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( 新規計画 )

「ミカルド王国に存在する。王立魔導学園に、短期留学生として入園し、各種調査をしてもらえないだろうか?」

「は?」


 開拓が本格始動してからはや一週間が経った昼下がりに、いつも通り、前触れなく訪問したササキは、挨拶もそこそこにそう切り出した。


「私が、ですか?」

「ああ、そうだ」


 これまでも細やかな要望や提案を交わして来たササキの、たってのお願いに、カオリは疑問を抱くだけで、とくに疑念を抱かずに話しを聞く姿勢であったが、あまりに突拍子もない内容に、流石に混乱した。


「私の治める。【北の塔の国】では、一応難民を国民として、まだまだ小規模だが、この世界の人間を受け入れている。その中には若い世代も多くいるのだが、私の中の常識では若者は勉学に精を出すべきだと思っている。そして将来的には近隣諸国との外交や交易などで活躍してもらいたいと考えているのだ。……だが」


 若干言葉を濁すササキの様子を、カオリはじっと見詰める。


「なにぶんこの世界の、初等~高等教育がどのような形で実施されているのか、その実態を知る機会は少ない、私の冒険者としての身分では、教育機関に潜入するのは難しいのだ。視察の名目で訪問しても、多くを見ることは叶わないだろう、やはり国家間の折衝を担う以上、その教育レベルや環境を近い形に整えるべきだと考える」


 ここまで言えばカオリには意図が伝わるだろうとササキは期待し、カオリはそれで状況を十分に理解したのか、自ら発言する。


「日本の学校を知っていて、かつこの世界でササキさんと近しく、また学生に適した年齢の人間が、私しかいないわけですか」


 同年齢の少女と比べても、頭の回転がよいカオリはそれでおおよそを理解した。

 現在二人はギルドホームにて秘密の会合中である。傍にはアキだけが帯同し、今ならササキの本来の姿である。【北の塔の王】にまつわる話題も気にする必要がない。

 世間で騒がれる魔王と称される男と、秘密裏に会談をする少女の姿に、カオリは我がことながら苦笑が漏れる。

 しかもその内容が、自分の代わりに学校に通ってもらえないか、というお願いである。これが笑わずにいられようか。


「まあ正直に言うと、私の配下は皆守護者や配下NPC、または自動生成の魔物ばかりな上、種族も人種ではないものばかりなのだ。……なので、なんだ。この世界の人間を侮るばかりか、嫌悪しているものがほとんどなのだ……」


 ササキの告白にカオリは怪訝な表情をし、傍で控えるアキに視線を向ける。


「あ~なるほです。なんででしょうね? 私達が創造主として尊ばれるのは分かりますが、他の種族を嫌う感情ってなにが原因なんでしょう?」


 こればかりは本人達に聞いても、いまいち判然としなかったのをカオリは知っている。なのにアキに関してはアンリとテムリには懐いているのだから不思議である。


「それに青年の姿のものもおらず。変化の魔法で姿を変えても、本人の性格までは隠せず。自然に振る舞えるカオリ君ならば、安心して潜入出来ると考えたのだ」


 【北の塔の国】の内部情報を吐露するほどに苦慮していたのが分かり、カオリは同情を感じる。

 ササキがどういった経緯で国を運営する状況になったのか不明だが、村を開拓しようとしている自分でも、ここまで苦労して来たのだ。国造りなど想像を絶する難行に違いないと、カオリは苦笑する。


「もちろん君にもメリットはある。まず王国内外に関わらず。高等教育を受けた経歴は武器になる。また平和裏に村の開拓を進めていく上でも、近隣諸国にて理解者を得るのは重要だろう、仮に協力関係を築かずとも、たしかな経歴があれば無闇な警戒を抱かせることもないはずだ」

「具体的にはどうやって入園まで漕ぎ付けるんですか?」


 カオリにとっての得についてはササキのことである。ちゃんと考えて提案してくれているのだろうと信用するとして、だが具体的な方法如何によっては、実現が難しい、この場合はカオリの能力不足から、ササキの期待に応えられない事態が彼女にとっての懸念であった。


「私の調べたところによると、まず出自や素行についての聞き取り調査をし、その後に筆記による入園試験を受け、合格基準に達すれば、最終に面談をする必要があるらしい、前者については私が後見人となり、方々に根回しをしておくので心配はない、なので君には筆記試験と、最終面談にて、試験官の前でいくつか質問に答えてもらうことになる」

「はぁ~、また受験ですか、去年にようやく終わったと思ったのに、緊張します」


 カオリは高校受験を無事通過し、進学前の春休中に、この世界に召喚されてしまったのだ。

 高望をせず、近場の私立高校を志望したとは云え、当時の勉強漬けの日々と、試験当日の緊張を思い出し、辟易とした気分となるカオリに、ササキにしては珍しく申し訳なさそうな様子だ。


「今回のことについては、実はロゼッタ君にも相談したいと思っているんだ。だがまずはカオリ君の意思を確かめておきたかったのだ。それでどうだろう、受けてくれるかね?」


 ササキは頭を下げると同時に、カオリの顔を伺うように視線を覗かせる。


「いいですよ~、この世界の勉強にも興味ありますし、ちゃんとした学校に通えるなら、願ってもないことです」


 笑顔で承諾するカオリに、ササキは何度もお礼を言い、その足でロゼッタの下に足を運んだ。


「というわけで、勉強教えて~ロゼ!」

「……どういうわけで?」


 カオリのおふざけに真面目に返すロゼッタに、ササキが一から説明すると共に、ロゼッタにも同様の提案をおこなう。


「後見人は私が引き受けるが、平民のしかも異国人の冒険者であるカオリ君は、学園内で遠巻きにされる可能性が高い、そのため付添人兼案内人として、ロゼッタ君にも短期留学に付き合ってもらいたいのだよ、もちろん君の自由を保証するために、君の後見人にもなろう、お願い出来ないだろうか」


 ササキが頭を下げたことで、ロゼッタは大慌てでササキを制する。


「御顔を上げてくださいましササキ様! ササキ様のお願いを私が断るはずもありません、父である侯爵がどのような反応をするか気にはなりますが、恐らく邪魔立てまではしないはずですから……」


 親の命令を蹴って冒険者になったにも関わらず。今更二年遅れで学園に入園するなど、親であれば激怒する勝手だが、ササキに信奉と恋慕を寄せる彼女にとっては、些細なことであるようだ。


「ただカオリ、貴女、学習道具はおろかドレスの一着も持ってないでしょ? お金はたしかにあるけど、私と貴女の分を揃えるとなれば、馬鹿にならない費用がかかるわよ? 会計帳簿を任されているから知ってるけど、今ある資金のほとんどは、使途が決まっている大事な開拓資金よ?」


王立魔導学園は日本公立学校とは違い、貴族を始め、裕福な上流階級、或いは才能を認められた特待生以外は、通うことが難しいとされている。

 その最初の難関が、高額な入学費と授業に使われる教材や備品の準備金である。


 制服などという平等思想の乏しいこの世界では、通学に着ていく衣服にも家格が如実に影響をうける上に、貴重な書籍全般もかなりの費用がかかるものだ。

 頭がよく、かつ魔術に秀でた才をもっていても、後援者を得られなけばまず資金面で断念せざるをえなのが現実である。


「そこは心配しないでほしい、お願いしたのは私なのだから、全ての費用を私が工面しよう、どころか君達が不在によって、村の開拓資金の補填が難しくなるのだから、そちらについてもこちらで工面しよう」


 その言葉に目を丸くするロゼッタだが、ササキが神鋼級冒険者であることを思い、すぐさま納得の表情を浮かべる。

 今季の開拓に踏み切ったのは黒金級の魔物、【ソウルイーター】を討伐した報酬があったことを思えば、そのさらに上の階級である神鋼級の討伐報酬は、もはや高位貴族の税収にも匹敵するだろう、しかもササキは単独で活動しているのだから、報酬はまるまる懐に入るのだ。

 たかが入学費用や短期の開拓資金の工面など、片手間でこと足りるのだろう。


「分かりました。ではご厚意に甘えて、カオリと私の分の準備金を頂戴します」

「ありがとうロゼッタ嬢、村の開拓資金の補填に関しては、期間中の君達には、各国の外交官と同等の給金を支給しようかと考えている」

「そ、それはすごいです。国の要職ともなれば、男爵並みの給金が約束されます。私達には過分なご配慮かと」


 ロゼッタの狼狽にササキは優しく首を振る。


「それだけの働きだと判断したのだ。どうか受け取ってほしい」


 ササキのその言葉に、ロゼッタは大人しく承諾し、その後は段取りについての話になった。


「私は今回の話しを、早速王国の伝手に伝え、各手手配を済ませてこよう、試験は学園の近くの施設でおこなわれるらしいので、日時が決まれば、その一週間前には王都の私の屋敷に来てもらうことになる」

「ササキ様のお屋敷ですか……、王都に邸宅をお持ちであるとは御聞きしておりましたが、まさかお招きいただける機会が与えらるとは思っておりませんでした」


 若干蒸気した頬を隠すように、ロゼッタは両手で頬に触れる。


「それまでに試験勉強と衣装などの事前準備を進めてもらいたい、出張費も私名義で委任状を渡すので、エイマン城砦都市についたら、冒険者組合で引き落としの手続きをしてもらいたい」

「分かりました」


 ササキも冒険者組合に報酬金を預けているようだ。いったいササキほどの冒険者であれば、どれほどの金を蓄えているのか、想像を絶する。

 そこまで言ってササキはすでに準備していた委任状をカオリに手渡し、さっさと転移魔法で出発してしまう、早速とはいっていたが、本当に今から手配を済ませてしまう気なのだろう。


「カオリ様、私はどのように準備いたしましょう?」


 ギルドホームからずっと傍にいたアキが、カオリに問う。だが一瞬意味が分からず、カオリは呑気に返答してしまった。


「ん? アキは別になにも? 私とロゼの二人分の準備だけだし、王都に行ってからも、アキにはここに残って、開拓の監督を継続してもらうし、荷物だって……」


 そこまで言ってカオリはアキに視線を移し、そこで言葉を詰まらせた。


「ふぇ?」


 驚愕の表情で固まり、次第に目に涙が薄らと膜を張り出した当たりで、カオリは驚いて立ち上がる。


「私は必要ない、と? もしものことがあった場合、誰がカオリ様をお守りに?」


 今にも泣き出しそうなアキを、カオリとロゼッタは大慌てで抱締める。


「だ、大丈夫だよアキ! 必要だからこそ残ってもらうんだよっ、ギ、祠の存在を理解して、守ることが出来るのは、私以外じゃアキだけだし、村の統率と管理だって、アキじゃないと全部を任せられないし」

「そ、そうよアキ、カオリのことはササキ様も私もいるわ、なにが起こっても守って見せるし、身の回りの世話も、ステラを連れていくから不便もさせないわっ、だから泣かないで、ね?」


 基本的にカオリから離れることを嫌がるアキが、長期間村を開けることになり、傍を離れることを受け入れることはないだろうと、想像の足りなかったカオリは、反省して必死にアキを嗜めた。


 ロゼッタもずっと彼女達の近くにあり、二人の関係を、少なくともアキの盲信的な忠誠心には理解を示していた。

 いやむしろ、貴族社会で生まれたロゼッタの方が、主に忠誠を誓う従者の思考を、よく理解していた。

 亜人種とまともに接触したのがアキが初めての彼女にとって、彼女は聞いていた亜人種の特性と違って、礼儀や振る舞いに熟達し、聡明で、強い、れっきとした淑女だ。


 何より透き通るような白銀の彩毛、整った目鼻立ちは、亜人種でなけれ絶世の美女として、高位貴族に目をかけられるのも必至であったはずだ。

 それと、ロゼッタ達にとっては、アキは故郷を出奔した主を追いかけ、この異国まで単身ついて来た忠義心の厚い忠臣である。


 カオリの振る舞いや言動は、時に主人にあるまじき軽率なものに感じることがある。彼女からしてみれば、今回のことは完全にカオリに非がある。

 配下の忠義に応えるのも、主の務めであるのだから。


 遅きに失したカオリの失敗を、ロゼッタも一緒になって懸命に慰めた。

 というよりも、涙目のアキがあまりにも庇護欲を掻き立てるものだから、思わず身体が勝手に動いたというのが本音である。


「カオリ様! せめてっ、せめて御身をお守りするために、影の従者をお付けくださいませ!」

「影の従者って……、どういうこと?」


 アキの進言に首をかしげるカオリ。


「なるほどね。貴族の巣窟に飛び込むんですもの、情報収集に長けた暗部の従者をつければ、貴族の情報も、裏の思惑をもって近付いて来る輩にも、ある程度対処出来るかもしれないわね」

「でもそんな人材、そう簡単に見付かる?」


 そんな便利な人物が、おいそれと仲間に出来るとは思えない、身近なところでゴーシュ達が偵察や情報収集に最も適した能力を有してはいるが、貴族の子息令嬢の通う学園に、付き人として連れていくには、少々武骨に過ぎる。

 なにより村周辺の安全確保のための、哨戒の仕事は今も継続中である。


「カオリ様、祠の力を御使いになれば」

「祠の? ああ、守護者……か」


 アキの云わんとすることを理解して、カオリは唸る。

 守護者創造であれば、たしかにカオリの望む通りの人材を生み出すことは出来るだろう、だがこの時期に、いきなり従者が都合よく現れるなど、どう皆に説明したらいいのか、カオリは悩む。


 流石に一生命体を創り出した結果、アキが生まれたことは、まだ皆には隠している状況である。

 悩んだ結果、カオリはある妙案を思い付く。




「では準備も整いました。カオリ様」

「はいよ~、【―楽園の采配(ギルドメニュー)―】」


 祠もといギルドホームの【ギルド武器】であるアンリの父の剣の前で、カオリはギルドホームの操作ウィンドウを展開する。

 その横では、貯蓄と新たに換金した魔金貨を陣前に備え、祈りを捧げるアキの姿が。

 これは今回のギルドホームシステムを隠す演技に、説得力を持たせるための演出である。


「従者を創るって話しだけど、そんなことも可能なのね……、本当にすごい場所よね」

「面白そうだからついて来たけど、なにが始るんだい? あたしゃなにも聞いていないさね」


 事前の説明を受けて、驚嘆するロゼッタと、知らぬまま好奇心の赴くままに同行したアイリーンに向けて、アキがカオリに代わって嘘の説明をする。


「私の習得した【―傀儡造型(モデリングゴーレム)―】を、祠の力で増幅し、より上位の【―傀儡創造(クリエイトゴーレム)―】へと昇華し、魔金貨を消費して魔力を補うと共に、魔術の緻密な操作を可能とします」

「す、すごいわ、高位の魔導士が、複数人でおこなう複合魔法も、この祠の神域であれば、たった二人で、しかもカオリは魔導士でもないのに、自在に行使出来るのね」

「魔術の初歩さえ習得していれば、もっと上の魔法が使えて、しかも高位の魔法を発動しても、魔力暴走を起こさず。完全に制御出来るなんて、防衛時の魔法障壁の展開でも、ほとんど代償なしで行使出来るさね」


 個人の力ではなく、移動させることが出来ないという制約はあれど、都市防衛時でそれがどれほど有効であるか、アイリーンには分からないわけがない。

 ギルドホームという、プレイヤー達に自由な創造を提供する。かつてのゲームのサービスの一環に過ぎない施設ではあるが、それが現実として存在したならば、それは想像を絶する力に映ることだろう。


 悪質な敵対行為や、一方的な収奪行為から、プレイヤーの財産と命を守る安息の場所として、ギルドホームは存在する。

 生産施設や内装設定も、それらゲームを楽しむ遊び要素の一環に過ぎない、守護者設定もその一つである。

 面倒な生産系施設の常時稼働や、外観のお飾りとして、NPCの創造が一定数認められたことで、プレイヤー達はこぞって自分達だけの楽園の改造に、嬉々として時間を費やした。


 だがこれらを現実、この世界の定規で図ったならば。

 正規の接近方法以外の、如何なる外部からの攻勢に対しても、完全なる防御を有するギルドホームの防壁ならば、この世界に存在が感知されているあらゆる魔法障壁をも超える性能があると断言出来る。

 生産施設をとってみても、ただ消費アイテムを楽に量産出来るようにと、コストと手間を省略したに過ぎないが、この世界ではそもそも、高位のアイテムの生産技術が失われている。


 守護者設定などは最たるものだ。

 命を、無か自由に創造出来るのだ。これは最早、神の領域といってもいい。


(だから、今回のいい訳は、高性能ゴーレムの創造を、祠の力を借りて再現しよう作戦)


 まったくの代償無しではない、魔金貨という、この世界では神話の時代に失われた神々の遺産、金貨の形をした高純度の魔力の塊が消費される。

 いくら神の領域の奇跡を行使しようとも、その代償に神の遺産が消費されるのであれば、多少は違和感なく受け入れらるだろう。


「えーと、ロボットよりもアンドロイドみたいな感じかなぁ~、出来るだけ人間に近い方が可愛いよねぇ~」

「……とても、高位魔法を行使しているようには見えないわね」

「なんだか楽しそうさね」


 この世界の常識から抜け出せない二人には、カオリの呑気な様子が、異様な光景に映る。

 本来の高位魔法は、術式化されていない限り、制御にそうとうの集中力が必要とされる。構成から発動までの過程で、一切の油断が許されないのだ。

 もし構成に必要とされる魔力が偏り、構成が崩壊したならば、注がれた魔力が溢れ出し、魔力暴走を起こすだろう。


 だがギルドホームシステムを利用しただけと知るカオリは呑気なものだ。

 キャラクターエディタに平気で二~三時間をかけることもあったカオリは、この時間を心底楽しんでいた。

 そして本当に一時間以上を費やして、満足いったカオリは、設定完了のアイコンを押す。

 供えられた魔金貨が溶け出し、魔法陣に吸い込まれていく、中空に現れた魔法陣が上下し、肉体を構成してゆく、骨格、生体機構、筋繊維、皮膚、服装や装備までも構成せれていく。


 時間にして僅かだが、数秒の出来事に、カオリは瞬きも出来ずに見守る。

 現れたのは浅黒い肌に、黒の忍び装束を纏った少女、顔立ちはやや鋭く、伏せられた瞳は見ることは出来ないが、やや冷淡な印象が強い美少女だ。

 体毛はアキとは正反対の漆黒で、後頭部から背にかけて、羽毛のようになっている。


「暗部行動に特化した忍者で、種族のモデルは、狛犬のアキに対して、八咫烏だよ、スキル構成は自動設定に任せたから、アキみたいに、役割に応じたなにかが使えると思う」


 カオリの説明の後、ゆっくりと目を開けた彼女の瞳は深い蒼だ。

 目を開け、カオリを視認した彼女は、そっと跪く。


「命令を」


 頭を垂れる彼女を、カオリは喜色満面の笑みで見詰める。


「君の名前は詩吽(シン)、始りを記すアキに対する。詩い終わるシンという意味があるよ。君には情報収集とか裏工作とか、影から私を含むみんなの護衛とかを任せたいの、理解出来る?」


 複雑だが曖昧な指示をどこまで理解出来るのか試す意味も含めて、簡単に説明する。


「分かった」

「よし!」

「しょ、少々お待ち下さいっ、カオリ様」


 二人のやり取りを見て、アキは慌てて間に入る。


「シン! 貴女、創造主様に対して、なんて口の利き方をするのです!」

「……?」

「……? ではありません! そんな可愛い仕草で誤魔化せると思っているのですかっ!」


 無表情のまま小首をかしげるシンを、猛烈に叱責するアキを、カオリは嗜める。


「無口で無愛想で無頓着なキャラだから、これでいいんだよ~、ぴったりでしょ?」


 笑うカオリと、不服なアキの一悶着を、ロゼッタとアイリーンは静かに眺めていた。


「すごいけど、締まらないわね」

「強そうだねぇ、これなら護衛も、情報収集も任せられそうさね。そこんとこはどうだい?」

「ゴーレムなら、長期の潜伏も可能だし、危険な任務でも、休息も必要ないわよね? 貴族なら誰もが欲しがる一体よ、それにあんなに可愛いんだもの、愛玩用にと欲しがる下種はたくさんいるでしょうね」

「つまり、あの子自体が、バレると不味い存在ってわけだね。でも見た目はほとんど普通の亜人と見分けがつかないし、それほど心配は必要なさそうさね」


 無事に守護者の創造に成功し、多少の問題は残しつつも、カオリ達は次なる準備に取り掛かる。

 とりあえずシンの住居はカオリ達と同じ家の、梁の上となった。

 寝具どころか横になって眠る必要もないと、本人が希望したことでそうなった。


 そしてその後、学園入園に向けて、最低限の準備のため、エイマン城砦都市で各種準備物を買い揃えようとなり、さっそく狼車を走らせる。

 夕方に村を出発したので、到着は翌日の夕方になり、いつもの宿にて一泊、朝早くから市場や商店街を練り歩く。


 今回の面子はカオリとロゼッタとステラに、新規参入のシンの試験運用も兼ねて、四人での行動である。

 カオリ達が堂々と通りを進むのに対して、シンは日中でどれほど隠れながら追従出来るかの試験である。


「上手く隠れてるな~、私じゃなかったら見失うだろうなぁ、ロゼとステラさんはどうですか?」


 方々に視線を巡らせつつ、シンの気配というか、創造主の能力である。追尾感知能力のおかげで、だいたいどの当たりにいるかが分かるカオリと違い、二人は忙しなく視線を彷徨わせる。


「分かんないわよ、ねぇ本当について来てるの? どこかで休んでるわけじゃないの?」

「……僭越ながらこの手の稼業人には常に気を張っておりますが、私でもまったく気配が感じられません、いないと言われても納得出来ます」


 シンの働き振りを疑うほど、二人にはシンの存在が確認出来ないようだ。だがシンがサボっているわけではないのは、すぐに証明される。


「いる」

「うん、いるね」


 突然姿を現したシンに、ロゼッタとステラの二人は驚きのあまり固まる。


「い、いつの間にそこに……」

「これは……、味方であることがこれほど頼もしいと思った方は初めてです」


 侯爵家に長年仕えて来たステラは、ただの雇われ侍女とは違って、時に主の命で情報収集や身辺の護衛も仰せつかることもあるため、相応に鍛えている。そんな彼女でも、直前までまったく姿を確認出来なかったのだ。

 これならよほど相手に手練れでもいなければ、問題にはならないだろうとカオリは考えた。


「直接戦闘に関しては、まだ未知数なところが多いけど、まあその身のこなしならそこらの悪い人にすぐやられることもないよね~、そのまま隠密を維持して今日はついて来てね~」

「分かった」


 そうしてシンはフワッと姿がかき消える。


「今のは魔法?」

「うんそう、隠密で役立つ認識阻害の魔法各種を複合した。【―神前での悪戯(ライトオブトリック)―】ていう固有スキルだって、姿や音を消したり、なんか、起こした事象を些細なことって認識させる効果を同時に使えるみたい」

「破格過ぎるでしょ……、アキも大概すごいスキルを持っていると思ってたけど」

「恐ろしいですね……、殺されても、直前までその脅威を自覚出来ないのでは、自分が殺されても気付けないのでは?」


 二人の畏敬にカオリは笑って流す。


「まぁ、攻性魔法じゃないからか、アキの鑑定魔法からは隠れられないみたいですし、レベル異存のスキルらしいので、高位の感知魔法までは誤魔化せないみたいですよ~、後はたんに本人の力量じゃないかなぁ」


 カオリにとってはどこにいても存在を感知出来るのだから、左程重要とは思えず、簡単に受け流したが、その言葉に素直に納得出来ない二人は、同時に溜息を吐く。


「まあいいわ、味方である内は頼もしい存在であることは間違いないのだし」

「はい、表では私が調べるとして、どうしても手の届かない裏情報は、シン様にお任せすることもあるかもしれません、カオリ様、有事の際はカオリ様を通して、力をお貸しいただくこともあるかもしれませんので、その時はよしなにお願いします」

「は~い、私の方からシンにも言っておきますね~」


 三人が向かったのは雑貨屋である。書店などほぼ存在しないこの世界では、書籍の取り扱いはこういった店舗が担うことが多い、そのためまずはここで用事を済ませるつもりだ。


「でも王立魔導学園で採用されている教科書がここで買えるって不思議、なんで?」

「ん? ここにはおいてないわよ、ここを通して商業組合に注文してもらうか、組合への紹介状を書いてもらうのよ」

「買えないの?」

「教科書は特別よ、だからよっぽど大きな商会か、王都にしかない書店でしか購入は難しいわ、でもこの都市は一応王領だし、商業組合なら在庫をきっと持っているわ」

「へぇ~そうなんだ。だから服屋さんより先にここに来たんだね」

「服ならこの街で仕立てられるから、時間はかかるけど確実に手に入るもの、でも本はそもそもこの街にない可能性があるから、お金の準備もあって先に潰しておきたかったのよ」


 ロゼッタの説明にカオリは納得する。なんとも不便な世の中である。

 暮らしていくだけなら、物価の安いこの世界は、多くの稼ぎを必要としない面、嗜好品や贅沢品、または産業や学術備品になれば、途端に値段が跳ね上がるのだから困ったものだ。


 能力や教養のない平民が、己が力で成りあがるには、まず金銭的な面で躓くことは多い。

 雑貨屋で店主に事情を説明し、料金は先払いする。


 ササキの口座から引き出した銀貨や金貨の数々を眺めながら、カオリは溜息を吐く。

 この世界に来てすぐのころは、アンリ達姉弟の貯金を借りて急場をしのぎ、冒険者稼業を始めてからは、懸命に仕事をこなして慎ましく暮らしたのを、カオリは懐かしく思う。


 といってもその後間もなく、【デスロード】の討伐を成し遂げ、以降はそれほど出費を気にする必要はなくなった。

 村の復興を目指してからも、幸か不幸か多額の収入を得ることが出来、日々の暮らしには困窮する心配もなくなった。

 そして今やササキの依頼という形で、修学する機会に恵まれたのだ。


「色々あったけど、恵まれてるよね~」


 雑貨屋を出て次に衣服屋に向かう。


「制服とかあるの?」

「ないわね。貴族の威信を示す機会でもあるから、贅をこらした略装で学業にも励むわ」

「勉強するのにドレスなの? マジか~、動き辛くない? しかもそれだと毎日違う衣装に着替えるんじゃないの? 面倒臭さそ~」


 日本の制服という文化に慣れたカオリからしてみれば、非効率に映ることこの上ない風習に、嫌そうな表情を浮かべるカオリ。


「まあこれがこの国の常識なのだから、カオリには受け入れてもらうしかないわね」


 彼女にしてみても、こういった貴族社会の風習は煩わしく映るのか、カオリの気持ちに理解を示すロゼッタ。

 そこへステラが発言する。


「カオリ様は以前、紋章の入った礼装をお召しになっていたと聞き及んでおりますが、それは今どうされていらっしゃるのですか?」


 どこから仕入れた情報なのか、ステラが質問したことで、ここで初めてカオリは気付く、あれもれっきとした礼装で、しかも正真正銘の学生服なのだと。


「ああ、そういえばそうですね。今も持ってますよ、【―時空の宝物庫(アイテムボックス)―】の中なら、虫食いも劣化の心配もないですから」


 そう言うカオリに、ステラは思案顔でしばらく考えた後、妙案ありと提案する。


「学園行事以外の場であれば、カオリ様は異国の留学生という立場でありますし、いっそ日頃はそれをお召しになってもよいかと思います」

「ほんと! やった!」


 日本で高校へ行けずじまいだったことで、着る機会を失ったブレザーが、よもやここで陽の目を見ることがあろうとは思っておらず、カオリはステラの提案に喜んだ。

 もともと制服のデザインが気に入って、近場でもあったことから選んだ高校の制服である。学生として袖を通す機会に恵まれるのであれば、それだけでも今回の留学を引き受ける価値があったと、カオリは興奮を抑えられずにいた。


「そうですね。ずっとカオリ様の衣服をどの程度にすべきか悩んでいましたが、なにも無理にこの国の風習に合わせる必要もないのですから、その制服を少し趣を変えて数着仕立て、後は夜会や公の場での正装用を数着、こちらの国の様式のものを仕立てれば、十分間に合うかと」

「でも、スカートの丈があまりに短いように思うけど、いいのかしら?」


 実はカオリが現在着用しているスカートも、れっきとした、当時から変わらず制服のスカートである。

 一応着替え用にと、同じ形状とよく似た生地の物を数着仕立てて着回しているが、これがなかなか高価だったとカオリは思い出す。


「うーん、最初は可愛いから短くしてたけど、今にしてみれば、これが戦う時にすっごく動きやすいんだよね~、だから全部短くしちゃったんだ~」


 いわゆるミニスカートであるこの仕様は、この世界の女性から見れば非常に破廉恥に映る。


「しかしカオリ様は、冒険者で戦士でもありますので、女性騎士の装いに近い、今の様式も、決しておかしいというほどではないでしょう、……出来ればショースなどで、肌や下着を御隠しになった方がよいのでは、と思わなくもないですが」


 革長靴とスカートの隙間から覗く、それはもう絶対不可侵領域に視線を向けながら、ステラは困ったような苦笑を浮かべて、カオリの服装について述べる。


 この世界特有の文化として挙げられる一つとして、女性の戦闘職の存在が挙げられる。

 魔法の中には身体強化や武装強化といった強化魔法が存在する。また魔法は才能さえあれば、女性も男性も関係なく習得が可能だ。

 そのため冒険者のような危険な仕事だけでなく、国に仕える騎士にも、一定数だが女性が就くことがある。


 とくに高位の令嬢を護衛する従者などには、女性戦士や女性騎士は意外と重宝される。もちろんそれなりに戦える実力があるのは当然であるが、それでも魔法が使えるならば、なにも格闘や剣術に秀でている必要は必ずしも絶対条件ではないのだ。


「それはずっと思ってたのよ、貴女の国の女性はみんなそんなに、その、きわどい衣装を着るものなの?」


 ロゼッタが兼ねてから疑問だったことに、今に至って言及する。


「いんや、若い子だけかな、私の国ってけっこう服装は自由だから、仕事とか公の場以外はみんな可愛い恰好するかな~」

「少し安心したわ、文化はずいぶんと違うけど、どこの国も若い女性は着飾りたがるのは同じなのね」


 些細な共通点に、ロゼッタは溜息を吐く、一般的な女性としてどこかずれた感性をもつカオリが、カオリの故郷では常識だった場合、なにがとは云わないが、そこはかとなく不安を抱かざるをえなかったと、ロゼッタは感じたからだ。


 商店街でも大通りに面した一等地に建つ、一見して高級品を扱う衣服屋まで来た一行は、そのまま店内に足を入れる。

 数着の見本品が飾られ、主に生地から仕立てることを目的とした衣服屋、あるいは仕立屋と呼ばれる店でも、ここは貴族や富裕層を相手にした店である。

 店内も掃除が行き届き、内装も拘りが感じられる。とくに店の中央におかれた姿見は、鏡が貴重品なこの世界では、店にとっても売りの一つである。


「ようこそいらっしゃいました。本日はどのような品をお求めでしょう?」


 店の主人とおぼしき男性が応対し、ロゼッタは臆する様子もなく、目的を話す。


「私と彼女が、今期から王立魔導学園に通うことになったの、そのために急いで衣装が必要なのだけれど、生地と、今の流行りを見せていただいてもよろしくて?」


 ロゼッタの言葉を受けて、店主はさっと見本帳と、押し絵の描かれた冊子を取り出し、カオリやロゼッタが見やすいように開いてみせた。


「学園に御入園とは、おめでとうございます。今の流行りですと、こちらや、こちらとなります。とくに今は第二王子殿下が御就学されておりますので、婦女子の皆様方は力を入れて着飾っておいでです」


 店主はそういって笑顔で説明する。


「殿下が……、そういえばそうだったわね。……、まあ私達には直接関わることもないでしょうし、普通のままでいいでしょう、ササキ様もとくにそのことで言及されなかったですし、コネ作りに執着する必要もないわね」


 王子に憧れる令嬢とは無縁のロゼッタは、このミカルド王国第二王子の情報を聞いても、眉一つ動かさずに思案する。


「それと、彼女は見ての通り異国の出身なの、だから彼女の国の風習を取り入れて、このブレザーとスカートを、少し趣を変えて四着ほど仕立てて下さいな」

「ほう黒髪に黒眼とは初めて御目にかかります。それに御美しい、これは腕が鳴りますな」


 店主の御世辞に、カオリは愛想笑いを浮かべる。


(みんなして褒めすぎ、私は普通の日本人顔の、普通の女の子だってば、第一この世界の人ってば、みんな美形なんだから、ほんと場違い感あるんだよね~)


 まるで創作作品から飛び出して来たかの如く、美男美女の坩堝のようなこの世界で、いたって普通の日本人女子を標榜するカオリにとっては、この世界の住民に容姿を褒められると、どうしてもいたたまれない気分になってしまうのだ。


 ロゼッタ主導で進む話しを横目に、カオリは店内をざっと見渡し、最後に正面の姿見に目を移す。


 そして、カオリは固まる。


(……あなただぁれ?)


 この世界に召喚されてより、初めて目にする鏡を前にして、カオリは完全に唖然とする。


 そうだ。カオリはこの世界で、始めて自分の姿を客観的に見たのだ。


 しばらく呆けてから、カオリは冷静に通信魔法を起動する。


『ササキさ~ん、たいへんです』

『どうしたカオリ君、問題か?』

『問題というか……』


 言い淀むカオリを疑問に思いつつも、ササキはカオリが話し出すまで、静かに待つ。

『この世界に召喚されてから、今初めて鏡を見たんですけど……、映っていたのが私のようで私じゃないんです』

『……、……ほう』


 一見意味が不明なカオリの言葉に、ササキは意味深な返答を返す。


『どのように違うのかね?』

『え~と、なんて言えばいいのか、その、キャラメイクで、自分にそっくりなキャラデザをした感じ? ですか?』


 カオリの所感を聞き、沈黙するササキ。


『身長は同じなんですけど、脚も長いし、顔も小顔で~、顔立ちも左右対称で、自分で言うのもなんですが、日本にいたころは、もっと普通の顔でした。こんなに美人さんじゃないはずです』


 しばらく沈黙した後、ササキが話す。


『この世界に召喚された時に、なんらかの魔法的な効果が働いたのかもしれん、もしかしたら、君は一度魔力に分解され、この世界で再構築、同時に最適化がなされた結果、今の容姿になったのだろう』

『マジですか……』


 ササキの分析に言葉を失うカオリを、ササキは気休め程度に嗜める。


『まあこれまで気付くこともなく、なにも問題なく過ごして来たのだから、すぐにどうにかなることでもあるまい、原因については私の方で調べておこう、私自身にも関わる案件なのだから、貴重な情報として、しっかりと調査をしておこう』

『そうですね。分かりました。お願いします』


 至って現実主義的なカオリは、それで納得し、ササキとの通信を切る。人目がある以上、あまり不審な行動も出来ないのだから、今は考えないようにするのが正解である。


(でもこれで、みんなが私をやたら褒めるのも納得かも、たしかに美人だわ、これ)


 しみじみと姿見に映る今の自分の姿を観察しながら、カオリは腕組みをする。


(ササキさんも日本人って言ってたわりに、身長が二メートル以上あるし、私なんてまだ可愛い方なのかな? 流石にあれが元からの大きさってわけじゃないだろうし)


 ササキの巨躯を思い出し、片眉を上げるカオリ、そんな表情も今のカオリがすれば、蠱惑的な仕草に見えるのだから、自身のことながら苦笑を禁じ得ない。


「カオリ? どうしたの?」


 店主への注文を終え、手隙になったロゼッタが、カオリの様子を不審に思い問う。


「なんでもないよ~、この大陸に来てから、鏡って初めてみるから、珍しくってつい見てたの」

「そうなのね。村にもやっぱり鏡が欲しいわね。身嗜みはステラが見てくれるから問題はないはずだけど、やっぱり自分でも確認したいものね。女には必需品だわ」


 やるせなく語るロゼッタに、ステラも同意の態度で頷く、女所帯が多い村では、やはりこういった不満が募るものである。


「学園に入園される前に、ロゼッタ様とカオリ様には簡易でもエステを受けていただかねばなりません、香油なども揃えて、速めにお屋敷に移られてはどうでしょう?」


 ステラの進言に、ロゼッタはしばし考える。


「そうねぇ、カオリの行儀作法の練習とか、試験勉強もあるし、いっそ環境に慣れる意味も兼ねて、一度村に帰ったら、すぐに王都へ向かいましょうか、どうするカオリ」

「あ~、そうだね~、環境が変われば勉強に集中しやすいし、村にいたら開拓が気になって、かえって邪魔になるかもだし、そうしよっか~」




 自分ではない誰か、誰かのような自分。


(複雑な気分、感情も記憶も、間違いなく自分そのもの、でも身体は似ているけど、自分じゃない誰か……)


 手を閉じたり開けたりを繰り返し、自分の身体を眺めるカオリ。

 用事を終えて、衣装も書籍も後日王都にあるササキの屋敷に届けてもらうように手配し、一行は村への帰路についた。


 まったく知らない世界に、たった一人で放り込まれただけでも、普通ならば気をおかしくしても不思議ではない。

 なのに身体すらも違うとなれば、自分を保つことが難しくなるのが普通であろう。


「カオリ……、街からずっと変よ? なにか悩みごとがあるの? もしかして学園に行くのは不本意だった?」


 カオリの些細な変化を、目敏く察して、ロゼッタはカオリを気遣う様子を見せる。


「ロゼは、自分が何者なのか、分からなくなる時ってある?」


 カオリの反問に、ロゼッタは真剣な表情で考える。


「うーん、昔は、そんなこともあったかもしれないわ、なにも出来ない自分、周りに流されるだけの自分に、気持ちだけが逸るというのか、落ち着かないというのか……」


 静かに語るロゼッタの言葉を、カオリは表情を変えずに聞き入った。

 彼女の言葉に覚えのあるカオリも、無気力に過ごした学生時代を思い出す。


「そっか、……一緒かぁ」


 場所が変わっても、身体が変わっても、心は自分だけのもの、いつか言われた言葉は、誰に贈られた言葉だっただろう。


「お兄ちゃんなら、教えてくれるかな……」

「お兄様?」


 カオリの呟きに、ロゼッタは反応する。


「……カオリ様のお兄様は、どんな方だったのですか? よければ教えてください」


 ステラは少し考えて、カオリに話しを振る。違う話題になれば、少しは悩みも紛れるかもしれないと考えたのだ。


「名前は春人、ミヤモト・ハルヒト」

「カオリはたしか武家の出じゃなかったかしら? アキはそこに仕えていた一族の子で、……カオリのお兄様なら、国に仕える武官になっているのかしら? カオリがこんなに強いんだもの、きっとお兄様も腕が達者でいらっしゃるのでしょね」


 正体を隠すための嘘、それを信じるロゼッタは、カオリの家族の様子を、そう予測して話題を広げる。

「はは、お兄ちゃんが武官だなんて、あの人は私と違ってすごく頭がよくて、実際に公務員になって、今頃は安定した給料で、一人暮らしでもしてるんじゃないかな~」


 カオリにとって兄のハルヒトは、親のような存在であった。

 共働きの両親に代わり、妹のカオリの面倒を幼少のころから見続け、少々教育にうるさい側面もあったが、それでも十分な愛情を注いでくれた存在だ。


「『自分の気持ちに嘘をついてはいけない』」

「え?」




『人間誰しも弱いところがあって、誰かを欺くことも、誰かを裏切ってしまうこともある。でも、自分に嘘をつくことだけはするな、それは人が人であるための、自分が自分であるための、最後に残されたかけがえのないものだから』




「まだ小さい私が、そんな難しいこと分かるわけないのに、そんなことばっかり言って聞かせて、私が自分の人生に迷わないようにって、教えてくれる人、そんなお兄ちゃんだったよ」


 懐かしくも、決して忘れることのない、優しげな表情で、沢山の言葉をくれた兄の顔を、カオリは瞑る瞼の裏に映し出す。


「とても立派で、お優しい殿方なのですね」


 カオリの兄を語る様子から、穏やかな雰囲気を汲みとったステラは、微笑ましくそう評した。


「そうだね。私は私、他の誰でもない、私の心は私だけのもの、他の何者でもない、私自身のもの」


 握った拳を開き、空にかざせば、伸ばした指の先にも血潮を感じる。


「悩んでいたわけじゃないから安心して、ただ少しだけ、自分自身が分からなくなって、不安になっただけだから、……久々に鏡なんてみたから、背が伸びてることに今更気付いてびっくりしちゃったのかな~、はは……」


 完全に気が晴れたわけではなかったが、それでも今の自分の在り方に、不満などありはしない、やりたいこと、やらねばならないことは山ほどある。

 ただ今は、それを実現するために邁進することが、自分で決めた道なのだからと、カオリは笑った。


「悩みがあるなら言ってよね。これでも私は貴女より年上のお姉さんなんだから」

「うんそうするよ、ロゼお姉ちゃんっ!」

「もう……、すぐそうやって、人をからかうんだから、私は真面目に貴女を心配しているのよ?」

「分かってるってば、ロゼには、これでも感謝してるんだよ? 冒険者として、村の開拓仲間としても、ロゼはなくてはならない存在なんだから、それに、大事な友達だとも思っているから」

「そ、そう」

「よかったですねお嬢様」


 いつもの調子のまま、言葉を繰るカオリに、ロゼッタは頬を赤くして反論するも、上手くいかずにステラに窘められる。

 狼車に揺られながらの帰路は、穏やかな雰囲気で進んでいく、見渡す限りの草原に、夕暮れが沈んでいく。


「ではカオリ様、行ってらっしゃいませ、ササキ様、シン、どうかくれぐれもカオリ様をお守りするように」

「あたしが知らない間に、あれよあれよと話しが進んじまったね。まあ村のことは任せときな、あたしが責任をもって、万事進めておくさね」


 村に帰還後、すぐに、カオリ達は村を発つことを彼女達や開拓関係者に伝え、準備を進めた。

 ササキ達との会談中、ずっと外で開拓に従事していたアイリーンは、ことここに至って初めて、カオリが王立魔導学園に入園することを知り、大いに笑い転げた。


 帝国人の彼女でも、ミカルド王国の王立魔導学園が、貴族や豪商、あるいは特別な魔法の才能をもつ子供しか通えない、格調高き場所であることは知っている。

 にも関わらず、ただの冒険者の、しかも表向きには魔法を扱えないと思われている。カオリが通うことになるなど、予想もしなかったからだ。


 金にものを云わせたのか、権力を利用したのか、カオリの才能に可能性を見たのか、或いはその全てなのか、どれにせよ、世間一般では到底不可能な道を、カオリは切り開いたのだ。


「カオリ君のことは、私が身命を賭して守ると誓おう、まあ、彼女を直接害せる存在が、そうそういるとも思えんがな」


 アキの懇願に、ササキが自信を持って答える。この大陸で最強の呼び声高い人物が、その身の安全を保証したのだ。これ以上信用に足る保証もあるまい。


「じゃあ行って来るね~」


 カオリ達を見送るために集まった。村の関係者達が見守る中、カオリはササキが展開した転移魔法の光に包まれる。

 この村からミカルド王国の王都までは、馬車でおよそ、十日はかかる。もちろん道程が順調に進めばの話である。


 移動にそれほどの時間をかける気など毛頭ないササキは、転移魔法を使ってさっさと王都に購入した。いや、正確には購入させられた屋敷に、移動しようと提案した。

 カオリにとっても渡りに船であった。乗合馬車という、一応この世界の公共交通機関に類するものは存在するが、それはエイマン城砦都市からしか出ていない上に、王都までとなれば、いくつも乗り継ぎをしなければならず。かつ総額で結構な費用となる。


 冒険者であれば、荷馬車を牽く商隊の護衛依頼を請けて、それまでの道中を荷馬車に乗せてもらうことで、速く目的地に移動するという手段もあるだろうが、今回はそんな悠長なことをする気はないカオリ達だ。

 光が収まれば、カオリ達は、王都にあるササキの屋敷の前に到着していた。


「おおぉ~、これがササキさんの御屋敷ですか、大きいですね~」

「これが転移魔法なのですね。古の超魔法をこんな簡単に行使されるなんて……」


 双方驚く対象が違えど、呆然と立ち尽くす様子を、ササキは苦笑して見る。


「実はミカルド王にどうしてもと懇願され、仕方なく購入した屋敷ゆえ、まったく使っていないのだよ、定期的に王家から侍女を借りて、掃除だけはしてもらっているのだが、家具やその他もほとんど揃っていないのだよ、なにが必要かも分からなかったのでな、よければ君達で使いやすいように、色々揃えてもらいたい、もちろん代金はこちらが出すので安心してほしい」


 諦めたようにササキの様子に、カオリは達は素直に応じ、さっそく中に入る。

 ミカルド王国の現代建築に建てられた屋敷は非常に大きく、敷地面積もかなりの大きさを誇る。

 具体的な数字で表すならば、敷地面積が六百平米で、建築面積がおよそ三百平米である。

 これだけで豪邸であることは伺えようが、建物自体も二階建てで、部屋数は十は下らない、さらに地下室も完備しているのだから、一人身の冒険者には広すぎる屋敷である。


「本当はさらに広い屋敷を提案されたのだが、それはあまりに持て余すと断った結果、この屋敷になってしまったのだ」

「ササキ様は普段はどうされるおつもりですか? この様子ですと住まわれたこともないように御見受けします。であればカオリ様やお嬢様が学園に通園される間も、冒険者のお仕事へ出られるのでしょうか?」


 ステラの質問に、ササキは答える。


「いや、当面は仕事を請けずに、こちらで各種調査、この場合はこの国の文化について、見聞を広めようと考えています。そのために私の協力者も、この屋敷を出入りするようにさせますので、ステラ殿には基本的には二人の傍仕えに徹していただければと考えております」

「承知しました。では御二人の御部屋の掃除と調理場などを整理いたします。後ほどに、お屋敷全体の維持をどのようにされるのか、お教えいただければと思います」

「そうですね。ステラ殿だけでは家事や掃除だけでも、この屋敷は手に余りましょう、私の伝手を入れるのか、王家から侍女を借りるのか、後ほど決めてお伝えします」


 屋敷の維持管理に関して、打ち合わせを済ませる間、カオリとロゼッタは自分の部屋となる場所や、屋敷全体を見にいくことにした。


「部屋、どこがいいかなぁ」

「普通の令嬢なら、防犯や様式の理由から、二階以上の部屋があてがわれるわ、屋敷の主人が一番いい部屋、例えば窓からの景色や防犯面に優れる一室を、その奥方であればその次に良い場所を、子供などはその間なんかが多いわね。使用人や従者は一階や地下になるから、ステラは一階のどこかを選びそうだけど、ササキ様からすれば、私達は客人扱いになるから、正直どこにすべきかはササキ様に聞かないことにはなんとも……」


 学園に通うための方便とはいえ、一応カオリとロゼッタはササキが後見人にとなることで、立場を得ている身である。

 年齢的にも立場的にも、二人はササキの養子に分類されるのだから、屋敷内では子供扱いでもおかしくはない、しかし正当な対価をもらうという関係でもあるので、客人として扱うことも出来る。


 想いを寄せる相手に、子供扱いされることに複雑な想いがないわけではないが、ロゼッタも貴族の令嬢として、公的立場の重要性は理解している。

 もし今後屋敷に誰かを招くことがあった場合、部屋割や待遇を見られ、要らぬ誤解を与えることの悪影響を生じる隙は、可能な限り排除しておきたいと考えた。


「まあ子供部屋だから、角部屋以外が妥当でしょうね」

「は~、色々あるんだね~」


 掃除はどこも行き届いているようで、見る限り、埃一つない板張りの廊下を、二人は、目的もなくずんずんと進んでいく。


「カオリ様、危険なもの、ない、外の様子見て来ていい?」

「あ、シン、うんお願いね」


 完全に気配を消していたシンが、カオリに外出の許可を求めるのに、カオリは承諾する。


「相変わらず気配が感じられないわね」

「そうだね~、流石に転移する時は姿を見せたてたけど、すぐに探索に出ちゃったからね~、ササキさんに限って、屋敷に危険なんてないと思うけど」


 ササキを全面的に信用するカオリでも、それとこれとは別と考える。ササキも全能ではないのだから、大事の前の小事と、屋敷に潜む危険や隙などは、各自でも把握しておく姿勢は大事なことである。

 一階に戻った二人を待っていたのは、ステラであった。


「カオリ様、お嬢様、お部屋の候補はササキ様にご指示をいただきましたので、後で荷物をお入れくだされば、私で整えておきますので、先に必要なものがないか、休息がてらにお話し合いください」

「分かったわ、カオリとりあえずお茶にしましょ、最低限の収納や寝具はどの部屋にもあったし、荷物も【―時空の宝物庫(アイテムボックス)―】から出すだけだし、この王都で買わなきゃならないものを一緒に考えましょう」

「はーい、なにがいるかなぁ」


 今日からカオリの新生活が始まる。

 学園に通うまでにはまだ一ヶ月以上の猶予があるが、やりたいこと、やらなければならないことは、山ほどある。


 一歩づつ、自らの足で、自らの意思で、カオリは前進する未来を、ただただ幻視する。

 まだ始ったばかりだ。そう、まだ始ったばかりなのだから。


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