表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/74

( 奴隷騒動 )

遅くなり申した。

――拝啓、兄へ、私ことカオリは、奴隷になりました――


 遠い空の景色を、僅かに設けられた小さな窓から眺めながら、カオリはガタガタと激しく音を立てる粗悪な馬車に揺られつつ、今は会えない家族のことを、友人達を、ぼんやりと考えていた。

 馬車は大きな木製の箱型で、頑丈に重ねた板と要所に板金補強を施した丈夫な造りだ。だがそれは外敵から乗員を守るためではなく、逆に中の人間が逃げ出せないように造られたためである。 

 屈むことでしか出入り出来ない出入り口と、鉄格子のはまった小さな窓が、その馬車の用途を十二分に語っていた。

 その中でカオリは、他に数人の人間と、肩を並べて座っていた。

 彼らは皆一様に汚れた薄手の服を着て、手には木板を組み合わせた手枷がはめられ、それらはみな一本の鎖で繋がれている。

 その鎖を視線で辿っていくと、自分の両手首にはめられた。同様の枷に辿りつく、大きく溜息を吐いた。


(一応言っておこう、どうしてこうなった……)




 それは遡ること五日前。

 カオリは予定通り、最初にハンス夫妻に話を聞きにいった。

 村長の居場所は、村を放棄した時に、目的地の名称だけは聞いていたので、二人には他の元村人の居場所について、心辺りがないかを聞きたかったのだ。

 元村人達はそれぞれのつてを頼りに旅立った。エイマン城砦都市に向かったのはカオリ達だけだったが、他のほとんどの元村人は、近隣の村や集落を目指したのだった。

 その理由にはやはり金銭の有無がある。村社会で生きて来た彼らは基本的に貨幣を必要としないため、都市の通行税や宿泊費を用意出来ないものが多かったのだ。

 また戦争需要が低下した近隣の都市では、すぐに仕事に就ける保証もないことや、冒険者のような危険な仕事に就くことを、忌避したのも理由にあったが、彼らにとって一番の理由は、今更、どこかの国の民になる気が、起きなかったのが大きかったのだ。

 そうした事情があって、国に属さず、細々と狩や農作業で食い繋ぐことが出来る。小さな村や集落を、新天地へと定めたのだ。

 だがハンス夫妻の話を聞いて、だいたいの名前や家族構成、そして目的地を聞き出している最中に、思わぬ人物が会話に入って来た。


「ちょいと待ちな、今おたくらが言った場所って、帝国領に程近い場所で間違いねぇのかい?」


 横から入って来たのは元野盗の首領、セルゲイだった。


「知ってるんですか?」


 カオリは聞きかえす。

 あの襲撃事件の後、正式に村の一員となった彼等は、主に建築や狩での労働に従事していた。

 元々兵士であったため、工兵の経験もあり、黙々と作業することには慣れていた彼らではあるが、思ったよりも早く、村の仕事に馴染んだのだった。

 だがついこの前まで、村を襲撃した野盗集団の元一味だったため、真面目に働いている分には文句も出なかったが、流石にすぐに信用される訳もなく、開拓民達との会話や食事時では、一線を引いた付き合いに留まっていた。

 しかしこの時初めて、彼らの方から話しかけてきたのだ。


「知ってるっていうか……、たしかあの辺りは、違法な人身売買をしてる連中の縄張りだったはずでよぉ、もしその話がマジなら、もしかしたらって思ってよぉ」


 その言葉に、ハンス夫妻は表情を硬くする。


「違法なっていうのは、具体的にどういうことです?」


 カオリは眉をしかめながらセルゲイと向き合う、その様子にセルゲイは、カオリのどこか世間知らずっぷりを思い出し、仕切り直すように説明した。


「いやな? 帝国が奴隷制度を布いている国なのは知ってるわな? だがよ、誰でも彼でも奴隷に出来る訳じゃねぇのは当然だわな? 戦争奴隷に犯罪奴隷、借金奴隷に貧困奴隷と、奴隷にも色々種類があるがよ、中でも質が悪ぃのが違法奴隷よ」


 捕えられた敵国の敗残兵は戦争奴隷へ、窃盗や詐欺等の軽い犯罪を犯したものは犯罪奴隷へ、借金の形に売られたものは借金奴隷へ、怪我や失業等の理由で働けず、生活はおろか税金も払えないものは貧困奴隷と、奴隷は来歴と共に扱いや解放条件が細かく設定されている。

 だが、セルゲイの言った違法奴隷は、それらとは大きく違うものだ。


「つまりだなぁ、なんの罪も落ち度もねぇ一般市民とか、正規の手順を踏んで入国した他国の民とか、冒険者なんかもそうだな、そういう奴等をふん縛って、国の認可を取らねぇで、直接奴隷商に売っちまわれたのが、違法奴隷なのよ」

「それって、売った方も買った方も、罪は重いんですか?」


 帝国が奴隷を国で管理していることは、以前に習っていたカオリだったが、違法奴隷なるものが存在することは知らなかった。いやそもそも、奴隷という概念そのものが違法だろうと認識しているカオリには、わざわざ違法と銘打つ言葉の意味を量り兼ねたのだ。

 それでもそこに言及しなかったのは、この世界の常識を受け入れようとするカオリの姿勢からだったが、しかし知ったかぶりをすることを避けた結果、そんな質問の仕方になった。


「そりゃあ何にも悪ぃことしてねぇのに、奴隷にされちゃ腸煮えくり返るわな? 奴隷つったって自分を買い戻せば後は自由なんだ。それが恨みを募らせて反乱なんて起こされちゃ、帝国は内側から崩壊しちまう、だからちゃんと法律を作って、奴隷本人も納得出来る労働環境が整えられてるんだぜ? だのに事情も何も無視して、自由を奪っちまうんだ。捕まえて売った方はもちろんだが、よく調べもせずに買った方も、もしも奴隷が貴族とかだったら、場合によっちゃあ縛り首だぜ」

「ほっほ~、納得~」


 現代人にとっては当たり前に思える事だが、法がない、あるいは十分ではない世界、または国家というのは、人の命はおろか人権というものすらが軽く扱われてしまうのは云うまでもなく、しかしこの世界にも最低限の倫理感が存在することに、カオリは安堵する。 カオリの呑気な様子も気にせずに、セルゲイは話を続ける。


「だが何事も抜け道はあってよ、身元の保証が証明出来ない場合は、幾ら本人が抵抗してもよ、役人は元より周りの人間も、碌に取り合わねぇのがほとんどなのよ」

「なるほど、自由になりたいがために、嘘を吐いてるって思われる訳ですか」


 カオリの同意にセルゲイは鷹揚に頷く。


「そうそう、よっぽど顔が売れてるか、国の要人として正式に招かれでもしてねぇ限り、調査の手が伸びることはねぇし、奴隷商も知らぬ存ぜぬでまかり通っちまうのさ」


 カオリの胸に苦い感情が広がるが、セルゲイが伝えたいことをまだ聞き出していないため、カオリは話を促した。


「それが今回の件とどういう関係が?」

「戦争の停滞で野盗化した連中の中には、戦時中に奴隷商と懇意になった奴等もいたんだ。それに魔物の大量発生で被害が出たのは、ここいらだけじゃねぇんだぜ? 帝国領に程近い無法地帯の村や集落に、国の庇護下にねぇ無防備な旅人が向かったんだろ? こりゃ奴等にしてみれば、鴨が葱背負って来るようなもんだぜ、最近じゃ奴等の羽振りの良さが噂になってんだ。こりぁもう俺が慌てて声かけたのも分かんだろ?」


 一同の間に、重い沈黙が流れた。カオリはそれぞれの表情を見回し、恐怖と不安に染まるハンス夫妻に視線が止まる。

 かつての村の仲間で、魔物の脅威から逃げた先で、今度はもしかしたら人間の手で、絶望の淵に立たされているかもしれないのだ。二人の心中を察し、カオリは息を吐く。


「もし、もし元村人の方が、奴隷にされていたりすれば、私が出来る範囲で、何とかしてみようとは思います。具体的な方法については、ササキさんなら帝国領でも顔が利くかもしれませんし、相談に乗ってもらいましょう……」


 夫妻の表情に、希望の笑みが戻る。だがその一方で、カオリの胸中は陰鬱としていた。


(王国もそうだけど、帝国で何か問題を起こしたり、また街で噂が立ったりしたら嫌だなぁ……)


 カオリは嫌な想像を浮かべ、早くも憂鬱になった。




 そして時を戻して現在、カオリは激しい馬車の揺れに辟易しつつ、ササキからの通信を受け取り、周囲に気取られぬように振る舞いながら、脳内で会話を始めた。


『こちらハウンド、奴隷受け渡し場所から少し離れた場所で、野盗達を拘束、どうぞ――』

『はいこちらフォックス、現在馬車で移動中、奴隷商達はま――』

『カオリ様ご無事ですかっ! おのれ下劣な人間風情がっ、至高なるカオリ様を奴隷扱いになど、千の苦痛を与えても足りぬほどの愚行っ、この世のすべ――』

『アキ、待て』

『…………』


 ササキとの連絡に割って入って来たアキを、近頃定型句になった一言で黙らせる。アキの気持ちを汲むことも大事には思っているが、過保護な彼女の言うことを全て聞いていては、話が前に進まないと、カオリは心を鬼にする。

 アキはカオリとササキが考えた計画に、当初猛反発した。いや、正確には今も反対している。そのため、奴隷となったカオリの現状に、大いに不満を抱いていたのだ。

 だがカオリは、とりあえずアキを無視する方向で、改めて状況確認を開始する。


『ササキさんの方はどうですか?』

『周辺の村への聞き込みと、野盗達への尋問で、元村人に似た特徴の一家が、奴隷として売られたのを確認した。可能性は高いだろうな』


 セルゲイの示した最悪の状況が、現実に起きたであろうことに、カオリは深く嘆息した。気付くのが早かったことを喜ぶべきか、間に合わなかったと嘆くべきか、どちらにせよ、最初に警告を送れなかった当時に、カオリが出来ることなどなかったのだから、今は目先の計画の遂行に集中すべきだ。


『野盗達はどうしました?』

『一人を除いては、皆アキ君の手で無残に死んだ。まあおかげで一家の情報も塒の場所も吐かせられたからな、これから残党を片付けて、その後に、カオリ君を追うことになる』


 このさいアキの抑えられない怒りは、野盗達にぶつけてもらおう、不当な人身売買に手を染めるような鬼畜には、さすがのカオリも慈悲の心はない。


『私の刀は無事ですか?』


 カオリは一番気になっていたことを確認する。


『ああ、回収済みだ。引渡直前に接触したからな、盗られたのは武器と擬装用の荷物一式か、これが塒に連れて行かれていたら、服も剥がされていたかもな』

『服にまで手を出そうとしたら、たぶん抵抗してましたから、奴隷商との引渡現場を押さえられなかったかもですね~、ではまた頃合いを見て、連絡をお願いします』


 カオリはそう言って通信を切り、再び溜息を吐き出した後、周囲の観察に移る。といっても、もうさんざんに観察し終え、見るべきものはなく、カオリは無意味に過ぎる時間を、退屈を持て余しながら、待つことしか出来なかった。

 はたから見ていれば、視線を彷徨わせたり、時折考える素振りで宙を見詰めたり、最後に溜息を吐いたりと忙しいカオリは、奴隷として売られる未来を憂う、哀れな少女に映ったことだろう、本人はただ面倒な現状にうんざりしているだけなのだが、知らぬは当人のみである。

 ほぼ一日の移動を終え、カオリ達が都市に到着したのは、すでに日が沈み、夜の帳が降り切った時刻のことだった。正確な時間を把握しているのは、ササキ達からの定期報告と、辛抱堪らなくなったアキからのしつこい連絡のおかげだ。

 あえて目立たぬ夜を選んだのか、それとも偶然か、馬車が不自然に速度を緩めた様子はなかったので、もしかしたら頻繁に行き来して、時間の計算が出来ていたためかもしれない、であれば、この奴隷商は違法人身売買の常習犯である可能性が、かなり高いと考えられるだろう、もちろん、現段階ではカオリ自身という証拠、以外の証拠は確認出来ていない、カオリはもう少し様子を見るべきだと結論付け、大人しく座っていた。

 検問を終えてしばらくして、石畳を進む音が、土道を進む音に変わり、馬車はようやく目的地に到着したようであった。

 馬車の小さな出入り口が開き、鎖の端が乱暴に引っ張られ、カオリを含めた乗員達は芋蔓式に外へ出された。

 複数人の男が掲げる松明の明かりが眩しく、カオリは目を細めたが、カオリの目が慣れるより早く、男の声が響く。


「到着だ奴隷共、今日からお前達は商品として売られるまで、ここで数日を過ごすことになる。明日はそれぞれ適正を測り、価格の査定を行う、抵抗するものには罰を与える。大人しくしておくことをお勧めしておく、以上だ。移動しろ」


 ひどく事務的に、男はそれだけを言い捨てて、離れて行った。

 昨日確認した奴隷商達の他にも、数人の男が増えていた。身なりは皆粗末な麻服に革鎧と、腰には帯剣もしていたが、新たに増えた男達は、長さの違う大小二本の木棒を持っていた。武器としては心もとないが、抵抗した奴隷を極力傷付けずに制圧するには、最適な武装なのだろう。

 カオリは移動を強要する男達に大人しく従い、建物らしきものへ連れられ、鎖で繋がれた他の奴隷共々、石造りの一室に押し込まれた。

 そこで息を吐いて腰を下ろしたカオリだが、腰を下ろす瞬間、鎖が引っ張られ、僅かに腕が上がる。どうやら状況にまだ慣れていなかった両隣りの奴隷が、茫然と立ち尽くしていたため、鎖が引っ張られたのだろう、カオリは気にせず身体の緊張を解いた。

 あれほど憂いた様子を見せていたカオリが、厚顔無恥に振る舞ったことで、周囲の奴隷達は少々呆気にとられた。

 だがまた定期的に溜息を吐き出したので、たんに焼きが回ったために、自棄になっているのだろうと判断され、僅かばかりの憐みを向けられていた。もちろんカオリは、周囲が自分をそんな風に見ていることを知らない。

 カオリは目を閉じる。どうせ明り一つない部屋の中だ。目視による状況確認は不可能なのだから、無駄な体力を使うのも馬鹿らしいとカオリは考えたからだ。

 一刻ほどの時が経ち、部屋に女性の啜り泣く声が響く、どんな事情があって、どんなに待遇を見直しても、自分と云う個の自由意思を奪われ、奴隷と云う商品に堕とされたことを喜ぶ人間などいない、カオリは目を閉じたまま、黙考を再開する。

 ササキから教えてもらった定期報告で知ったことだが、今カオリがいる都市は、村を中心に見て、エイマン城砦都市と丁度真反対に位置する。帝国領の都市で、名をモーリン交易都市と云うらしい。

 この都市はハイゼル平原で分岐した大河を主流とする。幾つもの川を利用した水運と、南北に位置する要所へ、物資を運ぶ中継地として栄えた歴史がある。

 近代では、王国のエイマン城砦都市と同様に、両国の戦争における帝国側の駐屯地として利用され、三年前までは軍需産業が盛んに行われていた。

 とくに王国側から捕えた民兵や領民は、奴隷として売買され、帝国民からは奴隷産地と呼ばれるほどに、奴隷売買で有名な都市ではあったが、戦争が停滞してからは軍需産業は元より、奴隷の仕入れにも影響が出たことで、都市の経済に少なくない影響を及ぼしていた。


『そのせいで、違法奴隷の売買が頻発し始めたのだろう、私の、北の塔の国の影響が、このような形で顕在化したことを、私も残念に思っている……』


 言い訳もせず、だが反省も後悔もしないササキの物言いを、不快に思うほど、カオリは物分かりの悪い子供ではない、悪いのは違法奴隷の売買に手を染める。野盗と奴隷商、そしてその違法奴隷を買い求める一部の帝国民であり、ササキには何の落ち度もないのだからと。

 今回のカオリ達の計画は、元村人一家の救出である。といっても当初は村々を回り、一家に心辺りがないかを聞いて回る予定だったのだが、近年の情勢と村の様子から、一家を受け入れられる村は少ないと考え、いっそ手っ取り早く違法人身売買に関わっている野盗集団に、直接尋問をしようとササキが言い出したことで、改めて計画を練り直したのだ。

 そして出した結論が、カオリが囮になることで、野盗集団と奴隷商を同時に探り、違法行為に手を出した双方供を摘発、また一家が買われていた場合は、買い手の情報も入手しようという運びになったのだ。

 正規の手続きを踏んで、帝国側に捜索及び引渡を依頼しなかったのは、色々と込入った事情が多分に孕んでいたためであるが、今は省略する。

 当然のことながら、囮役がカオリになった経緯には一悶着があった。それは先述したアキの猛反対である。

 また声こそ確認していないが、今回も同行しているロゼッタと、一家本人の顔を確認する役目を負ったアンリも、最初は反対していた。

 だが一目見て王国貴族令嬢と分かるロゼッタでは野盗も奴隷商も警戒し、かといってアンリでは万が一の場合に自衛の力がなく、アキは奴隷扱いに対して、性格的に堪えられないだろうと判断された。

 カオリであれば、少女ということで相手は油断し、また珍しい黒髪黒眼であるため、相手は是が非でも奴隷にしようと躍起になるだろうと、そして仮に戦闘になってもカオリなら安心である。

 夜が明けて、すっかり硬くなった身体を解しながら、カオリは他の奴隷と共に外へ連れ出された。


「おはよう、では今より選定を始める。一人一人名前を確認していくが、自分を高く売り込みたいものは自ら発言しろ、高く買われれば、それだけよい待遇の主に買ってもらえるのだからな」


 挨拶をしたのは受け渡し時にも居た男で、恐らくここの奴隷商の主人で間違いないようだ。太陽の下で見た奴隷商は、肌がひどく白く、やや太った中年の男で、一人だけ仕立てのいい服から、そこそこに裕福であることが伺えた。

 奴隷売買は果たして儲かるのか? カオリはのんびりとした面持ちで、そんなことを考えていた。

 一般的に奴隷の価格は、その能力や知識、また年齢や容姿によって変動する。戦争奴隷や犯罪奴隷であれば、過酷な重労働で重宝する反面、勤務態度や安全面に問題があることから、比較的に安い価格で取引されている。

 一方借金奴隷や貧困奴隷は、元が一般市民や商人の親族が多いため、家事や手工業、または帳簿係で役立上に、基本的に主には従順であるため、平均して結構な値段になる。

 そしてとくに優れた容姿のもの、主に若い女性ともなれば、性奴隷として、労働者の年収の二十倍の値が付くこともざらである。

 なので、カオリの疑問に答えるのならば、いい奴隷を安定して仕入れられる場合に限り、儲かる商売なのだ。

 端から質疑がおこなわれ、奴隷達は時にぶっきら棒に、時に悲哀を滲ませつつ、名前や特技を答えてゆく、一部泣き叫びながらの懇願をするものが居り、用心棒らしき屈強な男達に取り押さえられ、強かに打ち据えられていたが、両隣りの奴隷は心底迷惑そうな表情で、暴れた奴隷を一瞥していたことから、同じ奴隷としての同情や仲間意識などないことが伺える。


(そっか、事情で待遇が違うってことで、同じ奴隷同士でも、お互いを牽制しあう効果があるのか、そりゃ犯罪者と借金の形替りにされた人とじゃあ、仲間意識なんて出来る訳ないもんね……)


 カオリは一人納得した。帝国が奴隷の行く末を案じての措置かと思いきや、その実、奴隷同士の結託を阻む効果もあったことに、カオリは素直な感嘆を抱いた。


「おい、次はお前の番だ」


 そんなことを考えていた内に、カオリの順番が回って来た。


「冒険者組合エイマン城砦都市支部所属の、カオリです」


 正直に答えたカオリを、男は即座に笑い飛ばした。


「という設定か? お前みたいな女のガキが、冒険者な訳ないだろう、嘘を吐いて自由になるつもりなんだろうが、そんな見え透いた嘘なんざぁ誰も信じちゃくれないぞ?」


(はいはい、お決まりのセリフですね。お疲れさまで~す)


 カオリは鼻から息を吐き出し、静かに嘆息した。その様子を強がりと捉えた男は、嘲笑った様子でカオリを挑発する。


「で、嘘を吐いたからにゃ、最低の待遇で売られても文句が言えねぇが、今ならまだ話を聞いてやらんでもないぞ?」


 男の下卑た声に、カオリはとくに感情を揺らすことなく答える。


「銀級冒険者で、現在ハイゼル平原南部で、亡村の復興開拓の責任者をしています。読み書きは苦手ですが、それなりに戦闘も出来ます。因みに男性経験はないのでどうぞよろしく」


 カオリの投げやりな言葉に、男は一瞬呆気にとられるが、すぐに表情を険しくし、顔を赤くした。


「こいつ! その生意気な口を閉じねぇかっ!」


(そっちが言えって言ったんじゃん)


 呆れ果てるカオリと対照的に、男は憤慨して乱暴に手を伸ばし、カオリに掴みかかろうと動いた。

 だが男の行動を叱責する声が響く。


「止めんか、折角の上玉に傷を付ける気か?」


 止めたのは奴隷商の男だ。上玉という言葉に不穏な気配を感じるカオリは、じっと奴隷商を見詰めた。

 悔しそうに次の奴隷の質疑に移る男に代わり、奴隷商は見詰めるカオリの視線も意に介さずに近付き、カオリの正面に立つ。


「どうやら自分の価値をよく知っているようだな、普通はもっと悲壮な表情を浮かべるものだぞ小娘、その方がお客様の購買意欲を掻き立てるのでな」


 カオリにとっては意味の分からない言葉を発しつつ、奴隷商はカオリの全身を舐め回すように観察する。背中にぞわりと悪寒を感じたカオリは、小さく身を震わせながら眉をひそめる。


「言った意味が分からんか? それとも抵抗の余地があると勘違いしていたのか? 見たところ異邦人のようだが、奴隷になるということの意味を、正しく理解出来ていないようだな」


 勝ち誇ったように語る奴隷商に、カオリは言葉以上にその態度に苛立ちを覚えた。

 この世界に召喚されてから今日まで、初めて向けられる。侮りと蔑みを孕んだ視線を、カオリは単純に不快に思ったのだ。


「……」


 だがカオリは黙って奴隷商を見詰め続けた。今回の自分の役目は囮である。こうしている間にも、ササキ達が方々に根回しをおこない、正規の調査を入れる手はずになっている。それをここで相手を無駄に挑発し、騒ぎを起こしたのでは計画に狂いが生じてしまうのだ。

 一言も反論しないカオリに何を思ったのか、奴隷商は鼻を鳴らして離れて行く、だがその直後に放たれた言葉に、奴隷達は苦悶の声を上げた。


「【服従の首輪】を」


(ササキさんの言ってた魔道具かな?)


 カオリの予想は当たっていた。先程から視界に入っていた木箱を開け、男達が手に取ったのは、頑丈そうな金属の首枷だった。

 一見するとただの鉄の首枷だが、内側に紋様が彫り込まれているのが見えた。名称から察するに、装着者の意思に働きかけて、行動を抑制、あるいは制御する力があるのだろう、これには流石のカオリも冷や汗を掻く、いくら戦闘能力があろうとも、意思そのものを制御されれば、どんな不当な命令にも従わざるをえなくなる。

 しかしササキの説明では、精々が低レベルの人間にしか効果がない代物らしく、カオリのような十レベル台の人間には、ただの鉄の首輪でしかないという、それでもカオリが少し動揺してしまったのは、まるでそれが奴隷の烙印のような、抗い難い運命の枷に感じてしまったからだ。

 カオリにはいつからか、特に怒りを覚える事柄が存在していた。力による不当な意思の抑圧、或いは権力による耐えがたい弾圧だ。

 己が意思を抑えつけられ、不自由を強いられること、または意思を持つことすらも許されず。不遇を強要されることだ。

 にも関わらず、こうして不自由の象徴である奴隷を体験することになったのだから、人生何が起こるか分かったもんじゃない。

 そうこうしている内に、カオリに近付いた男が、手早く首枷をカオリに装着してしまった。僅かに体内の魔力が反応した感覚が走り、カオリは目を閉じて身震いした。

 数瞬の間カオリはじっとしていたが、恐る恐る目を開けて周囲を見回す。茫然とするもの、静かに涙を流すもの、無表情に虚空を見詰めるもの、奴隷達の反応は様々だが、それが首枷の力によるものなのかは判別出来ない、それとも本人の自覚なしに、効果を発揮するものなのか、カオリは黙って観察を続けた。


(何かあるようには見えないけど、もうどうしようもないよね)


 効果があろうがなかろうが、すでに首枷を自力で取り外すのは不可能だろうと、カオリは早々に諦めつつ、囮役に徹するために気持ちを切り替える。


「全員つけたな? ではいつもの通りに仕分けして、通常業務に戻れ、奴隷共は命令に逆らわず、大人しくついていけ!」


 奴隷商の指示を受け、男達は男女や他のなんらかの基準の下、奴隷達を分けていく、繋がれた鎖が外れたことで、カオリは一瞬逃亡を考えたが、まだ早いと気持ちを落ちつける。


「お前達はこっちだ。ついて来い」


 先程カオリに掴みかかろうとした男が、カオリと他の二人に命令し進み始める。後ろにもう一人がついて来るので、一応警戒はしているのだろうが、【服従の首輪】とやらの効果が名前の通りならば、命令するだけでいいはずなのだ。カオリは不思議に思う。

 ついた先は石造りの牢だ。初めて見る鉄格子の牢に、若干のもの珍しさを感じるカオリは、視線を忙しなく動かす。

 便器の代わりだろう桶を見付けてげんなりしたり、その桶や食事を手渡す小さな格子扉も確認する。小窓の大きさを見て抜け出すことが困難なのも確認した。だが床が木板であることに気付き、カオリは首を傾げた。


(普通こういう牢って、冷たい石の床じゃないの?)


 現代日本で暮らしていた少女にとっては、こんなことでも疑問が尽きないようで、カオリは自分の置かれた状況を、しばし忘れて観察を続けた。

 両隣りの女性二人にも視線を向けたが、目が合うことはなかった。そのことに疑問を抱かないわけではないが、それでも初対面の、恐らく年上だろう同性二人と、どんな会話をすればいいのか分からず、カオリは気まずい雰囲気の中じっとして座っていた。

 一刻ほどの時間が経過したころ、おもむろに現れた男がカオリ達に向けて命令を下した。


「今から身体調査を始める。着ている服を全部脱げ」


(ふざけんな! いやっ、いや、武器を持ってるかもしれないし、必っ要、なことだ……、我慢、我慢、堪えろ私――)


 何とも失礼極まりない命令に、カオリは一瞬激昂しそうになったが、そこはぐっと堪えて命令に従って動き出す。

 カオリが衣服に手をかけたころには、両隣りの二人はすでに一部を脱ぎ始めていた。躊躇う様子がないために、首枷の効果はカオリ以外には効果を及ぼしているのかもしれないとカオリは考えたが、そこでふと気付く。


「どうやって上着を脱げばいいんですか?」


 カオリの質問はもっともだ。カオリ達は三人共、両手に枷を嵌められたままなのだから、服を破かない限り、服を脱ぐことは出来ない。


「知っている。両手を格子の外に出せ、片方ずつ縛るから、それで脱いでいけ、脱いだ服はこっちにわたせ、一時的に手枷を外すからといって、抵抗するなよ、いいか?」


 なるほどとカオリは納得し、言われたとおり、面倒な手順を踏みながら服を脱いでいった。男の前で服を脱ぐことには、まことに遺憾であったが、逆にこんな下種人間に恥じらう姿を見せるのも癪だと、カオリはなかばやけになって全裸になった。

 この世界で肌を全て晒したことは数えるほどだ。隠れるようにおこなった湯浴みの時でさえ、カオリはなるべく布で局部を隠すようにしている。

 身長は百六十二センチ、体重は四十八キロ、体脂肪率はこの世界に召喚されてから、過酷な冒険者稼業で随分鍛えられたため、日本の同性よりも筋肉量は多いはずだ。胸はCだったらいいなぁくらいである。普通と評することも出来るし、無駄のない引き締まったとも云える。

 両隣りの女性二人もさり気無く確認する。二人共カオリよりも身長が高いのは、外人風の世界の民族と考えれば普通だ。双方ともになかなか美人だが、少々痩せ過ぎているのは残念に映るかもしれない、今日まで満足な食事が出来なかったと考えられる。

 胸についてはあえて言及しない、誰かと比べるなど、しない。

 石造りの部屋の冷気が肌を冷やす。カオリはこの時ほど、アキの全身体毛に覆われた身体を、羨ましく思ったことはなかった。


「代わりの服だ。今日からこれを着ろ、他に代えは効かんから汚すなよ、それとこれに手を当てろ、ついでにお前達のステータスを確認する」


 そう言って男は枯色の貫頭衣と、魔水晶によく似たものを出した。冒険者がステータス確認をするために用いる魔水晶である。男の言では同じものだが、あれよりも少し台座となる意匠が異なるため、少し違うものなのかと、カオリは首をかしげる。

 貫頭衣など初めて着るため、少々手間取っている間に、他の二人は魔水晶での鑑定を終えていた。男は二人の鑑定結果に何か満足いった表情を浮かべるが、カオリには理由は分からない。

 そして最後にカオリも魔水晶に手を当てる。冒険者組合の魔水晶と同様に僅かに魔力が巡る感覚があったが、この時点で違いが感じられることはなかった。だが男の次の言葉で、カオリは息を飲んだ。


「ふん、三人とも処女で、病気の類もない、今回は当たりだな」


(なんて失礼な魔道具なのっ! 誰よこんなの作ったのっ!)


 憤慨やるかたなしである。一体何を基準に判断しているのか、小一時間問い詰めたい衝動に駆られ、カオリは猛烈に不機嫌な表情で男を睨み付けた。

 しかし魔水晶の台座を見ていた男が、突然顔色を変え、驚愕の表情でカオリに視線を向ける。そして鬼の形相で自分を睨み付けるカオリと目が合い、「うわっ!」と声を上げて驚いた後、慌てた様子で走り去って行った。


(え? 何? そんなに私の顔が怖かったの? 地味にショック)


 男の反応にわけも分からず、カオリは落ち込んだ。男の前で服は脱がされるわ、繊細な乙女の事情は暴露されるわ、挙句の果てに顔を見て怖がられるわ、散々な日である。


(ササキさんまだかなぁ……、もううんざりだよぉ……)


 カオリの声なき嘆きが木霊する。




 一方走り去った男が駆け込んだのは、奴隷商の執務室だった。


「主人っ、あの女やべぇぞレベルが十一もありやがる。しかもスキル持ちだ。それに【服従の首輪】の効果が効いてねぇ!」

「なんだと? そんな馬鹿なっ、小娘だぞ!」


 男がもたらした報告に奴隷商は驚き、書きかけだった書類にインク壺を倒してしまい、思わず悪態を吐いた。

 民間の奴隷商が扱う一般的な奴隷は、いや奴隷に堕ちてしまうような人間は、戦えない弱い人間がほとんどである。でなければ戦闘力を持たないたかが商人に、屈強な戦士や優秀な魔導士を力で御することなど不可能だからだ。

 もちろん中には、油断から捕まってしまうものや、戦争で捕縛される強い軍人や兵士が居ないわけではない、だが枷一つで動きを封じても、体力や筋力は一般人とは比較にならないのだ。拘束し続けるにも限度がある。

 万が一抵抗された場合、一桁レベルの人間が十人以上は必要と考えれば、そんな猛獣並みの人間を、商品として扱うには、仕入れる方も買う方も、かなりの危険が伴うのだ。

 こういった高レベルの奴隷を扱えるのは、戦闘奴隷専門の奴隷商か、国の認可を得た高級奴隷商だけなのだが、残念ながらここの奴隷商は一般的な奴隷商でしかない、カオリのような戦闘力をもつ人間を扱うには荷が重かったのだ。

 それでも、奴隷商達の大げさと思える驚き方には、他にも理由があった。


「珍しい黒髪黒眼の美少女だったからっ、野盗共から相場の十倍の値で買い付けたのに、そんな力を持っていては、性奴隷として高値で売るなど不可能ではないかっ!」


 奴隷商は最初にカオリを見た瞬間、大いに歓喜した。これでここ最近低迷していた売上を、取り戻すことが出来ると、だが思わぬ問題が浮上したことで、思惑が外れたことに憤慨したのだ。

 荒々しく腰を下ろしたさいに、元々は高価なものだったはずの椅子から、悲鳴のような軋む音が鳴り響いた。

 三年前より、モーリン交易都市での奴隷売買の活気がなくなり、彼の商会の業績は下降の一途を辿っていた。そのため古くなった椅子を買い換える金も惜しく、仕方なく丁寧に使っていたのだが、今日ばかりはそんな気遣いも忘れ、怒り心頭の様子だった。

 しかしこの奴隷商の商会はまだましな方である。戦争の停滞でもっとも打撃を受けたのは、戦争奴隷を主に扱う戦闘奴隷商である。早くに見切りをつけて拠点を移した商会はモーリン交易都市を離れたが、中には廃業した商会も少なくない、だが問題の本命は他にある。

 それは彼らが持つ、戦闘能力を持った奴隷の管理技術だ。

 本人の知らぬところで、相場以上の価値を付けられたカオリだったが、奴隷商の思惑とは違い、カオリは一般人から見たら、恐ろしいと云える戦闘能力を有していた。

 これで仮に、カオリの実力を隠して売った場合、いずれカオリは相手を著しく害してしまう、最悪の場合、その保障が奴隷商の下に要求されるのが目に見えている。


「このままでは戦闘奴隷として売るしかなくなる。それでは利益が少ない、それ以前に、最近の落ち込んだ軍需の関係で、買い手もそうそう見付からん、しかも、使用人共が再起不能にされれば、新たに雇うのに余計な経費がかかる……」


 頭の中で弾いた算盤の駒が、一つまた一つとこぼれ落ち、手元に残る僅かな金を想像し、奴隷商はまた悪態を吐いた。


「それにあの小娘の言っていた情報も気になる。嘘にしては妙に具体的で、それにそのレベルが事実なら、冒険者というのは間違いないかもしれん、糞っ、とんだ不良品を掴まされた! あの野盗共、今度あったらただでは済まさんぞ!」


 アキの手によって、もうすでにこの世に居ない野盗達の顔を思い浮かべ、奴隷商は苛立ち紛れに報復方法を考えることで、何とか溜飲を下げようと努力した。

 もし仮に、カオリが魔導士ならば、非常に高価だが【封魔の枷】を用いることで、無力化することは可能である。だが逆に、純粋な戦士系であれば、それらの枷では拘束することが難しい。

 カオリに使用した枷は、一般人用に作られた効果の低い量産品であった。精々が少々意識を朦朧とさせながら、反抗した時には魔力を流し、装着者へ強い痛みと不調を与える程度のもの、またその効果も、十レベル以下の弱い人間にしか効果を発揮しない粗悪品なのだ。

 しかし粗悪品といえど、その効果からこういった魔道具は非常に高価である。それこそより上位の魔道具ともなれば、一軒家を買えるほどの価格になる。

 ほんの数十年前までは、呪印を施し、意思を操ることで、主人の命令にのみ従う人形にすることも可能であったが、教会に禁忌指定されてからは、一時的なもの以外の魅了系魔法の行使は、一般で禁止され、現在は国家機関のみが、一部使用が許可されているに留まっていた。


「もっと効果の高い枷を取り寄せるか? 枷ごと売れば採算は合うはずだ。……いやそれでも娘の情報を隠して売ることが出来ん、いくら見栄えがよくても、危険な猛獣を傍に置きたがる貴族などいない、そもそもこの都市にはもう、貴族がほとんど残っておらんのだ。……いっそ逃げ出した戦闘奴隷商に売り渡すか? 多少は買い叩かれるだろうが、確実に利益は確保出来る。……いやここは……だが、糞っ、こんなことなら払い下げられた上位の枷を、一つでも買っておけばよかったっ」


 奴隷商は大いに悩んだ。ああでもないこうでもないと、思考を巡らせる。どうすれば経費をかけずに利益を確保するか、奴隷商としてやって来た数十年の知識を総動員して、何とかカオリを高級性奴隷として売れないかと画策する。

 だがそこで重要なことを思い出し、奴隷商は慌てて使用人の男に指示を飛ばす。


「おいっ、とにかく娘の様子を見に行け、さっきの様子じゃあ自分の価値はおろか、自分の危険性も自覚していなかったはずだ。決して刺激せぬように注意しながら、だが侮られないように接しつつ、買い手がつくまで大人しくさせておくんだっ。いいな!」

「へ、へいっ!」


 かなり無茶な要求をしているとは自覚しつつも、奴隷商はそうする他にカオリへの対応を思い付かなかった。

 ここでもし下手に怒らせて、【服従の首輪】が効果がないこと、本気を出せば鉄格子も破壊出来ること、男が十人がかりでも拘束出来ないかもしれないことが、カオリに知られたら、最悪逃げられた上に、違法な人身売買を訴えられて、奴隷商の人生は破滅してしまう、それだけは何としても回避しなければならない。

 自分の知らぬところで、高価格査定を受けたり危険物認定を受けたりと忙しいカオリは、焦った様子で自分達を遠巻きに観察して来る男に、違和感を覚えたが、その理由に思い至らないため、終始首をかしげることになった。

 ちなみに、奇しくもカオリと同室になったことで、無碍な扱いや無茶な要求を受けずに済んだ。二人の女性は、奴隷って案外、何もされないし、何もやることがないんだなぁ、と呑気に勘違いしていたのだった。

 茶髪の女性はカーラといい、今年で一七歳になる農村の育ちだったが、魔物の襲撃と野盗への貢物で村がすっかり貧しくなり、仕方なく金銭を得るために奴隷商に売られてしまったという、いわば貧困奴隷である。

 一方灰髪の女性はイゼル・ジブラールと姓まで持ち、実は結構な富裕層の生まれであることが分かった。父親の行商に同行していたが、魔物の襲撃に会い父を失い、路頭に迷っていたところを野盗に捕まり奴隷にされたという。


「私も貴女同様に違法奴隷なんでしょうけど、身元の保証は出来ないし、してもどうせ無一文だから、遅かれ早かれ奴隷になっていたでしょうね」

「帝国以外に行けば、奴隷にされることもなかったのでは?」


 カオリの疑問に、イゼルは首を振る。


「皆が冒険者のように強いと思わないで、戦えない女が一人、お金も身寄りもなく、国境を越えて国外へ渡るなんて不可能よ、むしろ衣食住が保証される奴隷の方が、殺されない分、余程安全だわ」


 そんな考え方もあるのかと、カオリは感心した。自由と云うことは、自分の命を自分で守らなければならない、だが奴隷になれば、少なくとも飢えと殺意からは守られる。

 厳しい世界だからこそ存在する価値観に、カオリは納得した。

 同じ牢に入れられてから今日で三日目の朝、奴隷商や使用人達から酷い扱いはおろか、言葉もろくにかけられなかったことで、二人もすっかり緊張を解いてしまい、気まずい沈黙に耐えられなくなった結果、今のようにお互いの来歴を話すようになったのだ。


「私達これからどうなるんでしょう……」


 不安げに言葉を発したのはカーラだ。カオリは正直に話すべきかと思案する。自分はたしかに囮の役目でここまで来たが、違法な売買で仮にあの奴隷商を検挙したとしても、既に正規の手続きで買われたカーラが、奴隷から解放されるかといえば、正直分からなかったからだ。

 隣のイゼルを見れば、彼女もまたカーラと同様に、瞳に不安な気持ちを映していた。なのでカオリは代わりに別の質問をする。


「そういえば、ある一家の行方を捜してるんですけど、心辺りはないですか?」


 カオリは一家の名前と外見の特徴を伝える。


「奴隷になった貴女が、人探ししても意味あるの?」


 そう思われてもしょうがないと思いつつも、「まあ一応です」と適当に誤魔化す。イゼルの代わりに答えたのはカーラだ。


「はい、知ってます。数か月前に私の暮らしていた村に来て、移住出来ないかお願いしてきた人達です。でもそのころは、私達の村も貧しくて、とても一家を受け入れるのは無理で……」


 カーラが売られたぐらいなのだ。彼女の村に一家を養う蓄えなどないのはあたり前で、結局彼らは次の村への移動中に、野盗に捕まったのだろうと、カオリは理解した。


「やっぱり、じゃあ今頃誰かに買われて、皆バラバラになってるだろうなぁ~、探し出せるかなぁ……」


 ササキ達の計画では、野盗を締め上げ、あの近辺を仕入れ先にしている奴隷商を突き止め、カオリを餌に強制捜査に踏み切り、売買契約の書類を押さえれば、一家の居場所を突き止められるだろうというものだった。

 だが違法に入手した奴隷にまで、契約書を用意するのか確証がなく、最悪カオリだけを救出し、一家については地道に探すしか手段がないことも予想されていた。

 奴隷商を脅せば、一家を買った人物を吐かせることも出来るかもしれないが、幾ら奴隷商が違法に奴隷を売買していたとしても、他国の冒険者が暴力に訴えれば、方々に角が立つのは必至、やはり正規の捜査で証拠と居場所を突き止めるのが、理想的な展開であるのは間違いない。

 カオリは難しい表情で考え込み、腕を組む、その様子を二人の女性が見守る中、時間は緩やかに進んでいった。




「邪魔するよ」


 退屈を紛らせようと壁にもたれかかって、村の開拓についてあれこれと妄想を膨らませていた時に、ある人物が現れた。

 しゃがれた声は女性で、頭の上からかけられた声に、カオリは顔をあげる。

 背丈は百九十センチを超える体躯で、身体には板金鎧を纏っていた。手甲も足甲も分厚い鉄板に覆われ、上半身はもはや金属の塊と云わんばかりのその鎧は、女性の女性らしさを完全に覆い隠していた。


(ん? 誰ですか?) 


 派手な金髪に深く蒼い瞳に彩られた顔は、その屈強さにあっても損なわれることのない、若さと美貌を誇っていたが、挑戦的な表情のせいで、美しさよりも強さが強調され、カオリに強烈な印象を与えた。


「思ったよりも小さいが、結構やるようだねお嬢ちゃん、あたしの名はアイリーン・バンデル、一応帝国貴族の端くれだが、社交界よりも戦場が好きな変わりものでね。お嬢ちゃんの名前を聞かせてくれるかい?」


 強さを体現するかのような声を響かせ、アイリーンはカオリに自己紹介をしつつ、名前を聞いてきた。


「カオリです。冒険者です」


 綺麗にお辞儀をして簡素な自己紹介をするカオリに、アイリーンは気を良くしつつも、冒険者という単語に首を傾げた。


「あん? てーとあんたは違法奴隷かい? こりゃ驚いた。主人よ、お嬢ちゃんの言ってることは本当かい? 危険な奴隷を屈服させたいっていうから来てやったが、そんな話は聞いてないさね」

「そんな事実はありませんよ、正規の手順で仕入れたれっきとした奴隷です。この都市の戦闘奴隷商が軒並み逃げて行ったので、回り回ってうちに転がってきただけです」


 あくまでも正規であることを強調する奴隷商に、アイリーンと名乗る女性は訝しげな視線を送る。

 奴隷商はカオリを一刻も早く手放したかった。そして一晩悩んだ結果、彼は使用人を痛め付けられる前に、ある方法でカオリを服従させようと計画したのだ。

 そのために奴隷商は彼女を一時的に雇うことにした。このアイリーンという人物は、女性の身でありながら、変わった趣味思考の持ち主であり、恐らくカオリですら御せる人物であると、奴隷商は考えていた。


「主人はこう言ってるが、あんたはどう考えてるんだい?」


 アイリーンは面白がるように質問する。


「さあ? 私には関係ありませんし、違法でるあることを隠したい気持ちも分かるので、とくに何も思いませんけど」

「こんな牢に入れられて、奴隷扱いされてるのにかい?」

「そりゃあ、仕方ないんじゃ……」

「はっはっは! 面白いお嬢ちゃんさね! まぁこっちは仕事できてるからね。嬢ちゃんには悪いが、今日は言うことを聞いてもらうよ?」

「はあ……」


 奴隷商の指示で、幾人も使用人が現れ、アイリーンの監視の下、何かしらの準備が始まった。


「さあ嬢ちゃん、今回は足も拘束させてもらうよ、大人しく従うんだね」


(いったい何? しかも何で私だけ? もしかして囮調査なのがバレたのかな……、でもそんな会話じゃなかったし、でも、そろそろ抵抗した方がいいのかな)


 不穏な状況にカオリは警戒を露わにした。だが目の前に佇むアイリーンは常人ではない雰囲気を放っている。視線に重心のおき方、濃密な筋肉から察するその膂力、カオリの発達した観察眼は、彼女の力が明らかに自分以上である事を感じさせた。

 カオリは素直に応じることにした。もしここで大立ち回りを演じれば、イゼルとカーラの二人に、多大な被害を与えてしまい兼ねない、それにアイリーンを仮に下しても、奴隷商達も複数人の男で警戒を強めているのだ。カオリはおかれた状況は非常に不利なものだと判断した。

 だがこの判断が、カオリもひいてはササキさえも予想していなかった事態を招くことになる。


(う、本当に動けない、これまずいんじゃ――)


 予想以上に完全に拘束され、腰も首も動かせないようになって、カオリはここで初めて大いに焦りを覚えた。

 そしてその予感を裏付けるかのように、視界の端で一か所に固められたイゼルとカーラの二人が小さな悲鳴を上げた。その表情は恐怖と不安に彩られ、カオリにさらなる不安を抱かせる。

 動かせない顔の代わりに集中していた耳が、何かが熱せられて爆ぜる音を拾う、同時に鉄格子を挟んだ背中に熱を感じ、カオリは様々な映像作品の中で描かれる。あるものを想像して、表情を真っ青に染め上げた。


(焼き鏝っ! 焼印? 本気なの! まずいまずいまずいっ!)


 カオリの予想は的中していた。拘束されたカオリの向こう側から、小さな炉を運び入れ、その中から真っ赤に燃える鉄の焼き鏝を確認して、イゼルとカーラは堪らずに悲鳴を上げたのだ。今日まで何もなく、拍子抜けしていた二人は、ここでやっと自分達が奴隷であることを強く実感し、恐怖した。


「ちょいと熱くて痛いけど、我慢しな、火傷は治療魔法で癒すから安心しな、なぁに、一瞬のことさね。暴れたら余計に痛い想いをすることになるからね――」


 刹那、カオリの首の付け根に、焼き鏝が押し当てられる。


「ッ! ギィイイッヤャアアアア!」


 これまでの人生で味わったことのない、肉の焼ける強烈過ぎる痛み、痛み、痛み、カオリは自分の声とは思えない絶叫を上げた。


(痛いっ痛い! イタイイタイイタイイタイイタイイタイッ!)


 皮膚を焼き焦がし、肉を焼き固めるように強く押しあてられる焼き鏝が離れ、それでも激痛が収まることはなく、カオリは痛み以外の思考が出来なかったが、それがふと止み、次に体内や脳内に猛烈な魔力の奔流を感じて、カオリは酷い嘔吐感と頭痛に襲われた。

 涙と鼻水と涎で顔をぐちゃぐちゃに汚し、カオリはしばしの間、その酷過ぎる症状と戦い、疲れ果てるほどに痙攣し、ようやく解放された。

 両手以外の拘束を解かれ、堪らず蹲る。ついた手に水気を感じ、恐る恐る開けた目は、自分の足元に水溜りがあることを確認する。


(おしっこ……、洩らしちゃった……)


 痛みも不調もすでに収まっているが、それでも不快感が拭えず、カオリはしばらく茫然と座り込んだまま動けずにいた。

 後ろで男女が何かを話しているのが聞こえたが、カオリの頭はそれを正確に認識することが出来なかった。

 この世界に召喚されて、いや人生で初めて味わった激痛は、カオリに想像以上の衝撃を与えたのだ。


「まったく情けないねぇ、少なくとも戦場に身をおいて、そこまでレベルを上げた戦士が、あれっぽっちで失禁しちまうたぁ、あたしの買被りかね? ほらシャキッとしな」


 一方的に投げかけられる言葉にも、カオリは反応しない、胸中にあるのは痛みへの不快感と、ここまで状況を楽観視していた自分への嫌悪感だ。

 意外にも頭は冷静なもので、アイリーンが言ったことで、カオリのレベル情報が、今回の焼印を施された理由なのだろうとカオリは理解した。魔水晶の鑑定により、カオリのレベルが一般と比べて高いこと、服従の状態異常にかかっていないことが、バレてしまったのだろうと、同時に、ならばイゼルとカーラの二人は、こんな酷い仕打ちに遭わないだろうと、カオリは安堵した。


「……今あんたは【服従の呪印】を施されて、奴隷商の制御下におかれている。殺意や敵意を向ければ魔法が発動して、酷い頭痛や嘔吐感に襲われる。また主人の言葉に反抗しても、外部から魔力を流して同様の症状を引き起こすことも出来る。ようは大人しくしていれば酷い目には遭わないってことさ」


(あぁ、最悪、もっと警戒してればよかった。さすがファンタジー世界だね。こんな魔法が存在するなんて、これは覚悟がなかった私が悪いかな、ササキさんとアキ達に何て言おう、怒られるかなぁ)


 身じろぎ一つしないまま、カオリは今日のことを皆にどうやって報告しようかと、頭を悩ませた。

 その様子をどう受け取ったのか、アイリーンや奴隷商達は片付けを終えて部屋を去っていった。牢に残された三人はしばし無言で様子を見ていたが、イゼルとカーラがカオリに近付いて話かける。


「まだ痛む? とりあえず身体を拭きましょう?」

「……カオリちゃん大丈夫? 酷いよ、女の子にこんなこと」


 カオリは二人に視線を向けて、黙って頷いた。見れば二人ともが目尻に涙を溜めていた。カーラに至っては完全にまなじりを下げて、頬に涙の跡を残していた。カオリは苦笑する。


「二人が同じ目に遭うんじゃなくてよかったです。へへ、すっごく痛くて、気持ち悪かったです」


 カオリは素直な気持ちを吐露する。


「何言ってるのよっ、こんな、こんな酷いこと……」

「辛いのは、カオリちゃんだよ? どうして……」


 二人はカオリの発言に絶句する。自分だけが酷い仕打ちを受けて、それを言うに事欠いて、自分だけでよかったなど、間違っても受けた本人の口から出てくる言葉ではない、ましてやカオリは違法奴隷、本来こんな境遇になるべきではない身の上なのだ。

 最初は嘘かと思ったカオリの自己紹介だが、奴隷商がここまでの仕打ちに踏み切ったことから、今では二人も信じていた。

 カオリは自分の首筋を指で触って確認する。


(痛みがすぐ引いたのは治療魔法のおかげ? でも治療魔法をかけたら皮膚の傷は治るはずだよね? それとも魔法で受けた傷は魔法で治せないの? そんなことないよねぇ……)


 今まで一度も負傷したことがなかったため、治療系の魔法の情報をほとんど持っていなかったことを、カオリは少し後悔した。さらにいえば、精神支配系や魅了系と呼ばれる魔法の知識も皆無だ。これは完全にカオリの油断が祟った結果である。


(こんな目に遭わないように、ササキさんは戦える私を選んでくれたのに、その私が油断して無抵抗に受け入れたなんて、間抜けだなぁ)


 カオリはあまりのばつの悪さから、大きくうなだれた。

 結局その日は自分から報告することが出来ず、夜にササキから連絡があってから、妙に緊張していたカオリに気付き、ササキが促したことで、恐る恐る素直に報告するのだった。


『【服従の呪印】――だと?』


(やばいっ! ササキさんの声が明らかに怒ってる!)


 だが返事が一向に返ってこないことで、カオリは訝しむ。


『カオリ? 私よロゼよ、カオリ……大丈夫なの?』


 代わりにロゼッタから通信が入る。いったい向こうで何があったのか、カオリは緊張しながら身構える。


『ササキ様が突然地面を殴りつけて、辺り一帯が地割れで……とんでもなく凄いことになってるの……、直前に【服従の呪印】と呟かれていたけど、もしかして、あの魔法を受けたの?』

『私に焼印のことを説明してくれた貴族は、そう言ってたよ』


 悲痛な声で続けたロゼッタの説明によれば、奴隷商が持ち出した今回の魔法は、現在帝国でも禁忌とされる技法であるらしく、特例として重犯罪者にのみ適用されるものだという。

 理由としては、魔法により肉体と同調された呪いの類は、通常の治療系魔法では治せず、解呪も困難だという、唯一教会の高位の治療系魔法の使い手で、それこそ聖都に行かなければ会えないような人物でなければ、解呪は不可能だという。

 詳細に説明を加えると、武器や防具に施す付術も、過去には付呪と呼ばれていた。何故なら魔法を対象に施すという点では、攻撃や耐性魔法も状態異常魔法も同一とされていたからだ。

 しかし時代が進み、教会が死霊術を筆頭に、呪術系魔法の存在の多くも禁忌指定したことで、体裁を考えて呼び名を変えたのだ。

 魔法陣を用いた付加、付呪のほとんどは、魔法陣を著しく損なえばその効果を発揮しなくなる。だが肉体に施された魔法陣は、対象者の肉体の記憶に深く刻み込まれ、単純に怪我と判断されず、さらには魔力を循環させることで、治療系魔法を跳ね返してしまうのだ。

 そのため完全な解除には、解呪の魔法と治療魔法を並行して施さなければならない、しかし現在、そもそも呪術系魔法の使い手が少なくなったことで、同時に解呪の魔法の使い手も減少していたのだった。


『……ササキ様が怖いのと、アキが一緒に大激怒してるから、私が代わりに報告するわね。もうカオリを放っておける状況ではなくなったから、可能な限り速く救出に行くわ、だから、――今日の晩頃にはそっちに行くから、それまで何とか耐えてちょうだい、何も出来なくて御免なさい……、まさか奴隷商が禁忌指定の魔法にまで手を出すと思わなかったって、ササキ様はおっしゃているわ、待っててカオリ』

『ロゼが謝ることじゃないよ、うん、待ってる』


 通信を終えて、カオリは溜息を吐く、今日でようやく解放される安堵と、今日一日は我慢せねばならない不安に、カオリは何とも表現し難い心持で、小窓の外の空を仰ぎ見る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ