ヴァネッサの贖罪
「ああ、アリス。また私はあの子を……。ごめんなさい。ごめんなさいアリスぅぅ……」
寮生達が寮内やその近辺を懸命に捜索している中、取り乱して涙を流すヴァネッサの周りにはシズカ達だけが残っていた。
「落ち着いてヴァネッサお姉様。お兄様が一緒についているのであればきっと大丈夫ですわ」
「シンリがいるのなら、全く問題ない。私は浮気の心配しかしていない」
「そうですね。シンリさんがご一緒というなら、それだけでとても心強いです」
シズカ、ヴェロニカ、マリエはそう言ってヴァネッサを落ち着かせようとする。
「ヴァネッサ。シンリ様がご一緒というのが事実なら、私も心配ないと思う。あの方をどうこうするなんて一国の軍でも不可能、ゴホン……な気がする」
「アシュリーあんときゃ一国じゃなかったんだろ?それこそ……おっといけねえ!とにかく信じろよ大将を!」
安心させようとして色々うっかり話しそうになるアシュリーとジャクソン……。
「どうして、どうして皆さんあんな男が信用出来ますの?いったい彼に何が出来るっていうんですのよ!」
「うーん、シンリ様なら出来ることより出来ないことを考える方が難しいかもですよ」
コクコクコク!
素知らぬ顔で未だにお菓子を食べ続けているアイリとツバキが、何となく答える。
「もう、何ですのよ!皆さんで私をからかってらっしゃるのでしょう!ああアリス。私はまた貴女を傷つけてしまうの?アリスぅ……」
「お姉様、いったい何があったんですの?もしよろしければ教えてくださいませ。何かの手がかりになるかも知れませんわ」
彼女の言動から、過去に何かがあったのは間違いない。シズカが優しく肩を抱き寄せながらそう言うとヴァネッサはぽつりと呟いた。
「私、一度アリスを……この手で殺してしまいましたの……」
それは今から六年ほど前の事。
幼少期より魔法適性を見出され、その秘めたる才能の片鱗を見せ始めていたヴァネッサ。
美しく、優秀な彼女はベアトリーチェ家の自慢であり誇りでもあった。
五歳年下の妹アリスにはそんな才能は見受けられなかったが、彼女は心から姉であるヴァネッサを慕い、いつもそのあとをついて回った。
「見ていなさいアリス。初歩の土魔法を習ったわ、いくわよ!」
何もない地面にヴァネッサが手をかざして詠唱すると、ボコボコと地面が盛り上がり小さな土のレンガが一つ出来上がった。
「おねえちゃましゅごい!しゅごぉーい!」
パチパチと手を叩きながら嬉しそうにはしゃぐアリス。その笑顔が見たくて、ヴァネッサは必死で魔法を学んだ。
いつしかレンガは複数になり、やがてそれは人が乗れるほどの大きさの台になる。
これが土魔法の基本的な修行法。自らの魔力を練りこんで土から造形物を作るそれは、小石大の塊に始まりレンガ、複数のレンガ、大きなレンガ……といった具合に徐々に練り込める魔力の増加に合わせて進めていくものだ。
八歳にしてこれほどの大きさの造形を成功させるなど、とんでもない快挙。彼女はより一層両親の自慢の種となり、それはヴァネッサの性格のさらなる増長へと繋がっていく。
「ゴーレムよ、ゴーレム!さっさとゴーレム作成の呪文を教えなさい!」
「しかし、ヴァネッサ嬢の魔力では制御に回す分が足りません。最悪の場合、暴走したゴーレムに術者が殺される危険もあるのですぞ!」
十歳になったヴァネッサは、地属性のある意味到達点であるゴーレム作成に挑戦しようという野望に燃えていた。このロウラン国は、多くの優秀な土魔法術者を輩出してきた地属性の名門であるが十歳でゴーレム使役に成功した例など、その輝かしい歴史に於いても誰一人として存在しない。
「あのわからず屋!クビにしてやろうかしら、ほら見なさいアリス!」
そう言ってヴァネッサは、今日三体目となる二メートルほどの巨人の型を作ってアリスに見せる。
「すごい、さすがはお姉様です!かっこいいですわ!」
嬉しそうなアリスの笑顔、それがさらに彼女の欲求を強めていく。
そして、ついに……運命のあの日を迎えてしまう……。
朝から街に出かけた魔法の家庭教師の部屋に忍び込み、ゴーレム使役の呪文が書かれた魔道書を勝手に持ち出したヴァネッサは、アリスと二人でいつも魔法の練習を行っている屋敷の裏手にある空き地を訪れていた。
「見てなさいアリス。私の本当の実力を皆に思い知らせてあげますわ!」
「まあ、楽しみですわお姉様」
手始めに多くの魔力をその身に練り始めるヴァネッサ。徐々に全身がオレンジの光に包まれていく。アリスは、姉のこの時の姿が本当に大好きだった。オレンジのリボンやアクセサリーを好んで身につけるようになったのもそのためだ。
「これだけ練れば大丈夫かしら……。はあはあ、いきますわよ!」
余程の魔力を必要とするのだという事は分かっている。彼女は今出来る限界まで魔力を高め、魔道書に書かれていた呪文の詠唱に入る……。
かくして、詠唱が終わると共にいつもより大きな三メートル近い巨人の姿が見事に造形され、それは小刻みに震えるような動きを見せた後、その足で一歩を踏み出した。
「ほらアリス!成功よ、やっぱり私なら出来るんだわ!」
「お、お姉さ……い、いやあぁぁぁ!」
肩で息をしながら成功を喜ぶアリスの声を心待ちにしていたヴァネッサの耳に届いたのは、悲痛な愛しい妹アリスの叫び声。振り返ってみると、歩き出したゴーレムはその大きな両手で小さなアリスの体を押さえつけている。
「何をしてますの!お止めなさい!ちょ、命令を聞きなさい!なんで、どうして?」
「痛いよぉ!助けて、助けてお姉様ぁぁぁーっ!いやあぁぁ……」
それが慣れた術師であれば、即座に魔力の供給を止めて土に戻し強制的に止める方法もあったかも知れない。しかし、未熟な彼女はひたすら命令と魔力を送り続け、魔力枯渇で倒れるまでの二分間、小さなアリスの身体は巨人の猛威にさらされ続けた。
たまたま通り掛かった使用人が見つけた時には、土の山に半ば埋もれて血まみれで倒れるアリスと、その傍らで涙を流しながら気を失ったヴァネッサの姿があったという。
必死で懇願するヴァネッサの意思を汲み、べアトリーチェ家の持てる力を存分に使い幾人もの治癒術師を呼び寄せて懸命な治療が行われ、アリスは辛うじて一命を取り留めた。しかし、元気を取り戻してなお彼女が自らの足で立つ事はもう二度と出来なくなっていた……。
元よりヴァネッサと比べられ、屋敷に居場所のなかったアリス。彼女が歩けなくなったことで、その立場はさらに厳しいものへとなっていった。そんなアリスに寂しい思いをさせまいといつも自らの側に置き、留学や旅行にも常に帯同させているヴァネッサ。
彼女は、いつかアリスの足代わりになるゴーレムを完全に使役してみせること。それを目標に、日々研鑽を積んでいるのだった……。
「私は、生涯をかけてあの子に償わなければなりません。あの子が幸せになれるなら何だってする……。なのに、私はまた……アリス」
『ここで誤解がないように言っておこう。彼女は今日の席で年齢が近いシズカ、ヴェロニカ、マリエ、ツバキ達に時間がある時でいいからアリスに会いに来て欲しいと頼んでいたよ。まあ妹への思いがやや屈折して幼女趣味に走った感は否定できないが、勝手な想像で百合ロールとか言わないように!』
「ゲルンスト、貴方いったい誰に話しかけてますの?」
事情を聞き、変態幽霊執事にツッコミを入れる程度の余裕が出てきたシズカ。ちなみにゲルンストは今日はシンリのかけた『不可視』で完璧に隠されている。
「そういう事情なら、お兄様が放っておくわけがありませんわね……。ともあれこれで、縦ロールとの関係も多少前進しそうですわ」
あとは帰ってくるのを待つだけ。それを確信したシズカはそう呟いて一人窓の外を見つめていた。




