( 湿原騒動 )
「目に見える範囲の掃討は、あらかた完了したようです」
午後になり、消耗したパーティーと交代する形で、【赤熱の鉄剣】が参戦してからは、まさに一方的な展開が繰り広げられた。
「さすがアデルさん達だよねぇ~、あれこそ熟練冒険者って感じ」
盾役のアデルによる引き付けに、両手斧を自在に操るレオルドの攻撃力、イスタルの魔法による殲滅力と、オンドールの臨機応変な用兵による連帯は、カオリが想像する冒険者の正しい姿であった。
交代するさいに各パーティーもその連帯を目の当たりにして、それぞれに思うところがあったのか、仮拠点に戻ったいきに、自身等の連帯の短所を見直すよい機会となったようで、盛んに意見交換を行っている様子が見て取れた。
「あたしらは連帯って云うよりは、個々の力押しって感じだからね。まあ発足してまだ数カ月、あたしなんて参加して一月も経っちゃいない新参、連帯もなにもないさね」
「そう云えばそうでしたね……」
アイリーンのもっともな意見に、カオリは自分達の立ち回りを振り返っていた思考を、苦笑して一旦保留した。
発火からの突貫が危険な【コールマン】、打撃が有効でなくまた火系魔法も延焼の危険がある【ピートバグ】、後は以前にも戦ったことのあるスカル系にゾンビ系にソウル系と、死霊の坩堝と化した湿原での戦闘であったが、ここでもカオリ達の規格外の猛威が振るわれ、カオリにとっては呆気ない戦果となった。
スカル系やゾンビ系はアイリーンという鉄壁の機動要塞の前にただの瓦礫と化し、空を浮遊するソウル系はロゼッタの精密な火線に撃ち抜かれ霞みに、新手の【コールマン】や【ピートバグ】はカオリとアキの容赦ない斬撃で一撃必殺とくれば、予想される展開はただの掃除である。
「本日だけで百体は狩ったかと、各パーティーの戦果も含めれば、およそ二百体近くは掃討出来たことでしょう」
湿原全体でどれほどの数が湧いているのかは知らずとも、常識的に考えれば相当数を排除出来たと予想出来る。そう思えば、四つの冒険者パーティーが半日をかけてやっと三百体であれば、たった一人でかつ一刻も経たぬ間に、千体のアンデッドを掃討したササキがいかに異常かが伺えるが、今更それを口にするものはいない。
「それで、これ、どう思う?」
「「……」」
カオリの質問に応える声はない、今一同の前で起こっている現象に、皆一様に口を閉ざしていた。
恐らく場所はハイゼル平原南部の中央、もっとも水溜りが多い地点と思われるそこで、カオリ達は一際大きな水溜りを前に立ち往生していた。
「……魂が水底に吸い寄せられている。て解釈でいいのかしら?」
ロゼッタが見たままの感想を口にして、皆も反対意見を出さずに、その光景を眺めていた。
大きな水溜りに、まるで吸い寄せられるように光の帯が伸び、魔力とも魂ともつかぬ灯が飲み込まれていく光景は、ただそれだけであれば幻想的な光景であったのだが、カオリが初めに発言した事実を鑑みれば、薄ら寒い予感を一同に抱かせる光景であったのだ。
違和感を覚えたのは午後に入ってから、経験値の入りがなんとなく悪いと感じたカオリが、その原因を求めて平原の中央部に進路をとってから、それは次第に視覚情報からも明らかとなった。
「ステータスに見る経験値って、ようは生物非生物問わずに、内在魔力を対象から吸収して自身のエネルギーに変換した数値ってことだよね? それがいくら敵を倒しても手に入らなくなったってことは、何かに横から取られてるって解釈でいいんだよね?」
「私の鑑定結果でも、今まさに吸い寄せられている灯が、器を失った魔力の集合体であると判明しました。行く先はそこの水底、カオリ様の推論は正しいかと思われます」
意見の一致を見て結論付けられた現象への解答であるが、問題は何故それが起こっているのかの原因の特定である。
無視することも出来なくはないが、冒険者である以上、折角魔物を討伐したのに経験値が入らないことは致命的である上に、魔導学的観点から見れば、魔力溜まりは異常事態の兆候であることが予想される以上、このまま放置するという判断は悪手である。
「いっちょ潜って見て見るかい? もしかしたら水底に質の悪い魔物が湧いてるかもしれないし、水中の迷宮なんてのもあるかもしれないだろ?」
この意見に皆顔を顰める。死体が浮いているような水の中に、嬉々として飛びこむ乙女などいやしない、アキも昇級試験の調査からいい思い出がないのか、珍しく消極的な態度である。
「……最悪、ここの魔力溜まりが、ここらへんのアンデッドの大量発生の原因かもしれないし、やっぱりどういった調査であれ、実際に近くで見る必要はあるのか……」
忌避感を全面で表すカオリの表情に皆嘆息する。
「しょうがないねぇ、あたしなら裸一貫でも戦えるから、ここは一肌脱いでやるさね」
言うが早いか、アイリーンはお得意の早脱ぎを披露して、その肉体美を惜しげもなく披露する。
「貴族令嬢が……」と呟くロゼッタを無視して、アキは脱ぎ散らかされた甲冑と衣服を拾っていく、文字通り真っ裸となったアイリーンは、恥ずかしげもなく豪快にざぶざぶと水溜りに入って行き、中央付近まで近付くとそのまま潜っていった。
「下着ぐらい着ていきなさいよ……」
「女だけだからいいんでない?」
「男性が居ても脱ぎそうではありますね」
しばしの沈黙、アイリーンがどれだけ潜っていられるかは知らないが、魔物に足を絡め取られて、あえなく溺死も十分に考えられる。流石のカオリも焦りを覚え始めるほどに時間が経過し、そろそろかと思ったその時、ついに騒動の方から姿を表したのは、もはやカオリの持つ騒動の星を確信することとなった。
「一本釣りさねっ!」
大量の水飛沫を跳ね上げさせ、轟水と共に姿を表したのは、巨大で長大な骨の大蛇――と、それにあわや丸呑みされかけているアイリーンの図であった。
オオオオオオォォォォォンンッ!
雨音を割らんほどに響き渡る重低音の怨鎖の咆哮、カオリ達は全身に鳥肌を生じさせ、思わず身を竦めた。
胴周りは直径五メートル、全長は未だ不明の巨大な骨大蛇の異容に、カオリもロゼッタも言葉なく立ち竦むが、アキだけは驚愕の最中でも鑑定魔法を発動し、その正体を解明する。
「【ソウルイーター】ですっ! 推定三十レベル、アンデッド系の魔物の中でも危険度は【デスロード】を上回る強敵、周囲の生物から魔力を吸収し際限なく巨大化する難敵ですっ!」
アキが咆哮に負けじと鑑定結果を叫び、その危険性を伝える。
「【ソウルイーター】ですって! 都市すら亡ぼし、災害認定されている。黒金級の魔物よっ!」
アキとロゼッタの叫びがカオリを現状認識に呼び戻し、カオリは慌てて駆け出す。
「二人共っ、とにかくアレの注意を引いてっ! アイリーンさんの脱出を最優先! 矢でも魔法でもなんでもいいから早く!」
「「了解!」」
胴体はまだ飛び出した勢いのまま上空を向いている。もしこのまま地面に落下すればアイリーンがそのまま土砂と共に飲み込まれるかもしれないと、三人は慌てて攻撃態勢に入る。
「物理に体制があります! 魔法攻撃か火属性攻撃をっ!」
「言われなくてもっ! 【―火線―】!」
アキは魔力を込めた矢を放ち、ロゼッタが得意の火線を頭の付近に向かって放ち、少しでも注意を引こうと間断なく攻撃を加える。
その間カオリは水溜りを大きく迂回し、十分に助走をつけた勢いを殺さずに、オリンピックに出場すればダントツで金メダルもかくやという距離を跳躍し、なんとかソウルイーターの胴体にしがみついた。
「ワン○と○像っ!」
無意味な言葉を叫びつつ、一度水面を蹴ってさらに距離を稼ぎ、何とか魔物の身体の一部を掴んだ状態であったが、素早く体制を戻してよじ登っていく、幸いなことに骨で構成された胴体は突起物が多く、しっかり掴まっていさえすれば振り落とされる心配はないが、目標は登頂、その巨大な顎に捕らわれたアイリーンの救出である。
立ち上がれる姿勢を確保して、我武者羅に駆け登り、絶妙なタイミングでもって抜刀からの斬り降ろしをお見舞いする。
イグマンドとの戦闘で編み出した物理と魔力の合せ技、熟練度を消費して取得するスキルでも、自身で編み出した技の熟練度消費量が少ないことに気付いたカオリは、これを即座に取得し、毎度一から魔力を練り集中して放つという過程を大幅に省略し、咄嗟の状況でも行使出来るようになった。
「【―乙女の平手打ち(痛恨の一撃)―】!」
オオオオオオォォォォォンンッ!
魔力を限界まで込め、放たれたカオリの新スキルもとい新技が、ソウルイーターの頭頂部の外殻を四散させる。【―研ぎ包丁―】の効果で切れ味を増し、込められた魔力が敵の外殻に込められた魔力を中和し、さらに魔力でもって構成された体組織を破壊する。
「オオオオオオォォォォォンンッ!」
「おおわっとぉっ!」
その衝撃で顎から解放されたアイリーンが無造作に放り出され、水面へと落下していくのを見届け、カオリも暴れるソウルイーターから離脱を図る。
水中戦を恐れてカオリもアイリーンもすぐさま岸に上がり、ソウルイーターから距離をとったところで、全員は一度集合した。
「いや~助かったよ、危うくそのまま釣り餌になっちまうところだったさね」
「もう言葉もないわ、あの状態から無事だったのも奇跡だし、それを救出するためとはいえ、躊躇なく飛び付いたカオリにも脱帽だわ」
アキに手伝われながら衣服と甲冑に素早く着替えていくアイリーンに、ロゼッタは呆れた言葉を送る。
殊更にカオリ達を狙って追って来るというわけでもない様子から、ただたんにアイリーンが釣り上げてしまったことと、直後に無視出来ない攻撃を加えられたことで、混乱状態にあるのか、ソウルイーターは見境なくのたうち回っている様子だが、注目すべきはこうしている間も、周囲の霊魂を吸引し、攻撃を受けた個所が再生していく姿であった。
「知性はないみたいだけど、あれって放置していい魔物なの?」
カオリの正直な感想は、関わりたくないの一心であった。たしかに先の一撃は魔物に有効な一撃を加えることが出来たと思うが、魔力の比較的少ないカオリにとってはそう何度も使える技ではないのだ。
同威力ならば精々が十発、仮に全ての攻撃を加えられたとしても、再生能力を持つソウルイーターに決定打となりうるとは考えられなかった。
「災害認定されている怪物だろ? 放置は冒険者としてはどうなんだい? ま、今の手駒じゃあ敵いっこないけどね。魔導士ならなにか決定打を与えられるんじゃないのかい?」
アイリーンが安直な感想を口にするが、一同の表情は暗い。
「私だって無理よ、こんな雨天の中、下級の火魔法で体力を削るなんて不可能だわ、上級魔法、それも爆裂系のような瞬間威力のある魔法でないと、外殻を覆う骨を焦がすくらいしか出来ないわ」
ロゼッタは弱音を正直に話す。
「私も決定打に欠けますね。聖属性の魔力を武器に込めることで、生体組織に直接攻撃は可能でしょうが、ああも骨に覆われていては、中の本体にまで刃も矢も届きませぬ」
「あたしゃそもそも魔法攻撃が出来ないさね。近付けば外殻を剥がすくらいは出来るだろうけど、ああも再生されちゃあ追撃は間に合わないだろうね」
それぞれの告白を受けてカオリは考える。最終目標は当然、これほどの脅威が発生する原因の根絶と、対象の討伐である。
だがカオリが結論を出す前に、状況は容赦なく変わる。
ソウルイーターに集まる霊魂が止み、静寂が訪れたことに気付いた直後、カオリは悪寒を感じて魔物を振り返る。ソウルイーターがその鎌首を振り、まるで何かを探す動作をし始め、カオリ達の居る方向で静止する。
「あ」
「まずいねぇ」
餌がなくなった手負いの獣が次に取る行動は一つ、次なる獲物への捕食行動である。
結論から云うとアイリーンがロゼッタを背負い、カオリとアキが散開して陽動することで這う這うの体で逃げ出し、何とか逃げきることに成功した。途中に撒き餌となる野良アンデッドが湧いていたことで、ソウルイーターの標的が分散したことが決めてとなった。
仮拠点に疲労困憊で辿りついたカオリ達を囲むのは、三つの冒険者パーティー達だ。
「【ソウルイーター】か……、大物が出たな」
「災害級、黒金級の魔物なんて、俺らの手に負える相手じゃないぞ、組合に緊急依頼を要請した方がいい、……危険過ぎる」
オンドールとアデルが的確な意見を述べる。
「ササキ様なら……、いえ駄目ね。すぐにあの方を頼ろうとするなんて、怠慢の表れだわ」
対魔物の切り札たる神鋼級冒険者ササキであれば、いや世界の裏で魔王と呼ばれる規格外の人物であれば、たかが黒金級の【ソウルイーター】などちょっと大きいだけのミミズであるかもしれない、しかしカオリはササキに依存し過ぎる村の在り方をよしとしないことを、ロゼッタは愚直にも守ろうとした。
もちろんそこにロゼッタ個人が、ササキに求められるような人間になりたいという願望も含まれてはいるが、ロゼッタの零した言葉は、カオリ達【孤高の剣】の総意でもあった。
「あたしゃ単純に悔しいねぇ、あの骨ミミズに一矢報いなきゃ胎の座りが悪いさね」
「火急の事態でない以上、独力で解決出来ぬのでは、今後も同じ道を辿ることになりましょう、私は戦う所存です」
娘達の決意を聞いて、男衆は二極の表情を浮かべる。【赤熱の鉄剣】は教育者としての立場ゆえに、最初にこそ現実的な提案をしたものの、カオリ達の姿勢をよく知るため、自身の提案ほどに消極的な様子ではなく、どちらかといえば苦笑を浮かべていた。
だが反発するのはカオリ達を知らない冒険者達である。
「ありえん、最高でも金級、大多数が銀級でしかない我々が、黒金級の魔物を討伐するなど不可能だ……」
「そうだぜ……、俺らなんて鉄級だしよ、いくらなんでも……」
冒険者組合に所属する以上、級規制とは云わば冒険者の命を守るために設けられた規範である。
そこから逸脱する行為は、すべからく死に直結すると考えられている。カオリ達に施行された級規制の緩和などは、例外中の例外なのだ。
カオリは無言のまま考える。このまま【ソウルイーター】を放置した場合の危険性、今後の村の開拓に及ぼす影響、討伐に踏み切るための決定打、だが目まぐるしく回る思考では結論を見出すことは出来なかった。
「アンデッドが全滅していない以上、アレがここを離れて村を襲う可能性はまだ低いはずです。かといって放置も出来ないので、今日のところは退却して休息を取りつつ、打開策を模索したいと思います」
カオリの決定に一同は仮拠点を後にする。
「まず正直に話します。私は【ソウルイーター】の討伐を目指します。ですがそれに【エ・ガーデナー】と【風切】の皆さんを強制するつもりはありません、なので明日帰還しても我々は依頼達成の評価を下げることはありません、ですが当初予定していた討伐目標数から単純計算した報酬額になることは、ご了承ください、ただし村に残って防衛に当たってくだされば、一日一人につき大銀貨一枚を保証します」
カオリの言葉に冒険者達は唸り声を上げる。条件としては好条件ではあるが、依頼を途中で放棄することへ、冒険者である彼等には唸らざるをえない忌避感を与えていた。
一方【赤熱の鉄剣】は面白がるような表情を浮かべていた。カオリが自分達も討伐に向けた頭数に入れていること、自由参加を謳い、逃亡を許すことでかえって、冒険者達の後ろめたさを煽る結果となったことを理解したからである。
「ですが私達も無策のまま挑むつもりはありません、何かしらの対策をしてから挑もうと思います。何にせよ今晩中にでもパーティー内でよく話し合っていただきます」
そこからは緊急対策会議の席となる。臨時雇いの二つのパーティーは自分達に割り当てられた集合住宅の部屋へ戻ったため、この場に居るのはカオリ達とアデル達のみである。
「骨の外殻が硬く、さらには周囲の霊魂を吸収することで即座に再生することが第一関門です。そして長大な体躯を持ち、縦横無尽に動き回るために、近付くのも危険であることが、対象の具体的な問題点となります。再生の仕組みは【デスロード】と酷似しているため、周囲の魔物を狩り尽くして孤立させれば、再生を止められると考えられますが、その場合魔力を求めて我々への攻勢が強まると予想されます。アンデッド系のため聖属性や火属性、あるいは純粋な魔力系攻撃でも有効的な損傷が期待出来ます。以上が対象の基本情報となります」
アキが【ソウルイーター】の鑑定情報を朗読する。
「縄で動きを止めて、高火力の攻撃を当てるのが基本だろ?」
「人数が足りない、引っ張り回されるだけならいいが、縄がこちらの足元を暴れまわればかえって危険だ」
「カオリ君の斬撃でそれなりに斬り裂けたらしいが、カオリ君からみてこのメンバーで外殻に損傷を与えられる攻撃力を持つのは誰かね?」
オンドールに問われて数瞬考えるカオリ。
「私の魔力剣は今のところ十回ぐらいしか使えません、通常攻撃でいうならレオルドさんとアイリーンさんくらいしか、あの外殻を破壊出来る人はいないと思います」
「口内に魔法攻撃を叩き込めば、それなりの損傷は期待出来そうですが、アレの正面に陣取るのは無謀ですね。私であれば属性矢で一撃離脱も難しくないので、継続的に戦えないことはないかと」
それでも決定打には欠けるとは、皆が思うところである。
ここでカオリは数多あるファンタジー作品からヒントを得て、一つの思い付きを口にする。
「そういえば、ポーションとかってアンデッドに効くんですか?」
カオリの疑問に答えるのはイスタルである。
「たしかにアンデッド系には治療のポーションが有効ではありますが、それは上位の高価なポーションに限ります。云わば祈祷士の聖属性付与がついたポーションとなりますね。しかしあれほどの巨体となれば、たとえ高位のポーションであっても焼け石に水かと」
イスタルの応えに再び考え込むカオリである。
「それって治療のポーションが効くっていうよりも、治療魔法に共通する聖属性がアンデッドに効いているだけなんですよね? だったら単純に聖属性を付与したポーションを作れば、投擲武器としてはそれなりに有効ではないですか?」
カオリが思いつくままに提案した方法に、賛同するのはロゼッタとアキである。
「我らが祠の錬金釜であれば、高濃縮の聖属性付与のポーションが作成可能です。巷に溢れる粗悪なポーションに比べれば、属性力は破格の効果を持たせられると自負します」
「待って待って、あの錬金釜って魔石の液化と合成も出来たはずよね? だったら私の火属性魔法を込めた魔石と、アキの聖属性魔法を込めた魔石とを融合させられるんじゃないかしら?」
「なん……と、あの高い効果の治療のポーションは、魔石を液化させて調合されたものだったのですね。私も最近カオリさん達の非常識さに毒されていたのでしょうか、効果の高さに驚いただけで、その作成方法にまで思考が働いていなかったようです」
今更ながらにそのことに思い至ったイスタルは、唸るようにカオリ達から支給された治療のポーションを取り出して、その内溶液を凝視する。
「作成出来るとして、容器はどうする? ここじゃ硝子製の容器を揃えるのにも限界があるよ?」
「調合したあとに固形化させることも出来るけど、それだと起爆のための機構が必要になるわ、――僅かに魔力を充填した数瞬後、火属性魔法が炸裂する陣を掘り込めば、……可能だわ」
ただの思い付きであったが、予想に反して有効に成りえそうな光明を見出し、カオリは一先ずその炸裂ポーションの作成を指示する。
幸いと云うべきか、スライム系の魔石の在庫は十分にあり、また午前中に討伐した【ピートバグ】は火系魔力との親和性が高いことも確認済みである。カオリはそれらの使用を許可して、手持ちの全てをアキに託す。
「私とアイリーンさん、レオルドさんの三人は外殻の破壊を目指します。他の方はとにかく距離をとって注意を惹き付ける方向でお願いします」
当面の布陣を簡単に説明するカオリに、イスタルが補足する。
「砕いた外殻の内部には、どうやって、魔道具でいいんでしょうか? を投入するのでしょうか?」
「威力と起爆方法にもよりますが、一番安全なのが矢の先に取り付けて、狙撃でしょうか?」
かなりの精密さが要求される方法であるが、それを議論するにはまだ判断材料が揃っていないことから、作戦会議は一先ず解散し、具体的な運用は翌日に持ち越すこととなった。
夜になり、不意にカオリを訪ねて来るものが居た。
アンリ達の家には現在カオリとアイリーンの二人だけだ。なんと今夜は、魔道具の製作にアンリとテムリも駆り出されており、夜の間に目標数を作り終える段取りとなっていた。
「夜分にすまない、女性の家に男だけで訪ねるのもどうかとは思ったのだが……、今夜中に答えを出しておきたかったのだ」
「どうもです。……俺も同じ理由です」
訪ねて来たのは【エ・ガーデナー】と【風切】の両パーティーのリーダーの、ボルファーとカシミールの二人だった。
カオリはそれをにこやかに迎え入れ、茶の用意をする。その間アイリーンは愉快そうな表情のまま、豪快に蜂蜜酒をロックで煽っていた。自らの主人に給仕をさせたことがアキに知れれば、盛大に嫌味を云われるだろうことは分かり切ったことだが、彼女に茶を淹れさせるのも似合わないと、カオリは率先して二人をもてなした。
「何やら物言いたげなご様子ですが、改まってなんでしょう?」
カオリの言葉に少し言い淀む二人、カオリも黙って二人が話し出すのをジッと待つ。
「まずは確かめたいことがある……」と前置きをしたボルファーが、間をおいて言葉を続ける。
「黒金級の魔物を、たったの数人で、しかも銀級冒険者パーティーのみで相手取るなど、やはりどう考えても無謀だ」
「俺もそう思います。駆け出しの俺でも分かる。蛮勇ってやつです」
重々しく語るボルファーに、カシミールも追従する。
二人が純粋にカオリ達を案じ、真心から忠告をしていることは、カオリにも十分に伝わっているが、それではい分かりましたと受け入れるのであれば、最初から討伐を強行することはなかった。
(雨季が明ければ、ゴーシュさん達が元村人の皆を連れて帰ってくれるから、一刻も早く危険を取り除いておきたいのが本音なんだけど、それじゃ納得してくれないんだろうなぁ……)
カオリは本音を伏せつつ、どうすれば二人が納得してくれるのかを考えた。が適当な言葉が出て来ず。仕方なく率直な所感を口にする。
「危険なのは重々承知ですよ? でも魔物の危険が目の前に迫っているのに、私達が逃げ出す訳にはいきませんよ~」
苦笑を浮かべながらの軽口に、二人は眉を顰める。二人には危険に飛び込む人間としては不適切な態度に見えるカオリの言動は、さぞ心証に悪く映ったのだろう、カオリは何か不味いことを言ったかと少し戸惑う。
「それが蛮勇と云わずなんという! 明らかに不利と分かった以上、命を優先して撤退するのは冒険者の基本ですぞっ」
「そ、そうです。【赤熱の鉄剣】の皆さんもどうかしています。あの方達はエイマン支部でも指折りの熟練冒険者パーティーだ。それが、まるであたり前みたいに討伐に乗り出すなんて……」
二人にそう言って捲し立てられたカオリではあるが、だからといって簡単に折れる訳にもいかず。カオリは困ってしまった。
そしてあからさまに困った表情で、愛想笑いを浮かべるカオリに、二人の苛立ちは益々募っていく、ちなみに余談ではあるが、この時のカオリが思わず笑みを浮かべてしまったのは、日本人特有の気質が原因である。これはカオリの預かり知らぬことではあるが、困った時につい笑みを浮かべてしまうのは、世界でも日本人ぐらいのものであり、この世界でも珍しい癖であった。
果たしてカオリの態度がなおさら二人の勘気に触れたことで、場の空気が一層冷たくなった辺りで、カオリは堪らず言葉を繰る。
「でも、私達はこの村の安全と安心を守らないといけないんです。エイマン支部でも、モーリン支部でも、黒金級冒険者は極一部だって聞いています。その人達を待っている間に、あのソウルイーターがこの村を襲わないっていう保証はありませんよね?」
これには二人も押し黙った。カオリの言ったことは事実であったからだ。金級冒険者ですらが都市に十数人という現状で、その上の黒金級ともなれば、もっぱら高難易度の依頼や貴族の都合で、都市からほとんどが出払っているのだから、緊急事態とは云え急に呼び出すことは非常に難しい。
往復四日をかけて最寄りの都市と行き来し、確かな情報を下に依頼書を作成し、緊急ゆえに相場よりも高額な報酬金を用意しなければならない、それから組合経由で黒金級冒険者を招集し、準備期間を設け、そこからようやく討伐に乗り出すのである。
しかも今回の魔物は、災害認定された大物である。黒金級冒険者だけでなく、通常であれば他の上位冒険者を集めての合同依頼である。ここまでで早く見積もっても日数にしておよそ一週間、黒金級冒険者が見付からなければさらに期間が延びてしまう。
はっきり云ってカオリはそんなものを待つつもりなど毛頭ない、ならばここは神鋼級冒険者のササキに、素直に頼るべきなのだろうが、カオリ達はその選択肢を始めに捨てていた。理由は先に述べた通りである。
しかし、カオリは二人の様子から、ふとした疑問を抱く。
「報酬金とか期間とか、強行する理由は色々ありますけど……、ぶっちゃけて聞きますけど、私達が今ここで戦わなければ、いったい誰が魔物と戦うんです?」
「「は?」」
カオリの問いに二人の素っ頓狂な声が重なる。
「私達は冒険者です。傭兵でも兵士でも騎士でもありません、最低限の作戦とか準備はもちろんしますけど、それでも魔物はいつ、どこで現れて、人々を襲うのか分からないんですよ? 取る物も取らず、真っ先に駆け付けるのはいつだって冒険者ですよね?」
今度は完全に言葉を失ったボルファーとカシミールは、完全に呆けた表情でカオリを異様なものを見る目で見詰めた。
カオリでもこの言が理想論であることは十分に理解しているつもりだ。組合という管理組織が運営し、冒険者の賃金と身元を保証するためには欠かせない組織形態であることを、だがそれがゆえにいざと云う時こそ間に合わない事態が往々にしてあるということを。
しかしそれでも、人外の脅威に抗し得る力を持つのであれば、真っ先に矢面に立ち、力なきもの達の剣となり、盾となれたならばと、理想を掲げるからこそ、人々に求められ、敬意を向けられる。立派な存在で在れればと。
だからこそ強く願う。
強くなり、脅威に対抗出来る存在になりたいのではなく。
強くあり、脅威に屈さぬ己で在り続けられることを、と。
「誰よりも速く駆け付けて、弱い民を守るのが冒険者です。何よりも矢面に立ち、人々のために戦うのが冒険者です。私は冒険者というものを、そういうものだと思っています」
――それが私達なんです――
カオリが見た数多の作品の多くで描かれる。英雄達の雄姿を、カオリはこの世界に召喚されてより、幾度も幻視した。幼い姉弟を守ると決めたあの日から、不安や恐怖の中、それでも挫けることなく、今日まで危険な冒険者稼業に従事して来た。
カオリは誇らしかったのだ。誰かを守るために戦い、誰かの役に立てることが。
日本の高等教育は確かにすばらしいものだろう、しかし遠い将来に向けた教育期間というものが、如何に国を支える上で重要であるとは云え、十年もの長い年月をただ受け身で過し、法律で、規律で、規則で、規範で、雁字搦めにされた若者達は、有り余る情熱や熱意の矛先を見失うのは必然なのかもしれない。
兄から先んじて多くの社会情報を与えられ、それをなぞるような学生生活を送る日々で、カオリはいつしか、若きの誰しもが陥る無力感に陥っていたのかもしれない。
しかしこの世界に召喚されてからは、危険な仕事を乗り越え、自身の力で対価を得、それで自らの、そして姉弟の生活を守る必要に迫られた。
アデル達やゴーシュ達がカオリを称賛してくれ、冒険者組合がカオリの努力と実力を認めてくれた。また誰よりも、何よりも幼いアンリとテムリが、カオリを頼り、カオリを誇ってくれた。
日本でのカオリの日々は間違いなく、幸福に満ち溢れていただろう、当たり前のように守られ、当たり前のように与えられ、それでも気付くことが出来なかった。いや、だからこそ気付くことが出来なかったのであろう、“与えることの幸福”を。
「あっ!ハッハッハハッ!」
唐突に笑い声を上げたアイリーンに、カオリも二人もギョッとする。いったい今のやり取りのどこに笑い所があったのか分からず、三人は唖然とする。
「はぁ~あーあ……」と涙まで浮かべてアイリーンはひとしきり笑った後に、勢いよく酒を煽る。
「これだからあたしゃカオリについて来たんだよ、――いいかいよく聞きな男共、この子はね。しょうがないからとか、自分が決めたことだからとか、そんな理由で普通の人間が出来ないことも、あっさりやり遂げちまうような、言ってみれば英雄の素養ってヤツを持ってるんだよ」
「いやいや……なにをそんな」
随分とカオリ買い被る過大評価に、カオリは咄嗟に否定の素振りでかえす。だがアイリーンは酔いが回ったのか、ご機嫌な調子で「まあ聞きなって」とカオリを黙らせる。
「あたしゃ帝国騎士こそ、世界で一番勇敢な戦士だと思って、いや、信じていたさね。だけどね。戦場を渡り歩く日々で、そんな幻想はあっさり打ち砕かれたよ、でもそんな日々の中にあってもね。……世の中には確かに居るもんだよ、弱くったって、誰にも知られていなくったって、本当の恐怖を乗り越えて、立ち上がれる本当の英雄ってやつがさ」
アイリーンは再び酒を煽る。余程機嫌がいいのか、今度は瓶ごと掴んで中身を飲み干した。
「あんた達はどっちだい? 別に馬鹿にはしないよ、人生なんざ命あっての物種さね。そこは傭兵も騎士も冒険者も同じだとあたしは思ってるよ、けどね。いいんじゃないかい? たまには思い切って飛び込むのも、最悪逃げりゃいいんだ。長い人生、『あの時の自分は勇敢だった。生きた証を残したんだ』って笑って誇れる過去があってもさ」
翌朝、睡眠時間を確保しつつも、夜を徹した作業により、アキ達は何とか魔道具を完成させた。
手渡された魔道具をしげしげと眺めるカオリに、ロゼッタが子細を説明するのを、カオリは聞き入る。
「自分でも驚きの出来栄えよ……、祠の施設の凄さは予てから理解していたつもりだけど、それを自分で使って魔道具の開発が出来るとは思ってなかったもの」
ロゼッタの素直な感嘆に、カオリは笑顔で応える。
見た目は深い蒼で、形は掌台の水晶、起爆用の陣が描かれ、そこに僅かに魔力を注ぐことで数秒後に起爆するという。
鏃型も同時製作しており、水晶型と比べて威力はやや劣るものの、弓で射ることの出来る利点は大きい、ちなみにこれを作ったのはテムリである。近頃は益々その才能を開花させ、一見難し職人技を習得しつつあるのを、カオリは誇らしく思った。
「仮に名付けて【蒼爆石】と【蒼爆矢】です。火と聖属性の魔法攻撃型魔道具となります。威力を数値化しますと、それぞれの属性が五十前後となります」
「私達のHPが平均百五十くらいでしょ? 五十っていうのは低くはないだろうけど、属性補正があるとどうなるの?」
アキのゲームシステムに則った説明の不明点を質問する。
「対象物の物理耐性と魔法耐性と属性耐性に、こちらの物理攻撃力と各属性攻撃力を上乗せします。つまりこちらの各種攻撃力が高く、対象物の耐性が低いほどに、攻撃力が通りやすくなるというものです。炎属性と聖属性の融合魔法ですので、単純にそれぞれの属性魔法を打ち込むよりも、アンデット系に対する高い殲滅力を発揮することでしょう」
鼻高々に説明するアキ。
「……威力の数値化なんて複雑な数式、王立魔導研究所ぐらいでしか採用されていないでしょうから考えたこともなかったけど、アキがいれば簡単に可視化出来てしまうのね……」
アキの固有スキルである【―神前への選定―】の破格の性能による鑑定結果に、ロゼッタは毎度のことながら嘆息する。
【蒼爆石】が五十個、【蒼爆矢】が六十本と矢の数が心許ないが、カオリ達はそれをさらにアキとオンドールの二人に配り、【蒼爆石】をカオリ達メンバーで分け合った。
起爆に必要な魔力は本当に僅かに調節したので、導士ではない純粋な戦士のアイリーンでも起爆させることが出来るため、恐らく最前線で立ち回るであろう彼女にこそ必要と判断したのだった。
「バンデルの譲ちゃんでも使えるってこたぁ、俺でも使えそうだな、それ、普通に売れるんじゃねぇか?」
広場に集合して切り札となる魔道具の説明と、作戦の説明のために集まった席で、レオルドが【蒼爆石】を興味深そうに眺めながらそう呟いた。
「……驚きです。魔道具の、特に魔石を加工した魔道具を、まさかこのような辺境の村でお目にかかることが出来るとは、これを公表すればあらゆる魔導関連組織が興味を抱きますよ」
「そうだな、あの高効能治療ポーションもさることながら、この魔道具など、量産して大量に売り捌けば、いったいどれほどの財を成すことか……」
「うん、冒険者なんかには確実に売れるだろうね。魔法攻撃手段を持たない戦士系のパーティーとか、それこそ騎士団なんかも欲しがるんじゃないかな?」
銘々に感想を述べていき【赤熱の鉄剣】達はカオリに視線を移す。その視線の意味を推し量り、カオリは微妙な表情で問う。
「……つまり、どうゆうことですか?」
「「下手に知れるとヤバい」」
「……」
思わず面食らったカオリに、さらなる追い打ちが被る。
「そうさねぇ、まず冒険者組合は黙っちゃいないだろうね。後各地の魔導士組合なんかも、作成方法の独占を狙ってくるのも間違いないさね。ま、一番食いつくのは貴族連中なのは言うまでもないだろうけどね」
「間違いなく動くわよ、そうかしたら教会関係も、治療魔法を売りにしている分、民の救済を建前に、こぞって押しかけて来るんじゃないかしら? より多くの無辜なる民を救うために、この技術の提供は神の意思である。とかなんとか言って来るかしらね」
貴族の令嬢としての知識と、敬虔な大六神教徒であるからこそ、それら組織に所属する人種の本音を知る。アイリーンとロゼッタは、カオリに分かりやすく警鐘を鳴らす。
「我らが神聖なる祠が生み出した。技術の粋を、また御姉弟様が手ずからお作りなった魔道具を、不当に奪取し独占しようなどと、不遜極まりない愚行に御座います! そのような輩がもし現れれば、この私の刃にて容赦なく斬り捨てまする!」
次々とかけられる警告を前に、カオリは腕を組んで唸る。
作ってしまったものはしょうがないし、何よりこれがなければ【ソウルイーター】に抗しえることが出来ない、秘匿するからといって、秘蔵する訳にもいかないのだ。
使うか使わざるべきかと、作ってしまってから悩むのも遅きに失すれど、悩むこと数瞬、カオリは思考を放棄する。
「うん、ソウルイーターに勝ってから考えよう」
問題を未来の自分に託し、一先ずは目先の脅威を打倒するために思考を切り替える。
場所を移して湿原の仮拠点にて、カオリ達は作戦開始を告げた。
「ボルファーさん、カシミールさん、よろしくお願いします。でも危なくなったらすぐに撤退して下さいね」
あれほどカオリ達を無謀だと詰めた彼等であったが、何かしらの心変わりがあったのか、今回のソウルイーター討伐作戦に、最終的に参加する意思を表明してくれた。
「ああ、やるからには徹底抗戦するつもりだ」
「あんまり役に立てないけど、俺達、冒険者だもんなっ」
カオリの言葉と、アイリーンの挑発が功を奏した様子に、周囲の人間達は思わず笑みを浮かべる。
「いや~、男は馬鹿だねぇ」
「何を言ったのよ貴女達……」
「カオリ様の人徳ゆえですね」
ニヤニヤと笑うアイリーンに、事情を知らないロゼッタはすかさず疑問を呈する。アキはいつも通りである。
「では作戦の最終確認ですが、各パーティーで散開して道中の魔物を殲滅していきます。集合地点は平原の中央の一際大きな水溜りです。そこから私達と【赤熱の鉄剣】はソウルイーターを釣り上げます。【エ・ガーデナー】と【風切】は続けて周辺の魔物狩を継続して、私達の退路を確保してもらいます。ソウルイーターをある程度消耗させることが出来たら、アキが合図を送るので、全員で一気に叩きます。いいですか?」
カオリの作戦概要に異論なく「了解した」「分かりました」とそれぞれに返答して、カオリ達はすぐに作戦を開始した。
今日も雨は止むことなく、空は変わらず霧のような水滴をカオリ達の頭上に降らせている。連日の水気と湿気に、革や布の装備が痛み始め、またカビの匂いが移ることで、最近はとにかく不快な環境に、カオリは辟易していた。
そこに追い打ちのように脅威となる魔物の出現とくれば、カオリの鬱憤は限界に近いところまで溜まっていた。降り続く雨と共に、魔物の脅威も晴らすことが出来るならと、今回は特に乾坤一擲な心持ちで作戦に挑んでいた。
昨日の段階で道中に湧く魔物が、脅威にならないことは確認済みである。しかし周辺の魔物はカオリ達にとっては雑魚も同然だが、【ソウルイーター】の魔力供給源でもあるのだ。それを殲滅した結果、ソウルイーターの標的が自分達に向くのは、大きな賭けである。
若干迂回しつつの道程で魔物を狩っていき、二刻ほどを要して、カオリ達は目標の水溜りに到着した。
昨日と同様に、静かな水面には今尚魂が吸い寄せられる。幻想的な光景が広がっている。ただこうして眺めているだけならば、まさかこの水底に、恐ろしい怪物が潜んでいるなど想像だにしなかったであろう。
「どうやって釣り上げるのさ? 昨日は力任せに外殻を剥がしたから、怒って飛び出したんだろうけどさ」
「貴女そんなことをしてたのね。それに作戦内容でも話したでしょ? 【蒼爆石】を投げ込んで損傷を与えれば、修復のために、魔力を求めて地上に出て来るだろうって話したじゃない」
「そうだったかい?」
カオリは早速【蒼爆石】を水溜りの中央に向かって投げ込んだ。
魔力を注ぐ量で起爆時間を調整出来る機構を設けた【蒼爆石】は、こういう時に非常に便利である。幾つかの試作を作っただけの即席魔道具であるが、ロゼッタやアンリが如何にこの魔道具の作成に真剣に取り組んでくれたのかが伺える。
「お、光ったね」
「無事に起爆しましたね」
「オオオオオオォォォォォンンッ!」
爆発の衝撃で気泡がたち、次の瞬間には怒涛の水飛沫を上げながら、ソウルイーターが姿を現した。
「「出たあぁー!」」
カオリとロゼッタが声を揃えて叫び声を上げる。
分かってはいても迫力のある大型の魔物の登場に、思わず声が出た二人だが、冷静に状況に対応する。
「水の中に居られたんじゃ攻撃が出来ない、アキと私、そっちの二人で散開して! まずは遠距離攻撃で注意を引くの!」
「「了解!」」
カオリの号令に即座に反応する三人と駆け出し、ここに過去最大級の魔物との戦端が開かれる。
ロゼッタが景気付けの火線をお見舞いし、アキが試射を兼ねて【蒼爆矢】を射かける。
赤い炎と青い炎が同時に爆ぜ、ソウルイーターの頭が左右に揺さぶられる。外殻を剥がすほどの威力には及ばないが、僅かにでもダメージを受けることに、ソウルイーターは過剰に反応を示す。
「まだまだっ、もっと攻撃して、あいつを地上に引きずり出すよ」
カオリの指示に呼応して、アキとロゼッタが魔力を惜しまずに遠距離攻撃を放つ、ロゼッタの炎の熱が水を蒸発させ、アキの聖属性付与の矢が光を放って水飛沫に反射する。
その光景を場違いながらも綺麗だと感じるカオリだが、ソウルイーターは怒り狂ったような咆哮を上げて、ついに上陸を果たす。
ここからはカオリとアイリーンによる前衛組の出番である。
「バラバラにしてやるよっ、この骨ミミズがぁっ!」
アイリーンが罵声を叫びながら、ソウルイーターの横っ腹に、渾身の力で片手斧を叩き込む、切断された太い骨の外殻が弾け飛ぶ。
「シィッ!」
【研ぎ包丁】で切れ味を増強し、【裁縫針】で精密な剣閃を強化した。鋭い斬撃を、脆いと思われる個所に放ったカオリの刀が、枝葉を刈るが如く、ソウルイーターの外殻を斬り裂く。
一撃に執着してはいけない、一ヶ所を見れば効果があると思えても、全長が五十メートルを超える巨体である。しかも傷付けたのはあくまで外殻部分である。ダメージとすれば本当に微々たるものである。
案の定、ソウルイーターは魔法攻撃を受けた時のように、ダメージを受けた挙動をすることも、ましてや悶絶することもない、これではまだ浅い。
ソウルイーターは長大な胴を螺旋状にうねらせ、煩わしい小虫を払うかのようにカオリ達を攻撃する。
カオリは大きく後退してこれを避けるが、アイリーンは鎧が重く俊敏な動作が出来ない、幾ら頑強な鎧を着込んでも、巨木のような太さと、鋭利な突起が生える胴体の躍動に巻き込まれれば、重症を免れない、カオリは警戒しながらもアイリーンを確認する。
だが彼女もずぶの素人ではない、咄嗟に迫る胴体を蹴り飛ばし、その反動で距離を離すことで難を逃れていたのを見て、カオリは胸を撫で下ろす。
「かーっ! やっぱり大して効果はないねっ、こいつは骨が折れるさねっ」
「想定範囲内っ、一度で駄目なら何度でもっ、アキ、ロゼ、なるべく低い位置の場所に、魔法攻撃を撃ち込んでっ! 少しでも外殻が脆くなれば、そこを私達が叩くっ!」
魔力と体力を温存しつつ、効果的な攻撃を与える知恵比べで、カオリは出来る全てを試みるつもりである。このレベルにまでくれば、もう技術や力でどうにかなる次元を超えている。これが魔物の脅威である。これこそがこの世界が異世界たる由縁である。
カオリは冷静だった。これほどの脅威を前に、これほどの次元を前に、恐怖はない、死の危険を感じていない訳ではない、だが自分がやらねば、守りたいものを守れない、義務感が、憤りが、震えそうになる足を叱咤するのだった。
「斬って駄目なら、もう一度斬る! 二度で駄目なら何度でも!」
「応さねっ!」
「お任せをカオリ様っ!」
「やってやるわよっ!」
今のカオリには仲間がいる。その声がカオリにさらなる活力を与えてくれる。
アキの連射が次々と強烈な光を瞬かせ、ロゼッタの火線が広範囲に渡り外殻を焦がしてゆく。
そこにアイリーンの幅広剣が突き刺さる。カオリの斬撃が骨を断ち切る。
暴風のように振われる胴体が、時に服を引き裂き、時に頭上を掠め、それでも致命傷を受けぬよう、カオリもアイリーンも慎重に、だが時に大胆に責め立て、着実に攻撃を加えてゆく。
ひたすら留まることなく、動き続けて外殻を剥がしてゆく作業を、しかし気を抜けば瞬く間に死に直結する危険と隣合わせの中、それでも全体を視野に入れて立ち回るカオリは、刹那に閃きのまま指示を飛ばす。
「アイリーンさんっ、左っ、交差打撃いぃ!」
「おうともさあぁっ!」
碌に視認もせずに振り返った勢いのまま、アイリーンが渾身の斬撃を両手の武器で持ってお見舞いする。
「うぅりゃあぁぁっ!」
駆ける速度を殺さずに剣先に乗せて、カオリが更に深く斬り付ける。
「くぅだけろぉぉっ!」
カオリの通り過ぎた瞬間に間を置かず、アイリーンが身体を回転させ、遠心力を威力に変えて振り抜く。
「オオオオオオォォォォォンンッ!」
ついに外殻の一部が砕けた。
「お二人共伏せて下さいっ!」
そこへすかさず、アキの【蒼爆矢】が放たれる。
外殻の砕けた僅かな隙間に、アキによる精密射撃が突き刺さる。視界の悪い雨天で、動き続ける目標の、全体から見ればほんの小さな亀裂を、アキは見事に射抜いたのだ。
ロゼッタが込めた魔力の炎が、アキの施した聖属性の輝きを纏わせ、見事なと表現出来るほどに美しい、蒼い爆炎を瞬かせる。
「オオオオオオォォォォォンンッ!」
「弾けたっ!」
効果は絶大だった。今まで、森の枝葉を払い続けるかのような、手応えのなさと途方もなさしか感じられなかった。ソウルイーターへの攻勢にあって、間違いなく大きなダメージを与えた手応えを確信出来た。
「ダメージが通るよっ、油断せずに追撃を! アキはアデルさん達へ合図を送ってっ、ここからが本当の戦いなんだから!」
「了解しました!」
カオリの指示により、それぞれが動き出す。まずはアキが鏑矢を頭上高くに放つ、矢の先端に取り付けられた。テムリ手製の鏑が、笛のような甲高い音を響かせ、その音を周囲に届かせる。
その間に、アイリーンはソウルイーターと肉薄し、ロゼッタも火線を破壊した個所へ正確に放ち、与えた外傷がすぐに癒えぬよう攻撃を加え続けた。
カオリもソウルイーターの巨体の全体を視界に収めて、特に頑強そうな個所、少しでも脆そうな個所を隈なく探す。
また強烈な攻撃動作がないかにも注意を巡らせる。
「止まっちゃ駄目、集中を切らせたり、視野を狭くしても駄目、流れるように攻撃し続けなきゃ、この怪物は倒せない」
カオリは自分に言い聞かせるように呟き、さらに戦闘に没頭していく。
「すごい、あの【ソウルイーター】に、銀級冒険者がダメージを与えたんだ。作戦は成功だ!」
興奮した様子でカシミールが声を出す。
「他所見しちゃダメ、俺達は俺達の戦いに集中しなきゃ」
そういってカシミールを叱責するのは、【風切】のパーティーメンバーの一人、獣耳の亜人種で槍を獲物に使うアドネであった。
ミカルド王国に移り住んだ亜人の両親から生まれた。今や世代を重ねたことで、なんの獣に近い亜人なのか分からない種族であるが、両親共に見られる耳の形や毛質から、恐らく犬科に近い種族なのは間違いないだろう。
そんなアドネだが、今回の作戦には当初、消極的であった。
普通に考えて、カオリを筆頭とした他の冒険者パーティーの階級が、黒金級の【ソウルイーター】に適していないと、冷静に判断したからだったのだが……。
始めは自分と同じ判断をしたカシミールが、何故かカオリへ直談判しに行って帰って来れば、掌を返したように作戦参加を表明したのだから、アドネは驚きを隠すことが出来ず。また強く諌める機会を逃したため、今となっては仕方なく、自分達に与えられた役割を、懸命にこなしていたのである。
「噂じゃあ、カオリさんとアキさんは、冒険者になって僅かな時に、【デスロード】を無傷で討伐したらしいけど、やっぱりあれは本当だったんだ。新米冒険者が、その類稀な才能を開花させて、瞬く間に上級に昇る快進撃、そんな夢物語が、本当に実在したんだなぁ……」
まるで子供のように語るカシミールの様子に、アドネは溜息を吐いた。
カシミールの気持ちは、アドネも痛いほど理解出来る。
全員亜人種で構成された【風切】のパーティーであれば、比較的マシとは云え、王国に生まれて、時に不便を強いられることもあった人種の壁を、感じなかったものは居ない。
幼少のころに一番やんちゃだったカシミールが、仲間を誘って冒険者組合の扉を叩いたのは、それほど昔の話ではなかったが、それでも強ければ認められる冒険者であれば、人種ならばとか、亜人だからといった抑圧を跳ね除けられると考えたのは、若気の至りと片付けられるほど、軽い気持ちからではなかったはずだった。
それでも数年も冒険者稼業に従事していれば、現実が如何にままならぬものであるかなど、痛いほどに理解する時は来る。
伸び悩むレベルと実力、思ったほど評価されない結果、食い繋ぐので精一杯な日々の糧、そういったもろもの月日を重ねる内に、いつしか夢は夢のまま、霞のように霧散して消えていった。
アドネは余計な思考を振り払い、目の前のスケルトンソルジャーの胸部を、石突で強かに打ち砕き、その残骸を視界に収めながらまた幻視する。
思い出すのは、先日に目の当たりにした。アキの美しい舞踏である。
今こうして苦もなく敵を屠ることが出来るのは、自分より秀でたものの実技を、しっかりと目に焼き付けたからに他ならない、そして同時に理解する。
他種族だから、他とは違うから、そんな理由で学びの機会を、成長の伸び代を、自ら断っていたのは、他でもない自分自身なのではなかったのだろうかと。
あの美しい、自分達と同じ亜人種の少女は、同種だからといってカシミール達に甘い顔は一切見せず。ただその実力差を見せ付け、颯爽と無言のまま去って行った。
もちろんカオリ至上主義のアキに、実力の劣る同業者を導くような愁傷な想いはない、たんにカオリの要請で彼等を助ける過程で、実力の差を見せ付けたいという傲慢さが、表に出てしまったに過ぎない。
しかしそれでも、アキの強さが、類稀な技巧が、毅然と立つ彼女の姿が、同じ亜人種に希望を与えるものであったのは間違いないのだ。
ここに、カオリの、人を惹きつける素養の片鱗が現れているのが分かる。
カオリは無自覚なまま、周囲の人間達に希望を与えているのだ。
始りはアンリとテムリの姉弟だった。
次に【赤熱の鉄剣】の四人。
それから他の冒険者やその関係者と、その輪は徐々に広がっている。
日本人として刷り込まれた察しと思い遣り、一般常識として教わった礼儀作法や尊信の心、家族に育まれた広い視野と見識が、生きることに必死で、視野狭窄に陥り易いこの世界の住人達に、人としての新たな境地を見出させたのだ。
また神に愛されたと評するしかない、カオリの戦闘能力が、実力だけで人がどこまでのことを成し遂げられるのか、その指標を示したのだ。
カオリと関わったことで、自身の未来に展望を見出すことが出来たならば、おのずと信頼と絆が深まり広がっていく様子は、自然の摂理とも云える。
そしてここにも、一組の若人達の心に、カオリ達という新たな希望が灯る。
「俺達だって……、俺達だってまだやれるんだ。きっとこれからなんだ。それでいつかきっと――」
アドネと他二人にも、カシミールの呟きは聞こえていた。そしてその言葉が、等しく自分達の今の気持ちを代弁しているのだと。
それぞれが武器を握る掌に、自然と力が込められる。
雨はまだ止まない。
だがいつか、澄み渡る青空を夢見て、彼らの胸の灯は、確かにその輝きを増していたのだった。




