『天剣』のアストレイアRe
真っ白な馬が、駆けていく。
背には、黒いコートに銀の細剣を差し、黒のロングブーツを履いた者が乗っていた。
白馬が止まり、馬上の者が振り返る。
コートのフードを下すと、美しい金色の長い髪と尖った耳が見えた。
彼女の名はアストレイア。
『天剣』の二つ名で呼ばれる、この世界唯一のSSS級冒険者。
曰く、彼女は最強であった。
誰も、彼女に勝てないが為に。
曰く、彼女は自由であった。
誰も、彼女を縛れないが為に。
曰く、彼女は美しかった。
誰もが、彼女に見惚れてしまうが為に。
曰く、彼女は孤独だった。
誰も、彼女の高みを理解出来ぬが為に。
曰く、彼女は一人だった。
誰も、彼女と並び立てぬが為に。
今から20年ほど前。当時のホーリーヒル王国とサーガ帝国の緊張状態はもう限界に達していた。
両国は開戦を決意し、とある平原にて両軍勢合わせて20万ほどの軍勢が対峙。血で血を洗う戦乱の世が、今まさに始まらんとしていた。
両軍が陣形を作り、突撃の合図が今にも鳴り響かんとする戦場に彼女はフラっと現れた。
両軍の中央を、無人の野を歩くが如く平然と歩く彼女。
ふと立ち止まった彼女がその愛剣を抜き二回振ると、両軍の間にどこまで続くかも解らないほど長い二本の線が地面に刻まれ、両軍を分断した。
呆気に取られる両軍の兵士20万余に対して、彼女は言った。
「この間の土地は私の領土にします。通行税は金貨1000枚。払わず通る人は、細切れにします!」
それがハッタリでなく彼女の腕前ならそう出来てしまうのだと、戦場の誰もが知っていた。
しかし、兵士たった一人送る度に、一々金貨1000枚も払える筈もない。
結局、三日睨み合っただけで両軍は撤退し、その後事態は話し合いにより平和的に解決する事となる。
その功績は計り知れない物であったのだが、実はこの行動が、彼女行きつけのパン屋さんの「戦争になったら小麦が手に入らなくなって、パンが作れなくなるかもなあ」と言う言葉に起因すると、知る者はいない。
ともかく国々に平和が訪れ、彼女もまた一介の冒険者たる日常を送っていた。
ある時彼女は、王都に現れた『強過ぎる者』と呼ばれる冒険者の噂を聞いた。
その者は、異例の速さでAランクに駆け上り、鍛えた体躯は如何な魔物や武道家、剣士であろうとキズ一つ付けられぬと言う。
彼女は新たなる強者の出現に歓喜し、早速彼に会うべく王都に向かう。
試合会場は、冒険者ギルド王都本部内に先日完成したばかりの模擬闘技場で、如何なる攻撃や魔法を使っても、対戦者達は決して怪我をする事なく安全に闘えるという、ギルド自慢の施設だった。
噂の彼は、長く茶色い髪を無造作に後ろで纏めた若者で、何故か上半身裸。その体躯は確かに鍛え抜かれた者のそれであり、評判通りキズ一つ無い。
しかし試合が始まると…彼女の期待は打ち砕かれた。
様子見の初撃こそ防がれたが続いて放った連撃で、彼はあっさり傷を負い、試合は中止となる。ギルドご自慢の施設の加護も、彼女の強さの前では無意味だったのだ。
結局この事件は、彼女自身の化け物じみた強さを際立たせ、彼女をより孤独にしただけに過ぎない。
平和な時世、権力や様々な思惑が絡み合うのは世の常だ。
一国の戦力以上の存在である彼女も当然、自己保身と欲に塗れた、俗物達の思惑に否応なく巻き込まれてゆく事になる。
いつしか、彼女が選ぶ者こそが次代の、いや世界を統べる王になる。等と言う馬鹿げた噂までが立ち、それらは当然時の権力者達の不興を買った。
遂にギルドに、各国より彼女の討伐依頼が寄せられた事を、懇意にしていた当時のギルマスから事前に聞いた彼女は、この世界の全てに落胆、絶望し自ら姿を消した。
彼女は人との接触を避ける為、冒険者でさえ殆ど近寄らぬ『冥府の森』に隠れ住む事にする。
物言わぬ魔物達との生活は、それなりに楽しい物であったが、ここでも彼女は孤独であった。
そんなある日、魔物から一人の少年を助けた。
十歳にして自分に匹敵する程の魔力を持つ少年との出会いに、彼女の心は踊った。
それからの彼女は己の全てを、日々少年に叩き込んだ。
少年はみるみる強くなり、彼女を以てしても手に余るほどになった。
少年の修業と、身の廻りの世話に縛られる日々であったが、彼女は孤独を感じなくなった。
少年の放つ眩しい輝きに、彼女は強い愛情を抱いていた。
少年はいつしか、彼女と並び立てるほどの強さを手に入れていた。
アストレイアはハイエルフである。
エルフ種は瘴気に耐性が低い為、通常は結界を施した森の里で暮らすものだ。
彼女の様に里を出たエルフは自らを結界で覆い、瘴気が濃い場所等に行った際には、定期的に自らを浄化する必要があった。
世に失望して流れ着いた彼女は、これまでそれらを一切せずに過ごしている。
ましてや、ここは『冥府の森』。
その濃い瘴気は、世界最強の彼女の肉体であっても、日々それを蝕んでいった。
少年と出会い少年を守る為に結界を張ったが、既に彼女自身は手遅れであった。
反して少年は、水の精霊と契約した恩恵により、それ以後瘴気の影響を全く受けない様になる。
少年との出会いから、3年余経った。
彼女は体調を崩しており、二週間程寝たきりでいた。
そんな彼女を元気付けようと、少年は彼女が好きだといつも言う『パン』を作ろうと連日悪戦苦闘中だ。何でも、前世の記憶とやらをヒントにしてるらしいが材料が足りず再現出来ないのだとか。
だが、今焼いている試作品はかなりの自信作らしく、終始ご機嫌の様子である。
…しかし彼女がそれを口にする事は、無い。
「…シンリ」
そんな彼女の声に、少年が笑顔で振り返る。
「いい…香りだね…」
そう呟き…
少年の笑顔を、最期にその目に焼き付け…
彼女は、眠る様に逝った。
その顔は、安らかで満ちたりた…
とても美しい…笑顔だった。




