題に気を付ける程度のことしかしていないが、それでもまったく問題なく習熟出来たためだ。
最後に、魔法学である。
これは魔素が魔力になるまでの要因から、魔力が及ぼす自然効果を基礎とし、術式や魔道具への利用法を体系的に学び、将来的に研究開発を目的とした分野となる。
この分野は後に細分化され、魔力学、魔法薬学、魔導工学、陣学、などの数多ある分野へ枝分かれする。
ただし、王立魔法学園は魔法の習得や研究を担う機関でもあるため、入園に必要とされるのはあくまで基礎のみとなる。
そのため今回は、魔法の基礎知識である。聖、闇、火、水、木、風、土の七属性の効果をある程度押えてあり、かつ魔力が人体あるいは自然に及ぼす効果を、危機管理観点から、注意していれば問題ない。
時間にして二刻、ちょうど昼の頃合いにカオリは解答用紙を伏せて顔を上げた。
「終わりましたか?」
職員がカオリに声をかける。隣ではロゼッタもすでに終わっていたのか、静かに姿勢を正して目を伏せていた。
「はい終わりました」
「そうですか、では答案用紙を回収しますので、もう自由にして結構です。面接試験は愛の刻となりますので、昼食をとるのであれば、遅れぬように注意を、遅刻が確定した時点で、不合格となることもありますのでくれぐれも」
「はい」
返事をして伸びをすれば、凝り固まった肩や腰が解れていく。
試験官が退出するのを見届けて、カオリもロゼッタも問題集を広げて、応え合わせに興じる。
「思ったより簡単だったかも、答案用紙全部埋めれたよ~」
「そうね……、なんだか入園試験にしては随分難しかったように感じるけど、私達ならこれくらいは出来て当然よ、もしかしたら帝国との戦争が事実上停戦して、国も学問に力を入れるために見直しをしたのかしら?」
やや疑問を感じつつも、カオリもロゼッタ問題なく解くことが出来たことで、不安も感じずに緊張を解くことが出来た。
「まあお昼にしましょうか、ステラが持たせてくれたお弁当もあるし、ここで食べてしまいましょう」
「うん、楽しみだな~、お弁当なんて、この国に来て初めてだよ」
面接までの半刻を、和気あいあいと過ごし、定刻になれば職員が案内に従い、面接室にカオリが先に入る。
「失礼します」
「ああどうぞー、えっと、そこにかけてください、では面接を開始します」
促された席に礼をして座れば、カオリを興味深く見詰める視線に、やや緊張を覚える。
「いやー今回唐突に人員換えがあってね。本来担当するはずの人の代わりに僕が呼ばれんたんだけどね。君すごいねぇ、あの問題難しかったでしょ? いつもはあんなに難しくないんだけど、それでも君はほぼ満点だったでしょ?」
「え~と、がんばりました?」
えらく馴れ馴れしい態度に面食らい、カオリは若干調子を狂わされる。
人員換えがあったということで、ずいぶん若い試験官となったことが、よい結果になったのか、カオリは心中で困惑する。
「それに入室までの作法も問題ないし、見る限り人物も危険はないから、今回は合格間違いなしでしょ、ね?」
「ま、まあそうですね……」
軽薄な態度を崩さずに、先程の試験官に話しを振る目の前の男に、カオリはこれも試験の一環かと、表情には出さずに警戒を上げる。
「今日はもう帰っていいよ、合否は明日にでも君達の屋敷に送るから」
「……分かりました。では失礼します」
大した質疑応答もなく、あっさり終わった面接に、カオリは拍子抜けして、困惑のまま退室する。
カオリが出れば次に呼ばれるのはロゼッタだが、あまりにカオリが早く出て来たことに目を丸くする。
呼ばれる声に従って入室するも、これもしばし待てば、すぐに出て来たので、二人して苦笑する他なかった。
役場を出れば、まだ日は高い、かなり時間が余ったので、二人は仕方なくという訳ではないが、街を散策することにする。
市場まで出れば、軽く摘まめる軽食に目移りしてしまう、小麦の焼き菓子、パンに野菜や加工肉を挟んだもの、串焼きなどもある。お酒を並べる出店まであるのは、面白いものだとカオリは思った。
この世界での成人は十五歳と考えられているが、一応日本人の感覚を残すカオリは、まだ酒に手を出したことはないが、機会があれば飲んでみたいと考える程度には興味があった。
今日はその時ではないので、普通に間食を探し求める。
「賑わってるね~、緊張が解けてお腹空いたよ~」
「そうねー、まさか面接があんなに呆気ないなんて思わなかったわ、なにかの罠とは考えられないし、今日のところは少し重いものでも食べたいわね」
視線を巡らせて物色する二人に、威勢のいい呼び込みの声がかかる。どう見てもお金を持っていそうな令嬢に見えるのだから当然である。
今日のところは鳥の串焼きを一本づつを選ぶ、しっかり下拵えをして焼き立ての鶏肉に、濃いタレをかけただけの単純なものだが、食べ歩きには丁度いい腹ごなしだ。
淑女らしくない食べ方にはなるが、冒険者の二人には気にならない。ロゼッタもこの数カ月で、随分と庶民に馴染んだ様子である。
「ん?」
「なにかあった?」
カオリが唐突に顔を上げたのを見て、ロゼッタが反応する。
「んー、つけられてるかも」
「ええっ、誰に?」
第六感に反応がある気配に、カオリは串焼きを頬張りながら、神経を研ぎ澄ませる。
近頃、具体的に言うと王都に移ってから、カオリは周囲の気配というものに気を配るようになった。
気配、などと曖昧な表現をしているが、その実、音や匂い、温度や空圧、最近では魔力の感知も加わって、非常に鋭敏になって来ている。
もしかしたら新たなスキルも発生している可能性が高いと感じている。
距離はあるようだが、明確にカオリに注意を向けているのを感じる。流石にこの雑沓の中では数までは把握出来ない。
「シン、裏路地まで誘い込むから、悟られないように撃退してね。出て来るようなら、私が相手するから」
「分かった」
これほどの人ゴミの中でも姿を認識出来なかったシンに、ロゼッタは一々驚く。
串焼きを食べ終えて、串を捨てる場所がなかったので、【―時空の宝物庫―】に放り込み、代わりに水袋を出して喉を潤す。
おもむろに歩き出せば、ロゼッタも慌ててついていく。
市場を抜けて、商業区画の目抜き通りを進む、カオリは気配を確認しつつ、なるべく自然に振る舞うようにしつつ、少しづつ経路変えて、路地裏へと分け入っていく。
五階建の建物がひしめく華やかな通りの裏手に回れば、商店の搬入口や住居部分への勝手口のある路地となる。
そこは荷馬車が二台通れる幅しかない、狭い路地で、時折店主が所用で出て来る以外は人の姿はなかった。
「この辺かな~」
「ねえカオリ、大丈夫なの?」
呑気なカオリと心配そうなロゼッタの二人が並んで進めば、ようやく対象が姿を表す。
(さて、殺気は……、あるね)
王都で活動し始めてまだ日が浅いにもかかわらず、カオリを追跡するには相応の理由があるのだろうが、心辺りのないカオリにとっては疑問しか湧かなかった。
この世界に来てより、元組合長のイグマンドや元野盗首領のセルゲイ以外、まだ人間を斬ったことがないカオリは、若干の躊躇いを感じている。
しかし明らかな殺気を向けられ、ロゼッタもいる状況で、手心を加える余裕はないのも事実、そうなれば斬る以外に道はないだろうと理解している。
平和な日本に住むただの女の子と云えど、自身と仲間の命を狙われて、黙って殺されるほど、カオリはお人好しではないつもりだ。
殺しに来るなら、斬る。そう覚悟する。
音もなく路地裏から姿を見せたのは、如何にも怪しげな風体の男であった。
「つけ回す理由はなんでしょう?」
「……」
カオリの問いに答える気はないようで、男は無言のまま短剣を抜き放つ、完全に臨戦態勢をとったことで、カオリは仕方なく、右手を刀の柄にかける。
パキンッ。
だが即座に左手で脇差を抜き放ち、飛来した矢を切り落とせば、眼前の男は驚愕に目を見開いた。
完全に死角から不意を突いた一矢であった筈なのに、カオリは難なく対応したのだ。ただの女冒険者と侮っていた思考を改め、気を引き締める。
そして男が口笛を吹いたと同時に、後方の路地裏から更に二人の男が姿を表し、カオリ達に向かって駆け出した。
「もうなんなのよ! 後で説明しなさいよね!」
ロゼッタが悪態を吐き、サーベルを抜いて構える。
両手に構えた短剣を胸の前で掲げ、体重を乗せた一突きは洗礼された軌道で、カオリの心臓を正確に狙っている。だからこそカオリには読みやく、後の先を取るべく動く。
突き出される瞬間を見極め、半身から僅かに踏み込み、男の踏み込んだ足の爪先を右足で踏み抜く。
一瞬表情を歪ませる男の腕をとり、肩を支点にし、男自身の勢いを利用して背負い投げる。
そのさいは後ろから迫る男達へ牽制の意味も込めて後方へ、受け身が取れないように、手を放さずに遠心力を使って腰を打ちつける。
「ぐっ!」
「ほいっ」
その体制のまま、左手に持った脇差でロゼッタに向かった男の背中を斬りつける。
「はっ!」
カオリに斬られ体制を崩した男に、ロゼッタが裂帛と共に袈裟斬りで男を仕留める。
革鎧に阻まれ威力を殺されたが、聖銀製の新しいサーベルは、難なく鎖骨までも断ち斬る。
これがカオリならば、肋骨をも断ち割り、肺までをも斬り裂いただろう。
カオリは流れるように最後の男に牽制の一閃をし、躱した男は短剣を翻して踊りかかる。
だがそれよりも速く、右手で太刀を抜刀し腹を斬り裂けば、男は着地と同時に膝をついて崩れ落ちる。
腹筋も腸も斬られれば、大量出血も相まって、普通の人間ならばろくに反応も出来ないだろう、腹圧で内臓が溢れ出すのを必死に止めようと、手で抑えれば、おのずと両手の武器も手放すので、すでにこの男には戦意どころか、立ち上がる力すら残っていないはずだ。
しかしカオリは即座に喉笛を脇差で斬りつけ、沈黙させる。
残るは腰を強打し悶絶する男のみである。
ロゼッタは逃げられぬようにと、男の太股に容赦なくサーベルを突き立てれば、男はくぐもった苦悶の声を上げる。
『シン、そっちはどう?』
『二人殺して、一人を軽傷のまま逃がした』
『後を追える?』
『追跡中』
『おっけ~』
カオリは納刀して男の顎に、踵からで前蹴りをお見舞いする。
「雇い主は?」
「容赦ないわね……」
脳を盛大に揺らされ、意識が朦朧とするなか、口に溜まった血を吐けば、折れた歯も一緒に吐き出される。
「殺せ……、ぐうっ!」
そう言った男に、カオリは即座に抜刀して顔の皮を斬りつける。
「今残りのお仲間を、私の仲間が追ってるの、これは一応の尋問に過ぎないから、別に喋らなくてもいいけど、面倒だから喋ってほしいな~」
笑顔で話しかけるカオリだが、完全に目は笑っていない、まさか男も、目の前の少女がこれほど冷酷な一面をもっているなど、想像もしていなかったであろう。
「知らない、俺はただの末端だ。教えられているのは標的の情報だけだ。 があぁ!」
それでもカオリは容赦せず。ロゼッタが刺した太股の傷を、踵で強く踏む。
「じゃあ何者かだけでも答えられない? 手慣れてるっぽいから、組織に所属している本職さんでしょ? この怪我ならしばらくは仕事出来ないんだから、素直に話して、二度と私達に手を出さないなら、解放してあげますけど?」
「……」
押し黙る男から視線を逸らさずに見詰めるカオリと、それを引き攣った顔で見守るロゼッタ。
男は観念したようにポツリと零す。
「……、複数の貴族に雇われた暗部組織の構成員だ。今回は学園の入園試験を受ける。黒髪の女冒険者を殺せという依頼だった。俺が教えられるのはそれだけだ……」
間違っても依頼主の情報を漏らせば、結局組織から命を狙われるのだから、実動班の人間にしてはまだ喋った方である。
それにしてもカオリの言葉に素直に応じるのは、組織がまだ小規模で、忠誠心もない可能性が考えられる。
カオリにそこまで判断する知識は当然なかったが、カオリなりに最適解を考える。
しばしの無言、男にとっては永遠にも感じられる審判の時に感じられただろう。
「ふーん、分かった。いいよ行っても」
そう言ってカオリは男に銀貨を数枚握らせて、一歩引いて警戒を緩めずに見詰める。
「……恩に着る」
満身創痍で足を引きずりながら、男はずるずるとその場から逃げ出すのを、カオリはじっと見送り、シンからの返答を待った。
「よかったの? 逃がして」
自分を狙って襲いかかって来た相手を、慈悲深くも逃がしたカオリに、ロゼッタは不安げな言葉をかける。
「本職の人って、良くも悪くも仕事第一でしょ? 恩を売るって訳じゃないけど、ある程度情報を持ち帰らせた方が、分が悪いって感じて、手を引く人が増えるかも知れないし、返り討ちに出来る間は、そこまで怯える必要もないしね」
「な、なるほど……」
裏世界の駆け引きに免疫のないロゼッタは、カオリの言動に素直な反応を反す。
もちろんカオリの言っていることはただの希望的観測である。根拠を示せるほど、カオリも裏社会についての知識を有しているわけではないのはたしかだ。
ただ来る敵来る敵を一々相手にするのが面倒で、少しでも布石になればと、逃がしたに過ぎない、これが後々なんの役に立つかは見当もつかない。
握らせた銀貨は、節約すれば一ヶ月は療養出来るだけの金額だ。せいぜい大人しく隠れ潜むことを願う。
シンはまだ相手を追跡中なのか、とくに報告もない。
「警備兵を呼んで来るわね」
「了解~、あ、隠れてた人達どうしよう」
流石に死体を放置して帰る訳にもいかず、仕方なく警備兵に現場の処理をお願いせねばならず、カオリはロゼッタを待つ。
警備兵が到着すれば事情を説明し、身分証を提示し、身元引受人に迎えに来てもらえるように、屋敷に連絡をお願いする。
その間は事態の詳細な事情聴取のため、兵士詰所へ連れて行かれる。
冒険者としてのカオリの身分と、明らかに高位貴族の令嬢であるロゼッタの名前があったため、兵士の対応は丁寧なものだったのが救いであった。
夕刻になって空が陰り始めた頃、ビアンカが二人を迎えに現れたが、その顔は狼狽と焦りに彩られ、必死の形相にカオリは面食らう。
「も、申し訳ありませんでしたっ、道は大通り沿いで、ほとんどを役場で過されるならと、付き添いの断りを受けたばかりに、お二人を危険に晒したとなれば、騎士の職務を疎かにしたと云っても、いい訳の仕様もありません、これでお二人が怪我でもすれば、私は命をもって償わなければなりませんでしたっ!」
跪き深く頭を垂れて、必死に謝罪するビアンカを、カオリは優しく窘める。
試験中は半日以上が暇になる上に、道中も大通り沿いの安全な道程なら、護衛など不要と断ったのはカオリで、しかも今回はワザと襲撃を受けるように誘い出したのだから、いい訳出来ないのはカオリの方なのだ。
なんとか宥めすかした頃、ようやくシンからの連絡が届く。
『襲撃者の住処を特定、指示を』
『待機、見張りを続けて、位置情報を報告して、動きがあれば報告してね』
『了解』
そこからは二人で屋敷に帰宅し、風呂と着替えを終えて、夕食の席となり、ササキと向かい合いながら、事情説明をすると共にどう対処するのかの意見を仰いだ。
シンの精密な記憶力と方向感覚から、正確な位置を割り出す。
「王都のスラム街、通所【下水地区】の西南か、ここいらでもっとも悪所とされる場所だな、貴族の子飼いで、私にちょっかいをかけて来た連中は、軒並み摘発したのでな、もうこの辺りの本職連中しか残っておらんだろうとは思っていたが、さてどうするか……」
ササキがミカルド王国で頭角を現してきたおりに、貴族の援助を受けて要所に塒を構えていた組織が、飼い主の命でササキを狙ったことが以前にあったことを説明しつつ、ササキは考える。
「どうするのかというのは、彼等を必要悪として泳がせるということですか?」
「えっ、カオリどういうこと?」
ササキの逡巡にカオリが発言するが、ロゼッタは意味が分からず説明を求める。
「どこの国や街でも、裏の仕事を引き受ける組織や勢力はいるものだ。互いに鎬を削る抗争や市場の独占は、一見すれば悪行に映るが、無秩序な社会ではそれが反って無法を取り締まる機能として働く場合がある。特に貧困層の受け皿であったり、秘密裏にことを運ぶ場合には、高位者にとっては格好の働き手となることもな」
裏組織といっても様々だ。ヤクザにマフィアにギャングと、これは市外の野盗集団とは少し様相が変わる組織として、この世界にも健在であった。
単一民族の平穏のために多人種を排他する同族組織、貧困層が協力し合って社会的地位を確立する相互扶助組織、志を同じくした同胞により街の経済を掌握する反社会組織。
ただどれも一つ云えることがあるならば、完全に統制された社会では、害悪にしかならないということだ。
「警察機構の完全ではない、王国でこれら裏組織を跡形もなく排除した場合、それが反って治安や秩序に混乱を招くことになり兼ねんからな、ここで武力に任せて排除するのは、あまり褒められた行為ではないということだ……、残念なことだがな」
ロゼッタとビアンカに配慮して、過度に非難するような言い方はせず。しかし否定も肯定もしない姿勢で語るササキに、二人は微妙な表情である。
「んんー……、なら脅すだけして様子を見ます?」
「君がか? なんなら私が出向くが」
簡単に言うカオリに、流石のササキも怪訝な声音で役目を買って出るが、カオリは首を振る。
「私を排除したくて来てるなら、実力行使は無意味だと知ってもらわないと、いたちごっこになるんじゃないかなぁと」
「大した度胸だな……、ただ今日は大人しくしていなさい、この程度で大げさに動くのは時間の無駄だ」
ササキは心底面倒といった態度でカオリを嗜める。命を狙われたにも関わらず。事態をこの程度と評するのはどうかと思われたが、奇襲や対人に滅法強いカオリであれば、たしかに大概の危険は対処可能であろう。
「ただし備えは必要だろう、私やカオリ君はともかく、ロゼッタ君やビアンカ殿には寝込みを襲われるのには免疫がないはずだ。この屋敷には私が結界を構築し、万全の警備体制を約束しよう」
ササキの提案にカオリを除く一同は安堵する。
与えられた自室の中で、窓の外を眺めながら、気配を探ってシンのいる方角を確認する。
そうしながら【―自己の認識―】でスキル欄を確認し、隠密で役立ちそうなスキルを探す。
この世界、そしてこの世界のモデルになったであろうゲームには、ジョブシステムが存在しないことは説明しただろう。
戦士系か導士系か技士系の三種類に大別され、一つの方向で身体を成長させれば、その身体的適性に合った技能や魔法を習得することが可能である。
戦士系とは要するに、肉体の強度、筋力や俊敏と云った肉体能力に特化したもので、戦士系であれば、剣技、弓技、騎乗、隠密などを選ぶことが出来る。
スキルや魔法はレベルによって各位階を解放出来、熟練度を消費して取得出来るのだ。
だがこの世界の人類は、レベルシステムと連動するスキルや魔法の仕組みを正確に理解していない。
この世界でスキルや魔法を習得する行為は、術式化と呼ばれ、自己ステータス操作によって取得せず、自らの発想と努力によって習得している。
それはさておき、消費熟練度の減少と取得熟練度の上昇の効果を持つ【―達人の技巧―】の固有スキルをもつカオリであれば、僅かな熟練度の消費で、多くのスキルの取得が可能ではあるが、こういものに熟考する質のカオリは、なるべく必要に駆られない限りは、数値を無駄遣いしないのが常であったが、今回は必要を感じて積極的に取得を決心した。
(決めた)
【―女の値踏み(鑑定)―】無位鑑定魔法、対象の基礎情報を開示する効果がある。また二心を判定する追加効果あり。
【―障子の耳目(隠密)―】無位隠密魔法、五感による認識を阻害する隠密の効果がある、また求める情報をより入手し易く出来、音は大きく、視界はより鮮明に、臭気は僅かでも嗅ぎ分けることが可能。
【―女の勘(感知)―】無位感知魔法、自身を中心心とした全方位における。生物や魔力反応を察知する効果がある。また自信に向けられる悪意や害意は鋭敏に感じることが出来、その度合いも正確に判定することが可能。
【―断切鋏(武装破壊)―】無位補助魔法、対象の武装を攻撃するさいに、威力を増幅しする効果がある。また二刀による同時攻撃で、さらに威力が増す。
【―愛の手心(調整攻撃)―】無位補助魔法、物理攻撃のさいに、攻撃対象のHPを僅かに残す。また状態異常の気絶効果も付与する。
ちなみに無位とは、レベルに依存したものであり、自身の成長と共に効果が上るものの、僅かでも相手のレベルが自身を上回れば、著しく効力が減退するものである。
今現在二十レベルのカオリでは、シンの上位隠密魔法の【―神前での児戯―】や、アキの高位鑑定魔法の【―神前への選定―】には遠く及ばない。
魔法やスキルの位階は、大まかに、低位、下位、中位、上位、高位の順に高くなっていくが、これはあくまで目安である。
今更だが、この世界では魔法の位階や、その効力に、明確な指標や強弱は定められていない、火属性魔法における単純な火力ならば、たしかに威力を比べることは出来るだろう、しかし補助や隠密や鑑定などの魔法やスキルは、永い歴史でその多くが既存のものが失われ、現在ではその多くが個人の才覚と習熟によって発現した。無位というレベル依存のものが大半を占めている。
魔法のように分かりやすい詠唱や、口伝によって語られる現象と光景があればまだしも、個人が秘匿する特技であれば、失伝するのも当然である。
それはさておき。
同時に五つのスキルを習得し、カオリはその効果を、自身の身体の内側へと意識を集中させることで、効果のほどを確認する。
「よしっ」
動かす四肢からは音が消え、五感は鋭敏に、隠密として十全な効果を肌で感じる。
今、唐突に多くのスキルを欲した理由は、明確である。
状況が変わったのだ。
これまでは魔物という明確な脅威に、冒険者として相対する力があれば十分であった。
それに対し、今後は人間、主に権力者や組織が影で蠢動し、カオリの行動を妨害、ないしは排除を仕掛けてくるだろう。
暗殺、誘拐、工作、威圧、どれも剣を振りまわしていれば対処出来るという生温いものではないのは明白だ。
隠密特化型の守護者であるシンは、あくまで事前対処をするための防衛装置としての役割があるに過ぎない。
であればカオリに求められるのは、万が一に備えた武力と、なによりも策謀に備えた思索と情報収集能力である。
「考えなきゃ、安全に居続けるにはどうしたらいいか、皆が平和にいられるにはどうしたらいいかを、守るにはどうしたらいいかを……」
平和を願う一人の少女として、皆の安全を保証する盟主という立場として、常に考え続けなければならないと。
襲撃によってすっかり意識が逸れていたが、入園試験の合否が、翌日の昼には屋敷に届けられたことで、カオリは自分とロゼッタが無事合格であったことを確認した。
これで残りの約一ヶ月を、勉強と調査に費やすことが出来るだろう、ただし襲撃事件が解決出来ればの話ではあるが……。
屋敷の中に居る限りは、その安全はササキが保証すると言っていたことで、眠りを妨げられる心配はないことは確信出来る。
なので現状は外出時での安全の確保に気を配る必要がある程度である。
襲撃されればカオリであれば対処は可能ではあろう、しかしロゼッタはカオリと共に行動してはいても、本質は冒険者に憧れただけのお嬢様なのだ。
必要に迫られれば人を斬ることも出来るだろう、実際に先日の襲撃でも、一人の止めさしたのは彼女だったのだから、だが斬ることが出来ても、斬られることに彼女が対処しきれるとは流石に贔屓目で見ることは出来ない。
学業を修めるための備えも必要だろうが、生存するための備えは急務である。
試験翌日ということもあって、一応本日は休息日に当てている。昼食を終えれば、惰性的な午後の一時である。
「はぁ、やっぱりすごいわ……、ササキ様の張った結界の、なんて高度な術式なのかしら、魔導士としても優秀、いえ王国一の魔導士ですら、これほどの術式の制御は難しいに違いないわ、はぁ……」
庭に面した角部屋で、窓を開け放って風を取り込みながら、涼しく紅茶を愉しむロゼッタが、感嘆と共に呟く。
「へー、魔術は詳しくないけど、どれだけすごいものなの?」
興味本位で聞くカオリに、ロゼッタは嬉々として語り出す。
「物理結界に魔力をも通さない魔力結界が同時展開しているわ、僅かに認識阻害がかかっているから魔力感知能力のある人でも、あまり気にならないように配慮もされているし、規模も強度もかなり高位の術式よ、私が感知出来るのはその程度だけど、出入りのさいの認証や接触者の情報を読み取ることも出来るとおっしゃていたから、それだけでも膨大な術式が組まれているのでしょうね。とても並みの魔導士が一人で制御出来る規模じゃないわ」
目を細めて語るロゼッタに、カオリはさらに質問を重ねる。
「こういう結界魔法を、もっと戦闘に転用することって出来ないの? いざという時にロゼには奇襲から身を守る手段を身につけて欲しいし……」
「そうねぇ……」
カオリの言葉に一転して難しい表情になるロゼッタは、しばらく黙考する。
「広範囲に感知魔法を展開して、投擲物を感知すれば即座に結界が展開するような術式を組んだとして、常時発動は魔力量の問題で難しいわよねぇ……、私が単純に即応能力を鍛えればいい話だけど、カオリみたいに矢を斬り落とすなんて、出来る気がしないわ」
現状で比較的にレベルが低いロゼッタでは、低位の魔法やスキルしか解放されておらず。また熟練度も十分に積んでいないため、即戦力となる強力なものは取得が難しいのだ。
ただカオリは経験上、自ら発現したスキルであれば、熟練度の消費が抑えられ、レベルの制限も受け難いと知っていた。
昨夜に習得したスキル群も、日頃カオリが意識的に注意したり、無意識下で行っていた習慣などを下に発現した。独自のスキルが基本であった。
であるならばと、既存の術式に頼らず。ロゼッタ自らが独自開発する方向で、新たな魔術を作り出せないかと提案したのである。
「周囲の魔力を利用して、自前の魔力の消費を抑えるとか、警戒する時だけ、展開する方法とかさ、とにかく色んな発想で自分に合った魔法の開発が出来れば、きっと戦力になるかなぁって」
「力不足は十分に理解しているわ、ここ最近は魔術も剣術も訓練が疎かになっているのもたしかだし、今日は折角だから、カオリに手伝ってもらって、一緒に考えてもいいかしら?」
「もっちろん、私は剣士だけど、魔術には興味あるから」
そう言って立ち上がったカオリは、ロゼッタの手を掴み、困惑する彼女を引っ張りながら、早速ある場所へ向かう。
コンコン、と軽快な音で合図し、名の告げるのは、ササキの執務室となっている部屋の前だ。
「入りなさい」
ササキの低い声に従って入室すれば、正面にササキの姿を認めて、二人は軽く黙礼をする。
執務机に優雅に腰掛け、綴本や封筒や用箋鋏が綺麗に整頓された向こう側で、本を片手に茶を啜るササキが、二人に視線を向ける。
「二人がここに入るのは初めてか、して用件はなんだね?」
日頃ササキがなにをしているのか全く知らない二人は、ササキの日常に少し興味があったが、仕事の邪魔をしてまで今聞くことではないと思い、本来の目的を告げる。
「ロゼと二人で護身用と戦闘に役立つ、新しい魔術の開発がしたいんですけど、ササキさんなら魔術開発にも詳しいかもって思って、お知恵を借りれればと」
「ええっ、そんな、ササキ様のお手を煩わせるなんて……」
期待を全快で表情に乗せるカオリと違って、ロゼッタは急にそんなことを言い出したカオリに、慌てて遠慮を見せる。
「ほう、ほう、それはいい着眼点だ。レベル制限に頼らず。熟練度の消費量を考えれば、それが一番手っ取り早いのはたしかだ。昨日のこともあれば、戦力の拡充は急務と云えよう」
そう言って立ち上がったササキは、器をおいて【―時空の宝物庫―】から一冊の分厚い本を取り出して、二人に歩み寄る。
「これを使いなさい」
手渡された本を恭しくも怪訝な表情で受け取ったロゼッタは、使うという表現に困惑してササキの顔を伺う。
「それは私が魔の時代の古代遺跡で発見した遺物から、再現した魔導書の一種でな、【創造の魔導書】と名付けたものだ。機能は今から説明するが、簡単に言えば術式を可視化して仮想的に編纂出来る機能がある」
「ええっ! そんなことが可能なのですかっ」
大げさに驚くロゼッタの反応が理解出来なかったカオリだが、魔術の開発の大変さを知らない彼女では無理もない。
この世界で魔術の開発を行う場合、ほとんどの魔導士はかなりの労力を必要とする。
まず最初に正確な魔法陣を膨大な知識や資料から引用し、それに基づいて組み合わせ一つの術式とする。
そしてそれが正常に発動するかを羊皮紙のような丈夫な紙に起こし、魔導図にして発動させる。
問題の如何に関わらず。羊皮紙はこの時点で消失されるため、術式を編纂したければ、事前にもう数枚、同じものを描いた紙を用意しなければならない。
その作業量は膨大だ。一つの魔術が完成するのに、一体どれ程の羊皮紙が消耗されるのか、羊皮紙が貴重とされるこの世界では、余程潤沢な資金がなければ、不可能な研究である。
また羊皮紙を節約したいがために、自ら発動させるという人間も中にはいるが、もし誤った術式であった場合、魔力暴走が術者本人にはね返り、最悪死ぬ危険性すらある。
魔導図であれば、込められた魔力を消費して発動するので、失敗を恐れず実験することが出来るので比較的安全だ。勿論攻撃魔法などであれば、威力を誤って、物理的な被害が出るので、絶対に安全とは言い切れないが。
それでも何度も編纂と実験を繰り返す必要があり、とにかく労力とお金がかかるというのが、この世界の魔術開発の常識とされている。
「最後の項に鏡のような板が折り畳んであるので、それを開いて、記録してある陣記号を文字列から選んで、背表紙に収納されている専用の短杖で触れれば、書き出したい項に自動で記号が浮き出るようになっている。そうすれば正確な魔法陣を簡単に記載することが出来るのだ。そして項の右上の端の印に触れれば、現段階での発動映像が鏡に映像として再現され、さらには項の端に消費魔力が表示されるようになっている」
実際に魔導書を開いて丁寧に解説していくササキと、それを聞いて手が震え出すロゼッタを眺めて、カオリは納得する。
「なるほど、ペンタブみたいですね~」
「……そうだな、ロゼッタ君には馴染みのない形式になるだろうから、最初は使うのに慣れないだろうが、短期間で魔術を開発するのであれば、これがきっと役に立つだろう」
完全に絶句して魔導書を凝視するロゼッタと、日本にいたころに散々見た。タブレット型コンピューターを思い出して、しみじみとするカオリの姿に、ササキは苦笑いであった。
「こんな……、これはっ、とんでもない発明品です。我が国どころか、大陸中探しても、これほど画期的な魔導書なんて、見たことも聞いたこともありませんっ! まさに神々の残した聖遺物っ!」
興奮から今にも絶叫しそうなロゼッタを余所に、カオリはササキにそっと耳打ちする。
「遺物を再現って嘘ですよね? これ絶対ササキさんが開発しましたよね?」
「自分で作っておいてなんだが……、開発が面倒で衝動で作ってしまい、あまりに画期的過ぎて、世に出せない魔道具なんだ。ただ使い心地を第三者に確認してほしくてなぁ、反省している……」
小声で話す二人の横で、尚も興奮して歓声を上げるロゼッタを、生温かい目で見守るカオリとササキに、彼女はグルリと顔を戻す。
「これほど素晴らしいものを、貸していただけるなんてっ、なんとお礼を言えばっ」
「うむ、それなんだが、よければ今回の報酬として、一冊贈ろうと考えているのだ。よかったら使用感を聞かせて欲しいのでな、それにロゼッタ君は卒業試験はまだ決まってないのだろう? なんなら開発した魔術を発表するのでも、役に立つと思ったのだ」
「ま、ままままさか、いただけるんですか? これほど貴重な魔導書を! これはっ、神話の聖遺物に匹敵するものですよっ!」
顎が外れんばかりに驚愕の表情で戦慄くロゼッタに、ササキは可能な限り笑顔を張り付けてやり過ごす。
「か、必ずササキ様のご期待に沿うべく、全身全霊をもって新魔術の開発に精進いたしますっ!」
「期待?」
いつの間にか大役を仰せつかったかの如く気炎を吐く彼女に、疑問符を抱くカオリに反応することなく、ロゼッタは姿勢を正して退出するのに、カオリもついていく。
修学室として使っている先程の角部屋に戻った二人は、椅子を寄せて、肩をくっつけながら転げるように座り、魔導書を並んで覗き込む。
現代日本の先進機器の操作に慣れたカオリは、感覚だけで魔導書を操作してみせ、ロゼッタがそれにならって知識と機能の整合性を掴んでいく。
「こんな簡単に、術式編纂が出来るなんて……、夢のようだわぁ」
感慨深く悦に入りながらも、一心不乱に手を動かすという器用なロゼッタを、カオリも楽しく眺める。
「ロゼならやっぱり薔薇と炎だよねっ、魔法はイメージが大事って言うし」
「えぇ……、難しいこと言うわね……」
口で言うほど嫌ではないのか、口の端を上げながら集中するロゼッタ。
「常に全方位を結界で覆うのでは魔力消費が多過ぎる。だから薄い魔力波で魔力と速度のある物質だけを感知して、その箇所だけ結界を厚く展開するようにして、最低限の不意打ちは対応出来るけど……、結局常時展開は難しいから、魔力消費量の問題の解決が最優先ね……」
「火と云えば燃焼でしょ? 結界で防ぐんじゃなくて、周囲の魔力と相手の魔力を吸収して発火するようにするとか?」
「つまり結界の代わりに火力で防ぐ? それなら結構消費を抑えられるかも、でも魔力吸収の術式は他の術式と組み合わせるのが難しいのよね……、上手く繋げないと漏出が激しくて――」
そう言いながらも手を休めず。編纂と実験を繰り返す。
途中にステラが休息にと菓子と紅茶をもって来てくれ、脳に糖分を補給しながら、さらに研究は続けられた。
ある程度の目処が立てば、魔導書に記された術式を自身の魔力でなぞり、しっかりと記憶して、実証と相成った。
「じゃあいくよ~」
「お願いね」
庭に出て相対する二人は、適度な距離を保って対峙し、カオリはロゼッタに向けて小石を投げ付ける。
展開された結界魔法がそれに反応して、小さな炎の花を咲かせれば、投げ付けられた小石は瞬時に燃え、衝撃と共に弾かれる。
飛来物の速度に応じて火力も反発力も変動するように設定したために、結果としては小さなものだが、正常に発動したことに、二人は感動する。
次に当たれば怪我をするほどの速度で投げれば、見た目には大した変化はなくとも、上った火力と反発力で、小石は跡形もなく粉々になり、その次に投げた大きめの石では、もはや小爆発かのように、大輪の花が咲き、石を焼失させた。
「これならどうだー」
カオリは不意撃ち気味に、釘を投げる。
そして結界に当たれば、鮮やかな色の花が多弁を咲かせ、ロゼッタの身体に触れる前に、釘は燃え尽きた。
「きゃっ、もう、びっくりするじゃない!」
いくら綿密に組み上げた自慢の術式とは云え、初めて自動で展開する結界魔法なのだから、不意の攻撃には術者自身に免疫がない、当然の結果として、突然目の前に炎の花が出現すれば驚きもする。
「まだまだぁ~」
「ちょちょちょっと待って! わ!」
手を変え物を変え、木釘が五寸釘に、ナイフやフォークに、煉瓦や薪用の丸太、果ては矢や短剣なども、カオリの身体能力に任せて投げ付けられる。
投擲技術にも磨きがかかり、もはや小さな礫であっても、当たり所が悪ければ命にも届きうる殺傷力があるそれらを、しかしロゼッタの結界は難なく防いで見せた。
「流石に待って! 魔力がすんごい減るから! 限界限界!」
調子に乗るカオリを、慌てて必死に制止するロゼッタに、カオリはようやく手を止める。
「武器なんてどこから出したのよっ」
「この前の人達から貰ったヤツだよ」
「いつの間に拾ったのよ……」
ロゼッタが警備兵を呼びにいっている間に、死体からこっそり回収した短剣や短弓を、ここぞとばかりに投入したカオリであったが、おかげでロゼッタの結界魔法の効果が十分に図ることが出来た。
物理的な衝撃を防げるならば、魔法にも充分効果があるだろうと確信するが、やはり物量に伴った魔力消費量は馬鹿にならないのか、ロゼッタは疲れた様子で息を吐く。
「いざ戦闘になれば、発動範囲とかを調整しないと、何でも迎撃してたんじゃ攻撃に転じるどころじゃないわね。もっと色んな状況にも対応出来るように、改良を加えるべきだわ」
「そうだね~、接近戦で相手の剣にも反応してたんじゃ、防御してるだけで魔力消費しちゃうし、発動中も切り替えが出来れば便利だろうね~、ただ感知するだけにも使えそうだよね? 感知型迎撃魔法って感じ?」
「私はこれに【―燐粉纏い(フレイムエタラー)―】と名付けるわ、まだまだ改良して、さらに精度を上げるつもりだけど、方向性が定まれば、後は微調整するだけで、実戦投入も可能だわ」
夕食前にはなんとか漕ぎ付けたが、まだまだ改良点はあると語る彼女は、それでも短い時間で一つの魔術を完成させたことに、満足感を得ていた。
これがササキから貰った魔導書を使わず、従来の方法で取り組んでいたのなら、恐らく半年は要していただろうとロゼッタは考える。
「一度の実験だけでも、一日の魔力回復量を消費するんだから、ササキ様の魔導書がなければ不可能なことだったわ、ササキ様を驚かせる術式にするなら、もっとすごい成果を出さないと……」
消費した魔力の関係で、気だるさを感じつつも、意気込みだけは熱く漲らせるロゼッタと、それを眺めて笑うカオリの下に、ステラからの夕食の呼び声が届く。
王都に移ってから半月近くも経てば、流石に各種物資も充実するというものだ。
足りない消耗品やら家具類、また食材なども相場を調べ上げて調達に走ったことで、今夜の夕食も王都の食材が大半を占める。
いっそ転移陣を利用して村では手に入らない物資調達も出来るので、その点でも王都入りは結果的に村にもよい影響を与えている。
王領の最東端に位置するエイマン城砦都市にある商業組合は、当然王都に本部を構えているので、ステラが機転を利かせて王都の商業組合から、各種物資から食材に至るまでを一括大量購入することで、かなり安く仕入れることが出来るからだ。
果たして地方の郷土料理のようだった夕食も、王都の貴族家に見劣りしない程度に昇華されたことで、ずいぶんと豪華になったが、見た目が豪華になった以外は、些細な違いの区別がつかないカオリにとっては、なにがどう違うのかは分からなかった。
しかし使われた食材の産地から特徴、また調理法とその由来、さらには類似品や工夫についても、ステラは熱心に説明するのを、カオリは聞きながら舌鼓を打つ。
貴族に接する以上、こうした食への知識も、ある程度は修めておかなければ、話題についていけなくなるとの配慮である。
カオリにしても豊な村の未来を目指す以上、衣食住の多様化は取り組むべき事柄であるので、謹んで拝聴する。
前菜に使われる野菜類こそ村の山菜や、王都近郊で採れた新鮮なものだが、汁物には手間をかけて出汁から作り、豊富な香辛料や香草を効かせて絶妙に味を調整されている。
肉や魚も丁寧に捌き下拵えされ、手製の調味料と共に色彩豊かに盛りつけられれば、見た目にも味も豊かな料理となる。
最後に甘味ともなればうら若き乙女には嬉しい締め括りである。
今夜の甘味は小麦粉や玉蜀黍から採れる片栗粉を利用し、砂糖や果物を混ぜ合わせて固めて冷蔵庫で冷やしたものだ。プディングと云えば想像しやすいだろうか。
カオリとササキは珈琲を、ロゼッタとビアンカは紅茶を片手に、食後の歓談と相成る。
「窓から見ていたよ、すでにある程度の形までは完成させたのであろう? 遠目に鑑定魔法で確認してみたが、なかなか複雑な、それでいて無駄の少ない術式が組めているじゃないか、流石はロゼッタ君だ」
「ありがとうございます。ただやはり汎用性と精度を求めると、魔力の消費の問題が出て来ます。現状の私の力では、せいぜい微調整が限界かと」
ササキに褒められ嬉しくもあるが、限界に達したことで、自身の実力の程度を知って気落ちするロゼッタ。
「やっぱり高度な魔術を使うなら、レベルを上げるのが必須なんですかね~」
「レベルが上って魔力総量が増えれば、その分高位の魔法、高度な魔術の行使はたしかに容易になる。だが魔力量にものを云わせた魔法や魔術ほど、対策を施すのも容易だ。いついかなる時も工夫は重要だぞ?」
カオリの言葉もササキの助言もどちらも正論である。そして正論であるがゆえに困難でもあるのだ。
今すぐにでも力を欲するロゼッタには、二人の言葉に歯痒い思いだ。
「カオリ様には武力はあるが貴族社会の知識がなく、ロゼッタ様には十分な教養はあるが武力が足らず、という訳ですか、冒険者であれば適材適所でも、貴族社会では力不足が否めないでしょうね」
二人の話しを総括するビアンカも、二人の欠点を補う名案がないか思案顔だ。
「私は勉強あるのみで分かりやすいから、先にロゼの問題を解消するべきだよね~、レベルを上げるなら魔物討伐が一番効率的だけど、まずロゼはどういう方向で考えてるの?」
「方向というのは、導士か戦士のどちらを伸ばすかと云うことかしら? ……最初は身近だった騎士だけれど、あれは仲間と連帯して動くのが前提で、個々でも戦える冒険者としては少し違うのよね」
「冒険者も突き詰めれば狩人のようなものだからな、どちらかと云えば力よりも智恵と工夫が主となろう」
圧倒的力で蹂躙出来るササキが云うと、やや説得力に欠けるが、一般の冒険者としては真っ当な意見に、皆頭を捻るしかなかった。
「そもそも王国の騎士様ってどんな戦い方をするんですか? ロゼの基本が騎士にあるなら、その先も考えやすいかもだし」
そう問うカオリに、ビアンカはやや背を正して答える。
「ミカルド王国の騎士団、この場では私が所属する百合騎士団を例に挙げますが、基本は魔術と剣を主体とした複合剣術にて、男性騎士との差を補い、またあらゆる事態に臨機応変に対応出来るよう訓練しますね。主任務が令嬢の護衛であったり、儀仗兵として重要な式典に参加することなので、襲撃に備える点から慣習的にそうなっております」
「ビアンカさんは魔法が使えるんですか?」
カオリのビアンカへの印象は、庭で稽古しているか、先日のゴロツキを相手取った時の立ち回りの時程度で、魔法を使用しているのを目にしたことはなかった。
「はい、低位の各種属性魔法と、騎士団に入隊してからは主に身体強化の魔法を修めました」
低位魔法と云えば下位よりも下の、場合によってや国によっては生活魔法とまで呼ばれる。ほぼ戦闘で役に立たない魔法である。
しかし魔導士というだけで、魔法が使えるというだけで、特別な才能があると考えられることが多いこの世界では、低位と云えども魔法は魔法として尊敬を集める。
「幼少のころに魔導に目覚め、村に定期的に来る薬師の方に師事しました。唯一下位の風魔法が使えますが、今では剣で戦うことの方が多いですね」
そもそも剣術と同様で、学びたいと能動的に活動しなければ、魔法を習得することが出来ないのがこの世界の常識である。
【―自己の認識―】のように自身の潜在能力を客観的に見る方法が失われているのだから、当然と云えば当然である。
この世界で老若問わず魔法を一から習得する場合、まずは魔力感知を覚えさせる。
大前提に自身に魔力があるのかどうか、また魔力がどのように体内を流れ、どのように消費されているのかを知ることから始るのだ。
それから既存の魔術を使って、ある意味安全な低位魔法から適正を調べる。
(魔法の才能っていうところからして、正直意味分からないけどな~)
カオリはたまたま日本刀好きで、卓越した剣術に憧れがあったから、魔導士として技術を磨かなかっただけで、今も自身のステータスを開けば、使用出来る魔法が沢山あることを把握している。
魔導士としてレベルを上昇させていけば、順当に魔力量も上がり、導士系スキルを取得すれば、より有利に魔法を行使出来るようになるだろう。
カオリからすれば、この世界の住人はたんに強くなる方法を知らないだけに映るのだ。
もちろんそれを声高に主張するつもりはない、強さの秘訣は、この世界で生きる上で優位性を保つ重要な要素の一つなのだからと。
「身体強化の魔法にもいくつも種類がありますが、私がよく使うのは【―筋力増強―】と【―俊敏上昇―】ですね。場合によっては【―魔法耐性―】などで防御力を底上げします。これらは下位の魔法となります」
二十レベルの身体能力に身体強化の魔法が乗ればさぞ強かろうとカオリは想像する。
「ロゼッタ君であれば、もっと攻撃魔法を主体にした魔法剣士でも、魔力量的に問題ないだろう、レベルに関しては、迷宮に挑めば確実だろう」
「魔法剣士ですか……、カオリ達と並んでも見劣りしないくらい強くなるには、どうすれば――」
悩むというよりは、選択肢が多くて迷うといった様子で、視線を天井に向けるロゼッタ。
「なんだか王都での活動も、色々面白くなってきたかも~です」
まだ半月だが、すでに王都での生活に明るい展望を見出したカオリは、瞳を輝かせて拳を握る。
夏もこれよりさらに深まるだろう、長くも短い夏休みも、まだまだこれからだ。




