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ある下士官の航海日誌

 私はノーマン・ブッフバルト。メリッサ国軍第三海上遊撃船団一番艦、通称『白姫』所属の下士官だ。

 ヴェロニカ様がデジマールにある学園と本国との間を行き来される際の専用艦である当艦は、ある日とある要人を同行させるよう命じられた。我が国以外の者をこの特別船に乗船させるなど前代未聞。

 これは、そんな彼らとの四日間に渡る航海の記録である。



 出航初日。快晴。

 同行する要人は代表者シンリと他二名。事前の周知会では確かにそう説明があったのだが、乗船して来たのは男性一名のみであった。


 司令室にてヴェロニカ嬢をお見かけする。いつ見ても可憐な御方だ。お世辞にも作りがいいとは言い難い、不思議な黒い縫いぐるみを抱いておられたが、あれは何なのだろう?


 追記。あの縫いぐるみはシンリ氏の持ち物である事がわかった。もしかして手製か……まあ、他人の趣味をとやかく言うのは止めておこう。




 二日目。快晴。

 今朝早くに船首付近にてシンリ氏を目撃。身振り手振りを交えながら誰かと話しているように見えるが、やはり誰もいない。

 我がメリッサの国民は皆、霊体の存在に敏感、かつ寛容である。しかし彼の周囲に霊体の存在は私には見つけられなかった。やはり……少し変わった人なのだろうか。まだ若いのに、可哀想なことだ。


 ヴェロニカ嬢は、いたく縫いぐるみが気に入られたご様子。いつも、どこに行くにも抱いていらっしゃる。もっと可愛い縫いぐるみがお似合いになるのに……。そう思いながら見ていたら縫いぐるみと目が合った。……いや、まさかな。




 三日目。曇天。

 昼前、大きな衝撃を受けて船体が大きく揺れた。

 右舷を見ると、それぞれが五メートルを超す大型の海洋性魔物[オオワラスボ]の群れに船が巻き込まれてしまっている。この時期、産卵の為に北上する個体は気性が荒く危険だ。皆が対策を考えていると、事情を聞いたシンリ氏が右舷甲板上に姿を見せた。


 魔法……そんな一言で片付けていいものだろうか。彼はただ立っていただけ……なのにその背後には無数の光る剣が現れ、オオワラスボ目掛けて飛んでいく。それらは何十、いや何百とも思えるほどの本数で襲いかかり、海面はすぐに血の海へと変わっていた。

 海洋生魔物には嗅覚に優れたものも多い。これだけの量の血の匂いをさせれば当然凶暴な捕食者を呼び寄せてしまうというものだ。目の前に突如現れた、全長十数メートルはあろうかという巨大な海蛇[ワカダイショウ]も、そんな海のハンターである。血の海からもたげた大きな鎌首がじっと、当船を睨みつけていたのだが……。


 またもやシンリ氏の背後から、今度は青白い光の筋が出て、その蛇の鎌首をスッと横切ったかと思えば……焼けたような切り口を残して蛇の頭は真っ二つに両断されてしまっていた。強い、いやそれでは説明があまりに不十分。彼は一体どういう人物なんだ……。




 四日目。濃霧。

 霧が濃くなってきたということは、我らの祖国メリッサの領土が近いという証。

 久しぶりの帰国に、部屋にいるミランダ、ジェシカ、メアリーの三人もすっかり浮かれているようだ。

 そういえば、シンリ氏は霊体姿の彼女達を見ても特に動揺することもなかったな。いつも学園でゲルンスト様を見ていたので慣れていると言ってしまえばそれまでだが、正直我らは驚かせてやろうと供に連れた霊を皆可視化状態にして出迎えていたのだ。

 なのに彼は、霊体にまで普通に挨拶をして話している。はっきり言ってこれは異常なこと。……以前所属していた別部隊での任務中に遭難者を船に乗せた時は、幽霊船だと叫んで再び海に飛び込んでしまったからな。あれが普通の反応だと思うのだが……。






「…………うん。確かに俺のことが書かれているな。だが、これはどこの部屋から持ってきたんだサマエル。早く元の場所に戻してこい」

 プキュゥ?


 メリッサの国土に接近すると、辺りは完全に霧で覆われ二メートル先さえ見えないような状態になった。

 それでも迷わず船は進み、一時間も進むとゆっくりとその霧が晴れメリッサの港が姿を見せる。この霧は、外敵の侵入を阻むために魔法で発生させているものらしい。自国の船には霧に干渉されない誘導用の魔道具が積まれているので、迷わないのだとか。


 到着した港は軍専用なのだろう。大小様々な軍船が居並ぶ様は圧巻であり、否応なく王都でシルヴィア王女が発した『軍事国家』という言葉を思い出させる。


「おかえりなさいませ賢者様!姫様もお元気そうで何よりです」


 ……待て。

 今、船を降りて兵士達に出迎えられたのはゲルンストとヴェロニカである。『賢者様』誰がだ?


 船員達に礼を言い、船を降りてヴェロニカ達と街を歩く。軍港の街だけあって、軍服を着た者が多く目につくが、街自体は活気に溢れた普通の港街だ。


「待ちやがれ魚ドロボー!」


 しばらく歩くと、前から魚を咥えた霊体の猫がこちらに向かって走って来るのが見えた。後ろには魚屋の主人と思しき恰幅のいい男性が息を切らして追って来ている。


「我、ホッフェンハイムの名において、汝に一時の枷を与えん」


 ヴェロニカがそう呟くと走っていた霊猫はピタリと空中で静止し、動けなくなった。すぐに魚屋の主人が追いつき魚を取り返すと、彼はヴェロニカに何度も礼を言って帰っていく。そうして、その場には空中で固まったままの霊猫だけが残される。


「悔い改めよ。さすれば汝の枷は消え去るだろう」


 再びヴェロニカが呟き、俺達は歩き出した。気になってチラチラ見ていると、あの猫が突然ビクッと身体を震わせ、再び自由に動き出し逃げていく。


『色々と気になるでしょうが、今回は見なかった事にして下さい。普通に見せているのはシンリさんへの信頼の証。まあ、すぐにヴェロニカと結婚なさるなら別ですがね……」

「ん、準備は出来てる。ばっちこい」


 俺の様子を見ていたゲルンストが、そう言って先手を打ち、流れでヴェロニカもそれに乗る。

後で聞いたが、他国の要人などが来た際には、窓の無い馬車での移動と決まっており、霊体達を極力見せないようにするらしい。


 ヴェロニカが霊体を連れてデジマールに行ったのは、一つは周辺各国の者にその存在と実態を見て免疫を付けてもらおうとの目的もあったのだとか。俺に会うまでは、すっかり逆効果になりかけていたが……。


 今回はマリエの救出に助力してもらっているんだ。色々とこちらから聞く訳にもいかんだろう。

 それにしても……幽霊と生者が共存する国か。想像以上だ……。


「ん……なぁゲルンスト、霊も食事をするのか?」

『まさか、肉体の無い我々に食物など不要ですよ。ん、ああ!シンリさんはさっきの猫さんの事を仰っているんですね。あれは、術者の命に従っていただけでしょう』


 良かった……。飢えた霊が食べ物を求めて人を襲う様子をちょっと想像してしまった。


『ああいう行為の取り締まりも行ってはいるんですがね、何ともお恥ずかしいところをお見せしたものです』


 まあ、なんだ……色々な事情があるんだろう。

 それでも、街の人々の活気と笑顔を見るに、この国はいい国だと言ったゲルンストの言葉はあながち間違ってはいないようだ。

 そんなことを考えながら、俺達は街外れにある飛竜の発着場を目指し歩き続けた。






 追記。私のこの日誌が無くなったので彼女らと協力して船内を探し回った。

 しかし、立ち寄ったどこにも見当たらず諦めて部屋に戻ると、私の日誌を口に咥えたあの縫いぐるみがちょこんと机の上に乗っている。私と三人が呆気に取られていると、その縫いぐるみは日誌を机の上に置き、そのどう見ても飾り程度にしか見えない翼をパタパタと羽ばたかせながらフラフラと飛び去って行った。


 ……うん。疲れ過ぎているのかも知れない。

 私は、上陸後に休暇願いを出そうと心に決めた……。

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