( 早期対応 )
翌日、カオリはアキとオンドールとイスタル、ゴーシュとスピネルの計六人で、ゴーシュの案内の下、野盗集団が潜伏しているであろう森の近くへ向かっていた。
先頭を歩くゴーシュは浮かない表情で、カオリやオンドールを振り返る。
「なあカオリちゃん、それに旦那よぉ、マジでこの人数で行くのか? やっぱり英雄様を待った方がよくねぇか?」
「一端の冒険者が、子女の前で情けない顔をするな、馬鹿者が」
「でもよぉ、せめて街で応援を依頼するとか、もっと安全をだなぁ……」
「ササキ殿の話では、野盗は高くて十レベルの素人集団だ。しかも狭所の森の中に塒を作っとる。定石通りに当たれば、銀級冒険者四人とカオリ君達のいる我々が、森で遅れを取ることはない」
オンドールの言った言葉に、渋々納得するゴーシュ、二人のやり取りをカオリは黙って聞いていた。
当初の予定を変更してササキが提案したのは、もはや異端審問会と化した会議へはササキとロゼッタが参加し、有力者や識者への証言をすること、そして残ったメンバーで野盗に先手で仕掛けるといものだった。
普通に考えれば、カオリ達はかなり危険な戦いになると思われる。ここはゲームの世界ではないのだ。刃物や鈍器での負傷は例えそれが軍事戦闘行動的観点から見て軽傷と診断される程度であっても、日常生活の観点から見れば一生ものの障害になりえる。
カッターナイフで指を深く切っただけで、適切な処置を施さなければ指がうまく曲がらなくなることもあるのだ。というよりも普通に痛い、すごく痛い(体験談)。
ササキはその危険に対する代わりにと、野盗集団の情報を提示したのだ。正確な数は二十六人、全員のレベルは低く、高くても十レベルが精々で、森の奥まったところに塒を構えているというものだった。
どうやってそんな情報を手に入れたのか、その方法はカオリ達とオンドールにのみ教えられていた。
「【―神の視点―】【―生命探知―】」
ササキが続けざまに唱えた呪文が響き、一同の前にウィンドウが展開される。
ステータス表示と違い、他者にも視認が可能な魔法なのか、カオリを始め、オンドールもロゼッタも驚きの表情で見詰める。
ウィンドウに映し出された光景は、空から見た村周辺から、さらに遠い距離も視界に納めた俯瞰の景色で、生命探知の魔法の効果か、動物が緑色に発光して確認出来る。
「視点の距離は限られ、生命探知も小さな昆虫や爬虫類は捉えきれないが、人間や魔物を発見するのには便利な魔法だ。距離や時間に応じて消費魔力も大きくなるが、おおよその場所が分かっているなら大した負担にはならん」
「これは驚いた……、英雄殿はこうして危険因子をすぐに発見して、誰よりも速く現場にかけつけておられたのですな」
オンドールの予想に、ササキは肩を竦める。これまで何人にも秘匿していたであろう情報の開示に、オンドールは生ける伝説からの信を得た心地に気を引き締める。
「この二つの呪文を封じた魔道具を、カオリ君達に渡しておこう、そうすれば入り組んだ森でも敵を正確に捕捉出来るだろうし、オンドール殿がいれば的確な指示も出せよう」
「ふむ、たしかに、これだけ正確に俯瞰出来れば、森で混乱させて分断し、各個撃破も容易でしょう、森の奥に追い込めば、魔物の餌食にも出来ますでしょうし……」
情報を与えられ、かつての用兵の知識から幾つかの作戦を引き合いに出し、オンドールは確実な方法を模索する。
そして会話しながら見付けた一固まりの生命反応を見付け、可能な限り近付いてから、アキの【―神前への選定―】で一人一人のステータスを確認していく、それで分かったのが全体のレベル差であった。
「ふんっ、雑魚の群れですね。これならどれほど束になって襲って来ようとも、我らの敵ではありません」
アキが吐き捨てるように言う、オンドールもそれで覚悟が決まったのか、大きくうなずいた。
「最悪、カオリ君が斬らずとも、【蟲報】とアキ君だけで、ある程度は無力化出来るでしょうな、問題があるとすれば、相手方の統率力が高く、思わぬ反撃にどう対処するかでしょう」
「それこそ、危険になれば私を呼び出せばいいでしょう、ロゼッタ君にも、転移用の首飾りを持たせれば、往復するのも一瞬で行える」
カオリとアキだけが知る事実、人類最強に位置付けられる神鋼級冒険者でありながら、その実、魔王と呼ばれ多国家が脅威を抱く一国の王であり、日本人の魂を持つ常識人の大人だ。
(なんだそれなら安全じゃん)
カオリは安堵の溜息を洩らす。
かくしてカオリ達は野盗集団と対峙することになる。
「あの~、すいません、野盗の方達ですか?」
およそ野盗にかける言葉ではないが、カオリに野盗と接する経験などあるはずがないので、致し方なし。
「何だ嬢ちゃん、一人でなんの……、一人じゃねぇか」
見張りだろう三人組の身なりは、一見して野盗の類と云えるもので、動物の皮を加工した軽鎧に、腰には銘々に小振りの武器が見える。
何者かが接近して来る気配は事前に察していたが、騎士の討伐隊でもなければ領軍の山狩りでもない様子だったので、接触まで様子を見ていた野盗達であるが、出て来たのが少女であったことに純粋に驚いた。
ただし、一瞬カオリが一人と思ったところへ、後からオンドールが茂みから姿を表したことで、無警戒から一転、警戒心を露わに武器に手をかける。
「我々はここからほど近い場所で村の開拓をしているもので、一応冒険者をしている。彼女も私も銀級以上の冒険者だ。君達の首領と取引がしたい、呼び出して貰えないだろうか」
「何を言って……」
平和的に、だが一方的に要件を伝えるオンドールに、野盗達は困惑の表情で固まる。
冒険者による野盗の討伐は比較的珍しいことだ。金さえ積めば何でも引き受ける印象が強い冒険者であるが、彼等は殺人を喜んで引き受けるほど非人道的な人種ではない、そういった手合いの仕事は基本的に傭兵の領分である。
「周囲には私達の仲間も伏せている。要らぬ争いで命を賭けるのも馬鹿らしかろう? 女子を火中に連れるわけにはいかん、悪いがそちらから出向いてもらいたい」
「……分かった。ボスに聞いてみよう」
「おい良いのか? 怪し過ぎるぜ?」
体よく首領をおびき出して首のすげ替えを狙う輩かと野盗達は怪しむが、一人が了承して渋々だが従う様子から、その男の発言力が強いことが伺える。一応の体で仲間の一人が咎めるが、先頭の男は無視して一人を遣いに出す。残された二人とカオリ達は無言でそれを待っていた。
しばらくして森の奥から出て来たのは大柄な男、毛皮と板金鎧で身を固めた姿は、野盗というより戦士といった出で立ちだ。ボサボサの長髪を後ろに撫で付け、伸び放題の髭が年齢を分かり辛くしている。
「いったい何処のどいつだ。俺達と取引がしたいなんぞよぉ」
発した言葉は荒々しくも、いきなり戦闘にはならない雰囲気に、カオリは胸を撫で下ろす。最初に切り出すのは自分と、緊張しつつお腹に力を込める。
「率直に言うと、開拓途中の村を襲わないでほしいんです。魔物ならいざ知らず、人を相手に戦っているほど余裕はないので……」
言外に戦えない訳じゃないと仄めかす。口調は丁寧でも、姿勢は強くあらねば舐められる。とはオンドールの言葉だ。
「一ヶ月分の食料と燃料、後酒だ。でないと話にならん――」
「一週間だ。冒険者組合には塒と人数をすでに報告している。傭兵共の餌にはなりたくなかろう?」
「馬鹿言え、ここまでの遠出で獲物が減ってるんだ。二週間、これ以上は取引にならんぞ? 襲わないまでも、街道の封鎖くらいは出来るんだ。困るのはそっちだぜ?」
「十日だ。交易の代わりにお前達の首で賄うことも出来るんだ。ここに連れて来た戦力だけでも、お前達を相手に出来る。次の獲物が馬車を連れて来ることを神にでも祈るか?」
突然始まった応酬に目を回すカオリ、オンドールの常にない粗い言葉遣いにも驚く、オンドールが居てよかったと心底思った。
一方野盗の首領は腕を組んで黙っていた。まだ納得出来る条件じゃないのかと、カオリは不安を抱く。
「……他の野盗を大人しくさせれば、月替わりに追加でまた十日分を用意する。今度は酒を多めにしてやろう」
「乗った。受け渡しはいつだ?」
「三日目の夜、場所はここでだ」
「そっから先はどうする? 食料があれば数も増やせるぞ?」
「頑丈な塀と、銀級冒険者の集団が怖く無ければ相手になる」
「けっ、つまらん爺だ。ったく、塒を移さねぇとな……」
(すごい、こんな怖そうな人達でも、ちゃんと話し合えば戦わずに済むんだ……)
食料が計二十日分の出費も忘れ、カオリは素直に関心した。
実際この世界では同様の取引は各地で行われている。でなければ危険な地方での村社会が、平和に営めるはずがないのである。
また野盗と言えど、彼らも人間である。無用の戦いで命を落とすことを避けるのは当然であり、そもそも毎日の食事にあり付くのに、毎度略奪をしていたのでは、獲物が減るどころか、討伐隊が組まれる危険もあるのだから、人数さえ揃えられれば、生かさず殺さずで脅し取ることがもっとも効率が良いと言える。
ここでカオリは事前に打ち合わせていた通り、背に負っていた一抱えほどの樽を降ろし、首領の足元まで転がした。
「北に行けば戦場があるのに、どうしてここで留まっているんですか? 帝国や公国なら傭兵として幾らでも稼げるでしょうに」
これはササキから提案された問いかけである。取引の中で彼らの目的を知ることで、事前に同様の輩の頭を押さえることが出来るかもしれないと、またカオリ自身も彼らの目的を知りたいという動機からだ。
「お? こいつは酒か! 中身はエールか、嬢ちゃん分かってるじゃねぇか、だがよう、今の質問はいただけないぜ」
下品な笑みをカオリに向けながら、首領は酒樽を持ち上げて無邪気に喜んだ。その様子にカオリは面食らう、普通に会話が成立したことにも驚いたが、こうして玩具を与えられた子供のようにはしゃぐ姿を見せられ、彼らが人を襲う野盗であることを、一瞬忘れてしまったからだ。
「魔王とかいう奴が率いる魔物の群れとか、険しい森林や山岳の亜人共と戦うくれぇなら、馬鹿な貴族や命知らずな商人を相手にしてる方がよっぽど安全だからな」
だが男の口から出た言葉に、カオリは顔を歪める。詰まるところ男は強い相手と命をかけてまでは戦わないと言っているのだ。そして標的は同じ人間、当然集団で襲い奪うことを前提としてだ。文句無しの犯罪者集団である。言っていることは至極当然であっても、まったく理解したくない理由である。
思っていることが表情に出てしまっているカオリに、首領は小馬鹿にしたような笑い声を上げる。この世界の世情に疎いカオリには知る由もないことではあるが、野盗に身をやつすのにはそれなりの事情というものがある。
もちろん知ったところで同情の余地など皆無ではあるが、事実だけを言えば彼等のような反社会的人種は、公共の場への立ち入りが厳しく制限されている。都市への入場はもちろん、身分証の発行などもっての他である。そうなれば必然的に売買行為は出来ず。まともな手段での生活など出来ようはずがないのだ。
冒険者登録も同様であり、そもそも主要都市にしか冒険者組合は設置されていない、都市に入れないのだから登録はおろか魔物の素材換金も出来ない、よって魔物の討伐を彼らが自衛以外の理由で行うことはないのだ。
だから奪う、金も食料も衣類も、人から奪えば手っとり早いから、ただそれだけの理由でだ。
「おやおや、どうやらそっちのお嬢ちゃんは、俺らの存在が気にいらねぇようだぜ、お守も大変だなぁ旦那」
(この人、嫌い!)
カオリは率直に拒絶する。隣のオンドールは黙ってカオリと首領のやり取りを見ていた。元よりオンドールは野盗集団を打倒するつもりだったのを、カオリの要望で取引を持ち掛けたに過ぎない、一応カオリの気が済むまでやらせて、それで躊躇いを吹っ切れるなら、その方が今後同じような状況になった時に対処しやすい、つまり容赦せずに剣を振れるのだから、目の前のこの男にはいっそ、カオリへもっと悪い印象を抱かせてほしいという打算まであるのだ。
だが首領は思いもよらないことを言い出した。
「ならここでいっちょ手合わせといこうかい?」
「……どういうつもりだ? もし出し抜こうと――」
オンドールは静かに怒気を纏わせ、腰の剣に利き手を添える。
「まあ落ち付きな旦那、ボスなんて呼ばれても、俺だって所詮ただのならずものの一人だ。若けぇ奴らの面倒は見ちゃいるが、力で言うことを聞かせてる部分だってある。今回の取引だって納得がいかねぇ奴は少なからず居るだろうよ」
警戒心を露わにする二人を前に、「だから」と首領は続ける。
「ここは一つ俺と戦って、俺の強さとオタクらの強さを、手下共に見せ付けとかねぇかって言うわけよ」
「ふん、それでお前が負けて、手下共が暴走しても、自分だけが責任逃れをしようという魂胆か? 浅知恵に過ぎるようだが――」
「やります。オンドールさん、私にやらせて下さい」
カオリがオンドールの言葉を遮る。
(命まで取らないなら、ここでこの人の強さをたしかめておきたい、もし勝てるようなら、ぎゃふんと言わせて、二度とここに近寄らないように約束してもらう!)
カオリはそう独断を下す。オンドールはその真っ直ぐな視線を受けて押し黙る。小娘の言葉に素直に従うこと、一応護衛対象と見ている少女を矢面に立たせることに、思うところがないわけではないが、目の前の少女の決断が、少女の成長にどう影響を与えるのか、純粋に見守りたい心境に駆られる。
ただし剣に添えた手を離すつもりはない、オンドールは一歩引いてカオリの言葉に従う意を示す。
「ほう、守られるだけのお嬢ちゃんかと思えば、腕に自信があるのか? まあ俺ぁどっちでもいいけどよ、どうなっても知らねぇぞっと」
首領は片手で手下を下がらせ、もう片手で背中の両手斧を取り出すと、それを両手で構え直し、脚を広げて戦闘態勢に入る。
それを受けて、カオリも鞘口に左手を移し、半身で構える。
「おう? 剣は抜かねぇのか? さっさと構えなぁ」
「いえ、こういう構えなので」
居合いの型がないこの世界で、いつかは言われるかもと思っていたことを言われ、カオリは少し口の端を釣り上げて答える。
それを余裕の笑みと捉えたのか、首領は苛立たしげに息を吐き、一歩大きく踏み込んだ勢いのまま、大上段に振り上げた両手斧を、その重量に任せて豪快に振り下ろす。
狙うのはカオリの左肩、万が一反応出来ずに攻撃を受けても、命までは取らないところを狙った攻撃だが、カオリはほんの僅かに下がるだけでそれをやり過ごす。
「ほう! よく見てやがる!」
打ち下ろした両手斧を筋肉で引き戻し、続けて刃を押し当てるように斧を突き出す。もともと牽制の意味合いが強いこの攻撃は、もちろんカオリに当たることはない、さらに連撃で小刻みに斧を振う首領は、カオリに反撃の機会を持たせないつもりのようだ。
両手の振り抜きと見せかけ、離した左手での殴りつけ、振り下ろした勢いを殺さず上から石突を振り下ろす振り回し、業を煮やして捕まえようと伸ばされる手も、そのことごとくをカオリは柳のように躱していく。
「この! ちょこまかとっ」
「すげぇ……、ボスの連撃を全部避けてる」
「かすりもしねぇなんて、この女何者だ?」
後ろで見守る手下からも、動揺の声が上がる。
だがここで首領は、体格を生かした体当たりを敢行する。
身軽な剣士や暗部のものと対峙する場合、下手な攻撃は避けられて体力を消耗する。そして動きの鈍くなったところを狙われるくらいなら、防御を固めての突貫、と誰もが考え付くこと、余程の技量を持っている人間でなければ、一旦大きく距離を取ろうとするだろう。
しかし、カオリはその余程の人間にあたる技量を持って居た。
カオリが狙うのは、首領の踏み込んだ右膝の上部、大きく抜刀して首領の視線を誘導しつつ、身体ごと捻りを加えて振り抜き、そのまま首領の左脇から切り抜ける。
踏み込んだ脚を狙われ、一瞬たたらを踏んで勢いを失った首領は、枯れ葉の如くすり抜けたカオリを補足出来なかった。また鋭い痛みで身体が硬直し、直ぐに体制を戻せなかった。
カオリはその隙を逃さなかった。
痺れるような感覚の中、目に映る情報を冷静に処理し、相手の分析と対処法にのみ集中したカオリの脳は、この時、ただ冷徹に相手を斬ることに特化していた。
痛みで崩れた体勢は隙が多く、とくに身体を右足側に傾けたために、左脇から腰にかけてがガラ空きだ。
(今、脇の鎧の隙間に差し込めば、心臓にも届く、反撃を抑えるために左腕を斬り落としてもいい――なら)
「そこまでっ! カオリ君、殺しては駄目だっ」
「……あ」
突然張り上げたオンドールの声に、これがただの手合わせであったことを思い出したカオリは、一瞬茫然として固まってしまった。
「ふぃ~、まいったぜぇ、嬢ちゃんの目、最後完全に人斬りのアレだったぞ? こりゃ本気で攻撃しなくてよかったぜっ」
首領は情けない声を上げて、右足を庇うようにドッカと地面に座り込む、それを見届けてカオリもバツが悪いように刀を鞘に戻し、トボトボとオンドールの傍に戻った。
(どうしちゃったんだろう私、今完全に作業みたいに戦ってた?)
未だ困惑する頭で、今の自分に起こったことを反省する。
一方オンドールも、カオリの変容振りに舌を巻いていた。
(人を斬ったことがないなどと、本当か? あれではまるでただの作業のようではないか、強弱の攻撃に適した正しい対応と、いざ斬るとなった時の冷徹さ、――あの目は本気だった)
一瞬の沈黙を破ったのは首領だった。
「おう野郎共、今の戦いで分かったろうが、これが銀級冒険者の実力だそうだ。それがやっこさん達は複数人いるらしい、俺らが束になっても勝てやしないだろうな、ただ怪我くらいはするかもしれねぇからと、取引を持ち出した慈悲深けぇ奴らだそうだから、今回の取引に応じて、素直に大人しくする。異論はねぇな!」
あちこちから、へえなどと間抜けな返事が聞こえてくる。手下の一人が首領に肩を貸そうとするが、首領はそれを拒否して何とか立ち上がり、「痛ぇ痛ぇ」と呻きながらも歩き出す。
「負けた身で言うのも何だが、約束は守ってもらうぜ、受け渡しは三日後の夜、この場所で、……もし違えるようなら、――怪我くらいは覚悟してもらうぜ?」
オンドールはカオリに視線を向ける。まだ彼も一連の出来事に動揺があるようで、首領のペースに呑まれていた。案外こういった生死観では、野盗の方が肝が据わっているのかもしれないな、とオンドールは目の前で冗談交じりに言う首領に、ある種の敬意を感じた。
視線を向けられたカオリは、何度も大きく首を縦に振り、同意の意を示す。勝った方が動揺しているという可笑しな状況も、今のカオリを落ち着かせる効果はなかったようだ。
こうして一件は落着した。
帰りは一応襲撃を気にして森の中を散開しながら進む、もし無警戒で森を出たら、遮蔽物のない平地で遠距離から攻撃され、さらに数で包囲される危険がある。取引において、人がもっとも油断するのは取引成立後の瞬間なのだ。
この辺りは荒ことに慣れた様子のゴーシュが、念のためとカオリに了承させた提案である。今は言い出しっぺの責任感から、ゴーシュとスピネルの二人で殿を務めている。
「もしかしたらだが、カオリ君の固有スキルが何か関係しているのかもしれないな」
ぽつりと言い出したオンドールに、カオリは目線で続きを促す。
「身体と心を切り離して行動出来る人間は、ごく稀にだが存在する。状況を冷徹に分析する頭と、適切に対処する身体、だが心まで冷血漢になるのではなく、自分の行動に自身が傷付く……、もしかしたらカオリ君の固有スキルは、そうやって能力を最適化して最大限引き出せるようにするためのものかもしれないね」
「……どうでしょう、自分じゃ分かりませんから」
気落ちしているというよりも、諦めの気持ちが感じられる表情で、カオリはオンドールの言葉に反応する。カオリがそうするのには理由があった。
カオリは生来、何事にも執着しない性分だった。一人娘として大事に育てられ、兄も聞けば何でも教えてくれる知識人であったことも大きい、望めば与えられ、望まずとも教われる。
だがそうした日々で、人はいつしか望んでも手に入らないものがあることにも気付く、とくに兄から教わる歴史や社会の知識は、カオリから無垢な心を摩耗させることに、大きな影響を及ぼした。
また中学生という多感かつ多様な学生社会の中で、いやがおうにも感じる無力感は、与えられた知識が間違いではないのだと、何度も再認識させられて来たのだ。
閉塞的な学習範囲と人間関係から生じる。上下関係やグループ間の軋轢、貧富から来る自由度、美醜の優劣、秀愚に対する大人達からの対応、そしてイジメの被害者と加害者と、――傍観者。
これが高校生になるとまた少し変わって来るのだが、本来得られるはずだった青年期を、異世界召喚という大事変で、一足飛びに残酷な社会に放り出されたのだ。
今まで良く腐らずに、本来恐ろしいはずの弱肉強食の世界で、錯乱して引き籠ることもなく、冒険者稼業に勤しめたものだと、思い返せば驚愕の事実である。
――仕方がないことは仕方がない。
これはカオリの座右の銘である。起こった出来事に悔み立ち止まるくらいなら、仕方がないといってまずは冷静に対処法を探り、原因は後でじっくり考えればいいし、分からなければ人に頼ればいい、カオリはそうやって争いや問題に対処して来た。
これは他人に対しても当てはまる。出来ない人間にやれと言っても出来ないのだから仕方がない、なら結局出来る人がやってしまった方が手っ取り早い。
カオリは他人に期待しない、かといって自身が驕りもしない、こうしたからこうなった。それをしなかったからそうなった。
今回のことを引き合いに出すなら、攻撃されたから反撃した。ただそれに尽きるのだ。そこに相手の生死は問わない、きっとあの時カオリは、オンドールが止めなければ、首領がさらに反撃に出ていたなら、何の躊躇いもなく息の根を止めていただろう、人を殺していただろう。
オンドールの慰めにしか聞こえない言葉に、以前と変わりない感情の動きが、カオリに自身への諦念を抱かせる。
この時、オンドールはそんなカオリの心境とは別に、またさらに思考を深くする。自分の言葉が届かない少女に代わり、深く考えを巡らせるこの男は、紛れもないお人好しであった。
(カオリ君の剣術、洗礼されている技術だと思っていたが、ようやく分かった。――あれは純粋な殺人剣だ。人を殺めることに特化した女子供でも扱える必殺の技術、こんな少女に教えた人物の正気を疑うが、生き残るための護身術ではなく、殺めるための最適化された技術には、もしかしたら心の在り方まで、幼少のころからの刷り込みもあるのかもしれん、これは同郷のササキ殿にも話を聞いてみるべきだな……)
まったく見当違いなことを考えるに至ったオンドールだが、その洞察力には鋭いものがあるのも事実、少なくとも技術の方向性についてはあたっているのだ。オンドールはまた一つ堅い決意をして気を引き締める。
(何にせよ、カオリ君の心が壊れぬよう、我々が心を砕く他あるまい)
今日も今日とて大人の責務を掲げて、オンドールは力強く歩く。
一方、都市組の一行はエイマン城砦都市を目指し、街道をササキとロゼッタとステラで三人並び、のんびりと歩いていた。
通常比較的安全な街道とは言え、隊列を気にしない並びでの移動は忌避される行為であるが、名実共に最強の名を冠するササキがいることで、危険などあるはずがないと、一行はまるで行楽気分で進んでいたのだった。
「良く考えたら、今あのササキ様と、二人っきりの旅をしているの? これって女神様が私に与えた御褒美じゃないの!」
殺生にまつわる苦悩をカオリがしているころ、ロゼッタは一人、淡い恋に浮かれていた。ちなみにこの旅程には従者のステラも同行しているので、厳密には二人きりではないが、この時のロゼッタは完全に浮かれていた。
三年前の春、王都で【フロストドラゴン】の首を引っ提げ、堂々凱旋し、後に王宮に呼ばれ、降臨祭と銘打ったパーティーに招待されたササキの姿を見て以来、ロゼッタのササキへ向ける羨望は、騒動で再び出会って以降、すっかり恋へと昇華された。
手の届かない英雄への憧れから冒険者となった彼女だが、今こうして並んで歩けることを、神に感謝するほどに舞い上がっていた。その情念は留まることを知らない。
「うむ? カオリ君達が野盗集団との取引に成功したようだ」
虚空を見詰めながら悠然と歩いていたササキだが、意識は遠見の魔法での観察に費やしていた。そして推移したカオリ達の状況を見て言葉にする。
「本当ですか! 良かった……、これでしばらくは安心ですわ」
恋を患っていても、淑女の仮面まで忘れたわけではない、男性の一挙手一投足へ注意を払い、男性を立てる会話を心掛けるのは、最早身に刻まれた癖のようなもの、ササキの言葉にロゼッタはしっかり反応した。
「だがどうやらカオリ君、相手方の首領と一戦交えたようだが、危うく相手を殺めてしまうところだったようだな、末恐ろしい子だ……」
「え? 殺めるって、カオリは大丈夫なのですか?」
ササキの報告に驚くロゼッタ、カオリの身体ではなく心を心配する辺り、ロゼッタがカオリの強さにおける信頼は、本人も気付かぬ間に揺ぎないものになっている様子だ。
「うむ、オンドール殿もいることだ。我々が案ずることにはなるまい、それにカオリ君は女子にしては強い心根を持っている。易々と壊れることにはならんだろう」
「……」
ササキが寄せるカオリへの評価の高さが、ササキに恋するロゼッタの心を僅かに揺らす。
(駄目ね……。夢も恋も、年下の女の子に負けてるからって、こんなに動揺していたんじゃ話にならないわ、私は私に出来ることで、きっといつか全部を叶えてしまうくらいの気概じゃないと、いつまで経っても貴族のお嬢様でしかないわ)
ロゼッタが内心で心を強く持とうと苦心する傍ら、彼女の従者であるステラは、二人の後ろに並び、微笑ましいものを見る目で己の主人を見詰めていた。
そして、同日の夕刻に都市入りした三人は、前回と同様の宿に荷を降ろし、冒険者組合へ会議への参加を伝え、冒険者組合はそれを受け、早速二回目の会議を開くことにした。
日時は翌日の昼と聞かされたササキとロゼッタは、宿で思い思いに過ごし、翌日の会議へ挑む、その前夜、ステラの強い勧めにより、身嗜みに一層力と時間を費やした。貴族令嬢であれば見目も武器の一つと教え育てられるのだから、公に姿を表す以上妥協は許されないとばかりである。
前回とは違い、当事者である冒険者が参加することによる影響は少なくない、何せロゼッタはミカルド王国の侯爵令嬢であり、ササキは大陸に数えるほどしかいない神鋼級冒険者なのだ。発言を間違えれば社会的地位を失っても不思議ではない。
だが、だからこそ、会議に何らかの結論がもたらされるだろうと、多くのものが考えた結果、前回を超える人数が参加したことは、ある程度予想されたことだった。
(うわぁ、皆が私とササキ様を見てる……)
集まった会議室には多数の識者や有力者、または上級冒険者達が所狭しと集まり、皆一様にロゼッタとササキへ視線を向けていた。
むさ苦しいことこの上ない会議室において、見目麗しい紅一点のロゼッタは場違いなほどに浮いていた。幸か不幸か、ステラの施した丁寧な湯浴みと薄化粧、また僅かに持って来た外向きの装いが、ロゼッタの異物感に拍車をかける。
向けられる視線の中に、疑心以外の邪なものが含まれてもいたが、幸い緊張の最中にある彼女は、その視線に気付かなかったので、会議が開始するまでの間、心を落ち着かせることに集中出来たのは幸いだった。
そこへ冒険者組合エイマン支部支部長、ベルナルドの声が響く。
「では皆さん、【第二回異端魔術緊急対策会議】を始める」
御大層な会議名を読み上げたベルナルドの声に、ロゼッタは背筋に冷たいものが走るのを感じる。
ここへ来る前は、自分達の潔白を証明すると意気込んでいたはものの、やはり大勢の大人を前にしては、緊張を感じざるをえない、また礼節を重んじる貴族社会と違い、ここにいる人種は一般の平民達だ。王都へ出入りする有力商人達はまだしも、識者や冒険者達はロゼッタへ不躾な視線を送って来るので、慣れないロゼッタは堪らず顔を伏せる。
だがそんなロゼッタを勇気付ける男の声が発せられる。
「私は王都支部の冒険者、ササキと申すものです。先んじて発言する許しをいただきたい」
一人で三人分のスペースを占有する巨躯のササキは、室内でも外さない兜の下から、朗々と声を発する。その声の力強さはただそれだけで、並みいるもの達を圧倒した様子で、先まで不躾な視線を寄こしていた者達は一斉に身を引いた。
(ササキ様、素敵……)
もはや別方向へ意識を持っていかれたロゼッタを無視し、ササキは言葉を続けた。
「まず今回、問題となっている。別名【亡者】と呼ばれる存在とその発生原因の追及と対策に関して、私は一定の猶予と調査機関の設立を提案したい」
思いもよらぬ提案に鼻白んだのはベルナルドだった。
「……それはどういったお考えでしょう?」
ササキの提案に冷静に疑問を投げかかけるベルナルド。
「いや何、人類の安寧を目指す冒険者として、ただ単純に魔物への理解と対策をきちんと調査する必要があると、私は考えたまでです。そのための人材と理解を、この場で取り付けられれば僥倖と打算した次第」
「何を馬鹿な、理解も対策も既に定められておる。異端魔術の使用と秘匿、そして冒険者を送り込んでの討伐、これ以上何を講じるというのだっ、貴様まさかそうやって時間稼ぎと疑惑の揉み消しを図ろうとしているのではなかろうな?」
声を荒げて反論したのは、前回声高にカオリ達を糾弾しようとした有力者の一人、名はイグマンド・ルーフェン、魔導士組合の組合長だった。
都市の魔道具開発と販売の権利を持つ魔導士組合、その権限は都市機能を担うことから、時に国から派遣される街の代官に匹敵する。
また冒険者の中には、冒険者と兼業して魔導士組合に席を置くものも居り、魔物の生態調査や発生原因の追及においても、冒険者組合とは協力関係にあった。
そんな組織の長である組合長が、今ササキを攻撃対象と捉え、必要以上に責め立てようとしている。
「ほう、流石は魔導士組合の組合長、彼の死霊術への造詣が深いのですね」
「! 何が言いたいっ」
挑発めいたササキの言葉に、食ってかかる組合長、彼にしては珍しい態度に、ロゼッタは注意深く様子を見る。
「発生の原因も分からず。異端だからと切って捨て、何度も【再出現】するのをその度に税金を使って討伐する現状を、果たして正しい対策と言えるのか、私にはさっぱり理解出来ない」
呆れたと言わんばかりに首を振るササキに、組合長は苛立たしげにササキを睨み付ける。
組合長の思惑を暴露するなら、偏に教会組織への擦り寄りである。
魔石や道具類に魔法を付与するという製造方法は、現在二つの出所によって普及している。一つは魔導士組合所属の魔導士工房によるもの、そしてもう一つが無所属魔導士の資金繰りの一環によるものだ。
魔導士組合にしてみれば、安い価格で市場を乱す無所属魔導士の存在は、目の上のたんこぶ以外の何物でもない、もしこの異端疑惑で死霊術と付術に関連性が認められれば、異端指定とされている死霊術と共に、付術の習得と魔道具の取り扱いに、一層の制約が課される可能性が高くなる。そうなれば組織だった管理体制を持つ魔導士組合が教会の認可を得て、市場を独占出来るかもしれないのだ。
組合長はここで、カオリ達とササキを糾弾することで、疑惑を大きく表沙汰にし、カオリ達を異端者として引きずり出した立役者として名乗り上げ、教会組織への信用構築のための手土産にしようと画策していたのである。
「しかしこの国では、死霊術の研究は厳しく禁じられている。例え根絶のためとは言え、教会の異端指定を恐れず研究するものは一人も居ないのが現実です」
組合長の思惑を知るものの一人であり、個人的にロゼッタ帰省の依頼を請けていたベルナルドは、一連の組合長を泳がせていた。
だが余りに攻撃が過激になり、累がロゼッタにまで及べば、侯爵からの叱責を受けかねない、彼はある程度は問題を激化させるつもりではあったが、どこかでいずれ沈静化させねばと慎重に対応していた。
「だから調査機関を設けようと提案しているのです」
「それは異端発言だ! 貴様本性を表しよったなっ!」
怒気を露わに叫ぶ組合長に、さすがのベルナルドも顔を歪める。
彼からしてみれば、ササキはそんな軽はずみで糾弾していい相手ではない、ここは穏便に話を纏め、ササキとカオリの関係を切り離しつつ、ロゼッタが冒険者稼業を諦めるように誘導したいのだ。
(この男、何を企んでいる?)
異端魔術への対策のために研究機関を設けることは何も不思議なことではない、それを一介の冒険者が標榜することは稀ではあるが、上級冒険者以上であれば自身の探究心を満たすために、自己資金を出資して財団などを設立することも珍しくない。
底の見えないササキに対して、ベルナルドは慎重に観察する姿勢を取る。やはり障害になるのはこの強過ぎる個人、冒険者ササキだったかと、ベルナルドは嘆息した。
「異端かどうかは教会が決めること、魔導士組合はいつから司教団に転職したのですかな?」
「なんだとっ!」
もはや碌な反論も思い付かないほど激昂した組合長へ、ササキは冷ややかな言葉を向けるが、そこでふと、ササキがロゼッタへ視線を送ったのに、ベルナルドは気付いた。
「異端なんかじゃありませんっ!」
「!?」
今まで黙っていたロゼッタが立ち上がり、大きな声を上げたことで、ざわめいていた会議室が静まり返る。
まさかここで彼女が発言するとは思っていなかったベルナルドは、目的の本人がこの会議で、積極的に発言することの危険性を憂慮した。
(不味いぞ、彼女が過剰にカオリ君達を擁護すれば、彼女自身にも異端疑惑の目が向けられ兼ねん、くそ、ササキ殿さえ出て来なければ、彼女に接触し、意思を誘導することも出来たのに……)
ベルナルドは内心で奥歯噛みした。
昨日、都市入りして組合へ訪れたササキとロゼッタだったが、さり気なく話を振ろうとしたベルナルドを、ササキはやんわりと遮っていたのだ。
そして翌日の会議の準備があると早々に組合を辞去し、今度は宿に引き籠ってしまったのである。思惑が上手く進まなかったことを、ベルナルドは思い出すだに眉を顰めた。
ちなみにササキ達が宿に引き籠っていた理由は、ササキに良く思われたいロゼッタを、綺麗に仕立て上げるステラの想いやりだったのだが、ササキには預かり知らぬことだった。
ロゼッタの発言は続いている。
「例え知識そのものが異端であっても、哀れな魂を救うこと、また同じ悲劇が生まれぬよう備えることは、女神エリュフィール様が我らに課した試練であり、また人の持つ真心からの善行に違いありません! どうして頭ごなしに糾弾されねばならないのですか!」
一見勝気そうな顔立ちの彼女だが、黙っていれば深窓の令嬢らしく美しい娘である。そんな彼女の切々とした訴えは、子供だからと無下に出来ないものだった。
「考えても見て下さい、王国の平和を胸に、勇敢に戦っていたはずの【遠見の守人】の一族は、非情な決定により見捨てられました。しかし彼らは【亡者】となってでも監視塔を死守しようと今も戦っているのです。それを我々冒険者は狩の対象と見なし、寄ってたかって殺し続けて来たのですよ? これのどこに救いがあると言うのです。どこに正義があると言うのです!」
ロゼッタの言葉に目を背けるのは冒険者達だ。この都市の冒険者であれば誰もが通った昇級試験の討伐対象、今回の問題で浮上した疑惑は、何も冒険者達へ稼ぎ口の喪失での不安を抱かせただけではない、皆心の片隅では一抹の罪悪感を抱いていたのだ。
子供の理想と笑い、己達の利益を口にするほど、冒険者達は世俗に染まり切っていないのだった。
「私の憧れた冒険者は、勇敢に魔物と戦い、民の安全を守ってくれる英雄達でした……。禁忌を犯し国を乱したものを裁くのは貴族の努め、しかし苦しむ民を、魔物が跋扈する最前線で守るのはいつだって冒険者達です。そして私の信じる神々は、その行いを見守って下さっているはず、きっと教会も真心で訴えれば、これから行うことを善行と認めて下さるはずです! だから――」
嗚咽の交じる声で訴えかけるロゼッタ。その姿は誰がどう見ても、清らかな心根を持った。敬虔深い一人の娘であった。ロゼッタが意識してやったかどうかは定かでなくとも、この訴えを無視出来る冒険者は少ない。
単刀直入言うと、むさ苦しい男が多い冒険者業界の人間は、こういうものにめっぽう弱いのである。
(しまったな……、まさかカオリ君に続き、ロゼッタ嬢までも、人心を掌握する才能があったとは――)
ササキの言動に傾注していたベルナルドは、ロゼッタ自身の意思の強さを、すっかり失念していたことを、今頃になって後悔していた。
(諦めさせる? 不可能だ。そもそも遊びで冒険者になったわけではなかったのだ。ロゼッタ嬢は本気で、英雄に憧れたのだ――)
ベルナルドは胸中で、娘の本心を理解していない侯爵へ、言葉にならない悪態を吐いた。何ゆえ自分が損な役回りをせねばならないのか、とくに今回は完全に悪者側である。時折冒険者達がベルナルドに向ける恨みがましい視線が、今の会議室の流れが、ササキとロゼッタの側に傾き始めていることを物語っていた。
ここで流れを引き戻すにはどうすれば、ベルナルドは一瞬、組合長がまた理不尽に声を荒げないかと期待しつつ、思考を巡らせた。だが機先を制したのはササキだった。
「大六神教総本山の聖都、その南方の山脈に何があるか御存じか?」
ササキが意図の読めない発言をする。
「いったい何を……」同様の声が各席から漏れる中、ササキは悠然と南の方角へ視線を走らせる。ベルナルドも構えていないところへの発言に、一瞬理解が及ばなかった。
「【女神の涙】が生んだエルスウェア社会の世、総じて【魔の時代】と呼ばれたあの時代で、南方の山脈に姿を消した巨人族の王国、俗に言う【白の夢】の一連の出来事は、教会にとって無視出来ない歴史であると、私に対応した司教は語って下さった……」
「なんと、ササキ殿は聖都の司教とも懇意にされているのか……」
これには流石のベルナルドも驚愕の事実であった。ササキが語った歴史と教会の見解もさることながら、個人が聖都の司教位の人間と通じているのは、余程のことだったからだ。
「これは私が請けたとある依頼書だが、冒険者組合とは形式が違うのでな、ここでどれほどの証明になるかは分からんが――」
ササキは甲冑の隙間から、――本当は【―時空の宝物庫―】から出した。一枚の証書を広げて見せた。
「これは!」
意外にも声を上げたのは組合長だった。
「この紙質には見覚えがある。無駄な殺生を嫌う教会が密かに生産する。樹木の繊維を使って作った。紙と呼ばれるものだ。しかもその押印――、もしや教皇印ではないのか!」
「何だと!」
この時初めて、ベルナルドはこの目の前の男、ササキの異常性を再認識し、それと同時に畏怖の念を抱いた。
「これはある司教からの依頼で、内容はさっき話した【白の夢】および亡国の跡地への調査依頼でしてね。一応聖都への入国許可証にもなるのでいつも持ち歩いてるものだ」
(個人に発行するには、余りに過ぎたものだ! 神鋼級冒険者とはこれほどのものなのか!)
ベルナルドが驚くのには理由がある。
大六神教の本拠地、正式名称は聖エリシャール市国、ハイゼル平原より南に十里の山岳地帯に位置する一都市で、一般に聖都と呼ばれるこの市国は、どの国にも属さぬ自治領であり、そこに住まう都民は全て敬虔な大六神教徒である。
人類の平和と安寧を願う彼の聖都は、その自治を確立するために独自の兵力を有しており、その役割は都市の有事の全てに及んでいた。無論魔物退治などもその中に含まれている。
そのため聖都は、一部例外を除き、冒険者を必要としないのである。にも関わらず、ササキは聖都の祭事を司る司教、さらには最高位者である教皇印が押され発行された依頼書を持っているのである。これは云わば、、自力では解決出来ない有事を、教会自身が外部の力に求めたことに他ならない。しかもササキという個人を当てにしてだ。
「私はこの依頼の調査の一環で、現段階では亡国の位置も、数多の調査団とその僅かな生き残りが残した文献に頼るのみで、詳しい情報は集まっていないが、しかし、冒険者カオリとその従者がもたらした仮設は、【白の夢】を引き起こした原因に大きく関わっていると睨んでいる」
「では、巨人の国に眠るとされる【不死の秘宝】は実在するのか!」
横合いからの質問は名も知れぬ冒険者から上った。
ササキは黙したまま、是とも否とも返事をしなかったが、死霊術が異端とされる世情を見れば、明言を避けたことは逆に、秘宝の存在を肯定する意味に取られた。質問をした冒険者に限らず、そのササキの反応に目の色を変えたものは多い。
歴史の中でも有名な【白の夢】という出来事と、それで失われたとされている【不死の秘宝】。冒険者であれば誰もが憧れる到達点であり、識者の誰もが求める歴史的価値の高い研究対象である。
(茶番だ! これは最初から我々如きが口を出せる問題ではなかったのだ。ササキ殿、やってくれたな)
ベルナルドは渾身の悪態を吐く。ササキはさらに続ける。
「ゆえに、私の名で冒険者組合に提案するのが、調査機関ということだ。当面の目的は【亡者】の発生原因の調査と根絶を目指しつつ、最終的には【白の夢】への調査団を組織することだ」
わっ、と会議室が湧き上がる。
冒険者達にとって、遺跡や遺物の発見と調査は、その名の由来の通り彼らの本懐であると同時に、一攫千金のチャンスでもある。
この世界の歴史上、冒険者組合の先駈けとなる組織を創ったとされる人物、【冒険者ヴィル】はその昔、魔の時代よりさらに古い、竜の時代の古代遺跡とそこに眠る伝説の武具を持ち帰ったことで有名だった。
以前ロゼッタが口にした。古代の貨幣である【神金貨】も彼が発掘し、その手記に残したことで存在が認知されている。
今や世界中で老若男女問わず愛読されている。【冒険者ヴィルの手記】は世界中の多くの若者を冒険へと駆り立てる起因となっていた。
(参ったな、負けた。こうなっては私ではこの流れを止められん)
当然、元冒険者であるベルナルドも彼の書籍を読んだことがある。先までササキを疎ましく思い、カオリ達を貶め、ロゼッタが冒険者を諦めるように画策していた男は、その胸の内に、冒険への憧れをたしかに感じていた。
仮にこの提案が本格始動するとなれば、冒険者組合の責任者として、その調査団に関わるのはベルナルド自身である。あわよくば自身も調査団へ参加することだって可能かもしれない、ベルナルドは人知れず胸を熱くし、震える手を必死の想いで隠した。
ことは異端がどうこうでは収まらない、そもそも彼がカオリ達の提唱した仮説に興味を示した時点で、その所在は教会預かりとなったも同然なのだ。
彼の視線の先には、先まで殊更ササキを糾弾していた魔導士組合の組合長が、顔を白くして茫然と立ち尽くしていた。
(無理もない、教会へ媚を売り、この都市での実権を盤石にしようと考えていた矢先に、敵に回したのが正に、教会の関係者と言えるササキ殿であるのだから、この時点で魔導士組合が調査に協力することは難しいだろう、今名乗りを上げれば、分け前を期待して掌返しをしたと取られるのは必至、ともすれば組合長の座も追われる可能性もあるだろう……)
異端疑惑を追及するために協合していたわけではなく、たんに言い出したから泳がせていただけの彼を、ベルナルドは巻き込まれなかった安堵の気持ちと共に、憐憫の眼差しを向けた。
そこからの会議の流れは、終始ササキの手によって先導され、終わるころには会議名すら変更されたことで、閉幕を迎えた。
これで異端疑惑問題は一気に解決したが、これによりカオリ達とロゼッタの名が、さらに有名になったのは言うまでもない、何故なら目下調査団メンバーでもっとも有力なのが、ササキから開拓の支援を受けているカオリ達なのだ。
こうしてカオリは本人不在の間に、さらに注目されることになる。
都市の会議が閉幕した後、その五日後にはロゼッタがステラと食料や資材と共に村へ帰還した。野盗達との取引後、ゴーシュ達【蟲報】も一度都市に戻っていたので、ロゼッタと共に再び村へ戻って来た。
「お帰りロゼ、どうだった?」
ササキから事前に報告は受けていたが、カオリはロゼッタにも話を聞いてみた。
「ええ万事解決よ、流石ササキ様だわ、今頃エイマンでは【白の夢】の調査団の話題で持ち切りでしょうね。その影響なのか、ササキ様は一緒に帰って来ることが出来なかったけど、代わりに話題に興味があるような冒険者が一度村を見てみたいって私達について来たの、集合住宅はまだ完成していないでしょう? 村の中に寝床の天幕を張らせていいかしら?」
カオリは荷馬車の後ろに並ぶ、冒険者達へ視線を向けて笑顔で会釈する。そしてゴーシュ達以外にも、見知ったを男を認める。
「ん? ああ! もしかしてカムさんですか?」
「……」
黙って頷きを返したのは、冒険者を始めた当初、【赤熱の鉄剣】の次に教えを受けた冒険者で、主に森の歩き方と戦闘を教えてくれた男だった。
年のころは四十前後で階級は銀級、痩せ形で軽装の装備に弓と短刀を携えた姿は、冒険者となった今尚、狩人としての風格を持っていた。ただし会話が苦手なのか、余り声を出したがらないので、同行を許したロゼッタも、結局帰りの三日間で、距離を縮めることが出来たのか疑問の残る人物であった。
「……」
「え? 森が見たいんですか? まあ今はアデルさん達も狩と採取をしてくれているので、入るなら事故に気を付けていただければ構いません」
「……」
「あ~たしかにカムさんなら、森の中に数日籠っても大丈夫でしょうけど……、いったいどうしてです?」
「……」
「ええっ! 開拓団希望なんですか! 森が近いからって……、そんな理由で簡単に決めていいんですか?」
「……」
「……私達は是非歓迎しますが、行き来の関係上魔物の素材は月に数回しか売りに行けませんので、痛むものについては村で消費することになりますが良いですか?」
「……」
「はい、はい、分かりました。では一応寝泊まりの場所は確保しておきますね。必要なものがあれば遠慮せず倉庫にいるアキに言って、持って行って下さい、はい、よろしくお願いします――」
「ちょっと待って、カオリは何と会話してるの? 妖精?」
カオリとカムの一方的にしか見えない会話?を、直ぐ隣で見ていたロゼッタだが、カムという男の声など一切聞こえなかった。
だというのにカオリはあたかも普通に会話をしている風だった。
「ん? カムさん? たしかに声は聞き取り辛いけど、表情や手ぶりで会話は出来るよ? ほら、森だと獣を逃がさないように、静かに行動するじゃん? あの癖が抜けないんだって」
「帽子で口しか見えないし、棒立ちだったじゃない……」
ロゼッタは絶望したような表情で、カオリの異常性を訴える。
「まあまあ、カムさんは森の斥候と測量もしてくれるらしいし、しかも食料は大体森で自給自足出来て、すっごい頼りになるから、たまに村に戻って消耗品の補充が出来れば十分らしいし」
「いえ、そういう問題じゃないんだけど……」
呆れてものも言えない状態のロゼッタをおいて、カオリはゴーシュ達へ対応を始める。
結局ロゼッタは報告の詳細を夕食時に持ち越すことにした。
「カオリちゃんすまねぇ」
ゴーシュは開口一番謝辞を口にした。驚くカオリにゴーシュは矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「昇級試験で俺が余計なことまで報告したせいで、まさかあんなに騒動になるなんて思わなくてよぉ、俺がもっと落ち着いて考えてりゃあ……、支部長のベルナルドまで腹に一物抱えてたなんて、流石に考えが及ばなかったんだ」
昇級試験でアキとカオリがした一連の会話と、監視塔内の調査報告を、ゴーシュは成績の一部として組合に報告した。その報告を受けて今回の会議におよび、異端疑惑にまで発展したのである。
時に斥候を、時に情報を扱う冒険者として、ゴーシュは持ち帰った仮説と調査報告が、後にどのように取り扱われるか、本来であれば予想出来て然るべきだったのだ。
だが仮設によって浮上した。哀れな亡者達の存在は、長年試験官として彼らの討伐を幾度となく見届けて来たゴーシュにとって、他の冒険者以上に罪悪感を苛んだのだ。
冷静で居られなかった。自分達だけで抱え切れなかったため、上司であるベルナルドに包み隠さず報告を上げてしまったのだ。野盗達との取引の時などはまさか都市であれほどまでの騒動に発展しているとは、流石に考えていなかったのである。
「ん~、ゴーシュさんのせいだなんて思ってませんし、あれは私達が世間知らずだったから起こったことで、それに試験官のゴーシュさんは隠さず報告する義務があったじゃないですか、恨むなんてないですよ」
困ったように嗜めるカオリ、だがゴーシュは頭を上げようとしない。
「罪滅ぼしって訳じゃねぇが、実はあれから仲間達と話し合ってよぉ、俺らも開拓団に入れてもらえねぇかと思って……、狩でも斥候でも人夫でも、好きに使ってくれて構わねぇから、受け入れてもらえねぇかな? それとよぉ――」
「ええぇ! いいんですか! 大歓迎ですっ」
間髪入れずに歓迎するカオリに、次はゴーシュ達が驚いた。
実はこの男、冒険者組合の専属斥候の仕事を抜ける条件として、ベルナルドから村の様子を月毎に報告することを約束させられていた。またカオリに恩を売ることで、エイマン支部がササキの調査団に加わり易くなるように、根回しすることまで命じられたのだった。
本人達の意思を無視したその命令は、ゴーシュをさらに追い詰める。ベルナルドの思惑をオンドールから隠し通せると到底思えないゴーシュは、カオリに会って早々に白状する腹積もりだったのだが、カオリが意外にも即決してしまい、言い出す機会を失した。
仲間からの白い目線を背中に感じつつ、ゴーシュは何とか気力を振り絞り、言葉の続きを口にしようとするが、そこへある意味一番会いたくない男が登場する。
「今、カム殿とすれ違ったが、【蟲報】がいるのに彼も斥候依頼で来て下さったのか?」
オンドールが革ズボンにシャツというラフな格好で現れる。
彼を視界に納め、額から汗を流して緊張するゴーシュを、オンドールは訝しげに見詰める。
「ゴーシュさん達が開拓団に入って下さるそうです!」
「……ほう」
(馬鹿な! それだけでこっちに疑いを持つのかよ! やべぇ!)
スタスタと軽快に近づくオンドールに、ゴーシュは成す術なく掴まり、頭を脇に固められる。
「痛で!痛ででででっ! 許してくれ旦那! すぐ言うつもりだったんだ!」
「馬鹿者が、何でも正直に言えば許されるわけじゃないぞ?」
オンドールが締める腕にさらに力を込める。
「余り大人の事情に子供を巻き込むな、調査団のメンバーについてはササキ殿もまだ明言されておらんのだ。今カオリ君に言っても混乱させるだけ、ここはまずササキ殿に対してベルナルドの思惑を白状して、彼に見極めてもらいつつ、カオリ君へは私からそれとなく伝えておく、いいな?」
もはや言葉も出ないほどの痛みに、ゴーシュは必死に首肯する。
「それとワシの名前を出しても構わん、ベルナルドのひよっこに言っておけ、――思い通りにはならんぞ――とな」
「ひゃいぃぃ~」
大の大人がじゃれ合う姿を、カオリは微笑ましく眺める。
「男の人っていつまでも子供だよねぇ~」
「え? あれってそういう感じで見るものなの? カムさんの無表情は器用に読み取るのに、あの怪し過ぎる言動には気付かないの? カオリの見てる世界が、私には分からない!」
帰りの道中でゴーシュから先に白状されていたロゼッタは、渋々ながらもカオリに判断を委ねたが、本当にそれで良かったのか、猛烈に不安を抱くのだった。
これで村の入植者はカオリ達と狩人夫婦を入れて六人、開拓団希望者は【赤熱の鉄拳】と冒険者達の九人、大工のトンヤを筆頭にした人夫達を除き、これで計十五人となる。
集合住宅の建設が終われば、次こそ本格的に人数を入れると共に、公に入植希望者の募集を始める。
カオリはそうして大きく動き出す未来に、思いを馳せた。