獅子と竜爪
俺の教えた魔法の修行を真面目にこなし、尚且つこの学園にある図書館などで独自に勉強したマリエは、すでに並みの治癒術師では遠く及ばないほどの実力を身につけていた。
その為、各地から学園宛てに要請が来ることも多く、そういった理由から不在が多いのも逆に学園内での彼女の神秘性を高めている。
「私、昨日まで帝国に行ってたんですよ」
彼女は、暁事変で多くの怪我人が出た帝都から要請があり、ちょうど俺達とすれ違いで帝都入りしていたらしい。
「聖少女殿には、当家の騎士団の兵も随分助けていただきました」
そう言ってマリエに軽く頭を下げているのはジャクソン・ランパード。
帝国軍、黄光重装兵団を率いるニコラス・ランパード将軍の嫡子にして、この学園の戦士科の生徒である。
その父親譲りの恵まれた体躯と高潔な精神力で、学内には敵無し。その名も『無敗の獅子』と呼ばれて誰からも一目置かれている存在なのだ。
「シンリ殿にも改めてご挨拶させていただきたいが、間もなく授業が始まりますので、これにて失礼いたします」
そう言って教室に戻っていくジャクソン。
いかん、俺達もすっかり長すぎる昼食時間を取ってしまった。でもまあ、急げばギリギリ間に合うだろう。
シズカ達と別れて教室に戻ると、俺が右手にマリエ、左手にヴェロニカと手をつないで戻った事で教室は一時騒然となった。
先ほど話して仲直りさせたのだが、実は以前ちょっとしたトラブルがあったらしい……。
同じ科に在籍していながら、互いに授業を休みがちで奇跡的に出会うことがなかった二人が初めて顔を合わせたのはひと月前。
前日深夜に帰宅したために起きれず、授業開始ギリギリで教室に入ったマリエは、見知らぬ女生徒に不気味な腐乱死体姿の幽霊が取り憑いているのを目撃する。心優しい彼女は、すぐにこの女生徒を助けなければという使命感を覚え、図書館の文献で読み一度も試した事のなかった下位の『聖浄化』を使ってその霊を成仏させようとしたのだ。
これに驚いたのは、ヴェロニカとゲルンスト。見知らぬ女生徒が教室に入ってきたと思ったら、突然相性最悪の魔法で攻撃されたのだからたまったものではない。
必死で魔力を高めて対抗するヴェロニカ。白と紫の魔力光が入り乱れる教室内は、ちょっとした聖魔大戦の様相だったと生徒達は口々に言う。
魔力で圧倒的に勝っていたマリエだったが、術が不完全であった為、本来の効果を発揮出来ず。結果として、あの聖少女と拮抗してみせたヴェロニカに対する生徒達の恐怖が高まり、より一層誰も彼女に近づかなくなっていく事となる。
そして直接対峙し、マリエの真の実力を肌で感じ取ったヴェロニカは、苦手意識を持ちマリエを避けるようになったのだ。
ちなみにマリエに教えたのは一人で訓練出来る安全な魔力増加法なので、急速増加法を始めたヴェロニカなら、じきに彼女に追いつくだろう。二人の潜在的な力は、驚くほどよく似ているのだ。
その日の夕方、生徒達が帰っていった学園内の訓練場。そこに数人の人影があった。
「こんな場所に我らを呼び出すとは、どういうつもりだ?」
苛立ちを含んだ声を上げたのは、聖少女護衛騎士団団長のクロード。彼の背後には食堂にも同行していた四名の団員が立っている。
「これまでは大目に見ていたんだがね、少々事情が変わった。今後は、マリエ君に関わるのは自重してもらおう」
「いくら何でも、それは横暴じゃないか。なあ、アシュリー会長殿」
騎士団員五名と対峙していたのは、長身の一人の男性。彼の名は『アシュリー・デトス』。帝国宰相ボルティモア・デトスの嫡子にして、当学園の現学生会長である。
「まあ、他国の学生に付きまとい。他の生徒から遠ざけるのも横暴と言えるんじゃないかい?」
「我らには我らの崇高な目的がある。信仰心を持たぬ低俗な者共には理解出来んだろうがな!」
互いの意見は平行線を辿り、衝突は避けられない。それは当人達もよくわかっているようで騎士団員はすでに武器を構えて臨戦態勢だ。
「だいたい、なんで王国から来た者の話に帝国のお前がわざわざ出しゃばってくる?貴様にはまったく関係ないだろう!」
「まあ、聖少女に付きまとっているだけなら関係なかったさ。だが、それがあの方の知人となれば話は別だ。見過ごす訳にはいかないね」
「そういうこった!」
訓練場の周囲を囲む高い壁。アシュリーの言葉に続き、そこから一人の大男がその体躯に似合わぬ身軽さで彼の隣に降り立った。
「無敗の獅子か……。だが、貴様らがいつも一緒なのはこちらも承知の上だ。おい!」
クロードが合図を送ると訓練場の各所から、さらに十名ほどの生徒が姿を見せる。彼らは騎士団とは違うものの、やはり制服の上に簡単な防具を身に付けその手には武器が握られている。
「やれやれ、穏便に済ませたかったのだが……交渉決裂、ってことかなクロード?」
「そういうことだ、アシュリィィッ!」
言うが早いかクロードは剣を抜き放つと、目の前のアシュリー目がけて斬りつけた。
だが、それと同時に動き出し彼の横を圧倒的な速さですり抜けていく大きな影がある……。
手も足も出ないとは、まさにこういう事を言うのだろう。
武器を持たないジャクソンの巨体が有り得ないほどの速さで肉迫すると、次々と団員達は訓練場の壁まで弾き飛ばされていった。ある者は肩での一撃。ある者は肘での一撃。蹴り、掌、膝……用いる部所は違えどもその全てが一撃必殺。
誰もが、その手の武器を振るう間もなく倒されていく。
気がつけば、武装した学生十二名がものの五分あまりで全員倒れて意識を失い、残るはクロードと団員二名のみとなっていた。
「く、お前ら!せめてアシュリーだけでも……」
残った三人はアシュリーのみに狙いを定め、三人で襲いかかっていく……だが。
「いやはや舐められたものだね。私だって、ジャクソン以外には負けたことがないってのに」
アシュリーの両手はズボンのポケットに入ったまま。使ったのは右足一本のみだった。
高く上げられた右足はそのまま地に着けられることはなく。変幻自在にその軌道を変えながら剣をいなし、顎や腹部、腕などを蹴りつけ相手を戦闘不能に追い込んでいく。
最後に頭上に高々と掲げたその足がクロードの脳天目がけて振り下ろされたが、それは当たる寸前に軌道を変えて肩に命中し、彼を地面に叩き伏せた。
「ぐはぁ……『竜爪』アシュリー、これほどとは……ぐ」
「クロード、君は簡単に気絶させてはあげないよ。今後絶対あの方にご迷惑がかからないようにしなければね……」
翌日から、校内でクロード達騎士団員の姿を全く見なくなった。聞けば全員、家の都合で国に帰ったのだという。まあ、よくわからんがこれからマリエに彼らが付き纏う事がなくなったのならそれでいい。
「それはいいんだが……さすがにこれは、どうしたものかな」
授業を受ける俺の右足の上にはマリエ。左足の上にはヴェロニカが座っており、授業が受け難くて仕方がない。
「だってヴェロニカちゃんはいつもこうしてたんでしょ。私はシンリさんの奥さんになるって決めてるんだから当然です!」
「うん。マリエと二人で悩殺すればきっとシンリも子作りしたくなるはず。なんなら二人同時でも構わない」
『モテモテだね青年!ヒューヒュー』
黙れ変態執事。ま、二人とも別に重くもないし、いやそれどころかとても柔らかくていい匂いが……。いや、そんな事言ってる場合じゃないな。
しかし、これでも先生は無視か……。学園長に聞いたが、学園内での生徒間の騒動に学校側が関与する事は一切ないようだ。この辺りは俺の記憶にある学校とは違うんだな……。
確かに、どちらかに有利な働きかけをすれば、この学園とデジマール自体の存在意義に関わる問題になりかねない。生徒とそれを送り込む国との間で、入学時にそういう事に関する書類が取り交わされており、あくまで生徒達の自主性と自己責任に全ては委ねられているらしい。そういえば、入学前に俺もいくつかの書類にサインをさせられたっけ。




