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( 進捗状況 )

 身分制度がはっきりしているこの世界では、結局のところ、犯罪者の身分によって刑の執行されるまでの過程が大きく異なるため、犯罪者と一口にいっても、その扱いには大きな隔たりがある。

 またここで云う犯罪者とは、国民でありかつ都市の市民権を有する人間に限られる。都市に住まず各領内に食料を供給する村落、国に属さぬ異邦人、野に下った賊の類には、裁判なしの極刑も普通である。

 よって、公的に罪を犯したものはまず身柄を拘束された後、代官が治める街であればそこの衛兵に引き渡され、詰所と併設された牢に入れられるか、貴族であれば代官の屋敷に監禁される。

 兵の派遣されていない村や集落であれば、手頃な建物に押し込まれ、一番近くの街から馬か馬車が用立てられ、護送された先で、やはり代官のいる街に捕らえられる。

 現行犯でない限り、証拠品の精査や証言を元に罪が確定していなければ、改めて裁きの場が設けられる。罪が確定すればそこで判決が言い渡され、刑が執行される。奴隷制度があれば奴隷商に引き渡されることになる。

 ここで重要なのは、高い身分の人物を裁く場合、その人物よりもさらに高い身分のものでなければ、裁くことができないのだが、もちろん例外も多少の差異も存在するが、警察という法を司る独立した組織形態が存在しないこの世界で、人が人を裁くというのは、なかなか難しいものなのだ。

 カオリ達の村を襲撃した今回の首謀者である。イグマンド・ルーフェンの場合、その立場がエイマン城砦都市の魔導士組合組合長であったため、本来であればエイマン城砦都市の代官に、その裁きの権限が委任されているが、この都市の立地は、少々難しい立場にあるため、その対応には慎重を期する必要に迫られた。


 その理由は、この都市が三年前まで行われていた帝国との戦場にもっとも近い駐屯地であり、戦略的に重要な都市であったこと、そのために戦争経済で発展してきたことが上げられる。

 魔導士組合というものは、冒険者組合とはその成り立ちからして、大きな違いが存在した。

 何故なら、冒険者組合と違って、魔導士組合は魔導士同士の相互扶助のためだけの組織ではなく、どちらかと言えば研究機関と言った方が正しいためだ。

 魔導士の研究というのはとにかく資金が必要とされる。だが個人によって多額の資金を用立てることは不可能なため、彼らはある方法によって資金を集めることを思い付いた。

 魔術を用いた社会的貢献へ向けた。人材派遣業と魔道具の開発である。

 これにより、王家や貴族に召抱えられる。宮廷魔導士や専属魔導士になる以外の方法で、彼らは独自の資金源を確保することが出来るようになったのだ。

 資金源の内訳が何かと言えば、組合所属の魔導士自身による会費、商家からの投資、建設事業への労働、従軍による報奨金などがあげられるが、その中でももっとも大きいのが、帰属都市からの補助金だ。それは都市に住む領民からの税から賄われ、彼らの労働や開発品は真っ先に都市に還元されることになる。

 そして時代が下ると共に、彼らが開発した魔道具や研究の成果物には、特許という付加価値が与えられ、それに伴う特許料の大部分を、魔導士組合そのものが管理するようになったことで、研究費用以上に、膨大な資金を貯め込むことになった。

 さらには戦争時には傭兵派遣部門での、軍事拠点の建造を主とした派遣業、公共事業での魔法的技術供与も、一般的な人材派遣とは破格の報酬金を設定し、多額の仲介料を取得していた。

 イグマンドが組合長という立場で、どれほどの資金を動かし、また役員報酬という形で財産を貯め込んでいたかはさておいて、少なくともそれが出来る立場が、彼に歪んだ虚栄心を抱かせる要因になったのは云うまでもない。

 だが問題は、彼の名義によって登録されていた多くの特許が、今回の騒動によって、魔導士組合の管理下から召し上げられることで、組合にどれほどの影響を及ぼすのかに焦点が当てられた。

 いままでは潤沢な資金によって研究が可能であったが、その資金源の多くを失った場合、恐らく資金不足から少なくないいくつかの研究が凍結されることになる。そして資金を確保出来ない魔導士が、組合を離脱する可能性も考えられた。

 さらに、組合の協力の下進めれている事業にも影響があれば、都市運営にも支障をきたし、経済にダメージを受けることも予想されたのだ。

 戦争の停滞による需要の低下に加え、追い打ちのように税収の低下が予想されれば、都市の活気はいやがおうにも低くなる。

 王領における王都の次に栄えるエイマン城砦都市の更なる不況は、代官のみならず、国王自身をも頭を悩ませるものだったのだ。


 発端は一人の少女の存在だ。


 代官からの報告書という名の嘆願書に目を通し、その少女の名を見詰めながら、ミカルド王国の現王、アンドレアス・ガルガンラル・ロト・ミカルドは、疲れた表情で自身の顎髭を撫でていた。

 艶のある長髪も、豊かな顎髭も深い茶色で、瞳は琥珀色、西大陸に多くみられるロランド系の特徴を持ち、ミドルネームにあるロトは、ロランド人の純血を意味する。

 齢四十にしてようやく豊かに伸びた髭は、若いころの美しいとまで評された美貌を、如何に威厳に満ちた風格にするか悩ませた彼にとって、密かな自慢であったのだ。


「この少女のことを、ササキはよく知っているのだろう?」


 日々政務をこなすためだけの部屋といっても、王族ともなれば、部屋の壁材や調度品は一級品で整えられ、そこで政務をこなす王の装いも、多少緩やかながらも絢爛な衣服が求められる。

 もちろん、少しの休憩や、客の対応のために備えつけられた長椅子と長机も、国内屈指の職人の手で作られた一品物で、その上に並べられた茶器類も、金貨が軽く数十枚飛んでいくほどの高級品である。

 アンドレアスはそんな豪華絢爛な執務室を訪れた。一人の客に、親しげに声をかける。


「私に直接尋ねては、折角働いている【影】が泣きますよ陛下」


 ササキは愉快そうに誤魔化した。ササキが王家直属の諜報組織の存在を知っていることに驚きはない、何故なら招いた初日に、彼らが壁の中に隠された秘密通路に潜んでいたのを、ササキは即座に見破り、うっかり殺しそうになるという一悶着があったからだ。

 そしてアンドレアスはササキの反応を受け、それだけで、ササキが件の少女をどのように扱っているのかを察したが、会話を楽しむ意味も込めて、さらに追及することにした。


「カルヴィンが娘の非行を嘆いていた時も思ったが、たった一人の少女と侮って、軽率な行動に出れば、組合長と同じ末路を辿る貴族が続出するかもしれんのだ。この国の王として、あまり貴族が糾弾される状況が発生するのは、見過ごせんのでな」


 執務机の、これまた高級品の椅子に深く座りながら、侍女が淹れた紅茶に口をつけ、アンドレアスはササキに視線を向ける。


「ロゼッタ嬢の父君、カルヴィン・ド・アルトバイエ侯爵が、王の前で愛娘の愚痴とは、この国が如何に平和であるか、実感させられますな」


 アンドレアスの質問には答えず。ササキは聞き覚えのある名前に、またしても話題を逸らした。


「帝国との戦争が止み、民も物も豊かになる半面、連合諸国は義援金を減らす意思を固め、戦争に依存した経済は歪みが生じ始めた。貴族連中は新たな資金確保に奔走しながらも、今度は連合諸国がいつ裏切るのかと、それらに対して備えをせねばならん」


 アンドレアスは話題を逸らされたことを不快に思うことはなく、その代わりに、自身の愚痴を混ぜた話題を口にする。


「各方面の砦の修繕と増改築に、自領内での軍需産業の立て直し、野盗化した傭兵や元兵士の取り締まり、付け加えるならば盛んになった社交界の準備費用と、さぞ金のかかる話でしょうな」


 世間話や無駄話が苦手な様子のササキだが、逸らされた話題の先に、非常に有益な情報や、的を射た意見を織り交ぜて来るので、アンドレアスは存外、ササキとの飛び石のような会話が気に入っていた。


「冒険者でありながら、世情をよく知る部外者のそなたにしか愚痴が言えんのだ。折角来たのだからとことん聞いてもらうぞ?」


 アンドレアスはそう言って悪戯っぽく笑うと、執務机を離れ、ササキの対面に座り、侍女に紅茶のお代りを淹れさせる。


「そうおっしゃりながらも、日頃は私にもお悩みを打ち明けて御座いますれば、吐き出すものも枯れましょう、ササキ殿の大器に甘えるのも、ほどほどになさいませ」


 そういって王に対して遠慮なく発言したのは、ミカルド王国近衛騎士団団長を任される騎士団長だ。完全に弛緩した様子のアンドレアスと違い、騎士服を隙なく着こなし、短髪を後ろに撫で固め常に凛とした佇まいの彼も、このささやかな歓談の同席を許された一人である。

 一方のササキは不動の姿勢のまま、口の端を上げて、自身も紅茶を飲み干し、代わりの紅茶を貰う。

 現在この部屋には、アンドレアスと団長、ササキと侍女の四人だけ、厳密には護衛も兼ねた影も潜んではいるが、貴族でもない部外者を招くなど、通常は警備上決して許されない状況であるはずだが、それが許されているのが、ササキという存在の異常性を物語っている。

 許されるついでに、ササキの装いは場にそぐわぬ甲冑姿のままだった。流石に兜だけは脱いでいるが、それでも本来登城するためには正装が義務付けられる。それが許されているのは、それだけ神鋼級冒険者という存在が、特別な立場というだけでなく、ササキという個人を現国王が信頼し、それを許しているというのが大きな理由だ。

 王の玉体を命に代えても守ることを至上とする近衛騎士の団長としては、甚だ遺憾ではあるが、それにしても団長である彼が、ササキの武勇を高く評価し、またその人格にも信をおいているからこその、私的な歓談の場であることは言うまでもない。

 ただし、異常なほどに分厚く重い甲冑を着込んだ大男の総重量は、三百キロをゆうに超える。アンドレアスはササキの座る長椅子が、いつ壊れるかがただただ気がかりだった。

 ササキが王であるアンドレアスと会うのは月に一度程度、だが戦闘能力だけでなく、魔術、政治、作法と(服装は除く)申し分ない教養を身につけ、人を引きつける風格を醸し出すササキを、アンドレアスは大層気に入り、重宝していた。

 ササキがアンドレアスにもたらす情報は多種多様だ。

 直接目にした各国の様子、主に市場の動向や治安の善し悪し、魔術関連の研究資料や、魔物の生態や強さ、新種の植物やその植生、気候の変動や災害予想など、もはや一個人が持つには過ぎたる知識と情報ばかりである。

 今は個人的な付き合いに留めているが、いずれは重要な式典や国難に際しても、ササキの協力を得られないかと、アンドレアスが考えるほどに、彼はササキを信用していた。

 出会いの切っ掛けは三年前、ササキが王都の冒険者組合に、伝説級の【フロストドラゴン】の首を担いで凱旋したおりに、その名誉を称えて王城へ招いたことが始まりだった。

 二メートルを超える巨躯に、異国の鎧兜、威風堂々とした立ち振る舞いは、伝説に語られる英雄王を彷彿とさせた。

 そして会話を重ねる内に気付いた。深い教養と、実地に裏打ちされたたしかな知識と情報、もはや嫉妬するのも馬鹿らしいほどのその在り様に、アンドレアスは心底憧れを抱いたのだ。


「【デスロード】の討伐に野盗の撃退と、それだけで既に称えられるに十分な実力を示しておる。これで王国領内で開拓をしてくれてさえいれば、早々に王都へ招くことが出来るのに、口惜しいのう……」


 アンドレアスはそう言って嘆息した。


「近い将来、彼女は帝国や教会にも目をつけられるでしょうな、そのために、先に布石を打っておくことは意味があるでしょうが、彼女が国家権益に絡むことはないでしょう」

「そなたが口添えしても駄目か?」


 アンドレアスは僅かな可能性に賭けてササキへ問うが、ササキは無言で首を振り苦笑する。


「しがらみを嫌うのもあるでしょうが、何より興味がないのが大きいでしょうな、名誉や身分といったものに、彼女は意味を感じていない」

「冒険者らしいといえばらしいのう、そなたの故郷はそういった風習でもあるのか? 少し羨ましくもあるが、この国ではどうしても奇妙に映ってしまう、――いや私が人間の醜部を見続けたから、免疫がないだけとも言えるか……」


 ササキが伝えずとも、影が集めた情報で、カオリがササキと同郷であることは掴んでいた。また冒険者組合でのカオリの噂から、カオリの人となりをある程度見極めていたアンドレアスは、カオリがササキと同様に、出世や栄達に興味がないことも予想していた。

 だがこれは、常識的に考えて、あり得ない話である。

 国民ではないから、名声に興味がないから、そんな理由でつっぱねられるほど、国家というものは軽いものではない、軍事力と生産力に裏打ちされた権力というものは、それを振りかざせば個人を容易く飲み込む暴風雨に等しく、例え与えられるものが善意と称賛からのものであっても、受け取らないことが不敬に当たると判断されれば、物理的に首が飛ぶことも、容易にあり得るのだ。

 それでもなお、ササキが王国と一線引いた付き合いが出来るのは、彼の持つ戦闘力が、国を相手取ってもなお引けを取らないほどに、別格であったためである。

 一説に神鋼級冒険者パーティーは一個大隊、およそ数百から千人規模の軍と同等の戦力に匹敵するという通説が存在する。だがそれはあくまで数字に当て嵌めた場合であって、事実としては大規模広域殲滅魔法を駆使して、想像を絶する力を駆使出来るとも云われており、その戦力は未知数とするのが結論である。

 翻ってササキはと云うと、まずもって単独行動を旨とする。規格外の冒険者として位置付けられ、その武名は大陸最強とまで謳われているのである。

 魔法による殲滅力は本人が秘匿していることもあり不明であるが、少なくとも己が肉体のみでの防御力と攻撃力は並ぶものは居らず、それこそ異名に名高いドラゴン殺しを無傷で生還した逸話はあまりに有名だ。

 そのため雑兵を何十何千とけしかけたところで、ササキに傷一つ負わせることは不可能とされ、一流の暗殺者も過去に幾度となく返り討ちにしたことで、ササキ個人を敵に回した場合、如何なる組織および国家ですらが、正面から叩き潰されると畏れられているのだ。

 だがその半面、ササキはその武勇を何ら振りかざすことなく、ただただ魔物討伐のみに傾注し、どんな誘いも一顧だにしてこなかったため、少なくともミカルド王国内では、彼の行動を咎める人物は、すでに一人も存在しなかった。

 武力とは、ただそれだけで、力なのである。

 日本の漫画界を代表する作品に、腕力家という一節が登場するが、この世界においては、それは決して荒唐無稽な話とは云えないという事実がある。

 もし、この世に、如何なる手段と数的物量をもってしても、決して殺すことのできない圧倒的武力をもった個人が存在したならば、人はどのように対処するだろうか?

 そしてその個人が、己の武力を嵩に着て、暴虐の限りを尽くすのではなく、むしろ反対に、弱き民を守るために戦う、真の英雄であったなら、人はどのように対応するだろうか?

 出現から僅か三年という短い期間で、ササキが轟かせた勇名は、されど三年という十分な期間を経て、世界中に浸透し、もはや触れえならざる領域にまで至っていたのである。

 カオリが聞けば卒倒しかねないことだが、アンドレアスはカオリという少女を、ササキと同様に格別視していたのだ。

 国の独身貴族を当てがって国内に組み込むことや、爵位を与えてあわよくば領土を拡大するといった方法が、現時点で有効ではないことに、アンドレアスは為政者として残念に思ったが、その半面、女性の身で、しかもあの若さで、すでにササキのような英雄の片鱗を見せつつあるカオリに、ササキへ向ける憧れと同様の感情を抱いていたのだ。


「この国に浅慮に走るものがいないことは喜ばしい、何にせよ陛下は、市井の安定に集中して下さればよろしいでしょう」


 ササキはこう言ったが、アンドレアスは独自の調査で、ササキが既に幾度も、何者かの妨害と襲撃を受けていることを把握していた。

 夜陰に乗じた襲撃、晩餐会での毒飲料、冒険者稼業での妨害工作、罪の捏造からの冤罪、淫婦の情報工作、もう数えるのも馬鹿らしい数々の陰謀を、ササキは力のみで、己が身一つで、見事なまでに叩き潰して来たのだ。

 襲撃者は傷一つ負わずに返り討ち、首謀者も尽くを誅殺、毒関連は一切効かず、仕掛け人はどうやってか必ずばれる。冒険者業は絶対に遂行し、情報操作や冤罪は例え噂であっても発信者が特定せれて、社交界や行政で孤立を余儀なくされる。

 孤高のはずのササキが、協力者も得ずに、どうやってそれらを確実に処理しているのか、真相を知るものは一人もいない、そんなササキが裏で、様々な渾名で呼ばれていることは必然だった。

 【絶対強者】【触れえならざるもの】【正義の執行者】そしてその中にでも、多くの人間が呼ぶのが【王家の切り札】である。


「まあ魔導士組合に関しては、城から調査員を送って、ある程度で切り上げさせて、通常業務の再開でいいだろう、まったく早まった真似をしおって、誠意をもって交渉を重ねれば、ササキならあの男も許したであろう? 頭を下げることもせず、追求から逃げて万事思い通りに運ぼうと画策するから、墓穴を掘るのだ」


 ササキがアンドレアスの要請で動いたことは、これまでただの一度もない、それは強過ぎる個人がもたらす影響を、アンドレアスが本能的に避けて来たからに他ならない、また自身がそうやってササキを国の政から遠ざけているからこそ、ササキが自身と懇意にしてくれているのだろうと、アンドレアスは考えていた。

 つまり、王の権威を揺るがすものや、自身の権力を無理に拡大しようと画策したものが、勝手にササキを敵視して、下手に手を下そうとした結果、返り討ちに遭ったに過ぎず、アンドレアスはササキに何かを命じたことはおろか、頼み事をしたことすらないのだ。

 【王家の切り札】など、王家を侮った勘違い貴族が、自滅した結果のやっかみでしかないと、アンドレアスは噂を耳にする度に、頭痛を覚えずにはいられなかった。


「一度権力を得たものは、どうあってもその座に固執するもの、周囲の言葉に耳を傾けず、柔軟に考えられぬようになれば、遅かれ早かれああなるのは、時間の問題だったでしょう」


 続けて団長も発言する。


「世間の人間や貴族連中というのは、基本的に冒険者というものを甘く見過ぎているきらいがありますからな、人間相手の戦いを避けているというだけで、彼等ほどの武力集団はどこにもいません、たかが平民と侮って直接手を下そうとすれば、独自の情報網と組織力でもって反撃されるのは自明の理、騎士団ですらが彼等と対する場合は、十分な武力を背景に節度をもって対応するのが定石です」


 耳の痛い話だと、アンドレアスは小さく嘆息する。

 結論を先に述べるのならば、ササキという存在がミカルド王国にもたらした影響は、その是非に関わらず、結果的に王家の権威を強めることになった。

 国政に強い発言力を持つ古参貴族、経済で無視出来ない影響力を盾にした新興貴族、王家を傀儡に出来ると信じて疑わない大貴族、そのことごとくが、ササキの出現によって鳴りを潜めたため、アンドレアスは今までの苦労は何だったのかと、いっそ拍子抜けするほどに、安定した日々を送れるようになったのであった。

 ササキがどう思っているかは定かではないが、アンドレアスは個人的かつ一方的に、多大な恩義を感じていた。

 ただし、最近は自滅した貴族から没収した領地の経営や、官職の後任の手配などに追われ、少しだけ、ほんの少しだけ、ササキに文句を言っても許されるのではないかと、愚痴をこぼしていた次第であった。


「本当に、これ以上、馬鹿な真似をするものが現れなければいいが」


 広大な王城の一室に、王の小さな嘆きが響く。




「あ、はい、お断りします」


 カオリは冒険者組合の一階広間で、場に似合わない、仕立てのよい衣服に身を包んだ青年と対峙していた。

 野盗襲撃と首謀者イグマンドにまつわる事後処理のため、後学も兼ねて、ササキと共にエイマン城砦都市に足を運んだのだが、話が思ったよりも大きくなったため、ササキはカオリをおいて一人王都に向かった。

 今回は一応アキも同行していたが(というかアキが同行を熱望したため)とくに買い足す物資もなく、村の開拓も最後の仕上げが終わっていないので、急いで用立てることもなく、仕方ないので冒険者組合で、野盗討伐の報奨金の入金の確認と、最近の依頼状況を確認していた。

 だがそこへ突然声をかけて来たのが、件の青年だったのだ。


「な、何故だね? 折角私自ら声をかけ、君を専属冒険者にと目をかけたのに、何も即答することはないじゃないか、何なら村の開拓資金も支援しようと言っているんだ。君にとっても悪い話じゃないだろう?」


 聞くに堪えない美辞麗句を織り交ぜ、一周回ってさらに逆戻りするような迂遠な表現で説明した用件を、青年は簡潔にまとめた。


(たったそれだけを伝えるのに、あんな遠回りな説明で時間取らせて、この人、断らせようとワザとやってんじゃないの?)


 開口一番に容姿を過剰に褒められただけで、やたら恥ずかしい思いをさせられて、あまつさえ野次馬が増えるのも構わず、延々とまくし立てられたのだ。カオリは盛大にうんざりしていた。

 またカオリにしてみれば、話してもいないのに、カオリ達が村の復興開拓に勤しんでいる情報を、見ず知らずの人物が知っていることも気味悪く感じる要因であるが、これはカオリが自覚していないだけで、エイマン支部においては有名な話である。

 まだこの世界の世情や基礎知識、果ては常識にも疎いカオリには、まだ立場の違う人種を相手に臨機応変な対応が出来ないでいた。


「理由を申し上げる必要はありません、カオリ様が否と申されれば否なのです。大人しく立ち去られよ」


 アキがカオリに代わり拒絶の意を示す。


「ぶ、無礼だぞ! 亜人の癖に貴族である私に意見を、――え?」


 青年が言葉を言い終える前に、カオリは音もなく距離を縮め、青年の首筋に手を添えた。


「私の仲間を侮辱しないで下さい」


 カオリの流れるような動作に碌な反応も出来ず、青年は呆気にとられた。どこか無関心な表情が常のカオリも、今は無表情の下にたしかな冷血を滲ませ、青年に無言の圧力をかける。

 分が悪いと判断して青年が立ち去ると、カオリはようやく息を吐き出した。


「はあぁ、嫌なこと聞いちゃったなぁ」

「何のことでしょう?」


 カオリの呟きに、アキが反応する。


「さっきのアレ、間違いなく差別発言だったでしょ? 今までそんな雰囲気なかったから安心してたけど、やっぱりあるんだね。人種差別……」


 多様過ぎる種族が共存する異世界で、いつかは目にするだろう種族間問題を目のあたりにし、カオリはこの世界に来て一番深い溜息を吐き出した。


「私はこの国の風聞には疎いので、たしかなことは申し上げられませんが、聞くところによると、この国はまだましな方だと聞き及んでいます」

「あれで?」


 アキの言葉を受けつつ、カオリは青年の去った方に、親指を指して片眉を吊り上げる。


「私自身は、劣等種族たるこの世界の下賤な人間に、何と云われようと、歯牙にもかけませぬが、少なくとも冒険者組合とその周辺で、アレと同様の言葉をかけられたことは御座いませんし、一部そういった輩がいる程度なら、市井に紛れて暮らす分には然したる支障はないかと」

「うーん……」


 今一納得のいかないカオリに、声をかける人物が近付く。


「帝国はこんなもんじゃないわよカオリちゃん」

「あ、イソルダさん、お騒がせしてすいません」


 カオリに声をかけた組合の職員のイソルダは、謝るカオリを笑顔で制し、手に持った書類、依頼書の束をカオリに手渡した。


「お隣のナバンアルド帝国じゃあ、亜人種は奴隷扱いだし、この国でも流れの亜人が犯罪を犯す例が多いから、お貴族様が彼らを蔑む発言をするのは、ある意味しょうがないのよ」

「どういうことです?」


 カオリは詳しい説明を要求する。


「ほら、帝国って長年亜人達と争って来たでしょ? だから戦闘で捕えた亜人は、老若男女問わず奴隷にされるの、冒険者組合としては、彼らの高い身体能力と特殊な身体機能は重宝するけど、戦ってる人達からしたら、厄介でありながら、あわよくば一方的に利用したい能力だからね」


 カオリは静かに傾聴する。


「ミカルド王国でも、過去に追い出した歴史がある手前、今更掌を返してまで歓迎する対象ではない上に、教会の一部の宗派では、邪教の民と教えているのもあって、ああいう露骨な人が出て来てしまうのは、もうどうしようもないの」


 カオリ個人としての考えでは、差別の対象が個性であれ種族であれ、容認するつもりはないが、それを他人に強要するつもりもない、ただし近しい存在が差別対象とされて、不遇な環境下にあれば、可能な限り力になりたいと思う程度である。

 差別と区別の境は人によって様々で、国の法整備がきちんと線引きをしているならば、特定の種族が差別されていることに、意見を言う気など毛頭なかった。

 以前に、オンドールから教えられたことだったが。ナバンアルド帝国の亜人差別に関しても、イソルダが言ったように、あくまで対立する敵兵を、捕虜として捕縛し、殺すのではなく労働力として見なし、後の処遇を民間の専門業者に委託しているだけ、つまり奴隷扱いなだけで、国として奴隷階級だと定めているわけではないのだ。

 帝国では奴隷に対しても、労働や役務への賃金の支払いを、奴隷の購入者へ義務付けており、各役割に応じて最低賃金を定めた。そして購入者がその規定に基づき、年二回に賃金の支払い明細の提出をすることで、国は国内にいる奴隷の数と生死を管理している。

 万一、誤って奴隷に堕とされたものが、重要な人物、例えば王族や貴族、貴重な能力者や知識者、あるいはその親族や後援者だった場合、ただちに居場所を特定し、保護と賠償をせねばならないからだ。

 また奴隷はそうして支払われた賃金を、自らの買い取りに充てることが許されている。もちろん、衣食住にかかる経費は、購入者の義務であるため、奴隷に支払われる賃金を、不当に没収することは法に反する行為である。

 そして自らを買い取った奴隷は、解放奴隷となり、帝国領土内での定住の権利が与えられる。この権利には公共施設の利用も含まれており、例えば、国営の学院や医療機関の利用も、正式に認められていた。

 そのため、帝国に蔓延している亜人差別は、あくまで個人の主義であり、個人と云う名の集団が、そういった空気を醸成しているに過ぎないのである。もっともその空気こそが、亜人種に対しての風あたりを強くしている。最たる要因ではあるのだが、国としてしっかりとした規定を定めている以上、カオリは帝国を批判する気がないのである。


「そういえば、私はこの都市で、亜人をほとんど見たことがありませんが、それは何故でしょう?」


 カオリは気になったことを、イソルダに聞いてみた。


「うーん、私よりもオンドールさんの方が詳しいし、偏見を持たせずに上手く説明出来るんでしょうけど――」


 イソルダは数瞬考える。


「まあでも、カオリちゃんにはアキちゃんがいるし、知らずに問題に巻き込まれたら、うちにとっても痛手だから、うん、カオリちゃん、ちょっとそれを詳しく説明するから、会議室に移動しましょうか?」


 イソルダの提案に、カオリは目を丸くする。ついでにもうちゃんづけを隠す気もないのかと納得する。


「え? いいんですか? 仕事は大丈夫ですか?」

「遠慮しないで、新人の教育も私の業務範囲だから、危険を冒さないように注意すること、そこにちょっと歴史の授業を踏まえるだけ」




 案内された二階の会議室で、カオリとアキは並んで座らされた。


「まず、神話について、カオリちゃん達はどこまで知ってるか、聞かせてもらえる?」


 質問を受けたカオリは、アキの注釈を受けつつも、村で教わった内容を答えた。

 そして順を追って答えた内容の一部に、イソルダは注目した。


「そう、亜人種の造物主が、六魔将と呼ばれるかつての神々の一員であること、全ての始まりはここに帰結するのよ」


 イソルダはそう強調して語った。


「悪魔の忌子、その子孫として、彼ら亜人種は長きに渡って様々な弾圧の歴史を辿ったの、その中でもとくに決定的な出来事となったのが、第二紀三百五十年の【獣牙紛争】とされているわ」


 現代からおよそ四百年前の出来事であることに、カオリは感嘆の声を上げる。


(四百年も弾圧を受けたら、普通滅ぶよね。亜人すごい……)


「亜人の生息圏は主に東大陸に集中していて、かつて【光の勇者】と名乗るアラルド系移民が興した王朝は、悪魔の忌子とされた亜人種を、東大陸から追い出したの、そして数百年の不満を爆発させた一部の亜人種達が起こしたかの紛争で、王朝は東大陸の大部分を失うことになったわ、後に王朝は滅亡、そこで争いは終わったかに見えたけど、次に台頭したのが、再び再起を図った同じアラルド系のナバンアルド家の一族で、彼らは瞬く間に東大陸を平定して、現在のナバンアルド帝国を築いたの、第三紀の始まりよ」


 歴史は繰りかえすを地で行く出来事に、カオリは溜息を吐く。


「つまり、取っては取られ、また取っては取られを繰り返して、今も人間と亜人が争っているってことですか?」

「不毛よね。何百年もよくやると思うわ」


 呆れの交じる声で、イソルダは苦笑する。


「ただし、第二紀王朝が滅んだのには、このミカルド王国も関わっているのを忘れてはいけないわ」


 イソルダの話には続きがある。


「【獣牙紛争】と時を同じくして、当時王朝から独立しようとする運動が盛んに起きたの、その筆頭がこのミカルド王国で、この国も建国から今年で三百九十七年目を迎えるわ」

「独立の動機はなんでしょう?」


 今度はアキが質問する。


「それは私達がロランド系先住民で、第一紀王朝、歴史上初の人間種による王朝を起こした。ミッドガルド朝の子孫だからよ」


(また分からない単語が出て来たな~、亜人種と人間種でも溝があるのに、人間種にも人種問題があるなんて、このままじゃ世間知らずで笑われちゃうだけならまだしも、口が滑って怒らせちゃうかもしれないよね~)


 歴史は嫌いではないカオリであったが、固有名詞の暗記は苦手な方である。だが流石に順序立てて広く浅く知識を身に付ける必要を感じ、今後は積極的に勉強の時間を設けようと考えた。イソルダはそんなカオリの内心とは関係なく話を続ける。


「西大陸に国を立ち上げたミカルド王国、東大陸を平定したナバンアルド帝国―― 住処を追われて森や山岳に逃れた亜人達にとっては、自分達の紛争に便乗して、ほとんど血を流さずに領土を手に入れた西大陸の王国群も、きっと同じ敵である人間種に映っているのでしょうね」


 うわぁ、とカオリの口から呻き声が漏れる。


「帝国と王国の戦争が始まったのが百年前で、【太陽協定】が制定されて西大陸の王国群が手を結び、王国連合が誕生したのが九十年前、敵の敵が味方とは限らない上に、北はブレイド山脈が縦断し、南はシールド山脈が横断していて、亜人達は住処を大規模に移すよりも、かつての故郷を取り戻すことを選んだ。とくに今は、【北の塔の魔王】の脅威が高まっているし、南の山脈は古くから呪われた地として忌み嫌われているもの、西大陸に亜人が少ないのは、そういった歴史と事情があるからよ」


(ここでも出て来たササキさん! あなた、たった三年で、すでに時代に関わっていますよっ!)


 カオリは心の中で、ここに居ないササキに対して、盛大にツッコミを入れる。

 某オンラインゲームに酷似した世界、だがこの世界は既に数千年の歴史を、そこに生きるもの達の手によって積み重ねて来た。

 種族があり、国家があり、魔法があり、奇跡があり、感情があり、理性があり、慈愛があり、憎悪があり、そして意思がある。

 何者かの意思により歴史が始り、何者かの意思により次代に紡がれる。その何ものかの意思に気付いたものこそが、次なる時代を己の意思で切り開くのだ。


(はあ、でも、私もササキさんのこと、言えないなぁ)


 カオリは自らもすでに、歴史に関わり始めたことを、漠然と認識していた。

 王国に歴史があり、帝国に歴史があり、その狭間の地を自らの居場所と定め、今日まで邁進して来たのだ。遅かれ早かれ、カオリは何かしらの形で、歴史や時代と対峙する時が来る。


(自由に生きたいとまで言わないけど、出来ることならどことも争わずにいられたらいいなぁ……、でも何もしなければ何も起きないなんて、そんな呑気なこと、いつまでも言ってられないだろうし)


 ササキに導かれ、アデル達に助けられ、カオリは今でも多くの人の手を借りて、それでも最低限は己の意思で行動して来た。 

 これまでの選択に後悔などなく、これから先も悔いを残さぬように考え、行動していくつもりではあるが、これから先にどこかできっと、仕方がないと線引きする事態はあるだろうと、カオリは一抹の諦念を感じていた。

 図らずも、同時刻に、ミカルド王国の最高権力者であるミカルド王までもが、カオリを話題に上げ、興味を示していたのだ。それを王の気紛れと断ずるのは、少々無理がある。

 偶然からアンリとテムリに出会い、姉弟の幸せを守ると誓ったあの日から、ササキと関わり、ロゼッタを仲間と認め、アキを従えた以上、どうあっても問題は向こうからやって来る。カオリの考えは、あながち杞憂とは言い難い。


(自分でも何か、アンリとテムリのために、村と自分のために、もっと出来ることがないか、考える必要があるかな~)


 カオリは思考する。


「カオリ様? どうされました?」


 アキの声に思考を止めて視線を戻す。イソルダもカオリの様子に疑問を持ったようで、カオリの顔を伺っていた。


「ああいえ、考え事をして、話を聞いてませんでした。すいません」


 素直に謝罪するカオリ。


「一度に沢山のことを教え過ぎたかしらね? 今日はこの辺りにして、次回があればその時に、でも正直私より、ササキ様やオンドールさんの方が、もっと詳しく教えてくれるはずだから、お二人に一度聞いてみてね」


 臨時授業の終了を告げ、三人は席を立ち、カオリ達は丁寧に礼をし、会議室を後にした。




 一階広間に移動した後は、二人でイソルダから受け取った依頼書の束へ目を通す作業を始める。


「あ、そういえば、ロゼッタのレベルがこの前の戦闘で、ついに二レベル上ったことの報告を忘れてた」

「そういえばそうでしたね。カオリ様も私も上昇し、カオリ様に至っては、ついに十一レベルに達されたのでしたね。この調子ならば、私を追い越すのも時間の問題でしょう」


 カオリが思い出し、アキが補足する。

 【遠見の守人】達の討伐と、野盗集団やイグマンドとの戦闘で、カオリ達はレベルを大幅に成長させた。

 完全な人型からの人間との戦闘、さらに高位魔導士との戦闘は、カオリ達に大きな経験をもたらしたようだ。

 ゲームシステムについて、アキから受けた説明によると、レベルは十毎に大幅なステータスアップがあり、さらにはスキルに関しても多種の解放があることを、カオリは思い出す。

 この世界での十レベル差は、決して覆らない決定的な差であるとされている。ただしそれはこの世界の戦闘技術が、あまり多様ではないことが背景にあるが、それを差し引いても、十もレベルが違えば、その差は歴然であった。

 十レベルの人間を倒そうと思った場合、一桁レベルの人間が十人必要であるというのが、常識とされていることから、この差が如何に決定的であるのかが伺える。

 今回の野盗集団の襲撃で、カオリ達が多勢を相手にしても、危なげなく返り討ちに出来たのも、こういった背景があったからだ。

 銀級冒険者ならば、最低でも十レベル以上の実力が必要なのだから、イグマンドの計画がどれほど無謀だったのか分かる。

 もっとも最終的にはササキの加勢があったのだから、はなから軍隊が相手であっても切り抜けられた可能性は十分にあったのだが、それはそれとして置いておく。

 経験値の取得量においては、初めての種類だったからなのか、自分達よりも上位だったからなのかは、まだ検証していないので詳細は不明だが、少なくともこれで、カオリ達パーティーは、例外として討伐依頼における級規制が緩和され、現在パーティー内で最上級の銀級の討伐依頼を、パーティーで請けることが可能になった。


「銀級の討伐依頼にもなれば、【デスロード】まではなくても、その一つ下の討伐依頼が請けられるなら、報酬も結構高額になるよね?」


 カオリが興奮した様子で、アキに確認をする。


「私の記憶では、十~五十万ゴルドが、銀級の相場だったはずです」

「ロゼに確認してみないと分かんないけど、今後必要になる資金を工面しないとだし、今の預金の残高を確認した方がいいかな?」

「第一次開拓はまだ着手金を払っただけですし、引渡金がまだ残っているのでは? 労働者組合への支払い期限がいつまでかによっては、支払いに猶予も御座いましょう、残高に関しましても、野盗討伐の報奨金振り込みを確認した時にも分かるはずです」


 アキが冷静に説明して、カオリは「そっか」と納得した。


「武具の手入れに消耗品の買い付けもしておかないと、依頼を請けたくても準備に慌てちゃうか……、【赤熱の鉄剣】と【蟲報】パーティーの分の物資も調達した方がいいかな?」

「それはまだいいでしょう、前回の食料買い付けで、彼らも自分達に必要な分は自己調達しているでしょうし、馬車も今回の護送で返却してしまいましたから、半端に物資を揃えても、返って経費が勿体のう御座います」

「ふんふん、なら今日は銀級の討伐依頼の種類とか、報酬金の相場の確認だけして、今回は大人しく村に帰ろうか」

「よろしゅう御座います」


 打ち合わせを終えて、二人は再び依頼書の束へ視線を戻す。




「もう、そんなことなら、私もついて行けばよかったわ」


 ロゼッタはそう言って眉を顰める。

 エイマン城砦都市で、野盗討伐の報奨金の受け取りと、イグマンド・ルーフェンの引渡と事後処理を済ませ、冒険者組合で級規制緩和の許可を得つつ、銀級討伐依頼の確認、預金残高の確認と、全ての用事を終えて、村に戻ったカオリは、さっそくロゼッタに報告を兼ねて、相談を持ちかける。


「取りあえず開拓業請負契約書と見積書を確認したいな」

「はいはい、この冊子がそうよ、ついでに作業日報も見る?」


 カオリはロゼッタが差し出した冊子を受け取りつつ頷く。


「村全体の収支記録なんてないから、倉庫記録と照らし合わせないと、何がどれだけ減ってるのか分かり辛いけど、何ならそっちも持って来る? というよりも今後のことも考えて、いっそ決算書でも作ってしまう?」

「う~ん、村の運営にどこまでの管理体制が必要か分かんないけど、記録さえあれば今後必要になった時に、いつでも整理出来るから、ロゼの考える限りでいいからお願い出来る? それとオンドールさんはどこかな?」

「今日は集合住宅の仕上げ作業の監督をして下さってるはずよ」

「私が呼んで参ります」


 村に帰ってすぐに、カオリは埃を払っただけの姿で、村の仕事へ頭を切り替えた。

 冒険者といえば、仕事を終えればとにかく休養を楽しむものがほとんどだが、カオリの場合は村の開拓こそが本業といっても過言ではないため、村に帰った時はいつも、こうして状況確認を優先して来た。一旦落ち着いて休もうにも、開拓の進捗状況や先の見通しが気になって、おちおち休んでもいられなかったからだ。

 カオリの呑気な性格と、まるで正反対な勤勉なその行動に、ロゼッタはいつも苦笑してしまう、本人はたんに切り替えが上手いだけなのだが、外から見た印象では、真面目なのか不真面目なのか、一見して分からないからだ。

 現在カオリ達が記録しているのは、村の倉庫の出納簿(すいとうぼ)と冒険者パーティーとしての帳簿のみで、労働者組合への依頼や物資の買い付けはカオリ達の資金からの支出として処理している。

 村の生産物を収入として計算しないのは、現段階では税や収益と見なすほどの規模ではないためであり、つまり現状村の開拓は、カオリの個人資産からの投資に過ぎないからだ。

 だが今後住民が増え、村が大きくなり、公共物の建造に膨大な資金が必要になる以上、村での生産物から余剰分を換金し、その資金を公共事業の費用に充てることを考えれば、正確な帳簿、企業でいう決算書なるものが必要になることは予想される。

 たかが女子高生に過ぎないカオリに、それらの書類の作成知識があるわけもなく、ロゼッタには曖昧な返答を返したカオリではあるが、簿記の勉強でもするべきだったかと、カオリは自身の自堕落な学生生活を思い返した。

 図面と施工を見比べつつ、長年の経験からの理想の内装を想像し、それを的確に指示していたオンドールは、アキに呼ばれ、臨時の執務室となっている。アンリ達の家に集まった。


「ふむ、これから本格的に大規模な人数をいれて、開拓に着手するのならば、たしかに更なる資金の確保が必要になって来るな」


 机に並べられた書類と、村のおおよその未来予想図を広げ、四人は机を囲んで顔を突き合わせた。


「はい、冒険者の仕事が、思った以上に実入りがよくて、しかも冒険者の皆さんも、素材の買い取りとか採取依頼を兼業して下さってるので、今は何とかやっていますが、これからさらに人を入れるってなったら、きっとすぐに資金が底をつくと思うんです」


 カオリはロゼッタと相談しつつ確認したことで、開拓業に今後、どれほどの資金がかかるか、おおよそだが算出出来たのだった。


「人件費の予想が立て難いのが大きくて……、食料費と報酬金がかかることとか、月毎の休養のための帰省を考えたら、都市で雇う大工や人夫だけに頼った開拓は、いずれ限界を迎えると予想出来ます」


 ロゼッタが丁寧に補足し、オンドールは顎に手をやった。


「やはり定住者を増やさんことにはな……、段階的に開拓を分け、労働者組合との契約も、それに合わせて分けたのは正解だったな、また材木や石材、それと建材金物などの資材に、かなり資金が圧迫されているのが分かる。今後は材工一式での見積もりとは別に、人材派遣のみの依頼も視野に入れんとならんな」


 オンドールは納得した顔で頷く。


「それに期間がさらに伸びるなら、着手金だけじゃなくて、中間金も発生するので、支払いと資金繰りに追われると思うんです」

「銀級討伐依頼を請けても、直ぐに依頼を終えることが難しい以上、どうしても支出が早くやって来ます。カオリ様と私共の三人では、物理的にこなせる依頼数に対して、それに伴う時間がどうしてもかかってしまいます」

「これらに早く気付いたことを喜ぶべきか、知ったことで二の足を踏んでしまうことに悩むべきか、難しいところだな」


 オンドールは苦笑いを浮かべつつ、カオリ達が真剣に取り組み、取り組み過ぎて自力で問題点を早々に発見してしまったことへ、内心で感嘆の声を上げた。

 かつて騎士として領地の開拓を監督した経験はあっても、予算の計算までは権限のなかったオンドールは、何の因果か、今こうして開拓に一から携わることで、自らも学びの機会を得ていることに、深い感慨を抱いていた。

 貴族の領地開拓を一言で表すならば、国という基盤の上で行われる。富の分割である。

 税から予算を算出し資金を確保し、仕事にあぶれた労働者や、独立心に溢れた若者を集め、新しい生産と消費の市場を作ること、経験豊富な指導者を据え、信頼出来る商人を呼び込み、自領を豊にしていくのだ。

 一見お金がかかるばかりに見える開拓だが、その実は潤沢な資金と人材を注ぎ込むことで、新しい村はそのまま即新たな消費市場となり、近い将来には新たな生産地となるのだから、長い目で見れば、国内あるいは領内の富を増やすことが出来る。いわば投資活動なのだ。

 だがこの村は、それらの領地経営とは本質から異なる。

 快適な生活基盤、食料の自給率、絶対の防衛能力、それらを維持しつつの復興と開拓なのだ。

 今後取引するであろう周辺の都市はすべからく他国であり、それらに対して対等の交易をしなければならず、そのためには、足元を見られないための自給や自衛を確立しなければならない、そもそもが、攻められないための重要性を示さなければならないのだ。


「なので、私はこれから、元村人の人達を呼び戻そうと思います」


 自分に出来ることは何か、ここ数日で考えたことを、カオリは提案する。


「開拓を宣伝して、街で募集をかけるだけじゃ、きっと思うように人が集まることはないと思います。こんな微妙な場所の村を、わざわざ新天地って考える人は少ないでしょうし、ここ最近で教えてもらった歴史で、国の人達がどういう考えを持っているのか、だいたい分かるようになって来たから、これからは、自分から気持ちを示していかないといけないって思ったんです」


 カオリは真剣な眼差しで、オンドールと向き合う。


「具体的にはどうするつもりだい?」


 オンドールは試すように質問する。


「元村長さんなら、ばらばらになった皆の居場所を知ってるかもしれません、ハンスさん夫妻も、もしかしたら他の元村人について、何か知っているかもしれませんし、まずは居場所の目星を付けて、冒険者組合で近い場所の依頼を請けながら、実際に会って話をしたいと思います」

「既に新天地で、借金をしてでも生活基盤を整えていた場合はどうする?」


 オンドールが質問を重ねる。


「返済が少額ならこちらで肩代わりしますし、支度金もこちらで工面するつもりで、何とか来てもらえないか交渉します」

「別人のなり済ましや、便乗してついて来ようとするものについてはどう考える?」

「アンリを連れて行きます。あの子なら元村人の顔を覚えています。便乗する方は普通に歓迎しますが、支度金については自分で工面してもらいます」

「ふむ……」


 移住希望者の確実な確保のためならば、元村人を呼び戻すことは最良と思える。元より反対する理由もないので、注意喚起も含めて、いくつかの質問をしたオンドールだったが、カオリは淀みなく答えることが出来た。


「ではササキ殿にも相談して、アンリ君とテムリともよく話し合って、出発については日取りだけ教えてくれれば、村のことは私が引き受けよう、ステラ殿さえ残してくれれば、労働者組合への支払いも滞りなく行えるから、後でロゼッタ君を介して委任状を用意しておいてほしい」

「はい! お願いします」


 綺麗にお辞儀するカオリに習い、アキとロゼッタもお辞儀をする。

 集合住宅の完成も間近だ。これで村に新たな住民を迎えられる。カオリは胸を高鳴らせた。


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