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( 雨乃決戦 )

「再生が始ったっ、一ヶ所に執着しちゃダメっ! 動き続けるのっ」


 自己修復を始めたソウルイーターの挙動を見て取り、カオリは冷静に判断を下す。


「とにかく今は攻撃が通ること、体力を温存することが優先っ、アデルさん達が来るまで継続的に一定の損傷を与えられれば十分だからっ」


 叫ぶカオリに銘々が従う。


「私とロゼッタ嬢が牽制します。お二方は一旦距離をお取り下さいませ」

「あいよっ、カオリ、先に離れるよっ」


 動きの鈍いアイリーンが先に離脱する。


「目があるか分からないけど、一応これの視界を塞ぐわっ、カオリも速く離れてっ」


 ロゼッタの炎がソウルイーターの頭部を狙い撃ち炎上する。

 アイリーンの離脱を見届け、カオリも直ぐに距離を取るために走り出す。


「はあ、はあ、流石に、息が切れるね」


 これまでのカオリの戦闘は、短期戦が基本である。今回のような強大な敵との持久戦は初めての体験である。

 カオリの中にある持久戦、或いは長期戦といえば、某狩人ゲームでのパーティー戦か、RPGに見る裏ボス戦のような、お粗末な知識しかない。


 実際問題、現実で戦闘が長引けば、単純に持久力や集中力が持たないことは明らかであった。

 カオリは張り詰め続けた緊張を僅かに緩め、逸る鼓動を深呼吸で落ちつかせる。


「ふぅぅ~、本当にかったいねぇ~、まだ魔道具はほとんど使ってないけど、あれだけ与えた傷も、もう再生してるし、どれだけ攻撃すればいいんだか」


 カオリの零したボヤキに、アキがご丁寧に答える。


「体力は全快しております。やはり魔力供給を断たねば、無限に再生し続けるでしょう、せめて核となる魔石を損傷させられれば、彼奴の再生能力を削ることも出来るかと思いますが」

「核の場所は分かる?」


 スライム系と同様に、こういった再生能力を持った集合体のような魔物は、核となる魔石を破壊することが必勝の定石である。


 しかし不定形であることがほとんどのこれらの魔物は、その正確な位置は状況によって異なることが多く、所見で位置を見極めることは難しい。


「申し訳ありません、私のスキルでも、弱点を見極めるにはレベルが足りませぬ、お役に立てず面目次第も御座いません」

「いやいやしょうがないよ、倍も違う強敵の基本ステータスが分かるだけでも、随分助かってるんだから、アキのスキルに頼り過ぎるのも、もしもの時に自分が困ることになりそうだし」

「分かってるじゃないかカオリ、強大な敵に挑む時ってのは、大抵が情報がないことがほとんどさ、その心構えは戦場に生きるには必須さね」


 軽口を叩くアイリーンは、体力的にまだ余裕の様子である。流石は戦場経験が豊富な彼女である。

 砦の包囲戦に篭城戦、夜襲を警戒した追撃戦や持久戦、油断の出来ない緊張を強いられる状況での継戦能力は伊達ではない。


 しかしアイリーン以外の面子は、疲労の色が出始めている。ここで無理をすれば、思わぬ大打撃を受ける危険が増すことだろう。

 ただこのソウルイーターとの戦いで、唯一の利点となっているのは、相手に知性がないことだろう。

 敵性行動に反応して外敵を排除する行動はしても、距離をとってしまえば途端に大人しくなるため、カオリ達は追撃を受けずに済んでいるのだ。

 呼吸を整える時間は十分にある。


「よし、もう一踏ん張りいくよ、皆集中してね。攻撃を受けたら即離脱、命大事にだよっ」

「「了解っ!」」


 戦いの第二幕が開始される。




 素早い動きで散開し、アキの矢でもって注意を惹き、その隙に距離を詰めたカオリとアイリーンが直接攻撃を試みる。


「下手に攻撃し続けても武器が持たないっ、アキとロゼは魔石の反応を探ってっ」

「損傷を再生させるさいに、魔力が流動する僅かな反応が見えるはずですっ、お二人は間断なく攻撃をお願いしますっ」


 アキとロゼッタが時折牽制の攻撃を加えつつ魔力の感知に集中する中、カオリとアイリーンは僅かであっても攻撃を続けた。

 知能はないが体力も無尽蔵で痛覚もないソウルイーターは、ひたすらその長大な身体をのたうち、纏わりつくカオリ達を排除しようと暴れ回る。

 無軌道に見える挙動だが、全体を俯瞰すれば頭の動きに合わせて胴体も追従するため、動きを読むことは不可能ではないが、それでも大き過ぎるためにどうしても視野狭窄に陥ってしまう。


「今三つのパーティーが周囲の魔物を掃討してくれいるから、いづれ魔力の供給源を失って再生も止まるっ! それまでに核となる魔石を見付け出すよっ!」


 叩いては斬り、刺しては燃やし、四人は可能な限り損傷を与えて、魔力の流れを読み解くことに集中する。

 こんな序盤で倒れる訳にはいかない、この死闘の勝敗はカオリ達の作戦、「初戦で弱点を見付け出す」に全てかかっているのだから。


 カオリの刀は魔法で強化されているとはいえ、所詮は粗悪な鉄で出来た模倣刀に過ぎない、余りに酷使してしまえばいづれ限界に至ってしまう。

 いや、刃筋を少しでも間違えれば、簡単に刃が欠け、次の瞬間には折れてしまうだろう。

 なるべく脆く、しかし可能な限り深く、斬撃を叩き込み、損傷を与えねばならない。


 だが執拗に踏み込めば、ソウルイーターの僅かな挙動でも、荒れ狂う胴体の躍動に巻き込まれ、挽肉になっても不思議ではない。

 一瞬の判断の誤りで、簡単に命を落としてしまうのだ。


「勝負はまだまだこれからさねっ!」


 アイリーンは尚もいきり立つ、鉄血の名を冠する一族の血潮が、激闘の中で、死線の中で、蒼い炎を滾らせる。

 ガキンッ、という鈍い音と共に、手斧に致命的な亀裂が走るのも構わず。彼女は力任せにそのまま振り切り、引っかかった外殻を引き剥がす。


「まだだっ! まださねっ!」


 すぐさま手斧を捨てて、次の獲物を掴み、ここぞとばかりに振り下ろす。

 外殻の剥がれた部位に、いつからか手に馴染んだ鶴嘴を、深々と突き立てる。

 そしてそのまま腐肉を引き千切る。

 深追いは出来ない、アイリーンは距離をとる。まだ再生能力が健在の今は、攻撃よりも守りに重きをおくべきだとは分かっていても、彼女の滾りは後退を鈍らせる。


「アイリーンさんもっと下がって下さいっ! 貴女が倒れたら決定打を失いますっ!」

「ツッ、おうさねっ」


 アイリーンの躊躇いを嗜めるカオリの指示に、アイリーンは即座に従う、戦場で上官の命令に逆らう血気盛んな若兵の末路を数多見て来た彼女だからこそ、咄嗟の指示にはすぐに反応出来た。


 ドンッ!


 直後に、アイリーンが居た場所に巨大な尾が叩きつけられる。

 湿った大地が大きく窪む。

 いったいどれほどの質量と速度の衝撃なのか、想像も出来ない、こんなものをまともに受けたら、人間などただの肉塊になるだろう。


「チッ、嫌んなるくらいデタラメな魔物だね」

「もう当分はアンデットは見たくないですねー」


 二人は視線の先の、今まさに破壊した箇所が再生する様子を、うんざりして眺めた。

 だが、全てが無駄ではない。


「カオリ様っ」

「カオリっ」


 ロゼッタとアキが同時に声を上げる。


「「そこーっ!」」


 二人が同時に指をさした先を、カオリとアイリーンは目線を走らせる。

 頭部から二頭身ほど下った箇所をカオリとアイリーンは視認する。その意味するところは当然、ソウルイーターの急所、核となる魔石の位置である。

 視線を交わしてうなずき合う二人が、同時に走り出す。


「あたしが剥がすっ! カオリは切り開きなっ!」

「ロゼが追撃をっ、アキが【蒼爆矢】!」


 蛇のように蛇行し、上下する当該箇所を視界に入れながら、胴体を躱して急接近する。

 目標が地上を通る時を見定めて、速度を乗せた強力な一撃で、外殻を破壊しなければならず。また即座にカオリが斬撃で内部までを切り開くのだ。

 チャンスは一瞬だ。二人の集中は研ぎ澄まされ、ただ一振りの刃に、ただ一撃の剣閃に。

 駆ける足幅を迂回にて調節し、腕を弛緩させその一刀に備えるために構え、視線は一点に、ひたすらに真っ直ぐに。


「喰らいなっ」


 アイリーンは噴努の力を手斧に込めて、全体重を乗せて一撃を叩き込む。


 ガガンッ!


 岩をも砕かん勢いで、鈍い破砕音と共に、外殻が飛び散る。


「ここからだよ」


 ザギンッ!

 続け様にカオリの鋭い斬撃が、腐肉を斬り裂き、濁った血を噴き上がらせる。

 直後、傷口に火線が飛ぶ、再生を遅らせるために、ロゼッタが遠方から魔法を放ち続ける。


 オオオオオオォォォォォンンッ!


 物理攻撃で薄くなった箇所に、魔法攻撃を受けて、ソウルイーターは苦悶の怨鎖を上げ、動きを止める。

 この瞬間を、アキは逃さない。


「カオリ様を邪魔するものは、爆ぜて死ねっ!」


 弓から放たれた蒼の光線が、ソウルイーターの傷口へ、一直線に突き刺さる。


 ゴバンッ!


 オオオオオオォォォォォンンッ!


 ソウルイーターはさらに絶叫して、長大な身体を地に落とした。追撃を入れるなら今しかない。


「とどけぇ!」


 全速力からの刺突が、深く、ソウルイーターの体内に突き刺さる。

 切っ先が肉を切り別け、深く、深く、その先にあるであろう魔物の核、魔力が結晶化した。魔石に届く。

 カオリの鋭敏な感覚が捉えたのは、硬質な感触、刀の通して確かな手応えが、カオリの刃が魔石を捉えた瞬間だった。




『嫌だ!』

『死にたくないっ』

『こんなところで』

『おのれ蛮族がっ』

『栄光あれっ!』

『なんで俺が……』

『必ず帰るから……』

『母さ……ん』

『まだこれからなんだ』

『いつまで……こんな』




「っ!」


 唐突に、カオリの意識に飛び込んできた声に、カオリは怖気と困惑に駆られ、硬直してしまう。


「カオリっ!」


 カオリと共に追撃を加えようとしていたアイリーンが、カオリの異変を察知して、即座に硬直したままのカオリを抱えて離脱する。

 距離をとった位置で警戒を緩めぬまま、アイリーンはカオリを詰問する。


「どうしたんだいカオリ、何があった!」


 視線を揺らし、それでも震える足でなんとか自分の足で立ったカオリだったが、脳裏に反響した声にいまだ意識が囚われていた。


「声が、聞こえました。嫌だって、死にたくないって、誰かの声が、魔石に剣が届いたと思った瞬間に、沢山の声達が聞こえたんです」

「声だって? ソウルイーターのじゃなくってかい? ……そりゃあ」


 一介の戦士でしかないアイリーンでは、超常現象や心霊の類に、知識は有していないため、カオリの言葉をどう受けとればいいのか分からず、黙してしまう。

 だが状況が状況なだけに、ここで突っ立っている訳にもいかず。一先ずアイリーンはカオリの手を牽いて、ロゼッタ達の地点まで離れる。


「カオリ様お見事です。彼奴の魔力の流れは乱れ、再生が上手くいっていない様子です。まだ完全に破壊には至っていないようですが、間違いなく大ダメージを加えられたことかと」

「? どうしたのカオリ? 様子が変よ、攻撃は上手くいったのでしょう?」


 作戦の成功に喜びと称賛を贈るアキだったが、ロゼッタはいち早くカオリの異変に気がつき声をかける。


「それがさ、魔石を攻撃した時に、なんだか誰かの声が聞こえたんだとよ、しかも断末魔みたいな複数の誰かの声だって言うだよ、あたしにゃさっぱりさね」


 お手上げ状態のアイリーンを一瞥し、ロゼッタは怪訝な表情で俯くカオリに視線を向ける。

 普通の人とはどこか違うカオリが、また何かを見付けたのか、或いは摩訶不思議に突然遭遇してしまったのか、ロゼッタは不安を抱きつつ、カオリの手をとる。


「何があったかはまた詳しく聞かせて頂戴カオリ、だからまずは指示をして、ね? 体力の消耗も激しいし、私もアキも魔力が尽きそうなの、これ以上の戦闘は厳しいわ、今ならソウルイーターも損傷に気をとられて暴れて、私達に注意が向いていないわ」


 ロゼッタのその言葉に、ようやく反応したカオリは、うなずいて顔を上げる。


「うん、ごめん皆、撤退しよう」


 ソウルイーターはのた打ち回るだけで、カオリ達を標的とはしていない、離れるなら今しかない。

 拠点までとの中間に定めた。【赤熱の鉄剣】との合流地点まで駆け足で戻る道中、カオリは先程聞いた声達について、思考を巡らせた。


(誰の声だったの? 【魂喰らい(ソウルイーター)】魂を喰らうように魔力を吸収して巨大化する魔物、でも本当に魂を喰らっていたとしたら、私が聞いたのは……)


 この世界の魔力と魔物について、カオリはまだ詳しい話を聞いてはいないが、魔力から生じる魔石を有する魔物と聞けば、その関連性には想像が働く。

 だが人間の魂と魔力に、密接な関係があるとは想像だにしなかった。ソウルイーターが吸収していた浮遊魔力を魂と呼称していたのも、冗談の類だと思っていたのだ。


「ふぅ……、分からないことを考えても始らない、【ソウルイーター】が村にとって脅威で、それを討伐しなきゃいけないのには変わらない、だったら今はそのことだけに集中するっ」


 そう言って自己完結したカオリは気持ちを入れ替える。


「お、いい顔になったね。戦場に身をおけば、その姿勢は立派さね」


 カオリが悩む間、黙って成り行きを見守っていたアイリーンは、カオリの出した結論に感心する。


「まったく……、なにがあったのよ、後で詳しく聞かせなさいよねカオリ」

「カオリさまぁ……、カオリ様の心患いに気付かず、一人興奮した私めをお許しくださいぃぃ~」


 呆れるロゼッタと、何故か涙目のアキを横目に、カオリ達は合流地点に急いだ。




 無事に【赤熱の鉄剣】と合流したカオリ達【孤高の(ブレイド・ワン)】は、簡単な状況説明を行う。


「戦えますか?」

「意気軒昂、後二刻は戦えるだろう」


 カオリの質問に、即座に力強く応えたのはオンドールだ。この即答は騎士だったころの名残なのだろう。


「雨に打たれて体力の消耗も速いが、さっきまで死体達と戦ってたからね。いい準備運動になったよ」

「ハンッ、あんな歩くカカシなんざ、肩慣らしにもなりゃしねぇ! 俺ゃあ早くあのでかブツを真っ二つにしてやりてぇぜっ!」


 アデルとレオルドも威勢よく応える。その表情は逸る戦意に満ち満ちていた。


「【蒼爆石】が十分な威力を証明したんです。決定力さえあれば、十分に戦えるでしょう、カオリさん達はなるべく休んでいてください」


 当初は【ソウルイーター】の討伐に難色を示していた彼らだが、いざ作戦が開始されれば、その闘志は高まるばかりだ。

 【蒼爆石】という武器を手に入れ、平和のために戦う意志を貫くカオリに触発され、冒険者としての最高の栄誉へ、彼らは長年燻らせていた功名心に火を灯したのだ。

 核となる魔石の位置や、大まかな行動予測や攻撃方法などを伝え、【赤熱の鉄剣】はすぐさま行動を開始した。

 熟練の冒険者達による。本物の狩りが始る。


 カオリ達はその雄姿を【遠見の鏡】からしっかりと観察しつつ、しばしの休息をとる。


「アデル様達って銀級冒険者で、オンドール様だけ金級だけど、普通の銀級冒険者パーティーってこんなに強いものなの?」


 アデル達の戦う様子を見ながら、ロゼッタは今更な疑問を口にする。


「銀級っていやあカオリと同じだろ? 冒険者は実力と信用があれば上に上がれるって聞いたことがあるさね。あの旦那達は実力もあって信用もあるんだろ?」


 アイリーンも不思議そうに問う。


「うーん、オンドールさんは新人教育ばかりしてて、討伐依頼の実績が少ないからって言ってましたけど……」


 オンドール自身は金級でもあるため、アデル達の待遇の原因を把握しているようで、ふとカオリにそうこぼしたことがあったのだ。


「あのソウルイーターを相手にここまで戦えるんだ。帝国なら金級冒険者パーティーでも十分に通用するさね」


 四人が見入る先、【遠見の鏡】に映る光景は、それほど娘達に、冒険者としての正しい連携を示していたのだ。


「アデルさんの囮役ってこんな大型の魔物でも有効なんだね~」

「それよりもイスタル様よ、魔力総量も魔法の威力も私が上なのに、詠唱速度と命中精度、発動のタイミングに魔法の選択が、とても上手だもの」

「レオルドの旦那はあたしと同じ重戦士だけど、よっぽど軽足だよ、脆い箇所の見極めと、当て逃げを上手くやってるさね。両手斧はいいね。威力を乗せられる武器だよ」

「オンドール殿の短弓と直剣の切り替えも参考になります。接近と遠距離を上手く使って二人を補助しています」


 各々が自らの立ち回りに活かせる箇所を分析し、脳内訓練と休息を並行する。本来なら集中力を切らさないためにも、少しでも目を閉じて頭の休息もとるべきなのだが、よほど真剣なのか誰からも中断の声が上がることはなかった。


 仮拠点の屋根のしたで、熾した焚き火で身体を暖めながら、その火で簡易的な食事も作る。


「火は消さないでちょうだい、そのまま食後のお茶も淹れるから」

「よろしくお願いします。ロゼ様」


 アキが進んで調理したものは、塩がよく効いた粉末調味料を溶かした麦粥だ。食後すぐに戦闘へと考え、消化しやすい内容である。ただ葉野菜を使用しないだけで、香草を入れて香りも整えてあるため、暖かさも相まって疲れた身体に染み渡る。


 アイリーンだけは食が太いため、芋が固まりで添えられているのはいつも通りだ。

 しばし無言の食事の後、魔法支援で比較的体力もあり食も細いロゼッタが、すぐに食べ終え茶を点てる。


「酒はないのかい?」

「お茶で我慢なさい」


 こんな時でも酒を要求するアイリーンに顔を引き攣らせながら、ロゼッタは全員に茶器を配る。


「それでカオリ? さっきはなにがあったの? 聞かせてくれるんでしょ」


 場違いなほど優雅な姿で茶を飲むロゼッタは、落ち着いたところでようやくカオリの異変について質問をする。


「ん~、さっきまで考えたけど、私じゃあ魔石とか魔力とかの関係だから詳しくないし、しっかり調査しないとわかんないと思うよ? ひらたく言うと魔石を攻撃したら複数の誰かの声が、まるで死んだ人達みたな声が聞こえたってだけだから、今は調べようもないし」


 問われたカオリはやや投げやりに、そう言って返答する。


「アンデッド系の魔石を砕くことで、元となった怨霊の声が聞こえたなんてことあるのかい? 戦場に長くいたけど、怨霊になった人間なんて見たことないさね」


 胡坐に頬杖をつくというだらしない恰好で、無作法に茶を一気飲みするアイリーンは、過去の戦場生活を振り返りそう言った。


「……教会では人の魂と魔力を結びつけることはないわ、けど魔術の研究者や学会では、固有の魔力の波長を魂と表現する方もいらっしゃるわ、けど証拠がないのも確かよ」


 難しい表情で語ったロゼッタの感情は複雑だ。昔の彼女であれば教会の教えを盲目的に信じていたのだろうが、本格的に魔術を学ぶようになり、またカオリと出会ったことで、物事が一側面から見て、それが全てではないことを理解して来ている。

 それゆえに証拠のない事象に対して、慎重に扱い、明言を避けるようになった。


「この戦場で、たくさんの人が亡くなって、魔力溜まりとか数えきれない人の遺体が放置されて、もしそれが理由で魔物が生まれるのだとすれば、その経緯や原因を突き止めないと、この湿原はずっと死者の歩き回る土地になっちゃうじゃん?」


 カオリは一呼吸をおいて語る。


「今回の討伐は一時凌ぎだけど、将来的には農地にできるくらい、安全で豊かにしないと、きっと駄目だと思う……」

「カオリ……」


 カオリが目を閉じて幻視するのは、稲穂が揺れ、喜びと感謝と共に収穫する皆の姿だ。

 戦場となり荒廃し、血と肉と汚泥にまみれ、呪われた土地として語られることが、日本に生まれ育ったカオリにとって、それはあまりに悲しいことに思えたのだ。


(あの声達は、辛くて、憎くて、悲しくて、悔しくて、……帰りたいって)


 戦争のことなど知らずに生きてきた。

 戦争のことなど知ることなく育った。


 戦って死んだ人がいて、残された家族や友人がいて、語り継ぐ誰かがいて、歴史は積み重なっていく。

 倒れ伏し、血と泥に沈み、時代の波に埋もれていった戦士達の想い、その重みによって創られた時を、人は生きている。

 今の時代を生き、未来に進むことしかできないカオリには、知ることで、知ってしまうことで、過去の人々への同情が溢れる。


(魂とか魔力とか、分からないことで悩むのは止めよう、私はただ――)


「聞こえたから、助けてって、聞こえたから、私は戦って前に進む」


 一人で決意するカオリを、ロゼッタは不安を抱きつつも、呆れて見詰める。


「くふふっ! なんだかわからないけど、胎が決まったって顔だね。あたしゃカオリのその表情が好きさね。いいねぇ、戦場でも地獄でもつき合うよ」


 アイリーンは嬉しそうに腕をまくる仕草で膝を打つ。


「そうね。分からないことは後回しにして、生き残ってから調べればいいわけだし、それが冒険者らしい在り方だと思うわ」


 ロゼッタも追及は避け、目前の問題に集中する方針に異存はない、ここ数カ月のカオリとの冒険者活動で、カオリの性格に理解を深めているのだ。懸念で注意が疎かになることはないだろうと信用をおいている。


「カオリ様の仰せのままに」


 アキは言わずもがなである。




 一方【赤熱の鉄剣】は善戦を繰り広げていた。

 カオリ達から魔石の正確な位置と、最低限の情報を伝えられていたことで、かなり有利な戦いを進められていたためだ。

 他の二パーティーの活躍もあり、周辺に再生に利用される魔力も殲滅が進んでいる。


「再生が追いつかなくなれば、流石のこいつも暴れ出すかもしれんな」


 オンドールがイスタルに予想を呈する。


「土地に溜まった魔力がありますから、再生を完全に止めることは難しいでしょうが、固まった供給源を断てば、こちらの攻撃量が上回るでしょう、後は魔石までの活路を開けば……」


 イスタルが冷静に分析する中、アデルとレオルドが間断なく攻撃を浴びせて、ソウルイーターを翻弄する。


「よし、上体が下がった。攻めるぞっ!」

「はいっ!」


 オンドールの見極めで猛攻が始る。


「レオルドっ」

「おうさっ!」


 前線二人の内、有効打を与えられるのはレオルドだけだ、アデルの剣ではカオリのように深く斬ることが出来ないからだ。

 ただその分、両手斧による破壊力は目を見張るものがある。


 レオルドが大上段から振り下ろした斧が、ソウルイーターの外殻に深く斬り込む、破壊された外殻の下が露わになった瞬間を狙い、次にイスタルの火魔法が炸裂する。


「【―大火球(グレートファイヤーボール)―】」


 放たれたのは中級魔法に属する魔法、下級の【―火球(ファイヤーボール)―】の上位に属する魔法だ。ロゼッタの得意な【―火線(ファイヤーライン)―】と比べて弾速と精密射撃には劣るものの、着弾時に炸裂するため、殲滅力は高い。

 レオルドが切り開いた箇所が再生する間もなく、燃え盛る炎による炙られる。


「逃さんっ」


 そこへオンドールの短弓から放たれた。【蒼爆矢】が突き刺さり、蒼い炎を爆ぜさせる。

 オオオオオオォォォォォンンッ!

 強烈な連撃がソウルイーターに大損傷を与えたことが、その怨鎖の悲鳴から読み取れる。


「ここで決めるっ!」


 【赤熱の鉄剣】の猛攻はまだ終わらない、アデルは盾の裏に仕込んでいた【蒼爆石】を握りしめ、抉れた傷口に腕ごとねじ込み、即座に離脱する。

 数瞬後、二回目の爆発がソウルイーターを襲う、抉れた箇所はさらに深くを聖なる炎に晒される。

 長大な身体が轟音を立てて地に落ちた。

 当たりに沈黙が木霊する。これまで以上の手応えに、一同は静かに様子を伺っていた。

 だが。


「皆さん離れて下さいっ! そいつはまだ生きてますっ」


 仮拠点の方角から、焦った様子で駆けて来るカオリの絶叫が届いた瞬間、状況は一変する。


 オオオオオオォォォォォンンッ!


 沈黙していたはずのソウルイーターが絶叫を上げて鎌首を天高く振り上げる。


「何が起こったっ!」


 オンドールがソウルイーターの絶叫にかき消されない声量でカオリに問う。


「つい先ほど、二パーティーから周辺の魔物の掃討が完了した報告があったんです。そして今丁度、オンドールさん達が魔石に大ダメージを与えた瞬間に……」


 必死の様子で説明するカオリだが、最後の方には声が尻すぼみしていく。

 のたうち回るソウルイーターの姿に、オンドールは嫌な予感に襲われる。

 先の攻撃で魔石に確実な損壊を与えたのは間違いないはずだ。しかしソウルイーターは倒れるどころか、さらに凶暴性を増している。


「声が、声達が終わらないんです! それどころか増えているんですっ、魔石は一つじゃないんです!」

「なんだとっ!」


 カオリの言う声というものがどういう意味か分からなかったオンドールではあるが、魔石が一つではないという言葉に、驚愕の表情で固まる。


「一個体に魔石が二つ以上あるなんて聞いたことがありません、それは事実なのですか?」


 動揺を露わにしたまま、イスタルはカオリ達に確認する。


「私めとロゼッタ様が、共に確認しました。間違いありません、首元の魔石の反応が薄れた途端、魔力の流れが一変したのを確認しております」


 アキが冷静に事実だけを述べる。

 その間、暴れ出したソウルイーターを相手にするべく、アイリーンも合流したアデルとレオルドの三人は、一定の距離を開けつつも、遊撃を繰り返す。


「ふう、状況は理解した。凶暴性が増したことで危険が増したのは問題だが、冷静に対峙する以外に手もない、カオリ君は二パーティーに新たな指示を出し、参戦してほしい、こうなれば人数で攻める他あるまい」


 オンドールの方針に皆うなずく。

 蒼爆石も蒼爆矢もまだ余裕がある。これまで以上に慎重に立ち回り、有効打を入れるしかない、また再生速度が落ちた今なら、通常攻撃も体力を削る効果も高いのだ。

 カオリ達の体力の心配はあれど、そこは人数で補い、対応出来るようにするしかない。


 前衛はカオリとアイリーン、アデルとレオルドの三人が受け持ち、中衛はオンドールとアキが、後衛にイスタルとロゼッタが魔法の援護射撃を担う。


「動き続けるよりも、距離を離して体力の温存に努めて下さい、同時に攻撃するのは二人までが限度ですっ」

「アキ君とロゼッタ嬢は、とにかく魔石の位置の特定を急いで欲しい、牽制は私達が受け持つ」


 以前よりも増したソウルイーターの速度と殺意に対応すべく、カオリとオンドールの指揮の下、二つのパーティーが協同で戦う。


「再生能力が下がったなら、あたしと旦那の斧が有効さね。可能な限り攻めるよっ」


 アイリーンが駆けながらレオルドに発破をかける。


「まかせなっ、そっちは無理して、嬢ちゃんの肌に傷がつかねぇようになっ!」

「言うじゃないか、倒れたら横抱きで抱えてくれるのかい? お姫様みたいにねっ」

「持ち上げてそのまま武器にする。の聞き間違いじゃねぇーのか?」

「そうなれば、鬼に金棒ってかい? そっちが倒れても同じようにしてやるよっ!」

「お前ら集中しろっ! ったく、これだからアラルド人は戦闘狂とか云われるんだ」


 冗談を言い合うアイリーンとレオルドをアデルは大声で叱責する。

 後に判明したことだが、ロランド系の三人と違い、レオルドは両親共にアラルド系移民であるらしい、血の気の多いアラルド系民族はこと戦闘に関しては、高い順応性を持っているという。

 そのため共にパーティーを組めば、自然と戦場の牽引役になることが多い、それが二人揃えば、心強さは百人力、非常に頼もしくある。


 重戦士はその優れた耐久力と攻撃力で、敵を圧倒する役目を負う、例えそれがソウルイーターのような巨大な魔物であっても健在だ。


 カオリは二人の無尽蔵のような体力を信用し、アデルと共に囮役に徹するよう立ち回る。

 身軽さを駆使するカオリと、盾で上手く攻撃を裁くアデルで前面を受け持ち、横腹から攻撃を加えるアイリーンとレオルド。

 即席の合同パーティーだがその連携は、騎士団にも引けをとらないだろう。


 躍動する胴体に牽き潰されないよう、当て逃げを繰り返す内に、ソウルイーターの外殻も着実に損壊していく。

 そこにイスタルとロゼッタの魔法攻撃が重なり、再生も間に合わない様子が見てとれる。


「見付けましたカオリ様っ! 胴の中腹に魔石の反応が見えます!」

「間違いないわっ、さっきと同じ反応よっ」


 アキとロゼッタが同時に叫び、目標箇所を指差す。

 一同は一斉に動き出す。


「最後の追撃は私が行きますっ、アイリーンさんとレオルドさんで切り開いてください!」

「「おうっ!」」


 威勢よく応える二人の動きに合わせるべく、カオリは立ち位置を調整する。懐から取り出した【蒼爆石】を握り絞め、その時を逃すまいと集中する。

 僅かに動きの鈍ったソウルイーターの動きを予測し、攻撃の瞬間を見極める。


 下がった頭部の動きに沿うように、胴が徐々に高度を下げる。走り出した二人を視界に収めつつ、カオリも目標に向けて駆け出す。


「おおぅらあぁっ!」

「どっせいぇぇい!」


 二人が続け様に強力な一撃を集中させ、爆発したかのように外殻を四散させるに留まらずに、その下の腐肉をも豪快に斬り裂く、カオリはこの瞬間を逃さず。寸瞬の間も置かずに、【蒼爆石】を深く捻じ込む。

 すぐに離脱した二人を追うように、カオリも即座に離れた瞬間、【蒼爆石】が炸裂した。


 ズバンッ!


 鋭い炸裂音と共に、雨に濡れた空気が振動し、その威力が間違いなくソウルイーターに致命的な損傷を与えたことが分かる。


 オオオオオオォォォォォンンッ!


 同時にソウルイーターが本日何度めになるか、怨鎖の絶叫を上げる。

 ガラガラと騒がしい音を立てて、これまで破壊した箇所の外殻が、地面に落下していく。


「再生が出来ずに崩壊していく?」

「魔石を破壊されて、再生能力はおろか、身体を維持することも出来ぬようだな」


 カオリの疑問にオンドールが見解を述べる。

 生物と違って生体機能はないが、魔石に損傷を受ければ、維持機能に支障をきたすのはアンデッド系を筆頭に、非生命体の魔物にある特徴である。


 身体が崩壊しつつある様子は、戦いの終わりを示すものだ。


 油断はしていなかった。


 皆一流の冒険者として、どんな状況の変化にも即座に対応出来るように備えていた。

 だが崩壊の始ったソウルイーターの姿に、ほんの僅かな弛緩が生じたのは事実であっただろう、そう……。




 戦いはまだ終わってなどいない。




 オオオオオオォォォォォンンッ!


 次の瞬間、ソウルイーターは弾かれたように動き出した。

 地面に落ちた状態から、突然の突撃に、進路上にいたアデルが始めに弾き飛ばされた。


「アデルさんっ!」


 近い位置にいたカオリだが、偶然進路から離れていたために、その突撃を見送る。

 真っ直ぐ襲いかかる方向はロゼッタとイスタルのいる方角、間にいる他の人間には目もくれず。長大な身体を跳躍させたのだ。


「馬鹿なっ! しまった!」

「ロゼェっ!」


 咄嗟に叫ぶカオリ達だが、到底間に合わない。


「おっおおおぉぉ!――」


 雄叫びを上げて両手斧を振り下ろしたレオルド、斧はソウルイーターの頭部に直撃するが、長大な質量を止めるには至らずに、僅かに突進の勢いを遅らせただけで、そのまま無残にも轢き飛ばされる。

 そして目標であるロゼッタとイスタルだが、イスタルはその僅かな隙で、瞬時に物理障壁魔法を展開する。


「【―土壁(ソイルウォール)―】ッ!」


 だがソウルイーターの質量を前に、その程度の障壁など張りぼてに過ぎない、それを瞬時に悟ったアイリーンが、寸でのところでロゼッタを抱え込んで、彼女を衝撃から身を挺して守った。

 レオルドの攻撃と障壁により目標との距離を見誤ったのか、大きく開けた顎は空を咬む。

 だが真正面から突進を受けた三人は、それだけで小枝のように弾き飛ばされ、地面に何度も打ち付けられる。


「待ってっ、止めてぇ……」


 カオリの悲鳴も虚しく、仕損じたソウルイーターは鎌首をもたげて周囲を見回す次いでとばかりに、鋭利な尾をブンッと振り回す。


「危ないっ!」

「くっ!」


 その範囲内にいたオンドールとアキは、呆気なくその鎌に刈りとられた。

 アキを背に隠し、直剣の腹で尾を受け止めたオンドールであったが、直剣はその衝撃に耐え切れず。半ばで折れ、オンドールはその衝撃を身体で受け止める形となり、アキ共々吹き飛ばされた。


 ――全滅。


 そう表現する他ない惨状に、カオリは顔を真っ青にする。

 黒金級の魔物、それと対峙するためには、有効的な攻撃手段を有しているだけでなく、敵の攻撃に耐えうる回避能力と防御力があることが必須である。


 カオリ達の致命的な弱点は、後者の二つである。到底抗し得るレベルではないのだ。


 それでもと、勇気と策を用いて、この強敵を討伐しようと立ち上がった。

 作戦に不備はなかったはずだ。攻撃を受けないという困難な縛りはあったものの、前半は善戦することが出来たのだ。絶対に討伐が不可能な対象というわけではなかった。

 だが魔石を複数保有していることや、突発的な攻撃方法による混乱で、状況は瞬く間に最悪の展開に陥った。


「私のせいで皆が……、私が無理を言ったせいで――」


 異常な成長を続ける期待の新人と持て囃され、カオリに慢心があったのかもしれない。

 【赤熱の鉄剣】という熟練冒険者達が協力してくれるならと、彼らに依存していた心持が目を曇らせていたのかもしれない。


 いづれにせよ目の前の状況はいかなるいい訳も許されない、ただ強者と弱者の力の差が如実に表れた現実を、無情にも体現していた。

 呆然と立ち尽くすカオリの耳に、悲痛な叫びが聞こえて来る。


「アイリーンっ! どうして、私を、嫌よ起きてっ、目を開けてちょうだいっ」

「オンドール殿っ、今すぐ治療魔法をっ」


 直撃ではなかったロゼッタとアキが、すぐさま自身の盾となった仲間に声をかける。

 仲間で唯一治療魔法が扱えるアキが、オンドールを魔法で、外傷を癒していく。

 一方ロゼッタは各人が持たされた。アンリの治療のポーションを、なんとか皆に飲ませようと躍起になる。ポーションであれば振りかけるだけで一定の効果があるのだが、混乱の渦中にある彼女は、冷静さを失い、慌てふためくばかりである。


「皆まだ死んでない、なら皆が治療を受けるまでの時間を、なんとか稼がなきゃ……」


 表情の抜け落ちた顔で、カオリはふらりと歩き出す。

 そしてまだ残っている【蒼爆石】をソウルイーターに投げつけた。

 緩やかな放物線を描き、頭部に当たった【蒼爆石】は派手な爆炎を上げるが、外殻に覆われているために、頭部を揺らしただけでほとんど損傷を与えることは出来なかった。


「こっちだよ、あなたの敵は、私だよ」


 カオリは沈んだ表情で呟く、その声は静かな決意に満ちていた。この状況を打開するためには、たった一人でも、自身が全てを受け持たねばならない。

 たった一人でも、戦い続けなければならない。


「いけませんカオリ様っ、無茶ですっ!」

「アキとロゼは治療に専念してっ! このままじゃ皆死んじゃう、なんとか時間を稼ぐから早くっ!」

「カオリっ!」


 アキの制止を振り切り、カオリは駆け出す。

 二つ目の【蒼爆石】を再生の追い付いていない箇所に投げつけ、ソウルイーターの注意を自分に向ける。


 流石のソウルイーターも自分に致命傷を与えた蒼い炎の炸裂に、無視出来ない痛痒を感じたのか、注意をカオリに向けた。

 猛然と突進をかけて来るソウルイーターを最小限の動作で躱しながら、カオリは敵の突然な変貌の原因を考える。


(もともと知性がないから、本能的な行動なのは間違いない、物理攻撃にも鈍いから、魔法攻撃に反応して二人を狙った?)


 原因が分かれば対処も可能なはずである。今治療が行える二人を狙われれば、今度は回避も防御も出来ないため、死人が出るのは確実である。

 このまま自分が注意を惹き続ける必要がある以上、何がソウルイーターの行動原理となったのかを考えねばならない。


(魔法に反応する……、魔力? 致命傷を受けたから再生に必要な魔力を欲しがった。だから魔力の多い魔導士の二人を狙った?)


「ならこれならどうだっ!」


 導き出した予測から、カオリはすぐに対応策を試みる。

 【―研ぎ包丁(とぎぼうちょう)―】で剣の切れ味と強度を底上げし、【―乙女の平手打ち(痛恨の一撃)―】で剣に魔力付与を与える。


「まだまだぁ!」


 剣だけではない、剣を魔力で強化出来るのならば、自身をも強化出来るはずだと、ほとんど思い付きで身体に流れる魔力を、活性化するイメージで集中する。

 薄らと全身を魔力が覆うように明滅するのを感じる。魔力を血液に見立て、より太く、より速く、荒れ狂う大河の如く。


 カオリが魔力を放出したことで、ソウルイーターの反応は劇的であった。それまで反射的に反撃はしてもすぐに目標を変えていたのが、今やカオリと真正面に対峙している。

 ソウルイーターが突貫を刊行する。

 巨大な頭部が同径の口を開けて迫り来るのを、カオリは余裕をもって回避する。


「見える。目も強化されてるのかな?」


 頭部に気を取られてはいけない、その後に続く長大な胴の機動も予測して距離をとる。


「見るともなく全体を見る。だっけかな?」


 頭の重心移動から振られる鋭い尾の一撃を、上体を逸らして躱し、流れる動作で斬りつける。

 カオリを取り囲むように回り込むのを予測して、外側に退避する。

 カオリを追う頭や尾を、寸での距離で回避する。


「動きだけじゃない、魔力の流れも見えるよ、これがアキ達が見ていた世界か……」


 魔力生命体と分類出来るアンデッド系は、動作と魔力の流れが直結している。予備動作から予測するだけでなく、魔力が視えることで、カオリの観察力は飛躍的に上っていた。


「当たらないけど、当てられない……か」


 これほどまでに長大な敵である。かすっただけで大怪我に、まともに受ければ致命傷なのだ。慎重に隙を伺わなければ。

 剣の威力は増しているが連発は出来ない、かといって魔力の放出を止めれば、ソウルイーターの注意が逸れてしまう、魔力を消費せずにここぞという時にのみ、渾身の斬撃を叩き込む。

 だが理想と現実は違う、今のカオリは回避に専念するばかりで、どうしても攻勢に欠ける。


「でも焦っちゃだめ、まだ……まだ」


 混乱を狙ったのか激しく蛇行して責め立てるような攻撃を、カオリは脚捌きで大きく躱す。

 ズドンッ、と轟音を轟かせ、頭上からの咬み付きを僅かな動作で回避する。落下の速度を利用して斬り上げで頭部に斬撃を入れる。

 魔力を纏った剣は深くソウルイーターを斬り裂くが、急所ではない箇所を攻撃しても決定打にはならない、カオリはすぐさま自重して距離を空ける。


「……」


 ソウルイーターの全体を視界に収め、僅かな挙動や魔力の流れを読み解く、見極めるの核となる魔石の位置だ。


「よく見える。再生や動作に使われる魔力達が、収束する最後の終着点……」


 血流の如く目まぐるしく流動する。魔力の流れを辿っていく、二つの魔石を失い、再生速度も落ちた今なら、魔力視の経験の浅いカオリでも、見極めるのにそこまで労することはないはずだ。


「そこだ」


 予測はしていた場所に、魔石の反応を見付けた。胴より下がった腹の位置、カオリはそこまで如何にして剣を届かせるか、動きを反芻する。


「今のままじゃ魔石まで届かない、深追いすれば私もただじゃすまなそう……」


 手持ちの【蒼爆石】には余裕があるが、闇雲に使ったところで効果がないのは、先程二つを投げて証明している。

 どうしても骨の外殻が、ほとんどの衝撃を防いでしまうのだ。確実に損傷を与えるならば、外殻の内部に届かせなければならない。


「魔力の活性化で身体能力を向上させるとはやるじゃないかっ、思い付きで新しい魔術を使うなんてカオリらしいさね」

「アイリーンさんっ! 怪我は大丈夫なんですか?」


 動き回るカオリにも届く声で、アイリーンが参戦した。


「旦那達のポーションも分けてもらったさね。それにほれ、レオルドの旦那に両手斧も借り受けたよ、あたしの武器は全部駄目になったからね」


 そういって彼女が掲げたのはレオルドの愛用する両手斧だ。それを片手で軽々扱うのだから、カオリは空笑いを吐く。


「カオリ様! ただ今戻りましたっ、ご指示を下さい、道は我らが切り開きます!」

「魔力は全快よっ、一気に攻めましょう」


 直後にアキとロゼッタも駆け寄って来る。


「よし……」


 仲間がいることが、これほど心強いということに、カオリは胸を熱くする。


「動きが速過ぎて、前の戦法は難しいかも、どうにか足止め出来ないかなっ」


 アイリーンとカオリの同時攻撃で、外殻を破壊するまで出来るかもしれないが、その後の追撃は難しいかもしれない、アキの【蒼爆矢】一発では、魔石の破壊までは至らない。

 確実に魔石を破壊するなら、一時でも動きを止める必要がある。


「あたしに任せなっ、やられっぱなしは性に合わないさね!」


 意気込むアイリーンに、カオリは苦笑を浮かべる。短い付き合いではあるが、カオリはアイリーンを信じるに足る人物であると思っている。


「お願いします!」

「外殻の破壊は私達に任せて!」

「我々に秘策があります。お任せを!」


 アキとロゼッタも同調してカオリの言葉を待つ、秘策が何かは分からないが、二人もここまで断言するのだから、間違いなく道を切り開いてくれるのだろう。


「皆を信じるっ!」

「まかされたぁっ!」


 大地を蹴って猛然と走り出すアイリーンの目指す先は、ソウルイーターの正面である。何をするのかと見守っていたカオリだが、彼女は驚きの行動に出る。


「かかってきやがれってんだあぁぁっ!」


 そのまま正面に回ったアイリーンは、ソウルイーターに向かって突貫を敢行する。

 いくら重装備で固めていても、所詮は人間の域を出ない、いくらなんでも無謀過ぎる。現にさっきはソウルイーターの突進を受けて重傷を負ったのだから。


 それでも彼女は止まらない。


 衝突するかと思われた次の瞬間、なんと彼女はソウルイーターの牙を潜り抜け、口内に自ら飛び込んだのだ。

 息を飲むほどの一瞬の間から、次には空気を裂く炸裂の振動と強烈な蒼い閃光が瞬いた。

 そしてソウルイーターの頭部が破裂し、蒼い炎が迸る。


「餌に咬まれた気分はどうだあぁいっ!」


 破裂した頭部から弾き出されたアイリーンの姿は、甲冑はボロボロに、衣服も髪も一部が焼け焦げ、無残な有様だった。

 それでも彼女は一矢報いた事に、高らかに笑い声を上げながら落下していく。


「流石アイリーンさんっ!」

「貴女って人は、本当に馬鹿よ!」

「次は我らの見せ場ですよロゼ嬢」


 ソウルイーターは完全に沈黙している。流石に頭部が半壊している状態で、暴れるほどデタラメな魔物ではなかったようだ。

 この時を無駄には出来ない、最後の魔石がある箇所に駆ける二人を、カオリは追いかける。

 二人であれば必ず魔石までの道を切り開いてくれる。そう確信してカオリは加速する。


「【蒼爆石】から逆に魔力を吸収して回復した副産物、今の我らなら複合魔法も可能です!」

「アキの魔力を感じるわ、波長を合わせて混ぜる感覚で、全魔力を注いで放てば、【蒼爆石】の何倍もの威力が出せる!」


 ゲームのシステムから豊富な知識を有するアキと、才能と環境に恵まれた優秀な魔導士のロゼッタだからこそ、即席で新たな魔法を編み出せるのだ。

 アキが薙刀を構え、ロゼッタがレイピアを抜き放つ。

 カオリと出会ったから前衛に出ることのなかったロゼッタであるが、今の彼女の表情には、恐れも躊躇いもなかった。


「私だって【孤高の剣】のメンバーよっ、私の決死の一撃、受けてみなさいっ!」


 全速力で踊りかかる二人は、寸分の違いもなく同じ一点にそれぞれの獲物を突き立てる。


「今ですっ!」


 アキの号令で二人の手に魔力の奔流が迸る。


「喰らいなさあぁいっ!」

「吹き飛べえぇぇっ!」


 術式も魔道具もなく、ただ感覚だけで練り上げた魔力が膨張し、二人の魔力が蒼い炎へと変じる。

 武器を伝って放たれた炎が、内外から強烈な威力をもって、ソウルイーターを破壊する。魔石までは届かずとも、そこへ通ずる大きな穴を穿つ。


 威力のみに集中した魔力の爆発が、術者の二人を吹き飛ばす。

 もはやまともな受け身もとれぬほど消耗した二人は、慣性のままに泥濘へ身を落とす。

 魔力欠乏症の症状そのままに、全身を襲う虚脱感、それでも二人の顔には勝利への確信が浮かんでいた。


「斬る」


 短く呟くカオリ、だがその一言にカオリの意思の全てが込められている。


 ただ一撃でいい、たったの一太刀でいい、その一刀に全てを賭ける。


 命を吹き込むが如く、想いを形にするが如く、カオリは全身の魔力を刀身に集中させる。


 駆ける足に迷いはなく、疑いの余地なくば信じるまでもない、カオリの心にあるのは、ただ一振りの剣、ただ一刀の刃のみ。



 

 静かに振り下ろされた刀が、音もなく、その軌道にあるものを斬り裂く。


『――すまない……』


「そんなんじゃないよ……」




 ズゥン、という轟音と共に、両断されたソウルイーターが横たわる。

 その中心には機能を失ってもなお輝く、割れた魔石の光が瞬く、魔石は魔物の生態機能を司る力があるが、破壊されれば魔力だけが残り、構成された機能だけが失われる。

 もう声は聞こえない、魔力として吸収された魂のようななにかも、その機能と共に消失したのかもしれない。


「勝ったの?」


 ロゼッタが泥だらけの姿で、不安げな表情でカオリに問いかける。

 決してカオリの一撃が仕損じたことを疑っているわけではない、ただ幾度も魔石を攻撃し、それでも倒れなかったソウルイーターの不死性に、実感が追いついていないだけだ。


「魔力の流れも見えませぬ。もはやこれはただの屍の山で御座います。これが最後の魔石の破片です。先の二つは【蒼爆石】で粉々でしょう」


 アキが両手に持つ魔石は、二つに割れても人の頭ほどもある。魔石としてはかなり大きな部類になるだろう。


「もう声は聞こえないよ」

「……そう」


 カオリの答えに、ロゼッタは静かに応え、両手を組んで祈りを捧げる。


「散っていった戦士達の魂が、神の御許へ導かれますよう……、アーカスィ……」


 沈黙と静寂が支配する一時。


「晴れます」


 見上げた空の、雲の切れ間から、幾筋もの光が湿った大地に降り注ぐ。


 間もなく雨が止む。

 カオリの一つの戦いが終わった。


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