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 この世界で遠方の人物と意思疎通を図る場合、その手段はかなり限られる。人伝に伝言をお願いするか、あるいは手紙を託すか、どちらにしても多少の金銭と信用が不可欠となる。


 だが、配達人が確実に目的地に辿りつける可能性も高くはなく、魔物や野盗に荷物どころか命まで奪われることもあるとすれば、このての手段が比較的裕福な階級に限られるものであることは容易に想像出来よう。


 ササキやカオリのように遠話の魔法を当たり前のように使えるわけもなく、実に原始的な手段に頼らざるをえない彼らからすれば、乏しい蓄えから金銭を工面し、貴重な紙資源を使って不確実な方法を取るよりも、実際に己が足で伝えに行く方が安心であると云える。




 迷宮での探索と昇級試験を終え、一旦集落の元村長の下へ挨拶をした席で、元村長はカオリへ今後の方針を報告した。


 同集落に身を寄せたのは元村長夫妻の他に二世帯で、カオリ達の村にぜひ帰りたいと全員が了承したが、他の地域に向かった世帯については元村長自らが直接交渉したいと申し出たのだ。

 元より元村人の顔をほとんど覚えていないカオリは、今回は元村長に渡りだけつけて、後日アンリを伴うなりして確認を行う予定だったので、渡りに船と承諾した。


 具体的な行動としては元村人達への交渉は元村長に任せ、その護衛にゴーシュ達を貸し出した。

 一方カオリ達は集落に身を寄せた二世帯を伴って、冒険者組合で討伐報酬と素材の換金、また昇級試験の合否が書かれた審査書を提出するためにエイマン城砦都市へ、その後村に帰還する手筈となった。


「まったく人使いが荒いぜ」


 愚痴をこぼしつつ元村長と共に出発した【蟲報】と別れ、エイマン城砦都市での用事をあらかた済ませたのはそれから四日目となる。


 旅に慣れない二世帯の女子供を伴う道程はどうしても移動に時間がかかる。ましてや道中の魔物の相手もしなければならなかったので、休憩を頻繁にとる必要もあった。

 しかし魔物に村を追われた元村人達は、カオリ達パーティーの安定した戦闘を目の当たりにしたことで、村が再び魔物の脅威に脅かされる心配を、払拭出来たことは僥倖であった。


 村に到着後、集合住宅に二世帯を案内し、先に居た元村人達とも引き合わせて、簡単な関係者との紹介も終えて、カオリはようやく一息つくことが出来た。

 それでも不在の間の物資の消費量の確認と、村の開拓状況の確認をしないことには腰が落ちつかないこともあり、今はアンリがつけた倉庫記録に目を通している。


「それにしても迷宮探索と道中の魔物狩で、結局金貨四枚、ってのは結構大きいよねぇ、迷宮でもっと狩と採掘に集中出来たら、一週間で金貨十枚以上は確実に稼げるよね?」


 寺院跡地の迷宮での稼ぎに、カオリは満足の様子であったが、眉をひそめて否定するのはロゼッタであった。


「そう上手くいくかしら? 本来は難敵のカリオンゼリーとストーンゴーレムは相性がよかった……、カオリの剣技は相性とは関係なさそうだけど、それでも今回はカリオンゼリーの討伐報酬と素材換金率が高かったからで、採掘も他の魔物も対して旨味は少ないわよ?」


 ロゼッタの冷静な分析に、カオリは一転して難しい顔になる。ロゼッタの言い分が事実であるのは納得である。


 迷宮には魔物が湧く、と一言に言っても、ある程度の数を狩れば、発生頻度は一旦落ち、再び同数まで戻るのにしばしの期間が必要であり、その所要日数は迷宮内の魔力濃度に比例する形で変動する。

 魔鉱石も粗方を採掘してしまうと、魔物よりも緩やかな速度で再生成されるため、同規模の稼ぎを維持し続けるならば、いくつもの迷宮に挑み続けなければならない。


 また移動による経費を含めて考えれば、そこまで高額の実入りとは云い辛いのは、開拓資金の工面を考えているカオリ達にとってはたしかであったからだ。


「冒険者ってのも悪くないねぇ、そこそこ儲かるし、魔物ももっと強いのがいるんだろ? 傭兵業みたいに恨みを買うこともないし、案外あたしに合ってる仕事さね」

「貴女は結局、ずっと鶴嘴を使ってたくらいだものね。迷宮を舐めているとしか思えないわ、腰の武器は飾りかしら?」


 アイリーンが笑い、ロゼッタが呆れてそう言った。


「とりあえず今回の報酬は、村の開拓資金と私達の支度金に回して、次はもっと稼げる依頼か迷宮でも探そっか~、雨季もまだ終わらないし、元村人さん達の呼び戻しも、元村長さんが張り切ってくれてるし」

「食料の買い付けも済ませましたし、馬車の返却もかねてもう一度エイマンに戻られますか?」


 アキの提案にカオリは同意し、それに二人も首肯する。


「お姉ちゃん達もう仕事に行っちゃうの?」


 カオリ達の決定を惜しんだのはアンリである。見ればテムリも床の上で何やら作業しながら、カオリをじっと見詰めていた。

 ここのところカオリが村を空ける日が多く、二人の姉弟は少々寂しい思いをしていたのだ。

 元は二人で生活していたのだが、一度増えた家族が、数日とはいえ家を空けるのは、喪失感を覚えるのだろう。


 二人は現在、イスタルとステラから勉強を教わりながら、アンリは冒険者やセルゲイ達に代わって家事をこなし、時に薬草からの薬の調合も行っており、テムリも大工達の作業の手伝い以降、手先の器用さと有り余る元気にまかせて、近頃は万屋の如き働きを見せていた。

 今こうして雑談をしている最中でも、アンリは食事の用意を、テムリはアイリーンの装備の点検を買って出ているのだ。


「坊主は器用だなぁ~、あたしの鎧は部品が多いから、バラして磨いて組み直すのが面倒なんだよ、これからも駄賃をやるからお願いするさね」


 アイリーンはそういって男顔負けの大きくゴツゴツした手で、テムリの頭を乱暴に撫で回した。


「アイ姉ちゃんの鎧すっげぇ重い! こんなの着て戦ってんだね。すげぇ!」

「はっはっは! そうかそうか、嬉しいこと言ってくれるねぇ」


 存外子供好きのアイリーンは心底楽しそうに笑う、カオリにとっては自身のパーティーメンバーには、姉弟と仲良くあってほしいと切に願っているのだが、今のところ全員問題なく接することが出来ているので、非常に助かっていた。

 といっても、アンリもテムリも超がつくほどのいい子達なので、よほど歪んだ性格の人物でない以上、姉弟を邪険にする人間などいないだろうと期待してもいるので、これはたんなるカオリの杞憂に過ぎない。


「そっか~、正直仕事と移動がネックなんだよね~、何だか無駄に時間をくっちゃって、もういっそ馬でも買っちゃう?」


 カオリの何気ない提案に、一同はしばし考える。


「農耕馬なら安く買えるけど、農家はどこも貴重な労働力を手放したがらないし、優秀な馬は貴族と商人が買い占めて、冒険者相手には値段を吊り上げるから正直難しいわね」

「なんだい王国もウチと似たようなもんだね。帝国でも馬は利権だらけでおいそれと手を出せる代物じゃあないね」

「相場って分かる?」


 カオリの問いに二人は思い出しながら答える。


「調教も済んでいない駄馬でも金貨四~五枚で、軍馬に使われる牡馬ならだいたい金貨八~十枚で、牝馬ならその倍はするかしら? 鞍と鐙がまた金貨二~三枚ってところかしらね」


 カオリはそのべらぼうな値段に目を剥く。


「一般に買おうと思えば妥当だね。そこに飼料やらの維持費を含めればもっと金がいるさね。なんせあいつらは一日十キロは平らげる大飯喰らいさ、馬を買うために金がいって、次は馬を飼うために金がいるって話さ、貴族が伊達や酔狂で領民から税を吸い上げてるわけじゃないんだよ、騎士にとっても農民にとっても馬は財産、冒険者のあたしらには過ぎたものさね」


 二人からの現実的な現示にカオリはとうとう目を回した。


「たっか~い! 馬一頭で家が建っちゃうよぉ、それに飼料ってそれ専用で調達しなきゃでしょ? 無理無理!」


 馬は高価、これは世界を渡っても変わらぬ常識である。事実として地球の歴史においても、馬にまつわるその有用性と価値は、語り尽くせぬほどに奥が深く、語り尽くせない故に語らぬこととする。

 この世界においてはまさにその火中にあるだけに、当人達にとっては身近な話題として取り沙汰される傾向にある。


「南部にある私の実家の領地は、有名な馬産地でもあるわ、中型で脚も速くて機動力ではどこにも負けないんだから!」

「はん! 軟弱な痩せ馬が大口を叩くんじゃないよ、馬鎧を着せてもへこたれない、バンデル産の大型種こそ、戦場最強の軍馬さね」

「なんですって! 私の領地では北方原産種との交配にも成功し、寒暖に強い種なんだから! 専用の馬具は王家にも献上した歴史があるのよっ、貴女の領地の馬なんて、馬車馬がお似合いじゃないっ」

「おうおう馬車馬でけっこう、自分の飯も背負えない痩せ馬が跳ね回っても、羽虫がたかったようなもんさね。間違って踏み潰されたくなかったら、王都のお花畑でお姫様でも乗せるんだね」


 二人がやいのやいのと言い合いを始めるのはここ最近ではよく見る光景である。だいたいいつもロゼッタが言い負かされるまでが通例であるので、カオリは気にせず放置する方針であった。

 だが我関せずの様子のカオリに、アイリーンは目敏く矛先を向ける。


「第一カオリ、あんた馬の世話が全然なっちゃあいないじゃないか、それに乗馬も出来ないだろ? どの口で馬を飼うなんていうんだい」

「うう、ごめんなさい」


 アイリーンがこういうのももっともだ。

 これまでの人生で、馬に触れることなど皆無であったのだから、当然の話ではあるが、それにしてもカオリは生物を飼う経験そのものが皆無だったのだ。

 動物を飼うことは、命の責任をもつこと、と幼少よりの親の教えから、子供心に安易にペットを欲しがることをしなかったカオリ達兄妹は、結果的に動物の飼育知識に乏しかったのは余談である。


 ちなみにカオリ達が現在利用している荷馬車は、エイマン城砦都市の商人組合から、そこそこのお金を払って借りているものである。

 借用金の内訳としては、まずは馬の保守点検費と、もしもの時の保障金、荷車に関しても同様であり、借りる期間に応じて料金は高くなってゆく。


 だが一般では冒険者が馬を荷車ごと借りることは通常出来ない、これはカオリが冒険者業に利用しないことを条件に、またササキが連帯保証人になったうえで、開拓業にのみ利用する契約を結んで初めて、借りることが出来たものであった。


 いつ死ぬともしれないのが冒険者である。


 例え大金を持っていたとしても、馬を簡単に渡すほど、商人達も愚かではない、これも今やカオリ達特有の例外というやつである。もちろん神鋼級冒険者というササキの信用あっての話であるのは、言わずもがなである。

 飼育に関しても、オンドールによる即席御者教育を受けて、操縦と保守技術を最低限学んでやっとというところである。

 アイリーンが来てからは体調管理や休息時の指圧柔軟などは、もっぱら彼女の仕事となっている。他の三名では体力的にきついというのが理由であるからして、馬の管理がいかに大変な労働であるかが伺えよう。


 だがそこでアキが思わぬ提案をする。


「であれば犬橇(いぬぞり)ならぬ。狼車でも用立てますか?」

「「はい?」」


 揃って素っ頓狂な声を上げる一同をアキは気にせず続ける。


「大型な狼であれば、六頭も居れば荷車を牽くことも可能でしょうし、飼料も生肉を与えておけば十分でしょう、特別に調教を施す必要もありませんし、資材と人間の運搬なら有用かと」

「そんなこと出来るのアキ? それに狼なんてどこで捕まえればいいの?」


 そこでカオリはようやくアキの進言の意味を理解する。


「そこらに沢山いるではないですか、元は通常の犬より人間に従順で、野生の狼より身体能力が高く、何より代えの効くものが」




「何? 【ウォーウルフ】を捕まえて調教するだと?」


 カオリから突然の報告を受けて、唖然とするオンドールは、カオリ達を訝しむ視線で見回し、盛大に溜息を吐いた。


「はい、アキが【―式神行使(しきがみこうし)―】ていうスキルを保有してて、その延長で魔物を浄化して調教することも出来るらしいんです。馬車の代わりに村の移動手段に使えないかと」


 カオリの説明にオンドールは唸る。


「魔物の使役は教会が禁じてはいるが、浄化して人を襲わないのであれば、一概に禁止とは云えんか……、しかし何故私に、相談したのかね? いや、何事も事前相談があることはありがたいがね? 私としても是非を問う以前に、可能性すら知らない領分については、たいした助言も出来んのが辛いところでね」


 カオリがいつか、突拍子もないことを提案するのには備えていた手前、驚きこそあったものの、動揺は少なかったオンドールだが、流石に魔物を使役するなどと云うものに、関連知識は持ち合わせがないのは致し方なく、口をつぐむしか出来ない己が身を、彼は口惜しく感じていた。


「いえ、ただそのための荷車をどうしよっかって話になって、犬橇とかは帝国の北部で購入出来るらしいですけど、こんな草原で橇なんて走れませんし、かといって荷馬車は寸法が合わないし、オンドールさんなら【ウォーウルフ】がまだ軍用犬で徴用されていた時代も知ってて、馬や馬車の手配も経験があるかもって思って」


 カオリの説明にアイリーンが補足を入れる。


「あたしらも買い与えられることはあっても、自分で手配した経験がないさね。旦那には何か智恵はないかい? こんな面白そうな話、逃す手はないだろ?」

「面白い面白くないの問題ではないだろう……」


 頼られて否とは云えず。オンドールは腕を組んで考えを巡らせた。

 元が魔物であるならば魔力と餌の併用で維持費を削減出来、また同じ理由で襲われたり奪われる心配もなく、何よりタダで入手可能なことが魅力的である。現状カオリ達だけでなく、大量の物資を運ぶことが予想される開拓事業を控える以上、ここでこの話を無下に扱うことは悪手と考えた。


「革も紐も木材も自給出来るのだから、いっそ適当な荷車を手に入れてそれを元に改良するのが得策かもしれんな、どこも試みたことのないものである以上、つきっきりでの調整は不可欠であろうし、それにもしかしたらテムリ君が手を貸してくれれば、案外簡単に出来るかもしれんな」

「え? テムリが? どうしてですか?」


 思わぬところで挙がった名前に、カオリは大層驚いた。


「いや何、先月くらいだったか? 資材を運ぶ荷馬車の車輪が壊れたことがあってね。修理をトンヤ氏に頼もうかと思ったのだが、テムリ君が来てあっという間に直してしまったのだよ、いやはや本当に手先が器用で物覚えのいい子だ。きっと街で革製品や木工品の修理に、村での大工仕事を手伝っている内に、目で見て技術を覚えてしまったのだろうな」


 そんな馬鹿な、と一同は声なきツッコミを入れる。


「テムリ様ぁあっ! 天才にして神童とは流石で御座います!」


 アキだけは異常な興奮を見せているが、とりあえず無視である。

 カオリは冒険者として、開拓責任者として、どうしても村を空けることが多い、それはエイマン城砦都市での生活でもそうだった。そのためアンリもテムリも自分が不在の間、どういう風に過ごしていたのかを、カオリは二人からの直接報告でしか知る術がなかった。


 だが村の復興期間で、監督業を代わっていたオンドールは、テムリの頑張りと手際のよさをその目で観察し、テムリを高く評価していたのである。

 日頃話題に上がるのはどうしてもカオリが中心になりがちな冒険者同士の会話であったため、こうして姉弟を話題に挙げることは、そういえばついぞなかったとカオリは初めて思い至ったのだ。


 縫い目の綻びを手直しし、緩んだ金具を調整し、手作業で出来る多くの修繕作業で駄賃をもらっていたテムリは、復興事業の手伝いで、ついに木工技術までをも身につけていたのだ。そういえばアイリーンの複雑な甲冑も、とくに苦戦することなく分解していたのを、今更になって思い出していた。


「テムリぃぃ……、立派になったねぇ……」

「泣くほどのことなのカオリ? いや成長を喜ぶ気持ちは分かるけどね。せめて本人の前でお願いよ」

「あっはっは! 本当に面白い子だよ、この子達は!」


 カオリの頬を伝うのは、雨か涙か、慈愛の紅涙がシトシトと降り続いく季節な今日このごろである。




 かくしてハイゼル平原の街道外れの丘で、カオリ達は件のウォーウルフと対峙していた。

 これまで幾度となく狩の対象と見なして来た増殖過多な魔物達を、今回は捕獲の目的で探し、ほどなくして六頭の群れと遭遇したのであった。


 血気盛んなこの魔物は、人間と見るやすぐに襲って来るほどに凶暴なため、その高い身体能力と群れを成すという特性から、遭遇頻度もさることながら、なかなか危険度の高い魔物と位置付けられている。

 具体的に言えば、討伐適正は鉄級冒険者パーティーからでなければ、討伐依頼を受けられないのだから、一般人にしてみれば、十分に恐ろしい魔物である。


 まあ普通に考えて、狼よりも小型だが、毛皮は狼より硬く、凶暴性も野生の狼の比ではないのだから、当たり前の話だ。

 カオリが初戦で苦もなく討伐せしめたことで勘違いしがちだが、その凶暴性と群れでの連携は、新人冒険者の多くを苦しめる最初の難関と云われており、非常に危険な魔物である。


 だが今はアイリーンの加入もあり、やはり、カオリ達にとっては難敵とは言い難い獲物である。


「ほいさっ、捕まえたよ」

「ギャウギャウッ!」


 大きな手で首根っこを無造作に掴み、宙ぶらりんに持ち上げるアイリーンを、ロゼッタは呆れた表情で見やる。


「魔物を無造作に掴み上げるなんて、本当に馬鹿力ね貴女」

「アイリーン様そのままです! はいっ、はいっ!」


 素早く御札を腹部に張り付けて、アキは浄化を試みる。


「ちょっとちょっと、残りも早くして! 私一人でひき付けるとか無理だから!」

「ちょいと待ちなカオリ! お? 白くなって来たさね」


 見れば元は黒く鈍い光沢を放っていた体毛が、徐々に白く染まっていくのが確認され、アイリーンはそっと地面に降ろす。

 式神化が始って大人しくなったウォーウルフは、ひっくり返った体制のままどうやら目を回しているようで、暴れる様子がないことに、アイリーンもロゼッタも興味深く観察していた。

 そのまま残りの四頭も順次浄化を施してゆく、数が減ってカオリも余裕が生まれたため、自身でも一頭を羽交い絞めにして捕獲し、無事六頭の浄化が終了した。


「お手、お代り、伏せ、三回回ってワンっ!」


 よく見る芸を一通り試し、従順さの確認の合間、アキはお得意の【―神前への選定(ライト・オブ・パッセージ)―】で鑑定を試みる。


「【式神―大神(おおかみ)―】使役者は私の名になっておりますので、これで無事、浄化と式神化は成功しました」

「「おおっ」」


 カオリは単純に成功への喜びを、ロゼッタとアイリーンは未知の魔法の効果に、それぞれ感嘆の声を上げる。


「使役者の魔力供給での強化はもちろん、スキルによる補助も併用すれば、複雑な命令や長距離での操作も可能ですね。また事前に命令を与えていれば、余人の指示にも従わせることも可能ですので、十分に使えるかと」

「なら私達以外の開拓団の人でも、移動手段として利用出来るし、村周辺の偵察にも役に立ちそうだね。森に向かわせて自分で餌を狩らせることも出来る?」

「はい可能です」

「「おおっ!」」


 思った以上の有用性に、ロゼッタとアイリーンも揃って声を上げる。

 そこからついでとばかりに、さらに五頭の群れも浄化して併合し、カオリ達は村へ帰還する。

 最初事情を知らなかった元村人やアデル達は、カオリ達が魔物を引き連れて帰って来たことで、一瞬恐慌状態に陥ったが、見た目が純白の綺麗な狼であったことと、テムリを伴って接近し、あまつさえじゃれ合いを始めたテムリの様子に、危険がないことを確認し、胸を撫で下ろした。


「こいつらの牽ける荷車を作りたいのだが、テムリ君、手伝ってくれるかな?」

「うん任せて! 革紐と麻紐を組み合わせて、頭絡(とうらく)手綱(たづな)も作って、荷車も手伝ってもらえば出来るからっ! だけど連結用の金具はどうしよう?」

「とりあえず金具を使わずに試してみるか? 荷車を作る間に必要な資材も買って来れるだろうし、こいつらの寝床もこしらえんとならんしな」


 カオリとアキが言葉もなく感涙するのを横目に、ロゼッタは仕方なく確認作業に移る。


「元村人に配慮して、この子達の厩?は塀の外にした方がいいでしょうか?」


 やはり気になるのは、魔物に村を追われた経験を持つ元村人達である。彼らの精神衛生上、例え浄化して厳密には魔物ではなくなったとはいえ、彼らにそれを説明しても理解は得られ辛いとロゼッタは判断した。オンドールもそれには同意を示す。


「そうですな、コツコツと溜めた間伐材もそろそろ使える。人間が住まないのであれば多少雑な作りでも問題ないから、塀と組み合わせる形で簡易で作ってしまうか」


 決まれば早いと早速行動を開始する一同、ロゼッタはテムリから必要な鉄資材を聞き込み、次回の買い付けの予算の概算をし、アイリーンはオンドールと共に簡易の厩の図面作成と作業手順の打ち合わせを、カオリはアキを伴ってのウォーウルフ、今は式神の大神、略して式大神(シキオオカミ)の特性の検査を行うこととなった。


「魔物と分類される生物は、基本的に体内の魔石の性質によりその特性を成長させてゆきます。また性格などにも大きく関わっているので、通常の野生動物のような、本能や個々の性格からの行動原理でそもそも動いておりません」

「魔物は魔石の性質から外れることはなくて、魔物は魔物のなりの行動原理があるってこと?」


 アキは首肯する。さらに続ける。


「基本的に人を襲う魔物は、生物から得る魔力を喰らい、自身をより強化することにかたむきがちです。スピリット系や植物系の中には自然環境から魔力を吸収する性質を持つものもいるので、これらは人間と敵対することはありませんが、一様に自身の強化という点では、他の魔物の性質と同様と云えるでしょう」


 アキの持つシステム的知識と照合した結果からの推測では、初めに (魔物は魔力を元に活動している)という前提があり、(魔力を喰らった魔物は強くなる)という結果から逆算したのだ。これにはカオリも納得の態度を示す。


「次に私の【―式神行使―】は特殊なので、一般的なものでは【―捕獲―】と【―調教―】を例にしてご説明しますと、まず魔物の体内にある魔石に魔力を送り込み、一種の精神支配状態に持っていき、そこから任意の指示回路を構築することで使役化させます。この二つの魔術の上位互換に【―服従―】というものがありますが、これも手順は同じになります」

「ふむふむ、つまり魔物の核になる魔石に、直接新たに特性を上書きして、使役者に服従するようにするってことか」


 カオリの頭にはAIの思考ルーチンに直接新たな指示プログラムを上書き保存する映像が展開されていた。


「今回の場合は私のスキルによって、そもそも魔石そのものを再構築したので、特性の上書きよりも確実な方法をとりました。御覧の通り、こ奴らはすでに別種の生物となっていますので、解呪系の魔法による離反はありません、また私の魔力に適応した変質を施したので、成長も強化も容易に行えます。ですがこれらは現状の私では、低レベルの魔物にしか使用出来ませんのでご留意ください」

「えーとだからぁ、そもそも別種の魔物で人を無差別に襲わないいい子達だから、教会とかに目をつけられても、危ない魔物じゃないって言い張ればいけるかな? ついでにある程度強化もして、周辺の魔物狩にも連れ回せば、いい魔物って宣伝も出来て一石二鳥だね!」


 カオリの懸念はシキオオカミ達の存在の周知である。

 以前に異端疑惑で目をつけられたこともあり、この点については慎重に当たらなければならないため、カオリはまずそこの確認を優先した。

 事前に浄化を施して、と説明したのも建前に過ぎず。アキからすればたんに自前のスキルで魔物に魔術を施しただけなのだ。


「後、餌についても懸念がありましたので、今回特別に変更を加えまして、魔力供給のみでもある程度の生存が可能なように変質させましたので、餌も二日に一度与えれば十分かと思われます」

「それはすごい! 偉いねぇ! よしよし」


 カオリは伸ばした手でシキオオカミの一頭の頭を撫でる。驚くべきは彼らが、こうして長々と説明を行っている間、ずっと整列してお座りしていたことである。

 元軍用犬の従順さと規律を残しつつ、捕食対象と凶暴性の書き換えを行い、さらにアキからの魔力供給に適応した性質に作りかえたことで、彼らは本当に、まったくの別種の生物に生まれ変わったのである。


 ただし体毛が純白に染まったのは、式神化の仕様なので特性とは直接関係はない。

 目鼻立ちや体型は完全に西洋の犬種なのに、色と柄は日本の隈取(くまどり)風とはなんともちぐはぐであったが、カオリは存外彼らのことを気に入った。


「じゃあ今度、みんなで名前でも決めよっか」


 カオリの言葉にシキオオカミ達は盛大に尻尾を振る。どうやら個々で感情らしきものもあるのだということを確認し、カオリは口元を緩める。

 余りに人形めいていては、反って接し辛いと思っていただけに少し安心した。


「でも鉄資材と荷車の買い付けに時間がかかるのはじれったいね。早く試運転をしてみたいのに」

「それは仕方ないことかと」


 憂うカオリに申し訳なさそうにするアキ、だがここで救いの手が差し伸べられる。




「面白いことに着手しているようだな」

「ササキさん! 戻ったんですね!」


 モーリン交易都市で別れてからはや十数日、ササキはおりよくカオリ達の村に立ち寄った。


「聞けば狼車用に荷車の調達がしたいそうだな、なんなら私が転移魔法でさっさと買い付けて来よう、遠慮はいらんさ、この程度であれば誰の目を気にすることもなし」


 言うが早いかササキは、ロゼッタを伴ってエイマン城砦都市へ転移し、商人組合を経由して荷車を二台買い付け、一刻もせぬ内にカオリ達の村へ帰還した。


「何で二台なんですか?」


 カオリの当然の疑問にササキは答える。


「いやカオリ君、忘れているかもしれんが、帝国での違法奴隷の摘発に協力したとして、帝国から正式に報奨金が支払われたのだよ、私自身もその後の追跡調査で公爵閣下に協力したので、そこでも追加報酬が出たのだがね。元を正せば君の献身が決め手になったのだから、私が受け取った分は君に一部譲渡しようと思ってね。丁度よい機会なので余分に買い付けて来たのだよ」


 ササキはそう言って革袋をおもむろにカオリに手渡す。

 不思議に思い中を確認したカオリは驚く、中には金貨が入っていたからだ。


「すごい! 金貨が十五枚、迷宮の稼ぎより多いよ!」

「すごいわカオリ、これでこの一月分の出費を補填出来るわ」


 興奮した様子のカオリ達を、ササキは静かに見守る。

 若くして資金の工面に奔走する少女達に、微笑ましくも苦笑する開拓団関係者一同も、その様子を遠巻きに眺める。


 届いた荷車を分解し、車輪の大きさや車軸の改良も施し、二台はシキオオカミの上背に合わせて低く、腹帯から連結部までも低く改良しおおまかな形が整う、そこからカオリの要望で懸架装置(サスペンション)に多少の改良も加え、翌日に試運転と相成った。

 オンドールによって臨時で開かれた御者教習を経て、手綱や腹帯の取り付けと荷車への連結手順も習い、ようやくカオリ達は試運転を行った。


「おお結構速いね!」

「そうですねカオリ様、やはり元は魔物ゆえ力も強く、こちらの指示に正確に従うので安定しております。何よりもっ! テムリ様謹製の馬具ならぬ犬具が! 本当に素晴らしい出来栄えで――」

「驚いたな、自分で言っておきながら何だが、本当に実現出来るとは……」

「すげー! すげー!」


 荷車に乗るのはカオリとアキとオンドールとテムリの四人、荷車本体と四人を合わせて、およそ五百キロにもなる重量でも牽けるのかと試みた結果、六頭立てのシキオオカミ達は余裕の様子で楽々牽いて見せたのだった。


 シキオオカミ自身の体重がおよそ五~六十キロで、同重量は牽けると予想しても、約四百キロが適正荷重であろうと当初は考えたが、魔物というのはかくも恐ろしく、アキが検証した結果、およそ自分の体重の三倍の重量でも持ち上げてみせたというのだから、これを討伐していたのかとカオリは乾いた笑いが出たのも無理はない。

 六頭立てなら理論上一トンの荷物を運べる計算になるが、この時点で一同はこれからこの狼車が村の主戦力になると容易に想像出来たのである。

 カオリが特に気に入っているのは懸架装置の性能である。この世界では通常貴族か豪商人の馬車にしか取り付けられない機構を、今回は特別に取り付けたことで、振動を大幅に軽減出来たことはカオリにとって重要であった。ただし鉄製のバネ材は高価なため、使用したのは重ねた木板である。点検は頻繁に行わなければならないが、それを推しても導入を決意した。


 オンドールの記憶と経験から調整し、テムリの類稀なる発想力で実現したこの狼車の出来に、カオリは大満足していた。

 何より牽引装置の取り付けさえ出来れば、後は口で命じれば、シキオオカミ達が従順に従うため、誰でも利用出来ることが大きな利点となる。他の村の面々の印象も大方良好であったことで、カオリは安心した。

 だがシキオオカミの利点と本領を、カオリはまだ侮っていたのである。




 荷車の試運転と実地検証をかねて、あらゆる用途での使用を試していた数日で、カオリ達は方々かの感嘆の声を受け取ったのである。


「農耕馬の代わりになるかと思って試してみたら、強いのなんのって! 泥の中でも平気で掘り起こせるんです!」


「もうあいつらが掘った方が早くねぇか? 出て来た岩も平気で運んじまうだろ? もう俺ら休んでよくね? ね?」


「がははは! いや~楽だぜっ、いつも以上に伐採してもいっぺんに運べるし、伐採中の魔物の警戒もしなくていいしよっ」


 それぞれに、農家の娘カーラ、堀の掘削中のセルゲイ、間伐材伐採中のレオルドの談である。


「……」

「ああはい、内臓の処理も出来て、運搬も楽で、一頭をお貸しすればいいんですね? どうぞどうぞ、よければ使ってください」


 相変わらず直立不動の元狩人冒険者のカムと謎のやり取りを交わすカオリに、ロゼッタは微妙な表情で声をかける。


「カムさんは何ておっしゃったの?」

「うん? シキオオカミが森の狩猟で大活躍だから、これからも貸してほしいってさ、いや~想像以上に大活躍だね。アキも周辺の哨戒ですごく役に立つって喜んでたし、もっと早くに目をつけてればよかったね~」


 苦笑いのロゼッタを余所に、カオリは満面の笑みで応じる。

 見目も綺麗で従順なシキオオカミ達が、村人に受け入れられるのに、時間はそうかからなかった。

 一応はアキを主人とする群れであったが、他の人間の指示にも従い、ともすれば人語を正確に理解している様子を見せるシキオオカミ達は、今や各種作業に引っ張りだこであった。


 最初は餌の出費を懸念していたのが、それどころか狩猟にも役立つともなれば黒字が予想され、カオリは御満悦の様子である。

 ササキからの臨時収入もあり、急ぎでの依頼請け負いを見送ったカオリであったが、ここ数日で村の開拓が大幅に進み、計画を前倒しで行う運びとなったため、今は自宅の卓上に村の予想図を広げて、大まかな計画案を練り直している最中である。


 ただし石材がないので、出来ることといっても木材の伐採と掘削作業に限られるために、資金繰りの懸念が残るのは必然で、結局は大きな仕事を探す必要があるために、あくまで作業軽減による人員の見直しが主であった。


「いっそ水路の掘削も終わらせて、水道施設の建造と、あとは水路の石組を残すだけにしておけば、後は石工と石材の費用を稼ぐだけかな?」

「元村人の人達も、元村長さんが連れて来るんでしょ? 怪我で力仕事が出来ない人もいるらしいけど、少しは労働力を増やせるんじゃない?」

「んん~どうかなぁ、しばらくは休養してもらいたいのもあるし、今は現状ある人数で計算しておいた方が無難かなぁ、あんまり当てにして作業が遅れるのも困るし、単純労働はそれこそシキオオカミが頑張ってくれてるから、基本は農作業とか屋内で出来る手工芸に当たってもらうかなぁ」


 贅沢な悩みとはいえ、それでも増える人口に見合った労働の確保は、村社会では必要な懸案事項である。労働の平等化を疎かにすれば、開拓民同士の間で不満が溜まり、最悪争いに発展しかねないともなれば無視出来ないのだから。


「か~濡れた濡れた。カオリ、酒はあるかい? こう冷えちゃあ酒でも飲んで暖まらないと風邪引いちまうよ!」


 無遠慮に部屋に入って来たのはアイリーンである。降り続く雨に流石に長時間野外作業を続ければ、普通なら体調を悪くする心配がある中、彼女は相も変わらず堀の掘削を敢行していたのである。

 彼女はよくてもそれにつき合わされるセルゲイ達は毎日悲鳴を上げているのだ。ましてや朝夕と軍事教練も徹底しているので、どう考えても過重労働なのだから過酷に過ぎる。鬼である。

 それでも彼らが大人しく従うのは、労働後に振る舞われる酒と食事が他より多いという待遇があるためなのだが、それでもカオリは彼らを案じて、なるべく多く休息を入れるように指示し、慰労を徹底させていた。


「ちょっとっ、濡れたまま入ってこないでよ、貴女が風邪なんて引くわけないでしょ、外で身体を拭いてからにしてよね。床がびしょ濡れじゃない」

「へいへいうるさいねお嬢様は、うちの侍女なみに口五月蠅いったらないよ、今の歳からそんなんじゃ、皺が増えるよ」

「貴女って人はぁああ!」


 「まあまあ」とロゼッタを宥めるカオリは、棚から蜂蜜酒を下ろし、それを木杯に注いでアイリーンに渡す。カオリの小さな悩みが、冒険者達やセルゲイ達の酒の消費量が、予想より多いことなのだが、娯楽のないこの環境下で、彼ら彼女がそれで機嫌よく働いてくれるなら安いものだと、今は割り切って考えている。


「それにしてもカオリ、こうどかっと稼ぐ仕事はないのかい? あたしがいれば並みの魔物以上だって相手取れるんだから、いっそ深い迷宮とか、強敵の討伐依頼とか請けてみようさね。あたしゃ腕がなまってしょうがないよ」

「そうだね。狼車で移動も早いし、久しぶりに冒険者組合に行って、討伐依頼を探すか、迷宮探索の許可でももらおっかぁ」


 カオリ達の破竹の如き稼ぎを持ってしても、村の開拓資金として見れば、その場凌ぎの稼ぎにしかならない。

 普通の冒険者パーティーであれば、経費を抜いても、衣食住の環境改善や装備の一新、嗜好品に贅沢品にとパーティーで得た稼ぎはほとんどが浪費される。


 そうでなくとも将来の引退後を見越した。準備金として貯蓄に回してしまうのだ。

 カオリに自覚がない上に、ロゼッタもアイリーンも冒険者稼業はカオリと出会ってからが初めてであることと、村での生活の中で、同環境で暮らす住民や冒険者に囲まれて生活しているために、自身で浪費するという発想に至らないことで、不満が生まれないのが、倹約に大きな影響を与えていた。


 アデルやゴーシュ当たりの熟練冒険者であれば、カオリ達の資金繰りは異常に映る。

 それもそのはず。カオリ達は自分達の稼いだお金を、すべからく村の開拓資金へと考えているからである。


 ロゼッタの従者であるステラに関してのみ、別途給金を用立てているが、その他の経費、例えば食料や消耗品などは、結局全てパーティー資金として計上している。

 というのも、カオリ達は何せ、物資の消耗率が低いのに加え、村での配給で生活を送っており、また嗜好品も殊更求めることもせず。生活は清貧そのものとくれば、特別に出費が嵩む頻度を抑えていた。


 そして村の食料は現状、そのほとんどを都市での大量購入で賄っているが、穀物や塩、または香辛料や酒類が主軸で、肉や野菜類は村での狩猟と採取で補填している。

 都市で毎日外食をすることと、値引き交渉をした上で大量購入することを比べるのであれば、後者の方が格段に安く賄えるのだ。

 活動拠点を都市に移した場合、宿泊費、外食費、都市への入市税、各種施設の利用費ととにかく経費がかかるが、村で生活するのであれば、その辺りの心配がない。



 

 話は変わるが、冒険者の旨味とは何か? を論ずるとすれば、やはり実力さえあれば、一攫千金を狙えることが大きな要素となるだろう。

 カオリがこの世界での生活基盤を得るために選んだ冒険者稼業であるが、結果的に見れば確かに、十分な稼ぎを得ることができたのだから、生涯を姉弟と共に慎ましく暮らすのであれば、これほど手堅い職業選択はなかったであろうと云える。


 また多くのネット小説でも、主人公が始めに冒険者の道を選ぶ理由の大半が、未知の世界での身分証明代わりとしての、冒険者登録であることを考えれば、やはり妥当な選択だったと云える。

 世界が異なれば、冒険者の重要性も大きく変わるが、少なくとも、この世界では魔物の脅威が人間の生存圏を大きく脅かす存在であるために、その保証された身分と、そこで得られる対価は大きい。


 この世界では、魔力のあるところに魔物ありと云われるほどに、魔物は神出鬼没な存在である。

 つまり人間の支配圏の真っただ中であろうと、魔物が突然出没するということが、十分に警戒される世界なのだ。人間側も十分な備えをせねばならない。


 この世界で傭兵と冒険者は、明確に区別されている事は語っただろう。

 暮らしを豊かにしたい、だが安定した職探しはいつの時代どこの国であっても、そう上手い話は転がってはいやしない、ならば仕方なく剣を手にし、己が命を賭けて金を稼ぐしか方法がない、だが人を殺めるのは出来るだけ避けたい。

 そう考えた結果、人間を襲う魔物であれば、自身の身を守ること、苦しむ民を守ることが出来るという、大義名分を掲げられると考えれば、冒険者は手頃な職業である。


 以上の観点から、冒険者への成り手は、例年必ず一定数はあるものと結論出来る。

 貴族が領地を開拓し統治する場合、もっとも恐れるのは、民の生命を脅かす脅威の出現である。

 災害や凶作、野生動物や野盗の類、未知の疫病や経済の停滞、戦争による物資と民の消耗、もはや土地を豊かにするという一点においても、確かな情報を元に、繊細な舵取りが要求されるにも関わらず。そこへ人間を容易く捕食する。魔物の脅威が出現するなど、目も当てられない。


 国家の後ろ盾を利用し、騎士団や領軍を派遣してもらい、これらの脅威に当たってもらうのが正当な手段であり、正しき国家運営の在り方であろうが、世の中はそんなに都合よくは出来ていない。

 貴族同士の足の引っ張り合いが過熱し、最悪敵対関係になれば、これらの対応を阻害するのはまったく愚かの極みだ。


 だがそうした穴を埋めるのが、傭兵であったり、そう、冒険者であったりするのである。

 彼らであれば金さえ払えば、依頼を喜んで引き受けてくれるのだから。

 しかも常時兵を常備する経費、領民を徴兵し一から訓練を施し、装備を揃えて、毎日の衣食住を保証することなどと比べて、破格の安さで一時的に雇える上に、魔物狩を専門とする彼らであれば、その成功率も費用対効果も信頼出来るのである。


 国家権益がどうとか、敵対勢力がなにがしかとか、もはやそんな悠長なことを言っている場合ではない、それこそ伝説級のドラゴンなどが出現した場合、国が容易く亡ぼされてしまうのだ。

 そうでなくとも、大量発生した魔物の大群が暴走して、大挙して押し寄せれば、都市が滅びるなどと云った話は、往々にして存在するのだ。


 人類の生存が最優先である。


 であるならば、武功を挙げれば、人が一人、一生を遊んで暮らせる対価を保証するなど、むしろ安い買い物である。


 話を戻そう、結論として、カオリ達には実力があり、また日々の努力の賜物もあり、図らずも、新人冒険者としては、かなりの稼ぎを得ているのだ。

 その事実に気付いていないのは、村の開拓という大望を抱いたために、金銭間感覚が若干、いや大分とずれてしまった。当の本人達であることは、皮肉かもしれない。


 少なくとも、周りの冒険者達、または村の大人達は、カオリ達の在り方を、奇妙に、ともすれば非常に微笑ましく見守っているのである。

 カオリが冒険者稼業をどのように考えているかはさておいて、血塗れの金や、小賢しい金転がしで、金銭を稼ぐという手段を取らず、真っ当に己が実力で、民の平穏を守る盾となり剣となる冒険者業で、開拓資金を稼ぎ出していることを、アンリとテムリはもちろん、村の住民達はとても誇らしく感じていたのだった。


 またしがらみを避ける目的ではあるが、貴族や特定の勢力からの資金援助も、一切求めない姿勢も、非常に好感を持たれている要因となっている。

 貸しは返さねばならない、恩には報いなければならない、例え与えられたものが善意からの施しであっても、組織や勢力が絡めば、醜い諍いやしがらみとなるのは必至。

 だがそれらを一蹴し、独力で得た対価を元に、周囲と対等な立場で在り続けられるのであれば、これほど心強く誇らしい在り方はないであろう。


 カオリ達の村は元が無国籍の開拓村である。やはりその住民達には根っこの部分で、独力の生存という自負がある。

 結果的に魔物に追われて一度は滅んだ村ではあるが、今ではカオリの方針の下、かつての村と同じ在り方で、その姿を取り戻し、あまつさえかつてよりも栄えようと結束しているのである。

 これまでカオリは、忙しい冒険者稼業の中で、元村人達との対談は必要最低限に留まっているが、それでも元村人達からの信頼は非常に高く、またカーラやイゼル、セルゲイ達といった新参者達からも、全幅の信頼を得ているのだ。


 カオリの行動は、傍から見れば無償の奉仕に見えることだろう。

 異国の地にて、血の繋がらない姉弟を引き取り、彼等のために村の開拓を行い、危険な冒険者稼業に邁進する。

 誰がどう聞いても異常な奉仕活動であるが、本人にその自覚がないのは、不思議に映ろう。

 カオリのこの世界での活動目的は、とにもかくにも独力での安心と安全の確保である。

 これにはササキの助言と協力があったからこそではあるが、それを受け入れる選択をし、行動しているのは紛れもなくカオリ自身の意思である。


「村の自給率が上がれば、こうして村の開拓を私達の稼ぎに頼らなくて済むんだけど、当分先かなぁ」


 といっても、現状では食料も消耗品も建築資材も人材も、全てが王国か帝国の市場に頼っているのが現実である。


「手持ちの金のほとんどは王国連合の交金貨だろ? 帝国の皇金貨も揃えとかないと、王国貴族の邪魔立てが入れば、たちまち物資が困窮するんじゃないのかい?」

「どういこと?」


 アイリーンの言葉に、カオリは首をかしげる。


「停戦でも休戦でもないから、交金貨は帝国ではまだ使えないわよね? 冒険者組合でなら両替にも応じてくれるのではなくて?」

「あいつらは両替商に外注するだけだから、二重に手数料を取られるはずさ、そうじゃなくても、物価の変動も、貨幣価値も、商人じゃないあたしらじゃあ読みようがないさね。差額で損をするくらいなら、両方である程度の貯蓄をすべきだろう? 貴族はそういうところ上手く突いて、経済攻撃なんて日常茶飯事なんだからさ」

「んん? ああ、そっか~、同じお金でも、国が変われば使えなくて当たり前か~、すっかり忘れてたなぁ……」


 アイリーンの云わんとするところを察したカオリは、唖然とする。

 異なる価値体系を持つ通貨が二つ存在した場合、両通貨間での商取引はそれぞれの貨幣価値を合わせて取引がなされる。

 だが戦争状態にある王国と帝国では、一方の通貨が市場を席巻し、経済を操作されることを防ぐために、そもそもの流通を禁止して市場を守る必要がある。


 つまり現状のカオリ達は、王国から見れば、敵国の貨幣を持たない顧客でありながら、いつでも商取引に介入して困窮に追い込むことが可能な弱者でもあるのだ。


(貨幣経済ってやつ? 金とか銀の含有量の違いがどうこうとかいうのやつ? え~ん分かんないっ、誰か一から教えて~)


 心中で泣き事をこぼすカオリ、だが無理もない、貨幣経済に詳しい女子高生が居たら逆に見て見たいものだ。

 ここで詳しくかつ分かり易く解説を入れるのも一興であるが、それはまたの機会とする。


「帝国と王国でそれぞれ交易が出来れば、商取引で足元を見られることも、貴族の圧力にも屈さずに居られるわね。冒険者組合の利用頻度も、両国で均衡を取るべきだわ」

「そういう視点もあるのか~、貨幣の種類なんて考えても見なかったなぁ~」


 まだまだ決定的な敵対勢力と相対するほどに、社会的地位や重要性を見せていないカオリ達の村だが、将来は分からない。

 少なくとも神鋼級冒険者であるササキの後援を受けているということで、多少の注目は集めているだろうが、それが決定的な弊害に繋がっているかは不明である。


「なら今後は帝国側でも依頼を探してみる? でも帝国って王国ほど冒険者の活躍の場って少ないって話じゃなかった?」


 カオリがこれまで帝国を避けていたのは、奴隷制度を恐れてもあったが、他にも領軍による魔物狩が盛んなことによる冒険者の仕事の減少が顕著であると聞いていたからである。


「そりゃあ名前ばかりの冒険者、つまり王国でいう銅級や鉄級程度なら、領軍で十分賄えるからっていう話だからさ、その代わり銀級から上の難易度の依頼は、普通に需要があるさね」


 首をかしげるカオリに、アイリーンは補足説明を続ける。


「帝国は何せ常時どこかと戦争して来たからね。町村の年寄りでも戦いの心得があるさね。ゴブリン程度なら造作もなく退治できるのが普通なんだよ、退役軍人もその分多くて、普通の職に戻れない奴が冒険者になるのさ、ただそういう視点でみれば、帝国の方が報酬に期待出来そうさね」


 魔物狩よりも戦争需要の方が高い帝国ならではの事情である。まだ幼かったアイリーンが、冒険者ではなく傭兵業に手を出したのも、そういった背景があったからであろう。


「私達の級規制緩和が、他国の冒険者組合でも適用出来るのか、確認しないとだね。それにそろそろ活動拠点を村に登録し直しさないと駄目だろうし、一度エイマン支部に行くべきかなぁ~」

「新たな移動手段、狼車が活躍するのですねっ! テムリ様謹製の荷車を愚民共にお披露目出来る絶好の――」

「早速準備しよっか~、アキもシキオオカミと荷車の準備お願いねぇ~」


 カオリの方針に皆が頷く。




 村の開拓と、冒険者業の躍進の中、カオリは如何にして目的を成すのか。

 やるべきことは山積なれど、一つづつ、一歩づつ、歩みを止めないようにと……。


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