そして、その日まで
洞窟に入るとアイリは未だにベッドで眠っていた。
「むにゃむにゃ、シンリ様ぁー尻尾の付け根は触っちゃダメェェ……むにゃむにゃ」
「…………」
「…………」
いやシズカ、何故そんなに僕を睨む。触ってないとは言わないがそんなに睨まれるような事は断じてしてないぞ。まったく、こういうところは本当に『静』みたいだ……。
「アイリ……今帰ったよアイリ」
この微妙な場の雰囲気を打開するのは当事者のアイリさんに起きてもらうのが一番だ。優しく揺すって声をかけるとアイリはすぐに目を覚ました。そのぼんやりした視線に僕の姿を捉えた途端、真っ赤になって毛布を被ってしまうアイリ。いやいやどんな夢を見てたんだ……ってか、ほらほらシズカの誤解が深まっていくからとりあえず起きてくれないかアイリさんや。
「だ、誰?……綺麗な人」
被っていた毛布を半ば強引に引き剥がされ、やっと僕の隣に見知らぬ人物がいる事に気付いたアイリは初めて見るシズカの美しい姿にすっかり見惚れているようだ。
「アイリ、紹介するよ。僕の妹になったシズカだ。これから一緒に暮らす事になる」
「い、妹さん!アアア、アイリでふ!です!よよ、よろしくおねしょ致します!」
いやアイリ、噛むのはいいがおねしょはしないでくれ……。
緊張し過ぎたため噛んだ拍子にとんでもない宣言をしてしまうアイリ。そんなアイリの様子にすっかり毒気を抜かれたシズカはもう僕を睨むのを止め、楽しそうに微笑んでいる。
「ふふふ、そんなに緊張しないでアイリさん。シズカですわ、これからよろしくね」
そう言ってアイリの手を取って握手をしながらもシズカの視線はケモミミとモフモフ尻尾に釘付けだ。恐らくは、おっとりドジっ娘でエッチな妄想までするなんて完璧過ぎる的な事を考えていそうだ。思想の共有はしていなくてもそのベースは僕の知識。なんとなくわかる……。
「挨拶が済んだところでここからが今朝の話の続きだ。さっきリッチーに貰ってきたスキル。それを僕の新しい能力でアイリに与えようと思う」
「そう言えばそんな……って、リッチーに会ってきたって……!」
「いやアイリ、この際リッチーの事は一旦忘れてくれ。今から与える能力は君がこの森でこれから修業していく為に不可欠なものだ。このスキルがあれば、ある程度呪いを抑える事が出来るだろう。このスキルとミスティの加護を合わせれば、この『冥府の森』でだってかなり自由に動けるようになるはずだ」
「私が……。本当に」
呪いの件を口にした為か、やや表情を曇らせるアイリだが僕は僕でこれから行うことを考えると気が重い。新しく開眼した【色欲眼】の能力は簡単に言えば与える力。ちょうど【強欲眼】とは対極にあるような能力と言えよう。しかし分け与える対象との間には愛情とも呼べるような絶対的な信頼関係が結ばれておらねばならず、もし能力目当てで僕に近づき付与を受けようと画策する者がいたならば、その者はたちまち快楽のみを求める狂人と化し体力が尽きて死ぬまで自慰を続けることだろう。
それに問題はもう一つ。その能力受け渡しの方法だ。
「シズカ、これより魔眼を発動させる。初めて使うので、何か影響があるといけないから外に出ててくれないか」
「かしこまりましたお兄様」
僕の意向に従い洞窟から出ていくシズカ。……これで不安要素が一つ減った。
【色欲眼】での能力受け渡しに必要なのは互いの粘膜の接触。つまり口づけか性行為等によって相手に能力を分け与えるのだ。そんなものシズカに見せたら大変な事になるのは目に見えている。
もう一つ不安なのはいきなり僕からそんな事をされるアイリもだけど……。
「アイリは今から何が起こっても、僕を信じてくれるかい?」
「シンリ様……。もちろんです!何があろうと私はシンリ様を信じます!」
「わかった。では始める……目を瞑って」
「はい」
そっと目を閉じるアイリを見つめていると心臓が胸から飛び出しそうだ。魔眼に意識を集中させなきゃいけないのに鼓動がどんどん早まり呼吸が荒くなる。
仕方ないじゃないか……僕だって初めてなんだ。
「いくよ……」
「……んっ」
魔眼を発動させ、意を決してアイリと唇を重ね合せる。そして能力を付与する進路を確保するために彼女の小さな唇の間から強引に舌を滑り込ませた。最初は驚いてビクッと身体を硬直させた彼女だったが僕の言葉を思い出してくれたのか、今は力を抜いてじっと状況に耐えているみたいだ。
二人にとっては数分にも感じられる数秒が経過し、無事にスキルの付与が済んだのを感じ取ると僕からその唇を離した。
「あっ……」
うっとりとした表情のアイリは一瞬離れていく僕の唇を追うような仕草を見せたが、すぐに顔を真っ赤にして俯いてしまう。そんなアイリのステータスを魔眼で確認すると確かに耐性スキルが付与され、それが元々彼女に備わっていたかのように呪いの効果が相殺されている。
「アイリ、おいで!」
「きゃっ!」
僕は彼女の手を引いて洞窟の外へと連れ出した。しばらく歩いて今朝アイリが呪いの影響でうずくまった辺りまで来ると、状況を理解しだした彼女の目の端には光るものが溜まり始めている。
「アイリ。まだだ、まだ呪いは解けちゃいない」
「でも、でも身体がこんなに軽くて……」
「それはさっき僕がアイリにあげたスキルのせいだ。あれが一時的に抑え込んでいるに過ぎない」
「これが……スキル」
「だが約束するよ。僕は必ずアイリのその呪いを解いてみせる!だからアイリも強くなってしっかりとついて来てほしい」
「わ、私強くなります!強くなって一生シンリ様について行くって誓います!」
そう言ってアイリは僕にしっかりと抱きついてくる。見上げている潤んだ瞳に吸い寄せられるようにして、僕達はどちらともなく今度は互いの意思で口づけを交わす。
洞窟の上では、そんな二人の様子をクロとシズカが仲良く並んでうつ伏せに寝転がりながら微笑ましそうに眺めていた。
僕が師匠と約束した日まであと約二年。
いかなる困難が待っているかもわからない冒険者としての旅に備え、明日からはひたすら彼女達を鍛えよう。
彼女達は僕の大切な家族。過酷な外の世界で、しっかりと家族を守れるように僕自身もまだまだ強くならなければ。それに最後の魔眼に対する備えも当然必要だろう。
明日から始まる厳しい修業の日々。
だがそれ以上に僕も彼女達も、大切な仲間達と巡る未知なる冒険の予感に心躍らせ、高鳴る鼓動を抑えきれずにいた。