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黒い少女

 その黒い人影は一人の少女であった。


 俺と同じ黒い髪と黒い目をしており、手入れがされずボサボサの髪は目にかかる邪魔な部分を真っ直ぐ切っただけの、まるで髪の伸びる市松人形みたいな有様だ。真っ黒の汚れた服を着て、首には黒い首輪のような物を付け、腰に小太刀を、背中には身の丈よりも長い刀を背負っている。


 俺達の姿を見つけると、なんとかしてこちらに来ようとしているのだが、空腹の為だろうかもはや這うような動きでしかない。


「お前は、お腹空いてるのか?」

 ……コクコクコク!


 俺が少し近づいてそう問いかけると、彼女はそれに懸命にうなずいた。


「パンならあるけど……食べる?」

 ……コクコク。


「近づいて大丈夫か?」

 ……コク。


 警戒しつつ近づいて、伸びた俺の影が少女に触れると……少女はスーっと、まるで水の中に潜るように俺の『影』の中に消えた。パンを出しそこにそっと近づけると……。


「お願い……」


 そう言って少女が『影』の中から上半身だけをヌッと出してきた。うるうるしながらじっと俺を……いや違うな。パンを見つめる少女に、持っていたパンを差し出した。


「……いいの?」

「どうぞ、食べていいよ」


 俺の返事を聞いて、パンをその手に受け取った少女はもしゃもしゃとパンを食べ始めた。食べ方が小動物みたいだ。まるで兎やハムスターを餌付けしてるみたいな感じがして、ちょっと癒されていると……。


「…………」


 食べ終わった少女がただ黙ってじっと俺を見ている。


「ひょっとして、まだ欲しいの?」

 ……コクコク。


 俺は少女の前にアンナにもらったパンを袋ごと全部出し、一緒に水も出してあげた。


「お腹いっぱいになるまで、食べていいんだよ」

 コク!


 袋の中のパンをほとんど平らげると、俺の影の中で至福に満ちた顔を浮かべる少女。まるで露天風呂にでも浸かっているように気持ちよさそうだ。


「お腹いっぱいになった?」

 コクコクコクコク!


 すっかり満腹になりご機嫌なのか、何度も楽しそうに頷く少女。


「この影温かい……いい影」


 本当に気持ち良さそうな少女だが、影に違いなんてものがあるんだろうか。


「居心地がいい影って事なのかい?」

 コクコクコク。


 俺達には分からない違いがきっとあるんだろう、確かに彼女はご満悦だ。


「俺は冒険者のシンリ。キミの名前は?」

「……っ!」


 俺の名前を聞いた途端、驚愕と共にさっと血の気が引き明らかに表情を強張らせる少女。


「シン……リ?」

「うん、そうだよ」


 信じられないと言いたげな表情で聞き直してきた彼女に間違いではないと答えると、途端に少女はひどく悲しげな……まるで泣きだしそうな顔をしながら、スッと俺の影に沈み込んだ。

 そして、しばらく経ってから慌てて魔眼で探してみても、もう近くに少女の存在は無くなっていた。

 あの異能の力。年齢に見合わない高すぎるレベル。恐らく彼女が例の『血影』で間違いないだろう。


「だとしても、俺の名を聞いた時のあの反応はいったい……?」


 辺りは日がかなり傾き俺達の影が連なって長く長く伸びた先は、いつの間にか遠い木陰と繋がっていた……。




「あっはっは!いやーこりゃまた大きく育ってたねぇ!」


 宿に戻って蜂の巣を渡すと、アンナがかなり驚いていた。最近見た中では一番大きかったらしい。ご機嫌なアンナに約束の豪勢な夕食を御馳走になると俺達は部屋に戻った。


「お兄様……あの子」

「ああ、わかってる。俺を狙って送り込まれた暗殺者とみて間違いないだろう」


 部屋に戻った俺達は昼間出会った不思議な黒い少女の事を考えていた。


「シンリ様、あの子奴隷なんですね。もしかしたら……私もあんな風に」

「お兄様の御命を狙うというのなら遠慮はしませんが、そこに本人の意思がないというのは……正直、あまり気持ちのいいものではありませんわね」


 先ほどの少女の姿から察するに、恐らくその扱いはとても酷いものだ。大切な金づるであるはずの彼女に、まともに食事さえ与えていなかった事を考えると飼い主もそろそろ潮時と考えているのかも知れないな……。


「シンリ様……あの子、助けてあげれませんか?私、私……」

「そうですわね……無口な黒髪キャラをこのまま逃す手はありませんわお兄様」


 二人ともすっかり少女に情が移ってしまったらしいな。確かに、俺も彼女の愛らしい瞳や食べる仕草を思い出すとこのまま殺してしまうのは胸が痛い。


「来たな……」


 そんな事を考えているところに、俺が警戒して広げていた感知に少女の魔力が僅かに反応した。距離にしておよそ二百メートル。影に潜っている間はここまで近づくまで反応がないなんて、たいした隠密性だ。

 もちろん、ミスティと共同で索敵網を展開すれば、どこに居たって探し出せるけどね。


「行ってくる。念のためミスティに結界を張らせておくから、二人はこの部屋から出るなよ」


 俺は二人を部屋に残し、ワザと少女の目につくように正面から堂々と表に出て欠伸を一回。そして散歩に行くように見せかけ夜の町を歩き回った。狙い通り、少女の気配はシズカ達に向かわず、身を潜めながらも確かに俺について来ている。


 東の城壁付近の倉庫が立ち並ぶ人気のない一角に来ると少女の気配が一瞬消え、背後の影から俺の喉元があった(・・・)場所に細長い剣。いや、刀の切っ先が飛び出した。

 さらに少女の猛攻は続く。その一撃一撃が急所を的確に突く一撃必殺の剣筋である。


 かつて師匠が言っていたが、ある程度の技量を持つ者同士で手合わせすると、その剣筋から相手の心境や内面がはっきりと伝わってくる事があるらしい。 それを俺が確信出来たのは師匠から剣を習い始めて半年ほど経った頃であった。

 その時伝わってきたのは、師匠が俺に寄せる何よりも深い愛情。厳しい剣の一撃一撃が、全ては俺を想うが為に振り下ろされていると気づき、その優しさに涙したのは今でも決して忘れはしない。


 だが、この少女から今伝わってくるのは恐怖のみだ。俺を殺すことへの恐怖が彼女の一撃をほんの一拍遅らせている。

 優しい女の子なのだろう。殺す相手が少しでも苦しむ間が無いようにと一瞬でその命を絶つ術を、恐らく独学でその身に染み込ませている。

 こんな子が自ら暗殺稼業など望むはずがない。恐らく、鍵はあの首輪……。


 避けられ続けても執拗に攻撃の手を止めない少女。確かに、この暗闇は彼女の独壇場だ。

 全ての空間が彼女の身を隠し、どこからでも攻撃をしかける事が可能。

 闇夜に於いては、ある意味最強の暗殺者である。


「まあ、相手が俺じゃなきゃな……」


 いかなる方向からの斬撃や刺突も、俺にはかすり傷一つ付けられない。

 かつて俺の魔眼は、幼かった俺の幼稚だが強い欲望に反応して輪廻の過去。つまり日本人であった過去の記憶を俺に与えた。

 その逆に、俺が師匠と手合わせをしている時には師匠の鋭い剣筋に対応したいとの欲望に対して、魔眼は数秒先の未来を見せるというとんでもない力を俺に与えてみせたのだ。

 ただし、師匠は俺が先を読んで回避に移る動きにさらに反応し剣筋を自在に変えてきたので、結局あの時の俺にはあまり意味がなかったのだが……。


 だが、この少女の真っ直ぐな一撃一撃なら、数秒先を見て出どころがわかる俺ならば避ける事など造作もない。


「このまま体力切れを待ってもいいんだけど……」


 俺はそう言うと建物から少し離れた、やや開けた場所でその足を止めた。


「少しきついけど……ごめんね」


 そして自分のごく近くに向けて威圧を放つ。


「あぐっ!」


 それを至近で受けてしまった少女は、金縛りにあったように動けなくなってしまう。


「この生活魔法だけは、無害だから師匠も使っていいって許してくれたんだけど。まさかこんな事に使うなんてね……目を閉じてないと眩しいよ、『照光(ライト)』!」


 右手を上げて指を鳴らすと俺と少女の周囲には何十という数の光球が灯り、あらゆる方向から照らされた事で二人の影がその色を失っていく。そして影の存在しなくなった地面には刀を構えた姿勢で動けずにいる少女の全身が現れた。


「やはり、地中に潜れるわけではないんだね。影が無くなれば引きずり出されてしまう、か」


 姿を晒した事に動揺する彼女だったが、未だ俺の威圧が続いている為に動くことが出来ない。


「今から、君を縛るものから解放する。あの首輪を喰らえ【暴食眼(ベルゼブブ)】!」


 俺はそう言って、彼女の首に付いていた『隷属の首輪』のみを魔眼で喰った。


「いやあぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 首輪の効力がいきなりなくなった事で、彼女はたった今まで俺に刃を向け続けていた現実を突きつけられたのだ。さらには悲痛な叫びと共に、これまでの己の所業が次々湧き上がってその心を攻め立てる。それは想像を絶する絶望と恐怖の記憶。小さな少女が一人で背負うにはあまりにも過酷すぎる事実。

 気がつけば、彼女は長刀の刃を自らの首に押し当てようとしていた……。


「あのパンすごく美味しかっただろ?」

「え……?」


 突然の俺の言葉に、長刀を持つ手が止まる。


「あれさ、俺の泊まってる宿屋のパンでね。朝とか本当にいい香りがしてさ……」

「…………」


「でもさ、あのパンの美味さを更にとんでもなく飛躍させる食べ方があってさ……」

「………っ!」


「それが、もう堪らないんだよ!食べ出したら最後、美味しすぎてアイリなんか手が止まらなくなっちゃって、もう大変……」

「………ゴク」


「死にたいほどに辛いその気持ちは、俺が生涯共に背負ってやるから……。俺と一緒に、そのとっておきのパンを食べようツバキ!」


 俺が、首輪が無くなった事で表示された本当の彼女の名前を呼ぶと、カランと甲高い音を立ててツバキの手から長刀が落ちる。

 駆け寄ってその小さな体を抱きしめると、彼女はすがるように俺にしがみついてきた。


「わ、わだじ……グス。わ、私は誰も……誰も殺したくなんかなかった!ううぅぅぅ……わあぁぁーん!」

「もう大丈夫。大丈夫だから……今は少しおやすみ、ツバキ」


 泣きじゃくるツバキの頭を優しく撫で、彼女を落ち着かせながら眠りへと誘う。

 魔法が効いて眠ったツバキの涙で濡れたその頬を、俺はそっと指で拭った……。


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