( 雨天休日 )
少女は窓の外に視線を向けながら、窓枠に跳ねた水滴を指で拭う。
硝子が貴重なこの世界において、村規模の住居では窓といっても簡素なもので、木板で開閉出来るようにしただけのただの換気口である。
今は棒で板を持ち上げ、引っかけて開け放っているので、風向きによっては雨が部屋に入り込んでしまう状態である。
「この、地域にも、雨季ってあるんだね~、雨のせいで朝から髪がごわごわだよ~」
「カオリお姉ちゃんの髪、しっかりしてるもんね。ちょっと待ってね。朝食が済んだら櫛で梳いてあげるから」
危うくこの世界と口走りかけて言い淀んだカオリは、高い湿度と雨天特有の冷たい空気を吸い込み、溜息と共に吐き出した。
「雨季ってどれぐらい続くの?」
「だいたい二~三週間くらいかな~、雨季が過ぎれば夏季で、このあたりでも日中は汗ばむくらいだよ、カオリお姉ちゃん」
カオリの呟きに反応したのは、姉のアンリである。カオリよりも早く起床し、今は朝食の準備をしていた。
異世界に召喚されてからおよそ三カ月強、日本の暦で云えば六月下旬のころか、今日まで来るのに相次ぐ騒動と活動に忙殺されていたことで、カオリはそもそもこの世界の暦や季節というものをすっかり失念していたことを、先日ようやく自覚したのである。
そのため急遽大人衆を呼び止めて、恥を忍んで教えを請うたのは、ほんの昨日のことだった。
一年が三百六十五日だったことは僥倖であった。であるならば季節の移り変わりも、地球と大差がないと予想出来たからである。ただし暦上の名称などは違ったため、再び記憶力を試されることとなった。
明星の月、白明の月、萌芽の月、開花の月、散華の月、紅涙の月、旅路の月、蒼愁の月、穂抱の月、薪注の月、黄昏の月、降星の月、誰が定めたのか今では不明の各月の呼称を覚えた。
大六神教を国教と定める王国と帝国でも共通であるのは自明であるが、異教徒とされる亜人国家群でも同様の暦が使用されていることで、学者達の間では創世記に神々が定めた教えであると唱えるのが通説である。
次に週間も七日を一区切りとする。
月、火、水、木、風、土、光、と少し違いがあるが、これは魔力の元素を元にしているらしく、月は暗に闇属性を指していると教わった。
「今は、紅涙の月――二十日の月曜日、私がアンリと出会った日が萌芽の月の中旬だから、もう三カ月以上経ってるんだなぁ……」
思い出すのはこれまでの激動の日々と、多くの人々との出会いである。
「紅涙って云うのは女性が流す涙って意味で、女神エリュフィール様が荒廃した大地を嘆かれて、涙を流されたことが由来だってお父さんが教えてくれたんだよ」
「へ~、ということは、他の月も神様が関係してるのかなぁ」
アンリが語る父との思い出に相槌を打ちつつ、カオリの脳裏に浮かぶ日本の家族や友人達の姿に、少し胸の内から込み上げる想いを、カオリは冷たい空気で冷やす。
アンリの前で泣くことをよしとせず、心に秘めるように、ともすれば大切に仕舞い込むように、カオリはアンリに笑みを向ける。
「開拓団の大工さん達が帰っても、今は冒険者さん達も、元村人の人達も居て、少し賑やかになったよねぁ~」
「カオリお姉ちゃんの御蔭だよ、でもこれからどうするの? 雨季のせいで今はほとんどの人がお休みだけど」
降り続く雨は如何ともし難く、魔物狩も採取も狩猟も活動を休止中である。冒険者達も一時的に集合住宅に集まって、銘々に暇を潰していることだろう、だが活動を休止していても、食料や薪といたった物資は消費するもので、雨季が過ぎれば一層の稼ぎを見繕わなければならない。
「まあ川の水と周辺の測量と、魔物の活動の観測は必要だから、何もしないわけじゃないけど、でも森はカムさんが一人で観測も狩猟もこなしてくれてるし、測量も素人の私だけじゃ出来ないし、とりあえずアデルさん達に相談しないとなぁ~」
カオリがそう言った直後、アキがテムリをともなって帰宅した。
「カオリ様、ただ今帰りました」
「ただいまっ、カオリ姉え、アンリ姉え」
「二人ともありがとね~」とカオリは返す。二人がおこなったのは、主に続く雨の影響を受ける木材の保管状況の確認である。
森林の木々も群生し過ぎれば、生い茂る葉に日光が遮られ、下草の育成を妨げることになり、結果的に森を荒れさせる原因になることがある。それを防ぐ意味もあり、材木の確保の観点からも、アデルとレオルドには間伐材の間引きもお願いしていた。
だが木材は切ってすぐに建材や薪に使えるわけではなく、一定期間乾燥させる必要があり、大工のトンヤに頼んで角材にした後、現在は荷役台(運搬用のパレットと同義)の上に交互に積み上げ、村の隅に放置していたのだ。
しかし天然乾燥と云えど、長期に渡って雨に当たれば腐ってしまうことも予想され、仕方なく野営用の天幕を幌代わりに被せていた。ちなみに使用された天幕は撃退した野盗集団からせしめたもので、今回は折りよく余っていたので流用していた。
「乾燥中の間伐木材と、薪の保管状況の確認をしてまいりましたが、ともに問題ないと判断出来ます。しかし湿度が高く、倉庫内の食材が今後痛むことは止めようがありませんので、魔法による対策を講じた方がよろしいかと」
「魔法で対策? 何か出来るの?」
食料のことについては、薪の確認のついでに見たのだろうとカオリは当たりをつけたので、一連の報告の最後にされた提案に、カオリは疑問を投げかける。
「火魔法は湿度を下げ、薪を乾燥させることが出来ますが、同時に高温による食材の腐食を促しますので、イスタル殿の氷魔法なら一石二鳥かと愚考します」
「へ~、あれって空気中の水分を冷却して発現してたんだ」
「いえ、火魔法の熱と同様に、発現時に生じる冷気の影響が周囲の水気にも波及するだけなので、劇的な効果はないかと」
「ありゃ、やっぱり違うんだ。でもそうだよね。酸素のない場所で火が出ないなら、火魔法は発火現象が起きてることになるけど、そうなると氷魔法はどうやって大量の氷を生み出すんだって話になるよね。でも魔法が無から有を創り出すなら、いつか魔法で気候まで変わっちゃうよね? そこらへんどうなってるんだろ、アデルさん達に聞いてみよっか」
その言葉にアキは何色を示す。
「無知蒙昧な連中に、下手に科学的、魔術的知見を披露すれば、またぞろ異端騒ぎに発展するかと予想されます。カオリ様、あまり明朗快活によって誰彼構わず言を発されることは控えるべきかと、御知りになるのであれば、私めかササキ様に御聞き下さい」
「おおっと、そっか、気をつけるよ」
アキが頭を下げて注進への謝辞を示す。
「カオリお姉ちゃんもアキお姉ちゃんも、本当に頭がいいなぁ、私お姉ちゃん達が話してることが、さっぱり分からないよ」
「姉ちゃん達すげぇ! 俺も勉強がんばる!」
「そうだね~、私も知らないことばっかりだし、一緒に勉強いっぱいしようねぇ~」
姉弟との平穏なやり取りに、カオリは心を暖める。
カオリはそれから軽い朝食を済ませ、冒険者達が居る集合住宅へ足を運んだ。閑散とした村の様子に未だ不釣り合いなその建物を見るたびに、カオリは誇らしく感じる。
丈夫に設えた観音扉を開け、中央の暖炉で暖められた広間を見渡し、目的の人物達を見付ける。
「おはよう御座います~」
「おう、カオリちゃん、おはようさん」
手を上げて応えたのレオルドで、他の面々も続けて挨拶を返す。
「セルゲイさん達はどこへ?」
広間に居ないものの姿を探して視線を巡らせるカオリ、探しているのは元野盗のセルゲイ一行である。雨季の影響で集合住宅に避難した冒険者達と違い、彼らは未だ皆と一定の距離をおいたつき合いをしている。そのため今回のような一つ屋根の下に集う場合、彼らはどうしているのかと気になったからだ。
「いやなに、アイリーン嬢が来てからというもの、彼らも一層従順になってね。今日も彼女主導の教練のついでに、村を囲む空堀の掘削に駆り出されているはずだ。塹壕掘削のいい訓練になるとか言っていたので、今も作業中だと思うが」
「この雨でですか? 鬼教官ですね~」
呆れて呟くカオリに、オンドールは肩を竦めてみせる。
セルゲイ達が元帝国兵だと聞かされたアイリーンは、以降喜び勇んで彼らの面倒を見ていた。村の開拓業での単純労働に従事していたセルゲイ達だが、アイリーンはそこへ連携訓練を追加で課し、日々彼らをしごき上げていたのだ。鬼である。
「まあ彼らも行軍に続く工兵には経験もあろう、これで心身共に鍛えられれば、意識の改善も遠くなかろう、元々カオリ君へは忠節を通していたのだ。もう彼らが野盗に戻る可能性は低かろう」
ふむふむと頷くカオリ、アイリーンが加入したことで一時はどうなるかと思ったが、セルゲイという実質的な手駒を得た彼女が、開拓に大きく貢献出来ることが証明され、カオリは安堵した。
「なら今日は水利の測量と、アイリーンさん達の視察がしたいので、すいませんがオンドールさんにつき合ってもらっていいですか? 後イスタルさんにはアキから相談があるので、後でアキの話を聞いていただけますか?」
「ああ構わないとも」
「ええ了解しました」
二人の返事を受けて、カオリは早速身支度をする。
こんな雨の日のために揃えていた雨具を被るカオリ、獣のなめし革に油を塗付した外套は、水を弾く効果に優れている。また自身の革長靴にも油を塗り、これで少々の雨でも身体を濡らす心配はなくなる。
なにぶん今の村は、野原に家屋を建てただけで道らしい道もないのが現状だ。足元はぬかるみ、泥は跳ねて足元を汚すのだ。
一旦は砂利道で水捌けを改善し、いつかは石畳を敷きつめて、馬車が往来しても問題ない環境を目指したいとカオリは想う。
一旦家に帰ったために、オンドールとは村の入り口で待ち合わせた。カオリと同じ様な装いでも、長身で鍛え上げられた壮年の男の佇まいは様になっている。
二人が足を運んだのは村の南方、なだらかな傾斜にある村から見て、下方に当たる方角で、今はアイリーン達が作業中の場所である。近付けば覇気のあるかけ声が聞こえて来る。
「おうカオリ! 視察かい? こっちは順調さね。ただ事前に旦那に確認していたけど、水抜きの位置はここでいいのかい?」
「あ、はい、計画書を確認しましたけど、そこで間違いないです。深さも問題なさそうですし、ありがとう御座います」
何故か甲冑を着込んだままの姿で、手には鋤を持って堀の中に立つアイリーンに、カオリは感謝の言葉を贈る。
戦闘狂の印象が強かったアイリーンであるが、流石は従軍経験が豊富な彼女は、工兵紛いの単純労働にも嫌な顔一つせず。自ら進んで掘削作業に当たっていたのだ。
曰く、戦いの基本は築城や布陣、または練兵や兵站といった事前準備こそが肝であり、これを疎かにすることは、つまり勝ちを捨てる行為であるとうことであった。
背後が盤石であるからこそ、後顧の憂いなく眼前の敵に集中出来るのだと云う。
「戦闘狂っていうより、戦争屋って感じですね~、アイリーンさんは」
と言ったカオリに。
「言い得て妙っ、上手い表現だね!」
とアイリーンはなにが面白いのか破顔したのは昨日のことである。
そんな村の防衛に意欲的なアイリーンに巻き込まれたのが、同じ帝国民であり領兵の経歴を持つセルゲイ達だったのは必然であったのだろう。
村の計画案を纏め、俯瞰図におこしたのはオンドールである。カオリでは細かな構造を図面におこす知識がなかったためだ。
元騎士である彼ならば、ある程度の事務仕事もこなすのが普通である。特にオンドールは真面目な性格から、かつての主から相談役や代行としての執務を任された経験も豊富だ。頼れるおっさんだ。
「あたしは領地開拓は経験がないからね。案外これも悪くないさね。兵の訓練にも持って来いだしね。ただ人力での作業じゃ限界があるさね。もっと人の確保は出来ないのかい? この調子じゃあ村を囲むのに一月はかかっちまう」
「一月で出来るか! 一日中やらせる気かよっ、死んじまうよ!」
アイリーンの予測を否定するのは、絶賛作業中のセルゲイである。全身を泥だらけにして、手には円匙(スコップまたはシャベルの意)を持ち、懸命に土をかき出していた。
「何でセルゲイさん達まで鎧を着込んでるんです? 重くありません?」
「何だい、あたしはいいのかい、戦場じゃ非武装は命取りさね。いつなんどきも敵の襲撃に備えるのは常識だろう?」
「カオリ嬢もっと言ってくれ! このイカレ令嬢様は、そのなりで俺らの倍は作業してるのに、息一つ乱さねぇで俺らのケツを叩きまくるんだぜ! こっちはもう限界だってのに!」
「これっぽっちでへこたれんじゃないよ! 何だいでかいのは口だけかい、情けないねぇ!」
いまだ不満を叫ぶセルゲイに、アイリーンは渇を入れる。およそ通常の板金鎧が三十~四十キロで、鎖帷子を合わせれば五十キロを超える重量となる。高位貴族が揃える一流の板金加工技術を駆使した甲冑であれば、重量も二十キロ近くまで軽量化が出来るが、今アイリーンが着ている甲冑は大げさな鉄板を雑に繋げただけの原始的なものである。オンドールの目測では、七十~八十キロはあると聞かされていれば、それで掘削作業を続けている彼女が、如何に異常であるかが伺えよう。
「まあ、ほどほどにしておいてあげて下さいね。後でアンリに差し入れを持って来させますので」
「おお悪いね。ならもうちょい作業を続けるかね。ほらあんた達っ、手を休めるんじゃないよ! 敵はこっちの陣拵えを待っちゃくれないよ!」
「ここは戦場じゃねぇだろ! くそったれぇっ!」
セルゲイの虚しい慟哭が雨音に消されていく。
堀には種類がある。――あり過ぎて全てを説明する気が失せるほどであるので、カオリ達の村に限定すれば、将来的に水を循環させることを見越した空掘りであり、さらには村の水利を図るための手始めである。
仮に上流から水を引き、村の中に上水を張り巡らせた場合、少しの誤差で流れが悪くなり、水があふれて地質や衛生面に多大な悪影響を及ぼすことが懸念される。
そこで一定量を超えた水は外へ排出される道を作り、最終的には川の下流に流す機構が望まれる。もちろん汚水を垂れ流せば周辺および、下流の都市での水質問題に発展するため、上水と下水を分け、汚水に関しては浄水機構を同時に作らねばならないため、カオリ達は当面は水を村に引き込むつもりはなかった。
カオリが知りたいのはその下準備のための情報である。おりよく季節は雨季で、一年間でもっとも川が増水する今こそ、水道の規模や形状、あるいは氾濫時の対策を入念に計画出来るのである。
人類の歴史は水利の歴史とはよく云ったもので、下手な造成工事の結果、返って堤防の決壊を招き、人命と土地資産を洗い流される悲劇を繰り返し、人類は発展して来たのである。
(ってお兄ちゃんが言ってたな~)
兄の言葉を思い出しながら、カオリは村の西側に流れる主流に辿りつく。そこから上流に向かって見ていく予定である。
「ここが周辺でもっとも大きい主流で、川幅は大きいところで六十メートルになる。深さも小規模の船舶であれば浮かべられるだろうな、――ただし水運に適しているとは云えないな、少量の木材であれば浮かべて運ぶことは出来るだろうが、水棲の魔物の脅威を取り除かない限り、危なくて使えん」
「水棲の魔物ってそんなに危ないんですか?」
平原にいる陸の魔物であれば、周辺に脅威がないカオリであるが、水棲の魔物とはまだ相対したことがないため、どんな姿形をしているのかすら知らなかった。
「群れで大型の動物すら襲う【ジョズフィッシュ】 成長すれば岩すら砕く鋏を持つ【マッドクラブ】 人も丸呑みする鯰の【リバースピリット】が河川で出現する魔物だな、南方の温暖な地方に行けば、獰猛な竜種の【スロータークロコダイル】が厄介だが、ここでは出現報告は聞かないな」
「掃討は困難でしょうか?」
魔物であれば狩尽くせばいいとは、冒険者ならではの暴論だ。カオリもすっかり冒険者稼業に染まってしまった様子である。
「完全武装での水上、あるいは水中戦闘は無謀だな、魔導士であれば殲滅も可能かもしれんが、見通しの悪い水中では殲滅出来たかどうか確認が出来んし、正直益も少ない、それなら水門で遮ってしまった方が効果的だろう」
「なるほど、なら水道の敷設の時は、上流に水門施設の併設も考えておかないとですね……」
「お金が……」とカオリの嘆きが聞こえ、オンドールは苦笑する。石材の自給出来ない村の開拓では、頑丈な建造物に必須な石材は、都市の組合か地方の大店で購入するしかない、今のカオリにとって悩ましい問題であった。
「村の人口の増加や日照りを考慮し、さらに水質汚染も恐れれば、浄化槽と溜め池も作らんといかんのでな、水門施設はなかなかな規模を考えた方がいいぞカオリ君」
「はあぁ……」
諦念か呆れか、吐き出された息が白けて、雨に消されていく。
「幸い地形は村に向かって傾斜になっているようだから、水道の敷設自体は難しいことはない、元村人達を呼び戻して、食料生産の開墾に充てている間、冒険者達やセルゲイ達を駆り出せば、まあ何とかなるだろう、問題はそれら関連施設の建設業者の雇用にかかる資金の工面だろうな、流石に今見ただけでは見積もりは難しい、先に資金繰りを考える方が建設的だろう」
「出来ることが分かっただけでも、よかったって考えた方がいいってことですか……」
オンドールは笑う、彼の個人的な予測に過ぎないが、カオリなら何とかして実現してしまうのではないかと考えていた。幾度も騒動に巻き込まれながら、それでも乗り越えて来たのだ。今こうして開拓事業に着手していることですら、世間一般では奇跡に近い偉業なのだからと。
王家から爵位を下賜され、手付かずの荒れた領地を与えられ、なけなしの資金から人手と道具を揃え、一から開拓していく苦労は想像を絶するものがある。
オンドール個人は仕えた貴族が男爵であったため、資金繰りや人手でそこまでの苦労を感じたことはなかった。自身も男爵私兵の従士であり、開拓責任者代理としての立場も与えられていたので、指揮系統ははっきりしていたことで、開拓民と防衛側の混同と混乱が少なかったのは、今にして思えば楽であったのだと思える。
村はカオリという少女を中心に、開拓を目指した場所だ。社会的上位者ではなく、集まった開拓関係者は皆対等な立場で従事している。さらに云えば無国籍の元村人達と冒険者のカオリ達、王国民の冒険者と王国貴族令嬢のロゼッタ、元帝国兵であり元野盗のセルゲイと帝国貴族令嬢アイリーンと、錚々たる面々であるのは、よくよく思い出せば異常事態なのだ。
だがそれでも開拓は着実に進んでいる。魔物から取り返し、野盗から守り抜き、カオリはアンリ達元村人に、再び故郷の土を踏み締める喜びを与えたのだ。
(子を持てなかった我が身だが、きっとこの子は私達が誇らしく思える立派な大人に、必ずや大成することだろう)
齢五十と少しの歳月で、伴侶と子を授かることが叶わなかったオンドールは、自身で自覚するほどに、カオリに父性を感じていることを認めていた。
なればこそ、ササキとは共通の友としての共感を覚えるのだ。類稀な実力者であり、破格の報酬と財産を有するであろうササキが、それでも全面的な資金援助を申し出ないのは、きっと開拓事業とその資金繰りを通して、カオリの成長を望んでいるからだろうとオンドールは予想していた。
もし自身にササキに匹敵する力と金があっても、ササキと同様の協力をするだろうとオンドールは想像する。
「じゃあ帰りましょう、今から帰れば慈水の刻には間に合うでしょうし、暖かいお昼ご飯にありつけますよ~」
「うむ? 時刻を覚えたのか、勉強熱心だな」
暦月と曜日のついでに教わった時刻をさっそく実践してみたカオリに目敏く気付くオンドールに、カオリは恥ずかしそうに笑ってみせた。
混乱を避けるために仕方なく、夜明けから順に記載する。
六~七時を、聖女の刻。
八~九時を、装武の刻。
十~十一時を、地水の刻。
十二~十三時を、慈愛の刻。
十四~十五時を、知天の刻。
十六~十七時を、黄金の刻。
十八~十九時を、悪魔の刻。
二十~二十一時を、戦勇の刻。
二十二~二十三時を、混沌の刻。
零~一時を、妖精の刻。
二~三時を、狩人の刻。
四~五時を、破炎の刻。
細かく時刻を言う場合は前後の一文字を、各刻の間の場合は前後の言葉の頭と尾を反対に繋げて表す。カオリが言った場合は、地水の刻と慈愛の刻の丁度間なので、前後の頭尾を合わせて慈水の刻と表すのだ。かなり面倒なのでカオリはあまり多用するつもりはないが、今は練習がてら口にしてみたのだった。
ちなみにこれらの時刻の呼称の由来は大六神教の神々から来ており、昼と夜で別れているのは、日中は神々が見守り、夜は六魔将達が狙っているからだとの教えからである。
日本の十二刻とは様相が違うため、カオリは最初かなりの混乱を呈した。今では理屈を理解したため、納得している。カオリの予想通り、昼食の席に間に合った二人は、皆と共に暖かい食事にありつくことが出来た。
アイリーン達も作業を中断して参加している。雨の中敢行した作業により体力と気力を消耗した四人の食事量は多い、それでも料理が尽きることがないのは、カオリなりの開拓従事者達への心ばかりの慰労の気持ちの現れである。
と言っても食事を用意したのはカオリではない、現在この役目を担っているのは元村人夫婦の妻達と、ステラとアンリなどの女衆である。女達の愛情こもった手料理に、男達は感謝の祈りと共に頬張っていく、一番の大食漢が女性のアイリーンであることはむべなるかな。
「やっぱり雨季を待たずに、元村人探しをしたいと思います」
カオリが思い出したように発言したことで、幾人かのものが食事の手を止めてカオリに視線を向ける。
「そうねぇ、人手不足に資金の工面に、やらなきゃならないことは多いもの、雨だからといって、ただ待つのも駄目よね」
「人探しは分かるけど、資金の工面に当てはあんのかい?」
「帝国領モーリン交易都市の冒険者組合では、距離的に時間がかかり過ぎましたがゆえ、見送ったことが惜しまれます」
ロゼッタとアイリーンとアキの順で応える。現状カオリ達パーティーのメンバー四人は、集合住宅広間に設けられた食卓の中央を陣取っていたため、自然とこの面子での会話へ発展した。
「たしか件の元村長さんとやらが向かったのは、ミカルド王国の南西の特別保護区だったかな? あのあたりは湖の国リ・ルートレイクの国境が近いから、俺達も行ったことがあるな」
「あ、そうなんですか? 依頼でですか?」
アデルが会話に交じって情報を提供してくれたことで、一同の関心は目的地となる周辺地理へと注がれる。
「冒険者組合が管理する迷宮が近くにあるせいで、王国も湖国も領有を主張し辛い地域でね。歴史上かなり古い時代からある迷宮だから、破壊することも魔物を殲滅することも難しくて、結局定期的に冒険者が入ることで沈静化させている場所さ、それでもたまに魔物が溢れ出て来るから、危険視されているんだ」
迷宮の存在は冒険者稼業でさんざん聞かされていたカオリは、よもやここでその存在が話題に上るとは思わず、アデルの説明に食い入る。
「私は銀級冒険者で、特別にパーティーでの級規制も緩和されてるので、入ることが出来ますけど、迷宮って稼げるんですか?」
カオリが想像するのは、ゲームや物語でよくある隠された財宝、あるいは希少な資源や魔物の素材である。攻略に危険が伴うと同時にもたらされるそれらが手に入るなら、村の開拓資金に十分に充てられると考えたのだ。
「まあ魔物の素材は普通に高価だし、天然の魔鉱石が手に入りやすいから、挑む冒険者は多いな、ただ素人が手を出すと危険が大きいから、入念な準備が必要だよ、どうするカオリさん? 方角が一緒なら案内ついでに挑戦してみるかい?」
「本当ですか! 行きます行きます!」
望外の提案にカオリはすぐさま飛びつく、久しく味わっていない冒険への高揚感に、カオリは飛び跳ねん勢いである。
「私達よりもゴーシュに頼んだ方がいいかもしれんがな、いっそロゼッタ譲とアキ君の昇級試験もそこで受けてしまえばいい、元村人の誘致と資金稼ぎに昇級と、一石三鳥が望めよう」
だが意外なことに、オンドールは自分達【赤熱の鉄剣】ではなくゴーシュ達【蟲報】を推した。突然名を呼ばれたゴーシュは、危うく呑んでいた果実水を吹き出しそうになった。
「え? 何で俺達なんだ? そりゃ場所はよく知ってるけどよ」
「迷宮での探索は斥候のお前達の方が得意だろう、それに私達が全員出払ったら、村の防衛面で不安が残る。この場合お前達の方が色々と都合がいいだろう」
言外にセルゲイ達の監視を含ませるが、それに気付いたのはごく一部の人間だけである。実質の監視員のアイリーンも同道する都合上、信用に足るのは己達しかいないとオンドールは考えたからだ。信用とはなかなかに得難いものである。
推されたゴーシュもオンドールの意図に気付き、得心いって引き受けることとなる。
「じゃ早速準備するか、必要な物資はエイマン城砦都市で揃えるから、今回はいつも通りの装備でいいからな、アイリーンのお嬢は指示は必要か?」
「いらないよ、王国についたら教えてくれるんだろ? 徒歩で三日くらいなら絶食行軍でも余裕さね」
「流石、帝国軍筆頭貴族家のお譲様で、なら出発は明日の朝一だな」
「「はーい」」
「……またこれかよ」
ゴーシュは深く溜息を吐く。
昼食も終え、銘々に自分の時間を過ごす事となり、現在集合住宅の広間に残ったのは冒険者達である。
その一人であるオンドールは、机上に村周辺の見取り図が描かれた羊皮紙を広げ、そこに縄を当てがって、何やら集中して作業に当たっていた。
「あの、すいません、お茶を淹れました」
「うむ? ああすまない、いただこう」
おずおずと声をかけ、そっと茶を注いだ木杯を差し出したのは、先日に村の一員となった元奴隷で、農民の娘のカーラである。
「あの、何をされているんですか?」
いい年をした男が、見取り図に縄を当てがって何をしているのか、よもや遊んでいるわけではなかろうが、故郷の村で同じようなことをしていた大人を見たことがないカーラは、好奇心から質問したのだった。
「水道をどこに敷くべきか、紙も墨も高価だからね。これで適当に当たりをつけておこうとね」
「開拓の計画は、えっと……オンドール様がお考えに?」
「様などとつけずともよいですよ、元騎士とは言いましたが、今はただの冒険者ですから、それにこれはカオリ君が考えた案を、私が経験を元に図案化しているだけですからな」
「この開拓地は、すごいです」
カーラはしみじみと感じ入るようにそう言った。それを受けてオンドールは渡された茶をゆっくりと喉に流し、楽な姿勢に座り直す。
「頑丈な防柵があって、冒険者の方も多くて、魔物にも野盗にも怯えずに暮らせます。それに畑の収穫がまだ少ないのに、食料も沢山あってお腹一杯にご飯が食べられます。……まだこれから大きくなる途中なのに、ここは他の多くの村々よりもずっと豊かです」
故郷の村に生まれてからこれまで、贅沢な暮しなど味わうこともなく、十六年という人生を送って来たカーラの中では、村の生活とは等しく貧相で希望もなく、ただただ生きるのに必死な日々であった。
それこそ実の娘を奴隷商に売らねばならないほどに、追い詰めれていたのだ。
「確かにこの時勢にあって、まずもって魔物や野盗を恐れずに済む村は少なかろう、食料に関しても、我々は狩猟や採取で自給自足が可能であるし、それ以外の物資はカオリ君の潤沢な稼ぎから捻出しているからね。来年になれば荘園の整備も終えて収穫もあろう、そうなれば益々開拓業に人手も資金も集中出来る」
オンドールは腕を組み、感慨深く頷きながら物思いに耽る。魔物退け、野盗から守り、移住者も増え、これからはさらに増える目算である。
「カオリさんって、何者なんでしょう? まだ若いのに凄く強くって、村の開拓をするほど頭が良くて、冒険者の皆さんからの信頼も厚い、そんな女の子初めて見ました」
これには少々考える様子のオンドール。
「何者かと問われれば、まあなんだ。確かに普通ではないかもしれんな、凄腕の剣客で、急上昇中の冒険者で、村の開拓責任者で、異邦の出身の女の子だ。教養もあり、普通に考えるならどこぞの貴族の令嬢か、騎士階級の娘か、だが本人は平民の子で、ただ豊かな国で勉学の機会に恵まれただけの、普通の少女らしいがな……」
言いながらも自身でもおかしいく感じるのか、オンドールは自嘲気味に笑みを浮かべる。
「不思議な人です。人を偏見で見ることも、物怖じすることもなく、誰に対しても優しいのに、いざ戦えば……、その、容赦をしないって云うのか」
「本人曰く、理想家で現実主義者なだけの、普通の女の子、と云うらしいが……」
「む、難しいっ」
故郷の村では両親の役に立ちたい一心で、文字を習い、知識も学び、村の中でも聡明だったカーラであるが(もっともそれが理由で高値がつくと奴隷に売られたのだが)この世界には主義哲学の議論と伝播は発達していないため、余程教養の深い人間でなければ、頭を捻らされる表現である。
端的に自身を表現したつもりの自己紹介が、皆に理解して貰えていないカオリであった。それを彼女が理解するには至っていない。
「我々は我々で目的があって力を貸している現状だが、彼女の持つ実力と人徳、村の発展具合を見るに、ここが普通の村に収まることはないだろうな、今後どのような姿になるのか、今から楽しみだ」
「それは、私も思います」
笑顔を浮かべるカーラ、奴隷として売られた手前、故郷の村に戻っても、再び売られる可能性が高く、また名目上はアイリーンに購入された後、解放奴隷としてカオリ達の村に身を寄せる形となった彼女であるが、それでも笑顔を浮かべられるなら、存外悪くない現状に、幸福を感じられる余裕があるのだろうとオンドールは感じ、カオリの目指す村の在り方が、着実に根付き始めていることを確信した。
(安全で、自由で、豊かな村を目指す。そのために冒険者と金を集め、自身も冒険者としての地位を確立し、着実に地盤固めと開拓に邁進する。ハハ、確かに、理想家で、現実主義者かもしれんな)
オンドールはそう考えて、茶を飲み干した。
「カオリ様、出立の準備が完了しました。倉庫記録も抜かりなく、ただ布や食材の傷みが予想されるので、都市に赴くならばついでに仕入れも検討されては如何でしょう」
「ありがと~アキ、でも仕入れは予算と相談かなぁ、まだ季節毎の物価の変動を知らないし、向こうについてからねぇ~」
カオリが言ったのは、市場に出回る商品の相場の変動のことである。
雨季に入れば物流に影響が出るのは、まだ陸路を馬車や徒歩で担っている文明においては自然の摂理と云える。
また多くの農村でも、働けない間の備蓄分を多くするために、これらの要因から市場に出回る品数が減ってしまうために、総じてものの値段が上がる状況が予想される。
わざわざ高い時に大量に買い付けるのも考えものであると、カオリは言いたいのである。
「この村に特産品や安定して生産出来るものがあれば、組合を通して便宜を図ってもらえるかもしれないけど、今の現状で余剰品の生産なんて無理よね」
ただ商品を買うだけの今の関係上、卸業者や商業組合との安定した商取引があれば、落ち込む売上の帳尻が取れると、物資の交換値を融通してもらえるかもしれないと言うのはロゼッタである。
「それは今回に限らず。将来的なこの村の課題だろ? あたしはこの村のことをまだ知らないさね。この土地で取れるものってなにがあるんだい?」
「うーん……、アンリの方が詳しいかな?」
「あ、うん、えーとねぇ」
唐突に振られたアンリは、少し考えてから答えていく。
「森から採れる木材とか薬草がほとんどで、たまに動物の干し肉なんかも売りにはいってたかも、それ以外だと……村長さんが蜂蜜酒を良い布地と交換してもらってたような……」
森で採れるものの中で、換金率が高く安定しているものといえば、木材に山菜に動物の肉と相場は決まっている。
蜂蜜酒に関しても、まだ酒造法が確立されていないこの世界でも、蜂蜜を採取して放置しているだけで造ることが出来る蜂蜜酒は、庶民が気軽に手を出せる娯楽の一つである。
元村長はそれを村で消費するのではなく、都市で上質な布と交換し、結婚した若い夫婦のお披露目衣装に仕立てるなどして、村の特別な日を飾る思い出に貢献していたようである。
これはここに限らずどこの村々でもおこなわれている。風物詩とも云える習慣である。
「つまり普通の村と変わらないってことね」
「ごめんなさい……」と何故か謝るアンリを、ロゼッタは慌てて宥める。しかしそれに異論を挟むのはアキである。
「魔物の素材や魔石、豊富な薬草類があれば、我らが祠の錬金釜を使えば多様な魔法薬の作成も難しくはないでしょう、入れ物の問題は残りますが、少なくとも高い効能の魔法薬は、周辺国家には高く売れましょう、大量生産は難しくとも採算は合うかと、またここで魔法薬、特に治療薬を生産できるなら、冒険者達の協力を得るのには強力な材料になるのでは?」
「祠? 錬金釜? なんの話だい?」
カオリのうっかり説明不足は今に始まったことではない、ここでアイリーンに対して簡単にギルドホームの存在と有用性を説明する。内容はアンリやロゼッタにしたものと同じ内容なので、全てをつまびらかに話すにはまだ早い。
「魔法薬なら私でもお手伝い出来るかな?」
アンリが前のめりになってアキに詰め寄る。アンリなりにカオリ達の役に立ちたい一心からの意欲的申し出に、アキは心を震わせて称賛する。
「薬学の知識を学び、錬金釜の使用法に熟せれば、この世界のどの錬金術士をも凌駕した。至高の導士にもなれましょうぞアンリ様っ」
「本当? 私頑張るっ!」
当初の話から脱線してしまったが、有益な情報交換と今後の方針に光明を見出したところで一旦区切りをつける。
「それにしても、こう雨が続くと嫌ねぇ」
そういうのはロゼッタである。服もべたつき、髪も纏まらず、乙女としては不快でしかない季節柄、どうしても不満が口をついて出て来てしまうのは仕方がないことである。
「家の湿度対策も考えなきゃだね。窓も開けっ放しで壁も薄いし、これじゃ外とあんまり変わんないよねぇ~」
「建築の知識もあるのかい? それとも豪奢な屋敷に済んだことでもあんのかい?」
カオリの発言に反応を示したのはアイリーンである。確かにアンリ達の家はこの世界での村の規模の平民にとっては、標準的な家屋である。
それ以上を知っているということは、より高い水準の家屋に暮らした経験があるのかと思われて当然である。
「う~ん、私の生まれた国って、雨がとっても多くて、毎年川の氾濫とか土砂崩れが多い土地柄だったから、湿度対策にはけっこう強かったはずなの、釘を使わない木材だけの工法で、連日の雨でも結構快適だったなぁ~って思って」
「障子に畳に漆喰と、室内の湿度調整に効果的な資材を使った家屋は、それのみならず温度調整や強度においても高い快適性を保つ工夫の集大成ですからね」
「へぇ、興味深いわね。ただ防火対策や防犯の面では不安が残りそうね。討ち入られたら簡単に壊されそうだわ」
「まあ、お国柄って感じかなぁ、私もこの国であの家を再現しようとは思えないかなぁ、出来る職人さんも居なさそうだし」
その土地にはその土地に適した工夫というものが存在する。地震に台風、雨や日照りといった自然環境、野盗に盗賊、紛争に戦争といった社会構造も、建築様式に大きな影響を及ぼす。
塀や壁を用いない日本建築は、この世界では防犯面で忌避されること必死であるからして、それを建てようとは流石のカオリも考えなかった。
それにまずもってそれら日本様式を再現するだけの技術と知識が圧倒的に足りないのである。見よう見まねで再現出来るほど、浅い分野ではないことは間違いなく、ただの女子高生でしかないカオリに、それらの知識があるわけもなく。
しかし現状の住まいで妥協するとも割り切れず。少なくとも将来的には快適な住まいをと考えるのは、村の開拓責任者としての責務だとも考えている。
「帝国と王国で建築様式って違いがあるかな? 今は王国の職人さんに依頼しているけど、場合によっては帝国の職人さんを手配することも必要だろうし」
何気ない質問ではあるが、意外と重要な案件であることは、ロゼッタもアイリーンも察するところであるため、少し考える間を空けて答えていく。
「うーん、王国は比較的気候の変動が少ないし、周囲を他国に囲まれているから、多様な工法、多様な様式を取り入れているわ、木材も豊富だから安く建てられる土地柄かもしれないわね」
「帝国はなにせ国土が広いからね。それに異民族も併呑しているから、南と北では別の国って感じるほどさね。ただ豪雪地帯が国土の半分を占めるから、木材が少なくてすむ石組みの建築技術は発展してるさね。雪が積もっても潰れない頑丈な構造は、どこの国にも負けないね」
貴族の令嬢と云っても、建築知識に精通しているわけもなく、思い出しながらの解答に、カオリは思案顔で聞き入る。
「これも要勉強かな、今度それぞれの街に行ったら、建物もよく見ておいた方がいいかも、一方に偏るのも問題があるかもだし、色んな人種が暮らすこの村独自の工夫が生まれれば、それも村の強みになるだろうしねぇ~」
政治の機微は知らずとも、依存する形が不和を呼ぶと解するカオリは、こういった面でも気を遣わねばならないと覚えておく。
「築城技術なら自信があるさね。難攻不落の帝国様式なら、例え十倍の兵力を相手取っても防ぎ切る鉄壁を誇るね」
「フンッ、ただ石組みで分厚くしただけの武骨な様式のどこに工夫があるってのよ、自然の形状を上手く利用して、最小限の資材と人夫で、素早く築城出来る王国の工法こそ、この村の事情に適しているわっ」
アイリーンの発言にいつもの如く噛みつくロゼッタに、アイリーンは口角を上げる。
「懐事情が原因の苦肉の策を誇られてもねぇ、生産力こそ国の力、物量だって立派な国力さね。忍耐力こそ帝国を支える人的財産、極寒の地でも働き続ける帝国民こそ国を富ませる秘訣さね。冬になれば家に引き篭もる軟弱王国民とは地力が違うさね」
「国民性の話なんてしてないでしょうっ! それに苦肉の策なんて言い方しないでよ、深い知識と教養があればこその智恵と工夫なのよっ、それに王国民は勤勉で温厚な国民が多いから、民の反乱に備える必要がないの! その分教育に力を注いだ結果の清貧さは、国力の疲弊を防ぐ教養の深さの証明よ、働けない冬の間を教育に当てることのどこが悪いっていうのよっ」
またもや始った論争を聞き流すカオリであるが、これがまた主観が交じる中でも、思わぬ有用な情報が含まれているので馬鹿にならない、一応と意識を傾けつつの不介入を貫く姿勢である。
民の在り方が国の在り方である。翻ってカオリ達の村の在り方とは何か、漠然と考えるカオリは、何とはなにしにアンリの顔を伺い見る。
「なあに? カオリお姉ちゃん」
「ん~ん、何にもないよアンリ」
これを考えるのも、元村人達を呼び戻してからでも遅くはない、彼等から見聞きするこれまでの暮らし振りを想像して、カオリは来る未来の村の姿に想い馳せるのであった。