彼らの決意
この時話しかけてきた大柄な男こそ、ジャクソン・ランパードだ。
そして、彼とその友アシュリー両名とアイリ達が出会ってから、さらに数日ほどが経過した。
その間、自称聖少女騎士団を組織していたクロードと同郷の構成員達十名あまりが帰国する事態が起こり、彼女達の在籍する一組からもクロードを含めた三名が退学している。
「さて、今日は本気を引き出せるかな……行くぜ!」
訓練場での実技の授業中。
自身にそう気合いを入れて猛然とアイリに挑むジャクソン。これは最近クラスの生徒達にも馴染みになりつつある光景だ。
木製とはいえ大剣を片手で軽々と振り回し、目で捉えるのが難しいほどの連撃を繰り出す彼の姿と、片手に持つ短剣を使うことなく、ひらひらとそれらを全て躱し続けるアイリ。
「くっ、まだまだぁ!」
そんなアイリを見て、ジャクソンの攻撃はさらに激しさを増していく……。
隣では、同様にアシュリーがツバキに挑むも、やはりその攻撃が彼女を捉えることも彼女が反撃に移ることもない。
「避ける事に専念しているのだと……思いたいですねっ!」
そう言いながらアシュリーは変幻自在の蹴りを出し続ける。それらは鍛えられた筋力と柔軟な関節の動きによって、攻撃中でも複雑に軌道を変えるもの。真横から迫った足が、次の瞬間には脳天を襲い。一旦地に着いたところから下段……と見せかけて側頭部。という具合なのだ。一般の生徒ならその動きについていけず、もう既に滅多打ちにされているところである。
「よし、五分間休憩を取れ!」
カサノヴァの指示で、生徒達は一旦休憩に入った。アイリ達も壁に寄り掛かるようにして座り、すぐ近くにジャクソンらも腰掛ける。
「ったく、いけてんのか?全く届いていないのか?それすらもわかんねえよ!」
「私も、これほど測れぬ相手は初めてです……」
さすがに学園最強と呼ばれる両名だ。これくらいの手合わせではそこまで息を切らすこともない。
だが、彼女達は全くと言っていいほど受けもせず、反撃する素振りもない。ただひたすらに避け続け、じっとこちらの動きを見られている感覚が続くばかりなのだ。
無論、その高い回避技術によって相当の実力者であることは二人も理解出来ているのだが、それが近しい実力なのか、はたまた遥か高みにあるものなのか、それを測るにはあまりに検討する情報が少なすぎる。
「……なあ、アイリさん。実際どうなんだ?俺の剣はその……あんたの心に響かねえかい?」
辛抱できずに、ついにそう聞いてしまったジャクソン。
「んー、強い……と思いますよ。純粋な戦闘力では恐らく学園一、くらいなのでは?」
「……自分達とその仲間を除けば……だろ?」
あまりにも月並みなアイリの答えに、やや苛立ちを含んで彼がさらに問う。
だが、彼女はそれ以上語らずただニコリと微笑んだ。
「ちっ、わかったよ。じゃあこうしようぜ、来月のフェスタの武闘会。そこで決着を付けよう!あれなら逃げ回るだけだと負けになっちまうからな」
「……フェスタ、ですか」
「主様の許可が必要」
フェスタの武闘会といえば、入学した時からよく生徒達の話題に上るイベントだ。
フェスタ自体はデジマール全体での大きなお祭りなのだが、そのイベントの一つとして学園内の闘技場を使って行われるのが武闘会。
日々の生徒達の研鑽の成果を内外にアピールするために、また各国の強者がその実力を世に知らしめるために集まって戦い、その腕を競う。
目の前の二人は過去二回の大会に参加し、いずれも並み居る招待選手を打ち倒して、この二人で決勝を戦っているらしい。
「なんでい、そんな事にも許可が必要なのか……。なあ、お二人にとって大将って一体どういう存在なんだ?」
「私の全て……でしょうか」
「主様は、主様」
そんな二人の答えに呆れ顔になるジャクソン。それならばと彼はやや意地悪な質問を投げてみる事にした。
「単刀直入に聞くぜ、実際のところお二人が本気で戦えば大将より強いんじゃねえのかい?聞くところによれば大将は召喚士らしいじゃねえか」
「シンリ様の、本気……」
……それが何だと、理由を口で表現出来はしない。
だが、アイリがそう呟いた瞬間、彼らの背筋には氷でも押し当てられたかの様な強烈な寒気と、巨大な魔獣の牙によって今まさに咬みちぎられようとしているかの様な絶望感が襲いかかった。
体温が奪われ、みるみる冷えていく身体。だがそれに反して、あれだけの手合わせでほとんど汗もかかなかったジャクソンの額からは、滝のように汗がこぼれ落ち始めており、近くで聞いていたアシュリーもまた同様の状態に陥っている。
「……ふう。考えたくもないですね。私達二人がかりでも、シンリ様に本気を出していただけるイメージが全く浮かびませんから」
コクコク!
そう言った彼女達が顔を上げ、シンリを想いやや頬を染めた辺りで、やっと彼らを襲っていた感覚が消え去りみるみる体調が戻っていった。
これは彼らが、それなりに素質と実力を兼ね備えた者だという証でもある。なぜなら、今アイリは心の中でシンリの本気の姿を想像し、そして自身が作り出したイメージに心から恐怖した。その恐怖は避けられぬ死をあっさりと受け入れてしまうほどの絶対的なもので、彼女の生物としての最後の生存本能すら簡単に踏み潰すほど絶望的な存在。
そんな彼女の心中を、彼らの鋭敏な感性が無意識のうちに感じ取ってしまった結果なのだ。相応の力を持つ者でなければ、何も感じることはなかっただろう。
「さあ、いつまで休んでるんだい!再開しな!」
訓練場にそんなカサノヴァの声が響き渡り、立ち上がった生徒達は再び模擬戦を開始した。
さらに数日後、シンリの屋敷に招待を受けた(勝手に押しかけたとも言う)ジャクソンとアシュリーは彼らと別れ、深夜の街を帝国出身者専用の寮『緑玉寮』へ帰るため二人で歩いていた。
「生ける伝説ダレウス……想像以上だったな」
「あれで、あの御仁は何割程度の力を出されたのでしょう……」
シンリの屋敷で、噂に名高い元SS級冒険者ダレウスと手合わせをする機会に恵まれ、彼の代名詞たるスキルの発動を見ることも出来ずに二人掛かりで軽くあしらわれてしまった二人。その足取りが重いのは、疲れのせいだけではない。
「ダレウスが、アイリさん達ならいい勝負をするかもって言ってたな。そりゃあ俺達相手に手を出してこねえわけだ」
「学園専属の回復術師がいるとはいえ、訓練場ではそれなりに怪我をしますからね……。特殊な結界を張ったフェスタ期間中なら別ですが」
それきり、二人は黙り込んでしまった。なんとなくは感じていたものの、ダレウスほどの存在からアイリ達が認められているという事実を突きつけられ、彼女達に『手加減』されていたという現実が彼らのプライドを傷付け、同時にこれまで彼女達同様に加減しながら同級生と手合わせしていた自分達の姿を思い出し、自分の慢心を心から悔いているのだ。
「……だあー、くそっ!強くなりてえぇぇぇーっ!」
そんな沈黙を破り、ジャクソンのそんな雄叫びが深夜の街並みに響き渡る。
「俺はよう、このまま頑張っていればいつか親父を追い抜いて、立派な将軍になれるんだってただ漠然と思ってた」
「ジャクソン……」
「だがよう……。そこで終わりなのか、親父を追い抜いたらそこが終点なのか?それで本当に満足なのかって……。だってよう、親父の上にはダレウスがいる。いいや、もしかすっと他にも誰かいるかも知れねえ。なのに俺は……」
自らの頭では上手く言葉に出来ない感情が溢れ出し、彼は言葉を詰まらせた。
これまでそこが最終目標であると考えていた地点から、さらに先の見えない道が伸び続けていたとしたら……。そんなイメージを思い浮かべて苛立った彼はガシガシと頭を掻く。
「なるほど、こういうことか」
「どうしたアシュリー?」
「いえね、父が言っていた言葉を思い出したんですよ。私も同様に貴方の父上ニコラス将軍の強さを常日頃目標にしてきました。そう公言する私にある日父が言ったんです」
「何て言われたんだ」
「自分で上限を決めて可能性を閉ざしてはいけない。人の限界は、その者が見据える目線の高さで決まるものだと……。正直、当時の私にはニコラス将軍以上の存在など想像も出来ませんでしたから、何のことやらわからなかったのですが」
「目線の高さ……か。いつの間にか俺もお前も、親父っていう限界を勝手に作ってしまっていたのかも知れねえな」
二人は再び黙り込む。しかしその雰囲気は先ほどとは明らかに違っており、互いを見つめる瞳には強い光が宿っている。
「決めた!俺は大将に弟子入りするぜ!」
またしてもジャクソンの大声が、そんな沈黙を打ち破った。
「いきなりシンリ様にですか?ジャクソンはシンリ様と手合わせしてもらうために、アイリさん達に勝ちたいのでしょう?」
「そうだ!ダレウスが勝てねえと言い張るその実力、片鱗でもいいからこの身体で感じてみてえ!」
「それでは……」
「他に誰がいるってんだ。それに目線の高さを上げろってんなら、目一杯上まで上げなくてどうするよ!よっしゃ、そうと決まれば明日からでも早速稽古をつけてくれるよう頼んでみるか。くそ、明日が待ち遠しいぜ!」
「まったく、その単純さは羨ましい限りですよ。ですが、確かに面白い。こんなに高揚してしまっては眠れないかも知れませんがね」
「ぶはっ、違えねえ」
深夜の街並みに、近所迷惑な彼らの笑い声がこだました。流石に騒ぎ過ぎたのか周囲の家々から幾つかの怒声が聞こえ始める。
そんな中を、彼らは高鳴る鼓動と期待感に胸躍らせながら寮へ向かって駆けて行った。




