二人の涙
「おはようございますシンリさん」
「えっ!」
「なんですの、そんなに驚いたようなお顔をされて。ふふ、おかしなシンリさん」
「お、おはよう……」
いつもと変わらないはずの学園での朝の風景……のはずだよな。
目の前で起こった現実に驚き、しばし言葉を失った俺は古典的な方法で確認を試みることにした。
「なあ、二人とも。ちょっと俺の頬をつねってくれないか?」
「いいですよ」
「何かのプレイなの、あなた」
ヴェロニカとマリエは、素直に俺の頬をつねる。なぜか全力で……。
「いひゃい、いひゃい……。あひはほうほうひひはは」
名残惜しそうに手を離す二人。いや君たち楽しんでない?
「夢じゃない。やっぱり……あれが原因なんだろうな……」
俺は、わずかに頬を染めながらこちらを見て微笑んでいるヴァネッサのあまりの変貌ぶりを見ながら、昨日のことを思い出していた……。
「お待ちなさい!」
前日の四葉寮。
アリスを送り届けた俺は、姉妹の感動の抱擁を見て二人だけにしてあげようと気を使い背を向けたのだが、背後から射抜くように厳しい声でヴァネッサに呼び止められた。
「今日という今日は、許すわけにまいりませんわ!私に無礼を働くだけじゃ飽き足らず、まさか……まさかあてつけに私の大切な妹をさらうなんて!ここまで私を怒らせたのは貴方が初めてよ、この外道!」
うわー、想像してたのと違うなこれ。二人で感動に浸ってくれるのかと思ったら、メチャクチャ怒ってるよ。もう縦ロールなんかゆらゆら逆立ってるし、魔力光もすごく出てる。
「……シズカ、俺がいない間に何があった?なんでこんなに怒ってるんだ?」
「お兄様……。それを本気で仰ってるのなら少々天然が過ぎますわよ」
なんだこの可哀相な人を見るような視線。俺達が出かけた後、ここで何があったというんだ……。
「シンリさん……。黙って行っちゃうから、みんなで捜索したりして……大変だったんですよ」
「あ……」
見かねたマリエが教えてくれた。……た、確かにそうだ。それで人攫い扱いなのか……。
「アリス、貴女も何か仰いなさい!このケダモノに一体ナニをされたのかをっ!」
「そ、そんなケダモノなんて……。そりゃあ全部見られてしまいましたし……。始めはちょっと痛かったですけど、でもそれがだんだん熱くなって……。立っている感じが本当に凄くて……」
ちょっと待てアリス。『うっかり』とか『足の組織を再生させた時は』とか『薬が効いてきて』とか『自分の足で』とか、大事な部分が抜けてないか、おいおい。
全員の冷ややかな視線が俺に集まっているのを感じて、慌ててアリスが言葉を続ける。
「待ってください。違うんです!だから私、初めてだったけど……シンリさんは優しくしてくれたんです!」
……うん。『の体験ばかり』とか『色々と』が抜けてるのかな。でもこれまずいよね……。
「許さない!アリスを穢した貴様だけは絶対に許さないぃ……このケダモノめええ!」
高まる魔力と殺気と共に、ヴァネッサは壁に手を当ててブツブツと詠唱する。すると壁の一部の石材が変化し石で出来た剣となった。
「貴様だけはゴーレムでなく。この手で殺さなければ気が済みませんわ!覚悟なさい!」
そう言って、怒りで髪を振り乱し石剣を振りかざしたヴァネッサは俺に向かって斬りつけようとした……だが。
「やめてお姉様!シンリさんにそんなことしないで!」
止めたのは後ろからその背に抱きついたアリス。足元には車椅子が倒れており、車輪がカラカラと音を立てて回っている。
「止めないでアリス!これは貴女の……貴女の…………」
それを振りほどこうとしたヴァネッサは、アリスの頭がいつもより遥かに高い位置にあるのに気づき、言葉を詰まらせた。
「アリス……貴女…………」
「そうよ。そうなの、お姉様」
ヴァネッサを覆う魔力光が消え去り、手に持った石剣が形を保てず崩れ落ちる。
「うそ……でしょ……」
ゆっくりと身体ごと振り向いたヴァネッサ。彼女の目に映るのは、誰に支えられる事もなく、自らの足でしっかりと立つアリスの姿。
「こ、これは夢なの……アリスが、アリスが立って……」
「夢じゃありませんわ、お姉様。シンリさんが……シンリさんが治してくださったのよ」
そう言ってアリスはまだ慣れぬ足に力を入れ、ヴァネッサに向かって一歩だけ……確かに自分の足で歩いて近づき、しっかりと抱きついた。
「天使様が仰っていたわ。三日も待てば走れるようになるだろうって。白い女王様から頂いたお薬が効いてくるからだって。小人さんやお話しする猫さんにも会ったわ。他にも不思議な事がたくさん……。でも、夢じゃなかった。本当にシンリさんは私の足を治してくださったの。だって……お姉様のお顔が、今日はこんなにお近くにあるんですもの!」
足に力を入れて体を目一杯伸ばし、愛おしそうにヴァネッサの頬に額を当てるアリス。
そのヴァネッサの頬は、すでに溢れ出た涙で濡れている。
「グス……天使とか、女王様とか……。もう、何を仰ってるのかわかりませんわアリス。グスン……。でも、夢じゃないのね、これは。ごめんなさい。今まで本当にごめんなさいねアリス……ぅぅわぁぁーん」
「いいえ……。お姉様は、私のことでずっと苦しんで来られました。ズズ。でも、もう大丈夫。お姉様はいつまでも気高く美しい、私の大好きな自慢のお姉様でいてくださいませ……ぅわあぁぁーん」
今度こそ本当に感動で、抱き合って号泣しだした二人。
これこれ、俺がイメージしてたのはこんな場面だよ。
それにしても、アリスに口止めするのを忘れていたな。幸い、ヴァネッサは冗談だと思っているようだし、これ以上広がらないよう後で口止めしておかないと。
「これで納得してくれたか、シズカ?」
「まあ……でもせめて、ひと言残して行って欲しかったですけど!」
シズカの発言に、他のみんなもうんうんと頷いてる。確かに、随分と心配させたみたいだからな。
「そうだな。心配かけてすまない。みんなも、待っていてくれてありがとう」
そう言うと、嬉しそうに駆け寄ってきたお馴染みの聖魔天使が俺の両手の定位置に戻り、流れでうっかり俺の影に潜ろうとしたツバキは、慌ててアイリに抱き止められた。
「まあ、なんにせよ、めでたしめでたしって事だな。大将が何やったのか気にはなるが野暮はなしってもんだ。今日は帰らせてもらうぜ大将!」
「『暁の奇跡』の片鱗、見させてもらいました。本日はこれにて失礼しますよシンリ様」
そう言いながらジャクソンとアシュリーは帰って行く。うん、あの二人も何気に微妙な言い回しが多いな、一度きちんと口止めした方がいいかもしれない。
「まあいい。さて、俺達も帰ろうか……」
「お待ちなさい!」
流れに乗って帰ろうとした俺を、ヴァネッサが呼び止める。
「まずは先ほどの非礼と暴言、心よりお詫び申し上げますわ。そして貴方には、とても大きな借りが出来てしまいました。このまま帰らせたのではベアトリーチェ家の名折れ。私達はいかにして、この御恩に報いればいいのかしら……」
あの縦ロールが随分としおらしくなってしまったものだ。涙で潤んだ目をやや伏せながら、上目遣いで俺を見ている彼女がほんの数分前と同一人物とは思えない……。
「それはもう貰ったから貸借りなしだ。内容はアリスにでも聞いてくれ。じゃあな」
「あ、お待ちになっ……」
ここからきっと『そういうわけにはまいりません』だの『〇〇家として』だのと長いやり取りが続くに決まってる。俺は残った全員と共にさっさとその場から転移した。
そして翌日、この別人のようになってしまったヴァネッサを目の当たりにしているわけだが……。
『ほほう。あれがシズカ嬢が仰っていた『デレる』という現象なのですね。つまりはデレロールに進化したと……なるほど実に興味深い』
……だから、妙なニックネーム付けて遊ぶな変態執事。




