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始まりは路地裏

【手のひらの上の舞台】より、レグルスとミズチの話。

「俺のルーツは“路地裏”さ」


 汚くて暗いところだったよ、とマフィアのボスである男は笑った。誰よりもイかれた頭をしているその男の顔は、いっそ嫌みなほど美しく整っている。頭の中身も整っていればいいのに、と思わずにはいられない。異性が放ってはおかなさそうなその顔に、愉快そうな表情がうっすらと乗っていた。普段ならばポーカーフェイスを突き抜けて、表情筋が機能していなさそうな顔だというのに。

 珍しいこともあるもんだなあ、と俺は椅子に縛り付けられながら考えている。


「なあ、“円環の蛇”。お前のルーツはどこだった?」

「さ、どこでしょーかね? 知らないっスよ。“ウロボロス”には終わりも始まりもないもんで」


 随分と埃臭い呼び名を持ってきたな、と俺は目の前でワイングラスを傾ける黒髪の男を半眼でみた。“円環の蛇”、なんて呼ばれたのは半世紀ぶりだったか?

 人の上半身を剥いて椅子にくくりつけているくせに、自分だけ酒盛りとは良いご身分だが――マフィアのボスなんてそんなもんだろう。


 それにこの男が相手なら、そんなの今に始まったことじゃない。目の前でカルボナーラを作りはじめても俺は驚かないし、それを振る舞われても驚かないだろう。その食事に一滴の毒もなく、食事の後は穏やかに家まで帰されたとしても驚く要素なんてどこにもない。この男はそういう男だと知っているからだ。この男のすることに法則性も規則性もないし、更に言うなら意味もない。

 だから、もし仮にこの場で今すぐに俺の頭がこの男によって胴体と生き別れになったとしても――俺は驚かない。やつは気まぐれだからだ。気まぐれで俺の命を奪うだろうし、それと同じくらいの確率で俺に手の込んだ料理を振る舞うだろう。


 レグルス・イリチオーネはそういう男だ。


 この男の頭の中身なんざ、あの規格外の頭脳を持った外道医師ですら解析不能だろうし、解析したところでクソの役にも立たない。気まぐれと本能と――それから、少しばかりの良心で生きているような男だ。推し量ろうとする方が無駄なのだ。

 空の箱にいくら手を突っ込んだところで、その手には何も掴めないのと同じこと。

 レグルス・イリチオーネを深く知る、というのは空の宝石箱から指輪を取り出すことに等しい。


「錬金術を極めた者に贈られるんだろう、その“円環の蛇”は」


 俺の胸と腹に巻き付くようにして、二匹の入れ墨の蛇が刻まれている。レグルス・イリチオーネはそれを指さしてワインを一口のんだ。唐突だなと思ったが、そんなやつだった、と思い直す。この男相手にまともな思考回路などいらない。まともなモノなんてこの男の前ではすべて等しくただの塵屑に成り下がる。


 さて、俺の腹に刻みつけられているこのタトゥーに話を戻そう。

 これは、錬金術を象徴した図柄――というか、錬金術の最終目標である“永遠の命の生成”、その“永遠の命”を象徴としたウロボロス……円環の蛇をモチーフにした図柄だ。このタトゥーは、錬金術を極めた者に贈られる。

 俺はたまたま錬金術に才があったりして、あとは錬金術におけるルールの上での“ズル”が可能な力を持っていて。だから得られたタトゥーだけれど、俺はこのタトゥーには特に何の意味も持っちゃいない。まあそこそこ格好いいし、箔がつくかなとは思ってるけど。でも、それだけだ。


「そっスよー。このタトゥー、格好いいっしょ? でも残念、これは俺の一族のオリジナルデザインらしいんで。羨ましくっても墨入れ師は紹介できないっス」

「それは残念だな」


 特に残念でもなさそうにそいつは言う。そうだろうなと思っていた。こいつは別に“円環の蛇なんて欲しくない”んだろう。ただこのタトゥーが目に付いたから何となく話した――それくらいのもんだ。


「マフィアだし、アンタがちょっと頼めば墨入れくらいやってくれる奴がごろごろいるっしょ? それこそ、路地裏にいる溝鼠みたいなのがさ」

「まあな――でもこっちで墨を入れようだなんて思わないさ。こっちの連中は溝臭過ぎる」


 よく言うぜ、と俺が笑ってみせれば、お前もその内の一人だろ、と遠慮なく顔を蹴り飛ばされた。椅子ごと後ろへ倒れる。が、こいつはわざわざ椅子を立て直した。じゃあ蹴らなきゃいいのにと思わないこともない。蹴ったなら蹴ったで俺なんかほっといて話しゃいいのに。でもまあ、馴れた。蹴られた顔は痛いけど。


「俺のルーツの話をしていたな? ――初めはただのかっぱらいだったさ」


 ――“ただのかっぱらい”。


 さらっと吐き出されたそれがどれだけ非常識なのかを、多分この男は知らないんだろう。無理もねえよなあと顔には出さずに俺は男の話を黙って聞く。


 男の言う“ただのかっぱらい”は、後々にこの男を裏社会で聞かない者はいないほどの大物にしちまったってのに。

 “かっぱらい”のついでに、そのころ幅を利かせていた有力マフィアを一人でぶっ潰したと言うから驚きだ。

 俺たちからすればどっちが“ついで”だったのかはわからない。有力マフィアを潰したついでにそのマフィアの財をすべてかっぱらったのか、マフィアの財をかっぱらうためについでにマフィアを潰したのか。――けれど、これは鶏が先か卵が先か? と争うくらい無意味だろう。この男に必要だったのは財であり、マフィアの地位ではなかったらしいから。


 レグルス・イリチオーネはたった一人ですべて為したという。

 空腹の狼のようにがっついて、まるまる平らげて、凶暴な本性を隠しもせずに。失うモノが何一つないレグルス・イリチオーネだからこそ成し得たことなのだと俺は認識している。

 飢えた餓狼は時に自分より遙かに大きな獲物にも食らいつく。つまり、そういうことだったのだと。


「自分がマフィアになるだなんて思いもしなかったよ」


 まともな神経を持たないこの男は、ワイングラスを弄びながら、親しい友人に自分の家族のことを話すような口調で続ける。相変わらずキてるなと思った。


「昔はマフィアをシメる側だったんだがな。――人生は時に芝居より波瀾万丈だな。未だに俺の人生の航海も終わりが見えないようだし」

「暗礁に乗り上げて座礁しちまえ――って、リピチア少尉なら言うっスよ。きっと」

「だろうな。そうあって欲しいものだ」


 俺の立場上の上官であるリピチア・ウォルター少尉はこの男のことを毛嫌いしている。二人の間に何があったかは知らないが、この男がストーカーより陰湿で粘着質な接触を続けているというのは知っていた。


「昔、っスか。……“越境”する前の話っしょ?」


 “越境”、とはずばりそのもの、言葉通りに世界の堺を越えてくること――だ。

 世界の堺を越える。つまり俺の目の前で話しているレグルス・イリチオーネは俺とは別の世界で生きていた人間、ということで、何らかの現象によってこちらの世界にきてしまった――世界の堺を越えてきてしまった――ということになる。


「ああ。……退屈だがそこそこに平和な場所にいたときの話さ」


 あのころ俺は海軍にいて、密輸に目を光らせてたんだよな。

 

 それが“そこそこに平和”だったというこの男の感覚は、やっぱりおかしいだろう。この男が海軍にいたというのも何だか信憑性が薄い――規律に縛られるような性格に見えないからだ――が、確かにこいつの駆使する格闘術や武器の扱い方なんかは、そこらの人間が手慰みで身につけたような護身術ではなかったし、確実に“仕込まれたもの”だったから、納得がいかないこともない。


「あれは夏の出来事だった――茹だるような暑さとシチリアの海が美しい、愛すべき夏だった」


 目の前にあった水平線が、いきなり白く光ったかと思うと、俺は薄汚い路地裏に転がっていたんだよ。


 レグルスは淡々とした口調だった。いつも通りのポーカーフェイス。嘘か真か、それは誰にもわからない。


「言葉は通じるがその他は一切通じない。常識も何もかもが俺の知っているモノと少しずつ食い違う。知ってたか、俺の世界じゃ錬金術なんてモノは存在していないんだぜ」

「へー?」

「遙か昔に廃れている。黄金なんか産み出せやしない。永遠の命なんて存在しない――ってな」

「正しい選択っスね。黄金はともかく、永遠の命なんてガキの夢だ」


 結局、錬金術を極めたところで俺にも永遠の命なんてモノは与えられなかった。それで良いと思っているが、世間の大半は未だに、錬金術で“永遠の命”を得られるものだとおもっている。限りある人の命を人の手で歪める、そこに存在する深い闇を、冒涜を、錬金術師たちは荘厳で崇高なモノに昇華してしまった。だからこそ、こうして錬金術師たちは尾を見せることのない永遠の命を、ウロボロスのように追い続けている。幾度輪廻をまわっても、その命に行き着くことはないだろう。終わりのない無駄な努力こそが錬金術――ぐるぐる回り続けるウロボロスなのだと、俺は悟るほか無かった。


「こちらでもそうなのか、それは残念だ」

「――ん? アンタは俺の目からすると刹那主義に見えたっスけど。永遠の命なんて欲しいんスか?」

「ああ。のどから手が出るほど欲しいよ。使い捨ての駒が繰り返し使える駒になる」


 笑うこともせずにマフィアのボスは言ってのける。このあたりがレグルス・イリチオーネを「マフィアのボス」たらしめているのだと思う。

 

 この男は“ファミリー”には優しいのだそうだ。が、マフィアの構成員には容赦ない。冷酷で命を奪うこともためらわないこの男は、いつだったか――この男をしょっぴこうとしたリピチア・ウォルター少尉以下俺たちの目の前で、右腕だと言われていた部下の男を躊躇いもなく射殺している。

 頭を拳銃で一発。死体はその場で犬に喰わせていた。

 人とは思えないような所行を俺やリピチア・ウォルター少尉に見せつけた後、「信じられないと思わないか?」とうっすらと笑った。


 何が信じられなかったかと言えば、俺たちからすれば目の前の光景だったし――レグルス・イリチオーネからすれば、目の前で犬に食われた男だったらしい。


――“あれだけ一般人に手を出すなと言ったのに”

――“こいつはボスである俺の【言いつけ】すら守れないんだ”

――“【お手】も出来ないような【犬】は処理するしかないだろう”


 淡々と冷静に仲間だった男を処理したマフィアのボスは――近くに転がっていたみすぼらしい少年を抱え上げた。汚れも知らないような漆黒のコートが、砂埃に汚れるのも気にしなかった。会話の流れからして、少年が先ほどの男に危害を加えられていたのは明白だったが、それをレグルス・イリチオーネが助ける義理はないはずなのだ。


 冷酷非道なはずのマフィアのボスが、慈愛の精神でもって薄汚れた少年にさしのべた手は――俺たちにとって小さくない衝撃を与えていた。

 見せつけられた凄惨な光景、それとは正反対の優しさに満ちた行為に立ち尽くしていた俺たちに、その黒コートの男は静かに「この少年は俺の仲間だよ」と少年の頬についた泥を拭う。


――“世界の境を越えさせられるほどの不幸の上に、それ以上を強いるなら、俺たちもそれに抗うまでさ”


 生きていくはずだった世界を奪われ、その上不幸な目に遭わされるのは理不尽だ、とレグルス・イリチオーネは主張した。その主張は俺にも理解できるモノだったし、それは俺の隣で成り行きを見守っていたリピチア・ウォルター少尉も同じだ。


――“君たちに恨みはないが、こちらも生活がかかっているから”


 冗談めかすような口調で、けれど顔には笑みを浮かべずに――レグルス・イリチオーネは俺たちに宣戦布告したのだった。自分たちのこの世界での居場所を護るために、戦い続けると。


「“越境者”以外の奴らは――アンタにとっちゃ駒なんスか」

「話して動いて考える駒さ。時折飼い主の手を煩わせるのが難点だが」 


 天国にはいけないクチっしょ、と俺が笑えば――


「神に見守られる美しい花園なんて、俺はごめんだ」


 初めて心から楽しそうにその男は笑った。俺は始まるのも終わるのも、溝臭く薄汚れた路地裏が良い、と。





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