決心
「さて人族……いや、シンリと言ったな。役目大儀……」
チロルからシンリに視線を戻し話しかけるライゴウ。自ら使者と認めたので、その労を労っての言葉をかけたのだが、続く言葉を飲み込み口ごもる。
「……其方に聞きたいのじゃが、始祖様はご健勝でおわすのかえ?」
彼はパンドラの現在の様子を聞きたかったのだろう。それを察して隣のセイが俺に尋ねた。
「はい姉さ……いや、始祖さ……まは、お元気そのものです」
危ない……うっかり姉さんとか口走ったら、この場ではトラブルの予感しかしないな。
「左様か……。我ら国民一同、始祖様のご帰還を心より願っておる。その旨、そちよりしかとお伝えせよ」
「わかっ……いや、はい」
山羊人族たちの目があるから仕方ないが、遜って話すのとか慣れてないから難しいな……。
ライゴウが一番言いたかったのはこの件なのだろう。セイの言葉を聞きながら後ろでうんうんと満足そうにうなずいている。先ほどからの会話から、彼らにとって姉さんの存在は、まるで生き神様のように神聖でとても大切なもののようだ。
これまで見てきた世界では、『破滅をもたらす恐怖の象徴』という風にしか語られることのなかった姉さんを、このように好意的な目で見ている者たちがいたというのは、正直嬉しい。
「シンリよ、貴様が入国したくば我を倒すことだ。再戦までにその『力』全て使いこなしてみせい!」
そう言ってライゴウは、まっすぐと俺の目を見つめる。俺はそれから目を逸らすことなくただ静かに頷いた。
……ありゃあ、絶対また来いよって目だな。もちろん、姉さんを連れてきてくれってのが本音だろうけど。
そんな俺たちの周囲では、人族である俺に対して入国という言葉が出たことに驚き、皆動揺してざわついている。
「皆も大儀であった。今後も励むがよいぞ」
喧騒が広がる中、付き合いきれんとでも言うようにライゴウはさっさと背中を向けて来た時同様に空間の揺らめきの中に消えた。残る四名の重臣も俺を一瞥しながら身を翻し、彼に続いて姿を消した。そうして全員が居なくなると石舞台上の魔法陣はその輝きを失い、揺らめきも消える。
「……さすがだな姉さん。だがこれで、俺のやるべきことがはっきりした」
「ん? どうしたのにゃシンリ?」
「いや、俺もまだまだ鍛えなきゃなってことさ」
きょとんとした顔をして俺を不思議そうに見上げるチロル。
ライゴウにも言われた通り、すでに俺が守るべきは仲間や姉さんだけではない。チロルたちケットシー、巫女王とその配下、これまでに知り合った多くの者たち、そしてこの国の亜人たち……それら全ての何もかもを俺一人が抱えようなんて、それははじめから無理な話だった。
人それぞれに得手不得手があり、また多くの人手が必要なものも多い。それらは各自で考え、判断して動き、時に協力し合って一つずつ乗り越えてけばいい。幸いにして俺には素晴らしい仲間たちがおり、頼れる友たちがいる。もっと周りを信頼し、頼って任せるべきだったのだ。
そして、この俺が負うべき役目は……
(彼、ライゴウのように圧倒的な力をもって『敵』となる全てを、この手で倒すこと!)
さっきのはあくまで模擬戦だった。だが、あれが実戦であったなら……シズカが、アイリが、ツバキが……俺の死後、全ての者が蹂躙されその命を散らせていただろう。そんな未来は到底受け入れられない、いや、絶対にあってはならない。
だから俺は…………。
◆
「シンリちゃん、本当にいいのね?」
ライゴウとの対戦の翌日、俺は冥府の森にパンドラ姉さんを訪ねていた。
ちなみに、チロルはアマルティアに任せ、サウザを連れて仲間の元へと戻ってもらっている。
「ああ、やっと決心がついたんだ。姉さんのおつかいのおかげでね」
今、二人がいる死の山……正確にはかつて姉さんが混沌龍と化して世界を破壊し暴れまわった後、ここで分離した山のように巨大な腐龍の衣だが、その内部は現在姉さんの住居となる豪華な屋敷に改装されている。
俺たちは今、その屋敷のさらに奥にある未だ手付かずの広い空間で対峙していた。赤黒く、それこそ干し肉のように干からびた肉壁やまるで巨大ビルの鉄骨のような骨が周囲に見えており、まるで鯨に飲み込まれたピノキオの気分だ。
「姉さんはかつて、ミスティと協力して俺の魔眼の中を調べようとしたよね?」
「…………ええ、そんなこともあったわね」
やや間があって、姉さんは気まずそうに返事をした。俺が何かを知り、その上でこの話を切り出したということは百も承知なのだろう。
だが、かつて魔眼の調査を行った際には、何も見えなかったと嘘を言っている。それ自体は当時の俺を気遣ってのことであり、彼女自身も間違いであったとは思ってないのだが、俺に偽りを述べたという事実は、長く心優しい彼女を苦しめていたのだろう。
「何が見えたの?」
俺は、ゆっくりとした口調でなおも続ける。
獣王国に向かい、今回のような展開になるのは彼女の想定通りだったのだろう。それはすなわち彼女自身が真実を話そうと決心していたということ。
「あれは…………」
彼女は、覚悟を決めるように小さく頷くとあの日のことを語り始めた……。
◆
不思議な男の子シンリと知り合い、互いに友人以上と思える関係になりつつあった頃、私パンドラはこの子が左目に宿す不気味な何かについて調べることにした。
そこには以前から『何者か』と呼べる存在を私は感じていて、それがこの子にどういった影響を与えるもので、仮に害になるものであればどう対処するのか、その判断材料としてとにかく調べてみる必要があったのだ。
「ミスティ、準備はいいかしら?」
『ええ、シンリは完全に眠ったわ。私も準備は出来ているわよ』
シンリと契約している水の高位精霊ミスティ。彼女は肉体を持たない特殊な存在。その特性を活かして彼の左目に漂う魔力を辿り、その源泉たる『何か』を『視よう』というのだ。
とはいえ、そのままあの未知の魔力に飛び込めば、下手をすれば彼女の魔力ごと『存在』が吸収されかねない。
そこで私の魔力を送って彼女を覆い、引き込まれぬよう守りながらこちら側に『存在』を繫ぎ止める必要がある。
これらは完全に未知なる試みであり、この森で最大の魔力量を誇る私であっても十分と呼べるのかは不明であった。それでもこれを強行するのは、私やミスティにとってこの子が、それだけの危険を負うに足る存在に、この時すでになってしまっていたからに他ならない。
『じゃあ、行くわね!』
そう言っていつも姿を消す時のように、霧のように変化するミスティ。私は魔力がそれら彼女の破片全てを包み、それを繋いでいくようイメージしながら集中して目を閉じる。
……これがミスティの『視て』いる世界……。
瞬間、彼女の感覚との同調により、視界を絶っている私の脳内にミスティの視界が映し出された。
ほんの僅かな抵抗を感じながら、するりとシンリの瞳の中に入る。そこに感じる存在は七つ。うち二つの気配は他に比べると希薄に思える。恐らくは魔眼の開眼状態に関係しているのだろう。
彼が発動をイメージしてからその能力が発現するまでのタイムラグはほとんど無いと聞く。それはつまり、その現象の源となる『何か』との間を瞬時に繋ぐネットワークが構築されているということ。
彼の魔力の一部となっているミスティを通してその『何か』の方へ向かいたいと強くイメージすると、そのネットワークに乗れたのか一瞬で周囲の景色が一変した。




