( 異端騒動 )
カオリが呑気に空を見上げるころ、斥候組と都市組の男達は、険しい表情で状況と対峙していた。
冒険者組合の会議室で、議論を交わす者達の中、オンドールはまずいことになったと内心で舌打ちをした。
「そもそもっ、我が国の技術の発展に欠かすことの出来ない付術が、死霊術に応用出来るという発想が、荒唐無稽だと言っているのだ! 魔石は魔物の体内で魔力が結晶化したものであるというのが、長年の研究の末に導き出された。教会の公式見解であるぞ! 魂が魔力の代替になるなぞ聞いたこともない!」
「何度言えば分かるっ、その魔石こそが魂の結晶化した姿であり、魔石の利用はすなわち、魂を弄ぶ行為であるという仮説の話しだっただろうが! これはあくまで仮説に過ぎず、事実確認などされていない話だ! 終わった話を蒸しかえすな!」
「そのような仮説を提唱すること自体が異端でありっ、魔導士組合の栄誉を汚す主張だと言っているのだ! その足りない頭で必死に考えた言い訳で、論点をはぐらかそうとするなっ!」
聞くに堪えない怒声で、唾を飛ばし合っている二人を、オンドールは黙して観察していた。
ただの仮説に異常に反応を示したのは、エイマン城砦都市で、主に魔導技術に関する人材派遣と研究を管理する魔導士組合の組合長で、一方が冒険者の中でも、歴史と伝承学に精通した自称探検家の男だ。
どちらも研究肌のせいか、意見をぶつけ合うのはけっこうなことだが、一度主張が対立すると熱くなってしまって、一向に話が前へ進まないことに、さすがのオンドールも辟易していた。
(まったくこ奴らと来たら、冷静さに欠ける話しばかりしよって)
元騎士であり、今は第一線の冒険者であるオンドールにしてみれば、議論よりも問題に素早く対応するための対策を優先したかったのに、どうしてこうもお互い嬢り合うことが出来ないのかと、苛立ちが募る。
それと同時にオンドールは焦りを覚えた。もしこの議論が続けば、予想される展開は目に見えている。
「そうだっ! 先ずはその仮説とやらを抜かした。小娘共をここに呼んで、真意をたしかめてみればよいのだ。二~三言詰めてやれば、このふざけた仮説がただの子供の世迷い言だとすぐに分かろうというもの! それをせずに大人の我らが振り回されるなど、滑稽とは思わんのか!」
(愚かなっ、彼女達が如何に思慮深く、将来有望な人財であるか、それをこんな下らん審議の場に引きずり出して、口激の嵐に晒すなど、それで大人の対応などとよくも言ったなっ!)
もはやオンドールも、苛立ちを隠すのが難しくなって来た。
もし仮に、カオリ達がこの場に召喚され、彼女達の仮説が異端認定され公に広まれば、最悪、村の開拓に人手が集まらなくなる。
さらには経歴に傷のついた彼女達が、今後冒険者稼業で金銭を得るのも難しくなる上に、昇級もままならなくなるのだ。オンドールとしては、未来ある彼女達の障害は、極力排除してしまいたかったが、まさかこんなことで暗雲が立ち込めるとは思ってもみなかった。
「オンドール殿、貴殿は村の開拓で、彼女達と一番長く接して来たが、どうだろう? 彼女達をここへ呼んで、一度話をさせて見ることについてどう考える」
カオリに目をかけていたはずの男、冒険者組合エイマン城砦都市支部の支部長ベルナルドの口から、予想された提案が飛び出し、オンドールは苦しげな内心を隠しながら、何とか打開策をひねり出そうと試みる。
(支部長、貴様! 呼べばどうなるか分かって言ってるのかっ)
オンドールに意見を求めた支部長を、内心で罵倒しつつ、いたって冷静に努めて返答をする。
「年若い彼女達が、どこでそのような師事を受けたのか知りませぬが、仮説を仮説だと発言したことを、わざわざ呼び付けてまで本人に言わせる意味があるとは思えませんな、それにお忘れでしょうが、彼女達の中には、かのアルトバイエ侯爵様のご息女がいらっしゃるのですぞ? 彼女の経歴に傷をつければ、侯爵家に泥を塗ることになると思いますが、その覚悟がおありで?」
若干低い声で威圧するように発せられた言葉に、会議室内の空気が一瞬にして冷え切る。
「はんっ! 野に下っても所詮犬は犬か、元騎士だかなんだか知らぬが、かの令嬢も今は冒険者であろうが、それにことは国家の根幹に関わる大事なのだぞ? 我々識者が過ちを正さずして何とする!」
(ことを大事にした本人が何を言うか、それに彼女達が過ちだという結論なぞ出ておらんだろうがっ!)
いい加減堪忍袋の緒が切れそうなオンドール、だがロゼッタの存在により、会議室の空気がおよび腰になったことで、オンドールは再び静観の構えとなる。
未だ持論を繰りかえす男の声にも、心頭滅却により耐え抜く。
(忍耐だ。これは忍耐の訓練だ。大人の余裕で耐えろ私!)
そしてもう一方、斥候に出ていたゴーシュは、ついに警戒していた事態が迫って来たことを察知する。
「どうするリーダー、俺らで対処するか?」
問うたのはスピネル、普段温厚な彼だが、今は険しい表情で目標をじっと見詰めている。
「二十人近くの野盗を、たった四人の斥候の俺らがか? やってやれないことはないが、万が一のことを考えれば、ここは当初の予定通り、至急戻って避難を優先すべきだ」
冷静に状況判断をするゴーシュの視線の先には、武装した男達が闇夜に紛れ、森の縁に沿って進んでいる光景だった。
夜目の利くゴーシュが確認して、数はおよそ二十、馬は居ないため速度はないが、如何せん数が多い。カオリ達の村までは距離はあるものの、これを杞憂だと楽観視は出来ない。
村の戦力は現状、都市に召喚されたオンドールとアデルを省き、カオリ、アキ、ロゼッタ、レオルド、イスタルの五人に、自分達も加えて計九人、トンヤ達大工に武器を持たせても、二十人以上の武装した男達を相手に、無傷で凌ぎ切れる戦力とは到底言えない。
何にせよ報告が先決と、ゴーシュはすぐさま移動を開始する。
そして同時刻、この二ヶ所で起きる出来事を、つぶさに観察する男がいた。
豪奢に過ぎる玉座に座り、空中に展開されたウィンドウに視線を向けていたのは、神鋼級冒険者のササキ、今は北の山脈の最奥に位置する。新興国家の王、北の塔の王の装いで、溢れんばかりの威厳を放っていた。
彼が観察していたのはとある遠覗の魔法の一種で、索敵や透視といった遠覗の魔法の中でも上位種、カオリが村に帰還した時に合わせて、ササキがおり良く現れることが出来たのも、この魔法があったからだ。
「彼女の築いた人脈が、どのように動くかを見物していたが、なかなかどうして得難い人材に恵まれたものだ」
遠雷の如く空気を震わせる低い声で、ササキ、今は北の塔の王の名に相応しい出で立ちで、クツクツと笑い声を上げた。
「お楽しみのようで、何よりで御座います陛下」
淑やかな鈴の音の如き透き通るような声で、ササキに話しかけるものが一人、ササキの座する玉座の眼下、中央よりそれた場所に立つのは、一人の女性騎士。
黄金の輝きを溶かし込んだように輝く、美しい髪を腰まで伸ばし、無造作に流しているだけなのに、枝毛の一本も見られず流れる艶は、ただそれだけで見事の一言に尽きる。
光を反射する白銀の甲冑も、流麗な彼女の肢体を隠し切ることはせず、軽量ながらも十分に防護の役目を果たしていることから、彼女専用にあつらえられた一級品であることが伺える。
そしてそれらの美しさをさらに際立たせるは、幾ら言葉を尽くしても尽くし切れない、整った顔立ちだ。
そんな、微笑まれれば、百人中百人の男が叶わぬ恋に燃えるほどの彼女の言葉を、ササキは鷹揚に受け流す。
「臣下に恵まれた状態で召喚された私と違い、彼女は己の身一つでこの世界に放り出されたのだ。そんな彼女が己の力で人脈を築いていく、興味深く思うのも当然であろう?」
カオリ達と接する時とは違う、支配者然とした仕草で、ササキは自身の配下と接する。
「お褒めに預かり光栄の至り、しかし恐れながら」
「うむ」
「陛下は何故彼の少女に、ここまで御目をかけられるのでしょう? どうか愚かな私めに御教え下さい」
もう何度目かになる問いかけに、ササキは率直に答える。
「配下に任せろと? 信用していないわけではないが、お前達は人間の機微に疎い、それに彼女は私と同じ世界から召喚された。念願の同郷の輩なのだ。私自らが接触し、手を貸すのが道理と思うが?」
いつもと同じ問いに、いつもと同じようにかえすササキ、辟易した気持ちを紛らすように視線を上げる。
白亜の壁面と列柱に支えられた天井から下がる。豪華絢爛な懸架照明、惜しげもなくあしらわれた硝子と窓から差し込む光に彩られた玉座の間は、彼の財力と力を過剰なほどに示している。
しかしもはや見慣れた美しい景色は、ササキの心情を癒すことはなく、苛立ちと共に、彼に諦念を抱かせる。
創造主としてNPCと共に拠点ごと召喚され、以降彼女達の王として君臨し、カオリにとってのアキ同様、過剰と言えるほどの忠義を向けられている。
そして彼女は人間ではない、その正体は天使に属する種族で、俗にヴァルキュリアと呼ばれる女天騎士である。
ゆえにその美しさも強さも、人間を遥かに凌駕する存在だが、そのせいか、人間を下等と蔑む傾向が強い、例えササキが同郷だと説明しても、どう見てもただの人間にしか見えないカオリに、自分達の王が心を砕く様子は、見ていて面白くないのであろう。
「分を弁えぬ愚かな発言をお許しください、一重に陛下の深き御心と、我らの至らなさがゆえであらば、これ以上の発言は控えます」
と言いつつ、何度も同じような小言を言う辺り、彼女がカオリの存在を快く思っていないことを、ササキは何とも言い難い気持ちで受け止めていた。
さりとて言葉を尽くして説得するのも、絶対者として相応しい態度とは言えない、何かしら自体が大きく動くまで、下手な対応は出来ないと諦めるのもいたしかたなかった。
(さて、前面に村の危機、後門に利権の渦、どうする?カオリ君)
いずれ必ず起こるであろうと予想された事態の推移を、ササキはどこか愉しむように観察し続けた。
ササキがこの世界に召喚されてからおよそ三年、人界との最初の接触である【北の脅威】から後、ギルドーホームとなる彼の居城に備蓄された有り余る財力を元に、方々に手を伸ばして水面下での情報収集と裏工作を敷き、現状の安定を確立することに苦心したのも久しい。
正体を隠して神鋼級冒険者のササキとして活動する傍ら、北の塔の王として君臨する彼が担う役割は多忙を極める。
元NPCである自身の配下達は、独自での決済における判断基準に難があり、最終決済のみならず、計画段階からその多くの工程でササキの意見を仰がれることが多いため、毎日とは云わずとも、頻繁に帰国する必要があった。
また冒険者稼業においても、冒険者組合からの最重要依頼の多くをこなすよう期待され、ササキ自身も期待に応えるよう立ち振る舞ったために、現状では不可能なほどの量の依頼を消化している状況であった。
転移魔法を使える彼であるからこそ可能な荒業である。
カオリを発見したのは、いくつかの必然と偶然が重なったことが要因であったが、ササキは自身の幸運に当時は狂喜乱舞せんほどに、内心で歓喜した。
既知でありながら未知なる世界に放り出されてより、彼のみが知る計画を遂行するために必要な最後の鍵が、カオリという存在にあったのだ。
「私は君を、決して逃さない」
魔王は玉座の間で、凄惨にほくそ笑む。
「ベルナルド支部長、あれはどいうつもりですかな?」
「どう、とは?」
冒険者組合の執務室にて、オンドールとアデル、支部長のベルナルドの三人は、お互い剣呑な雰囲気で対峙していた。
「オンドールから聞きました。会議中に、カオリ君を不利な状況下で呼び付けようとしたと」
会議には出席していなかったが、オンドールから状況を聞かされたアデルは、支部と云えど組合の長という、いわば上司にあたる人物が相手であっても、怒りを覚えずにはいられなかった。
「どうもこうも、言い出した本人に証言させようと判断したに過ぎん」
「あの状況下で、彼女をやりだまに上げれば、異端だの何だのと嫌疑をかけられ、彼女の今後にどのような影響が出るか、支部長ならば理解しているはずだ」
冷静に真意をたしかめようと、オンドールはベルナルドをじっと見据える。
「級規制の緩和などで、私は彼女に協力もしたのだ。なにゆえ私が彼女を貶めようとしたなどと疑われるのだ?」
「下手な誤魔化しは通用しませんぞ、誰に命じられたか御教え願おうか、彼女らを害するは我らをも害すると同義と心得られよ」
「伊達に元騎士ではない、か。……いいだろう」
ベルナルドはやおら立ち上がり、執務机から一通の手紙を取り出す。
オンドールはそれを受け取り、すぐに割れた封蝋に刻まれた紋章を確認し、隠そうともせずに舌打ちをする。
「侯爵様直々の依頼書か……」
オンドールの呟きに、ベルナルドは溜息を吐く。
「年頃の貴族の令嬢が冒険者になど、どだい無理な話なのだ。本来であれば今頃は王立学園に通われ、同じ子息様達に交じり、国の将来へ向けて人脈を広げられる大事な時期、それを危険な冒険者になど、世間が好意的に受け止めるはずがなかろう?」
当然のこととばかりに言うベルナルドへ、険しい表情を向けながら、オンドールは手紙をアデルに渡す。
「――我が一族の至宝を、一刻も早く領に戻すべく、醜聞厭わず脱落するよう手配されたし―― って何だこれ!」
驚くアデルを余所に、ベルナルドはなおも言い募る。
「オンドールよ、お前も元騎士なら分かろう、侯爵閣下は一刻も早いロゼッタ様の帰還を望まれておる。そのためならば、たかが一人二人の冒険者が、栄達の道を閉ざされようと、大した問題にはならんだろう? 何、最低限の仕事の機会は残すつもりだ。食っていくのに何ら不自由はせん」
「ササキ殿には何と説明するつもりだ? 彼の御方の武勇は王家にも影響力があると聞く、彼の庇護下にあるカオリ君に手を出せば、貴族を敵に回すより厄介だと思うが?」
「そこだ」
オンドールの言葉を短く肯定するベルナルド。
「組合の権限を超えた個人など、本来は排除すべき対象だが、彼の実力は組合にとってなくてはならんものだ。なのでロゼッタ様には本人の意思で諦めてもらうのが、一番穏便だ」
最初に女性職員に入れさせた紅茶を一気に煽る。
「だがあの三人は村の開拓なんぞに乗り出したことで、冒険者稼業以外の活動目的を持った。いや、持ってしまった。このままではロゼッタ様はいつまでも戻られない――」
「だから開拓の失敗すら厭わず。画策しているというわけか、級規制の緩和も、危険な局面に遭いやすいようにするためだと……」
納得したように頷くオンドールは即座に立ち上がり、戸惑うアデルに声をかけ、執務室を辞することを告げる。
「私に従えオンドール、馬鹿な真似はしないことだ」
警告を発するベルナルド。
「……全てが思い通りにいくと、過信しないことですな」
オンドールはそれだけを言うと、執務室を出た。
「あれはどういう意味だ?」
アデルはオンドールに何か考えがあるのかと問う。
「初めはたしかに腹が立ったが、奴からすればカオリ君は、咲いては散る数多の冒険者の中でも、咲く花。おそらく我々同様に、奴も内心では惜しく思っているはずだ」
「そりゃあ、戦闘技術も地頭も、同世代では頭一つ抜きん出ているとは思うが、才能だけで生き残れるほど、貴族社会も冒険者も甘くない」
アデルの意見はもっともだ。そんなことはオンドールも百も承知のはずだと、訝しげな目線をオンドールに送る。
「例え召喚に応じなくとも、これ以上話が大きくなれば、教会の司祭による調査の手が伸び、村の祠が調べられれば、あらぬ疑いをかけられ兼ねん、そうなればカオリ君への追及はさらに厳しくなる――」
益々不味いことになる。とオンドールは呟く。
「だがな、カオリ君は何か、重大なことを秘めている。それこそ世を大きく動かすかもしれぬほどの何かを――」
「まさか、そこまでは……」アデルはオンドールの大仰な言葉に、苦笑いをする。だがオンドールの表情は真剣そのものだ。
「彼の英雄、神鋼級冒険者のササキ殿、あの方がただ善意からカオリ君を支援していると、どうして断言出来る?」
「それは……、だが英雄とまで称される人物なら、例え夢物語と言えるほどの目標も、実力で成し遂げられるものじゃないか?」
ササキについて言及したオンドールに、アデルは英雄に抱く世間の一般論を持ち出して反論するが、オンドールはそれに首を振って否定する。
「その目標がどこにあるのか? 私が問うのはそこにある」
「いったいどういう……」
オンドールの言わんとするところを量り兼ねるアデル。
「黒金級冒険者などは、実力的には金級の上位に過ぎんが、その肩書に付随する役割は知ってるか?」
「たしか国を脅かすほどの脅威に、対抗出来る戦力と目される冒険者が、厳正な審査によって選ばれる。だったか?」
アデルの言ったことは冒険者であれば誰でも知る常識だ。
一般的に冒険者のレベルと階級は比例して語られる。十レベル以下の新人なら銅級、そこから経験を経て鉄級へ、十レベルを超えて依頼達成率が高ければ銀級の道が開け、二十レベルを超えれば金級に手が届く。
しかし黒金級は最低でも三十レベル、しかも騎士団や軍で対処困難な事態への対応力が求められる。英雄の領域に足を踏み出した。極一部の上位者だけが望める世界なのだ。
カオリの異常なレベル上昇で勘違いしがちだが、通常レベルとは、おおよそ一年で一レベル上昇すれば良い方で、しかも日々魔物との戦闘に明け暮れるものでなければ成り得ない。
十代後半に冒険者となり、毎年一レベル上昇しても、三十レベルになるころには四十歳近くだ。老いから体力も筋力も衰退していくことを思えば、そこから先を望むのは、医療の発達していないこの世界では難しいのだ。
治療魔法の力で負傷や軽い疾患からは回復出来ても、治癒力や免疫力そのものが落ちる老いとは、例え奇跡の力をもってしても、超えることの出来ない壁なのである。
カオリやアキのレベルの高さが、如何に異常かはこれで説明出来るだろう、だが本当に異常なのが今話題に上がる男、つまり国防の戦力と位置付けられる黒金級冒険者の、そのさらに上位である。神鋼級冒険者という存在である。
「英雄を超える英雄、英雄の中の英雄、ササキ殿とはそんな存在なのだぞ? 教会も、国家も、いかなる組織も、彼を欲しがり、彼の力を如何にして利用出来るか画策しているはずだ。――だが」
言葉を切り、高ぶる気持ちを抑えるように語るオンドール。
「彼は如何なる国家にも、組織にも加担していない、人間同士の諍いに一切関与せず、魔物の脅威のみに対処している」
「……そう言えば、たしかにササキ殿は魔物討伐の英雄譚は語られても、勅命を受けての活躍は聞いたことがないな……」
言われて初めてアデルは奇妙な感覚を抱く。
「つまり、権力に沿った仕事が条件の黒金級冒険者の上位でありながら、ササキ殿は如何なる権威にも縛られていないのだ。必要な過程で生じるしがらみに、彼は一切縛られていないのだ」
オンドールが語る。ササキの異常性、その圧倒的強さを持ってしても説明出来ない、彼の異常な立場という事実を、オンドールは強調して語った。
「そして、そんな彼が、満を持して作ろうとしている他者との関係が、カオリ君達との開拓事業なのだぞ? どうしてただの善意と結論付けられる? どうして彼は今更そんな弱みにもなり得る愚を犯す? その行動に至った要因は何だ? いや――誰だ?」
アデルはここへ来て初めて、現状を正しく理解する。
寄る辺を持たぬ英雄が支える。一人の少女の特異性、その意味するところに至った考えに、二人の男は身を震わせる。
「カオリ君という少女には、彼女が成そうとしている目標の先には、彼の英雄を動かす何かがあると思わんか? そしてそれは果たして、この世界になんら影響を及ぼさないと断言出来るか? ササキ殿が協力を申し込む過程で、カオリ君に何かしらの助言や、自身の思惑へ誘導していないと言い切れるのか?」
カオリ達は何かを隠している。オンドールはそう確信していた。
姉弟を守るために村を復興し開拓する。カオリのその言葉を疑うわけではない、だが冒険者としてのカオリは、恐らく別の意図で動いており、その陰には間違いなく、あのササキが助言しているはずだと。
世界最強と謳われる男と、同郷の少女、彼の男と並び立つまでではなくとも、その片鱗を見せつつあるカオリの成長振りに、オンドールは身震いする。
もしササキが、カオリを通して強過ぎる個人を、組織化しようとしているなら、自分はその片棒を担いでいることになる。そしてその思惑で彼と彼女が本気で動いているなら、もはや貴族や教会がどうこうの話では収まらず、世界情勢にも話がおよび兼ねない。
今になって思い返せば、ミカルド王国とナバンアルド帝国の緩衝地帯に位置する村も、意図があって目をつけたと予想出来る。
「ただどちらなのか、か……」
ついに一人の男が、秘密の片鱗に手をかけた。
そこから数日を経て、結論の出ないまま進んだ会議を、鋼の意思で耐えつつ、ベルナルドの思惑を水面下で牽制し、オンドールは何とか次回へ持ち越す段へ漕ぎつけた。
言い訳にはロゼッタの名はもちろん、神鋼級冒険者のササキの名も惜しまず出すことで、識者も有力者も迂闊なことが出来ないように釘を刺す。
解放されてすぐにエイマンを出発し、村への帰路につく。
村へ到着し、荷解きも惜しんでカオリにササキを呼び出せないか打診する。彼女らが魔道具によりお互いにやり取りし、緊急時は転移魔法の魔道具で駆けつけられることは知っている。
今にして思えば、その迅速過ぎる対応も、カオリとササキの何らかの関係性を裏付ける証拠に思えてならない。
オンドールのササキとの面談はすぐに叶った。
折り重なる魔法陣の明滅の中、悠然と姿を現せたササキの姿を認め、オンドールは汗ばむ掌を、閉じたり開いたりを繰り返す。
「――私の目的を知りたいのでしょう?」
「……さすがはササキ殿、全ては想定範囲内でありましたか」
全てを見透かしたように切り出すササキに、オンドールは何とか緊張を隠して対峙する。表情に出なかったのは、重ねた年月が彼の表情を重くしていたからだが、オンドールはそれを初めて良かったと安堵した。
「カオリ君を責めないであげてほしい、彼女は何も知らない」
「いったい何の話ですか?」
カオリは突然始まった会話に困惑する。
帰って来るなりササキを呼び出せないかと言われ、連絡を取ってみればササキはすぐに応じた。頭の上で交わされる会話に首をかしげながら、とりあえず三人はギルドホームに移動する。
「ササキ殿はどこまで予想されていますか?」
自分の真意を隠して、相手だけに語らせようとするのは、老獪からくる慎重さの表れだが、オンドールは自身のことながら疎ましく感じる。
目の前の男は全てを見透かしている。その上で自分は泳がされているのだという深読みが、オンドールの胸を寒かしめる。
「消耗するだけの戦争など、つまらないとは思いませんか?」
「何を……」
出鼻を挫かれたオンドールが、それでも平静に聞く姿勢に入る。
「歴史あるミカルド王国は、潜在的な敵である周辺国に囲まれ、帝国との戦争があって初めて主権を主張出来ている状況だ。一方ナバンアルド帝国は、かつての栄光を取り戻すために、ここ数十年で無理に領土を広げたことによる。多くの異種族、内部に反乱分子を抱えている」
突然の語りに、カオリは話の行く末が予想出来ずに戸惑う。
「両国にとっての戦争は、これまでは国内の目を外に向けるための大義名分に過ぎない、そして今、真の脅威が目前に迫っている」
「北の塔の魔王……」
「……」
オンドールがその異名を呟く、そして、本人を前にしてカオリはどんな表情をすればいいのか困惑する。二人の温度差を知るのはササキただ一人だ。
「私は人間同士の戦争に興味はない、だが相手が魔物を使役する存在であるなら話は別だ。その意味、貴方なら分かろう?」
(馬鹿な! 公国と帝国、両大国を脅かした勢力と、まさか戦うつもりだというのか? この男は!)
オンドールはいきついた自身の予想を、否定したい気持ちに駆られる。
北の塔の王、別名【北の塔の魔王】の名が知れ渡ったのは、三年前に勃発した【北の脅威】という軍事衝突が発端である。当時ブレイド山脈の連峰に多くの鉱脈を抱えていた両国は、互いに競い合うように鉱山開発を推し進めていた。
しかしある日、突如として出現した魔物の軍勢が、開発団を追い払ったことで、両国は早急に軍を編成し調査と討伐に乗り出した。だが彼らは予想した魔物の軍勢が、ただの烏合の衆ではないことを思い知らされることになる。
接触した魔物の軍勢は、まるで規律ある軍の如く名乗りを上げ、自身らを北の塔の王の命を受けた国防軍であると名乗ったのだ。そして鉱脈を含む連峰から山脈全域を、北の塔の国の領土であると宣言し、両国の軍を侵略者であると断定し警告を発したのだ。
当然両国の軍の責任者はそれを一蹴し、強硬手段を取ることになったのだが、彼らは知る由もなかった。五百からの精鋭なる軍隊の自身らが、敵に傷一つ与えること叶わずに、全滅の憂き目に遭うことになろうとは。
這う這うの体で逃げ帰った両国の責任者は、自国に誇張も含んだ魔物の軍勢の脅威を報告し、両国の首脳陣を激昂させる。
かくして第二第三と軍を再編し、幾度も奪還作戦を刊行するも、三年経った現在に至っても、未だ鉱脈の奪還を遂げることは叶っていない。
「し、しかし彼の王と名乗る存在は、最初の衝突以降動きもなく、坑道から出て来る気配もないと聞きます。明確な脅威と断定するには性急ではありませぬか?」
ササキは首を振る。
「私の知る限り、各地で魔物の動きが活発化している。この地域だけでも少なくない騒動が確認されている。カオリ君達ならよく知っているだろう、何せ当事者なのだから」
「村を襲撃したゴブリンの群れと、デスロード達のことですか?」
「ここ最近で頻発する魔物の活発化が、魔王の意思であると?」
ササキはすぐに肯定こそしなかったが、雰囲気からその可能性の高さを示唆していた。
「命じられた動きなのか、ただの偶然なのかはわからんが、少なくとも私が討伐した【フロストドラゴン】は北の山脈の奥深くにしか生息しないはずの種だ。それが人里に降りて来るのは、ここ数百年なかったことのはず……」
「……ええたしかに、伝承にある竜戦争以降、竜種が人の生活圏に姿を見せた記録はないはずです。しかし、だが……、そうなると、かの魔王は竜をも従えることが出来るのか? そんなこと、伝説の域の、余りに突飛な想像に過ぎる……」
ササキが語る魔王の力を想像し、オンドールは声を震わせる。
「そして北の塔の王は、北の山脈の最奥にあるという塔にて座して動かず、しかし魔物に何かしら干渉し、力を蓄えていると考えるべきだと私は推測しています」
しばしの沈黙の後、オンドールは口を開く。
「分かりました。ササキ殿が魔王……、いや北の塔の王に脅威を感じているのは、同じ冒険者として納得出来ます。しかしカオリ君への助力と村の開拓については、何か思惑があってのことなのか、聞かせてもらえるのでしょうか?」
(え? 今までの話し、私と関係する話だったの?)
北塔王としての彼から教えられた言葉を、カオリは思い出す。
魔王を討伐するために召喚された勇者、嫌な汗が背筋を冷やすのをカオリは感じる。
「勇者は国の傀儡にあらず、人類のために剣を取る。真の英雄であるべきだ。――だから私はここに、いかなる勢力の介入も許さない、独立した強固な活動拠点を作りたいと思っている――」
(そう来たか! やはりササキ殿は、この世界、この開拓に、新たな勢力の樹立を画策していたのか! 何と大それた思惑か!)
驚愕と共に語られるササキの思惑、しかしオンドールはある意味で胸を撫で下ろす。もしササキが国家権益を嫌い、その矛先を人間の国家に向ければ、その先にある戦いの規模は想像を絶するものになる。
人類最強、軍を相手取っても勝利を我が物にする男が生み出す死体の数は、いったいどれほどの血を大地に流すのか、オンドールは思わず組んだ腕に力を入れてしまう。
だがササキが見ているのは人類の安寧、剣の間合いには魔物の脅威があるだけ、新たな勢力といっても、あくまで国に使われるしがらみを避ける意図があるに留まっている。
ただし、それでも不安を拭い切れないのはたしかだ。
「なん……と、それはもう村の開拓という規模を超えた話だ。いかなる勢力とはいわば、ミカルド王国連合もナバンアルド帝国も、ひいては教会勢力すらも寄せ付けない、強固な主権を主張することになる。ササキ殿、さすがにそれは無謀と思いますぞ?」
世情を良く知るオンドールだからこそ、ササキの望む村の未来に、どれほどの壁が立ちはだかっているのかが予想出来る。
「あのぉ、今さらですけど、緩衝地帯に勝手に村を作るのって、何か問題があるんですか?」
本当に今更なことを聞くカオリに、オンドールは向き合う。カオリのいつも通りの呑気な態度は、期せずしてオンドールの緊張を和らげることに成功していた。
先までのやり取りで精神を削っていたオンドールは、この目の前の少女に、心中で感謝の言葉を贈っていた。
「各国の法律を見ても、緩衝地帯での開拓が禁止とは明記されていない、だがその多くが国家間の紛争地帯になりやすいため、好き好んでここに村を作ろうなどと、誰も思わんだろうな……」
顎に手を当て考える素振りのオンドール。
「余りに長すぎる戦争で、今やどの勢力も領有を主張出来ん空白地帯だ。犯罪を取り締まる組織もなければ、そもそも適用される法律が存在しないのだ。普通なら危険極まりない場所だな」
ササキが補足する。
「ただし、神殿や聖地や遺跡といった。歴史的価値の高い地域や建造物は、緩衝地帯とは言わないが、どの国家も領有を主張出来ない条約が結ばれていることが多い、またそういった場所は独自の軍事力を保有しているのも注意すべきだろう」
一息に説明して、二人はカオリの反応を伺う。
「でもここには実際に村がありました。今まで無事だったのはなぜでしょう?」
カオリが訪れる以前から、ここにはアンリ達が暮らしていた。ササキの言うことが真実ならば、村が今まで無事だったことに疑問が残る。
「村を起こした時期が不明だが、何か事情があってのことだとは予想出来るが……、侵略を受けなかったのは単純に、この村の規模と位置が絶妙な均衡を保っていたからだろう、オンドール殿はどう思われるか?」
「カオリ君の記憶がたしかなら、人口は五十人前後で、交易はほぼなく、特産品もなし、防衛は貧弱で、両国の都市からはほぼ中間に位置している。……恐らくですが、奪うほどの価値もなく、防衛に難があり、恭順を迫ろうとすれば相手国を無用に刺激しかねず、占領後の開拓のことを考えれば……、手は出さんでしょうなぁ」
オンドールの推測にササキも頷く。
(はあ~、色々あるんだな~)
カオリは呑気に考える。
「だからこそ、今が絶好の機会なのだ。北の塔の王の脅威が高まっている今なら、紛争を抱える帝国も、戦争を扇動する公国も、容易には動けんはずだ」
「ふむ、ミカルド王国も、国力の回復に躍起になっているだろうから、自ら火種を広げる愚は犯さんでしょう」
オンドールは確信を持って言う、カオリが知りようもない情報を持つものは貴重だ。カオリは改めて、この熟年冒険者の存在を有難く感じる。
「異端疑惑っ! どうしてそんな話になっているのですかっ!」
「おのれ! 下等な人間共めっ、カオリ様を貶めようなどと!」
会話に一段落がついて、三人は次の話題に移る前に、ロゼッタとアキを呼ぶように言われ、カオリはギルドメッセージで二人を呼びつける。
呼びつけた後、オンドールはエイマン城砦都市であった会議の内容について、カオリ達に話して聞かせた。
「はぁ~、ただでさえゴーシュさん達から、付近で野盗の集団が確認されて、警戒しなきゃならないのに……」
カオリは溜息と共に呟く。
「む、それは本当か、カオリ君」
オンドールは素早く反応する。
「はい数は二十人以上は居たそうで、今の状況じゃあ襲われれば無事では済まないだろうって、ゴーシュさんは教えてくれました」
「難儀だなぁ、もう少しで一段落がつくというに、待ってはくれんだろうな」
思案顔のオンドール、村の防衛と対策に関して、素人のカオリは素直に指示に従う姿勢で、オンドールやササキの提案を待つ。
「異端疑惑に野盗対策、平行して当たるには面倒だ。野盗に関しては、いっそ打って出るか? 我々の力なら可能だろう?」
ササキが物騒な提案をする。
「まぁ、正直ササキ殿がいる時点で、相手にもならんでしょうな」
オンドールがササキの案を肯定する。
(どうしよう……、私、人なんて斬ったことないよ……)
「カオリ? どうしたの?」
一人不安に思うカオリだが、表情に出ていたのか、ロゼッタが目敏く感じ取り、カオリに声をかける。
観念したカオリは、正直に話す。
「私、人を斬ったことがありません、打って出るにしても、例え相手が野盗でも、いざという時に動けるかどうか……」
「……わ、私もそうだわ、何というか、心構えがまだ……」
切羽詰まったカオリとロゼッタの告白に、オンドールとササキは真剣な表情で向き合う。
「アキ君は平気そうだな」
オンドールはアキに問う。
「愚問ですね。人間も魔物も大差ありません、カオリ様の邪魔をするのであれば、斬って捨てるのみです」
そう言い切るアキに、一同は何とも形容しがたい表情になる。
「古今従者とはかくあるべきか……、ならカオリ君とロゼッタ譲の覚悟を決める手助けが必要だな、といっても我々に、心の支えとなる的確な言葉をかけられる訳でもなし、どう思うササキ殿?」
オンドールは冷静に答える。いくつもの戦場や修羅場を超えた老齢の冒険者に、初めて人を斬った初心を、どう乗り越えたかなど、はるか昔のこと過ぎて、思い出すのも難しいのかもしれない。
「まあそうですな、いっそ命を狙われでもすれば、迷いも振り切れましょうが、今回は先に手を出す形になるのですから、相応に覚悟が必要でしょう」
「取引は出来ないのですか?」
「取引……、となると食料や金品を渡して、逆に雇い入れる?」
ササキがカオリの提案に思案する。
「現実的ではないでしょうな、一度味を占めれば、際限なく要求してくるでしょうし、どちらにせよ一度実力を示さねば、交渉もままならないでしょうし、仮に取引が成立しても、関係を維持するための戦力と資金の確保を考えれば、いっそ国に突き出して報奨金を貰い、開拓に充てた方が効率がいいでしょう」
いつか酒場で話した内容を、なぞるように語るオンドール。
オンドールの言葉に、カオリは俯く、いい大人がカオリのような甘えた考えの小娘を相手に、よく付き合ってくれるものだが、これも今後の村の在り方を真剣に思えばこそ、オンドールもササキも、蔑にするようなことは決してしない。
「なら我々が先頭で威圧、場合によっては無力化しつつ、一応カオリ君の提案をして、応じないようであれば捕縛、それでも抵抗が激しければ、已む無し、殺すことになる。それでいいかな? カオリ君」
「それが、いいです。主に私の気持ち的に……」
隣でロゼッタも何度も首を縦に振る。
「では異端疑惑についてはいかがしますかな? いやそもそも、カオリ君達はこの件をどう考える?」
オンドールの問いかけに、カオリ、アキ、ロゼッタの三人はしばし考える間をおき、それぞれの所見を述べていく。
「正直言って馬鹿らしいです。宗教に固執?して、碌に研究してこなかったくせに、ある程度の証拠もありながら、認めようとしないどころか、真相をたしかめようともしないなんて」
カオリが容赦なく批判するのに、アキも同調する。
「まったく持って不愉快です。実在する魔術を歴史に埋もれさせ、後世に何の対策もせずに、己の立場や利益を固持するなど、そして何よりも、そんな下賤な輩がカオリ様を貶めようなど、万死に値します!」
強気な発言の二人に対し、ロゼッタは浮かない様子で俯く、オンドールはそんなロゼッタを気遣いながらも、しかし心を鬼にして意見を促す。
「ロゼッタ君は複雑だろう、敬虔な大六神教徒の君にとって、教会が異端指定にしている死霊術に関わる話だ。仮にアキ君の説が真実であった場合、その知識を持つこと自体が異端と叫ばれる。現在仲間として共に活動している君も、もしかしたら罪に問われる可能性も無きにしも非ずだ。……まあ、その前にアルトバイエ侯爵が黙ってないだろうがね」
オンドールの最後の言葉に、ロゼッタは肩を跳ねさせる。
「オンドール様は、今回の件に、お父様が関与するとお考えなのですか?」
恐る恐る聞くロゼッタに、オンドールは静かにかえす。
「非常に言い難いことだが、かの侯爵様はこれを機に、君を連れ戻そうと考えるだろう、実際、冒険者組合は裏で侯爵様の意向を汲んで行動している」
「そう、ですか……」
重い沈黙の中、カオリはロゼッタに心配の眼差しを向ける。せっかくロゼッタが自分の意思で選び、自分に手を貸してくれている今の冒険者稼業も、このままでは栄達の道が閉ざされ兼ねない、
しかし、自分達はともかく、少なくともロゼッタは帰る場所があり、そこでも幸せな人生を生きることが出来るのだ。
まだ引き返せる。――だが。
「あんの馬鹿お父様ぁぁっ!」
ロゼッタの大声に、一同は驚いて固まった。
「やっぱりっ、応援しているなんて嘘じゃない! 一年なんて期限も無茶だったけど、権力を使って裏から足を引っ張ろうなんて、見下げ果てたわ!」
「ロ、ロゼ?」
常のお嬢様らしい振る舞いも忘れ、怒りを露わにするロゼッタに、カオリは困惑するばかりだ。
「そっちがその気なら、私にも考えがあるわ、この私が如何に聖女神エリュフィール様の教えを守り、尊んでいるのか、街の有力達や識者に説いて見せるわ!」
呆気に取られるカオリの横で、何故かササキはクツクツと笑っていたのが気になるが、少なくともロゼッタが追い詰められていないようなら、問題ないのか? と様子を見ることに徹した。
「カオリ達のやってることは間違ってない! アキの説だって根拠のあるれっきとした事実よっ、教会のご機嫌を伺ったって、呪われた人達が救われるわけじゃないものっ、これはきっと、魔物なんかになってしまった人々を救えという、云わば神が与えたもうた試練なのよ!」
ロゼッタはやる気をみなぎらせ始める。
「冒険者組合の利益や、魔導士組合の利権などに縛られない、私達が成すべき崇高なる救世に違いないわっ、カオリ! アキ!」
「は、はいっ」
「なんでしょう」
突然呼ばれて背筋を伸ばすカオリに、ロゼッタは真剣な表情で向き合う。
「村を賊から守り切って、組合や街も黙らせて、冒険者としても開拓民としても、私達の力を見せ付けてあげましょう! 私達の行いをこそ、きっと神々は祝福して下さるわ、誰にも邪魔なんてさせないんだから!」
「お、おぉう?」
「無論です」
ロゼッタの宣言に、何とか同意するカオリと、さも当然だと言わんばかりの偉そうな態度で頷くアキ、カオリのパーティーに加入後、すっかり大人しくなってしまったロゼッタが、初めて生来の無鉄砲さを取り戻したのだ。
「冒険者稼業の名声も、開拓事業の繁栄も、まだ始めたばかりだけど、私は絶対に成功させるわ、カオリ達だけじゃない、アンリちゃんとテムリ君の未来がかかってるのよ! 貴族令嬢の矜持に賭けて、私は貴方達を全力で助ける!」
「ハッハッハッハッ!」
拳を握って熱くなるロゼッタの後、一同が驚くのも気にせず、ササキが高らかに笑い始めた。
「なるほどカオリ君は、良い人間と出会い、良き仲間を得たようだ。ここから始まる躍進はきっと、永く人々の記憶に残る。栄えあるものとなるだろう」
「ふむ、ササキ殿のおっしゃる通りだ。君達は本当にいい仲間だ。であるならば、我々大人の義務は一つ――」
二人の大人が互いに頷き合う。
「君達を全力で守ろう」
かくして意見を一致させた一同は、そこから具体的な方策を話し合うことになる。