( 帝国貴族 )
元村人一家が救出されたのは、それから三日後のことだった。
購入者は二代目の若い男爵で、親から受け継いだ僅かな荘園を開墾すべく、農民でかつ格安の違法奴隷に飛びついたのが運の尽きとなった。ただ幸いだったのは、一家が揃って購入されていたこと、過度に不当な扱いを受けなかったことだろうか。
奴隷商は例え違法であっても、売買時に売買契約書を残していたのだった。この売買契約書は貴族と己を一蓮托生とすることで、後に貴族からの切り捨てを避ける打算があったゆえに残していたものであったが、今回はそれが動かぬ証拠となった。
だがここからカオリにとっては予想外な展開となる。
ササキが代表して街の代官には当初、アイリーンの関わりをちょっとした手違いとして処理すべく報告を上げており、公式な場での無用な詮索をされぬように手回しをしていた筈だったのだが。
アイリーンが呪印の魔道具を持ち出したこと、また一連の騒動でやり取りがあった奴隷商会が摘発されたことが、迅速に実家の当主の耳に入ってしまったことで、彼女は当主、つまり彼女の父親から事情説明を言い渡されてしまったのだ。
そしてモーリン交易都市を預かる代官へ、事前に指示をしていたようで、騒動に協力した参考人としてササキとカオリの招聘をも要求していたのだった。
要求理由としては、騒動におけるアイリーンの無実の確認と、呪印の被害に遭ったであろうカオリへの謝罪である。こうなればアイリーンとしては自分が行かないわけにはいかず。仕方なく応じることとなる。
「あの~、本当に私も行かないと駄目ですか?」
不安と困惑を滲ませた声で、カオリは本日何度目かになる問いかけをする。問いというよりも抗議と言った方がいいかもしれないが、カオリの心情にも理由がある。
「諦めなカオリ、これでもあたしの実家は公爵家だ。ただの冒険者が呼びつけられて、常識的に考えて断れるわけないさね」
書状に記載された名前を確認して、驚愕の悲鳴を上げたのは、一緒に書状を見ていたロゼッタであった。
ヴラディミール・ギニラ・シルヴェスタ・バンデル。
大陸最大国家のナバンアルド帝国における。帝国軍の将軍職を多く輩出した大貴族、バンデル公爵家当主の名は、煮え湯を飲まされ続けた敵国の貴族として正しい反応を見せたロゼッタが、カオリに再三に渡って辞退を進言したのは致し方ないことであろう。
今回の招聘を辞退することは不可能ではない、だがアイリーンにカーラを購入した後に無事に解放してもらう手筈である以上、彼女が仮に当主の逆鱗に触れ、屋敷に監禁、または所有物の没収などされた場合、カーラの処遇も公爵家預かりとなり、最悪余所に売られる恐れがあったのだ。
そのため謝罪を受け入れると共に、アイリーンの不問も願いでなければいけない関係上、無下に断ることが出来なかったのだ。
それでもササキがいるのならばと、悪足掻きを見せるカオリを説得したのは、他でもないササキであった。
「正装の義務もなく、作法も厳しく見られることがないのだから、練習だと思って今回は受けるべきだぞカオリ君、会って事情を説明して帰るだけだ。何も心配はいらない」
ササキはそう言ってカオリを嗜める。
(アイリーンさんのお父さんだよね? 嫌な予感しかしない……)
カオリは頭上に、フラグがはためいているのを幻視した。
三日後、モーリン交易都市の郊外に位置する。軍の演習場にほど近い場所に建つ、バンデル家の別邸に訪れたアイリーンとササキとカオリの三人は、門衛に話を通した後に、屋敷内へと足を踏み入れた。
「まさか! まさかこんなところで、噂に聞く神鋼級冒険者殿に会うことが出来ようとは! ようこそササキ殿っ、当家は貴殿の来訪を心待ちにしておりましたぞ!」
使用人が立ち並ぶ玄関広間の中央で、声を張り上げて大げさに歓待の姿勢を見せる男性と対峙した一行は、すぐに応接間へと通され、対話の席に挑む運びとなった。
軍属の家系らしく質実剛健な佇まいの屋敷は、内装においても無駄な装飾を排し、カオリに貴族に対する別な印象を与えた。
貴族同士であれば、長口上の迂遠な紹介の応酬が行われるところであるが、生憎とササキもカオリも一冒険者に過ぎないため、自己紹介は簡素なものとなった。
だがその代わりにササキに大いな関心を示す公爵が、アイリーンとカオリそっちのけで冒険話を始めようとしたため、ササキはやんわりと断りを入れることを余儀なくされる。
「おおそうであったなササキ殿、本日は名目上、娘の仕出かした不始末の確認と謝罪が本題である以上、先にその話を片付けなければ、双方安心して話に花を咲かせることもままならんか、すまなかった。年甲斐もなくはしゃいでおったわ、はっはっはっ!」
(名目上って言っちゃったよこのおじさん……)
アイリーンと同じ金髪碧眼の偉丈夫で、短髪に山羊髭がよく似合う巌のような強面は、なるほど軍人らしい風格を醸し出していた。
ここまでのやり取りで、すでに分かり切ったことであるが、彼こそがバンデル家当主、ヴラディミール・ギニラ・シルヴェスタ・バンデル公爵その人であり、強者に対して異常なほどの執着を見せる。アイリーンの父親で間違いなかった。
そこから話は一連の騒動の顛末と、アイリーンにまつわる事実確認へと話が進み、カオリの呪印がバンデル家が所有する魔道具のものと相違がないことが確認され、公爵本人が正式に謝罪したことで、アイリーンに出した不問に処する条件の快諾で、双方合意の下、無事に目的を果たすことと相成った。
ちなみにこの時のアイリーンは終始無言を貫き、無表情で腕組みをしていたことを公爵に咎められ、一悶着があったが、アイリーンからの謝罪を事前に受けていたカオリが間を取りなしたことで、公爵はカオリをそこで初めて認識した様子を見せた。
「時にササキ殿、こちらのカオリ嬢はササキ殿にとってどのような存在なのだろうか? 大切な仲間とは先程聞かせてもらったが、たしかササキ殿は、孤高の冒険者として名を馳せたと記憶している。不躾ながら関係を聞かせてもらえないだろうか?」
公爵が興味本位からササキに問いかける。
「話せば長くなりますが――」と前置きし、ササキが語ったのは嘘の出会いからの、これまでのカオリが巻き込まれた騒動の数々と、主に村の復興開拓にまつわることであった。
改めて他人から聞かされる客観的な話に、カオリは苦笑を禁じ得なかった。誰だその清廉潔白な少女は、とカオリ自身が恥ずかしくなるほどに脚色された逸話を、公爵は子供のように聞き入った。
「ふむ、西方の守りを預かる将として、緩衝地帯における情勢には目を光らせていたが、最近になって噂となっていた冒険者の活発化の原因が、よもや一人の少女の願いから端を発していたとは……」
「噂とはどのようなものでしょうか?」
ササキの質問に公爵は答える。
「いやなに、王国との戦争が停滞してはや三年、魔物や野盗の活発化に伴って、我々も国内の治安維持に奔走させられておってな、緩衝地帯で冒険者が頻繁に行き来している噂は聞こえても、その原因の特定までは手が回らんでな、悪い話も聞かんので、今まで放置しておったのだ」
冒険者組合は原則、国家権益とは距離をおいている。そのため王国側の冒険者が目と鼻の先で、何をしていようとも、基本的に無視を決め込む姿勢だった。
帝国側の市民権を有する冒険者であれば、冒険者に扮した王国の工作員を疑ったかもしれないが、それをわざわざ帝国に警告をする義務もない以上、やはり冒険者としては相手にしないという暗黙の了解がなされていた。
だが公爵はある一点が気になるようで、カオリに向き直る。
「君のパーティーに、王国貴族の令嬢が加入しているというのは本当かい?」
「ロゼッタ・アルトバイエのことでしょうか? 彼女は現在実家の支援を蹴って、一冒険者として私達に協力してくれています。ミカルド王国が彼女を介して、私達の村に何がしかの要求をしてきたことはないですが、彼女が何か?」
公爵の疑念を先に潰す形で説明したカオリに、公爵は方眉を吊り上げる。カオリが囮調査のためにわざと捕まった経緯は話していないため、公爵はカオリを奴隷に堕とされるような世間知らずと思っていたが、そんな娘からの思わぬ先制攻撃に、公爵は少し驚いたのだ。
だが本質はそんなことではない。公爵はカオリの言葉を信用していない、何故なら国家といものが如何に狡猾で傲慢なものであるかを、彼は長年の経験で確信していたからである。
王国は近い将来、かのアルトバイエ侯爵令嬢を介して、必ず何かを仕掛けてくるに違いない、そうなれば微妙な均衡を保つ緩衝地帯での優位性において、このまま王国に先んじられることを、彼は指を咥えて見ていることなど、出来ようはずもなかった。
また本日念願叶って面識を持つことが出来た。神鋼級冒険者のササキとの縁も、ここでたしかなものにしておきたいという個人的な願望もあって、彼はどうにか双方に楔を打ち込むことが出来ないかと考えを巡らせた。
孤高を貫くササキへの干渉は難しい、だがササキが懇意にしているカオリであれば、つけ入る隙があるのではと彼が考えたのは当然と言えるだろう。
また先の話では、アイリーンの不問を訴えたのは他でもないカオリ自身である。緩衝地帯の村とササキへの繋がり、双方に益をもたらすにはどうすればいいのか、公爵はすぐに結論を導き出した。
「アイリーンよ、お前に国外での奉仕活動を命ずる」
唐突に下された命令に、アイリーンは笑う。
「はぁ、家名剥奪の上の放逐ってわけじゃなさそうだね」
政治に関心のない彼女でも、れっきとした貴族の娘である以上、自らの父にはなにがしかの思惑あっての言葉であることは、百も承知している。
「聞けばこちらのカオリ嬢は、緩衝地帯での村の復興開拓の責任者であるそうじゃないか、私はお前の仕出かしたことをただ不問とするつもりはない、だが先の条件を呑んだ以上、それはつつがなく履行されなければならん、よって貴族籍も帝国市民権の剥奪もせずに、ただ我が公爵家の権力の及ばぬ場所での奉仕が妥当であると判断した。――カオリ嬢」
カオリの名を呼び、公爵はまっすぐに視線を送る。
「こいつをカオリ嬢の村の復興開拓で使ってやってもらえんか? 自慢じゃないがこれでも我がバンデル家の娘、戦事には長けておるし、有事のさいは役に立つはずだ。どうかね?」
建前だ。どこまでも建前でしかない、しかしここで正直に本音をぶちまけるわけにもいかない、それに何も全てが嘘と云うわけではない、女だてらに戦場を渡り歩く娘の将来を案じる気持ちはたしかにある。今回の騒動を転機に、己の立ち振る舞いを顧みて、分相応の慎みを、貴族令嬢に相応しい立ち振舞いをと考えたのは、紛れもない親心からである。
それでも、公爵の狙いは他でもない、目の前の少女カオリと、隣の生ける伝説ササキである。そして二人の血である。
帝国はいつの時代も侵略による領土の拡大を国是と掲げている。
その性質上国家が求めるもの、それは優秀な能力と、その血統である。
かつて大陸を制覇した第二紀エリシャール朝を前身にもつ、ナバンアルド帝国を統べるのは、ハイド系民族から決別を果たしたアラルド人の一族である。輝くほどの金髪に、宝石の原石が如き碧眼、極寒の地にも屈さぬ屈強な肉体、神の恩寵を受けた優れた魔導知識と適正、しかし純血を重んじるアラルド人といえど、いずれは血の停滞が進化の停滞に陥るだろうことは必至。
だがそんな公爵の血統を重んじる思想を持ってしても、目の前の二人が持つ血の可能性は無視出来るものではなかった。
平均的に長身のものが多いアラルド人をしても見下ろす巨体、かつて竜殺しの一族でもある彼らにとって最大の誉れである。竜殺しの栄誉を果たした武勇、貴族にも物怖じしない威風堂々たる立ち振る舞いに、言葉の端々に垣間見せる深い知性、それが公爵がササキに感じた印象であり、確信である。
そしてカオリもまた同様に、幼い少女でありながら、すでにアイリーンに素手で勝利する実力を見せ、一つの村を蘇らせようと奮起する独立心と行動力を持ち合わせている。
二人は同郷であるということは既に聞いている。であれば間違いない、彼の民族は優れた能力を継承する血を有しているに違いない、戦場に生き、統治に生き、その継承に人生を捧げた。
――是が非でも二人の血を一族に迎えたい――
公爵はそう考えていたのだ。
「まあ、金銭や物資の支援をしないで、後から権利や領有を言い出さないのでしたら、私は構いませんが……」
公爵は心中で拳を握る。一見すれば平民の娘が大貴族を前にしてなんたる不遜かと見られるカオリの言動であるが、質実剛健を是とするバンデル家の当主としては、そんな些事で優秀な血統を他家、ましてや他国に取られてはかなわないと考えた。
視線を送ればササキは腕を組んで無言を貫いている。この件に関しては全てをカオリに委ねているようだ。
「そう言ってくれるか! よしっ、今夜は宴だっ、今宵は当家でゆるりとされて下され、後で部屋を用意させるでな!」
興奮気味に公爵はそう宣言した。ササキもカオリもその言葉に甘えることとなり、急遽設けられた話し合いの席は一時解散となる。
そしてカオリはここへ来て、思わぬ御褒美を頂戴することになり、小躍りせんばかりに喜んだ。
夕食の前に旅の疲れを癒されよ、と勧められたもの、それは風呂であった。水浴びではない、湯浴みでもない、熱した湯に肩まで浸かり、至福の時間を味わうことの出来る。日本人の魂にまで刻み込まれた。あの風呂である。
あまりの喜びように公爵は大層顔を綻ばせ、さっそく侍女に案内するように命じ、カオリはついに念願叶って、風呂を堪能する運びとなったのだ。
だがそこで、カオリにとっては予想外の障害が待ち受けていた。
「だからいいですってばっ、お風呂くらい一人で入れます!」
「いいえなりません、御当主様の大切なお客様をお清めし、着飾ることは我ら使用人の使命であります」
「いやそーじゃなくて、一人で入りたいんですってば、それに着飾るってなんですか、服もこのままでいいんですから」
「何をおっしゃっられるのですか、淑女たるもの、そのような旅装に武装のまま、宴の席に出られるなど、マナーに反します」
「まってまって、武装まで取り上げるの? 冒険者の私から?」
「まさか帯剣されたまま、食事をなさるおつもりだったのですか? それほどに我を通されるのであれば、どうぞ私めを斬ってからになさいませ」
本当に斬ってやろうか、とカオリはイライラしながら刀の柄を指でトントンと叩く、この世界に来てから、武器を肌身から放したことは片時もない、外ではもちろん、街や寝る時でさえ、カオリは常に警戒を怠らなかったのだ。
常在戦場という言葉は知らずとも、何処に危険が潜んでいるか分からない以上、それは当然の備えと心掛けていたからだ。
だがよもやこんなところで、本来はこんな場所だからこそなのだが、それを咎められるとは思っても見なかった。
「あのね。私は冒険者で、ここは知らない場所で、例え保護してもらえると言われても、それが必ず守られるという保証なんて出来るわけがなくて、どうして武器を手放さないといけないの? どうして他人に無防備な姿を晒さないといけないの?」
カオリの言葉に、侍女は目を丸くする。そして次第に表情を険しくしていった。
「それは公爵家の警備を侮るどころか、公爵家そのものを信用していない、実に不遜なお考えです」
僅かな怒りを滲ませた言葉に、それでもカオリは怯まず答える。
「貴方達の力がどれだけ強いかなんて私が知るわけないし、会ったばかりの他人を信用出来るわけないじゃん、何当たり前のこと言ってるんですか?」
この言い草には流石の侍女も不快を露わにした。言っていることは至極当然のことであれ、貴族社会には常識というものが存在する。それが目の前の少女には理解出来ないのである。
カオリ自身も、郷に入れば郷に従うという日本人の文化的に見て、少々頑なに過ぎたかと思わないではなかったが、未知なる異世界の権力者の屋敷の中で、未だ警戒を緩める気になれないための予防線である。カオリの順応が早いために忘れがちだが、この世界に転移してから、まだほんの三月程しか日を重ねていないのだ。信頼など出来ようはずもない。
だからであるのだろうか、この時、公爵家の別邸の侍女を束ねる侍女長を務める彼女、ダリア・ドルヴァーコフは、カオリの発言に不快感を抱くと同時に、一抹の恐怖を感じていた。
先程から、何故か悪寒を感じていたからだ。
一体何故? カオリと対峙してしばらくしてから、ダリアは不可思議なものの正体を探る。もっとも考えられるのは目の前の少女の存在である。ダリアはじっとカオリを観察する。
栄えあるバンデル家に仕えるものは、等しく武術を収めることが義務づけられている。そんな彼女であればこそ、カオリの何気ない所作から、並々ならぬ隙のなさを感じとっていたのだ。それは警戒していると表現するのも生温く、そう、強いて言うのであれば、すでに斬る動作に入っていると表現する危うさであった。
彼女達は知る由もなかったが、居合いを意識したカオリの所作は、仮に不意の襲撃を受けても、瞬時に斬ることを想定していたのだ。防ぐでもない、躱すでもない、いなすでもない、組み伏せるでもない、斬るのである。
ダリアがカオリから感じた危うさは、まさにカオリの抜き身の刃物のような予断のなさから起因するものだった。
「その辺にしてやんなカオリ」
「アイリーンお嬢様……」
そこへ助け舟の如く声がかかる。その助け舟がどちらを意識したものであったかは、判断のしようもなかったが、続けられた言葉に、ダリアは顔から血の気を失せさせた。
「一体何回斬ったんだい? 本人は気付いてないようだけど」
「やですよ、実際に斬ったわけじゃないですからね?」
斬った? いったい彼女達は何を言っているのか? ダリアは意味が分からず立ち尽くす。
「奴隷商会からこっち、あんたずっとそんな調子だから、近くにいたあたしは気が気じゃなかったさね。いつ本身を抜くのか、あんたもしかして無意識でやってたのかい?」
「えーと、どういう意味でしょう?」
当の本人が自覚していない中、アイリーンはカオリの変調を敏感に察知していたようで、カオリは問い返す。
「呆れたね。こっちはあの得体の知れない斬撃を実際に受けた身だからね。あんたが無手のまま、本当に相手を斬れることを知ってるんだよ? それが今や本身をぶら下げてるんだから、怖いったらありゃしないよ」
無手のまま? 公爵家の娘を? しかも一族の中でも指折りの実力を持つアイリーンを、こんな幼い少女が斬ったというのか? ダリアはゾッとして冷や汗をかいた。
「想像だけで斬られたことが分かるものですか? 別に動作をしたわけじゃないですし、逆にアイリーンさんはどうしてわかるんです?」
「馬鹿、あの時みたいに実際に斬る動作をしたら、それこそ本当に斬っちまうじゃないか、勘弁しておくれ、これでも見知った使用人で情もあるんだから、冒険者が貴族の屋敷で使用人を斬り捨てるなんて、大事になるじゃないか」
「え? そんなまさか、この方は本当に私を?」
ダリアは小さく呟き、脚が震えだすのを必死に耐えた。ありえない、まさか本人が自覚しないまま、斬撃を飛ばす魔術の類でも使用されていたのか? そんな想像が彼女の脳裏をよぎった。
そして不意にカオリと目が合った。
合った。
あった?
「ひっ!」
唐突に感じた感触に、ダリアは思わず悲鳴を上げた。首筋に冷たい何かが当てられたように感じた瞬間、意識が遠のくような、血が逆流するような、首が切断されたような!
「おっと今のは首かい? 意識すれば見えるもんだね」
「へぇ~、何でだろう? なんていうか、自由自在ですね」
その場にへたり込んでしまうダリアを、後ろに控えていた部下の侍女二人が慌てて支える。
「斬られた? 首を、本当に斬られた?」
戦慄き震える手で、ダリアは自分の首の無事を確かめるように触る。切り離された痕跡などなく、傷も出血もない、それが逆に彼女に混乱を与える。
たしかにさっき、自分の首が切断され、血が噴きこぼれて、思考が錯綜して、意識が遠のいて、そして、そして――
「死――んで」
パンッ。
手を打ち鳴らした音が響き、ダリアの意識が音に反応すると同時に、視線を上げると、アイリーンが眼前で両手を合わせた姿勢のまま、ダリアを優しげに見下ろしていた。
「それ以上はいけないよ……、本当にそうなっちまう、――今ようやく分かったさね。カオリのこれはつまりそいういうことなんだね? 斬撃を飛ばすでもなく、剣を実体化するでもない、これは精神系魔法の類のものなんだね?」
一人納得した様子で、アイリーンはカオリに向き直る。
「まあ小難しいことはササキの旦那に聞いて、あたしらはさっさと風呂に入っちまおう、――ほらあんた達も次の仕事に戻んな、カオリの風呂の世話はあたしがするさね。ダリアも今のことは忘れることだね。でないと……戻ってこれなくなっちまうよ?」
文字通り逃げていくダリア達を見送った後、カオリはアイリーンに押されて、脱衣所に押し込まれる。人前で裸になることがそもそも恥ずかしくて、侍女の帯同を拒んだというのに、アイリーンが侍女に代わるのでは同じである。カオリはまた押し問答をしなければならないのかと、うんざりしていたのだが……。
「何いってんだい、裸で殴り合った仲じゃないか、今更さね」
「確かに! 何もおかしなところがない!」
という完璧な理論の下、カオリは納得した。そして何の憂いもなく再び全裸で向き合ったのだ。何もおかしなところはない。
「概念攻撃だな」
「「概念攻撃?」」
ササキの言葉を受け、カオリとアイリーンの声が唱和する。
あえて省略した風呂での一時の後、身内のみのささやかな宴の席で、カオリはダリアとの一連の一悶着を正直に告白し、アイリーンがその正体を知るべく、ササキに問うたことで、ササキはそう答えた。
鶏肉や鮭の網焼きは多彩な野菜で彩られ、スパイスの効いた野菜の煮込みには果物の甘味が加わっている。チーズの乗った焦がし料理にはトマトベースのソースと塩漬けの具材が使われているようだ。
さすが貴族の食事、とカオリは溜息を洩らして様々な料理に舌鼓を打っていたのだが、腹がある程度こなれてくると、次は酒と話に手が伸びたことで、公爵とアイリーンとササキとカオリの四人は、次第に口を滑らかにしていった。
向かいの席で三人の会話に興味深そう耳を傾けている公爵の前で、ササキは一応公爵に会釈を挟みながら、詳細の説明に移った。
「魔法や魔術の中には、精神支配や記憶操作、幻惑や魅了といったいくつもの種類が存在する。その中でも取り分け恐ろしいのが、対象者の意識に働きかける魔法で、私は個人的に概念攻撃と呼称させてもらっている」
ササキが個人的にと表現したということは、この世界では正確に分類分けがなされていないということである。これを聞いた公爵はさらに身を乗り出す。
「魔導学院や暗銀の塔の研究者にも知り合いがいるが、精神系魔法にそのような分類があるなど初めて聞いた。是非詳しく聞かせてほしい」
興味津々の公爵の様子に、ササキは苦笑を洩らす。
「毒や麻痺などの症状を引き起こす魔術は、基本的に自然毒の効果を魔法で再現したものと考えられています。それは解毒薬などでそれらを癒せないことからも証明出来ますでしょう、ですが魔術の外的要因は魔術で癒せます。対策さえしていればそれほど恐れるものではありません、また幻惑や魅了に関しても、五感に働きかけることで相手を意図的に操作するものである性質上、常に外部からの魔力供給を行う必要があるため、一定の期間放置、あるいはこれも外部からの干渉を行えば、解除は容易となります」
ササキの講釈に聞き入る一同に、ササキは一拍おいて続ける。
「しかし、先述した概念攻撃はそれらの魔術とは一線を画します。何故ならこの概念攻撃は、言葉の通り、厳密には魔術とは呼べないものであるからです。――理由は単純で、殺気や気配、或いは憎しみや怒りと呼ばれる。それら人間の抱く感情に、どうして形を与えることが出来るのでしょうか?」
ササキの説明に三人は顔を見合わせる。
「殺気とか気配なんてもんは、ぶつけるもんじゃなくて感じるもんだろ? 戦場で殺気に形を与えられるなら、それだけで人を殺せるさね……、んんっ?」
アイリーンが何かに気付いたように首を捻る。
「呪い、あるいは呪術と呼ばれる魔法の本質、そしてその恐ろしさの根源はここに起因するのですよ、呪いの構築と発動には第一に術者の感情の発露が必要不可欠なのです。そしてここから肝となるのが、対象者へその感情を共有、または理解してもらう必要があるところです」
「自分を憎む相手の気持ちに共感するなど、不可能ではないかね?」
公爵が納得出来ずに口を挟むが、ササキに構う様子はない。
「常日頃、人は他者との交流で多くの感情の共有をしています。喜び、悲しみ、怒り、憎しみ、それらを表情や言葉で、または文字や絵を通して訴えかけることで、人は互いを理解していきます。――だがもし、それらに完全に形を与えることが出来て、さらに相手の意識に送り込むことが出来るとしたらどうでしょうか?」
考え込む一同の中、今度はカオリが声を発する。
「怖いですねぇ~、好きとか愛してるならいいけど、死ねっとか苦しめっとかだと、気が滅入っちゃいますね」
カオリの言葉にアイリーンは納得する。
「なるほどね。あたしがカオリの攻撃を、精神系魔術と勘違いしたのは、そういう理由からかい、そりゃ気付けないさね」
「どういうことだ? 分からんのはわしだけか?」
公爵が困惑した表情で肩を落とす。こういった話はむしろ、経験豊富な大人よりも、柔軟な頭の若者の方が理解しやすいのかもしれない。
「相手が何を感じ、何を想い、何を考えているのか、人間とはそれを推し量り、理解し、共感することが出来る稀有な生物です。取り分け想像力という点では、多彩な魔術を操ることが何よりもの証拠でしょう、動物や魔物では不可能なこと、人間は、想像を魔法で創造出来る。ただ一つの存在なのです」
魔力を魔法へ変質させ、魔法を魔術に組み替えて、その魔術を導くのが魔導士という存在である。
魔力の変質にはとくに想像力が重要とされる。何故なら体内に取り込んだ魔力を、脳を介して意図した法則を与えるには、人間の持つ想像力があって初めて可能であるからだ。
一応の区別として、精霊魔法というものの存在にも触れておく、まず精霊とは何か? それは自然界に存在するある一定の法則性をもった魔力の集合体であり、場合によっては知性をもつ個となった存在のことを指す。
ゆえにそれら精霊の力を、行使者が魔力を譲渡することで一時的に借り受け行使するために、行使者を精霊使いと呼称する。
「話を戻しますが、この場合、カオリ君は――斬る――という感情の赴くままにその過程を想像し、無意識のうちに魔力を変質させて、あまつさえその魔力を動作に乗せて、相手にぶつけてしまったのでしょう、結果、アイリーン嬢も侍女の方も、カオリ君から斬れたと認識した。認識してしまったのだと解釈出来ます」
ササキの説明が一段落し、公爵は腕を組んで考える。
「我が公爵家では、使用人であっても武術を教え込む、なのでその過程で傷付くことも、または敵を斬ることもある。もし斬るという単純な結果を想像するだけが、カオリ嬢の放った魔法ですかな?に共感する条件なのだとすれば、ダリアはもちろん、アイリーンなどはとくに、かかりやすい対象と云えるのかもしれませんな」
公爵の理解がようやく追いついたことで、ササキは葡萄酒に口をつけた。もちろん兜は脱いでいる。
「でもさ、それがどうして他の精神系魔法よりも恐ろしい魔法って決めつけるんだい? 聞いてりゃそこまで恐ろしいもんではなさそうさね」
アイリーンの言葉に、カオリも公爵も再びササキを見る。
「それは簡単だ。この概念攻撃の恐ろしい所以は、防ぐことが出来ないことにあり、しかも膨大な魔力を必要としないからだ」
「「は?」」
三人の呆けた声が重なる。
「何故なら、術者は相手に理解させればいいだけで、対象者が己を苦しめるために消費される魔力は、あくまで対象者自身の魔力が使われるのだから、対象者はどうしても適切な魔力結界を張るか、心を強く保つ以外に抗う術がないのですよ……、一応念押ししておきますが、魔法結界でも魔術結界でもないですよ? 魔力結界でないと、苦もなく通り抜けますからね」
「馬鹿な! いや、しかしあり得るのか? そういえば古代に使われた傾国の呪いも、史実では高名な魔導士でも防ぐことも、解呪することも出来なかったと聞く、――もしやその真相は、国に住まう民自身等の魔力を利用されたことにあるのか? あるいは都市を覆った結界の魔力が流用されてしまった? ……何ということだ。こんな恐ろしい事実に、我々は気付いてすらいないのか……」
「するってぇとなんだい、あたしは自分の魔力で自分自身の身体に、斬り傷を再現しちまったのかい、呆れてものも言えないね」
それぞれに衝撃を受ける二人に、カオリは何とも言えない表情で視線を送っていた。
自分が使った魔法の一端が、まさかこれほど高度な話に発展するとは思っても見なかったからだ。異端疑惑に続き、今度は呪術士扱いがかけられる未来を想像し、カオリは身震いし、今後はあの斬る想像を控えようと決意する。
「いやはやためになった。僭越ながら今回の話は、早速屋敷の専属魔導士に調査させ、後に皇帝と暗銀の塔に上告させていただこう、もしその時に何がしかの動きや褒美の話題が出たら、真っ先にササキ殿の御名前を公表させてもらうが、構わないだろうか? 正直わしでは追及されても語る言葉を持たぬでな」
得た知識を独占し己の手柄としない程度の常識は、さすがに持ち合わせている公爵に、ササキは鷹揚に頷く。
もしこの概念攻撃にまつわる話を、論文にして提出すれば、もしかしたら一財産もあり得たかもしれない、だがそれをせずに簡単に公開してみせた欲のなさが、公爵がササキを胸中で大絶賛する要因となった。
翌日に公爵はカオリとささやかな誓約書を取り交わした。
内容はアイリーンの公爵家での立場の明確化と、公爵家からの一切の援助を行わない代わりに、権利や領有を主張しないことを明記していた。
こうしておくことで、カオリ達の村が帝国の一貴族家といえど、公的に存在を認知されていることを宣言し、また帝国内での内向きの牽制に一定の効果が期待出来る。
アイリーンや公爵家が如何に無関係を訴えても、繋がりを疑ってそれを口実に介入しようと企むものは必ず現れる。だが今回の誓約書はカオリとササキと公爵のそれぞれで書類を保管し、いざそんな輩が現れたさいは、それぞれの立場を証明するものとなる。
これをもって公爵は、カオリ達に恩を売りつつ、ミカルド王国に先んじて手を打ったことを主張出来るだろうと考えた。協力はしない、ゆえに要求もしない、だが存在は認知しており、いざとなれば先んじて取引に応じる姿勢でいることで、帝国も王国も手を出し辛くなるはずだと。
カオリに誓約書と契約書の違いが分かるはずもないが、ササキが問題ないと肯定したのを信用して、自身も内容に不満がないことを再度確認しつつ、この誓約書を受け取ることにした。
これでカオリの帝国での用事は全て完了と相成り、一途村への帰路へつく、だがササキにはまだやることが残っていたようで、彼だけは帝国に留まり、どうやら公爵と共同でことに当たる様子であった。
カオリはこの時には内容を明かされなかったが、ササキと公爵はその後、バンデル公爵家当主の直々の命令の下、引き続き違法奴隷の調査を続けることになり、多くの違法奴隷の売買に関わった貴族や帝国市民を粛清することになった。
解放された違法奴隷は二桁にも登り、粛清されたものはそれなりの量になったが、それでも帝国が事態を重く見て、調査に協力的だったのは、動いたのが公爵家であったこと以上に、長きに渡る戦争で増えた新興貴族や、力をつけ出した大貴族家に、楔を打つことが出来る大義名分を得たからに他ならない。
戦争で武勲を上げれば、国は功労者に恩賞として爵位や恩貸地を与えねばならない、だが戦争が長引けば、増えた新興貴族の数に伴って爵位の価値が下がり、与えられる土地の数も限られてくるのは必然。
また武勲を上げた新興貴族の多くは、領地の経営に不慣れなため、人民を使い潰し、耕作地を痩せさせ、不毛な土地にしてしまうことも多く、結果的に帝国の国力を低下させる要因にもなった。
だが新興貴族はさらなる権力を欲して、帝国に戦争の拡大を訴え、また古参の貴族達も自身の発言力の強化のため、新興貴族の抱き込みを始めたことで、帝国は次第に戦争に依存する結果となったのだ。
これらは何もナバンアルド帝国に限った話ではなく、ミカルド王国もその片鱗が多分に見られていた。ただし彼の国においては、元々が王国連合の筆頭として多額の義援金を受け、先鋒国として純粋に戦力を領民で賄っていたこともあり、恩賞は金銭での支払いと税の免除に移行していたことで、無闇な貴族の肥大化は問題にならなかった。
ミカルド王国の問題は他のところあったが、ここでは割愛する。
画して帝国における政治問題と違法奴隷の問題が解決に向けて動き出したことで、カオリ達の村に向けられる関心はいやに高まる一方で、両国家としては無視を決め込む機運となり、図らずもカオリ達は開拓に集中出来る環境が整いつつあった。
村を出発してはや半月、カオリ達一行はようやく村に帰りつく。
「なんでここまでついてくるのよ、この帝国の野蛮人は!」
声を荒げたのはロゼッタであった。
「野蛮で結構! いい子ちゃんの王国民と違うんでね」
対するは一連の騒動後、カオリについてくることとなった帝国貴族の令嬢、アイリーン・バンデルであった。
他にも元村人一家である夫と妻子の三人に加え、商人の娘のイゼルと元農民の娘のカーラも、村の移住希望者として同行して来た。
「まあまあロゼ、落ちついて、ね?」
ロゼッタの気持ちも分からなくはないカオリだが、アイリーンにも事情があった上での参入である以上、こうして宥める他に打つ手を思いつかなかった。
ロゼッタの不満は何も、アイリーンが敵国の貴族であるからだけではなかった。彼女はカオリに【服従の呪印】を施した原因の一旦を担った人物であり、勝負と称してカオリを害そうともしたのだ。ロゼッタの心情的には完全に敵認定を受けても不思議ではないが、とうのアイリーンはどこ吹く風である。
「実家の命令で国内での活動を禁じられて、あたしには行く当てがないんだから仕方ないだろ? それにカオリの強さの秘訣も、個人的には気になるところでもあるしね」
「それよ! どうしてそうなったのよ、納得いかないわ!」
公爵家でのやり取りは、カオリの口から一応は説明してあった。だがロゼッタにはどうしてこうなったかの経緯までは理解出来なかった。いや理解はしていても、やはり感情面で納得が出来なかったと言った方が正確かものしれない。
ちなみにカオリ達が公爵家に訪れていた間、ロゼッタ達が何をしていたかというと、モーリン交易都市での冒険者組合への登録と各組合への視察であった。
イゼルが商人の娘であり目利きが出来たこと、カーラが農民の娘であったので、農場の開拓に関する疑問に答えられたことは、カオリ達にとって嬉しい誤算であった。各商店や商館、または各組合を二人を連れて下見出来たことは大きな収穫であった。
ただし亜人であるアキを従えたロゼッタが、どこぞの奴隷を従えた貴族令嬢と見られたことは、ロゼッタにとってもアキにとっても、痛恨の極みであったのは余談である。
アンリはといえば、元奴隷となった一家とイゼルとカーラの身の回りの世話が主な仕事となった。ただし暇が出来れば時折市場に出向き、王国では手に入らない品々に目を輝かせたり、初めて触れる帝国での生活様式に感銘を受けたりと、存外に異国を満喫したのは喜ばしいことであった。
その時に薬師店などを積極的に見て回り、薬草学や魔法薬学の知識を深めていたのは、後々にカオリ達を驚かせる結果へと繋がるが、今は置いておく。
そうしてそれぞれに忙しく動きながらの帝国での半月は、後に問題を引きずることなく無事に終わり、村に到着した一行は冒頭のやり取りへと至る。
「笑えばいいのか、憤ればいいのか、喜べばいいのか、私の正しい反応がどれなのか教えてくれ、アデル」
「いつものことだと、聞き流した方が賢明だろ、オンドール」
報告を受けた【赤熱の鉄剣】の面々は、苦笑を禁じ得なかった。
一家の救出と新たな移住希望者は想定の範囲内であるが、どうしてそこに帝国貴族の令嬢が新たに加わることになったのか、一体帝国で何があったのか、説明を受けてもなお理解に苦しむ、カオリの騒動を引き寄せる体質には、驚かされてばかりだ。
当のアイリーンはというと、村の移住者の中に元帝国兵がいることを聞いて、さっそく声をかけに足を運んだようで、今はセルゲイ達と話の真っ最中であった。
「おうあんたら、元は帝国兵だったんだってね。これからはカオリのパーティーメンバーとして、有事のさいの指揮を預かるから、帝国戦術を知ってるあんたらは、うんと働いてもらうよ」
「げえぇ! 【鉄血のバンデル】の一族がどうしてここにっ! しかもアイリーンといやぁ【灰色の姫騎士】で有名な戦場の死神じゃねぇかっ、冗談じゃなぇぞ!」
「はっはっは! 褒めたって突撃命令しか出せないさね!」
苦笑する【赤熱の鉄剣】の向こうで、早速アイリーンによる洗礼が始ったのを尻目に、村は新たな活気を迎えつつあった。
帝国を去る間際に、アイリーンは冒険者登録と同時に、カオリ達パーティーへの参加を希望し、カオリはそれを受諾した。
――卓越した軽剣士のカオリ、遠近万能型で聖魔法にも長けたアキ、魔導剣士のロゼッタ、重戦士のアイリーン―― パーティーとしての連帯はともかく、個々人の能力を見る限りは均整の取れた布陣に、オンドールはカオリ達が冒険者として益々の活躍を見せる未来を確信した。
「カオリ君達が帰ってくる数日前に、集合住宅が完成したので、一家と二人の娘さんの案内がてらに見に行ってほしい、やはり施主の確認が取れねば、大工達も帰るに帰れんのでね。今夜は完成記念と新規移住者の歓迎も兼ねて、少し豪勢な食事にしようと思っている」
「そうだったんですね! 楽しみです」
開拓の責任者が開拓地を頻繁に空けるゆえの弊害である。だが今回は新たな移住希望者を、アイリーンも含めて六人も連れて帰ってきたので、一応役目を果たしていると言える。ただし資金的には出費がかさんだために、次に遠出をする時には、少しでも収支を加算にもっていきたいところである。
現在住むことが出来る住居は多くない、元が十数棟しかなかったことに加え、ゴブリン襲撃時に焼けた家が三棟、アンデッド騒動で壊されたのが四棟、資材確保と区画整理のために解体されたのが二棟で、今は一棟をカオリ達の住居兼仕事場として利用していた。
元村人の狩人夫妻も、新たに戻った一家も遠慮したために、残りは空家であったが、話し合いの結果、一棟をロゼッタとアイリーンの共同で使うことになった。もちろんロゼッタによる激しい抗議があったのは必然であるが、理由を勘違いしたカオリの説得(主に王国貴族と帝国貴族ゆえの軋轢を早く解消してほしい)により、ロゼッタも表向きは承諾することにした。
集合住宅は一階の広間と、十部屋からなる二階建の大きなもので、主に石灰岩を使用した石造りの一階と、木造の二階からなっており、臨時での開拓民の収容に大きな期待がもてるものだった。
残念ながら水道設備はまだ完備していないが、カオリは後に浴室や洗い場の増設も考えて、図面に大きく余地を残すように依頼していた。
冒険者達は基本的に、野外に天幕を張って寝泊まりする予定のため、使用するのは移住希望者の夫妻と一家、加えてイゼルとカーラが同じ部屋を使用することで、現状で三部屋が埋まることになる。
大工や人夫達はそもそも建設が終われば、エイマン城砦都市に帰ることになっているので、今回は使用することはない、ちなみに元野盗の三人は、冒険者と同様に天幕生活である。愁傷なことだ。
集合住宅完成祝い兼移住希望者歓迎の宴は豪勢なものとなった。
森で狩った鹿や兎といった獣肉に、山菜や果物もある。調理法は主に焼くか煮込むかの簡素なものだが、都市で購入した日持ちのするパンや塩漬け、香辛料や酒が食卓を彩る。
「え? アイリーンさん自分のレベルを知らなかったんですか?」
驚いたカオリの声で、周囲のものが一瞬食事の手を止める。対して問われたアイリーンは豪胆なもので、かぶりついた鳥肉の串焼きを頬張り、それを自分で持ち込んだ蜂蜜酒で胃に流し込んだ。
「そりゃ帝国魔法学園に通うような坊っちゃんお譲ちゃんなら、適正検査のために鑑定晶で調べるだろうけどね。あたしゃ行儀のいい学生は性に合わないし、冒険者でもないからね。子供のころに受けたっきり、もう何年も調べてなかったのさ、ほとんど戦場にいたのもあったからね」
アイリーンの言葉に、冒険者の面々は苦笑を浮かべた。
「私はむしろ、この人が十八歳なのが信じられないわ」
「なにさ、あたしが老けてるって言いたいのかい?」
「さあ?」ととぼけるロゼッタに、アイリーンは鋭い視線を向けるが、本人もさほど気にしていないのか、すぐに食事に戻った。
カオリ・ミヤモト 【種族】十二 【戦士】
アキ 【種族】十六 【戦士】
ロゼッタ・アルトバイエ 【種族】六 【導士】
アイリーン・バンデル 【種族】二十二 【戦士】
オンドールに次ぐ高レベルの戦士であるアイリーンに、カオリは興奮したように目を輝かせる。もしこれでアイリーンの実力が評価され、彼女が金級にまで昇級すれば、あの【デスロード】級の魔物の討伐依頼も請けることが出来る。そうなれば今後かなりの額になるだろう開拓資金に、大幅な目処が立つからである。
機嫌よく目の前に並べられた食事に、カオリも手を伸ばす。
主にオート麦を使った堅い黒パンも、野菜の煮込み料理と共に食べれば、顎の弱いカオリでも美味しく食べられるのは、この世界で培った最初の知識である。
動物の骨の出汁が効いた煮込み料理の味が染み込み、実に味わい深い食事にカオリは満足する。
「だがレベルがそんなに大事かね? 戦場でものをいうのは経験さね。どこから何が飛んでくるか分からない状況で、一対一の決闘なんてありゃしないんだ。その点カオリの技術は大したもんだ。重装騎士と重装歩兵が中心の帝国軍でも、軽装歩兵の存在は無視出来ないからね。往年の亜人との紛争も、結局は局地的なゲリラ戦に、帝国の騎士連中が対応出来ないのが問題なんだ」
なかば愚痴に近い話し方に、彼女が戦士としてだけでなく、指揮官としての才能もあることが伺え、カオリは頼もしく感じる。
「戦場であればそうでしょう、だが我々は冒険者で、相手にするのは人外の力を持つ魔物達、奴らの俊敏性と頑強さは、雑兵をいくら束ねても意味がない、それはアイリーン嬢も理解出来ましょう?」
オンドールが会話に参加し、アイリーンは肩を竦める。
「十二で初めて窃盗団の討伐作戦に参加して、十四のころに初陣して、王国との戦争がなくなれば各地の亜人共と戦った。けどたまにゃ魔物相手に傭兵として雇われたり、帝国軍の討伐隊に交じって戦ったこともあるさね。何も知らない生娘と思われるのは心外だね」
おどけた調子で語る壮絶な戦歴に、オンドールは苦笑する。
「若かりしころのバンデル卿に追いかけ回されたのが懐かしいな……、まさかその御令嬢とこの年になってお会い出来るとは思ってもいませんでしたが、相手はあの【鉄血のバンデル】の御令嬢、戦も知らぬ生娘などと、冗談にもなりますまい」
かつては敵だったもの同士の応酬に、周囲は息を呑んだが、当の本人達は屈託なく笑い合う。
「まあレベルが上がって肉体強度が増してからは、月のもんに悩まされることもなくなって、いつでも戦えるようになったのは僥倖さね。その点だけでも女のあたしゃあ儲けもんさ」
「「え? そうなの!」」
アイリーンのこぼした言葉に、カオリとロゼッタの声が重なった。月のものと言えば、当然、生理のことである。
「あん? 何だいあんた達、知らなかったのかい? ていうか気付かなかったのかい?」
呆れた様子でアイリーンは二人を半眼で見やる。
「血の量も少ないし、頭痛も腹痛も、そういえばないなぁとは思ってたけど、まさかそんな理由があったなんて……」
「そんな話初めて聞いたわ、私も以前に比べて楽になったとは気付いていたけれど、レベルが関係していたなんて……、お母様はどうして教えて下さらなかったのかしら」
女性の下世話な会話に、所在なげに明後日の方向を向く男性陣の中、オンドールだけは至って冷静に声を挟む。勇者である。
「女性の月のものは、子を授かっているかの目安になるからね。次代を残す役割を求められる貴族の女性は、無闇にレベルを上げないことが暗黙の了解となっていると聞く、冒険者に反対しているロゼッタ譲の母君はあえて教えなかったのだろう、――カオリ君はたんに知らなかったのかな?」
「……お母様」
目を瞑って上を向くロゼッタ、娘が喜ぶような余計な情報を教えたくなかったゆえの秘匿だったのか、ロゼッタは実の母の内情を想像し、少し嘆じてしまったようだ。
「レベルが二十を超えるころには、痛みもだるさもまったくなくなるさね。ただし血は少量出るけどね。あと戦士系と導士系で肉体強度も差があるから、お嬢ちゃんの場合はどうか知らないさね」
「お嬢ちゃんなんて呼ばないで、二つしか変わらないのにまったく……、今の情報のお礼にロゼと呼んでちょうだい」
「そうかいロゼ、これからは世話んなるよ」
屈託のないアイリーンの笑みに、ロゼッタは苦笑を浮かべる。
「そういやぁ、カオリ達にはパーティ名はないのかい、それとパーティの目標とかさ、冒険者でも傭兵団でも何かあるもんだろ?」
アイリーンの問いは極々ありふれた疑問からだ。冒険者であれば多くのものは一攫千金を夢見て、傭兵団であればいずれは貴族に士官という道もある。
「目標ですか? 村の開拓かな?」
「もはや冒険者ですらないわね……、開拓の暫定的な最終目標とかは? あと冒険者としては階級とかもないの?」
ロゼッタもついぞ聞いたことがなかったと思い、話に口を挟む。
「目標っていうか、安全で、自由で、豊かで、かな? 冒険者としては……そうだね~。最高の冒険者とか?」
「つまりないってわけね……」
「あっはっはっは! 終わりのない冒険かい、でパーティ名の方は何かないのかい? 人に聞かれた時に、箔がないのは締まらないからねぇ」
「それは決まってます! その名もっ【孤高の剣】」
カオリの高らかな宣言に、皆呆気に取られながらも、その名の持つ意味を反芻し、頷き合う。
「思ってたよりいいんじゃない? 四人なのに孤高っていうのは冗談の類かと思ったけど、私達一人一人が誇りを持ち、気高く生きる。一振りの剣であると思えば、いい名だと思うわ」
「いいねいいねっ! 全員獲物持ちだし、鉄血の名を冠する一族のあたしにとっても、名誉ある名さねっ」
「よう御座います。カオリ様」
満場一致で可決されたことに、カオリは気をよくする。
その様子を微笑ましく見守っていたオンドールが、頃合いと見て発言する。
「開拓に関しても、手をつけられる場所から着手する他あるまい、目下、堀の掘削と荘園の再整備が主になろう」
「はい、ご指導お願いしますっ」
カオリの異世界冒険開拓活劇はまだ始まったばかりである。