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狼と科学者と

【手のひらの上の舞台】より、レグルスとリピチア。血なまぐさい表現があります。

 薄暗い部屋の中だし、何より殺風景で面白味もない。打ちっぱなしのコンクリートは冷たいし、なんだか土臭いような血生臭いような、汗のにおいが混じったような、何かが腐ったような臭いも薄く漂っている。つまりは最高に空気が悪い。


「あのー、うら若き乙女を閉じ込める部屋にしては最悪の“お城”なんですけど。地下牢かなんかですかねえ、ここ?」


 壁に染み着いている、茶のような黒のような斑点を見つめた。コンクリートに付着した血液が酸化すると、ああいう色になることをリピチアは知っている。

 

 自らにのし掛かる体重が強く感じられて、リピチアの息が一瞬詰まった。手を後ろに縛られたまま、うつ伏せに床に押しつけられている彼女の背には、男物の黒いブーツがめり込んでいる。

 少し惜しいな、とブーツの持ち主は口を開いた。


「地下牢よりも素敵な場所だ。――拷問室だよ、《ツォッタ》」

「あー、《犬っころ》さんってば名前のセンスが全くありませんねえ。ツォッタ《鞭》なんてそのまんまじゃないですかぁ」

「お前もな、《ツォッタ》。俺は《犬っころ》なんかじゃないぞ」


 ばきん、と音がして男の靴が乗っていたリピチアの左足が妙な方向に折れた気がする。リピチアはそれを確認できないから、本当に折れたかどうかはわからない。右足は変わりなく背にめり込んでいる。

 

「しかしお前、女にしては音を上げないな。俺を相手にここまで粘る奴なんて、そうそう見かけないんだが」

「女とか男とか関係なさすぎて笑えてきますよ、《犬っころ》」

「減らず口も未だ変わらず、か。――流石は“ノートリアス”だな。……おっと、ノートリウスだったか?」

「どちらでも。“悪名高き《ノートリアス》”でも、“誇り高き隊長ノートリウス”でも、私にはどうでもいいことですから」

 

 リピチアの所属する隊の名をもじってつけられた悪名にも、リピチアは顔色を変えない。ここまで強情だと、女なのが勿体ないな――と男はため息をついた。リピチアの軍服はリピチアの血で赤茶色に染まりつつあるし、リピチアの身体は傷だらけだ。

 茶の髪には血がこびりつき、リピチアの額には汗が滲んでいる。


「俺もあまり女は傷つけたくないんだ、《ツォッタ》。お前が素直にお前のところの隊長殿の情報をくれれば解放する。何なら介抱も」

「――マフィア風情がふざけたことを。半端者のお山の大将に介抱されるなら死んだ方がましですね。寝言は寝てからどうぞ」

「ふむ。――何故そこまであの男を庇うんだ、“リピチア・ウォルター”?」

「さあ? 軍においては規律は絶対ですから。一軍人の私はそれに従うまでですよ」


 あは、面白いこと言うんですねー。

 けらけらと笑い始めたリピチアに、「気でも触れたか」と男が怪訝そうな顔をした。拷問中に笑い出す女など、聞いたことがない。


「ねえ、“レグルス・イリチオーネ”さん? 私があの《神殺級》を庇うわけ無いじゃないですか。職務規程に従っているまでですよ、“部外者に個人的なことを漏らさない”っていう」

「素直に規律を守るような人間だとは思わなかったがな、《ツォッタ》?」

「《犬っころ》さんには分からないんじゃないですか? 泣く子も黙る【ルポーネファミリー】のドン・ルポーネですもの。貴方が規律みたいなものでしょ? ルールはルールを守らないんですよ」


 ルールの行動そのものがルールですもん。

 血の付いた頬を笑みでゆがませて、リピチアはくすくすと笑った。ひやりと冷えたコンクリートの一室に、女の笑い声が響く。

 気が触れたのではと思うほどの、この場にそぐわない快活な笑い声だった。

 

「理解できないな。やはりここでお別れだ、《ツォッタ》」 

「あんたみたいな凡人に理解されるほど、やっすい女じゃないってことですよ――」


 クソ食らえ、とリピチアはにっこり笑って、血の混じった反吐をレグルスに向かって吐く。

 じゃじゃ馬め、とレグルスは舌を打ってリピチアを蹴り飛ばした。リピチアはごろごろと転がって壁に叩きつけられる。ぴくりとも動かなかった。

 死んだか、とため息をついて、レグルスは床に広がっていたリピチアの血を、ブーツで擦って目を細める。


「どうするかな。首だけ“隊長殿”に送りつけるのも一興か」


 冷静で表情を変えないと噂の“神殺級の傲慢中佐”だが、ああ見えて激情家ということをレグルスは知っていた。部下の頭部だけを送りつけたなら――彼はどれほど怒るだろう?

 ふむ、と彼が顎の下に手をやり考えている間、彼の背後でずるりとコンクリートに布がすれる音がした。後ろを振り向けば、そこにいるのは動きもしなかったリピチア・ウォルターが立ち上がっている。

 ゆらりと立ち上がっている彼女の左足は歪に折れていて、けれど痛みすら感じないようにリピチアはわらっていた。


「そぉんなこと……させるわけないじゃないですかぁ……」

「死に損ないが」


 動く死体のようにのろりとレグルスへと一歩進めたリピチアは、くすくすと笑いながらもその手にナイフを手にしている。

 何故手を縛っていたロープが切れているのか、レグルスは理解した。


「お前――どこにナイフを」

「無いものがあったら【補填】する。下級兵のお仕事ですよ――もっとも、方法については企業秘密ですけどね」


 ――あいにく“トリックスター”なので、マジックは得意なんです。

 どこか精神の針が振りきったかのようにネジの抜けたほほえみを浮かべて、リピチアはナイフをレグルスへと振り落とす。体が傷ついているとは思えない俊敏さで、流石のレグルスも意表を突かれた。

 しゅっと走った銀色の刃は、すぱりとレグルスの肉を服ごと切り裂く。ぱたぱたと落ちていく紅い滴が、床に広がったリピチアの血液とまじった。


「――遊びましょ、“ワンちゃん”。……今、私物凄く遊びたい気分なんです。誰でもいいの」

「名実ともに“狂ってる”な」

「あは。マッドな科学者でトリックスター、なんて狂ってるとしかいえないかもしれないですね、我が事ながら」

「マッドと遊ぶ趣味はないぜ、《ツォッタ》」


 にたりと笑みを浮かべたリピチアの腕を掴み、そのまま握りしめて手首の骨を折る。普通なら激痛に呻くはずのそれにも、リピチアは何の反応も見せない。


「アドレナリンなら“狂うほど”出てるんです――」


 痛くもかゆくもないですよ。

 折れなかった方の腕を懐に忍ばせ、リピチアは革にくるまれた棒のようなものをとりだす。何事かと見ていれば、それはレグルスの目の前で復元されるかのように、棒の先から太い革のひものようなモノが垂れ下がっていく。


「二丁拳銃しか普段使わないんですけど――」


 犬のしつけにはこちらのほうが良いですね。

 戦場では“傍若無人のトリックスター”、裏社会では《ツォッタ》、軍部では“マッドサイエンティスト”――


「私に喧嘩を売ったこと。覚悟して下さいね」


 鞭を持った女は、血塗れでも不適に笑った。

 

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