アイリの二日目
俺がツバキとのデートに出かけたフェスタ二日目。
武闘会予選を勝ち上がっているアイリは早朝に行われる抽選会に参加していた。予選は基本毎回抽選会により対戦者が決められるので、それまでは誰と当たるのか予想もつかない。
今日からはシードされている参加者も加わっていて会場内には六十三名の猛者達が集っていた。
「おはよう !」
「おはようございますアイリさん。いよいよですね」
彼女の姿を見つけたジャクソン達が駆け寄り挨拶をするも、どこか彼女は上の空。その視線はキョロキョロと何かを探しているようだ。
パチィッ!
その音の原因を理解出来た者はいなかった。だが、半数近い者達がそれを感じ取り、彼女の方へ視線を向ける。
しかし当の本人は一瞬昂った気を既に完全に抑えており、いつも通りの自然体。まるで気の抜けたようにさえ見える彼女の立ち姿に、視線を向けた者達の大半はそれが側にいるジャクソンから発せられたのだという結論に至り、再び抽選箱の置かれた机に視線を戻した。
……残る数人の強者。彼らは的確に先ほど一瞬感じた気がアイリから発せられたものだと理解していた。そして、そんな彼女が決して視線を外さない、ある男へと視線を向ける。
「ぷっ!くくくっ……」
「ぶはっ!」
大半の者達の興味は次戦の対戦者に移り、緊張感の漂う抽選会場。そんな中で大声で笑うわけにもいかず、彼らは噴き出した後必死でこみ上げる笑いに耐えていた。
それも仕方ないだろう。先ほど一瞬とはいえあの凄まじい気を発した彼女がいかな強者を見つめているのかと思えば、そこにいたのは滑稽極まりない格好の男だったのだ。
まるで出来の悪いてるてる坊主。黄色に染め上げた布を頭からすっぽり被って首の辺りで絞っただけの雑なマスクには、目の部分のみに二つの丸い穴が開けられている。身に付けた同色のポンチョのせいで傍目には完全にてるてる坊主だ。
ポンチョは膝下まで伸び、その下はすね毛の生えたゴツい素足にサンダル履き。
完全に抑えているためか何の気も感じられず、さらには馬鹿にしているとしか思えないその姿を見て誰がこの者が伝説級の猛者だと気付こうか。
だが、ツバキから話を聞き、彼を警戒しているアイリでさえ気付いていない事もある。この衣装が、実は見覚えのあるオニキスのお古の枕カバーとシーツで出来ている事に……。
……そう。面白そうなので、俺はみんなにマスクド・Dの正体を話してはいないのだ。いや、ほんとごめん。
「次、アイリさん。アイリさん抽選をお願いします!」
係に呼ばれアイリが抽選箱に向かった。
その姿をある者は下品な視線で見つめ、ある者は緊張の面持ちで見送る。ジャクソンらはもちろん後者だ。
その結果、彼女の対戦者は北方からやって来たというA級冒険者の男性に決まった。だが彼は、あっさりと開始の合図とともに倒され文字通り瞬殺されてしまったので多くは語るまい。
今日も淡々と進められていく予選。今日じゅうに六十三名から三十二名。そして明日の本戦出場者十六名にまで絞り込まねばならず、のんびりとする時間的余裕は全くない。
そんな中で唯一、登場するだけで会場じゅうの雰囲気を和ませ、失笑を呼ぶ男マスクド・D。最初の抽選で不戦勝を引き当てた彼が、ついに迎えた三回戦の試合のために入場してくると、昨日の対ツバキ戦を知る観客からは野次を含んだ声援が送られた。
「ラッキーマスク頑張れー!」
「二回戦は不戦勝だったのか、どんだけツイてるんだお前さんは!」
昨日の試合。観客の目には、開始の合図と共によたよたとおぼつかない足取りでツバキに迫ったマスクド・Dが足を絡ませて転倒。相手に寄りかかる形で派手に転んだ彼のみが数秒後にフラフラ立ち上がると、打ち所が悪かったのか相手はなんと気絶していた。という、何とも馬鹿馬鹿しい試合に見えた事だろう。
実際には、目前に迫るまでその脅威を全く感知させない完璧な気の抑制。至近からとはいえ、あのツバキに回避を許さなかった身のこなし。そして体当たり一撃で意識を奪った破壊力。
言いつけを守り『透過』スキルを使わなかったとはいっても、彼女相手にこれだけ大胆な手を打ち、それを成功させるほどの手練れは俺が知る限り彼一人。
衝突される刹那、足元が金色に光って見えたとのツバキの証言が何よりの証拠。
ダボついた衣装を身につけているのは、素肌にピタリと触れる部分を減らし、『金剛』発動時の発光を隠すのが目的なのだろう。
マスクド・Dの入場による喧騒が収まりかけた頃、反対側の入場口のあたりが賑やかになった。
入場して来たのはアイリ達と同じクラスのロレンソ・ピソリーニ。観客席の一部に陣取り声援を送るのは、明らかに彼の身内と取り巻き達だ。
「両者中央ヘ!」
基本は見るだけだと言っても全ての試合、たった二人の教師が審判役を務めるのは実質無理な話。そこで二回戦からは外部から招聘された者が二人ほど審判役に加わっている。
そのうちの一人。『ウ流拳闘武術』師範の『ウー・チャンチャン』に呼ばれ、二人は闘技場中央で向かい合った。
「ハジメ!」
規則である簡単なルール確認が済み、ウー老師の開始の声が響く。
するとロレンソは、トンッと一歩下がって間合いを空けた。
「ふざけた格好をしているが、あの女の仲間を倒したらしいからな。組みつく余裕など与えん!貴様はピソリーニ家秘伝『舞蜂剣技』の前になす術な……ぷぎゃんっ!」
マスクド・Dの周囲を一定の間合いを空けた状態で時計回りに回っていたロレンソ。
手にした木製の細剣を突くぞ突くぞと言わんばかりに動かしながら話す彼の姿が、突然何かに弾かれたように仰け反り、そのまま顔面から着地して二メートルほど後方へズズズと押されてパタリと倒れた。
何が起こったのか解らず静まり返る観客達。
「ソレマデ!勝者、マスクノ人」
ウー老師が勝者の名を告げるが、未だ状況は不明。だが、次に見せたマスクド・Dの動きで会場は爆笑の渦に包まれる。
滑稽な衣装と相まってケンケンと片足で一歩ずつ進む様は、まるで不恰好な案山子かボロ傘のよう。そんな彼が目指す先に転がっていたのは片方だけのサンダル。
状況から観客達が導き出したのは、マスクド・Dの脱げたサンダルがたまたまロレンソの顔面を捉えたラッキーによる勝利というもの。また馬鹿げたツキで勝ったものだと観客達は笑い転げているのだ。
サンダルを履き直したマスクド・Dの姿をウー老師が一瞬射抜くような視線で見る。並みの武闘家であれば殺気にあてられ飛び退いてもおかしくないほどのそれを、あっさりと無視して見せた彼は、控え室への去り際老師に向かい、自らのマスクで隠れた口元に指を立て『御内密に』とでも言いたげな素振りを見せて戻って行った。
とはいえこの戦いで、幾人かは彼が只者ではないという事に気付き始めたようだ。
それもそのはず。ロレンソとて選ばれし騎士、しかもシード選手の資格を持つ強者。そんな彼が植物の繊維などで作られたサンダルが当たった位で、気を失うほどの衝撃を受けるだろうか。そもそもただ脱げただけなら、彼とて難なく回避しただろう。
そこには『金剛』により強化されたサンダルを、同様に強化した右足で射出するという反則級の技術が行使されていたのだが、その発動はほんの刹那。アイリ以外で気付いた者が果たして何人いたか……。
「あんなスキルを持っているなんて……。シンリ様、あの者侮れません!」
そうポツリと呟くアイリ。あれ、スキル見たのにもしかして気付いてない……。
彼女はこの試合を見るため何者も近寄れぬ雰囲気を発しながら客席にいた。彼女の背後では謎の魔獣(黒アイリ)の幻影が吠えまくっていたという……。
気合が入り過ぎて、彼女はあのレアスキルを見ても彼の正体に気付かなかったようだ。




