( 迷宮探索 )
冒険者組合が管理する迷宮への挑戦には、原則として組合の認可が必要とされる。それは迷宮という特殊な発生条件と構造に起因する。
天然の洞窟、封鎖された坑道、放棄された砦、そこに魔力溜まりが発生し、構成物質が変質し肥大と縮小を繰り返し、いつしか迷宮化と呼ばれる現象へ至り、さらに内部で魔物が生み出されることで完成する。
特徴としては、周辺環境に寄る形で特色を持ち、魔物にもその影響が顕在化する。また迷宮内の壁面や地面には、魔力を有する【魔鉱石】と呼ばれる鉱物が多分に見られ、魔物の体内から摘出される魔石と対を成すように取引されることは重要である。
魔鉱石の中には希少鉱物が多く、魔力を吸収して形状を修復する神鋼(オリハルコン)や、驚異的な硬度を誇る不滅金(アダマンタイト)なども魔鉱石の一種とされる。そのため人為的に迷宮を作り出す試みが、国家権益の闇で、日々研究されているのは自然の摂理と思えるが、表だって試みられていないのは、教会がそれを禁忌としているからだ。
迷宮は魔物を生む。人類の生存圏を脅かす邪悪な魔物を、人為的に繁殖させる行為を、教会は一様に嫌っている。過激派の中には【迷宮潰し】と呼ばれる武力勢力を保有している宗派も存在するほどだ。
だがそれでもなお、裏組織やそれらと通じている貴族達は、世間の目をかいくぐって手を染めているのは想像に難くなく、人の持つ業が如何に底なしであるかの証左であろう。
例外として、冒険者組合や国家そのものの管理下に置かれた迷宮だけが、黙認されてはいる。
だがそれは、冒険者や騎士団という潤沢な武力を、定期的に送り込み、魔物を間引き、得た魔鉱石や魔石、または魔物の素材を流通させて、人種社会に貢献しているからこそ、黙認されていた。
しかし、それらの特徴は前座に過ぎない、世界七不思議に堂々と名を連ねる【迷宮の謎】と呼称される由縁に、【迷宮の秘宝】と云われるものの存在がある。
それは手にしたものに、世界を統べる力を与えると云われており、この世界ではあまりに有名な話であった。
これには実例が存在し、比較的新しい迷宮を踏破したある冒険者が、最奥で見付けた一振りの剣を手にした瞬間、迷宮内の全ての情報が脳内を駆け巡ったという証言が、実際に残っているのである。
保有資源に正確な地形、魔物の数と出現場所、単純でありながらも、それらの情報の重要性は高く、迷宮を安全にかつ完全に管理する上で、これほど重要な情報はそのまま金貨の山と等価と云える。
またその【迷宮の秘宝】自体も、破格の性能を持つため、国によっては国宝とされるものも存在した。
だが【迷宮の秘宝】を持ち帰った瞬間に、迷宮が崩壊を始めた実例から、【迷宮の秘宝】こそ、迷宮を構成する核であると考える学説が唱えられて以降、迷宮が有する希少資源の保全の観点から、無断での【迷宮の秘宝】の奪取は禁止され、迷宮への挑戦自体も、冒険者組合や国が管理するに至った。
ロゼッタが愛読する全二十巻に渡る長編作【冒険者ヴィルの手記】に記載された一文をそらんじてみせた彼女の話を聞きながら、カオリは一路、南西の方角に進んでいた。
「へ~、不思議の塊なんだね迷宮って」
カオリは気のない素振りで相槌を打つが、決して興味がないわけではない、むしろさらなる情報を引き出せないかと苦悶していたほどである。
あまりに、そうあまりに酷似していたのだ。カオリが保有するギルドホームと迷宮がである。
(【迷宮の秘宝】ってギルド武器のことでしょ絶対、てことは何? お父さんの剣を無闇に外に持ち出したら、あのギルドホーム崩壊しちゃうの? マジ? それってヤバくない?)
カオリはロゼッタの話に相槌を打ちつつ、内心で冷や汗を禁じ得なかった。ホームに関する情報の秘匿も緊張を強いられるが、カオリのこの世界での行動理由が根底から、文字通り崩壊し兼ねない危険を感じていたからである。
ミカルド王国の国境の関所を越え、目的の集落が見えたのは、それからほどなくしてからであった。
冒険者は冒険者証さえ提示すれば、如何な国であれ通過することが基本的に許されている。地球の常識に当てはめれば、敵国の工作員やテロリストの類を警戒する都合上、破格の待遇と思えるが、それだけ魔物討伐を専門にする彼らが、人の営みに重要な存在であるのかの証左と云える。
ともすれば魔物がそれだけ脅威であるとも云えるが、今は子細は省略する。カオリにとっては通行税さえ払えば、問題なく通れることだけが重要である。
集落の恐らく正面であるだろう場所で足を止めた一行は、そこからカオリ達パーティーのみで集落内に入り、目についた人間に簡単な自己紹介と案内を頼み、元村長に面通りを請う。
集落と村を明確に分ける区分はない、強いて云うならば、人口密度や主産業の観点から、あえて分けて呼称する程度である。
村の場合、農業や林業や漁業といった第一次産業、手工業や鉄鋼業や商業といった第二次産業などの従事者が、住居を一定の箇所に集中して村組織を形成している場合を指せば間違いない。
一方集落は、それらの各種産業従事者がそれぞれの仕事場に寄る形で、同じ職分の家人同士で集中し、他の従事者達から離れて暮らしている場合と考えれば分かりやすいかもしれない。
だがそれらの集落を含めた全体を指して村と主張するものもいれば、集落ごとで名を誇るものも居るので、やはり正確な区分は存在しないと考えるべきだろう、ようは住民当人がどう認識しているかを気にかける方が平和的であると云える。
カオリ達が到着したのは、主に森林資源を管理する従事者が寄り集まった集落らしく、山菜を天日干しするための棚が並んだ採取小屋や、間伐材を乱雑においた資材置き場が散見された。
屠殺小屋が見受けられないのは、血の匂いから肉食動物や魔物が集まるのを避けるために、離れた場所に別の専業の集落があるからだろう、また加工した木材がないのも、水車を利用した製材所が別にあるからかもしれない。
これだけを見れば、カオリ達の村はこの集落に比べて発展していると思えるかもしれないが、王国と湖国という同連合国家の間にあるという立地上、むしろ人の往来はこの集落の方が多いと思われるため、物流の観点ではここの方が豊であるともとれる。
案内された作業小屋には、カオリ達の目的の人物が居た。
「これはこれはカオリ様、御久し振りですな、アンリもテムリも息災ですかな?」
旧カルタノ村の元村長は、手にした薬草類を籠に戻し、朗らかにカオリに挨拶をした。
「お久しぶりです村長さん、お仕事中でしたか?」
「いやなに、雨季で仕事がないので、昔を思い出して薬草の仕分けをしていただけさ、どうせ雨が上るまで行商も来んでな、急ぎの仕事というわけじゃない」
カオリも見覚えのある薬草類を、種類別に仕分ける作業中であったようだ。もしかしたらアンリに採取を教えたのは、意外にもこの村長だったのかもしれない、手慣れた様子が伺えた。
カオリは集落に立ち寄った理由を掻い摘んで説明する。ついでにパーティーメンバーの紹介も済ませてしまった。
「噂には聞いていた。ここは迷宮が近いこともあって、たまに冒険者も立ち寄るのでな、だがしかし……、本当に復興活動が進んでいたとは、たった三カ月でよくぞそこまで」
元村長の驚きは大きい、カオリ達がたった三人から、この短い期間で金銭を得て、さらに協力者まで作り、故郷を取り戻さんと着手してのけたその偉業に、素直な感動を覚えたからだ。
「そしてさらに、わしらに帰って来てほしいとは……な、神は本当に居るのやも知れんのう」
驚きから腰が抜けたのか、元村長は座り込んだ姿勢で黙したまま、長年農業で酷使して節くれ立ち、今や薬草の匂いが染みついた自身の掌を、じっと眺めていた。
「各地にちらばった家族は多い、中には村に入れてもらうことも出来ずに、やむなく街で傭兵紛いのことをしているものもいると聞いた。ここは比較的人の往来もあるのでな、手紙のやり取りは欠かしておらなんだが、知ることで返って不安を募らせることになってしもうた」
元村長が語る元村人達の顛末を、カオリは静かに聞いていた。愚痴のような、嘆きのような、あるいは懺悔にも聞こえる元村長の言葉は、カオリにも同情出来る内容が多分にあったのだ。
その中に、連絡の届かなかった一家があったが、それは恐らく違法奴隷として売り飛ばされた一家のことであろうと思い至り、カオリは胸を痛めた。
村を放棄したことで全員が救われたかと云えば、必ずしもそうではないと云えた。カオリとアンリとテムリは、その中でもかなり恵まれた方であるのは云うに及ばず。むしろ悪化した家族がいたことを思えば、元村長が自身の下した決断に、後悔の念を抱いていたことは察するに余りある。
「今からでも遅くはないのだとすれば、元村長の責務として、是が非でも彼らを連れ戻したい、カオリ様、どうかこの老骨に力をお貸し下さいませ」
元村長は頭を下げた。誠意のこもった老人の懇願に、カオリは様々な感情が入り混じった胸中で感じ入る。
(これが嫌なんだよねぇ、誰のせいでもないのに、誰かが苦しんだり、自分の意思ではどうしようもない力に屈したり、そのせいで責任を感じて重圧に押しつぶされたり、世の不条理っていうの? どうしようもないんだけどねぇ……)
カオリの感情を言葉で言い表すのは難しい、ややもすればただの我儘ともとれ兼ねない、身勝手な自己顕示欲か、元村人達の現状も、元を正せば魔物が村を襲ったことが発端であり、その後の進退は個人の力量か時の運によるものだ。誰が悪いかと聞かれれば、間違いなく魔物が悪いのだ。
人は当人の境遇に同情はしても、無条件で助けてくれるわけではない、誰しもが自分と自分の家族を守ることが最優先で、他人を助ける余裕を、誰もが持ち合わせているわけではないのだから、助ける方も助けられる方も、どちらが悪いかなど決められるものではないのだ。
ましてや元村長は村の、ひいては村人全員の生存を保証する立場だったのだから、共倒れすることが明白だったあの時に、彼が下した決断に自身で苦しむ必要はないのである。あれは、仕方がないことだったのだから。
「借金をしたのであればこちらで肩代わりします。支度金もこちらで補填します。受け入れてくれた村や集落に謝礼をしたいならばそれも相談に乗ります。私がほしいのは人手であり、アンリとテムリの故郷を知る人達なんです。開拓するだけなら誰でも出来ます。けど故郷を取り戻すためには、思い出を共有出来る人との絆が一番大切なんです」
カオリは一度大きく息を吸って、言葉を大切に紡ぐ。頭を下げて両腕は対揃えで、脚の踵を綺麗に並べ、爪先は相手に向ける。
「お願いするのは私の方です。私達に皆さんの力を貸して下さい」
「いい殺し文句だったね。あんた案外、貴族でもやっていけるんじゃないかい、ねえカオリ」
「な、ん、で、そんな言い方しか出来ないのよ貴女は、カオリだって真剣に言葉を選んだのよ、元村長様だってそれが分かるから」
「冗談さね」と軽口を叩いたことを非難するロゼッタを、アイリーンは笑って嗜める。正直、アイリーンはカオリと相対した時に、彼女のことを、実力をあれど人に無頓着で頑迷固陋な人物と評していた。
目的もなく自己主張が強いだけの人物に、人はついてはいかない、アイリーン自身に覚えのある自己中心的な物差しは、カオリを自身と同類であると感じていたのだ。
だがこの半月を共に行動していく中で、カオリという人物の底のなさを強く感じるようになった。知れば知るほど分からなくなる人物が居るとは想像もしたことがないアイリーンは、カオリに一層の関心を寄せることになる。
我が強く決して譲らない信念があるかと思えば、相手の意見を素直に受け入れ頭を垂れる柔軟さを持ち合わせ、容赦なく敵対者を叩きのめす冷徹さをもつと評せば、懐に入れたものに無邪気な笑顔を向ける純真無垢な少女の顔を持っている。
何かを考えているようで、何も考えていないような、隙がないように見えて、まったく隙だらけのようにも受け取れる。カオリの表情と目線の移ろいを、アイリーンはつぶさに観察していた。
「本当に、面白い娘だねぇアンタ」
「ん? 何か言いました?」
アイリーンは思わず口をついた呟きを、手を振って誤魔化す。
元村長との対話を終えた一行は、その足で迷宮へ挑む運びになった。普通は旅の疲れを一時取る休息を挟むべきだが、雨の中野営をするよりも、いっそ迷宮の中の方が腰を落ち着けると判断したからだ。
徒歩で三刻を要して辿りついたのは朽ちた寺院跡、周囲には門前街の廃墟が見受けられる。
門前街とは、大きな寺院などの宗教施設の周囲に形成された町村を指すもので、この場所がかつて、朽ちた寺院を中心に栄えていたことを表していた。
冒険者組合の資料室で調べたところによると、かつていた精強な王が遠征に赴いたおりに駐留していた時に、家臣の反乱が起きたことで寺院は焼かれ、さらには隠し通路の先でさらに待ち伏せに遭い、進退極まった末に自害した場所とされていた。
時代は古く、第二紀百七十年ごろまで遡り、今からおよそ三百年前ともなれば、如何に歴史ある建造物かが伺える。
時の王の異名は【虐殺者ミリアン】 現在のミカルド王国の前身を築き上げた人物であり、内政外政ともに賢政を敷いたことでも高く評価された人物でもある。だが武力による苛烈な政策に異を唱えた反乱分子による謀反が、彼の躍進を終わらせたことには、その是非を問う賛否両論が今もなされていることから、彼が如何に英雄視された人物であるかを物語っているだろう。
脱線した話を戻す。カオリ達は今、そんな寺院跡の中にある石門の中に居た。雨季の真っただの中、屋根も朽ち、石壁も崩れた寺院跡では、碌に火も焚けなかったためである。
「行きは逃走路の確保のために開けておくが、帰りは閉めていかねぇと、中の魔物が迷い出て来るから用心しろよ」
ゴーシュが娘達に諸注意を促す。対する四人娘はそれに銘々に返事を返す。
「普通昇級試験は助言は禁止されてるがよ、今回は特別に組合長からの許可もあって、助太刀以外は手助けしてやれる。ありえねぇ話だがよ」
一応の体裁として許可を受けた昇級試験の監督員を引き受けたゴーシュは、嘆息しつつ定型文句を述べながら、ついでに迷宮へ挑むさいの注意事項も伝えた。
出発前に【赤熱の鉄剣】から受けた臨時講習もあり、重複する内容も多分にあったが、カオリは復習のつもりで大人しく聞いていた。
「アイリーンさんは迷宮に入ったことはあるんですか?」
「いんやないね。迷宮には騎士団か冒険者じゃないと入れないだろ? あたしゃ勝手に傭兵紛いのことをしてただけだから、正式な許可は下りないさね」
カオリの問いに答えるアイリーン。
「だけど戦闘がある以上、一番槍は引き受けるよ」
そう言って彼女は先頭へ進み出る。罠の可能性もある中で、実に勇敢な姿勢と取るべきか、愚かな蛮勇と諌めるべきかカオリは一瞬逡巡するが、仮に罠があったとして、一応リーダーのカオリが矢面に立つわけにもいかず、かといって魔導士のロゼッタでは不安が残り、後はアキかアイリーンかの二択となるが、結局一番頑強であるだろうアイリーンが適していると判断し、反対意見を控える。
というよりも、アイリーンとの連帯がそもそも未経験なのだ。彼女が仲間の居る状況でどう立ち回るのかを、カオリは客観的に見る必要を感じたのが大きい。
人が三人並んで歩ける幅の石の回廊を一行は進む。アイリーンとアキが手に持つランタンの明かりだけが頼りの暗闇で、カオリはここへ来て少し高揚感を抱く。
(これぞ冒険!って感じ、ダンジョン探検が実際に出来るなんてね。ちょっとワクワクするかも)
危険な迷宮探索においては不謹慎極まりない思考ではあるが、現代日本人的には致し方ない部分でもある。実際に廃墟マニアや洞窟探検を趣味にする人種がいるくらいなのだから、そこに浪漫を求める人の性は度し難いものがあるのは事実なのだ。
少し進んで一行は開けた場所にでる。
「ありゃ、もう広いところに出たの?」
「魔力の濃度も薄いので、ここはまだ人工物の構造が残っているのでしょう、奥に行けばまた趣が変わるかと」
アキの進言にカオリはそんなものかと納得する。
「とりあえず安全確保のために、魔物の気配と罠の有無を調べよっか、迷宮化が深刻な域にまで進んでないなら、そんなに危険もなさそうだし」
「手分けして探すのかい?」
「んーん、万が一に備えて一応固まって動こう、分断されたら嫌だし、魔物がいれば強さとか特性を知りたいし」
カオリの方針に皆が頷く。
部屋をざっと見た感じでは、寺院跡と同じ様式で作られた霊安所だと予想された。荒らされた形跡が少ないのは、歴史的価値のある場所であるからか、等間隔に安置されている石棺は、蓋を開けられることなく静かに眠っている様子である。天井の高さも三メートルとゆとりがあり、アキのような長い獲物を振るものには十分な広さがある。
四人固まって動くのに支障がないため、一行はそのまま探索を続ける。中央の広間を起点に、いくつかの小部屋が設けられていることから、後で広げられたのだろうと推測された。
拍子抜けするほどに静かなため、警戒心が緩みかけたころ、一行は魔物と遭遇する。
半透明な黒光りする半液状の塊に、カオリは始めそれが何なのか一瞬理解出来なかったが、アイリーンが気付いたことで正体が判明した。
「【カリオンゼリー】だね。戦場跡にはよく居るやつさね」
名前は分かるが特性を知りたいカオリは、困り顔でロゼッタに視線を送る。
「夥しい死者が出た場所に出現する。スライム系の魔物で、表面は堅いのに内部は柔らかくて、物理攻撃が効き辛い魔物よ、ただ火に弱くて魔導士にとっては狩りやすい獲物ね。どうする? 私の魔法を試してみる?」
カオリはしばし考えて首を振る。
「ロゼの魔法は極力温存しておきたいから、まずどれぐらい物理が効き辛いかを確かめよっか、私とアイリーンさんでやってみよ」
「ガッテンだよリーダー」
アイリーンが武骨な手斧を腰から引き抜いて構え、カオリが柄に手をかけて距離を図る。
ちなみにアイリーンは複数の武器を佩いていた。右腰には片刃で鉄製の武骨な片手斧、左腰には鋭角な鉄板を並べたような戦棍 後ろ腰にはどう見てもただの粗末な鉈、背中には肉厚だが少々刃渡りの短い幅広剣の四本である。
傭兵や冒険者でもここまで多様な、だが近接に偏った組み合わせの武器を獲物にはしない。
だがとにかく防御力と膂力に任せた戦闘方法をとる彼女は、特別武器に拘りがある訳ではなく、ただ、壊れたら次の獲物を、それも壊れたら次の獲物をと、過度な消耗を繰り返している内に、沢山武器を持つに至った訳である。
初撃を仕掛けたのはアイリーンだ。
大きく振われた片手斧が、カリオンゼリーに食い込み、鈍い金属音を響かせる。続けざまにカオリの鋭い斬撃が飛び、今度は深々と柔体を斬り裂いた。
「あん、何だいあたしの斧は通さなかった癖に、カオリの剣は斬れるじゃないか、こりゃ力任せに振っても効果ないね」
アイリーンの落胆の声に、カオリは苦笑を返す。斬られたカリオンゼリーは体液を溢れさせ、次第にただの水溜りのように朽ちていった。残された赤茶けた魔石である。
「いやいや待て、何で斬れたんだ? 俺らでも相当弱らせないと剣なんざ通さない難敵だぞ? 普通は魔法か松明で炙って表面を脆くした後、中心の魔石を壊さないとすぐに再生するはずだ。いったい何がどうなってるんだ?」
困惑を浮かべて疑問を口にするゴーシュに、カオリ達は首をかしげる。そう言われても実際に倒せてしまったものを、どう説明したものか迷ったためだ。
「僭越ながら、ゴーシュ殿がおっしゃられたことは本当のようです。私の鑑定魔法でも同様の記述が見受けられましたので、カオリ様が剣技で何か特別な攻撃を試みられたと思われますが、カオリ様、後学のためにここは一つ、御教え願えませぬか」
アキの申し出にカオリは少し考える。
「んん~、無意識に魔力を込めて攻撃してたかも、後この前話した概念攻撃も関係あるかも、斬ることに集中して攻撃したもん、この魔物って火でなくても魔法なら効果あるのかな?」
カオリの釈明にアキが応える。
「魔法耐性はDなので比較的弱い部類ですね。特に弱いのが火属性でマイナス補正でしたので、表面の堅い部分を抜けさえすれば、大きくダメージを与えることは確かなようです」
「再生能力と魔石の破壊についてはどう?」
ロゼッタが続けて質問をする。
「カオリの概念攻撃って呪術系だろ? だったら治癒能力とか治癒魔法も阻害するんじゃないのかい? 後はたんに一撃で殺しきったか、偶然内部の魔石に剣が掠って、保有魔力を消し飛ばしたくらいが妥当な線さね」
「「なるほど」」
アイリーンの予測に三人娘が納得する。伊達に幼少のころより戦場育ちではない、人間も魔物も等しく戦った経験がある彼女であれば、こういった方面に知識が偏ることも自然に思えるため、具体的な予想には説得力があった。
違法奴隷騒動の後、先だってロゼッタとアキにはカオリの新技については説明をしていた。仲間内の戦力の把握は冒険者にとって必須事項である。もちろん最初は半信半疑のロゼッタであったが(アキは――以下省略)、アイリーン自身が実体験を語ったことで、彼女も納得せざるを得ず、またササキの説明を補足として付け加えたので、今はロゼッタも概要を理解していた。
だが事前に説明を受けていなかったゴーシュは、ますます混迷を極めた。
魔術的素養の比較的低い彼は、使われて厄介な魔術や、有用な魔術の情報を集めることはあっても、学術的知見から積極的に魔術を学ぶことがなかったため、一部専門用語的な言葉を交えた説明に、理解が及ばなかったのだ。
「えーとつまり、カオリちゃんが魔法剣的なアレで攻撃したから、魔法自体に弱いカリオンゼリーは、一撃でお陀仏だったってことか?」
「だいたいそれで合ってます~」
戦士系冒険者ではこれで精一杯である。ここにイスタルやオンドールが居れば、根掘り葉掘り問い質されたことだろう、その点ではゴーシュ達だったのはカオリにとっては運がよかったのである。
「あら? この魔石状態がいいわね。保有魔力も十分だし、傷一つないから、きっと高く売れるわよ、ゴーシュ様の話では魔石は破壊されることが多いのでしょ? だったらこの魔物の魔石でこの品質なら貴重ではないかしら」
「ほう?」
カオリの目が光る。
「開拓資金を当て込んでここへ来たんなら、そいつはいい話だね。数が稼げるようなら、ここはいっちょ乱獲と洒落込むかい? あぁーでも現状戦えるのはカオリとロゼだけさね。あたしゃ壁役くらいしか役に立てないね」
目に見えて肩を落とすアイリーン、彼女なりにカオリの役に立とうと考えていた手前、明らかな力不足を予想して気落ちした。
「であれば、アイリーン様は、これをお持ち下さい」
そう言ってアキが取り出したのは、一本の鶴嘴、アイリーンはそれを訝しげな眼で見やり、黙って受け取った。
「何だいこりゃ、迷宮を掘って進む気かい?」
アイリーンの冗談に、アキは真面目な表情で首を振る。
「いえ、先程から迷宮内をくまなく鑑定していたのですが、どうやら壁面の多分に魔鉱石が含有しているようですので、戦闘に参加する意味が薄いのであれば、いっそ採掘しながら進めればと愚考した次第です。私の鑑定魔法があれば、正確な位置も特定出来ますれば、十分に開拓資金の当てになるかと」
「ほうほう、そういうことなら引き受けるさね。ここはいっちょ一攫千金を狙ってみるかねっ!」
「じゃ私達は適当に進んで、また変わった魔物が出たり、迷宮の様子が大きく変わったら、その時は改めて編成し直そっか」
「「りょうかーい」」
四人娘の方針が決まり、改めて探索が再開される。
「何だこりゃ」
「諦めろゴーシュ、前もこんなだったろ?」
「いんやぁ、あの子達には毎回驚かされるねぇ」
「いっそ俺らも採集して、小遣い稼ぎするか?」
【蟲報】の一行は呆れ顔でカオリの後を追った。
そこから一行は問題なく深部を目指して進んで行く、変わったことと云えば石造りの回廊から、土が露出した洞窟に様相が変わった程度で、出現する魔物は相変わらず【カリオンゼリー】のみだった。
いや、厳密には他の魔物も居ない訳ではない、ただそれらは一様に小さく、また人間に攻撃的ではないために、無視して問題ない対象のため、言及しないだけである。
俗に【蟲系】と呼ばれる魔物がそれに当たる。
小さいものはただの昆虫程度から、大きいものでも両の掌に収まる大きさに過ぎないそれらは、確かに地球規模、日本規模で見れば巨大でおぞましい害虫であるのだろうが。
この世界では大量発生しない限りは、見た目が忌避されているぐらいで、なんら脅威ではない、駆除が容易な対象でしかないのである。
寺院の霊安所だったので、またぞろアンデット系か、いわくつきの場所ゆえに【亡者】が出現するかと身構えていたが、アイリーンの説明によると、【カリオンゼリー】は動くものを片っ端から捕食する特性があるため、アンデット系ももれなく駆逐されるという、彼らからすれば物理攻撃が効かず、逃げるという選択肢もないため、格好の獲物であるそうで、カオリは胸を撫で下ろした。
目についた魔物を即斬り捨て、数が多ければロゼッタが炎で怯ませ、またカオリが止めを刺すことで、狩りは順調に進む。
さらに魔物が駆除された安全地帯では、アイリーンが怒涛の勢いで鶴嘴を振い、零れ落ちた魔鉱石をアキがせっせと拾い集める光景が繰り返された。
そしてカオリとアキが【―時空の宝物庫―】内に大量の魔石と魔鉱石を仕舞い込み、本来では持ち切れない量を収集することが可能であったため、後方で監督していたゴーシュ達は、ただただ開いた口が塞がらなかった。
地下に居るために正確な時間が分からないカオリ達は、単純な肉体的疲労から、作業に切りをつけて休憩を挟むことにした。
「えーと、【カリオンゼリー】の体液と魔石が四十体分、【灰血晶】っていう魔鉱石が約百キロ分だっけ? 結構大量だね」
それぞれの採集物を集計した結果、およそ並みの冒険者パーティーが稼ぐ倍以上の稼ぎを集めたカオリは、ほくほく顔で発表した。
「いや~掘った掘った。何だいあんなに簡単に魔鉱石が出て来るんじゃ、いっそ鉱山夫になった方が儲かるんじゃないかい?」
「私とカオリが安全を確保したからじゃない、貴女の所為で軽く地形が変わってしまったんじゃないの?」
「体液は燃料として利用出来るのは僥倖ですね。これだけあれば当分、村で消耗する薪の消費を抑えられると思います」
一同満足のいく収穫を大いに喜びながら、さっそくカリオンゼリーの体液を着火剤に使用して火をおこし、簡単な食事を用意したカオリ達は、最初の霊安所で腰を落ちつけた。
少し離れた位置で同じように休憩するゴーシュ達も、カオリ達の収穫を盗み聞きしつつ、金策に頭を悩ませた駆け出しのころを思い出し、溜息を吐き出した。これでカオリ達が開拓事業に従事していなければ、普通なら一ヶ月は何もせずに暮らしていける稼ぎになるからだ。
だがカオリ達的には、この程度の稼ぎでは、当然目標金額には到底届きはしないことは明白である。一度、食事と睡眠を挟んだ後に、再び深部を目指すことに反対するものはいなかった。
「ここから先にはちょっとした迷路があって、その奥に【ストーンゴーレム】が出るらしいわ、一応覚えておいて」
「ほうほう、スライムの次はゴーレムですか、どんなだろ」
ロゼッタの簡単な報告を頭に入れつつ、交代で睡眠をとることおよそ六つ刻、時間にして深夜を回ったころに、一行は探索を再開する。
あらかた片付けた回廊を抜け、洞窟も通り過ぎ、辿りついたのは上に伸びる石階段であった。このまま地上に出るのかと疑問に思ったカオリだが、ロゼッタの調べたところでは、寺院自体が山の麓にあったために、恐らく山中へ繋がっているのではないかとの予想であった。
崩れた個所を注意しながら上ること小半刻、カオリはついに様相の違う区画に出たことで、気を新たに引き締めた。
一言で表すならば、地下に作られた砦といったところか、意図的に人の背よりも高く作られた両袖の舞台と、その中を頭上を気にしながら前進する他ない細道は、明らかに迎撃の用途で使われるものだろう、いく筋もある横道も、迷い込んだ敵を効率よく殺傷するための迎撃点であり、奥に行くほどに道幅が狭く作られている。
いく本目かの辻を曲がり、袋小路を引き返した後、一行は細い十字路の手前で足を止める。十字路の各角に、立ち尽くす石像が見えたからである。明らかに怪しいそれを、カオリは半笑いで見詰める。
「こういうのって、だいたい動き出すのが相場だよね? あれがロゼの言ってた【ストーンゴーレム】?」
「行ってみりゃ分かることさね」
アイリーンが臆せずに一歩を踏み出したことで、カオリの予感は的中することになる。
石が擦れ合う擦過音と共に、重厚な鎧騎士姿の石像が歩き出し、人二人分の狭い路地に、推定二メートルの石騎士が立ち塞がる。単純でありながら効果的な罠を前に、カオリは胎に力を込める。逃げることも可能だが、自分の剣が通じるのか試す必要があるかと逡巡した刹那、一歩前に出たアイリーンがさらに前に出た。
「こういうのを待ってたんだよ、あんたらは後ろから援護しな」
言伝て駆け出したアイリーンは、無手のまま石騎士に迫る。
接触と同時に鳴り響く重低音、アイリーンは突貫の勢いのまま、石騎士が構える大盾に体当たりを敢行したのだ。
推定一トンはあろうかという石像二体に、高々百数十キロのアイリーンが衝突しただけでは、普通は抗しうるはずもないと思われたが、結果は意外なものだった。
アイリーンの体当たりを受けて、二体の石像石騎士の盾に大きく亀裂が走り、石騎士は後方に体制を崩したのだ。
「どんな馬鹿力よ……」
呆れて呟いたロゼッタは、すかさず【―火線―】で石騎士の上半身を炎で焼いた。効果がないかと思われた魔法の援護であったが、燃え盛る炎は石騎士の関節部に結構なダメージを与えたようで、石騎士の反撃を食い止める役割を果たした。
「【ストーンゴーレム】の亜種で、名は【石傀儡の番兵】表面は石、中は土で、可動部は樹木で出来ているようですね。たんに頑丈なだけの木偶人形ですので、根気強く攻撃を加えれば、破壊は可能かと予測します」
遅れて鑑定魔法を使って調べた内容から、アキは石騎士の正体と特性を伝える。そうと分かれば後は応戦するのみと、カオリもアキもアイリーンに続く。
アイリーンが持ったままだった鶴嘴を振い、【石傀儡の番兵】を文字通り壊しにかかった。まだ持っていたのかと笑いながら、カオリも躍り出て、即座に背後に回る。
「名前持ちってことは中ボスか何かかな?」
「チュウボス? まあ守護者って云うのは間違いないわ、迷宮には階層ごとに守護者っていうのが居るらしくて、それを倒せば次の階層へ抜けられるそうだから」
炎が効くと分かったロゼッタは、ここぞとばかりに魔法で応戦する。間接を狙い、動きを鈍らせてからのアイリーンの鶴嘴の一撃に、【石傀儡の番兵】は成す術なく破壊されていく、カオリも負けじと刀で膝裏の木肌を斬りつける。
苦し紛れの石槍での反撃も、アイリーンの分厚い装甲に弾かれ、【石傀儡の番兵】はほどなくして崩れ落ちた。
動きを止めた【石傀儡の番兵】を前に、アイリーンは手に持った鶴嘴をそのまま【石傀儡の番兵】の胸部に突き入れ、胴体を破壊した後、中にある魔石を無造作に取り出す。
「お? こいつぁ魔導核だね。てことはこりゃ人が作ったゴーレムが、そのまま魔物化した類のもんで、迷宮がそれを模倣した魔物ってことになるね」
「魔導核ってなんですか? 普通の魔石と違うんです?」
聞き慣れない名称に問いを呈するカオリに、アイリーンは手に持つ魔導核を放ってよこし、カオリはそれを受け取る。
「何これ? 魔法陣が刻まれてる?」
歪な形状の魔石には、よくある魔法陣が刻まれていた。この世界には魔法陣を描くための専門学で、通称【陣術学】が存在し、その発展に【召喚術学】や【付加術学】などがあり、各国の魔法の専門学園ではその基礎として【陣術学】を学ばせることが多い。
もちろんそんなことは知らないカオリでは、刻まれた魔法陣がどのようなものかは判別することは出来ないため、ただたんに模様が刻まれた魔石であるとしか分からなかった。
「見せて、……うん間違いなく【魔導工学】で使われる陣のものね。ただ随分と古い形式のものだから、このまま売っても普通の魔石分の金額にしかならないわ」
「おおロゼ、あんた学園に行ってないのに、陣の種類なんてわかるのかい?」
ロゼッタが披露した魔導知識に、大げさに感心するアイリーンを、ロゼッタは冷めた目で見据える。
「だからこそ勉強を収めて、お父様を説得する材料にしたんじゃない、学園に行かなくても優秀な学力を身につけられるって証明するためにね」
「流石お嬢様っ、逆方向に真面目なこって」
「貴女もれっきとしたお嬢様のはずよね?」
お互いに皮肉を交えた応酬の中、カオリは静かに魔導核を見詰めていた。次いで崩れ落ちたゴーレムに視線を向ける。
「ねぇアキ、このゴーレムって開拓で使えないかな」
カオリの質問にアキは真剣な表情で応じる。
「十分に戦力になるかと、ただし魔力量の関係で、直接操作では返って人手を無駄にしかねませんので、自律型でかつ相応の魔力保有量の魔導核を用意する必要があるかもしれません」
「作ること自体は可能?」
「……私めは【―式神行使―】のスキルを持っておりますし、簡単なものであれば作成も操作も可能ではありますが、土木工事用とお考えであれば、それなりの大きさと強度、また自律回路の構築の観点から、現状は難しいとお答えするしかありません、――御役に立てずに申し訳ありませんっ!」
素直に自身の能力不足を謝罪するアキに、カオリは笑顔で受け入れる。元より思い付きで聞いてみただけなので、将来的には可能であることが分かっただけでも希望があるのだ。
「この先も、こんな感じの敵しか居ないのかな、ロゼ」
「いいえ、この区画を抜ければ、次はまた玄室があるそうで、そこが最奥になるわ、出現する魔物も種類が増えて、小型の【ストーンゴーレム】とか、昆虫系の【ミスリルフィッシュ】、後は【ウォータスライム】が出るくらいだそうよ、不思議よね。深い階層の方が弱い魔物が出るなんて」
「弱いの?」
単純な疑問に二人揃って首をかしげる。
「何だっていいさね。さっさと稼げるだけ稼いで、村に帰るんだろ? 弱いならとっとと攻略しちまえばいい」
アイリーンの言うことももっともだ。ここまででおよそ丸一日、そろそろ狭所にも辟易してきたこともあり、カオリは深く考えることを止めて進み出す。
石の迷路を進んだ先で、今まで通った道を見下ろせる位置まで上ることになり、カオリはこの迷路がおおよそ螺旋状になっていたことに少し感慨を抱きつつ、先に進む。
迷路を抜ければ、次は長い石回廊が続いていた。
苔むした石畳に、壁面も石積みで整えられた回廊は、風もなく、温度差も感じない、不可思議な雰囲気を醸し出していた。
脇道はないが、歪に曲がりくねった回廊は真っ直ぐでもない、ここも前の区画同様に、迎撃目的で作り込まれた構造であるようだ。
角を曲がる度に神経を擦り減らされる作りに、カオリは辟易としながら、慎重に進んでゆく。
幾つめかの角をまがり、警戒していた対象と鉢合う、次なる魔物の出現である。
先の【石傀儡の番兵】を一回り小さくした石の兵士が五体が、カオリ達の姿に反応して、緩慢な動きで戦闘態勢に入ったのを受けて、カオリ達も戦闘態勢で迎える。
「さっきのちっちゃいヤツ?」
「一応名つきの【石傀儡の衛兵】とのこと、レベルは先よりも低い雑兵です。ただこの先に数が居ると予想されるので、それをご考慮下さい」
中盾と短槍を持った石兵達は、横一列の隊列を組み、足並みを揃えて前進を開始する。
「でかいのの次は、数で押すってかい、だがこの程度の数じゃあ、新兵の訓練にもなりゃしないよっ」
強気なアイリーンは敵の隊列なぞものともせずに、再び鶴嘴を片手に突撃を刊行する。
二体の盾に同時に体当たりをかまして、隊列が乱れた僅かな隙間に、カオリは身体を滑り込ませて、石兵達の後方へ回り込んだ。
「一抜けたっ!」
振り向き様に一体の膝裏に一太刀を浴びせる。
「構造が同じなら間接部に火が効くはず」
ロゼッタの火線が横薙ぎに石兵達の足を焼く、数が増えても戦法は同じだ。後は乱戦に注意して立ち回るだけだ。
石兵達は盾を構えたまま、石の槍を突き出して攻撃を行ってくる。緩慢な動きのわりに鋭い突きに、皆慎重に応戦する。
アイリーンだけは鎧の頑強さ任せて、強引に距離を詰め、とにかく前へ、隊列を乱しにかかる。
「もうどっちがゴーレムか、分かんない戦い方ですねっ」
アイリーンの勇猛と鉄壁さ加減に、カオリは思わず笑ってしまう。
彼女の鎧の、特に要所の鉄板の厚みは、通常の甲冑のゆうに三倍はある。並みの武器ではへこむことすらないその頑強さは、もはや前進が盾であり、鈍器になりうる。
頑丈なはずの石兵ですらが、彼女の前では動きの鈍い木偶人形に成り下がる状況である。
アイリーンがパーティーに参加したことで、カオリ達の戦闘の安定は格段に上ったといってよいだろう。
元が攻撃特化の編成だったのだから、壁役が加わるだけで、危険な状況はかなり軽減される。
しかもアイリーンはその鉄壁をそのまま攻勢に転換し、守りながら攻撃を地でいく戦法を取るのだから、今回の戦闘でカオリ達の殲滅力と突破力は、熟練冒険者パーティーにも引けを取らない域に達した。
「おっと危ない」
石兵が盾による強打を放って来たのを、カオリは余裕をもって、上体の動きだけで躱す。
続け様に突き出された槍も、横にずれて避け、ついでに斬り上げで腕の関節を器用に斬り付ける。
そこで唐突に、背後からの豪快な鶴嘴の一撃が、石兵を脳天からカチ割る。
カオリとアキが遊撃で隊列を乱し、ロゼッタが魔法で牽制、止めをアイリーンが文字通り鶴嘴で刺してゆくことで戦闘は終了した。
時間にしてものの五分といったところか、その後も同様の陣容で問題なく処理してゆく、戦闘自体は危なげなくこなしているが、閉所での長時間の行動、連戦しながらの移動に、見えない疲弊が積み重なる。
回廊の終わりの手前での戦闘で、十体の石兵を相手に立ち回り、カオリ達はようやく最奥の間に辿りつく。
大きな石の門を、アイリーンが一人で開け、カオリとアキがすかさず中に滑り込み、中の安全確認を済ませる。
「玉座の間?」
大きく開けた部屋は正方形で、天井を支える太い列柱が印象的な部屋であった。
「彫刻に見覚えがあるわ、第一紀の神殿彫刻に見る。繁栄と女神を象ったものよ、この寺院が第一紀のミッドガルド朝の治世に建てられたもので、間違いないようね」
ロゼッタの歴史考察により、おぼろげに寺院の古さを認識するカオリは、部屋の最奥の玉座を注視する。
「仏様かな? もしかしてボスってこともある?」
視線の先には、玉座に深く腰掛ける甲冑だった。
「……いえ、ただの屍のようです。部屋の魔素も、先の迷路や回廊の方が濃かったので、恐らくこの部屋は迷宮化の影響を、ほとんど受けていないのではないでしょうか?」
アキの鑑定魔法による解説も、詳細な情報を示す。
「ほ~ん、ていうことは、やっこさんが彼の有名な【虐殺者ミリアン】ってことかい、死体がそのまま残ってるなんてね。もう何百年前から残ってるんだか」
アイリーンが無造作に近付き、仏に危険がないかを確認する。
その間ロゼッタは部屋の様式や彫刻などを見回し、知識と繋ぎ合わせてゆく、そこは流石に貴族の令嬢である。また考古学や神学を真摯に学んだからこその優秀さと云えるだろう。
「カオリ様、この金の杯、鑑定しましたが名称つきです」
「え? 何? どれどれ」
アキが指すのは仏の膝の上に置かれた。金色の杯だった。ただの食器かと思われたそれに、カオリは注視する。
「名称が【聖人の毒杯】となっております。これはもしや【迷宮の秘宝】なのでは?」
言われてカオリはおもむろに持ってみる。
そして、掴んだ瞬間、杯の内側に魔法陣が出現し、カオリの脳内に迷宮内の情報が展開した。
「おお! ええ~と【―楽園の采配―】」
本当の思い付きからの行動であったが、どうやらカオリは当たりを引いたらしい、先まで脳内を駆け巡っていた乱雑とした情報が、今度は眼前に展開されたウィンドウに整理されて羅列している。
次にカオリ達のギルドホームと同じ要領で操作を試みてみるが、今度は上手く操作が出来なかった。あくまでも閲覧専用であるらしく、カオリは特に落胆もなく情報を読み取る作業に移る。
「恐らくですが、選定をしておらず、所有者でもないので、操作機能が使えないのでしょう、……これではっきりしましたね」
アキは小声でカオリに囁き、カオリは静かに頷いた。
「【虐殺者ミリアン】の最後は、毒杯による自害だったそうね。遠征途上のこの寺院が、地下砦を有していたことを知っていて、駐留していた所を、謀反した家臣団に追われて、この地下砦に追い詰められた。最後まで従っていた騎士団も全滅、ミリアンは一人、ここで王として、最期は毒杯を煽りその覇業を終えた」
ロゼッタが歴史の知識と、現場の状況を照らし合わせて解釈を述べた。
「全滅した騎士団の魔物が見えなかったのは、手前の霊安所で一網打尽にされ、死体も処理されたからでしょう、ロゼッタ様のお話を聞く限り、戦乱の世では死体から剥いだ甲冑も武器も、貴重な物資な筈です。その為腐敗した遺体は【カリオンゼリー】に変じたのでしょう」
アキも鑑定情報を照合して意見を述べる。
「迷路のゴーレム達は、誰が作ったの?」
これにはロゼッタが答える。
「アレの模した武装は、教会の神殿騎士に近い装備だったわ、恐らくこの寺院を管理していた教会側が、霊廟を守護する目的で作ったゴーレムだったのでしょうね」
寺院と霊安所にも関わらず。アンデッド系の魔物が居なかった理由が語られる。
「カオリ様、【聖人の毒杯】に浮かんだ陣と、そこに刻まれた文字を複写しました」
アキが先程から何やら作業していたのは、横目で確認していたカオリだが、そう言われても陣学もこの世界の文字にも詳しくないため、困った表情で、複写された紙を受け取る。
ロゼッタがその紙を横から読み取り、なにやら納得顔で頷いた。
「『王たりとて是非に及ばず。血河覇道に悔いは無し』――学会の定説として、戦乱の世の王である以上、戦争に明け暮れるのは避けようもない、ゆえに善悪を論じても仕方がない、そして血塗られた生涯を、彼は最期まで後悔しなかった。と解釈されているそうよ」
「潔い、気高い最期じゃないか、確かこの王様はレイド人だった筈だろ? 赤髪赤目でロゼのご先祖様さね。何か裏話とかないのかい?」
アイリーンは表情にからかいの色を乗せて、ロゼッタに質問を投げかける。
「……血縁関係はないわ、彼の王は結局子を設けなかったから、それに私の一族は後に、ミカルド王家に仕えるのだから、少なくとも私は【虐殺者ミリアン】の秘話も資料も見たことはないわよ」
歴史上では暴君と謗られることの多い人物である。その王と同じ人種であることを揶揄されることも、恐らくあるのだろうことを、分かり易く皮肉ったアイリーンに、ロゼッタは表情を引き攣らせながら、なんとか一般論で受け流す。
「あ、ロゼってロランド人? じゃなかったんだ。てっきり王国人だから、ちょっと色素が紅いだけの、同じ人種なのかと思ってた」
「……今更ね」
カオリの言葉で場が一気に白けたところで、迷宮の考察に一段落をつけ、一行はこの玉座の間にて、食事と睡眠休憩を挟むことにした。
「まさかあの石の迷路が最奥で、三階層目にも出口があったなんてね。通りで三階層目の魔物が弱いわけだよ、階層的には低い階層になるんだから」
結局あれからもう一日を費やして、カオリ達は現在、寺院跡を見下ろす断崖の石門の外に居た。
普通に歩いて登れば、標高およそ三百メートルの急峻な山である。途中からの険しい崖に阻まれ、断念せざるを得ないであろうその山頂付近に出るために、こうして山の中を通る洞窟が掘られたのだろう。
そこに魔力溜まりが生じ、迷宮化したのが、この寺院跡の迷宮の真相であった。
三日振りの外は、まだ雨が降っていたが、標高が高いためか、雨よりも霧の方が濃いため、雨を避けても身体が濡れるのは避けられない。
折角の外だというのに、達成感は服が肌に張りつく不快感で相殺される。若干の疲弊感に、カオリは溜息を吐く。
「『主の慈悲を請いしもの、汝祈りの真髄に至りて、殉教に甘んじらば、主欲するが無窮の愛、継ぐ詩の已むなきなり、汝主命は先人の道戻りて、子と共に天仰ぐ唱歌継ぐことなり』」
「ん? どうしたのロゼ」
ロゼッタが突然詠み上げた言葉に、カオリが反応する。
「聖人が残した救済の詩ね。世を嘆いて殉教する聖職者を、何とか押し留めようと、子供達に神を讃える詩を教えなさいっていう、願いが詠われているわ」
ロゼッタが見ているのは、石門の外縁に彫り込まれた文字であるようだ。
「まあ確かに自殺するにはいい高ささね。それにしてもロゼ、あんたよくそれが読めたね。それ、旧ユニル文字だろ? レイド系のあんたにゃ接する機会はないはずさね」
「そんなことないわよ、旧約聖書は当時の文字で書かれていて、原文は旧ユニル文字で書かれているんだから、敬虔な大六神教徒で、女神エリュフィール様を特に信仰している私は、当然勉強しているに決まっているでしょ?」
「げぇ、あんた原文まで読んだのかい? 下手な司祭より真面目じゃないか、あたしゃ新約でも放り投げたのに」
ロゼッタが溜息を吐く、信仰の度合いは人によって様々である。実家の家格も気にせずに戦場へ飛び出すような、御転婆が過ぎるアイリーンと、今更信仰について議論する気も起きないのは当然で、彼女は即座に諦めたのである。
「迷宮の情報と一致するね。アンデットが居ないのも、安置されているのが聖人様とか殉教者なら、禍根も生への渇望もないわけだから、当たり前っちゃ当たり前か、出て来た魔物も、遺体を守るゴーレムと、聖遺物を食べちゃう紙魚のお化けに、魔力を吸った血や水の濃縮還元絞りたて生物なのがいい証拠だよ」
カオリが閲覧した情報と照らし合わせ、いくつか考察しながらの攻略で、どうやらここで没した古代の王【虐殺者ミリアン】の自害は、寺院が迷宮化する切っ掛けに過ぎなかったと予想した。
「何にせよこれで迷宮は攻略完了、予定より早く終わったから、どうする? 第一階層でもう一回荒稼ぎしてみる?」
「もうだいぶんと片付けたから、無理じゃないかしら、あの【遠見の監視塔】と違って、ここは準自然発生した迷宮だから、魔物も魔鉱石も、また同じ量の数まで増えるのに、当分はかかると思うわよ?」
「あ、そうなんだ。そう上手くはいかないもんだね」
カオリは心底残念そうに眩しい空を見上げる。
「あのな? どうして迷宮の謎まで解明しちゃうわけ? 普通迷宮探索は魔物の討伐とある程度の採集だけで終わるもんで、昇級試験では生存率の査定以上は求められていなんだぞ? ここまで探索と調査をするのは魔導士組合か騎士団の領分で、合格基準なんてとうに超えて、もう専属調査員レベルの仕事振りで、もう俺達監督員はカオリちゃん達をどの立場で査定すればいいわけ?」
ここまで黙ってついて来たゴーシュが、やっとの想いで絞り出した嘆きを口にする。
出現する魔物は笑いながら狩尽くし、資源は根こそぎ掘り出して、あまつさえ新人なら見落とすであろう【迷宮の秘宝】を発見するに飽き足らず、謎の鑑定魔法で情報の精査までやってのけ、それでも足りぬと歴史考察と碑文の解読まで片手間でやってのけたのだ。
冒険者組合が長年の調査でかき集めた情報を、カオリ達はたったの三日で完遂してしまったのだ。
カオリの類稀な技術と謎の魔術行使、アキの破格の鑑定魔法、ロゼッタの魔法知識と歴史分野の教養、アイリーンの圧倒的な強さと体力が成せる採掘量、国境を超えた才能溢れる才女で構成された新米冒険者パーティーは、もはや熟練冒険者に匹敵する能力を示したのだった。
「諦めろゴーシュ、もう分かってたことだろ?」
「いんやぁ、この子達には毎回驚かされるねぇ」
「いっそ俺らがこの子らに、昇級試験を見てもらうか?」
「おかしいだろ……」と一人の熟練冒険者の呟きが、寺院跡を見下ろす絶景の空に、虚しく消えていった。