お茶会
「憂鬱だ……」
軽めの昼食を済ませて、市街区で待ち合わせたヴェロニカや男二名と合流し、ヴァネッサ達クローバー群島出身者が生活する四葉寮へと向かう俺達。嫌な展開が待っていそうで俺の足取りは重い……。
ちなみに、本格的なお茶会にお呼ばれする場合、そのまま夜の晩餐まで滞在するケースも少なくないので、それなりの服装で出席するものらしいが何せ話が急だ。準備が間に合わない者もいるので、全員無難に制服姿で揃えておいた。
徐々に見えてくる目的の建物。寮などの施設は基本すべて学園が用意したものなので外観は俺達の銀麗寮とほぼ同じである。
「これは……」
制服姿の寮生に案内されて三階に上がると寮内の景色が一変した。本来、幾つもの部屋に分かれているはずのフロアはその壁がことごとく取り除かれ、数カ所のテラスの付いた大きなホールになっていた。
流石に貴族の派閥の長というべきだろう。シャンデリアをはじめとした豪華な内装は、とても寮を改装したとは思えないほど見事な仕上がりだ。
室内には大きな丸テーブルが八台置かれており、それぞれに各々が集まり、用意されたお茶や菓子を食べながら会話を楽しめるようになっている。
ヴァネッサの挨拶で幕を開け、会が始まって三十分あまり、俺はヴァネッサが陣取るテーブルから一番遠いテーブルに一人でいた。
隣のテーブルでは、アシュリーとジャクソンが彼ら目当てで集まった女生徒の相手をしている。やはり、育ちが違うからだろうか。二人とも立ち居振る舞いが様になっているな。
ウチの女性陣はというと、学園でやや浮いている感が強いので今後のことを考えシズカの先導で挨拶回りに行かせている。最初に挨拶に行ったヴァネッサの席でずっと捕まっているので、戻るにはまだまだ時間がかかりそうだ。
ヴェロニカは断固拒否の姿勢を見せたが、次の休暇に俺の屋敷に招待するとの約束で渋々了承してくれた。
ヴァネッサにあまりよく思われていない俺にとっては完全アウェーであるこの場所で、わざわざ俺との交流を求めてくる者がいるはずもなく、花の風味が効いた変わったお茶をのんびりと一人で楽しんでいる。
「あの……こちらよろしいですか?」
テラスから見える外の景色をぼんやり眺めていると、突然後ろから声を掛けられた。振り返ると誰もいなかったはずの俺のテーブルに、一人の少女が近づき同席を求めている。
ヴァネッサ同様の金色の長い髪は緩やかにカールしており頭にはオレンジ色の大きなリボン。顔色はやや青く、長年愛用しているであろう使い込まれた木の車椅子に乗っている。
「どうぞ。こんな寂しいテーブルだけどね」
「ふふ、ありがとう」
俺は立ち上がり椅子を一つ端に避けて、車椅子が入れる場所を作る。そこに彼女が落ち着くとカップを準備してお茶を注ぎ、幾つかの菓子を取り分けてあげた。
「初めまして、私はアリス。アリス・ベアトリーチェといいます。優しいお兄様」
「ベアトリーチェ……ということはヴァネッサさんの?」
「はい。私はヴァネッサ姉様の妹ですわ。えっと……」
「ああ、すまない。シンリっていうんだ、よろしくねアリス」
「こちらこそ、お優しいシンリ様」
「様なんて言われる家柄じゃないんだ、シンリでいいよ」
それからアリスと二人きりのお茶会の時間を過ごした。彼女は俺の旅の話を嬉しそうに聞き、特に迷宮での話には興味津々だった。それとなく彼女自身の話題も出たのだが、彼女は六歳の時にある事故に遭い大怪我をしたらしい。治癒術師の治療で一命を取り留め、時間をかけて体の傷はほぼ完治したらしいのだが、どうやっても下半身に力が入らず動かすことが出来なくなってしまったのだ。
回復魔法や治癒の魔法といえど万能ではない。その効果は使う魔法や術師本人の能力によって大きく左右されるもの。
マリエがあそこまで重宝される理由は、中位の回復や治癒魔法を使え、しかも高い保有魔力によって一日にある程度の回数まで使えることが大きいのだろう。一般の治癒術師のほとんどが、下位の魔法を日に数回しか使えないことを考えれば、これは聖少女と呼ばれるに相応しい能力だ。
体の麻痺が治らないとなれば、考えられるのは脊髄や脳のダメージ。それらを正確に治療するには上級、またはそれ以上の魔法の行使が必要となるため、今のマリエでは難しい。
「神丸があればな……」
俺を『オオナムチ』。すなわち、彼らの言葉を借りるなら、いずれ自らの国を興す選ばれし者として崇め、絶対の忠誠と支援を約束してくれている小人族。彼らの高い製薬技術を以てして、奇跡と呼ぶ程度しか精製に成功しない秘薬が『神丸』だ。
絶対的な効果を持つこの秘薬は先日、帝国で使い切ってしまっており、以降精製出来たとの報告はない。
「シンリさんはやはりお優しい方ですね。私の足の事を気にしていらっしゃるのでしょう?でも、皆さんから旅の話をお聞かせいただくだけで、私もご一緒出来たような気持ちになれますので、どうぞお気になさらないでください」
姉はあんな風なのに、なんて健気でいい子なんだアリス。うん、これはもう力になってあげるしかないじゃないか。
「アリス。俺とちょっとだけ旅をしよう。まあ言葉遊びだと思ってくれて構わない。ほんのしばらく、目を閉じてみてくれるかな」
「うふふ、楽しそう。それはどんな遊びなのかしら」
目を閉じた彼女に近づき、その肩にそっと触れる。次の瞬間、俺と車椅子に乗ったままのアリスはお茶会の会場から消え、王都にある屋敷のリビングに転移した。
「にゃ!シンリにゃー!」
転移した俺の姿を真っ先に見つけたのは、俺のソファでゴロゴロしていたチロル。いかんな、ケットシーの存在は極秘なんだが……。
「そ、その方は……耳だけじゃなく、お顔まで猫さんだなんて……」
一般に、アイリのように人間女性の姿に耳や尻尾のある亜人種はよく見かけるのだが、チロル達ケットシーのように猫が直立しているような姿のものは、魔物以外ではまず見かける事がない。かつて先祖がケットシーを飼っていたような家系なら僅かな伝承くらいあるだろうが……。
「うふふふ。きっと、シンリさんはアリスを不思議な世界へと連れて来てくださったのね」
なんだか妙な誤解をしたようだが、まあ後でちゃんと説明すればいいだろう。きっと幻術でもかけてもらったと思ってるんだろうが、彼女の名前のせいでなんだか妙な気分だ。差し詰め俺はホワイトラビットってところか……。
「チロル、ガブリエラを呼んで来てくれ」
「わかったにゃん!」
俺にずっと抱きついてスリスリしていたチロルに頼んで、ガブリエラを呼びに行ってもらった。
屋敷に戻った目的。それは光属性の高みを極めたガブリエラにアリスの治療を試してもらう為だからだ……。
「アリスが消えた!私の、私のアリスが!ああああ!」
シンリが屋敷でガブリエラを待っている時、お茶会の会場は大変な騒ぎになっていた。
アリスの世話係の侍女が飲み物を取りに一階まで降りていた僅かな時間に、彼女がいなくなったと言ってお茶会の会場に探しに来たのだ。
車椅子に乗ったアリスを見かけた数人は、口を揃えて彼女はシンリと二人でテーブルにいたと話し、見ればそこには未だ湯気の立つ飲みかけのお茶が二つだけ残されていて、アリスの車椅子さえ残ってはいない。
「いやよアリス!どこなの?お願い、誰かアリスを……アリスを探して!」
ヴァネッサの取り乱す様子は尋常ではない。
だがシズカ達には何となく俺が転移を使っただけだとわかっていたのだが、その目的や行き先がわからない。
「もう、どうするんですのお兄様……」
先ほどまで俺の為に、懸命に素晴らしい兄ですアピールを続けていたシズカは、どうこの事態を収拾したものかと頭を悩ませていた……。




